シュリ クリシュナ プージャ、目撃する状態/シュリ クリシュナ プージャ

Como (Italy)

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1988年8月6日、イタリア、コモ市、ガーレイト、

今日私たちは シュリ クリシュナを崇拝するために 集まりました 私たちは ヴィシュディ チャクラにおける シュリ クリシュナの出現の意味を 理解しないといけません ご存知のように 一度か二度 シュリ ブランマデーヴァが 化身しました そしてシュリ ガネーシャも 主イエスキリストとして 再び生まれました しかしヴィシュヌの原理は 女神が何度も化身しているように 何度も化身しています ヴィシュヌの原理は何度も マハラクシュミの原理と共に 働かなければいけませんでした 人々の上昇を助けるためです ですからシュリ ヴィシュヌの原理は あなたの上昇のためにあります 人間の進化の過程のためです この出現や マハラクシュミの力を通して 私たちをアメーバの段階から 人間へと進化させました 私たちにとっては進化は 自然の行程に沿って進みました しかしヴィシュヌの原理においては 様々な化身を通して 進化しました ご存知のように まず魚から シュリ ヴィシュヌの化身から始まり シュリ クリシュナへと 化身しています そこで彼は完全体になった と言われています 理解しなければならないことは 彼が私たちの中枢神経系に作用し 育んだということです 進化の過程において 中枢神経系が育まれました この中枢神経系が 人間としての意識を与えています そうでなければ 私たちは石同様でした 私たちの意識が育まれ 内に次々と 異なるチャクラが形成されていきました ヴィシュヌの原理が 私たちに真実を追求させ 最終的にサジャ ヨギになるための 理解へと導きました なのでシュリ クリシュナの原理は 大変重要で このヴィシュディ チャクラの段階において 私たちは完全になります ある意味 サハスララが開いた時 あなた方はヴァイブレーションを 感じ始めましたが 完全ではありません 完全であったなら あなたの進化の 最終点であったはずです その時点で終わりであれば サジャ ヨガは 必要なかったはずです 実際は一度サハスララが開くと ヴィシュディまで降りて来ないといけません つまりコレクティブにです もしあなたのヴィシュディが 啓蒙されておらず ワークアウトしていなければ ヴァイブレーションを感れません 昨日演奏者が全く新しい次元で 演奏していました クンダリーニの覚醒があった というだけではなく もちろんありましたが 彼らのヴィシュディ チャクラに 降りてこないといけませんでした 降りて来させなければ 彼らの手は それほどまでに早く動かなかったはずです その優しさ シュリ クリシュナの マドゥリヤを感じれなかったでしょうし それを現すこともできませんでした あなたの指先や手で 表されるすべては マドゥリヤ 優しさを創りだす 新たな意識を得させます 芸術や音楽においても 身振りやすべてにおいて あなたの手が大変重要になってきます ヴィシュディ チャクラはまた16の 副神経叢に大きな役割を担っています 私たちの顔 耳 鼻 首は ヴィシュディ チャクラによって世話されます その結果偉大な俳優にもなれますし 純粋な目や輝かしい肌を 持つこともできます 神聖な音楽を聴く耳も持てます あなたの威厳を現す鼻も持てます 同じように あなたの 顔の表情全てが変わります いつも短気で 渋面であったり 常に乞食のようだったり 泣いてばかり 惨めな顔ばかりしていても すべて変わります 中庸になります 神聖さにおいて 美しく魅力的に見えます また大変優しい 顔つきになります 歯や舌もヴィシュディによって 世話されているので 歯の病気も治ります お話したように私は一度も 歯医者にかかったことがありません あなたのヴィシュディが大丈夫なら 歯医者に行く必要がありません 舌も良くなります 例えば中には 大変皮肉じみた人もいます 優しい言葉はかけられません 常に皮肉を言います また別の者は口汚い言葉を 使う癖があったり 常に無礼な人もいます 威厳は全くなく 優しさもありません 自信が全くない人や どもってばかりの人もいます 前に立って話すことが できない人もいます これらすべてヴィシュディ チャクラが 良くなればなくなります これらは外的な側面です ヴィシュディ チャクラが改善することで シュリ クリシュナが覚醒することで 現れる外的なものです 内側においては あなたは目撃者になります つまり動揺させ 困らせ 問題となることに対して目撃します 目撃できるようになり それに害されることはありません その見る状態 目撃する状態には物凄い力があります 何も考えずに見るなら 問題は解決します どんな問題であっても この目撃する状態になれば 動く波を岸から眺めるという意味の タタスタという状態になれば どう問題を解決できるかが分かります 目撃する状態を 育まないといけません 時にはその目撃の状態を育むのに 苦労する人もいます これは大切なことで 一度クンダリーニが サハスララから降りてきて 各チャクラを滋養し始めると ヴィシュディ チャクラに留まり 少しだけ混乱を生じさせます あなたはそこで“人生が恩恵に満ちて いたのにどうしたことか”と思うでしょう しかしこの時こそあなたは タタスタ(目撃者)にならないといけません 目撃者になれれば すべてが改善します 例えば ある所で働いているとします 目撃者になると あなたのアテンションは内側にいきます 物事を内側から見始めます そして何が間違っているのか見れます あなたの目撃する力で 抱えている問題を克服できます それに巻き込まれずに 全ての状況を目撃することができるなら 問題は容易に解決します これはサクシスワルパと呼ばれる 最善の状態です クンダリーニが上昇し つながりが確立した時 神聖な恩寵が流れ始め あなたのヴィシュディ チャクラを 滋養することで得られます シュリ クリシュナの 名前の由来はクリシで 耕すという意味です 作物を植えるために 農地を耕すことです 彼は私たちのために耕す方です つまり時期がきたら芽が出るように 私たちを創りました それでいて私たち人間は数々の過ちを 犯すことでヴィシュディをだめにします 喫煙したり 麻薬をしたりで だめにします 全く話さなかったり しゃべり過ぎたり 叫んだり 短気で 癇癪を起すなら それもまた ヴィシュディをだめにします ヴィシュディ チャクラを使うにあたって まず覚えておくべきことは 優しさ マドゥリヤのために 使われるべきであるということです 誰かに何かを言いたいのであれば 優しいこと 素敵なことを言うようにしなさい それを練習しなさい またある所では 特別な喋り方を習慣にしていたり 優しい言葉を使わないことが 流行っています 優しく話すことが ダルマに反すると思っています 傷つけるように話さないと いけないと信じています 人を傷つけることは シュリ クリシュナのダルマではありません 彼は誰かを殺すか優しくするかで その中間はありません 人に優しくするか殺すかですが あなたは殺すことはありません ただ優しくするだけです 互いに優しくしないといけません 特にサジャ ヨギは互に 優しくないといけません 誰かに間違ったところがあれば 優しく伝えます “サジャ ヨガに来たのですから こう振る舞うと良いかもしれません” シュリ クリシュナの人生には また別の意味もありました 彼はシュリ ヴィシュヌでもある シュリ ラーマの出現の後に化身しました シュリ ラーマが化身した時 人々は大変無知でした ダルマが何かを知りませんでした なので彼は王としてダルマとは何かを 教えたかったので大変厳粛でした ゆえに彼の化身は厳粛な父親として 様々な混乱を経て 慈悲深い王様の象徴を創りました その結果 彼の化身の後 人々の考え方が非常に厳格になりました 宗教における深刻さが始まり 儀式的になり 厳格になりました 人生における歓びはなくなり 厳格さの中で様々なものが始まりました バラモン教が始まりました バラモンは生まれながらの権利を持つとし インドで始まりましたが バラモンになる権限は 誰にもありません なっていくものです リアリゼーションの後 バラモンになります これはシュリ クリシュナの時代だけでなく シュリ ラーマの時代からの事実です シュリ ラーマ自身 バラモンではありませんでした 彼は指定カーストである 漁夫のヴァルミキに ラーマーヤナを書かせました 驚くことに彼はバラモンではない漁夫に ラーマーヤナを書かせたのです ブランマを知ったという意味であなたが バラモンになったように彼も後になりました ブランマを知る者こそバラモンであって カーストではなれません なので邪悪な者 いかなる罪をも 犯せるような者がバラモンになれることに 人々は困惑しました いかなる宗教や信念を信じようと 改善しません 自分をキリスト教徒と呼ぶなら キリスト教徒として 不純な目を持つことはできません 何人のキリスト教徒が そうだと言えるでしょう 不純な目を持たないということは 例えば女性なら物に対して 不純な目を持たないということです 自称するだけで真のキリスト教徒に なったことにはなりません ヒンズー教も同じです クリシュナはすべての者に アートマが内在すると言っています どこに生まれたかでジャティが カーストが決まるとは言っていません しかしヒンズー教徒は ジャティがあると信じています それに従って皆違うと考えます ある者は低く ある者は高く扱われます 全ての者の中にアートマがあると説く シュリ クリシュナとは正反対です サジャ ヨガで証明されました あなたがどんな宗教に従おうと 如何なる概念や哲学を信じようと リアライズ ソウルになれるということです 高い低いの身分はありません しかし彼らは自分たちだけが 正しいと思っています そう信じる者は皆 地獄に落ちることになるでしょう 真実に到達していないからです 真実はあなたがリアライズ ソウルに なったということです リアライズ ソウルでなければ 神に全く近づいていません あなたは神の王国に 入らないといけません キリスト曰く“神の王国に入らないと 再び生まれないといけない”と “私をキリストと呼んでも 私はあなたが誰か分からないでしょう” はっきり警告しています モハメッドも明確に言っています “復活の時にあなたの手が 語り始めるでしょう” “キヤマまでは これらのことをしても” “キヤマ 復活の時が来れば する必要がありません” 明確に言っていますが誰も キヤマとは何か知ろうとしませんでした あれこれ間違ったものを探し 互いに戦い合っているだけです 彼はすでに言及していました つまりサジャ ヨガにおいてです そのようなことは もはやすることはないのです あなたはピールになりました 一度ワリになればこのようなことは 必要ありません あなたはダルマティートになりました つまり宗教を超越することはシュリ クリシュナ によってインド哲学でも言われています つまり宗教が あなたの一部になります 役立たずの 上辺だけの宗教は必要ありません シュリ クリシュナは誰よりも 明確に言っています グナを ダルマを 超えないといけないと つまり内に 宗教を持つことです キリスト教徒やヒンズー教徒 イスラム教徒といった外側のものではなく 内側から そうならないといけません その結果どうなるか シュリ クリシュナは言っています “一度内からそうなると” “考えてはいけない 飲酒はいけない と私が言う必要がなくなり” “ただあなたはしなくなります” してはいけないのだと 理解するようになります 宗教の様々なナンセンスを克服するために シュリ クリシュナの出現がありました 何人が理解しているか分かり ませんが重要な出現でした 彼はすべてリーラであると教えるために 来ました すべて神のリーラです 深刻になることも 儀式的になることもありません 神をいかなる儀式に 縛り付けられません 彼はそのために化身しました 無意味な儀式に自身を 束縛すべきでないと教えるためです 何年も前 六千年も前の教えですが どの宗教を見ても 多くの儀式が行われています その化身が亡くなると人は おかしな儀式を始めました シュリ クリシュナが亡くなった時も 人は途方に暮れました 彼は“儀式は必要ない 喜ばしい 踊りや歌を歌いなさい”と言いました そして人は 新しいことを始めました “ロマンチックにやろう”と 人間はすべてを真逆にします その道の天才のようです そこで人は彼をラーダと戯れる ロマンチックな人物に仕立てました ラがエネルギーで ダはエネルギーを 維持する者のことです 彼女とのロマンスではありません 彼女はマハラクシュミ自身でしたが 人は彼との関係を夫婦のようにしたり 夫婦仲のように描く 詩があったりします 神聖な関係において 夫婦のような関係はありません ポテンシャルな 動的なエネルギーのことです 人間のような関係は 全くありません 人間は神聖な化身を自分達の レベルまで下げる習性があります ギリシャ人が良い例で 全ての化身を 人間のレベルに落としています 同じようにシュリ クリシュナに対しても 自分達に合ったロマンチストにしました 多くの愚かな人に 適した人物像でした ラクナオで365人の妻を持つ ナワブがいました 彼はシュリ クリシュナの ように装いました 踊ったり“シュリ クリシュナになった” と言います 多くのグルが シュリ クリシュナのふりをします フルートを吹き 他の者をゴピスと呼んだり そのような活動をする グループが沢山あります ブランマ クマリスなどです クリシュナが一人いて その他はゴピスで 結婚しないというナンセンスなものです 全く愚かで 邪悪で シュリ クリシュナの名を汚します シュリ クリシュナは ヨゲシュワラでした 全く執着がありません ある時 彼の力である妻が 聖人を崇拝する為川を渡ろうとしました 彼は“では渡って行きなさい” と言いましたが “洪水の為 渡り方が分かりません”と 彼は“水を引かせるようシュリ クリシュナ が言っていると川に伝えなさい”と “シュリ クリシュナがヨゲシュワラで 妻を持たないのであれば” “水位が下がるはずだ” そこで彼女達は 川に行き言いました “シュリ クリシュナに妻はなく ヨゲシュワラ ならどうか水位を下げてください” 水位が下がりました 夫でいて ヨゲシュワラであるので 彼女達は驚きました 彼は全く執着していません そして川を渡り 聖人を崇拝しました 聖人が帰るように言うと 川がまた洪水になっていました 彼女達は聖人に 帰り方を尋ねました “行きはシュリ クリシュナがヨゲシュワラ なら水位を下げるよう言いました” “それなら川に 聖人は何も食していないし 完全に執着がないと言いなさい” 彼にご馳走し 全て平らげた後 だったので驚きました そして川に“聖人は何も食べていない 無執着です”と伝え 水位が下がりました 聖人は全て平らげたのにと 彼女達は驚きました つまり彼はアスワダでした 食べ物に執着しません 人間の概念からすると 嘘のようですが事実です 彼はヨゲシュワラで 完全に無執着です 人は神聖を理解できません 一万六千人ともう五人の妻を持つ者が 結婚していないことに理解できません 彼はヨゲシュワラです あなた方もヨゲシュワラに ならないといけません あなた方は結婚し子どもがいます 結婚は吉兆なので喜ばしいですが “私の子どもが 家族が”と 常に巻き込まれてはいけません 多くがサジャ ヨガに来て 結婚してはいなくなります 家族を楽しみ 世話をする 結婚生活が一番なのです 私たちの家族は全宇宙です 妻や子どもだけではありません 全宇宙が家族です これがシュリ クリシュナが人生を通して 示そうとしたことです あなたは宇宙的な存在です これを彼は説こうとしたのです あなたは宇宙的な存在で 全体の一部にならないといけません 小宇宙が大宇宙になります 集合的意識が育まれるように あなた自身に起こらないといけません これがシュリ クリシュナからの贈り物です 脳において 彼がヴィラータになるからです 私たちの内には三つの アイデンティティがあります ハートにシヴァが 脳にヴィラータである シュリ クリシュナが そして肝臓に ブランマデーヴァが内在します 三つのアイデンティティがあり ヴォイドにはグルの原理があります アディナートゥ モハメッドからシルディ サイナートゥまで偉大なグル達です 彼らがグルの原理で 前回アンドラにいた時に崇拝しました 彼らは互い関連があり 皆共にワークアウトさせながら あなたをこの目撃する状態に持ってきました 重要なことです あなたのヴィシュディは 改善されるべきです まず罪悪感ですが昨日は大変強くて それを取るのに大変でした 罪悪感を感じる必要は全くありません 流行のようなものです 朝から晩まで“すみません”と 人間あるいはサジャ ヨギであることが 申し訳ないのですか 自分に対して 心地良くいないといけません 常に“すみません これをすべきではなかった”と 自分を悪く思い罪悪感を感じれば 左のヴィシュディをだめにします するとシュリ クリシュナの原理が なくなってしまいます コレクティブも感じれません 自分の間違いが理解できません すみませんというのであれば 神に言って これ以上すまないと 思わないことです 向き合いなさい 間違ったことが何であれ向き合いなさい 同じ過ちを繰り返さなければいいのです 口論することも 引きずることもありません ただ向き合い“間違っていた 二度としない”と それで終わりです あなた方はすでに聖人なのです ワリになりました リアライズ ソウルです アトゥマジャです あなたにはブランマチャイタンニャが あります 頭上には光があります 私の証明書は要りません ただ理解し あなたの 立ち位置に気づきなさい シュリ クリシュナが言うように 自己に気づかなければいけません まずセルフ リアリゼーションを得て あなたの立ち位置に気づくことです 確かなアテンションと 深い理解を得ていることに驚くでしょう その目撃する状態を得たと分かれば それをすぐさまするのは簡単なことです 自分自身を目撃者にしなさい 何を見ても思考を超えた意識状態に なりなさい それがあなたの砦です 考えてはいけません そこにある美しさを見なさい これらの木々がいかに静寂に あなたを見守っているか ただ目撃しなさい 葉一つ動くこともなく 見守っています “マザーが風を吹かせるまで そのまま静かに見守っていよう” これらの山々もただ静かに佇み 歓びと美しさを放って目撃しています 同じように目撃者に ならないといけません 沢山話すことも 黙っていることもありませんが リーラとして全てを センターで目撃すべきです それゆえ彼は リーラダラと呼ばれています リーラを維持する方 という意味です あなたを狂人にも おかしくもしません 歓びに満ちた者にします そうさせるのはシュリ クリシュナの ヴィシュヌの原理です この後も私たち皆が ヴィシュヌの原理を楽しめますように 瞑想することで前も楽しめました 瞑想すると思考を超えた 意識状態になるからです 思考を超えた時のみ成長できます それ以外はありません 何をしようと成長できません 瞑想をしない限り 思考を超えた意識にはなれません 人生において どの次元においても アーティストや科学者など 偉業を成し遂げようと願う者は 瞑想することが サジャ ヨガにおいて大切です さもないとクンダリーニが落ち 全ての才能を失います それは事実で 言われなければいけません 人は変われますが 時には一時的なこともあり得ます ちゃんとした方法でしないと 落ちてしまうことがあります あなたが目撃する状態に達する 幸運に恵まれますように 目撃する状態において おかしな風に自分を表さないものです ただ自分自身を見るだけです 全ての問題は自分で作り上げたに 過ぎないからです 自身から切り離すことで 問題を見ることができ 解決できます 私の知る限り 神の恩恵により あなた方は成長します この状態を 得ないといけません どの状態においても 恩恵 進歩 混乱が あっても 耐航性がないといけません 耐航性がある船は すばらしい航海で 混乱や嵐にも 向き合うことがでます 神の祝福がありますように