Mahashivaratri Puja, How To Get Detached and Ascend

(Australia)

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Shivaratri puja. Castle Mountain, Sydney (Australia), 26 February 1995.

今日 私たちは サダ シヴァに プージャをするために 集まりました 私たちの中に 反映されるのは シヴァです 純粋なスピリットです 私たちの中にある 純粋なスピリットは 全能なる神 サダ シヴァの反映です 水面に映る 太陽のようで はっきりと反映します あるいは 石に映せば 全く反映しません 鏡なら 太陽が鏡に 映し出されるだけでなく その光を反射します 同じように 人間において 全能なる神の反映は あなたの人格がどうであるか によって映し出されます 清らかで明瞭で 純真な人格なら その反映は 鏡のようでしょう ですから聖人は 自分自身を 間違ったものに 同一化していないので 全能なる神を 適切に反映します そのような同一化がなく その者が完全に 純粋なスピリットであれば 他へも神の反映が 投影されます 幸運にも あなた方は セルフ リアリゼーションを 得ました つまり 全能なる神の反映が あなたのアテンションに すでに作用しています アテンションが スピリットの力によって 啓蒙されています スピリットの力とは 反映することです 反映する者は 鏡や水面と 決して同一視しません 太陽が輝いている限り 反映し 太陽がなくなれば 反映しません あなた自身 サハジャ ヨガで 浄化されました クンダリーニも あなたを浄化し 今は純粋な人格です それにより この反映は より明瞭になり 人はそれを見ます あなたの顔に 体に 仕事や 振る舞いに あらゆるところに見ます 自分が 全能なる神を 反映することができると 信じるのは難しいです 自分に対して コンプレックスのような ものがあるようです 全能なる 神を反映する者に どうして突然なれるのか 理解できません しかし 人は 神を反映する者に なれます そのために 自分自身を信じ 自分の上昇を信じ そうなっていけると 信じないといけません サハジャ ヨガにおける 自信はとても大切です 充分な 自信がなければ 上昇はできません 私の講義でも 充分な 自信を持つべきだと 話しています しかし自信は エゴや攻撃性では 全くありません 自信があるなら あなたに全く 攻撃性はありません 大変興味深い 中国の話があります ある王様が 闘鶏で 自分の雄鶏を 勝たせようとしました “聖人のもとに 連れていけば” “必ず勝てるように 強くしてくれる”と聞いて 二羽を 連れていきました 聖人に渡して “闘鶏に勝てるよう 強くしてほしい” と言いました 一ヶ月後 王は引き取り 二羽を闘鶏場に連れて行きました 大勢の鶏がいる 闘技場です 闘鶏が 始まると その二羽は 攻撃されました しかしその二羽は 忍耐強くその場に立ち 静かに落ち着いていました いかなる攻撃も 遊びのように 見るだけでした 他の雄鶏は疲れて 闘技場から逃げ出しました そのようにして 二羽は優勝しました 執着がない者は 決して攻撃されないと 理解しなければいけません 人は様々なことと 同一視するため攻撃されます まず家族です そして自分の国に 自分の宗教に 人種主義にです 同一視は 本当に自分を弱くします 自分を常に攻撃し サハジャ ヨギの精神に 混乱を引き起こすからです サハジャ ヨガに そして自分自身に 自信を 持たなければいけません そうすることで 正しい道にいれますし 救われます 誰にも攻撃されません 神聖によって 完全に保護されるからです 人はいかなる宗教 いかなるグル いかなることに従っても 攻撃されるのではないかと 常に恐れます そして発言することを 恐れます 何を言うべきかの 分別もありません あなたが 純粋なスピリットであるという 適切な理解で それを信じるなら 自分がしていることに 大変自信を持てることに 驚くでしょう もう一つの 大きな利点は 私たちがコレクティブである ということです コレクティブにいると 自分がどう振る舞っているか 分かります どのような反応があるか コレクティブで 大変精妙な者は 多く話す必要はありません お話しした雄鶏のように 立つことができます その者の深さは 感じられます 度量を感じられます 攻撃性はなく 深みがあります その者は自身の中に 保護を感じます この保護を 感じないといけません 精神的にではなく 自身の中にです 一度その重みや 感じを持てば 誰も攻撃できません 攻撃する者こそ 不安を感じています あるいは 育ちが悪いのか まだサハジャ ヨギでは ないのでしょう ですからその者に 情け深い見方をする 必要があります シヴァのようにです サダ シヴァの人格は 誰をも許す人格として 知られています 彼は頭で立つ 片足で立つ 断食するなどの 苦行者に対して 愛想をつかし “何が望みですか 叶えましょう” と言います 彼は御存じのように 多くのラクシャサにさえ 恩恵を与えました 彼らの苦行に 愛想をつかし 多くのラクシャサが 彼に祝福されました サダ シヴァが人々に 祝福を与えるという 話が多くあります ラヴァナにさえです 大変 興味深い 話があります ラヴァナは たくさん苦行をしました 頭が十もあり 断食も大変だったでしょう 口が一つでも 空腹になります 十あれば大変です そのような苦行に 何をしたか分かりませんが シヴァは うんざりしました 彼の慈悲は あまりに大きく 望みを叶えようと 考えました ラヴァナが シヴァのもとへ行くと “何が望みか なぜ苦行するのか” と聞かれ “祝福をいただきたい” と答えました “どんな祝福か” “何でも叶えると 約束してくださいました” “できる範囲で叶えましょう” これは大変 興味深い話です ラヴァナは “貴方の妻が欲しい” 彼の妻が アディ シャクティと知っていて アディ シャクティを 配偶者に持てば 効果が得られると 思ったからです 彼は“配偶者に 貴方の妻を頂きたい” とせがみました 悪魔に妻を渡す決断は 難しいことでしたが 慈悲でもって 承諾しました この出来事は 彼の慈悲がいかに作用するかを 物語るものです 結局 彼の妻パルバティは この恐ろしい者に 連れられることになりました しかし パルバティの兄弟は シュリ ヴィシュヌ つまり シュリ クリシュナです 彼は考えます “悪魔に 姉を渡せない” “手を打たなければ” シュリ クリシュナこそ 最もいたずら好きです 彼はラヴァナに お手洗いに 行かせたくさせます 恥ずかしさから 彼女を地面において お手洗いに行きました 実はシヴァに “彼女の母は 母なる大地なので” “決して大地に 降ろしてはならない” “常に背負わないといけない” と注意されていました ですから ある地点に達したとき シュリ クリシュナは お手洗いに行かせたくさせました そして彼女を降ろすや否や 大地が吸いこみました 彼はどうしてよいか 分かりませんでした 二回目も試しました シヴァのもとに行き “あなたが約束したことです” と言いました シヴァは “注意したはずです” “彼女の兄弟はいたずら好き なので気をつけなさい” “次は耳を 貸さないようにしなさい” ”何があろうと 地面に降ろさないことです” 今回も 背中におぶって やってみました すると 突然 少年が現れました それは嘲け笑う シュリ クリシュナ自身でした “なぜ私を笑うのか” 少年は“なぜ老婆を背負っているのか 宝飾品もつけていない” ラヴァナは“彼女は女神だ” “それは違う 宝飾品がないのに 女神なものか” インドでは 言い伝えがあります 宝飾品をつけない女性は ランカ パルヴァティのようだ と言います 彼女をランカに 連れて行こうとしたのが由縁です 彼が見上げると 歯のない老婆が 彼を嘲け笑っていました あまりに驚き 彼女を投げ捨てました マハマヤです そして三回目では シヴァに “妻に誰の言うことも 聞かないよう言ってください” “今度こそ妻を 渡してください”と言いました シヴァは“ランカで生まれ変わる ので結婚できる” “その時の名はマンドダリだ” そのように すばらしい話は続きます マンドダリは ラーマが彼を殺そうとした頃 ヴィシュヌの崇拝者でした 全てマンドダリによって 計画されていました “シュリ ラーマが ラヴァナを殺せば” “女性に対する 悪いもくろみから解放される” と彼女が 知っていたからです 彼はシータを 追いまわします “彼が生まれ変わり” “美しい女性を追いまわすことを 止めるように何か起こるべきだ”と 彼女は望んでいました シータを連れ去ったのも 反対でしたが 聞く耳を持ちませんでした ですから 戦争が起こり その戦いで シュリ ラーマに殺されました これらの出来事は シュリ シヴァに 無限の慈悲があったため 起こりました 彼の慈悲は 時折 理にかなって いないように見えますが 理にかなっています 彼が引き起こすことは 問題の解決を もたらすからです 例えば ある戦いでは その時 問題がありました シュリ シヴァによって 誰にも殺せない 恩恵を授かった ひどい悪魔がいたからです シヴァはまた ある聖人にヴァラダンという 恩恵を授けていました “今より眠りに就く 誰にも邪魔されたくない”と言うので その恩恵を授かりました 眠りを邪魔すれば 一瞥で 灰にすることができます 戦いが起こった時 シュリ クリシュナは 二人のことを思い出し 聖人が得た恩恵で この悪魔を殺すのが最良だと思いました そこで彼は遊びました 戦場から 逃げ始めます そのため 戦場から逃げ出す戦士 ランチョルダスと呼ばれています 戦場から逃げ出す者です 彼は逃げるとき ショールを羽織っていました こっそり洞窟に入ると そこには聖人が眠っていました そこで彼のショールを 聖人にかけました ショールを その者にかけたので 追ってきた悪魔が その場に行き そのショールを見ると “ああ 疲れてここに 横になっているのだな”と言いました そこに横になっているのが 誰かも知らずショールを取りました 眠っている聖人が起きて 悪魔に目をやり 三番目の目で 燃やしてしまいました そこで解決です すべての出来事はこのように 三つの力が働きます 最終的に 真実が見えます まず シヴァの慈悲深さ 善があり シュリ クリシュナ あるいはシュリ ヴィシュヌの戯れで 中和します 三つ目は ブランマです 彼は創造します これらの 三つの力が働きます 人間の意識に 何かが起こるべきであると 私たちに感じさせる 雰囲気をつくるためです 真実を追求する 望みを 私たちの中に 進化させます シヴァは 非常に慈悲深く 悪魔にさえ 優しい一方 もう一方では 非常に 残酷でもあります 彼は全宇宙を 破壊することもできます もし人々が大変堕落し スピリチュアルに 成長しようとしなければ 純真が 完全に失われれば この世界で 問題を引き起こしている 誤った同一化に 執着し続けるなら 彼は 全宇宙を破壊します 彼はアディ シャクティの 仕事の目撃者です 彼女に 人間の創造や リアリゼーションの仕事を させます しかし 彼女の子ども達が 彼女によって 救われた人々が 悪行や侮辱をするなら 彼女の仕事を 台無しにするなら 彼は怒り 全宇宙を破壊できます しかし今となっては 彼にその機会はないでしょう 世界中に サハジャ ヨギがいるからです サハジャ ヨギの中でも ある者は 大変早く成長します 着実に強く シヴァ タトゥワの原理を 達成しています まず最初の達成は 内側から 執着しないことです メンタルに 執着しないのではありません サニアーサのようになるとか ヒマラヤの修業とか 家族を断念することではありません 執着をしないとは 自身の中のことです 執着しなくなると まず歓びに満ちます 幸せになります “なぜ不幸なのですか” と人に尋ねれば 妻のことや 恐らく家のこと 子どものこと 国 社会のこと 何であれ言うでしょう 自分の周りの 出来事に 完全に腹を立て 不幸だと思うでしょう リアライズソールなら 不幸だと思うことは 何の助けにもなりません これらの社会や家族 国全体の欠点は あなたが人を変えることで 正すことができると 知る必要があります 悪く思うことによって ではありません それをするのに 大事なことは 完全に 執着しないことです サハジャ ヨガを 私が始めた頃 自分の国の人について私に 的確に話してくれて驚きました 宗教についても 聞いて驚きました 私は知りませんでした 執着心がないため はっきりどこが悪いのか見れます 社会や人々 家族 国 全世界の 悪いところが どこか分かります それらと同一視しないことで のみ可能になります そうでないと欠点や 人の何が悪いのか見れません どのチャクラが キャッチしているか見れません 最初に 起こるべきことは 執着しないことです ではいかにして 達成できるでしょう 多くの者が“どうしたら 良いでしょう”と言います 私には執着がないので 分かりません しかしあなた方は 自身を理解するための 内省が必要です 自分が何に執着しているか 見るようにしなさい なぜみじめなのか 誰を心配し なぜ心配するのか 以前は決して 大切に思わなかったものが あるヨギには 大切になりました 例えば 西洋では 我が子をあまり気にかけない と聞きました しかし リアリゼーションを 得るやいなや 我が子に執着します まるでのりのようです 子どもにとって 何がよいかも分かりません 子どもに関するすべてが 主要な義務だと思います 先日 親が バースデー プージャの後に 来たいと聞いて驚きました ショックでした バースデー プージャが 次いでなのです “なぜ終わってから 来たいのでしょう” とヨギに尋ねると “子どもがいると幸せ だからです” “親のためにもなります” でも全てのアテンションが 子どもにいきます 子どもを連れてきて 世話をしなければいけません ですから 子どもへの執着が 確実に そのようにさせます よくないことです あなたにとってよくありません サハジャを始めた後で 新しい執着が始まります 良くあります 家族に対する執着が 出てきます 西洋ではたいてい 家族に執着しません お酒を飲んだり 様々なことをします リアリゼーションを受けると 急に家族に注意が向きます 家族に執着し 家族や その全てに執着します 理解できません あなたが純粋なスピリットなら 執着はありません あなたは ただの反映です 全能なる神の反映です これらの同一視は なくなります どのようになくなるかと 尋ねるでしょう 私にはなくす必要がありませんが 提案できます まず瞑想です 自分自身を知るべきです どこがおかしく どちら側がキャッチしているか 右側か左側か 瞑想を通して分かります お金や仕事に 執着していますか それとも家族ですか サハジャに反するような 自分の国や 文化に執着していませんか それなら瞑想を通して これらの執着を なくすようにしなさい 左右の問題の治し方を あなたは知っています この執着は 指先に現れます どの中心部がキャッチしているか 自分自身で見なければいけません サハジャの簡単な治し方で 浄化できます 何かに執着すると 自分では気づかないことが問題です “ある者を愛しているので” “大変すばらしいことをしている” と考えます “これはシヴァの特質で 慈悲の気持ちである” と人に執着し始めます 全く慈悲ではありません そのように執着するのは いかなる慈悲でもありません シヴァの慈悲を 持つことはできません “心の中で作用しているのは シヴァの慈悲だ”と考えますが違います その慈悲は 大変純粋なものです 何度もお話ししたように 木の樹液に例えられます 上昇し 木の様々な 部分に行き渡り 蒸発するか 母なる大地に行きます 執着しません 一つの花にあるいは葉や 果実に執着すれば 木全体が苦しみます そして花は枯れます ですから特定の者への ある特定の考えへの執着は 正しくありません サハジャ ヨガにおいて 人は大変順応でき 何をすべきか 理解するようになります それには 瞑想が大切です ハートに シヴァ タトゥワに シヴァの原理に 瞑想することで 確実に執着から 離れます すると歓びが 最高頂になるでしょう 人は 食べ物や服や 家に興味を持ちます あなたは興味を持てます 興味を持つべきです しかし その興味を執着しない 啓蒙があるべきです 例えば インド南部の者は 北部の料理を好みません 北部の者は 南部の料理を好みません 大きな問題です インド航空の者に“標準の 料理を出さないのですか” 彼は“何が標準料理ですか” 良い質問です インド人は嗜好や 食べ物にこだわります インドでは標準の料理が ないのも事実です 同じように西洋でも 必要でないことに 多くこだわってます 流行だからといって こだわります 人格が未熟だからです 成熟した人格なら 全てを 高い視点から見て 他者と 一緒になろうとしません あなたが知るものは より高く 偉大で 歓びを与えるものです 喜びを与えると考える 執着ですが 子どもが 妻が喜びを 与えると考えるのは 間違っています 歓びはあなたのスピリットの 源から来ます 夫がすばらしくても 子どもが良くても悪くてもなんであれ 彼らが歓びを 与えることはありません あなたは自分自身を 楽しむだけです それによって 人は 大変許せる者になります 誰もあなたを傷つけることができないなら 誰に腹を立てるというのですか これはサダ シヴァの 偉大な特質で 彼は寛大である ということです あるところまで耐えて アディ シャクティのした 仕事を破壊します さもなければ 彼は 大変寛大で 大変バランスを 保っています 一度 アディ シャクティが 大変堕落した世界に腹を立て 全てを 破壊し始めました そこで彼は彼女の足元に 幼い子どもをおきました 衝撃で巨大な舌を出し 破壊を止めました これがシヴァのやり方です 自分に シヴァの原理を育む者は 大変 寛容でないといけません 残忍で苦しめる者がいる のは知っています その者たちを耐えられないのなら 縁を切りなさい 私はあなたを支えます でも耐えられるのなら 耐える方が良いでしょう その経験を耐えなさい そこから離れるより 耐える方が難しくないからです 例えば ある女性が私に “夫と離婚します” “なぜですか” “いつも遅く帰ってきて ほとんど会えないからです” 私は“離婚したら 全く会えませんよ” 理屈に合いません せめて今は会えます 会える時もあります 解決策ではありません 離婚すれば 決して会えません では離婚をする 必要は何でしょう このようなことは あなたが 執着のない者になれば 何も執着しないのであれば 理解できます 誰にも執着しないなら 誰があなたを攻撃できるでしょう 誰もできません 抗議すべきだと感じるなら そうすべきです それも執着せずにです 抗議するのも 完全に執着しない ということが大事です 重要なことは 皆 上昇しないと いけないということです 一様の力で 上昇しないといけません 網に捕まった 鳥の話があります 鳥たちは “この網から抜け出そう”と言い 皆 抜け出そうとしましたが 個々では 上手くいきません そこで一斉に 飛び立つことにしました “1、2の3” 網と共に飛び立ちました そしてねずみに 網を切ってもらうよう 頼みました 鳥は自由になりました 鳥とねずみで うまくできました 私たちもできるはずです コレクティブにおいて いかに助け合い 歓びを感じられるかに 驚くでしょう あなたの母 父 姉妹に問題があるとします 構いません あなたにはコレクティブにおける 歓びの大海があります 問題を解決したければ コレクティブに解決できます コテクティビティに 頼らないといけません コレクティブと 一つになることです 一度 サハジャの海に 飛び込めば 歓びがあなた達を 一つにします お互い会うことは 喜ばしいことです 見知らぬ場所で 偶然サハジャ ヨギに会えて 嬉しく感じる経験を 多く耳にします サハジャ ヨギ間の つながりは 最も喜ばしいもので 一つになる源です 一度 お互いを楽しむと・・・ インドの偉大な詩人の話しを 一度しましたが 彼の名はナマデーヴァで 仕立屋でした もう一人は 陶芸家でした (英語を時折忘れます) この陶芸家は 詩人でもあり コラクンバと呼ばれています ナマデーヴァが 彼に会いに行くと (聖人は聖人に会いたい と望むものです) 彼を見てその場で すばらしい対句を 口にします 彼は“形のない チャイタンニャを見に来きたのに” “チャイタンニャが形になっている” と言いました “形のないものを ヴァイブレーションを見に来たのに” “私が見ているものは 形である” 聖人のみが 他の聖人にそう言います 精妙な評価は 二人の聖人の間で可能です 土を捏ねているとこや 仕事場での 汚いドーティは 目に映りません そのように見ません 身体や顔は 目に映りません 彼の中に人格化した 神聖を見ました 他のサハジャ ヨギを 感じる感受性を あなたの中に 育まないといけません するとあなたは 無意味な上辺のことを 気にかけません これはシヴァの 偉大な原理の一つです 彼は気にしません 彼の髪は もつれています 素早い雄牛にまたがり 結婚式に向かいます 想像できますか 彼の友達や 信奉者は 片目であったり 片手しかなかったり 腰が曲がっていたりします 彼にとって 外見は関係ありません スピリチュアリティが 大事なのです 片目でも 身体が曲がっていても 重要ではなく 皆は彼にとって 自分のもので 上辺のことに 気を取られません 人の神性だけです 彼の原理を理解する 多くの方法があります 彼が包括的だからです 誰かに慈悲を感じるなら 作用します 確実に作用します 最近の例があります 不治の病を 患っている者が メキシコにいました 国連に務める メキシコ人の女性が 私に手紙を書きました “息子を亡くすかもしれません 重い病気を患っています” 彼女は私にそう書きました 私は彼女に 大変慈悲を感じました その手紙に 涙が流れました その涙が その少年を治しました 完全に治し 彼女は感謝の手紙を 書いてきました 私は驚きました 私の慈悲はメンタルなもの ではないからです ただ内在し 流れ 作用します 同じように あなたもそうなれます あなたに全ての力を 持つことを望みます まず 慈悲の気持ちです 人に対して ひどい扱いをしてはいけません サハジャ ヨギであろうと なかろうとです 誰も他のヨギを 攻撃することはできません それが サハジャ ヨギでなくてもです ヨギは決して 攻撃すべきではありません ヨギらしくありません ヨギは違います 先日ある者に“あなたは 短気です”と言いました “誰かが私を 怒らせるとそうなります” 私は“皆怒りを 駆り立てれば怒ります” 怒りを駆り立てられても 怒らないのは狂った者だけです ですからあなたを 怒らせる者がいれば怒ります 皆そのように怒ります しかし“駆り立てられないのであれば 怒りません” と言うならそれは 大変違う状態です 今日の現代における 全ての環境で 大変な 苦闘があります それはシヴァの 文化ではありません シヴァの文化とは サハジャの文化と言えます あなたがサハジャ ヨギなら あなたの中に慈悲や 他者への 理解があるべきです サハジャ ヨギだけでなく ヨギでない者も 助けなければいけません するとあなたの慈悲が 効果的になります ご存じの通り今日の文明の 最も大きな問題は 西洋の文化が 堕落しているということです 新聞を読むと ショックを受けます 破滅する前にどれくらいの人が 気づくか分かりません 本当に自虐的です 一方で放縦な 自由放任な社会があり もう一方では対抗しようとする イスラム文化があります 対抗しようとするのも 最もです しかし そのやり方が 問題を引き起こしています あれこれしてはいけない と反対するならもっとやるでしょう 例を挙げると インドの北部に行くと 文化がよりイスラム的です 人は不道徳で 常に女性に目がいきます ヒンズー教であると言っても 悪い習慣があります イスラム的な 抑圧から来ます 女性が 完全に覆われていて 誰も見れなければ 人はもっと興味を持ちます ボンベイから来た 私と旅をしていた者が 通りの女性全員を 見ていて 私は“そのように見ていたら 首が折れますよ” しかし普通のことです それだけに留まらず 好奇心が行き過ぎれば 人は非常に 不道徳になります 西洋と同じようにです ですから あなたの欲求を 抑えるのもよくありません 外側を抑えようとする この文化は 内側で 人を不道徳にします 一度リオからロンドンに 旅をしていました 眠ってしまい 起きた時 短いスカートを履いて 蝶ネクタイをした女性が 着飾って 座っていました スチュワーデスに “どこかで止まりましたか” “直行便です 止まっていません” “この人たちは誰ですか” “同じ人達です” 全く違う姿でした 裾の長い服から おかしな格好に 変わったので驚きました 理解できませんでした このようなことが起こります 抑圧によって作られた 好奇心は 健康的ではありません サハジャでは 抑圧はありません あなたは純真になります 純真になるだけです シヴァの原理です サハジャの文化は 中庸にあり 行き過ぎた不道徳や 抑圧はありません 中庸です シヴァの最も偉大な原理は 純真であることです この純真が あなたの中で輝きます それを見てきました 過去に関わらず あなたは大変純粋です 西洋のように 振る舞おうとする愚かな考えは あなたにはありません サハジャ ヨギになった 多くのイスラム教の人々は サハジャになり すばらしい人生を歩んでいます 告白する手紙を送った イラン人がいました ショックを受けます 私には耐えられないので 読みませんが 今彼らは 最も道徳的です 極端に走るのは 間違っています 中庸にいることです サハジャにおいて 人生に大切なのは 徳であると理解できます それは あなたの純真からきます それはシヴァの息子である シュリ ガネーシャの本質です そして シュリ シヴァの 純真を通して放されます シヴァの次の講義で あなたに純真について話します そのために執着しないことについて 理解しないといけません 自分の中で育まれるものです 強制できません 瞑想を通して無執着を 内に育むことができます それは大変 歓びを与えるものです シヴァの多くの特質を 説明できます 彼については多くの講義で お話ししたと思います あなたのアシュラムで コレクティブな瞑想を持つべきだと 言わなければいけません コレクティブな瞑想を するのは良いことです 人にバイブレーションを 与えることはありません 他者のチャクラを 世話することもありません 自分を気にしなさい どこが問題か見なさい あなたの上昇における困難への 解決策が何であれやってみなさい 全世界の責任が サハジャ ヨギにかかっているからです あらゆる問題から 人類を救うのに サハジャ ヨギが地上に 生まれなければいけませんでした 正しい状態に自分を保つのは あなたの責任です サハジャ ヨガに関してです 左右の問題を なくしなさい そして 大げさな言葉や 攻撃性からではなく 愛と慈悲で サハジャを広めなさい 多くは達成しましたが 私が正す嫌な問題が いくつかあります 何であれ 作用してると言えるでしょう 皆 自分を見て どう変わって 深まるかを感じないといけません 神の祝福がありますように