クリスマス プージャ Ganapatipule (India)

クリスマス プージャ、1999年12月25日、ガナパティプーレ(インド)
Now that the talk was partly extracted from the “Shores of Bharat” VHS it became evident that the major part of the Puja protocol is missing.If you happen to come across a Recording of the Christmas Puja from the 25th of December, 1999, please be so kind to provide this tape to the archive.Contact the team at [email protected]

今日私たちは イエス キリストの誕生を祝います 彼は特異な状況で つまり処女から生まれ 地上に化身しました そして ご存知のように シュリ ガネーシャも 同じように生まれました イエスがシュリ ガネーシャの化身なので 私たちには理解することができます 生まれた時 彼は すべての力を備えていました 自分の持つ力を示す外的な 武器を持つ必要はありませんでした すべての力を 自身に備えていましたが それでも忍耐と理解を 示そうとしました なぜなら当時の人々が スピリチュアリティに対して 完全に無知だったからです 実は彼等はユダヤ人でした モーゼやアブラハムによって 指示されましたが 彼らは拠り所を失い 何をいかに求めるべきか 分かりませんでした 真実の探求者ではありませんでした 他の宗教も同じですが 彼らはユダヤ教の儀式に 満足していました 高次のものへの 探求心がありませんでした それゆえ彼にとって 人生は大変困難なものでした 彼が生まれた時 三人の者達が星を追って その場所に行き 飼い葉桶に横たわる キリストを見つけました 生まれるには 大変質素な場所です 困難な状況の中 生まれましたが 彼が偉大であることは 星によって明確に示されていました 先日ガナパティプーレは どのように探したのか尋ねられました マハラシュトラ州では あまり知られていない場所です 人はアシュタヴィナヤカには行っても マハガナパティには行きません ある時 ラトナギリから帰る途中 ある寺院の上に 大変大きな星を見かけました しかし誰もそれが見えませんでした サハジャ ヨギにもです なので私はこの星を 辿ってみようと言いました とてもとても大きな星で 通常の星とは違い 稀でした でも人の目には映りませんでした 一緒にいた者達も 見えないと言っていましたが 私は”構いません” “道を曲がり 別の道を行こう”と言いました そして星を辿っていきました もちろん皆文句を言わず それに従い先へ進みました 遅い時間でしたが “先へ進みましょう”と言いました ガナパティプーレに着いたのは 夜明けでした 忘れられない 美しい夜明けです 夜明けに見たのは私たちが今いる この美しい場所です そして“ここがサハジャ ヨギ達皆が” ”集まる場所です”と言いました ラビンドラナート タゴールは この場所について ”このバラトゥの海岸に 世界中の人々が集まる”と記しています これらすべて預言されています いかにこの場所を奇跡的に 発見できたかは驚くほどです この三人の偉大な者達が キリストを発見したようにです そしてこの場所は 大変祝福されていて 素晴らしいヴィブレーションに 満ちていました 私は二日滞在し この場所に決めました 最終的にこの土地を 手に入れました キリストは 多くのことを言っています 十字架の上で “母を見よ”と言いました ”behold”は意味深い言葉で 母を心待ちにしなさい という意味です 亡くなる前にも言いました 人々は暴力や拷問など 神聖とはかけ離れたことを し続けています 宗教は暴力や力尽くで 広めることはできません 愛と慈愛でのみ広められます あなたは愛と慈愛でのみ サハジャ ヨガを広めることができます その慈愛は メンタルなものではありません 私たちが人より優れているから 彼等を変えるべきだというものではありません その人の何かを変えるのではなく 人を真に復活させることが できると感じさせるのは 大いなる愛や慈愛なのです 復活させ真実を与えるのが 私たちの仕事です 世界中沢山の人がいます 今私たちはか 86カ国で活動しています ベニンでは七千人も サハジャ ヨギがいます 彼等はかつてイスラム教徒でした なぜサハジャを選んだのか尋ねると 当然ですと答えました “なぜ?” “なぜ初めは キリスト教徒だったのですか” “いえ キリスト教徒ではなく イスラム教徒だけです” さらに尋ねると “支配していたフランス人が 非常に不道徳で” “酒飲みで 不埒な彼等の宗教に従う のは無意味だと思ったからです” “もっとましになるにはどうするか考え イスラム教にしました” そして今彼等は サハジャ ヨガをしています 彼等には分別があるからです 真実の探求者で 分別があります 彼等はいわゆる黒人で 啓蒙された精神を持っています 私への詩を詠ったり 私のために様々なものも作っています 今となっては 七千人ものヨギがいます 彼らはいつか国民皆が サハジャ ヨギになるだろうと言っています トルコでは いわゆるイスラム教ですが リーダーのケマル アタテュルクは 啓蒙された魂の持ち主で パルダーや女性を抑圧することは 意味がないと話しています 彼女達たちを自由にしました 彼らは非常に創造性豊かです トルコには二千人の サハジャ ヨギがいます 以前地震が起きたときも 一人もサハジャ ヨギは 亡くなっていませんし 家も壊されませんでした 私たちの国でも四つの州が カトリック教徒に改宗しました 彼等と話しましたが “どう着飾って教会に行き 讃美歌を 歌うかを教わっただけです”と それを聞いて驚きました 確かにましな格好をしていましたが なぜ受け入れたのか分かりません 彼等は先住民で 現代に影響されていないからでしょう そしてその後 カトリック教はオリッサ州にも 手を伸ばしていました オリッサ州ではすでにカトリック教徒が 35から40人程いました そして私は オーストラリアのヨギにそこに行って サハジャ ヨガを教えるように言いました そこで彼等は 九つのセンターを作りました 良いことに 巨大な破壊的なハリケーンに 襲われたとき サハジャ ヨガを新しく 受け入れた者達は全員無事でした 家もすべて無事でした さて最後の審判が起こります 原理主義を唱える者や 原理主義者は破滅します これらの国々で 彼等の破滅を見るとそう思います 何が起こっていて なぜ彼等や家族 家が破滅するのか分かりませんが おそらくカルキがそれらの場所で 厳しく作用しているのでしょう 黒魔術をする者なども 破滅させられます 驚くことにオリッサ州では サハジャ ヨギは誰も怪我しませんでした サハジャ ヨギに対する 神聖の大いなる保護です 昔から言われた通りです ですが人々は儀式主義や司祭職や 説教で道に迷ってしまいました 説教や読むことによって スピリチュアルな経験はできません グル ナナカやカビラ アディ シャンカラチャリヤでさえ言ってます “お母さん そこから 抜け出させてください” 真実を知る者は 同じことを言っています 同じことを繰り返しています 彼等の生き方を読めば 驚くことでしょう イスラム教徒であったスーフィーでさえ 同じことを書いていました トルコに住むスーフィーも あるいは当時インドだった パキスタンでも 彼等は同じことを書いています イギリスの偉大な詩人も 同じことを書いています 真実は真実であり 真実は愛であると これこそキリストが 確立したかったことですが 彼は大変困難な状況において 生まれました 祭司や教会として 支配していた人々は それを利用し すべての者を抑圧しました サハジャ ヨガでは 抑圧はありません 参加するのも自由意志です そこで自己における真実を 知らないといけません キリストは常に “汝自身を知れ”と言っています しかし人は決してしようとしません 自分自身を知らないからです この状況は どの宗教にもあてはまります 聖人は何が正しい道で 何に従うべきか教えるために戦いました キリストがしたことは 大変注目すべきもので 彼はユダヤ人に 彼が光であり 道であると教えましたが 彼が到達点だとは 言っていません 誰かが来ると 知っていたからです そして聖霊が来ると言いました 彼女はつ三つの要素を持ち 慰め主で 指導主であり 救世主です 彼は“彼女”や“彼”ではなく ヘブライ語の“それ”で使っています 人々は聖書を悪用し イギリスでは王が妻との 離婚を望んでいたので 権威を聖書にまで 及ぼしました なぜ聖書のような聖典に不道徳者が 権威を与えられるのでしょうか 権力で彼は 支配したかったからです 現実であるすべてを 支配したかったからです これは盲目的な権力です あなたに真の力をあるなら 何に敬意を払うべきなのか分かります どの道へ行くべきか分かります 見る力が 全体への冴えた 理解が出てくるからです どの道に従うべきか どこへ行くべきか 何が正しいかのです このカリ ユガを通して あらゆる酷いことのお陰で またヒンズー教徒の間にも おかしな儀式があり それを通して人々は これが終着点ではないと 悟っています あなたは真実を 求めなければいけません 一つ大事なことは 全ての者が “真実を求め 自己を見つけ なければいけない”と言っていることです それは明確に インドの聖典に記されています いくつかには記されています “自己を求めなければいけない”と 特にインドで化身した聖人達は 常に真実を見つけ 求めないといけない と言っていました 彼等は真実を知っていて 皆にも見つけてほしいからです 全ての宗教には 啓蒙された者達がいました 仏教徒においても 真実の探求について語った者が 達磨大師や老子や その他大勢いました キリストは大変明確に それを言っていました 彼の誕生日に皆さんが すでに真実を見つけたこと 愛 慈愛そして謙虚さの道を 知っていることに嬉しく感じます 私たちは自身の中のどこに キリストが内在しているか いかにキリストに敬意を払い 崇拝するかを知っています このアギヤであなたは その者が真実の探求者か 支配力の強い傲慢な キリスト教徒か見分けられます あなたがキリスト教徒であるなら それができません それができるなら キリスト教徒ではありません キリストを見なさい いかに彼が謙虚だったか 彼はすべて滅ぼすこともできました その力がありましたが 自身を十字に架けました その理由はアギヤ チャクラが壊され 超えなければいけなかったからです なので彼は受け入れました 彼は最も破壊的な力である シュリ ガネーシャの力を すべて備えていました これらの力全ては 母なる大地から来ます そして母なる大地は 全世界を揺すぶることができます しかし彼はデヴィ マハトゥミャに 記されているマハヴィシュヌの化身です 彼はどんな者で 何をしたか 彼がした働きについて 美しく記されています さて キリストが生まれ 化身したのであれば 大変偉大なことです 彼は私たちに人生を捧げ 全てを成し遂げました そして私たちは許すことで 彼に従っています あなたは他の者を 許さないといけません 自身を許し他者も許します 主イエスが内在するこのアギヤ チャクラを開きたければ大切なことです 人を許せず 自身も許せなければ このアギヤは開きません 何よりキリスト教徒と呼ばれる 全てのキリスト教国では 皆大変ひどいアギヤをしています キリストに真に従うのであれば アギヤをキャッチすることがあるでしょうか まして彼等は非常に支配的で 傲慢です 彼等は キリストの弟子にはなれません 彼はあまりに謙虚でした 全能なる神と一つで 自分が十字に架けられることを 受け入れました 彼の誕生自体が 偉大な奇跡です 彼の働きはさらに偉大です 私たちは全てのキリスト教徒に 伝えなければいけません 何が真のキリスト教か 何が現実か 何に従うべきか どのようにキリストに正当に従うか 教えないといけません ですが大変大きな組織や 政治的なこと 様々なことが絡んでいます さらに彼等は 例えばヒンズー教の時 から悪いことを続けています それでは改宗する 意味があるでしょうか ですから 彼の生き方から 私たちは学ばなければいけません 彼は誰も望まないような 状況で生まれました 大変暗黒で 人々は無知で 残酷であった時代に彼が誕生したことは 非常に注目すべきことです 大変勇敢で 勇気のある人格です 今日人はキリストを 結核患者のような者にしています 乞食のような者です 人も乞食のようです ボンベイにいる時 少女や少年たちが 近寄ってきては歌を歌って “お金を恵んで”と言っていました 私は“キャロルを歌うなら お金をねだったりしてはいけません” “私たちはお金がいるの 食べるものがないの” それならなぜ キリストの歌を歌うのですか 様々な人が物乞いしています キリストは物乞いをしたでしょうか この世に乞食を 作ろうとしたでしょうか 彼は自尊心をもち 生き 死にました 人は彼の資質を学ばず 世俗的なものを受け入れています 時には完全に 品位を落としています 宗教的という言葉を使うと違う意味に なってしまうので使わない方がいいでしょうが 彼は私たちに大変徳深い 敬虔な 美しい人生を与えるために来ました 彼は手本でした 私たちが従うべき手本です サハジャ ヨガをする者は 何が正しくて間違っているか意識できます サハジャ ヨギにならないかぎり この分別を持つことは難しいです ですから多くの者は キリストの名において そして自分の破壊的な力に 自分を見失っています それらは私たち人間が持つ 六つの敵と呼びます なので今日彼の生き方を 彼の誕生 働き 偉大さ 犠牲を思い出す時 私たちは彼の人生に従うべきだと 理解しなければいけません 彼は私たちの見本です 私たちは多くのことに 忍耐強くないといけません 攻撃的ではいけません 他の者の自由に対して 脅威であってはいけません 悪魔のような者がいるでしょうが 彼等の脅威であってはいけません 真実は戦います これは私たちがすべき 大変簡単なことです サハジャ ヨガでは 大変徳のある生き方 徳のある振る舞いを 人々はしています 文化においても全てそうです サハジャ ヨガの文化は 大変徳のある 愛深く 慈愛に満ちた文化です あなた方の中のキリストがこのような 様子に歓びを感じていることでしょう 神の祝福がありますように […]

ナヴァラトリ10日目、深さと満足/ナヴァラトリ プージャ Butlins Grand Hotel, Margate (England)

「自身の中のデーモンを壊しなさい」1989年10月8日マルゲート(イギリス)

デヴィ プージャを イギリスですることは 自然の流れで決まりました ここで行われるべきでした ここがサダ シヴァの場所であり アディ シャクティが崇拝されるべき 場所だからです なぜデヴィ プージャをするのか 今日 理解すべきです デヴィ プージャをする 理由は何でしょう それから何を得られるでしょう 私たちの内実において 何を得るべきなのでしょう まずクンダリー二はデヴィです 彼女はアディ シャクティの反映です なのでデヴィを崇拝するとき まずあなた自身の クンダリー二を崇拝します あなたにリアリゼーションを 与えたからです 普通の人に比べ デヴィのプージャに対して持つ 理解は遥かに深いです 彼らはリアライズ ソウル ではないからです クンダリー二が覚醒していません なのでデヴィ プージャの目的は リアリゼーションを得るためです デヴィを歓ばせて 人はリアリゼーションを得ます あるいはリアリゼーションを与える人に 会う機会を得ます しかし あなたはもはや 違うレベルにいます ですから 自身のクンダリー二に対する アディ シャクティに対する 感謝から行うものです 内にあり アディ シャクティによって 反映されたクンダリー二によって 奇跡的に起こったことに 対する賞賛です しかし 私たちが リアライズ ソウルであるということは ポイントではありません ヴィブレーションを感じられるというのも ポイントではありません 他者にリアリゼーションを与えられる ということもポイントではありません それでは何が大事なのでしょう 重要なのは内にある内実です 何が内にあるかが大事です これらは内にあるものの 現れにすぎません 例えばある者は 気前がいいとします そしてその者が金持ちだと分かります そうでないとできません なので自分たちの内実を 見なければいけません 内実において 自然界で真の内実があるのは どこでしょう 海を見ると 水で満たされています あらゆるところから水を吸収し 太陽によって蒸発し 雨になります ですが海は 最も低い高度にあります そしてあらゆるところから 水を吸収します 同じようにサハジャ ヨギが より良い内実を望むなら 外側において高いところにいることは ないと知るべきです 聖書に「柔和であれ」とありますが 意味は説明されていないと思います 強い者のみが柔和になれます 安定している者が柔和になれます 真髄において 豊かな者が柔和になれます 不安定な者にはなれません 不安定な者が どうして柔和になれるでしょう いわゆる金持ちも 柔和になれません 寛容でないからです 満足していません 哲学的ではありません 豊かさはなく 欲深い乞食のようです ですから内実が大事です 私たちの内実は何でしょう あなたは私を愛していて 私もあなたを愛しています いいことです しかし あなたが私を愛する時 サハジャ ヨギとして愛すべき資質が あることを知らないといけません 人はサハジャ ヨガをしていても 我を見失います 何に対しても克服できる 大丈夫だと考えれば 自分を見失います 私たちが柔和である時 その内実は謙虚さです 人に対し謙虚でいなさい すると自分自身を好きになります その資質を楽しめます “私は他の者より謙虚である” その他に内実において 大きな山が挙げられます 高さがあるからです 山が雲に触れます なので海の謙虚さと 山の高さには関係があります サハジャ ヨギは そのようでないといけません なぜなら 大海には内実が潤っており それが雲となり 山の高みに シヴァが住まうカイラス山に触れます なので大変 歓びを与えるものです 私が描かれた絵のように 昔の私の状況はそうでした 今日も精妙なレベルにおいて 働きかけています 沢山のネガティビティがあり 様々なレベルで 働きかける必要があるからです 人間が悪魔になっても仕方ない という言い訳はできませんし サハジャ ヨギはもってのほかです しかし私はあなたを 我が子と呼んでいるので 多少祝福はあります 長いロープに例えれば 気にすべきはロープでなく あなた自身の資質 吸収する内なる力です ありのままの海を見ると 海は周りの水を 取り込む性質があります そして太陽が スピリットとも言えますが 太陽によって蒸発します 海だからこそ可能です 川ではそれほどできません 海は大変広大で 深く 無尽蔵だからです そして完全に 純粋なものがでてきて ハートに触れます サハジャ ヨギだからできます ハートがシヴァが内在する高みの レベルにあるからです 純粋さ 心の広さ 深さ 謙虚さやマリヤダがないと そこに至ることはできません 海は決して マリヤダを超えることはありません 片方から押し寄せれば もう片方に表れ 決してその範囲を超えません もし太平洋がもう30メートル深ければ 問題があったでしょう なのでその深さ 高さ 広がりにおいて 自身のマリヤダがありますが そのマリヤダの中で 自然と お母さんと一つである という感触があります 母なる大地を乱すことなく 母なる大地の一部に 適切に位置されています 自然は神聖の下に束縛され 神聖が自然を世話しています すべてが美しく作用し 自由があります サハジャ ヨガを始めると より大きな自由を得ます 完全な自由です 無意味なもの 罪深いもの 低俗なものには束縛されません あなたは山のように それらを超越します 山と海が組み合わさり そこに船を通すことができます 深みある者のみが 深さがある岸に辿り着きます そのようにしてあなたのハートと バヴァサガラの繋がりに 自分の深みを得ます そこは人があなたのところに来て これは素晴らしいと 分かる美しい場所です 皆分かっています 私は普通の女性に見えるでしょう あなた方は違って 見えたかもしれませんが 通常は・・・ どのくらいの人が プログラムに来るでしょう どのように来るでしょう コロンビアでは私の名前すら 聞いたことがない者が 何千人も来ました 驚くべきことです 座る場所に困るぐらいでした ロシアでも私のことはもちろん 誰も知りませんでした 出版された本もありませんでした なので “貴方が集合的無意識を 操作をしました”と言うでしょうが していません ですがそうなったようです なのでサハジャ ヨギが 内実を高めると 集合的意識が 神聖が確実に作用します 広告を出せば 人が来るようなものです 人はお金をとると 買えると考えます しかしお金やビジネスは関係なく ただ素朴な者であれば 神聖によってすべて成されます 神聖がワークアウトさせます しかしその場のヨギが 何の役にも立たないのであれば 私がそこにいたとしても ワークアウトしません 生半可な者では ワークアウトしません あなた方を失望させる つもりはありませんが 自身の内実を育み 自身を完全に信じないといけません これはサハジャ ヨギの 最もすばらしい財産です ではこの大海は何でしょう 愛です それは愛です それは話すことも 何かを成すこともありません ただ自発的に働きます 自分でしようとしないほど 良いです “私はこれをします 処理できます”ではなく あなたはただ 自身の内実を育むだけです 皆さん幸運です 誰もが持てなかったものを 沢山持っています 人々はジャングルに入り グルの怒りを受けないと いけませんでした 彼らを守る者もいませんでした 崇拝する アディ シャクティもいません あなた方には アディ シャクティがいます その力は神聖です あなた方は大変 有利な状況にいますが まずそれに 気付かないといけません 内実を育むとき その器は 強くないといけません そうでないとすべてが壊れます この力であなたが 完全に守られていると知ることです 誰もあなたを傷つけません しかし試されないと 完全に安全であると分かりません あなたが理解しているか見るために トリックが起こるかもしれませんが 何もせずとも すべてが解決します どのように解決したか ワークアウトしたか分からないでしょう 問題はサハジャ ヨギが この力をどのように持つかです 私はそれをシュラッダだと言います シュラッダとは 盲信ではありません サハジャ ヨガを始めたあと リアリゼーションのあと あなたはすべてを分かります あなたは 私の写真を見ました サハジャ ヨガが いかに作用するか 人のクンダリー二の 上げ方も分かりました ヴァイブレーションを 感じることができます 人について分かり 治すことができます これらの力すべては あなたの中にあります エゴなしにこの力について ただ悟ることがあなたの力です あなたが強力なときエゴはありません 必要ないからです エゴは力がないときに 出てきます もっと欲するからです 十分であれば エゴはありません なのでこの力をまず 確かめないといけません あなたに力があるかどうか まず確かめます 例えば椅子に座る前に 壊れていないか確かめます “大丈夫だ 座れる” サハジャ ヨギの中には 際にいる者がいます 時には高みに達した者と 外側にいる者に大きく差があります これらすべて 昔滅ぼされたネガティブな力です 彼らを殺すのに シャクティ一人で十分でした カリ シャクティや ドゥルガ シャクティです でもあなた方には沢山います マハラクシュミ シャクティや サラスワティ シャクティがいます 12人の神格が あなたのために働いています では あなたがそれに気付くということは 自分を完全に 信じるということです 未だに自分を疑っているなら これも人間の資質ですが 犬は自分が 犬か猫か疑っていません 虎も分かっています 自分の能力も分かっています 人間だけが他の愚かな資質に加え 自分自身を疑うことをします この疑う資質が 彼らを臆病にしています サハジャ ヨガでは自分に対す る疑いを持つべきではありません “私は未だこうです このようにしてしまいます” それなら取り除きなさい 背中に猿を担ぎたいなら 私は問題を解決できません “まだ背中に猿がいます” 取り除きなさい 簡単です 私のシンプルな理論では これが答えです 猿を担ぎながら “マザー 私は猿を担いでいます” 見えてます 頭や背中から 取り除きなさい 簡単です あなた方はサハジャ ヨギです ロシア人は違うようです 彼らに猿はいません 驚きです 全く猿がいません 誰にもです 個人的 公的 その他問題はありません 全くです 議論もありません 彼らは“政府がこうだから”と 言えたかもしれませんが言いません うんざりしたのでしょう 大変学識があり専門家で 謙虚で 心を開いていました ただリアリゼーションを望みました “貴方は私たちの 解放の為に来ました” 私のサリーや歩いたところに 触れようとはしません ヴァイブレーションのことも 私が アディ シャクティだとも話していません どのように私を認識したでしょう 彼らは自身の内に力を シュラッダを育みました 自国で神について 決して話したことはありません 教会やイスラム寺院を立てる 愚かな者もいましたが ほとんどの者が大変強く 内実が現れていました プログラムがある度に 今でさえ フォローアップのときも 最低でも千人はいます このイギリスでは デヴィ プージャに千人もいません それに人々は何千キロも遠くから シベリアなどから来ます 自分たちでホールを予約し 支払います サハジャ ヨギはお金を取りませんが ホール代はかかります 生半可な者はワークアウトしようとも 頑張ろうともしません それはサハジャ ヨギの 生き方ではありません 私たちは 悪魔を殺すことはありません デヴィと共に戦ったように 戦争に参加することも 兵士のように 戦う必要もありません あなたは内にあるネガティビティを 倦怠感を取り除くだけです そしてワークアウトさせるだけです マントラを言ったり マントラの力を知っていても 神格が起きた状態 でないといけません そのため何度も言いますが 瞑想しないといけません ただ座って“分わかりました ゴルフと同じですね”違います まじめなことです あなたはアディ シャクティを 崇拝しているのです 完全な理解と献身で 瞑想しないといけません 機械的ではなく 遊びでもありません 大変精妙で特別なことです 行動で示せるものではありません ただ大変深い気持ちです その深みは他のどの 気持ちとも比べられません その想いで 瞑想しないといけません その後結果を見ます 多くの者が“あれこれしたのに まだ問題があります”と言います それは十分深くないからです 祈りの長さや言葉の多さは 関係ありません 神聖の御み足をどれほどの深みで 触れたかが大切です なので今日 デヴィがすべての ネガティビティを取り除くために 私たちのハートを剣でもって貫き シヴァのために蓮の花を根付くよう 植えるのだと理解することが重要です デヴィは私たちの内から すべての醜さを取り除きたいのです まるでデリケートな 素晴らしく成される手術のようで あなたは それを感じないほどです この間ある本をもらいました ヴァイブレーションのことをスパンダと 呼んでいました 脈打つという意味です サンスクリット語でアナハタです 震動がないというの意味です しかし この本を読むと 大変回りくどく 説明だらけで誰も理解できません ひどいものです 私はそれ以上のことを 簡単に説明しています その本を2ページ読めば 頭痛がします でもあなた方はサハジャ ヨガの 全知識をすばらしく得ました すばらしいことです 別のマントラについて読めば その説明は現実とは 無縁だったりします 現実と関係あったとしても とても回りくどく 複雑です アディ シャンカラチャリャは それに気付いて論文を断念し “お母さんの賛美をただ讃えれば 全て大丈夫です”と 人は難しく捉えますが とてもシンプルです 人間は大した専門家です ラジオのように次々賛美し 何もハートには入ってきません あなたはその深みを 育まないといけません サハジャ ヨガでは脳ではなく ハートを通して理解します あなたはハートを育み ハートで他者の素晴らしさを 受け止めないといけません 人は他者の間違いを 簡単に見れます 自分の間違いは見ません 知的な者は特にです リアリゼーションは必要ありません しかし賢い者は 自分の間違いを見ます そして賢いので 自分を信じられます 疑いはありません 自分が賢いと分かっています 自分の間違いや すべきことを分かっています 今日における女神の仕事は 大変違います 明白です もちろん象徴的には同じですが 大変精妙になりました まず第一の仕事は存在する ネガティビティを滅ぼすことです より光があれば 無知は消えます 光が広がり 暗闇がなくなります あなたが光です あなたは光を灯し その光を世話しないといけません そしてその光を 永遠のものにしないといけません これはあなたがしている 仕事の一つです 光を広げ人々を啓蒙することは あなたがするすばらしい女神の仕事です あなたの周りにあるネガティビティは あなたの内にあるものより 危険ではありません 今日では さらに精妙になりました ネガティビティはより 精妙になっています あなたの中に入り込みます 気をつけないといけません いつでもあなたを倒します あなたが登ろうとするとき 一歩でも間違えれば 落ちることができます なので緊張することなく 注意深くいないといけません すると注意深さが育ちます 光が内にあれば それを見始めます すぐさま見れます どう正すかも分かります すぐに取り組むでしょう 素敵なサリーに汚れがつけば すぐにきれいにするのと同じです 同じように私たちは 大変注意深くいないといけません ダクシャです 以前はこれは女神の仕事でした 女神が啓蒙し 人々のために注意深くいました 子どもたちのために 虎のように座りました 人は祈り プージャや ハヴァンを捧げました 女神は彼らの前に座り ネガティビティから守り 悪魔を殺し あらゆることをしました しかしその段階は 終わっています 彼女はあなたの中に 入っています なのであなたは自分のネガティビティ を殺さないといけません お母さんと 同じ力を備えています いかなるネガティビティも あなたに触れることはできません あなたはリアリゼーションを与えられます その力を備えています そして他者ではなく 自分の欠点を見ることができます そして取り除けます あなたの善にも 上昇のためにもならないからです 誰も得しません それはコレクティブ レベルおいて 自動的に作用します 心配することはありません 煩わせる者はいなくなります 盲目の者が崖から 落ちてしまうようなものです これについて 心配することはありません ただ作用します あなたはすでに見てきています あなたにある もう一つの資質は あなたを通して女神が作用していると 信じれることです 彼女はあなたの中に内在しています その力を備えています あなたは人を癒すことも 治すことも 平穏や至福を 与えることもできます 女神があなたに 至福を与えたからです あなたは至福になった ということです 冷房がかかっているとします 涼しい風がきます 同じようにあなたが至福を発するなら 他の者に至福を与えています しかし内に至福がなければ 与えることはできません ですからヨギは女神のように 至福に満ちていないといけません 彼女には 極端な性格があります 非常に残酷でもありえますし 非常に温和でもあり得ます 昨日の二つのラーガのようにです 彼女は 人間の想像以上に 非常に凄絶にもなれますし 非常に温厚にもなれます この凄絶な側面を あなたは持つ必要はありません ただ作用します この側面は 神聖のみが持つものです あなた方は もう一方の側面を持ちなさい 凄絶な側面は 神聖に任せなさい いずれにせよ神聖も 仕事をしないといけませんので あなたがすべての仕事をするなら することがなくなってしまいます なので神聖が その面を世話します 女神が自身を楽しむように あなたも自身を楽しまないといけません 彼女は自身の至福を 平穏を 創造のすべてを 子どもたちを 彼らの愛を楽しんでいます 同じようにあなたも 楽しまなければいけません すべてを知らなければいけません すべてを熟知する者 でないといけません “神聖よ どうか私たちをお守りください” と言う以外は 全く言う必要がありません せめてそれだけです 仮に言わなくとも 守られています 見えていなくても神聖が その舞台をワークアウトしています あなたはその舞台にいます 彼らが光をどこに照らし 何を変えるか すべてアレンジしています あなたは 居心地良くいるだけです 全ての仕事をする 必要はありません あなたは演じたり 台詞を言ったりして 自分の仕事をするだけです 他は彼らにさせなさい うまくやります 彼らはすばらしく 配置された専門家です 神聖の手に任せることを “サレンダー”と言います それができるなら ほとんどのことは 奇跡的にワークアウトするでしょう 驚くほどです “マザー このようにワークアウトするとは 思ってもいませんでした” 大変大きな力が 作用しています その力 すべてのエネルギーの 源であるそのエネルギーです この偉大な宇宙を創造し 母なる大地や 太陽を創造し あなたをデリケートに 創った力です その力が働いています その力があなたを世話し あなたがこのステージにいることを 誇りに思っています 今日は女神に “どうか私たちの内にあるネガティ ビティと戦えるよう助けてください” “戦えるようあなたの虎をください ライオンをください”と祈ります 私たちの内にいる 恐ろしい動物たちや 恐ろしい取り憑くもの 恐ろしいコンディショニング それらを取り除かないといけません 自分をよく見ると 沢山のコンディショニングがあります 薄いカーテンで覆われていて 見れなくなっていますが そこにあります その洞穴に虎を入れて 見つけなさい するとあなたは女神のように馬や ライオンや虎にまたがって楽しめます 結局子どもたちはお母さんから 受け継いでいる財産があります あなたはそれらを 使うことができます しかしあなたは それに値する者でないといけません 自分にはその価値があると 気づかないといけません それに値し それができると 今日私たちは このプージャのためにここにいます パースで予定されていましたが ここになりました このプージャができるのは 幸運なことです そしてこれはより深く より精妙な性質のものです あなたの血のように この七日間で女神は血の色の赤を 常に身に付けると言われています 胎児は母の子宮の中で まず赤色を目にします それは安心感です 一方で赤い服を意味し もう一方で 安心感を意味します あなたの周りに 安心感を与えます あなたが行くところが どこであれ安心感があります ただ感じなさい あなたは 神の王国に入っています 疑いようがありません 皆さんそこに入り すばらしく落ち着いています 神の祝福がありますように […]

シュリ クリシュナ プージャ、目撃する状態/シュリ クリシュナ プージャ Como (Italy)

1988年8月6日、イタリア、コモ市、ガーレイト、

今日私たちは シュリ クリシュナを崇拝するために 集まりました 私たちは ヴィシュディ チャクラにおける シュリ クリシュナの出現の意味を 理解しないといけません ご存知のように 一度か二度 シュリ ブランマデーヴァが 化身しました そしてシュリ ガネーシャも 主イエスキリストとして 再び生まれました しかしヴィシュヌの原理は 女神が何度も化身しているように 何度も化身しています ヴィシュヌの原理は何度も マハラクシュミの原理と共に 働かなければいけませんでした 人々の上昇を助けるためです ですからシュリ ヴィシュヌの原理は あなたの上昇のためにあります 人間の進化の過程のためです この出現や マハラクシュミの力を通して 私たちをアメーバの段階から 人間へと進化させました 私たちにとっては進化は 自然の行程に沿って進みました しかしヴィシュヌの原理においては 様々な化身を通して 進化しました ご存知のように まず魚から シュリ ヴィシュヌの化身から始まり シュリ クリシュナへと 化身しています そこで彼は完全体になった と言われています 理解しなければならないことは 彼が私たちの中枢神経系に作用し 育んだということです 進化の過程において 中枢神経系が育まれました この中枢神経系が 人間としての意識を与えています そうでなければ 私たちは石同様でした 私たちの意識が育まれ 内に次々と 異なるチャクラが形成されていきました ヴィシュヌの原理が 私たちに真実を追求させ 最終的にサジャ ヨギになるための 理解へと導きました なのでシュリ クリシュナの原理は 大変重要で このヴィシュディ チャクラの段階において 私たちは完全になります ある意味 サハスララが開いた時 あなた方はヴァイブレーションを 感じ始めましたが 完全ではありません 完全であったなら あなたの進化の 最終点であったはずです その時点で終わりであれば サジャ ヨガは 必要なかったはずです 実際は一度サハスララが開くと ヴィシュディまで降りて来ないといけません つまりコレクティブにです もしあなたのヴィシュディが 啓蒙されておらず ワークアウトしていなければ ヴァイブレーションを感れません 昨日演奏者が全く新しい次元で 演奏していました クンダリーニの覚醒があった というだけではなく もちろんありましたが 彼らのヴィシュディ チャクラに 降りてこないといけませんでした 降りて来させなければ 彼らの手は それほどまでに早く動かなかったはずです その優しさ シュリ クリシュナの マドゥリヤを感じれなかったでしょうし それを現すこともできませんでした あなたの指先や手で 表されるすべては マドゥリヤ 優しさを創りだす 新たな意識を得させます 芸術や音楽においても 身振りやすべてにおいて あなたの手が大変重要になってきます ヴィシュディ チャクラはまた16の 副神経叢に大きな役割を担っています 私たちの顔 耳 鼻 首は ヴィシュディ チャクラによって世話されます その結果偉大な俳優にもなれますし 純粋な目や輝かしい肌を 持つこともできます 神聖な音楽を聴く耳も持てます あなたの威厳を現す鼻も持てます 同じように あなたの 顔の表情全てが変わります いつも短気で 渋面であったり 常に乞食のようだったり 泣いてばかり 惨めな顔ばかりしていても すべて変わります 中庸になります 神聖さにおいて 美しく魅力的に見えます また大変優しい 顔つきになります 歯や舌もヴィシュディによって 世話されているので 歯の病気も治ります お話したように私は一度も 歯医者にかかったことがありません あなたのヴィシュディが大丈夫なら 歯医者に行く必要がありません 舌も良くなります 例えば中には 大変皮肉じみた人もいます 優しい言葉はかけられません 常に皮肉を言います また別の者は口汚い言葉を 使う癖があったり 常に無礼な人もいます 威厳は全くなく 優しさもありません 自信が全くない人や どもってばかりの人もいます 前に立って話すことが できない人もいます これらすべてヴィシュディ チャクラが 良くなればなくなります これらは外的な側面です ヴィシュディ チャクラが改善することで シュリ クリシュナが覚醒することで 現れる外的なものです 内側においては あなたは目撃者になります つまり動揺させ 困らせ 問題となることに対して目撃します 目撃できるようになり それに害されることはありません その見る状態 目撃する状態には物凄い力があります 何も考えずに見るなら 問題は解決します どんな問題であっても この目撃する状態になれば 動く波を岸から眺めるという意味の タタスタという状態になれば どう問題を解決できるかが分かります 目撃する状態を 育まないといけません 時にはその目撃の状態を育むのに 苦労する人もいます これは大切なことで 一度クンダリーニが サハスララから降りてきて 各チャクラを滋養し始めると ヴィシュディ チャクラに留まり 少しだけ混乱を生じさせます あなたはそこで“人生が恩恵に満ちて いたのにどうしたことか”と思うでしょう しかしこの時こそあなたは タタスタ(目撃者)にならないといけません 目撃者になれれば すべてが改善します 例えば ある所で働いているとします 目撃者になると あなたのアテンションは内側にいきます 物事を内側から見始めます そして何が間違っているのか見れます あなたの目撃する力で 抱えている問題を克服できます それに巻き込まれずに 全ての状況を目撃することができるなら 問題は容易に解決します これはサクシスワルパと呼ばれる 最善の状態です クンダリーニが上昇し つながりが確立した時 神聖な恩寵が流れ始め あなたのヴィシュディ チャクラを 滋養することで得られます シュリ クリシュナの 名前の由来はクリシで 耕すという意味です 作物を植えるために 農地を耕すことです 彼は私たちのために耕す方です つまり時期がきたら芽が出るように 私たちを創りました それでいて私たち人間は数々の過ちを 犯すことでヴィシュディをだめにします 喫煙したり 麻薬をしたりで だめにします 全く話さなかったり しゃべり過ぎたり 叫んだり 短気で 癇癪を起すなら それもまた ヴィシュディをだめにします ヴィシュディ チャクラを使うにあたって まず覚えておくべきことは 優しさ マドゥリヤのために 使われるべきであるということです 誰かに何かを言いたいのであれば 優しいこと 素敵なことを言うようにしなさい それを練習しなさい またある所では 特別な喋り方を習慣にしていたり 優しい言葉を使わないことが 流行っています 優しく話すことが ダルマに反すると思っています 傷つけるように話さないと いけないと信じています 人を傷つけることは シュリ クリシュナのダルマではありません 彼は誰かを殺すか優しくするかで その中間はありません 人に優しくするか殺すかですが あなたは殺すことはありません ただ優しくするだけです 互いに優しくしないといけません 特にサジャ ヨギは互に 優しくないといけません 誰かに間違ったところがあれば 優しく伝えます “サジャ ヨガに来たのですから こう振る舞うと良いかもしれません” シュリ クリシュナの人生には また別の意味もありました 彼はシュリ ヴィシュヌでもある シュリ ラーマの出現の後に化身しました シュリ ラーマが化身した時 人々は大変無知でした ダルマが何かを知りませんでした なので彼は王としてダルマとは何かを 教えたかったので大変厳粛でした ゆえに彼の化身は厳粛な父親として 様々な混乱を経て 慈悲深い王様の象徴を創りました その結果 彼の化身の後 人々の考え方が非常に厳格になりました 宗教における深刻さが始まり 儀式的になり 厳格になりました 人生における歓びはなくなり 厳格さの中で様々なものが始まりました バラモン教が始まりました バラモンは生まれながらの権利を持つとし インドで始まりましたが バラモンになる権限は 誰にもありません なっていくものです リアリゼーションの後 バラモンになります これはシュリ クリシュナの時代だけでなく シュリ ラーマの時代からの事実です シュリ ラーマ自身 バラモンではありませんでした 彼は指定カーストである 漁夫のヴァルミキに ラーマーヤナを書かせました 驚くことに彼はバラモンではない漁夫に ラーマーヤナを書かせたのです ブランマを知ったという意味であなたが バラモンになったように彼も後になりました ブランマを知る者こそバラモンであって カーストではなれません なので邪悪な者 いかなる罪をも 犯せるような者がバラモンになれることに 人々は困惑しました いかなる宗教や信念を信じようと 改善しません 自分をキリスト教徒と呼ぶなら キリスト教徒として 不純な目を持つことはできません 何人のキリスト教徒が そうだと言えるでしょう 不純な目を持たないということは 例えば女性なら物に対して 不純な目を持たないということです 自称するだけで真のキリスト教徒に なったことにはなりません ヒンズー教も同じです クリシュナはすべての者に アートマが内在すると言っています どこに生まれたかでジャティが カーストが決まるとは言っていません しかしヒンズー教徒は ジャティがあると信じています それに従って皆違うと考えます ある者は低く ある者は高く扱われます 全ての者の中にアートマがあると説く シュリ クリシュナとは正反対です サジャ ヨガで証明されました あなたがどんな宗教に従おうと 如何なる概念や哲学を信じようと リアライズ ソウルになれるということです 高い低いの身分はありません しかし彼らは自分たちだけが 正しいと思っています そう信じる者は皆 地獄に落ちることになるでしょう 真実に到達していないからです 真実はあなたがリアライズ ソウルに なったということです リアライズ ソウルでなければ 神に全く近づいていません あなたは神の王国に 入らないといけません キリスト曰く“神の王国に入らないと 再び生まれないといけない”と “私をキリストと呼んでも 私はあなたが誰か分からないでしょう” はっきり警告しています モハメッドも明確に言っています “復活の時にあなたの手が 語り始めるでしょう” “キヤマまでは これらのことをしても” “キヤマ 復活の時が来れば する必要がありません” 明確に言っていますが誰も キヤマとは何か知ろうとしませんでした あれこれ間違ったものを探し 互いに戦い合っているだけです 彼はすでに言及していました つまりサジャ ヨガにおいてです そのようなことは もはやすることはないのです あなたはピールになりました 一度ワリになればこのようなことは 必要ありません あなたはダルマティートになりました つまり宗教を超越することはシュリ クリシュナ によってインド哲学でも言われています つまり宗教が あなたの一部になります 役立たずの 上辺だけの宗教は必要ありません シュリ クリシュナは誰よりも 明確に言っています グナを ダルマを 超えないといけないと つまり内に 宗教を持つことです キリスト教徒やヒンズー教徒 イスラム教徒といった外側のものではなく 内側から そうならないといけません その結果どうなるか シュリ クリシュナは言っています “一度内からそうなると” “考えてはいけない 飲酒はいけない と私が言う必要がなくなり” “ただあなたはしなくなります” してはいけないのだと 理解するようになります 宗教の様々なナンセンスを克服するために シュリ クリシュナの出現がありました 何人が理解しているか分かり ませんが重要な出現でした 彼はすべてリーラであると教えるために 来ました すべて神のリーラです 深刻になることも 儀式的になることもありません 神をいかなる儀式に 縛り付けられません 彼はそのために化身しました 無意味な儀式に自身を 束縛すべきでないと教えるためです 何年も前 六千年も前の教えですが どの宗教を見ても 多くの儀式が行われています その化身が亡くなると人は おかしな儀式を始めました シュリ クリシュナが亡くなった時も 人は途方に暮れました 彼は“儀式は必要ない 喜ばしい 踊りや歌を歌いなさい”と言いました そして人は 新しいことを始めました “ロマンチックにやろう”と 人間はすべてを真逆にします その道の天才のようです そこで人は彼をラーダと戯れる ロマンチックな人物に仕立てました ラがエネルギーで ダはエネルギーを 維持する者のことです 彼女とのロマンスではありません 彼女はマハラクシュミ自身でしたが 人は彼との関係を夫婦のようにしたり 夫婦仲のように描く 詩があったりします 神聖な関係において 夫婦のような関係はありません ポテンシャルな 動的なエネルギーのことです 人間のような関係は 全くありません 人間は神聖な化身を自分達の レベルまで下げる習性があります ギリシャ人が良い例で 全ての化身を 人間のレベルに落としています 同じようにシュリ クリシュナに対しても 自分達に合ったロマンチストにしました 多くの愚かな人に 適した人物像でした ラクナオで365人の妻を持つ ナワブがいました 彼はシュリ クリシュナの ように装いました 踊ったり“シュリ クリシュナになった” と言います 多くのグルが シュリ クリシュナのふりをします フルートを吹き 他の者をゴピスと呼んだり そのような活動をする グループが沢山あります ブランマ クマリスなどです クリシュナが一人いて その他はゴピスで 結婚しないというナンセンスなものです 全く愚かで 邪悪で シュリ クリシュナの名を汚します シュリ クリシュナは ヨゲシュワラでした 全く執着がありません ある時 彼の力である妻が 聖人を崇拝する為川を渡ろうとしました 彼は“では渡って行きなさい” と言いましたが “洪水の為 渡り方が分かりません”と 彼は“水を引かせるようシュリ クリシュナ が言っていると川に伝えなさい”と “シュリ クリシュナがヨゲシュワラで 妻を持たないのであれば” “水位が下がるはずだ” そこで彼女達は 川に行き言いました “シュリ クリシュナに妻はなく ヨゲシュワラ ならどうか水位を下げてください” 水位が下がりました 夫でいて ヨゲシュワラであるので 彼女達は驚きました 彼は全く執着していません そして川を渡り 聖人を崇拝しました 聖人が帰るように言うと 川がまた洪水になっていました 彼女達は聖人に 帰り方を尋ねました “行きはシュリ クリシュナがヨゲシュワラ なら水位を下げるよう言いました” “それなら川に 聖人は何も食していないし 完全に執着がないと言いなさい” 彼にご馳走し 全て平らげた後 だったので驚きました そして川に“聖人は何も食べていない 無執着です”と伝え 水位が下がりました 聖人は全て平らげたのにと 彼女達は驚きました つまり彼はアスワダでした 食べ物に執着しません 人間の概念からすると 嘘のようですが事実です 彼はヨゲシュワラで 完全に無執着です 人は神聖を理解できません 一万六千人ともう五人の妻を持つ者が 結婚していないことに理解できません 彼はヨゲシュワラです あなた方もヨゲシュワラに ならないといけません あなた方は結婚し子どもがいます 結婚は吉兆なので喜ばしいですが “私の子どもが 家族が”と 常に巻き込まれてはいけません 多くがサジャ ヨガに来て 結婚してはいなくなります 家族を楽しみ 世話をする 結婚生活が一番なのです 私たちの家族は全宇宙です 妻や子どもだけではありません 全宇宙が家族です これがシュリ クリシュナが人生を通して 示そうとしたことです あなたは宇宙的な存在です これを彼は説こうとしたのです あなたは宇宙的な存在で 全体の一部にならないといけません 小宇宙が大宇宙になります 集合的意識が育まれるように あなた自身に起こらないといけません これがシュリ クリシュナからの贈り物です 脳において 彼がヴィラータになるからです 私たちの内には三つの アイデンティティがあります ハートにシヴァが 脳にヴィラータである シュリ クリシュナが そして肝臓に ブランマデーヴァが内在します 三つのアイデンティティがあり ヴォイドにはグルの原理があります アディナートゥ モハメッドからシルディ サイナートゥまで偉大なグル達です 彼らがグルの原理で 前回アンドラにいた時に崇拝しました 彼らは互い関連があり 皆共にワークアウトさせながら あなたをこの目撃する状態に持ってきました 重要なことです あなたのヴィシュディは 改善されるべきです まず罪悪感ですが昨日は大変強くて それを取るのに大変でした 罪悪感を感じる必要は全くありません 流行のようなものです 朝から晩まで“すみません”と 人間あるいはサジャ ヨギであることが 申し訳ないのですか 自分に対して 心地良くいないといけません 常に“すみません これをすべきではなかった”と 自分を悪く思い罪悪感を感じれば 左のヴィシュディをだめにします するとシュリ クリシュナの原理が なくなってしまいます コレクティブも感じれません 自分の間違いが理解できません すみませんというのであれば 神に言って これ以上すまないと 思わないことです 向き合いなさい 間違ったことが何であれ向き合いなさい 同じ過ちを繰り返さなければいいのです 口論することも 引きずることもありません ただ向き合い“間違っていた 二度としない”と それで終わりです あなた方はすでに聖人なのです ワリになりました リアライズ ソウルです アトゥマジャです あなたにはブランマチャイタンニャが あります 頭上には光があります 私の証明書は要りません ただ理解し あなたの 立ち位置に気づきなさい シュリ クリシュナが言うように 自己に気づかなければいけません まずセルフ リアリゼーションを得て あなたの立ち位置に気づくことです 確かなアテンションと 深い理解を得ていることに驚くでしょう その目撃する状態を得たと分かれば それをすぐさまするのは簡単なことです 自分自身を目撃者にしなさい 何を見ても思考を超えた意識状態に なりなさい それがあなたの砦です 考えてはいけません そこにある美しさを見なさい これらの木々がいかに静寂に あなたを見守っているか ただ目撃しなさい 葉一つ動くこともなく 見守っています “マザーが風を吹かせるまで そのまま静かに見守っていよう” これらの山々もただ静かに佇み 歓びと美しさを放って目撃しています 同じように目撃者に ならないといけません 沢山話すことも 黙っていることもありませんが リーラとして全てを センターで目撃すべきです それゆえ彼は リーラダラと呼ばれています リーラを維持する方 という意味です あなたを狂人にも おかしくもしません 歓びに満ちた者にします そうさせるのはシュリ クリシュナの ヴィシュヌの原理です この後も私たち皆が ヴィシュヌの原理を楽しめますように 瞑想することで前も楽しめました 瞑想すると思考を超えた 意識状態になるからです 思考を超えた時のみ成長できます それ以外はありません 何をしようと成長できません 瞑想をしない限り 思考を超えた意識にはなれません 人生において どの次元においても アーティストや科学者など 偉業を成し遂げようと願う者は 瞑想することが サジャ ヨガにおいて大切です さもないとクンダリーニが落ち 全ての才能を失います それは事実で 言われなければいけません 人は変われますが 時には一時的なこともあり得ます ちゃんとした方法でしないと 落ちてしまうことがあります あなたが目撃する状態に達する 幸運に恵まれますように 目撃する状態において おかしな風に自分を表さないものです ただ自分自身を見るだけです 全ての問題は自分で作り上げたに 過ぎないからです 自身から切り離すことで 問題を見ることができ 解決できます 私の知る限り 神の恩恵により あなた方は成長します この状態を 得ないといけません どの状態においても 恩恵 進歩 混乱が あっても 耐航性がないといけません 耐航性がある船は すばらしい航海で 混乱や嵐にも 向き合うことがでます 神の祝福がありますように […]

Birthday Puja, Understanding Sahaja Yoga Through Heart (India)

54th Birthday Puja, Understanding Sahaja Yoga Through Heart, Mumbai (India), March 21st, 1977
誇り高いサハジャヨギたち ヴァイディヤ判事 そして奥様 バクシさんとドゥマルさん 考古学者であるガヴィン ブラウンさん ヒンディー学教授である プラミタ シャルマさん カビール研究者でもあります 地理学者のジェーン ブラウンさん 皆ケンブリッジ大学の方々です 副議長のザクレさん 素晴らしい歌手であるショバ ゴトゥさん 遠方からわざわざ駆けつけてくれて 私は歌うことしかできないので バジャンを2曲歌わせてくださいと ここに集まってくれたサハジャ ヨギ達 他のご列席頂いた皆様 私の誕生日を祝って下さり 大変感謝しています 喜びで胸が一杯です このカリユガの時代に母なる存在に ヴァイブレーションを与える存在に 感謝する人がいることに 涙を禁じ得ません 実際私が与えているわけでなく ただ私から放たれるもので それが スワバヴァ 私の資質なのです どうすることもできないのです そうであるべき存在で 他にはあり得ません そのように働き続けます あなた方を愛することも 私のコントロールを越えています 人々がどうして憎むのかわかりません 私は皆を愛する時間が足りません 24時間は短すぎます どうして人が憎しみでもって冷徹に 他者を操ろうとするのかわかりません 憎しみは他者もろとも自分を破壊します 今日の佳き日に いつも愛について 考えるようお願いします 愛が知識の全てであり 知識は愛です それを越えるものはありません 知識を有するなら 愛の試験に合格しなければなりません 誰かを知っているだけなら 外面だけなので 記憶に残りませんが その人を愛するなら 全てがわかります 全てがわかります こういった知識を パラナレッジといって それを求めるべきなのです どんな書物も それを示しているだけです それら書物は単に布石であって 先に進みなさいと告げるだけです 神の王国に招き入れてはくれません 皆さんがそのレベルにまで 上がるようお願いします 自身の内なる神 神の愛を理解する事です あなたの内にあり 流れ出そうとしています そして与えることを 楽しもうとしています 与えることに 最大の喜びがあります 奪うことには喜びがありません 与えられると与えるようになります ドゥマルがいかにラフリで 働きかけたか聞いたでしょう ラフリ大学に行った際 近所の村民は車のルートを 知っていました 彼らは普通の村民でヨガについて 読んだこともありません ヴァイブレーション以外は何も 分かりません 自分の感覚の 主観的な知識です 言葉にできない 主観的体験です 指先から全身 存在で感じる神の恩恵です それに車に乗っていて 引かれる感じがありました 沢山の人が沿道に立って 車を止める人もいて ジェイ! […]