Shri Krishna Puja, The Technique of the Play

Campus, Cabella Ligure (Italy)

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Shri Krishna Puja. Cabella Ligure (Italy), 1 September 1991.

今日は ヨゲシュワラを崇拝します 私たちにはシュリ クリシュナの 最も偉大な名だと思います ヨガの神という意味です ご存じのとおりヨガとは 神聖との合一を意味します ですが 別の「ユクティ」 という意味もあります 英語で適切に 訳せませんが ユクティとは トリックの意です トリックです でもトリックというとおかしな いたずらを連想させますが この場合は テクニックの意味です テクニックといえば 機械的なことです なのでユクティの 適切な訳語はありません あえて言えば テクニックを知り それを駆使する技術が ヨガ、ユクティの もう一つの意味です なのでつながりがあっても そのトリックを駆使できなければ つながっている 意味がありません 何の役にも立ちません リアリゼーションの後に テクニックのみでなく そのトリックも 学ばなければなりません クリシュナのレベルに 至るということは シュリ ラーマの後の 化身であり シュリ ラーマは 理想的な礼節を持った マリヤダ プルショッタマで 同時に慈悲深い王 でもありました ですがシュリ クリシュナの場合 人々が生真面目で堅く 過度に道徳的だったので 別な面を示したのです 儀礼さえしていれば大丈夫だ と考え 人々の成長は止まっていました そこでシュリ ヴィシュヌであるシュリ クリシュナがくる必要がありました 上昇について そしてそれがすべて 遊びであると唱えました ですが遊びの達人でないと そのように遊べません 例えば電気的な コミュニケーションがありますが 皆さんはそれで どう遊ぶかを知りません どう遊ぶかです つなぎ方とか いかに学ぶかではありません 遊びです 例えば技術をすべて知っていたら それで頭が痛むでしょう あそこが上手くいかないとか どうやって接続するかなど 自分がしていると 常に気になって 疲れて飽き飽きするでしょう でもそれが遊びだったら 達人にとっては遊びですが それが遊びになってしまえば 疲れることなく 楽しめるでしょう それがいわゆるリーラです それゆえ彼はリーラダラと呼ばれます 彼は達人だからです 達人として来ました マスターといっても指導者としてでなく ヨガの技術 ユクティの達人として 彼はとても巧みで有能なので 彼にとっては遊びです 彼にとっては すべてが遊びでした あなたもヨガにおいては 全てが遊びだと理解するべきです 例えば朝5時に起きるのも 遊びであるべきです 朝起きて まだ日が低く やることがまだない時間 月が沈んで まだ薄暗い時間に起きます とても美しい そんな時間に 瞑想に座るのです 何か堅苦しい つまらないことではなく 遊びなのです そのためにはあなたが 達人である必要があります ヨガの達人であれば それが遊びにになります まず シュリ ラーマの意識により ヴィシュワ ニルマラ ダルマとなると その後は遊びになります さて 神聖との コミュニケーションは 世界へと広まるべきです 全世界があなたが手に入れた コミュニケーションを得るべきです そこに関して シュリクリシュナは 子供としてシンプルな用意をしました 子供っぽく幼いやり方です ゴピ達が沐浴中に 服を隠したのです インド女性は決して 全裸になりませんが 彼女たちのサリーを隠して 彼女たちの背中を見ていましたが 小さな男の子には何でもありません 彼は木の枝に座って彼女たちの クンダリーニをあげようとしていたのです 彼女たちがラーダによって 清められたヤムナ川から出てきて すでに彼女たちのクンダリーニに ヴァイブレーションがあるわけです 彼女たちはその水を運び 彼は後ろから頭上の水がめを 割るのですが その水にも ヴァイブレーションがあります するとヴァイブレーションがある水が 彼女たちの背中にこぼれていきます それでクンダリーニを 引きあげようとしていたのです 子供らしい遊びを見なさい 子供らしいやり方でどうやって 遊ぼうとしたか そして後に 子どものようなやり方で 政治や人間関係 コミュニケーション での熟達を見せるのです 彼のパワーはラーダで ラはエネルギーで ダはその支えです ダレティサ ダルマと いわれるように ラダとはエネルギーを支える者 という意味です なのでまず彼女からもらったのが アラーダ ダイニの性質です アラーダを表す英語は 見当たりませんが アラーダとは急に素晴らしいものをみて 歓びを感じるような感覚です とても幸せな感覚ですが 幸福感を表す英単語が ほとんどありません アラーダとはまるで新鮮な 空気を吸ったような歓びです その感覚がアラーダです 彼女はアラーダ ダイニで アラーダを与える存在です この彼女の アラーダ ダイニの力で 関わりのあるすべての人に 働きかけたのです なので彼といる牛飼いたちは ラースをすることになります ラとはエネルギーで スとは共にという意で ラダジのエネルギーで 踊るということです 彼がただフルートを吹き 彼女が踊ると 彼女の手をエネルギーが流れて クンダリーニが覚醒されます ここにもう一つの 遊びがあります 遊ぶだけで彼は クンダリーニを上げたのです ですが現代では それはとても難しいです そのやり方で クンダリーニを上げるのは 現代では簡単ではありません 人も理解しないでしょう なので現代では サハジ ャヨガはただクンダリーニを 上げるのではなく サハジャ ヨガの 完全な知識を与え 他者にリアリゼーションを与えられる力を与えるという 大きな仕事でした そのために他者にリアリゼーションを 与える技法を見つける必要がありました 当時はクンダリーニは覚醒しても サハスララは開いていませんでした クンダリーニはアギアだったり ハートだったりに留まっていたのです そのような人々が シーカーになりました こうして今日の サハジャ ヨギ達が存在し サハスララが開いていてサハジャ ヨガのユクティを全て知っています ですが サハジャ ヨガのより精妙な ユクティがあります それをマスター しなければなりません 第一に 彼のマドゥリの性質です 優しさという意味です 「蜜のように甘く優しい」 という表現のように 彼が誰かと話したり 誰かと関わるときは 優しさを通して関わりました このような関りができないなら あなたはヨギであることから ほど遠いです 誰かと優しく話すこと それも自然にです 彼の全てがマドゥリです 話も態度も表情も 全てがマドゥリです コミュニケーションを語るなら まずは人同士のコミュニケーション が最も大切です そして人との コミュニケーションを考えるなら 多くの人が攻撃的なほうが 上手く人とかかわれると考えます それは違います 誰かが人から 何か得ようとする時に そこへ行って言います これが必要だとか あれこれ言います まるで否定しているようです でもあなたが優しい人で 優しく話せば 99%の人は 態度を軟化させるでしょう ではどうやって 人を軟化させるか そのトリックを学ぶべきです いかに優しさで人をほぐすか これは 彼の特別な性質の一つで 人と話す際に 心から優しく話すことで あなたとその人の間の 問題が解決するように 完全にです たくさんのトリックがあります 人とどう話すかを学ぶことは 最も大切なことの一つです 第一に あなたは人より 聡明でないと見せるべきです 私が若い科学者と話す際に ごめんなさい 科学はわからないんです というように 科学者向きじゃないんです すると彼らは そうですか と 気持ちよくなります 音楽家に対しては 音楽はわかりません と 少しだけやったことがありますが それほどでもありません 音楽家もうれしくなるでしょう エゴをおだてている 確かにそうも言えるでしょう でも自分が相手と比較できないと 言うことに害はありません 人と話す際の第一のトリックは 完全な謙虚さです それが偉大さのサインであり 達成のサインです 実をつけた木がたわむように まずは 私は何も知らないので 教えてください という態度です それが第一です まずは自らが極めて 謙虚になることです 他人にあなたが何者か わからないのが良いのです それはとても楽しいことです 私の例をお伝えしましょう 私の夫はインドで えらい立場でした 大学まで一緒だった友人と デリーで再開したときに 私がどこに住んでいるか と訊きました 私はミナバという 何の変哲もない場所を言いました 公舎に入れなかったので とりあえずの場所でした ダンナさんは何をしていらっしゃるの 公務員です とだけ伝えました そこに夫が通りかかり 私に微笑んで立ち去りました 彼を知っていらっしゃるの 私の夫です というと驚いて オーマイゴッド どうして教えてくれ なかったの 急に態度が変わりました 彼女は自分を恥じました ただの事務員か何かと結婚したのねと 私を下に見ていたからです なので下のふりをするのが 一番です 全てにおいて下のふりです マザーに力をもらったのであれもこれも できるというサハジャ ヨギを知っています 自画自賛は役に立ちません 私はとくに力がなく ただのサハジャヨギです でも そういうならやってみます なので下のふりをすることです できる限りそうしなさい 家で実践しなさい 練習をして実践するのです これが他者とのコミュニケーションの際 最も大切なことのひとつです 第二にはギータ全部を読むと 一つ大切なことがあります クローダ ピラエティ サモアといって 私たちの悪い性質があり 六つの敵があるということです 彼はギータでその中でもまず クローダから説いています 内面に怒りがあるなら あなたは達人であるわけがありません 達人であればそれで遊べるので 怒る必要がありません あなたをこうやって 踊らせることができます かんしゃくを起こす 必要があるでしょうか でもあなたが対人関係において それを習熟していなければ 5、6分も経てば 声が荒くなってきて 結局怒鳴りだすことになります 熱いかんしゃくを まだもっているからです ですが達人にはありません 必要がありません 彼はクローダから説き始めました 全ての問題は怒りから始まります 次から次へと なので自分が怒りっぽいか 注意するべきです 怒りはヴィシュッディから来ます 肝臓から始まりますが ヴィシュッディを通して表現されます 顔や目が赤くなり 口からはあらゆる 罵詈雑言が出てきて 全く違う表現になります あなたが怒るときに この怒りを観察しなさい これはどこにあるのでしょう 肝臓だ ということなら じゃあ 治そう と マスターするためには はっきりと自分に向き合うことです 皆が彼女はかんしゃくもちで あれもこれもありましたと言います でも本人は いいえ そんなことありません じゃあ何で皆がそういうの わかりません 自分はちゃんとやってます 誰かがそういうなら 自分を観察しなさい あなたはたまに怒りますか あなたはかんしゃくを起しますか 見れば簡単にわかります なので交渉のコツはどれほど 自分に足りないか自ら直視することです まずは 本物の謙虚さが大切で 第二には冷静さです かんしゃくを起す必要は 全くありません 何をしているの どうしてそんなことをするの 言いたくないことを言わせないで そうやって言えばいいのです これが限度です それは嫌いだというぐらいは 良いでしょう でもそれ以上 行かないことです そこで止めれば かんしゃくを起こす 傲慢な習慣が消えていくでしょう この傲慢さや かんしゃくがなくなり 自分が楽になることに 驚くでしょう 怒りによってその反動で レフトヴィシュッディが キャッチして 負い目を感じるからです なぜあんなことを言ってしまったのか と気分が悪くなります そうやってヴィシュッディが だめになります レフトヴィシュッディなら 頭痛です どんどん怒りや 何かをため込むと レフトヴィシュッディが キャッチします それで起こる問題は ご存じの通りです だから誰かに腹が立っても 負い目に思わないことです そのかわり鏡のまえで 自分にビンタをするのです 腹が立ったら 自分に腹を立てて 鏡の前でこうやってするんです 自分が怒った時と 同じようにするんです 負い目に感じないでしょうし もっと起こればなお良いでしょう そうしてレフトヴィシュッディを 空っぽにできます 次は怒らないでしょう 負い目を感じているなら 同じことを何度も繰り返します 怒りの表現も男女で違います 時に女性が心配です 水の力を使うので私も困惑します でも エゴがあるほど 泣き虫になります それがサインです 何か指摘するとすぐに泣き出すのを 見てきました もうレフトヴィシュッディが 風船のように一杯に膨れているので そこに触れたとたんに 水が出てきます 知ってのとおり 男性の場合は違います 腹を立てたらケンカをして 皆を殴りかかったかと思いきや ちゃっかり座って 飲みものを飲んだりします もう出してしまおうと言います でも女性は違います ため込んで それが後に涙になります これらは喜びや 幸せの涙ではなく 誰かへの思いでもありません 誰かに自分が悲しいことを 印象づけるための涙です なので第二のトリックは いかに自分のかんしゃくを克服するかです そして第三にはいかに人の かんしゃくを克服するかです そっちのほうが ずっと高級です ガガンギリ マハラジのところに行った 話をあなた方にしたでしょうか 彼はとても短気な聖人で その熱のため水の中に常にいたので 足を悪くして失いました 人は彼がトラに乗っていると言いますが トラは見かけませんでした 私は彼に会いに行きました 彼は雨を操ることが できるはずだったのですが そこへは四時間半ほど 坂を上ったところです 私が歩き出すとたちまち大雨になり 終始降り続けました 彼は止められませんでした 彼は挑戦されたと思いました 私が到着すると 彼は洞窟の外の岩にすわって 怒りでこうやって どうしようもなかったのです 彼を見て私が洞窟に座ると 彼も来ました 彼は連れられて来て 私の足元にひれ伏したのちに 言いました なぜ私に雨をとめさせて下さらなかたのか あなたがずぶぬれになってしまった この雨が腹立たしい 私のエゴを抑えるためでしょうか とんでもない あなたにエゴがあるとは 知りませんでした ではなぜ 私はご存知のように マスターだから いいですか あなたは修行僧で 私にサリーを買いました オレンジ色のです あなたからオレンジ色を 受け取るわけにはいきません あなたが修行僧だからです でもずぶ濡れなれば あなたから受け取れますね するとたちまち彼は 心を開きました でも私は達人でなければ なりませんでした まずどうやって彼を和らげるか 次にどうやって 彼のこころを掴むか これはもっと精妙な面です あなたは人心を掴めます このように人があなたに してくれたことが分かります 何を用意したか 何が待っているか 未来が分かるとは 言いませんが 人を分かるために そうするなら その人の全てが分かります シンプルなことです まずその人を 分かろうとしなさい 私の父は多くの トリックを持っていました 加えて とても愉快な人でした ある日 弟のババママが歌の上手い 友達の話をしました 父に彼の歌は どうだったか訊くと うん 彼はとても勇気があるね どうして 知らなくても歌おうとするからね 大したもんだ 何て適切な表現でしょう その男性について とても勇気があるって 彼は知らなくても歌うけど 何とかなっていると 勇気があるとは悪口ではないです 勇気がある でも彼のことが 良くわかる言い方で もし変な歌い方をしても 笑わないようにという意味が その「勇気」のことばで分かります 同じように 誰かについて学べば その人を 面白いやり方で表せます 欠点や悪いクセがある とかではなく その人の ある一部について述べます これはその人全体を まるごと理解して 性質や欠点も含めて そのまま受け入れるやり方です その巧みさを あなたは持てるでしょうか 人の特質に注目しなければ 欠点ばかりが目に付くでしょう 彼の特質が分かれば 欠点があっても ちょっとした性格上の スパイスみたいなものです そう 彼はちょっとだけね ちょっと彼の性格に 注記を加える感じです するとその人が気にならなくなり 楽しめるでしょう 私の娘婿は 犬が大好きですが 妻の方は賃貸だから犬はダメと 夫婦ゲンカになります プラバットが“会う機会が無くなります” というので それは良くないけれど なら次は私が犬になろうかしら といいました たちまち彼は理解しました なのでどう人に話すか ほのめかす事ができます 何がその人の長所で 何が欠点か でも直接言う必要はありません ユーモアをもって 間接的にほのめかす事で その人は理解するでしょう 人と関わる時には ユーモアのある人であるべきです でもユーモアというと 誰か体が不自由でまっすぐ 歩けないような人を笑ったり 誰かの髪型が変だと笑ったり そういった表面的なことで笑いますが それはユーモアではありません これは笑いの 形をとった批判です でなかれば 皮肉を言う人もいます これは良くありません 鋭いことを 言ったつもりでしょうが あなたはその人を永遠に失います こういわれた とその人は忘れないからです なので皮肉はあなたの敵であり サハジャ ヨガの敵です 何か言うなら相手を傷つけない 言い方でいいなさい 微妙なユーモアを楽しみつつ 自分の欠点を理解できるように さあ ユーモアをもって あなたに何か言うならば なんだかんだと 直接あなたに言わずに 例えば うちにカラスが やってきてね と言って あなたの性質を そのカラスに移して表すでしょう そしてカラスが あれこれしたと言うでしょう あなたはすぐに “マザーは私のことを話しているのか” “それともカラスの話なのか” 考え出します なので誰か別の存在に 移し替えなさい 移し替えるのが ベストな方法です 例えば プージャに出席する人の 名簿が期限までに必要だとします 今回はアメリカが ホストですので アメリカ人が必要だといった と言えばいいのです 実際には言ってないのですが そういうウソは無害です それで人々はあなたではなく アメリカ人に腹を立てるでしょうが 問題ありません しばらくの間はいいのです まるで移し替えるように この転移は アスタンタラと言われます 一方から他方へと 移し替えていくことで シュリ クリシュナは この技の匠でした 彼の話で 彼はランチョルダといって 戦場から逃げる 彼は気にせずに逃げ出します なぜなら とても悪い悪魔がいましたが ブラマデーヴァから恩恵を授かり 多くの人を殺していましたが シュリクリシュナも どうしてよいか分かりません そこで彼は別の誰かに 彼を任せることにしました 彼は別の特別な ヨギを知っていました 彼は瞑想を通して同じブラマデヴァから 恩恵を授かりましたが それは寝ている最中に 起こされて まず初めに見たものが灰となる という恩恵でした シュリ クリシュナは仕事を 彼に移したほうがよいと考えました そこで彼は 戦場から逃げ出し その悪魔があとを追いました シュリクリシュナはその聖者の 洞穴にそっと入りました そして自分のショールを 彼の上にかけました そしてそこで身を隠しました ここで入ってきた悪魔は シュリ クリシュナが寝ていると思いました ああ 疲れて寝てしまったか ここでどうやって自分を守れるか お手並み拝見としよう そして彼を起こしたところ この聖者が目を覚まし彼を見て 彼は灰と化したのです なので自分の仕事を 移しなさい もっと能力があり 上手くできる人に 自分で抱えこんで 直接さあ来いと戦っても 勝てません いわゆる 血みどろの戦いになります 誰かに任せなさい 友達になるなり おだてるなり何でもして ポイントは悪を取り除く ということで この場合はその悪魔です だから誰でも良いのです 彼は沢山の トリックをかけました マハバーラタでは ビシュマは神の恩恵のために 自ら望まなければ誰も彼を殺すことは できない というものでした なので シュリ クリシュナは トリックを使うと決めました そしてアルジュナに言いました 自分は馬車の御者をするだけで アルジュナに言いました 彼を矢の上に 寝せるようにと 矢の上に寝れば 死を選ぶしかなくなると ドロナチャリアは アルジュナの偉大なグルですが カウラバス側についていました どうしたら殺せるでしょう 彼は弓に関する あらゆる技を持っていました どうすれば良いのでしょう 彼は弓の達人で アルジュナは彼の弟子なのです どやって彼を 止めるのでしょう どうしたら彼が アルジュナの矢に 反応するようにできるでしょう 彼は達人だから反応しない どうするかです そこで クリシュナは特別な方法を 編み出しました 彼はシカンディという宦官を 連れてきました 彼がいかに宦官になったかは おいて とにかく有利です そして彼をアルジュナの 前に立たせました 宦官はインドでは 女性扱いになります ドロナチャリアは戦えない と 女性を殺すわけにはいかない と こうして ドロナチャリアに勝ちました こうやってトリックを使ったのは 悪者を成敗するためだったのです あなたが出来ないときには 誰かに頼めばよいのです 悪を取り除くのが 大事だからです 謙虚に自分よりできる人に頼めば 自分で戦うよりずっと効果的です 無茶は 何の役にも立ちません マハバーラタを見ると終始 シュリ クリシュナはトリックをしています 軍隊全部と私とどちらかを選ぶように アルジュナに言いました カウラバスは 軍隊を選びました アルジュナは クリシュナを選びました しかもクリシュナは戦わずに 戦車のドライバーをすると言います でも彼はトリックのマスターです 武器なんか要らずに 何だってできます なのでアルジュナはドライバーでいいと 受け入れたのです 逐一全てを分かっていたからシュリ クリシュナはいつも微笑んでいました 誰かに相談されると 私も微笑みそうになりますが 我慢するようにしています 見られたくないから でも何をしているか トリックは何か 分かっています 皆さんもトリックに長けていて 色々と知っているでしょう 人がトリックをかけて来たら わかるでしょう そしたら微笑みなさい 優しく微笑んで そうね そうそう そのとおりと これによって人間関係が とても良くなります サハジャ ヨガで よくある例は “リーダーにお前はブーティッシュだと 言われました”というものです もう一人来て“私はお前は ブーツだ”と言われました さらには“私はひどいブーツが お前には入ってる”と言われたと これら3つの違いは何でしょう と なぜ人にブーティッシュだ とかいうのでしょう 必要ありません 分かるならレフトスワディスターナを 治すように言えば良いのです どこかのグルについていたか 聞いてあげなさい その人が良い人であるなら なおさら大事なことです ただ外からの悪影響だから 取り除けばよいだけと伝えなさい ただしアギアとレフトスワディスターナ のキャッチがある場合は お役に立てませんと言うことです ずる賢いと分かっているからです それと戯れても無駄です 私たちはそれも忘れて だれでもどうぞ となってしまいます 誰でもサハジャ ヨガが できるわけではありません 全人類ではないと 知りなさい サハジャ ヨガは 探究者であり その上勇気ある人にしか 与えられません ニーラと呼ばれる人たち向けで 普通の人向けではありません 私たちはオープンだから いろいろな人が来て 困った人のために 一生懸命してあげも 彼らが問題を起こすと 分かるのです まずはシンプルな人達を 相手にしなさい シュリ クリシュナが 牛飼いと戯れたように そのうえで難しい人を扱うときには コレクティブで対処できるか見なさい でもヒトラーやラジニーシのような人を 変えようとしても無駄です サハジャ ヨガでは無理なことを しようとしないことです シュリ クリシュナは自ら それを示しました 対処しがたいことを 避けたのです 彼はそれの達人でしたから やってのけました もちろん彼は自分に向き合い マスターする必要はなく 彼はヨガの神なので 全てを知っていました 全てを知っていれば マスターする必要すらありません 逆に自分がどれほど知っているか 恐れを感じるほどです 人に関わるときに 一番良いのは サハジャ ヨガで自分がどんな人間か 何の専門かを良く知ることです どれほど常に自分に向き合っているか 見る必要があります なぜ私はそんなことを 言うのだろう 自分の心に 何が足りないのか 自分の中のネガティヴィティを はっきりと見なさい 何度も言ったように 西洋のネガティヴィティは心が常に 楽をしようと働くことです 働くことを嫌がります 例えば 誰かに 電話をかけるように言うと すぐに言い訳が 10個返ってきます いないかもとか 奥さんが怒るとか 仕事中かもとか もう10時だとか あれやこれやです 電話はそこにあるのに かけようとしないのです 100個の言い訳 新しい言い訳は コンピューターの不具合とか ファックスの不具合とか あなたの脳ミソ以外は 全部働いているのです それが逆で 自分の頭は働いているけれど 別の何かがだめだというのです 明かりがないとか なんであれ言い訳になります でもどうして解決策を 見つけられないか学ぶべきです 何かしなくては と 例えば前にもいったように 根っこの先がどうやって あちこち探しまわることで 水分を見つけだすか 同じように私たちも これがだめならあれでとしてますか それがだめなら これをしようとか 何もないところから 多くを達成できるのです でも いつもあなたが出来ない理由を いつも探し出すならどうでしょう シュリ クリシュナは違います 彼はヴィラータの 神の化身です マスターの中のマスターです ドロウバディは 危機の際に 彼女はヴィシュヌマーヤで 彼の姉でしたが シュリ クリシュナのことを 思いました ドゥリヨダナによって サリーをひぱっられて 彼女はこうして クリと言いましたが そうやってくわえていましたが シュナといった瞬間にサリーが離れました シュナというと サリーが落ちてしまいます サリーは落ち シュリ クリシュナについて 述べました ドワリカ メショラバヨ ショラバヨバリ シャンカ チャクラ ガダ バドマ ガルル レイ シダーリ この音がハスティナプールから ドワリカに数千マイルをこえて届き その音はチャイタンニャを 通ることで増幅され シャンカ チャクラ ガダ パドマ これらはもちろん武器ですが 全てをもって彼は ガルーダにのり現れます 姉の純潔を守るために あっという間です その瞬間に自然とです サリー1枚くらいなら後でも大丈夫とは 言いませんでした 皆が私にプージャで 沢山くれたサリーを 彼は取っていったに 違いありません そう感じます でなければ どこからサリーを用意したのでしょう 私の倉庫からでしょう そのために あなた方はサリーを沢山くれたのです それで彼は多くの女性の 純潔を守っているのです これら全てが 関連した一つの出来事で 壮大なドラマが繰り広げられて いるのですが 見えません でもあなたが自分を信じ 自分がサハジャ ヨギであり 自らの性質と存在 その価値を信じるのなら あなたは間違いなく マスターになれます でもまずもって自分のリアリゼーション の価値を知りません どれほど能力があるかも 知りません まだ自分が平凡な人間で 大学をでてからリアリゼーションを マザーから授かっただけ だれも大学を出ていません キリストも ラーマも大学にいっていません クリシュナも大学に行ってないし キリストは大学をでていません 普通の大工の息子でした でもあなたはリアライズソールであり ながら自身の価値を知りません それが分かれば 何にでも微笑むでしょう あなたは世界の頂点に 位置しているから それさえわかれば 習熟してくるでしょう でなければ師が弟子より 下に甘んじているようなものです だからといって支配するわけでは ありません 責任を持つのです 完全に受け持つのです あなたは何でも分かっているし どうすればいいかも分かっています この習得が必要です あなた方皆に それが全く可能です ですがまず自分を修める 必要があると知りなさい そういうとすぐに“マザー 自分が一番難しいんです” 私にはわかりません 人を修めようとするくせに 自分を修められないのですか あなたは常に自分と一緒で それがあなたの財産なのです 人の資産を正すことができるなら 自分のも正せるはずです た易いことであるはずなのに 自分のものだという確信がありません 自分にできると思っていません できます 今や自分を知っているのです ならばマスターするべきです 自分を見て観察すれば 自分がすべてのトリックを 知っていると気づくでしょう ユクティです 私があれこれと 言う必要はありません 自分で対処できます 私たちは細々した事は 沢山知っています 何かが落ちてくるなら これで支えればいいとか スピリチュアルな生活は 最もた易いはずです あなたが 知識の大海だからです ただあなたに知識があることを 知らなければ 人と関わる際の トリックが分からないでしょう 人とコミュニケートする目的は 世界を救済することだからです 無知から救い出すためです そのために習熟が必要です 無意味なことで迷わず 習熟してくためには 早朝の瞑想が必要です まずそれです そして自分に向き合いなさい 常にです なぜそんな事をいったのか ああ あのせいだな と この言葉はあの人から 来ているな 自分に向き合うと 驚くべきことに あなたは常に現実を避けようと こころを使っているのです いつも言いますが こころはあなたを欺きます 最後は シュリ クリシュナは 劇のエキスパートだということ 彼はドラマをつくり それを自ら演じ 更に観客でもあります あなたも この3つで自分を見なさい 自分のドラマをつくり ああ ここはこうか どうやって演じるとしよう そしてその観客にもなる 自分のドラマの 観客になりなさい すると分かるでしょう 自分が何をしていて どうやって進めているかを すると私たちの欺瞞は 常に自分を欺いているものが すっかり消えていきます 芸術家が同時に 鑑賞する側と知っていれば 演者が観客でもあると 意識していれば 自分を欺くことはないでしょう それが演技と知っているからです 自己欺瞞は避けるべきです 直面しなさい でも他の抜け道があります 例えば“手紙を書いたら”というと “分かってる” “手紙書いたほうが良かったん じゃないの お世話になったし・・・” “わかってるよ” “何も連絡しないなんてひどくない ですか・・・”“わかってる!” “自分が悪いし ひどい人だし バカだし” “自分が悪かった、全部わかってるよ! だから何なの”と 自分が悪いと認めたら それで終わりです これは新しい逃げで シュリ クリシュナの時代には なかった現代版です 自分は悪人ですが それが何か これは第2段階です 第1段階では、分かってる! 第2段階では、だから何?と進化します こうして脱線が始まります こうして あちこちと揺れ始めます 知っているのに どうして直せないんだろう そうあるべきです 自分でそれを分かっている 知っているなら直すトリックも 知るべきです 自分が正そうとする人格から 離れているから 自分を正せるのです そもそもヨガとはそういうもので 自らの意識が神と一体になり 自分の執着を離れて 見ることができて 全てに対する執着が無くなります そしてあなたに来る力は あなたを通って執着に働きます 状況がガラッと変わります サハジャ ヨガでは 全く変わります 悪い人が サハジャ ヨガにくると 追い出されるか 正されるかどちらかです 悪い人は正されるか 追い出されるかです 現代はシュリ クリシュナの時代より 進化しているようです 彼はアルジュナ一人に教えましたが 私は数千人に知識を与えています 当時は戦時下で 今は平和な時代です シュリ クリシュナはリアリゼーションを 与えなかったのでずっと進化したのです あなたはリアリゼーションを得て 全ての精妙な知識を持っています 現代というのはそういうもので あなたはすでにヴィラータの一部です あなたはヴィラータを見たことが ありませんが すでにその一部なのです あなたは見ているのでなく その中にいるのです それによって サハジャ ヨガから追い出されるのは 自分を見ないことだけで そうならないように 自分自信を良く見て 自分を正し ヴィラータと一体になることです これがヨゲシュワラのサインです そうやって笑顔でもって 全てを知りつつ 皮肉をいわず 父親の様な笑みを浮かべる そうあるべきです 全ての人に対してです すぐに人は分かるでしょう 小さい子は特にです 子供は極めて親に対して 保護的です 心配しなくても大丈夫 神様が守ってくれるから と 本当に可愛いものです とても優しくて 世界が癒されます 子どもや赤ちゃんから 学ぶことが沢山あります そして内なる ガネーシャの原理を持って 働きかけるべきです 無心さが最も効果的で なので皆さん 自分に向き合ってください 自分を責めず 正して尊敬しなさい そして自らの栄光へと進んでいきなさい 神の恩恵がありますように!