Makar Sankranti – Shri Surya Puja. India Tour, Bombay (India), 10 January 1988.
これは 大変特別な機会です あなた方に ボンベイで再会できました そして あなた方は国へ帰ります 今日行われるのは 特別な類のプージャです これは 太陽へのプージャです マカール サンクラントゥ と呼ばれています マカールの意味は “南回帰線”です または “やぎ座の回帰線”です 今 太陽が 南回帰線から 北回帰線へ動きます 太陽と関係しているため 常に決まった日にちです 唯一 インドの暦で 毎年同じ日です 太陽によるからです しかし今回は なぜか分かりませんが 今月の15日になっています いつも14日です 今日 変わります 季節が 変わろうとしています 太陽は移動するまで 6か月かかります 南半球へ移動し 温かくします 明日から 北半球へ移動します つまり 今日は最後の日です 今日はインドで もっとも寒い日といえます この後 暑さが増します 夏季に吉兆なことを することができます プージャの後に 吉兆なことを行えます 夏は大変暑いですが 人々は太陽の活動や 温かさを望みます 太陽のおかげで 田畑の作物や果実 全てが育ちます そのため太陽がない6ヶ月間を サンクラントゥと呼びます ある意味災害です ヨーロッパ諸国 例えばイギリスや アメリカでは 太陽がない この時期は災害です ここでさえ そのように思われています サンクラントの終わる日です つまり災害の終わりです 人々は胡麻の入った 甘いものを食べます 胡麻は 熱を与えるからです ですから 今日は最も 寒い日なので胡麻を食べます 熱を蓄えて これからの暑さに 身体を調整します これはある意味 大変グロースなレベルです 十分な温かさを 保たせます またこの時期に 愛の温かさは 表されるべきである と言われています 最も寒い日だからです 人に優しい言葉を かけるという 特別なことをする と言われています より温かい国に住む者は 寒い場所に住む者より優しいです 寒い場所では 自然が厳しいからです 彼らの気質を 非難できません 自然が厳しいからです インドではどこにでも 住むことができます 木の下でも 森でも幸せに暮らせます 飲み水や水浴びできる 場所さえあれば暮らせます 世界で直面しているような 問題はありません 他の国は 外出に 20分かけて着飾ります ここではそのまま家を出て 夏の間 空けっぱなしにできます 自然に関して言うなら 何の問題もありません 夏季の自然は 大変寛大です 木は青々と茂り 人々は大変幸せです 全ての活動が 太陽のエネルギーによって 活発になります しかし 西洋では 太陽があまり出ません そのため人々はより家に留まり 暖房や他の機器に頼ります そして戸口を閉め ハートも閉じてしまいます 他者とのコミュニケーションが 難しくなります 南へ行けば あなたの国もそうですが 人はより温かく 素朴で とても寛容です 太陽のおかげで 人々の心は開き 客を招き入れるような 心になります サハジャ ヨガの 観点から見ると 太陽の経路は 右側です 月は左側です 月の経路において 人は望みを持てますが 行動することはできません 左の経路において 極端になれば破壊的になります 家にいて何もしなければ (今日失業の 問題がありますが) あなたは 考え過ぎてしまいます これは望みの エネルギーの作用であって 行動ではありません 行動なしでは このエネルギーは 大変破壊的になります それ故 “怠惰な心は悪魔の仕事場” という ことわざがあります 人が行動しないとき 行動が起こらないとき 大変破壊的になります ですから温かい国と そうでない国は 状況が違います しかし 温か過ぎる国 例えばアフリカでは 熱がありすぎが 問題のもとになります 赤道が通る地域は 強く熱せられるため 高い木が育ち 密林地帯になります その場所全体が 群葉で覆われ 陽光が届きません そして 暗闇が広がります この極端さは 寒季の極端さと同じです 当然そこは太陽が あまり出ないため 住む者は あまり成長しません 人は原始的であったり 大変攻撃的であったりします 彼らは動物から学ぶため 大変攻撃的になりえます ですから バランスが必要です バランスとは 望みそして 行動することです しかし 問題は 人間の環境にあります 労働の区分にあると 思います 国の中で 考える者と活動する者が 分かれています この状況では 何もうまくいきません スシュムナが作用する バランスが必要です スシュムナの経路は 位置でいう赤道です 赤道というより 母なる地球の軸です 母なる地球の軸は スシュムナです 作用されるべきです 軸はつまり バランスを もたらすものです 実際は 母なる地球の中に 私たちが軸と呼んでいる 大きな柱のようなものはありません 母なる地球の中に 軸と呼ばれる物質的なものはありません しかし それは エネルギーであり 広大な宇宙で 物凄いスピードで 地球を 動かしています それだけでなく 私たちのために昼夜を創ります 昼は働き 夜に寝ることで 私たちにバランスをもたらしています 太陽の周りを回ることで 地球の半分の国々が 夏季に太陽の恩恵に授かります もう半分は 冬季に恩恵を授かります この軸が作用させ 全てに働きかけます またこの軸は 宇宙の他の惑星や衛星から 必要な距離を保たせます この軸は 母なる地球の知性です 知性だけでなく 芳香であり 母なる地球の スシュムナの経路です この軸によって スワヤンブーが出現し 地震などの 現象が起こります この軸は動くものです エネルギーとして 捉えられます 様々な方向へ 溶岩層を動かします 様々な領域にぶつかって 地震を引き起こします また 火山も引き起こします 軸は何をすべきか分かるので このような現象を起こします この軸は 私たちを愛しています この軸は 季節をつくります 季節は 私たちに様々な種類の食べ物や 物を与えるために 美しく創られています 母なる地球の熱が 失われれば この地上に 何も存在しません 全てが凍り 雪に覆われ 食べ物もありません 月のようになってしまいます ですから 特別に創られました 太陽の熱によって 母なる大地は誕生しました つまり 太陽は 母なる大地の父と言えます 次に地球は月の近くに移動し 温度を下げました 完全に冷え 雪に覆われました そして 太陽の近くに 移動しました 生命が誕生可能な 地点まで移動しました その場所で命が育まれるよう 全てがすばらしく体系化されました 生命が誕生したことで 炭素が形成されたことが分かります 炭素は 同じ軸で形成されます 軸に熱があるためです 熱のエネルギーが 植物を炭素に変えます この炭素は後に 含水炭素あるいは 全ての有機体の生産の ための基盤となります しかし 生命誕生には その他に窒素が必要です 窒素は驚くことに 同じ軸の動きから 創られています この窒素が創られたとき 私たちにアミノ酸をもたらしました 私たちの内に アミノ酸が創られたとき 私たちの生命の起源である アメーバが誕生しました もちろん 全ての始まりは海です 海で窒素がつくられ 生命が生まれたからです 海から始まりました そのようにして 私たちにはアミノ酸があります アミノ酸の形成は 多様な 生命をもたらしました 進化の過程において 母なる地球は軸を通して 大きな役割を果たしました 同じように 人間にとって軸は 最も大切なものです 軸は私たち生命の 主要な原理です 私たちは自分の軸で 立たなければいけません 自分の軸で立たない者は 左か右に傾いて立ちます 完全に崩壊する 可能性があります 右や左に傾き過ぎるため 滅びます ですから 自分の軸は しっかり保たなければいけません しっかりした軸を 持たない者は 様々なチャクラや その者の資質に 影響します 自分の軸を伸ばしすぎる者は このように頭を反らせます 大変右に傾き エゴの問題が起こります 卑屈な者のように 頭がうなだれる者は 自分を 破滅へ追い込みます この両者には 問題があります 一方は支配的で 他者を支配して 破滅させるだけでなく 自分も破滅します 例えばインドは イギリス人に 支配されました フランス人も 他国を支配しました ポルトガル人も 他国を支配しました しかし 支配したことに対しての 反動がありました インド人は支配されたことによって 大変卑屈になりました 今日でさえ大変卑屈で あるべき 自主的な軸がありません 大変卑屈です インド人が西洋へ行くと さらに卑屈になります 彼らは白人を喜ばせようと 卑屈な行動を取ります インドで白人は 崇敬されるようになりました それが 白人のエゴを増長させ 今日そのエゴが 彼らを滅ぼしています エゴのため 破壊寸前です ですから大変 不自然で表面的です 人間にとって最も大切なのは軸だ と理解しなければいけません 軸は全ての人にあります それぞれの軸を尊重しなければいけません サハジャ ヨガで私は あなたを顔では知りません チャクラで どのようなスシュムナかで あなたを知っています 深いスシュムナなら 深い者だと分かります 表面的なスシュムナなら 上辺だけの者だと 分かります 親切に 振る舞っていても サハジャについて話し よく知っていたとしても 達人であるかのようにして 人を当惑させることを言ったとしても あなたの深さは 知っています 軸の深みが 何よりも大切です 軸が大変 深くなければいけません “軸は軸であって なぜ深く なれるのですか”と尋ねるでしょう 人間の内にある軸は 三巻き半に巻かれた 紙のようです その中心が ブランマの経路です ブランマの経路とは 大変細い 髪の毛のようなもので 髪の毛の細さのクンダリーニが 通ることができます 深い者なら ブランマの経路は太く 外側に巻かれている ものはより細いです 一方 深みのない者は 外側に被さるものが 内側より太いです そのような者は外見上 大変ダイナミックに見えます 知的で賢く見えて 容姿も良いですが 内的には 深くありません 深い者は 態度全てが素晴らしいです 大変 歓びを与える者です そうでない者に会えば 喜びに満ちているようでも 喜ばせようとしていても その喜びは 真に深くありません それは喜びを 殺すようなものです ですから 軸をより深めることは とても大切です これにおいて 私たちは 適切な配慮や 努力に欠けています 自然に 大変深い 軸である者もいれば ある意味 大変収縮された軸を 持つ者もいます この軸は 成長させなければいけません プージャに来れば 確かに軸は広がります しかし それは 一時的なものです その状態を保つには 自宅またはコレクティブで 働きかけなければいけません 自宅での瞑想で 働きかけなければいけません ただし真剣にすべきです ただの遊びであったり 軽薄であってはいけません 献身的なものとして 真面目にしなければいけません それは瞑想的なもので 神への祈りのようなもので 神へのプージャです そのような敬意で なされなければいけません 敬意はそれを 達成する鍵だからです 自分に対して また 人に対して敬意がなければ 達成できません まず人生に 敬意を持つべきです 人生に対して 何をし 何を無駄にしているか なぜ深くなれないのか 何らかの目的が あるに違いない 目的に向かっているのか このようなことを 考えるなら 自分のエゴと戦えると 理解できます 通常 人は些細なことで 戦うからです サハジャ ヨガでも 完全に無益なことで 戦う者がいます 戦いや喧嘩について 言及することすら 愚かしく感じます 深い者は あまりしゃべらなくても あまり 見せびらかさなくても 前列に座らなくても 自分の深さで 自分を表します それを通して より働きかけられます これを育むには 瞑想しなければいけません 大事なことは 毎日の瞑想です 食べない日があっても 寝ない日があっても 仕事に行かない日が あっても 日常的なことをしない 時があっても 毎日 瞑想しなければ いけません 中央の収縮された部分を より育むことは 大切な事です それが育まれると 自分について まず気付くことは 快適さを 求めないということです 物質的なことに 煩わされません 何であれ あなたは その上をいきます 自分が属さないものに 首をつっこもうとしません それから離れ “手に負えません 私が気にすることではありません” あなたの注意は 内側に向きます 内側に向くと 軸がより広がります ブランマの経路である 内側の部分です そしてさらに 広がり始めます 些細な事に関しても 例えば 私がある者に対して 言及せず 他の者に対して 言及するとします “マザーは私のことを 口にしなかった”と感じます あまりにも些細で 気に止めても 仕方ありません 深い軸がありさえすえば あなたは私といますし 私はあなたといます 完全に一つです 外側のこととは “他の者は素敵なサリーをもらえて” “私はもらえなかった”など これら全てが 頭に浮かぶなら あなたに何か欠けているものがある ということです 不満を言うでしょう “バスで 立たなければならなかった” 全くあなたは 快適でなかったということです 軸の広がりが あなたを快適にします それが快適にさせます どんな状況でも どんな地位でも どんな暮らしでも あなたに快適さを 感じさせます それ以外の快適さを あなたは欲しません それを瞑想によって 育まなければいけません 次にサハジャ ヨガは集合的現象 だと知らなければいけません 特にインドの男性は 自分で手仕事をしません 間違っています 全く自分でしないので 集合性にひどく欠けます インド人は 集合性において最悪です アシュラムも 建てる必要が あるのかと思う程誰も使いません 自分の家や家族 子どもたちにこだわり 集合性において最悪です インドの男性は決して 手仕事をしないからです 一本の釘さえ打ちません 多くがそうです 何かを修理するのは もっての他です 彼らは腰に手をおき 指示するだけです マラティ語に 面白い言葉があります “ラクダに乗って ヤギを追い払う” という言葉です これはインド人特有です 彼らは修理も 何もできません 何か広げ始める者がいれば 立って見るだけで手を出しません どのサハジャ ヨギも シャマダンが大切です シャマダンを しなければいけません シャマダンとは労力を 提供するということです それが 私たちに欠けています それにあたって 家をきれいにしたり 家の外観をきれいにしたり 庭の手入れをしたり 家にペンキを塗ったり 自分の手を使うべきです することがなくても 髪をといたり 何かできます とても簡単なことから 始められます それさえしない人も いるからです ひげも剃らず 誰かに任せたりします 彼らは完全に怠慢です 逆に西洋は 自分の手を使います 自分の手を使うので 大変コレクティブです コレクティブであることに プラスになります 一方 インド人には伝統があり クンダリーニや ガネーシャのことを知っている という利点があります 左側が望みで 右側が行動です アンバランスが生じる という話しに戻ります 西洋では 行動に移しますが ここでは考えるだけ 計画するだけです 全てが計画だけです 何も上手くいきません 計画を立て続けるだけです この10年間でデリーに アシュラムが一つ建ちました まるでタージマハールです 大して 大きくないのに なぜそんなに年月を費やしたのか 理解するのは難しいです これはサハジャ ヨギだけでは ありません 他も同じです 皆がそうだからです 全てが延期され 全てが 次の日に行われます ある人が来ても 他の人が来なかったりします 同じように学校で 足し算をしたり 問題を 解いたりしますが 一つの家を建てるのに 3人が働きに来て一人が逃げました そして 2人の人が働きに来て 一人が残り二人が逃げました 次に五人働きにきて 二人が逃げました いつ家が建つのでしょう 建ちません 逃げる人がいては 完成しません そのようです つまり 集合性の欠如です インド人は 行って何かを植えられる 場所を探すべきです そのような場所を探し 素晴らしい菩提樹の種を植え 共に水やりをして 育てるべきです その点で インドの女性は良いです しかし欠けている ところもあります 知性です 考えることです 考えていることと言えば “夫はこうです 夫のために料理をしなければ” 夫が食事にレモンを必要とすれば 家にレモンがなければ 女性はあらゆる場所へ行き レモンを手にいれるでしょう でなければ彼は 食べ物を食べないでしょう 食事を抜く時があっても 構いません それでも 女性はしようとします 夫の嗜好を 守ろうとするからです それで夫の分別も 保っています 男性は 大抵の夫は 虎のようだからです ですから餌を与え続けなければ いつ飛びかかってくるか分かりません イギリスやアメリカは逆です 夫がヤギで 女性が虎のようです 西洋化した インドの女性もそのようです 西洋に行けば 素朴な女性でさえ虎のようになります 突然の変貌には 驚きます ジーンズを 履かなくてもそうなります 南回帰線でも北回帰線でもない 母なる地球の軸を 持つべきだと理解しないと 人間はバランスを崩し始めます このバランスは 私たちの深みからきます それを深めていかなければ いけません サハジャ ヨガのことを 話すことよってではなく 実際 真剣に瞑想をする ことによってです 次にコレクティブの事を しなければいけません 例えば インドの建築家は 自分の手で 決して何も触りません 座って 設計するだけです 設計が終われば 勝手にさせます そして実質的な問題が 生じます 彼は一本も 釘を打てません 彼らはいわゆる ホワイトカラーです 手仕事には 全く役に立ちません 如何なる手仕事も できません 折りたたみ式椅子を持ちあげて 立てることすらできません 集合性に関して 破滅的な社会から 私たちは来ていると これらの状況化で 理解しなければいけません ですから コレクティブになりましょう コレクティブで 何かするようにしましょう インドでは集合性に関して 大変乏しいです 妻にも優しくしません 妻や子どもたちと 楽しく話しません 妻に優しくするのは 不道徳だと考えます 一方 西洋の人は コレクティブを重んじ 何であれ 妥協しようとし 家庭生活を 円満に保とうとします ですから両極端です しかしながらインド女性の 叡智のおかげで 家庭生活は うまく回っています イギリスの男性を見ると インドの男性が女性にする ナンセンスが耐えがたく見えます 彼らの振る舞いは 全く許されるものではありません 男女間のバランスにおいて 軸となるのは 家庭です 家庭が軸です 家庭内で どのような会話をするか 何を考え どんな問題があるのか どこに注意が向いているか どんな話題をするか 大変大切です その中で 家族に 何が起きているのか分かります 互いに 悪口を言い合っていては 夫が子どもに 妻のことを告げ口していては 妻も子どもに 夫のことを告げ口していては そのようなことが 続いていては しっかりした軸は ありえません 軸は 愛そのものです 利用するものでも 甘やかすものでもなく愛です 私たちのような国では 何が軸でしょう 私たちの国の軸は スピリチュアリティです 私たちは お金や発展への渇望を 乗り越えなければいけません まずスピリチュアリティです 発展する前に 国民がリアリゼーションを得れば ここにアメリカがもう一つできる という心配はありません 共産主義者になることも 何もありません 共産主義者は アメリカ人と同じです 気質において 違いはありません アメリカ人がロシアに滞在すれば ロシア人と同じように振る舞うでしょう そして また 逆も同じです 違いはありません 人のスピリチュアルな 成長を可能にする国において スピリチュアリティの軸が 最も大切なものとなるなら そして得られるなら 如何なる発展があろうと その国を 滅ぼすことはできません 戦争はありません 至る所に 平穏と歓びがあるでしょう ですから マカール サンクタントゥの日に サンクタントゥ(災害)は終わった と言いましょう 私たちを祝福する 新しい月の新たな時代を 待ち望まなければいけません そして私たちに 必要なエネルギーを与える すばらしい太陽の 日の出に サハジャ ヨガの黄金の時代の 出現を祝ってもらいましょう 神の祝福がありますように