Sahastrara Puja, At Sahastrara you stand on Truth and go beyond Dharma

(Nirmal Temple)


Send Feedback
Share

Sahastrara Puja, “At Sahastrara you stand on Truth and go beyond Dharma”. Cabella Ligure (Italy), 4 May 1997.

今日はサハスララの崇拝に 集まりました ご存知の通りサハスララは サトルシステムで 重要な部分です 1970年に このチャクラが開かれ 私たちは何を 達成したのでしょう まずクンダリーニが上がり ヴォイドでダルマを確立します ナビ チャクラとその周辺で ダルマが確立され 内なる純粋な宗教が 確立します さらにクンダリーニが上昇すると ダルマの確立にも関わらず おかしな世間と距離を とり始めます キャッチや不道徳を 恐れるのでしょう その段階ではサハジャ ヨガの プログラムにでたり 私生活も全てサハジャにしたくなります これは大切なことで このチャクラが完全に滋養される 必要があるからです ナビの周りをスワディスタンが 回転していますが 脳にエネルギーを与える 大切な役割があり ダルマの確立時に クンダリーニを通して ダルマやサハスララに エネルギーを送り スワディスタンの力も流れ サハスララに上ります それまでは 完全なサハジャ ヨギではなく サハジャヨガかぶれだったりします サハジャ ヨギ以外の人に会うのを 怖がる狂信的な人もいました サハジャ ヨギ以外の人を 恐れ嫌がったりします もちろんサハジャ ヨガを 批判したり邪魔したりする 悪人とあう必要はありませんが 真理を求める人に会うのは 私達の義務です ダルマを超えた意識が脳で 確立されるとダルマティトゥとなり ダルマが自分の一部になり サハジャ ダルマが 内面化します それはすばらしく もう儀礼も必要なくなり 他者を気にする必要も キャッチしないので ヴァイブレーションを 気にすることもなくなります 誰にも乱されなくなります これはシャッダの完成形です サハスララが完全に啓発され あなたはダルマとなります キリストの例では 娼婦が投石されていると 売春とは正反対のキリストが その際石を握り言います 全く罪を犯していないものは 私に石をなげなさい 皆驚きました 娼婦の方を持つのかと 彼は宗教的な人なのにと 彼は真理に立脚していました あなたもそうなります サハスララにおいては 真理に立ちます ダルマと真理では 少し違い ダルマの人は過剰に 理不尽なまでに道徳的になり ライトやレフトにいってしまい 優越感を持ったり 他者をなぜ 助けなければならないのか 地獄に行かせればいい と思ったりします サハジャ ヨガで新しい技法を始めたり 人に指示を与える人を見ました 彼らはダルマに とらわれないので これがよいとかあれが 良いと言い出します ですが真理に到達すると 儀式は必要なくなります ダルマと真理に立脚しているので 気にしません 真理はダルマより高次です 真理に立つ者は 宗教やサハジャについて おかしな考えを 気にしたりしません これはサハジャだとか サハジャでないとかを超えます 自身に普遍的な真理を見ます そして見るだけでなく知ります 自分がそこにいることを 知っています そこにダルマの花が咲けば とても美しく 皆が体験すべきです ダルマだけでは まだ取れない要素が多く 人がエゴや金欲に 走るのを見てきました 私に無断ですべきでないことを 始めたりします それはサハジャ ヨガには 良くありません 謙虚さが欠けていて 真理か真理でないかが 分からないのです ダルマの基礎である 真理に立ち返るべきで 生命の樹は 脳に根差していて 身体が枝葉です 何事も根本が大切で そこでサハスララが 完全に確立されます サハスララが 全ての形の根本です ダルマを達成したとして なにがその根本でしょう なぜダルマを守る 必要があるのでしょう 守ってなくても 豊かな人が沢山います 外面的には 彼らは楽しくやっていて 私たちには それがないように見えます ダルマの意識においては 真理とは関係ないことが 大切に見えたりするのです このように ダルマの意識を達成しても サハジャ ヨギが 躓く点は多くあります 酒やドラッグなど依存から抜けだしても 語学が堪能になっても 行いが良くなって謙虚になっても まだ自分が道徳的だと 意識しています それは消えるべきです サハスララでは この意識がなくなります 真理が愛で 愛が真理だからです ここでクンダリニが ハートと出会います ハートのピタはここです クンダリニがハートを貫くと 脳に真理が流れます 愛が流れます 真理そもものと愛としての真理は 違うものです キリストは娼婦の側に立った時 真理に立っていましたが 彼の胸には 純粋な愛が流れていました 誰かに大して 純粋な愛があれば 全てを別の角度から捉え その人を違う角度で見て とても優しくなります でないと真理は とても苦く痛くもあります でも愛が伴えば 棘のない花になります 真理に立ちつつ 愛を与えるような そんな人格になるべきです 愛を表現するにあたり こんな例があります 私が誰かに会ったら その人が他人の 悪口ばかりだったとします すると私はその人と悪口を言っている 人の両方に強い愛を感じます なので完全な嘘を言います ですがある意味それも真理です あなたが悪口を言っている人は いつもあなたを褒めているのに そんなことばかり言うのですか もちろん 真実ではありませんが 友達関係を修復する という意味で 真理です これが愛の働きです 人を近づけ一つにします 差別的なやり方は消え 人心を一つにするための 方法は何かを分かろうとします あなた方が集合意識にあるように それも表面的には アシュラムを建てたり いろいろと 結果には結びつくものの 愛に満たされてはじめて 集合意識も完全なものとなります 人は平和を語りますが 集合意識なしには無理です そこにも 愛の原理が必要です 例えばドイツのヨギが イスラエルに行くとします このプージャにもイスラエルのヨギが 選ばれ とても嬉しく思います さらにイスラエル人が ムスリムにされたことを 忘れてエジプトにいくとします こうして愛の表現に惹かれていくのは 驚くべきことです サハジャヨギの仲間に対しての愛 それが育ちだすと そうして世界を変えられることに 驚くでしょう 人間の問題はほとんど 憎しみによるものです 誰かを憎むのは罪です 罪や悪を憎むべきで 憎しみのための憎しみでは いけません それがあらゆる問題を 起こしてきました 権力のために差別することで 多くの国が破壊されました 私の国もイギリスにより 分断されました これは止まりません それにより インドを去った国々は 皆大変苦しんでいます 国を分割しようとした人は 自分が首相になれるとか 考えましたが 殆ど暗殺され 憎しみがいかに現れるかが よく分かります 些細な事がそこら中に広がるのです どの国でも分裂が見られます 分ける必要は全くありません それは憎しみと問題を生みます サハジャヨガでも分裂を 考えてはいけません 先日ガンジスの畔に美しい 土地を得ましたが 皆別々の家や部屋を 欲しがるのです なぜでしょう 共同生活の楽しさをしっているのに 別々の家を欲しがるのはなぜですか どんな秘密があるのですか 結局ヴァイブレーションで 全てバレるのに ならどうして別の家や プライバシーが必要でしょう サハジャ ヨガでは プライバシーはありません 皆がお互いを知っています 何をしていて何が問題か どのチャクラがキャッチしているか そこでプライバシーは必要ありません 理解できません まだ計算が働いていて 彼らは相続を 気にしているのです 相続して良いといいました でも息子がサハジャ ヨギに ならなかったら どうしようもありません ルールや決まりでは人は 結びついて幸せになれず 純粋な集合意識と愛が必要です 私たちには組織も 聖職者もいません リーダーもしょっちゅう変わります 足場の悪い砂上にいる上に マザーは あらゆるトリックを使います あなたに岩の上に 立って欲しいからです 美しい聖なる愛と 歓びを放つ岩です 例えば特にインド人は 個別の浴室を欲しがります それが急にイギリス人のようになり 逆もあるのです なぜかインド人は 個別の浴室を欲しがります よくあるインド人の病気です 時にそれが人を離してしまいます コレクティブの生活では 必要ありません 浴室があるとかないとか 私は意識すらしません そこに行って帰ってくるだけです 同様にあなたも 海のような社会の概念を持ちなさい 波と同時に上下する 愛のユニゾンです 私はヒマラヤの麓に そんな社会を期待します 皆ヒマラヤがサハスララであると やがて解るでしょう サハスララ プージャの前に できたのはヒマラヤの恩恵です ヒマラヤはクンダリニが昇り ヴァイブレーションが空に出て行く サハスララのようで ヴァイブレーションが空に見えます 同時に憤怒するシヴァの領域で 危険もあります とても気をつける必要があり 憎しみや分裂など サハジャでないもの 分裂を選ぶなら 憤怒する神がそこに座しています メッカにもシヴァはおり 無作法をすれば怒ります シヴァはどこにでもいるので 常に気をつけるべきです マハラシュトラでは 違うタイプの サハジャ ヨガが始まり シュリ ガネーシャのお祝いの日に 酒を飲んでいると シヴァの怒りが大きな地震を 起こしました 多くが亡くなりましたが サハジャ ヨギは全員助かりました 大きな火事が先日もありましたが あなた方は守られて無傷でした 常に守られています だから シヴァの怒りが及びませんでした あなた方が 守護の下にいたからです この守護は母の愛に他なりません とても強くあなたを 守り 助けています 同じ愛を他者に向けなさい サハジャ ヨギにも他人や別の 母なる大地などにです あなたの愛が自分だけでなく 他者も助けます 自分のことばかりだと あなたの意識はどんどん小さくなり あれこれ欲しがりだします これが好き と言わないように 私は自分が何が好きか わかりません あれこれ好き嫌いをいう あなたは何様でしょう 純粋なスピリットなら愛だけです 愛において他者を思います 他者を心地よくさせ 世話をしようとして 自分だけにはなりません そんな境地に至りなさい あなたが道徳的でダルマがあり 全てにおいてサハジャヨギであっても サハスララのその状態になるまでは まだ大丈夫とは言えません やり遂げなさい それにはもちろん瞑想が大事で 考えがあれこれ邪魔をします 自分の心を見続けなさい どこにあなたを連れて行くか 何を吹きこもうとするか 自分の家は 子どもは 国はどうなるかと そうやって私の私の…と言ううちに 道に迷ってしまいます カビーラが美しく言ったように 山羊はメエメエと鳴きますが それは私は 私は…と聞こえます しかし山羊が死んで その腸が綿花を洗うのに 使われる時 トゥー匕 トゥー匕と音がします “貴方こそがその方です”という言葉です それが響き渡っていると だから同じようにあなた方も 他者の視点から 考えるべきです そもそもトゥー匕とは グルや神で 貴方こそがその方で 自分は何者でもない 自ら愛の大海と一体になり 貴方こそがその方ですと唱える それがサハジャの文化です 表では愛を伝え 裏では悪い企みをする そういったことは サハジャ ヨギはしませんし その境地に達しましたが まだ意識はしています 常にこれをしないように 酒を飲まないとかグルメでないとか 自分の境地を誇っています とても自慢気です 自分たちはこうですと 純粋なスピリットだと言いますが 実際そうなりなさい 自分が実際にそうなると人は 自慢しないものです アディシャクティであることを 誇りに感じますか と訊かれましたが 自分がそうであるなら誇る 必要があるでしょうか 自分がそうでなければ 誇りに思うかもしれませんが 太陽は太陽であり 自らを誇りません あなたも自分が人間であると 誇ったりしません 人間であると誇りますか 同じことで 自分であることは意識しません 自分はアディシャクティだとか 意識しません それが事実ですから 神がそう選んだならそれまでです それでよいでしょう でもある人びとは サハジャ ヨガがまるで 貴族のような特権階級と感じます 自分がそうなったなら ただそうであると理解しなさい 石が金に変わったなら それをわざわざ誇らないはずです なぜ誇るのですか 同じように 自分はサハジャ ヨギだと 意識しなくなります 気をつけて下さい サハジャ ヨギだから 何だというのでしょう 偉いわけではありません 自分に鼻があると誇る人はいません もうあるのだから 誇るものでもありません とても大切なことで 自意識はなくなると理解しなさい 全体の一部 大海の一滴だと 自他の境界を意識しないことです このような意識が育つべきで 喜びに満たされると 愛に満たされると それを見たり表現するだけです 話しても話さずとも 微笑むとも微笑まずとも 胸にあるのは歓びです ここのハートチャクラのピタが 真理の光で満たされます 真理とはいわゆる馬鹿げた 真実ではありません 誰かが“真理とは何か” ときくので “真理を語り 人を喜ばせることだ” と教えました サッチャンヴァデーツ プリヤンヴァデーツ それをどうやるかといえば 真理とは味の良いもので 人が好み 間違った人でも引き寄せると クリシュナは サッチャンヴァデーツ ヒタンヴァデーツ プリヤンヴァデーツ といって 真実を語るが 歓迎される真理を語れ それはスピリットを滋養し 善をもたらす真理である そしてプリヤであれ つまり人がはじめは ひどいことを言われたと思っても 後には言ってくれて良かったと それによって欠点が補われた と思うような真理 でもくれぐれも人を 不快にしないように あなたは人を正す役割はありません まずサハジャ ヨギは このチャクラがキャッチしている あのチャクラがキャッチしていると いつもエゴでたわむれていますが 人を責める権利はあなたにはありません 自分が責められてきたのに どうして同じことを人にするのですか ただサハジャ ヨガにおいて あなたが充分に成熟したなら 愛をもってそれに 挑戦するでしょう でもそれもやり続けないことです だれかの短所を指摘し続けることは 嫌なことを避ける言い訳です 例えば誰かが病気で医者がお手上げだと 医者はどうするでしょう 例えば寒い中外出したからだと そうやって説明します でも治療の方はどうなるのでしょう いや あなたがこうしたのが 良くなかったと そうやって過去の 間違いばかりを責めます 私達も同じです 何でこんなことをしたのか あんなグルにいったのか だから今こうなっていると そう責めずに治療しなさい もちろん責めたり批判せず 訊ねることはできます でも間違いを 責める必要はありません これは優越感によるもので 自分が何でも知っていると 思っているのです あなたは現に知識に富む グノスティクスですが その自意識があるうちは違います それが消えて初めて サハジャ ヨギになります このサハスララの発達を あなた方皆に期待します 世界について考え サハジャ ヨギや シーカーのことだけでなく 他にも目を向けなさい 多くの問題と仕事があります 例えばインドには貧困があります 私はそのために何かしようと思います あなたの国にもあります 問題を見つけ 運動を起こしなさい できるだけ助けようとしなさい それは賞や名誉のためでも 改宗目的の宣教でもなく 自分の歓びのためにするのです それは歓びなのです そうやってキャッチを恐れることなく 社会に出ていきなさい ある夫婦は 社会に働きかければというと エゴが出てくるのが怖いですと そういう人は他でもなく 自分を恐れているのです これら無意味な考えは捨てて 恐れのない意識に入りなさい あなたにはその力があります そのための特別な 力が与えられています でもその力を使わなければ ランプは光らなければどうでしょう 置物ですか 使うのです 意識すること無く 自分が偉大であるとか 優れているとか 選ばれていると意識せずに するとたちまち 慈愛と理解が広まります ありとあらゆる愚か者がいますが あなたは解っています 笑ってからかいつつ 問題を解決するのです そこでも人を傷つけないように 何をするにしても 上手く行ったか結果を見なさい ある人はより優れた類の 知性を持っています その知性でどう話すか どう人に関わるのかを知ります この聖なる愛であなたは自分を 完全に律せられるようになります どう振る舞い 話し 人を扱うか 人間の最大の 欠点はなんでしょう クリシュナによれば それは怒りで 私にとっては嫉妬です どんなものであれ嫉妬は アクのように出るものです サハジャ ヨガでも 人は嫉妬し たとえ表に出さずとも 人間関係において 問題を生みます 自分の心をみることです 嫉妬がないかどうか 時々私は心配になります 誰かにプレゼントすると 嫉妬を生んでしまうので しないほうが良かったと感じます マザーが忘れたか 足りなかったかもしれない だから良いのです でもサハジャ ヨガでは皆とても過敏です 例えば 私が 誰か特定の人に会うと もう終わりです 別の人がその人に嫉妬します 時々悩まされます 皆が何故か“マザー私に会って下さい” とせがむのです 私はどこにでもいるというのに 私と話す必要がありますか 私はあなただけのために いるのではありません 皆のためにいるのです 自分に特権があると思う人もいて 私と個人的に会わないと 気を悪くします これらはあなたが大海となれば 全てなくなります どこにいこうと気にせず ただ大海と一体です 上下に波で揺れるだけです これは愛の生きた大海です 見せびらかさず 支配せずに 育みなさい 全てが自分の中にあります ヒンディではアプネメといい 自己の内にあり 最高の楽しみです 自分が何か欲するなら 努力してそれを得ますが それが自分の中にあるなら 自分で完全に満たされます それより大事なことがありますか ありません 完全に満たされ ただ分かち合いたいと思う それがサハスララの理想で やがて世界がこの境地に達するでしょう そのサハスララが開くべきです それが私達の仕事で 浮世離れして瞑想にふけるだけでは 途絶えてしまいます そうではなく それはあなたが 自身が育つための瞑想です 素晴らしい場所かもしれませんが どうか自分の価値を分かって下さい この時代生まれ リアリゼーションを得たのは 世界の解放 人類の変容のためです 世界を神に導くためです あなた方は そのためにいるのです 神の恩恵がありますように!