Guru Puja, A Guru Should Be Humble And Wise

(Nirmal Temple)


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Guru Puja. Cabella Ligure (Italy), 20 July 1997.

今日のプージャは とても大切です あなたは 自分がリアリゼーションを得て 他人に与えるために必要な すべてを知っています もう知っているのです 大切なことで 与えようとしなければ 自分に信念もなく 自信や自尊心を 持てないでしょう 次に 与えたとしても 巻き込まれないことです 多くの人が 巻き込まれ過ぎです 誰かに与えると すごいことをした気になって 家族や親戚などに 働きかけます ご存知のように 親族だからといって リアリゼーションに近いとは 限りません 成長するにはコレクティブである 以外にありません 道場からはなれ 一人で 成長できると思っても不可能です サハジャ ヨガとは そういうものではありません 昔は別々に分かれて ヒマラヤに入り 数人だけがスピリチュアルな 成長のために選ばれました ここではそういう問題でなく コレクティブを どう育てるかという問題です それで コレクティブな人になり それを楽しみ そのために働き ともに生きるようになります そのような人は 新しい力を得ます 精妙で 浸透力がある あらゆるところに 入り込んでゆく力です それはコレクティブな気質を 持たないとできません 完全にコレクティブでないと サハジャ ヨガに必要な 高みは至れません 知っての通り 世界は問題だらけで 沈みかけているようです アメリカに行ったときは “ああ これは地獄です” と感じました 何の徳もなく 徳を信じようともせず 不徳を崇めるような そんな雰囲気に満ちていました 世界中で そのアメリカの影響がみられ 何も悪いことはない と思っています 何を言ったところで 耳を傾けることはありません 生活の根底から 崩れてきていることが見えていません 家族 社会 国中がです ひどく醜い不徳な性質が あたりに満ちていて そんな考えが どこからきたのか解りません 私が一つ一つあげる必要はありません ご存知でしょう あなた方は子供たちを救うためにも 指導者になる必要があります サハジャ ヨギだからと それについて話し 宣伝しても 相応の力があなたになければ 失敗に終わるでしょう では どうやってそれらの力を 内面で育てるかをみるべきです 言うのも気恥ずかしいことですが 師に対してきちんと振る舞うことです 教わったと思いますが 教わらずとも リアリゼーションを得ると 自発的に 自然に 謙虚な態度が出てきます それとともに 指導者に必要な 多くの性質を 身につけます 指導者と同じ地平に 自分が立っていると あなたに向かうものは ないでしょう なので指導者の位置より ずっと低い位置に立たねばなりません 私が怒らないのを 利用する者がいます 何度も“あの人たちを糾すべきです” と言われました “あなたと対等にしゃべっています” 私は“彼らは教訓を学びます” と言いましたが 学ばない者もいて 相変わらず私に対して 友達と話すかのように 振る舞う者がいます まずは完全な謙虚さです 極めて 謙虚でなければいけません 誰かと話すとき謙虚ですか 誰かについて考えるとき 謙虚ですか 家族に対しては 謙虚ですか 指導者であらんとするなら 謙虚さが最も大切です 謙虚の海に飛び込むべきです “謙虚だと利用されます” という者もいますが そんなことはありません あなたは常に守られていることを 忘れないでください パラマ・チャイタンニャが 世話をしています 頭で知っていても あなたは本当にそう信じていますか 本当に信じるなら 恐れないことです 心配せず 無意味な影響を 受けないことです “何が起るんだろう どうなるんだろう” と心配していると パラマ・チャイタンニャは あなたをそのままにします いかにそれが働くかを見なさい 自分がどう振る舞うか見なさい ちゃんとしないまま 自分を誇示すれば それなりの見返りがきます 私が何かするのでなく パラマ・チャイタンニャが教訓を与えます あなたは 今のようではいけなかったと そもそも何故 我々は サハジャ ヨガにきたのか 根本から初めなさい 私たちがサハジャ ヨガに来たのは 究極の真理を知りたいからです そしてヴァイブレーションを通して 知ることができました 何が絶対的な真理かを 知ることができました その真理にそって働くべきです あなたが感じる絶対的真理に 従わないといけません 残念にも 自分のヴァイブレーションを過信して 自分が感じているヴァイブレーションが 最高だと思っている人がいます それは正すのが 難しいポイントです エゴから来ます エゴがあると 自分の間違いに気づきません ヴァイブレーションが 何か示唆していても 自己からでなく エゴからきています エゴが自分を甘やかして 本来なら“こんなこと するんじゃなかった”とか “私は間違っている”と 気づかずにいるのです このプロセスでは 自分が“精妙になっているか” “粗野になっているか” 観察するのが一番です 些細なことで いつもヴァイブレーションを チェックしている人もいます 木や花 土地などの 物質的なことを チェックします でも何のために しているのでしょう 物質的な利益のためです ヴァイブレーションさえ チェックすれば 安全で 損失を被らないと 考えるのです そうではありません ヴァイブレーションは 世事のためではありません ヴァイブレーションをおとしめる事を するべきでありません ヴァイブレーションが害になる事を 示唆することさえあるのです ある人にある場所に行くよう頼んだら 彼は“行きませんでした” “何故?”と訊くと “ヴァイブレーションが悪かったからです”と “ヴァイブレーションが良かったら 行く必要ありません” “だからあなたに頼んだのに” “ヴァイブレーションが 悪いからといって” “行きたがらなかったなんて” 結局 楽で 快適な生活をしたいのです サハジャ ヨガによる解決を期待し 叶わないなら役に立たないと考えます どんな望みでも 叶えたいのです それらの望みは 個人的なものです “子供が具合悪いので 良くなって欲しい” “夫の態度が良くないので 良くしたい”とか “家がないので欲しい”と いつも気が散っていて 未だにいわゆる 消費マインドでいます “女の子でなく男の子が良い”と言い 娘が生まれると サハジャ ヨガのせいにしたりします 望み通りにはならないのは サハジャ ヨガのせいだと 更には サハジャ ヨガのせいで 苦しんでいると考えます または信念が弱まったり ぶれたりします 深く根付いていれば “何があろうとサハジャ ヨギでいる” というでしょう 誰かが亡くなったとして といっても サハジャ ヨガでは難しい事で パラマ・チャイタンニャが許さない限り 死のうとしても死ねません ですが 仮に 誰か自殺しようとしても その望みが叶うとは 限りません 叶わないからといって 機嫌を損ね “何がいけないの?” と考えます でも あなたの望みは 神の望みでなく パラマ・チャイタンニャが それなのです 私がアメリカに行ったときに ネガティヴィティに攻撃され 困らせられました この間ずっと いわゆる苦しみと痛みを味わいましたが それはこの頭の悪いアメリカ人が 育つ為にどれほどの尽力が必要か それを かの地のヨギに 見せるためだったのです お金を搾り取られて どれほど彼らが 愚かで馬鹿げているか 多くの者が私に “マザー 例えば あなたが300ドルでもとれば” “何千人もの弟子が 出来るでしょう”と告げました 私は“そんな人たちは 私の弟子ではない” “お金をとるなら 価値あるものを あたえるだろうと考えるなら” “彼らは完全に馬鹿です” と答えました サハジャ ヨガは 金銭で買うことができません この第一の原理を 彼らは理解できません 大半の者がリアリゼーションは 無料で得られると 理解しません ある裕福なグジャラート人が ニュージャージーで サハジャ ヨギに聞きました “どうして こんなに簡単なんですか?” “これは難しい事だと 教典に書いてあります” “リアリゼーションを得るのは 極めて困難だと” “なのにどうやってそんなに 簡単に与えられるのですか”と 誰も答えられませんでしたが こう言うべきだったのです 確かに難しく 多くには 与えられないと言われていますが 現にできる人がいます ならば どうやっているか 考えてみるべきです この種の馬鹿げた質問が多く 今も続いています 丁寧に伝える必要があります “でも それなりの人でないと・・・” そんな訳で彼らはお金を払い 自らを愚弄するのです “私にはグルが3人いる” “私には7人いる” どんな状況なんでしょう 彼らは極めて愚かで サンスクリットで ムールと呼びます 頭のない人はリアリゼーションを 得られませんので諦めなさい 口論しようとするなら 諦めなさい そんな権利はありません リアリゼーションを 得る権利はありますが 馬鹿げた質問をして 論争する権利はありません あなた方も指導者としての 自分の威厳を保つことを 忘れない事です 自分が指導者と知ったなら おどけてばかりではいけません 威厳ある態度と同時に 楽しみを与える人格 イライラする事もなく 何か特別なものを 感じさせる人格になります では どうやって そのような人格を持つか 西洋では エゴが最大の問題で 東洋では スーパーエゴが問題です このエゴのあれこれは どこから来たのか解りませんが 自分のエゴを見せびらかします 例えば アメリカでは驚くことに 人種差別の問題があります 黒人と白人間で 差別があるのです 肌の色は 神が与えたもので 皆が同じだったら 軍隊のように見えます 多様性があるべきで 自己表現や表情にも 違いがあるべきです それぞれが 固有の表現を持っていないと 皆が同じでは この世界は何の面白みもなく つまらないものに なってしまうでしょう ですが 人々の心に どれほどの差別心が入り込んだかに 驚かされました あなた方は指導者として 断固として差別に反対すべきです 簡単に解ることは 男性 女性として 更には母親としても 白人が最も 残酷になりうる一方で 優しく寛容な黒人が いることです 肌の色と気質は 対応しないということです ですが 黒人は 差別されたことに反応しがちです その仕方が粗野であったり 残酷になりがちなのです でも この種の間違った 人に対する態度には 動物だって 我慢できないでしょう ならば人に対して そのような態度を見せるなら その人は サハジャ ヨギに値しません そのような 肌が白いとか 黒いという意識をもつ人は サハジャ ヨガで 指導者にはなれません インドのカースト制度も 同様に酷いものです 何の理屈も基盤もなく 身分の上下を 信じる者がいます どんなカーストの者でも 最悪の行いをする可能性があり そこに境界線は存在しません 最下位のカーストから 偉大な詩人や スーフィが輩出されました カーストは人為的です 人為的なものは 私たちに合いません 結局は大変破壊的な事態を 呼びこみます 憎しみは憎しみを呼び 増殖していきます 憎しみを心から取り除けないなら サハジャ ヨギではありません これらすべてが コンディショニングです 白人家庭に生まれれば 白人だし クリスチャン家庭に生まれれば クリスチャンだし ユダヤの家庭に生まれれば ユダヤ教徒です ただ そのように 産まれてきただけです それが身分の高低に つながるでしょうか これらすべての人間の問題は 意味のない優越感に対する 人のこだわりのためで 共通意識によってのみ 変えることが出来ます 例えば 道場でも様々な人種の人が 平等な権利を 相互理解と愛を持って 暮らしています それがないなら 道場(アシュラム)とは言えません かつて “ハーレムで講演をして もらえませんか”と頼まれました “もちろん” と答えましたが “ハーレムがどんなところか ご存知ですか”と言うのです “知っています 害はありません” そのヨギ達は “黒人がいて・・・”と “私も黒人です” 私は黒人とも 白人とも呼ばれますが このような人間に対する 馬鹿げた考えを浄化してくれるのが 愛なのです 白人 黒人と差別すること自体が 人を見る目がない証拠です 深みと博愛があれば そんな表面的なことは 目に入りません 今日は指導者の 偉大さを祝す日です 彼らがどうだったか見なさい インド内外にスーフィなど 多くが存在しました 彼らは白人 黒人などの 人種による差別を 信じませんでした キリストも白人黒人の区別を 信じませんでしたし ブッダも同様です だれもこのような 人為的な問題を 信じませんでした このような人為的な考えが リアリゼーションの後でさえ受け入れられ 私がその対処に追われます それは言葉でなく 行動することで取り除けます どうなくしていくか見てみなさい 簡単です 瞑想をして 自分が何人を愛しているか そして何故なのか 哀れみでなく 愛をどれだけ持っているかを 見てみなさい 中には 美しい例もありますが 捨てるべき固定観念が まだあります サハジャ ヨガで指導者なら とても大切なことです 心が清浄で 開かれていて 愛情深く パラマ・チャイタンニャの旋律を 奏でるべきです まだ人為的な考えで満たされているなら 何が起るかわかりません 心臓移植でさえ 人工物でなく 本物を使う必要があります なので人工的な おかしな考えを 採用すればどんなことになるか 差別的で コレクティヴィティ(集合性)を 与えることはないでしょう 内省が必要です 私たちは一つですか? それともお互いを 裁き合っていますか? この裁きも多く見られます こういったことは ともに生活をして初めて気づくもので さもなくば気づきません 共同生活をして初めて 自らに足りないことを悟るのです 何があって 何がないのか 愛に満ちたハートは 非常に穏やかで あらゆる瞬間が 愛の契機であり 喜びを与えるものです シュリ ラーマのお話があります ベールと呼ばれる 果物を食べる際に ある老女が愛情から その果物に口をつけて試食しました 最高位の王である シュリ ラーマに対して この老女は 最低の位でありながら 愛をもって 果物を試食した上で おもてなしをしたところ 彼はそれを賞賛したのです 彼の妻も“私にも下さい” と言いました が 弟はまだ そこまで成熟しておらず 腹を立てます そこに彼女が “本当においしいですよ”と言うと “じゃあ 下さい”と 彼女は“どうして? 怒っていたじゃないですか” “あなたにあげることないですよ” と言います どれほど心が清らかで 愛情があるか 崇高で 非凡な人格かによって 指導者としてのあなたのレベルが 判断されることが示されています これは完全に自然なもので 人為的に組み込めないものです なんであれ 自然にするべきです 共同生活や 言動の中でのわざとらしさは 問題をうみます ニューヨークのアシュラムには とても細かく 厳しい女性がいました スプーンやフォークの位置や 他の何にも細かくて 多くの人を傷つけるのです サハジャ ヨガでは あなたが指導者になったら これらの文化的タブーは 重要ではありません 指導者はどこでも寝起きできて いつ何でも食べられる そうあるべきです しかし サハジャ ヨガでは 食事が出されると すぐ食べたがる人が沢山いるようです 一度食事を出された時 すぐにお皿を持っていかれたことがあります “どうしたんですか”と言うと “マザーまだ食べていないんですか” “触ってすらいないですよ”と 空腹というのは 最低レベルの欲求です 指導者はそれに頓着しません 得られても 得られなくても大丈夫です エゴを消して 与えられずとも気にしない そんな意識を持つべきです 人より少し遅く出されただけでも 傷ついたりします そんな様々なおかしなことが サハジャ ヨガでは見られます これは最低レベルの欲求で 真の指導者になりたいなら 頓着すべきでありません もちろん 麻薬とか 飲酒をしないなどの問題は もう解決されました それは恩恵です もしそこから始めるとしたら あなたを引っ張り上げるのに どれほど深くまで行く必要が あるかわかりません それは良いとして 皆の注目に値する 美しい生活のため 話し方 振る舞い方 愛し方を 学ぶ必要があります 指導者の権威は 愛を通さずして得られません 例えば 10人で劇をするとして 同じ国や 同じグループの人が 集まっても 面白くありません 音楽のグループにしても 同じ身分や 同じ宗教 同じ学校でやろうとするなら まだ至らない証拠です 指導者であるなら あらゆる文化 あらゆる美を好み 生活に取り入れられるべきです 人種や地位 階級意識で 誰かを 見下すべきでありません 指導者や聖者は 皆そうでした トゥカラマも “神よ 私をシドュールカーストにして 下さり感謝します” と言いましたが 実際は違いました 出自や人格に 常にこだわらないようにしなさい 誰が聖者で誰が違うか わからないくらいが良いのです 聖者であることで 高慢になるものさえいます アメリカ在住のロシア人が とても際立っていることに 驚きました 私に対して目を上げずに 伏し目がちで 深い人々でした ヴァイブレーションが とても深かったのです 共産主義で抑圧されてきて アメリカで 自由というものを見て その無意味さを 悟ったのでしょうか 両極端を知って 自身の深奥に触れ 強さと団結力を持っています 始めて会った時に驚きました ロシアから訪問しているのでなく 現地の人です 何故かと言うと 彼らの頭に 宗教がなかったからです どの宗教も彼らには同じで どれにも 追従していませんでした 宗教も人為的なものなので 指導者は 何の宗教にも属しません 宗教は世界中に問題をもたらし お互いに争っています 彼らは 聖なる存在ではありません 宗教の偏見に 巻き込まれないようにするべきです サハジャ ヨガでもクリスチャンなら そのように見えるので分かります ユダヤ教徒も分かります 何のために サハジャ ヨガに来ているのでしょうか 注意が内面に向けば 見つかるはずです どこが間違いか 指導者として何故成功できないか 自己分析するべきです 指導者としての成功とは 時間に惑わされないことです どの時間も聖なる時間で 誰かが遅れたり早くても 気にしません 時間や時計に隷従しません 300年前なら時計すらなく 誰も時間に 捕われなかったでしょう 第1に 彼は時間を超越している “カラティス”と言われます “グナティス”とは左右 あるいは中央のどこにも属さず それら3つのグナを 超越していて “全てを聖なる光のもとに見る” と言う意味です 良いことであろうと 悪いことであろうと全てに “聖なる光の働きです”と 全てをそこに帰するでしょう グナを超越しています 例えば 誰かが ライトサイドでエゴがあれば “こうしたかったのに どうして 上手くいかなかった”と挑戦します レフトサイドの人は 泣き出して “こんなことが起るなんて” と言ったりします センターの人でも “ヴァイブレーションが足りなかったのか” “なぜ分からなかったのだろう” と考えたりします ですが本物の指導者は “それは起るべきして起った” と言うのです 教訓は何でしょう 間違っていた 正しくなかったと分かるだけです 色々考えて 頭を使わないことです それだけに気をつけて 他のことは気にも留めません こうしてグナを超え どこでも寝食でき 生活できるのです 車でも牛車でも移動できます もらう花輪がみすぼらしくても 侮辱されたとは感じません 彼は何にも 影響を受けないのです 贈り物がシンプルであろうと 何もなかろうと気にしません あなたの目ではなく 自分の目を通して 自分を評価し楽しむのです 何かにしがみついたり こだわる必要が どこにあるでしょう 上手くいかないなら いくまで待てば良いだけです どうしたというのでしょう サハジャ ヨガでは指導者は 人を結びつけなければいけません その一方で 関係を壊し続ける人もいます そういう人は 文句ばかりいっています でも 優しく人を結びつけることが 出来る人もいます 許さなければいけないとかではなく 自然と出来るのです とても自然で そんな人に人は惹き付けられます アメリカでサハジャ ヨギが 少ないので驚きました 5万ドル使って 50人が来たというので 一人あたり千ドルです 非常に効率が悪いですが 希望を持たないといけません 多くの探求者がいて 道に迷っているからです 回り道のようなもので 馬鹿をやって初めて 分かるようになるかもしれません 先日の講演では 4000人の人が訪れました 米国では かつてなかったことです “こんなに人が集まったことは ありません”と言われましたが それでも多いとは言えません が リアリゼーションは得ました なので アメリカでさえも 徐々に育つでしょう サハジャ ヨギ達は自分の住居や 生活の心配だけでなく 外に出て行くべきです 余裕のあるものは アメリカに行き 働くと良いと思います 部外者が来てサハジャの話をすれば 興味を持たれるかもしれません 偽の指導者が数えきれないほどいて 受け入れられています 驚くことに お金や全てを失い 辛酸をなめても 受け入れてしまうのです “彼は私たちの師ですから”と 何を期待すべきか理解できない点で 何かおかしいのです 私は一冊 本を書いたところですが あなた方も経験やら何かを 出版できるでしょう それが人々が目を覚ます 助けになるかもしれません 何を書くにしても あなたのサハジャ ヨガの性質を表しなさい 人を傷つけてしまうとか 貶めてしまうとか気にせずに 人々を正し 助けるようにしなさい 指導者にとって 自身を勘違いしないことが重要です 貧しい あるいは豊かな家族の 出身であるなど意識しないことです ひとたびそこに至れば 指導者なのです 職人だったカビーラや トゥルシダのように インドでは低位の カーストとされていますが 美しい詩をかきました ナーマデヴァは仕立て屋でした 皆が同じ真理を 大変美しく詠いました どうして出来たのかといえば 皆 偉大なるスピリチュアリティの 領域に入ったからです あなた方も 美しい詩を詠みますが 良い詩を詠める反面 頑固で自己中心的な人もいます 美しい詩を詠めるのに エゴで一杯というのは理解できません だとしたらこの詩は 何に由来するか怪しいものです まずは自分です 人々に“本物の指導者に出会った” と言わしめるべきです その為に家族や何かを 放棄する必要はありません エゴを放棄するのです まだあるなら 何と言うべきか分かりませんが 完全にエゴを 集合的にも取り除くべきです 人々は密かにエゴを内に秘めていて 急にそれが出現します そのような精妙で 無意味な病理に耽っています このグルプージャに際し 真剣にとても一生懸命 働くように言わねばなりません 最も大切なのは どれほどあなたが時間を 人生を サハジャ ヨガに捧げたかです それで初めて あなたは指導者になります 私を見なさい ただの主婦で 家族に責任があり 問題もあります にも拘らず 常にサハジャ ヨガと サハジャ ヨギのことを気にかけていて 世界中の人類の覚醒に 心砕いています 身の回りだけでなく 世界中のです あなたのヴィジョンも拡げなさい 自分の学校や大学など 身の回りから より広いヴィジョンを抱き あらゆる問題や状況に 働きかけるべきです ひとたび そのような人格に至れば 多くの人を 助けられることに驚くでしょう ここにはそんな称賛に値する ヨギ達がいます 彼らは私を愛していて 私も愛しています ただ 指導者になるにあたって 自分を指導者だと思わないことが大切です 自分がもう指導者だと 考えるべきではありません そう考えたとたんに “ザ・指導者”と言うエゴが出てきます “自分は何でもない” “母の胸の小さなさざ波です” と思うことです そのような謙虚さを身につけると 全てが上手く働き出すでしょう あなたの振る舞い 意識に 人が啓発されるからで 他はあり得ません 何を試そうと あなた以外にサハジャ ヨガを 推進する者はいません 良き指導者については まだまだ言うべきことがありますが 次回にお話しすることにします ありがとうございました