Diwali Puja, Expression of Love Novi Ligure (Italy)

Diwali Puja, Novi Ligure, Italy, October 25th, 1998
今日ディワリ プージャのために 皆さんに会えて嬉しいです ポルトガルで行う予定でしたが ここになりました ディワリ プージャは小さなものですが 極めて意義あるプージャです まず ディワリでは初日に 家族のための何かを買います 何か料理に使うものや 奥さんに宝飾品などです その日が主婦の日で 主婦に敬意を表す日だからです その結果 インドでは 主婦がとても尊敬されています 実際は 世界中で 尊敬されています 政府の祝賀会でも 婦人がどこに座るかが 大切にされます 今日先進国においても 特別な尊敬を集めます 主婦は学もなく 素朴で 現代的ではないかもしれません ロンドンで プログラムをした際 私たち政府の代表が 招かれましたが 団長の奥さんが 見つかりませんでした “席はあるのに 彼女はどこでしょう” と訊かれました “分かりません この辺りにいるのでは” 会が始まる前に化粧室に行ったら そこで座っていて驚きました “何をしているの 皆待っていますよ” 彼女は“座っているように 言われました” 私は外に行き “あそこに 座っていますよ 呼んできたら” “あれが奥さんですか?” “もちろんです” “事務員かと思いました” “なぜそう思ったの?” この女性はモダンな スリットの入ったドレスを着ていたので 秘書官だろうと 思われたわけです なので待合室で 待つよう言われました 主婦であれば キチンと立派な服装をすべきで 事務員や秘書のような 格好をするべきではありません 主婦が最高位だからです ですが彼女はパーマをかけて お金をかけて着飾ってきました なのに可哀想に 待合室で待たされることに なってしまうのです 主婦とは 家の威厳なのです それどころか 国の文化や国自身を表す存在です その国の文化を 表すのです 最近のインド映画では おかしな格好をしていますが そんな格好をした主婦は 見たことがありません 映画だけです 社会が強固で 主婦はキチンとすべきと されるからです キチンと 威厳を保ち 品のある振る舞いをしなければなりません 逆にインドのシャハストリ首相 の例があります 妻はシャハストリさんが投獄されたので 学校にいけず 学がない人でした 素朴な 普通の女性でしたが フランスへ行きました 当時フランスの大統領はド・ゴールさんで 奥さんも素朴な人だったのです シャハストリさんは妻に“親友の ド・ゴール婦人と別れる時泣かないで” 彼女たちはお互いにフランス語も ヒンディー語も知らないのに 二人は大親友になったのです 結局旦那さんに泣かないように と言われたけれども 結局 帰り際に 泣きだしました シャハストリさんは “泣かないように言ったのに” 奥さんは “彼女が先に泣くもんだから” そうやって主婦同士で分かり合い 連帯ができていったのです 共通の問題があるのです 子どもや夫を丸々世話しているからです 主婦の問題は 同じだということです 主婦は小さなことを よく知っています 少なくともインドの男性は何も知りません 地に足がついてないと思います 女性のほうが理性的で 細かいことにも良く気づいています 面白いことに 男性は日常の問題ごとに 関わっていないため 可笑しな 間違いをしたりするのです 一方では 主婦は生活に関わり 他方では 家族や子どもを世話します さらに社会に対しても 責任があります 世間を維持しなければなりません 女性に分別があり 成熟した国では 社会や家庭 子ども達が 極めて良くなるのは驚きです この意味でインドは 良い国 良い社会です これはグルハ ラクシュミ である主婦の 文化における 重要な働きのおかげなのです これは インドではよく見られ 主婦が とても尊敬されています なのでサハジャの文化でも 主婦を尊敬することが最も大切です でもそれは夫を支配して 喧嘩したり 困らせるようなことを 意味しません 社会において主婦が 重要な役割であるということです 彼女は女神のように 扱われるのです でも 彼女も 女神に値すべきです 彼女をドアマットのように扱えば 子どもたちは尊敬しないでしょう 適切に尊敬しなければ 子どもたちも母親を尊敬せず 子どもへの影響力がなくなるでしょう 母親が尊敬されないと 子どもたちは我がままで 支配的で怒りっぽく 協調性のない子になってしまいます なので今日 13日目の ダンテラスの日には 主婦に何かを プレゼントするべきです 少なくともポットか 何かキッチンで 使う物をプレゼントして 敬意を表すべきです 母親が尊敬されない家庭では 子どもが問題を起こし 結婚時など家族の皆が 大変な思いをします 男性は妻を尊敬しなかったことが 間違いだと気づくべきです 子どもの前で怒鳴ったり 敬意に欠けた態度を見せれば 子どもは母親を 尊敬しません 何も欲しがらずに あなたや その家族を世話している女性に そんなことをするのは 罪なことです 女性がどれほど問題を起こすかは 政治を見れば良いのです 政治に参入すれば 男性たちを皆おかしくします しかも一人の女性の 特有の考えによってです 彼女たちの領域は 家庭にあるからです しかも一人の女性の 特有の考えによってです 彼女たちの領域は 家庭にあるからです 女性が家庭で尊敬されないと 外へ出て 突飛な振る舞いをします 忍耐も苦労も多いけれど 家庭で主婦は尊敬されるべきです それがとても大切な グルハ ラクシュミのメッセージです 2日目はナラカスラという ひどい悪魔が成敗された日です これはシャクティの力によって なされました ナラカスラは多くの人を苦しめ ずる賢いことをたくさん行ってきました とても狡猾でずる賢く 誰も殺せませんでした そこで特別な力が地上に降りてきて ナラカスラを倒したのです ナラカスラの成敗は 4日目でした その際に地獄の門が 閉じたとされます なので人はその日は 早朝にシャワーをしますが 地獄の門が開いている時に 水浴びは良くないと思います むしろ 彼が地獄に 落とされるまで寝ていなさい ナラカとは地獄(奈落)を意味し 彼がおびき出されて殺されます 最後が一番良い日で シュリ ラーマと弟のバラットの再会です シュリ ラーマは父親の命で 14年間森に追放されていました ある意味 投獄されていたようなもので 城での生活から森での大変な生活に 妻や弟と共に追放されたのです ラーマーヤナの話は ご存じですね 城で生まれ育った子どもが 王になることなく 酷い生活を強いられて あんまりです でもシータが同行して 彼を支えました でも結局シータすらも ラヴァナに誘拐されてしまいます そしてラーマはラヴァナと戦い 殺して妻を取り戻すのです 都アヨッディヤに帰還したときは 大きなお祝いでした 弟のバラットは 兄が大好きで 国を治めるにも 兄のサンダルウッドのサンダルをおいて 統治したと言われています それを王座におき 統治しました バラットミレンといわれる バラットとシュリ ラーマの再会が祝われ シュリ ラーマが 王として戴冠されます 何千年も前の古い話です この祝祭は意味深く 善き王が王座につき統治する という意味があります 彼の経験した不正や残虐な 行いが全て終わるという意味で ディワリは重要です 最終日は 女神ラクシュミを崇拝します 彼女の恩恵でこれら全ての出会いが 可能になったからです 9種の色々なラクシュミが私達に 宿っていると以前お伝えしました ラクシュミ プージャでは ラクシュミ自身を崇拝します 金銭ではありません 金銭の崇拝は間違っています 私達のもつ金銭や富をラクシュミとして 注意深く使うべきだという意味です 彼女は流動的なので お金も滑り落ちることがあるからです 反対に ケチになってもいけません ラクシュミは けちな人を好みません でもお金を使うなら 正しく使うべきです ラクシュミは原初の海が 撹拌された際に創られ 4つの手を持っています ひとつは与えるためです 彼女は気前よく与えます そして別の手では祝福します 片方で与え もう片方で祝福します 大切なのは 誰かに何かをあげるときに その何かというより 祝福を与えることです 金銭だけでなく 祝福を与えるのです 残りの2つの手には ピンク色の蓮の花を持っています ピンクは愛の色で お金を持つ人は 愛に満ちた家を持つべきです 客人は誰であれ 尊敬されるべきです 神のように 扱われるべきです インドでは外国人は 神のような存在と考えられています ここでは悪く捉われますが インドでは尊敬を表します 神のようです あなた達もインドで受けた 歓待を覚えていますね これがインドの文化の基盤で 客人であれば 神のように扱われるのです 別の国なら 全くの反対で 外国人なら話すことも 憚れると思われます どうしてそんなメンタリティに なったのかわかりません でもサハジャ ヨギ達は 違います 彼らはお客を歓待し 良く面倒を見て 美しく連帯していると聞きます これが蓮の花の意味で 愛に満ちた家というものです 身体に刺のある カブトムシですら 蓮に止まると内部に招き入れられ 心地よく眠ります カブトムシすら 邪魔されません 富める者は このように人を扱うべきです でも世間では金持ちは カブトムシのようです 刺だらけで人を侮辱したり 自分のことばかり考えています ラクシュミとしての金銭を得ることで 悪魔的になるというのが驚きです 彼らが他人をどう扱うかは 更にそれ以下です これらが女神の姿の意味です なによりも蓮の花に立っています 誰にも圧力をかけません 自らで存在します 誰にもプレッシャーをかけません 自らの脚で立ち 威厳をもって 自分の体重をバランスしています これこそが ラクシュミのあるべき姿です この作用で経済やその他の 危機に陥った国が発展していくのです 人民が楽しむでしょう お金を楽しむのでなく いわゆるデザイナーズブランドなどの 高いものを持とうと思うのは 攻撃的な考えです デザイナー達は ラクシュミに反しています あなた達のお金を巻き上げて 無駄にさせるのです 人は異性関係や飲酒といった 無駄な習慣に走ります ラクシュミの本来の恩恵と いえるようなことはしません なので誰かに何かを贈るときには 心から贈るべきで それがラクシュミの プラサードになるべきです でなければ誰かに プレゼントを贈る意味がありません とても狭い了見で 贈り物をする人がいます それでも 贈ろうとするのです 日本では 大きな贈り物をします ところが開けていくうちに 結局 マッチ箱サイズになったりします そのマッチ箱の中に 2つのマッチ人形の ようなものが入っています “何でこんなに大きな包装を するんですか”と驚きました でもとても素朴な民族です 日本に行った時には 雨の日でも行った先々で 贈り物を頂きました “何故こんなにくれるのでしょう” と尋ねました “彼らはあなたが 王族と思っています” “何でそう思うの?” “あなたが美容室に 行かないからです” “本当に?” “日本の皇族は美容室に 行かないんです” “それは知らなかった” “それであなたが 王族だと思ったんですよ” 彼らが美容に関して どんな考えを持っていたか 想像してみてください インドでは女性はキチンと 髪をとかしていなければなりません 彼女はヒッピーみたい ではいけません ここにはまだヒッピーを信じている人がいて そういった髪型をしています 女性は社会で 大きな役割を果たします 着るものや行く場所など 子どもは父親よりも母親から 影響を受けます 父親の方が影響力がある 場合もありますが 洗練されたものは 全て母親から受け継ぎます なので衣服や生活スタイルの 理解は女性によります ロンドンにいるインド人のヨギニに 今の流行を訊いたら マラティ語で “ジプレヤ”と答えました 前髪をこうすることです インドでは母親に “ジプレヤをどけなさい”と言われます 前髪をこう被せていると 斜視になるからです でも前髪を目まで伸ばすのが 流行っているようです これが流行りです 今は皆 品のある人でも そうしていて そうしないのは サッチャーさんぐらいです どう逃れたのか わかりませんが 女性は誰かの真似をする 必要はありません それは卑屈です 流行っているからといって 何故するのでしょう 流行を作る人の術中にはまるのは 馬鹿げたことで あなたが依存的だからです 自分の個性や 理解の上に立脚しなさい 自分の見かけを 台無しにするのでなく 威厳と理解をもって 良くしていくようにしなさい これは女性に より当てはまります ラクシュミ プージャは 女性向きです 女性がいかにあるべきかに 関するものです 私は女性は男性よりずっと 威厳を持ちなさいといつも言ってきました 男性は馬鹿かもしれませんが いいのです 女性が威厳と分別を 持たなければいけないのです よくご存知のように 男性はよく解っていないのです 可哀想に 大学の勉強しかわかりません 実際的なことになると 何も解っていません だからそれで 気を悪くする必要もありません 男性達が“自分はあれもこれも 知ってる”と言いながら 何も知らずに間違えるのを 見ていると面白いでしょう でも男性は“知りません”とは言いません そいいう性質だからいいのです それは別に何か意味があるわけではなく 単に分かってないだけだから 芸術や美的センスについても 男性はどこか抜けていて 大して知っていると思えません 可哀想に ある種の服を手にすると ずっとそれで通します いつも同じようなスタイルの服を着ていて 他に欲しがりません でも女性は芸術的です インド女性がサリーをやめて ジーンズを履いたら農村部はどうなるでしょう 内職でサリーを作ったりして 生計を立てているからです なのでインドにそういった 洋服を紹介するのは無理です 学校ではあっても 結局は好きなサリーに戻るでしょう サリーはこれからも 続いていくでしょう それぞれが個性的で とても美しいです 芸術やアートに関しては やはり女性の方が優れています 男性が分からないのは 構いませんが 女性は家の中を 完全に綺麗にするべきです 蓮の花のように 居心地よくしなさい でも家事に関して独裁的な ヒットラーのような女性もいます “こうでなければダメ”と 男性の生活を惨めにします 自分の家でいつも新聞を 持ち歩く男性がいました “こうでなければダメ”と 男性の生活を惨めにします 自分の家でいつも新聞を 持ち歩く男性がいました なぜ持ち歩くのか 尋ねると “新聞を敷いて座るんです” “何故?” “ちょっと汚しただけで 妻に怒られるから” “どうして?” “彼女は何かが汚れるのが 嫌いなんです” “とても細かいので 新聞を敷いて座ります” “やり過ぎです” と言いました 彼は“あなたもやったほうが いいですよ”というのです とにかくやかましくて 病院よりひどく そんな家に住むのは 無理です このようにとても細かく 几帳面な女性もいるのです でも普通女性は親切で 家族や皆にもとても好意的です これはとても大事なことで 私には大家族がいて 皆が兄弟で 一人ひとりが大切なのです だれもが違った香りの個性的な 人格を持っていて 素晴らしいです 違いにもかかわらず 皆がお互い好意的に 楽しんでいるのが素晴らしいです ロシアでは特に女性が 非常に気立てがよく かつユーモアがあって 何でも楽しんでいます 驚いたのは彼らに 二千人分の贈り物を持って行ったら 一万六千人もいたのです どうやって 贈り物をあげましょう すると一人の女性が ネックレスを外して “これをあげましょう イヤリングもあります”と言い 何ももらえなかった 男性をからかっていました とても楽しんでいて よく解っています お金に恵まれなかったので 逆にスピリチュアルなのです スピリチュアルな女性は物に執着せず 自分の威厳を保ちます そしてスピリチュアルであることを 態度で示します これはとても素敵なことです 例えば日本に関して ちょっと変わっているといいましたが その日本に行った時 建造中の建物のデザイン タイルを気に入りました “一つもらえませんか”と言うと “いいですよ あとで船に送ります” そしたら大量の タイルが届きました “どうしてこんなに?” と船長に訊くと “全種類を持ってきてくれたようですよ” 信じられますか つまり 彼らの包装の仕方とは 違う面があるということです だから何かをもらった時に がっかりせずに 込められた意味を 理解するのです 気づいていない素晴らしい意味が あるかもしれません どうしてそれをくれたのか 訊くとよいでしょう これが吉兆というもので ラクシュミの最高の性質です あなたの贈り物は何であれ 吉兆であるべきです 例えば子どもがイタズラで トカゲを捕まえてきてあげようとします 不吉なことでも教えられていないので そういうことをします 吉兆でないと教えないといけません 女神は喜びません 間違った物を持ってきてラクシュミを侮辱して はいけないと分からないといけません 知らないのであれば 学ぶべきです この意味でこれは ディワリに関係しています 最も素晴らしいメッセージは シュリ ラーマに王座が与えられた事です シュリ ラーマは 正義とフェアプレーの体現でした 私達の感謝の念や愛情は シュリ ラーマのような偉大な存在に 向けようと感じるべきです これはとても精妙なことですが 分かろうとしなさい あげたくないのに あげてはいけません 贈るなら その人にふさわしいものを 贈らないといけません これこそがシュリ ラーマの 性格から学ぶべきことの一つです 彼が村の森で 老婆に合った時です 彼女は歯が全部欠けているような その地の原住民でした 彼女はシュリ ラーマに “ベール”と呼ばれる ある果物を贈りました “味見したら どれも甘かったです” “甘くないものをあげたく なかったから味見しました” “ちょっとかじったら甘かったら どうぞ食べて下さい”と 彼はすぐに食べました でも弟のラクシュマナは とても腹を立てました インドでは口をつけたものを あげることは不吉で やってはいけないこととされます でもシュリ ラーマは “こんなおいしい果物を 食べたことがありません” すると彼の妻が“私にも下さいな 私はあなたの分身なんだから” シュリ ラーマが彼女に渡すと “なんて美味しい 素晴らしい” 彼女が食べたので ラクシュマナも “お姉さん 私にもください”と 彼女は“この女性のことを 散々言っていたのに” 彼は“もう許してく下さいよ”と シュリ ラーマは 彼女の愛を ヴァイブレーションを この果物から感じられたのです だから奥さんにもそれが届いて その和に加わりました なんであれ愛をもってする ということです 愛をもってすれば 吉兆にすることができます でも愛がなく 何らかの企みが あるなら役に立ちません これこそが贈るということ シュリ ラーマのような 偉大な神に贈るということです 彼女は愛をもって 彼にそれを贈りました そのようにあなたもとても素朴なら 何が一番か分かるでしょう 今日でディワリはお終いです 改めてディワリおめでとう 栄えある新年を祈念します 神のご加護がありますよう! このラクシュミは マハラクシュミになります それはお金の価値の理解が ある点に達すると あなたは執着を 離れるということです すると新しい姿のラクシュミが現れます それがマハラクシュミです それがあなたをより高みへ スピリチュアルな目覚めへと 連れて行く力です 豊かな国では どこでも真理を探求し 見つけたいという欲求が 出てくるのを見たでしょう マハラクシュミの力が働き出し 真理を探求し その探求の中で皆さんは サハジャ ヨガに来たのです なので マハラクシュミは大切です コラプールには マハラクシュミの寺院があり 地面から隆起したと 言われています でも彼ら自身何故 その寺院で ジョガワで “アンべよ 目覚めよ”と歌われたのか 知りませんでした アンべとはクンダリーニです 何故マハラクシュミの寺院で歌うのでしょう どうしてその寺院でクンダリーニを上げる “ジョガワ”が歌われたのか あなた方なら理解できます […]

Diwali Puja Lisbon (Portugal)

Diwali Puja. Lisbon (Portugal), 10 November 1996
今日はマハラクシュミを 崇拝します この国ではマリア崇拝で マハラクシュミが敬われています ご存知のようにマリアの スワヤンブもあります 彼女が現れたと聞いても 信じられませんでした ですがヴァイブレーションを見たら 本当だと分かりました 彼女は本当に ここに現れたのです 私の前にも現れました あなた方も写真を見たでしょう あなた方はこの原理によって 今の高みに達しました マハラクシュミの力により 上昇する中道が作られました そこをクンダリニが 昇ります コラプールの マハラクシュミの寺院では ウデ ウデ アンベ と いつも歌います そこでどうして そのアンベの歌を マハラクシュミの寺院で 歌うのか訊きましたが 何故かわかりませんが 間違っていますかというので 間違いではなく クンダリニは マハラクシュミの経路を昇るからです それにクンダリニはアンバですからと それで分かりました それで説明がつくので 驚いていました 古来からこの歌は そこで歌われてきて 誰も何故かは 分からなかったのです マハラクシュミに 関しては このチャンネルで マハラクシュミの力が 上昇のため適切な バランスの道を作りました 左右の均衡が 取れると彼女は 上昇のための道を広げます これは愛と慈しみの道で それを通して 道を作ります その道が狭いと クンダリニが 上昇できないからです 結果人は探究を始め それに伴って マハラクシュミの原理が 覚醒します 時にはとても強く覚醒し 狂った探究になったりもします 残念なことに多くの者が 探究中に 迷ってしまいましたが 上昇への正しい道へ 来たものも多くいます マハラクシュミの もう一つの原理は クンダリニの力を困難な チャクラへと導くことです 困難なチャクラへの道を作り それらを治します 彼女が柔軟にクンダリニを導く力 であるというべきでしょう クンダリニの助けが どのチャクラに必要かも知っています クンダリニが昇ると 拍動するのを見たでしょう どこに行って何を覚醒する 必要があるか それを示します 彼女の溢れる愛と慈悲によって 全てが機能します あなたが究極の真理に 到達するためです ご存知のように サハジャ ヨガでも多くの問題があります 過去の石を背負いながら 登ろうとして 登れなくなる者が いるからです 試しては失敗し また試して 失敗しと繰り返します でも今日はどんな意識が 必要か教えましょう シュリクリシュナがギータの第2章で スティタプラギャを語りますが 理解するのは とても難しいです 彼はマザーほど クリアカットではありません なので人は理解できず 質問します どうやってスティタ プラギャになるのですか どうやってそこに行けますか でもガネシュワラは その著書ガネシュワリで それはサハジャスティティ つまり サハジャの状態だといっています スティタプラギャとはいわず サハジャスティティ と呼びました そして美しく精妙に それを述べました もちろんそれすら理解するものは 少ないと思います そこに至ったものは 鏡のようで 多くの顔が通りかかり そこに自らを映し出します 多くの者が 自らを飾りますが 鏡自体は 変わりません スティタプラギャ またはサハジャな者とは 直面するものに とらわれません 誰といても どこにいてもです 自分の中に留まり 自身を抱えます 太陽のようです 様々な光線を放ちながらも 自らを失わず その光線は自分に戻ってきます 私たちの感覚も同様で 様々に動き 戯れつつも サハジャ状態の者にとっては 何の影響もなく 巻き込まれず ただ戯れるだけです そして全てがもう一度彼に帰って いきます 皆さんそうなるべきです それで初めて サハジャヨギですが 未だに道に迷って サハジャ ヨガで儲けようとする者がいます リーダーシップや 嫉妬や羨望に迷う者もいます まだ内面の仕事がたくさん 残っているということです いわゆる労働は 全てを委ねれば 必要ありません だから常に瞑想しなさい と言うのです 瞑想すれば あなたを引きずり下ろすものは 全部なくなります あなたが自己になるに従い 徐々に消えていきます 自身に満足し 飽きることがありません 私は飽きることがなく それがどんなことかも分かりません 何かがあってもなくても 飽きることはありません 何を飽きるというのでしょう 巻き込まれていなければ飽きません あとは強欲などの影響を 超越するようになります 欲のある人はまだ 金儲けに拘っています あちこちで稼ごうとしたり 色情で一杯の人も まだ何かと企んでいます でもサハジャスティティでは ただ観じます ただの観察者で 引きずり降ろされません あなたには 全く難しくはありません もう自分のこころを 超えたからです これら全ては こころを通して来ます こころは幻想だと何ども言いましたが それを受け入れる必要があります こころがあなたにアイデアをくれると 思う人もいるでしょう わかりました、でも…という この「でも」はこころから来ています 脳が現実で こころではありません こころで「でも」と言って その後とても落ち込んだりします とても良い人でありながら ヨギが少ないと落ち込んだりします 関係ありません ただ観察しなさい この観ずる状態こそが サハジャスティティです そこであなたは 精妙になり自己になります 何にも乱されず変えられないほど 精妙になります 自然をありのまま見なさい 92のエレメンツがあります そのエレメンツの どれを取っても 例えば銀は金にならないし 逆もまたそうです 原子の配列には ある原子価が関係し 分子構造にも厳然と法則があり それを変えることはできません 変えようとしたのが 原子爆弾で それは 極めて破壊的です 人間だけが それを変えられます さて人間であるとは 恩恵であり 自らのエレメントを 自己へと変えられるのです これは 人間のみ特別です でも偽のグルや誰かが 何かを企むなら あなたは爆発してしまいます 偽のグルについていた人が 今でもフラついたりするのを見ました 他の人に比べ まだ多くの問題を抱えています 殆どの人は 良くなりましたが これを理解しなさい あなたが分析したり 原子や分子を分割したり 変えようとすると 上手くいかずに爆発します 反対に統合すれば 良いのです すると自然に全てが 形成されます 例えばこのプラスティックは 統合により生成されました 物質は統合により 融合します 人間も 統合されるべきです 変容できる分 モノより統合されやすいはずです 例えば金などを アクセサリーにする際 どんな形にもなりますが 金は金であり続けます 宝飾品にしても変わらず 金のエレメントはそのままです でも人間は統合されると 変容します これが物質や自然と 人間の違いです 人間は他とは 違っていて 一度変容すると 自然の摂理で 花のようになりますが それでも自然で見られるのとは 違っています 自然には こころがないからです 自然の摂理に従って 働いているだけです ですがあなたは自分の コントロール下にあります こうして自分を コントロールできます この統合が 内面で育つと 自分が完全に コントロール下に入ります それが 起こっているのです 自分を全てと 切り離して見るようになり マザー 私のエゴがとても悪いから 取ってくださいと頼まれたりします 自分のエゴが問題だと分かるのです 私のナビが悪いという人もいます まだお金にとらわれています 自分で分かるのです まずは自分を 分かるようになります 自己認識ですが それをも超える必要があります その認識によって どうするのでしょう まず知識のなさに気づきます 人々は無知で 暗闇があります そこへ光がもたらされると 何が悪いか自分で見えるのです 自分と見えている悪いものを 分けて見ることができます それが徐々に なくなるのを見ます 嫉妬や羨望 強欲や色情など 無意味なものが沢山あります ディワリのお祝いで話すのも 憚られるようなことです ディワリでは電気が一つずつ 沢山灯されていき 自身の悪いところが 見えるようになって 見えれば手放したくなって そのために努力します 清められたいからです 今はその知識さえ 消えます 何かを知る必要はありません あなたはもうそこにいるのです チャクラの知識はもう要りません もうその段階です そこでは何も問題ではありません 石のように堅固になり 同時にハートと頭脳 そして意識をしっかり用います 何も気にならず 慌てることなく 愛と慈悲を ただ楽しみます するとその余波があなたに 帰ってきます それすらがしばらくすると 無くなって あなたはサハジャそのものに なっています それをかつて人は 成就しました しかし不足があったので再び迷いま した 他者に何もできなかったのです 一人がその境地に達して終わりか せいぜい二人でした 今サハジャヨガでは皆 まず知識の水準にあります まずは自身についての 完全な理解が必要です 自己認識が 完成すべきです そして第三段階で 知識が完成すると 自分で気づいたことを 取り除けるはずです 無意味であなたの成長を 邪魔するもので 悪いとわかっているものです 私のサリーに埃がつけば それを取るように するとサハジャの状態で 自分を切り離していきます でもサハジャヨガでは もう一つの次元があります それは集合意識で それこそが現代のサハジャヨガです 昔はそれがなかったので どれも廃れてしまいました 現代では集合意識により 他者を感じるようになります 他者を感じ 他者への慈愛で 働くようになります そんな中でもどれだけ儲けになるか 考えることがあります リーダーとして何を達成できるかとか あれこれがまだあります でも集合意識が高まると お伝えしたように あなたという雫が大海になります 完全な大海となり 大海はそれ自体の節度があります 惑わされず 節度を持った生活をします 一線を越えることなく その限界を受け入れます 同様にあなたも 自らが満たされて 自己中心的でなく 内面で満たされます 多くのサハジャヨギが 憤っているのを知っています 私が酷い人たちを 罰しないからです サハジャヨガを 邪魔する者たちを 私は気にしません パラマチャイタンニャが 働き者なので 任せましょう 誰かを気にする必要はなく 結局うまくいくのです なので邪魔をせずに ただ見るのが私の仕事です それで十分です 誰かを殺す必要もなく 今生において 彼らは自滅します 誰かを暴露することはないと 伝えました でも私がどの国を訪れても 人々は暴かれるものです 時に私は逃げます どんなことが起こるか 神のみが知ると 思います ちょっとある国に 注意を置くだけで 何かが働き 私自身気づかないこともあります 神よ いつの間に そうしてしまったのかしら だから神の聖なる愛の力に なるべきです 神の神聖な愛の力を持ちつつ それを操作せず 聖なる力に任せます それは私の力の一部で 働いています 驚くでしょう 私は全く一人で この力も私から出ています でもこの力は サハジャヨガや人類に何が良いか わかっています それ自身で働くので私は 邪魔しません 反射的に起こります 信じてください 反射です あなたは言うかも知れません マザー あなたがもうなさったことに 私は邪魔に入りません 私が何か言う必要もなく それ自身でとても良く働いています 例えば イギリスで昔 マザー 長い夏が欲しいです というので 何でそんなことを頼むの マザー違うんです とても長い夏が 必要です あまりに何回も頼んだので その年は長く酷い夏になりました インドのようにエアコンや ファンもなく せいぜい うちわぐらいで 何もないのです 私たちは当時小さなギャラリーで 寝起きしていて どうしたものかと それでロンドン市内で ファンを買おうとして 3ヶ月後に入荷しますと いわれました 3ヶ月 寒くなった頃に手に入るというので 要りません と断りました なので娘に2つ空輸して もらいました そうやって何とかしたのです インド人は暑がりです 自国で沢山太陽を 浴びたからです あなた方の誰よりも 暑がりです あなたは日なたに座りますが それを理解できません わざわざ日に当たりにいくのは イギリス人と狂犬くらいだといいます そんなわけで私たちは 日に当たりません もう当たりすぎて いるからです それでこの夏は酷暑になりました でも一つ良いこともあって 黄色から赤に徐々に 紅葉が見られました 最高の秋になり あるサハジャヨギは夢で マザーに裏庭にドライブするよう 頼まれたと言いました 皆にそれを 伝えました 私はそんな夢については知りません でしたが 彼に電話して言いました ちょっと来れますか 英国中の 秋の紅葉を見に行きたいから それで一緒に ずっとドライブしました それで知ったのです マザー 彼はあなたの裏庭と言っていました 彼は何マイルも 運転していたんですよ カナダのように 美しかった 英国中が秋の 美しさで満たされて だから何かあっても ちゃんと補われるものです それはとても美しく 皆が秋の外出をしていました 美しい自然の色を見て 緑 黄色 黄土色など あらゆる色を楽しみました 驚くことにあの国では 普通は紅葉しないのです ですが夏の太陽のおかげで こちらが補われました パラマチャイタンニャの働きです 全てはパラマチャイタンニャで 私は ニシクリヤで何もしません 座って見ているだけです 何も問題はなく 全てがゆっくりと確実に働いています 例えば誰かが マザー あなたに祈ったから こうなりました と そうかも知れません 私の周りの存在が聞いたのでしょう 私ではありません 彼らのしたことですから 私に責任は全くありません 例えばあるメキシコの女性の 息子は酷い病気でした 亡くなりそうな時に 彼女は 私に3通手紙を書きました 息子がまだ若いのに 亡くなりそうです 彼はハーバードで勉強していますと 私は何もしませんでした 返事もしませんでした すると4通目が来て 彼が完全に 治りましたと 私がしたわけでなく 私は1箇所に座っていただけです こうやって働くのです 私が何でもすると 思うでしょうが 私でなく パラマチャイタンニャです 私はあなたと完全に 全くもって別々でもあるからです 人は祈るように言いますが あなたの祈りは神格達への祈りです 彼らグナ達は私の周りにいて 私に祈るのではありません なぜならそれに何の関係も ないからです わかりますか 神格達は私にあれこれ指図しません なので私も指示しません そうなっています そうなって初めて あなたはサハジャの状態であると いうことができます 何も望まず 何も求めない 私はあらゆることをします 太陽のように行います ある意味私もしています 花や自然を世話したり あなたからプレゼントを受け取ったり でも同時に何も受け取っていません 何も所有せず 何の関心もありません あなたが自分の喜びのため プレゼントしたいのです そうしたいならしなさい 花もいいでしょう 私個人にとっては 何の違いもありません でもマザーとして 私は皆を愛しています でも愛で何かするわけではありません あなたはこう言うかも知れません マザーあなたは沢山愛してくれます いつですか? いつ愛したでしょう キスすらしてないのに でもあなたはいつも 私が沢山愛してくれたと言います 何ででしょう 誰がしているのでしょう それは私を超えた 私でない何かなのです ここに至って初めて サハジャストゥティなのです そこではあなたは 何もしていないと思います 全てが上手く働いています でもあなたの今の段階では こう言うでしょう 私たちが 何もしていないなら どうしてサハジャヨガを広める 必要があるのでしょう まだその水準に 達していないからです 成長しなさい 自分や世界を認識する意識になって 初めてそれが可能になります でも知識を超えると 何度もあなたが見たように 私が言うだけでそれが起こります 私は誰かの クンダリーニもチャクラも感じません 全くです でも自然にわかります コンピューターのようですが 私はそれでもありません 説明するのは 難しいです あなたは実際にそうなる 必要があります そうなれば とても精妙になり そこには恩恵のみがありますが それを楽しむこともありません どう楽しむかも 知りません ジェイマタジと あなたが言っても 自分のことと感じません 私もジェイマタジと 言ったりします とてもシンプルなことで それを理解して そうなるべきです 何もすることなく全てが働きます すでにそうなら良いでしょう まだだとしたら そうなりなさい まずは行動が必要です 知識が第一で すると知識も 必要なくなります でも経験してその段階に 至る必要があります ディワリでは 光をあちこちに灯します サハジャヨガを 広げるように でも光は自分を知っていますか キャンドルは自己意識を持ってますか 皆に光を与えるけれど それを知りません 月も月光を放つけれど 意識していません 楽しむこともありません 同じようにディワリでは あなたたちは確かに 人々に光を与えますが そしてそれは良いことで 行うべきですが 一方でランプのように なりなさい 自分を意識しません なので2つの メッセージがあります 一つは他者や世界に 光をもたらすこと それが一つ 次に何も意識しない 光そのものになることです 昨日皆さんは あなたが光ですと歌 いましたが それはあなたのことです 良いですか 私は光で自分を 意識しないと言いました 自分が光であると 意識すらしない状態です ただ意識せず 頭に入ってこないのです あなたは何度も歌い 名前を唱えますが 私について歌っているという 実感がわきません こういうとあなたが どう反応するかわかりませんが 人間というのは おかしな存在ですから あなたにこんなことを言うと エゴが出てきて 私もそうです なんていうかもしれません そんな人が 沢山いました 私は マタジより上だとか そうなのかもしれません そういう人が多くいました 自分はカルキだとか そういって回る人がいるようです 良いでしょう そういうことにしておきなさい でも私がアディシャクティである と言う際には 自意識がないのです そう宣言すべきです と 人は私に言いますが 何を宣言するというのでしょう 何と言おうと私は私なのです 宣言するとあなたがより 成長するようです なのでそれはそれで 良いでしょう でも自ら宣言する 必要はありません ここに到達しなさい そのためには 働くことです サハジャヨガのために働き 多くの光を与えなさい 自分が光だと わかってくるでしょう 他の全てを 啓発することで 精妙な形でわかってきます 私は光である 多くのサハジャヨギが 沢山の仕事をしています サハジャヨガを広め 作用させています 多くの国で起こっていて 素晴らしいことです こんなに広まり 外的な宗教の暗闇を取り除きました 人種差別だとか 〜主義とか 暗闇が深かったのです だからこれが必要でした 浄化して そこを泳ぐために 始めれば徐々に 解ってきます 海は浄化されていることを 見てみなさい どう働いているかを 今生でわかってほしいと願っています 他者への完全なリアリゼーションの 仕事を達成します 他者にリアリゼーションを 与えない者は ただプージャに参加している ような者は凡人です 大した高みには 行けません プージャに来るとは何でしょう 高みに登るためです でもまた落ちます 安定して登るには この状態に入る必要があります 私の生前に間違いなく ただ立っているだけで 平和や光をもたらす そんな人々が現れます 彼らは光なので外から光は必要なく 自らが光である そんな段階に至るべく あなたの内面の 仕事をしなさい この状態は多くの詩人や聖人達に 詠われました でも彼らは その水準にいたので 人々は何を言っているか理解できず 彼らは狂人だと考えました キリストさえ理解されず 磔にされました あなた達は一つ一つ ステップを踏んでいます 今はこれがわかり キリストや他の聖人も理解できます でもまだ仕事があります サハジャヨガの仕事をしないと 上昇できません サハジャヨガのために働きなさい もっと広げ 作用させるのです 互いに兄弟愛を 楽しみなさい 美しい人格が そこにあります その意識に至って 初めて上昇できます サハジャストゥティの段階です そこではあなたは 完全です でもこれら全てを 取り除きなさい 今日はマハラクシュミの日で まずは お金の病気を理解し 本当に病気だと理解しなさい 金持ちはお金を持っていません 金持ちに訊くと お金がないといいます なぜでしょう 貧しい人も お金がないといい 金持ちも お金がないという それは欲は決して満たされず 助けにならいということです こうした些細なことが まずは落ちていくべきです すると働くことで 浄化されます 働きながら自分が浄化されているか 解ってきます 自分がどう働いているかも 見えてきます これが起これば 間違いなくその状態に 至るでしょう 私の生前にあなたの生前にです ディワリの日に伝えたかったのです どんどん精妙になっていく 必要があり 外の影響を 受けないように 流行だとか 外面的なことです ファッションに流される人は馬鹿で 盲目のネズミのようです 誰でも彼らを 操作できます ハイ次はこれ 次はこれをしろと 誰かに考えをもらって 追随しようとするなら その考えにより完全に 自分を見失うでしょう 私はクリスチャンとかヒンドゥーとか ムスリムと言い出します でもスピリットになれば とても多くを知るでしょう 大切な知識です これが 聖人と凡人の違いです あなたは徐々に そこを渡りました 今やあなたは 人間の問題を理解し どう対処するかも わかっています サハジャヨガによって 集合意識が 現代に もたらされました これは聖人も 持っていました でもそれを口にしませんし そんなそぶりも見せません よろしいこの人は このチャクラ 地獄に行かせなさい 構いませんと 世話をしません 気にしないのです 彼らは その状態で座り 記録しているだけです よろしいでしょう 鏡に映るのが醜い人でも 美しい人でも構いません そのように彼らは人々を 通り過ぎさせましたが 私たちはまだ成長する 必要があります 私たちは作用させることで成長し それを方々でしている者こそが その水準に達した者たちです そして彼らにはパラマチャイタンニャ が隷属するでしょう 何かを望めば自然と 手に入る人を見ました 何かが必要なら 作用します ならば何を望むかが ポイントです リアリゼーションの後 全てを得て後 何を望むかといえば信念です 自己に対する信念です あなたはスピリットであり 光であり 啓発を与えるべきだと この信念が自分が 思った以上に深まっていくと 私は スピリットであると あなたがスピリットであるなら 全ての自然があなたの内にある 私はあるサハジャヨギを知っています 彼は漁師でした サハジャヨガの仕事をしていて 私に強い信念を持っていました サハジャヨガの仕事のために 別の村に行く際に 小屋から出ると 空が暗く曇ってきました 彼は空に向かって いいかい これからマザーの仕事に行くので 雨を降らさないようにと そのままで私が仕事を終えるまで いるんだぞ わかったかいと 彼はボートで 向かっていたからです 他のヨギたちは 何を言っているんだと 皆がボートに乗り込み 現地について リアリゼーションを与え 講義をし 全て終えて 岸に着いて 帰宅して 彼は 玄関のドアを閉め はいもういいよ どうぞと言いました 本当に雨は降りませんでした なのでパラマチャイタンニャがあなた のために働くという完全な信念です 常にあなたに仕えるために 待機しています 何でもいえば 起こります そのためにはまず 自己に信念を持つことです あなたはサハジャヨギである との信念です 今でも人々は 色情などの 酷いものを 持っているようです まずはダルマにおいて 確立し ダルマとはご存知のように 正道の意で その正道に沿っていれば必ずパラマ チャイタンニャはあなたに従います でも例えば何かを欲しても その通りにならない時 がっかりすることすら あまり良くありません 落胆は 未熟さのしるしです 何をがっかりすると いうのでしょう それはあなたの為 なのかもしれない 例えば私がある道を選んで 道に迷うとして どこに行くか分からなくなります 迷いましたがそれが何でしょう どこにいようと私はいるのです 自分を見失うことはありません するとそこに来るべきだったと わかるのです ちょうど会いたかった 誰かに会うためだったりします 考えらえるでしょうか そんなことが起こるのです 仮に誰にも会わなくても 何だというのでしょう そちらに行くべきだったのは バイブレーションのためかもしれない そいうことです どこに行こうと 完全な信念を 持つことです 実際完全な権威が 与えられます サンンスクリットで サッタと言いますが 真理を意味し それが権威を与えます もう一つは グルに対する信念です グルに信念を持つなら パラマ チャイタンニャが親切にしてくれます とても助けになりますが 疑うなら あなたもパラマチャイタンニャに 疑われます パラマチャイタンニャはグルを介して あなたを知るからです 私でも別の真のグルでも 同じですが 私に対しては 私が許すので 皆甘えてしまいます 他には 叩くグルもいます ちゃんとしないなら 恐ろしいことをするでしょう すでに多くのグルの 話をしました 良いグルたちが どう弟子を扱うか でも私は許します 何も言いません 放っておきます 放っておかれて 初めて 立ち上がりこの段階へと 成長するからです でも 反対になることもあり 許されても当たり前と 受け止め 何をしてもいいのだと 考えてしまいます だから自分への信念とは 自分を見る忍耐です 何があっても がっかりしないことです 今では沢山がリアリゼーションを得て 聖人が沢山います 昨日はフランス人が 上手に歌えて驚きました 初めてハーモニアムで 教えた時は 30分かけても ダメでした そのフランス人が こんなにクリエイティブに なりました あなたの能力が向上して 現れてきます でもエゴに 行かないように 徐々に開花して 香りを周りにもたらすでしょう そして彼らもサハジャヨガにきます その時が本当の神の恩恵で あなたが完全の 水準に達します プルナットヴァ 完全性です 自分で判断しなさい 完全にサハジャと一つですか サハジャに献身していますか それともサハジャヨガより 大切なものがありますかありますか ならどうぞご自由に サハジャヨガには競争はないと はっきりと理解すべきです ありえません 競争はありません 羨望も陰口もありません 皆違っていて聖人です スタイルも違うし 全く超越しています 嘘をついたり 人を騙したりもできません 未だにしているなら まだ成長する必要があると どうか理解してください 影響力の大きいものは サハジャヨガで上位にいると 考えますが そうではありません 何を考えるかでは 道を誤ってしまいます 何をしたかを 理解すべきなのです 何人にリアリゼーションを 与えたか 何人にそれを 話したか みなシャイでサハジャヨガについて 話したがりません ある女性が私と同乗しましたが とても熱い人でした この人は誰ですかと聞いたら私の グルはああでこうでと話し始めました この人から熱が出ていて 話し続けるばかりです でもサハジャヨギは サハジャヨガについて話したがりません 恥ずかしがって 百人友達と会っても サハジャヨガについて話しません 恥ずかしがります パーティーに出席して 飲み会の席では 自分は飲みませんとは言いますが サハジャヨギだとは言いません 飲めないクチなんですと それだけです これが第3のポイントで アナウンスです 自信を持って アナウンスしなさい 聖人は皆します それで殺されたりもしました ソクラテスは毒を盛られました 構いません 現代では誰もあなたを殺しません 生存の権利があります 誰も殺せません 信じてください アナウンスしなさい サハジャヨガに対する 完全な信念と理解で持ってです どれほど大切なことか 目的は世界を 変えることです あなたが変われば 世界中が変わります とても複雑な機構で サハジャヨガは 作用します 先日マイクが 壊れました 私の講義中でした でもその後も皆が 聞こえていました 何が起きたのかわかりません エーテルを通したのでしょうか 壊れたことすら 気づきませんでした 皆がちゃんと 聞いていたからです 後で後半はマイクなし だったと告げられました でも皆が完全に 聞こえていたのです いいですか 何か不思議で 素晴らしいことがあるのです 何かが起こりつつあり 我々が向かっているのは 神の王国なのです あらゆる恩恵が 降り注ぐしでしょう 恩恵と知識 全てが一つの恵みになり その恩恵の状態に 気づかずしているのです 最高の恩恵は 何も気づかないことです ただそうなります 皆がそうなれると 良いです ポルトガルでの このディワリで ここはマリアが 出現した特別な地で スワヤンブもあり マハラクシュミの顔もあって 皆に作用するでしょう 少々精妙な状態について 話していますが あなたの成長のため 必要なことです あなたにとっては 容易いことです 何もせずとも 徐々に その村に入ってき 全てがそこにはあるでしょう カイロに行ったのですが 皆が私に 挨拶するのです どうしたのかと 思ったら レニングラードの プログラムに来たと どうしてきたのですか というと もちろんお顔です と 小さな新聞記事を見たのです 見るからに聖者です そうなれば アナウンスもできます サハジャヨガは 唯一の道だと 何の害もありません そしてあなたの愛する人たち 彼らは成仏 できるのでしょうか 自分ができたのなら 皆も助けるべきです 彼らは探していないかも しれませんが 構いません もう探究者は 残っていないと思います そうであるなら 探究してない人をも 助けるべきでしょう 神の恩恵がありますように […]

Diwali Puja, Power of Innocence Lecco (Italy)

Diwali Puja, “Power of Innocence”. Lecco (Italy), 25 October 1987.
私達は始めに シュリ ガネーシャに礼拝します シュリ ガネーシャは 私達の内にある純真の源だからです ですから内にある 純真に礼拝します この純真は あなたに啓蒙を与えます 昨日お話ししたように 光は一般に純真で表されますが それは知識のない 純真さです しかしあなたの光の純真さには 知識が備わっています 人は知識ある者は 決して純真にはなれないと 素朴にはなれないと考えます 純真に対する 概念においても 純真な者は常に騙され 軽視されると考えます しかし純真は力です 守る力を与えます 知識の光を与えます 世俗的な意味で 知識は いかに人を利用し 騙し 金儲けをし 人をいかにからかうか 蔑むかを指します しかし純真の光は 愛が最も高いものであると 分からせます そしてそれは人をいかに愛し 気にかけ 優しくするかを教えます またあなたの内に 光をもたらします 世俗にあるアヴィッディヤとは 対称的です 外的なアヴィッディヤは 私達に 競争心やいかに人を 貶めるかを教えます そこに恐れや 不安があるからです この知識に安心感は 全くありません 安心感があれば そのようには振る舞いません 純真の光は 全てを知っています そこに恐れはありません “子どもは純真だ”と言うとき 純真の力を持っているということです 子どもが高い所から落ちても 助かったケースが多くあります 一方若者はさほど高くない所からでも 死ぬことがあります 子どもは落ちる恐怖心がなく ただ楽しみます パラシュートを 使っているかのようです そして落ちた後も 立ち上がって皆に微笑みます なぜ皆が心配しているか 理解できません その純真さの中で子どもは 世話され守られていることを知ります 自分より高次な力があると 感じています ですから心配しません しかし子どもに 様々な概念を植え付けると 子どもは純真の力を 失い始めます そして臆病になり ずる賢くなり 不道徳になります それでも 子どもの純真さは ある意味 無知の純真さと言えます 人生における危険を 知らないからです しかし純真の光は すべての危険を知っています どう取り除くかも知っています そのような者といかに 関わらないかも知っています ある賢い者が 階段を下りようとしていました そこへ下から愚か者が 上がろうとしていました 愚か者は劣等感があるゆえに 常に攻撃的です そこで愚か者は 一人しか通れないため ”馬鹿な者にゆずる気はない” と言いました すると賢い者は “私は馬鹿な者にゆずりますよ” と言い道を開けました このように純真の光は どこまで相手に踏み込むか どこまで話すか 相手の人格や問題に どこまで立ち入るか教えてくれます この者は相手が愚かな者だと理解し ”ゆずります”と言いました そのような者には 気にもかけません この純真の光は 分別を与えます どこまで踏み込むか 分かります “私は彼を愛しています” 相手に蹴られても 叩かれ 困らされても 取り憑かれても その者に 惚れ込む者がいます 自尊心もありません 世間的には 純真かもしれませんが その者は啓蒙も 純真もありません 啓蒙され 純真であるなら あなたの純真に力があります それはまずあなたに 分別を与えます 手にランプを 持っているとします すると持っている物が 蛇か紐か分かります ランプがなしには 見れません 蛇だと分かっても 逃げ出すか 愚か者なら “噛んでみてどうなるか様子をみよう” と言うかもしれません しかし啓蒙された者なら 蛇に”放っておいてください” と言うでしょう 蛇も理解して去るでしょう 邪悪な蛇なら ただ蛇を一瞥するだけで 蛇の方から 逃げ出すでしょう ですからこの純真の力は とても大切です それは啓蒙を通してのみ 得られます 人は始めは 無知で純真です 後に純真でも 無知でもなくなります 啓蒙もありません 両方の本質がなければ ずる賢くなります また無知ではなく 知識があり すべてに長けていて 知性や知識の豊富さゆえに 名声を得たとしても そのような者は 世間的な知識はありますが 純真さはありません そのような者は 思考をコントロールしようとします そして純真さが失われます 純真さは愚かさだと考え 純真さに敬意を払いません 人を巧みに操ろうとしたり 過激なことしたり 傷つけたり ひどいことを言います そのようなことに 脳は使われます 純真に戻れないからです 私達はそのような者を 好みません 彼らは”自分たちは優れていて 選ばれた者だ”と自讃し 同じ考えの者達と いようとします ですから無知に いわゆる知識が加わります 内側は完全に無知で 外側に知識があります そうなると内に 真実を求めようとしません 彼らの外側に いわゆる知識に満足するからです その状態で突き進めば 痛い目をみて ”内側が全くの暗闇だ” と気づきます 私達は太陽が輝く中 窓を密閉して生きることはできません 内側に光がないといけません 自分達は何者で 自分の力は何で どれくらい高められるか 人生の目標を どう達成させているかを 見ることができる光を 持たないといけません これらの光の啓蒙は あなたの内にヴァイブレーションとして チャイタンニャとして現れます チャイタンニャ自身が光です この光と普通の光には 違いがあります 普通の光は あなたの目に訴えるだけです 対象が石であるか木であるか 家か人間の顔かを教えます しかしその人が 良い者か悪い者か この家にヴァイブレーションが あるかないかは教えられません あなたに吉兆を与えません 吉兆感も教えられません 私達はガネーシャの 純真について話しますが それは私達に吉兆感を与え 私達自身を吉兆にします ですからチャイタンニャ自身が 啓蒙です それが持つ全ての知識を あなたに教えます いかに微細であるか 想像してみてください 大変微細な チャイタンニャが 知性を持ち 分別を持ち その者が良い者か 悪い者かを教えます 大変簡単に サハジャ ヨガで得ました 自身の複雑な仕組みに 何が起こったか気にもしないほどです それには知識があります その人が良い者か悪い者か 分かるだけでなく どのような問題を 抱えているかも分かります 普通の光は人の容姿や歩き方といった 一次元までの理解を与えます 人が何かを想像すれば “私はこう思う” と言います 内に流れるチャイタンニャによって あらゆるものを感じることができます それは全てに遍いていて 全ての分子に脈打っています そして私達に 全ての物質や動物 人間 全ての神格についての知識を与えます この光なしにあなたは私を 認識することはできませんでした どの神格も 認識できませんでした 人生における立ち位置や目標を 知ることもできませんでした 人生の目的や なぜここにいるのかもです あなたはここに金儲けのために 貯金したり 株を買うためにいるのですか あるいは家を買うため 妻に手の内で踊らされるため 妻に対して支配的になったり 子どもの成長に精を出すためですか チャイタンニャがはっきりと それは違うと教えるでしょう しかし これらに頓着するなら コレクティブな現象から 完全に切り離されてしまいます そしてこの光は消えます この光が繋がりを失うやいなや 光をもつことはできません ですからヴァイブレーションの繋がりが 強くないといけません 完全で 安定していないといけません 例えば不安定で 動く光があるとすると 物事を適切に 理解することができません ヴァイブレーションは 全てを知っていますが あなたがヴァイブレーションに 敬意を払わない道具でいるなら ヴァイブレーションで伝達ができない 不完全な道具でいるなら どう伝達するというのですか 子どもを外に 連れ出してください あまり無理しないように 子どもに短気になっては いけません 子どもが泣いているのは 何か欲しいのでしょう […]