Adi Shakti Puja, Respect the Mother Earth

Campus, Cabella Ligure (Italy)

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Adi Shakti Puja. Cabella Ligure (Italy), 25 May 1997.

今日はアディ シャクティの プージャを行います この力がサダシヴァのもので あることは分かりにくいので 難しいトピックです サダシヴァは全能の神で 彼女はその息吹であり その欲求であり 力の全てで 彼女の力なしにはサダシヴァも 何もできないと言われています このことは多くの著者によって 様々に述べられています でも 創造の起源については 最低7回講義が必要ですので 触れる必要はないでしょう 今回は アディ シャクティが地球に作用する 部分についてお話します まず興味深いことに 地球の内部に クンダリーニが作られ 地球から シュリ ガネーシャが作られます なので地球が 私達には大切です なのに私達は どうやって母なる地球を そして自分自身を 敬うかを知りません アディ シャクティはあなた方の中に クンダリーニとして現れています それがアディ シャクティの反映です また ご存知のように 地球上の様々な国や 地方 都市が 母なる地球のチャクラを 表現しています まずは 人類の誕生のため 聖なる母である 地球を創ることが必要でした なので まず クンダリーニは 地球に反映したのです クンダリーニとは アディ シャクティの一部で 彼女の純粋な望みといえます アディ シャクティは サダシヴァの望みの全てであり アディ クンダリーニは アディ シャクティの望みの全てです それがまずは 母なる地球 大地の中に現れます クンダリーニは地中に及び 地球内部を冷やした後 地表に現れて チャクラを構成します なのでヴィラータ 母なる地球 そして人間の間には 大きな類似があります すべてがアディ クンダリーニの 反映であれば 密接に繋がりがあるはずです 人間は母なる地球との固い 結びつきに気づいていません クンダリーニは地球の各地の センターを作りつつ通過していき 最後はカイラス山から 抜けていきます 皆さん行った事があるか 知りませんが カイラス山からは強大な ヴァイブレーションが流れ出ています 母なる地球を侮辱することは アディ シャクティを 侮辱することです 母なる地球を敬うには 多くの仕方があります インドでは 一日の始まりに 起き上がり 大地に足を置いたら “ああ 母なる地球よ” “どうか足で踏みつけることを お許し下さい”といいます 大地の動きは全て アディ シャクティの反映である クンダリーニによって コントロールされています 重力も地球の クンダリーニの現れです 私達が苦しむのは この美しい惑星を 敬わないからです 地球を敬うとは どのような意味でしょう? それは地上と海 エレメンツの全ての 創造を敬うということです 今日 汚染などの 多くの問題がいわれますが エレメンツの重要性と それに助けられていることを 人々が理解しないからです 母なる大地を敬うため 家を耐えてる時に ブミ プージャをします でないと地震が 起こったりするからです つまり母なる大地には 意識があって動くということです 人間には 理解できないような動きをします ナグプールという ところのお祭りで シュリ ガネーシャの像を 海に捧げようと 皆が歌い 踊っていました 後に皆 飲酒し始めたのですが それを 母なる大地は嫌います 酔うとふらついて 地面に倒れたりします 飲酒により 大きな地震が起こり 人々は母なる大地に 飲み込まれてしまいました サハジャ ヨガのセンターは 地割れに囲まれましたが 一人として 犠牲になりませんでした 母なる大地は サハジャ ヨギを救ったということです 聖なる存在を 彼女は理解します 誰が聖者で 聖者の足かわかるからです そういう事が何度もありました モーゼが海を渡ろうとすると 陸が盛り上がり道ができたように もしユダヤ人だったら 起こらなかったでしょう モーゼの聖なる性質のために 大地が助けたのです 同じように ラーマがランカに渡る際 大地が隆起し 橋渡しされた事がありました なので 災難にあっても 大地に悪態をつくべきではありません 聖なる人であれば 常に大地に守られるでしょう 常に必要な物は 与えられるでしょう 些細な事にも それはあって 例えばカベラでは バラがとても大きく育ちます 他に見られないほど 大きいものです プラティスタンでは ひまわりがとても大きく 持ちあげられないほど育ちます これらがある特定の場所で起こる というのはどうしてでしょう 母なる地球が 知っているということで 誰が彼女の背中を 地表を歩いているか ヴァイブレーションがわかるのです 特定の場所で とても聖なる場所が存在します どうやってそれらの聖なる場所が 分かったのでしょう 磁力によってです 驚くことに 私がいたオクステッドでは 磁力が交差していました 以前から交差していて そこに引っ越したのです 母なる地球は 聖人に便宜をはかるのです 大地があなたを導くことは とても面白いことです 母なる地球が理解を示し 愛を持って聖者を守ろうとする そういったことが多くあります 私達はその価値を分かっていません 同じように 雨が適切に降ったり 大気が 月や太陽 全てが 聖者のために 美しく働くことを知りなさい 聖者が座っていることを 知っています 純粋な人がわかり 命の精髄であり 守られるべきであると 知っています 一方 役に立たない人を 守ることはありません 例えばハッジに行き 多くの者が亡くなったことがありました アマナスに行き亡くなりました 聖者でなく ただの儀式的な人で 母なる大地には 無益だったからです でも そこから誰も 学ぼうとしません アマナスで 沢山の人が亡くなった後 パキスタン人は “アマナスは悪い場所だから 行かないほうがいいんだ”と言い “そこは聖地ではないということだ” と言いました しかし ハッジによって 多数が亡くなったことを 説明する術を 知らなかったのです これらの人々は ハッジにいつも行っていたからです かつては32000人もの 死傷者がでました そういうことなのです そこは確かに聖地ですが そうであっても その地を訪れることが スピリチュアルな上昇を 意味しないということです 聖地を訪れることは 何も成したことにはなりません 一方 聖地に疑義を 呈することはできません 私はチンドワラで生まれましたが メッカと同様 北回帰線上に位置しています どうしてでしょう メッカとは何でしょう マケシュワラシヴァの意で シヴァのことです なぜムハンマドが石を 崇拝するように言うのでしょう 偶像崇拝に反対で 石を信じてはいなかたのに なぜあの黒い石を 崇拝するように言ったのでしょう 皆がそこを 訪れる必要があります 何故でしょう それがスワヤンブーで ヴァイブレーションがあるからです だからです それでムスリム達が狂ったように 訪れていますが それで成長した人を 見たことがありません それは単なる儀式で そこに行きさえすれば 死後にメッカを訪れたと 証明書を神に見せようというのです 教皇がかつて 真のクリスチャンであることの 証明書を与えたように このように 全ての儀式が始まりましたが 現実は内面にあります 現実は本物の人たちの為で 偽物の為ではありません ですが この儀式主義が 高まりすぎました インドには沢山のクンダリーニ 由来のスワヤンブーがありますが これもまた 崇拝されています ほとんど行きましたが 驚くことにそこのプジャリ達は皆 何らかの重病を患っていました 例えば麻痺がある者です “私達はスワヤンブーや 神に奉仕しているのに” “なぜ病気になるのでしょう” と相談されました “金儲けしているからです 神の名において金儲けはいけません” “神に奉仕したくないなら 去りなさい” “でなければ儲けることをやめなさい” と言いました 金儲けをしている人が 麻痺を患うのはよく見かけることです これはとても深い理解で エレメンツや大地の全てが 持っている理解力です 彼らのクンダリーニが あなたのようでなく エゴやスーパーエゴなど 無意味なもので 敏感さがなく 現実を示さないからです あなたのスピリチュアリティは 注意深く鋭敏で 感じたことをたちまち 説明できるべきなのに そうでないのが問題です なぜ敏感でないのでしょう 反対に 他人を気にして “あなたのここがキャッチしている” と言い出したりします 本当はそう言っている本人が キャッチしています アディ シャクティの 反映であるなら 曇り一つなく 純粋であるべきで 白いサリーに黒いインクがつけば 目立ってしまいます あなたは純白で 自他共になんの汚点も みられないようでないといけません 純粋な知性とハートで その高みに 達する事ができれば 何かを操作する必要は 全くなくなります 母なる地球のように 全てが自然です 彼女はなにかを 操作するでしょうか どれほど彼女が 自発的かみなさい 大地に種を植えると いかに芽吹くか その自発性を 私達は疑問に思いません 多様な花を見ても 色々な香りも 林も木々も いかにバランスよく 各地で育つか 分子や原子の一つ一つまで 大地においては意味があります この身近な母なる大地こそが アディ シャクティの反映の 最たるものなのです なので まず 大地を崇拝すべきです あなた達がこうやって 大地に座るのは好ましいことです 瞑想時に大地に座るのは とても良いですし あいにく私も同じですが 吸収力があるので あなたの問題事を 簡単に取り除いてくれます 例えば大地に 座れないのであれば 石や大理石などの 自然なものに座るとよいでしょう でも プラスティックに座り 瞑想しても どれほど効果があるか 分かりません 問題をよく 吸収してくれるので 自然なものを 使うように言うのです 他には身体や知的なラインで 理解する人為があります 知的にはどうなるかというと 議論と説明が 延々と続いて終わりません それで実際頭痛持ちに なったりするのです あなたが自発的であれば 相手が何を伝えようとしているか たちまち理解できます 大して考えなくとも 相手の考えを吸収できたりします 吸収とは悪いものをもらうのではなく 選り分けるということです 相手の言うこと聞いて 選り分けるのです 問題は私が あなた方全員を 自分の体に取り込むと 決めたことです 危険なことだと 解っていますが 今日における私の使命なので そうしました なのであなたの問題が全て 私に行きました 海に入ると あなたは浄化されますが それを吸収する 海の方はどうなのでしょう 海はあなたの厄介な問題事を 抱え続けることになります なのであなた方が 自分で浄化するのが一番なのです 内省を通した浄化が大切です それは考えることではありません 内省とは瞑想であり 皆が瞑想をすることです リーダーたちのミーティングで 皆が客間に座った時ですが 皆が集まった途端に 私は腹部に深刻な痛みを感じ ひどい下痢をしました 誰が問題を抱えているか 知りません 誰が持ち込んだのかも 知りません でも母として 私はあなた方が元気で純化されれば 何も気になりません 大地が養うように 私はあなたの世話をします 大地が愛するように私も あなたが善かれ悪しかれ愛しますが それは問題ではありません 良いサハジャ ヨギで あろうとするなら 見栄や義務でなく 思考や議論 他人の批判でなく あなたが一日10分でも瞑想すれば 私は最高に健康になるでしょう あなたの注射を受けたせいで 私の健康が無意味に害されるからです 私の負うリスクが分かれば マザーが苦しまないようにする 分別があるに違いありません 時に連日の磔刑のようで なんと言うべきか分かりません 例えば先日デリーでのこと あるリーダーの男性が 私に会いに来た時に 私の足がこう動き始め 痛み出しました 出て行くよう 言うわけにも行きません 彼を傷つけたくありませんから “どうしたんですか 一体どこに行っていたの” 彼は理解してそこを去り その後良くなりました 問題を沢山抱えている人が 私に近づくと 意識に入ってくるので 私が影響されることになるのです なぜサハジャ ヨガにいるのか というシンプルな問いがあります それは上昇のためです より高くと 昨日歌ったように 昨日あなた達が上昇への望みを 歌うのをとても楽しみました 間違いなく 歓びを感じられました ですが 実際そのために 何をしているでしょう 真剣に考えるべきです 誰かの成長や理解に 何をしているでしょう 特に女性は あまりしないようですが 母性であるのに それではいけません どんどん外に出て リアリゼーションを与えるべきです 男性は積極的ですが 女性は違います それは反対なのです 男性は活動的だが 瞑想をしない一方 女性は瞑想するが 外に出ようとしない ある種の 分業のようになっています これではうまく行きません 瞑想も外でのサハジャ ヨガの啓蒙も 両方必要です 両方するべきです 瞑想だけで与えなければ 上昇できません クンダリーニは 非常に分別をわきまえています 成人にする必要があるのか と彼女は考えます どんな用途があるでしょう サハジャ ヨガは 誰かが聖者になり その人がどこかに座っている というような個人の上昇ではありません 一人の人間 自分のためではありません それは集合的な現象です なので集団に働きかけて初めて クンダリーニが認めるのです 身体が働くようにです 身体においても もしある臓器が 自分はもういい と言ったら ある細胞が成長をやめる 身体全体はもう構わないとなったら うまく行かないでしょう 何度も言うように それは生きた組織で 育ち また吸収する 必要があります エネルギーを得て成長するには 瞑想が必要です 成長しなければ 終わりです もうサハジャ ヨギではありません 誰にもリアリゼーションを与えていない人を サハジャ ヨギとはいえません サハジャ ヨギは 与えなければいけません 他の活動に加え 主な活動は リアリゼーションを与えることです その側面を 生活においてケアしない限り サハジャ ヨガで 成長することはないでしょう 例えば私の立場は 私は完全で 問題はありません ではなぜサハジャ ヨギのために 一生懸命働いたのでしょう 私は成熟しすぎていて これ以上は必要ありません 私にはしなくても良かったのに どんな必要があったのか それは 愛のためです 私の中には沢山の愛があり 伝達しなければなりません でなければ窒息してしまいます 自分を愛せません この愛は広がる必要があり そのために あなた方が必要だということ これが私のヴィジョンです この特別な 約束された時代に あなた方は このために選ばれました さて あなた方がどれだけその重要性を 理解しているかが大切です 自ら瞑想により 成長するのは構いません ですが それを使わなければ どんな意味があるというのでしょう 例えば何かを 修理できたとします このマイクをきちんと直したとしても 私が喋らなければ なんのためのマイクでしょう 同じように あなたが一生懸命でも 4時に起きて シャワーを浴びて瞑想し そして夜も瞑想 という人を知っていますが 外で誰かにサハジャ ヨガを 広めようとしません 聖なる愛を 与えようとしなければ 愛の無い世界の問題が 解けることはありません 聖なる愛を誰も知らずにいるので 与えるべきです このアディ シャクティの 力を感じるべきです 知らせることをしなければ 自分だけが全てを楽しんでいて 自分勝手といえるでしょう こんなわけで サハジャヨガで バランスのとれた人格に ならないことがあります 例えばサハジャ ヨギ同士で 結婚したとします 私の願いは 彼らがお互いを完全に理解し 愛するのみならず サハジャ ヨガや 他者をも愛することです これがサハジャ ヨガの結婚を 正当なものにする唯一の理由で でなければ 結婚する必要はありません でも そうなりません サハジャ ヨガでの結婚は 簡単なので 口論の末 離婚話になるか 幸運にもそうならない時は 自分の家族を持ち 家を持ちと 非常に小さく 限られた生活を初めます そんなことのために サハジャ ヨガにきたのですか 自分の人格を悟りなさい 母なる大地を見れば 彼女は自分の人格を知っています 土や泥だけで出来ています にもかかわらず いかに自覚があり こだわりつつ 注意深く働くでしょう あなたは こんなにも恵まれいます 与えることを考えていますか お粗末で 問題はあったにせよ キリスト教は 12人で拡がったのです イスラム教もあまり上手くないにせよ 拡がりました これらのお粗末な仕事が 拡がるなら サハジャ ヨガの 良い仕事はどうでしょう 色々なところに拡がるべきです どこに行って何を話せるか どうやって人を助け 苦しみ 不幸や破壊を 超えられるかを見つけなさい 時間は限られていて 私達はそれに見合った 動きをしていません ずっと早く先に進み 一貫した集中的な努力を通して サハジャ ヨギを 産み出さねばなりません でも サハジャ ヨガは ついでのことになっています 責任感にかける理由です 母なる大地から 学ぶ必要があります “あなたのようにはなれません” “あなたは結局 アディ シャクティだから” 指先一つでものを動かせるからといって 何だというのでしょう 私に必要な理由が あるでしょうか あなたが私であり 大地が私であるという 美しい創造において あなたは世界のニーズに 敏感にならなければいけません 世界は何を 必要としているのでしょう あなたが今日ダメなら 永遠にダメでしょう 少数しか存在しないでしょう なのでサハジャ ヨガを 拡めるべきで この愛はあなただけのもの ではありません あなただけが 楽しむためではありません 世界中のできるだけ多くに 楽しまれるべきです 今日はアディ シャクティの 子どもとして 外に出て あらゆる場所に赴き 声高らかにサハジャ ヨギとしての 責任を全うするべきです あなたがここにいる理由が あるに違いません 初めの頃 ヨギ達は “マザー 私の過去世はこれですか シヴァジですか” “知っても意味がありません” 過去がなんであれ 今は高みにいます 理解すべきです ナポレオンだったとか どこかの王様とか 女王とか言うかもしれませんが 何をしたというのでしょう 誰かのクンダリーニを あげましたか 何らかの力を 持っていましたか キリストやムハンマドの 弟子達ですらできましたか クンダリーニについての 知識を持っていましたか リアリゼーションを与えたいという 純粋な愛を持っていましたか スーフィー達もリアリゼーションを 与えませんでした 多くの聖者もです ムハンマドも ゴータマ・ブッダも 誰にもリアリゼーションを 与えませんでした 考えてみなさい キリストもクリシュナも ラーマも誰もです あなただけができるのです そしてクンダリーニについて 知っているのです あなたはアディ シャクティの子であり これは大きなことです あなたとともに 母がここにいるのです あなたがいてくれて 私にはとても幸運です 誇らしく思いますが サハジャ ヨガに もっと多くを もっと早く 連れてくる 必要があります ご存知のように何かを強要するのは 私の性格ではありません 怒りに任せて強制的に 何かをさせることはできませんが あなたが失敗すれば 私も完全に 失敗することになるのです そういうことで 今日は 皆がサハジャ ヨガについて語り 広げ 知ることを 誓って頂きたいと思います 何も知らない者が多くいます サハジャ ヨギであっても 何も知らず 夫婦問題に陥ったり する者がいるのは驚きです あらゆる無意味な問題事が 私に持ち込まれます あなたは問題を起こすためにいるのですか それとも誰かの問題解決のためでしょうか 全体としては 上手くやれていますが 更なる早さと熱意 喜びをもって働くべきです 誰かにリアリゼーションを与えることが どんなに喜びかをあなたは知りません 最も喜ばしい瞬間です 一度試せば もっとしたくなってくるでしょう サハジャ ヨガにきたら “彼が行ってしまう リアリゼーションを与えよう” それだけを願うべきです “ちょっと来て下さい あげたいものがあるんです”と座らせ 路上でも与えるのです こういうおかしな スタイルでやるのです “この人はまだ得ていない あげよう” 教会や大学 あらゆる集会に行って 何を得られるかを恐れず 敵意なく伝えるのです あなたの徳のために来た と言えます 自分ではなく あなたの 徳のために来たと言えば 間違いなくあなたの クンダリーニはご機嫌でしょう 彼女は自分を十分に 使おうとしない人に満足しません 世界救済のためになら 喜んで力を貸してくれるでしょう 神のご加護がありますように