シュリ ヴィシュヌマーヤ プージャ Pawling (United States)

シュリ ヴィシュヌマーヤ プージャ、1997年、8月9日、ニューヨーク(アメリカ)

今日 私たちはシュリ ヴィシュヌマヤへ プージャをするために集まりました ヴィシュヌマヤは 人間の努力によっても創造されます さて雲は互いに擦れることで 電気が発生します ですから まずはじめに 雲が作られました 太陽が海に働きかけます 沢山のチャクラが 関連しています 海はヴォイドです 太陽は海に作用します 月も海に作用します その結果 雲が発生します 大海で電気は生まれません 問題が起こるからです 皆が見れて 聞こえるように 空で発生します まず見て その後聞こえます 全てが計算されています それがヴィシュヌマヤです しかしまたこの地上の人間の 知力によっても作られました 最初 人は二つの雲が 擦れるのを見ました 原始時代に人は二つの物質を 擦り合わせることで電気を作りました 二つの物質 つまり物質の二箇所を 擦り合わせて電気を発生しました 大変意味深いことです 物質は電気を発生させるのに 使うことができます 電気の火花は 物質から発生します 物質なしに 料理もできません ですから ヴォイドの助けにもなります まず大海から空へ渡り 人々に電気は起こせるという メッセージを与えました それは愛です 人はより簡単に消化できるように 料理の仕方も学びました 私たちのためになっています 人間はより良い生活のために 自然界から学び 実践します この慈悲深いエネルギーは 人間のためにあり 利用されます これはすべて ヴィシュヌマヤの創造です なのでマヤ(幻)なのです 電気でマヤを作れます それをどう作るかはご存知の通りです 幸運にも自発的にマヤを作るための この電気と関わる者が多くいます アメリカはこの電気 ヴィシュヌマヤによって助けられていますが 感謝していません 例えばナイアガラの滝や 沢山の滝があります 水が低い所まで落ちると タービンが動き 電気を作ります 静圧による電気です 石炭からも電気は作られます ここでもまた 母なる大地が彼女の中で 石炭を作ることで 人間のより良い生活に 作用します 彼女が全てのバダを腹部に 取り入れているに違いありません 石炭を作るために 石は燃やされ その石炭は 電気を作るために使われます 自然が私たちの善のために 働いています ニューヨークは 電気無しには存在しません 15分でも止まれば 電気の力がわかります それ無しで動くことも 存在することもできません それは作られなければいけません 人に善を与えます 料理したり 見れたり 聞いたりでき 楽しみます 電気無しには テレビも 何もありません ここの出口のサインもなければ 壁にぶつかってしまいます このヴィシュヌマヤは 大変作用しています でも彼女はマヤです マヤを作ります これが人のマインドに “私たちは世界の頂点にいる” という大きなマヤを作りました 仮に電気がなくなれば 石を擦り合わせて電気を起こす 原始人に戻ります この電気の流れは破滅のためではなく 自身の善のために使います しかし今日 あなたは 自分の破滅のために使っています 30、40年か もっと前のことですが 映画は白黒でした アメリカの映画は以前は 誠実味のある素晴らしい映画でした 既婚者が別の既婚者を 追い回すものは全くなく 素晴らしい家族を描く 大変純粋なものでした 全てを滋養するようなものでした 悪が打ち克つようなものを 見せることはありませんでした 今では泥棒がヒーローになるような ものを作っています そして人は 特に子ども達が そのような映画を見て 泥棒を偉大なものの象徴のように思います 彼らは完全にヴォイドに 内なる宗教に反しています ヴォイドを滋養する物が 原子価を保たせる物が 今では完全に ヴォイドを害しています それがそのマヤの部分です あなたに正しい道を示すべき同じ電気が 暗闇に光を照らすべき電気が 今では崩壊への磁石のように 人を引っ張っています これはヴィシュヌマヤの仕業です それは至る所に広がっています それは人々に概念を与えたり ある生き方を取り入れさせます ハリウッドや著名な人々は この電気で成功しています しかしヴィシュヌマヤに感謝することなく 人はヴィシュヌマヤに反することをしています このヴィシュヌマヤは あなたを助ける者です 彼女がシュリ クリシュナの シスターだからです シュリ クリシュナの領土なので あなたを助けるためにここにきました 彼女はシスターです よく理解すべきです シスターとの関係は 純粋です ここでは全てが混乱していますが これは兄弟姉妹の 最も純粋な関係です ブラザーはシスターによって 守られています そしてシスターの純潔は ブラザーによって面倒を見られます シスターの純潔が 危機に晒されていたり 彼女が不純でいることに心が痛まないなら 彼はブラザーとは言えません シスターの純潔を 保たせる責任があります そして彼女の純潔のみが 彼を守ります これは相互作用です この気持ちが育まれないなら、、、 “彼女は私のシスターで 私が 彼女の純潔を面倒見なければいけない” “私の欠点を気づかれないように きちんとしていなければならない” この関係はあなたを 大変浄化する工程があります 電気にも同じ工程があるようにです 電気がよくしているように シスターもブラザーのためにします 彼のために料理し 彼に正しい道を教え 彼を啓蒙し 時には彼に衝撃を与えます 彼らには衝撃が必要です でなければどうワークアウトして 良いか分かりません 何よりも シスターの扱い方に対して 大変注意深くいなければいけません シスターの扱いが 分からないなら あなたは完全に 間違えを犯すでしょう 思いもよらないことが起こりえます ですからいかにシスターを 扱うか心得ないといけません シュリ クリシュナの時代に シュリ ヴィシュヌマヤが ドラウパディとして再び生まれたことは 理解すべきことです 彼女はドラウパディとして生まれました ドラウパディが カウラヴァスによって攻撃された時 彼らは彼女のサリーを 取ろうとしました サリーを取る行為は 彼女の純潔への挑戦に値します マヤ ナグリを考えると 女性達は体を覆わなければ いけないという認識が全くありません このマヤ ナグリにおいて 全く逆なことをしています 大変責任ある者さえ“私たちの文化では 女性は露出しなければいけない”と言います なんという文化でしょう 全く反クリシュナ 反ヴィシュヌマヤです そのような者は 電気の問題に陥ります シスターの夫の純潔を 気にかけなかったり 逆に彼を支持したり 間違ったことをさせたりするブラザーは 同じように責任があります サハジャ ヨガではシスターは 守られなければいけません シスターの夫が間違ったことをしていたら ブラザーが忠告します 一度インドで ある新聞社が 私に対して批判しました 私の弟は憤慨しました 私は“問題が起きそうだ どうしたものか”と 事実大きな問題になりました 彼らは訴えようとしました “私は法廷に行きません”と “私たちが行きます”主人と兄弟が 一緒になると手に負えません どうしたら良いか分かりませんでした そこで私は 言伝を頼みました “編集長に私の兄弟に気をつけるよう 伝えなさい 彼らは影響力があります” でも彼らは謝罪しませんでした そこで私はヴィシュヌマヤを思いました すると大きなストが起き 新聞社が丁度六ヶ月閉鎖になりました 彼らは大きな損害を被りました 業務が再び始まると 働ていた人々が言いました “なぜシュリ マタジに対して批判をしたのか もう辞めます”ようやく新聞社は謝罪しました ブラザーの愛はアディ シャクティが 通常しないことでさえさせることができます 同じようにドラウパディが 挑戦された時 シュリ クリシュナは ハスティナプールにはいませんでした 彼は少なくとも千マイル以上 離れていました しかしこう伝えられています “シャンカ チャクラ ガダ パドゥマ ガルーダ ライ シダーレ” 彼は全ての武器を携え コンドルに乗って来ました シスターの純潔を救うために これら全てを携えました 私たちの歴史には 多くの出来事がありました 例えばアブラハム リンカーンは 自由の女神の 偉大なるブラザーであったと思います 純粋な愛で全く金銭を介さずに 女性のために 飲んだくれの亭主を 罰するため戦いました 素晴らしい強力な ブラザーの振る舞いです しかしこのような心持ちを持つ者は 今ではあまり見ません しかしロシアで レーニンの家を訪ねた時ですが 彼は奥さん以外に 彼のシスターの助けがありました 彼のためにタイプしたり 公的な仕事をしたりしました 彼は54年の短い生涯で 本を何巻も書きました まず第一に彼はシベリアにいました 彼のシスターが そのほとんどをタイプしたのです 私たちは滞在中も そのシスターの存在を感じました いかに彼女が ブラザーを助けたかを感じました この関係は何の見返りも求めない 大変純粋なものです 普通であれば妻は “私にコートをくれないなら離婚する”と イギリスやアメリカでもありえます しかしシスターと 離婚はありません 離婚できません 今回新聞社の出来事で 私のブラザーの名前が公に出ました “どうしたら良いでしょう 彼は私のブラザーです” 良くも悪くも 彼は私のブラザーです 彼と離婚は出来ません 全く切れることのない関係です 自然がこの関係を あなたに与えました しかしコレクティブにおいても この関係に敬意を払うことは 大変大切です あなたができなければ コレクティブの生活を浄化できません 私がパーティに行くと おかしなことが起こっているのを感じます 別の妻が 別の旦那と大変親密です おかしなことが起こっています 自分の妻以外は皆シスターです そうであるなら 純粋さが落ち着きます “彼女達は私のシスターです” そして目も落ち着きます あなたの目から純真が煌きます 大変簡単なことです リアリゼーションを得ると 目に煌きを得ます 輝きがあります それがヴィシュヌマヤです あなたの目を通して輝く ヴィシュヌマヤです そしてヴィシュヌマヤが 彼女が作り出すマヤを超えさせます 目の煌きをリアライズソールに 見たことがあるはずです そしてこの煌きこそが 兄弟姉妹関係の力や 美しさを感じさせ 理解させます サハジャ ヨガが始まった頃 これを 確立させるのは不可能だと思いました なのでヴィシュヌマヤを 試してみようと思いました うまくいきました 現にこれは間違っているあれが 間違っていると自然に分かります それに対して 掟を作る必要はありません ある女性が兄弟と アメリカに行きました 彼女は私に言いました “大変おかしな場所です” “節約のために 一つの部屋に泊まろうとしました” しかし“ダメです 兄弟姉妹は 一部屋には泊まれません” インドなら泊まれます むしろ“兄弟姉妹以外は泊まれません” しかしここでは兄弟姉妹は 一部屋に泊まれません 法律上ホテルに同じ部屋で 泊まることはできません 父と娘なら泊まることができます 馬鹿げています インド人にとってはショックです 私は“なぜですか”と 理解できませんでした 今や法律になるほどです 私たちにとって そのような法は馬鹿げています 電気について あなた方から多く学びました あなた方もヴィシュヌマヤの力について 私たちから学んだ方が良いです 根について学ぶことは 害ではありません 木が駄目になっていれば 根から本質的なことを学びます ブラザーとシスターの間の 純粋な関係についてです シスターとの関係は常に 夫婦間の接合剤の役割もあります 夫が私を困らせるなら 彼のシスターが彼をたしなめるでしょう 彼は気をつけないといけません 私も同じで 私が何か間違っていたとしたら ブラザーが夫の味方になります 私の味方ではありません それが関係を 大変強固にさせます 歴史において二つの 大変素晴らしい出来事をお話します 一つはシヴァジについてです 大変素晴らしい出来事が シヴァジの人生に二度起こりました 一度大変美しい女性が 彼の前に連れてこられました 彼女は服飾品を奪われていました イスラム教徒の宮廷に 仕える者の娘だったからです そして彼らはこの美しい女性を夫から奪って シヴァジの前に連れてきました シヴァジは彼女を見て言いました “どうかヴェールをとってください” イスラム教徒はヴェールをします 彼女がヴェールを取ると 彼は言いました “私の母があなたと同じくらい美しかったら 私は同じように美しかったでしょう” なんという詩的な言葉でしょう つまり“あなたが私の母なら 私はあなたと同じぐらい美しかったでしょう”と つまり自分のシスターである ことを喩しています そして彼はこれらの人々には 腹を立てて “女性に対してもそのようなことを 決してしてはいけません” そう言っただけではなく彼女に 沢山の服飾品や様々な物を与え “彼女は夫の元に敬意をもって帰る 私のシスターだ”と言いました 実は彼女の夫は シヴァジの最悪の敵でした いかに純粋さで その問題を解決したか その夫は彼のその振る舞いで 大変温和な者になりました そして彼の人生における 二つ目の出来事は プーネの私の家の近くにある 城砦についてです カマル クマリと呼ばれる ラージプートの女性がいました その城砦の役人である イスラム教徒の男性に捕まっていました “あなたは私と結婚しなければいけない” しかし彼女は受け入れませんでした 彼女は力尽くで 連れて来られたのです 彼女は受け入れませんでした 彼女はラージプートでした しかし彼は“明日には 私と結婚しなければならない” この女性はどうして良いか 分かりませんでした そこで密かにシヴァジに ラーキーと共に手紙を送りました でもそれは シヴァジの母に届きました お母さんは馬でシヴァジに メッセージを送りました “出来る限り早くここに来てください 食事中ならここで手を洗いなさい”と シヴァジはお母さんに 大変従順でした 人は彼の人格から 学ばなければいけません 彼は母の下に急ぎました 従順が彼の力だったからです “お母さん どうしたのですか” “私はあなたと チェスがしたいのです” “なぜですか” 彼は理解出来ませんでした そこで彼女はチェスをして 彼に勝ちました 彼女はただ言うことも出来ましたが 彼にヴィシュヌマヤを作用させたかったのです 彼は負けて “お母さん 何が望みですか” “今夜中にこの城砦を 占領してほしいのです” “今日ですか” “そうです” そして彼女は 手紙とラーキーを見せました ラーキーは大変強力で 母が息子に頼まなければいけないほどでした 息子はイスラム教徒から マハラシュトゥラの解放に責任のある立場でした つまり彼こそこの城砦に行って 占領することができます その紐に大変強力な メッセージがあります “分かりました” でも彼はどうしたら良いかと 動揺していました するとタナジと呼ばれる 男性が現れました 息子の結婚式に 招待するために来ました そして彼の動揺を見て “どうしたのですか” “母にこのように頼まれました” “私が行きます あなたが行く必要はありません” “私のようなタナジはたくさんいますが シヴァジはあなただけです” “しかし息子が結婚するのですよ” “私の剣がこの城砦と結婚します その後息子は結婚します” そのような素晴らしい人がいました 大変な犠牲心です たった一つのラーキーのためにです 彼らはこの女性について何も知りません 見たこともありません 今日そのようなことを する人はいるでしょうか 先進的で偉大とされている人がいますが 誰もこのような映画を見には行きません 人はつまらないと感じるからです さて彼はそこへ行き 大きなトカゲのようなものを使いました 釘を打ち ロープで登り その城砦を勝ち取りました シヴァジが見えるように 成功したら火を灯すと決めていました 彼は早朝にその火を見て そこへ行きました 木の下にタナジの死体が 横たわっていました 彼は彼を見て言いました “私たちは城砦を手にしましたが ライオンを失いました” それ故ライオンの城砦 と呼ばれています 私の家からも見ることができます ラーキーと呼ばれる 小さな記念碑です 城砦を次から次へと 占領することができるという 象徴の表現です もう一つの出来事は 前にもお話しましたと思いますが アレキサンダー大王がプルと呼ばれる 王に逮捕された時のことです 彼はインドの女性を 妻にしていました そして偉大なるアレキサンダーは 投獄されていました それはヴィシュヌマヤの日でした 妻は大変賢い女性で 素敵に覆われた小さなタリーに ラーキーを入れて王様へ送りました 儀式通り その日に彼に贈られました 贈物は受け取らなければいけません シスターはわざと送ったわけですが 彼は受け取りました そしてラーキーが結ばれると “シスターは誰ですか” “あなたのシスターは アレキサンダーの妻です” “なんということだ 義理の兄弟を逮捕してしまった” すぐさま彼と 義理の兄弟です 別に結婚式が行われた訳でなく 義理の兄弟となりました 彼は牢屋に急ぎ 偉大なる皇帝の前にひれ伏しました アレキサンダーは理解できませんでした “プルに何が起こったのか” そしてプル王は 自国の言葉で謝罪しました “貴方が私の義理の兄弟だとは 知りませんでした 許してくれますか” そして彼を王座に座らせました 彼は理解できませんでした 彼を座らせ花輪を捧げ アーティをして 宝飾品やダイヤモンドやルビーなど 大きな首飾りを与えました 足に触れて洗い 大いなる敬意をもって彼を家に返しました しかし彼は“狂ったのか 誰かに憑依されてしまったのか” 彼の謙虚な態度にギリシャ人が 取り憑いたのかと思ったのでしょう 彼が家に帰ると妻が笑顔でいました “なぜ笑っているのか” “私はインド人の心に効く トリックを知っていました” “トリックとは何か” 彼女は彼に一本の紐を見せました 彼は理解できず “これは何なのか” “これはラーキーでこれを彼に送りました これはシスターのシンボルです “だから解放されたのです” アレキサンダーは座って “なんということか この者達は 自分の敵を一本の紐で解放するのか” “そのような者達を捕られない あまりにも良い人達だ” ”このような精妙さを理解することは できない”彼は自国へ戻りました 彼は彼の賛美を歌う 何人かの詩人を連れました ギリシャではそのような精妙な者を 見るのはむしろ驚きです 彼らが精妙さを理解する 時だったのかもしれません しかし今日では あまり望めません 人を見ると 彼らは精妙ではありません ヒーローとして崇拝している オナシスのような人しかいません どこからこうなったのでしょう ひどいものを良いものとしています 同じヴィシュヌマヤが このマヤを起こしていると言えます そうなれば地獄行きです 彼女がこれを あなたのためにアレンジしました 彼女はアメリカ人が ヨギに値するとは考えていません 私と戦っているのは彼女です 彼女は“マザー 忘れて下さい” 映画を見ると どれもひどいものです 最近の映画は見ることさえできません 目を閉じてしまうほどです 同じ力があなたの 崩壊のためにあります あなた自身で使っています これらの映画は全て 人を互いに戦わせ 殺させ 凶暴にさせ 醜くさせ 恥とも思わせない 全く自尊心も 互いへの敬意も 持たせないように作用させます 全てメディアからきます 子どもも無礼になっています 誰も人の言うことを聞きません 目上の者に敬意を払いません 人は素朴で正直で知的で聡明な者が いれば愚か者だと考えます 彼らをどう出し抜き 話を切り返すか どう侮辱できるか分からないからです 全ての映画産業はより侮辱的な 言葉を生み出そうとしています 侮辱的な言葉ほど良いとされ 公衆もそれを望みます 経済目的のために 映画を作ります お金が全てになると 堕落と言えます お金を得て何が悪いのか お金さえあれば良いのです あなたはお金を得たいのですか この国の野蛮な子ども達を そのままにするのですか 何が得られますか 金銭主義はあまりにも酷く アメリカ人は最も狭量で 自己陶酔していると言えます 一方でヴィシュヌマヤは 最も寛容です 彼女は光をあなたに与えるために 自身を燃やします 狭量さは金銭主義から来ます 彼らは大変悪意があり 時には極悪で酷いことをしようとします すると電気が 作用せざるを得ません 彼女がどのように作用させるかは 分かりませんが大変怒っています 特にアメリカ人にです 彼女のブラザーが 統治しているからです 彼女は全てが 安泰であってほしいのです ここから全世界を滅ぼしている 無意味な映画が作られているからです エイズはヴィシュヌマヤの 恩恵の一つです 左のヴィシュディからきます まず左のヴィシュディから 汗をかき始めます 人が罪悪感を感じるなら 向き合い なくさなければいけません もちろんそれは右側に 傾くことで始まります この右側に傾く傾向が 結局は左のヴィシュディにいきます その内在している部分が 人の中である種の弱さを作ります それは母性の 純粋な形だからです センターハートです 母性の純粋な形です 純真な女の子を見ると 彼女の興味は小さなお人形です 彼女は完全にお母さんです 彼女が正しく育つなら 幼い頃から彼女はお母さんです 母性は女性の典型です ヨギの中にも結婚後も子どもを 欲しがらない愚かな者がいます サハジャ ヨガから 直ちに出るべきです これら全てを子どもを望まない人のために してきたわけではありません できるならそうすべきです 生まれたいと望む偉大な魂が 沢山いるからです それらはあなたの家族の木に 繁栄する偉大な果実です 子どもを全く望まないのであれば あなたはここで何をしているのですか ヴィシュヌマヤの 最も主要なことは 女性が母親にならなければ いけないということです するとその母性が輝くための 特別な力を授けます さてエイズはレフト ヴィシュディで始まり センターハートにいきます センターハートが挑戦され 母性が失われます このようにして抗体が弱まり 病気と戦うことができなくなります エイズにかかった者は抗体が 全くない状態で戦わないといけません 全てにアレルギーを起こし 死んでしまいます エイズに立ち向かうのに シスターとブラザーの関係は 確立されなければいけません そうすることシスターが 男性の振る舞いにおいて 注意してあげることができ そして彼らもシスターを 注意してあげることができます 全ての 悪魔的な動きにおいて 男性は肉体的に攻撃され 女性は精神的に攻撃されます そのような攻撃の中では 女性はそこから抜け出すことが難しいです まず第一に私たちの目的が 何かを決めなければいけません それはスピリットになることで 色情のためではありません このマヤがあなたの目的を 完全に変えました あなたを虫けらのようにしています 実際アメリカ人がどこに向かっているか 理解すべきです 皆アメリカ人が半分気が 狂っていると思っています アメリカ人が来れば “気をつけなさい アメリカ人だ” アメリカ人は自覚して いないかもしれません 人はアメリカ人を 正気な者だとは考えません この奇妙で愚かな 考えがあるからです しかしここでは人は 愚かで狂う基本的な権利を もっていると主張していると聞きました 今日この国で起こっていることは そのようなことです あなたは彼らの矛先を神に セルフ リアリゼーションに向けないといけません これはサハジャ ヨギにとって 大変難しい仕事です 私はあなたにお願いします そして祈ります あなたがヴィシュヌマヤの力を育み ヴィシュヌマヤの力で あなたが輝くように 自由の女神を見ると 彼女はヴィシュヌマヤだと思います なぜ男性ではなく 女性なのでしょう 彼女はシスターの ヴィシュヌマヤのシンボルです あなたが自由を持たなければ ならないのなら持てます しかしそれは叡智の自由で 愚かさの自由ではありません このシュリ クリシュナの偉大な国で 今日私はこのことを 話さなければいけません 注意していないといけません 南米で彼女は本当に 適切に支配していると言えます そこは彼女の領域でもあります そこでは電気が至る所にはありません 堕落が始まっています 彼らはあなたのレフト ヴィシュディ をダメにするために コカインや 他の酷いものを作っています 北米では罪悪感を感じる一方 もう一方ではコカインを作り あなたのヴィシュディをダメにするために ここに輸出して悪化させています これはヴィシュヌマヤに対する攻撃で 輸出からくる 南からくる別の攻撃です なぜ輸出しているのか 尋ねました “自国の民を救うのは彼らの問題で 私たちではありません” コロンビアでは公に このように感じています “アメリカは自身で世話できないのに なぜ私たちは国民の面倒を見れるでしょう” 彼らはあなた方から 多大なお金を儲けています それはあなた方がお金に 大変な注意をおいているからです “構いません 私たちはあなたに ヴィシュディをダメにする物を与えることで儲けます” “お金をそんなに大切だと思うなら あなたからお金をもらいます” 大変大きな戯れです マヤです この国が陥っている 酷いマヤです 簡単に物を受け入れたり 酷いことに気づかせる輝かしい例によって あなたは行動しなければいけません ヴィシュヌマヤがここで 硬い殻を破ると確信しています サハジャ ヨギ達が歩める 新しい道を作ることを望みます そして適切でダイナミックな方法で サハジャ ヨガに多くの人が来るように サハジャ ヨガに落ち着くように 神の祝福がありますように […]

サハスララ プージャ、ニラナンダ/サハスララ プージャ Laxenburg (Austria)

1985年5月5日、ウィーン(オーストリア)

今日は オーストリア女王によって造られた この美しい場所に集い サハスララ プージャを行います サハスララの領域に入った者だけが このプージャをする権利を持ちます それまでは誰もサハスララについて語らず プージャもしたことがありません あなたがサハスララの領域にいて プージャができることは光栄なことです あなたは選ばれて その権利を持っています ヴィラータのサハスララに 入ることは特権で 脳内のサハスララの 細胞として存在します サハスララの細胞には どんな性質があるでしょう これらはスワディスタナによって 特別に造られた細胞です 全てのチャクラを通りぬけ サハスララに至りますが 他の要素に影響されずに 脳の活動に影響を及ぼすことができます 同じように サハジャ ヨギ達も 宇宙の他の細胞である 他人の影響を受けないようになります サハスララにいるサハジャ ヨギはまず 超越“アティートゥ”していきます 多くのことを超えます 例えば“カラティートゥ” 時間を超越します 時間が彼に隷属します どこかに行くにしても 自分が全てに 間に合うことが急に分かります 例えば電車に乗るのが 遅れそうになっても 電車のほうが 遅れたりします あなたの都合のために 物事が動くように感じます 時間を超えます “カラティートゥ”です ダルマ(徳)も超えます “ダルマティートゥ”です あなた自身がダルマになる という意味です これをしろとか するなとか 言われずともしなくなりますし するべき時には するようになります これらの人間のダルマを 超越するとき… 色情や貪欲などに 注意を奪われると 人間的な徳は 失われてしまいますが 注意が ダルマティートゥになります つまり注意が ダルマを超越します 預言者が教えたように 注意をコントロールする必要があります 人間は最も低いレベルから 来たからです これらダルマが人間にはあって それらが害をなす場合は コントロールするすべが必要になります なのでダルマを積み上げ 低次の条件付けからくる性質を調節し コントロールするのです これが人間の偉大さで 低次の性質の更に上に 徳を作り上げたのです 例えば炭素は4つの原子価を持ち その性質通り活動するので それを6に 変えることはできません しかし人間はこれらの性質を 自ら確立することができ それが人間的な徳 “マヌダルマ”となります でも サハスララに至ると 注意がその性質を失うというか 徳や自制の 必要性がなくなります 訓練の必要がなく 自動的に訓練されます これがニルマラダルマの 最初のサインです 純粋で 注意が何にも囚われません 蓮の葉が 水面に浮くように こうしてカラティートゥ ダルマティートゥになり グナティートゥになります つまりライト レフト センターの 3つの気分を超えるのです まずレフトでは 注意が感情に囚われます 第2に身体や考えに 執着します 3つめは ダルマへの囚われです 善くあろうとし サットヴィカとして 自他を鍛えようとします 色情や怒り 傲慢 うぬぼれ 虚栄心 強欲などを コントロールしようとします 全ての注意の 制限がなくなり あなたは完全な叡智を 備えた自由な人になります あなたの注意自体が ダルミックになります なので全てのグナはなくなり 訓練ではなく 自発的に 高潔な者“サットグニ”になります 自発的に 徳のある人になります そういった人はときに 理解し難いことがあります 例えばキリストは 教会の前で物を販売していた人を むち打ちしました 原理的には 怒りは望ましくないのですが グナを超えた怒りは分析を超えていて 自発的に起こるものです 女神は悪魔に怒り クリシュナはアルジュナに すでに死んでいるからと 敵の皆を滅ぼすように 言いました これらは超越しないと わからないことです この“アティートゥ” 超越意識が出現します 超越した者だけが コントロールできるのです そこに浸かっている者は コントロールできません 船を引っ張りあげるには あなたは陸にいる必要があります 超越した者だけが それをすることができます そうやって超越することが “アティートゥ”です でも そういった人は 思考を超えているので 説明することもできません なぜソクラテスが毒を飲んだか 説明できません 何故キリストが 処刑されたかも 人間的理解を超えています あなたは人間的理解を超えた 振る舞いをするようになり 人から認められる必要がなくなります あなたの証明書は 低次の人間からでなく全能の神からきます でなければ犬が人間について あれこれ言うようなものです ここであなたは“ア”の意識に到達します “ない”という意味です ここでは人は考えません 思考のない意識です 貪欲さも 色情もありません “アシェシャ”といわれ 無の意味です 例えばあなたが“空”を作り出したいと どんなに努力しても 必ず何かが残ってしまい 完全な空は作れません 完全な空は作れないのです なのにその意識をもつと 完全な空になり ネガティブさや 攻撃性がなくなります 永遠の存在で 殺されることも害されることも 傷付けられることもありません だれかが怒ろうと 尊敬を向けようと 関係がありません 侮辱されてもされなくても 乱されません 賞賛されても エゴを楽しむ機能がないので おだてられません すると第3の意識に至り “ニヒ”の恩恵を 得ることになります サンスクリットでは私の名は “ニヒ”と“マラ”でニルマラになります “ニヒ”があります “ニ”の音は 揺れて“ニイ”になります もしくは“イ”がつくと “全くの”という意味です でも先の“ニヒ”は “ない”という意味で “ニラ”は “全くの”という意味です 例えばニラナンダ ニラトマは全くのアトマ 歓び以外の何物でもない という意味です でもこの“ニラ”と“ニヒ”は お伝えしたように2つの用法があります ひとつは“ない”とか “欠けている”です もう一つは“絶対の” “絶対”です なのでニラナンダは絶対的歓び 完全な自由となります あなたは 多くの歓びがあります 例えばスワナンダは スピリットの歓びです あとはブラマナンダは 豊かさの歓びです リーラナンダ クリシュナナンダは 遊びの喜びです ですがサハスララに至るとニラナンダで 全くの 絶対の喜びです “ニラ”とは私の名前ですが 絶対を意味します なのでその接頭辞をつければ どんな言葉でも絶対になります このように あなたは絶対になります あなたが 絶対の状態になると 自己以外の何かが入る 余地はありません 絶対とは何なのでしょう 相対ではなく 相対的な性質を 持たないということです “アトゥルニヤ”といって 比較対象がないので比べられません 何かに関連付けられません 絶対なのです 理解可能なものとは 関連がないので理解できません 絶対です 何かを 理解しようとすれば その絶対から それてしまいます 絶対を分析しようとすれば 必ず違うものにたどり着きます これがサハスララで得ることで ニラナンダです サハジャ ヨガの段階によって 身体の歓びに始まり 魂の歓び そしてエゴの歓びを得ます しかし 今や ニラナンダの意識を 確立する時です となれば何が 恐れの問題でしょう 何を話す 必要があるでしょう 話すことができません 何も関連がないからです これはこうですと 私は言えません 絶対を記述する 言葉はありません “これではない これではない”と 否定していって 残りが絶対です このように 絶対に辿り着き そこには 絶対以外存在しない 完全な関係の場なのです それゆえ サハスララ プージャを行うのです そこにこそ皆が 至ろうとすべきです それこそが上昇で 内面で確立される 必要があります ヒマラヤに行ったり 徹底したことは何も必要ありません 世俗にありながら 絶対になることができます “唯一のもの” “ケヴァラン”です “どうやって”はなく ただそうなるものです 花が果実になるように あなたの中にあります そうさせなさい 放棄することによってのみ そうなれます 放棄すれば 絶対を楽しむ状態の自分に 驚くでしょう これは絶対の愛 絶対の慈悲 絶対の力です 言葉が止まり 記述が止揚します 絶対になり 一体感をとおして それを感じるでしょう だれかが一緒にいないからといって 悩まないことです だれも要りません あなたは1なる存在で 絶対なのです そこで始めてあなたは 他者の絶対を楽しみ その最も良い姿以外は 目に入らなくなるのです 神のご加護がありますように […]