Shri Adi Shakti Kundalini Puja Nirmal Temple (Italy)

Shri Adi Shakti Kundalini Puja. Cabella Ligure (Italy), 6 June 1993.
今日の崇拝の対象は 私です 初めてです これまでは 私の一部や一側面でした 今こそアディ シャクティとは 何かを知るべき時です それは全能の神の 純粋な望みといわれ サダ シヴァに由来します では全能の神の 純粋な望みとは何でしょう あなたは自分の望みをみると 何に由来するでしょう 聖なる愛ではなく 身体的な愛であり 物質的な愛であり 力への愛です これら全ての背後に愛があります 何かを愛しなければ 欲しないでしょう あなた方はこれら平凡な愛をもち そのために 多くの時間を浪費します 実際それで 満たされることはありません 真の愛ではないからです 少しの間のぼせて すぐに飽きるのです それをあちこちで繰り返します 次々と対象をかえながら アディ シャクティは神の愛の 現れで 神の純粋な愛です でも彼は愛において 何を欲するのでしょう 人間を創ることを欲し 彼らが従順になり 崇高な 天使のようになるよう望みました アダムとイヴの創造は 彼によるものです 天使には自由はありません そのように創造されました そう決められています なぜそうするかも知りません 動物もなぜ自分が ある行動をするか知りません ただするだけです 自然に縛られていて 全能の神に結びついています シヴァはパシュパティであるといわれ 動物を支配するという意味です 彼はパシュパティです 彼は動物を支配するので 全ての動物の欲求が彼に含まれますが 悔やむことはありません エゴもなく 良い悪いを考えることもありません カルマの問題もありません エゴがなく 自由もないからです ここで 純粋な愛であるアディ シャクティは 一つの人格に全ての愛を注ぎ それゆえ何も残されておらず ただ観じるのみの父なる神を 想起します 彼は考えること無く ただ自らの思いを観ます 愛を観ます それがいかに作用するかを 観ています それを見る際は注意深く 私の創造した神格は 愛と慈悲に他ならないと 知っているからです その慈悲は高貴で それを損ねたり害したり いかなる形であろうと 乱したり貶めたり 侮辱することは 決して許しません 彼はその点とても注意深く 良く観ています ある分離が彼の愛によって 起こったと言ってよいでしょう この愛にも人格があり つまりエゴをもち作用し 独立した人格となり 自由に好きなことを為します 現世の夫婦ではありえませんが 夫婦共に完全に自由で 好きにすることができます 何の結合力もなく 合意もなく 調和も関係もないけれど 月と月光のよう 太陽と太陽光のようです ある意味 非常に結びついていて 一方がすることを他方が楽しみます その美しい分割において アディ シャクティが 彼のプランを変えることにしました サンカルパ ヴィカルパ カロティ として知られます 何かを過度にしようとすれば 彼女はそれを分割します 今日の11時のプージャのように なのでアダムとイブの事にしても 彼らが動物や天使のように なったところで何になるかと そう考えました 自覚が必要だと 自分がしていることを知るべきだと 彼らには知識を得る自由があると 知る権利があると ただ動物のように生活して 機会的に同じ繰り返しを する必要があるでしょうか なので彼女の任意で 当然熟慮の上ですが 蛇として来たのは彼女なのです そして告げます 知識の果実を味わいなさい と サハジャ ヨギではない人には これを教えられません ショックを受けるでしょう ですがこの蛇こそが 彼らに試しに言ったのです この果実を味わいなさい と 蛇は女性に言いました 男性ではなく 女性は物事を 受け入れやすいからです ブーツでも無意味なことでも 受け入れられます 受け入れる存在だからです 一方男性はたやすく受け入れません 議論したり口論します なので女性に行って言いました 彼女が来たと言うべきでしょう 聖霊は現に女性性だからです より女性に近く この力が蛇として来て言いました 知識の果実を味わいなさいと だから夫を説得することは イヴの 女性の仕事です 女性はどうするかを知っています 時に間違えることもあるかも 知れませんが 間違った 不吉な事を 言うかもしれません マクベスでもそうでした 夫を変にする女性は 沢山見てきました でも夫というのは 導かれることもあれば 解放されることもあります 妻がちゃんとしていればですが 彼は妻に 全幅の信頼を寄せ 信じて 知識の果実を味わいました それは神の女性性の人格 聖霊の導きでした これは キリストの姿や モハメッドやナナカを 多少理解したといっても 分からないことです 理解できません ちょっと分かっただけです 人に話しても こう言われてしまいます ハア それは何ですか と 耳を貸そうとはしません なので当時の意識や 世の反応に対して 彼らはダルマと上昇について 話しました でもインドではクンダリーニについて 古くから語られ それはアディシャクティの 私達の内なる反映であるとされます いいですか 彼女が自ら言ったのです 私は全ての人の中に宿ると ならばアディ シャクティは 愛それも純粋な愛であると 慈悲であると知りなさい 他には何もありません 彼女のハートの純粋な愛のみです その純粋な愛は とてもとても力強く この母なる大地に愛を与えました その母なる大地は 我々の行いの罪深さに関わらず 美しい物を通して 万人に愛を注いでいます これらの美が あらゆる方法で 銀河や星々を通して 表れています 科学的観点からは 科学には愛はありません 愛を問題にはしません 人はヨガでさえ 愛や慈悲を問題にしません 愛と慈悲がなければ その人に聖なる光はありません 全てが聖なる愛に 完全に浸っています 地上の被造物は全て 宇宙の創造の全ては そしていくつもの宇宙が 聖なる母の愛によるものです なのでアディ シャクティの愛は 極めて精妙で 時にあなたの理解を超えています 私はあなたが私を 愛していると知っています それは巨大な愛ですが そのヴァイブレーションは さざ波のようで 岸については引いていきます そして多くのキラキラした泡が その浜を覆っています 同じように私のハートには あなたの愛が光を放ち その響きがこだましています この聖なる愛において それがどんな感じかを 説明しがたい経験です まず目に涙が溢れてきます なぜなら それは慈悲で サンドラ カルナで アダル つまり乾いていません 父なる慈悲は ドライかもしれません “これをしなければ撃つ こうすると・・・” 父親はそんな言い方をしますが 母親は そんな傷つけるような 言い方はしません たまに貴方を正すために 言うこともありますが 父親のそれとは違う言い方です 彼女はサンドラカルナを 持っているからです アダルとは 乾いていない の意です このようなハートを 彼女は持っていて この聖なる愛を抱え 体中が 全てが聖なる愛で できています どの部分も聖なる愛を放ちます ヴァイブレーションとは 聖なる愛です 以前言ったように この化身が来る 必要がありました 時が熟しました その時がきたと皆分かりました でもそれは固定された時ではなく サハジャである時です 固定された時間は 例えば電車の出発時刻や 到着時刻です 例えば 機会があるペースで 生産をし続ければ このくらいの期間で これくらいの生産量が見込めるだろうと しかし生き物は自発的で サハジャであるので いつとは言えません 自由のプロセスも同様です あなたは最大の 自由を持っています だからいつとは言えません いつ人々が この聖なる愛の 精妙な知識を受け入れるか ドライな知識もあります インドではひどい人がいて 本を読んだりマントラを言ったり そればかりに忙しく そうやってどんどんドライになります 骨格しか残っていないような 人たちです そしてとても短気で 誰かを見ると その人は灰と化します こんなことのために 地上に生まれたのでしょうか 苦行だとかを重ねて 人を灰にするためでしょうか でもそれで彼らは 自分たちが偉いと思いました 人を見ることで 灰にしたり消したり バスミサットと呼ばれます 彼らのハートには 善の概念がありません ですから まず聖なる愛によって 成就するのは あなたの善です 善ということば自体が 大分濫用されています 善とはあなたのスピリットに良い という意味です スピリットとは 全能の神の繁栄です だからあなたの中でスピリットの 美しさが反映されだすと あなたは与える側になります もはや何かをとる側の人でなく とても満たされて与える側になります この降臨はそうと決められた その時に起こりました 先にいったように あなたには自由があります 人々は荒んで あらゆることをしています 分かりますか それ以前は 力を求める人の問題がありました インドに行ったり 中国に行って侵略したり 反対にアフリカを侵略したり そこらじゅうです いわゆるアメリカ人も アメリカを占拠しました この時期は人が自由を 力の行使に使っていた時代です アディ シャクティが生まれる 時期ではありませんでした 力を希求する人たちがいました 今日でもそういう人がいますが 当時は力と領土 そればかりでした まったく重要でないのにです その時期ではあり得ませんでした 当時は自由のため戦う 必要がありました 帝国主義者の支配から 逃れるために 力で圧倒する人たちにです 状況は徐々に変化しました 大変スムーズに変わりました 驚くことに 私自身変化を目の当たりにしました 上手くいきました 私自身もご存じのとおり インド独立運動に参画しました 大切なことです インドからそれは起こったのです まず帝国主義からの自由 その自由の概念が次第に 各国に広がり 民衆は考えだしました 理解しだしました 植民地は不要だと 自分の場所へ戻るべきだと これらの変化は 私の生前に起きたのです まず自由を求めた人は 亡くなりました 多くの人が殺されました バガットシンのような人がいました どの国でも 革命家は投獄され ひどい扱いを受け殺されました インドだけではありませんでした そこを通過する必要がありました 自由が試されたのです 彼らは無駄死にだと考えました これは自由ではないと 結局あれは何だったのかと後悔し そして ある種の恐れを抱き 他者を恐れ いわゆる レフト ヴィシュディの問題が 始まりました 強く負い目を感じて 自分が間違ったことをした するべきではなかったと この時点でも 様々なほかの問題があり カースト制度や 奴隷制 身分の格差で 低く扱われる人がいたり より優れた人とされたり 民族的にも優劣があり あらゆる馬鹿げたことがありました 自由を通して これらを作り出したと 自由のせいだと それは事実ではありません でもそういったものが作られた 例えば これはカーペットじゃない と そう言い続けたとします するとみな洗脳されて これはカーペットじゃなくて違うものだ と皆が言い出すのです それはまる催眠術のようです 人々がこの人種差別を受け入れて 格差や隷属を カースト制や女性蔑視を 受け入れました これらは全て 彼らが選択したものです 何が良くて何が悪いか 彼らにとっては 良いことだったと分かります 好ましいことだったのです このような状況では 慈悲は無駄になるでしょう 聖なる愛も無駄でしょう それを知的に理解する 準備がなかったから 彼らには話せないでしょう これは完全な盲目で 無知だからこんなことをする といっても これは正しくない これはあなたを貴くせず あなたは卑しいことをしている といっても駄目でしょう もちろん何人もの聖者が やって来て 高貴さや許し 融和や合一が唱えられました 偉大な予言者が生まれ そういったことを語るに至りました 民衆はさほど 準備ができていませんでしたが 次第にそれらの教えが 人々の間で働き始めたようでした でも最も大きな問題は いわゆる宗教問題です 宗教は皆脱線し 彼らはある種の水たまりをつくり ムスリムはここ クリスチャンはここ ヒンドゥーはここと それぞれが溜まっていました そこで命を与える者が必要でした 水たまりを満たして 一つにするためです ある種の人種が 他より優っているなど 完全な無知で愚かさそのものです ただ言えるのは それぞれが 違う状態だということです 違う意識があって より高い意識の者もいますが 一概に誰かを責めることはできません 彼はだめだとか この社会はだめだとか 一概には言えません 個人的には言えますが 一概には言えません でもこの無知の闇はとても深い 集合的になるからです それは集団での無知 集合的無知です 彼らは皆が手を取り合って この宗教が一番だとか 我々こそが 選ばれた民だとかいいます 他の人は いやいや違うと この人たちは完全にだめな民族で 私たちが最高だと 宗教の名の下で 全能の神の名の下で これらナンセンスを始めたのです なのでアディ シャクティが 完全な力を 発揮しなければなりません まず彼女が分かったのは 家族とは何かを知る必要です こどもは家族の中で育ちます 子どもがきちんと両親によって 注意されないと 甘やかされて育てば もしくは過干渉にされたり 放っておかれたりすれば こどもは愛を知りません 子供が愛が何かをわからないのは 愛とは甘やかして おもちゃをたくさん与えたり 取り上げたりすることではありません いつも子供に 注意をおくということです 甘やかす注意ではありません 子供の善に対する注意です いつもそこに善があるように こうして家庭生活が まず維持されるべきと思いました とても大切です なぜならこの時代は 宗教をかたって 尼僧や聖職者や 出家僧や ありとあらゆる賢人がいます 彼らはみなとてもドライです 皆民衆をミスリードしています 民衆は色々な修行をはじめ 出家して 妻や子供から逃げ出します なのでまず私が分かったことは 人間は愛を知らなければ 愛せないということです この愛はコレクティヴなら より効果的です インドで見たはずです インドの家族は 本当に愛し合っています 会ったことのない親戚でさえも どんな関係かもわからずに お兄さんとかお姉さんと呼びます 関係も知らないし 誰が父親とか姉妹であるとか 知らずにです 単にお兄さんのように 感じるからです 自分の兄のことを聞かれても わからないでしょう 理由は拡大家族制にあり それはコレクティブのような制度です 誰が本当の兄かもわからない 誰が義兄で 誰がいとこかも分からない 皆が一緒に親戚として 一緒に暮らしたのです それもまた廃れてしまい 拡大家族も廃れました 経済的理由とか何とか 理由は何であれ なのでこの大切な時期に 人々は愛を知る必要があるのに 家族制度が あらゆる国で崩壊しています 西洋諸国では特に 男女ともに家族制度の 重要性を理解していません 家族制度を信じていません 可哀想な子供達にとっては 不安な事態です 不誠実な土台では ちゃんと育ちません それによって暴力的な ひどく取りつかれた 世代が来ました 彼らは戦争の商売に行きました 無意識に戦いを欲するのです 木と戦う子供を見ました “なんで戦っているの?” “戦うのは良いんだよ” と言います でもなぜそうするかは 気づいていません 理由は愛の欠如です 見るものすべてが嫌で これもあれも嫌いだといって 憤りでもって何かをし 見るものすべてを破壊します 新しい傾向が始まりました 戦争が終わると 当然価値観が堕落し 民衆は何だったのかと 私たちの価値によって 何を得たのか 戦争ばかりで 社会が荒廃し 子供達も殺され 何が戦争だというのかと 概ね民衆のこころは まあとにかく戦わなねば となります 痩せている人が最高で 支配する人が 上昇志向が最高だと こうして帝国主義的な支配は 終わったにもかかわらず 個人の支配に姿を変え 支配へのエゴが育ちました 子供の教育においてさえ 子供をとても傲慢にしむけます 人為的で 極めて傲慢かつ不自然です なぜ子供がコントロールされず これは悪いと 教えられていないのか 信じがたいです なぜなら親が とても防衛的な態度で 子どもに向き合おうとせず 悪いことを教えないからです 子供に見捨てられるとか そんな考えにとらわれて 何でもしていいから一緒にいよう と言います そんな状況下で 人間は良い家庭生活から次第に 離婚などおかしな 男女を共有する信条などへ 堕落してきています アディ シャクティの出現には 何とひどい状況でしょう それに他に大きな問題として 宗教があれこれと主張して 考えや制約を人々に課していて 民衆を盲目にしていることです なので混乱があり こうした混乱の時だからこそ アディ シャクティがダルマを 確立しにくる必要がありました 彼女がダルマを確立させる 必要がありました とても不誠実で 胡散臭い時代でした 生まれてきて人々を見て驚きました 当時はシーカーも あまり居ませんでした 一人か二人の リアライズドソールに会いましたが ほとんどは自分の保険とか お金とかの心配をしている人でした 話しかけようにも どんなところに来てしまったのかと 何を話せば良いかわかりません 聖なる愛の話を どうやってするというのでしょう 探求すらしていない人たちに それが次第に 自信を持ち始めました 最初はちょっと早く来すぎたかと もう少し待ったほうがよかったかと そう思いました 人々はお互いに憎しみ合い それぞれが敵対しあい 騙しあっていたし それにお互い 嫉妬しあっていました 出世競争とか 足の引っ張り合いもありました なのでサハジャ ヨガの時代では まだないかと思いました すると偽のグルに会って 人々に魔術をかけ 支配しているのを見ました それで本当に考えました もう世間の雰囲気を 気にするのはやめようと どんな人であれ気にせず 始めようと こうして最初の ブラマランドラチェダンが インドで起こりました 5月5日のことです 1970年5月5日の朝です 他にももちろん急いで始める 理由がありました 私の準備は整っていて 人間の問題を知っていました でも人はセルフ リアリゼーション を得られるとは 信じないだろうと思いました この化身はとても特別です 多くの化身が来ましたが 彼らはやってきて言葉で教えました これが良いあれが良いと 彼らに魅せられて 追従したものもいました でもハートは空っぽでした 聞いたことはよくても それは説教であり 講義であり ギータであるだけです そのような人の生も 聖なる愛の輝きが 内にありませんでした 何人もの良い人が この短い間に存在しました マハトマガンディーや マーティンルーサーキングや 色々な人が方々にいて アブラハムリンカーンも ジョージワシントンも ウィリアムブレイクもシェイクスピアも この間文学のみならず 老師もソクラテスもいました ソクラテス以来 何人もの哲学者がいて より高い生を語りましたが それにも関わらず 人々は彼らを変な人扱いし 理解不能として黙殺しました 誰も例えば グルギータを読もうとしません 読みません 意味のないことだとして 役に立たないたわごとだと こんな態度がそこら中にあり 私はそれを見て ああ どうやって話すというのでしょう 自分について 彼らについて 見つけねばならないものについて 私はこころから 人々に熱心さを望みました 少しでも私に チャンスが与えられたら この聖なる愛はとても精妙で 彼らのハートに届くでしょう でも彼らは石のようでした どんな話をするのも無理でした それに最悪だったのは 自分のことばかり考えていることでした この状況で サハジャ ヨガが始まりました そこでアディ シャクティの力が 問題よりも ずっと強いことが分かりました 自分ではっきり分かりました この力がクンダリーニを 引き起こすからです 自分がクンダリーニを引き上げ られるのは知っていました それを大勢に一度に 与えられるのも知っていました でもあげた人がまた戻ってくるかは 分かっていませんでした 人々は無知だからです 帰ってくるとは思っていませんでした このレベルまで サハジャ ヨガを実践するとは これっぽっちも思っていませんでした 誰かに言われても 笑って否定したでしょう 最初の講義の時は どこもホールが一杯で もちろんホールのせいでは ありませんが 私は別の場所に滞在していて ホールがなかなか 借りられませんでした そしてその後も ほとんど人が来ずです だからもう何を言っても駄目だと 耳から頭を通り抜けるだけで なにも理解しようとしないと 何もわかっていない 私は家族から反対され あれこれと 問題と圧力を感じていました でもそれは重要でなく 一番重要なのは どうやって人の心に届くかです 唯一の解決法は彼ら自身の クンダリーニを上げることでした それにより内なる光が灯ります 私はずっと座っていて そこへ誰かが クンダリーニをあげてもらいに来て 私がクンダリーニを上げてあげて というのは間違った考えで 私にはそれが分かりました そこで集合的 リアリゼーションが始まりました 人々はとても驚きました それはマジックではなく 物語でもなく真理でした 彼らは自分の手先で 実際に感じました 頭頂部でも感じました それがサハジャ ヨガの実現です 驚くほど上手くいきました でなければ無理だったでしょう 今日目にするこのすべての驚異は あなたが反応してくれがおかげです あなたが反応し受け入れたからです でなければ アディ シャクティも役立たずです あなたが受け入れなければ 私は無です 実際それはあなたの英知が 感覚や探求が サハジャ ヨガに導いたのです 手紙を書いたこともなければ 電話もしません 他のグルは皆そうします 新しい場所につくと かの地の要人をリストアップして 手紙を一斉に送ります 少なくとも2、3人が 出席するようにです しかしそんなことをせずとも この集合的目覚めを いかに達成できたか 人々はサハジャ ヨガを それによって理解でき 彼らに浸透していきました まずそのために私は 自分のクンダリーニをあげます パブリック プログラムの度に 自分で上げます その上あなたの問題をすべて 私のクンダリーニで受け止めます それは痛みます だからプージャの後は しばらく石のような状態になります あなたの内にあるものを 吸収するからです あなたを私の体に入れるようにです あなたは私の身体の一部なのです 私の体の細胞の一つ一つが あなたの為です あなたにはそれほど 精妙さが必要です 自分が何を抱えているか理解したり サハジャ ヨガや他の事に できることがないか アシュラムを始めたいとか 何かあるなら たちまち私は分かります あなたが私の中にいるからです ほとんどのことをハッキリわかります 分からないこともあります 理由は一つ あなたと私の関係です もちろんそれは親密なもので 私の体の中にあなたがいます でもあなたが瞑想していなければ ありふれたことを言わなければなりません ディヤーナガンミャです あなたが瞑想していなければ 私はあなたと無関係です あなたは私の親族ではありません 私に対して何の権利もありません 何かを質問することもできません どうしてこんなことが起こるのですかと なのでいつも言います 瞑想 瞑想と 私とあなたはは 何の関係もありません もはやそこにはいません 私とはつながりがありません 他の人と同じようです サハジャ ヨギかもしれません サハジャ ヨガの単位を リーダーがくれたかもしれません 偉大な人と 思われているかもしれません でも瞑想していなければ 毎日朝か晩にしないなら シュリ マタジの領域にはもういません つながりは ただ瞑想を通してだからです ギャナです 瞑想をしない人がいました すると苦しんで 子どもも苦しむ何かが起きます そして私に来て言います でもその人が瞑想していないのは はっきりわかります 私は何の関係もありません 私に何か聞く権利は 彼にはありません はじめは瞑想になるまで 時間がかかります ですがどんなものかわかったら どうやって私と一緒にいて 一つになるか どうやって関係を築くか あいだには何もいりません 手紙やなんかも必要なく 特別なつながりも何もいりません 瞑想だけが必要なものです 瞑想のなかで成長します そこでスピリチュアルに上昇します それが起こると あなたはある意味 成熟した意識状態へと サハジャ ヨガで成熟します すると瞑想を辞めたくなくなります なぜなら瞑想中に 私と一体だからです 3時間も4時間も 瞑想する必要はありません どれだけ本気で私といるかが重要です どれだけ長いかではなくです ならば私はあなたに責任があります あなたの子供や皆に対してです あなたの上昇や ネガティヴィティから守ること それらに私が責任をもちます 父親が直接罰するような そういうやり方ではありません そうでなく “そうですか もうあなたは私と 無関係です”と それが唯一起こりうることです 瞑想してない 良いでしょう 無理強いはできません 私もあなたと無関係です 他のところで外で誰かと 関係をもてるでしょう でもあなたの善を得られる 内なる関係は 瞑想なしにはいられません 何度も行ってきました 瞑想してくださいと 毎日瞑想するようにと でも人は理解しないようです どれほど大切なことか “マザー 私たちは瞑想しません” “なぜ?” “もう私たちはリアライズドソール だから必要ないです” 道具がそろっているのに 主電源につながっていなかったら 何の役にも立ちません 瞑想の中で愛を感じるでしょう 聖なる愛の美しさを感じるでしょう 風景が一変します 瞑想的な人は態度がとても違います とても違う気質を持ち いつも満たされて 特別な人生を送っています 今日は上昇の初日であると そうも言えるでしょう この崇拝によって 実際は今日でなくとも そう言うことはできます それが起こりあなたを助け あなたへの大きな恵みとなった であれば それを維持しなければならない さらにいかに高めるか いかに楽しむかを知るべきです ちょっとした出来事 最後の物語や あれこれで満足せず 完全な一体を得るべきです 神との完全な合一です それは瞑想によってのみ可能です 簡単なことです マザー 時間がとれませんとか いつも考えてばかりですとか 時計を見たくなるとか言います 最初はちょっと問題もあるでしょう あるとは限りませんが ないかもしれません あるとしても最初だけです 徐々に大丈夫になるでしょう 徐々にマスターするでしょう 少しずつですが 極めて上達するでしょう すると他には何も必要なくなります ほかの安っぽいものには 見向きもしなくなります いいですか その美に至るのに その栄光に 偉大な人格に至るのに すでに現れてきていますが 信心深く必要なのは 瞑想だけです 今日は遅く帰ったから 瞑想できなかったとか 明日は仕事ではないから 瞑想できないではなく 誰も言い訳を聞きたくありません 自分のことなのです あなた自身のためです 全てがあなたのためです 誰かに自分が 進化の高みに到達したとか 知らせる必要はありません その高みから更に上昇する 無理ではありませんし 可能でしょう でもまずはあなたが何であれ ハイクラスなサハジャ ヨギであれ 瞑想には謙虚でありなさい この瞑想的な資質は こうして話していても 私はそこに入っていきます とても喜びに満ちているから 喜びの大海に飛び込みなさい 最初は難しいでしょう しばらくするとこのつながりが シュリ マタジとのつながり それだけが欲しいものだと分かります もう一つ人が迷うのは よく見かけることですが そこで失敗する人もいます 個人で瞑想するのは とても正しいことで 個人的に瞑想しますが 座って瞑想し プージャも行う でもコレクティブで瞑想しない これがもう一つの覚えておく点です コレクティヴで 瞑想しなければなりません 私が皆をすべて合わせた 存在だからです コレクティヴで瞑想すると あなたは私のすぐ側にいます だからプログラムでも何でも コレクティブで瞑想しなさい プログラムでは常に 瞑想を優先しなさい 歌を歌ってすべて終えたら瞑想です 何か力説するとすれば これが真理であり すべての土台であると 理解することです 平凡なことにみえますが とても重要です 今アディ シャクティを 崇拝するにあたって どうするべきでしょう かつてないことです アディ シャクティへの祈りなどは ありませんでした バガヴァティまでは行きましたが それ以上に至ったことがありません なのでどんなプージャになるでしょう でもやってみましょう 瞑想が最上の方法でしょう 実際に何かを成就できます なので5分瞑想に入りましょう 目を閉じてください 11のルドラが覚醒しました 彼らがすべての ネガティヴィティを破壊するでしょう […]