クリスマス プージャ

Ganapatipule (India)

1999-12-25 Christmas Puja Talk excerpt Ganapatipule India DP-RAW, 27' Download subtitles: EN,IT,JA,PT,TRView subtitles:
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1999-12-25 Christmas Puja Talk, Ganapatipule, India, DP-RAW, 44' Download video (full quality): Listen on Soundcloud: Transcribe/Translate oTranscribe


クリスマス プージャ、1999年12月25日、ガナパティプーレ(インド)

Now that the talk was partly extracted from the “Shores of Bharat” VHS it became evident that the major part of the Puja protocol is missing.
If you happen to come across a Recording of the Christmas Puja from the 25th of December, 1999, please be so kind to provide this tape to the archive.
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今日私たちは イエス キリストの誕生を祝います 彼は特異な状況で つまり処女から生まれ 地上に化身しました そして ご存知のように シュリ ガネーシャも 同じように生まれました イエスがシュリ ガネーシャの化身なので 私たちには理解することができます 生まれた時 彼は すべての力を備えていました 自分の持つ力を示す外的な 武器を持つ必要はありませんでした すべての力を 自身に備えていましたが それでも忍耐と理解を 示そうとしました なぜなら当時の人々が スピリチュアリティに対して 完全に無知だったからです 実は彼等はユダヤ人でした モーゼやアブラハムによって 指示されましたが 彼らは拠り所を失い 何をいかに求めるべきか 分かりませんでした 真実の探求者ではありませんでした 他の宗教も同じですが 彼らはユダヤ教の儀式に 満足していました 高次のものへの 探求心がありませんでした それゆえ彼にとって 人生は大変困難なものでした 彼が生まれた時 三人の者達が星を追って その場所に行き 飼い葉桶に横たわる キリストを見つけました 生まれるには 大変質素な場所です 困難な状況の中 生まれましたが 彼が偉大であることは 星によって明確に示されていました 先日ガナパティプーレは どのように探したのか尋ねられました マハラシュトラ州では あまり知られていない場所です 人はアシュタヴィナヤカには行っても マハガナパティには行きません ある時 ラトナギリから帰る途中 ある寺院の上に 大変大きな星を見かけました しかし誰もそれが見えませんでした サハジャ ヨギにもです なので私はこの星を 辿ってみようと言いました とてもとても大きな星で 通常の星とは違い 稀でした でも人の目には映りませんでした 一緒にいた者達も 見えないと言っていましたが 私は”構いません” “道を曲がり 別の道を行こう”と言いました そして星を辿っていきました もちろん皆文句を言わず それに従い先へ進みました 遅い時間でしたが “先へ進みましょう”と言いました ガナパティプーレに着いたのは 夜明けでした 忘れられない 美しい夜明けです 夜明けに見たのは私たちが今いる この美しい場所です そして“ここがサハジャ ヨギ達皆が” ”集まる場所です”と言いました ラビンドラナート タゴールは この場所について ”このバラトゥの海岸に 世界中の人々が集まる”と記しています これらすべて預言されています いかにこの場所を奇跡的に 発見できたかは驚くほどです この三人の偉大な者達が キリストを発見したようにです そしてこの場所は 大変祝福されていて 素晴らしいヴィブレーションに 満ちていました 私は二日滞在し この場所に決めました 最終的にこの土地を 手に入れました キリストは 多くのことを言っています 十字架の上で “母を見よ”と言いました ”behold”は意味深い言葉で 母を心待ちにしなさい という意味です 亡くなる前にも言いました 人々は暴力や拷問など 神聖とはかけ離れたことを し続けています 宗教は暴力や力尽くで 広めることはできません 愛と慈愛でのみ広められます あなたは愛と慈愛でのみ サハジャ ヨガを広めることができます その慈愛は メンタルなものではありません 私たちが人より優れているから 彼等を変えるべきだというものではありません その人の何かを変えるのではなく 人を真に復活させることが できると感じさせるのは 大いなる愛や慈愛なのです 復活させ真実を与えるのが 私たちの仕事です 世界中沢山の人がいます 今私たちはか 86カ国で活動しています ベニンでは七千人も サハジャ ヨギがいます 彼等はかつてイスラム教徒でした なぜサハジャを選んだのか尋ねると 当然ですと答えました “なぜ?” “なぜ初めは キリスト教徒だったのですか” “いえ キリスト教徒ではなく イスラム教徒だけです” さらに尋ねると “支配していたフランス人が 非常に不道徳で” “酒飲みで 不埒な彼等の宗教に従う のは無意味だと思ったからです” “もっとましになるにはどうするか考え イスラム教にしました” そして今彼等は サハジャ ヨガをしています 彼等には分別があるからです 真実の探求者で 分別があります 彼等はいわゆる黒人で 啓蒙された精神を持っています 私への詩を詠ったり 私のために様々なものも作っています 今となっては 七千人ものヨギがいます 彼らはいつか国民皆が サハジャ ヨギになるだろうと言っています トルコでは いわゆるイスラム教ですが リーダーのケマル アタテュルクは 啓蒙された魂の持ち主で パルダーや女性を抑圧することは 意味がないと話しています 彼女達たちを自由にしました 彼らは非常に創造性豊かです トルコには二千人の サハジャ ヨギがいます 以前地震が起きたときも 一人もサハジャ ヨギは 亡くなっていませんし 家も壊されませんでした 私たちの国でも四つの州が カトリック教徒に改宗しました 彼等と話しましたが “どう着飾って教会に行き 讃美歌を 歌うかを教わっただけです”と それを聞いて驚きました 確かにましな格好をしていましたが なぜ受け入れたのか分かりません 彼等は先住民で 現代に影響されていないからでしょう そしてその後 カトリック教はオリッサ州にも 手を伸ばしていました オリッサ州ではすでにカトリック教徒が 35から40人程いました そして私は オーストラリアのヨギにそこに行って サハジャ ヨガを教えるように言いました そこで彼等は 九つのセンターを作りました 良いことに 巨大な破壊的なハリケーンに 襲われたとき サハジャ ヨガを新しく 受け入れた者達は全員無事でした 家もすべて無事でした さて最後の審判が起こります 原理主義を唱える者や 原理主義者は破滅します これらの国々で 彼等の破滅を見るとそう思います 何が起こっていて なぜ彼等や家族 家が破滅するのか分かりませんが おそらくカルキがそれらの場所で 厳しく作用しているのでしょう 黒魔術をする者なども 破滅させられます 驚くことにオリッサ州では サハジャ ヨギは誰も怪我しませんでした サハジャ ヨギに対する 神聖の大いなる保護です 昔から言われた通りです ですが人々は儀式主義や司祭職や 説教で道に迷ってしまいました 説教や読むことによって スピリチュアルな経験はできません グル ナナカやカビラ アディ シャンカラチャリヤでさえ言ってます “お母さん そこから 抜け出させてください” 真実を知る者は 同じことを言っています 同じことを繰り返しています 彼等の生き方を読めば 驚くことでしょう イスラム教徒であったスーフィーでさえ 同じことを書いていました トルコに住むスーフィーも あるいは当時インドだった パキスタンでも 彼等は同じことを書いています イギリスの偉大な詩人も 同じことを書いています 真実は真実であり 真実は愛であると これこそキリストが 確立したかったことですが 彼は大変困難な状況において 生まれました 祭司や教会として 支配していた人々は それを利用し すべての者を抑圧しました サハジャ ヨガでは 抑圧はありません 参加するのも自由意志です そこで自己における真実を 知らないといけません キリストは常に “汝自身を知れ”と言っています しかし人は決してしようとしません 自分自身を知らないからです この状況は どの宗教にもあてはまります 聖人は何が正しい道で 何に従うべきか教えるために戦いました キリストがしたことは 大変注目すべきもので 彼はユダヤ人に 彼が光であり 道であると教えましたが 彼が到達点だとは 言っていません 誰かが来ると 知っていたからです そして聖霊が来ると言いました 彼女はつ三つの要素を持ち 慰め主で 指導主であり 救世主です 彼は“彼女”や“彼”ではなく ヘブライ語の“それ”で使っています 人々は聖書を悪用し イギリスでは王が妻との 離婚を望んでいたので 権威を聖書にまで 及ぼしました なぜ聖書のような聖典に不道徳者が 権威を与えられるのでしょうか 権力で彼は 支配したかったからです 現実であるすべてを 支配したかったからです これは盲目的な権力です あなたに真の力をあるなら 何に敬意を払うべきなのか分かります どの道へ行くべきか分かります 見る力が 全体への冴えた 理解が出てくるからです どの道に従うべきか どこへ行くべきか 何が正しいかのです このカリ ユガを通して あらゆる酷いことのお陰で またヒンズー教徒の間にも おかしな儀式があり それを通して人々は これが終着点ではないと 悟っています あなたは真実を 求めなければいけません 一つ大事なことは 全ての者が “真実を求め 自己を見つけ なければいけない”と言っていることです それは明確に インドの聖典に記されています いくつかには記されています “自己を求めなければいけない”と 特にインドで化身した聖人達は 常に真実を見つけ 求めないといけない と言っていました 彼等は真実を知っていて 皆にも見つけてほしいからです 全ての宗教には 啓蒙された者達がいました 仏教徒においても 真実の探求について語った者が 達磨大師や老子や その他大勢いました キリストは大変明確に それを言っていました 彼の誕生日に皆さんが すでに真実を見つけたこと 愛 慈愛そして謙虚さの道を 知っていることに嬉しく感じます 私たちは自身の中のどこに キリストが内在しているか いかにキリストに敬意を払い 崇拝するかを知っています このアギヤであなたは その者が真実の探求者か 支配力の強い傲慢な キリスト教徒か見分けられます あなたがキリスト教徒であるなら それができません それができるなら キリスト教徒ではありません キリストを見なさい いかに彼が謙虚だったか 彼はすべて滅ぼすこともできました その力がありましたが 自身を十字に架けました その理由はアギヤ チャクラが壊され 超えなければいけなかったからです なので彼は受け入れました 彼は最も破壊的な力である シュリ ガネーシャの力を すべて備えていました これらの力全ては 母なる大地から来ます そして母なる大地は 全世界を揺すぶることができます しかし彼はデヴィ マハトゥミャに 記されているマハヴィシュヌの化身です 彼はどんな者で 何をしたか 彼がした働きについて 美しく記されています さて キリストが生まれ 化身したのであれば 大変偉大なことです 彼は私たちに人生を捧げ 全てを成し遂げました そして私たちは許すことで 彼に従っています あなたは他の者を 許さないといけません 自身を許し他者も許します 主イエスが内在するこのアギヤ チャクラを開きたければ大切なことです 人を許せず 自身も許せなければ このアギヤは開きません 何よりキリスト教徒と呼ばれる 全てのキリスト教国では 皆大変ひどいアギヤをしています キリストに真に従うのであれば アギヤをキャッチすることがあるでしょうか まして彼等は非常に支配的で 傲慢です 彼等は キリストの弟子にはなれません 彼はあまりに謙虚でした 全能なる神と一つで 自分が十字に架けられることを 受け入れました 彼の誕生自体が 偉大な奇跡です 彼の働きはさらに偉大です 私たちは全てのキリスト教徒に 伝えなければいけません 何が真のキリスト教か 何が現実か 何に従うべきか どのようにキリストに正当に従うか 教えないといけません ですが大変大きな組織や 政治的なこと 様々なことが絡んでいます さらに彼等は 例えばヒンズー教の時 から悪いことを続けています それでは改宗する 意味があるでしょうか ですから 彼の生き方から 私たちは学ばなければいけません 彼は誰も望まないような 状況で生まれました 大変暗黒で 人々は無知で 残酷であった時代に彼が誕生したことは 非常に注目すべきことです 大変勇敢で 勇気のある人格です 今日人はキリストを 結核患者のような者にしています 乞食のような者です 人も乞食のようです ボンベイにいる時 少女や少年たちが 近寄ってきては歌を歌って “お金を恵んで”と言っていました 私は“キャロルを歌うなら お金をねだったりしてはいけません” “私たちはお金がいるの 食べるものがないの” それならなぜ キリストの歌を歌うのですか 様々な人が物乞いしています キリストは物乞いをしたでしょうか この世に乞食を 作ろうとしたでしょうか 彼は自尊心をもち 生き 死にました 人は彼の資質を学ばず 世俗的なものを受け入れています 時には完全に 品位を落としています 宗教的という言葉を使うと違う意味に なってしまうので使わない方がいいでしょうが 彼は私たちに大変徳深い 敬虔な 美しい人生を与えるために来ました 彼は手本でした 私たちが従うべき手本です サハジャ ヨガをする者は 何が正しくて間違っているか意識できます サハジャ ヨギにならないかぎり この分別を持つことは難しいです ですから多くの者は キリストの名において そして自分の破壊的な力に 自分を見失っています それらは私たち人間が持つ 六つの敵と呼びます なので今日彼の生き方を 彼の誕生 働き 偉大さ 犠牲を思い出す時 私たちは彼の人生に従うべきだと 理解しなければいけません 彼は私たちの見本です 私たちは多くのことに 忍耐強くないといけません 攻撃的ではいけません 他の者の自由に対して 脅威であってはいけません 悪魔のような者がいるでしょうが 彼等の脅威であってはいけません 真実は戦います これは私たちがすべき 大変簡単なことです サハジャ ヨガでは 大変徳のある生き方 徳のある振る舞いを 人々はしています 文化においても全てそうです サハジャ ヨガの文化は 大変徳のある 愛深く 慈愛に満ちた文化です あなた方の中のキリストがこのような 様子に歓びを感じていることでしょう 神の祝福がありますように