シュリ ヴィシュヌマーヤ プージャ、姉妹の力/

Southlands College, London (England)

1985-09-01 Vishnumaya Puja Talk: Power Of The Sister, UK, DP, 51' Download subtitles: BG,CS,DE,EL,EN,ES,FI,FR,HU,IT,JA,LT,NL,PL,PT,RO,RU,SQ,TR,ZH-HANS,ZH-HANTView subtitles:
Download video (standard quality): Download video (full quality): View and download on Vimeo: View on Youku: Listen on Soundcloud: Transcribe/Translate oTranscribe

シュリ ヴィシュヌマーヤ プージャ 1985年9月1日 イギリス ロンドン市、ウィンブルドン

今日の シュリ クリシュナのシスターである ヴィシュヌマーヤのプージャですが 今までインターナショナルプージャには ありませんでした 神の愛のために 献身者が集まるなら 神でさえ規則を 破らないといけません ですから 行われることになりました せめて一回は 行われても良いでしょう あなた方の愛 そして献身ゆえに望まれ このプージャが 行われることになりました そのような折りに私が 英国にいるのは自然の成り行きで このプージャを行うなら インドで行われたはずです このプージャの神格である ヴィシュヌマーヤは その種を植えるには 西洋の国では容易ではないからです すべてのシャクティは このようにプログラムされています まずシャクティとして お母さんがいます 本源的なお母さんです 彼女から三人のシャクティが生まれます マハカリ マハラクシュミ マハサラスワティです そして彼女達からも子どもが 生まれます 兄弟姉妹です 妻の力が創られる前に シスターの力が創られます ブランマ ヴィシュヌ マヘシャは この三つのシャクティから生まれました そして彼らにはシスターがいて それぞれ結婚しています 例えばヴィシュヌのシスターは パルヴァティで シヴァと結婚しています この三種類の力が常にチャクラに 働いていることを理解するのは 大切なことです これらの三つの力の作用を 理解すれば ヴィシュヌマーヤの大切さを 理解できるでしょう ヴィシュヌマーヤは 家族におけるシスターの力です 女性は力であって 男性はこれら三つの力を現わす 動的な力です 男性の力が加わると これらの力は連携し 助け合います ヴィシュヌマーヤの力を 理解するのは大切です お母さんの力は純真さを 守るためにあるからです 大事なことです 純真さを守るのはお母さんの力です ヴィシュヌマーヤの力は あなたの純潔を守るためです 時にあなたは純潔や 純真とは何か理解しません 純真は行動しない力です 家の中の電気のように 私たちの内に純真があります つまり行動は 純潔を通して行われます “私はこれを純真にやった” とは言えません 純真さからしたのであれば あなたの人格や純真さや徳深さを 傷つけることはないからです ですから“純真にやったのに” と言うのは間違いで 純真にしたなら それは純潔です 純真さで行われれば 純潔になります 自分の純潔に敬意を 払わないといけません 純潔は内にあるヴィシュヌマーヤの力 ガウリの力 純粋な処女です 結婚はしません ヴィシュヌマーヤは生まれてすぐ カンサに殺されました 内にある純潔を理解するには 純潔はすべてのダルマの礎であると 分からなければいけません 純潔感がない限り ダルマは持てません ダルマの礎だからです 純潔がなければ 不安定なものでしかありません 純潔の礎がなければ すぐさま崩れ落ちてしまいます 西洋では挑戦されていますが 純潔は大事なことです この国で純潔の種を植えるのは難しくても そうならないといけません このプージャが行われるのですから 神聖な計らいがあるのでしょう 容易いことではありません 純真な者 信心深い 人生を歩んできた者 純潔に敬意を払ってきた者によって 行われるべきです いまやあなたは聖人です 全てが純粋で善いものです 神聖な人生を歩んできたので 純潔が内で覚醒されました 純潔は内でガウリとして クンダリーニとして作用しています サハジャ ヨガの徳ある 生き方の真髄は純潔です 多様化できません この純潔があなたにマリヤダを与えました 境界を定めました 純潔があなたに マリヤダを 境界を与えます どのように与えるでしょう 空にある雷のようにです サハジャ ヨギを二つの雲とすると 海から発生し 雲から純粋な水が 流れ出ないといけません 接近するとエゴが一線を超え 互いに争い 衝突すると 純潔である雷が起こります 雷が“あなたは間違っている なぜ互いのエゴを戦わせるのか”と言います そのように注意するのが シスターの仕事です 昨日も大勢の シスターがいましたが シスターの仕事はどちらか一方の 味方をすることではありません 兄弟としての一線を超えれば 雷が落ちます さて雷の力は シュリ クリシュナの力の一部で 彼の一部から取りました だから彼は大変優しく 温和な化身なのです 自分の一部から取って “私のシスターとなって人が不義を働く度に 正させないといけない”と言いました シュリ クリシュナが大変温和で ロマンチックな化身として言われているのは シスターの部分が 取り除かれたからです 彼女は常に彼と共にいて 役割を果たします 家族におけるシスターの役割は 兄弟が争わないようにし 面倒をみて 他から 挑発されないようにし どこまで相手に踏み込むかの マリヤダを与えることです フロイトや たわ言を言う者が ヴィシュヌマーヤに挑戦するような 間違ったおかしな理論を打ち出したことは 間違いだと理解することは 大切なことです 兄妹間で そのような関係があるなら 七世代に渡って 家族がひどい病気に苦しむでしょう フロイトが言うような関係なら 14世代に渡って苦しみます ヴィシュヌマーヤの制限する力は あなたのエゴやスーパーエゴ 家族をコントロールします 内に存在するヴィシュヌマーヤの 純粋な力に導かれ 全てが彼女の力の コントロール下にあります ですが悲しいことに 西洋諸国ではヴィシュヌマーヤが 完全に病んでいます 私の左耳が 聞こえなくなるほどです 純潔感が 完全に欠如しているからです 私たちは無分別の人のことは 忘れないといけません 私たちはサハジャ ヨギなのです 多くが“あの男性とは 良い交友がある“とか “あの男性とは大変親しい”など おかしな考えを持ちます マリヤダがありません 男女間の交友はあり得ません ばかげています 西洋文化も おかしくなっています 夕食に招かれれば 両側に他人の旦那が座ります 東洋ではそれはありません ヴィシュヌマーヤが 反対しているからです 彼女が夫婦を 一緒に座るようにさせます ここでは純潔が欠けていて 左のヴィシュディがキャッチしています それについて私が話せば 余計キャッチします あなたは実際 ヴィシュヌマーヤに 自分のシスターに罪悪感がないと 認めているのです 彼女はあなたに 罪悪感を持ってほしくありません 妻ならあなたに罪悪感を 持ってもらいたいかもしれません 自分の力が挑戦されている ライバルがいると感じるからです しかしヴィシュヌマーヤは違います シスターはそうは言いません ブラザーとシスターは 決して友達ではありません グループの中でも互いが 兄弟姉妹であると分かっています 特定の者や一人のシスターとだけ 親しくはしません ある時 キリスト教徒の 集まりがありました 中に少なくとも30人の従兄弟と 4,5人の兄弟がいました 様々なインド人の キリスト教徒でした その中に愚かな者達がいて 私たち姉妹に絡んできました 自分にそんなに沢山の従兄弟が いるとは知りませんでしたが 急に私たちのところに飛んできて 彼らをやり込めました 兄弟の多さに 改めて気づかされました 兄弟達や私たちは それぞれで話していて そんな中突然大勢の兄弟が 助けにきました シスターの純潔を守るために 飛んできました シスターが彼らの純潔の 基礎だからです いつも話す間柄ではありません 近しくはなりませんが 困難な状況やマリヤダが必要な時 家族に助けが必要な時は シスターのところに行きます 最近 家族に問題が起こったので 弟から手紙をもらいました 母は丁度いませんでしたし 普通シスターの方が役に立つものです すぐ聞いてくれるからです 母親は家族全員の面倒で忙しいわけです なのでシスターの気持ちは とても大切です 私たちの左のヴィシュディが 悪いのは 自分達の純潔に 気にかけてこなかったからです 敬意がありませんでした インドでは違います 女性も男性も自分の純潔に 敬意を払います ある外国の若者に尋ねると 彼らは “間違ったことをしてきているものの 何かが間違っていることには気づいていました” なぜか尋ねると “シスターの関係を感じるからです”と しかし今ではインド人の男性も あなた達のようです 自分の純潔を守る力を 失っています 男性は自分の純潔に 敬意を払うべきです 純潔のお陰であることを 分かっていないからです スピリチュアルな存在の基礎がなければ すぐさま崩壊するでしょう ですから母なる大地や緑に 注意を向けなさいと言っているのです 緑の色です そこに注意を向けるなら 常にシスターや他人の妻 娘達を 見ることで犯している 不貞から救われます さて 娘やシスター 母の関係は 大変純粋なものです あなたが頭を使い過ぎれば なぜハートがキャッチするのかに繋がります 右側を使いすぎれば なぜハートがキャッチするのでしょう ハートがキャッチする理由は 何でしょう これは理解すべきことです シヴァとヴィシュヌの関係と同じです まずヴィシュヌの妻は、、、 シヴァのシスターは誰でしょう シヴァのシスターはサラスワティです サラスワティにおいて働き過ぎると ハートがキャッチします マリヤダがあります そのように結婚によって繋がる シスターの関係が あなたのチャクラの マリヤダを守るために働きます 度が過ぎれば 急に左や右に傾きます マリヤダを超えるからです このシスターとの関係は 他の化身にも存在します モハメッド サイーブのシスターは アリの妻でしたが 彼女は彼の 娘として生まれました 娘としてもシスターとしても 生まれることができます 彼女はナナカのシスター ナナキとして生まれました モハメッド サイーブの娘としてもです それが化身のシスターでも 娘でもあり得ます 娘もシスターも純真で 真の純潔です 純潔の大切さを理解できない者に 法について説明しても無駄です 法の意味が マリヤダだからです それはヴィシュヌマーヤの力を 通して意味をなします 他人の物を盗むのは 良くないと言いますが 他の人の所有物だからです でも誰がそれは間違っている と言うのでしょう もちろん警察はいますが 正しくないと言うのは誰でしょう 法律家でしょうか 無意識の中でその役目を果たすのが ヴィシュヌマーヤです 何かを盗むや否や 罪悪感を感じるからです 法律にも“有罪” という言葉があります 罪悪感は左の ヴィシュヌマーヤから来ます ですから純潔感を 持つことは大切です ですが人は分かれています 道徳的な純潔を持つ者は 物質的な純潔を持たないかもしれません 物質的な純潔を持つ者は 道徳的な純潔を持たないかもしれません 道徳的な純潔が生来のものなので まず最初に来ます 大切なことです あなたの道徳的純潔が 完全に滋養されていれば 自動的に 物質的な純潔が出てきます その効果は同じです サハジャ ヨガでお金を騙すのも 道徳的に騙すのも ヴィシュディはキャッチします 全ての問題は 左のヴィシュディから始まります サハジャ ヨガの中で誰かが騙そうと お金を騙し取ろうとするとします すぐさまその者の 左のヴィシュディがキャッチします キャッチすると おかしな態度をとるようになります そのキャッチ全体が表れてきます 不道徳になっても 左のヴィシュディはキャッチします すべての罪悪感は そこから来ます 何であれ母に口答えするのも 母に対して無礼です 多くの者がよく “マザー それは違います”と言います 決して言ってはいけません 否定すれば左のヴィシュディが キャッチしてしまいます ヴィシュヌマーヤの力が何であれ 否定することには我慢しません 多くの者がそれを習慣化していますが 言ってはいけません 一度左のヴィシュディがキャッチすれば 左全体のチャクラが弱くなるからです すべてのチャクラの基礎である 純潔が弱まるからです ですから左のヴィシュディの価値を 理解することは大切です 私達は左のヴィシュディをキャッチしても 大したことはないと考えます “左のヴィシュディね つまり罪悪感があるということだ” 何をしたのか理解していません 限度を超えたので それが表れているです ある種の徳を怠ったから 聖なる父母に対して間違ってしまった からだと理解していないのです 左のヴィシュディは 間違えや過ちや罪の印です サハジャ ヨギは左のヴィシュディを キャッチさせてはいけません 人は喫煙や様々なものを吸って 問題を悪化させます インドではタマクと呼ばれる 葉タバコを吸います そして何も悪いとは思いませんが 左のヴィシュディはキャッチします 左のヴィシュディは 自分の様々な問題の戸口です 何に対しても罪悪感を感じないよう 気を付けないといけません その上大変悪循環です 例えば間違えを犯した者が いるとします その者がどう思おうと 私は直に 間違っていることを伝えようとします もちろん分かってもらえるよう トリックをしますが 私の言おうとしていることが 分からないのであれば “私の中にあなたをいさせることはできません” と言いサハジャ ヨガから出てもらいます サハジャ ヨガから出れば せめて私の頭痛はなくなります この負の力が働くと 人はそれに向き合うことをしません “私が間違っていた それは間違いだった”といったように 間違いに向き合わず 言い訳をします 言い訳をすれば 左のヴィシュディが こぶのように大きくなります そうすると治すことも 浄化もできなくなります ですから人は“なぜ間違ったのか” と言い訳をします 一度間違ったと言えば 間違いを受け入れるだけです “次はその間違いはしない すみません”と このすみませんという言葉は 西洋では曖昧です インド人のサハジャ ヨギにも “すみません”と言う者がいます 良いことにインド人は 決して罪悪感を感じませんし すみませんとも言いません 間違いを犯した後 自分は 人間だということを理解すべきなのです 間違えるのは人間だからで 許すのは神聖です しかし間違えた事実を 知らないといけません 言い訳をし続けるなら 神が全てを知っていることに 気づいていないのです 神に間違いを犯したと言われたなら やはり間違えたわけです それに対して“あれが理由で 間違えてしまった”とは言えないはずです あなたにショックを与える 電気の力が働きます すると間違いに気づくのです ですから自分にショックを与えるような 機会を与えないことです ショックに至るような 振る舞いはしないことです もちろんお母さんの力は許しです サダシヴァの力は許しです ですからあなたがしていることを しばらくは続けさせてくれます しかしこれは間違っていると 教わっているはずです 例えば完全に自分の限界を 超えるとします すると突然ヴィシュヌマーヤが現れ すべて暴露します サハジャ ヨガでは 暴露されます なのでこの力は大変助けになり 導いてくれ 向上させ 滋養され あなたを守りますが ある点までだと 理解しないといけません さもないと 彼女があなたを暴露します あなたのその愚かな行いに 彼女は耐えれません ですからそれを続けるなら 暴露します 人の低劣な行いを あなたは知っているはずです 沢山の首相や社長を知っていますが 彼らが死ぬと暴露されます 誰もそのような者が 純潔であったとは言いません 国のリーダーの中には純潔な者が 僅かにいましたが 大変稀です 人生において権力を得れば 自由を得た 好きなことができる と考えるからです 純潔でもそうでなくとも 好きなことができます “自分には力があり 最高の地位にいる” という概念に負かされます そしてそれは その者にとって完全な 幻になり 純潔が大切だと忘れさせます 高い地位になればなるほど エゴを甘やかすものを 得るほど 左のヴィシュディが圧迫されます そのような者は 左のヴィシュデに逃げ込みます 心の奥底で無意識に 罪悪感を感じるからです 全てが左のヴィシュディに 罪悪感としてきます 罪悪感として左のヴィシュディにあると 状況は厳しいです 非常に敏感になるからです その者に何か言えば もっと罪悪感を感じます 正そうとすれば もっと悪くなります 左のヴィシュディをキャッチする者 にとって良くない状況です またそのような者は 常に言い訳をします 右のヴィシュディなら 傲慢になりますが 左のヴィシュディは 口答えをし 全てに言い訳をする悪賢さを持ちます 言うことは何であれ “マザー違います こうです” そしてそこで終わらず 皮肉を加えます だから西洋の者は常に 率直に言わず皮肉的です 伝えるのが難しくても 皮肉的に話さない限り 率直に言うのは愚かで 知性に欠けると考えます なので大変ひねくれた 話し方をします この話し方は左のヴィシュディの 問題から来ます あなたの左のヴィシュディが 良くならない限り 優しさや美しさや 感謝できるものは得られません 左のヴィシュディに問題があれば 決して感謝できません 左のヴィシュディに苦しむ者は 他人の良さを見れません エゴにとって問題が存在しないと いけないので“自分が一番だ”と考えます それは相手の方が秀でていることを 人に従わなければいけないことを 人から教えられることを 受け入れたくない歪んだエゴです 特に私と一緒にいる者は 左のヴィシュディがすぐキャッチします プロトコールに欠けるからです プロトコールに欠けると 左のヴィシュディにきます 私と一緒にいることは ブレッシングですが プロトコールに逸脱しないよう 最新の注意を払わなければいけません 馴れ合いになって はしゃいではいけません 中には度を越え 左のヴィシュディをキャッチします マザーに対する畏怖の念や 敬意を持つべきです それは左のヴィシュディによって 守られるものです これはシュリ ガネーシャの 隠れた力です シュリ ガネーシャの力は 左のヴィシュディで 純潔として作用します ガネーシャの力は 左のヴィシュディを通して表されます ですからガネーシャを信じる者 純粋な純真さを信じる者は 毎日自分の振る舞いや行動において 純潔でないといけません ガネーシャは 純潔の花として表されます 神聖な法において 純潔がなければ どのように人は境界を持ち 正し 浄化し 進化できるでしょう 例えば育つ木に 限界がなければ 際限なく伸び放題で 収拾つきません ですから人をより高次にするには 制限が要ります 父がよく良い例を話してくれました 小麦が、、、 (邪魔しないでください) (出ていきたいなら出てください) (ただ人に迷惑は かけないでください) これも同じです 左のヴィシュディによる 動乱に過ぎません 目立ちたがったり 邪魔したり 圧力を与えたり 出しゃばる傲慢さは全て 左のヴィシュディが原因です 自分の左のヴィシュディに 打ち克ちたいのでそうするのです だからそれらが加わるのです 打ち克とうとすればするほど加わります 父の話してくれたことをお話しします 小麦があるとします 小麦を広げるとアテンションのように なくなってしまいます でも黄麻袋に入れると まとめることができます 高さも得ることができます 同じように純潔なしにアテンションを 散漫にすれば 広がってしまいます 制限がありません 形がありません しかし制限があれば あなたはより高くなれます スピリチュアルな人生において 高く上昇できます あなた方はスピリチュアルな 人生を望んでいるので 左のヴィシュディは正されないと いけないと理解すべきです では左のヴィシュディは どのように正すのでしょう 時折私はこれに対して うんざりすることがあります キャッチしていることを伝えれば 余計ひどくなります 悪循環です それをどう治せるでしょう 向き合うことです “何のために罪悪感を感じるのか 同じことを繰り返している” 自分に喝を入れるべきです なのにその代わりに “マザー違います”と言い始めます 自分に言いなさい “自分が違うのだ” “私は今日も明日も明後日もしてしまう” もう止めなさい この時点で止めなさい そうやってヴィシュヌマーヤの 力を働かせます ヴィシュヌマーヤの力は 中和されないといけません あなたの間違いによってです その力を取り戻すなら ヴィシュヌマーヤ の力を使わなければいけません 自分にショックを与えることです そうすること によってのみ可能です あなたはヴィシュヌマーヤの見地で それをしないといけません このプージャについて考えていました あなた方が私に このプージャをする際 私が何か言えばさらに あなたにヴィシュヌマーヤを創ります “私は罪深く感じる”とあなたは 簡単に処理できるからです “自分は罰を受け 罪深い” と言います 陪審員に有罪を言われ 受け入れるようです でも罰はありません ですが間違いを犯したのであれば 自分に罰を与えなさい 人には二通りの方法があって 一つは“私は断食する” と言って自ら罰する者です しかし断食の習慣を持つ者は 逆に周りを困らせ攻撃的になります 人間は大変歪んでいます 歪んだナイフで自分を殺せます それでは自分を正せません 正すのであれば 適切な方法で 自分に向き合わないといけません 何か間違えを犯したなら 人はいつも自分が好むことをして 罰を与えます すみません間違えました 自分がいつも好むことをしてはいけません 正すにあたって ある者は庭や 花の手入れを好んでいるとします 間違えを犯したなら しばらくは花を見ないことです 花から目を遠ざけます ある者は 歌うのが好きだとします 間違えを犯したなら 歌うのをやめなさい そのようにして 自分にショックを与えます ご存知のようにヴィシュヌマーヤは雷です 講義もそうでないといけません シュリ クリシュナのように 優しくてはいけません 強力です ヴィシュヌマーヤの力が神によって あなた達の内に目覚めますように 人間が持てる最も強力で 最も吉兆なものです あなたは聖なる人格を持ちます 神のリアリゼーションを得る 方法の一つです 昨日 良いタイミングで 純潔を確立するための質問がありました バンダンやヴァイブレーションを もらうだけで去っては無意味です 朝から晩まで 自身を正しなさい 自身と向き合い 罪悪感を感じないことです そして新しいことを学びます あなたどうすればが向上するかを 教えるのは マザーでなくシスターです マザーに“違います” と言えるからです でもシスターにそのようなことを言えば 電気ショックです プラグに指を入れてみなさい 分かるでしょう 説明は要りません このような理解で 今日は純潔を 感情における 精神における純潔を 確立するためにプージャをします 今までしてきたことや 過去は忘れなさい 過去を忘れることは大事なことです でないと言い訳できます “あれがあったから こうなった 私の父母がこうだったから・・・” 母も父も皆忘れなさい あなたは聖なる家族の一員です 聖人である皆とあなたは 共にいます そしてこの法が 自動的に作用します あなたが誰と仲良くするかを 私が言う必要ありません 常に異性への関心を持つことは 純潔の印ではありません それどころか完全に馬鹿げていて あなたを愚かにします ある男性は女性の香水を 熟知しています 何のためでしょう 無意味なことに長けます 男性なら男性らしく生きなさい そして女性は純潔感を持たないといけません 女性は力だからです なぜ男性のように なろうとするのですか 男性の後ろにいる力なのです 女性は自分の純潔の 面倒をみないといけません その面でインドの女性は尊敬します 彼女達は謙虚で 彼女達から学ぶべきでしょう もちろんそうでない者もいますが 謙虚さがあります ですが謙虚さを持てない 部類の者がいます それは化身です 残念ですが 私は謙虚さを持てません あなたが大事にできる資質のうちで 私が持てないものがあります 自分自身を 謙虚にすることはできません そうあるべきではないのです どの化身も謙虚ではありません 不可能です なぜなら罪悪感がないからです 私は罪悪感を持つ者を多く ヴィシュディに入れてきて 浄化するのに 耳がブロックしています あなたが罪悪感を 浄化できるなら開いてきます ですからどうか左のヴィシュディを 良い状態に保つようお願いします 罪悪感を感じてはいけません センターでいなさい 自身を見て向き合いなさい ショックを与え正しなさい そのような者のみ上昇できます もう一つの方法は瞑想です 左手を写真に向け 手元に炎を灯し 大地に右手を置きワークアウトします 炎をかざしてバンダンすることで ワークアウトできます でも心からしないと 儀式的になります なのでまず精神面で向き合い これらの方法を使いなさい 感情面においても理解しなさい 感情に罪悪感を持ってはいけません 罪悪感を示すような言葉を 使わないことです 謙虚でいなさい 罪悪感を持つことと 謙虚でいることは違います 罪悪感を持つ者は ストレスを感じていたりしますが 謙虚な者は自由人です 自身の自由の中で 謙虚さを持っています 木に実が生って母なる大地に 頭を下げるのと同じです 海では周りのココナッツの木が 海に向かって頭を下げます 海がその特性を与えたからです ココナッツの水は 海からきています 全ての木が海に対する謙虚さで 敬意を払います 同じように罪悪感を持たない者だけが 真に謙虚になれます 罪悪感を持つ者は皮肉や汚い言葉 口答えや言い訳で攻撃的だからです 謙虚な者は自由です 謙虚さ 親切心 穏やかさ 慈悲深さにおいても自由です そのようなサハジャ ヨギ でなくてはいけません 謙虚さで人に 感銘を与えられるようにです 謙虚さは何にも従属しません 純真さや謙虚さは 私が持ち合わせていない資質です 私は謙虚ではいられません 私を謙虚にさせることはできません してはいけません 私の振る舞いは謙虚でない とは誰も言えませんが 私は大変謙虚な者 のように演じます 謙虚な者を演じることができます 正直言って謙虚さはありません 慈愛は謙虚さとは違います 謙虚さは人間の資質で バクタのみが持てる特別な資質です バクタのみが持て 至福が注がれる 大変素晴らしい資質です 至福を与える側は謙虚になれません 何も受け取れないからです 謙虚である人間のみ得ることができ 受け取れます 受け取れない者は大変孤独です そのような者は 誰とも友好関係を持てません 与えなければいけないからです 孤独で 全てを自身で 向き合わないといけません 謙虚な者は互いに親切で 自分達の問題を分かち合えます 私はできません あなたに解決法がないからです 私は自身の問題を 解決しなければいけません ですから謙虚さが 明確に表現する助けとなり 皆と親密な関係を持たせ 困難を分かち合えます ですがあなたの謙虚さは 同情から来るものではいけません 謙虚さは 執着のない資質からきます 特定の者に 執着するものではありません 不必要に傲慢であったり 怒鳴ったりすることもない謙虚な生き方です インドでは牛は 大変謙虚な動物とされます ミルクを与え 全てを与えますが 誰にも攻撃はしません 謙虚さはあなたの守りです 時には謙虚な者を利用しようする 者もいますが構いません 謙虚さが失われない限り 全て大丈夫です ですが人は謙虚さを失います 人に困らされる時 人はレフト ヴィシュディにきて謙虚さを失います 失ってはいけないものです 神聖と繋がりを持つなら 謙虚でないといけません 他に方法はありません 謙虚でなければ 良い関係は保てません 二つの資質であり プラグとソケットのようなものです プラグはあくまでもプラグであって ソケットはソケットでないといけません 神聖から何かを得たいのであれば 謙虚であるべきです 傲慢さからは 攻撃性からは何も得ません “マザーを愛している”と思っても その愛は完全な謙虚さで 表されないといけません 私に近づける唯一の方法で 唯一の経路です 他にはありません 今日は大変高次の 段階までいきました それは神のリアリゼーションの 始まりです あなた方は私と共に 加速しなければいけません 神のリアリゼーションへと向かうのであれば まず純潔感や謙虚さを確立しなさい 神の祝福がありますように