アディ シャクティ プージャ (Italy)

アディ シャクティ プージャ 2004年
イタリア カベッラ リグーレにて 今日の集会は特別です 今日は特別な日でもあり 多大なお恵みの日です なぜならある力 秩序が 誕生したと歌われ 語られるからで それはアディであり始源なるものです 偉大な宇宙の創造は この力によります 理由や方法については あなた方は既に知っています わざわざ話す必要はありません 今日はこの力について話します あなたのハートに隠されています それによりあなたは創造できます 新しい世界や家族や秩序 まだ見ぬ全てを創造できます それは可能です それは可能であり起こりつつあります 難しいのは 人間をどう適応させるか 互いに完全に同調させるか それが難しいようです 彼らは身内では大丈夫です 同じスタイルなどを持つ仲間内なら大丈夫です 別々の者を完全に一つにしようとするのは とても難しいし するべきではありません 一つにするべきではなく そうされるべきでもなく そうなるべきなのです 問題は 美しい魂の人たちがいるのに 彼らは 十分に一つになれないことです どう解決すれば良いでしょう 多くの人々が 「マザーなぜこの問題があるのでしょう」 私は微笑みました なぜならあなた方が どうしてX線のような 新しい方法を用いるようになったか それを考えると 私たちが皆ひとつであり唯一の存在であると 分かるためだからです だから皆の内面が一つであり 一人として違いがないことに 感謝すべきなのです その唯一なる存在が輝き 何かを執り行うなら すべてが同じ方法になることに驚くでしょう 同じことには同じ様に作用します 両者に違いはありません にも関わらず私達の心はさ迷い サハジャヨガには意味のないような 問題にはまってしまいます 私達は問題がないということを 解っていないことが一番の問題です 私達には問題がありません 問題があると考え それに取り組むべきと思いますが そもそも問題がないのです 私にはどこにも見当たりません 問題があると思う人は 私に手紙を書くように言いました 私から問題について 教えようと思います でも私がなにか言う前に サハジャヨギ達がまだまだ 自らが唯一無二であることを 理解する水準でないと言いたいです 全ては外からでなく内面からなので 外面の努力は全て無駄です 私達は努力を放棄して自分自身にならねばならない そこであなたは無を発見するでしょう 別の集会も謎解きも 何も必要ありません 全てはそこにあるのです あなたがそうなれば良いだけです これを理解するのはかなり難しく 皆が違った鼻をして顔も違いながら 同じになれるのです でも同じなのです 同じだからこそ違って見えるのです みな一つであると言わなければなりません 同じというのは 衝動も感情も理解も全てが 同じだということです ただ違ったタイミングで経験するから 勘違いして違うと感じますが 実際はそうではありません 一つの存在で一つの関係です アディシャクティとの関係です あなたはその一部であり 何をしようとするにしても アディシャクティなしには行えません あなたは彼女から生まれ導かれ 養われます 私には全てが一つです あなたには道も行動も違うと思いますが それは間違いです 私が何を言うにしてもそれは証明されるべきで ぞっとする話をあなたは受け入れることはありません 私自身あなたと一つです いつもそうだしこれからもずっと皆さんと一緒です 私には少しも違いはありません 外側のことで服やスタイルだけです 内面的な気質は 多分人によるでしょう それが少し変わるだけで あなた達は一体感を感じて あっという間に違いはなくなるでしょう 今日私はとても危険な人に会いました 彼はそうしたければ私を殺せると思いました 何でも出たはずですがそうなりませんでした なぜなら私が誤解していたのです 彼は私に敬意を示したかっただけだったのです 私を殺害しようとしたかったわけではないのです あなたがいかに互いを理解するかに驚きます その理解が適切にならない限り ありのままを理解することができません 本質や正しさや真理が分かりません 真理とはずっと前に 人がそれを望むずっと前から存在しましたが 多くの偽りの物事と共に 真理も失われてしまいました 例えば私があのヘビは 無知からから生まれと言い 他のヘビをがそれを支持すると ヘビがどんどん増えて 不正や嘘で宇宙全体を一杯にします するとそれを信じてお互いに 殺し合います 皆同じヘビなのにです どれだけこのナンセンスを信じるのでしょう どれだけそれに従うのでしょう どれほどそれを受け入れるのでしょう とても難しいことです なのに真理以上に受け入れられています 不正は真理より簡単に受け入れられます なぜでしょう 私達が不正に立脚しているからです 私達の理解が不正確だからです だから真理の理解の仕方を変えなければいけません それは難しくありません 私達が真理だからです 真理になるのは何故難しいのでしょう 自然に起こることなのに 何かがおかしいからです 私達のどこがおかしいのか 何がおかしいのか見つけなさい 自分のどこに向き合えていないかです 私たちは自分に向き合えません 人には向きますが自分には無理です 自分を見ることはありません 自分の置かれた状況を理解していません それこそがマザーに示されるべきことです そのためにマザーがここに来たのです 地上に降りてあなたの内なる問題を 指摘しに来たのです それを受け入れなさい この原理を実践しなさい するとあなたが知識をもっていて どれほど自分や周囲を理解できるかに 自分自身が驚でしょう 特別でも異質でもないことです 自分を受け入れるだけでよいのです 人はサハジャヨギになっているようで なりきっていません 成ろうとしていますがまだ成り切れていません 反対に彼らは自分がサハジャヨギであると 知るべきです 何かになる必要はありません すると問題がなくなります でも違うサハジャヨガやヨギがあると 受け入れると あなたが違う存在になります するとどうやってサハジャヨギになれるでしょう 無知です 私達の無知ゆえなのです まるで知らない人同士のように振る舞う 全くの無知です 全てが同じであると 理解する必要があります 無知は全く必要ありません それが起こればたちまちにして 世界の問題がたやすく解決されるでしょう 今日のプージャは特別です なぜならこのプージャは 決して変わることも変容もせず 常に同じ様に存在し続けるもの そのためのプージャだからです そこで私が何を言えるでしょう なにか言う必要があるでしょうか ありません 自分自身と一体になりなさい それこそが結論で 自己と一体になるのです 頭で考えて言葉に溺れたり 雰囲気や他人に流されたりしないことです 現代こそ脳が刺激され コントロールを失う時代だからです ヘビのようなもので 然るべき場所に納まるべきです 動き出すと危険です 私達の心も同じで すぐに間違った方向に行こうとします そのためには原始の母のプージャが必要です 私達は原始の母に沿うようになるべきで 自身の始原を保持し 本源的な自己を働かせ 自分を詩歌や理論に流されないことです これができれば最高の達成です できると確信しています 問題ありません ただ私達は自分がインド人であるとか 英国人とかヨーロッパ人とか意識しすぎています でも私達は違います 私達は単に私達そのものであり それと一つになることが目標です 神のお恵みがありますように! […]

Sahastrara Puja, Continue To Live A Life of Reality Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Sahastrara puja, “Continue to live a life of Reality”,. Cabella Ligure (Italy), 9 May 2004.

今日はサハジャヨギとしての 人生でとても大切な日です サハスララが開いた日です 真にカリスマティックなことが起こりました 私の生きている間に出来るとは 思っていませんでしたが できました そして皆の多くのサハスララが開きました それなしでは真理を知ることは できなかったでしょう 皆同じように人生に迷っていました 第一に サハスララ以外に現実を知り 理解する道はありません あなたは現実とは何か 悟りました そして現実を知っている意識を 楽しんでいます サハスララが開いてそれを知ったのは 大きな恩恵です でなければそれはただの話にすぎす 意味がありませんし 理解もありません だからまずサハスララを開きたかったのです それができました 上手く行きました それで皆さんの サハスララが開きました 特別なことです こんな多くのサハスララが開くとは 誰も信じられないことですが 私には皆の頭上にハッキリと 光が見えます 間違いなく素晴らしいことです 誠実な探求のおかげです 誠実に探求したから 得られたのです 私は何もしていません そこにたまたまあなたがいて ランプを灯すようにしただけです 大したことではありません あなたがその意識に至ったのです 悟りの意識です それを求め 作用させ 努力をしたから 得られたのです 立派なことです 私の手柄ではないと思います 私はサハスララを開いたけれど それをあなたが体得していくのが 私にはとても嬉しい だからあなたは理解できます サハスララが開くまでは 話せません 何も通じません わからないからです サハスララが開くことで 理解が大きく進みます それが皆に起こりました だから嬉しいです 多くの人がここに座り サハスララを開きました 更にに来ていない人も多くいます つまりこれは人類にとって大きなことで 集団でサハスララが 開きました それによって初めて 究極の真理がわかります リアリゼーションの後に知ることは 何であれ究極の真理です それを議論したり 疑いません それを知って受け入れます 知識としてです 全てがあったのは良かったけれど 開いていませんでした それが開けば私のことが解る それも聖なる法則です サハスララが開いたのは 偉大な神の恵みですが 何もしていないと言うかもしれないけど 違います あなたの真理の探求が 真摯でありはっきりしていたから 真理を知りたいと望んだから それが叶ったのです でなければどんなお金も 多大な努力も 何も上手く行かなかったでしょう サハスララは自分で開く必要があります あなたの準備ができていたから すべてあなたが自分でしたことです それによって美しい事が起きましたが 私の手柄ではありません ハッキリ言います 私が教えたように サハスララが開くのが大切です それ以上話すこともなく 質問もありませn サハスララを開くことによってのみ 何が真理か分かります この美しい状況で 母として何が言えるでしょう 現実を理解して行きなさいと それだけです 全てにおいて 真理がありますが どうやって成就した真理を使えるでしょう 人々は迷っています 知識がないからです 本からの知識は本物ではありません 知識は内面から来るものです 自分たちの中からです サハスララが開いたからできるのです どの国でもそれができています 世界中で起こるでしょう 多くの人が悟るでしょう ただあなた達に一つだけ言いたいのは 感情的に執着しないことです 現実的につながるのです そこにあって それが起こり 働きます すると人々に悟りを与えられます リアリゼーションの大切さが分かるでしょう 使わないと リアリゼーションの力が分かりまsん なのでこの力の使い方を覚えなさい あなたの中にあります それは作用し始めました それは莫大な能力を与えるでしょう 歳なので 私の体調は少し落ちました でも疲れは感じません 皆さんに話していて 夢中になってしまいます 沢山のサハジャヨギがいて 沢山のサハスララが開き 皆がそれを愉しんでいます 実は質問を受けたいと思っています 質問をかいて送ってください のちにお答えしましょう それが良いでしょう ありがとうございます 神の恩恵がありますように サハジャに育っていきなさい 自分になっていきなさい 神の恩恵を 私の恩恵を授けます

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Navaratri Puja, Develop Wisdom Through Meditation, Bhakti & Shraddha Los Angeles (United States)

Navaratri Puja, Wisdom Through Meditation, Bhakti & Shraddha, Los Angeles (USA), 27 October 2002.
今日 私たちは 女神を崇拝します まず左側に プログラミングするのは 彼女です そして サハスララにおいて 彼女はアディ シャクティです 左側において 彼女がすることは すでに記憶されています 彼女は記憶でも あるからです そして 叡智です また あなたを守ります これは 彼女がガナ達に 力を及ぼすときに 見られます ご存じのように ガナ達は あなたにおける 様々な修正に 責任があります このガナ達は 左側に作用します ご存じのように癌は 左側の問題に 起因します ガナ達は左側にいます 彼らは 女神の力と 完全に一つです 彼らに指示することも 導くこともありません すでにそのようにできています このガナ達は 目標を定めます 病気に目標を定め あなたを治します 多くの癌患者を 左に問題がある者を 治しました ガナ達によってです ガナ達は 誰にも耳を傾けません 彼らの隊長は ガナパティです ガナ達をコントロールします あなたのガナパティが 健全なら 問題は少ないです 健全でなければ 様々な問題が起き あなたを苦しめます 次のことを強調します 私たちのガネーシャは 正常に機能していないといけません 先日 受け取った手紙に こう書かれていました “マザー ガナ達を コントロールするのが難しいです” ガナパティは もっと難しいです “では どうしたら良いですか” “トラウマになってしまいます” 簡単なことは トラウマになったとき ガナパティを 克服できないときに 何をすべきかと言うと 瞑想です 瞑想が ガナ達を克服する 唯一の方法です まず 子どもの成長と 実在する環境 この2つの 要因は大切で ガナ達とうまくいく 助けになります しかし 問題は 人間は道に迷い ガナパティを 気にかけないことです ですから 女神を 崇拝するとき シュリ ガネーシャも崇拝します 彼は 彼女の陰の力です お母さんの最も偉大な力は あなたへの保護です あらゆることからの保護です 左側への保護もあります デヴィ マハトゥミャムに 記されているように 素晴らしい保護を あなたに与えています 彼女の保護する力は 絶大です この保護する力は あなたに理解を与えます いかに彼女が優しく いかに 守っているかの理解です 非常に保護的です あなたが常に 守られるように 彼女は導きます 左側を守ります ガナ達を通して あなたの面倒をみます 右側も同じです 右側に偏る者は 女神が正し 力添えします 正常な状態に戻し 謙虚にし そして 理解させます あなたがお母さんの 子であり 子として振る舞わなければ いけないという理解です あなたが極端に走れば 左側に混乱が起こるように 右側も様々な 混乱が起こります 右側の問題は 今日よく見られます 人は克服することが できないようです アルツハイマー等 あらゆる病気が 後に起こります まず肝臓から起こります 肝臓の問題に陥るので 肝臓が起因となります 考えすぎたり 未来思考であったり 攻撃的であるなら 肝臓がやられます それら全ては 肝臓の力を使うからです 肝臓の力が衰えると 肝臓の力がなくなります 多くの病気が起こり あなたが打ち克てないような 問題が出てきます 大変困難です もちろんサハジャ ヨガで 肝臓が治った者は多くいます 肝臓にとって 素晴らしい作用があります しかし 謙虚でないと いけません そして 肝臓を正常に 保たなければいけません ですから あなたの身体には 保護が備わっています 左側がガナ達によって そして 右側が反応によって 保護されます しかし 最も偉大なことは お母さんの祝福です いかにあなたの面倒を 見ているか あなたを愛しているか あなたを大切にしているか 当然のことだと 考えてはいけません あなたは 瞑想しなければいけません とても大切なことです 瞑想なしに 大丈夫でいることはありません 瞑想は最も大切なことで 実践すべきものです それによって彼女の ヴァイブレーションに近づけます 彼女の 特質に近づけます 動物でさえ お母さんに大変敏感です 動物はヴァイブレーションに 大変敏感です しかし 人間は 自分なりの理解があり 自由があり いわゆる知性があり その罠にも陥ります 従うべきでないものに 従います アメリカのような国で 何が必要かというと 献身 そして バクティ(献身的愛)です この2つが欠けています インド人がサハジャ ヨガを始めると 深く根付きます バクティが何か 献身が何か を知っているからです 全てのエゴは 溶けてなくなります このバクティは 楽しむべきものです あなたの中にどうしたら バクティを創れるかは 分かりません バクティがある者を 見てきました 彼らは素晴らしい高みを得ました 左側の動きではありますが 左側の動きで 素晴らしい高みを得ました いかにバクティとシュラッダ(啓蒙された 信仰)が彼らを助けたでしょう このことにおいては インド人が一番です 彼らにはバクティとシュラッダの 力があるからです ここで見られるような 熱狂ではありません 宗派に属し 狂う者を見てきましたが 熱狂ではありません バクティは愛です 理解がある愛です バクティそしてシュラッダとは何か という理解です あなたの中にバクティと シュラッダを育まない限り 上昇できません 自分の問題を 超えられません 人格を越えられません なぜなら バクティは人に 押しつけられるものではありません 誰にも強制できません 熱狂的になることで バクティを持つことはできません あなたは全ての特質を 完全に備えなければ いけません 知的であるべきです 理解があるべきです 全てあるべきです 同時に あなたの中に バクティの歓びがあります バクティの歓びが 流れ始めると 女神自身 あなたの中に入ってきます インドでは 高みを得た 多くの偉大な聖人や 献身者を見てきました 深みがありました 彼らについて読めば 彼らを理解すれば 誰の助けも得ず 指導もなく 深みの境地に 達しており いかに女神を崇拝したかに 驚きます 崇拝は 読書から 学ぶものでも 復唱することでもありません それはハートの 深い意識です スピリットです スピリットが覚醒すれば バクティを育むことができ あなたは 全ての無意味な考え 頭に入りこむ あらゆる偽りがなくなります あなたはただ バクティを育めます デヴィについて記された これらの特質は 左のもので 脳にあります 記憶も 他に記されるものも 脳にあります バクティがその状態に 達すると 全てを中和します 脳の全ての問題が 中和されます そして あなたは 賢い者になります 女神の最も すばらしい恩恵は あなたに叡智を 与えることです それは 意識と呼べます 叡智のようなもので あなたは完全に 神聖な人格になります バクティを通してその叡智を 得なければいけません 様々な人がいます シュラッダ バクティ 献身が 強くあると思う者がいますが 間違っています 彼らは誰を崇拝すべきか どこに向かうべきか 理解していません サハジャ ヨガは 実現するものです サハジャ ヨガは サクシャッ 実現です 誰を崇拝すべきか 誰にサレンダーすべきか 分かります 全く盲目的ではありません 盲目であれば バクティは 無意味な者にさせます そのようにして 多くの宗派や 他のものが出てきました しかし それによって見たり 知ったり 理解することはできません あなたの知性によって あなたの特質によって バクティとは何かを 理解すべきです 私たちは クンダリーニの覚醒によって バクティの理解と力の 素晴らしい高みに達しました バクティの最も偉大な力は あなたを守ることです 守ることです どんな困難に苦しむ者も どんな問題に苦しむ者も 抜け出すことができます あなたのこのバクティは 正しい理解を 与えるからです あなた自身の理解も 与えます 周囲の理解も与えます 全宇宙の理解も与えます なぜ人はこのように振る舞うのか なぜこうなのか これら全てあなたの バクティによって解決できます 盲目的であってはいけません 賢いバクティ 叡智ある賢さ でないといけません サハジャ ヨガを通してのみ 可能です 人が狂ったようにする バクティは バクティではありません 狂うのでなく 賢い者になります 賢い者が 過去に多くいましたが 彼らが語ったこと全ては 驚くべきです いかに彼らが 人間の意識について あなたの上昇について 語ったかに驚きます 私が人に話せるように 適切な場を準備した と感じます 特にインドでは どういうわけか 古来から 大変献身的でした 同じように世界中も そうなるべきです もちろんインドにも 熱狂的な者がいます 確かに宗派や 様々なものがあります しかし 私たちを 大変よく導いた聖人も 実際いました それにも関わらずインドでは 誤った道に行く者や 誤ったことをする者 誤った崇拝をする者がいます 事実です それは 叡智のない おかしな熱狂とも言えます 狂人と聖人は違います 狂人には叡智がありません 叡智を持つ者が “自分は賢い” […]

Adi Shakti Puja, Use Your Right Side For Giving Realization (Nirmal Temple)

Adi Shakti Puja. Cabella Ligure (Italy), 23 June 2002.
今日は皆さんにとって いつもとは違った日です アディ シャクティ プージャだからです アディ シャクティとは 完全なる人格 皆さんの知っている レフト サイドだけではないのです 皆さんはレフト サイド すなわち シュリ ガネーシャから上昇する 左側のチャクラしか 知らないでしょう 私が最初に ライト サイドを伝えなかったのは ライト サイドを通った人は 自分を見失ったからです 彼らはガヤトゥリ マントラを 書面から得たのですが どういう意味か分からず ただ暗記していたのです 本来の意味も分からず そのため ライト サイドに傾き アギヤに到達し そしてセルフ リアリゼーションを 得ようとしました 彼らはライト サイドさえ しっかりと行えば 最終的にリアリゼーションに 到達すると約束されましたが 誰一人 到達できませんでした 人々はひどく短気になり 他者に呪いをかけ 破壊するようになりました これら全てを ライト サイドから学びました クンダリーニを覚醒できず 彼らはアギヤ チャクラ までしか上昇せず そして無知へと 崩壊していったのです これらの書物は ライト サイドからのアプローチが 簡単ではないことを理解せず クンダリーニを 覚醒させようとしたのです クンダリーニは 中心にある全てのチャクラに沿って アギヤまで到達し 交差し サハスララに到達後 突き抜けます ブラマランドラというこの突き抜ける場所が なぜ重要なのでしょうか お話したことは ありませんでしたが 皆さんに お伝えする時期が来ました 幼少の頃は タルという泉門が 常に脈動しています なぜ脈動しているかというと そこからスピリットが入り込み そこを閉じた後に ハートに留まるからです あなたはスピリットを 認識した人になるべきですが どのようにして サハスララに入るかが問題なのです タントラ教の人々は レフト サイドを通り さまざまな呪術を 発達させました ライト サイド寄りの人は とても短気で 野心的で 残忍でした 彼らは人に呪いを かけることにとても長け 人々を呪いで殺し始め 強引に他者の権利を 踏みにじりました 彼らは最も野心的で パワフルな人とみなされていました バラモン教やクシャトリヤの人々は ライト サイドを通りました ライト サイドは彼らを とてもパワフルにしました 彼らは世界中の パワーを手に入れ パワフルで威厳ある人だと みなされていましたが そうではなかったのです とても短気だったからです 短気な人は スピリチュアルにはなれません “心配しないで続ければ スピリチュアルリティを得られる”と言われ ライト サイドの 7つのチャクラの説明を受けました 彼らによると “ブー” と “ブルバ” があります “ブー” とは プリシービ この世です “ブルバ” とは全コスモス アンタリクシャとも言えます “スワーハ” とは ナビ チャクラでの消費 “スワダ” とは 内側で消費 吸収 “スワーハ” “スワダ” “マナー” とは 精神 心 その次がヴィシュディ ヴィシュディ とは “ジャナ” 集合性 人の集り アギヤは“タパ”です “タパ”の 中心には キリストが居ます レフト サイドには ジャイナ教 ライト サイドには キリスト教がありました それらは 上昇の道ではありません 真実を求める者達の エネルギーの捌け口のようなものでした これらはインドで 長い間起こりました これらを行った全てのグル サドゥ タパスビスは どこに到達したのでしょう タパスビスは人々に “クシュ” 鋭い呪いをかけることができます “カタクシャ” 一瞥で 人を殺したり 燃やすことができます このライト サイドのパワーによって 彼らはどこに到達したのでしょう 地獄 辺獄です セルフ リアリゼーションを 得た者は誰もいません インドの古い書物を 読んでもわかるように ギリシャ人 エジプト人 イギリス人 ドイツ人などは皆 攻撃的でした カトリックの人々や ローマ人などは侵略的で 外国の土地や 所有物を奪いとりました 極端に攻撃的でした 人を殺すことに 何の抵抗もない とても侮辱的で 短気な人たちでした どうしたら彼らを正常に 中心へと戻せるでしょうか ひとつは先ほどお伝えした “ブー” “ブルバ” “スワーハ” “スワダ” 消費です それはグルの原理により 行われます そして“マナ” “ジャナ” 即ち集合体 彼らは 集合体となりました なぜなら 彼らはパワフルだった為 沢山の人を抱え 抑圧のために戦いました その抑圧的な気質で 人々を押さえつけたのです ご存知のように このような時代は歴史に現れ 消えていきました 戦争が行われ 沢山の人々が殺されました ヒットラーが 残虐の極みでしょう 人類に対して なんとも思わなかったのです そしてアギヤに到達し キリストを殺したのです 中心の経路を通った 多くのすばらしい聖者や化身をも 破壊しました 全てはラーマの時代以降に 起こりました 次から次へと 悪魔が現れ 世界の平和な文明を 破壊していったのです ひどい傲慢さの自己顕示だと 言えるでしょう とても攻撃的な人々です 攻撃性は とても強い力で 次から次へと行われました 行き着くところまで 行きました 人々は反抗すると 殺されたのです 残酷な人々が 生み出されました 攻撃的で 破壊的な人々です この性質が未だに 残っている人もいます 右寄りだからです 癇癪 攻撃性 他者をコントロールするなど ライト サイドの人は 皆これらの問題を抱えています スピリチュアルな成長は 止まります 彼らはスピリチュアリティを 求めていましたが これらの行いをした為に スピリチュアリティーから遠ざかりました この世には沢山の 化身が現れましたが 全て殺されました 人類を救うことなど 不可能でした 一人の悪党が現れ 世の中を破滅させたのです ヒットラーによって 全ての人々 国々 民族は破滅しました これらの原因はライト サイドを 選択したことにありました スピリチュアリティにとってそれが 簡単だと考えたのですが 間違いです そして一線を越えて 悪魔になったのです 人は悪魔になれる ということを知らずに 彼らのグルも同様でした 全ての化身を 拷問にかけたのは彼らです どの様にして 自分自身を救ったかは驚きです しかし 最終的には何も 達成できませんでした まず最初に私は クンダリーニについて学び それを上昇させることを 行いました 私はクンダリーニを 上昇させるために来ました 人々が右寄りでも 左寄りでもなく 中央経路を歩めるようにです レフト サイドの知識とクンダリーニを 上昇する方法を以前お伝えしました クンダリーニを上昇させることで サハスララを突き抜け 現実の歓びの領域に 到達します 全ての悪い性質は そぎ落とされます 中央経路で まず最初はムラダーラです 中央経路でムラダーラを覚醒することで とても純粋になります 目は純真になり 放縦さや軽薄さは無くなり とても神聖な人になります そうでなければ サハジャ ヨガには居られません みだらであったり 軽薄だったり 他人のお金を 盗み取ろうとしたり 攻撃的であってはいけません サハジャ ヨガから 追い出されます 一度追い出されると 彼らは怒りをぶつけます 追い出されたことが 気に食わないのです しかし今となっては自分たちが 過ちを犯したことに気付いた人もいます まず第一に純潔さを養い 尊重し 楽しむことです これはムラダーラが覚醒された ことにより起こったのです 左側の第一チャクラには シュリ ガネーシャが宿っています 右側にも 神格がいます 全てのチャクラには 互いを補う神格がいます シュリ ガネーシャは 中央にいます ですから私たちは彼の強力な 純粋さに祝福されました そして純粋の美しさや 純粋の力を理解し始めました このようにして右寄りから 脱することができたのです ライト サイドは争いや殺戮 憎悪のために使います これらの人々に 平穏は訪れません 他者を制圧することしか 知らないのです そしてスワディスタナのレベルへ 上昇しました スワディスタナまで上昇し 攻撃的な人による 創造が行われました 今でも行われています 名声を得るために さまざまな 無意味でグロテスクで 汚いことが創造されています これがスワディスタナの 別の側面です 地位や名声を求める 人々です これは右スワディスタナから来ます 次に3つ目の ナビ チャクラに到達します ナビ チャクラでは 金儲けに翻弄します ラクシュミではなく お金です あらゆる方法で 世界を騙したのです これによって得たお金で さまざまな悪行を働きました 欺瞞か 侵略を行ったのです 欺瞞はインドのような 左寄りの国々で見られ 侵略は右寄りの国々で 見られました 中心経路のスワディスタナの 性質は創造性です アートの創造性などは とても美しく 深みがあり 非常にスピリチュアルです これらは消滅し 人々は悪習慣に満ちた 化身まで表現し始めました このプロセスにより さまざまな不浄が現れたのです そしてお伝えしたナビです ナビでは人は お金を追い求めます 左の者は金儲けに 右の者はお金で攻撃的になり 稼いでいれば 自分が世界で一番だと感じ お金があれば自分たちに 勝る者はいないと思っていました これは彼らを 滅亡させました 彼らは お金とは破壊するためでなく 建設するためのものだと 気付かされるのです 国を建設したり 人類が共に愛と平和を育んだり 助け合ったり 良いことに使われるべきだと 同じく右寄りの人が 母なるチャクラへ到達し 子供や皆を支配しようとしたり 子供の為に何も犠牲にできないなど 酷い母親になりました このように夫や子に対して 攻撃的な女性は沢山います 男性間でも 母性は消滅しています 私が地球に来たとき このような人が 沢山いてショックを受けました なんとひどい人達なのでしょう 彼らをどのように扱い クンダリーニを覚醒すればよいのでしょう ナビ チャクラにおいても 自分を見失っているのに さらには母なるチャクラもです 彼らには父性も母性も無く 子供を排斥したのです とても身勝手で 自己中心的で支配的な親です これがハート チャクラです 次に集合性のチャクラである ヴィシュディに到達しました ここでは全世界を 支配しようと目論んだのです 世界を支配し 自分たちが皇帝になろうとしたのです そして帝国を築き 人として受け入れ難いような 無礼な振る舞いを行ったのです 彼らは魔でした その悪魔の性質は 未だ存在します 人に対する態度 全てに見て取れます 人をその様に扱うからです これはスピリチュアリティに反する人 攻撃的な人を創り出します そして二面性の世界 即ち攻撃する側とされる 側を創り出したのです この二面性の世界は 大分減りましたが 今でも存在します 集合的理解のおかげで 沢山の良い施設が創られましたが あまり機能していません 何故ならトップにいる人が 支配しているからです 自分自身でなく 他者を支配するのです これらの行いが このチャクラの働きを阻害したのです 現在私たちの周りにある 集団性を見て分かるように 至る所で戦争が起こり 戦いが続き 殺人と破壊が 行われています なぜでしょう この世界には沢山の スピリチュアルな人たちがいるのにです それはスピリチュアルな人たちが とても静かで平和的になり 単にスピリチュアルな人生を 楽しむようになったからです これでは平和は もたらされません もっと活動的になり 世界に平和を 呼び込まなければなりません 自分たちの進化に 満足していても 他者の進化がどれだけ進んでいるか それに対して何ができるのかなど 気にかけていないのです 私は沢山の 変容をもたらせますが あなたのレベルで どれだけの人を変容しましたか 何をしましたか これが分からないといけません あなたはまだアギヤのエゴで 生きています サハジャ ヨガによって得た平穏に とても幸せなのです これは現在世界が 直面している不幸なのです スピリチュアルな人 高みに到達した人が やるべき善きことに無頓着なのです 彼らは自身の スピリチュアリティを楽しみ プージャに参加し もっともっと得ようとします しかし人々を変容するという コレクティブな仕事を行っていません しっかりやっている人もいますが それもほんの少数です ほとんどの人は周りから 素晴らしい人だと受け入れられている 自分自身を楽しんでいます あなたがどれだけ コレクティブな仕事をしたか どれだけの人に 行ったか内省してください 誰と話し どれだけの人に サハジャ ヨガを伝えましたか キリストは12人の弟子しか いませんでしたが 彼らの方があなたより 活動的でした ここでライト サイドを 活用するべきです ライト サイドを活用するとき ダイナミックな人を創造するでしょう 平穏で静かで忍耐強く 役立たずな人ではなくです これはサハジャ ヨガの 意図ではありません サハジャ ヨガの意図は変容 沢山の変容です これを行う人には 私からの恩恵が受けられます 自分だけの為に サハジャ ヨガを行う人は良くありません あなたの国にどれだけ サハジャ ヨギがいますか どれだけの人に サハジャ ヨガを教えましたか あなたのヨガは完全でなく レフト サイドの部分的なヨガです 愛情があり 優しいだけです 攻撃的になれとは 言っていません リーダーになって偉くなろうという 人達を見たことがありますが どれだけの人に リアリゼーションを与えたのでしょう サハジャ ヨガを伝えたのでしょう 至る所で サハジャ ヨガの話をしています しかしサハジャ ヨガを 自分自身の為に 自分自身を理解する為に 使用しています その為にあなたに もたらされたのではありません リアリゼーションを人々に広める為に もたらされたのです 若い世代の人へ忠告します サハジャのエネルギーを 無意味なことに使わないことです サハジャ ヨガをどんどん 勧めてください 広めてください 学校を経営したり貧困者のために 何かしたりする者がいますが あなたの 仕事ではありません あなたの仕事は サハジャ ヨギを増やすことです しかし これが 行われれていません ライトサイドが欠けているのです ライトサイドを活用してください 悪いことは起りません 誰もあなたを殺したり 邪魔をしたり 逮捕したりしません 私を信じてください パワーが備わっていても 使わなければ意味がありません それ故ライト サイドを使うことを 知るべき時が来ているのです ライトサイドは とても重要です 次回ライト サイドについて お伝えします 今後何をするにも レフト サイドに偏るべきではありません ライト サイドを正しく理解し 正しく活用してください ヒットラーのように独断的であったり 支配的にならないでください サハジャ ヨギにも ヒットラーはいました しかし今は 以前に聖者が成し遂げた 以上のことを皆さんがやる時が来ました 自分だけの為に 素晴らしい家族や 子供を楽しむだけのものではありません サハジャ ヨガはそのために あるのではありません サハジャ ヨガは 全世界を変容するためにあるのです このことを考えてください あなたは何をしてますか 何処にいますか サハジ ヨガから何を得ましたか そしてアギヤに到達しました アギヤで 何が起こったかというと ヨギ達は様々な苦しみに耐えられますが それは望んでいません 人々の苦しみや攻撃性を 取り除くことを望んでいます 私たちにはそのような組織や 理解はありません それがワークアウトすれば あなたは変わるでしょう 私たちは聖なる間にいる 聖者のように変容したのです 攻撃性無しに何か ポジティブなことをしてください 皆さんの中には未だ攻撃的で自己 顕示欲のある人がいるのを知っています コレクティブでワークアウトする 気があれば あなたの何が間違っていて 何が欠けているかが分かるでしょう とても重要なことです アギヤ チャクラではなぜか 多くのヨギがつまづくことがあります アギヤでは 許すべきと伝えましたが 他者の間違った行為を 見過ごすことではありません 争わず 何も言わず 許すことは 簡単ですがそうではないのです その人の所へ行って 間違いを伝えるのです 向き合わなければいけません 向き合えなければ あなたは役立たずです 何のために リアリゼーションを得たのでしょう 今理解すべきことは 私達にはヴァイブレーションがあり 人を癒すことができる ということだけではありません 公共の場に行って コレクティブになり サハジャ ヨガを広めることです 世界中にサハジャ ヨギが 沢山いるのに進展がありません 具体的にどのようにサハジャ ヨガを 広めていくか考えてください とても重要なことです 皆さんはサハジャ ヨガを話したり 歌ったりするのはとても上手ですが もっとヨギを増やさない 限り意味が無いのです トルコのような小さな国でも 2万5千人のサハジャ ヨギがいます 皆イスラム教徒でした 2万5千人のイスラム教徒が サハジャ ヨギになったのです それに比べ 他の国では ヨギが少数しかいません 彼らは裕福ではないけれど 自身のリアリゼーションや 他者に与えることを大事に思っています どのようにして広まったのか 興味深いことです 自身の問題や敵 権力 について考えるより 他者にパワーを与え ヨギにすることを考えてください とても重要なことです あなたがサハスララに居るなら 全てのパワーを持っています サハスララに居て 広めないなら 何のためのリアリゼーションでしょう 自分のためだけですか 自分勝手です 自分の栄光や 名声を広める代わりに もっとサハジャ ヨガに連れてきてください ダイナミックな勢力になってください サハジャ ヨギは死人のようだと 沢山の人が愚痴をこぼします それがあなたですか 一人で沢山の仕事をしてきました あなた達はどうなのですか 自分の国で できる限りのことをしましたか 考えてみてください これを行わない限り “サンプルナ” 完全にはなれません アディシャクティの完全なる パワーを理解していません それ故 私をアディ シャクティとして 崇拝するのは重要です アディ シャクティは完全でなくては ならないと理解すべきです レフト サイドだけでは だめです これをワークアウトせずに 何の意味があるでしょう それは他のリアリゼーションを 得るようなもので重要ではありません あなたは広めるだけでなく ヨギを増やし認識させるのです あなたに与えた全ての恩恵 愛 パワーをどうぞ理解してください ありがとうございました […]

Easter Puja Kilyos, Kilya Hotel Kilyos (Turkey)

Easter Puja. Istanbul (Turkey), 21 April 2002.
今日は イエス キリストと 彼の母を崇拝します 偶然にも彼の母も ここトルコに滞在していました 驚くことに キリストも十字に架けられた後 ここに滞在していました 彼と一緒に来たのでは ないでしょうか 彼がカシミールに行った時 彼女もいたようです 途中でそこに寄ったのでしょう ですから私達は ここで彼を崇拝します サハジャ ヨガでは彼女は マハラクシュミの化身です そして宗教の為に 息子を犠牲にしました 残念ながら彼女の価値は 誰にも理解されませんでした 偉大で スピリチュアルな人格だと 分かりませんでした サハジャ ヨガを通してのみ キリストを生んだ 大変偉大な人格であったと理解できます 彼女が敬意を払われなかったことは 残念なことです 特にイスラムの世界でです その為イスラム文化において 女性の居場所がありません 彼女達における私の経験は 大変悲しいものです 貧困で苦しむ女性の更生の為の 協会を設立しましたが 申し込む女性皆が イスラムの女性でした 悲しいことです モハメット曰く “自分の母の世話をしないといけない” しかしこの女性達の中には 子どもが8人や10人いて この貧困者の為の家に来ました 私達は家を与え 世話をしなければいけません 宗教に対する狭い考え方は 指示しないからです 最も大切なのは “人間”の宗教です 全ての宗教が ひとつにならなければいけません 大変なことです イスラム教徒はキリスト教徒に キリスト教徒はヒンズー教徒に 敬意を払いません 神と神の仕事 そして彼の愛の為に皆がいます それなのに 互いへの敬意や愛がありません どこでも口論したり 争ったり 殺し合っています 宗教の神の名の下で 人々があまりに残忍に 愚かになるのは 大変悲しいことです セルフ リアリゼーションを が唯一の解決策です リアリゼーションをコーランでは “ミラージ”と呼んでいます しかし人は得ることができない と言います モハメッド以外は 得ていません まるで人には得られない と言っているようです 真実ではありません 全ての人間が得られます アフリカ 英国 アメリカ インド どこの出身であろうと 皆ミラージを得ることができます 人は戦うために創られた わけではないと理解すべきです 動物でさえ戦いません なぜ人は戦うのでしょう それも宗教や 神の名の下でです キリストは宗教に統一感を 与えるために来ました キリスト教徒でさえ戦いを始め 他者を支配します 全ての者が神や宗教の名の下で戦い 世界は混乱しています 私達の宗教はグローバルで ひとつの宗教です 私達は全ての神格 全ての神々や女神に敬意を払い 崇拝します 神は皆ひとつであると分からないほど 愚かではありません リアリゼーションを得た後も 全ての神々が中枢神経系や チャクラに内在すると悟ります 歴史において語り継がれたから いるのではありません 実際皆そこにいます 全世界の救済のため 働きかけています キリストが為した 最も偉大なことは救済です 彼は救済において 苦しみました 多くの試練がありました そして身体が復活しました 同様にサハジャ ヨガが 作用しています リアリゼーションを得たことは 自身の救済を意味します 間違った考えや 無意味なことは消えます そして愛において 深い理解が芽生えます この仕事をインドや他で 始めた当初は大変でした 至るところ人々は無知で 互いに憎み合っていました 言い訳をしたり 良く分かりませんが 歴史的な偏見からか 憎み合っています インドにもありました 外国でも同じです ヒットラーは人間を 憎んでいたので来ました 彼は化身した 悪魔的な力でした 様々な残酷なことをしました その殺し方は 人間にできるとは 想像もできないほどです ガス室で 子どもや大人を殺しました ひどいです ドイツに私に これを見てほしい と言われましたが断りました 夫がそこに行き 帰ってくると 7日間病気になりました 気分を害します 何らかの状況下で 何らかの概念や間違った考えで そのように行動を起こす 人を殺すことは 非人道的です どんな考えか 殺すために ユダヤ人を狙いました 宗教の名の下で 様々なことがこの地上で起きています 人は宗教の名の下に 殺し合っています 宗教は神を 互いを 愛することを教えます どうして憎しみや殺すことを 教えるでしょう 未だ続いていることに 驚きます この愚かさを止められるのは サハジャ ヨガだけです そうなるべきです 私達は人間だからです その為人は キリストがしたように 復活しないといけません それはサハジャ ヨガでもって 容易にできます モハメッドは ミラージと呼んでいます 彼は明白に説明しています しかし誰も ミラージを望んでいません ワークアウトしようものなら 人はその者を潰そうとします “これはとんでもないことで 間違っている”と言います この為に皆が苦しみました 人間の無知が原因です 私もです あれこれ批判されます しかし私は 彼らより力強いです 愛は何にもまして 力強いからです そして世界中に作用します 至るところで人は このような憎しみや 他者への間違った考えは 大変危険だと悟り始めています 多勢の人がこのことを知れば 全てが終わると確信しています このような事柄は たくさんあります 特定の宗教に従っているからといって 人を憎むことは理解できません 自分でも説明できません 人間を創造した神の名の下で 憎むのは間違っています 人は神や 神の愛を理解しています 例えばキリストの生き方をみると たった33才で 十字に架けられました 彼の母は 苦しまないといけませんでした なぜ十字に架けたのでしょう 彼が愛について 教えていたからです 誰も互いを愛す考えを 好みませんでした 愛なしにどう助けるのですか どのような根拠で他者を助けますか 愛する故に他者を楽しみ 理解したいのです 一度他者を愛し始めれば この作り事は終わります キリスト教徒やヒンズー教徒として 生まれるとします 何が他者との違いを 思わせるのでしょう 同じように 母親から生まれました 見た目も同じです 鼻も目も全て同じです 何が違うのでしょう 政治的なことが 絡むのでしょうか 神や宗教の名の下で 分裂させるのはひどいことです 逆にサハジャ ヨガは 神の名の下で 人をひとつにします 例えば誰かが南アフリカに 遠く離れたベニンに 住んでいるとします サハジャ ヨギになるとします そこには何千ものヨギがいます 彼らは皆 あなたの兄弟姉妹です 行けば 我が子や親族のように もてなされるでしょう どこの宗教から来たかは 決して考えません 愛の深さに驚くほどです 現に愛することは 人間の内的な資質です どの人間も 愛する能力を与えられています しかしその能力は 大変弱まっています その能力で人は 互いに戦ったり殺し合ったりします 宗教の名の下で人を殺めるのは 最も大きな罪です 殺し合うことで天国に行けると なぜ信じているのか分かりません 最悪の地獄へ行くでしょう この考えは和らいでいますが 未だ存在しています このようなナンセンスが 日々見受けられますが 未だ続いています サハジャ ヨギはそれに対して 何ができるでしょう 人は何らかの宗教に 生まれるものです 天から舞い降りる わけにはいきません ですからいかなる宗教に生まれても それに縛られてはいけません あなたは愛と歓びの宗教に 縛られています 人は不幸や戦いで泣き続けます これでいいのでしょうか これでいいのでしょうか 私達は人間です 動物ではありません なぜ人間は互いに殺し合い 他者や自分の人生を 惨めにするのでしょう 他者を憎めば 憎しみに満ちた者になります AがBを憎み BがAを憎みます すると全人類や文明を 憎むことしかなくなります サハジャ ヨガは あなたにとってお恵みです 内に全ての神格を 与えたからです そして今は全体に 属していることを知っています 愚かな考えに属して いないことを知っています 私がここに来たとき 彼がいつ住んでいて 母マリアも住んでいたと 分かりました 家があります 彼女が住んでいたと知り 喜ばしく感じました ですから彼女を 崇拝しないといけません 何と言っても キリストの母です 彼女がどんな教徒でも 何の関係もありません 彼女の愛 全世界 宇宙の為に 息子を犠牲にしました 何という母でしょう この世に我が子を 十字に架けることを余儀なくされる 母がいるでしょうか 何という勇気 愛 グローバルな人格でしょう 私達はここにいます 偶然です 彼がここに住んでいました なぜここに来たのでしょう 彼女は直接行けたはずです ここに来て住みました 家があります キリスト教徒はここでも 宗派を始めるでしょう イスラム教徒とキリスト教徒で 互いに戦おうとします 何をしようと戦うでしょう 主な気質は戦うことで 他者を助けることではありません ただ大変おかしく 残忍でいようとしているだけです “互いに愛し合わないといけない” と教えた者達がインドにはいました にも関わらず インドでは人々は戦っています この国には多くの スーフィ達がいました インドでも至るところに 偉大な聖人がいました ある者はイスラム教徒であったり ヒンズー教徒であったり それぞれで讃美歌を歌います 別々に崇拝し 神の名の下で人々は戦います 戦う対象を探したいのです 闘鶏のようです 人間の資質である愛や愛情を 内に持っていないようです 互いへの愛を楽しむべきです 愛する能力を失っています 中国やインド どの国に生まれようと関係ありません 人間です その者には愛する能力があり あなたも愛する能力を持つべきです 違う経験をしたことがあります 夫と中国に行きました 当初人はインド人に対して 好感を持っていませんでした しかし私に大変親切でした いかに私の世話をしたか 周りは驚いていました “なぜそんなに親切なのでしょう インド人は好かれません” “それは作り事です” と言いました 彼らは非常に親切で 私に敬意を払っています 彼らに何をしたというのでしょう あるホテルで私はアンクレットを 落としてしましました シルバーです 大変離れたところに 移動してしまいましたが 彼らは封筒に入れて を送ってくれました 私ははるばる送ってくれたことに 感動の涙を流しました “これらの中国人は 非常に愛深いです” 私は会議に参加しました 女性会議です なぜか中国の男の子達が 空港まで来てくれました 私は大変遅れていました 会議は10時からで 8時半頃に着きました 車まで案内してくれました 荷物を詰めながら 会場に直接行きますと言われました 彼らは短時間で 私に大変良くしてくれました 会議の間待っていてくれました インド人に反感を持つ 同じ中国人がです そしてその後も続きます 彼らは私の車いすと 私のために車を2台用意しました そしてショッピングに 連れていってくれました 階段に差し掛かると 彼らは手で車いすを運びました 彼らは私の親戚でもなければ 一会ったこともありません 一人が “明日は来られません 結婚するからです” “この数日 何をしていたのですか” “貴方のそばにいれて楽しかったです 嫁も連れてきます” 涙が出てきました “何という愛 親切心でしょう” 私は彼らに 何もしていません 最後まで 良く世話をしてくれました 皆25才以下の 若者たちです 私の車いすを 3階まで手で運びました “しないでください”と言っても “是非見てほしいのです” “なぜですか” “皆のために 大変すばらしいことです” 大変啓蒙された者たちです 愛でもって人は 啓蒙されます 深い理解を得ます そのような深い愛が あなたに存在します 政治家であれば 説得しようとするでしょう 戦いをけしかける者もいます ドイツではそのように 若者をけしかけました しかし今は 変わってきています この世界は 変わらないければいけません 苦しんだからです これは宗教でも 聖人の教えでもありません 他者を憎むように教えるのは 悪魔的です 最悪のことです 愛の歓び 愛情の歓びを知らないのです 今日 教会の問題や 他にも問題があります 愚かな人達です 人は多くの掟をつくり 理由が何にせよ かわいそうな子どもたちが 苦しんでいます 彼らは純粋な愛が 分かりません 誰も純粋な愛を理解できません 愛は生来の資質です 生来の資質ですが 人をどう純粋に愛するか知りません 大変剛直です そのようになるのは 人間としてふさわしくありません 人間はその極端に走ります 美しさや想像性の豊かさ 芸術の豊かさ 芸術的気質 人生を楽しむ豊かさがありません 闘鶏であるなら 他の者の 他の全てに 良いところを見ることはできません 他の者と戦い 自分達自身の間で戦います “戦わないといけない” と訴えます でも仲間同士でも 戦っています 自分の兄弟姉妹を苦しめます もはや愛してはいません なぜ宗教の名の下で 戦うのでしょう 自分達の間で憎み合うような ひどいことを教えられるのでしょう キリスト教徒 ヒンズー教徒 イスラム教徒だけでなく 至るところ人間は 大変汚れてしまいました カリ ユガであると言います 愛する力を どうして失くせるでしょう これはキリストが話したことです 愛についてはっきり語りました “隣人を自分のように愛しなさい” それができる人を 知っていますか そのような人は見つかりません キリストに従う キリスト教徒はどうしたでしょう モハメッドに従う イスラム教徒や シュリ ラーマに従う ヒンズー教はどうしたでしょう 指導者に近づけていますか 神聖の化身に少しでも 近づけていますか いません その理由はリアリゼーションを 得ていないからです スピリットを知りません リアリゼーションがなければ 何も理解できません いかなる歓びも理解できません ドイツへ行って 彼らがしたことは 見れません 人間の質を持つ者は 倒れます 日本においても 広島にしたことはひどいです 耐えられません “なぜ人間はそこまで 残酷になれるのか”と言いました 我が子を殺す者もいます 極限がこれです その反対がサハジャ ヨガです 全ての人間を愛します 皆人間だからです 皆この時期に 生まれました 互いに助け合い 愛し合わないといけません 大切なことです これを育めば 強いヨギになれます 神聖に支えられ 祝福されます 神聖があなたのすべての問題や 苦難から助けます あなたが愛深い人格ならです これはカリ ユガの恩恵です 以前は存在しませんでした あなたが愛深い者なら 神聖があなたを助けます 問題を解決し あなたを困らせる者を罰します 私自身の経験です 私は決して人の災いを願いません 怒鳴りません 自動的に作用します 神聖に頼むことさえ言いません 神聖は最高の正義の人格であり 全ての正義を与えます 誰も神聖の導きと愛の下で 苦しむことはありません これはカリ ユガの恩恵です カリ ユガが大変な時期で あることは分かります しかし神聖は 大変油断がありません これほど注意深いことは ありませんでした この時期ならキリストは 十字に架けられなかったでしょう カリ ユガの間に 生まれたからというだけです 私達にとって恩恵です 誰も苦しめられたり 困らされることはありません ただ謙虚でありなさい すばらしい人格を持ち 愛深い人格でなければいけません それだけです 愛深い人格を楽しめるでしょう 愛深い人格ゆえに 恩恵を受けます いかに神聖が面倒をみることか 人から奇跡を聞きますが 驚きません 神聖が非常に油断なく すばらしい人間を見ているからです 面倒をみて 支え 全てをします 注意深さに驚くほどです モハメッドも含め 皆が苦しみました 今は違います サハジャ ヨギは苦しみません 神聖によって全て 面倒をみられています 世界中から手紙が来ます いかに支えられ 助けられたか いかに救われたかは 驚くべきです ですから自分自身を信じ 人を本当に愛さないといけません 謙虚になり 愛さないといけません この愛が人生を通して 助けるでしょう これがキリストのメッセージです “彼らを許してください” と言いました “やっていることが 分かっていないのです” 十字に架けた者に対して 愛でもって懇願しました “何をしているか分かっていません お許しください” 彼の愛深い徳性を 想像できますか そして今 祝い 彼を崇拝するとき 内にある徳性を崇拝すべきです 私達もまた愛深い者です 世界中の全てのサハジャ ヨギは 互いを愛しています ほとんどのサハジャ ヨギは 互いを愛しています 私からの祝福はこれです “この日に神がたくさんの愛を 内に愛する能力を与えますように” それを持つべきです 人生を変えるものです 力強い人格 力強いサハジャ ヨギになります 愛の理解を育むことができれば 奇跡的なことができます 神の祝福がありますように […]

Birthday Puja New Delhi (India)

Puja for the 79th Birthday, Delhi (India), 21 March 2002. English part
愛について話しています 全能の神の全てを遍く 包み込む愛についてです それは全てを産みだし 全ては愛の空気で 満たされています しかしそれは子どものように 純粋な者にだけ可能で あなたが非常に憎しみに満ちているなら 誰もあなたを救えません 憎しみを正当化するのに 十回でも議論をするでしょう 正当化するために どこまででもいってしまいます 私たちの国は穏健で 平和な国とされていますが 殺人だけを 信じるような人がいます このようなことは全く信じなかったこの国が 長いあいだ暴力に溺れていますが 基本的に私たちは 平和を信じる国民です 平和なくして 成長は起こりえないからです 完全な平和が必要です 内に平和が宿れば 平和な環境にあれば 美しい国民に育つでしょう 怖れからでも 圧力からでもなく あなたの内なる完全な 平和が胸にあれば 怖れていないというだけではなく 平和を醸し出します 平和を与えます そういった者の近くに行く人は 誰でも穏やかな感じを持ちます あなた方は皆サハジャ ヨギで リアリゼーションを得ています つまりスピリットが平穏さと喜びの ヴァイブレーションを発しているということです どこにいても穏やかな ヴァイブレーションを発するでしょう 平和をつくりだすのです 如何に平和をつくり出すか 平和な 雰囲気を確立するか見いだすでしょう 私たちが平和をつくり 平和を他人に与えるような 模範となるよう成長していく ことが非常に重要です このデリーでこんなに多くのリアライズ ソールをもてるとは信じられません 期待していませんでした まず 私は 人々の心が私の仕事を理解できる状態に なるのを待たなければなりませんでした なぜなら私たちは国の分断を体験し 多くが命を落とし 財産を失いました 私はそれに直面し 目撃しました 彼らは本当に 他の人を許せませんでした 許しは他者の痛みや困難を理解するために 非常に良い方法ですが この深みを まずあなたは 開発しなければなりません 怒ったり 復讐的になったりするかわりに 聖なる愛を通して 心の平穏を持つことができれば 何かを特別にする必要など ないのです 今やあなたが胸に宿しているのは 平穏さだけです それをただ感じなさい あなたは平穏な人で 簡単に気分を害したり 人の気分を害するために腹をたてることに 対して言い訳をしたりしないでしょう あなたはこれらの怒りやばかげた復讐心など 全てを超越した者です リアライズ ソールでない人たちに 説明するのは難しいです 彼らはそれを 好まないからです リアリゼーションを得れば 話せます 最良なのは サハジャ ヨガを広めることです シーク教徒 イスラム教徒 キリスト教徒… […]

Shri Ganesha Puja, You Have To Protect The Innocent (Italy)

Shri Ganesha Puja, Cabella Ligure, 22 September 2001.
今日 私たちはシュリ ガネーシャを崇拝する ためにここに集まりました シュリ ガネーシャは 純真さの神です 彼は 純真さの海です そして彼は あれほど若く 小さな男の子でありながら 全世界を相手に戦え 全てのネガティビティを 破壊できます それが純真さの印です 子どもがとても高い所から落ちても 全然怪我をしない 何事もない という話しが聞かれます 彼らの純真さは とても強力なので 害されるべきでない者には 全く害は及びません それは全世界の 叡智を備えており 世界を完全に理解しています そして その純真さを 傷つけようとする者に対しては 世界が 全世界が 今までそれほど純真さを 大切にしなかったり あまり崇拝してなかった かもしれませんが 純真さを傷つけようと する者があれば 誰に対してでも 彼ら全員が立ちあがります あなた方の生活においても 誰かが子どもたちを 困らせようとすると どんな者であろうと どこから来て 国籍が何であれ 皆その子どもを守り 事態を統制しようと飛び出します これは一体何でしょう 私たちの内にある 非常に注意深く純真さを 守ろうとするものは何でしょう それは本当に 恥ずべきことです この世界において この純真さが 攻撃されているという事態をみれば 非常に恥ずかしいことです それ以外なら 大抵は容認できます 何も間違いを犯していない 悪意のない人々 敵意の全くない人々 子どものように生活している というべき人々 そのような人が何者かによって 攻撃を受ければ 全世界が それに反応するという以上に 世界中の一人一人が 純真な人 あどけない存在が 害されることに耐えられない思いをします 私たちは解っていません 私たちの中に 愛の大海や ― 子どものことを理解する 大海が存在することを どうしてでしょう 特に子どもに対してそういった感情を 抱くのはどうしてでしょう 特別に無垢さに対して そう感じるのはどうしてでしょう 常に敵意のない人々や 無垢な子どもたちを攻撃する人がいます そのような人が存在します しかし 誰も彼らを支持したい とは思いません 子どもたちを虐待することが適切であると 考える人は誰もいません そしてそういったことを した者たちは 苦しまなければなりません 彼らは皆 反動として苦しみます 私たちの中で こういった反応 純真さに対する大きな反応を 引き起こすのは一体何でしょう 例えば通常の戦争があり 戦っている人々がいても 通常の戦争では 人々はあまり同情を抱きません 人々は「いいでしょう」 「こういった理解もあるだろうし そういったことはあることです」と言います 一番大きな同情心が起こるのは 純真さが挑戦される時です それが人間の特性です 彼らは内なる力 シュリ ガネーシャの力を 持っていて その力が あなた方に 純粋さ 純真な子どもたち 純真な人々を 守らなければという 感覚や能力 理解を与えます そして全世界が 純粋な人を 殺そうとするような人に対して 立ち上がることができます 疑いの余地はありません こういった攻撃に反対 もしくは批判することができなければ その者は まだ人間ではないと言えます 最高の人格は 何であれ犠牲にできますし 諦めることもできますが 純真さに対する感覚だけは 捨てられません 非常に注目するに値します 純真な存在に対して どれほどの保護と愛の大海が 存在しているのか 私たちは知りません 最も強い力が 引き出されるのは 私たちが 純真な人や純真な子どもが 攻撃にさらされているのを見るときです それが人間の美しさです もちろん 残酷になれる人間も多くいて 悪魔と言えるような者も 存在するかもしれません しかし 特に子どもや 純粋な人々のことになると 誰もが自らの責任を 感じるものです 普通の人間が純真になるのは 難しいです なぜなら 彼らは 自分たちが何か偉いと思ったり 全てを理解したり 分析できるような ある理解の仕方をしていて 曲がったり 攻撃的になったり 厄介事を起こしたりと 何にでもなる 可能性があるからです その上それに対して言い訳できます しかし構いません それでも 彼らは概して 自分のしていることに 対して尊敬されたり 名誉を得ることは 決してありません 私たちサハジャ ヨギは サハジャの文化では 純真さは 尊敬されるべきものです あなたは少し騙されたと 感じるかもしれません なんとなく支配されている ように感じたり 恥ずかしい思いをさせられていると 感じるかもしれませんが サハジャ ヨギは 純真でなければなりません 彼らの中にシュリ ガネーシャの力が 宿っているからです 落胆させられたり 利用されたり 侮辱されたり 苦しめられたり 支配されられても 大丈夫です 彼らは誰であれ 他人の純真さを 破壊すべきではありません 自動的にそれは機能します 純真さが挑戦を受けたとき 世界中のあらゆる善なる者が それを救いに来ることに驚くでしょう その例として 先の戦争があります いわゆるアメリカの戦争です そこで無実の人々 何の罪もない人々が 苦しめられ 殺されました あの時 世界中からの 支持が 彼らに寄せられました 全ての国々が 信じる信じないに関わらず この犯罪者たちを 探そうとしました 彼らは必ずしも同じ宗教や 同じ国に属しているわけでは ないかもしれませんが 同じ犯罪に 関わっていないかもしれませんが この機会に 純真さの味方をしない者たちは 孤立し 破滅するでしょう それについて 疑いようがありません これではっきりと 彼らは 無実な人々を攻撃することはできない ということを学ぶことになるでしょう すでにお話したように サハジャ ヨガにおいて 私たちは決して子どもたちに イライラすべきではありません 罰することはもっての他です 私たちが 一番得なければならないものは 子どもに対する愛情のこもった 眼差しです 世界中で その子が自分の家族でも 他の家族の子どもでも またあなたに対して なつかなくても それは彼が子どもで 純真だからで 彼の中の純真さを あなた自身の純真さが 守ろうとしています 人が攻撃から 純真さを守るために 自分の命の犠牲を 選ぶことには驚きます 決して子どもは 攻撃されるべきではありません もちろん彼らは 自分を守る力を持っていますが 自分の力を 無駄にすべきではありません ― 極めて不吉で 残酷で 醜いものに あなたが子どもを 愛すことができなければ 何をも愛することはできません 私は今まで 幸運なことに 子どもを愛さない人に 出会ったことがありません 花が好きですと 言う者がいるでしょう なぜでしょう なぜ人は 花を好むのでしょう それらが純真だからです それらに純真な美しさが 備わっているからです あなたは自然を愛しますが なぜでしょう それが純真だからです しかし最も偉大な純真が 人間の中に見出されれる者が サハジャ ヨギです ずる賢くなることは簡単です 非常に簡単にずる賢くなれます 利口になるのも非常に簡単です しかし賢くなるためには 純真でいることの美しさを 理解しなければなりません 「マザー 純真でいると人に利用されてしまいます」 という者もいるかもしれません 純真な人を 利用できる人はいません こんなことをされた 攻撃的だったと 思う者もいるかもしれませんが そんなことはされません それはまるで岩のようです それはまるで岩のようです どんな怒りや復讐の海によっても 打ち砕かれることはありません その岩は シュリ ガネーシャによって 擁護され、養われています すでに述べましたが 純真さは決して 破壊されることはありません 驚くべきことです 罪人や 残虐な人 どんな人であれ 純真さは 破壊されません 純真に関して 非常に密やかなものが 神によって込められています 私たちはよく 自身の純真を もてあそぶことがあります 自分が好きなようにすれば 「大丈夫 結局は ―」 「自分の望み 自分の願望だから」 と思うのです そして常に 自分たちの力を弱め続け 自分たちの純真の力を 隠しています 覆い隠しています そして 上手くやったと思うのです 自分の悪賢い性格によって 全ての人を騙せたと この悪賢い性格は いかなる満足も与えません 自己を満足させません あなたが誰かを騙そうとすると あなたにその企みが 作用します あなたに跳ね返ってきます そして 純真に対する信仰を なくさせます それは最も大きな信仰で 最も大きな助けで 地上における 最も強力な力です 自分の純真に敬意を 払えない者は 自分が弱くなると思うからで 純真の力が いかに作用し いかに効くか解っていません 世界中どこからでも 作用します しかしこれまで 人間は純真の力に 気づいていません 純真になることは 最も高貴です そしてそれは作用します 全ての理解 全ての問題の解決が その人に 素晴らしく得られるようにです この世の中で 何が言われ 人は何を覚えていて 何が尊敬されているでしょう 理想が高い者が 尊敬されています しかし精妙な側面から見ると このような高い理想を持つ人は とても素晴らしい 生き方をしています とても良い人格で 良い性格です これらの者たちは 傷つけられ 殺されたかもしれませんが 彼らの純真のおかげで 彼らは輝いています 長年に渡って 輝いています そのような偉大な者たちの 人生を見ることができます 彼らは皆 とてもシンプルで 彼らは 考えた末の行動ではなく 自然に行動しています 自然に生きています 次々と国が 滅ぼされても 純真の力は 滅ぼされることはありません 自信を持ってください 自分自身に完全な自信を 持たなければなりません 自分は純真以外の何者でもないと 信じなければなりません 純真な者は 騙されると言うかもしれません 誰も純真を 騙すことはできません それは永遠の価値を 持つものだからです 他の金銭面や他の何かで あなたを騙すかもしれません しかし最も永遠なものは あなたの純真さです あなたは人生おいて最も 成功する者になれるでしょう あなたが全く純真なら ― あなたの純真さを 大切にしているなら 純真は決して 壊されることはありません それはあなたの悪い考えで 悪い行いで一時的に 覆われることはあります あなたが純真の空から 雲を取り除くことができたら 世界をものにしたことは 明らかです キリストの例を挙げられます 彼は十字に架けられ 侮辱され 苦しめられました これをした者たちはどこへ 行ったでしょう 誰が彼らを知るでしょう 誰も彼らの名前すら知りません 誰も彼らのことを気にかけません たった一人の者が 利用され苦しめられました それにも関わらず どうなったでしょう 彼は世界中から尊敬を得ました 全世界が尊敬しています 誰も どのように十字に架けられ 何をしたか 一切口にしませんでした 尊敬しただけです 人は何を尊敬したでしょう 完全な純粋の真髄です サハジャ ヨガでは 彼が 純真の化身であったと 言います 彼はシュリ ガネーシャの化身でした 証明できます 私たちは自分の好き勝手が できると思ったり それが間違っているとすら 思わないなら 私たちに何が起こるか 分かりません ヒットラーに何が起きたでしょう 彼は全世界を滅ぼせると 思いました 大勢の者を殺していながら 大変偉大な人物になれると 思っていました 真に尊敬される者とはどういう者か 理解していませんでした 時代を超え 歴史を超え 誰もヒットラーを 好きではありません 世界中の力を 自分のものにしようと思う者は 偉大な者として名声を望む者は ― 偉大な者を見習うべきだと 理解していませんでした 偉大な者とは 純粋な者たちのことです 偉大な者の誰をとっても 彼らの一番の力は純真です この力がどのように作用するか どう言ってよいか分かりません 多方面に作用するからです 歴史上の出来事を顧みると 彼らの存在が見えます どんな者たちだったしょう 大変純真で シンプルで 賢い者たちです ずっとあなたの人生の中で 記憶に残る者たちです 私が子どもで 学校に通っていた頃 よく図書館へ行き 素晴らしい者たちの 伝記を読みました 私たちのために 偉業を残しました たくさんいます 大変感銘を受けました 大変シンプルな者もいて 子どものようでした 例えば アブラハム リンカーンです 私は彼に大変敬意を 持っています 彼は妻に苦しめられました 彼女が言うに 「あなたは少し抜けていて服も着こなせない」 「振る舞い方も知らない」 現に彼女は 彼に大変乱暴でした 常に彼を苦しめました 彼は最終的に殺されました こうも言えます 「アブラハム リンカーンである意味は どこにあるでしょう」 「なぜなら彼は殺されました」 「彼は成功しませんでした」 今日まで世界中どこでも 人はアブラハム リンカーンを 知っています 恐らく彼の妻を知る者は いないでしょう しかしアブラハム リンカーンは 誰でも知っています 彼女によると 少し抜けていて 様々な悪口を言っていましたが 誰も彼女を尊敬していません 誰も彼女のことは考えもしません 今日尊敬されているのは アブラハム リンカーンです なぜでしょう 実際は彼は暗殺されました 殺されたということは 生き残る力がなかったことを 指すのでしょうか 彼は時代を超えて生きています 何年も過ぎていますが 彼はまだ生きています 純真であった 全ての偉大な者を見ると 彼らには理想がありました 彼らにとって 理想が他の何よりも 自分の命よりも 遥かに大事でした 理想を抱く気持ちは あなたの純真から来ます それがあなたに 何が理想で いかに生きるべきか どんな人生を歩むべきか 教えてくれます あなたに大きな権限があるとか 大臣としての大きな地位は 重要ではありません 多くの者が生きて死んでいきます 野心を持つ者が多くいます 抑圧する者が多くいます 彼はどこへ行ったでしょう 誰も気にしていませんし 見ようともしません 彼らの写真を見せられれば 目を閉じて 見たくありませんと言うでしょう しかしもし小さな男の子 とても純真な口調でしゃべる 無垢な子どもがいれば 世界中の人々が その子を称賛します これらの偉大な人は 真に純真の象徴です 彼らの一番の本質は純真で 彼らの叡智はそこから来ます ガネーシャの一番の 特質は叡智です 彼は成功とは何かを 知っていました ― 彼の純真の本質を通して 時折り純真な者は、 自分の純真の本質に気づいていません 驚くことです いかにその者に 純真の本質が輝いているか 普通の人であったり とてもシンプルであったり あまり知的で 鋭敏に見えない者であったり 外交的でなかったにしても 純真です 人間の栄光を見るようです 純真に 純真になるには どうしたら良いでしょう 人はこう言います 「マザー 私たちは純真になるには どうしたら良いでしょう」 まず始めに 自分自身で 自分の頭がどう動いているか 見ることができます 何をしているのか どんな反応をしているのか これをしっかり見ていくべきです 私はそれを内省と呼びます どんな計画を この頭がしようとしているのか 何が一番だと思っているのか その考え 思考のプロセスにおいて 自分を見るのに 一番大切な見方は何なのか 何よりもまず 自分が人に対して どういう反応をしているか知るべきです 純真な反応ですか それとも下心のある反応ですか 自分自身を見るのは 容易いことです あなた方皆 サハジャ ヨギだからです あなたの反応がいかなるものか 見ることができます あなたへの如何なる攻撃 あなたに降り注ぐあらゆる問題に どう反応しているか あなたの態度はどうであるか あなたが力強い者なら それに対してあなたは 全く気にしません 人があなたにすることは 愚かなことに過ぎないと見れます 全く愚かしいことであると 人が愚かしいことを しているときに なぜそれを 気にすることがあるでしょう なぜエネルギーを 消耗させることがあるでしょう 彼らの愚かさは暴露されます 彼らが生きている間 そしてその後も 人から蔑まれるでしょう 人は彼らの名前を 口にさえしたくないでしょう 写真も持たないでしょう 彼らと関わりたくないでしょう この時代に このような時に 何が起こるかというと 騙すような者 純真に反する者は 彼らに従い始めてしまいます そういう者たちと彼らが 合っているからです 攻撃的であったり 悪賢いことが 合っているからです そのように新しいグループが 結成されます そういう者たちを 悪魔的なグループと呼べます そしてこの悪魔的なグル―プは 全く何も出来ません 純真な人格の持つ者に対して サンスクリット語で スローカがあります スピリットについてのスローカです 「如何なる武器も 殺すことができない」 「如何なる火も 燃やすことができない」 マルタは空気です あるいは風とも言えます 「風はそれを吸いこむことができない」 破壊しようとするどんな性質の ものより上回っています しかし驚くことに 自然は理解しています 自然は純真です それを理解し 適切な時に作用します 攻撃的な者 純真を困らせようとする者に対して このように自分たちの純真を崇拝 すべきだと知るべきです 純真であることで支配されると 感じるのは解ります 時折り なぜこのような扱いを受けるのか と悲しく感じるでしょう 様々なことが 頭によぎるでしょう しかし純真を崇拝するなら あなたは常に幸せな者になれます 常に優しい者になれます 常に謙虚な者になれます ですから注意しないといけません あなたは あなた自身の破壊者です あなたは殺す者です ヒットラーはどうでしょう ヒットラーは自分を滅ぼしました 誰が滅ぼしたでしょう どうであれ人は死ぬもので いずれにせよ彼は死んでいましたが 永遠に滅ぼしたのは彼自身です ですからあなたは自分を殺せます 自分を救うこともできます 純真であれば 栄光も授かります 純真の力に自信を持ってください 何が大切かというと あなたの人生の中で 純真の力をどう表していくかです 互いにどのような態度で 接するかです 私はそれを愛と呼びます 自分に対してこの態度で望まない限り あなたは慈悲深くいられません あなたは親切になれません ― 一時的になれたとしても 永遠の慈悲深い気質は あなたの人格を通して永遠に 流れる純真さからです 純真な力は 人間にとって気取らないもの 支えてくれるもので 全てを上回り 時を超えます 何千年経っても 人はあなた方サハジャ ヨギを 忘れないでしょう ― あなたの勇気 あなたの純真な力を見せれば 今日のプログラムが 遅くなってすみませんでした 行く準備はできていましたが 結婚のことが大切なものに なってきているようです 書類がぎりぎりに届いて 結婚について 最後まで決めていたためです こういうことは最後です 次回はしないでください 自分の申し込み用紙は せめて八日前までに 送らないといけません ガナパティプーレでは 二週間前です そうでないと 一日は24時間しかありません それを増やすことはできません 一つ謙虚に お願いしたいことがあります 結婚を上手くいかせたいなら 私が見る時間があるように してください そうでないと 他の者に決めてもらいます それでよければそうします 簡単なことですが 結婚というのが大切なことだと 理解してください 結婚すれば 純真な子どもが授かります しかし このような態度をとれば 責任がない感じがします ですから時間の大切さについて 理解するようお願いします 次回 あまりにも遅く書類を送れば 結婚式が行われないのは確かです せめて一週間以内であるべきです 理解していただけるよう お願いします ありがとうございました […]

Adi Shakti Puja, The Work of the Adi Shakti Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Adi Shakti Puja, Cabella Ligure (Italy), 3 June 2001.
今日 私たちは アディ シャクティを崇拝します 最も大切な プージャだと思います なぜなら あなたにセルフ リアリゼーションを 授けたのも あなたに真実を 与えたのも 慈悲と愛の力を与えたのも アディ シャクティの力だからです それは サダ シヴァから 分かれた力です この力は この完全な宇宙を 創ることを望みました 次々と宇宙を創り 愛します 彼女の愛で この偉大な創造を この世界の創造をしました この惑星は 人間の創造のために特別に選ばれ 太陽と月の間の 中央に 美しく位置づけられました これは彼女の偉大な業です 大いなる愛と慈悲で 創られました そして 彼女の子どもたちが 真実を知り 自分自身や他の全てについての 究極的知識を得ることを 期待して創られました 聖書で記された通り 蛇の姿をして アディ シャクティが現れ 人間たちに アダムとイブに 特にイブに “知識を知らなければいけない” と話しました 彼らは知識の果実を食べることを 受け入れました 人生の精妙さを知らなければ 動物のように生き続けたかもしれません 少しだけ動物より ましだったかもしれません 果実を食べると 何も身にまとっていないことに 違和感をもち始め 自分自身を 木の葉で覆いました 最初の知識は純潔でした なぜならシュリ ガネーシャが 確立されたからです 彼の影響は私たちに 体を覆わなければいけないという 意識をもたらしました 私たちはもはや 動物ではありません 動物は二本足で立ちませんし そのようなことを意識しません 純潔の知識でもって 次第に人間は 美しい国を 建国し始めました しかしまだ 知るべきこと 意識すべきことは 多くあります 人は多くのことに 気づいているかもしれませんが スピリチュアルな 覚醒なしには 自己の知識を得ない限りは 他のすべての知識は 全く意味がありません 自己の知識によってのみ あなたは力を持ちます 真の力である 愛と慈悲の力です 今日の世界は 戦いに明け暮れ 人々を戦争から守るための 巨大な防衛武器を作っています 全世界が互いに殺し合い 滅ぼし合い 野心 競走 紛争へと発展し より悲惨な戦争に 繋がります 彼らは一区画の 土地のために戦います 彼らは大変無知です 死ぬ時に人は 土地の一部でも持っていけますか 人は生まれた時 こぶしを握っています 死ぬ時 手は開いたままです 何を持っていけますか 何も持っていきたくない かもしれませんが あなたが戦っている 素晴らしいと 思っているものを楽しんでいますか 愚かな者たちの間で なぜこのような戦いが起こるのでしょう 平穏を望まないことに 驚きます 土地のこととなると 理解がなくなることに驚きます 全体が 間違った方向に進み 完全な破滅へ向かっています 彼らの無知によって 人間は大変苦しんでいます 無知によって これらの習癖を持ち 間違ったものに魅了され 間違った同一性を持ちました それは彼ら全員を滅ぼします 彼らはまともに ならなければなりません 自己の知識を 得なければなりません 自己の知識は 人に与えられた救いの鍵です 多くの聖人がいました 多くのスーフィがいました タオイストの者も 禅の者もいました この地上には あらゆるリアライズ ソールがいました 彼らは苦しみました 苦しめられました 誰も彼らを 理解できませんでした しかし今 あなたが 真実を知る時が来ました 無味乾燥なものでなく 慈悲深さのある真実 すべての人を包み込む 真実であり 私たちの存在の 完全な見解を与えてくれます なぜこの地上にいるのですか 私たちの目的は何ですか 私たちは何をすべきですか アディ シャクティの力は 愛のそして慈悲の力で まずあなたの自己を 理解させてくれます あなたにとって愛は とても とても限られています 自分自身について意識できません あなたにとってどんなにすばらしいか 考えてみてください あなたは自己を しっかり意識できるように ならなければいけません 非常に大切なことです まず自己を 意識しないといけません 今あなたは スピリットの光を持ちました その光で自分が何であるか 見ることができます どれぐらいのところに達しているか どんな間違いをしているか どれほどの害を 自分に及ぼしているか あなたにはそれを治す 改善する まともにする力があります これは最も大切な時間です あなたはこのような時間を 二度と持てないでしょう これまでの歴史にもありませんでしたし 未来にも決してないでしょう これはあなたが得た時間です 意識するだけでなく 自己の知識を得るだけでなく どうしたら良いか 解っています 聖人について タオイストや禅の者について言えば 彼らは 自己の知識を持つ者について 振る舞い方や生き方 他者と比べて何が違うかを ただ語っているにすぎません どうすればそうなれるのか 誰も言っていません 誰も言えませんでした することもできませんでした なぜならほとんどが クンダリーニのことを知りませんでしたし 知っていた者は 人々にそれを 話すことができませんでした ですから アディ シャクティの最大の仕事は あなたの仙骨に クンダリーニを置くことです このクンダリーニは アディ シャクティではありません アディ シャクティは もっと偉大な 大きな 広大な 深い 強い 力強いものです クンダリーニは アディ シャクティの力の反映です 彼女が覚醒されると 何が起こるか いかにリアリゼーションを得られるかは ご存じのとおりです しかし あなたは大変 注意深くいないといけません あなたは本当に 慈悲深い者ですか あなたが慈悲深ければ・・・ 慈悲深い者に まず起こることは 他の者を助けること 他の者を救うことだと思います 自分自身の達成や セルフ リアリゼーションの状態だけでは 満足できません 起こりえませんでした アディ シャクティが 全てをする必要は何でしょう 私が一生懸命やらなければ いけなかったことはご存じだと思います 幼少時代から 大変努力してきました 大変困難な時期もありました 人間からみて 困難な時期です しかし最悪なのは 私がリアリゼーションをあげた者たちが セルフ リアライズした者たちが 他者に責任を感じていません あるとしてもほんの少しです 今日彼らには人類を救う 世界を救う 慈悲の気持ちや愛がありません 私たちの大事な仕事であるだけでなく しなければならない唯一の仕事です 他から得るものは何もありません 他の者にリアリゼーションを与える この知識を与える あなたの努力 個々の努力だけです この知識は大変容易に 理解することができます もちろん大変精妙です お話ししたように 話題になっている量子論ですが 奇跡的な光の波動を見た 科学者たちが それは何であるかを 知ろうとしています サハジャ ヨギが他の者の上をいく ということではありません 自分に起きた 大変特別なことだと 皆さん一人一人が 理解しなければいけません たとえヒマラヤで修行しても 断食しても 何年も神の賛美を 歌い続けても あらゆる儀式や 苦行に耐えたとしても リアリゼーションを 得ることができませんでした 可能ではありませんでした このことは知っていました それゆえ 私は大変努力が要りました 様々な問題 様々な混乱 様々な圧力と 向き合わなければ なりませんでした なぜでしょう あなた達が創られ 私の手となるよう見るためです あなたは働かないといけません どの指も働かないといけません ずっと言い続けていますが 今は私たちの責任です 私たちが サハジャ ヨギになるためだけでなく 開花の時 多くの人が サハジャ ヨギになるためです それはアディ シャクティの仕事です 理解するようにしなさい それは どの聖人の仕事でもありません どの化身の仕事でもありません いかなる政治家の 仕事でもありません いかなる偉大な指導者の 仕事でもありません アディ シャクティの仕事です それはあなたの中に 結果をはっきりと見せています それに あなたが気づくことです 私を歓ばせることは あなたの切なる望みです 解っています あなたが どんなに私を愛しているか どんなに私のために 尽くしたいか知っています 私のためにできる 最大のことは サハジャ ヨガを広めることです それはとても特別なことで あなたに与えられた 非常に難しいお恵みです あなたはいかなる努力も 要りませんでした 全くお金を払うことも ありませんでした あらゆる儀式で 変になることもありませんでした 自発的にそれを得ました それを生まれ持った権利のように 捉えてはいけません それはアディ シャクティの仕事です アディ シャクティの仕事は あなたの生き方の中に 現れなければいけません 見返りを期待しない 慈悲の心です 人は貧しい者に 同情を見せることで 貧しい者や障害者の世話をすることで 宗教を広めようとしました サハジャ ヨガは それをする必要はありません すべきことは人を変えることです どのように人を変えられるか いかにアディ シャクティのメッセージを 広められるか 方法を探してみなさい 心がけなさい そうすれば どうしたら良いかわかるでしょう サハジャを広める方法を 見つけなければならないという 強い願望を 常に持つべきです でなければ キリストが述べていた 湿地に落ちた種は 発芽しても 決して育つことがなかった話の ようになってしまいます 自分ができることを 知ることによって あなたは 本当の意味で成長でき 何かとても特別な者 真の者になれます もちろん 私にはビジョンがあります 何度もお話ししました プージャだけで終わるのは よくありません とても困難な国もあります 問題は何か なぜ難しいのか 分かるようにしなさい 最後の審判と呼べる 同じ土壌の中で 人はなぜ自分自身を 滅ぼそうとしているのかということに 私たちのアテンションはあるべきです 私たちの慈悲と愛を通して できるだけ多くの人を救いましょう これはアディ シャクティの仕事です いかなる聖人や 化身の仕事ではありません 彼らは皆そこにいます 私たちの中にいます 終始私たちを助けています あなた方は とても偉大な 浸透する奇跡のような アディ シャクティの力を持っています 大変効果的です しかし あなたが 自分自身の力を意識しないかぎり どうやって ワークアウトするのですか それは全てを備えた 死んだ機械のようなもので 誰も操作する人が いないのと同じです 私は常に 大変際どい時期を 過ごしてきました 大変困難であったので 時には来世でないと無理かと 感じたこともありました しかし 今はあなたにとって とても簡単なことです それは大変な思いをして 作られた道を 自分がどれほど簡単に得たか 気づきもしないで歩いているようなものです それに気づけば “この道を 多くの人が歩けますように” “大変な忍耐と理解と愛で創られた この道を”と感じるでしょう 全てのサハジャ ヨギが この世界を変えるために 最善を尽くさなければいけません 実際人類は 他の誰でもなく あなた方によって 救われなければなりません 大統領でも首相でも 大臣でもありません 彼らは世界を 変えることはできません その権利を与えられているのは あなたです あなたは この力を持っています 自分の地位 立場が 遥かな高みにあることに 気づいていますか その悟りがあれば 愛と慈悲を表わすために 人が本当はどんな存在か 気づいてもらうために あらゆるところに出向くでしょう サハジャによってのみ 世界を救うことができます 他の方法はありません 何をしようと 何を言おうと 貧しい者を助けようと それは上辺だけのものです 最良なことは 全ての者に リアリゼーションをあげることです 私たちは子どもたちを見てきています 彼らは成長しています 偉大なヨギになるでしょう 分かります しかしその前に 自分がして得たものを 示さないといけません 静的な仕事ではありません 爆発的な大きな動きです そのような 大きな歩みでないかぎり 審判の日に 誰が咎められるかわかりません 人類の運命を高めるのは あなた達です 自分自身を 何でもない者として見てはいけません あなたはリアリゼーションを 得なかったかもしれません 多くの中からあなたこそが 私のところに来て リアリゼーションを望み 授かりました 強制されるものではありません このリアリゼーションは 強制されるものではありません この意識は 強制されるものではありません この意識の成長もまた 強制されるものではありません あなたはアテンションを 自分の中で深く育まなければなりません そして何をしてきたか 見ないといけません 金銭問題 権力問題あるいは 他の様々な問題で忙しくするなら 問題はあなたです あなたは サハジャ ヨギではありません サハジャ ヨギは 全てを超えています とても強力です 力が備わります 口先だけの愛でなく 愛と慈悲の力です それは他の者を愛するだけの 業ではありません あなたが持つようになる 強力な人格です それは偉大で 神聖な光をただ放ち 人を捉えることができます 皆が とても勇気ある人格を 持つべきです 皆さん成長しました 以前私に“これが私の悪いところです あれが父の悪いところです” “曽祖母の悪いところです”といった ことを書く者がいました しかし そのようなことはなくなりました 大変少なくなりました 病気の者 失敗した者 改善することができない 状態にいる者について 私に話すかわりに アテンションを 変えなければなりません ある人が 癌にかかれば 私に少なくとも 10枚写真が届きます リーダーもその妻も 私に手紙を書くでしょう 皆が私に手紙を書くでしょう なぜですか それは私の仕事ですか その人は治ることができます 病院があります 写真で治せます しかしアテンションは 常に同情の方にいってしまいます いわゆる肉体的に 精神的に 感情的に 財政的に また結婚生活で 苦しむ者に対して あなたの仕事ではありません 私のでもありません その人が病気なら 写真を使ってワークアウトすべきです うまくいかなければ 仕方ありません 彼らを特別に扱ったり ワークアウトさせたりする 必要はありません うまくいかなくても “こういう人が病気です” と私に書くことはありません 何がそんなに大事ですか 健康な人はたくさんいます その者たちに 働きかけてはどうですか 私たちの仕事は 人を治すことではありません 愛情はいいでしょう 慈悲もいいでしょう 私たちのアテンションが病人 あるいは貧しい者 苦しんでいる者にいくのは 自然なことですが サハジャ ヨガはどうなるのですか 一人の病人がいれば 百人のサハジャ ヨギが気にかけるでしょう その理由は何ですか 慈悲ですか そうではありません 彼らはその人を治すことができると 証明したいのです 慈悲ではありません 今日慈悲とは 人をサハジャ ヨギに 良い人に変えていくことです それがアディ シャクティの愛です 生まれた者は必ず 死ななければいけません もちろん不親切になることは ありませんが どれほどの者にリアリゼーションを 与えられるかにアテンションがあるべきです 人がいわゆる治療や改善に 夢中になるのは とても普通のことです いいでしょう 例えば 結婚生活に問題が生じます 夫婦で暮らしたくない者もいます 終わりにしなさい 一緒に住みたくないなら そうしなさい この世界にはもっと分別のある者が 健康な者が多くいます なぜ住みたくない者と 一緒に葛藤し続けるのですか あなたの仕事ではありません まずあなたは スピリチュアルに働く者です ソーシャル ワーカーではありません もちろん 社会的に働くことができます しかし あなたにとって一番大切なことは 人を変えることです これにおいて 最も厄介なことは 冷酷さ 残酷さ 他者を苦しめること 怒りです 内的なものである これらすべては 直すことができます 今日求められています どの国も戦い 苦しめられ 常に破滅への危機に さらされています あなたができる唯一の方法は リアリゼーションをあげることです リアリゼーションをあげた時 何が起こるか しっかり見るべきです その人はそれを大切にし 成長すると 守られます 完全に守られます 誰が守るのでしょう アディ シャクティと 言ってもいいでしょう この世界には 破壊の力があります ネガティブなものではなく シュリ シヴァの ポジティブな破壊の力です アディ シャクティの仕事が うまくいっているなら 彼は幸せです しかし 彼はひとりひとりを サハジャ ヨギのすべての仕事を そこに座って見ています 彼が何かとても 間違ったものを見つけたら 私はそれを コントロールすることはできません 彼は滅ぼします 私はそこには立ち入れません 彼は滅ぼします 何千もの人を 彼は滅ぼすことができます 災害があるところはどこでも 地震や ハリケーンのようなものはすべて シュリ マハデヴァの働きから来ます 私はそこでは助けられません しかし あなたが人々に リアリゼーションをあげたなら それらの人々は 危険を避けることができます もちろんこの世界を創り あなたを サハジャ ヨギ達を創ったのも アディ シャクティの 気まぐれと言えるでしょう しかし あなたの責任もまた とても大切です あなたは 責任を持つことはできません 私の責任だったかもしれませんが 違いがあります 決して私の責任だと 感じませんでした これは私の仕事だと 決して感じませんでしたし 私がしなければいけないと 思いませんでしたが 私はやりました これが仕事です このような人格を あなたは持つべきです あなたは とても謙虚な気持ちで とても美しいやり方で やらないといけません そしていかに守られているか いかに支えられ いかにすべてがうまくいくかに 驚くでしょう 人にリアリゼーションを与えられると 彼らの人生を変えることができると分かる時 最大の歓びを得られます そのような歓びは他では 決して感じられないでしょう 仮に宝くじに当たっても 大きな仕事をもらったとしても 有名になったり 表彰されたりしても 感じられないでしょう サハジャ ヨギを創る歓びは 計り知れません 大変歓びに満ちたことです そのような仲間 そのような結束 そのような一体感 愛の歓び 慈悲の歓びを あなたは得られます それは普通の喜びではなく 違うレベルの歓びです あなたは私を 恐れることはありません でも自分自身を恐れなさい 自分自身を注意深く見なさい そして今まで何をしてきたか これまで何をしたか 自分自身で見なさい あなたは啓蒙されています 啓蒙された者が光を与えられなければ それを持つ必要があるでしょうか これらの小さな ロウソクを見てみなさい どんなに炎が小さくても その光を放っています 自分自身を燃やして 光を与えています 光が与えられなければ 啓蒙されても 何の役にも立ちません 啓蒙されるとは 自分だけに光が当たることではありません 愛の 慈悲の光であり 神聖です 普通のものではありません 映画でみるような 普通のものではありません 働きかけるのは神聖な愛です サハジャ ヨギが 金銭問題に絡んでいるとか 騙しているとか 犯罪に関わっていると耳にすると 弱ったように感じます 理解できません 信じられません 最も高いものを得たのに なぜそのように下落するのでしょう それは自分が得たものを まだ感じていないからです あなたは自分が得たものに 気がついていません 敬意を払っていません まだ同じライン 同じレベルに留まるなら 私や自分自身を 公平に評価していないと言うべきでしょう ワークアウトしなければなりません ひとりで私はやりました 一生懸命やったと言うべきでしょう ひどい者と 大変冷酷で 自己中心的で残酷な者と 付き合わなければいけませんでした それは問題ではありません 大変美しい鳥を見つけました あなたは自分の光沢を保ち ワークアウトさせなければなりません すごい速さでサハジャ ヨガが 広まっていると聞くと そして人々が 平穏 歓び そして幸福の領域に 本当に達していると聞くと 大変うれしく感じます それが私の夢です あなた方皆が ワークアウトすることを望みます ありがとうございました […]

Mahashivaratri Puja, Destructive Power of Shri Mahadeva New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja, Delhi (India), 25 February 2001.
今日 私達は マハシヴァラトゥリを祝うために 集まりました シュリ マハデヴァについて 理解することは 私達 皆にとって 大変光栄なことです あなたがセルフ リアリゼーションを 得ない限り シュリ マハデヴァの 偉大な神格 その性格 その力を 理解することはできません 私達が謙虚でない限り 彼の偉大さ その深さに到達することも 理解することも 容易ではありません シュリ マハデヴァの 蓮の御み足に到達するためには 私達はとても 謙虚でないといけません この偉大な人格の 蓮の御み足にいるために サハスララでさえ 越えないといけないのです 彼は私達の 概念を超越していますが スピリットとして ハートに内在しています そして あなたが リアリゼーションを得たとき 大変よく反映するのです しかしながら 私達は シュリ マハデヴァの力を 理解しなければなりません この偉大な神について 短い言葉で説明することは 容易ではありませんが 彼自身が持っている 最初の力とは 大いなる許しの力です 彼は許します 彼は たくさんある私達の罪 たくさんの破壊的な行動 みなに問題を起こそうとする 気質を許します ある程度までです しかし 同時に破壊する 最も大いなる力も持っています 彼はすべての 五大要素を支配しているので 彼の破壊は 突如起こります すべての要素を支配しています 母なる大地を 支配していますし その他の要素も すべて支配しています 彼は問題を見つけ 望みさえすれば すべてを 破壊することもできます 地震は私ではなく 彼によって 起こるといわなければなりません 私は破壊のために いるのではありません この地上で何が起こっていて 人間に何が起こっているのかを見るのは 彼なのです グジャラットの例をあげましょう グジャラットの人々は 大変な金銭主義者です 株式取引について心配したり あれこれと 常にお金のことばかりです 外国に暮していたとしても 非常にお金重視です 彼らにサハジャ ヨガの話を するのが不可能なのには 時折 驚かされます 彼らは偽者のグル達が 好きなのです どこからそれを得るのか わかりません ともかく グジャラットに バヴナガールという場所があります ある時バヴナガールの人達が来て 銀のスリッパ パドゥカスを 私にヴァイブレート してもらうために持ってきました 驚きました この人達がそのように考えていたことに 少なくとも嬉しかったのです バヴナガールで そしてバロダでも 彼らはプージャをし ハヴァンをしました これらがボカンパや地震によって 害が及ばなかった 二つの場所なのです 想像できますか そして 遠いところにある スラットは 完全に破壊されました 何人かのサハジャ ヨギは すべて助かりました そして彼らの 家も動きませんでした つまり あなたのお母さんの保護と 全能なる神の 怒りの間にいるのです 彼がすべての要素に対して 力を持っていることを 良く理解するべきでしょう 私がフランスに行った時 何人かが 私を困らせようとしました マスコミが 私を追いかけていました テレビや他のところで 私のことを悪く言っていました どこかで何かが起こることは わかっていました そして突然海から大きな 何と呼ぶかわかりませんが 大きな嵐が起こりました 誰もなぜそれが 起きたのかわかりません そして二つの船が 完全に沈み 助けようと行った人達は ガンになりました 次に起こったことは この嵐が早く動きはじめ すべての教会の屋根を ふきとばし たくさんの牧師の家が こわされました その嵐がどんどん進み 私が買ったとても大きな 城のところまで来ました そこでまさに止まりました それは私が やったことではありません 彼がすることなのです 彼は大変許すことができ 非常にやさしく 穏やかですが 彼の力を意識するべきでしょう これらすべての力は 私の仕事を守るために 使われています 行き過ぎることもあります スピリチュアリティの仕事を 邪魔すべきではないことを 人々に示すためなのです 本物のスピリチュアリティ でないといけません 偽りのグルのような者が 魔法のようなものを見せたり 不自然なことを話したり するのではだめなのです 本当のスピリチュアリティ であるなら 常に守られますし シヴァはこの上なく幸福です そして あなたに与えられたものは あなたが想像できる以上の すばらしいものなのです 彼は大変許すことができます そのような許しの源です あなたの心に許しがあれば 彼はあなたの心に内在します そうでなければ 次第にあなたは 大変重い病気にかかるでしょう あなたが許せるなら あなたのハートはとても早く動くでしょう 誰もあなたのハートを おかすことはできません 心臓発作を起こすことは ありえません しかし もしあなたが 我慢強く 苦しみ いろいろなことを 自分の力として受けとめるなら 間違ったことをし 神を忘れるなら あなたのハートは だんだん弱まり始めるでしょう ですから 一方では非常に 攻撃的なハートになっていき ヒットラーのような ハートになれるのです いかなる主張をしようとも あなたが誰かを 苦しめるのであれば あなたのハートは固くなり 強力な心臓発作になるでしょう これは避けられません また あなたが 大変辛抱強く 意味のないことを辛抱し 大変従順で おびえているとします おびえているのなら その恐れでそれをしているなら 別の心臓疾患 狭心症を引き起こすでしょう 最終的には 罪悪感のようなものを持ち始め ありきたりの人生を 送ることでしょう このような精妙なことが とても辛抱強いと思われる人に よく見られます スピリチュアリティのためであれば 辛抱するのもかまわないでしょうが 恐れをから するものではありません あるいはこわさから するものではありません サハジャ ヨギであるなら 何も恐れることはありません インドでは 人々は何でもこわがります リスを見てこわがったりします トカゲを見ようものなら もうおしまいです 彼らは何でもこわがり 女性はゴキブリでさえ こわがります このような気質は 大変ばかげています 狭心症に陥りがちな 人になるからです こわがる必要はありますか サハジャ ヨギであるなら 何にもこわがることはありません 人はねずみを見てはこわがり 何でもないことにこわがり それを自慢し 話題にします ハートがどんどん 弱くなっていきます また インドの男性にも 責任があるでしょう 女性を付属物か 義務のように扱ったりするからです 女性をどう思っているか わかりません 彼らの態度は 信じられないほど悪いです 特にインドの北部です 女性に地位はありません 家の中に閉じ込められ 召使いのようです 顔を常に 覆っていないといけません 許可なしに 外出はできないのです ひどいものです イスラム教徒の影響である という人もいます しかし 永遠の命 スピリチュアルな命を 信じるのであれば いかなる無意味な残虐行為にも 支配されるべきではないのです ですから インドの女性が 自由になる必要を感じるわけです 彼女達は大変いい人達で 辛抱強く 心やさしいのですが 自分の価値を 自分自身を尊ぶことを 知らないために 悪い病気にかかったり 精神疾患を引き起こしたりするのです このことについては すでにお話ししています なぜ男性は このように振舞うのでしょう 私達の国では 少なくとも70%が女性ですので 北部では70%の人々のエネルギーが 無駄になっているように思います 彼ら自身 どう思っているか 分かりませんが その報いを受けています このような国々は 決して栄えることはありません 女性はラクシュミだからです しかし 彼女達も ラクシュミであるべきです ラクシュミのように 振舞うべきですが このようなひどい状況には ショックを受けます どうして女性でいられるのでしょう 悪魔のようです このような社会での アンバランスもまた シュリ マハデヴァによって 罰せられるわけです 彼は大変親切で 苦しんでいる人達の 面倒をみようとしますし 苦しめる人達を 罰しようとします 攻撃的な人達を滅ぼすことで 助けようとするのは 彼の本質なのです 彼はクンダリーニや セルフ リアリゼーション について語りません ただしっかりと罰を与えます ショックを受けるぐらい ひどい方法でやります 苦しみの中で生きている 女性達を見てきました 彼女達は寿命より かなり早く死んでしまいますが そういう人達を彼は救います これらのことを 正しく見なければなりません 彼はもちろん 守るためにいますが それ以上に 滅ぼすために存在します 彼はさまざまな動物 さまざまな鳥 あらゆる自然を守ります 彼が守ります すべての喜び スピリチュアリティの 喜びをもたらすのは 彼なのです しかし もしあなたが 攻撃的になろうとしたら 滅ぼすのは彼なのです 自分の首を吊るためのロープに ゆとりをもたらせます それで人はまだ大丈夫と思い 自己満足するのです 逆に西欧では 男性より 女性の方が支配的なようです 大変驚きです どうやっているのでしょう 常に支配しているのです 男性は 手玉に取られています どうやっているのかわかりませんが 支配しています 彼女達は 謙虚ではありません 愛していないのです 常に夫と 離婚し続けているのです 愛していないのです 愛とは何か 知らないのです またインドの男性も 愛が何であるか理解していないようです 一生のパートナーである妻を どう愛していいかわからないのです どう敬意を払っていいか わからないのです そして ひどい怒りが起こってきます この怒りは いろいろなところに作用し そのような男性達には 恐ろしい病気や問題ごとが 次々と引き起こされます 社会全体もまた 謙虚な者達に対してふりかかる さまざまなことに責任があります 双方です あなたが攻撃的であるなら シュリ マハデヴァの 第3の目に見つめられていると 理解するべきでしょう 例えば あなたの召使に 攻撃的であれば 部下に攻撃的であれば あなたの子供達に 攻撃的であれば この怒りに満ちた神がいます 彼の破壊の呪文の下に 置かれるでしょう しかし 彼は私達に ヒマラヤのすばらしい高さを与えます 彼は人間を非常に美しく とても気高くします そして 彼は人々がお互いを 愛し合うことを望んでいます 人間の間には 純粋な愛があるべきです そして彼があなたを とても繊細に 人に対して振舞えるように 人にやさしくできるようにします それができないのであれば あなたは違う方向へ 行っています 彼の最も偉大な特権は あなたに高さと深さを与えるということです あなたが彼を崇拝するなら 全世界を目撃者として 見ることができる高さを得られます 彼は全世界を サクシ スワルパとして目撃します ですから 彼は知識なのです 彼は純粋な知識なのです あなたはリアリゼーションを 得たかもしれません 涼しい風を 感じたかもしれません しかしその知識を持っていますか 自由とは何かを この手の意味は何かを ヴァイブレーションは何かを 話さなければなりません 彼がその知識なのです その純粋な知識です 最も高いレベルの 完全な知識なのです ですから 彼が知識の源なのです 謙虚でない人は その知識を得ることはできません 傲慢な人 他の人を繊細に 優しく 美しく扱えない人は 彼の恩恵を得られません そういう人は 人生において何も得られません 何を得るべきでしょう 地位でも富でもありません これらの外的なもの ではありません 愛することができるハートを 得ないといけません あなたが愛することができる ハートです シヴァがハートに 内在するのであれば あなたはすべての人を 大変美しい方法で愛せます 愛について おかしな考えはありません 純粋な愛だけです すべての人への純粋な愛です そのお恵みで あなたの荒っぽさは すべて消えます 例えば もしほんの少し 力があるとします するとあなたは 良くないことに使うでしょう シヴァを見てください 非常にたくさんの力を 持っています 彼がそれを 間違って使えば この地上に草一本も 生えないでしょう いかにあなたが罪深いか 自己中心的か それでも彼は あなたにチャンスを与えます “成長するかもしれない”と 彼は非常に寛容です 彼は大変許すことができ また極めて寛大です 仮に 砂漠に住んでいる人達が いるとします そして彼らが 大変いい人達だとします 砂漠に住むがために 苦しんでいるなら 彼らにオアシスを創るでしょう 彼は母なる大地を 支配しています 彼らを幸せにするためなら 何でもできます 彼らがスピリチュアルであれば 崇拝しているのなら しかし 人間はとても愚かで 神の名のもとで戦いつづけます 例えば南部では 二つの種類の人達がいます 一方はシヴァを もう一方はヴィシュヌを崇拝します ヴィシュヌは シヴァを崇拝していたのです 誰も高くも 低くもありません すべてが大切なのですが シヴァを崇拝するか ヴィシュヌを崇拝するかで 人々は戦っていました 彼らは現実から 程遠かったのです 現実が何か 知らなかったのです ただ戦い 戦いだけです 神の名のもとで戦う者に シヴァが行き 彼らを三俣の鉾で 刺します 神の名のもとで戦ってはいけません 愛し 理解することです 神の名のもとで 戦うことは無意味です それだけではなく 大変危険です そのようなことをする者は 滅ぼされるでしょう 自己破壊的です 完全に滅ぼされます ですから 神の名において 愛さねばならないことを 理解する必要があります ばかげたことを 我慢する必要はありません 愛さなければいけません 愛を広めなさい 次第にその愛は 世界中に達して 私のヴィジョンが達成されつつあるのを 見ることができます しかし 諍いや憎しみ あらゆる攻撃性があるなら これら全てはシヴァに反し 滅ぼされるでしょう 彼らが滅ぼされるとしたら 何ができるでしょう 拝金的で 物質主義であるなら 彼らは愛しません 金銭のためだけに 愛しています 彼らが皆滅ぼされるのは 疑いがありません 謙虚であるばかりでなく 非常に愛する人でなければいけません シヴァの恩恵に与るには 極めて愛する人でなければなりません そういった人は利口だったり ずる賢くはないかも知れませんが 純真であると思います 誰かを愛すると その人を助けたいと思うからです 私自身苦しみました 人々を助けようとして 彼らは私を欺きました だから何だというのでしょう それが彼らの性質で あげく破滅しました 私は自分を欺くように 頼んだわけではありません 私は彼らに良くしましたが それでも私を欺いたのです ですから 破滅がやってきます 私に何が できるというのでしょう 誰も破滅して欲しく ありません この自らの創造を 愛していますが 彼らが破壊的であるとしたら 守る方法がないのです 彼らを破壊するもう一つの 偉大なる力があるからです 私がどうしようもない立場にいる ということがわかるでしょう どう表現してよいか わかりません しかし シヴァの 愛と恩恵によって あなたは極めて愛情深く 寛大で 非常に優しく 子どものように 純粋になれるということを サハジャ ヨギとして 理解すべきです あなたは 純真でなければなりません ずる賢くなる必要は 全くなく 純真さが如何に守られるかに あなたは驚くでしょう あなたが純真なら 心配する必要はありません シヴァの第3の目の力が存在していて あなたを保護します どこに行こうと あなたと共にあります 馬鹿になる ということではありません 現実的でなくなる というわけではありません シヴァの力によって 現実的な側面は ことごとく引き受けられます 彼の導き 愛 優しさを 人生の中のありとあらゆる 歩みの中で見ることができます まず自分の歩みに 気を付けなさい 攻撃的ではないですか 人を困らせてはいませんか 他人につらくあたったりは していませんか あなたは謙虚ですか 穏やかですか 親切ならば 彼はとても喜びます 自然のなかで働いているのは 彼の掟です それは非常にシステマティックで お互いを理解し合いながら 生きています 例えば ジャングルに行って 全く静かで 鳥のさえずり さえも聞こえなければ そこに虎が座っている と思うべきです 彼は王様です 従うことを皆知っていて 王がいる場には 礼儀が存在します 自動的に礼儀を 理解しています 虎がいれば 誰も動かないでしょう 彼は威厳をもって座ります 1週間か10日に一度だけ 一匹の動物を殺します 彼も食べなければなりません 一匹殺して 彼とその家族が まず食べます 血が流れ出るまで待ってから 家族皆が来て食べます それからその動物を そこに残していき 他の動物たちが順に来て プラサードとしてそれに与るのです 最後には カラスたちが来て その動物を食べます それほどの規律 礼儀の理解が存在しています シヴァによってどれほど動物たちが 統率されているかに驚きます 動物が ストライキをしているとか 動物の巨大な裏社会がある とは聞かないでしょう 動物がものを盗む というのも聞きません 私達は動物の段階から 進化してきたというのに動物以下です 争いのようなおかしな 行動様式をもちながら どうして私達が 上昇できるというのでしょう どんな小さな原因であれ 争い始めます 動物も多少戦いますが 集団ですることはありません 人間のように 集団ではしません ほんのちょっとの腹立ちで 仲間をつくって争い始めます 動物も仲間集団をつくりますが 争いません 動物たちは 真に理解しています 私達も自然の掟を 理解してはどうでしょう このような自然の摂理に 従わせるのがマハデーヴァです 空や大地ですら 全てが彼によって保護されています 美しいことを 私達のために行います 季節の移り変わりと共に 美しい花々をつくり出します 心地よく 美しい 喜びを与える ようなものを創造し 保護します 自然が与えるものを示し 私達が無邪気な子どものように楽しんだり 喜んだり 幸せでいられるようにします しかし 私達は傲慢にも 何事につけ反応します 絨毯を見れば “これは好きではない”と言うでしょう 特に西欧では 良くあることです 何かを好まないというあなたは 自分を何だと思っているのでしょう 良くあることで 恥じらいもなく“これは好きではない これは好き”といいます そういった人間はどこへ行き着き 何が起こるのでしょう 何事も愛でることなく 楽しむこともなく なぜ批判的な反応を するのでしょう そういった反応は西欧に多いです インドではあまりありません しかし そこにはある種の 文化の違いがあると思います インドなら 異常者のように思われるでしょう どう愛について語り それを表現するかが大切です まず 自分の妻から始めなさい そして自分の子どもや 他人に向かうようにしなさい 時折 世界は愛せても 妻は愛せないようなことがあります それは特殊です インドではあります 西側でも 妻を怖れるが故に愛するような おそらくは離婚を怖れる人がいます 愛はただ “自由な” 愛であるべきです 怖れなしに 責めることなしに その純粋な愛を楽しみなさい それが今日の 人間に足りないことです 人々が愛の美しさを 悟る日が訪れると 天国から花々が 私達に降り注ぐでしょう マハデーヴァが 第3の目を閉じることができて こころ穏やかになる すばらしい日になることでしょう それが私のヴィジョンです それがあなた方の未来です どれほど人と 穏やかに話せるか どれほど優しく 人を愛せるか どれだけ人に 与えられるかわかるでしょう 例えば 何か贈り物を しなければならないとすると 彼らは店に行き 最も安っぽい ひどいものを買って 贈ろうとします そうではないのです 大きさが何であれ 愛情をもって買うべきです それが愛を語るべきで どれほど費やしたかではありません インドですら昨今では いかに着飾るか どれほど自分に価値あるかを 見せびらかすのが とても一般的です 何のためでしょう なぜでしょう そういった人々を 多く知っていますが 亡くなれば 遺体を運ぶのに 4人の人さえもいません 生前は 自分のことばかりを 際限なく考えていました そのような時に その人を愛したり気にかけたりする人が 何人いるかを見るべきです 育ちのせいか 愛を知らなかったのかも知れません どんなことでもそのせいにできます しかしサハジャ ヨギにとっては 愛こそが人生であり スピリチュアリティであり その愛は 見返りを期待しない 愛であるということを学ぶことが重要です 貧しい人や何かを援助するのに 長けた人がいることも知っていますが その背後に力があって 単に権力意識を満たすだけで 愛を満たすことなく考えます ですから 働いているときに 何らかの利益や 地位のためではなく 単にスピリットを満たすためだけ 愛を満たすためだけにしていると 知っていなければなりません こういった類の執着のない愛 ヴィラクタを有していれば 何らかの資格を 得る必要もありません あなたはすでにそれを得ているし 楽しんでいるのです 英語で話さなければならない というのは残念です 英語を解さない人も いるかも知れませんが 英語が最近では 優位でどうしようもありません 英語を強いなければならないのです 他の言葉を私は話せません しかし 人は 愛の言葉を発するべきです 動物たちを見ると 馬でも犬でも 動物たちは みな愛を理解します あなたになついたり 愛情を表したり 非常にかわいらしいです これを今 彼らから 学ばなければいけません 他にどうやって愛の価値を 理解させられるかわかりません 現実的ではないと 批判したり たいしてお金がないとか 権力がないとか そういったことではないのです それは重要ではありません そんなことならいくらでも 手にはいるからです けれども 私達は違います 私達は人類の宝石で 輝いていなければなりません ダイアモンドが貴重に見えるには カットされる必要があるように 内にある悪いもの全てを 切り落とすのです 私の唯一の 望みがあるとすれば “シュリ マハデヴァの性質に 従うようにしなさい”ということです いかに彼が偉大か いかに彼に執着がないか 完全に執着がありません 彼は骨やそういったものと 暮らします どこに 誰と住むか 何を所有するかにも 何にも頓着しません 私達も 無執着であるべきです 同時に彼のように 極めて愛情深くあるべきです どれほど彼のハートが 他者への愛で満たされていて どんなに他者の世話をするか 私は警告しています あなた達は私を愛していることを 知っていますが あなた達がお互いを 愛するべきだからです 愛するハートを持ち 他者を愛することに満足しなさい それを育てることができたら サハジャ ヨガでのあなたの 高みと深みが増すでしょう 確かに女神があなたに シュラッダ(信仰)を与えます しかしそのシュラッダの深さは サンスクリット語や ヒンディ語では知りませんが マラティ語ではデャスと言います その愛の深みに飛び込めば 愛を全身に浴びれば 愛を楽しめば あなたは何も欲しいとは思いません 全てを得たのです 何を欲しがるというのでしょう シュリ マハデーヴァの 偉大さのように 彼はあまりに偉大なので 執着がありません 彼以上に偉大なものがなければ 彼以上に重要なものもありません 何を望むというのでしょう だから彼は無執着です この無執着を あなたも育てる必要があります しかし同時に 彼は芸術 音楽 リズムの 神でもあります 先日 男の子達が リズムを奏でていました 彼こそが万物に リズムを与えます 自らの命のリズムに 私達は無自覚です 子どもが生まれるのも 9ヶ月と何日と正確です 誰がこのリズムを守るのでしょう そしてある花が ある季節に咲きますし 自然には四季が存在します 誰がこのリズムを守るのでしょう 彼はリズム以外の 何者でもありません そのリズムが自然において 守られています 全てにおいてリズムがあります そしてリズムのある人こそ 大きなハートを持った人です それは大海のようです そのリズムが狂うと 残酷だったり 妄想的な人がいたりすると 整った 美しく穏やかな 全くさざ波もないような湖の中は 愛以外は 存在しないのですが そういった静かな ハートのリズムが乱されると シヴァが働き出します ですから 人は完全な時間のリズム 自然のリズムや 全てにおいてのリズム感を 持つべきです 花の名前さえ こういった花が何かさえ 何時ごろに咲くかも 知りません そういった生命のリズムに 関して全く知りません 知ろうともしません 見てみれば 全てに渡って 季節が存在します ですから 彼はあらゆるリズムを タブラやパクワジを演奏するように 全ての季節のしらべを 奏でたのです そしてそれによって自然が芽吹き 花を咲かせ 枯れていくのです その点を わかっていません 自分自身にかかずらって ばかりいます “調子はどうですか” と尋ねれば “マザー 頭痛や胃の痛み 他にも・・・” 何から何まであります 別の人はいいます “ええ 順調です” “マザー 世界をどうか 正して下さい”と 自分の心配をせずに 他者のことを心配します 世界を幸せにするために何ができるか という美しい理解のもとで いわば一生懸命に 働かなければなりません そのなかで “この世を美しくするのは 私達の義務ではないか” “この世界をリズミックに スピリットと調和のとれた世界にするのが” “私達の仕事ではないか” と考えるのです それは私達の義務です サハジャ ヨガを自分のためだけではなく 他人のためにするのです 自分のことをいつも心配するのではなく 他人の心配をするのです 世界で起こっていることに気を配る それが愛です その愛は自発的で 働くときにはすてきな働きをします 今夜は美しい夕べで この場所で偉大な成長の源を 崇拝しています あなた方が どれほどその力を得ているか シヴァのリズムにおいて どれほどその力を 全身に浴びたかを 理解するよう望みます 彼はそのリズミカルな方法で あなた方にヴァイブレーションを与えます 私達の生の道すじを流れ それがあなた方を 完全に包み込むはずです そこであなたの自己意識は 溶けていくように要請されるでしょう 私はそれを祝福します ありがとうございました […]

Shri Krishna Puja Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Shri Krishna puja. Cabella Ligure (Italy), 20 August 2000.
今日 私たちの中に内在する シュリ クリシュナを 崇拝するために集まりました ご存知のように サハジャ ヨガに来る前 皆さん 真実を探求していました 様々な所に行くことで 読むことで探そうとしました 中には自分を 見失う者もいました しかし何を探していたか 分からなかったでしょう あなたが探していたものは 自己を知ることでした すべての宗教が “汝 自身を知れ”と言っています このことについては どの宗教も言っています 自己を知らずして 神を知ることはできないからです スピリチュアリティを 知ることはできません 最初の段階は 自分を知ることですが それにあたって人は あなたを騙そうとしました 間違ったことを教え お金を奪い 騙しました 様々なことを経て サハジャ ヨガにたどり着き リアリゼーションを得ました リアリゼーションの目的は 何でしょう 神を知ることです 女神を知ることです これがリアリゼーションの目的です リアリゼーションの後 あなたに何が起こるべきでしょう 多くが麻薬などナンセンスなことに 無関心になりました 無益な本を読むことにも もはや関心がありません お酒を飲むことにも 関心がありません しかしそれだけでは 十分ではありません いずれにせよ そうなったでしょう なぜ神は自己を 知ってほしいのでしょう あなたの中に 彼の反映を見たいからです 反映を見たいので あなたを創りました 女神も同じです 彼女はあなたに リアリゼーションを与えました あなたの中に 彼女の反映を見たいからです ですから より純粋で 美しく 愛深く 慈悲深く 何より叡智が反映されるように ならないといけません 叡智を持つことを理解できる 地点まで到達しないといけません 叡智が欠けているなら あなたは自覚を得た者ではありません シュリ クリシュナの 域において 彼はあなたが ヴィラータの ヴィラタンガナの一部に なることを望んでいます ヴィラータの 一部になるべきであって リアライズ ソールだからといって 完全に大丈夫で 何もしなくて良いと 思ってはいけません そこから何をするかが 大切です リアリゼーションの後 シュリ クリシュナのような 神々の人生から あなたの中にあるべき反映を 見なければいけません シュリ クリシュナは 大変困難な境遇で生まれました そしてヤシュダによって出身地へと 連れ出されました そこで彼の戯れが 始まりました あなたも人生において 遊び心を持ち 楽しさや歓びを 創り出さないといけません 聖人のようにヒマラヤで 座禅をしなさいとは言っていません 子どもたちと戯れ 話し 遊び 楽しみなさいと言っています 彼は同時に 彼に挑む ネガティブな力を全て滅ぼしました 子どもでありながら 大変成熟しており プトゥナや2人の恐ろしい ラクシャサも殺しました 同じ頃 彼は ゴピスと戯れたり からかったり 困らせたり 茶化したりしていました なぜでしょう 彼らに遊び心を 持ってもらいたかったからです それに対して 様々な祝賀がありました ある豪雨の日 彼は指先で山全体を持ち上げました 人々は不可能に思いました 奇跡です 山を指先で掲げ 立っていました 気取らない様子で 彼と遊んでいた男の子達を 守るために持ち上げました また彼は大蛇カリナを 水中で殺しました この恐ろしい蛇は水中で 人を殺す毒液を作っていました 彼はあっという間に ヤムナ川の物凄い水流に飛び込み カリナを打ち負かし 殺すことで人々を救いました しかしこの大蛇の妻は 彼に夫を許すよう懇願しました 彼は許しました 6-7才の子どもが このような偉業を 自分がしていると思うことなく 成し遂げました そのことを考えもせずにと 言ってもいいでしょう シュリ クリシュナであると 悟っていたのでできました ですからあなたは自覚を得た者 であると意識すべきです 普通に振る舞うような 凡庸な人間ではありません あなたは特別な人です 全能なる神の本質を 反映するために創られました 誰もあなたにカリアを殺すよう 期待していませんが あなたは絶えず 守られている状況です 誰もあなたを 傷つけられません 殺せません あなたはサハジャ ヨギです 面倒を見てもらっています では物事を決めるにあたって サハジャ ヨギはどうあるべきか 理解する必要があります 自然な判断であるべきです 計算たり 下見したり 検討することはありません シュリ クリシュナが川に飛び込んだように 即座に自然な判断を下します 同じように全てにおいて 自然な判断をすべきです 例えば 絨毯を買うとします 店に行き どれを買うべきか すぐ分からないといけません 人生のどの瞬間も 自然な判断をすべきです 即座にです しかし私が見る限り そうではないようです 店を次々の渡り歩き リストを作って測定したり 帰宅すると 明日決めようと言います サハジャ ヨギの 振る舞いではありません サハジャ ヨギは全て その場で自然に判断します そうあるべきです 例えば誰かが 溺れそうだとします 最初の衝動は その者を救おうとします どう助けますか 水に飛び込みます 守られているからです あなたに悪いことは起こりません ですからただ飛び込み 人を救います これがとるべき 最小限の姿勢です 自然な判断が あなたの気質です 悩んで決断し 決断にあたっても 会議を開いたりすることはありません 日常においても そうあるべきです 政治面 経済面 全ての生活面においても 自然でないといけません いかに自然な判断が できるでしょう あなたにどのような 素質があるでしょう 何を使って決断しますか あなたには ヴァイブレーションがあります 感じられます ヴァイブレーションとは 何かも知っています あなたに何を教えているか 知っています あなたに語っています ですからヴァイブレーションで 何をすべきか瞬時に分かるはずです “カベラは物凄いヴァイブレーションです” と言う者がいます 事実です どれくらいの人が そう感じるでしょう あなたの感受性は まだ発達していません 自分のヴァイブレーションに対して 敏感でないといけません 誰を見ても 隣に座る者が誰であれ 誰と握手をしようと その者のヴァイブレーションが 分からないといけません このような感受性を発達させるなら 自然な判断ができます 私にはそれができます カベラの城を 5分で買いました 近くまで行くと 車が大型で 行けませんでした “私の車で行きましょう” と市長に言われました 到着すると 確かに荒廃していました 周りの足場も悪く 幽霊が出そうな場所でした 一緒にいた皆が “ひどい場所です これは買えません”と言いました そこで私は市長に言いました “買います 今です” 彼は驚いていました どうやって購入できるか 尋ねると “イタリアでは簡単で 値段の1/3を払えば自分のものです” “気に入らなければ断れますが 返金はできません” “競争相手がいれば 倍額を支払います” “お得ですね 買います” と言いました 皆がこの出来事に 驚いていました 決めては ヴァイブレーションです その場のヴァイブレーションです 7つの城を彼らに 案内されましたが 中に入らずに断りました 入りもしなかったので 驚いていました “以前は何だったのですか” “女子修道院でした” このような自然な判断が できるようになるべきです できるようになれば 短い時間で素晴らしいものを 得られることに驚くでしょう だからといって 粗雑にするのではなく まずヴァイブレーションの 敏感さを持つべきです 敏感になるならサハジャ ヨガ において成熟しています 成熟しないといけません リアリゼーションを得たので これができると思うのではありません まず敏感さを 持たないといけません どのぐらい敏感か どう分かるでしょう 自然な判断で結果が 芳しくなかったとします 自然な判断で 決断しながら 失敗し 間違っていたとします 経済的 政治的 あらゆる面で 苦しむことになるとします そこであなたの価値観が 評価されます どれほど サハジャ ヨガで深まったか リアリゼーションを どれほどものにしたか このように 自分を試すことができます でも失敗を恐れてはいけませんし 成功に舞い上がることもありません あなたが 自覚を得た者だからです もちろん敏感なら すぐさま分かります 私と同じようにとは言いませんが やってみるべきです ある者を称賛する人がいます “すばらしい人です 是非会って下さい”と言われました その者の写真を 見せてもらうと “残念ですが会いたくありません” と言いました 彼らには理解できません “どんなに偉く 将来大臣になろうと 会いたくありません” すると翌日の新聞に 悪人であるという記事が載りました あなたは自然に決めたことに 対する経験や 理解と 向き合わないといけませんが それでも自然な判断を するよう言います どうやったらよいかなどは 考えてはいけません 何が正しくて間違っているかを 知っていると思い込むことは 自然な判断に 影響を及ぼします (私が建てた家を 何人の者が見たか分かりませんが) シュリ クリシュナのもう一つの側面は 創造性の豊かさです 幼少時代 いたずらのような 様々なことをしました 大人になると ドワリカの王になりました そして王様のような 装いをしていました 何であれ王でした 子どもの頃は小さい孔雀の羽根を 一つ着けていたものです しかし王になると王の装いで 王座に座り 人々と話しました 偉大さを持ち 創造性は大変豊かでした 彼はドワリカに金でできた 大変美しい宮殿を建てました 信じられますか 彼が建てましたが 水面下に沈みました 西洋諸国に洗脳されたインドの知識人は それは不可能だと言いました 水中には何もなく 宮殿は建てられなかったと 作り話で神話だと しかし ある者は それを信じ 水中に宮殿を見つけました 全てではありませんが 金が少し残っていました 彼の建てた巨大な宮殿に 驚いていました 水中に沈みながらもありました このように化身たちは 大変創造性豊かでした あなたが創造的でなければ リアリゼーションは何の役に立つでしょう 簡単で 最もすばらしい 創造的なことは 他の者を サハジャ ヨギにすることです 最も簡単で歓びを与えることは 他の者をサハジャ ヨギにし 彼らが長年求めていた 神聖の恩恵を得ることです あなたは素晴らしい 癒しや恩恵を与えます あなたはリアリゼーションを 簡単に得ました 瞬時のニルヴァナといいます サハジャ ヨガの 瞬時のニルヴァナです 人は簡単に瞬時に得られるものの 価値を理解できません インド人は“独立で 簡単に自由を得た”と言います そのため貴重に思いません ただで特別な努力なしに得ると それを尊重しません 理解しません 当然のように思いますが リアリゼーションを得るための 人の苦難を知っていますか ヒマラヤに行き一本の脚で 何ヶ月も立ったり 逆さ立ちしました それでも得られませんでした 28年間 こもった者もいます なぜそのようにするのでしょう 人や悪い環境から離れれば リアリゼーションを得られると 考えたのでしょうが 得ることはありませんでした 簡単に得られるものでも 大変貴重なもので 素晴らしいものだと 理解すべきです リアリゼーションを得るのは 容易なことではありませんでした 自覚を得た者について 読んだことがあるでしょう 彼らはそれをどう得たかも クンダリーニのことも知りません でもグルや 苦行を通して得ました 仏陀はリアリゼーションを得るまで どれほど苦労したでしょう いかに得たか 考えてみてください 彼の人生を見れば ぞっとするでしょう 最期は飢えと貧困で 亡くなりました しかしあなたには そのようなことはありません 何の困難もなく得ました 大変優しい方法です お金も努力もなしにです だからといって尊重しなくていい ということではありません それは種が母なる大地に植えられ 自然に発芽し 木へと育つようです 胚芽に生命が宿ります しかし水を与えなければいけませんし 世話する者がいないといけません この場合 あなたが 世話をしないといけません まず慈悲と愛の栄養を与えます 慈悲と愛を持っていますか 人を愛していますか 今日子どもが嫌いだという者がいて ショックを受けました “他人の子は好きですが 自分の子が嫌いです” なぜ我が子が嫌いだなどと 言えるのでしょう まずあなた方は “好きです 嫌いです”と 決して言うべきではありません 反マントラです “私はこれが好きです” と言うあなたは誰ですか “この絨毯が嫌い 銀のものが嫌い” あなたはそれを創れますか この決めつけは自然な判断だと 思いがちですが違います そのように言う権利があるという発想は コンディショニングから来ます あなたは何ですか スピリットなら 決して言わないでしょう 人を傷つけるかもしれません 傷つけるような言葉は使いません 危害を加えません スピリットなら愛深さ 慈悲深さ 穏やかさ を与えることを言うでしょう 他者に歓びを発するでしょう スピリットは他者に歓びを 与える力があります あなたが不機嫌なら 自覚を得た者ではありません あなたは歓び 愛 慈悲を 与えることができるはずです そしてそれは 全く自然に起こるものです マハラシュトラでの 聖人の話しがあります 人は“カヴァドゥ”と呼ばれる水亀で 水を運んでいました グジャラートからシュリ クリシュナの 寺院まで遥々運びます シュリ クリシュナに帰依する すばらしい行為だとみなされていました その聖人も“カヴァドゥ”と呼ばれる 水亀で水を運んでいました マハラシュトラの村から 遥々運んでいて 寺院のある麓にさしかかると 喉が渇いて死にそうな ロバを見かけました すると彼はそのロバに 水を与えました “神格に捧げるため 何マイルも幾日もかけて運んだ水を” “このロバにあげるのか” と皆は言いました 彼は言いました “神が水を飲む為に降りて来られた ことが分からないのですか” 彼の態度を見てください 自覚を得た者にとって 慈悲はこのようでないといけません 大変寛容です あなたが寛容でなく狭量で 常にお金や貯金のことを心配するなら 成熟したサハジャ ヨギとは 言えません それにそのようなお金は 幸福を与えません 欲深さは スピリットに反しています スピリットは非常に寛容です 決して何かを倹約したり 人を騙したり 盗んだりしようとしません 論外です その者に欲が 全くないからです 欲が全くないので リアライズ ソールは欲深くないのです 大変寛容です 大変寛容な者を 他者の問題に理解力がある者を 多く見てきました 自分の問題事に悩む者は サハジャ ヨギではありません 他者の問題を 解決する為にいるのであって 自分の問題解決やそれを 話題にする為ではありません 現代の“これが私の問題です” という言葉は 以前は幾何学でしか 使われていませんでした 人は“問題はない” とか言いますが それが問題なのです あなたの問題を 他者に振るべきではありません 何も要求しないことです “私のためにこれをして あれをして” 人が相手を利用しようと するのには驚きます 外国に行くのが好きで “あなたの国に言ってみたい” と連絡する者がいます 寛大なサハジャ ヨギは “来てください”と言うでしょう 問題は要求している方です 何も要求すべきではありません あなたは完全だからです 満足してるだけでなく 完全です 人が何をあなたに 与えるられるというのでしょう あなたが完全であるとき 全ての欲求が消えます 来るとき 多くの星が見えました でも月が出るや否や 星は全て消えました 同じように あなたが完全なら 人から何かしてもらおうと 期待しません 反対に他の為に何ができるか 見つけようとします 他者の問題を 自分のことのように考えます 真剣に考えます あなたの成長につながります あなた方全員に起こるべきです リアリゼーションを 得ているからです 自分の為でなく 他者の為に生きる人格が発達します あなたはどこでも暮らせます 寝れます どんな食事でも 食事がなくても構いません あなたは 満足しているからです 逆に他の者の為に 料理したいと望むでしょう できることは 何でもしようとします できるならそうするでしょう しかし自分の問題にしか 目を向けない者がいます サハジャ ヨギではありません スピリットは問題を持たないものです あなたはもはやスピリットであって 全てを超越していると理解しなさい あなたの創造性は また別の次元へといきます もちろん他者に リアリゼーションを与え始めます 芸術を創造します ババママは文学が 得意ではありませんでした 母が数学者だったので 数学は得意でしたが 言語においては 得意ではありませんでした 私が彼の小論を 書いていたほどです しかしリアリゼーションの後 大変美しい詩を書きました ババが書いたとは 皆信じられませんでした 先程言ったように 私が小論を書いていたくらいです 驚くことに ウルドゥやマラティ ヒンディの詩を書き始めました 兄弟が彼にどうやって ウルドゥの詩を書いたかと尋ねると “シュリ マタジに教わった” “全てにおいて教わった” と答えました ですからあなたの中の 創造性が開花します どこから創造性がきたのか 自分でも驚くでしょう 数学者が突然詩人になったと 想像してみてください 不可解に見えますが あなたにはこのような能力があります あなたは多岐に渡って 創造的にならないといけません 私は大変創造的です 常に何かに働きかけていて 結果も良好です それに人から称賛されるべきだとか 新聞に載るべきだという 普通の人が持つような興味は 私にはありません 創造のために創造します その創造をただ楽しみます すると人が言ったり話したり 行動したりすることにも 適応性を 持てるようになります 人は攻撃的になったり 称賛したりするでしょう でもあなたを称賛していると 気がつかないでしょう “シュリ マタジ キ ジェイ”を 私も一緒に言って 私のことを言っていると 忘れることがあります あなたは これらを超えています そのような人間の振る舞いに 全く理解できないほどです サハジャ ヨガに来ると リーダーになりたい サハジャ ヨガの偉い組織者になりたいと 強い欲求を持つ者がいます そのようなものは 偉大なサハジャ ヨギとして 国際的な名声を欲します 伝えている創造性とは 離れています 私は何を創造したでしょう 人間にとって 人から称賛を得たいと思うのは 普通のことです あなたがスピリットなら 皆知っています 何を自慢することがありますか 脚光を浴びる必要がありますか 後ろにいても光はあります ですからあなたは 暗闇から出ないといけません あなたが光で 光を広げる者だからです 暗闇にいるなら 光を広げることはできません ですからあなたのスピリットは 問題を持てません 恐れはありません そして何よりも すごい叡智があります それがより高次な人格である あなたの印です これは進化です あなたが変わったとき 別の特質を持つ者として進化します 際立ちます 周囲と同じになるなら サハジャをしても 意味がありません キリストはどうでしょう 大工の息子でした 教育を受けていません でも何をしたでしょう 彼はスピリットでした 内に神を反映しました そしてまた そのために 十字に架けられました サハジャ ヨガでは 起こりません そのような試練はありません しかし 自分の判断基準が どうであるか見るべきです 内省を通して ワークアウトしているか 自問すべきです “サハジャ ヨギ氏 ごきげんよう” “自覚を得ていない者が夢中になることに 没頭していませんか” 探ってみなさい サハジャ ヨギの成長は その振る舞いや生き方や 表情に表れます このような者にシワはありません 心配事はありません それなのに なぜシワがあるのでしょう そのような者は 誰に対しても逆上しません 逆に笑います 一度スイスの教会で 私を聖書で叩こうとした 女性がいました 私は聖書で叩くなんてと 笑いました 笑っていたので 彼女は怖がりました 聖書で叩こうとする愚かしさを 見なさいと言いました 石ならまだ分かりますが 聖書では叩きません 皆さんの目の前で 起こったことです ご存じと思います ネガティブな力が あなたを精神的にも 感情的にも 傷つけるかもしれませんが 超越していれば 誰もあなたを傷つけられません 傷つけられたと感じないでしょう 気にもなりません しかしあなたは 何か創造しましたか 今日何人かの男女が 離婚しようとしていました サハジャ ヨガで結婚して 離婚を望みました 考えられますか ショックでした 夫が兄弟のようだと 変な考えをしていました おかしな考えをしていて スピリットの光が ありませんでした スピリットの光があれば あなたの理解は 違ったものになっていたでしょう 自分でなく 他の者のことだけ心配し その者の為に 解決策を見出そうとします 助けようとします あなたにとって 簡単なことだからです 光を灯すのは簡単です 一度啓蒙されて 灯されているからです 輝きをなくす方が 難しいです 人間は リアリゼーションの後でさえ 何年も成長した後でも まだ愚かです リアリゼーションの価値を 分かっていません スピリットを 殺すことはできません 吹き払うこともできません この光は消せても スピリットの光は消えません 灯し続ける油は 何でしょう 慈悲や愛 他者への思いやりです 中には支配的な人がいて 問題を起こします それでも 思いやりなさい あなたとは違います 完全ではありません だからこそ 思いやりなさい “そうする必要があるのか” と思うならあなたは終しまいです このような反応は スピリットの者ではありません スピリチュアルな者の反応は これとは全く違います シュリ クリシュナの生き方に 見ることができます 彼には 大変貧しい友がいました シュリ クリシュナに 会いに行きたがったので 妻は彼に 米菓子を持たせました “あなたの友達に 持っていってください” 彼は恥ずかしく思いましたが 持って行きました シュリ クリシュナは 宮殿にいて 門番に“彼には会えません” と言われました “スダナが来たと伝えてください” シュリ クリシュナは王座に座り 話しあいをしていましたが 伝言を受けて 門へ駆けて行き 友を何度も 抱きしめました 彼は“なぜここに立っているのか” と言いました 中へ招き入れ 王座に座らせ 妻に友の足をきれいにするよう 言いました そして服を持ってこさせ 風呂に入れました そして彼のベッドに 寝かせました シュリ クリシュナの愛です そして友の足が汚れ ひび割れていたので 薬を塗ってあげました ひび割れを治そうと 精一杯のことをし 彼のベッドで休むように 言いました そして眠れるように うちわで扇ぐよう女性たちに言いました シュリ クリシュナの慈悲深さが 美しく表れています 私たちは 慈悲深いでしょうか 彼はそれをする義務も ドラマもありませんでしたが 彼のハートからくる 自然な判断でした スダナが来たと聞いて 友のもとへ駆けました 旧友が来たことに 嬉しく感じたのです 彼がハスティナプールに 行ったとき カウラヴァの長男 ドゥリョダナに “私の宮殿に来られて 滞在してはどうか”と言われました 彼は“行きます でもヴィデュールと食事をとります” ヴィデュールは 使用人の息子です 彼は行って ヴィデュールと食事をしました ヴィデュールは 貧しい者でした ドゥリョダナなら豪華な食事が 出たでしょうが どんな食事だったかは 分かりません 味や食事の質は 関係ありません 愛です リアライズ ソールであった ヴィデュールへの敬意です 他のサハジャ ヨギヘの敬意です 政治家だからといって サハジャ ヨギが尊敬するなら 理解できません スピリットは 全てを超越しています 他のヨギに敬意を払えないなら 何かがおかしいのです スピリチュアルな者は肩書きを持つ者より 高次であると理解すべきです そして生き方に 愛が表れています 全ての聖人 化身は皆 愛を持っていました 全てを超越し そして何も期待しません 人の期待から 行動するのではありません 神の愛を反映する人格です その反映が あなたにもあるべきです サハジャ ヨギでは人より秀でている という意味ではありません 人と異なる 超越している ということです 優越感がないので あなたは人と違うのです 大変謙虚なので 人と違うのです 大変歓びに満ち 穏やかなので 謙虚なのです シュリ クリシュナの生き方から お話しできることはたくさんあります 彼はヨゲシュワラ と呼ばれています ヨガの神です 彼がヴィラータだったからです 彼はアルジュナだけに 姿を見せました 誰もアルジュナのようでは なかったからです アルジュナでさえ 彼を見た時畏怖しました 彼はシュリ クリシュナのように 牛飼いとして暮らしました シュリ クリシュナはゴクールで生活し 自分の力を自慢しませんでした 彼の力は内にありました そしてそれは 自然に表現されました この力は叡智と分別です 完全な分別がありました もしなければ 神聖な力ではありません 悪魔的な力だったでしょう あなたに親切だからといって 親切にするなら間違っています インドではアヴァデュタ と呼ばれる者達がいました 彼らはリアライズ ソールで 社会から離れ 人から隠れ 質素な場所や 洞穴に暮らしていました “理解されないなら話す必要はない” と考えたからです 彼らは孤立し それぞれで暮らしていました 何ができたというのでしょう 多くのサハジャ ヨギといる あなた方とは違います あなたにはたくさんの友や お互いがいます でも彼らは孤独で 社会から離れました 人とも会いませんでした そうしようものなら 十字に架けられていたでしょう あなた方は違います 社会があります 良い友や スピリチュアルな人々の すばらしく啓蒙された 社会があります それらを伴い 創造的でありえないなら 何と言って良いか分かりません 何かを創造しないといけません 芸術や音楽 詩 文学 何であれ 創造しないといけません 何よりもサハジャ ヨギを 創らないといけません これが一番の 創造であるべきです 至るところでサハジャ ヨギを 創ることが大切です 私が色々な場所へ行き プログラムをすることもできますが すばらしい状態を得たという 模範を示さないといけません あなたが彼らに 気付きを与え サハジャ ヨギとしての生き方が できるようにしないといけません 実際完全になるなら あなたはマハヨギです そうならないといけません あなたのスピリットが 皆に歓び 平穏 恩恵を与える マハヨギになること以外に 大切なことはありません 神の祝福がありますように […]

Guru Puja, Sharddha Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Guru Puja. Cabella Ligure (Italy), 23 July 2000.
今日 私たちは グルの原理について 知るために 集まりました グルは 何をするでしょう グルはあなたが 持っているものが何であれ あなたの中にある 貴重なもの全てを あなたの知識のために 発見します 実際 全てがそこにあります 全てです 知識の全て スピリチュアリティの全て 歓びの全てが そこにあります あなたの内に 備わっています グルがする唯一のことは あなたの知識について あなた自身のスピリットについて 理解させることです 皆 自分自身の中に スピリットがあります 自分自身の中に スピリチュアリティがあります 外側から 得るものはありません この知識を得る前は 無知の中に 生きています 無知の状態では 内にある宝に 気づきもしません ですから あなたが何であるかを 教えるのがグルの仕事です それが第一段階です あなたは “自分のアイデンティティは” “幻影である この外観の世界にはない” と気付き始めます そして自分自身の中に 光を見出すようになります 十分な光を得る者もいれば 少しずつ得る者もいます 全ての宗教の真髄は 自分自身を知ることです 宗教の名の下で 戦う者たちに “あなたの宗教は” “自分自身が何であるか 教えてくれましたか” と尋ねるべきです 全ての宗教が 一つのことを言っているなら 自分を知るために これら全てをしなければいけません しかし 人々は 儀式に走ります 儀式をすることで 神に近づけると考えます 自分自身について 完全に無知のまま生きています 毎日 自己と全く 関係ないことをしています 祈りやプージャ このようなことが 続けられています 全て無知から来ます 彼らは人々の払い続ける お金で大変金持ちになり お金だけに 興味を持ちます 彼らはあなたのお金を 全て奪い あなたを愚かにします あなたのエゴを 甘やかします エゴを甘やかすことで あなたは 幻の大海に漂い始め 幻に溺れ 自分が大変宗教的で 神と繋がっていると思い込みます 神を知るには まず自分自身を知るべきです 自分を知らないで 神を知ることはできません 自分自身を知ること は不可決です しかし 自分自身を知る時 一部しか知ることができません 経験が 十分ではないからです 知識は出てくるものです グルが あなた自身についての 知識を与えます 照らし合わせなければいけません あなたのグルが 教えていることが何であれ 真実か真実でないか 正しいか正しくないか 幻かどうか 見極めなければなりません 上昇において 多くの問題が生じます まず第一に エゴの問題です 特に西洋では エゴが大きくなり 自分が偉大で 他者より秀でていて 何か特別である と考え始めます この無知は 世間的な無知より 大変危険だと思います なぜなら 世間的な無知は 間違ったことからの 結果を感じます あなたが 上昇の途中にいる時 自己について 無知な時 より高度な領域に 行こうとしている時 エゴを持ってはいけない と常に理解すべきです そこで内省が始まります 自分の何が間違っているのか 自分自身を見始めます 自分にエゴがあると分かれば 自分自身を見始められます 自分に何か欠けている 何か間違っていると 分かれば内省できます これは大変正直な 努力でないといけません サハジャ ヨガを 始めた頃は 自分が大変偉大で 内省は必要ないと 考える者がいます 自己に到達せずに 再び 無知の雲に覆われます ですから 自分自身何をしてきたか 自分が何であるか どれ程成長できたか 内省しなければいけません (今 通訳をしないでください 後でできます) (集中して 聞かないといけません) (理解できなかったとしても 効果はあります) そのような態度で望む者は 少しずつ変わります まず 非常に攻撃的で 短気で エゴが大きい者は 大変穏和で 柔和になります 恐れを持つ者 怖がる者 とても用心深い者は 恐れのない者になります この段階において 恐怖心はありません あなたは 自分が正しい道 正しい軌道にいる と確信します 容易に心を 乱されません しかし さらなる高みに 上昇しなければなりません 瞑想すると 自分の何が おかしいか気づきます あなたは セルフ リアリゼーションを得ました セルフ リアリゼーションの 恩恵を受けました 身体も健康で 数えきれない程の 恩恵を受けています 全て得ていますが あなたはさらに 成長しなければなりません サハジャ ヨガについての 全ての知識を 理解しなければなりません まずメンタルに 理解します そして どこまで正しいか 証明しないといけません どれほど理解したか どれほど 自分のものにできたか どれほど認識できているか 自分自身を 見始めると バクティ(献身)の領域に 入り始めます あなたは穏やかな者になり 優しい者になり あまりしゃべらず 誰も困らせません 大変感じよく 大変温和で 大変理解力の ある者になります 他者に対する あなたの振る舞いで 確かめないといけません アテンションを 自分から他者へ移し 自分が どう振る舞っているか見ます どれほど愛しているか あなたの 慈悲の程度はどれほどか 人を見返りなしに 愛せれば(愛だけです) その者に 完全に献身的で 従順です サレンダーといえる この愛があれば あなたはその者のために 何でもします これは愛そのものです サレンダーは 愛以外の何ものでもありません この愛は 大変歓びを与えます すると バクティ(献身)が始まり このバクティによって あなたは浄化されます あなたの 悪い面 あなたの持つ欠点 抱える問題を理解し 克服できます 同じような性質 同じような 問題を抱える者を見ると その者への愛から あなたは寛大に接しようとします その者への愛ゆえに 忍耐強くなろうとします そういう者は忍耐強いです 攻撃性はありません 許します リアライズ ソールは許し続けます 彼らの許す能力は 物凄いです 誰に対しても 悪意を持つことは全くありません いかなる怒りも持ちません 絶えず寛大に接し 許し そして許します この許しは いわゆる あなたのバクティの 美しい調べに過ぎません これらのマスターが持つ 許しの大きさは キリストの生き方に 見ることができます 聖人達は苦しめられ 十字に架けられました 人々は彼らを決して 好みませんでした ご存じのように彼らは 十字に架けられましたが 受け入れ 決して復讐しませんでした 慈悲に反することは 決してしません 彼らは 慈悲を持っていました その者に対して 慈悲を感じ “神よ 彼らを どうか許してください” “自分の行いが 解っていないのです” 大変 慈悲深いです 彼らの特質です 特質となり得た時 完全な 平穏を持ちます 彼らは全く乱されません 何が起ころうと 決して乱されず 神の意志だと信じます 如何なるものも 彼らを乱すことはできませんでした 献身を 楽しんでいました グルへの 神への献身です その献身で 美しい詩を詠い 踊り 歌いました 内に平穏を持ち 自分自身を 楽しんでいたからです 彼らが一人の時 決して孤独ではありませんでした 自分自身を 楽しんでいました 神と 一体であると知っていて 神の恩寵を 楽しんでいました 彼らは上辺だけのものに 惹かれません 決して心配したり 動揺したりせず 未来や過去を考えず 現在にいました 現在にいる時 彼らは完全に静寂の中にいます 何か問題が起こったり 彼らに何か起これば 彼らはすぐさま 思考のない状態になります それが 彼らの持つ能力です あなたはグルになるために その人格を備えないといけません 何かに囚われずにです 例を挙げましょう 私は決して急ぎません 時間をほとんど気にしません 一度アメリカで・・・ 神が計画を立てていると確信したなら 何も気にすることはありません 神聖が面倒を見ている時に 何を気にすることがありますか アメリカで子どもが 高いところから落ちてしまいました 私は丁度 出発するところでした その子は 腕を折ってしまいました 子どもを見て “治しましょう”と言いました 彼らは時間を気にしていましたが “いずれにしろ行きます”と答えて 30分程かけて治しました “では向かいましょう” と言うと 彼らは“間に合いません” と言います “私は決して遅れたことはありません さあ 行きましょう” 私たちが 飛行場へ着くと その飛行機は 故障していて NYではなく ワシントン行きが待っていました 実際 私はワシントンへ 行きたかったのです いかに色々なことが ワークアウトするか想像してみてください それを“サハジャ”と 呼んでいます サハジャに ワークアウトします つまり努力を 要しないということです しかし まず あなたの人格が 大変すばらしく 献身的でないといけません すると神聖が あなたの面倒を余儀なく見ます 神聖な力が あなたを取り巻き この力が あなたの安全を 完全に保証している と理解しなければなりません あなたが望む 全てにおいて言えます “マザー 貴女は とても力強いです” あなたが神聖な仕事に 完全に献身的であれば あなたも大変 力強くなれます あなたは 全ての力を備え 神聖はあなたが望む 必要な仕事 時間を与えてくれます 全てが 神聖によって与えられます この慈悲が 人から神へ 神聖へ あなたの グルへ広がるなら 生きることが とても楽になります シンプルになります 複雑でなくなります 全てが整い どんなことも 気にならないでしょう 目を閉じるだけで 全てがワークアウトします 全てがあなたの意志で あるかのようにワークアウトします あなたはそれを望むことも 考えることもありません ただワークアウトします 神が 全て面倒をみてくれます あなたの安らぎも健康も 全て面倒をみてくれます そして あなたが望んだり 願ったりすることなく 神聖は助けます 神聖が責任を持たなければいけない 人格を備えるからです 神聖はあなたに対して 特別な責任を持っています そして何があなたにとって良いか 悪いか知っています 多くありますが 一つ例を挙げます 例えば 誰かが 私に会いに来るとします “マザー 彼はとてもネガティブです 彼は決して来ません” “決して来ません” 様々なポジティブなことが 起こりますし ネガティブなことであれば あなたの慈悲を使うことができます ネガティブなことであれば 慈悲を使って問題を解決できます 自分自身の問題を 自分を取り巻く あなたの共同体の問題を 解決することができます 今あなたは リアリゼーションを得ています どれくらいあなたが 深くなったかは分かりません 多くの女性が 瞑想をしていないという 不満を耳にします そのような女性は 自分自身を大切にしていません リアライズ ソールではありません 多くの男性は “そのような女性は 役に立たないので離婚したい” と口にします その逆も言えます この問題の解決には 慈悲がないといけません あなたは 人生のパートナーを 慈悲でもって 勝ち取らなければなりません 男性は女性より 遥かに多忙ですが 女性は 他のことで忙しくします 家族や子どもの面倒を 見なければいけません そして そのような 日常的なことに気を取られ 瞑想する時間はありません しかし 瞑想なしに 上昇できません 瞑想しなければいけません 人は“リアリゼーションを得たので 大丈夫だ”と考えますが 毎日 瞑想しなければなりません その時浄化されるからです 浄化されることで 理解します あなたには何が必要で 必要でないか理解できます 浄化されます それは 神聖によって行われます あなたは宗教的に 瞑想しなければいけません 次第に瞑想が 深まっていくのが分かるでしょう あなたは 大変深くなります すると力が 現れ始めます あなたがどこにいようと ネガティビティは逃げ出します あらゆる問題も 解決されます あなたが望むものは 手に入ります あなたの望みが何であれ 人を助けるにしろ 人に与えるにしろ 叶えられます 私がお話していることは 私自身の経験です 毎日せめて十分 朝は五分ほど 瞑想しなければいけません 完全な献身と 崇拝の気持ちを持ってです バクティである献身 より高い献身である シュラッダを持つ者がいます それは あなたの一部になります あなたを完全に 包み込みます あなたが シュラッダを持つ時 多くの奇跡が起こるでしょう ある者は私を想うだけで 治りました だからといってシュラッダに 達していたことにはなりませんが シュラッダを 育まなければなりません では自然のスピリットの光 であるシュラッダを育むには どうしたらよいでしょう 人々は シュラッダを得ようと 努力しますが メンタルによって 育むことはできません 静かな瞑想によって 得られます 瞑想によってです・・・ 瞑想するよう 常に言っています 瞑想している者と していない者はすぐに分かります 私のプージャへ来て サハジャについて話し 人気を得るために 何かする人がいます 多くの者がそのようです 外へ出て人気を 得るために活動します 内側で自分自身に 向き合っていません 成長段階において 瞑想と内省によって 容易にそのレベルに到達できると理解し 励みに思わないといけません 内省することで 新たな理解の質を得られます 様々なものへの 解決策が見つかります リアライズ ソールである者が 持つ一つの特質です 他者の問題を 解決することもできます どのようにしたら 助かるか 提案できます するとシュラッダから 一種の兄弟愛が芽生えます あなたはサハジャの講演も することができますが シュラッダがない限り 上昇できません シュラッダは あなたの内にある一種の愛です それは燃えることのない 熱を帯びない 優しい炎のようです 冷たく 美しいそよ風のような感じで あなたに理解させます あなたは決して他の サハジャ ヨギの悪口を言いません 私はサハジャ ヨギを悪く言う者には 決して耳を傾けません 度を過ぎれば コレクティブにおける 不満であれば 少し気になり それについて リーダーに話します しかし ある者が 私のところに来て苦情を言えば その者に自分自身を 内省するように言います 人の粗を探すのは 人間にありがちな遊びです 自分の欠点は見ません 他者の欠点を見て 何の役に立つでしょう 他者の欠点を見ることは 自分の助けになりません 自分の欠点を 探すようにしなさい それは治すことのできる 助けることのできる ワークアウトさせることの できるものです 自分の欠点を探し それらを正すことは あなたの責任だと知るべきです ある者は自分の好みを 誇りにします “私はこれが好きです あれが好きです” しかし あなたのスピリットは 好みますか これが好き あれが好きでも あなたのスピリットはどうですか それを好みますか それを楽しみますか “これが好き あれが嫌い” と言い続けます 西洋ではよくあります 女性達が私のために 美しい絨毯をつくりました それはとても分厚く 歩くと少しバランスを崩しますが 愛でもって 彼女達がつくったことは 私を喜ばせ 幸せにしてくれました 私がどう感じているか 想像つかないでしょう この歓び この歓びの大海は あなたの中にあります それが現れると 些細なことは気になりません あなたに 美しさを与えます どう表現してよいか 分かりませんが あなたに霧雨が降るような 恩寵が 降り注ぐような感じです 人の愛に あなたは虜になります それを求めなくとも とても愛に溢れた 心優しい者と逢えば その関係に 真の友情を感じます サハジャ ヨギについて 悪く言うことは間違っています その者が犯した間違いを 皆に言うのは間違っています その者を助ける代わりに その者へのコレクティブな 嫌悪感をつくりだすことは間違っています 常に人は問題を抱えています 悪口を言うのではなく コレクティブで助けるべきです その者は 間違ったかもしれません しかし その者の悪口を言い始め “彼のこれは間違っている あれが間違っている”というなら あなたは サハジャ ヨギではありません 内省を通して自分の欠点を 見ることができるなら あなたはサハジャ ヨギです あなた方のほとんどは リアリゼーションを得ました 経験をしました しかし 中には知識を 得ていない者もいます 知識は 得なければいけません 知識が本当にそこにあるか 確かめないといけません アメリカの 国立衛生研究所NIHで サハジャ ヨガの試験を 試みました 医者が集まり その内の一人が進み出て “私のどこが悪いかヴァイブレーションで 教えてください”と言いました 女の子は“ハートに何か感じます” と答えました 彼は“当たっています” と答えました 彼は一カ月前に心臓の バイパス手術をしたばかりです 全く当たっていました 彼らを大変驚かせました 医者は誤診を するかもしれませんが これは人を診断する とても簡単な方法です ヴァイブレーションを 感じるだけです ですから彼らは 私たちに大変注目し 病院内でもサハジャ ヨガを 取り入れたいと望んでいます あなたは 自身で証明すべきです 自分自身を吟味し 自分自身について 何を得たか解るようにしなさい 例えば夫婦なら 妻が瞑想し 全て解っているとします 夫の何がおかしいのかも 知っています しかし 彼女は 夫には言いません 我慢します 不満をもらしません 何も要求しません ただ我慢します この忍耐こそ 彼女が彼より高い 人格であることを夫に納得させます 彼がどんな者であれ 次第に彼女が偉大な人格を 得ていると理解します 人には多くの欠点があります 特に西洋では 道徳的にあります 蛇にでも噛まれたかのような 人たちがいます 人々がしていることは 後進国の人間には 思いもよらないことです 発展は あらゆる放棄を だらしない気質を もたらしました 人々は自分が大変自由で 楽しめれば良いと思っています このような生き方は 良くありますが 自分自身を 判断してみてください あなたも このようなタイプですか 上昇において 高みにいる者ですか これは過程です 急に高みに 立てるわけではありません 時折 新しいサハジャ ヨギの者の方が 良い場合があります これは彼らがとても強い 望みを持っているためです 私たちは 何を求めていますか なぜ求めているか 理解すべきです なぜなら自分自身を知ることを 望んでいるからです なぜか 自分自身を知らないと いけないとわかっていました 今まで分からなかったので 求めます 真実の追求という 名の下で 私たちは様々なことを 間違ったことをしました しかし この求める気持ちは サハジャ ヨガに導きます そしてリアリゼーションを得ます クンダリーニを通して 容易に得られます クンダリーニはほとんどのことを ワークアウトさせます ある者は飲酒や喫煙を 一晩で止めました 一晩でです 私が止めるように 言ったわけではありません たった一晩で止めました そしてその者は “以前は自分の髪型にこだわり” “美容院で何時間もかけて 皆と違う髪型にしていました” “でも止めました” と言いました “あまり道徳的とは言えない 服を着ていましたが” “自分に敬意を払うようになり まともな服を着始めました” 全ての知識は あなたから来ます あなたの中に自然にあります 全て自分のものだからです あなたのグルが言うように あなたは導かれています グルの仕事は 人々を導くことです では この時点で 何が欠けているでしょう サハジャ ヨガにおいて何が 欠けているかお話ししなければいけません 大規模な災害が 多く起きています 災害は多様にあります 地震や洪水 大雨 川のように押し寄せる 泥水など 世界には 様々な災害が起きています ヨギは それらから救われます 疑いなく全てのヨギが 救われています しかし 救われることを どう理解しますか 知っていますか なぜこのような 災害が起きるのでしょう サハジャ ヨガが強固な コレクティブでないためです 強固にならなければいけません あらゆるところに 広まらないといけません 未だ会ったことのない人にまで 行き渡らないといけません 行き詰っているか 頑張りが少ないのでしょう 隅々まで広めなさい キリストの12人の弟子を ごらんなさい もちろん人々は誤った方向に 行ってしまいましたが 彼らの働きと 行いの徹底さを見るべきです 徹底的にしないのなら サハジャ ヨガを広めるための 完全な自己の奉仕がなければ コレクティブな問題は 解決しません あなたは日常や仕事や その他の生活に忙しくしています サハジャ ヨガでは構いません しかし アテンションをもっと 人生の この側面に置くべきです コレクティブのために何をしているか サハジャについて話しているか 広めているか 人々に伝えているか 一度 飛行機で 驚くことがありました 一人の女性が 私の隣に座りました とてもひどい ヴァイブレーションでした 私は自分にバンダンし “スピリチュアルなことを していますか”と尋ねました 彼女は バハイの名を挙げました “まあ大変” このような人が増えれば 大勢になってしまいます すると何が起きるでしょう 災害です 彼らは大変 ネガティブな者たちです 世界に善を もたらすことはありません いかに間違ったグルが 人々を引きつけて虜にし メッセージを広めているかをみると 大変なものです おかしな服を着て 道で歌う グルの賛美を歌う人々を見かけます 私たちはそのようなことを 願っていません もちろんあなたは 知識を持っています 疑いなくリアライズ ソールです しかしサハジャのために 何をしたかが大切です あなたは 広めないといけません 隅々までです 例えばバッジを付ければ “これは何ですか” と尋ねられるでしょう あなたは説明できます サハジャについて 話し始めることができます それ以外 話す必要はありません サハジャについて話し 広めないといけません それをしない限り コレクティブにはなれませんし コレクティブなナンセンスから来る 様々な災害が起きます あなたは多くのことから 助けられています 公害があったとしても ヨギに影響はありません 大地震が起きても ヨギは助かります しかし 全世界を 救うことはどうでしょう 災害は次々と起こります あなたに慈悲があるなら 災難に遭う者 大変な目に遭う者のことを 考えなければなりません もちろん私は多くの者を 治すことができますが コレクティブを強固にする 方法は分かりません ここには大勢います 各自 せめて百人に リアリゼーションを上げることができます あらゆるところへ行きなさい サハジャについて話しなさい 神の賛美を歌いなさい そうすれば 全世界は救われます 素晴らしい サティヤ ユガの到来は 数人を救うことではなく この母なる大地をも 救うことで来ます 母なる大地に住む人を 救わなければなりません とんでもないことをする者たちを テレビで見かけます 何を発言しているかも分からず 恥じらいなく話しています 後方には 何千という人もいます 彼らが愚かである というわけではありませんが 間違った道を望んでいる わけではありませんが これらの間違ったグルは 如何に人を魅了し 虜にし 話すかを心得ているようです サハジャ ヨギであれば ネガティブなヴァブレーションを 持つ者を見れば逃げ出します そのような 社会から逃げ出します 近づきません “ひどいヴァイブレーションです 要りません”と言えます あなたは勇気を持ち これらの場所に行って人と話し コレクティブにして いかなければいけません さもないとこの世界を 神の怒りから救うことはできません 疑いなく神は 怒りに満ちています 神はあなたを救うでしょうが 何のためでしょう 母なる大地を 救わなければなりません そのための準備と ワークアウトが必要です 機会があれば サハジャを広めなければいけません “マザーが来てくださればうまくいきます” と言いますが なぜですか あなただって私のようにできます 人に話すことができます 私は一人の人から 始めました 当時は 至るところ完全に暗闇でした シーカーはいなく ひどい人たちばかりでした しかしワークアウトして 光がもたらされました 一人でも多くのヨギを得られるのですから あなた方もできます あなたの態度 生き方の全てが 人に感銘を与えるでしょう 私たちの最終目標である 集合的意識に到達できるよう ワークアウトしなければいけません サハジャ ヨギだけでなく 皆のためです 起きている全ての災害 ひどいことが止むようにです 完全になくなると 確信しています あなたは常に救われるからです リアリゼーションを得た者 全てが救われます 私たちが間違ったことを 不道徳なことを 騙したり 他の者を抑圧したりするなら 私たちは 破壊の力となりえることを 率直に人々に 伝えてはどうですか でなければ 大規模な災害が起こり 責任を持つことになります あなたが 伝えようとすることは 組織体でもって 立ち向かうものでなく 人を納得させたり サハジャに連れてきたりする あなたの力によって 作用します あなたがグルとして 何をすべきか理解したと思います グルとして 多くのことがあります 昨日 登場した人物は 老子が師をどう描き いかに全てを超越していたか 表していました 彼らは混乱することも 嫉妬することもありません 軽率でもありません 全てを超越した 偉大な師です あなたも努力すれば グルになれます 到達しなければなりません 達成している者もいますが あなた方も慈悲と愛で 達成しなければなりません […]

Shri Ganesha Puja Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Shri Ganesha Puja. Cabella Ligure (Italy), 25 September 1999.
今日はシュリ ガネーシャを 崇拝するために集まりました 皆さんは彼が力強い 神格であると知っています 彼の力は 純真さから来ます 小さい子どもを見ると 自然と惹きつけられ 愛し キスし 一緒にいたくなります 子どもは純真です 非常に純真です 私たちが シュリ ガネーシャを崇拝するとき 自分が本当に純真かどうか 知らなければなりません 最近 人は 狡猾になっています どんなに狡猾でも 気にしません 純真で素朴な者に対して 狡猾になります 常に自分を 正当化できます 現代 皆が狡猾なので 自分のすることを正当化します この狡猾さは人を 極端な右側にもっていきます それは大変悪い 影響として跳ね返り 肉体的なあらゆる問題が 生じる者もいます 例えば 手が麻痺したり 足が麻痺したり 肝臓に 支障をきたします さらに心身障害を 引き起こすこともあります このような問題 右側の問題で苦しむ者は シュリ ガネーシャを 崇拝すべきです 例えば 最近あなた方は 生活に忙しく 仕事に忙しく 普通より余分に 雑用もあります 偉大な仕事をしているとさえ 思っています 結果 シュリ ガネーシャを 疎かにし その者は冷淡になるか わがままになります どちらかになり 自分を見失います サハジャ ヨガにおいて 中庸にいさせるのは シュリ ガネーシャのプージャであり シュリ ガネーシャへの崇拝です それによってあなたは 常に中庸でいられます このような右側の問題はシュリ ガネーシャのプージャで治せます シュリ ガネーシャの崇拝には 様々な方法がありますが 一番簡単な方法は 彼を心におき 彼の写真の前で ヴァイブレーションを受け取ることです 自分のバランスをとる 最良の方法です 多くの心配事や 葛藤があります 全てシュリ ガネーシャによって なくなります 彼は純真ですが 非常に賢いです 彼の助けが来ると 驚くほどに ワークアウトさせ 全ての障害 心配事を取り除きます なので私たちにとって 重要な神格です シンプルな神格ですが ムラダーラは大変複雑です 最も複雑なチャクラだと 思います 多くの起伏や区画があり 絶えずヴァイブレートされ 振動しているからです それを 落ち着かせるには シュリ ガネーシャに完全に 献身的でないといけません シュリ ガネーシャは キリストとして化身しました キリストも 大変純真でした 純真でなければ 十字に架けられませんでした 人の狡猾さを見れる 狡猾さはありませんでした 裏切った弟子が誰か知りながら 口にしませんでした 彼の人生を見ると 純真の美しさに満ちています 彼は素朴な心の 持ち主で 素晴らしい人格で 間違ったことを見れば それに対して戦いました シュリ ガネーシャも 同じです シュリ ガネーシャの恩恵は 特に何か障害やサンカタ を抱える者にとって重要です 彼はサンカタ ヴィモチャナ と呼ばれ 生きる上で 障害を取り除く方です あなた方の多くは 様々な問題や障害 大変困難な時期から 救われた経験をしています うまく対処させるのが 彼の特徴です ガナパティだからです ガナパティとは ガナの最高神のことです お話ししたように ガナ達は私たちの中に存在します 小さな小さな体として 存在し 何か問題があれば 脳に報告します 胸骨には女神ドゥルガの 玉座とも言える住まいがあります 私たちに問題や困難が 生じれば 胸骨が 振動し始め ガナ達が 情報を得ます 医学用語で 抗体と呼ばれています これらのガナ達が 攻撃します 問題に的を定め 攻撃します 疾病に苦しむ者だけでなく 精神的に動揺したり 苦しんでいる者も助けます ガナ達は問題に的を 定めるのが上手で いかにワークアウトするかに 驚くほどです 例えば ある子どもに 何かあったとします 両親はお母さんに すがり泣いています お母さんが ドゥルガだとします すると彼らが そこにかけつけ その子を奇跡的に 治します あなたの人生に起こる多くの 奇跡は説明できません それらはガナパティの ガナ達によって起こっています ガナ達は 大変小さく活発で 注意深く 決して寝ません いつでも問題があれば そこに行って攻撃し 問題を解決します いかに作用し 効くか 信じられないほどです 沢山の例を 挙げることができます 男の子が 溺れたことがあります アメリカのあるアシュラムの プールで起きました 子どもははしゃぎますが 危険なのであまり好みません 一人の子が落ちて 中に15分から20分いました 皆 落ちたことを 知らず その子の行方を 探していました どこにも見当たらず ようやく 水中にいるのを見つけました 怖くなってマザーに 皆でお願いしていました 驚くことに私は 一度も電話をしたがありませんが この番号にかけるように 言いました 私は誰の番号も 知りません 電話をかけると リーダーの一人が出て 男の子のことは分かっています 助かりますと告げました 誰からも 聞いていませんでした ”全く大丈夫です” と伝えました 水から引き上げられると 医者だけではなく ヴァイブ レーションでも働きかけました 今日 その子は大丈夫です 医者は“助かったとしても 一生昏睡状態だろう”と言ってました 今回アメリカで その子に会いました このようなことが 多く起こりますが これはあなたの恩恵ですと 人は言います ある意味そうかもしれませんが シュリ ガネーシャのお陰です 彼のもう一つの本質はお母さんに 従順であるということです 彼はシヴァやヴィシュヌ 他の誰も知りません 彼にとって お母さんがすべてです ですから父 シヴァとも 誰とでも戦えます 完全にお母さんに 従順で 母の望みを 大変素早く理解し ワークアウトさせます 彼のやり方は純真で シンプルで子どものようですが 彼のすることは すごいです ガナ達も 大変純真ですが 特定の問題を 攻撃するように言われれば 大変すばやく 迅速です もう一つの要素は 純潔を人生の中で最も大切に する者に敬意を払うことです 彼は 純潔を好みます 女性だけでなく 男性に対してもです リアリゼーションの後は 完全に純潔でないといけません 目をあちらこちらに さまよわせてはいけません 若い女性や男性に 色目を使って 純潔を 汚してはいけません 目は清らかでないと いけません 思考もです そのために内省し どんな間違えを犯しているか いかに不純な振る舞いを しているか見ます 正さないといけません そしてシュリ ガネーシャに 許しを請います 許しを請えば 彼は何でも許します 大変純真で美しいので あなたを許します とても大切なことです 私たちの徳は 純潔感から成り立っています 様々な宗教が 純潔について語っていますが 宗教は 無意味になっています 全く基礎がなく 彼らのために記されたことも 実行されていません 彼らはあらゆる 好きなことをし ヒンズー教徒 イスラム教徒 キリスト教徒と自称します 現に宗教は 堕落しています それゆえ シュリ ガネーシャは 彼らを咎めます シュリ ガネーシャの もう一つの特質は 彼が母なる大地によって 創られたということです 彼がある国の者達を 好まなければ 例えば 黒魔術や原理主義 ひどく不道徳な 者がいたら 彼らに 問題を起こします 彼が母なる大地に 地震を起こさせるように言います 地震は純潔を 尊重しない者や 原理主義や 黒魔術を崇拝する者が いるところで起こります 彼の母を通して 攻撃されます 母なる大地も 理解しています 最近トルコや台湾で 大きな地震がありましたが サハジャ ヨギは 一人も死にませんでした 彼らを守ります 彼は分別があり この様な者のみを 滅ぼします 以前もそのようにして 多くを滅ぼしました 彼は母なる大地の力を 持っています つまり 彼には惹きつける力 があり 人を惹きつけます 私たちが子供に惹かれるように 彼に惹きつけられます これが彼の 惹きつける力です 驚くことに この力は 鳥にもあります 他の動物にもありますが 特に鳥です 向かう方向が 分かります シベリアから オーストラリアまで飛べます そして戻って来れます 魚にもあります 例えば 魚は 上流から 下流に行き また戻って来ることができます 同じ場所に戻るには 方向を知らないとできません 彼らには 方向感覚があります また彼ら自身の特質を 備えています 例えば 蛇は蛇です 犬は犬です ライオンは ライオンですが 人間は全ての動物を 内に持っているのでしょう しかし自分が何にでもなれると 認めるには狡猾すぎます 一度そうなると 人間であるのになぜそんなに 低俗になれるのか驚きます 生き方においてガネーシャに 敬意を払わなかったからです どんなレベルへも 落ちることができます 例を挙げると インドの ラトゥルで大地震がありました ラトゥルでは シュリ ガネーシャの 14日目の祝いの日でした シュリ ガネーシャを 海や川の中にお供えします ラトゥルである者達が シュリ ガネーシャの素敵な像の前で 踊り 奇妙な映画の ひどく低俗な歌を流し始めました あまりにひどく 耐えられないほどです それがシュリ ガネーシャを 怒らせました 彼らは像の前で そのように踊っていました 像を水の中に入れ 家に帰りました 彼らは酔っ払って踊りだし ジェイ ガネーシャと歌っていました その時 大地が揺れ 地震が彼らを 飲み込みました 皆 大地に 消えました 同じようなことをしていた者も 大地に飲み込まれました そこに私たちの アシュラムがありました その周辺も 素晴らしい土地がありましたが そこには 触れませんでした 広範囲に渡り その周辺を囲むように 大きな亀裂が 走りました アシュラムの周りの母なる大地に 亀裂が起こりましたが 誰も 傷つきませんでした 皆 家にいて 大丈夫でした アシュラムには 一切触れず サハジャ ヨギも 誰一人として 死にませんでした いかにシュリ ガネーシャとガナ達 に守られているか驚くべきです なので ガナ達に 敬意を払わないといけません 彼らが内在し 作用していると 分かることが大切です あなたが どんな者か見ています あなたの間違った態度で シュリ ガネーシャを失望させても あなたをまともに 戻そうとします あなたに何度も 機会を与えますが それでも狡猾な 自己中心的な考えを持つなら 彼によって 大きく打ちのめされます あなたにとって 大きな災難です なのでシュリ ガネーシャを 崇拝しないといけません しかし 職人が作るシュリ ガネーシャ を崇拝しないように言います 職人がどんな者か 分からないからです 金儲けのため かもしれません 純潔でない者が 作ったかもしれません そのような者が作った物を 崇拝しても 助けになりません このような理由で モハメッドは 偶像を崇拝しては いけないと述べています 作る権利のない者 によって作られるからです スワヤンブーではなく 母なる大地 から作られているのではなく 金儲けのために 模倣されたものです そのように店で買う 偶像は 如何なるものでも崇拝する 必要はありません ヴァイブレーションの悪い者 詐欺師や狡猾な者が作る物を 崇拝することはありません そのような者から買えば 害が及び 助けになりません 装飾品として置いても 崇拝するものではありません シュリ ガネーシャの 本当の写真はありません 母なる大地から出てきた シュリ ガネーシャが8つあります そこにいるプジャーリ 祭司は ひどい者達でした ある者を訪ねると 私は喘息で 身体も麻痺している 私も祖先も シュリ ガネーシャを崇拝していて なぜこのような 目に合うのか ”まず自分を内省しなさい” と言いました ”どんな人生を歩んでいるか” “シュリ ガネーシャの プジャーリに値する者か” 彼は気がつきました “治してあげます 後は純粋な者に なれるよう努力しなさい” ”狡猾で悪賢い者になるのでなく 純粋な人生を歩むようにしなさい” シュリ ガネーシャの引き起こす 問題は数えきれません どんなにあなたを阻み 困らせ 死へ近づけるか分かりません 彼は大変力強いです 彼の全エネルギーは 神聖な仕事を するために注がれるからです それ以外は望みません 彼の全エネルギーは そのためだけにあります シンプルなものしか 望みません ココナッツから 作られるモダカを食します 身体は大変精妙で 力強いです 彼は山を次から次へと 動かせます 彼の気取らなさ 優しさ 純真さで 真に人を 変えることができます 大変困難な 乱暴な者も 変えることができます 彼のシンボルは スワスティカです 時計回りの方向です 逆であるなら ヒットラーはそれを使って 初期の頃 大変成功を治めていました しかし彼らは 型版を持ち 逆方向に使い始めました 左側から 出ていました 彼らは 滅ぼされました シュリ ガネーシャのスワスティカは 大変威力があります スワスティカを左から右に見ると 炭素原子の形をしています 炭素原子には スワスティカがあり チャクラ全体が 炭素原子でできています チャクラを左から右に見ると オムカラが見えます 右から左に見ると スワスティカが見えます 下から上を見ると 十字のように見えます つまり ガネーシャがキリスト として化身したことを証明します 彼こそ世界中で 崇拝される者で デヴィ マハトミャムに 卵から生まれ 半分はキリストに 半分はガネーシャに なったことが記されています しかし人はあまりに混乱して いるので理解できません 全て記載されていると 認識したくないのです ですからキリストを崇拝する者は シュリ ガネーシャも崇拝します あなたがキリストに言うことは シュリ ガネーシャに言うのと同じです 彼らは全く異なる 二人ではなく一人です 私がキリストに対して言ったこと全て 真実か見ることができます 証明できます 例えばキリストは この二本の指を見せていますが 一本はヴィシュディ つまりシュリ クリシュナで もう一本は シュリ ヴィシュヌです つまり父であるシュリ ヴィシュヌと シュリ クリシュナを意味します はっきりと この二本を使っています なぜこの二本の指 なのでしょう 父であるシュリ ヴィシュヌとシュリ クリシュナの方に向けていました 私の言っていることは 簡単に分かるはずです シュリ ガネーシャのヴァイブレーション を見て 彼のことを想えば アギヤが開き 思考を超えた 状態になることに驚くでしょう 彼はイエスで アギヤに内在するからです ですから開いていきます アギヤを詰まらせる 愚かな考えはなくなります シュリ ガネーシャの名を 唱えるだけでアギヤが開くからです アギヤからくる狡猾さは 完全に消えます もはや狡猾ではありません あなたの額にこの純真さを 見れば驚くでしょう これらの考えは 全て消えます 狡猾になったり 他者を 傷つけるようなことは考えもしません アギヤが完全に開く時 あなたは完全に変わります ムラダーラ チャクラが整うことは 私たちにとって大きな恩恵です 地面に座ると より助けになります シュリ ガネーシャのお母さんは プリトゥヴィで 母なる大地だからです ですからこの母なる大地は 大切にしなければなりません しかし 人は大切にしていませんし 母なる大地の真価を理解していません インドには 起床時に母なる大地に ナマスカーする文化があります これは母なる大地に足が 触れるため 礼拝します 母なる大地にそのような 敬意を持てば 現代に見られる開拓や 公害の問題は起きません 全て無知から起きています 大地はムラダーラとして内在する シュリ ガネーシャのお母さんです これを理解するな 何をすべきか分かるはずです 大地自体を 大切にすべきです 人は彼女を称賛し 美しくし 様々なことができますが 今しているような 開拓は誤った考えです 公害でもって 自分たちを傷つけています 金銭のために 母が育てた自然を 切り倒すのは間違っています 考え直すべきです 一本伐採すれば そこにもう一本植えないといけません 青々とした草木や全てが 母なる大地の美しさです 庭の手入れや自然に対して 全く興味のない者が多くいます しかしどうしてか 庭や自然に 興味を持たず生きています 自然は大変美しいです 自然をみれば 臭い汚れもありません どの葉も陽光が浴びれるよう 体系化されています 対立もなく体系化 されていて 美しく 動物によって 滅ぼされることもありません 動物でさえ壊しません せいぜい草を食べる程度で 私たち人間が 母なる大地を壊しているように 動物は通常自然を壊したり 木を損なわせたりはしません 何であれ 大地に敬意を払うべきだと 理解しなければなりません 母なる大地は 最年長のヨギである シュリ ガネーシャのお母さんです 彼はあえてヨガの状態にならなくとも 常にヨガの状態です 最も偉大なヨギであり 常に正しいことをしています 彼は決して 間違ったことをしません 最も偉大な神格として 位置づけられます 最も偉大な神格です 真に崇拝しなければなりません 彼を通して他の神格が崇拝され 歓ばれ 恩恵を授かります 今日人は 羞恥心を忘れ ある種の名声のため 私たちの 純潔を困らせようとしています 少しでも自尊心があれば 純潔でいられます 自分を蔑み 罪深くいることが 大変利口で 現代的だと思っています 現代における罪深い行為は 完全に間違っていて 完全にいとわなければ なりません シュリ ガネーシャが怒るので その ようなことに近づいてはいけません 最も重要な基礎が 純潔だと理解するのに まともでいることが大切です インドでは三万二千人の女性が 純潔を守るために焼身しました 私は同じ家族からきます 彼女達はどれほどの勇気を持ち 純潔を信じていたことか 純潔を失うなら 人生に意味をもたないほどでした ですから純潔が 最も大事であると示すために 大いなる犠牲を払いました 男性のためでもあります 特に男性です シュリ ガネーシャはとても大切です シュリ ガネーシャに敬意を払わな ければ様々な病気にかかるからです シュリ ガネーシャを尊重すれば 私たちの健康は大変よくなるでしょう 絶えず私たちの身体を 治しているからです 絶えず世話し 守っています シュリ ガネーシャは ムラダーラに内在し クンダリーニを世話し 私たちのクンダリーニを守っています 何かあれば クンダリーニは上昇します 彼女を支え 上昇させるのは シュリ ガネーシャです 彼がワークアウトします あなたのリアリゼーションの礎である クンダリーニを守っています シュリ ガネーシャの 重要性を知るべきです 自身を知り 内省し シュリ ガネーシャに献身的か見るべきです それについて 何をしていますか 汚いものに対して 本当の嫌悪感を持つでしょう そのような者も好みません そのようにして ワークアウトさせます 子どもたちは よく知っています 子どもたちは 愛らしく 優しく 愛に満ちていて 美しいです 同様にシュリ ガネーシャが いると知るべきです 彼こそ真に純真で 非常にあなたを守っています 純真で守っています 私たちも自分の純真を 大切にすべきです 時折 騙され 支配され 傷つくこともありますが 構いません そのような者は 皆苦しめられます 全世界でそれについて 激論が交わされています 純粋で素朴な者に対して 支配してはいけないと訴えています すでに起こっていますが 全て変わらなければいけません 終止符が打たれなければ いけません どこへ行くにも抑圧するなら 人は存在できません アメリカにはレッド インディアンが 多くいることに驚きました 彼らは皆抑圧され 他方に逃げなければなりませんでした カナジョアリに行きましたが ヴァイブレーションが 大変良いと分かりました つまり 純真で素朴な者を かつてアメリカ人は そこへ行き滅ぼそうとしました そして カナジョアリに 隠れ住むようになりました カナジョアリは素晴らしいヴァイブ レーションで 今でさえ感じます 彼らこそ 完全に その場所を楽しんでおり レッド インディアン “アメリカン インディアン”と呼ばれていました 大変素朴で純粋で スピリチュアルな者たちです 常に“お母さん”を 崇拝していたからです 他国にも見ることができます オーストラリアは種族に 大変寛大で嬉しく思います マウリ族や他の種族もいて 大変奨励しています 彼らの富んだ才能には 驚きました オーストラリアでは彼らに同じ権利 政治的権限があると示すために この州に連れてきています 大変良い試みです ガネーシャはオーストラリアで ウルル山として出土しています 大きい山で シュリ ガネーシャのように見えます 大きな鼻が見られます ヴァイブレーションが シュリ ガネーシャだと証明しています シュリ ガネーシャはそこだけでなく 多く母なる大地から出土しています ヴァイブレーションの 源を感じます オーストラリアで サハジャが簡単に広まったのは 彼のおかげだと思います 政府も私たちを 困らせたことはありません ウルルとして現れたガネーシャが サハジャ ヨガを守り ワークアウトさせているの だろうと思います 同じようにあなたがどこにいようと ガネーシャは崇拝されるべきで 全てにおいて 奇跡的に助けられます でもまずシュリ ガネーシャである 純潔を大切にしなければいけません 神の祝福がありますように […]

Diwali Puja, Expression of Love Novi Ligure (Italy)

Diwali Puja, Novi Ligure, Italy, October 25th, 1998
今日ディワリ プージャのために 皆さんに会えて嬉しいです ポルトガルで行う予定でしたが ここになりました ディワリ プージャは小さなものですが 極めて意義あるプージャです まず ディワリでは初日に 家族のための何かを買います 何か料理に使うものや 奥さんに宝飾品などです その日が主婦の日で 主婦に敬意を表す日だからです その結果 インドでは 主婦がとても尊敬されています 実際は 世界中で 尊敬されています 政府の祝賀会でも 婦人がどこに座るかが 大切にされます 今日先進国においても 特別な尊敬を集めます 主婦は学もなく 素朴で 現代的ではないかもしれません ロンドンで プログラムをした際 私たち政府の代表が 招かれましたが 団長の奥さんが 見つかりませんでした “席はあるのに 彼女はどこでしょう” と訊かれました “分かりません この辺りにいるのでは” 会が始まる前に化粧室に行ったら そこで座っていて驚きました “何をしているの 皆待っていますよ” 彼女は“座っているように 言われました” 私は外に行き “あそこに 座っていますよ 呼んできたら” “あれが奥さんですか?” “もちろんです” “事務員かと思いました” “なぜそう思ったの?” この女性はモダンな スリットの入ったドレスを着ていたので 秘書官だろうと 思われたわけです なので待合室で 待つよう言われました 主婦であれば キチンと立派な服装をすべきで 事務員や秘書のような 格好をするべきではありません 主婦が最高位だからです ですが彼女はパーマをかけて お金をかけて着飾ってきました なのに可哀想に 待合室で待たされることに なってしまうのです 主婦とは 家の威厳なのです それどころか 国の文化や国自身を表す存在です その国の文化を 表すのです 最近のインド映画では おかしな格好をしていますが そんな格好をした主婦は 見たことがありません 映画だけです 社会が強固で 主婦はキチンとすべきと されるからです キチンと 威厳を保ち 品のある振る舞いをしなければなりません 逆にインドのシャハストリ首相 の例があります 妻はシャハストリさんが投獄されたので 学校にいけず 学がない人でした 素朴な 普通の女性でしたが フランスへ行きました 当時フランスの大統領はド・ゴールさんで 奥さんも素朴な人だったのです シャハストリさんは妻に“親友の ド・ゴール婦人と別れる時泣かないで” 彼女たちはお互いにフランス語も ヒンディー語も知らないのに 二人は大親友になったのです 結局旦那さんに泣かないように と言われたけれども 結局 帰り際に 泣きだしました シャハストリさんは “泣かないように言ったのに” 奥さんは “彼女が先に泣くもんだから” そうやって主婦同士で分かり合い 連帯ができていったのです 共通の問題があるのです 子どもや夫を丸々世話しているからです 主婦の問題は 同じだということです 主婦は小さなことを よく知っています 少なくともインドの男性は何も知りません 地に足がついてないと思います 女性のほうが理性的で 細かいことにも良く気づいています 面白いことに 男性は日常の問題ごとに 関わっていないため 可笑しな 間違いをしたりするのです 一方では 主婦は生活に関わり 他方では 家族や子どもを世話します さらに社会に対しても 責任があります 世間を維持しなければなりません 女性に分別があり 成熟した国では 社会や家庭 子ども達が 極めて良くなるのは驚きです この意味でインドは 良い国 良い社会です これはグルハ ラクシュミ である主婦の 文化における 重要な働きのおかげなのです これは インドではよく見られ 主婦が とても尊敬されています なのでサハジャの文化でも 主婦を尊敬することが最も大切です でもそれは夫を支配して 喧嘩したり 困らせるようなことを 意味しません 社会において主婦が 重要な役割であるということです 彼女は女神のように 扱われるのです でも 彼女も 女神に値すべきです 彼女をドアマットのように扱えば 子どもたちは尊敬しないでしょう 適切に尊敬しなければ 子どもたちも母親を尊敬せず 子どもへの影響力がなくなるでしょう 母親が尊敬されないと 子どもたちは我がままで 支配的で怒りっぽく 協調性のない子になってしまいます なので今日 13日目の ダンテラスの日には 主婦に何かを プレゼントするべきです 少なくともポットか 何かキッチンで 使う物をプレゼントして 敬意を表すべきです 母親が尊敬されない家庭では 子どもが問題を起こし 結婚時など家族の皆が 大変な思いをします 男性は妻を尊敬しなかったことが 間違いだと気づくべきです 子どもの前で怒鳴ったり 敬意に欠けた態度を見せれば 子どもは母親を 尊敬しません 何も欲しがらずに あなたや その家族を世話している女性に そんなことをするのは 罪なことです 女性がどれほど問題を起こすかは 政治を見れば良いのです 政治に参入すれば 男性たちを皆おかしくします しかも一人の女性の 特有の考えによってです 彼女たちの領域は 家庭にあるからです しかも一人の女性の 特有の考えによってです 彼女たちの領域は 家庭にあるからです 女性が家庭で尊敬されないと 外へ出て 突飛な振る舞いをします 忍耐も苦労も多いけれど 家庭で主婦は尊敬されるべきです それがとても大切な グルハ ラクシュミのメッセージです 2日目はナラカスラという ひどい悪魔が成敗された日です これはシャクティの力によって なされました ナラカスラは多くの人を苦しめ ずる賢いことをたくさん行ってきました とても狡猾でずる賢く 誰も殺せませんでした そこで特別な力が地上に降りてきて ナラカスラを倒したのです ナラカスラの成敗は 4日目でした その際に地獄の門が 閉じたとされます なので人はその日は 早朝にシャワーをしますが 地獄の門が開いている時に 水浴びは良くないと思います むしろ 彼が地獄に 落とされるまで寝ていなさい ナラカとは地獄(奈落)を意味し 彼がおびき出されて殺されます 最後が一番良い日で シュリ ラーマと弟のバラットの再会です シュリ ラーマは父親の命で 14年間森に追放されていました ある意味 投獄されていたようなもので 城での生活から森での大変な生活に 妻や弟と共に追放されたのです ラーマーヤナの話は ご存じですね 城で生まれ育った子どもが 王になることなく 酷い生活を強いられて あんまりです でもシータが同行して 彼を支えました でも結局シータすらも ラヴァナに誘拐されてしまいます そしてラーマはラヴァナと戦い 殺して妻を取り戻すのです 都アヨッディヤに帰還したときは 大きなお祝いでした 弟のバラットは 兄が大好きで 国を治めるにも 兄のサンダルウッドのサンダルをおいて 統治したと言われています それを王座におき 統治しました バラットミレンといわれる バラットとシュリ ラーマの再会が祝われ シュリ ラーマが 王として戴冠されます 何千年も前の古い話です この祝祭は意味深く 善き王が王座につき統治する という意味があります 彼の経験した不正や残虐な 行いが全て終わるという意味で ディワリは重要です 最終日は 女神ラクシュミを崇拝します 彼女の恩恵でこれら全ての出会いが 可能になったからです 9種の色々なラクシュミが私達に 宿っていると以前お伝えしました ラクシュミ プージャでは ラクシュミ自身を崇拝します 金銭ではありません 金銭の崇拝は間違っています 私達のもつ金銭や富をラクシュミとして 注意深く使うべきだという意味です 彼女は流動的なので お金も滑り落ちることがあるからです 反対に ケチになってもいけません ラクシュミは けちな人を好みません でもお金を使うなら 正しく使うべきです ラクシュミは原初の海が 撹拌された際に創られ 4つの手を持っています ひとつは与えるためです 彼女は気前よく与えます そして別の手では祝福します 片方で与え もう片方で祝福します 大切なのは 誰かに何かをあげるときに その何かというより 祝福を与えることです 金銭だけでなく 祝福を与えるのです 残りの2つの手には ピンク色の蓮の花を持っています ピンクは愛の色で お金を持つ人は 愛に満ちた家を持つべきです 客人は誰であれ 尊敬されるべきです 神のように 扱われるべきです インドでは外国人は 神のような存在と考えられています ここでは悪く捉われますが インドでは尊敬を表します 神のようです あなた達もインドで受けた 歓待を覚えていますね これがインドの文化の基盤で 客人であれば 神のように扱われるのです 別の国なら 全くの反対で 外国人なら話すことも 憚れると思われます どうしてそんなメンタリティに なったのかわかりません でもサハジャ ヨギ達は 違います 彼らはお客を歓待し 良く面倒を見て 美しく連帯していると聞きます これが蓮の花の意味で 愛に満ちた家というものです 身体に刺のある カブトムシですら 蓮に止まると内部に招き入れられ 心地よく眠ります カブトムシすら 邪魔されません 富める者は このように人を扱うべきです でも世間では金持ちは カブトムシのようです 刺だらけで人を侮辱したり 自分のことばかり考えています ラクシュミとしての金銭を得ることで 悪魔的になるというのが驚きです 彼らが他人をどう扱うかは 更にそれ以下です これらが女神の姿の意味です なによりも蓮の花に立っています 誰にも圧力をかけません 自らで存在します 誰にもプレッシャーをかけません 自らの脚で立ち 威厳をもって 自分の体重をバランスしています これこそが ラクシュミのあるべき姿です この作用で経済やその他の 危機に陥った国が発展していくのです 人民が楽しむでしょう お金を楽しむのでなく いわゆるデザイナーズブランドなどの 高いものを持とうと思うのは 攻撃的な考えです デザイナー達は ラクシュミに反しています あなた達のお金を巻き上げて 無駄にさせるのです 人は異性関係や飲酒といった 無駄な習慣に走ります ラクシュミの本来の恩恵と いえるようなことはしません なので誰かに何かを贈るときには 心から贈るべきで それがラクシュミの プラサードになるべきです でなければ誰かに プレゼントを贈る意味がありません とても狭い了見で 贈り物をする人がいます それでも 贈ろうとするのです 日本では 大きな贈り物をします ところが開けていくうちに 結局 マッチ箱サイズになったりします そのマッチ箱の中に 2つのマッチ人形の ようなものが入っています “何でこんなに大きな包装を するんですか”と驚きました でもとても素朴な民族です 日本に行った時には 雨の日でも行った先々で 贈り物を頂きました “何故こんなにくれるのでしょう” と尋ねました “彼らはあなたが 王族と思っています” “何でそう思うの?” “あなたが美容室に 行かないからです” “本当に?” “日本の皇族は美容室に 行かないんです” “それは知らなかった” “それであなたが 王族だと思ったんですよ” 彼らが美容に関して どんな考えを持っていたか 想像してみてください インドでは女性はキチンと 髪をとかしていなければなりません 彼女はヒッピーみたい ではいけません ここにはまだヒッピーを信じている人がいて そういった髪型をしています 女性は社会で 大きな役割を果たします 着るものや行く場所など 子どもは父親よりも母親から 影響を受けます 父親の方が影響力がある 場合もありますが 洗練されたものは 全て母親から受け継ぎます なので衣服や生活スタイルの 理解は女性によります ロンドンにいるインド人のヨギニに 今の流行を訊いたら マラティ語で “ジプレヤ”と答えました 前髪をこうすることです インドでは母親に “ジプレヤをどけなさい”と言われます 前髪をこう被せていると 斜視になるからです でも前髪を目まで伸ばすのが 流行っているようです これが流行りです 今は皆 品のある人でも そうしていて そうしないのは サッチャーさんぐらいです どう逃れたのか わかりませんが 女性は誰かの真似をする 必要はありません それは卑屈です 流行っているからといって 何故するのでしょう 流行を作る人の術中にはまるのは 馬鹿げたことで あなたが依存的だからです 自分の個性や 理解の上に立脚しなさい 自分の見かけを 台無しにするのでなく 威厳と理解をもって 良くしていくようにしなさい これは女性に より当てはまります ラクシュミ プージャは 女性向きです 女性がいかにあるべきかに 関するものです 私は女性は男性よりずっと 威厳を持ちなさいといつも言ってきました 男性は馬鹿かもしれませんが いいのです 女性が威厳と分別を 持たなければいけないのです よくご存知のように 男性はよく解っていないのです 可哀想に 大学の勉強しかわかりません 実際的なことになると 何も解っていません だからそれで 気を悪くする必要もありません 男性達が“自分はあれもこれも 知ってる”と言いながら 何も知らずに間違えるのを 見ていると面白いでしょう でも男性は“知りません”とは言いません そいいう性質だからいいのです それは別に何か意味があるわけではなく 単に分かってないだけだから 芸術や美的センスについても 男性はどこか抜けていて 大して知っていると思えません 可哀想に ある種の服を手にすると ずっとそれで通します いつも同じようなスタイルの服を着ていて 他に欲しがりません でも女性は芸術的です インド女性がサリーをやめて ジーンズを履いたら農村部はどうなるでしょう 内職でサリーを作ったりして 生計を立てているからです なのでインドにそういった 洋服を紹介するのは無理です 学校ではあっても 結局は好きなサリーに戻るでしょう サリーはこれからも 続いていくでしょう それぞれが個性的で とても美しいです 芸術やアートに関しては やはり女性の方が優れています 男性が分からないのは 構いませんが 女性は家の中を 完全に綺麗にするべきです 蓮の花のように 居心地よくしなさい でも家事に関して独裁的な ヒットラーのような女性もいます “こうでなければダメ”と 男性の生活を惨めにします 自分の家でいつも新聞を 持ち歩く男性がいました “こうでなければダメ”と 男性の生活を惨めにします 自分の家でいつも新聞を 持ち歩く男性がいました なぜ持ち歩くのか 尋ねると “新聞を敷いて座るんです” “何故?” “ちょっと汚しただけで 妻に怒られるから” “どうして?” “彼女は何かが汚れるのが 嫌いなんです” “とても細かいので 新聞を敷いて座ります” “やり過ぎです” と言いました 彼は“あなたもやったほうが いいですよ”というのです とにかくやかましくて 病院よりひどく そんな家に住むのは 無理です このようにとても細かく 几帳面な女性もいるのです でも普通女性は親切で 家族や皆にもとても好意的です これはとても大事なことで 私には大家族がいて 皆が兄弟で 一人ひとりが大切なのです だれもが違った香りの個性的な 人格を持っていて 素晴らしいです 違いにもかかわらず 皆がお互い好意的に 楽しんでいるのが素晴らしいです ロシアでは特に女性が 非常に気立てがよく かつユーモアがあって 何でも楽しんでいます 驚いたのは彼らに 二千人分の贈り物を持って行ったら 一万六千人もいたのです どうやって 贈り物をあげましょう すると一人の女性が ネックレスを外して “これをあげましょう イヤリングもあります”と言い 何ももらえなかった 男性をからかっていました とても楽しんでいて よく解っています お金に恵まれなかったので 逆にスピリチュアルなのです スピリチュアルな女性は物に執着せず 自分の威厳を保ちます そしてスピリチュアルであることを 態度で示します これはとても素敵なことです 例えば日本に関して ちょっと変わっているといいましたが その日本に行った時 建造中の建物のデザイン タイルを気に入りました “一つもらえませんか”と言うと “いいですよ あとで船に送ります” そしたら大量の タイルが届きました “どうしてこんなに?” と船長に訊くと “全種類を持ってきてくれたようですよ” 信じられますか つまり 彼らの包装の仕方とは 違う面があるということです だから何かをもらった時に がっかりせずに 込められた意味を 理解するのです 気づいていない素晴らしい意味が あるかもしれません どうしてそれをくれたのか 訊くとよいでしょう これが吉兆というもので ラクシュミの最高の性質です あなたの贈り物は何であれ 吉兆であるべきです 例えば子どもがイタズラで トカゲを捕まえてきてあげようとします 不吉なことでも教えられていないので そういうことをします 吉兆でないと教えないといけません 女神は喜びません 間違った物を持ってきてラクシュミを侮辱して はいけないと分からないといけません 知らないのであれば 学ぶべきです この意味でこれは ディワリに関係しています 最も素晴らしいメッセージは シュリ ラーマに王座が与えられた事です シュリ ラーマは 正義とフェアプレーの体現でした 私達の感謝の念や愛情は シュリ ラーマのような偉大な存在に 向けようと感じるべきです これはとても精妙なことですが 分かろうとしなさい あげたくないのに あげてはいけません 贈るなら その人にふさわしいものを 贈らないといけません これこそがシュリ ラーマの 性格から学ぶべきことの一つです 彼が村の森で 老婆に合った時です 彼女は歯が全部欠けているような その地の原住民でした 彼女はシュリ ラーマに “ベール”と呼ばれる ある果物を贈りました “味見したら どれも甘かったです” “甘くないものをあげたく なかったから味見しました” “ちょっとかじったら甘かったら どうぞ食べて下さい”と 彼はすぐに食べました でも弟のラクシュマナは とても腹を立てました インドでは口をつけたものを あげることは不吉で やってはいけないこととされます でもシュリ ラーマは “こんなおいしい果物を 食べたことがありません” すると彼の妻が“私にも下さいな 私はあなたの分身なんだから” シュリ ラーマが彼女に渡すと “なんて美味しい 素晴らしい” 彼女が食べたので ラクシュマナも “お姉さん 私にもください”と 彼女は“この女性のことを 散々言っていたのに” 彼は“もう許してく下さいよ”と シュリ ラーマは 彼女の愛を ヴァイブレーションを この果物から感じられたのです だから奥さんにもそれが届いて その和に加わりました なんであれ愛をもってする ということです 愛をもってすれば 吉兆にすることができます でも愛がなく 何らかの企みが あるなら役に立ちません これこそが贈るということ シュリ ラーマのような 偉大な神に贈るということです 彼女は愛をもって 彼にそれを贈りました そのようにあなたもとても素朴なら 何が一番か分かるでしょう 今日でディワリはお終いです 改めてディワリおめでとう 栄えある新年を祈念します 神のご加護がありますよう! このラクシュミは マハラクシュミになります それはお金の価値の理解が ある点に達すると あなたは執着を 離れるということです すると新しい姿のラクシュミが現れます それがマハラクシュミです それがあなたをより高みへ スピリチュアルな目覚めへと 連れて行く力です 豊かな国では どこでも真理を探求し 見つけたいという欲求が 出てくるのを見たでしょう マハラクシュミの力が働き出し 真理を探求し その探求の中で皆さんは サハジャ ヨガに来たのです なので マハラクシュミは大切です コラプールには マハラクシュミの寺院があり 地面から隆起したと 言われています でも彼ら自身何故 その寺院で ジョガワで “アンべよ 目覚めよ”と歌われたのか 知りませんでした アンべとはクンダリーニです 何故マハラクシュミの寺院で歌うのでしょう どうしてその寺院でクンダリーニを上げる “ジョガワ”が歌われたのか あなた方なら理解できます […]

Shri Krishna Puja Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Shri Krishna Puja. Cabella Ligure (Italy), 16 August 1998.
今日 私たちは シュリ クリシュナ プージャ をします シュリ クリシュナの 力において 大切なことは あなたに 目撃する状態を 与えてくれることです なぜなら 今日が カリ ユガの時代にあり 価値観における 完全な混乱 あらゆる混乱が 大変複雑な状況を 生み出しているからです 目撃する状態は 瞑想を通してのみ 可能です 思考のない意識状態に 到達します それらは 合わさったものです 目撃する状態とは あなたがただ 反応しないという状態です 反応すれば 問題は起こります 容易に分かりますが 私たちはエゴや コンディショニングで反応しています そうでなければ 何の反応もありません 例えば ここに 美しい絨毯があるとします 私にエゴがあれば それを見るなり どこからそれを 手に入れたのか それにいくら払ったのか 考え始めます これは最初の反応です それ以上反応すると 怒りが沸くかもしれません なぜすばらしい絨毯を置くのか ここに置く必要はあるのか このように 次から次へと出てきます コンディショニングで 私が見るとすると この色はクリシュナ プージャに適していない このプージャのために 他の色にすべきだったと言うでしょう 次から次へと このようなことが起こります つまり コンディショニングが 私たちの中にあります 私たちの コンディショニングの問題は 全て本当に ひどいものです 例えば “人種差別”です アメリカで 人種差別があります 強く感じられます 彼らは口にはしませんが イタリアから行けば 感じます インドから行っても また感じられます なぜこのような 人種差別があるのでしょう 理由は何でしょう 異なる共同体や 表面的な違いだけの 肌の色に対して なぜこのような ひどい憎しみで 反応するのでしょうか 合理的に説明すると “ああ 神よ” “彼らは全く 役立たずである”とか “私たちの国にやってきて 私たちを” “困らせている”と 言えますが 全てコンディショニングです 彼らが 移民のことを話すなら アメリカ人は皆 移民である と解らなければいけません アメリカは決して 彼らの国ではなかったのです 彼らが北米先住民を 皆追い出し 土地を奪い 平然と アメリカの領主となったのです その反応は 白人でない者は誰でも 誰でも非難され 苦しむべきだ というものでした もとから暴力的なら 暴力をする コンディショニングが出てきます そして互いに 殺し始めます 彼らは冷酷にも 多くの人を殺しました どの国においても 彼らには権利があり 皆殺しにし 自分の土地ではないものでも 奪って良いと 考えているのです 土地は 誰のものでもありません その国に属さない者が そこにいる人たちを 追い出す権利は どの国においてもありません 昨日は インドの独立記念日でした そして 私は 自分たちの国旗が 上がって 英国の国旗が 降りていくのを見ました それは苦闘の末 人々のあまりの 苦しみを経て 起こったことです なぜなら 彼らは インドにうまく上陸し 支配者になったからです ですからこれも 一種のコンディショニングです それは 集合性をおびています 誰の国でも入り込み そこの者達を追い出し その場所を支配し 主人になるのです それはまるで 誰かの家に行き そこに住む者達を 追い出し 自分が家主として うまく居座るのと同じです 彼らは恐らく より知的であるか悪賢いのです その悪賢さで 白人が黒人を 支配できると思うなら 目撃する状態は 発達することができません ですから このような コンディショニングは 疫病のようなもので ある国から別の国へ渡り 自分たちの方が 勝っていて 彼らの方が劣っている と感じさせます またその人たちも 同等であるのに このような地位や状況を 受け入れてしまいます 今回はアメリカ人が 主催者なので アメリカの例を挙げます クリシュナが 統治者だからです クリシュナは アメリカの統治者です 彼は色黒で 肌の色は黒い方でした 彼が支配するその国で もう一つ 気づくべきことがあります 彼らは気づいていません もし全ての黒人や 全てのアジア系の者が 国から出て行ったら 彼らはどうなるでしょう スポーツの大半は 黒人が活躍していて アメリカのスポーツを見るなら 99%は黒人です 音楽を見ても黒人です 色が黒いけれども・・・ 悪いことではなく 白人がいるように 黒人もいるのです 彼らには白人にはない 素晴らしい声があります どんな白人でも競うことが できない程 素晴らしく歌います 肌の色に 完全な公平さがあります すべての アジア系の人を 除くとしたら すべての 医師 看護師 建築家 すべての会計士は 消えてしまうでしょう 誰が残るというのでしょう 肌の色は あなたの 知性や価値観 あなたのスピリットと 何も関係がないことを 理解しないといけません スピリチュアリティを 得る為にここにいます スピリットは 肌の色を理解することは できません 上辺だけのものだからです 肌の色のために 人を非難することは 大変残酷です 今 同じ反応が 起こっています どの行動にも 反応があります 何が起こっているか というと 黒人が 反応しているのです 反応していて その反応は大変危険です 毎日のように ひどく反応が 起こっています アメリカだけでなく 世界中でです 支配に対し 立ちあがって 反応しないといけない と考えています 異なる色の人種 少数のアジア系の人 ほとんどは黒人ですが 自国でグループを結成し 互いの喉を 切り合っています 残酷な殺しを テレビで見たことがありますが 肌の色の違いは 私にはよく解りません グループを結成し グループで殺しにいったり 殺しにきたりします カウラヴァスと バンダバスではありません 二種類の人ではないのです 全く逆です ネガティブなものと ポジティブなものではありません 白人であろうと黒人であろうと それらは皆ネガティブで 互いに口論し合い 戦い始めます この暴力は 大変大きくなっています 暴力が自分たちを表現する 唯一の武器であるかのようです どこかで 何かが起これば 爆弾を爆発させ 多くの罪のない人々を 殺しています それは 大変 罪深いことです 小さな暴力でさえ 罪深く シュリ クリシュナの目から見ると このような暴力は 完全に 罰せられるべきものです これはエゴから来ます 人は何らかの 党派に属していて 別の党派を殺すことが できると考えます そのようなおかしな 考えが入ってきます 他の者を殺す権利がある と決めつけます ある者はこれが憎しみから 来るというかもしれませんが 憎しみは エゴから来るものです エゴが作用し始めると 憎しみのようなものを 全て集めてしまいます 支配欲 怒り 暴力 これらすべては 彼らを盲目にする エゴから来ます 暴力を振るったり 人を憎んだり 他の者を殺す 必要もないのに エゴがそこにあるので 盲目的になります “マザー どうやって エゴは起こるのですか” もちろん ほとんどは 反応することで起こります あるいは コンディショニングによってです 子供の時分 これらの人を憎むべきだと 彼らは間違った者達で 悪い者達だと教われば 憎むようになります 大人になると その憎しみを表し始めます サボテンのように 大きくなり 他の者を殺します 人間の このような振る舞いは 正当化することは できません 人は人間的な資質を 持たなければいけません そして それは ただ目撃すること 反応しないことを学べば 可能になります 例えば あなたは 二羽の雄鶏が戦っているのを 見るのを楽しみます 二羽の雄鶏の戦いで 一羽が死ねばとても喜びます あたかも死んだ鶏が あなたの両親を殺したかのようです とても驚きます スペインでは闘牛が まだ続いています 毎年六頭戦い 闘牛場にはここにいるより 十倍の人が来ます 常に満席です 女性でさえ 闘牛を楽しみ 闘牛が殺されなければ 道に放し人を殺させるのです このような 暴力的な快楽が 人々の心に 入り込んでいるのです 博愛主義を唱え 平和を唱え 歓びについて語る者達が このような暴力的な行動を まだ楽しんでいるのを見るのは 大変悲しいことです 彼らは実際やっているか それらを見たがっているかのどちらかです 残酷な暴力性を帯びた 映画を見に映画館に行き 人々はそれを楽しみます そのような映画が 次々と作られています 目撃する状態に入れば 目撃する状態に あなたがいれば そのようなことが 起こったとしても 静まるでしょう あなたが目撃する状態の レベルでいるなら 目の前で事故は 起こらないでしょう 事故が起こったとしても あなたは人を救うことが できるでしょうし 大変積極的に人を 助けることができます これは小さなことですが 大きな規模でも 何か素晴らしいことが できるでしょう 思い出しますが 私がまだ若い頃 私たちは大臣の 近くに住んでいて ある時 ストがあり 彼らはマハラシュトラ州の独立を 主張していました そこには警察が立っていて 治安当局の大臣の命令で そこにいた皆や道行く人に 発砲し始めたのです 射撃のゲームを 楽しんでいるようでした 私はこれを目の当たりにして 耐えきれずそこに行き 警察に止めるよう 頼みました すると 驚くことに 止めたのです 傷ついた人々を家に運び 弾を取り出し救急車を呼び 人々を助けました ひとつ言えることは 私が目撃する状態にいた ということです あなたは 恐れのない者になります 一度 あなたが 目撃する状態にいることを学べば 全く恐れはありません あなたが 目撃していない時は 動揺したり 憤りを感じたり 興奮したりするからです 間違った人たちの 仲間になるかもしれません しかし あなたが 目撃する状態でいれば それ自体が力となります そして目撃することが 他の者の多くの困難を 乗り越える助けとなります 聖人についての 中国の話があります ある王様が彼のところに 雄鶏を持ってきて 勝てるように仕込むよう 頼みました 彼は承知し 一ヶ月 預かることにしました 闘鶏が 始まると 雄鶏が 様々な所から出てきて 戦いが始まりました この雄鶏はただ立ち上がり 目撃し始めたのです ただ目撃していました 他の雄鶏達は 恐れを抱きました 他の雄鶏達はこの雄鶏が微動だにせず ただ目撃していることが理解できなかったのです。彼はただ立っているだけです。何もせずにいるだけです 闘鶏場から皆消え 彼が勝者となりました これが非暴力をもたらす 最善の方法でしょう 暴力的なところに出向き 起きている全てに向き合ってじっと立って見ます すると その目撃する行為が そこで起こっている 暴力的なことを抑えるでしょう しかし 目撃する状態とは 精神的な状態ではありません それはスピリチュアルな 上昇の状態です 目撃者となります 目撃する状態を得る 最善の方法は 誰も批判しない ということです 常に他の者を 批判する人がいます 彼らは自分自身を 批判できません ですから あまりにも他の者を批判し始めると 自分自身のことでさえ何がおかしいのか 他の者に対してどのように 悪いことをしているのか見ることができません なぜなら 他の者を批判する 権利があると思っているからです それに 批判することを 大変楽しんでいます 実際 批判することは 何もありません ただ自分自身を見てみなさい それだけです あなたの権利です あなたには他の者や他のことを 批判する権利は全くありません しかしある者は 批判しなければ 事はそのまま続いて 決して終わらないだろうと思うのです そうではありません そのことを一度自分自身で見ます あなたのアテンションを見ます アテンション自体 すでに啓蒙されています その啓蒙されたアテンションで あなたは見ることができます 無意味なことを 止めることができます しかし私たちは 常に自分達が何か 偉いという意識を持っています そしてこれをしなければいけない あれをしなければいけないと考えます このような状況で 何が起こるかというと あなたがまた 問題となるということです 何ができますか 何もできません あなたができることは 目撃することです 見ること ただあるがままを見ることで あなたは大変違った状態に 発展できます まず初めに 目撃できる人は おもしろいことに 忘れることが少ないです 彼らが見るものすべてを 写真のように捉えるからです 色や組み合わせを 言うことができます 彼らが見るものすべて まるで写真のように頭に残ります そして その記憶は失われません 自分が見たものを 正確に言うことができます一方あなたがすべてにおいて反応するなら あなたの記憶は ひどいものになります おまけに人々は反応するという ことに対して癖になっています 私が知っている 一人の男性は 反応する癖がありました 車で一緒でしたが 彼は 広告を どの店の名前 人の名前をすべて 読んでいました これは何で あれは誰でと話していました たくさんしゃべっている この男性を見て 彼はどうなるのかと思いました 常に反応する者は忘れがちに 大変忘れがちになります しかし このような人は それだけではありません 彼らが集合体になると 大変危険になります なぜならそのような性質で 何かをするわけですから 彼らは何かをしないといけないと思うのです つまりある目的で一緒になっています 彼ら全員がつくりあげたある反応で 一緒になっているとも言えるでしょう 小さなことでも 大きなことでも このような行動にでる者達は 多くの者を集めることができ 他の者に どんな害も与えられるのです ヒットラーのことが 目に浮かびます 九年間もこの男は ユダヤ人のどこが間違っているのかと見ていました 彼はドイツ人が 何をしているのか 彼らの社会のどこが おかしいのかは見ません その当時 社会も大変ひどかったのです なぜなら様々な 淫らな行為があったからです 彼はユダヤ人が このようである 彼らはこれをしてお金を取り お金を貸すといった 様々なことを 書き留めていました そういったことを 頭に入れていき その結果 こういった人々はドイツから出ていくべきだ と考えるに至ったのです しかし その後 彼はユダヤ人がドイツから出ていっても なお彼らは繁栄するだろうと考え それなら殺してはどうか と考えました つまり 映画ですら 見られないような類のことを ヒットラーは行いましたし 彼は何のためらいもなく まるでそれが大いに 楽しみであるか 彼の責務であるかのように 行いました どうやったら何千もの ユダヤ人を殺害するような 責務を負えるのでしょう […]

Easter Puja, You Can Spread Sahaja Yoga Only Through Love and Compassion Istanbul (Turkey)

Easter Puja. Istanbul (Turkey), 19 april 1998.
今日 私たちは キリストの復活を 祝います 復活はキリストの生涯で 最も偉大なメッセージです 十字に架けられたことは 重要ではありません 人は十字に架けられると 死にますが キリストは 死から復活しました 死そのものがなくなり 克服しました 普通の人間にとっては 奇跡ですが キリストは 神聖なので 奇跡では ありませんでした 彼は シュリ ガネーシャです オムカラそのものです 水面を歩くこともでき 重力にも影響されません また彼の復活は 死にも影響されません 偉大で 神聖な特質を持つ 彼が 人類のために 特別に送られ者だと 人々は 理解できませんでした 人は彼のことを 理解できませんでした 人々は彼を 大変野蛮な方法で殺しました 今でさえ人は キリストが十字に架けられて 亡くなったことから 十字架を 偉大だと思っています 十字架を尊ぶことは 人間の 非常に残酷な 考え方です この意味は何でしょう 彼にした 残忍な仕打ちを 十字架に象徴される 彼の死 残虐や苦しみを 人は好んでいる ということです 十字に架けられるという 大変悲しい時がありましたが 復活は 最も喜ばしく 最も吉兆で 美しい時でした サハジャ ヨガにとって キリストの復活は 大変象徴的です キリストが 復活できるのであれば 人間もまた 復活できます なぜなら彼は 全ての力を備えて 人間として化身し 私たちのために 復活の道を創ったからです サハジャ ヨガにおいて この復活の道こそ 私たちがたどる道です 最も重要なことは アギヤ チャクラを 通過することです これについては スピリチュアルな書物や いわゆる聖典に “アギヤ チャクラの黄金の 扉は覆われていて” “誰も通過できなく 閉ざされた扉だ”と記されています しかし キリストは 通りました この通過は今日 あなたのアギヤを開くための 助けとなりました アギヤが開かれないと サハスララまで行けません キリストが苦難と 残虐を経て越えたことで あなた方は大変 容易に できるようになりました どれほど彼の恩恵に 授かっているか 言葉に表せません 彼こそが 人々の先頭に立って ”求めなさい” “そうすれば 見つかるでしょう” そして“扉を叩きなさい” と言いました これが あなたに起こったことで アギヤ チャクラまで 上がって その先まで行きました アギヤを通過することは 難しいことでは全くありません 将来の計画の 遂行のための思考や コンディショニングの 黒雲が アギヤを 漂っていたとしてもです 思考が支配し 自分では覆われたアギヤを 通過できませんでしたが 可能となりました アギヤ チャクラを通過した ことさえ感じないほどの 容易さです まず あなたのために アギヤ チャクラを開いた キリストに 感謝しなければなりません 彼にとって 苦難や残虐は 何でもありませんでした なぜなら 彼の人生の目的 彼の出現の目的 化身は アギヤ チャクラを 開くためでした 今日 人のアギヤが 開いていても アギヤ チャクラに 巻き込まれる者が いるのに驚くでしょう サハジャ ヨギでも アギヤ チャクラに巻き込まれます 何が起こっているかは 内省を通して 見ることができます 例えば 一度 サハジャ ヨギになると 自分が責任を 負わなければと思います 様々なことに責任を持ち サハジャ ヨギに対しても 責任があると思い込みます サハジャ ヨギとして ふさわしくない態度をとります その者たちが いかに責務を感じて 人を押し分け 偉そうに先頭に 立っているかに驚きます これは現代に 始まったことでなく 人類において 絶えずありました しかしサハジャ ヨガ 以前の問題のはずです 今でさえ人は 責務から 他者に対して 支配的になる意向があります あなたが思うほど サハジャはシンプルではありません 多くの誘惑があるからです ある者をリーダーにすると その者は 責任を感じ また 権力に酔います 他の者たちを 支配し始め 自分が何か偉大だと 見せ始め 他の者たち皆を 配下に入れようとします そして皆に 恐怖感を与えようとします まず間違ったことを 言い始めます “マザーがこう言いました そう言いました” “マザーの考えです” 私は直接関わっていません 彼はそのように話し続け 人々は恐れを抱きます 彼は“言いつけますよ マザーはそれを聞いて” あなたを罰することができます” と言って恐れを与えます 私はそのような者に 大変驚きます 誰かを罰することを サハジャから追い出すことを 決して 言ったことがありません 自分のことばかり考える この者は リーダーかもしれませんし そうでないかもしれませんが そのように 大変おかしな態度で 人と話すのは サハジャ ヨギでは ないように見えます さらに悪化すれば “より上昇するために 特別に選ばれた者で” “偉大である”と 自分を称します このようなことを耳にすると なぜ人は 絶えず 自分自身を騙し そのように振る舞えるのかに 驚きます サハジャ ヨガで まず大切なことは 謙虚さです 謙虚な者でなければ サハジャ ヨギにはなれません 命令したり 話し方が ヒットラーのような者は 人を支配したり 責務を負う者は サハジャ ヨガで 何も 得ていないと 言っているようなものです まずは 謙虚さを楽しむことです このような人を 見かけます 最前列に座り 私が見える場所に 必ず座って常に ほほ笑んでいる人です 自分を誇示しているに 過ぎません 自分のことしか 考えていないため そこに座りたがります 自分自身を 見失っています 見失っていて あまり 幸せではありません ですから このようなこと 支配するようなことをします そうでない者は 大変謙虚で シンプルで 正直で 真実の探求者なのですが ある者によって 威圧されてしまいます その者が彼らを 威圧したり 誇示したり 他の者を 奴隷のように扱います 極端に走る ひどい人達を見てきました 彼らは リーダーの許可がなければ 1cmも動かず そのような 不合理な人格の持ち主に 大変 従属してしまいます まずこれは母の愛です 母は決して支配しません 愛の何ものでもないので 支配できません 問題に気づくや否や すぐさま吸収します 彼女は故意に 怒っていると見せるために 芝居をしなければいけません しかし基本的に 誰にも怒ることはできません 愛が絶えず 絶えず流れていて その愛があなたも お母さんも包み込みます それによってあなた達は サハジャ ヨガを理解します 人類の必要とするものは 愛と慈悲だけです 大変純粋な類の 愛と慈悲です キリストをごらんなさい 彼を十字に架けた者たちに 憐れみを感じました 彼は全能なる父に 言いました “彼らを許してください 自分がしていることを解っていません” 彼は 人々の盲目からくる 間違った行動に 父なる 神が腹を立て 彼らを滅ぼすかもしれないと 感じていました 彼はそれについて 考えずに 慈悲の心で 自然に 次のように感じました “彼らは私に対してしています 彼らはどうなるのでしょう” 彼は 父なる神に祈りました “どうか許してください” “彼らは自分がしていることを 解っていません” “彼らは盲目です どうか罰しないでください” なんという 慈悲と愛でしょう 考えてみてください 人生の中で 誰かに危害を加えられたり 困らされるなら そのようにできますか 自分が何をしているか 解っていない者たちを 許してもらうよう 父に頼めますか それがサハジャで なければなりません 許しを求めれば ワークアウトします 神はその者たちの 面倒を見て 彼らを変え まともに導くでしょう キリストのメッセージは 愛 慈悲 純粋な慈悲に 満ちています 罪深い人生を歩んでいた メアリ マグダレナを挙げれば 彼は彼女を 守ろうとしました 聖人である彼は 彼女と 何の関係もありませんでしたが 投石刑にあっている 彼女を見て 彼は 彼女の前に 立ちはだかり 自分の手に石をとり “過ちや罪を 犯したことがない者は” “この石を取って 私に投げなさい”と言いました 誰も前に 出てきませんでした 自分自身と 向き合う必要があったからです 他者を支配する時 人はある種の 残酷な喜びを持ちます 私自身理解できない 喜びの一種です しかし人はそれを持ち 誇示します “この喜びに到達しました この偉大な力を得ました” 何世紀にも渡り 偉大な皇帝や 独裁者によって 起きています しかしサハジャ ヨギは 逆でないといけません 平穏と愛で世界を 統轄しなければなりません 全く誇示することはありません そのようにしてサハジャ ヨガは より早く広まります 世界は何を 必要としているでしょう 愛 愛情のみです 人生に無知で 我を見失う者 他者を困らせたり 苦しめたり コレクティブに 反する者は まともにならなければ なりません なぜ時折 大変異常な行動を取り 狂人のように振る舞うのかを 理解できないでしょう そのような者に 狂っていると 伝えるのは難しいです 権力を持つ者 狂ったような者と 一緒にいるのも 難しいです 多くのサハジャ ヨギは 彼らに権力があると 思っているようです 彼らは 自分の好きなようにでき 誰にでも 好きなように話せ 誰をも混乱させられる と思っています しかしサハジャ ヨガでは 混乱する必要はありません あなたの愛をはっきり 表さなければなりません それは特定の出来事のための 特定の仕草という意味ではありません 互いの間での一体感です 時折サハジャ ヨギが 互いによく理解し 愛し合い 他者の愛を 美しく 楽しんでいるのをみると 大変幸せに感じ 完全に歓びで満たされます 私が望むものであり 人が楽しむものです あなたは 他者に与える愛が 最も楽しめることに驚くでしょう あなたが もらわなくとも 他者に愛を与える時を 最も楽しみます あなた自身を 表現する方法は 他の者をいかに歓ばせ 幸せにするかを 理解する業です 以前ある聖人について 話しをしたことがあります その者はガガンガドゥに 住んでいました それは丘か 山のようなところです 彼はそこに住んでいて 歩けませんでした ヴァイブレーションのために 脚を失ったからです 寅を愛していたので 彼は 寅に乗って移動します この男性は ボンベイからの者に 常に言っていました “マザーが来ています 御み足に触れに行きなさい” なぜ私にそんなに 関心があるのか知りませんでした そこで“この者に会いに行きます” と言いました これらのグルは “私たちは 自分の場所を離れません” と言います つまり彼らはどこに住もうと 決して外へ出ません 私は正反対です 決して一か所には 留まりません そこで彼らは私に 来てくれるよう頼みました “いいですよ”と答えました ヨギは“いつもは出向かないのに 今回はなぜですか” ヴァイブレーションをみると 物凄いヴァイブレーションです ですから私は 訪ねに行きました 彼は雨をコントロール できる者でしたが その日は叶わず 雨に対して 腹を立てていました 彼は雨をコントロール できるはずでした 彼はコントロールできなかった ことに驚いていました そして私は ずぶぬれになりました 彼は怒っていました 岩の上に座り 怒りで震えていました 私は何も言わず 洞窟に入り 彼が準備した 場所に座りました 彼が入ってきました まだ怒っている彼に 私は驚きました 彼はなぜ雨を止めれなかったか 理解できませんでした そこで私に“なぜ雨を 止めさせてくれなかったのですか” “あなたがここまで私に 会いに来てくださったのに” “雨はわきまえるべきです” “それなのに雨を コントロールできませんでした” “なぜですか どんな教訓ですか”と尋ねました 私はただほほ笑み “あなたは修行者です サニアーシです” “そして私は あなたのお母さんです” “あなたからサリーを 受け取れません” “なぜなら あなたがサニアーシで” “サニアーシから物を 受け取れないことになっています” “お母さんでさえ 受け取れません” “しかし私に素敵な サリーを買ってくれました” “ずぶぬれになることで サリーを受け取れます” 伝える私の優しさは 彼を溶かし 彼は涙をこぼしました 彼は言いました “この世界に お母さんが必要です” “お母さんがいるべきです” 人は問題を 解決することができません 問題が何であれ 腹を立てるか 目を背けようと するからです 問題を 罪深くひどい者たちと共に 解決することを 望みません これが今日の 世界における問題です 全世界にスピリチュアルな 者がいないのもそのためです 彼らこそ苦しめられ 困らせられ 侮辱され あらゆることが降りかかった 者たちだからです ですから もがき 早くに死を望みます ギャネシワラは 偉大な人格を備える 偉大な作家 詩人です 大変美しいものを 書きます しかし23歳で サマディの道を行きました つまり洞窟にこもり そこで亡くなりました 無知な人々の中で疲れ うんざりしたに違いありません それ故 亡くなりました カルティケヤの化身である ギャネシワラのような者は 大変苦しめられ 耐えられず 死の世界へ 去るしかありませんでした 人は 彼を非常に苦しめ “サニアーシの息子だ”と 罵りました サニアーシの息子とは “役に立たない” “庶子である” という意味です ひどい扱いを受け 履く靴すらありません 灼熱のインドを 裸足で歩きました 偉大な学者であり 偉大な聖人であり 偉大な化身である 彼の兄弟姉妹もです 結果として 彼は消えることを望み 大変美しい方法で 行いました 彼らに“行かなければいけません” と伝えました 彼らから去り 洞窟に入って サマディを得ました キリストでさえ 十字に架けられた時 大変若く 33歳でした 私たち サハジャ ヨガの道をつくり アギヤを開くため 命を犠牲に 十字に架けられることは 神聖によって 全て計画されました 非常に恐ろしく 残酷な方法で刑に処されましたが 普通 死を目前とする者は 彼が振る舞うようには できません 彼の処刑に携わった者たちに 何が起きたでしょう 彼らの振る舞いからも 悪魔であったに違いありません キリストが言ったとしても 彼らを許すことは不可能です 十字架のキリストを見ていた そのような者を許すことは難しいです キリストのような者は “(サハスララを突き抜けるために) 私に仕事をさせてください” と考えますが これらの者たちと共に生きて 苦しむことを望みませんでした 彼は復活後 カシミールに去り そこで暮らしました 彼の 上昇や復活について 様々な話があります これらの話を読めば いかに奇跡的か 驚くでしょう 彼は再び 生まれ変わり カシミールで 再び生きました 彼は母とある年月 幸せにカシミールで暮らし そこで亡くなりました キリストの墓がそこにある と言われています そして 彼の母も そこにいました 彼の人生を 利用したのは誰でしょう 彼の死を 望んだのは誰でしょう あなたは よく知っています いかにキリストが 亡くなり パウロや ピータのような者が 突如現れ 巨大な事業にしていったか 知っています この二人の人物によって 恥をもたらされたことは 悲しいことです このパウロは 間違いなく組織者です 官僚と言っても良いでしょう 官僚だけでなく 高い地位も欲していました ですから彼は虚偽を公言し ダマスカスに行きました 途中で彼は 大きな十字架を見ました サハジャ ヨガによると 超意識の兆候です スピリットのものではありません 彼は戻って調査を始め 多くのことを 書きました 全てに及んで あなたが読むなら 彼がサハジャ ヨギでない ことは解るでしょう 彼はただの組織者で 官僚で 管理の方法を 書いており 様々な種類の者の 必要性を説き 人の管理について 綴っています ですから彼は経営陣で キリスト教の経営者でした このためキリスト教徒は 大変事務的になりました 全てに 時間は定められ このように来なければ 座らなければ 話さなければいけない キリスト教徒である国も 公式にそれらを 守っています なぜそのように 事務的なのか 理解していません アギヤを開いたキリストが 為したこととは反対に このようなことが 築きあげられました キリスト教徒の国は 世界で最も傲慢で 最も攻撃的な国です 彼らは 目に着く土地は支配する 権利があると思っています 彼ら自身の 法律や議会を 設置する権利がある と思っています 今日でさえこれは インドのプンジャブのような 場所でも起きています ほとんどの者は 質素に暮らしていて 大変勤勉に 働いていますが 支配的な者や 利用しようと する者たちによって 常に 攻撃にさらされています キリスト教徒として このように振る舞うのは ばかげています 人々を改宗させようとします 改宗させるのは ナンセンスです 南インドで 彼らがしたことは・・・ インド人は決して パンを作りません 南ではオーブンの 使い方も知りません そこで彼らは大きな ケーキのようなパンを作り 水または 井戸に入れました そして “牛の一部を そこにいれました” と言うのです 人々は信じました そして“あなた方はもはや ヒンズー教徒や” “他の宗教に 属していません” “今やキリスト教徒になりました” と告げました そのように 何千もの人を虐げ キリスト教徒に 改宗させました このような虐げられた者たちは キリスト教徒を望みました キリスト教徒もまた 宣教活動に従う 疑惑の持たない 者たちを 望んでいました 人々には教育がなく 彼らが 何者か理解する 知性や理解力も ありませんでした 虐げた者に対して 彼らが宣教を始めると 多くの者も 入信しました 彼らは自身の同志を見つけ 事業を始めました いかに人を 支配しようとする性質が 特定の宗教を 受け入れたか 理解すべきです 宗教とは謙虚さの 何ものでもありません キリスト教の責任者が いかに人々を 愚かな者へと変えたか 理解すべきです それは人間の性質で いかなるナンセンス あらゆる残虐 あらゆる抑圧をも 楽しみます 彼らは支配した領域を 決して断念しません 今ではキリスト教徒の国は それ以上です キリスト教徒の間で 自由が与えられているためです 彼らは自由です “好きなことをしなさい より良くなるでしょう” “あなた方は大丈夫です” 彼らこそ 支配する者です そして支配される者が 至るところにいます 彼らはいわゆる 先住民といった 普通の人のところへ 行っては改宗させます 主な活動は 改宗させることです 多くの者を改宗させる 必要は何でしょう 人数が民主主義において 重要だからです 数の獲得のために 改宗させました それは多大な 破滅をもたらしました キリストの 後の状況に 大変懸念を抱きます 今日 あなた方皆 サハジャ ヨギです 他の者より高みにいます あなたには 全ての力が備わっています あなたがキリスト教徒 のように振る舞えば どうなるか 分かりません サハジャ ヨガがあらゆる 国で受け入れられ 人はサハジャ ヨギである 者に敬意を払い 地位がある状況に 置かれています そこで突如 権力が あなたの頭によぎり 独裁者のように なろうとするかもしれません それは人間の性質です 神聖ではなく 人間の性質です 例えば 動物の世界では 互いに攻撃的です それは許されています そこには支配における体系や やり方 法則があります 誰にでも飛びかかる ようなものではありません サハジャ ヨギの中でも リーダーに指名すれば 大変になります その者は皆を 仕切り始め リーダーにしなければ 次から次へと私に 手紙を書きます “マザー 私は リーダーになりたいです” そう彼らは 主張し続けます 何のために他の者を支配する リーダーになりたいのですか この支配欲はサハジャ ヨガに 必要ありません 今日私は 死を超越した キリストの 美しさについて お話するためにいます 同時に 彼の死における概念 ネガティブな思考 全てが克服され なければいけません あなたは自身の 主でなければなりません それによって あなたは大変癒され 幸せに感じなければ なりません 人に与えることについても 同じです 人から何かを奪うよりも 大変簡単です サハジャ ヨガが これら全てを あなたに教えたことは 大変驚くべきことです サハジャ ヨギは 大変すばらしく 大変美しい者たちで 愛深く 親切であると 人に言われなければなりません あなた方皆が 個人的にも コレクティブにおいても 大変 偉大であると絶えず 耳にするのを望みます しかし この偉大さは 支配すること あるいは誇示することによる ものではなく 内側から来る偉大さです 人はあなたを見て 何かであると知ります そのようにして サハジャ ヨガは広がります あなたの中で 目覚めるべきはキリストです 導くのは あなたの中のキリストです 他者に対しての 振る舞いや 信用をどう得るか あなたの中に流れる 愛と平穏をどう与えるか 幸せで 喜びに満ちた者に どう変えるか教えるのは キリストです これが 復活のメッセージです サハスララを貫く メッセージです デヴィ マハトゥミャムでは この卵について 大変驚くべき形で 明記されています いかにこの卵がつくられ 二つに分けられたか 内一つから キリストが生まれました もう一つからは シュリ ガネーシャが生まれました 全て記されています しかし キリストは マハヴィシュヌとして記されています ですから マハヴィシュヌとなって これら全てを すばらしいこと全てをします 真のメッセージであり キリストの人生が 美しく書かれています これを思考のない状態で 意識することができます その光を 人生を通して 表さないといけません 私たちには それが可能で 自身の内でのみ 私たちは全く完全であると 世界に 示さなければなりません 私たちは他から 何も望みません 自分が得たものを 他の者にあげたいだけです 人々はそれをあなたに 全てのサハジャ ヨギに見ます 皆さんに 神の祝福がありますように キリストのことを考えると 起きている状態でいるのは 難しいようです キリストのことを考え 彼のことを話す時 現代において 起きている状態でいるのは 難しいようです 人は 彼のような偉大な者 偉大な人格を 全く 理解できなかったからです 彼は神聖でした 完全に神聖でした それにも関わらず 演じました 苦しみを経験しなければ いけませんでした いかに 自分自身を 十字にかけ いかに亡くなったか 思い出すだけでも 心が痛みます しかし大事なことは あなたのために したということです 全て彼のおかげです クンダリーニの覚醒を助け 大脳辺縁系を 突き抜けることができたのも 彼の働きでした キリストの犠牲がなければ これら全ては不可能でした あなたはその犠牲を 受けるに 値しなければなりません 起きたことは 大変象徴的です あなたは 人類の解放に できるだけ 犠牲を払う準備が常に できていなければなりません 今の時点で 真実の探求を忘れなさい 全てを忘れなさい あなたが聖人であると 常に覚えておくことが 必要です あなたは キリストの犠牲によって 祝福を授かっています 大変重要です 神の祝福が ありますように […]

Guru Puja, A Guru Should Be Humble And Wise (Nirmal Temple)

Guru Puja. Cabella Ligure (Italy), 20 July 1997.
今日のプージャは とても大切です あなたは 自分がリアリゼーションを得て 他人に与えるために必要な すべてを知っています もう知っているのです 大切なことで 与えようとしなければ 自分に信念もなく 自信や自尊心を 持てないでしょう 次に 与えたとしても 巻き込まれないことです 多くの人が 巻き込まれ過ぎです 誰かに与えると すごいことをした気になって 家族や親戚などに 働きかけます ご存知のように 親族だからといって リアリゼーションに近いとは 限りません 成長するにはコレクティブである 以外にありません 道場からはなれ 一人で 成長できると思っても不可能です サハジャ ヨガとは そういうものではありません 昔は別々に分かれて ヒマラヤに入り 数人だけがスピリチュアルな 成長のために選ばれました ここではそういう問題でなく コレクティブを どう育てるかという問題です それで コレクティブな人になり それを楽しみ そのために働き ともに生きるようになります そのような人は 新しい力を得ます 精妙で 浸透力がある あらゆるところに 入り込んでゆく力です それはコレクティブな気質を 持たないとできません 完全にコレクティブでないと サハジャ ヨガに必要な 高みは至れません 知っての通り 世界は問題だらけで 沈みかけているようです アメリカに行ったときは “ああ これは地獄です” と感じました 何の徳もなく 徳を信じようともせず 不徳を崇めるような そんな雰囲気に満ちていました 世界中で そのアメリカの影響がみられ 何も悪いことはない と思っています 何を言ったところで 耳を傾けることはありません 生活の根底から 崩れてきていることが見えていません 家族 社会 国中がです ひどく醜い不徳な性質が あたりに満ちていて そんな考えが どこからきたのか解りません 私が一つ一つあげる必要はありません ご存知でしょう あなた方は子供たちを救うためにも 指導者になる必要があります サハジャ ヨギだからと それについて話し 宣伝しても 相応の力があなたになければ 失敗に終わるでしょう では どうやってそれらの力を 内面で育てるかをみるべきです 言うのも気恥ずかしいことですが 師に対してきちんと振る舞うことです 教わったと思いますが 教わらずとも リアリゼーションを得ると 自発的に 自然に 謙虚な態度が出てきます それとともに 指導者に必要な 多くの性質を 身につけます 指導者と同じ地平に 自分が立っていると あなたに向かうものは ないでしょう なので指導者の位置より ずっと低い位置に立たねばなりません 私が怒らないのを 利用する者がいます 何度も“あの人たちを糾すべきです” と言われました “あなたと対等にしゃべっています” 私は“彼らは教訓を学びます” と言いましたが 学ばない者もいて 相変わらず私に対して 友達と話すかのように 振る舞う者がいます まずは完全な謙虚さです 極めて 謙虚でなければいけません 誰かと話すとき謙虚ですか 誰かについて考えるとき 謙虚ですか 家族に対しては 謙虚ですか 指導者であらんとするなら 謙虚さが最も大切です 謙虚の海に飛び込むべきです “謙虚だと利用されます” という者もいますが そんなことはありません あなたは常に守られていることを 忘れないでください パラマ・チャイタンニャが 世話をしています 頭で知っていても あなたは本当にそう信じていますか 本当に信じるなら 恐れないことです 心配せず 無意味な影響を 受けないことです “何が起るんだろう どうなるんだろう” と心配していると パラマ・チャイタンニャは あなたをそのままにします いかにそれが働くかを見なさい 自分がどう振る舞うか見なさい ちゃんとしないまま 自分を誇示すれば それなりの見返りがきます 私が何かするのでなく パラマ・チャイタンニャが教訓を与えます あなたは 今のようではいけなかったと そもそも何故 我々は サハジャ ヨガにきたのか 根本から初めなさい 私たちがサハジャ ヨガに来たのは 究極の真理を知りたいからです そしてヴァイブレーションを通して 知ることができました 何が絶対的な真理かを 知ることができました その真理にそって働くべきです あなたが感じる絶対的真理に 従わないといけません 残念にも 自分のヴァイブレーションを過信して 自分が感じているヴァイブレーションが 最高だと思っている人がいます それは正すのが 難しいポイントです エゴから来ます エゴがあると 自分の間違いに気づきません ヴァイブレーションが 何か示唆していても 自己からでなく エゴからきています エゴが自分を甘やかして 本来なら“こんなこと するんじゃなかった”とか “私は間違っている”と 気づかずにいるのです このプロセスでは 自分が“精妙になっているか” “粗野になっているか” 観察するのが一番です 些細なことで いつもヴァイブレーションを チェックしている人もいます 木や花 土地などの 物質的なことを チェックします でも何のために しているのでしょう 物質的な利益のためです ヴァイブレーションさえ チェックすれば 安全で 損失を被らないと 考えるのです そうではありません ヴァイブレーションは 世事のためではありません ヴァイブレーションをおとしめる事を するべきでありません ヴァイブレーションが害になる事を 示唆することさえあるのです ある人にある場所に行くよう頼んだら 彼は“行きませんでした” “何故?”と訊くと “ヴァイブレーションが悪かったからです”と “ヴァイブレーションが良かったら 行く必要ありません” “だからあなたに頼んだのに” “ヴァイブレーションが 悪いからといって” “行きたがらなかったなんて” 結局 楽で 快適な生活をしたいのです サハジャ ヨガによる解決を期待し 叶わないなら役に立たないと考えます どんな望みでも 叶えたいのです それらの望みは 個人的なものです “子供が具合悪いので 良くなって欲しい” “夫の態度が良くないので 良くしたい”とか “家がないので欲しい”と いつも気が散っていて 未だにいわゆる 消費マインドでいます “女の子でなく男の子が良い”と言い 娘が生まれると サハジャ ヨガのせいにしたりします 望み通りにはならないのは サハジャ ヨガのせいだと 更には サハジャ ヨガのせいで 苦しんでいると考えます または信念が弱まったり ぶれたりします 深く根付いていれば “何があろうとサハジャ ヨギでいる” というでしょう 誰かが亡くなったとして といっても サハジャ ヨガでは難しい事で パラマ・チャイタンニャが許さない限り 死のうとしても死ねません ですが 仮に 誰か自殺しようとしても その望みが叶うとは 限りません 叶わないからといって 機嫌を損ね “何がいけないの?” と考えます でも あなたの望みは 神の望みでなく パラマ・チャイタンニャが それなのです 私がアメリカに行ったときに ネガティヴィティに攻撃され 困らせられました この間ずっと いわゆる苦しみと痛みを味わいましたが それはこの頭の悪いアメリカ人が 育つ為にどれほどの尽力が必要か それを かの地のヨギに 見せるためだったのです お金を搾り取られて どれほど彼らが 愚かで馬鹿げているか 多くの者が私に “マザー 例えば あなたが300ドルでもとれば” “何千人もの弟子が 出来るでしょう”と告げました 私は“そんな人たちは 私の弟子ではない” “お金をとるなら 価値あるものを あたえるだろうと考えるなら” “彼らは完全に馬鹿です” と答えました サハジャ ヨガは 金銭で買うことができません この第一の原理を 彼らは理解できません 大半の者がリアリゼーションは 無料で得られると 理解しません ある裕福なグジャラート人が ニュージャージーで サハジャ ヨギに聞きました “どうして こんなに簡単なんですか?” “これは難しい事だと 教典に書いてあります” “リアリゼーションを得るのは 極めて困難だと” “なのにどうやってそんなに 簡単に与えられるのですか”と 誰も答えられませんでしたが こう言うべきだったのです 確かに難しく 多くには 与えられないと言われていますが 現にできる人がいます ならば どうやっているか 考えてみるべきです この種の馬鹿げた質問が多く 今も続いています 丁寧に伝える必要があります “でも それなりの人でないと・・・” そんな訳で彼らはお金を払い 自らを愚弄するのです “私にはグルが3人いる” “私には7人いる” どんな状況なんでしょう 彼らは極めて愚かで サンスクリットで ムールと呼びます 頭のない人はリアリゼーションを 得られませんので諦めなさい 口論しようとするなら 諦めなさい そんな権利はありません リアリゼーションを 得る権利はありますが 馬鹿げた質問をして 論争する権利はありません あなた方も指導者としての 自分の威厳を保つことを 忘れない事です 自分が指導者と知ったなら おどけてばかりではいけません 威厳ある態度と同時に 楽しみを与える人格 イライラする事もなく 何か特別なものを 感じさせる人格になります では どうやって そのような人格を持つか 西洋では エゴが最大の問題で 東洋では スーパーエゴが問題です このエゴのあれこれは どこから来たのか解りませんが 自分のエゴを見せびらかします 例えば アメリカでは驚くことに 人種差別の問題があります 黒人と白人間で 差別があるのです 肌の色は 神が与えたもので 皆が同じだったら 軍隊のように見えます 多様性があるべきで 自己表現や表情にも 違いがあるべきです それぞれが 固有の表現を持っていないと 皆が同じでは この世界は何の面白みもなく つまらないものに なってしまうでしょう ですが 人々の心に どれほどの差別心が入り込んだかに 驚かされました あなた方は指導者として 断固として差別に反対すべきです 簡単に解ることは 男性 女性として 更には母親としても 白人が最も 残酷になりうる一方で 優しく寛容な黒人が いることです 肌の色と気質は 対応しないということです ですが 黒人は 差別されたことに反応しがちです その仕方が粗野であったり 残酷になりがちなのです でも この種の間違った 人に対する態度には 動物だって 我慢できないでしょう ならば人に対して そのような態度を見せるなら その人は サハジャ ヨギに値しません そのような 肌が白いとか 黒いという意識をもつ人は サハジャ ヨガで 指導者にはなれません インドのカースト制度も 同様に酷いものです 何の理屈も基盤もなく 身分の上下を 信じる者がいます どんなカーストの者でも 最悪の行いをする可能性があり そこに境界線は存在しません 最下位のカーストから 偉大な詩人や スーフィが輩出されました カーストは人為的です 人為的なものは 私たちに合いません 結局は大変破壊的な事態を 呼びこみます 憎しみは憎しみを呼び 増殖していきます 憎しみを心から取り除けないなら サハジャ ヨギではありません これらすべてが コンディショニングです 白人家庭に生まれれば 白人だし クリスチャン家庭に生まれれば クリスチャンだし ユダヤの家庭に生まれれば ユダヤ教徒です ただ そのように 産まれてきただけです それが身分の高低に つながるでしょうか これらすべての人間の問題は 意味のない優越感に対する 人のこだわりのためで 共通意識によってのみ 変えることが出来ます 例えば 道場でも様々な人種の人が 平等な権利を 相互理解と愛を持って 暮らしています それがないなら 道場(アシュラム)とは言えません かつて “ハーレムで講演をして もらえませんか”と頼まれました “もちろん” と答えましたが “ハーレムがどんなところか ご存知ですか”と言うのです “知っています 害はありません” そのヨギ達は “黒人がいて・・・”と “私も黒人です” 私は黒人とも 白人とも呼ばれますが このような人間に対する 馬鹿げた考えを浄化してくれるのが 愛なのです 白人 黒人と差別すること自体が 人を見る目がない証拠です 深みと博愛があれば そんな表面的なことは 目に入りません 今日は指導者の 偉大さを祝す日です 彼らがどうだったか見なさい インド内外にスーフィなど 多くが存在しました 彼らは白人 黒人などの 人種による差別を 信じませんでした キリストも白人黒人の区別を 信じませんでしたし ブッダも同様です だれもこのような 人為的な問題を 信じませんでした このような人為的な考えが リアリゼーションの後でさえ受け入れられ 私がその対処に追われます それは言葉でなく 行動することで取り除けます どうなくしていくか見てみなさい 簡単です 瞑想をして 自分が何人を愛しているか そして何故なのか 哀れみでなく 愛をどれだけ持っているかを 見てみなさい 中には 美しい例もありますが 捨てるべき固定観念が まだあります サハジャ ヨガで指導者なら とても大切なことです 心が清浄で 開かれていて 愛情深く パラマ・チャイタンニャの旋律を 奏でるべきです まだ人為的な考えで満たされているなら 何が起るかわかりません 心臓移植でさえ 人工物でなく 本物を使う必要があります なので人工的な おかしな考えを 採用すればどんなことになるか 差別的で コレクティヴィティ(集合性)を 与えることはないでしょう 内省が必要です 私たちは一つですか? それともお互いを 裁き合っていますか? この裁きも多く見られます こういったことは ともに生活をして初めて気づくもので さもなくば気づきません 共同生活をして初めて 自らに足りないことを悟るのです 何があって 何がないのか 愛に満ちたハートは 非常に穏やかで あらゆる瞬間が 愛の契機であり 喜びを与えるものです シュリ ラーマのお話があります ベールと呼ばれる 果物を食べる際に ある老女が愛情から その果物に口をつけて試食しました 最高位の王である シュリ ラーマに対して この老女は 最低の位でありながら 愛をもって 果物を試食した上で おもてなしをしたところ 彼はそれを賞賛したのです 彼の妻も“私にも下さい” と言いました が 弟はまだ そこまで成熟しておらず 腹を立てます そこに彼女が “本当においしいですよ”と言うと “じゃあ 下さい”と 彼女は“どうして? 怒っていたじゃないですか” “あなたにあげることないですよ” と言います どれほど心が清らかで 愛情があるか 崇高で 非凡な人格かによって 指導者としてのあなたのレベルが 判断されることが示されています これは完全に自然なもので 人為的に組み込めないものです なんであれ 自然にするべきです 共同生活や 言動の中でのわざとらしさは 問題をうみます ニューヨークのアシュラムには とても細かく 厳しい女性がいました スプーンやフォークの位置や 他の何にも細かくて 多くの人を傷つけるのです サハジャ ヨガでは あなたが指導者になったら これらの文化的タブーは 重要ではありません 指導者はどこでも寝起きできて いつ何でも食べられる そうあるべきです しかし サハジャ ヨガでは 食事が出されると すぐ食べたがる人が沢山いるようです 一度食事を出された時 すぐにお皿を持っていかれたことがあります “どうしたんですか”と言うと “マザーまだ食べていないんですか” “触ってすらいないですよ”と 空腹というのは 最低レベルの欲求です 指導者はそれに頓着しません 得られても 得られなくても大丈夫です エゴを消して 与えられずとも気にしない そんな意識を持つべきです 人より少し遅く出されただけでも 傷ついたりします そんな様々なおかしなことが サハジャ ヨガでは見られます これは最低レベルの欲求で 真の指導者になりたいなら 頓着すべきでありません もちろん 麻薬とか 飲酒をしないなどの問題は もう解決されました それは恩恵です もしそこから始めるとしたら あなたを引っ張り上げるのに どれほど深くまで行く必要が あるかわかりません それは良いとして 皆の注目に値する 美しい生活のため 話し方 振る舞い方 愛し方を 学ぶ必要があります 指導者の権威は 愛を通さずして得られません 例えば 10人で劇をするとして 同じ国や 同じグループの人が 集まっても 面白くありません 音楽のグループにしても 同じ身分や 同じ宗教 同じ学校でやろうとするなら まだ至らない証拠です 指導者であるなら あらゆる文化 あらゆる美を好み 生活に取り入れられるべきです 人種や地位 階級意識で 誰かを 見下すべきでありません 指導者や聖者は 皆そうでした トゥカラマも “神よ 私をシドュールカーストにして 下さり感謝します” と言いましたが 実際は違いました 出自や人格に 常にこだわらないようにしなさい 誰が聖者で誰が違うか わからないくらいが良いのです 聖者であることで 高慢になるものさえいます アメリカ在住のロシア人が とても際立っていることに 驚きました 私に対して目を上げずに 伏し目がちで 深い人々でした ヴァイブレーションが とても深かったのです 共産主義で抑圧されてきて アメリカで 自由というものを見て その無意味さを 悟ったのでしょうか 両極端を知って 自身の深奥に触れ 強さと団結力を持っています 始めて会った時に驚きました ロシアから訪問しているのでなく 現地の人です 何故かと言うと 彼らの頭に 宗教がなかったからです どの宗教も彼らには同じで どれにも 追従していませんでした 宗教も人為的なものなので 指導者は 何の宗教にも属しません 宗教は世界中に問題をもたらし お互いに争っています 彼らは 聖なる存在ではありません 宗教の偏見に 巻き込まれないようにするべきです サハジャ ヨガでもクリスチャンなら そのように見えるので分かります ユダヤ教徒も分かります 何のために サハジャ ヨガに来ているのでしょうか 注意が内面に向けば 見つかるはずです どこが間違いか 指導者として何故成功できないか 自己分析するべきです 指導者としての成功とは 時間に惑わされないことです どの時間も聖なる時間で 誰かが遅れたり早くても 気にしません 時間や時計に隷従しません 300年前なら時計すらなく 誰も時間に 捕われなかったでしょう 第1に 彼は時間を超越している “カラティス”と言われます “グナティス”とは左右 あるいは中央のどこにも属さず それら3つのグナを 超越していて “全てを聖なる光のもとに見る” と言う意味です 良いことであろうと 悪いことであろうと全てに “聖なる光の働きです”と 全てをそこに帰するでしょう グナを超越しています 例えば 誰かが ライトサイドでエゴがあれば “こうしたかったのに どうして 上手くいかなかった”と挑戦します レフトサイドの人は 泣き出して “こんなことが起るなんて” と言ったりします センターの人でも “ヴァイブレーションが足りなかったのか” “なぜ分からなかったのだろう” と考えたりします ですが本物の指導者は “それは起るべきして起った” と言うのです 教訓は何でしょう 間違っていた 正しくなかったと分かるだけです 色々考えて 頭を使わないことです それだけに気をつけて 他のことは気にも留めません こうしてグナを超え どこでも寝食でき 生活できるのです 車でも牛車でも移動できます もらう花輪がみすぼらしくても 侮辱されたとは感じません 彼は何にも 影響を受けないのです 贈り物がシンプルであろうと 何もなかろうと気にしません あなたの目ではなく 自分の目を通して 自分を評価し楽しむのです 何かにしがみついたり こだわる必要が どこにあるでしょう 上手くいかないなら いくまで待てば良いだけです どうしたというのでしょう サハジャ ヨガでは指導者は 人を結びつけなければいけません その一方で 関係を壊し続ける人もいます そういう人は 文句ばかりいっています でも 優しく人を結びつけることが 出来る人もいます 許さなければいけないとかではなく 自然と出来るのです とても自然で そんな人に人は惹き付けられます アメリカでサハジャ ヨギが 少ないので驚きました 5万ドル使って 50人が来たというので 一人あたり千ドルです 非常に効率が悪いですが 希望を持たないといけません 多くの探求者がいて 道に迷っているからです 回り道のようなもので 馬鹿をやって初めて 分かるようになるかもしれません 先日の講演では 4000人の人が訪れました 米国では かつてなかったことです “こんなに人が集まったことは ありません”と言われましたが それでも多いとは言えません が リアリゼーションは得ました なので アメリカでさえも 徐々に育つでしょう サハジャ ヨギ達は自分の住居や 生活の心配だけでなく 外に出て行くべきです 余裕のあるものは アメリカに行き 働くと良いと思います 部外者が来てサハジャの話をすれば 興味を持たれるかもしれません 偽の指導者が数えきれないほどいて 受け入れられています 驚くことに お金や全てを失い 辛酸をなめても 受け入れてしまうのです “彼は私たちの師ですから”と 何を期待すべきか理解できない点で 何かおかしいのです 私は一冊 本を書いたところですが あなた方も経験やら何かを 出版できるでしょう それが人々が目を覚ます 助けになるかもしれません 何を書くにしても あなたのサハジャ ヨガの性質を表しなさい 人を傷つけてしまうとか 貶めてしまうとか気にせずに 人々を正し 助けるようにしなさい 指導者にとって 自身を勘違いしないことが重要です 貧しい あるいは豊かな家族の 出身であるなど意識しないことです ひとたびそこに至れば 指導者なのです 職人だったカビーラや トゥルシダのように インドでは低位の カーストとされていますが 美しい詩をかきました ナーマデヴァは仕立て屋でした 皆が同じ真理を 大変美しく詠いました どうして出来たのかといえば 皆 偉大なるスピリチュアリティの 領域に入ったからです あなた方も 美しい詩を詠みますが 良い詩を詠める反面 頑固で自己中心的な人もいます 美しい詩を詠めるのに エゴで一杯というのは理解できません だとしたらこの詩は 何に由来するか怪しいものです まずは自分です 人々に“本物の指導者に出会った” と言わしめるべきです その為に家族や何かを 放棄する必要はありません エゴを放棄するのです まだあるなら 何と言うべきか分かりませんが 完全にエゴを 集合的にも取り除くべきです 人々は密かにエゴを内に秘めていて 急にそれが出現します そのような精妙で 無意味な病理に耽っています このグルプージャに際し 真剣にとても一生懸命 働くように言わねばなりません 最も大切なのは どれほどあなたが時間を 人生を サハジャ ヨガに捧げたかです それで初めて あなたは指導者になります 私を見なさい ただの主婦で 家族に責任があり 問題もあります にも拘らず 常にサハジャ ヨガと サハジャ ヨギのことを気にかけていて 世界中の人類の覚醒に 心砕いています 身の回りだけでなく 世界中のです あなたのヴィジョンも拡げなさい 自分の学校や大学など 身の回りから より広いヴィジョンを抱き あらゆる問題や状況に 働きかけるべきです ひとたび そのような人格に至れば 多くの人を 助けられることに驚くでしょう ここにはそんな称賛に値する ヨギ達がいます 彼らは私を愛していて 私も愛しています ただ 指導者になるにあたって 自分を指導者だと思わないことが大切です 自分がもう指導者だと 考えるべきではありません そう考えたとたんに “ザ・指導者”と言うエゴが出てきます “自分は何でもない” “母の胸の小さなさざ波です” と思うことです そのような謙虚さを身につけると 全てが上手く働き出すでしょう あなたの振る舞い 意識に 人が啓発されるからで 他はあり得ません 何を試そうと あなた以外にサハジャ ヨガを 推進する者はいません 良き指導者については まだまだ言うべきことがありますが 次回にお話しすることにします ありがとうございました […]

Adi Shakti Puja, Respect the Mother Earth Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Adi Shakti Puja. Cabella Ligure (Italy), 25 May 1997.
今日はアディ シャクティの プージャを行います この力がサダシヴァのもので あることは分かりにくいので 難しいトピックです サダシヴァは全能の神で 彼女はその息吹であり その欲求であり 力の全てで 彼女の力なしにはサダシヴァも 何もできないと言われています このことは多くの著者によって 様々に述べられています でも 創造の起源については 最低7回講義が必要ですので 触れる必要はないでしょう 今回は アディ シャクティが地球に作用する 部分についてお話します まず興味深いことに 地球の内部に クンダリーニが作られ 地球から シュリ ガネーシャが作られます なので地球が 私達には大切です なのに私達は どうやって母なる地球を そして自分自身を 敬うかを知りません アディ シャクティはあなた方の中に クンダリーニとして現れています それがアディ シャクティの反映です また ご存知のように 地球上の様々な国や 地方 都市が 母なる地球のチャクラを 表現しています まずは 人類の誕生のため 聖なる母である 地球を創ることが必要でした なので まず クンダリーニは 地球に反映したのです クンダリーニとは アディ シャクティの一部で 彼女の純粋な望みといえます アディ シャクティは サダシヴァの望みの全てであり アディ クンダリーニは アディ シャクティの望みの全てです それがまずは 母なる地球 大地の中に現れます クンダリーニは地中に及び 地球内部を冷やした後 地表に現れて チャクラを構成します なのでヴィラータ 母なる地球 そして人間の間には 大きな類似があります すべてがアディ クンダリーニの 反映であれば 密接に繋がりがあるはずです 人間は母なる地球との固い 結びつきに気づいていません クンダリーニは地球の各地の センターを作りつつ通過していき 最後はカイラス山から 抜けていきます 皆さん行った事があるか 知りませんが カイラス山からは強大な ヴァイブレーションが流れ出ています 母なる地球を侮辱することは アディ シャクティを 侮辱することです 母なる地球を敬うには 多くの仕方があります インドでは 一日の始まりに 起き上がり 大地に足を置いたら “ああ 母なる地球よ” “どうか足で踏みつけることを お許し下さい”といいます 大地の動きは全て アディ シャクティの反映である クンダリーニによって コントロールされています 重力も地球の クンダリーニの現れです 私達が苦しむのは この美しい惑星を 敬わないからです 地球を敬うとは どのような意味でしょう? それは地上と海 エレメンツの全ての 創造を敬うということです 今日 汚染などの 多くの問題がいわれますが エレメンツの重要性と それに助けられていることを 人々が理解しないからです 母なる大地を敬うため 家を耐えてる時に ブミ プージャをします でないと地震が 起こったりするからです つまり母なる大地には 意識があって動くということです 人間には 理解できないような動きをします ナグプールという ところのお祭りで シュリ ガネーシャの像を 海に捧げようと 皆が歌い 踊っていました 後に皆 飲酒し始めたのですが それを 母なる大地は嫌います 酔うとふらついて 地面に倒れたりします 飲酒により 大きな地震が起こり 人々は母なる大地に 飲み込まれてしまいました サハジャ ヨガのセンターは 地割れに囲まれましたが 一人として 犠牲になりませんでした 母なる大地は サハジャ ヨギを救ったということです 聖なる存在を 彼女は理解します 誰が聖者で 聖者の足かわかるからです そういう事が何度もありました モーゼが海を渡ろうとすると 陸が盛り上がり道ができたように もしユダヤ人だったら 起こらなかったでしょう モーゼの聖なる性質のために 大地が助けたのです 同じように ラーマがランカに渡る際 大地が隆起し 橋渡しされた事がありました なので 災難にあっても 大地に悪態をつくべきではありません 聖なる人であれば 常に大地に守られるでしょう 常に必要な物は 与えられるでしょう 些細な事にも それはあって 例えばカベラでは バラがとても大きく育ちます 他に見られないほど 大きいものです プラティスタンでは ひまわりがとても大きく 持ちあげられないほど育ちます これらがある特定の場所で起こる というのはどうしてでしょう 母なる地球が 知っているということで 誰が彼女の背中を 地表を歩いているか ヴァイブレーションがわかるのです 特定の場所で とても聖なる場所が存在します どうやってそれらの聖なる場所が 分かったのでしょう 磁力によってです 驚くことに 私がいたオクステッドでは 磁力が交差していました 以前から交差していて そこに引っ越したのです 母なる地球は 聖人に便宜をはかるのです 大地があなたを導くことは とても面白いことです 母なる地球が理解を示し 愛を持って聖者を守ろうとする そういったことが多くあります 私達はその価値を分かっていません 同じように 雨が適切に降ったり 大気が 月や太陽 全てが 聖者のために 美しく働くことを知りなさい 聖者が座っていることを 知っています 純粋な人がわかり 命の精髄であり 守られるべきであると 知っています 一方 役に立たない人を 守ることはありません 例えばハッジに行き 多くの者が亡くなったことがありました アマナスに行き亡くなりました 聖者でなく ただの儀式的な人で 母なる大地には 無益だったからです でも そこから誰も 学ぼうとしません アマナスで 沢山の人が亡くなった後 パキスタン人は “アマナスは悪い場所だから 行かないほうがいいんだ”と言い “そこは聖地ではないということだ” と言いました しかし ハッジによって 多数が亡くなったことを 説明する術を 知らなかったのです これらの人々は ハッジにいつも行っていたからです かつては32000人もの 死傷者がでました そういうことなのです そこは確かに聖地ですが そうであっても その地を訪れることが スピリチュアルな上昇を 意味しないということです 聖地を訪れることは 何も成したことにはなりません 一方 聖地に疑義を 呈することはできません 私はチンドワラで生まれましたが メッカと同様 北回帰線上に位置しています どうしてでしょう メッカとは何でしょう マケシュワラシヴァの意で シヴァのことです なぜムハンマドが石を 崇拝するように言うのでしょう 偶像崇拝に反対で 石を信じてはいなかたのに なぜあの黒い石を 崇拝するように言ったのでしょう 皆がそこを 訪れる必要があります 何故でしょう それがスワヤンブーで ヴァイブレーションがあるからです だからです それでムスリム達が狂ったように 訪れていますが それで成長した人を 見たことがありません それは単なる儀式で そこに行きさえすれば 死後にメッカを訪れたと 証明書を神に見せようというのです 教皇がかつて 真のクリスチャンであることの 証明書を与えたように このように 全ての儀式が始まりましたが 現実は内面にあります 現実は本物の人たちの為で 偽物の為ではありません ですが この儀式主義が 高まりすぎました インドには沢山のクンダリーニ 由来のスワヤンブーがありますが これもまた 崇拝されています ほとんど行きましたが 驚くことにそこのプジャリ達は皆 何らかの重病を患っていました 例えば麻痺がある者です “私達はスワヤンブーや 神に奉仕しているのに” “なぜ病気になるのでしょう” と相談されました “金儲けしているからです 神の名において金儲けはいけません” “神に奉仕したくないなら 去りなさい” “でなければ儲けることをやめなさい” と言いました 金儲けをしている人が 麻痺を患うのはよく見かけることです これはとても深い理解で エレメンツや大地の全てが 持っている理解力です 彼らのクンダリーニが あなたのようでなく エゴやスーパーエゴなど 無意味なもので 敏感さがなく 現実を示さないからです あなたのスピリチュアリティは 注意深く鋭敏で 感じたことをたちまち 説明できるべきなのに そうでないのが問題です なぜ敏感でないのでしょう 反対に 他人を気にして “あなたのここがキャッチしている” と言い出したりします 本当はそう言っている本人が キャッチしています アディ シャクティの 反映であるなら 曇り一つなく 純粋であるべきで 白いサリーに黒いインクがつけば 目立ってしまいます あなたは純白で 自他共になんの汚点も みられないようでないといけません 純粋な知性とハートで その高みに 達する事ができれば 何かを操作する必要は 全くなくなります 母なる地球のように 全てが自然です 彼女はなにかを 操作するでしょうか どれほど彼女が 自発的かみなさい 大地に種を植えると いかに芽吹くか その自発性を 私達は疑問に思いません 多様な花を見ても 色々な香りも 林も木々も いかにバランスよく 各地で育つか 分子や原子の一つ一つまで 大地においては意味があります この身近な母なる大地こそが アディ シャクティの反映の 最たるものなのです なので まず 大地を崇拝すべきです あなた達がこうやって 大地に座るのは好ましいことです 瞑想時に大地に座るのは とても良いですし あいにく私も同じですが 吸収力があるので あなたの問題事を 簡単に取り除いてくれます 例えば大地に 座れないのであれば 石や大理石などの 自然なものに座るとよいでしょう でも プラスティックに座り 瞑想しても どれほど効果があるか 分かりません 問題をよく 吸収してくれるので 自然なものを 使うように言うのです 他には身体や知的なラインで 理解する人為があります 知的にはどうなるかというと 議論と説明が 延々と続いて終わりません それで実際頭痛持ちに なったりするのです あなたが自発的であれば 相手が何を伝えようとしているか たちまち理解できます 大して考えなくとも 相手の考えを吸収できたりします 吸収とは悪いものをもらうのではなく 選り分けるということです 相手の言うこと聞いて 選り分けるのです 問題は私が あなた方全員を 自分の体に取り込むと 決めたことです 危険なことだと 解っていますが 今日における私の使命なので そうしました なのであなたの問題が全て 私に行きました 海に入ると あなたは浄化されますが それを吸収する 海の方はどうなのでしょう 海はあなたの厄介な問題事を 抱え続けることになります なのであなた方が 自分で浄化するのが一番なのです 内省を通した浄化が大切です それは考えることではありません 内省とは瞑想であり 皆が瞑想をすることです リーダーたちのミーティングで 皆が客間に座った時ですが 皆が集まった途端に 私は腹部に深刻な痛みを感じ ひどい下痢をしました 誰が問題を抱えているか 知りません 誰が持ち込んだのかも 知りません でも母として 私はあなた方が元気で純化されれば 何も気になりません 大地が養うように 私はあなたの世話をします 大地が愛するように私も あなたが善かれ悪しかれ愛しますが それは問題ではありません 良いサハジャ ヨギで あろうとするなら 見栄や義務でなく 思考や議論 他人の批判でなく あなたが一日10分でも瞑想すれば 私は最高に健康になるでしょう あなたの注射を受けたせいで 私の健康が無意味に害されるからです 私の負うリスクが分かれば マザーが苦しまないようにする 分別があるに違いありません 時に連日の磔刑のようで なんと言うべきか分かりません 例えば先日デリーでのこと あるリーダーの男性が 私に会いに来た時に 私の足がこう動き始め 痛み出しました 出て行くよう 言うわけにも行きません 彼を傷つけたくありませんから “どうしたんですか 一体どこに行っていたの” 彼は理解してそこを去り その後良くなりました 問題を沢山抱えている人が 私に近づくと 意識に入ってくるので 私が影響されることになるのです なぜサハジャ ヨガにいるのか というシンプルな問いがあります それは上昇のためです より高くと 昨日歌ったように 昨日あなた達が上昇への望みを 歌うのをとても楽しみました 間違いなく 歓びを感じられました ですが 実際そのために 何をしているでしょう 真剣に考えるべきです 誰かの成長や理解に 何をしているでしょう 特に女性は あまりしないようですが 母性であるのに それではいけません どんどん外に出て リアリゼーションを与えるべきです 男性は積極的ですが 女性は違います それは反対なのです 男性は活動的だが 瞑想をしない一方 女性は瞑想するが 外に出ようとしない ある種の 分業のようになっています これではうまく行きません 瞑想も外でのサハジャ ヨガの啓蒙も 両方必要です 両方するべきです 瞑想だけで与えなければ 上昇できません クンダリーニは 非常に分別をわきまえています 成人にする必要があるのか と彼女は考えます どんな用途があるでしょう サハジャ ヨガは 誰かが聖者になり その人がどこかに座っている というような個人の上昇ではありません 一人の人間 自分のためではありません それは集合的な現象です なので集団に働きかけて初めて クンダリーニが認めるのです 身体が働くようにです 身体においても もしある臓器が 自分はもういい と言ったら ある細胞が成長をやめる 身体全体はもう構わないとなったら うまく行かないでしょう 何度も言うように それは生きた組織で 育ち また吸収する 必要があります エネルギーを得て成長するには 瞑想が必要です 成長しなければ 終わりです もうサハジャ ヨギではありません 誰にもリアリゼーションを与えていない人を サハジャ ヨギとはいえません サハジャ ヨギは 与えなければいけません 他の活動に加え 主な活動は リアリゼーションを与えることです その側面を 生活においてケアしない限り サハジャ ヨガで 成長することはないでしょう 例えば私の立場は 私は完全で 問題はありません ではなぜサハジャ ヨギのために 一生懸命働いたのでしょう 私は成熟しすぎていて これ以上は必要ありません 私にはしなくても良かったのに どんな必要があったのか それは 愛のためです 私の中には沢山の愛があり 伝達しなければなりません でなければ窒息してしまいます 自分を愛せません この愛は広がる必要があり そのために あなた方が必要だということ これが私のヴィジョンです この特別な 約束された時代に あなた方は このために選ばれました さて あなた方がどれだけその重要性を 理解しているかが大切です 自ら瞑想により 成長するのは構いません ですが それを使わなければ どんな意味があるというのでしょう 例えば何かを 修理できたとします このマイクをきちんと直したとしても 私が喋らなければ なんのためのマイクでしょう 同じように あなたが一生懸命でも 4時に起きて シャワーを浴びて瞑想し そして夜も瞑想 という人を知っていますが 外で誰かにサハジャ ヨガを 広めようとしません 聖なる愛を 与えようとしなければ 愛の無い世界の問題が 解けることはありません 聖なる愛を誰も知らずにいるので 与えるべきです このアディ シャクティの 力を感じるべきです 知らせることをしなければ 自分だけが全てを楽しんでいて 自分勝手といえるでしょう こんなわけで サハジャヨガで バランスのとれた人格に ならないことがあります 例えばサハジャ ヨギ同士で 結婚したとします 私の願いは 彼らがお互いを完全に理解し 愛するのみならず サハジャ ヨガや 他者をも愛することです これがサハジャ ヨガの結婚を 正当なものにする唯一の理由で でなければ 結婚する必要はありません でも そうなりません サハジャ ヨガでの結婚は 簡単なので 口論の末 離婚話になるか 幸運にもそうならない時は 自分の家族を持ち 家を持ちと 非常に小さく 限られた生活を初めます そんなことのために サハジャ ヨガにきたのですか 自分の人格を悟りなさい 母なる大地を見れば 彼女は自分の人格を知っています 土や泥だけで出来ています にもかかわらず いかに自覚があり こだわりつつ 注意深く働くでしょう あなたは こんなにも恵まれいます 与えることを考えていますか お粗末で 問題はあったにせよ キリスト教は 12人で拡がったのです イスラム教もあまり上手くないにせよ 拡がりました これらのお粗末な仕事が 拡がるなら サハジャ ヨガの 良い仕事はどうでしょう 色々なところに拡がるべきです どこに行って何を話せるか どうやって人を助け 苦しみ 不幸や破壊を 超えられるかを見つけなさい 時間は限られていて 私達はそれに見合った 動きをしていません ずっと早く先に進み 一貫した集中的な努力を通して サハジャ ヨギを 産み出さねばなりません でも サハジャ ヨガは ついでのことになっています 責任感にかける理由です 母なる大地から 学ぶ必要があります “あなたのようにはなれません” “あなたは結局 アディ シャクティだから” 指先一つでものを動かせるからといって 何だというのでしょう 私に必要な理由が あるでしょうか あなたが私であり 大地が私であるという 美しい創造において あなたは世界のニーズに 敏感にならなければいけません 世界は何を 必要としているのでしょう あなたが今日ダメなら 永遠にダメでしょう 少数しか存在しないでしょう なのでサハジャ ヨガを 拡めるべきで この愛はあなただけのもの ではありません あなただけが 楽しむためではありません 世界中のできるだけ多くに 楽しまれるべきです 今日はアディ シャクティの 子どもとして 外に出て あらゆる場所に赴き 声高らかにサハジャ ヨギとしての 責任を全うするべきです あなたがここにいる理由が あるに違いません 初めの頃 ヨギ達は “マザー 私の過去世はこれですか シヴァジですか” “知っても意味がありません” 過去がなんであれ 今は高みにいます 理解すべきです ナポレオンだったとか どこかの王様とか 女王とか言うかもしれませんが 何をしたというのでしょう 誰かのクンダリーニを あげましたか 何らかの力を 持っていましたか キリストやムハンマドの 弟子達ですらできましたか クンダリーニについての 知識を持っていましたか リアリゼーションを与えたいという 純粋な愛を持っていましたか スーフィー達もリアリゼーションを 与えませんでした 多くの聖者もです ムハンマドも ゴータマ・ブッダも 誰にもリアリゼーションを 与えませんでした 考えてみなさい キリストもクリシュナも ラーマも誰もです あなただけができるのです そしてクンダリーニについて 知っているのです あなたはアディ シャクティの子であり これは大きなことです あなたとともに 母がここにいるのです あなたがいてくれて 私にはとても幸運です 誇らしく思いますが サハジャ ヨガに もっと多くを もっと早く 連れてくる 必要があります ご存知のように何かを強要するのは 私の性格ではありません 怒りに任せて強制的に 何かをさせることはできませんが あなたが失敗すれば 私も完全に 失敗することになるのです そういうことで 今日は 皆がサハジャ ヨガについて語り 広げ 知ることを 誓って頂きたいと思います 何も知らない者が多くいます サハジャ ヨギであっても 何も知らず 夫婦問題に陥ったり する者がいるのは驚きです あらゆる無意味な問題事が 私に持ち込まれます あなたは問題を起こすためにいるのですか それとも誰かの問題解決のためでしょうか 全体としては 上手くやれていますが 更なる早さと熱意 喜びをもって働くべきです 誰かにリアリゼーションを与えることが どんなに喜びかをあなたは知りません 最も喜ばしい瞬間です 一度試せば もっとしたくなってくるでしょう サハジャ ヨガにきたら “彼が行ってしまう リアリゼーションを与えよう” それだけを願うべきです “ちょっと来て下さい あげたいものがあるんです”と座らせ 路上でも与えるのです こういうおかしな スタイルでやるのです “この人はまだ得ていない あげよう” 教会や大学 あらゆる集会に行って 何を得られるかを恐れず 敵意なく伝えるのです あなたの徳のために来た と言えます 自分ではなく あなたの 徳のために来たと言えば 間違いなくあなたの クンダリーニはご機嫌でしょう 彼女は自分を十分に 使おうとしない人に満足しません 世界救済のためになら 喜んで力を貸してくれるでしょう 神のご加護がありますように […]

Sahastrara Puja, At Sahastrara you stand on Truth and go beyond Dharma (Nirmal Temple)

Sahastrara Puja, “At Sahastrara you stand on Truth and go beyond Dharma”. Cabella Ligure (Italy), 4 May 1997.
今日はサハスララの崇拝に 集まりました ご存知の通りサハスララは サトルシステムで 重要な部分です 1970年に このチャクラが開かれ 私たちは何を 達成したのでしょう まずクンダリーニが上がり ヴォイドでダルマを確立します ナビ チャクラとその周辺で ダルマが確立され 内なる純粋な宗教が 確立します さらにクンダリーニが上昇すると ダルマの確立にも関わらず おかしな世間と距離を とり始めます キャッチや不道徳を 恐れるのでしょう その段階ではサハジャ ヨガの プログラムにでたり 私生活も全てサハジャにしたくなります これは大切なことで このチャクラが完全に滋養される 必要があるからです ナビの周りをスワディスタンが 回転していますが 脳にエネルギーを与える 大切な役割があり ダルマの確立時に クンダリーニを通して ダルマやサハスララに エネルギーを送り スワディスタンの力も流れ サハスララに上ります それまでは 完全なサハジャ ヨギではなく サハジャヨガかぶれだったりします サハジャ ヨギ以外の人に会うのを 怖がる狂信的な人もいました サハジャ ヨギ以外の人を 恐れ嫌がったりします もちろんサハジャ ヨガを 批判したり邪魔したりする 悪人とあう必要はありませんが 真理を求める人に会うのは 私達の義務です ダルマを超えた意識が脳で 確立されるとダルマティトゥとなり ダルマが自分の一部になり サハジャ ダルマが 内面化します それはすばらしく もう儀礼も必要なくなり 他者を気にする必要も キャッチしないので ヴァイブレーションを 気にすることもなくなります 誰にも乱されなくなります これはシャッダの完成形です サハスララが完全に啓発され あなたはダルマとなります キリストの例では 娼婦が投石されていると 売春とは正反対のキリストが その際石を握り言います 全く罪を犯していないものは 私に石をなげなさい 皆驚きました 娼婦の方を持つのかと 彼は宗教的な人なのにと 彼は真理に立脚していました あなたもそうなります サハスララにおいては 真理に立ちます ダルマと真理では 少し違い ダルマの人は過剰に 理不尽なまでに道徳的になり ライトやレフトにいってしまい 優越感を持ったり 他者をなぜ 助けなければならないのか 地獄に行かせればいい と思ったりします サハジャ ヨガで新しい技法を始めたり 人に指示を与える人を見ました 彼らはダルマに とらわれないので これがよいとかあれが 良いと言い出します ですが真理に到達すると 儀式は必要なくなります ダルマと真理に立脚しているので 気にしません 真理はダルマより高次です 真理に立つ者は 宗教やサハジャについて おかしな考えを 気にしたりしません これはサハジャだとか サハジャでないとかを超えます 自身に普遍的な真理を見ます そして見るだけでなく知ります 自分がそこにいることを 知っています そこにダルマの花が咲けば とても美しく 皆が体験すべきです ダルマだけでは まだ取れない要素が多く 人がエゴや金欲に 走るのを見てきました 私に無断ですべきでないことを 始めたりします それはサハジャ ヨガには 良くありません 謙虚さが欠けていて 真理か真理でないかが 分からないのです ダルマの基礎である 真理に立ち返るべきで 生命の樹は 脳に根差していて 身体が枝葉です 何事も根本が大切で そこでサハスララが 完全に確立されます サハスララが 全ての形の根本です ダルマを達成したとして なにがその根本でしょう なぜダルマを守る 必要があるのでしょう 守ってなくても 豊かな人が沢山います 外面的には 彼らは楽しくやっていて 私たちには それがないように見えます ダルマの意識においては 真理とは関係ないことが 大切に見えたりするのです このように ダルマの意識を達成しても サハジャ ヨギが 躓く点は多くあります 酒やドラッグなど依存から抜けだしても 語学が堪能になっても 行いが良くなって謙虚になっても まだ自分が道徳的だと 意識しています それは消えるべきです サハスララでは この意識がなくなります 真理が愛で 愛が真理だからです ここでクンダリニが ハートと出会います ハートのピタはここです クンダリニがハートを貫くと 脳に真理が流れます 愛が流れます 真理そもものと愛としての真理は 違うものです キリストは娼婦の側に立った時 真理に立っていましたが 彼の胸には 純粋な愛が流れていました 誰かに大して 純粋な愛があれば 全てを別の角度から捉え その人を違う角度で見て とても優しくなります でないと真理は とても苦く痛くもあります でも愛が伴えば 棘のない花になります 真理に立ちつつ 愛を与えるような そんな人格になるべきです 愛を表現するにあたり こんな例があります 私が誰かに会ったら その人が他人の 悪口ばかりだったとします すると私はその人と悪口を言っている 人の両方に強い愛を感じます なので完全な嘘を言います ですがある意味それも真理です あなたが悪口を言っている人は いつもあなたを褒めているのに そんなことばかり言うのですか もちろん 真実ではありませんが 友達関係を修復する という意味で 真理です これが愛の働きです 人を近づけ一つにします 差別的なやり方は消え 人心を一つにするための 方法は何かを分かろうとします あなた方が集合意識にあるように それも表面的には アシュラムを建てたり いろいろと 結果には結びつくものの 愛に満たされてはじめて 集合意識も完全なものとなります 人は平和を語りますが 集合意識なしには無理です そこにも 愛の原理が必要です 例えばドイツのヨギが イスラエルに行くとします このプージャにもイスラエルのヨギが 選ばれ とても嬉しく思います さらにイスラエル人が ムスリムにされたことを 忘れてエジプトにいくとします こうして愛の表現に惹かれていくのは 驚くべきことです サハジャヨギの仲間に対しての愛 それが育ちだすと そうして世界を変えられることに 驚くでしょう 人間の問題はほとんど 憎しみによるものです 誰かを憎むのは罪です 罪や悪を憎むべきで 憎しみのための憎しみでは いけません それがあらゆる問題を 起こしてきました 権力のために差別することで 多くの国が破壊されました 私の国もイギリスにより 分断されました これは止まりません それにより インドを去った国々は 皆大変苦しんでいます 国を分割しようとした人は 自分が首相になれるとか 考えましたが 殆ど暗殺され 憎しみがいかに現れるかが よく分かります 些細な事がそこら中に広がるのです どの国でも分裂が見られます 分ける必要は全くありません それは憎しみと問題を生みます サハジャヨガでも分裂を 考えてはいけません 先日ガンジスの畔に美しい 土地を得ましたが 皆別々の家や部屋を 欲しがるのです なぜでしょう 共同生活の楽しさをしっているのに 別々の家を欲しがるのはなぜですか どんな秘密があるのですか 結局ヴァイブレーションで 全てバレるのに ならどうして別の家や プライバシーが必要でしょう サハジャ ヨガでは プライバシーはありません 皆がお互いを知っています 何をしていて何が問題か どのチャクラがキャッチしているか そこでプライバシーは必要ありません 理解できません まだ計算が働いていて 彼らは相続を 気にしているのです 相続して良いといいました でも息子がサハジャ ヨギに ならなかったら どうしようもありません ルールや決まりでは人は 結びついて幸せになれず 純粋な集合意識と愛が必要です 私たちには組織も 聖職者もいません リーダーもしょっちゅう変わります 足場の悪い砂上にいる上に マザーは あらゆるトリックを使います あなたに岩の上に 立って欲しいからです 美しい聖なる愛と 歓びを放つ岩です 例えば特にインド人は 個別の浴室を欲しがります それが急にイギリス人のようになり 逆もあるのです なぜかインド人は 個別の浴室を欲しがります よくあるインド人の病気です 時にそれが人を離してしまいます コレクティブの生活では 必要ありません 浴室があるとかないとか 私は意識すらしません そこに行って帰ってくるだけです 同様にあなたも 海のような社会の概念を持ちなさい 波と同時に上下する 愛のユニゾンです 私はヒマラヤの麓に そんな社会を期待します 皆ヒマラヤがサハスララであると やがて解るでしょう サハスララ プージャの前に できたのはヒマラヤの恩恵です ヒマラヤはクンダリニが昇り ヴァイブレーションが空に出て行く サハスララのようで ヴァイブレーションが空に見えます 同時に憤怒するシヴァの領域で 危険もあります とても気をつける必要があり 憎しみや分裂など サハジャでないもの 分裂を選ぶなら 憤怒する神がそこに座しています メッカにもシヴァはおり 無作法をすれば怒ります シヴァはどこにでもいるので 常に気をつけるべきです マハラシュトラでは 違うタイプの サハジャ ヨガが始まり シュリ ガネーシャのお祝いの日に 酒を飲んでいると シヴァの怒りが大きな地震を 起こしました 多くが亡くなりましたが サハジャ ヨギは全員助かりました 大きな火事が先日もありましたが あなた方は守られて無傷でした 常に守られています だから シヴァの怒りが及びませんでした あなた方が 守護の下にいたからです この守護は母の愛に他なりません とても強くあなたを 守り 助けています 同じ愛を他者に向けなさい サハジャ ヨギにも他人や別の 母なる大地などにです あなたの愛が自分だけでなく 他者も助けます 自分のことばかりだと あなたの意識はどんどん小さくなり あれこれ欲しがりだします これが好き と言わないように 私は自分が何が好きか わかりません あれこれ好き嫌いをいう あなたは何様でしょう 純粋なスピリットなら愛だけです 愛において他者を思います 他者を心地よくさせ 世話をしようとして 自分だけにはなりません そんな境地に至りなさい あなたが道徳的でダルマがあり 全てにおいてサハジャヨギであっても サハスララのその状態になるまでは まだ大丈夫とは言えません やり遂げなさい それにはもちろん瞑想が大事で 考えがあれこれ邪魔をします 自分の心を見続けなさい どこにあなたを連れて行くか 何を吹きこもうとするか 自分の家は 子どもは 国はどうなるかと そうやって私の私の…と言ううちに 道に迷ってしまいます カビーラが美しく言ったように 山羊はメエメエと鳴きますが それは私は 私は…と聞こえます しかし山羊が死んで その腸が綿花を洗うのに 使われる時 トゥー匕 トゥー匕と音がします “貴方こそがその方です”という言葉です それが響き渡っていると だから同じようにあなた方も 他者の視点から 考えるべきです そもそもトゥー匕とは グルや神で 貴方こそがその方で 自分は何者でもない 自ら愛の大海と一体になり 貴方こそがその方ですと唱える それがサハジャの文化です 表では愛を伝え 裏では悪い企みをする そういったことは サハジャ ヨギはしませんし その境地に達しましたが まだ意識はしています 常にこれをしないように 酒を飲まないとかグルメでないとか 自分の境地を誇っています とても自慢気です 自分たちはこうですと 純粋なスピリットだと言いますが 実際そうなりなさい 自分が実際にそうなると人は 自慢しないものです アディシャクティであることを 誇りに感じますか と訊かれましたが 自分がそうであるなら誇る 必要があるでしょうか 自分がそうでなければ 誇りに思うかもしれませんが 太陽は太陽であり 自らを誇りません あなたも自分が人間であると 誇ったりしません 人間であると誇りますか 同じことで 自分であることは意識しません 自分はアディシャクティだとか 意識しません それが事実ですから 神がそう選んだならそれまでです それでよいでしょう でもある人びとは サハジャ ヨガがまるで 貴族のような特権階級と感じます 自分がそうなったなら ただそうであると理解しなさい 石が金に変わったなら それをわざわざ誇らないはずです なぜ誇るのですか 同じように 自分はサハジャ ヨギだと 意識しなくなります 気をつけて下さい サハジャ ヨギだから 何だというのでしょう 偉いわけではありません 自分に鼻があると誇る人はいません もうあるのだから 誇るものでもありません とても大切なことで 自意識はなくなると理解しなさい 全体の一部 大海の一滴だと 自他の境界を意識しないことです このような意識が育つべきで 喜びに満たされると 愛に満たされると それを見たり表現するだけです 話しても話さずとも 微笑むとも微笑まずとも 胸にあるのは歓びです ここのハートチャクラのピタが 真理の光で満たされます 真理とはいわゆる馬鹿げた 真実ではありません 誰かが“真理とは何か” ときくので “真理を語り 人を喜ばせることだ” と教えました サッチャンヴァデーツ プリヤンヴァデーツ それをどうやるかといえば 真理とは味の良いもので 人が好み 間違った人でも引き寄せると クリシュナは サッチャンヴァデーツ ヒタンヴァデーツ プリヤンヴァデーツ といって 真実を語るが 歓迎される真理を語れ それはスピリットを滋養し 善をもたらす真理である そしてプリヤであれ つまり人がはじめは ひどいことを言われたと思っても 後には言ってくれて良かったと それによって欠点が補われた と思うような真理 でもくれぐれも人を 不快にしないように あなたは人を正す役割はありません まずサハジャ ヨギは このチャクラがキャッチしている あのチャクラがキャッチしていると いつもエゴでたわむれていますが 人を責める権利はあなたにはありません 自分が責められてきたのに どうして同じことを人にするのですか ただサハジャ ヨガにおいて あなたが充分に成熟したなら 愛をもってそれに 挑戦するでしょう でもそれもやり続けないことです だれかの短所を指摘し続けることは 嫌なことを避ける言い訳です 例えば誰かが病気で医者がお手上げだと 医者はどうするでしょう 例えば寒い中外出したからだと そうやって説明します でも治療の方はどうなるのでしょう いや あなたがこうしたのが 良くなかったと そうやって過去の 間違いばかりを責めます 私達も同じです 何でこんなことをしたのか あんなグルにいったのか だから今こうなっていると そう責めずに治療しなさい もちろん責めたり批判せず 訊ねることはできます でも間違いを 責める必要はありません これは優越感によるもので 自分が何でも知っていると 思っているのです あなたは現に知識に富む グノスティクスですが その自意識があるうちは違います それが消えて初めて サハジャ ヨギになります このサハスララの発達を あなた方皆に期待します 世界について考え サハジャ ヨギや シーカーのことだけでなく 他にも目を向けなさい 多くの問題と仕事があります 例えばインドには貧困があります 私はそのために何かしようと思います あなたの国にもあります 問題を見つけ 運動を起こしなさい できるだけ助けようとしなさい それは賞や名誉のためでも 改宗目的の宣教でもなく 自分の歓びのためにするのです それは歓びなのです そうやってキャッチを恐れることなく 社会に出ていきなさい ある夫婦は 社会に働きかければというと エゴが出てくるのが怖いですと そういう人は他でもなく 自分を恐れているのです これら無意味な考えは捨てて 恐れのない意識に入りなさい あなたにはその力があります そのための特別な 力が与えられています でもその力を使わなければ ランプは光らなければどうでしょう 置物ですか 使うのです 意識すること無く 自分が偉大であるとか 優れているとか 選ばれていると意識せずに するとたちまち 慈愛と理解が広まります ありとあらゆる愚か者がいますが あなたは解っています 笑ってからかいつつ 問題を解決するのです そこでも人を傷つけないように 何をするにしても 上手く行ったか結果を見なさい ある人はより優れた類の 知性を持っています その知性でどう話すか どう人に関わるのかを知ります この聖なる愛であなたは自分を 完全に律せられるようになります どう振る舞い 話し 人を扱うか 人間の最大の 欠点はなんでしょう クリシュナによれば それは怒りで 私にとっては嫉妬です どんなものであれ嫉妬は アクのように出るものです サハジャ ヨガでも 人は嫉妬し たとえ表に出さずとも 人間関係において 問題を生みます 自分の心をみることです 嫉妬がないかどうか 時々私は心配になります 誰かにプレゼントすると 嫉妬を生んでしまうので しないほうが良かったと感じます マザーが忘れたか 足りなかったかもしれない だから良いのです でもサハジャ ヨガでは皆とても過敏です 例えば 私が 誰か特定の人に会うと もう終わりです 別の人がその人に嫉妬します 時々悩まされます 皆が何故か“マザー私に会って下さい” とせがむのです 私はどこにでもいるというのに 私と話す必要がありますか 私はあなただけのために いるのではありません 皆のためにいるのです 自分に特権があると思う人もいて 私と個人的に会わないと 気を悪くします これらはあなたが大海となれば 全てなくなります どこにいこうと気にせず ただ大海と一体です 上下に波で揺れるだけです これは愛の生きた大海です 見せびらかさず 支配せずに 育みなさい 全てが自分の中にあります ヒンディではアプネメといい 自己の内にあり 最高の楽しみです 自分が何か欲するなら 努力してそれを得ますが それが自分の中にあるなら 自分で完全に満たされます それより大事なことがありますか ありません 完全に満たされ ただ分かち合いたいと思う それがサハスララの理想で やがて世界がこの境地に達するでしょう そのサハスララが開くべきです それが私達の仕事で 浮世離れして瞑想にふけるだけでは 途絶えてしまいます そうではなく それはあなたが 自身が育つための瞑想です 素晴らしい場所かもしれませんが どうか自分の価値を分かって下さい この時代生まれ リアリゼーションを得たのは 世界の解放 人類の変容のためです 世界を神に導くためです あなた方は そのためにいるのです 神の恩恵がありますように! […]

Diwali Puja Lisbon (Portugal)

Diwali Puja. Lisbon (Portugal), 10 November 1996
今日はマハラクシュミを 崇拝します この国ではマリア崇拝で マハラクシュミが敬われています ご存知のようにマリアの スワヤンブもあります 彼女が現れたと聞いても 信じられませんでした ですがヴァイブレーションを見たら 本当だと分かりました 彼女は本当に ここに現れたのです 私の前にも現れました あなた方も写真を見たでしょう あなた方はこの原理によって 今の高みに達しました マハラクシュミの力により 上昇する中道が作られました そこをクンダリニが 昇ります コラプールの マハラクシュミの寺院では ウデ ウデ アンベ と いつも歌います そこでどうして そのアンベの歌を マハラクシュミの寺院で 歌うのか訊きましたが 何故かわかりませんが 間違っていますかというので 間違いではなく クンダリニは マハラクシュミの経路を昇るからです それにクンダリニはアンバですからと それで分かりました それで説明がつくので 驚いていました 古来からこの歌は そこで歌われてきて 誰も何故かは 分からなかったのです マハラクシュミに 関しては このチャンネルで マハラクシュミの力が 上昇のため適切な バランスの道を作りました 左右の均衡が 取れると彼女は 上昇のための道を広げます これは愛と慈しみの道で それを通して 道を作ります その道が狭いと クンダリニが 上昇できないからです 結果人は探究を始め それに伴って マハラクシュミの原理が 覚醒します 時にはとても強く覚醒し 狂った探究になったりもします 残念なことに多くの者が 探究中に 迷ってしまいましたが 上昇への正しい道へ 来たものも多くいます マハラクシュミの もう一つの原理は クンダリニの力を困難な チャクラへと導くことです 困難なチャクラへの道を作り それらを治します 彼女が柔軟にクンダリニを導く力 であるというべきでしょう クンダリニの助けが どのチャクラに必要かも知っています クンダリニが昇ると 拍動するのを見たでしょう どこに行って何を覚醒する 必要があるか それを示します 彼女の溢れる愛と慈悲によって 全てが機能します あなたが究極の真理に 到達するためです ご存知のように サハジャ ヨガでも多くの問題があります 過去の石を背負いながら 登ろうとして 登れなくなる者が いるからです 試しては失敗し また試して 失敗しと繰り返します でも今日はどんな意識が 必要か教えましょう シュリクリシュナがギータの第2章で スティタプラギャを語りますが 理解するのは とても難しいです 彼はマザーほど クリアカットではありません なので人は理解できず 質問します どうやってスティタ プラギャになるのですか どうやってそこに行けますか でもガネシュワラは その著書ガネシュワリで それはサハジャスティティ つまり サハジャの状態だといっています スティタプラギャとはいわず サハジャスティティ と呼びました そして美しく精妙に それを述べました もちろんそれすら理解するものは 少ないと思います そこに至ったものは 鏡のようで 多くの顔が通りかかり そこに自らを映し出します 多くの者が 自らを飾りますが 鏡自体は 変わりません スティタプラギャ またはサハジャな者とは 直面するものに とらわれません 誰といても どこにいてもです 自分の中に留まり 自身を抱えます 太陽のようです 様々な光線を放ちながらも 自らを失わず その光線は自分に戻ってきます 私たちの感覚も同様で 様々に動き 戯れつつも サハジャ状態の者にとっては 何の影響もなく 巻き込まれず ただ戯れるだけです そして全てがもう一度彼に帰って いきます 皆さんそうなるべきです それで初めて サハジャヨギですが 未だに道に迷って サハジャ ヨガで儲けようとする者がいます リーダーシップや 嫉妬や羨望に迷う者もいます まだ内面の仕事がたくさん 残っているということです いわゆる労働は 全てを委ねれば 必要ありません だから常に瞑想しなさい と言うのです 瞑想すれば あなたを引きずり下ろすものは 全部なくなります あなたが自己になるに従い 徐々に消えていきます 自身に満足し 飽きることがありません 私は飽きることがなく それがどんなことかも分かりません 何かがあってもなくても 飽きることはありません 何を飽きるというのでしょう 巻き込まれていなければ飽きません あとは強欲などの影響を 超越するようになります 欲のある人はまだ 金儲けに拘っています あちこちで稼ごうとしたり 色情で一杯の人も まだ何かと企んでいます でもサハジャスティティでは ただ観じます ただの観察者で 引きずり降ろされません あなたには 全く難しくはありません もう自分のこころを 超えたからです これら全ては こころを通して来ます こころは幻想だと何ども言いましたが それを受け入れる必要があります こころがあなたにアイデアをくれると 思う人もいるでしょう わかりました、でも…という この「でも」はこころから来ています 脳が現実で こころではありません こころで「でも」と言って その後とても落ち込んだりします とても良い人でありながら ヨギが少ないと落ち込んだりします 関係ありません ただ観察しなさい この観ずる状態こそが サハジャスティティです そこであなたは 精妙になり自己になります 何にも乱されず変えられないほど 精妙になります 自然をありのまま見なさい 92のエレメンツがあります そのエレメンツの どれを取っても 例えば銀は金にならないし 逆もまたそうです 原子の配列には ある原子価が関係し 分子構造にも厳然と法則があり それを変えることはできません 変えようとしたのが 原子爆弾で それは 極めて破壊的です 人間だけが それを変えられます さて人間であるとは 恩恵であり 自らのエレメントを 自己へと変えられるのです これは 人間のみ特別です でも偽のグルや誰かが 何かを企むなら あなたは爆発してしまいます 偽のグルについていた人が 今でもフラついたりするのを見ました 他の人に比べ まだ多くの問題を抱えています 殆どの人は 良くなりましたが これを理解しなさい あなたが分析したり 原子や分子を分割したり 変えようとすると 上手くいかずに爆発します 反対に統合すれば 良いのです すると自然に全てが 形成されます 例えばこのプラスティックは 統合により生成されました 物質は統合により 融合します 人間も 統合されるべきです 変容できる分 モノより統合されやすいはずです 例えば金などを アクセサリーにする際 どんな形にもなりますが 金は金であり続けます 宝飾品にしても変わらず 金のエレメントはそのままです でも人間は統合されると 変容します これが物質や自然と 人間の違いです 人間は他とは 違っていて 一度変容すると 自然の摂理で 花のようになりますが それでも自然で見られるのとは 違っています 自然には こころがないからです 自然の摂理に従って 働いているだけです ですがあなたは自分の コントロール下にあります こうして自分を コントロールできます この統合が 内面で育つと 自分が完全に コントロール下に入ります それが 起こっているのです 自分を全てと 切り離して見るようになり マザー 私のエゴがとても悪いから 取ってくださいと頼まれたりします 自分のエゴが問題だと分かるのです 私のナビが悪いという人もいます まだお金にとらわれています 自分で分かるのです まずは自分を 分かるようになります 自己認識ですが それをも超える必要があります その認識によって どうするのでしょう まず知識のなさに気づきます 人々は無知で 暗闇があります そこへ光がもたらされると 何が悪いか自分で見えるのです 自分と見えている悪いものを 分けて見ることができます それが徐々に なくなるのを見ます 嫉妬や羨望 強欲や色情など 無意味なものが沢山あります ディワリのお祝いで話すのも 憚られるようなことです ディワリでは電気が一つずつ 沢山灯されていき 自身の悪いところが 見えるようになって 見えれば手放したくなって そのために努力します 清められたいからです 今はその知識さえ 消えます 何かを知る必要はありません あなたはもうそこにいるのです チャクラの知識はもう要りません もうその段階です そこでは何も問題ではありません 石のように堅固になり 同時にハートと頭脳 そして意識をしっかり用います 何も気にならず 慌てることなく 愛と慈悲を ただ楽しみます するとその余波があなたに 帰ってきます それすらがしばらくすると 無くなって あなたはサハジャそのものに なっています それをかつて人は 成就しました しかし不足があったので再び迷いま した 他者に何もできなかったのです 一人がその境地に達して終わりか せいぜい二人でした 今サハジャヨガでは皆 まず知識の水準にあります まずは自身についての 完全な理解が必要です 自己認識が 完成すべきです そして第三段階で 知識が完成すると 自分で気づいたことを 取り除けるはずです 無意味であなたの成長を 邪魔するもので 悪いとわかっているものです 私のサリーに埃がつけば それを取るように するとサハジャの状態で 自分を切り離していきます でもサハジャヨガでは もう一つの次元があります それは集合意識で それこそが現代のサハジャヨガです 昔はそれがなかったので どれも廃れてしまいました 現代では集合意識により 他者を感じるようになります 他者を感じ 他者への慈愛で 働くようになります そんな中でもどれだけ儲けになるか 考えることがあります リーダーとして何を達成できるかとか あれこれがまだあります でも集合意識が高まると お伝えしたように あなたという雫が大海になります 完全な大海となり 大海はそれ自体の節度があります 惑わされず 節度を持った生活をします 一線を越えることなく その限界を受け入れます 同様にあなたも 自らが満たされて 自己中心的でなく 内面で満たされます 多くのサハジャヨギが 憤っているのを知っています 私が酷い人たちを 罰しないからです サハジャヨガを 邪魔する者たちを 私は気にしません パラマチャイタンニャが 働き者なので 任せましょう 誰かを気にする必要はなく 結局うまくいくのです なので邪魔をせずに ただ見るのが私の仕事です それで十分です 誰かを殺す必要もなく 今生において 彼らは自滅します 誰かを暴露することはないと 伝えました でも私がどの国を訪れても 人々は暴かれるものです 時に私は逃げます どんなことが起こるか 神のみが知ると 思います ちょっとある国に 注意を置くだけで 何かが働き 私自身気づかないこともあります 神よ いつの間に そうしてしまったのかしら だから神の聖なる愛の力に なるべきです 神の神聖な愛の力を持ちつつ それを操作せず 聖なる力に任せます それは私の力の一部で 働いています 驚くでしょう 私は全く一人で この力も私から出ています でもこの力は サハジャヨガや人類に何が良いか わかっています それ自身で働くので私は 邪魔しません 反射的に起こります 信じてください 反射です あなたは言うかも知れません マザー あなたがもうなさったことに 私は邪魔に入りません 私が何か言う必要もなく それ自身でとても良く働いています 例えば イギリスで昔 マザー 長い夏が欲しいです というので 何でそんなことを頼むの マザー違うんです とても長い夏が 必要です あまりに何回も頼んだので その年は長く酷い夏になりました インドのようにエアコンや ファンもなく せいぜい うちわぐらいで 何もないのです 私たちは当時小さなギャラリーで 寝起きしていて どうしたものかと それでロンドン市内で ファンを買おうとして 3ヶ月後に入荷しますと いわれました 3ヶ月 寒くなった頃に手に入るというので 要りません と断りました なので娘に2つ空輸して もらいました そうやって何とかしたのです インド人は暑がりです 自国で沢山太陽を 浴びたからです あなた方の誰よりも 暑がりです あなたは日なたに座りますが それを理解できません わざわざ日に当たりにいくのは イギリス人と狂犬くらいだといいます そんなわけで私たちは 日に当たりません もう当たりすぎて いるからです それでこの夏は酷暑になりました でも一つ良いこともあって 黄色から赤に徐々に 紅葉が見られました 最高の秋になり あるサハジャヨギは夢で マザーに裏庭にドライブするよう 頼まれたと言いました 皆にそれを 伝えました 私はそんな夢については知りません でしたが 彼に電話して言いました ちょっと来れますか 英国中の 秋の紅葉を見に行きたいから それで一緒に ずっとドライブしました それで知ったのです マザー 彼はあなたの裏庭と言っていました 彼は何マイルも 運転していたんですよ カナダのように 美しかった 英国中が秋の 美しさで満たされて だから何かあっても ちゃんと補われるものです それはとても美しく 皆が秋の外出をしていました 美しい自然の色を見て 緑 黄色 黄土色など あらゆる色を楽しみました 驚くことにあの国では 普通は紅葉しないのです ですが夏の太陽のおかげで こちらが補われました パラマチャイタンニャの働きです 全てはパラマチャイタンニャで 私は ニシクリヤで何もしません 座って見ているだけです 何も問題はなく 全てがゆっくりと確実に働いています 例えば誰かが マザー あなたに祈ったから こうなりました と そうかも知れません 私の周りの存在が聞いたのでしょう 私ではありません 彼らのしたことですから 私に責任は全くありません 例えばあるメキシコの女性の 息子は酷い病気でした 亡くなりそうな時に 彼女は 私に3通手紙を書きました 息子がまだ若いのに 亡くなりそうです 彼はハーバードで勉強していますと 私は何もしませんでした 返事もしませんでした すると4通目が来て 彼が完全に 治りましたと 私がしたわけでなく 私は1箇所に座っていただけです こうやって働くのです 私が何でもすると 思うでしょうが 私でなく パラマチャイタンニャです 私はあなたと完全に 全くもって別々でもあるからです 人は祈るように言いますが あなたの祈りは神格達への祈りです 彼らグナ達は私の周りにいて 私に祈るのではありません なぜならそれに何の関係も ないからです わかりますか 神格達は私にあれこれ指図しません なので私も指示しません そうなっています そうなって初めて あなたはサハジャの状態であると いうことができます 何も望まず 何も求めない 私はあらゆることをします 太陽のように行います ある意味私もしています 花や自然を世話したり あなたからプレゼントを受け取ったり でも同時に何も受け取っていません 何も所有せず 何の関心もありません あなたが自分の喜びのため プレゼントしたいのです そうしたいならしなさい 花もいいでしょう 私個人にとっては 何の違いもありません でもマザーとして 私は皆を愛しています でも愛で何かするわけではありません あなたはこう言うかも知れません マザーあなたは沢山愛してくれます いつですか? いつ愛したでしょう キスすらしてないのに でもあなたはいつも 私が沢山愛してくれたと言います 何ででしょう 誰がしているのでしょう それは私を超えた 私でない何かなのです ここに至って初めて サハジャストゥティなのです そこではあなたは 何もしていないと思います 全てが上手く働いています でもあなたの今の段階では こう言うでしょう 私たちが 何もしていないなら どうしてサハジャヨガを広める 必要があるのでしょう まだその水準に 達していないからです 成長しなさい 自分や世界を認識する意識になって 初めてそれが可能になります でも知識を超えると 何度もあなたが見たように 私が言うだけでそれが起こります 私は誰かの クンダリーニもチャクラも感じません 全くです でも自然にわかります コンピューターのようですが 私はそれでもありません 説明するのは 難しいです あなたは実際にそうなる 必要があります そうなれば とても精妙になり そこには恩恵のみがありますが それを楽しむこともありません どう楽しむかも 知りません ジェイマタジと あなたが言っても 自分のことと感じません 私もジェイマタジと 言ったりします とてもシンプルなことで それを理解して そうなるべきです 何もすることなく全てが働きます すでにそうなら良いでしょう まだだとしたら そうなりなさい まずは行動が必要です 知識が第一で すると知識も 必要なくなります でも経験してその段階に 至る必要があります ディワリでは 光をあちこちに灯します サハジャヨガを 広げるように でも光は自分を知っていますか キャンドルは自己意識を持ってますか 皆に光を与えるけれど それを知りません 月も月光を放つけれど 意識していません 楽しむこともありません 同じようにディワリでは あなたたちは確かに 人々に光を与えますが そしてそれは良いことで 行うべきですが 一方でランプのように なりなさい 自分を意識しません なので2つの メッセージがあります 一つは他者や世界に 光をもたらすこと それが一つ 次に何も意識しない 光そのものになることです 昨日皆さんは あなたが光ですと歌 いましたが それはあなたのことです 良いですか 私は光で自分を 意識しないと言いました 自分が光であると 意識すらしない状態です ただ意識せず 頭に入ってこないのです あなたは何度も歌い 名前を唱えますが 私について歌っているという 実感がわきません こういうとあなたが どう反応するかわかりませんが 人間というのは おかしな存在ですから あなたにこんなことを言うと エゴが出てきて 私もそうです なんていうかもしれません そんな人が 沢山いました 私は マタジより上だとか そうなのかもしれません そういう人が多くいました 自分はカルキだとか そういって回る人がいるようです 良いでしょう そういうことにしておきなさい でも私がアディシャクティである と言う際には 自意識がないのです そう宣言すべきです と 人は私に言いますが 何を宣言するというのでしょう 何と言おうと私は私なのです 宣言するとあなたがより 成長するようです なのでそれはそれで 良いでしょう でも自ら宣言する 必要はありません ここに到達しなさい そのためには 働くことです サハジャヨガのために働き 多くの光を与えなさい 自分が光だと わかってくるでしょう 他の全てを 啓発することで 精妙な形でわかってきます 私は光である 多くのサハジャヨギが 沢山の仕事をしています サハジャヨガを広め 作用させています 多くの国で起こっていて 素晴らしいことです こんなに広まり 外的な宗教の暗闇を取り除きました 人種差別だとか 〜主義とか 暗闇が深かったのです だからこれが必要でした 浄化して そこを泳ぐために 始めれば徐々に 解ってきます 海は浄化されていることを 見てみなさい どう働いているかを 今生でわかってほしいと願っています 他者への完全なリアリゼーションの 仕事を達成します 他者にリアリゼーションを 与えない者は ただプージャに参加している ような者は凡人です 大した高みには 行けません プージャに来るとは何でしょう 高みに登るためです でもまた落ちます 安定して登るには この状態に入る必要があります 私の生前に間違いなく ただ立っているだけで 平和や光をもたらす そんな人々が現れます 彼らは光なので外から光は必要なく 自らが光である そんな段階に至るべく あなたの内面の 仕事をしなさい この状態は多くの詩人や聖人達に 詠われました でも彼らは その水準にいたので 人々は何を言っているか理解できず 彼らは狂人だと考えました キリストさえ理解されず 磔にされました あなた達は一つ一つ ステップを踏んでいます 今はこれがわかり キリストや他の聖人も理解できます でもまだ仕事があります サハジャヨガの仕事をしないと 上昇できません サハジャヨガのために働きなさい もっと広げ 作用させるのです 互いに兄弟愛を 楽しみなさい 美しい人格が そこにあります その意識に至って 初めて上昇できます サハジャストゥティの段階です そこではあなたは 完全です でもこれら全てを 取り除きなさい 今日はマハラクシュミの日で まずは お金の病気を理解し 本当に病気だと理解しなさい 金持ちはお金を持っていません 金持ちに訊くと お金がないといいます なぜでしょう 貧しい人も お金がないといい 金持ちも お金がないという それは欲は決して満たされず 助けにならいということです こうした些細なことが まずは落ちていくべきです すると働くことで 浄化されます 働きながら自分が浄化されているか 解ってきます 自分がどう働いているかも 見えてきます これが起これば 間違いなくその状態に 至るでしょう 私の生前にあなたの生前にです ディワリの日に伝えたかったのです どんどん精妙になっていく 必要があり 外の影響を 受けないように 流行だとか 外面的なことです ファッションに流される人は馬鹿で 盲目のネズミのようです 誰でも彼らを 操作できます ハイ次はこれ 次はこれをしろと 誰かに考えをもらって 追随しようとするなら その考えにより完全に 自分を見失うでしょう 私はクリスチャンとかヒンドゥーとか ムスリムと言い出します でもスピリットになれば とても多くを知るでしょう 大切な知識です これが 聖人と凡人の違いです あなたは徐々に そこを渡りました 今やあなたは 人間の問題を理解し どう対処するかも わかっています サハジャヨガによって 集合意識が 現代に もたらされました これは聖人も 持っていました でもそれを口にしませんし そんなそぶりも見せません よろしいこの人は このチャクラ 地獄に行かせなさい 構いませんと 世話をしません 気にしないのです 彼らは その状態で座り 記録しているだけです よろしいでしょう 鏡に映るのが醜い人でも 美しい人でも構いません そのように彼らは人々を 通り過ぎさせましたが 私たちはまだ成長する 必要があります 私たちは作用させることで成長し それを方々でしている者こそが その水準に達した者たちです そして彼らにはパラマチャイタンニャ が隷属するでしょう 何かを望めば自然と 手に入る人を見ました 何かが必要なら 作用します ならば何を望むかが ポイントです リアリゼーションの後 全てを得て後 何を望むかといえば信念です 自己に対する信念です あなたはスピリットであり 光であり 啓発を与えるべきだと この信念が自分が 思った以上に深まっていくと 私は スピリットであると あなたがスピリットであるなら 全ての自然があなたの内にある 私はあるサハジャヨギを知っています 彼は漁師でした サハジャヨガの仕事をしていて 私に強い信念を持っていました サハジャヨガの仕事のために 別の村に行く際に 小屋から出ると 空が暗く曇ってきました 彼は空に向かって いいかい これからマザーの仕事に行くので 雨を降らさないようにと そのままで私が仕事を終えるまで いるんだぞ わかったかいと 彼はボートで 向かっていたからです 他のヨギたちは 何を言っているんだと 皆がボートに乗り込み 現地について リアリゼーションを与え 講義をし 全て終えて 岸に着いて 帰宅して 彼は 玄関のドアを閉め はいもういいよ どうぞと言いました 本当に雨は降りませんでした なのでパラマチャイタンニャがあなた のために働くという完全な信念です 常にあなたに仕えるために 待機しています 何でもいえば 起こります そのためにはまず 自己に信念を持つことです あなたはサハジャヨギである との信念です 今でも人々は 色情などの 酷いものを 持っているようです まずはダルマにおいて 確立し ダルマとはご存知のように 正道の意で その正道に沿っていれば必ずパラマ チャイタンニャはあなたに従います でも例えば何かを欲しても その通りにならない時 がっかりすることすら あまり良くありません 落胆は 未熟さのしるしです 何をがっかりすると いうのでしょう それはあなたの為 なのかもしれない 例えば私がある道を選んで 道に迷うとして どこに行くか分からなくなります 迷いましたがそれが何でしょう どこにいようと私はいるのです 自分を見失うことはありません するとそこに来るべきだったと わかるのです ちょうど会いたかった 誰かに会うためだったりします 考えらえるでしょうか そんなことが起こるのです 仮に誰にも会わなくても 何だというのでしょう そちらに行くべきだったのは バイブレーションのためかもしれない そいうことです どこに行こうと 完全な信念を 持つことです 実際完全な権威が 与えられます サンンスクリットで サッタと言いますが 真理を意味し それが権威を与えます もう一つは グルに対する信念です グルに信念を持つなら パラマ チャイタンニャが親切にしてくれます とても助けになりますが 疑うなら あなたもパラマチャイタンニャに 疑われます パラマチャイタンニャはグルを介して あなたを知るからです 私でも別の真のグルでも 同じですが 私に対しては 私が許すので 皆甘えてしまいます 他には 叩くグルもいます ちゃんとしないなら 恐ろしいことをするでしょう すでに多くのグルの 話をしました 良いグルたちが どう弟子を扱うか でも私は許します 何も言いません 放っておきます 放っておかれて 初めて 立ち上がりこの段階へと 成長するからです でも 反対になることもあり 許されても当たり前と 受け止め 何をしてもいいのだと 考えてしまいます だから自分への信念とは 自分を見る忍耐です 何があっても がっかりしないことです 今では沢山がリアリゼーションを得て 聖人が沢山います 昨日はフランス人が 上手に歌えて驚きました 初めてハーモニアムで 教えた時は 30分かけても ダメでした そのフランス人が こんなにクリエイティブに なりました あなたの能力が向上して 現れてきます でもエゴに 行かないように 徐々に開花して 香りを周りにもたらすでしょう そして彼らもサハジャヨガにきます その時が本当の神の恩恵で あなたが完全の 水準に達します プルナットヴァ 完全性です 自分で判断しなさい 完全にサハジャと一つですか サハジャに献身していますか それともサハジャヨガより 大切なものがありますかありますか ならどうぞご自由に サハジャヨガには競争はないと はっきりと理解すべきです ありえません 競争はありません 羨望も陰口もありません 皆違っていて聖人です スタイルも違うし 全く超越しています 嘘をついたり 人を騙したりもできません 未だにしているなら まだ成長する必要があると どうか理解してください 影響力の大きいものは サハジャヨガで上位にいると 考えますが そうではありません 何を考えるかでは 道を誤ってしまいます 何をしたかを 理解すべきなのです 何人にリアリゼーションを 与えたか 何人にそれを 話したか みなシャイでサハジャヨガについて 話したがりません ある女性が私と同乗しましたが とても熱い人でした この人は誰ですかと聞いたら私の グルはああでこうでと話し始めました この人から熱が出ていて 話し続けるばかりです でもサハジャヨギは サハジャヨガについて話したがりません 恥ずかしがって 百人友達と会っても サハジャヨガについて話しません 恥ずかしがります パーティーに出席して 飲み会の席では 自分は飲みませんとは言いますが サハジャヨギだとは言いません 飲めないクチなんですと それだけです これが第3のポイントで アナウンスです 自信を持って アナウンスしなさい 聖人は皆します それで殺されたりもしました ソクラテスは毒を盛られました 構いません 現代では誰もあなたを殺しません 生存の権利があります 誰も殺せません 信じてください アナウンスしなさい サハジャヨガに対する 完全な信念と理解で持ってです どれほど大切なことか 目的は世界を 変えることです あなたが変われば 世界中が変わります とても複雑な機構で サハジャヨガは 作用します 先日マイクが 壊れました 私の講義中でした でもその後も皆が 聞こえていました 何が起きたのかわかりません エーテルを通したのでしょうか 壊れたことすら 気づきませんでした 皆がちゃんと 聞いていたからです 後で後半はマイクなし だったと告げられました でも皆が完全に 聞こえていたのです いいですか 何か不思議で 素晴らしいことがあるのです 何かが起こりつつあり 我々が向かっているのは 神の王国なのです あらゆる恩恵が 降り注ぐしでしょう 恩恵と知識 全てが一つの恵みになり その恩恵の状態に 気づかずしているのです 最高の恩恵は 何も気づかないことです ただそうなります 皆がそうなれると 良いです ポルトガルでの このディワリで ここはマリアが 出現した特別な地で スワヤンブもあり マハラクシュミの顔もあって 皆に作用するでしょう 少々精妙な状態について 話していますが あなたの成長のため 必要なことです あなたにとっては 容易いことです 何もせずとも 徐々に その村に入ってき 全てがそこにはあるでしょう カイロに行ったのですが 皆が私に 挨拶するのです どうしたのかと 思ったら レニングラードの プログラムに来たと どうしてきたのですか というと もちろんお顔です と 小さな新聞記事を見たのです 見るからに聖者です そうなれば アナウンスもできます サハジャヨガは 唯一の道だと 何の害もありません そしてあなたの愛する人たち 彼らは成仏 できるのでしょうか 自分ができたのなら 皆も助けるべきです 彼らは探していないかも しれませんが 構いません もう探究者は 残っていないと思います そうであるなら 探究してない人をも 助けるべきでしょう 神の恩恵がありますように […]

Sahastrara Puja, Achieve Complete Freedom (Italy)

Sahastrara Puja, Cabella Ligure (Italy), 7 May 1995.
今日 私たちにとって 全てのサハジャ ヨギにとって すばらしい日です 一日 二日 遅れていますが この日に サハスララが開かれました 奇跡といってよいでしょう それが為される時点に きているとは 思わなかったからです 時期を遅らせたかったのですが 私に開かなければならないと思わせる いくつかのことが起きました これ以上遅らせれば 間違ったグルのナンセンスな教えを 世界中に広めるのを 促してしまう 状況に陥ると感じたからです これは 自発的に サハジャに起こったと言えるでしょう 25年が過ぎました その間 あなた方が集まりました ここに来ていませんが 多くのことを達成した者も たくさんいます しかし 本当の意味で 私たちが何を達成したか おそらく意識していません あなたは ヴァイブレーションを得ました この包括的な力を 感じることができます いわゆる歓びの大海に あなたは泳いでいます あなた方全員が コレクティブを楽しんでいます そしてあなたは多くの 自分の限界を超越しています これら全ては あなたに起こっています あなたには それを得る権利があるからです 私の功績ではありません あなたに 常に指摘してきましたが あなたは 神の王国に入っています そして自分自身を楽しんでいます 私たちは自分たちの周りを みなければなりません 全ての自然はそれ自体で楽しんでいます 何も気にしていません 何に対しても気にしません リアリゼーションも受けていませんし パラマチャイタンニャを感じていません しかし なぜ楽しむことを 知っているのでしょう 花は短い間だけ咲いて 枯れます しかし生きている限り 大変幸せです 過去や未来について 考えていません 現在を楽しんでいます 現在において楽しみます つまり それらは香りを持ち 他へ与えます 美しく 他を癒します 自然界全てがそのようです 鳥を見ても 自然と呼べるすべてのものを見ても 皆瞑想状態です 丘も大きな山もそうです 起こったこと全てを 目撃しているように見えます 私たちが何を得たか まず省みるべきです これは大事なことです あなたが丘を登っているなら 振り返って下を見れば 衝撃を受けます 落ちるかもしれません ですから普通 人は 決して振り返らないように言います しかし 宝を手にした者は 何度も何度も そこに行って数え どれほど得ているか確かめ それを見ては楽しみます ですから自分が何を得たか 相対的に知ることで そして どのように得たか知ることで より強い心と人生の豊さを 確かに与えられるでしょう あなたに最初に起こったことは とても大事なことで この包括的な力を 感じたということです つまり あなたが誠実で 正直で 分別のあるすばらしい 真実の探求者であったということです 私のプログラムに来ただけで ヴァイブレーションを感じました その後 除々に 定着していきました 皆さんのほとんどが 突然感じました 驚嘆し 衝撃を受け 驚いたでしょう あなた方はそれが真実かどうか 見ようと思いました そして自信を持ち 真実を見つけ 人生に新しい次元を 確かに得ました 神聖な愛の 包括的な愛を感じています この包括的な力についての説明は 長い話を要するほどです あなたがそれから得たものは その真髄だと知らなければなりません それは完全な自由です あなたは 完全な自由を得ました まず始めに この自由が あなたにないといけません もっとも大切なことです あなたのエゴからの解放です エゴの束縛から逃れました エゴは大変大きく あなたにとって大きな問題でした このエゴはあなたが意識していない 多くのことをします エゴイストの者は 誰を傷つけても気にとめません 彼が傷つきます しかし彼が傷つけられると 気に入りません すぐさま泣き出します エゴを持つ者は 特に傷つきやすいです それなのに 自分が何人の者を傷つけたか 怖がらせたか 解っていません あなたは エゴから逃れられました 他の人間を傷つけることは 罪深いことです 如何なる理由があろうと 他の者を傷つけてもいいと感じるのは 罪深いことです 第一に復讐があります 復讐心があります 自分を傷つけ 自分に対して間違ったことをした者に対して 復讐をしなければならない と思います 復讐心はあなたが 反応した時に起こります 大変攻撃的に 反応する者もいます 復讐の名の下で 自分の親族や仲間 自国の者の間で 互いに殺し合う者もいます 世界中で 復讐の愚かな観念があります しかし復讐を 精妙な側面から見るとどうでしょう どんな復讐を できるというのでしょう あなたを困らせた者が いたとします その彼に対し 怒りを感じたとします 彼を殺せば 実際あなたは その者を救ったことになります 彼が罪悪感に 苦しむこともありません 彼は何もすることがなくなり ただ終わります 復讐とは何でしょう 復讐とは 人を殺す観念から 逃れることです 例えば 剣は 剣とは決して戦いません 盾と戦います 同じように 私たちが他の者にする復讐は 復讐ではありません なぜなら復讐の名の下で行う行為は あなたに返ってくるからです そして さらにあなたを傷つけます 人が復讐の名の下において行動し始めれば 様々なことが起こります 例えば今日 世界中で復讐が多く起こっています 神の名においてでさえ 復讐しています ある者はある宗教に 従っているため あるいは あなたがしていない何か他のことを 彼らがしているため復讐します このような復讐で 上手くいかせようとすることは あなたがなぜ復讐しているのかも理解されず、 人はただ殺され 滅ぼされているに過ぎません 爆弾をしかけたり 様々なことをされ 何千もの罪のない者が 殺されています どんな復讐が できるというのでしょう いかなる復讐も 彼らには値しません 膨れ上がった復讐心は 大勢の罪のない者を殺します そして確かに 自分に返ってきます それから逃れることはできません これは復讐の 長い過程のことです バーミューダの三角地帯について お話ししたことがあります 多くの黒人や奴隷が連れ去られ その場所で溺れました 話によると 彼らの霊が そこを通る者を呪うと言われています ほとんど白人を呪い 溺れさせます ですからそれは 大変長い過程です この吉兆な日に 長く話す必要はありません 私たちが復讐をする時 どんな行為にも 反応があると言わなければなりません ですから あなた方は この復讐の観念から逃れられました ただし観念だけです もう一つあります あなたが復讐せず神にゆだねれば 作用があります 作用があるだけでなく 神聖な力がそれ自体でコントロールし あなたに復讐しようとする者に その共同体 組織体のようなものに 教訓を与えます あなたは 心配する必要はありません […]

Mahashivaratri Puja, How To Get Detached and Ascend (Australia)

Shivaratri puja. Castle Mountain, Sydney (Australia), 26 February 1995.
今日 私たちは サダ シヴァに プージャをするために 集まりました 私たちの中に 反映されるのは シヴァです 純粋なスピリットです 私たちの中にある 純粋なスピリットは 全能なる神 サダ シヴァの反映です 水面に映る 太陽のようで はっきりと反映します あるいは 石に映せば 全く反映しません 鏡なら 太陽が鏡に 映し出されるだけでなく その光を反射します 同じように 人間において 全能なる神の反映は あなたの人格がどうであるか によって映し出されます 清らかで明瞭で 純真な人格なら その反映は 鏡のようでしょう ですから聖人は 自分自身を 間違ったものに 同一化していないので 全能なる神を 適切に反映します そのような同一化がなく その者が完全に 純粋なスピリットであれば 他へも神の反映が 投影されます 幸運にも あなた方は セルフ リアリゼーションを 得ました つまり 全能なる神の反映が あなたのアテンションに すでに作用しています アテンションが スピリットの力によって 啓蒙されています スピリットの力とは 反映することです 反映する者は 鏡や水面と 決して同一視しません 太陽が輝いている限り 反映し 太陽がなくなれば 反映しません あなた自身 サハジャ ヨガで 浄化されました クンダリーニも あなたを浄化し 今は純粋な人格です それにより この反映は より明瞭になり 人はそれを見ます あなたの顔に 体に 仕事や 振る舞いに あらゆるところに見ます 自分が 全能なる神を 反映することができると 信じるのは難しいです 自分に対して コンプレックスのような ものがあるようです 全能なる 神を反映する者に どうして突然なれるのか 理解できません しかし 人は 神を反映する者に なれます そのために 自分自身を信じ 自分の上昇を信じ そうなっていけると 信じないといけません サハジャ ヨガにおける 自信はとても大切です 充分な 自信がなければ 上昇はできません 私の講義でも 充分な 自信を持つべきだと 話しています しかし自信は エゴや攻撃性では 全くありません 自信があるなら あなたに全く 攻撃性はありません 大変興味深い 中国の話があります ある王様が 闘鶏で 自分の雄鶏を 勝たせようとしました “聖人のもとに 連れていけば” “必ず勝てるように 強くしてくれる”と聞いて 二羽を 連れていきました 聖人に渡して “闘鶏に勝てるよう 強くしてほしい” と言いました 一ヶ月後 王は引き取り 二羽を闘鶏場に連れて行きました 大勢の鶏がいる 闘技場です 闘鶏が 始まると その二羽は 攻撃されました しかしその二羽は 忍耐強くその場に立ち 静かに落ち着いていました いかなる攻撃も 遊びのように 見るだけでした 他の雄鶏は疲れて 闘技場から逃げ出しました そのようにして 二羽は優勝しました 執着がない者は 決して攻撃されないと 理解しなければいけません 人は様々なことと 同一視するため攻撃されます まず家族です そして自分の国に 自分の宗教に 人種主義にです 同一視は 本当に自分を弱くします 自分を常に攻撃し サハジャ ヨギの精神に 混乱を引き起こすからです サハジャ ヨガに そして自分自身に 自信を 持たなければいけません そうすることで 正しい道にいれますし 救われます 誰にも攻撃されません 神聖によって 完全に保護されるからです 人はいかなる宗教 いかなるグル いかなることに従っても 攻撃されるのではないかと 常に恐れます そして発言することを 恐れます 何を言うべきかの 分別もありません あなたが 純粋なスピリットであるという 適切な理解で それを信じるなら 自分がしていることに 大変自信を持てることに 驚くでしょう もう一つの 大きな利点は 私たちがコレクティブである ということです コレクティブにいると 自分がどう振る舞っているか 分かります どのような反応があるか コレクティブで 大変精妙な者は 多く話す必要はありません お話しした雄鶏のように 立つことができます その者の深さは 感じられます 度量を感じられます 攻撃性はなく 深みがあります その者は自身の中に 保護を感じます この保護を 感じないといけません 精神的にではなく 自身の中にです 一度その重みや 感じを持てば 誰も攻撃できません 攻撃する者こそ 不安を感じています あるいは 育ちが悪いのか まだサハジャ ヨギでは ないのでしょう ですからその者に 情け深い見方をする 必要があります シヴァのようにです サダ シヴァの人格は 誰をも許す人格として 知られています 彼は頭で立つ 片足で立つ 断食するなどの 苦行者に対して 愛想をつかし “何が望みですか 叶えましょう” と言います 彼は御存じのように 多くのラクシャサにさえ 恩恵を与えました 彼らの苦行に 愛想をつかし 多くのラクシャサが 彼に祝福されました サダ シヴァが人々に 祝福を与えるという 話が多くあります ラヴァナにさえです 大変 興味深い 話があります ラヴァナは たくさん苦行をしました 頭が十もあり 断食も大変だったでしょう 口が一つでも 空腹になります 十あれば大変です そのような苦行に 何をしたか分かりませんが シヴァは うんざりしました 彼の慈悲は あまりに大きく 望みを叶えようと 考えました ラヴァナが シヴァのもとへ行くと “何が望みか なぜ苦行するのか” と聞かれ “祝福をいただきたい” と答えました “どんな祝福か” “何でも叶えると 約束してくださいました” “できる範囲で叶えましょう” これは大変 興味深い話です ラヴァナは “貴方の妻が欲しい” 彼の妻が アディ シャクティと知っていて アディ シャクティを 配偶者に持てば 効果が得られると 思ったからです 彼は“配偶者に 貴方の妻を頂きたい” とせがみました 悪魔に妻を渡す決断は 難しいことでしたが 慈悲でもって 承諾しました この出来事は 彼の慈悲がいかに作用するかを 物語るものです 結局 彼の妻パルバティは この恐ろしい者に 連れられることになりました しかし パルバティの兄弟は シュリ ヴィシュヌ つまり シュリ クリシュナです 彼は考えます “悪魔に 姉を渡せない” “手を打たなければ” シュリ クリシュナこそ 最もいたずら好きです 彼はラヴァナに お手洗いに 行かせたくさせます 恥ずかしさから 彼女を地面において お手洗いに行きました 実はシヴァに “彼女の母は 母なる大地なので” “決して大地に 降ろしてはならない” “常に背負わないといけない” と注意されていました ですから ある地点に達したとき シュリ クリシュナは お手洗いに行かせたくさせました そして彼女を降ろすや否や 大地が吸いこみました 彼はどうしてよいか 分かりませんでした 二回目も試しました シヴァのもとに行き “あなたが約束したことです” と言いました シヴァは “注意したはずです” “彼女の兄弟はいたずら好き なので気をつけなさい” “次は耳を 貸さないようにしなさい” ”何があろうと 地面に降ろさないことです” 今回も 背中におぶって やってみました すると 突然 少年が現れました それは嘲け笑う シュリ クリシュナ自身でした “なぜ私を笑うのか” 少年は“なぜ老婆を背負っているのか 宝飾品もつけていない” ラヴァナは“彼女は女神だ” “それは違う 宝飾品がないのに 女神なものか” インドでは 言い伝えがあります 宝飾品をつけない女性は ランカ パルヴァティのようだ と言います 彼女をランカに 連れて行こうとしたのが由縁です 彼が見上げると 歯のない老婆が 彼を嘲け笑っていました あまりに驚き 彼女を投げ捨てました マハマヤです そして三回目では シヴァに “妻に誰の言うことも 聞かないよう言ってください” “今度こそ妻を 渡してください”と言いました シヴァは“ランカで生まれ変わる ので結婚できる” “その時の名はマンドダリだ” そのように すばらしい話は続きます マンドダリは ラーマが彼を殺そうとした頃 ヴィシュヌの崇拝者でした 全てマンドダリによって 計画されていました “シュリ ラーマが ラヴァナを殺せば” “女性に対する 悪いもくろみから解放される” と彼女が 知っていたからです 彼はシータを 追いまわします “彼が生まれ変わり” “美しい女性を追いまわすことを 止めるように何か起こるべきだ”と 彼女は望んでいました シータを連れ去ったのも 反対でしたが 聞く耳を持ちませんでした ですから 戦争が起こり その戦いで シュリ ラーマに殺されました これらの出来事は シュリ シヴァに 無限の慈悲があったため 起こりました 彼の慈悲は 時折 理にかなって いないように見えますが 理にかなっています 彼が引き起こすことは 問題の解決を もたらすからです 例えば ある戦いでは その時 問題がありました シュリ シヴァによって 誰にも殺せない 恩恵を授かった ひどい悪魔がいたからです シヴァはまた ある聖人にヴァラダンという 恩恵を授けていました “今より眠りに就く 誰にも邪魔されたくない”と言うので その恩恵を授かりました 眠りを邪魔すれば 一瞥で 灰にすることができます 戦いが起こった時 シュリ クリシュナは 二人のことを思い出し 聖人が得た恩恵で この悪魔を殺すのが最良だと思いました そこで彼は遊びました 戦場から 逃げ始めます そのため 戦場から逃げ出す戦士 ランチョルダスと呼ばれています 戦場から逃げ出す者です 彼は逃げるとき ショールを羽織っていました こっそり洞窟に入ると そこには聖人が眠っていました そこで彼のショールを 聖人にかけました ショールを その者にかけたので 追ってきた悪魔が その場に行き そのショールを見ると “ああ 疲れてここに 横になっているのだな”と言いました そこに横になっているのが 誰かも知らずショールを取りました 眠っている聖人が起きて 悪魔に目をやり 三番目の目で 燃やしてしまいました そこで解決です すべての出来事はこのように 三つの力が働きます 最終的に 真実が見えます まず シヴァの慈悲深さ 善があり シュリ クリシュナ あるいはシュリ ヴィシュヌの戯れで 中和します 三つ目は ブランマです 彼は創造します これらの 三つの力が働きます 人間の意識に 何かが起こるべきであると 私たちに感じさせる 雰囲気をつくるためです 真実を追求する 望みを 私たちの中に 進化させます シヴァは 非常に慈悲深く 悪魔にさえ 優しい一方 もう一方では 非常に 残酷でもあります 彼は全宇宙を 破壊することもできます もし人々が大変堕落し スピリチュアルに 成長しようとしなければ 純真が 完全に失われれば この世界で 問題を引き起こしている 誤った同一化に 執着し続けるなら 彼は 全宇宙を破壊します 彼はアディ シャクティの 仕事の目撃者です 彼女に 人間の創造や リアリゼーションの仕事を させます しかし 彼女の子ども達が 彼女によって 救われた人々が 悪行や侮辱をするなら 彼女の仕事を 台無しにするなら 彼は怒り 全宇宙を破壊できます しかし今となっては 彼にその機会はないでしょう 世界中に サハジャ ヨギがいるからです サハジャ ヨギの中でも ある者は 大変早く成長します 着実に強く シヴァ タトゥワの原理を 達成しています まず最初の達成は 内側から 執着しないことです メンタルに 執着しないのではありません サニアーサのようになるとか ヒマラヤの修業とか 家族を断念することではありません 執着をしないとは 自身の中のことです 執着しなくなると まず歓びに満ちます 幸せになります “なぜ不幸なのですか” と人に尋ねれば 妻のことや 恐らく家のこと 子どものこと 国 社会のこと 何であれ言うでしょう 自分の周りの 出来事に 完全に腹を立て 不幸だと思うでしょう リアライズソールなら 不幸だと思うことは 何の助けにもなりません これらの社会や家族 国全体の欠点は あなたが人を変えることで 正すことができると 知る必要があります 悪く思うことによって ではありません それをするのに 大事なことは 完全に 執着しないことです サハジャ ヨガを 私が始めた頃 自分の国の人について私に 的確に話してくれて驚きました 宗教についても 聞いて驚きました 私は知りませんでした 執着心がないため はっきりどこが悪いのか見れます 社会や人々 家族 国 全世界の 悪いところが どこか分かります それらと同一視しないことで のみ可能になります そうでないと欠点や 人の何が悪いのか見れません どのチャクラが キャッチしているか見れません 最初に 起こるべきことは 執着しないことです ではいかにして 達成できるでしょう 多くの者が“どうしたら 良いでしょう”と言います 私には執着がないので 分かりません しかしあなた方は 自身を理解するための 内省が必要です 自分が何に執着しているか 見るようにしなさい なぜみじめなのか 誰を心配し なぜ心配するのか 以前は決して 大切に思わなかったものが あるヨギには 大切になりました 例えば 西洋では 我が子をあまり気にかけない と聞きました しかし リアリゼーションを 得るやいなや 我が子に執着します まるでのりのようです 子どもにとって 何がよいかも分かりません 子どもに関するすべてが 主要な義務だと思います 先日 親が バースデー プージャの後に 来たいと聞いて驚きました ショックでした バースデー プージャが 次いでなのです “なぜ終わってから 来たいのでしょう” とヨギに尋ねると “子どもがいると幸せ だからです” “親のためにもなります” でも全てのアテンションが 子どもにいきます 子どもを連れてきて 世話をしなければいけません ですから 子どもへの執着が 確実に そのようにさせます よくないことです あなたにとってよくありません サハジャを始めた後で 新しい執着が始まります 良くあります 家族に対する執着が 出てきます 西洋ではたいてい 家族に執着しません お酒を飲んだり 様々なことをします リアリゼーションを受けると 急に家族に注意が向きます 家族に執着し 家族や その全てに執着します 理解できません あなたが純粋なスピリットなら 執着はありません あなたは ただの反映です 全能なる神の反映です これらの同一視は なくなります どのようになくなるかと 尋ねるでしょう 私にはなくす必要がありませんが 提案できます まず瞑想です 自分自身を知るべきです どこがおかしく どちら側がキャッチしているか 右側か左側か 瞑想を通して分かります お金や仕事に 執着していますか それとも家族ですか サハジャに反するような 自分の国や 文化に執着していませんか それなら瞑想を通して これらの執着を なくすようにしなさい 左右の問題の治し方を あなたは知っています この執着は 指先に現れます どの中心部がキャッチしているか 自分自身で見なければいけません サハジャの簡単な治し方で 浄化できます 何かに執着すると 自分では気づかないことが問題です “ある者を愛しているので” “大変すばらしいことをしている” と考えます “これはシヴァの特質で 慈悲の気持ちである” と人に執着し始めます 全く慈悲ではありません そのように執着するのは いかなる慈悲でもありません シヴァの慈悲を 持つことはできません “心の中で作用しているのは シヴァの慈悲だ”と考えますが違います その慈悲は 大変純粋なものです 何度もお話ししたように 木の樹液に例えられます 上昇し 木の様々な 部分に行き渡り 蒸発するか 母なる大地に行きます 執着しません 一つの花にあるいは葉や 果実に執着すれば 木全体が苦しみます そして花は枯れます ですから特定の者への ある特定の考えへの執着は 正しくありません サハジャ ヨガにおいて 人は大変順応でき 何をすべきか 理解するようになります それには 瞑想が大切です ハートに シヴァ タトゥワに シヴァの原理に 瞑想することで 確実に執着から 離れます すると歓びが 最高頂になるでしょう 人は 食べ物や服や 家に興味を持ちます あなたは興味を持てます 興味を持つべきです しかし その興味を執着しない 啓蒙があるべきです 例えば インド南部の者は 北部の料理を好みません 北部の者は 南部の料理を好みません 大きな問題です インド航空の者に“標準の 料理を出さないのですか” 彼は“何が標準料理ですか” 良い質問です インド人は嗜好や 食べ物にこだわります インドでは標準の料理が ないのも事実です 同じように西洋でも 必要でないことに 多くこだわってます 流行だからといって こだわります 人格が未熟だからです 成熟した人格なら 全てを 高い視点から見て 他者と 一緒になろうとしません あなたが知るものは より高く 偉大で 歓びを与えるものです 喜びを与えると考える 執着ですが 子どもが 妻が喜びを 与えると考えるのは 間違っています 歓びはあなたのスピリットの 源から来ます 夫がすばらしくても 子どもが良くても悪くてもなんであれ 彼らが歓びを 与えることはありません あなたは自分自身を 楽しむだけです それによって 人は 大変許せる者になります 誰もあなたを傷つけることができないなら 誰に腹を立てるというのですか これはサダ シヴァの 偉大な特質で 彼は寛大である ということです あるところまで耐えて アディ シャクティのした 仕事を破壊します さもなければ 彼は 大変寛大で 大変バランスを 保っています 一度 アディ シャクティが 大変堕落した世界に腹を立て 全てを 破壊し始めました そこで彼は彼女の足元に 幼い子どもをおきました 衝撃で巨大な舌を出し 破壊を止めました これがシヴァのやり方です 自分に シヴァの原理を育む者は 大変 寛容でないといけません 残忍で苦しめる者がいる のは知っています その者たちを耐えられないのなら 縁を切りなさい 私はあなたを支えます でも耐えられるのなら 耐える方が良いでしょう その経験を耐えなさい そこから離れるより 耐える方が難しくないからです 例えば ある女性が私に “夫と離婚します” “なぜですか” “いつも遅く帰ってきて ほとんど会えないからです” 私は“離婚したら 全く会えませんよ” 理屈に合いません せめて今は会えます 会える時もあります 解決策ではありません 離婚すれば 決して会えません では離婚をする 必要は何でしょう このようなことは あなたが 執着のない者になれば 何も執着しないのであれば 理解できます 誰にも執着しないなら 誰があなたを攻撃できるでしょう 誰もできません 抗議すべきだと感じるなら そうすべきです それも執着せずにです 抗議するのも 完全に執着しない ということが大事です 重要なことは 皆 上昇しないと いけないということです 一様の力で 上昇しないといけません 網に捕まった 鳥の話があります 鳥たちは “この網から抜け出そう”と言い 皆 抜け出そうとしましたが 個々では 上手くいきません そこで一斉に 飛び立つことにしました “1、2の3” 網と共に飛び立ちました そしてねずみに 網を切ってもらうよう 頼みました 鳥は自由になりました 鳥とねずみで うまくできました 私たちもできるはずです コレクティブにおいて いかに助け合い 歓びを感じられるかに 驚くでしょう あなたの母 父 姉妹に問題があるとします 構いません あなたにはコレクティブにおける 歓びの大海があります 問題を解決したければ コレクティブに解決できます コテクティビティに 頼らないといけません コレクティブと 一つになることです 一度 サハジャの海に 飛び込めば 歓びがあなた達を 一つにします お互い会うことは 喜ばしいことです 見知らぬ場所で 偶然サハジャ ヨギに会えて 嬉しく感じる経験を 多く耳にします サハジャ ヨギ間の つながりは 最も喜ばしいもので 一つになる源です 一度 お互いを楽しむと・・・ インドの偉大な詩人の話しを 一度しましたが 彼の名はナマデーヴァで 仕立屋でした もう一人は 陶芸家でした (英語を時折忘れます) この陶芸家は 詩人でもあり コラクンバと呼ばれています ナマデーヴァが 彼に会いに行くと (聖人は聖人に会いたい と望むものです) 彼を見てその場で すばらしい対句を 口にします 彼は“形のない チャイタンニャを見に来きたのに” “チャイタンニャが形になっている” と言いました “形のないものを ヴァイブレーションを見に来たのに” “私が見ているものは 形である” 聖人のみが 他の聖人にそう言います 精妙な評価は 二人の聖人の間で可能です 土を捏ねているとこや 仕事場での 汚いドーティは 目に映りません そのように見ません 身体や顔は 目に映りません 彼の中に人格化した 神聖を見ました 他のサハジャ ヨギを 感じる感受性を あなたの中に 育まないといけません するとあなたは 無意味な上辺のことを 気にかけません これはシヴァの 偉大な原理の一つです 彼は気にしません 彼の髪は もつれています 素早い雄牛にまたがり 結婚式に向かいます 想像できますか 彼の友達や 信奉者は 片目であったり 片手しかなかったり 腰が曲がっていたりします 彼にとって 外見は関係ありません スピリチュアリティが 大事なのです 片目でも 身体が曲がっていても 重要ではなく 皆は彼にとって 自分のもので 上辺のことに 気を取られません 人の神性だけです 彼の原理を理解する 多くの方法があります 彼が包括的だからです 誰かに慈悲を感じるなら 作用します 確実に作用します 最近の例があります 不治の病を 患っている者が メキシコにいました 国連に務める メキシコ人の女性が 私に手紙を書きました “息子を亡くすかもしれません 重い病気を患っています” 彼女は私にそう書きました 私は彼女に 大変慈悲を感じました その手紙に 涙が流れました その涙が その少年を治しました 完全に治し 彼女は感謝の手紙を 書いてきました 私は驚きました 私の慈悲はメンタルなもの ではないからです ただ内在し 流れ 作用します 同じように あなたもそうなれます あなたに全ての力を 持つことを望みます まず 慈悲の気持ちです 人に対して ひどい扱いをしてはいけません サハジャ ヨギであろうと なかろうとです 誰も他のヨギを 攻撃することはできません それが サハジャ ヨギでなくてもです ヨギは決して 攻撃すべきではありません ヨギらしくありません ヨギは違います 先日ある者に“あなたは 短気です”と言いました “誰かが私を 怒らせるとそうなります” 私は“皆怒りを 駆り立てれば怒ります” 怒りを駆り立てられても 怒らないのは狂った者だけです ですからあなたを 怒らせる者がいれば怒ります 皆そのように怒ります しかし“駆り立てられないのであれば 怒りません” と言うならそれは 大変違う状態です 今日の現代における 全ての環境で 大変な 苦闘があります それはシヴァの 文化ではありません シヴァの文化とは サハジャの文化と言えます あなたがサハジャ ヨギなら あなたの中に慈悲や 他者への 理解があるべきです サハジャ ヨギだけでなく ヨギでない者も 助けなければいけません するとあなたの慈悲が 効果的になります ご存じの通り今日の文明の 最も大きな問題は 西洋の文化が 堕落しているということです 新聞を読むと ショックを受けます 破滅する前にどれくらいの人が 気づくか分かりません 本当に自虐的です 一方で放縦な 自由放任な社会があり もう一方では対抗しようとする イスラム文化があります 対抗しようとするのも 最もです しかし そのやり方が 問題を引き起こしています あれこれしてはいけない と反対するならもっとやるでしょう 例を挙げると インドの北部に行くと 文化がよりイスラム的です 人は不道徳で 常に女性に目がいきます ヒンズー教であると言っても 悪い習慣があります イスラム的な 抑圧から来ます 女性が 完全に覆われていて 誰も見れなければ 人はもっと興味を持ちます ボンベイから来た 私と旅をしていた者が 通りの女性全員を 見ていて 私は“そのように見ていたら 首が折れますよ” しかし普通のことです それだけに留まらず 好奇心が行き過ぎれば 人は非常に 不道徳になります 西洋と同じようにです ですから あなたの欲求を 抑えるのもよくありません 外側を抑えようとする この文化は 内側で 人を不道徳にします 一度リオからロンドンに 旅をしていました 眠ってしまい 起きた時 短いスカートを履いて 蝶ネクタイをした女性が 着飾って 座っていました スチュワーデスに “どこかで止まりましたか” “直行便です 止まっていません” “この人たちは誰ですか” “同じ人達です” 全く違う姿でした 裾の長い服から おかしな格好に 変わったので驚きました 理解できませんでした このようなことが起こります 抑圧によって作られた 好奇心は 健康的ではありません サハジャでは 抑圧はありません あなたは純真になります 純真になるだけです シヴァの原理です サハジャの文化は 中庸にあり 行き過ぎた不道徳や 抑圧はありません 中庸です シヴァの最も偉大な原理は 純真であることです この純真が あなたの中で輝きます それを見てきました 過去に関わらず あなたは大変純粋です 西洋のように 振る舞おうとする愚かな考えは あなたにはありません サハジャ ヨギになった 多くのイスラム教の人々は サハジャになり すばらしい人生を歩んでいます 告白する手紙を送った イラン人がいました ショックを受けます 私には耐えられないので 読みませんが 今彼らは 最も道徳的です 極端に走るのは 間違っています 中庸にいることです サハジャにおいて 人生に大切なのは 徳であると理解できます それは あなたの純真からきます それはシヴァの息子である シュリ ガネーシャの本質です そして シュリ シヴァの 純真を通して放されます シヴァの次の講義で あなたに純真について話します そのために執着しないことについて 理解しないといけません 自分の中で育まれるものです 強制できません 瞑想を通して無執着を 内に育むことができます それは大変 歓びを与えるものです シヴァの多くの特質を 説明できます 彼については多くの講義で お話ししたと思います あなたのアシュラムで コレクティブな瞑想を持つべきだと 言わなければいけません コレクティブな瞑想を するのは良いことです 人にバイブレーションを 与えることはありません 他者のチャクラを 世話することもありません 自分を気にしなさい どこが問題か見なさい あなたの上昇における困難への 解決策が何であれやってみなさい 全世界の責任が サハジャ ヨギにかかっているからです あらゆる問題から 人類を救うのに サハジャ ヨギが地上に 生まれなければいけませんでした 正しい状態に自分を保つのは あなたの責任です サハジャ ヨガに関してです 左右の問題を なくしなさい そして 大げさな言葉や 攻撃性からではなく 愛と慈悲で サハジャを広めなさい 多くは達成しましたが 私が正す嫌な問題が いくつかあります 何であれ 作用してると言えるでしょう 皆 自分を見て どう変わって 深まるかを感じないといけません 神の祝福がありますように […]

5th Day of Navaratri, Innocence and Enlightened Faith Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Navaratri Puja,  Cabella Ligure, (Italy), 9 October 1994.
今日私たちは ナヴァラトゥリのプージャをします 昨日ナヴァラトゥリの 美しい描写をみました そしていかに母なる女神が あなたの中に 様々な力をつくったかをみました 彼女だけが その力を持っているのではなく あなた方全員が持っています そして ワークアウトさせることができます あなた方はこれらの力が 存在するか否か分かります 私たちにおいて リアリゼーションは大変重要です クンダリーニがあなたに このリアリゼーションを授けました もちろんクンダリーニは アディシャクティの一部であり 反映でもあります また― ジャガダンバも アディシャクティの一部です 彼女は 二つのハートの中央に位置します それは大変大切な箇所です 全てのこれらの力は そのチャクラにおかれています どれほどの力が そこにあるでしょう 彼女の力は センターハートを通して あなたの身体にある 全てのガナで表されます これらのガナは あなたに保護を 睡眠を エネルギーを 恩恵を与えます 常にガナ達は働いています そして非常に献身的で 母なるアンバ ジャガダンバとも呼べますが それと始終繋がっています 彼女は宇宙のお母さんです どんなに全宇宙の世話に 忙しくしているでしょう このセンターが弱まれば ガナと彼女の繋がりが 弱まったということです ガナ達も弱くなり そのため 作用すべき力が うまく働きません それは大変精妙なセンターです お母さんのセンターだからです お母さんの愛を 理解することができません 完全に不可能です 女の子が結婚して お母さんになると 母の育てた大変さを 理解します 同じように サハジャ ヨギが すばらしいサハジャ ヨギになると ガナ達がいかにネガティビティと 戦うための忍耐が 愛そして知性が必要だったか 気づきます 故にジャガダンバの全ての力が 様々なネガティビティを 打ち負かすのに作用します 何よりも彼女の性質は この世界における サハジャにおける あなたにおける 全てのネガティビティを 破壊することです 彼女の破壊は 様々な方法で行われます まず もしあなたが 女神に対して罪を犯せば 肉体的な問題が生じます 精神疾患や様々な病気です たとえば癌 エイズなどです 病気の中には ガナパティと関連するものがあります ガナパティは ガナ達の神です お母さんにはガナパティがいます 息子であるガナパティを通して 全てのガナを統轄します 強い繋がりがあります お母さんに対して罪を犯す時とは 不道徳になった時です 不道徳とは ダルマが許さないことに 耽るときです 汚れたものは悪です あなた方は内的に サハジャ ダルマを理解しています 何が間違っていて 正しいか知っています ですからそのようなことを あなたがしようとするなら 彼女はお母さんなので 罰するのに時間を与えます しかしお父さんに対して 罪を犯すなら 自慢したり 残酷になったり 乱暴であるなら すぐさま罰がきます しかし彼女は 慈悲の大海なので 罰はもっと遅らされます 十分な機会が与えられます その者自身が改善する 自分を導くための機会です しかし罰が始まると あなたは病気になります それも深刻な病気です それは恐れと 言われているものからきます 他人に脅かされたり 攻撃されたりする者は いわゆる蚊のようになる と言いますが 攻撃的な者に抑圧される 脅される者は 恐怖におののく者は 母の力に自信を失くします 結果としてそのような人は― おしゃべりが過ぎます その子を連れ出せますか 父親はどこですか 子どもを コントロールしなければいけません おしゃべりをしているのは ネガティブな子です 誰の子どもですか 自分の子の面倒を見てください 普通ではありません 普通まともな子は 私が話している間は静かにします 外に連れていきなさい このセンターハートは 気遣われるべきです 恐怖で左側に投げ出され 母から遠ざかると お母さんが私たちに 自信や勇気を与えるので もし恐れていたり 恐怖の下にいるなら 左側に投げ出されます 様々な深刻な 不治の病に犯されます もう一つは もし快楽に耽るなら 徳を重んじずに耽るなら 中庸から外れ 左側に投げ出されます 母の蓮の御み足に いるに値しないからです このセンターは恐れがあると 胸骨がリモコンのように動き 攻撃が来ているとガナ達に知らせます しかしあえて左側へいって 快楽にふけるなら ガナ達は気にもしなくなります “好きなようにしなさい” と言うでしょう これらの様々な 左への動きは あなたをお母さんから遠ざけます アメリカで起こった ある者の話をします 彼はインド人で 昔からのヨギです 彼は仕事場から出て 車に乗りました そこには刃物を持った男がいて 彼のセンターハートを刺しました 血が流れ始めました 彼は“マザー 何が起きたか 分かりませんが” “力が湧いてきて 戦うことができました“ “刃物を奪うと その者は逃げ出しました” “それでも血が出ていることは 気になりませんでした” “近くの同僚に声をかけ 彼の車に乗り込みました” 彼は警察には行かず 犯人探しに30分かけました しばらくしてから行くと シャツの血に警察官は驚いていました 警察官はショックを受けていました “犯人を30分間追っていました” “なぜ警察に 連絡しなかったのですか” “30分待つなら 自分で探した方が良いと思いました“ その勇気を見てください もちろん病院へ連れていかれ 傷口を縫いましたが大丈夫でした これは深刻な病気に 侵されない者の象徴です いかなる恐れもありません そして彼はインド人です 彼は“子どもを叩いたことも 喧嘩したことも” “レスラーでもありません でも起こりました” “どこからそのシャクティを得たかも どうやったかも分かりません“ このような話は多くあり サハジャ ヨギや聖人について話せます いかに攻撃された時 対抗するのが怖くなかったか あらゆるひどいことから勇気を持って 自分自身を守れたか これは信じ難いことですが 毎日起こっています いかに勇敢であったか 手紙で読みます あなたが女神を信じるなら 彼女は非常に力強いと知りなさい 彼女は大変知的です あなたを守るべきなら 分からないような方法で 完全にあなたを守るでしょう この信心は 育まれなければいけません 経験によっても 育まれなければいけません いかに守られ 助けられ 危機から救われたかの経験です それにも関わらず あなたが取り乱すなら あなたの人生の空に 雲がかかるなら あなたはまだ 弱いということです ですからまず 女神を本当に崇拝するなら いかなる心配も すべきではありません 恐れは持つべきではありません 恐れなしに進みなさい あなたがしていることが何であれ 恐れなくやりなさい しかし同時に 他の事も言わなければいけません ゾンビのように 振る舞ってはいけません つまり右側に傾く戯言を 言うことではありません もし何かをすべきなら 明確な考えで恐れなしにしなさい 彼女の力のすべてが 内に現れます 恐れのない者は 睡眠や幸福を 心配する必要は全くありません その者は恐れがありません 恐れがないということは 人と衝突したり 好き勝手言うことではありません 誰が攻撃しようと恐れを持たず 常に自分を守れます 先程の話も これは内にいる女神からくる 守りではありません 彼が彼自身を守りました 彼を通して その力が働き始めました あなたは精神に 身体に この力を投影させなければいけません さもなければプージャや 他のことには力が備わっていても あなたの精神は 自分の力を認めないでしょう この説明を裏付ける 話や奇跡は多くあります まず 何に対しても 恐れを抱くべきではありません 間違ったことをしていないなら 正しい道にいるなら あなたは常に守られます 覚えておいてください あなたは常に守られます 覚えておきなさい そして信じなさい “私は常に守られています” これは大変難しいことです 私たちの精神には 思考があるからです “神よ 何が起こるでしょう” ですからもっとも大切なことは 恐れを持たないことです 女神を現せるようにすることです こう考えてみてください 全てのガナがあなたに従っています もし軍隊の隊長が怖がっていたら 他の者はどうなるでしょう あなたは自分自身を頼るべきです この信心は 育まれなければいけません 病気の者は 私に会おうとします 自分を頼っていません 自分を治せます 会いに来る必要はありません 祈りだけで自分や他の者を治した 事例は多くあります この信心が成熟していなければ 私に治させようと 触れてもらおうと考えます 以前はそうしていましたが 止めました 自分自身に頼るべきだからです 自分だけでなく 他の者も助けられます 自分を治せる 面倒を見れる 守れるという 信心が内になければ 常にお母さんに してもらおうと思ってしまいます 小さな赤ん坊なら 養わなければいけません 食べ物を与え世話をします しかし成長すれば 養ってもらいたくありません サハジャ ヨギも同じです 私は何年も面倒を見ています 成長しなければいけません 威厳を持ち 自分自身でしっかりできるよう 成熟すべきです この成熟はあります お母さんがあなたに恩恵を与えたからです あなたに全ての力を与えました その中でも忍耐の力は 難しいものです お母さんのように 忍耐を持つべきです 難しいと思っても 試してみなさい 自分に忍耐強くないといけません ある者はスピリチュアルにおいて駄目だと 何も得ていないと思っているようです これは一種の逃避です 自分の人格からの逃避です 内省すれば真のスピリチュアルな 大物に育ったと分かるでしょう 誰も手出しはできません あなたは何でもできます 自分の面倒も見れます 他の者も支えられます 昨日の歌の力全てが どんなに凄くでも この力は全て あなたの中に現れています しかしあなたは それを偶然に感じ 自分のものではなく 他の力だと感じます 全ての弟子と 神聖な力をつなぐ仕事は 今まで誰も したことがありませんでした これは愛の神聖な力なので あなたは 他者への愛を知らなければいけません 大切なことです しかしここで愛というと 我が子や妻を思いがちです サハジャ ヨガでよくあります 我が子に執着します 以前は自己中心的で 妻子への執着はありませんでした しかし今はノリのようです 子どもたちも妻も 糊づけされているようです そして家族が大切です これは克服すべき もう一つの誘惑です 家族を断念する ということではありません もう一度言います 執着してはいけません 執着しないことはあなたの力です 執着のない目で全てを見なさい “数日前からサハジャをしています“ と考えてはいけません “誰かの方が優れている” と考えてはいけません ただ自分自身を内省し どれほどの力をすでに持っているか 自分でみなさい 分かれば分かるほど 謙虚になります 驚くべきです あなたは謙虚になり いかなる恐れもありません お金をたくさん持てば 恐れを抱くかもしれません 大変教養があれば 嫉妬する恐れがあるかもしれません 服飾品のような富を持つなら 強盗を恐れるかもしれません 政治家であれば 不在の時に席が取られると 恐れるかもしれません しかしサハジャ ヨガにおいては 逆です 誰があなたのセルフ リアリゼーションを 盗めますか 誰があなたの力を盗めるでしょう 誰があなたのヴァイブレーションを 盗めるでしょう 考えてみてください 誰があなたの愛を盗めるでしょう それは永遠である スピリットから来ています 常に流れています あなたがスピリットから 遠退いた時のみ 人が暗闇にいる時に感じることを あなたは感じます もうひとつのお母さんの力は 目撃する力です すべてを目撃できる状態を あなたに与えることです あなたは 絶大な忍耐力を備えます 何が起ころうと大丈夫です 為すがままにできます つまり怒りと呼べる ひどいものを取り除いて 大変穏やかな 目撃する状態を与えるので あなたはより若くなります 私がリアリゼーションを与えた あるヨギに今年会いましたが 分かりませんでした 突如 10才若返ったのです 驚くべきことで 正直言って 息子なのか本人なのか 同じ人だとは本当に分かりませんでした あなたに何が起こるかというと 穏やかな人格になります なぜでしょう お母さんがいつも そこにいるからです この信じる気持ちです 彼女はいつも共にいて 守っています 私たちが成長したので すべての力を与えました すべての資産を与えました 何を恐れることがあるでしょう この信心は盲目的なものではなく 啓蒙されたものです その違いは 盲目的な信心は信心があっても 力はありません 啓蒙された信心には信心と 全ての力があります これがあなたに起こると 急速に成長し始めます まずダルマにおいて 自分の徳に恐れを抱きません どこへ行っても人に サハジャ ヨガについて話します そしてそれは作用します 一度恐れがなくなれば 全体がクリアになります 洞察力を持つからです サンスクリット語で“ドゥシタス”です なぜC・S・ルイスは私たちの 状況が分かったのでしょう ウィリアム・ブレイクは 未来を予言できました ギャネシワラは全てのサハジャ ヨギの 説明をパセイドンで書きました 彼は“立ちあがって働きなさい あなたはすでに備わっています”と言いました 常に人に確信を 持たせようとしました なぜタゴールは私たちがガナパティプレに 行くのを知っていたのでしょう なぜこのようなことが起こるのでしょう 啓蒙された信心を持ったときのみ それは起こります お母さんは啓蒙された信心において 素晴らしい力をさらに与えます 分別です ある者が私のところに来て “マザー この紳士はすばらしいです” “誰の世話にもならず 彼は教養があり お金もあります“ “では写真を見せてください” 写真を見て私は “中に入れないようにしなさい”と言いました 彼は驚きました 私は写真から分かりました ヴァイブレーションで分かりました すぐさま “よくありません”と言いました ある男性が来て言いました “銀行に3500ポンド入金するよう” “ナイジェリア人が 手紙で書いてきました” そこに彼も多額のお金を入れるからと 後にその1/3が手に入ると言うのです 私に話してくれました “関わってはいけません“ と言いました “なぜですか” “それは詐欺です” 彼がアメリカに帰ると 詐欺だと分かりました “なぜ分かったのですか” “ヴァイブレーションで分かります 大変熱いです” “ですから詐欺です“ あなたはヴァイブレーションがあります 感じることができます この新しい意識を使いたくないなら 何の役に立つでしょう “忘れなさい”と言ったら 彼は動転していました 彼は“なぜそんなことを言うのだろう” 私は“お金が必要ならあります” “でもこれには 関わらないでおきなさい“ 詐欺だと言われ ショックを受けていました 帰国して詐欺だと分かりました 飛行場で彼は私に ひれ伏しました “マザー おっしゃるとおりでした” その者がペテン師だと教えてくれたのは ヴァイブレーションでした 大金を渡すと言ったのは嘘です その者のヴァイブレーションが 悪かったからです このようにあなたは 次第に経験できます その経験を ハートに入れるようにしなさい その経験に自信を持ちなさい あなたはどう変わったか サハジャ ヨガにおいて マザーの恩恵を受けた経験を どれほどもてたか 内に啓蒙された信心があれば 力強くなれます 信じる気持ちが薄いために 力がないのです もしあなたが進化して成熟し 真にリアライズ ソールになれば あなたのすべての力が 作用します インドにある漁師がいました 漁師ですが 学位を持っています ある日 彼はサハジャ ヨガの プログラムをするため ボートで他の島に 行くところでした 外へ出ると 巨大な暗い雲が漂っていました ヴィシュヌマーヤの戯れでした 彼は岸に立ち ヴィシュヌマーヤに言いました “雲に悪さをしないよう 言ってください“ “マザーの仕事をします” “その道中 困らせないよう言ってください” 彼と一緒にいた人達が 教えてくれました 彼らはプログラムをして 家に帰りました 家に着くやいなや 雨が降り始めました ですから啓蒙された信心で 5大要素をコントロールします あなたは何も言うことはありません その力はあまりに偉大で 作用します 今日もプージャの時間に 突如快晴になりました 私が頼んだわけではありません ただ快晴になりました 昨日より遥かに穏やかです 寒くなっていたかもしれません 信心をもたなければいけません まさに現実です 前回はひどい雨でした すべて跳ね上がり 柱を下ろさないといけませんでした しかし私の“ジェイ” と言い始めると止みました この経験で分かることは これらの柱は 下ろす必要はなく ただ私の“ジェイ”を 言うだけでよかったということです 代わりに下ろすのに 忙しくしていました 私はただ見ていました “やらせておきましょう” これらの試練は あなたを成熟させるために起こります これらの試練がなければ それに取って変わるものはありません 取って変わるものがなければ 信心が何か知ることはできません 岸に立っている者は “どう泳げばよいか分からない”と言うでしょう しかし水に飛び込ませれば 泳ごうとします すると泳げると分かります 自分が何になったか分からないので 泳げることに気づいていないので 他の者も救えると知らないので 未だ小さな 些細なことに 忙しくしています しかしあなたが どのような者になったか知れば あなたは完全に変わります 極一部分のように見える あなたの小ささが 空全体を覆うでしょう 内にあるこの力は あなたにエゴを与えません 一つにあなたを謙虚にします あなたを謙虚にし 大変愛深く 慈悲深くします これらの力で 他の者を傷つけません これがお母さんの愛 お母さんの愛の力の象徴です 母親が大変愛深く 親切であれば 心理的事実として その子どもは大変良い人です それは心理的事実です ですからあなたが 真の自分に気づけば・・・ ナヴァラトゥリ プージャはある意味 大変力強いプージャです それはあなたの力の経路を開き 顕わにするからです それ故 これは大変大事です 今朝から ヴァイブレーションは満ち溢れ ヴァイブレーションの滝のようでした 常に光 光 光が目に映り 何を話してよいか分かりませんでした そのため目を閉じていました あなた方ではなく 他のものが見えているたためです でも今はあなた方が光です 光は暗闇を恐れませんね 暗闇をなくせるからです それがあなたです あなたは自分が何者か知りません 自分自身についての小さな 大変小さな考えで生きています 頭に2つ角をつけた 大口を吐くグルのようになりなさい とは言っていません あなたを飾るのは謙虚さです 親切心 優しさ いかに人と接するかです 何か間違ったところがあれば その者に言いますが その者が自分の為だと 分かるようにします すると全人格 全気質 全てが変わります 表情全てが変わります 動き全てが変わります 話し方も変わります 自然にです まるで内側の機械が 変わったと分かるようにです あなたは 真のマハ ヨギの資質を育みます 以前にもこのマハ ヨギの状態は 多くの者によって達成されましたが 大変な回り道を 経験しなければいけませんでした 全てを断念し 見せかけでなく 真に無執着でいないと いけませんでした 彼らは人里離れたとこに行き 素食で 暮らさないといけませんでした 仏陀でさえ大変苦しみました キリストも同じです 化身でしたが 苦しまなければいけませんでした ラーマもシュリ クリシュナも 大変苦しみました あなた方は 苦しむことはありませんでした それどころか 苦しみから抜け出して 喜び 音楽 全てがあります しかし 喜び以外の何ものでもない ニラナンダにおいて サハジャ ヨガを楽しむためには 自分が生きている全ての幻を 断念すべきだと知らないといけません 様々な“幻”があります 貧しい 金持ち 不幸せ という幻を持つ者もいます 幸せだという者もいます 様々な幻があります 全て幻です 大事なのは 完全な空です この空は歓びによって 満たされます 完全な空があれば 誰からも何も期待しません そしてその内なる空は 慈悲と愛があなたの中に入るよう 機会を与えます 鍋が満たされているなら それ以上何を入れられますか 何を加えるというのでしょう あなたの中が完全に空なら 過去や未来 野心 虚為のような ナンセンスは関係ありません 空になれば 歓びで満たされます 永遠の特質を備える歓びは 望まなくとも 期待しなくとも常にあります 今日あなた方がそれを 感じられることを望みます ご存じのように女神の話は 大変深く精妙です いかに彼女がお母さんの姿となり いかに愛で 彼女の献身者の世話をしたことか いかに悪魔や ネガティビティと戦ったことか しかし今 悪魔はあなた方の ハートに入り込んでいます 間違ったグルが 頭に入り込んでいます 本を通して多くのことが入り込み 常に人を攻撃しています 悪魔を殺しても あなたの頭に残ります あなたの精神に反映したなら それらは殺されるべきです そうすれば 消すことができます でなければ立ち去っても 頭にブーツを残します 間違って従ってきたものからの 間違った書物からのネガティビティがあります サハジャ ヨガに来てからも 間違って導かれることもあります そのような状況でも その者を許しなさい その者が改善しても あなたは同じ思い違いや おかしなことを続けるかもしれません ですからあなたの本質は 慈悲や愛 恐れのなさや勇気です そして完全な空です この空において 何を得るべきかは 何人の人を集めたかは サハジャ ヨガに何人来るかは心配しません 自動的にうまくいきます 望むこともありません “人が少ない“と嘆きません 私たちにはいいかもしれません 天国には愚かな者たちの 場所はありません ネガティブで役に立たない者を 追うべきではありませんが 純粋に善良な者は 確実に得ないといけません もう一つ言いたいことは そういった者はサハジャ ヨガを 自然に止めます 一回で止めるでしょう そこにいるに値しないからです お母さんの力を持つに値しません 大変すばらしく精妙に起こります プログラムには いつも私は遅れていきます 役に立たない者はいなくなります 途中でいなくなる者もいます 何も理解できないので いなくなります 残った者は 真実の探究者です リアリゼーションを得ます サンスクリット語で“シィーン” 精選です 自然な選択が行われます 人がサハジャ ヨガを去ったり 戻ったり興味深いです サハジャ ヨガでよくあります 気にすべきではありません 例えば 来た人がロシアから多く スイスから少なかったとします そのように考えるかもしれませんが 私たちはもはやロシア人でも スイス人でもありません 私たちは超越した人間です ロシアやインドや アフリカから来ようと同じです サハジャ ヨギである限り 幸せであるべきです しかしスイス人が来るなら 喜ぶべきです 彼らに来てもらいという執着は ある意味良いです 仲間ができるからです 一人で密林にヨギ以外の者達と 住むことはできません ですから仲間が要るのです もっともっと必要です でも構いません その人数で十分です 人数について 心配すべきではありません 愛を分かち合いたいとき 欠けていると思ってしまいます 自分がスイス人だからではなく 分かち合えないからです その時新しい人格が芽生えます この新しい人格こそが作用します お金や賞与 奨励を もらえるものではありません あなたの写真が 飾られるわけでもありません 如何なる組織体でも あなたのように働けません 彼らは賞やボーナスや 昇格を与えます 様々な手を使って働かせます しかしサハジャ ヨガでは何もしません 何があなたを 一生懸命にさせるのでしょう 広めさせるのでしょう ただ分かち合いたい ということだけです しないではいられません 酒飲みも 一緒に飲む人を欲します 一人だと罪に感じるからです 罪なことをしているので 誰かと一緒に分かち合おうとします 罪の半減です サハジャ ヨガでは分かち合います 広めたいのです それはあなたが コレクティブだからです コレクティブになりました だからです もっと来てもらって 一緒に楽しみたいのです あなたは 大変高貴になりました 仮にある者が くじを当てたとします 大きな仕事を得るとします すると誰とも分けたくありません しかし自分がこれ程楽しめるなら 他の者にもと思います 同じような恩恵を持てれば と思います あなたが高貴になったからです 大変一生懸命 それを達成するようにします あなた方が自発的に働いているのを見ると 歓びを表すことができません 昨日映画を 全てのドラマを見て 大変驚きました そしてカベラにマラティの音楽がきた という思いに感動しました イタリア人が思いつきました 想像できますか 何百年経っても考えないでしょう いかに自発的に 起こったことでしょう それはうまくいってます 集合的センスがあるからです 新しい時代とは 確かにこのことです 新しい意識もあります 何が新しいかと言うと 集合性です その集合性が作用し 広めたいと望みます もっとサハジャ ヨギになってもらいたい という切望です もっと兄弟姉妹がほしいという プージャに来れますよう 良いヨギになれますよう という切望です この種の野望 歓びは 何と呼ぼうと その計画はあなたのハートに集合性が 繁栄している現れです それ故サハジャ ヨガをヒマラヤで ひとりで楽しめません 他の者と一緒にいたいのです いかにお母さんの愛が あなたのハートに根付いているかの いかにサハジャ ヨガを 広めるかの表れです オーストラリアで誰かが 金儲けをしているようです オーストラリアは常に問題があります これで金儲けをしているとは 理解できません どうして金儲けのことや サハジャに反することを考えれるでしょう 頭痛のようなものがします 構いません 私に任せなさい どうにかします あなたはお母さんの すばらしい光となりなさい それを今日 あなたにお願いしています あなたの中に 全ての力が流れています 啓蒙された光があります それを広げないといけません もっと広げなさい あなたはトゥカラマの言葉に 驚くでしょう “私は塵の小さな欠片のようなものです そしてまた空全体でもあります“ これがあなたの人格です 神の祝福がありますように […]

Mahashivaratri Puja, Surrender New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja. Delhi (India), 14 March 1994.

シヴァの崇拝に世界中から皆が集まり とても喜ばしいです 実は今日はサダシヴァの崇拝をします ご存じのようにサダシヴァはシヴァとは違います サダシヴァとは全能の神であり 原初の母によるドラマを観る方です サダシヴァと原初の母であるアディシャクティの関係は 月と月光や太陽と陽光のようで 人間同士の関係や婚姻では 理解できません アディシャクティが創造するのは何であれ サダシヴァの望みであり 彼によって観られるのです しかも彼が創造を観る際は 完全に細部まで観ます 全宇宙を観ていると同時に 母なる大地も観ていて アディシャクティによる全創造を観ています 彼の力は観ることであり アディシャクティの力は 偏在する愛の力です 原初の父ともいえる全能の 神の望みである イッチャシャクティが 原初の母として現れます そして彼女は自らの力を 愛として表現します このように両者の関係は極めて 理解があり、とても深いものです 何であれ彼女の創造で 何か問題を見つけたり 彼女の仕事を邪魔しようとする 神の仕事を邪魔する人が 神でもないのにエゴを振りまくなら 彼が破滅をもたらします 彼が破壊の力の源なのです 彼は人間のハートに反映しています 全ての創造の中に彼は脈打っています でもその脈、拍動は原初の母の力です そして彼はそのアディシャクティの計画に 反するもの全てを破壊できます アディシャクティは愛であり 彼女は許し 愛します 自らの創造を愛し 想像が繁栄することを願っています そして創造されたレベルに到達するように 願っています 彼女は人間が神の王国 サダシヴァの王国へ 入れるよう願っています そこには恩寵と許し そして歓びがあります これはあなたが探求して そこに行きたいと望みさえすれば できるものです この望みは原初の母性の反映として 私たちの中にあります この望みと同時に世俗的な望みもあり それがあなたの上昇を止めます サハジャヨガでは決して 出家したり世俗を捨てたりすることで 欲を乗り越えようとはしません 過去に説かれたような手法も使いません まずスピリットの光を得たのです スピリットがサダシヴァの反映で この光で彼は道を示し 示し続けます スピリットは道を照らすために 燃えている光のようです その道中において あなたはとても賢くなり 英知と善の光の中を進むのです 破壊的なものは何であれ スピリットの光で見えるからです あなたは破壊的なことは全て 諦めだすでしょう 誰かにあれこれしてはいけないと 言われる必要はありません あなた自身がそれが間違っていると分かり 止めようと思うのです これが私独自の人間理解でした 今日では人間は完全に幻の中にいて ただ生きるためにもがいて争っています こんな状況ではどんなことをしたところで 世俗を去ってヒマラヤに行ったりしても失敗するでしょう 大衆にそれをするなら 抜本的な何かをしなければなりません 幸運にも私はその方法を見つけました まずは種を発芽させ リアリゼーションを得るのです リアリゼーションを得た人でも まだ学ばねばなりません リアリゼーションを得た人は多くて 数えたことがないので 何人かは分かりませんが まだ彼らにも放棄がたりません 口にするのも恥ずかしいですが それが事実です 現代のサハジャヨガは 放棄さえすればという状況です 自分の理解や別のやり方をし始めても サハジャヨガは理解できません 放棄しなさい イスラムという言葉が表すように 放棄するのです そしてその放棄なくして 神の大国に入れる者はいません 放棄とは家族や子供を捨てることではありません 家や財産を捨てることでもなくて 放棄とは まずはエゴを捨てること そしてコンディショニングを 捨てることです 例えば先日 苦しんでいる ある男性に会いました 彼にあなたの指導者は誰なのか聞いて言いました 彼はあなたに何も良いことをしてないです 彼のもとを去ってはどうでしょうと 明日そうしますというので なぜ今日でないのというと 今日彼に関するモノを捨てて 「明日の朝そうします」 「よろしい そうしなさい」 「マザー 何を捨てればいいですか」 「彼を崇拝するための全ての物を とにかくすべて捨てなさい」 そして彼は家に戻って家中にある 崇拝の用具を集めて海に捨てました そして海に言いました 「すみません 「私はこの男のせいでひどい思いをしました あなたは苦しみませんように」 このような染みわたるような知性がない限り 放棄できないものです 人はしがみつき続けるものです コンディショニングがなかなか取れない人を わたしは何人も知っています エゴよりも難しいものです 日常のコンディショニングと あなたの状況のはからいがあります まず生まれのコンディショニングがあります インドとかイギリスとかです サハジャヨガにくると殆どの人が 自国や国民のどこが悪いか 分かり始めます 自分たちの宗教や読んできた本のどこが悪いか すぐにハッキリと見つけ出して これが間違っているとかダメだと理解します それを皆からかいます 世界中の人がそうします だれも自分が英国人だから最高だとか ロシア人だから最高だとか インド人が最高とは思いません 彼らのどこに問題があるかを探し出し どうしてリアリゼーションを得ないかを 理解します その一方でとても慈悲深くなって 「マザー 多くの人がまだリアリゼーションをもらっていません」 「ぜひ彼らにリアリゼーションをあげましょう」と これは光の二重の作用です まず自分が光を得てそれを自覚している だから何であれ注意を向ければ現実が見えます するとこれは自分の国や社会のコンディショニングだとか 理解できるのです するとそれを嫌うようになり 自分から引き離します でもまずはお伝えしたように サレンダリング 放棄です 放棄によってある意識状態になり 内側から世俗を離れるのです あなたは何にも支配されなくなります サニャーシとは 世俗を超越している者という意味で 何も彼には張り付きません 彼が何かを見れば その本質が分かります 彼はすべを知っているとは言わない かもしれませんが間違いを犯しません とても無執着なので それによって 自分の間違いを見ることができます 彼は自分の家族や周囲を観察しだして あらゆる場所で何が悪いかを観ます 驚くことに自分とすら同一化しません トルコに行ったときに ある大きなスイスのホテルを経営している紳士に会いました 彼は私のところに来て言いました 「マザー 私にリアリゼーションを与えてください」と スイスではリアリゼーションを欲しがる ような人に会ったことがなかったから とても驚きました まさかトルコで会うとは 私がリアリゼーション与えると 「私はスイスに戻りません」 と言いました 想像してみなさい とても明確ですね この光があなたに偉大な知恵と バランスを与えるのです 例えば道を歩いていて足元が見えなければ 転んでしまうかもしれませんが 少しでも光があれば見えるのです これがサハジャヨガがしたことで あなたは光を授かったのです その少しの光であなたが多くのことを 放棄するのに十分でした 反対側はエゴの方です 人間のエゴはとても精妙なものです どうやって発達したのか分かりませんが あるのは事実で ちょっとしたことでいきり立つ 単純なエゴの人もいます 小さなことで怒ったり 誰か支配できる人を見つけると 支配的になります これを見つけたら 自分を笑いなさい 自分はどうしたのかと 考えるのです エゴはコンディショニングのように 外からは来ません 内側からくるもので 原因は何でもでありえます 人間はあらゆる馬鹿げた エゴを持っています ある女性が高慢で笑おうとも しない日がありました 「あの女性はどうしたのですか」 と尋ねると 「彼女は人形作りが上手だから尊大なんです」と 「ただの人形づくりで鼻にかけるなんて」 「そうなんです 彼女はそれで威張っているんです」 「だれでも人形くらい作れるのに 何を鼻にかけているんでしょう」 「でも本人はそれがすごいと 思っているんです」という具合です このように人はどんどん馬鹿になれます それがエゴを持つ人のサインです あまりに馬鹿なので話していると 呆気にとられてしまいます 無料で道化師が目の前に来て あれやこれやとお笑いを 見せてくれるのです 驚くべきことです エゴイストは見ると決まって 「私はこれをした 私は 私は」と言っています 当の本人はまたったくの厚顔無恥で 罪深い生活すら平気でしていたりします 女性や酒やあれこれが好きで とても罪深い生活をします そしてそれを自慢します 「あの日はこんなに飲んだ」とか 「5人の女性がいる」とか言い出します エゴイストには恥という概念がありません 意味のないことをただ言ってまわるので 「ああこんな人と話するのか」と 皆が思うのです その上何だって正当化します ある人に「心臓発作を起こしたことがあるから 飲まないほうがいい 飲酒をやめたらどうですか」と言うと 「プーネのキーロスカーという人も 95歳で飲んでいるから」というので 「あなたはキーロスカーさんではないし 彼が飲んでいてもそれで何が得られるというのですか」 「いやいや 飲酒していても成功者ですから」 「飲んでいるから成功しているのですか」 と言いました ごく普通の理性さえないのです 一般的に言ってもどんなに飲む国でも 酔っ払いの像があるのを 見かけたことは決してありません どんな国でも女性がいて飲酒で死んだと 讃えられる国は見かけませんでした 今のところはですが どれだけ人間がエゴを 推し進めるか分かりません 現代ではこのエゴがとても広がっていて 「これが好き これは好きじゃない」 とすぐに言います 「どれが好きじゃないの」 「このサリーが好きじゃない」 「こういうのは好きじゃない こんなのが好き」と でもあなたは何様ですか 人からは見ていても自分で見えていません あなたが好きでも嫌いでも どんな影響があるんでしょう なのに若者の間でよく目にします 「これがいい あれがいい」と これは完全な破滅のサインです エゴはあなたを馬鹿にするだけでは ありません 最近の着飾り方を見てください 「好きだからいいでしょう」 と言い張って やりたい放題しています そのうち頭で歩いても 「好きなんだからいいでしょう」 というかもしれません あらゆる愚行がエゴで説明できます リアリゼーションを得ることができた人は 神に感謝して理解することです これは私のエゴが話していると すると自分を笑ってからかい初めます これはエゴだったなと 一方サハジャヨガには 「まとめ役をしてみたら」と言っても 「マザー私のエゴが出てきてしまうから」 「それは何?」 「エゴがでるからまとめ役はちょっと」と エゴが出ることはあり得ません 例えば何かが燃えていれば それが見えるはずです どうやって自分を燃やすというのでしょう これはサハジャヨガの仕事を 避ける巧妙な言い訳です 「いや、エゴにとらわれるから」と 「だったらやってみて確かめてみなさい」 と私は言ったのです 人を馬鹿で間抜けにする事が沢山あって 今日では一体いくつあるのか分かりません 結婚でもよく見かけます 「私は彼女と結婚しましたが しなかったら良かったと思います」 とか何とか でもその時あなたはどうしたんでしょう 何故その時結婚したのでしょう こういう話を何度も耳にしました あらゆる愚かで馬鹿げたエゴの問題です ハッキリと理解することです このエゴが如何に自分の中で働いて 自分を下げているか 私たちが上昇について語る時は 高次の人生について語っています 私たちはサニャーシとなり 蓮のように池から出て 水面より上に位置するのです 蓮の葉ですら見ずに浸かっていません 私たちもそうなるべきです 托鉢僧のような恰好をする 必要は全くありません でも内面から執着を離れ 注意はそこにあるべきです すると内面と外面の問題点が すぐに見つかるはずです サハジャヨガではどうやってそれを 克服するかも分かっています これはとても効果的で 効率の良いシステムです でもそれを達成するにしても 内面でシヴァになる つまり無執着になる必要があります シヴァは完全に無執着ですから あなたもそうあるべきです その無執着がシヴァの英知を与えます サダシヴァはアディシャクティの 劇を静かに観ています 奢ることもエゴを発達させることもなく 「私の望みの力がどうしているか見てみよう」と ただ観ています でも破壊に関しては 彼が壊したほうが良いとなれば たちまちその部分を壊して取り除きます 私たちも同様になるべきで 人生を大きな場所と見て 自分がどうあるべきかを問いなさい 「だから何だ 自分はサハジャヨギだぞ」 という人を見かけました サハジャヨギであるなら そんな話し方をしてはいけません 合掌して「私はサハジャヨギです」 というべきです あなたの態度や言動全てにおいて 極めて謙虚であるべきです でなければサハジャヨガがあなたに 2重のエゴを与えたことになります ご存知のようにシヴァが無邪気で 素朴で許す方です 彼は悪魔も許します 誰でも平等に許します でも原初の母に逆らうものには 容赦しません この彼の性質を理解しなさい サレンダーとは外面を 放棄してしまうことではありません そこに何があるでしょう 石しかないような場所で何を放棄すると? サレンダーとは自分を完全に浄化して 完全な無執着になることです 無執着でしか上昇できません あるものは病気になり大騒ぎします 「病気になった 私は病気だ 世界が知るべきだ」と サハジャヨギならただ観るのです 確かに自分は病気になった では観てみようと スポーツのように観戦するのです 病気だとして次は何が起こるだろう 熱がいい感じででてきたなあとか 今度は下がってきたとか 遊びながら陽気に気にかけるのです 来たときは熱があったけれど だれも気付かなかったな 結婚に疲れていても 「全然疲れてなさそうだ」と言われたら 「そう 大丈夫」と言うのです こうやって人生で遊ぶべきです それはただの劇なのです そしてそれを智慧の光で観るのです サハジャヨガでは 深刻なことなんて何もありません なのにとても深刻になって 大騒ぎする人がいます 私たちが学ぶべきことは沢山あります シヴァを崇拝する際に彼を讃えます あなたはこうだとかああだとか言います 私を崇拝するときもあなたは同じくします 私は意識していませんが あなたが言うなら良いでしょう そういうならいいでしょう あなたはこうです ああですと シヴァの1000の名前も 女神やヴィシュヌの名前も良いでしょう でもこれらは彼らの名前の崇拝で あなたたち自身はどうでしょう いくつの名前を持てるでしょう プージャでは実際のサンスクリットの 名前を唱えることで それらがあなたの中で目覚めるのです それは間違いありません プージャの後にそう感じるはずですが あなた方はそれを使おうとしません 多くの者がプージャに来ては 神々とおなじ力を授かりますが 終わるころになるともう無くしています どこかに行ってしまいます だからサレンダーには別の側面があります 自覚です サハジャヨギであるという自覚であり それらの力を吸収できるという自覚です つまり一方ではサレンダーし委ねますが 何故委ねるのでしょう 吸収するためです あなたが何かを放棄すれば自然と 何かを取り入れることになります 取り入れたら維持する必要があります そして自分でその力を持っていると 自覚するのです そこで失敗するサハジャヨギが多いです 初めはサハジャヨギ達は 誰も触ろうとしませんでした クンダリーニを上げようともしません そのころには少なくとも50人ほどいたのに 「どうしたものでしょう チャンネルを用意したというのに 指を使うことすら誰もしないなんて これで上手くいくわけがありません 無理です」と言ったものです ナシックでプログラムがあった際に 私もそこから30マイルほどのところに 滞在していました そしたら途中で車が壊れて 他の車も通りかからないし 途方に暮れましたが 待っている大勢の聴衆が 「シュリマタジはいつ来るんですか?」 と聞くものだから とてもプレッシャーを感じて 「それじゃ私達がリアリゼーションを与えます 座ってください」 こうしてリアリゼーションを与えました これがサハジャヨギが初めて 自分の力に気づいて リアリゼーションが与えられると 気づくキッカケになりました こうして皆が与え始めたのです だから自覚が必要です 自分には力があると そしてこれを無駄にせずに 有効利用すると 他者を助け自分だけに取っておかないと そういった自覚が芽生えるべきです かつて船旅の最中 ある船員が冷蔵室に閉じ込められて 肺炎にかかりました そこで船長が私のところに来て この子は肺炎をおこしているから ヘリで搬送しないと行けないと言いました 「私がリアリゼーションを与えたから、 あなたが医師ですよ」というと 「私が」「そう」 「でも必要なら私が行きましょうか」 「いえいえ、私にどうするべきか教えて下さい」 「とにかく彼の胸に手を置きなさい」 「私が?」「そう あなたが!」 彼が手を置くとその子は回復しました 彼は驚きました その後結婚式であった際に 「これは私は誰にでもできるんですか?」 「そう誰にでもできますよ」と でも自覚もなくただ座って 瞑想だとか放棄だとかやっているだけでは 何の役に立つでしょう だからやらないといけないのでうす シヴァの状態を達成したら アディシャクティの仕事をしなさい サハジャヨガ広げたい 上手く機能させたいという望みを持つべきです でもコンディショニングやエゴが あるかもしれないから 注意しなさい 観察することで上手くいきます 沢山できるに違いありません 自分で自覚して動いている人もいます 各国に沢山成し遂げた人がいます だからまずはサレンダーが大切で スピリットやシヴァ サダシヴァの意識になりなさい 第2の意識は他者に思いを寄せることです はじめの方はサンスクリットでヴィヤシティといいます 個人的な獲得という意味です まずは個人として得なさい 次がサマシュティで集団の意味です 集団で機能させる必要があります リアリゼーションすら持っていない人々が 組織を作ってあれやこれや沢山しています あなた達はすべてを持っているのです 他者に与えることが大事で この光を他者に広めるのです […]

Christmas Puja (India)

Christmas Puja. Ganapatipule (India), 25 December 1993.
今日はみなさんで キリストの誕生を祝います とても重要な この時期に祝います なぜなら反キリスト教徒が キリスト教を担っており キリストの誕生に対して 非難しているからです 彼らにそのような権利は ありません リアライズソールでは ありません 神聖をまったく理解 していません 彼らは全てが 偽りだと主張し 彼女がバージンではなく キリストはあのように 生まれてないと 誰が言ったのでしょう 聖ガブリエル が来て言ったのでしょうか どのような権利があって 彼らは言うのでしょう 反キリスト的な人達が 今ではキリスト教を担っています 教皇ですらそうです サティ ユガで彼らは 暴露されねばなりません ここにいる誰かが 教皇に聞いてください ”あなたにどの権利があって そのような事を言うのか” ”神の包括的な愛を感じたことが ありますか?” ”キリストを攻撃しているあなたの中に どれだけ神聖さがありますか?” おそらく彼らはポールの 生まれ変わりの一部でしょう 彼らは神聖を理解できません 神聖が何をもたらすか 知らないのです どれだけ奇跡的なことか 理解できないのです 皆さんは神の恩恵を 感じたことでしょう 皆さんはそれが 奇跡だと分かるでしょう いつでも奇跡が起こるのです 一つ簡単な例を挙げましょう ナヴァラトリプージャで ある写真がありました その写真の裏方で ある光景が浮かんできました この光景は何を示しているのかと 思いました その光景とは スーリヤが カーテンを開けていました そこにはスーリヤの目 鼻 口があり 彼は笑顔でカーテンを開けていました これは何だろうと思いました ナヴァラトリ プージャで 何を意味するのだろうと思いました しかしモスクワに行ったとき 驚きました 彼らは背景を全く同じように ペイントしていたのです 全く同じように 背景が描かれていました ナヴァラトリ プージャは 一ヵ月半も前のことです パラマチャイタニャが 描いたのです 物事が奇跡的に起こるのは 驚きです このような奇跡は 数え切れないほどあります モスクワに向かう機内の中で 気温は-20度だと言ってました 到着すると気温は-50度だと 翌朝の気温は-12度くらいまで 回復するでしょうと言っていました 午後になると-4度でした 次の日は+10度まで 上がりました 通常は時間の経過と共に 徐々に寒くなるものです 今度は夫がモスクワを訪れ-20度で とても寒いと言ってました 私は心配する必要はありません 気温は回復するでしょうと伝えました 彼が到着したときは -2度でした これら全ての要素は 私たちを助けてくれています 全ての 問題は すぐに解決するでしょう どのように問題が解決するか 驚くでしょう するとなぜキリストは 磔にされたのかと 聞くでしょう なぜ彼を磔から 救えなかったのかと 彼が磔にされたのは そうされるようになっていたからです 彼はアギヤを通らなければ ならなかったからです 自身をアギヤで確立し 十字架を 乗り越える必要があったからです 彼の人生のメッセージは 十字架ではなく 彼の復活にあるのです 彼は復活しました これが彼の偉大な成就の一つです 皆さんも復活できるのです 進化における 全ての生まれ変わりは とてもユニークな形で 生まれ変わります そして最後にはキリストが 復活を遂げました 彼は死ぬ必要がありました 死なずに 復活はできません たくさんのことが神話的ですが 実際は違うのです 明日になれば彼らはキリストは 復活していないと言うでしょう 実際彼はその後 カシミールで亡くなりました 証明もあります しかしそれでも人々は 信じたがらないのです ただ単にキリスト教を 広めたいだけなのです なぜなら彼らは知っているのです 大衆を得れば権力を持てると 同じトリックを政治家が 行っています しかしこのような大衆は 何の安堵も 慈愛も人々にもたらしません キリストの母は攻撃を 受けていました 彼女に対するさまざまな 虚偽を言われていました 対してモハメッドはコーランで 何人たりともキリストの母である 聖母の純潔を攻撃してはならないと 彼は敬意を表してました なぜ聖母マリアに対する敬意が 聖書で見られないのでしょう パウロによって 単なる女性と呼ばれています 彼は酷い反キリストとして現れ キリスト教を乗っ取り キリスト教を広め それに自分の価値観を活用し キリスト最悪の弟子である ペテロを利用しました あなたはサタンに乗っ取られると キリスト告げられた弟子にです 彼らは不可能だと 伝えているのです キリストがヴァージンから 生まれたなどありえないと 私たちインド人は シュリ ガネーシャを崇拝します シュリ ガネーシャは キリストと同一です 私たちは聖母がヴァージン ガウリとして子供を創造したと 信じています 信じるだけでなく 私たちは信念を持っています ところが西欧での信念とは 全てが合理性にあります そのように考え 過ちを犯していくのです ダラムについて無意味な記事を 発行する意味があったでしょうか 彼はさらに 名誉まで与えられていました カンタベリー大司教という反キリスト から名誉を与えられていました 名誉を与えられたすぐ後で 彼の教会は ヴィシュヌマヤによって 完全に焼き尽くされました 彼女は一時間ほど見回り その後完全に焼き尽くしました わずかに下位部分だけ残ったのは 美しい絵画があったからでしょう すると愚か者たちは言いました 神の恩恵が ヴィシュヌマヤから 下位部分を守ってくれたのだと ではなぜ焼き尽くしたのでしょう 合理性では神性を理解することは できないのです 無理です 制限や条件付けや エゴが強すぎます どのようにして合理性がキリストの 人生の真実を伝えられるでしょう 私たちには 科学的根拠もあります 皆さんも 知っていると思いますが 炭素の構造上右側から左方向を 見るとスワスティカが見えます 炭素原子を右から左を見ると スワスティカが見えます 以前に大きなモデルを創りました 今度はそれを逆に 左から右方向を見ると オムカラが見えます 間違いありません 下から見上げると「アルファ」と 「オメガ」があります キリストは言いました ”私がアルファとオメガ”だと 当時はシンボルが存在するか 分かりませんでした どうであれ彼は言いました ”私がアルファとオメガ”だと そこにはもう一つ意味があります ”私が始まりで私が終わり”だと 彼がアルファとオメガ と言ったように 下から見上げると はっきりと象徴的に見えるのです 一方にはオムカラ もう一方からはスワスティカが 互いが共に上昇し 生まれ変わると アルファとオメガになります しかしこれらは反キリストには 理解できません 神聖に何ができるのか 理解できないのです あなたはリアリゼーションを得ました 二度目の誕生です ただここに 座っているだけでです どのようにして 得られたのでしょうか 彼らの話す内容は 自らを不幸にします 自己を破滅へと 追いやるものです リスクを犯しすぎです 皆さんもご存知のように シュリ ガネーシャは とてもパワフルな 神格です キリストも同じです 彼は“聖霊に一言でも 反抗するなら許しません”と言いました 同じく一言でもキリストに反抗する なら私が許しません 一言でもです そのときはこの酷い人たちを 完全に滅ぼすでしょう 彼の生誕において私たちが 知るべきことは キリストは シュリ ガネーシャと 同じものから生まれました 彼は叡智であり その源なのです 彼に与えられた人生は短かったため 多くを語ってはいません 3年から3年半の間 キリストは人々に教示しました 彼が話したこと全てが 真実で正しく賢明です 彼らはその真実を 乱そうとしたかもしれません しかし多くの真実が 聖書に残されています 彼は人生を懸けて 真実が何か伝え続けました 彼が最初です 神について 明確に語ったのは 彼のレベルでは このタパの部分に3人存在します 一人はブッダで もう一人はマハヴィーラです ブッダとマハヴィーラは儀式主義の 傾向が強い時代に生まれました 彼らは神について 話さないと言いました “まずはチャイタニャについてのみ お話します”と言いました 皆そうしました ジャナカのグル アシュタヴァクラですら ヴァイブレーションについてのみ 話しました ナナカもそうでした ナーマデーヴァが プンジャブに行った時言いました 神のことやハリのことは 話さないようにと まずパラマチャイタンニャについて 話すべきだと 人はまずパラマチャイタニャに 到達するからです その後“神はどこにいるのですか?” と聞くでしょう 当時 神について話をしたのは キリストのみでした 人々は神について 語りたがらなかったのです 彼は恐れを知らない 勇気ある人でした しかし彼の幼少期については 何処にも説明されていません とても悲しいことです シュリ クリシュナやシュリ ラーマに ついては美しい記述があります 唯一彼がペルシャ人と 口論になった時 人々は彼の分別する能力や明晰さに 驚いていたくらいです それぐらいです しかし後ほど 彼らはメアリに対して 敬意を払いませんでしたが 女神がいるはずだと 信じざる終えませんでした キリストはどのようにして 彼女から生まれたのかと そこでマドンナと 呼ぶようになりました このようにして聖母メアリは マドンナと呼ばれるようになりました 未婚で処女という意味です マドンナは教会や至る所に広がり 人は彼女を 女神と崇拝しました 聖書でもキリスト教でもなく 彼女をマドンナと呼び始めたのです このマドンナのレベルから 人は聖母や母性を 見るようになりました 彼女がマハラクシュミだと 私たちは良く知っています そしてマハラクシュミとして 崇拝します 彼女はラーダです ラーダにも 息子がいました 卵の様な息子でした 卵の半分はキリストで もう半分はシュリ ガネーシャでした この子が生まれた時に 父を求めました 父親はシュリ クリシュナです デヴィ マハットミャムを読めば 出ています 彼はいつも手をこのようにして 父に向けています 一つはシュリ クリシュナで もう一つはシュリ ヴィシュヌです そして彼女がラーダです 「ラー」はエネルギー 「ダー」は エネルギーを支える人を意味します 彼女がジーザスと呼んだのです ヘブライ語ではイエス ヘブライ語から直訳されたマラティの 聖書を読んだときもイエスでした 「イエス」という名は シュリ クリシュナの母の名前です 「イエス」とは彼女の名前である 「イェショダ」からきた呼び名です そう呼ぶようになりました 「キリスト」という名は 「クリシュナ」からきました 彼女は「クリスト」と呼びました もしくは「イエス」や 「ジーサス」と呼びました ヤショダのことも イエスやジーサスと呼びます 彼女は彼をそう呼びました それは彼がシュリ クリシュナと 身近にあったことを 私たちに知らせるためにです シュリ クリシュナはインドにのみ 生まれ変わりました なぜなら彼がアメリカに 生まれ変わるには寛大すぎました 彼らには 際限やマリヤダが無く 戒律が何かもわかっていませんし 全くダルマがありません キリストのように とても純粋で明晰 シュリ クリシュナのリーラ(遊戯) を信じない人柄だからです シュリ クリシュナ曰く 全てはリーラである シュリ ラーマの厳格さを 乗り越えるにはそれしかないと しかしキリストは そうは言いませんでした にも関わらずキリスト教では 全てがリーラだと信者は考えています 無戒律はリーラだ どんな過ちを犯してもそれはリーラで 結局全ては純真だと 彼らの論理を 理解することはできません 非論理的で とても自己破壊的です 私たちインド人は戒律について 理解していると知るべきです 何が正しくて 何が間違っているか しかし私はキリスト教の人達を より称賛します 彼らはクンダリーニが何か 全く分からない国から来て 素晴らしいサハジャ ヨギに なったのですから すると神の恩恵が与えられます 彼らは純粋で誠実なため キリストが彼らを サハジャ ヨガに導いたのです 彼の存在無くして それは不可能でした ここではシュリ ガネーシャは 単なるシンボルに過ぎません 石の中に宿ります そして彼は生まれ変わりました 戒律とは何かを 人々に伝えたのです しかし人々はその教えに 従いませんでした 全く従いませんでした お金の事ばかり気にしています 彼らが神の名において 行ってきたことは驚きです 彼の出生は とても象徴的です 彼は馬小屋で生まれました 想像してみてください 沢山の藁の束があるところで 生まれたのです ほかにも動物がいた場所です この偉大な化身の 生まれ方を見てください 彼は王様ではありません 彼はお金持ちでもありません 彼はとても 貧困な環境で生まれ 平均的水準を下回る 粗雑な環境で生まれたのです このメッセージは 生まれる時に お城や大きな部屋は必要ないのです あなたが純粋なスピリットなら 何処で生まれてもいいのです あなたがキリストなら 偉大な人格は この様に生まれるのです その反対に向かうと とても拝金的で 物質的になり 何がしたいのか 全く分かりません 彼らは稼いだお金で 自分自身を破滅させています センスも プロポーションもありません これが現在 西洋で起こっていることです そして私たちも それに従おうとしています 彼らの破壊的な法則に従い それが先進的だと 信じているのです 破滅に向かって先進的 それが彼らです 気を付けなければなりません 子供達のことや 人との関係性など 彼らの汚れたやり方に巻き込まれ ないようにしなくてはなりません 神の名において行ったのです ここにいる皆さんは 比較的大きなグループです 私たちはサハジャ ヨギです 神の恩恵を受けていて 神聖とは何かを理解しています キリストとは何かも 知っています 例えあなたがヒンズー教徒で 生まれようと関係ありません なぜならキリストは普遍的です 宇宙をサポートしているのです デヴィ・マハトミャムにも記されています 天地万有のサポートです キリストを崇拝する人を 馬鹿にしてはいけません 私たちも シュリ ガネーシャを敬うように 愛情と献身とサレンダーをもって キリストを崇拝しなければなりません キリスト教徒は キリストに対する信念がないでしょう “私たちはキリストを信じます あれこれやってください”と言います サハジャ ヨギの信念は 通用します あなたの信念は 啓蒙されているので通用します 自分自身やサハジャ ヨガ 自分の人生を信用してください これが起きるまで サハジャ ヨギとは呼べません 未だに 表面的な人を見受けます するとどうしたら良いか 分からないでしょう 思考的に分からなくても 神の広大な愛に包まれ この愛を誰かに 与えたくなるのです しかし物質主義が 精妙になる人もいます 未だに物質的です 彼らは物質的で 悪い方法で お金を稼ぐこと考えています もしかしたらそれほどでも ないかもしれませんが 彼らは急に子供に 執着し始めたように感じます この執着は間違っています 子供達はサハジャ ヨガに属しています あなたに権利はありません 彼らは子供達にガナパティプレに 行かず すぐに帰宅してほしいのです 彼らはサハジャヨガの 子供達です ガナパティプレに 来なくてはなりません しかし子供を 連れ去りたいのです 直接そうしたいのです 子供はその為に いるのではありません サハジャ ヨガで 成長するためにいるのです それを望まないのなら 連れ去りなさい 皆がガナパティプレに来るときに 連れ 去るのはあるべき姿ではありません 子供もそれを 望まないでしょう 彼らはここに居たいのです 子供に対してもお金を節約する という物質主義が働いています 物質主義とはキリストが決して 執着することの無かったことです 決して望みません ここを理解するべきです キリストに敬意を払うには この物質観念から抜け出すことです たとえ物に対する 執着があったとしても ヒマラヤに行きなさいとか 禁欲主義になりなさいとか ブッダのように子供を手放しなさい などといっているのではありません 執着は無くすべきです 例えば鳥がいたとします 海を渡りますが 決して海水を飲みません 塩辛いからです あなたはそこに居ます あなたはこの世界に居ますが 執着心を無くすべきです 最初は“父や母が病気で”とか “子供がこうで”でも良かったでしょう しかし もう通用しません 現在はサハジャ ヨガの スピードが速くなっています 遅れをとる人は 取り残されます 気を付けてください このような物への執着に 巻き込まれないでください 特にインド人はアシュラムに 居たがりません 自分の家を持ちたいのです 妻を支配できるし 自分の好きな者が食べれるし 自分の悪趣味を いつでも楽しめるからです 人々はおそらくそのためにインド人は 絶食するべきと言ったのでしょう 味覚から来る欲求を 取り除くために 絶食中でさえ 食べ物のことを 考えています 意味ありません キリストは40日間絶食しました するとサタンが“絶食など諦めなさい” とあれこれ言いました 決して従いませんでした 物質主義には 2種類あります まず第一に西洋では “私の家 妻 子供”などと言います 東洋ではどんな食事をして どのような家に住み どのような家族を持つべきか などと言うでしょう これら全てに 未だ執着しています あなたのセンターが より精妙になるように これらもより精妙になり あなたの足を引っ張ります 例えばサハジャ ヨガで金儲けをしようと しているヨギを知っています 外にいる人は私たちに物を売って 金儲けをしようとしていました サリーが必要だったので サリーを買いますと言いました しかし外の人からは買いません さらにはどこかのショップに行って 食べ物や飲み物を買います そして体調を崩します 何をしているのでしょう 少しくらいのどの渇きを 我慢できないのでしょうか 空腹を我慢 できないのでしょうか 簡単なことです 彼はどうしたでしょう キリストは我慢しました あなたはキリストを 崇拝しに来ました コントロールしてください 重要なことです 一度これが起これば食べ物を 得られようが 住む場所を得られなくても 関係ありません 何処でも暮らせます 皆さんもご存知のとおり 私は何処でも気にしません 私に欲求はありません 身体が何も欲しがらないのです とても素晴らしい身体で 何も求めません その為 疲れることがありません ここに皆さんと居て 同時に全てに存在します ここに寝て欲しければ 一晩中寝れます 身体はなんとも言いません 反対に経験とは違うものです 過去に列車で旅をしました プーネからハイダーバード だったと思います 乗っていた列車がガタガタと 飛び上がるほど揺れました 寝ていて感じたことは 星から星へ移動しているようでした 宇宙を駆け巡っていました 振動など感じませんでした 星から星へ移動している 感じだけでした 普通の人なら この様な振動に 怒り出すところでしょう 対照的に私は星から星へ移動しながら ただその振動を楽しんでいました とても興味深いことです 反応が違うのです 危機が訪れると 完全に思考の無い状態になります ものすごい平穏が流れ込みます 危機が訪れる時にです この状態は執着を無くせば 皆さんも得ることができるのです 私にも子や孫がいますが 電話したことがありません 特に気にしてません 向こうが電話してくるなら いいでしょう 夫にも電話しません いつも思うのですが 時間の無駄です 私の中に 電話機能がありますから 皆が無事だと分かっているのに 電話する必要ないでしょう しかしそのステータスに達するまでは そうなれないでしょう それ以外でサハジャ ヨギに 気づいたことは 突然暴力的になる人がいて 殴られた人がいると報告を受けました この行いは サハジャ ヨギではありません 私は人にも自分の子供にも 手を上げたことはありません 許されることではありません 何人たりとも他者に 手を上げるべきではありません そのような人はサハジャ ヨガでは 何もせずとも低いところまで落ちます 怒ったり 怒鳴ったり すべきではありません これらは何の 助けにもなりません いつも平穏で穏やかで 慈悲深くあるべきです 間違った行いをする人がいたら 私が何とかします あなたがどうにかしようとして 不作法に振舞う必要は無いのです あなたはまだ 執着しているのです その執着が あなたを引き落とします ですので怒らないよう 気をつけて下さい キリストを見てください 彼は教会の近くで物売りをしていた 人に対して怒りましたが 当時は教会ではなく 礼拝堂と呼ばれていました 彼は怒っていました 神の神殿の外で 物を売っていたのですから 彼は大きなハンターで 一撃しました しかし彼はキリストです 同時に彼が磔に された時に言いました “神よ 彼らを許してください 自分が 何をしているか分かってないのです” このことを 彼から理解するべきです どれだけ人を許し 愛に溢れていたか どれだけ人の面倒を見て 彼らの解放のための 手助けをしたか 当時の混乱と 無秩序の時代では 彼は真実を伝えるために スピリットや上昇について 伝えるために立ち上がりました 彼らは無知ゆえにキリストの言葉を 理解していませんでした しかし彼は話しました 聖書には沢山の神話が 書かれています そのうちの一つは 復活のときに身体が 墓から蘇ってくると これはキリスト教に 限ったことではありません イスラム教や ユダヤ教にも共通します 考えてみてください 何年も経った後に 墓の中に何が残っているでしょう 骨だけです この骨が出てきても どうやってリアリゼーションを 与えられるでしょう 考えてください ただの神話です 論理的に考えてもありえません それはこういうことです “ナル ダマヤンティ アキャン” インド哲学では 明確に表しています カリ ユガが訪れると 神を求める沢山の探求者が あらゆる場所から 誕生し始めるでしょう そしてリアリゼーションを 得るでしょう クンダリーニが覚醒します これらは論理的に語られています 私達が行っていることだからです 近年の人口増加も 沢山の探求者が生まれてくるからです どれだけの人がリアリゼーションを 得られるか分かりません リアリゼーションを得た人は 自身を確立するべきです しかしそこでも人に対する 精妙な執着心が見受けられます キリストの資質に 完全にサレンダーすると良いでしょう それは素晴らしい資質です 最大の特質は 聖霊に対する無礼を決して許しません そのときだけは 彼が正しに来るでしょう もしあなたがサハジャ ヨギで 羽目を外したら 彼はある程度は 大目に見るでしょう あるアメリカ人がサハジャについて 私と電話で話したいといっていました 彼は自分の手に 負えないと感じたのか 他のサハジャ ヨギ達と話し始め 私とは話しませんでした 皆は怒っていましたが “放っておきなさい”と言いました ある日彼がプログラムを行っている という連絡が届きました そこで彼は 中風によって倒れました 彼はサハジャ ヨギではありません 私に責任はありません しかし誰かが私を 「マザー」と呼ぶとき パラマチャイタニャが それを尊重します サハジャ ヨギであるなら人を殴ったり 罵ったりしてはなりません もちろん人を宥めるときは サハジャ ヨガの方法で行います 暴力的には行いません 暴力は間違っていますし サハジャ ヨガで急に暴力的に なる人がいるのを聞くのは残念です これは肝臓から来ます 肝臓のトリートメントをして 自身を整えてください しかし犯したことから逃れられると 思わないでください 逃れられません このような人は 2日間絶食をして 自身を罰するとよいでしょう 怒りは最悪な行為です シュリ クリシュナ曰く 怒りは最悪でそこから全てが始まると 私たちは怒りを コントロールするべきです キリストは許しの具現化だと 理解するべきです 私達はそのキリストを 今日崇拝します 彼がどのようにして 人を許したか 彼を磔にしたのは ユダヤ人ではなくローマ人でした 古代ローマの権威者です しかしパウロはユダヤ人を 有罪にしました 罪を着せたのです ユダヤ人が行ったのでは ありませんが 彼らはユダヤ人に 永遠の罪を着せたのです これらにより人々は ユダヤ人を嫌い 困難に落としいれ 拷問にかけたのです ユダヤ人も反応しました 彼らも一緒です ですので ユダヤ人ではありません 執行官が大衆に キリストと盗人どちらを磔にするか 問うたことはありません 行われていません 自分たちの決断によって 行ったのです ただ単にユダヤ人を 呪うために行ったのです パウロが大変な ダメージを与えました ありがたいことに今では 沢山のユダヤ人もいますし イスラエルにセンターがあり 機能しています イランからアメリカに来た人も 沢山います ユダヤ教や イスラム教の人達もいます 皆サハジャ ヨガを行っています さまざまなことが起こっています トルコからスーフィの人たちが サハジャ ヨガに参加していますし さらにインドからも スーフィが参加します これらは皆さんのために なるように働きます 第一にキリストがどんな人物で どんな人生を送ったか どれだけ世界を愛していたか 理解すべきです 彼は磔にされるために 地球に来たのです 彼は自分が磔にされることを 知っていました そして実行しました 出回っている写真は 彼を正しく表現していません 彼は健康的でたくましく 背が高い人でした 十字架を運ばなくては なりませんでした 彼を結核患者のように 描いた人は あの十字架を運ぶことができたか 知るべきです あらゆることで彼の人格や 特質を抹殺しました サハジャ ヨギの皆さんは 彼を知るべきです 彼を信頼し 尊敬するべきです 彼があなたのお兄さんです シュリ ガネーシャがあなたの お兄さんとして生まれ変わったのです さまざまな困難や混乱から あなたを守ってくれます いつも私たちをさまざまな形で 守ってくれます それにはサレンダーすること 許すことです これが私たちが受け入れるべき キリストの性質です 神のご加護がありますように […]

Shri Adi Shakti Kundalini Puja Nirmal Temple (Italy)

Shri Adi Shakti Kundalini Puja. Cabella Ligure (Italy), 6 June 1993.
今日の崇拝の対象は 私です 初めてです これまでは 私の一部や一側面でした 今こそアディ シャクティとは 何かを知るべき時です それは全能の神の 純粋な望みといわれ サダ シヴァに由来します では全能の神の 純粋な望みとは何でしょう あなたは自分の望みをみると 何に由来するでしょう 聖なる愛ではなく 身体的な愛であり 物質的な愛であり 力への愛です これら全ての背後に愛があります 何かを愛しなければ 欲しないでしょう あなた方はこれら平凡な愛をもち そのために 多くの時間を浪費します 実際それで 満たされることはありません 真の愛ではないからです 少しの間のぼせて すぐに飽きるのです それをあちこちで繰り返します 次々と対象をかえながら アディ シャクティは神の愛の 現れで 神の純粋な愛です でも彼は愛において 何を欲するのでしょう 人間を創ることを欲し 彼らが従順になり 崇高な 天使のようになるよう望みました アダムとイヴの創造は 彼によるものです 天使には自由はありません そのように創造されました そう決められています なぜそうするかも知りません 動物もなぜ自分が ある行動をするか知りません ただするだけです 自然に縛られていて 全能の神に結びついています シヴァはパシュパティであるといわれ 動物を支配するという意味です 彼はパシュパティです 彼は動物を支配するので 全ての動物の欲求が彼に含まれますが 悔やむことはありません エゴもなく 良い悪いを考えることもありません カルマの問題もありません エゴがなく 自由もないからです ここで 純粋な愛であるアディ シャクティは 一つの人格に全ての愛を注ぎ それゆえ何も残されておらず ただ観じるのみの父なる神を 想起します 彼は考えること無く ただ自らの思いを観ます 愛を観ます それがいかに作用するかを 観ています それを見る際は注意深く 私の創造した神格は 愛と慈悲に他ならないと 知っているからです その慈悲は高貴で それを損ねたり害したり いかなる形であろうと 乱したり貶めたり 侮辱することは 決して許しません 彼はその点とても注意深く 良く観ています ある分離が彼の愛によって 起こったと言ってよいでしょう この愛にも人格があり つまりエゴをもち作用し 独立した人格となり 自由に好きなことを為します 現世の夫婦ではありえませんが 夫婦共に完全に自由で 好きにすることができます 何の結合力もなく 合意もなく 調和も関係もないけれど 月と月光のよう 太陽と太陽光のようです ある意味 非常に結びついていて 一方がすることを他方が楽しみます その美しい分割において アディ シャクティが 彼のプランを変えることにしました サンカルパ ヴィカルパ カロティ として知られます 何かを過度にしようとすれば 彼女はそれを分割します 今日の11時のプージャのように なのでアダムとイブの事にしても 彼らが動物や天使のように なったところで何になるかと そう考えました 自覚が必要だと 自分がしていることを知るべきだと 彼らには知識を得る自由があると 知る権利があると ただ動物のように生活して 機会的に同じ繰り返しを する必要があるでしょうか なので彼女の任意で 当然熟慮の上ですが 蛇として来たのは彼女なのです そして告げます 知識の果実を味わいなさい と サハジャ ヨギではない人には これを教えられません ショックを受けるでしょう ですがこの蛇こそが 彼らに試しに言ったのです この果実を味わいなさい と 蛇は女性に言いました 男性ではなく 女性は物事を 受け入れやすいからです ブーツでも無意味なことでも 受け入れられます 受け入れる存在だからです 一方男性はたやすく受け入れません 議論したり口論します なので女性に行って言いました 彼女が来たと言うべきでしょう 聖霊は現に女性性だからです より女性に近く この力が蛇として来て言いました 知識の果実を味わいなさいと だから夫を説得することは イヴの 女性の仕事です 女性はどうするかを知っています 時に間違えることもあるかも 知れませんが 間違った 不吉な事を 言うかもしれません マクベスでもそうでした 夫を変にする女性は 沢山見てきました でも夫というのは 導かれることもあれば 解放されることもあります 妻がちゃんとしていればですが 彼は妻に 全幅の信頼を寄せ 信じて 知識の果実を味わいました それは神の女性性の人格 聖霊の導きでした これは キリストの姿や モハメッドやナナカを 多少理解したといっても 分からないことです 理解できません ちょっと分かっただけです 人に話しても こう言われてしまいます ハア それは何ですか と 耳を貸そうとはしません なので当時の意識や 世の反応に対して 彼らはダルマと上昇について 話しました でもインドではクンダリーニについて 古くから語られ それはアディシャクティの 私達の内なる反映であるとされます いいですか 彼女が自ら言ったのです 私は全ての人の中に宿ると ならばアディ シャクティは 愛それも純粋な愛であると 慈悲であると知りなさい 他には何もありません 彼女のハートの純粋な愛のみです その純粋な愛は とてもとても力強く この母なる大地に愛を与えました その母なる大地は 我々の行いの罪深さに関わらず 美しい物を通して 万人に愛を注いでいます これらの美が あらゆる方法で 銀河や星々を通して 表れています 科学的観点からは 科学には愛はありません 愛を問題にはしません 人はヨガでさえ 愛や慈悲を問題にしません 愛と慈悲がなければ その人に聖なる光はありません 全てが聖なる愛に 完全に浸っています 地上の被造物は全て 宇宙の創造の全ては そしていくつもの宇宙が 聖なる母の愛によるものです なのでアディ シャクティの愛は 極めて精妙で 時にあなたの理解を超えています 私はあなたが私を 愛していると知っています それは巨大な愛ですが そのヴァイブレーションは さざ波のようで 岸については引いていきます そして多くのキラキラした泡が その浜を覆っています 同じように私のハートには あなたの愛が光を放ち その響きがこだましています この聖なる愛において それがどんな感じかを 説明しがたい経験です まず目に涙が溢れてきます なぜなら それは慈悲で サンドラ カルナで アダル つまり乾いていません 父なる慈悲は ドライかもしれません “これをしなければ撃つ こうすると・・・” 父親はそんな言い方をしますが 母親は そんな傷つけるような 言い方はしません たまに貴方を正すために 言うこともありますが 父親のそれとは違う言い方です 彼女はサンドラカルナを 持っているからです アダルとは 乾いていない の意です このようなハートを 彼女は持っていて この聖なる愛を抱え 体中が 全てが聖なる愛で できています どの部分も聖なる愛を放ちます ヴァイブレーションとは 聖なる愛です 以前言ったように この化身が来る 必要がありました 時が熟しました その時がきたと皆分かりました でもそれは固定された時ではなく サハジャである時です 固定された時間は 例えば電車の出発時刻や 到着時刻です 例えば 機会があるペースで 生産をし続ければ このくらいの期間で これくらいの生産量が見込めるだろうと しかし生き物は自発的で サハジャであるので いつとは言えません 自由のプロセスも同様です あなたは最大の 自由を持っています だからいつとは言えません いつ人々が この聖なる愛の 精妙な知識を受け入れるか ドライな知識もあります インドではひどい人がいて 本を読んだりマントラを言ったり そればかりに忙しく そうやってどんどんドライになります 骨格しか残っていないような 人たちです そしてとても短気で 誰かを見ると その人は灰と化します こんなことのために 地上に生まれたのでしょうか 苦行だとかを重ねて 人を灰にするためでしょうか でもそれで彼らは 自分たちが偉いと思いました 人を見ることで 灰にしたり消したり バスミサットと呼ばれます 彼らのハートには 善の概念がありません ですから まず聖なる愛によって 成就するのは あなたの善です 善ということば自体が 大分濫用されています 善とはあなたのスピリットに良い という意味です スピリットとは 全能の神の繁栄です だからあなたの中でスピリットの 美しさが反映されだすと あなたは与える側になります もはや何かをとる側の人でなく とても満たされて与える側になります この降臨はそうと決められた その時に起こりました 先にいったように あなたには自由があります 人々は荒んで あらゆることをしています 分かりますか それ以前は 力を求める人の問題がありました インドに行ったり 中国に行って侵略したり 反対にアフリカを侵略したり そこらじゅうです いわゆるアメリカ人も アメリカを占拠しました この時期は人が自由を 力の行使に使っていた時代です アディ シャクティが生まれる 時期ではありませんでした 力を希求する人たちがいました 今日でもそういう人がいますが 当時は力と領土 そればかりでした まったく重要でないのにです その時期ではあり得ませんでした 当時は自由のため戦う 必要がありました 帝国主義者の支配から 逃れるために 力で圧倒する人たちにです 状況は徐々に変化しました 大変スムーズに変わりました 驚くことに 私自身変化を目の当たりにしました 上手くいきました 私自身もご存じのとおり インド独立運動に参画しました 大切なことです インドからそれは起こったのです まず帝国主義からの自由 その自由の概念が次第に 各国に広がり 民衆は考えだしました 理解しだしました 植民地は不要だと 自分の場所へ戻るべきだと これらの変化は 私の生前に起きたのです まず自由を求めた人は 亡くなりました 多くの人が殺されました バガットシンのような人がいました どの国でも 革命家は投獄され ひどい扱いを受け殺されました インドだけではありませんでした そこを通過する必要がありました 自由が試されたのです 彼らは無駄死にだと考えました これは自由ではないと 結局あれは何だったのかと後悔し そして ある種の恐れを抱き 他者を恐れ いわゆる レフト ヴィシュディの問題が 始まりました 強く負い目を感じて 自分が間違ったことをした するべきではなかったと この時点でも 様々なほかの問題があり カースト制度や 奴隷制 身分の格差で 低く扱われる人がいたり より優れた人とされたり 民族的にも優劣があり あらゆる馬鹿げたことがありました 自由を通して これらを作り出したと 自由のせいだと それは事実ではありません でもそういったものが作られた 例えば これはカーペットじゃない と そう言い続けたとします するとみな洗脳されて これはカーペットじゃなくて違うものだ と皆が言い出すのです それはまる催眠術のようです 人々がこの人種差別を受け入れて 格差や隷属を カースト制や女性蔑視を 受け入れました これらは全て 彼らが選択したものです 何が良くて何が悪いか 彼らにとっては 良いことだったと分かります 好ましいことだったのです このような状況では 慈悲は無駄になるでしょう 聖なる愛も無駄でしょう それを知的に理解する 準備がなかったから 彼らには話せないでしょう これは完全な盲目で 無知だからこんなことをする といっても これは正しくない これはあなたを貴くせず あなたは卑しいことをしている といっても駄目でしょう もちろん何人もの聖者が やって来て 高貴さや許し 融和や合一が唱えられました 偉大な予言者が生まれ そういったことを語るに至りました 民衆はさほど 準備ができていませんでしたが 次第にそれらの教えが 人々の間で働き始めたようでした でも最も大きな問題は いわゆる宗教問題です 宗教は皆脱線し 彼らはある種の水たまりをつくり ムスリムはここ クリスチャンはここ ヒンドゥーはここと それぞれが溜まっていました そこで命を与える者が必要でした 水たまりを満たして 一つにするためです ある種の人種が 他より優っているなど 完全な無知で愚かさそのものです ただ言えるのは それぞれが 違う状態だということです 違う意識があって より高い意識の者もいますが 一概に誰かを責めることはできません 彼はだめだとか この社会はだめだとか 一概には言えません 個人的には言えますが 一概には言えません でもこの無知の闇はとても深い 集合的になるからです それは集団での無知 集合的無知です 彼らは皆が手を取り合って この宗教が一番だとか 我々こそが 選ばれた民だとかいいます 他の人は いやいや違うと この人たちは完全にだめな民族で 私たちが最高だと 宗教の名の下で 全能の神の名の下で これらナンセンスを始めたのです なのでアディ シャクティが 完全な力を 発揮しなければなりません まず彼女が分かったのは 家族とは何かを知る必要です こどもは家族の中で育ちます 子どもがきちんと両親によって 注意されないと 甘やかされて育てば もしくは過干渉にされたり 放っておかれたりすれば こどもは愛を知りません 子供が愛が何かをわからないのは 愛とは甘やかして おもちゃをたくさん与えたり 取り上げたりすることではありません いつも子供に 注意をおくということです 甘やかす注意ではありません 子供の善に対する注意です いつもそこに善があるように こうして家庭生活が まず維持されるべきと思いました とても大切です なぜならこの時代は 宗教をかたって 尼僧や聖職者や 出家僧や ありとあらゆる賢人がいます 彼らはみなとてもドライです 皆民衆をミスリードしています 民衆は色々な修行をはじめ 出家して 妻や子供から逃げ出します なのでまず私が分かったことは 人間は愛を知らなければ 愛せないということです この愛はコレクティヴなら より効果的です インドで見たはずです インドの家族は 本当に愛し合っています 会ったことのない親戚でさえも どんな関係かもわからずに お兄さんとかお姉さんと呼びます 関係も知らないし 誰が父親とか姉妹であるとか 知らずにです 単にお兄さんのように 感じるからです 自分の兄のことを聞かれても わからないでしょう 理由は拡大家族制にあり それはコレクティブのような制度です 誰が本当の兄かもわからない 誰が義兄で 誰がいとこかも分からない 皆が一緒に親戚として 一緒に暮らしたのです それもまた廃れてしまい 拡大家族も廃れました 経済的理由とか何とか 理由は何であれ なのでこの大切な時期に 人々は愛を知る必要があるのに 家族制度が あらゆる国で崩壊しています 西洋諸国では特に 男女ともに家族制度の 重要性を理解していません 家族制度を信じていません 可哀想な子供達にとっては 不安な事態です 不誠実な土台では ちゃんと育ちません それによって暴力的な ひどく取りつかれた 世代が来ました 彼らは戦争の商売に行きました 無意識に戦いを欲するのです 木と戦う子供を見ました “なんで戦っているの?” “戦うのは良いんだよ” と言います でもなぜそうするかは 気づいていません 理由は愛の欠如です 見るものすべてが嫌で これもあれも嫌いだといって 憤りでもって何かをし 見るものすべてを破壊します 新しい傾向が始まりました 戦争が終わると 当然価値観が堕落し 民衆は何だったのかと 私たちの価値によって 何を得たのか 戦争ばかりで 社会が荒廃し 子供達も殺され 何が戦争だというのかと 概ね民衆のこころは まあとにかく戦わなねば となります 痩せている人が最高で 支配する人が 上昇志向が最高だと こうして帝国主義的な支配は 終わったにもかかわらず 個人の支配に姿を変え 支配へのエゴが育ちました 子供の教育においてさえ 子供をとても傲慢にしむけます 人為的で 極めて傲慢かつ不自然です なぜ子供がコントロールされず これは悪いと 教えられていないのか 信じがたいです なぜなら親が とても防衛的な態度で 子どもに向き合おうとせず 悪いことを教えないからです 子供に見捨てられるとか そんな考えにとらわれて 何でもしていいから一緒にいよう と言います そんな状況下で 人間は良い家庭生活から次第に 離婚などおかしな 男女を共有する信条などへ 堕落してきています アディ シャクティの出現には 何とひどい状況でしょう それに他に大きな問題として 宗教があれこれと主張して 考えや制約を人々に課していて 民衆を盲目にしていることです なので混乱があり こうした混乱の時だからこそ アディ シャクティがダルマを 確立しにくる必要がありました 彼女がダルマを確立させる 必要がありました とても不誠実で 胡散臭い時代でした 生まれてきて人々を見て驚きました 当時はシーカーも あまり居ませんでした 一人か二人の リアライズドソールに会いましたが ほとんどは自分の保険とか お金とかの心配をしている人でした 話しかけようにも どんなところに来てしまったのかと 何を話せば良いかわかりません 聖なる愛の話を どうやってするというのでしょう 探求すらしていない人たちに それが次第に 自信を持ち始めました 最初はちょっと早く来すぎたかと もう少し待ったほうがよかったかと そう思いました 人々はお互いに憎しみ合い それぞれが敵対しあい 騙しあっていたし それにお互い 嫉妬しあっていました 出世競争とか 足の引っ張り合いもありました なのでサハジャ ヨガの時代では まだないかと思いました すると偽のグルに会って 人々に魔術をかけ 支配しているのを見ました それで本当に考えました もう世間の雰囲気を 気にするのはやめようと どんな人であれ気にせず 始めようと こうして最初の ブラマランドラチェダンが インドで起こりました 5月5日のことです 1970年5月5日の朝です 他にももちろん急いで始める 理由がありました 私の準備は整っていて 人間の問題を知っていました でも人はセルフ リアリゼーション を得られるとは 信じないだろうと思いました この化身はとても特別です 多くの化身が来ましたが 彼らはやってきて言葉で教えました これが良いあれが良いと 彼らに魅せられて 追従したものもいました でもハートは空っぽでした 聞いたことはよくても それは説教であり 講義であり ギータであるだけです そのような人の生も 聖なる愛の輝きが 内にありませんでした 何人もの良い人が この短い間に存在しました マハトマガンディーや マーティンルーサーキングや 色々な人が方々にいて アブラハムリンカーンも ジョージワシントンも ウィリアムブレイクもシェイクスピアも この間文学のみならず 老師もソクラテスもいました ソクラテス以来 何人もの哲学者がいて より高い生を語りましたが それにも関わらず 人々は彼らを変な人扱いし 理解不能として黙殺しました 誰も例えば グルギータを読もうとしません 読みません 意味のないことだとして 役に立たないたわごとだと こんな態度がそこら中にあり 私はそれを見て ああ どうやって話すというのでしょう 自分について 彼らについて 見つけねばならないものについて 私はこころから 人々に熱心さを望みました 少しでも私に チャンスが与えられたら この聖なる愛はとても精妙で 彼らのハートに届くでしょう でも彼らは石のようでした どんな話をするのも無理でした それに最悪だったのは 自分のことばかり考えていることでした この状況で サハジャ ヨガが始まりました そこでアディ シャクティの力が 問題よりも ずっと強いことが分かりました 自分ではっきり分かりました この力がクンダリーニを 引き起こすからです 自分がクンダリーニを引き上げ られるのは知っていました それを大勢に一度に 与えられるのも知っていました でもあげた人がまた戻ってくるかは 分かっていませんでした 人々は無知だからです 帰ってくるとは思っていませんでした このレベルまで サハジャ ヨガを実践するとは これっぽっちも思っていませんでした 誰かに言われても 笑って否定したでしょう 最初の講義の時は どこもホールが一杯で もちろんホールのせいでは ありませんが 私は別の場所に滞在していて ホールがなかなか 借りられませんでした そしてその後も ほとんど人が来ずです だからもう何を言っても駄目だと 耳から頭を通り抜けるだけで なにも理解しようとしないと 何もわかっていない 私は家族から反対され あれこれと 問題と圧力を感じていました でもそれは重要でなく 一番重要なのは どうやって人の心に届くかです 唯一の解決法は彼ら自身の クンダリーニを上げることでした それにより内なる光が灯ります 私はずっと座っていて そこへ誰かが クンダリーニをあげてもらいに来て 私がクンダリーニを上げてあげて というのは間違った考えで 私にはそれが分かりました そこで集合的 リアリゼーションが始まりました 人々はとても驚きました それはマジックではなく 物語でもなく真理でした 彼らは自分の手先で 実際に感じました 頭頂部でも感じました それがサハジャ ヨガの実現です 驚くほど上手くいきました でなければ無理だったでしょう 今日目にするこのすべての驚異は あなたが反応してくれがおかげです あなたが反応し受け入れたからです でなければ アディ シャクティも役立たずです あなたが受け入れなければ 私は無です 実際それはあなたの英知が 感覚や探求が サハジャ ヨガに導いたのです 手紙を書いたこともなければ 電話もしません 他のグルは皆そうします 新しい場所につくと かの地の要人をリストアップして 手紙を一斉に送ります 少なくとも2、3人が 出席するようにです しかしそんなことをせずとも この集合的目覚めを いかに達成できたか 人々はサハジャ ヨガを それによって理解でき 彼らに浸透していきました まずそのために私は 自分のクンダリーニをあげます パブリック プログラムの度に 自分で上げます その上あなたの問題をすべて 私のクンダリーニで受け止めます それは痛みます だからプージャの後は しばらく石のような状態になります あなたの内にあるものを 吸収するからです あなたを私の体に入れるようにです あなたは私の身体の一部なのです 私の体の細胞の一つ一つが あなたの為です あなたにはそれほど 精妙さが必要です 自分が何を抱えているか理解したり サハジャ ヨガや他の事に できることがないか アシュラムを始めたいとか 何かあるなら たちまち私は分かります あなたが私の中にいるからです ほとんどのことをハッキリわかります 分からないこともあります 理由は一つ あなたと私の関係です もちろんそれは親密なもので 私の体の中にあなたがいます でもあなたが瞑想していなければ ありふれたことを言わなければなりません ディヤーナガンミャです あなたが瞑想していなければ 私はあなたと無関係です あなたは私の親族ではありません 私に対して何の権利もありません 何かを質問することもできません どうしてこんなことが起こるのですかと なのでいつも言います 瞑想 瞑想と 私とあなたはは 何の関係もありません もはやそこにはいません 私とはつながりがありません 他の人と同じようです サハジャ ヨギかもしれません サハジャ ヨガの単位を リーダーがくれたかもしれません 偉大な人と 思われているかもしれません でも瞑想していなければ 毎日朝か晩にしないなら シュリ マタジの領域にはもういません つながりは ただ瞑想を通してだからです ギャナです 瞑想をしない人がいました すると苦しんで 子どもも苦しむ何かが起きます そして私に来て言います でもその人が瞑想していないのは はっきりわかります 私は何の関係もありません 私に何か聞く権利は 彼にはありません はじめは瞑想になるまで 時間がかかります ですがどんなものかわかったら どうやって私と一緒にいて 一つになるか どうやって関係を築くか あいだには何もいりません 手紙やなんかも必要なく 特別なつながりも何もいりません 瞑想だけが必要なものです 瞑想のなかで成長します そこでスピリチュアルに上昇します それが起こると あなたはある意味 成熟した意識状態へと サハジャ ヨガで成熟します すると瞑想を辞めたくなくなります なぜなら瞑想中に 私と一体だからです 3時間も4時間も 瞑想する必要はありません どれだけ本気で私といるかが重要です どれだけ長いかではなくです ならば私はあなたに責任があります あなたの子供や皆に対してです あなたの上昇や ネガティヴィティから守ること それらに私が責任をもちます 父親が直接罰するような そういうやり方ではありません そうでなく “そうですか もうあなたは私と 無関係です”と それが唯一起こりうることです 瞑想してない 良いでしょう 無理強いはできません 私もあなたと無関係です 他のところで外で誰かと 関係をもてるでしょう でもあなたの善を得られる 内なる関係は 瞑想なしにはいられません 何度も行ってきました 瞑想してくださいと 毎日瞑想するようにと でも人は理解しないようです どれほど大切なことか “マザー 私たちは瞑想しません” “なぜ?” “もう私たちはリアライズドソール だから必要ないです” 道具がそろっているのに 主電源につながっていなかったら 何の役にも立ちません 瞑想の中で愛を感じるでしょう 聖なる愛の美しさを感じるでしょう 風景が一変します 瞑想的な人は態度がとても違います とても違う気質を持ち いつも満たされて 特別な人生を送っています 今日は上昇の初日であると そうも言えるでしょう この崇拝によって 実際は今日でなくとも そう言うことはできます それが起こりあなたを助け あなたへの大きな恵みとなった であれば それを維持しなければならない さらにいかに高めるか いかに楽しむかを知るべきです ちょっとした出来事 最後の物語や あれこれで満足せず 完全な一体を得るべきです 神との完全な合一です それは瞑想によってのみ可能です 簡単なことです マザー 時間がとれませんとか いつも考えてばかりですとか 時計を見たくなるとか言います 最初はちょっと問題もあるでしょう あるとは限りませんが ないかもしれません あるとしても最初だけです 徐々に大丈夫になるでしょう 徐々にマスターするでしょう 少しずつですが 極めて上達するでしょう すると他には何も必要なくなります ほかの安っぽいものには 見向きもしなくなります いいですか その美に至るのに その栄光に 偉大な人格に至るのに すでに現れてきていますが 信心深く必要なのは 瞑想だけです 今日は遅く帰ったから 瞑想できなかったとか 明日は仕事ではないから 瞑想できないではなく 誰も言い訳を聞きたくありません 自分のことなのです あなた自身のためです 全てがあなたのためです 誰かに自分が 進化の高みに到達したとか 知らせる必要はありません その高みから更に上昇する 無理ではありませんし 可能でしょう でもまずはあなたが何であれ ハイクラスなサハジャ ヨギであれ 瞑想には謙虚でありなさい この瞑想的な資質は こうして話していても 私はそこに入っていきます とても喜びに満ちているから 喜びの大海に飛び込みなさい 最初は難しいでしょう しばらくするとこのつながりが シュリ マタジとのつながり それだけが欲しいものだと分かります もう一つ人が迷うのは よく見かけることですが そこで失敗する人もいます 個人で瞑想するのは とても正しいことで 個人的に瞑想しますが 座って瞑想し プージャも行う でもコレクティブで瞑想しない これがもう一つの覚えておく点です コレクティヴで 瞑想しなければなりません 私が皆をすべて合わせた 存在だからです コレクティヴで瞑想すると あなたは私のすぐ側にいます だからプログラムでも何でも コレクティブで瞑想しなさい プログラムでは常に 瞑想を優先しなさい 歌を歌ってすべて終えたら瞑想です 何か力説するとすれば これが真理であり すべての土台であると 理解することです 平凡なことにみえますが とても重要です 今アディ シャクティを 崇拝するにあたって どうするべきでしょう かつてないことです アディ シャクティへの祈りなどは ありませんでした バガヴァティまでは行きましたが それ以上に至ったことがありません なのでどんなプージャになるでしょう でもやってみましょう 瞑想が最上の方法でしょう 実際に何かを成就できます なので5分瞑想に入りましょう 目を閉じてください 11のルドラが覚醒しました 彼らがすべての ネガティヴィティを破壊するでしょう […]

Birthday Puja, Satya Yuga New Delhi (India)

Puja for the 70° Birthday, New Delhi (India), 21 March 1993.
これほど多くのサハジャ ヨギが 世界中から来て 笑顔で座っているのが眩しく 胸が一杯です 今日私のヴィジョンが 実現したかのようです 私にはあなた方が 明日の世の救済者に見えます カリユガの惨禍が あらゆる方角から 私達を取り巻いているなかで あなた方は生まれかわり カリユガの池から 色とりどりの蓮の花になり 芳しく美しく咲いています 私の誕生日を祝うのでなく あなた方の誕生を祝うべきです 先日お伝えしたように あなたこそ偉大な真理と愛の 探求者であり 預言者で それをもたらす存在です さもなくば 一人を変えることすら とても難しいことでしょう しかしあなた方は敏感で 深みがあり 驚くことに 精妙な知識を吸収しました 信じがたいことです 自分でも このカリユガに 偉大な人々が生まれました これほど沢山の 聖者が私の前に座っていて 信じがたいことです スピリチュアリティ史上 なかったことで 天国においてさえ 神々は少数です 優劣をつけがたい 美しいハートと 卓越した知性 活発な意識を有しています この70才の誕生日に 皆さんに会えて感謝します サハジャ ヨガは 一人から始まりました 参加者がいても 権力や金銭を求めていたりして 問題を起こすものが多くいました 次々と問題に見舞われたり 低次元の探求者も 沢山やってきました しかし今日においては 全員が美しく 見分けがつかないほど 成長しました サハジャ ヨガに コミットできるのは この世の最高の恵みです お分かりのとおり 私一人ではできません あなた方が必要です あなた方がチャンネルで もっともっと広めるべきです デリーのヨギたちは全てを 上手に運営してくれました そもそも皆がこぞって 70歳の記念日に 来るつもりでした 理由はともかく 皆が乗り気で デリーのヨギたちは 今回は私達がやります といったのです マザーぜひデリーで誕生日をと 大変そうですよ 気をつけて下さい 皆が来たがっているみたいですと 軽く考えていたようで “沢山何百人も来ますよ 大丈夫ですか”と訊くと それならもっと嬉しいです 彼らの運営にかける熱意を 私は見ました 最高なのは デリーのような政治家や 政党のある政治の中枢で サハジャ ヨガ内に 政争がないことです 言い合いもなく 足の引っ張り合いもなく デリーのような場所で 注目すべきことです 連日のように 国会内ですら 乱闘が報じられるのに おそらくこの地獄ゆえに 善人が生まれ サハジャ ヨギに なるべきだったのでしょう サハジャ ヨガの知識は ご存知のとおり 極めて精妙で 簡単ではなく いわゆる知識階層や 因習に囚われている人々には たやすく浸透しません 一方には無知な大衆がいて もう一方には自分の頭で作った 枠組みの中だけで 生きている階層がいます 両者とも極めて荒削りです しかし 如何に彼らが 神の微細な恵みを吸収したか 信じがたいことです 私の誕生の後に 多くの者が生まれたこと それをだれも理解できません 私の前に生まれた人も 少数います 彼らは私の誕生直後に生まれ サハジャ ヨガに来たのです しかし私は世界を見て ショックでした カビラ自身よりも 衝撃を受けました どうやって誰かと話せるでしょう 私の家族とも どう切り出せば良いか わかりませんでした 無知の暗闇が深く できませんでした どうしたら 聖なるものを信じるでしょう それが待っていると分かるでしょう 彼らは皆 ある種の宗教を信奉し 現実から乖離していました どう話せばよいか 思い描くことすらできませんでした 最初の出来事を覚えています ナゴールに行き サハスララを開いたときです 最初にリアリゼーションを与えたのは グジャラート人の宝石商でした たちまち他の皆が 35人足らずでしたが 宝石商で金持ちだから だと言いました だからマザーは リアリゼーションを与えたと 本気で怒ったのは あの時が最初で最後でした 彼らに怒鳴りました あなた達は全くの役立たずで 聖なるものを決して分からないでしょう 本気でもうやめよう と思いました サハジャ ヨガが 理解されるまで もう1回生まれ変わる 必要があると ですが突然 人々がクールブリーズを 手に感じ始めした 私が怒鳴った直後です マザー 働いていますと 身体の内外で働いています こうして12人を得ました 以前リアリゼーションを 与えた女性も 後に加わって 14人のサハジャ ヨギで 始めました 突然そうなったので 皆が驚いていました それが何か 知らなかったからです すると驚くことに 憑依された女性が プログラムに来て ジャガダンバ ジャガダンバと 言い始めたのです 彼らは理解できませんでした 私も自分について教えていませんでした さもなければ 教えなかったでしょう 彼女は次に詩を吟じ始め それはサンスクリット語の ソゥンダリャラフリでした 彼女はただのメイドで しかも男性の声でした 皆ショックを受け どうして霊が そういったのかと思いました その後彼女は去りました すると人々は 私が何者かわかりだして 最初の私への プージャをしたがりました 私の自宅でした でもまだ自信がなくて 神官まで呼んだようです このサプタサディは 難しいプージャだから どうなってしまうのだろう ですがプージャが済むと 何も起こらなかったし 前より良くなりました 皆クールに感じました 雰囲気も完全に変わりました 彼らはサハジャ ヨガが ユガ ダルマであると知りました このカリユガの時代のダルマで サハジャ ダルマが このユガのダルマになりました このユガ(時代)は とても確かに難しいです だからこそあなた方は 皆さんが 熱烈な探求者になったのです あなた方は大衆が ただ何かに従い 道を見失っていると分かりました 自身の殻のなかで 頭をあちこちぶつけていると 彼らはたちまち リアリゼーションを得ると 自身の探求や人生について 私に語ってくれました 私は驚きました 彼らには探究心が働いていて サハジャ ヨガに 導かれてきたのです その過程で偽のグルつかまって 道を失った者も多いことも 忘れてはなりません にも関わらず こんなに多くのサハジャ ヨギが 国を代表してここにいます ですが祖国には 更に沢山いるのです インド国内でさえ もっとずっといます あなた方は代表しているのです その何倍もの数が いるということです 何人かわかりませんが サハジャ ヨギは何人いるんですかと 何度も訊かれましたが “わかりません” “わからないのですか” “わかりません 記録しないので” 彼らには理解し難いようで オフィスも記録も事務員もいません 私はタイプもできません 小切手の切り方も知りません 人々は理解できません 現代に私のような人が 存在することを ですが全て何とかなります 現代の無知があるけれども 全てが完全に パーフェクトに運びます リモコンのようです これら全てに関して 私はひとことも 言ったことはありません どうすべきだとか 何人必要だとか 全て自然に上手くいきました 皆がコミットしているからです そのコミットメントが 素晴らしい運営力を もたらしたのです 本当に多くがまとまりました パラマチャイタンニャが クリタ ユガにさしかかり 全てを運んでいるからです それがあなた方を完全に助けます たとえば警察は ムスリムがここに住んでいるので 何か問題になるかもと言っていました 危害があるかもというので どのムスリムですかと聞くと ニザムディン アウリアの人が 住んでいます 彼らは私たちに危害を加えません なぜなら彼らはスーフィだから それに彼は偉大な聖人だったから なので彼らの殆どがスーフィで それを信じているはずで 私たちに危害を 加えるわけがありませんと 明日早朝に チャードルを頭にまいて 行って来なさい 彼らはとても感激して ここまではるばるやってきて それにとても丁寧でした すると私を呼んで チャードルをくれたのです 他にも何かとくれたり 歓待されました 彼の弟子に アミールクスロウがいて 彼も偉大なスーフィで 私は彼の詩やニザムディンの 気品ある生き様を 賞賛していました 彼らムスリムは 私にこうして手を向け クールブリーズを感じます と言うので これがルーです ああ これがルーですか 彼らはルーを得たら すぐにサハジャ ヨギになり その結果 世界中に沢山のスーフィがいて 彼らの住所を調べて 会いに行きましょう そしたらもう一つ テントが必要になるかもしれません 2つか もしくは 3つかもしれません デリーでは サイズをあまり恐れません またデリーでするのが良いでしょう また昨今では デリーは騒がしい都で それをなだめ沈めるのにも 私達が居ると良いでしょう いわゆる国の舵取りをする 役人たちに智慧を与えられます 間違いなくそうなります これらサハジャ ヨギによって レーションが 放たれています あなた方の頭上をみると 天井の布が上下に揺れ続けています 外の風はないのにです 木の葉は動きません あなた方の頭が動かしています このヴァイブレーションが 政治家や役人を 鎮静して穏やかにし やがて平和を確実にもたらします 世界で様々なことが起きていて 不安に満ちたこの時代 政情不安があり ロシアでも ボスニアでも イギリスでは不景気 アメリカも スペインも不景気で 皆が苦しんでいて 彼らは極端な態度にでました なのでこの極化により 彼らは物質主義との 向き合い方を変えるでしょう 必ずあるバランスに至るでしょう あなた方の全なる望みや祈りで この世は美しく 魅力的になり 後世の人々は この世が聖なる芳しい 香りに満ちた蓮の花になった というのです あなた方は花びらで コロナであり 色彩であり 美であり 花粉であり 私の世界のビジョンの 美しい蓮の花です 今日この日に サハジャ ヨガのために 働くと決めて それを広め 自らにも働きかけて下さい 危険があるとすれば エゴに支配されないことです それが唯一の暴れ馬で 馬に引きずり回されず 自分を乗りこなせば とても早く前進するでしょう 美しく こうしてサハジャ ヨガは広がります 誕生日ごとに 誓いを立てたりしますが 私は何を誓えばよいのでしょう 私に無理をしないようにと 人々は言います 私は一生懸命働いています ですがそれを 倍にしようと思います 同じようにあなたも 皆が誓いましょう サハジャ ヨガの仕事にコミットし 社会に出て行くと それについて考えると 科学者なら 博士なら本を書くべきです 記事を書き 動きまわり 同僚と話し 同僚たちと 研修会を催すべきです 建築家たちや 他の職業でも 同僚たちに リアリゼーションを与えるべきです 金融の分野にいてさえ サハジャ ヨガをするべきです それが大事で お金の問題は聖なる力でしか 解決できないからです 誰にも解決できません この世の誰もが 法律でも別の分野でも サハジャ ヨガをするべきです そしてクリエイティブに 仕事をなすべきです そしてまた 周りの環境 村や都市 どこであれサハジャ ヨガの プログラムをして 拡めて行きなさい 治療に関しては 誰にも触らないように 私の写真だけを使って こうしてどんどん サハジャ ヨギが増えていき 病気の者は減っていきます 人々は治っていき 皆サハジャ ヨギになるでしょう 農業もあります 何度か試しましたが 更に農業に応用すべきです 政府に農業分野での 可能性を訴えるべきです 委員会を作り 会いに行き サハジャ ヨガが 農業にどう役立つか話しなさい 子どもの援助も必要です 彼らを大切にしなければなりません 彼らにどんな未来が 待っているでしょう どんな世になってくるでしょう インドにおいてさえです なので子どもを サハジャの文化で ちゃんと世話することが とても大切です 彼らが明日の サハジャ ヨギだからです 多くが生まれながらに リアライズしています ちゃんとしつけて 彼らをアーラにすべきです アーラ ダルザです カワリで言われる サハジャ ヨギのことです 家庭もとても大切です 今日の家族が 狂っているのをみるのは ショックなことです 誰もその大切さに 気づかずにいます サハジャ ヨガでは 小競り合いやケンカ キツさや残酷さはなくすことです ちゃんとした関係をつくり まずは夫婦からはじめて 連れ添っていき それを子どもが見て学び 楽しむのです 生活のなかでの装いも 威厳と品位をもって 自らを敬いなさい とても大切です 自分に似合うものを 国に合わせて着るべきです 真夏の季節で 3ピースのスーツを来たりしたら どうなるでしょう 適切で 文化にあったもの 品があって伝統に沿った 装いをするべきです 特に女性には大切です より高貴に見えるような 服を着ることです もう一言女性に加えると 女性が少なくとも 新聞くらいは読むことです 注意が世界の問題に 向いていれば とても効果的です あなたの注意は効くからです 注意を使いなさい 新聞も時に恐ろしいのは 知っていますが バンダンをしなさい 何が起こっているか見なさい 大切です 男性はセンセーショナルなものは 読まないことです 現実に起こっていることに関し 読んで解決を考えなさい サハジャ ヨギとして どう役立つか 個人的にも社会的にも 私たちは多くの問題を 解決しなければなりません 名作も読むべきです 映画も見なさい それらに対する感想を持ち こころを敏捷に保ちなさい 私は美しい詩歌を 最近たくさん読みました それらは まさか詩を書くとは 思えなかった そんな人々による 最上級の美しいものです これらの詩を集めましょう 奇跡的な写真も 方々から集めましょう 今それらを編纂しています そしてそれらによって 自然に何かの助けになれば 素晴らしい達成です 今までにそうした情報を集めたり 保管したりしてこなかったからです 最も大事なのは瞑想です 瞑想しなさい 瞑想によってのみ現在にいることができ スピリチュアルな成長が可能です 何度も言っているのに しようとしません 10分ほど瞑想できれば 寝る前にすれば効果的でしょう 間違いなく 早く成熟します 私には瞑想しているか すぐに変化が分かります 習慣づけば 決して止めないでしょう 簡単な瞑想です フットソークなどもあります 朝はエゴを叩きなさい それだけです それは義務や 苦行ではありません そういったことではなく シンプルなことです でも自分自身でそれを行い 自己実現と神聖への成長に 敬意を現すのです 私たちには 沢山の強みがあります でも気をつけていただきたいのは 探求心のない人々に サハジャ ヨガを勧めないことです 議論や口論して 力を浪費しないことです あまり議論できることでは ないからです 彼らは忘れて放っておくことです 私に任せなさい 真理を探求している シンプルな良い人を選びなさい 議論ばかりの人々のために 頭を痛めてほしくありません 今日では サハジャ文化が出てきて 人々はあなた方を見て 特別だと感じるでしょう 何かユニークさをもっていて 他にない性質があると これらは全て あなたの内面から 自然に出てきましたが それを恥じずに保つことです 自身の美徳を 恥じてはなりません 人が何をしてきても こうしろああしろと言われても 間違いなら 従うべきではありません あなたにはもう力があり したくないです といえば良いだけです あなたが民衆を導くのであって 人にリードされるべきでありません ファッションにも惹かれず あなたがファッションを作りなさい 彼らに道を作るのです 彼らの道を あなたが歩くのではありません いいですか あなたの人格は 多くの精妙さを 理解するレベルにあり その力に人は気づきません だからあなたが 当然リードしなければなりません 彼らの考えを取り入れるのでなく サハジャ ヨガやあなた自身に 何かを言われても 恐れないようにしなさい 自身を持ちなさい そうすれば上手くいきます 私はただの女性で主婦ですが サハジャ ヨガに自信があるから うまくいきました 始めるかどうか 迷うことなく ただ始めたら 家族ではあまり評判は 良くなかったけれど それは問題ではなくて 自分で全てを初め 全て上手くいきました 真理に完全に自信がありました 真理が私を助け 私を訪れる人々をも助けると そして現にそうなりました あなたにも難しくないでしょう まずは皆さん 自分が条件づけされてなく エゴがないことを 確かめてから始めていけば 上手くいくので驚くでしょう 今日のプージャは短いので 長く講義しました この短い時間では まだ言えないことがたくさんありますが ですが坐れば簡単にできます 12345678自分と なので自分がオーガナイザーだと こころに留めて下さい 何をするべきか 何ができるか 何をなそうとしているか ぜひやってみてください 皆ができます 日記をつけるのが 一番よいでしょう 何をしたかとか リアリゼーションを何人に与えたか 何人治り 彼らについてどう思ったか でもサハジャ ヨギ達は 今持っていないと マザー 今は持ってないので 明日から始めます 今日から始めなさい サハジャ ヨギの唯一の問題は ものを軽く考えすぎるところです もちろん そういう性格なのでしょうが サハジャ ヨガに関してはいけません 他のことなら 軽く考えても良いです 誰かに怒鳴られたら 叩かれたとしても 軽く受け止めれば良いでしょう そんなことは何でもありません あなたはスピリットなのですから スピリットを壊すことはできません ナイナム チダンティ シャストラ二 でもサハジャ ヨガに関しては 違う態度であるべきです 一方ではリラックスしていて もう一方では精力的であるべきで そちら側でサハジャ ヨガの理論を 前面に押し出すのです 人々に話す際に プレスコンファレンスを催したり したいようにしなさい どんなレベルであっても やりたいなら キチンと計画したなら あとはただ実行するのみです 全てうまくいくでしょう 間違いありません 私のこれらのアイデアで 多くの者が来るでしょう 来年にはきっと 実現していることでしょう ライ氏のように多くの人に 本を書いてもらいたいです 医者は皆書けるでしょう ドクターライは簡単に書きました 簡単に書けました 美しく成功しました 誰もが自分の体験を サハジャ ヨガの理解を持って 書くことができます それがサハジャ ヨガを 助けるでしょう ただ非常に 誠実な本であるべきです そうであれば サハジャ ヨガでも賞賛され 出版されることになるでしょう アイデアがあるものは 誰でも本を書いてみるべきです 新しいアイデアや創作です とても大切です 現代では人々は 新しいことをしようとするからです このような状況ですから 皆が上手くやれるに違いません サハジャ ヨガについて常に考え アイデアを思いついたら書き留め それを編纂し サハジャ ヨガの 美しい本にしなさい 女性にも多くのチャンスがあり サハジャ ヨガのために色々できます 今が絶好の機会です 間違いなく明日から サッティャユガが始まると思います 何が兆しかといえば サッティヤ(真理)が 勝利するということです 何であれしようとすると 真理が勝利します 真理の勝利 それがあなた達により起こります そのためあなた方に おめでとうといいます それを是非やってみてください 神の恩恵がありますように […]

Hamsa Chakra Puja Vancouver (Canada)

Hamsa Chakra Puja, Vancouver (Canada), 13 September 1992.
今日 私たちは ハムサ チャクラを崇拝します 今まで私たちは常に 神格を崇拝してきましたが ハムサのセンターを崇拝するのは 今回で二度目です このチャクラは 二つの眉の間に位置しています 二つの目は 左側と右側を表しています このセンターは 目 耳 鼻 舌 歯 喉 などに関与しています これはとても 重要なセンターです なぜならヴィシュディは16の花弁を 世話しなければなりませんし またこれらの異なる器官を 世話しなければならないからです その上ヴィラータと 伝達し合って このハムサ チャクラのセンターを 通り抜けなければなりません ハムサ チャクラは 私たちの意識の中で 吉兆を表す まさに中枢のセンターです このセンターが 鋭敏で目覚めるなら 私たちは直ちに 何が吉兆で そうでないか分かります 神聖な分別を得ます 人々が善と悪 破壊的と建設的な ものに分別を持つのは 遺伝の一部だと思います 基本的に 備わっているものですが 外部からコンディショニングやエゴを 収集しているこれらの器官によって 私たちは容易に このセンターを損なってしまいます ですからこのセンターは 傷つきやすいのです このセンターが これらすべての器官と関連して 全ての情報を 受け取っているのに比べ 他のセンターはそれほど 外部とは繋がっていません 例えば目は スピリットの窓と言われるように 大変重要です クンダリーニが上昇して スピリットが輝き始めると 瞳が拡張し 純粋な子どものように見え 目に輝きがでます しかし目を貪欲と欲望によって 無分別に使うなら このセンターを ひどく損傷させます 一度生活の中に破壊的なものを 取り込み始めると 私たちはすぐに何でも 不適当で破壊的なものを いとも簡単に受け入れてしまいます これは遺伝上の欠陥 ではないかと感じています つまらないもの 破壊的なものを 受け入れない者もいるからです 一方でばかげた 破壊的なものに 簡単に引き寄せられる者もいます 集団的に 受け入れることもあります 一度集団的に受け入れると 周りに影響を及ぼします 取り込むだけでなく 周りに影響を与える効果があります 例えば 落ち着きの無い目の者が 他の者に影響を与えて 彼らもそのように なってしまうことがあります 彼らに影響を及ぼし 同じようにさせる可能性があります つまりこれは あらゆるブーツが入ってくる うってつけの戸口です そしてそれを投影し始めると 同じブーツが 他の者へ乗り移り 同じような真空 その人のハムサ チャクラに 同じような弱点を 作りだすことがあります ですから 目はとても清く 純粋でなければいけません もう一つは 聞くことにに関してです 人は聞きたいないことを耳にすれば 耳をふさいだりしますが それを聞くのを 好む者もいます 普通人が好まないような 恐ろしいことを聞くのに慣れ それを好むように 条件付けられます 例えばフランス人は 匂いに関して分別がありません 匂いがひどいのに 腐った食べ物やチーズ ワインを飲み食いしています 匂いが分かりません 近くにいる人でさえ わかります 彼らの手からも匂います 分別の力を失っています 同じように私たちの国には 汚い物を手できれいにする スイーパーというカーストがあります 臭いとは考えません 臭覚が おかしくなっています ですから 彼らは仕事ができます 香りに対する 敏感さが失われれば・・・ 煙草から作られた物があって それが良いとされています “タバック”のような有名な 香水のブランドもです 一度そのような物を好めば “ポイズン”のようなひどい香りまで 良いとしてしまいます 嗅げばアルコールの 匂いがします 彼らは気にも留めません そのような香りに 快楽を感じるからです これらは 終には 鼻の細胞を破壊させ 臭覚さえ失いかねません 臭覚は 喜びを与える器官の一つです クンダリーニが上がると 多くの者がたくさんの香りを感じます グッグルや白檀の 香りがする者もいます それらは花や木の 自然のエキスです 不自然に作られたものは 現に鼻の臭覚の細胞を 破壊します 一度それを使い始めると 動物のように悪い匂いが 分からなくなります 動物の大半は何の匂いにせよ 匂いを感じます 人間の香りに対する 感受性が失われてます 私たちがどれほど人間として 上昇したとしても 次第に 完全に失われていきます また喉に関しても 口汚い言葉が使われたり 人を罵ったり 短気を起こしたり 攻撃したりすれば あるいは飲酒や 特に喫煙などのような 破壊的な性質によって 喉をだめにします 煙草を吸えば 喉は傷を受けやすくなり あなたの声の優しさは 失われます しわがれ声になってしまいますが 全て外的なものです 口が臭くなり 分別なく取り入れれば 歯も影響されます 流行っている 売れているからといい その通りにしてしまうことは 叡智や人格を持っていないことを 意味します ハムサ チャクラが 目覚めると 私たちの分別は 発達します 昨日ハムサの語源について お話ししました 美しいサンスクリットの 連句があります それによると 白鳥と鶴は 双方とも白い鳥ですが では白鳥と鶴の 違いは何でしょう ミルクと水を混ぜれば白鳥は ミルクだけを飲むことができますが 鶴は分別できません 私たちが分別の力を失えば ロボットのようになってしまいます 人格を失うからです 誰でも洗脳することができます 分別について説かれれば 耳を傾けるでしょう 多くの人が 誤ったグルへ行き 同性愛やエイズになり ドラッグに手を出しています それは信じ難いことです これらに耽り 人生を台無しにしています 酒屋でお金を 使い果たして酔い潰れます 人はそれを見て 自分にお金があることを確かめ 入っては酔い潰れます そのような愚かさをみても 自分もそのようなことに お金を費やします 自分自身を破壊するために お金を払います これは誰にとっても 不自然なことです 動物でさえ知っていて 危険を嗅ぎつけ 命を守るために逃げ出します 動物は人生の貴重さを知っていて 生きなければと考えます この常識が 失われはじめ 何が悪いのかと 言い出します それはハムサの遺伝に 欠陥があるということです ハムサ チャクラには 神格はいませんが ブッダ マハヴィーラ キリスト クリシュナによって見守られている 多くの器官の 形の無いエネルギーです そしてその四人はシュリ ガネーシャ によって管理されています これらの遺伝はガネーシャによって 設けられています 彼は叡智の源だからです 一度人がムラダーラを 駄目にしてしまうと その叡智 基盤となるものが終わります 私たちの人生において 不道徳な 生活を送ることは有害なのです 分別を失うからです ハムサ チャクラにシュリ ガネーシャ を目覚めさせることができれば 突如 サハジャ ヨギの 高度な人種に属することになります 人々が一夜で ドラッグを絶ったり 不道徳な者が非常に 道徳的になるのを見てきました このチャクラが 突然目覚めたからです スピリットの光は 日常生活において またコレクティブにおいて このチャクラを通じて最もよく表れます 私たちは真意を 見始めます 現在サハジャ ヨガで 私たちは異なる問題を抱えています 人が初めてサハジャ ヨガに来ると 他者の欠点 落ち度を見始めます 何のためにここにいるのか 見ようとしません 他者の欠点を探すためではなく 自身を正すためです 周りを非難しては 問題を起こします そしてグループを 作ろうとします 何のためにいるのですか 政治のためですか それとも自身の 上昇のためですか あるいはこれで金儲けを 考える者もいます または自分とは関係ないことで 他者を批判する者もいます 彼らはまだ 遺伝子が叡智によって確立 されていないので忘れてしまうのです 心配すべきでない事まで 心配します “私こそリーダーだ”“なぜ私はリーダー でないのか”と考える者がいます そしてリーダーの欠点を 探し始めます 時にはリーダーも “私はリーダーで 厳格にでき” “懲戒でき 支配できる”と 感じることもできます どのように愛し 慈悲深くなり 忍耐強くなるかを ここへ学びに来たのです 統率力や従順さのセンスは 双方とも任意です あなたが誰かに何か言われ 自分の善のために従うなら 自分の善のためだと 精妙な理解をするでしょう リーダーにここが 間違っていると言われたら それに対して傷つくのではなく 間違っているか自分を見なさい いかに自身を高められるか リーダーでも私でも尋ねてください でもそうする代わりに すぐさまリーダーを非難し 私に言いつけます あるいは“彼はマザーに嘘をつき マザーはそれを聞いています” お母さんは バカではありません 全てを知っています 前世からのものを 生まれ変わっても持ち続けています 卵から鳥になっても まだ殻が 身体にくっついているようです 浄化しなければなりません この時点で あなたはリアリゼーション を得ているので 最初の思慮は “いかに純粋なスピリットの状態に 到達できるか”であるべきです しかし代わりに人は 分別がないので 自分を見失います 啓蒙によって 最初に起こることは 私は見てきましたが 彼らの目が定まることです もはや目は むやみに彷徨いません 大変純真な目を持ちます さもなくば彼らは 本当に狂っています このように全てを見ようとします 気違いと同じです その者は気違いと 同じようなことをします 大変狂っています しかし すぐさま自発的に 部屋に光が入るように 大変自発的に 物事が明確に見え始めます “違います 正しくありません” 以前は庭から棘を集めては 身体に刺すような状況でした 決しては花は見ません リアリゼーションの後は 棘ではなく花を見ます 棘を見れば取り除きます リアリゼーションの前や後でさえ 喜びはありますが それを楽しむ能力はありません その能力は リアリゼーションの後で出てきます そしてあなたに起こる 主要なことは分別です そして白鳥のように全てから ミルクだけを採ることができます あなたは大変異なった 態度になります 別の角度から物事を見ます 芸術を見るのに ある寺院を訪ねたことがあります 義理の息子と娘とで山を 何キロも登らければいけませんでした 大変疲れたので ある寺院で休憩しました そこで言いました “象の彫刻を見てごらん” “全部異なる尻尾と鼻 ポーズで美しいよ” “僕たちは疲れすぎて 見れないよ” 私のアテンションは疲れでなく 美しいものにあったからです 同じようにあなたは ミルクを採ることができます あなたは喜びがあっても 感じることができません 神聖の分別の 精妙な力がないからです 一度それが出てくると 全てを楽しみ始めます 人生も同じです 何も変わりません 同じ家 同じ家族 同じ町 同じ環境 それでいて あなたは楽しみます ハムサ チャクラの感受性は神聖な 分別のためだけにあるからです すぐさま知ることができます 刺のあるものは要らない 花だけを集めたい 花の集め方も知っています あなたは歓びの中にいます そのようにハムサ チャクラを通して 光るスピリットの光は あなたに叡智を授けます 議論や喧嘩の仕方を知っているのが 叡智ではありません 叡智とは あなたが歓びを 感じるために全ての良い面を取る 全ての破壊的なことを避けて 建設的なことを取る ということです あるいは危険と書かれた 道を歩くとします リアリゼーションの前は 何が危険か見ようとします そして死んで ニルヴァナを得たと言います 賢明な者なら 危険であれば戻ろうとします 自身を守り 人生に敬意を払います 今や自分は神の媒介であることを 知っているからです 叡智は自動的にきますが 経験を通してです するとあなたは 正しい道が分かります 経験を通して 理解し始めます 今だから話せますが 20年前はできませんでした 話せば“信じ難い話だ 本当かは分からない”と言うでしょう 一度 叡智が明白になると それを通して全てを 明瞭に見始めます あなたの頭を 完全に明瞭にします 誰かに叡智ある言葉を言われれば 決して悪く思わないでしょう 逆に感謝するでしょう “話を聞けて幸運だ” それらはあなたに 歓びを与えます ですから 多くのことは耳で聞きます 以前聞いた事でも 音楽であっても 決して歓びを与えませんでした この変化によって 以前聞いたことのある 同じ音楽を聞けば 天国にいるかのように 感じさせます 歓びを与えます 昔詠んでつまらなかった 詩も同じです “以前ウィリアム ブレイクを読めば 頭が痛くなりました” “でも今は大好きです 聖書のようです” あなたは新しい見る力 聞く力を 発達させたからです サンスクリット語で アティンドゥリヤです 内にある精妙な器官 という意味です 目や耳は精妙な器官です これらの精妙な器官は 美しいと感じるものを集め 自分を取り巻くもの全てに 反響をもたらします 例えば暗闇にいれば 普通あなたは怖がるでしょう ですが 今では “楽しい 冒険的だ”と言うでしょう 互いの手を握って ゆっくり進むでしょう 例えば大変暑いとします 普通 人はどう反応するか 分かりませんが “とてもいい日だ 時には 暑くてもいいね”と言う者もいます 寒くても同じです 悪いとされるものでも 全ての面を楽しみ始めます どう楽しむかが分かります 一度分かると “私たちは歓びの大海で 泳いでいる”と言います 大海は同じですが 大海にある蜜の 美しい雫を手に入れたのです 他の者たちは 溺れることを心配しています 同じ大海 同じ世界です ですからマヤだと 言われていますが この分別が輝き始めると マヤはありません 楽しみます 例えば 誰かが 海に落ちるとします 彼は大変怖がり 沈む前に死ぬでしょう ですが海の中の美しさを 見れる者なら その者は安全で 美しい海中眼鏡やフィンをつけ 煩わされるものはありません そこへ行って 写真を撮り 楽しみます 大海は彼にとっても 海に落ちた者にとっても同じです 安全な者 全ての装具を 身に着けている者 何を見るべきか知っている者は 楽しみます 同じように あなたは叡智と 安心感を備えています 自分が何をしているか知っていて 同じ物でも美しく感じ 楽しみます サハジャ ヨギが全てを 楽しんでいるのを見てきました 例え誰かが会場で 叫んでいても サハジャ ヨギは皆 大笑いしていました 哀れな人は精一杯 非難しようとしているのに ヨギはただ彼を笑っていました 彼は逃げ出しました 彼らは彼の愚かさを 楽しんでいました そのように生きる姿勢が このハムサ チャクラによって 大変変わります あなたはその叡智を自動的に発達させていることに意識していませんが 後にあなたはそれを 確固たるものにし あなた自身の啓発された 信念にしていきます あなたが信じたこと全て ワークアウトするからです あなたが知ることなく 努力することなく 頑張っていたことが 突然舞い込んでいるでしょう 突然人に会ったり 助けを得たり 多くのことが起こります インドから来た者で ミラノ駅で 会うことになっていました 人を迎いに行かせましたが 小さなバッジしか着けていなかった ので分かりませんでした 探していると 走ったり 動揺せず ヨギにようにリラックスして 立っている者がいました 彼に声をかけると “そうですあなただと思いました” その者の姿勢や様子 話し方 振舞い方が違うので分かります 全ての人生や人格が変わるのは 奇跡のようです 一度夫がイギリスの図書館に ヨギを連れて行きました 人は無礼なものです 閉館して 2分ほど経っていました 館員は彼らに 怒鳴り始めました “おっしゃる通りです イギリスの渋滞は 全く閉館時間を理解していません” “僕たちがなんと言おうとだめでした 閉館時間も言ったのに” “大事なことを 全く理解していませんね” “渋滞が僕たちを止めてすみません 次回はそうなりません” 館員は唖然として 緊張がほぐれ “分かりました入りなさい 1時間開けます” 人と接したり話したり 仕事を処理する叡智が 全てのことをワークアウトさせます そしてワークアウトしなくても あなたは悪く思いません “仕方ない 相手は サハジャ ヨギでないのだから” “どうすることもできない” と考えます 今回私たちが来る時も オランダ航空の支配人で 感じの良い紳士が対応しました “座席がないという 問題が生じていて” “3人しかファーストクラスに 乗れません” “それは難しいです 彼は友人で一緒でないとだめです” そこで私は椅子に腰掛け この状況に3回バンダンしました すると“6つ席が空きました” 活発で 私たちを見守る 包括的な力 があるとはっきり分かってきます 偉大な聖人皆が力を貸しています 時には天使たちが 共にいると感じるでしょう どう導き 助け ワークアウト しているか感じるでしょう それら全てを見ます あなたはそれを知り 信じ始めます すると分別が しっかりしてきます その状態になるまで サハジャ ヨガ から脱落することはありえます 些細なことで脱落していった者を 多く見てきました 何か荒っぽいことを言われ 脱落した者もいます あらゆる種類の人々が 縁部にいるからです ですから何か言われれば 脱落します 分別を得た状態に 到達していないからです “私に相応しい場所なのに” “相手が間違っているのに なぜ私が出なければならないのか” 成長はあなたのハムサが 整った時に初めて可能になります あなたが完全にそうならなければ 難しいでしょう 一度ハムサが確立すれば・・・ 人が本当に献身的になるのを 見てきました ご存じのようにサハジャ ヨガは 世界中に広まっています ですが私には秘書も 組織も事務所もありません 皆が私の秘書です 各自ワークアウトしています それと同一化していて それに責任を持っています 私はプラグのようです どこにでも設置できます 皆私の子供たちで 私を傷つけない という分別ぐらいはあります 時折忙くなったり 急ぎ足だったり しますが私は気にしません 彼らはサハジャ ヨガのために 一生懸命だからです そしてもっとそれをしたいと望み 責任を感じています なので私はそれに敬意を払います 時には“スケジュールが過酷すぎます 見るに耐えません” と言われますが 大丈夫です 彼らのサハジャ ヨガへの同一化に 完全に信頼を置いているからです 彼らは騙しませんし 偽善者でもありません サハジャ ヨガを助けるために 他者を助けるためにそうしています 培ってきた誤ったものとの 同一視はなくなります 美しいものと同一視し始めます 美の芳香を得て 堪能し始め ハートは開き始めるからです あなたのハムサが未だエゴや コンディショニングに感化されていたら この喜びやこれら全てのものは 不可能になります 人はヒンズー教やキリスト教など 様々なコンディショニングがあります 間違ったものに従っています でも自分の善のためという 信念のもとに 全てのコンディショニング を放棄すれば このアギヤ チャクラは開花します それなしにアギヤは開けません それはアギヤへの ヴィシュディへの入り口 頭にある全てのチャクラへの ピタへの入り口です ですからハムサ チャクラを きれいに保つことは大変重要です ハムサ チャクラを保つための 身体面でのアドバイスはしました 精神面においても 話しましたが すべきことは マインドを落ち着かせ 全てのものの中に 美しさを見出すことです 低俗なものではなく 有益性でもなく 美しさをです 徐々に目が浄化されて いくことに気付くでしょう 今や多くの人が サハジャ ヨガにいます 深さや探求心ゆえでしょうか あるいは星廻りでしょうか あなたが意識しているか どうか分かりませんが ハムサ チャクラは 最も偉大なことをします つまりあなたのカルマがどうであれ 影響されません あなたの先祖の 国の 個人の カルマの責任がなくなります 何であれ私たちが行った過ちは 全て終わりました 過去から完全に 切り離されたかのようです 一度これが確立されると 全ての過ち 間違った行動 あなたのものだけでなく 親類 先祖 家族 国 この地球全てに あなたは害されません あなたはそれを超越します そしてこのクリタ ユガにおいて ブランマ チャイタンニャは過去の カルマを暴いて罰しようとしています 集合的にも国家的にもです しかしあなたに 触れることはできません このセンターの光が 非常に力強いので あなたが過去に行ったことからくる 全ての恐怖から救うからです あなたはまさに泥から出て咲く 蓮の花のように美しく咲くでしょう そしてあなたは全世界に 美しい芳香を発するでしょう 神の祝福がありますように […]

シュリ ラジャ ラジャスワリ プジャ (India)

シュリ ラジャ ラジャスワリ プジャ 1991年12月6日
インド、マドラス 今日、シュリ ガネシャ プジャを行います その前にラジャ ラジャスワリのプジャを行います 女神はいろいろな名前で呼ばれました 詩人アディシャンカラチャルヤは女神をラジャと呼び  ラジャ ラジャスワリは ”女王の中の女王””という意味です。 西欧では聖母マリアのこともそう呼びましたが、 これは異教から来ています。 聖書の中に 描かれている聖母からではありません。 つまり、何回も 聖書が書き直されたのことを示しています。  それだけでなく インドの聖典であるギタさえも書き直されています。  そのために全宗教は間違った方向に逸れ始め、  知識人はそれを利用し、 自分自身の考えを主張し始めました。 彼らが言ったり、書いたりしたことは 神聖な神とは全く反したものでした。 あなた達はこの地球上で最も幸運です。 なぜなら、現実を発見したから。  たとえば 神話が真実であり、 知的なものは事実でないということ。 人々を分離する為に使われたものは 真実ではないということを知ったから。 私たちが全ての宗教を信じているので いわゆる信心深い人々は 私たちに反発しています。 なぜなら、彼らは一つの宗教のみを信じ、 その他の宗教に対して戦わなけらばならないと思っているから。 全ての宗教を信じるということは 全く信心深くないという考え方です。 彼らにとって、私たちが全宗教を信じること 全てのインカーネーション(化身)を尊重し、 全ての神の統合を信じていることはショッキングなのです。 シュリガネシャを知ったことは、 西欧人にとって大きな驚きだったに違いなく、 インド北部でさえも、シュリガネシャが インド南部程、崇拝されていません。 特にこの地域とマハラストラには 8つのガネシャスワヤンブ(swayambhu)があり 皆、それを信じています。 盲目的信仰だと言う人もいますが、 あなたはシュリ ガネシャが私の後ろに立っているのを見たことがあるでしょう。 私の中にいるガネシャも。  つまり、ガネシャという神格は存在するということです。 シュリ ガネシャの半分が見えて、 半分は私のサリーが見える写真も見たでしょう。 これは全て シュリガネ‐シャという神格がいて ムーラダーラを通して、実際に活動しているということの証です。 この知識はインド人には知られていました。 何千年も前から。 このクチプディダンスも紀元前7世紀に始まりました。 つまり、シュリ ガネシャに関する知識は、 何千年も前からあったということです。 だからこの国の人々はスピリチャルに進化した。 聖人とは何で、 どんな姿で、どんな役割があるか知っていたのです。 隠された知識ではあったが、 聖人の言うことは何でも受け入れました。 そのことに関してエゴがなかったためです。 不可解なのは、 西欧人のエゴがなぜ、こんなに強くなったのか 今だに良くわからない。 エゴを通して、なぜこんなにアグレッシブになったのか 競争のせいだとか言う人もいますが、 どちらかというと西欧の歴史である、キリストは 謙虚さ以外何者でもないことが はっきりとあらゆる文書に表されているにもかかわず、その信者は アグレッシブです。 私たちが理解しなけらばならないのは謙虚さです。 謙虚はヴィナイvinayと呼ばれ、 シュリガネ‐シャの特質である‐ Vinayaka “Vidya vinayen shobhate” ”知識は謙虚さだけで飾られている。”という意味です。 昨日偉大な芸術家の謙虚さ そこにいた偉大なグル(指導者)の謙虚さを、 またアカデミーに私を招待してくれたグルは 数多くの奉納を行い、 まるで、女神に奉納するように 私とサハジャを 受け入れてくれたことに感激しました。 このカラクシェトラKelakshetraは 神智学協会(Theosophical Society)に支配されている 彼女は神智学協会のことはあまり気にしませんでしたが、 この大きな講堂を作り、 全てを芸術に捧げた 神智学協会の人をその中に入れることは許可しなかったが 私をこのように受け入れてくれました。 彼らの献身と理解がわかります。 聖人に対して謙虚になるということは、 この国の暗黙の法律です。 聖人に対するチャレンジや独占は許されず、 聖人が言うことは全て、受け入れなければならない。 シュリ ガネシャが私たちにあたえてくれるのはvinay – “vinay”とは謙虚さです。 謙虚さとは表面的ではなく、たとえば ”ごめんなさい“とか” すみません“とかではありません。 見た目や口先だけではなく、謙虚さは 自分の中から出てくるものでなければならない。 謙虚さはエゴによって、失われます。 エゴは人を惑し、 自分のエゴに気がつかない。 私がエゴのことを話すときも、 マザーは他の人の話しをしていると思い、 ”エゴがあるのは自分自身だ“とは思いません。 シュリ ガネシャはエゴを殺すことができる なぜなら、謙虚さのみが エゴをなくすことができるからです。 謙虚になるため、何をを見なければならないか? たとえば、皆さんが来たこの国には、 とてもシンプルな人達が所有物もほとんどなく、シンプルに暮らしています。 身の回りに洗練されたものは持っていない。 葉やプラントの上の食べ物を手で食べています。 ここに住んでいた西欧人は、 これらの人々は皆、原始的だと言った人がいた。 でも、この芸術を作り上げてきた業績をを見ると、 このような素早さ、このような飛び方さでも なかなか達成できるものではありません。 なぜこのように努力するのか それは芸術に対する謙虚さからです。 芸術は尊重されるべきで、 グルは尊敬されるべきです。 尊敬がなければ、物事を学ぶことはできません。。 インド人の血の中にそれがあると思います。 暗黙にグルに従わなければならないということを知っています。 そして、グルは多くの人々を指導している。 ここにはたくさんの女子がいますが、 グルの芸術を表現するためだけにいます。 グルはあまりお金をもらってはいません。 所有物もあまりない。 また、お金もあまり請求しない。 しかし、彼の献身は まるでシュリ ガネシャが母に対するような献身です。 完全に没頭しています。 他に大事なこと何もない。 謙虚になるため、あなたは 注意を他に向けてはなりません。 これは非常に大事なことです。 もしあなたの注意が、他の問題に向けられるなら、 もし、あなたがサハジャヨガに 他の理由で来るなら、うまくいきません。 心から謙虚に 完全に謙虚にならなければならない。 彼は純粋なので、謙虚です。 純粋でなければ、謙虚にはなれません。 純粋かどうかの証拠は謙虚さでわかります。 良い子供、純粋な子供は非常に従順で、 何を言っても従います。 私の孫ですが、‐以前ネパールに行った時、 とても寒かった。 孫の母親が ”子供達は頭に何もかぶろうとしない“と言ったので、 私は“1分でそうさせましょう”と言った 孫を呼び、ありふれた布切れを渡した。 “頭を覆いなさい”と言った。“はい” 子供達はそれを頭に覆いました。 きちんと覆って、形を整えました。 見た目は少し変だったが、子供達は気にしなかった そういうことが 欠けているのです。。 だから、深さが足りないのです。 コンディショニング(様々な環境的条件)だけではない そうとはいいません。 コンディショニングを超えた インド人でさえそうです。 謙虚になるのは非常に難しい。かなり難しい 西欧の影響というかもしれない。または 過去を忘れてしまったのかもしれない しかし、謙虚さは非常に大事です。 子供の頃から、私の場合、 キリスト教の家に生まれたが、まず母なる大地に触れて、 許しを願わなけらばならなかった 頭を下げて 両親の足元に触れる。 家族の長老たちも足元も‐そうでしょう。 家族の中で年長の人々の足元に触れる たとえ、年老いた召使でも、年上の兄弟の面倒を 見てくれた召使の足元もです。 そのような謙虚さが欠けています。 また、年長者が持っていなけらばならない尊厳も欠けています。 とにかく足元を触れるのは私たちの義務で、 年長者の話はしない。 これがサハジャヨガの美しい雰囲気を作ります。 しつこく“これをすることは謙虚か?と 聞きなさい。 “こういうことをして、これを言って、謙虚だったか?” 現在の問題はリーダーに対する批判である リーダーはふさわしいからリーダーになっているわけで もし、良くないリーダーだと分かった日には、その人を追い出します 皆さんもよく知っているでしょう。 それでも謙虚さがない。 謙虚さはエゴに置き換えられ、そのエゴが リーダーの中にエゴを植え付ける。 リーダはエゴイスティックになり、多くのリーダーが 追い出されました。 いったい、いつ、バランスが取れるのかわからない どちらを責めたらいいのか?メンバーなのかリーダーなのか とにかくマザーがリーダーを任命したのだから 謙虚になりなさい。 それには何らかの 理由があるはずで、 なぜリーダーと喧嘩したり、リーダーのあら捜しをしなければならないのか? まるで、リーダーに対して結成した組合のように シュリガネ‐シャはとても謙虚で、彼の ganas(天使)は ある意味ではもっと謙虚です。 なぜなら、かれらは 母親に対して、謙虚でないガナを決して許さない。 ほんの微妙な目の動きを見ながら戦う準備をしている そして、言われたことは何でもする。 彼らは母親の全ての目線の角度を理解し、 何をしなければいけないかがわかる このような献身のみが あなたをさらに深くさせる。 ところが西欧でのやり方は 私たちをもっと広げ、宣伝し、 自分のことをもっと話し、 自分のことをもっと自慢しなければならない そうすればするほど、成功する そういうことが毎日見られる。 ”信じる“と言いはる。 信じる、信じないと言っているあなたは誰? そういうことを言っているのは誰? あなたの自らのイメージはおそらく 偉大なパーソナリティ‐とか、プロフィールを持っていることでしょう それで、プロフィールを作る。全くうわべだけの、ナンセンスなものを 驚くことに、そのようなうわべだけのプロフィールに、 人々は頭を下げる。 おそらく、その人々も見せかけだけなので そのようなうわべだけの人に頭を下げるのかもしれません。 驚いたのは、有名な詐欺師がいて、 みんな詐欺師だと知っていているのに それでも、人々はその詐欺師の前で土下座をすることです。 たぶん何らかの物質的な 利点が欲しいのかもしれない。 何らかの表面的な利点が。 そのような人と一緒に写真をとることさえ、 素晴らしいこと思われています。 このような考え方はサハジャヨギとしての目を通して見なければならない。 彼らのジョーク、ドラマ、何が起きているのか それを思い起こして、自らに問いかけ、 ”自分に中にはそういうものがありませんように“と。 時々、私たちは他人を笑うことがあるが、自分達もその仲間に入っています。 一度、自らに問いかけ始めると、自分に中にそういうものを見ることができる。 “はい、それはあります”と。 ある国のあるサハジャヨギは 報告を受けましたが、突然、 “マザーから特別なパワーをもらった“とか “私はマハマタジ(偉大な母)”とか そう言った人がいた。 私でさえ、自分がマタジだと一度も言ったことがない。 あなた達は私をそう呼ぶが、自らそう言ったことはありません。 しかし、彼は”私はマハマタジ”と言った。 頭がおかしいと言うかもしれないが、 これは傲慢が 強くなり、 本人も自分が何を言っているのかわからないです。 同じように、あなた達のリーダーを 攻撃することで、リーダーのエゴを強化するのです。 攻撃すればするほど、人は反応をし、反応すれば エゴが強くなります。 今日は先ほど話したように、 ラジャ ラジャスワリRaja Rajeshwariを崇拝します。 今まで皆さんの前でこう言ったことはない。 グルギータを読みなさいと頼んだこともない。 また 一度も 聖母マリアが”ラジャラジャスワリだ” […]

6th Day of Navaratri, Recognize Me Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Navaratri Puja. Cabella (Italy), 13 October 1991
今日はナヴァラトリ プージャのために 集まりました これまでに9回 宇宙的母性が化身しました 目的があってきましたが それは帰依者 弟子達 子どもたちを守ることです それは 結びつける愛でした 愛さざるを得なかったのです 母の愛は結びつけます 彼女は愛さないわけには いかないのです 彼女はそれを表現し 働かせ 子どもたちに守りを与えます この守護が現代において もう一人の姿で現れたのです 当時悪が 正しく 善行をつみ 信心深い生活をしようとする人を 害し 破壊しようとしていました そこで 彼らを守るために 彼女が受肉したのです 彼らは何が悪で 間違っているか自覚していて 貴重な一生を善く 保とうとしていました 金銭や権力にも 興味がなく ただ女神を崇拝するために 覚醒を欲していましたが 彼らが悪に害された際に 彼女が現れる必要があったのです しかし 現代は複雑で それに伴い状況も複雑です まず社会生活 日常において 善い人に間違ったことをすることに 対する恐れが入り込んでいます 彼らは司祭や教会 寺やモスクを 恐れますが全て誤っています 彼らは神を恐れず 信じません 自分たちが神を作り 操れると思っています 態度を見ていれば 彼らが畏れ多い 神の存在を信じていないのは明らかです 自分たちに何が起こるか 全く心配していません 生まれ変わりも 復活も信じていません 近視眼的で あらゆる悪行さえ行っています さて あなたには産まれた途端 あるブランドが与えられます あなたはこれ あなたはあれと 生まれて直ぐにです つまり宗教がまず 現代人に与えられるブランドです 避けられません 何らかの宗教に 属することになります どこかに行くにしても パスポートに書かなくとも “あなたの宗教は?” と訊かれたものです インドでは無宗教だと パスポートすら取得できません まだ悪人やその弟子の 資格を持っていないからです なので正しい善良な 神の信仰者が “これを支払わないなら バチが当たる”とか “告解しないなら神の怒りを買う” などと脅され 恐れを 植え付けられるのです “我々のナンセンスが耐え難いなら 神の怒りを買うでしょう”と このようなことが人々の脳に 簡単に入り込んでいったのです 飲酒を罪としない宗教や 一夫多妻を罪としない 宗教もあり 身分制度を認める 宗教もあります 全て神に反しています そして それらがいわゆる 聖職者と呼ばれる人々によって 社会的に続けられています なのでサハジャヨガを始めるときは まずこのようなひどい条件づけがあり 新しいことを始めるのが 難しいとわかるのです ですから母がまず守るのは この条件付けからです 第二に 国の条件付けです どんな国に あなたがいようとです 近頃はどの国も 汚職やマフィアなどのあらゆる問題が 競うようにでてきています どの国でもです 突然明るみにでます 国を信用していたら “彼らはある人物を秘密裏に 援助していたんだ”と 彼らが民主的であろうとなかろうと ある名目で暴力団が関与しています いわゆる法も 騙されやすく 純粋な市民のためであって 法をまとう側の人間のためではないのです あらゆる収賄をしていながら 法の番人であり続けます 自分たちが法を作ったので 違法行為の仕方も心得ています これが現代人の 第二の恐れです 三番目は戦争です 多くの戦争が起こりました 多くの者が戦争を恐れ その反動として自分を守るための 愚かなエゴを発展させました 自衛のためのエゴにより 今や彼らは攻撃的な人々に なりつつあります この種の広義の恐れは 何処へでも向かう 可能性があります それで人種問題 差別が起こります ネオ・ナチズムが 小さなヘビのように 台頭しつつあると聞きました これも昨今の とても危険な動きです 今日 探求者は あらゆるグルにつき 本を読むなど 探求を続けています その過程で汚れた水を飲み 病気になりえます あなたは探求していて乾いていたのです 許されるべきです このように多くの問題が 身体のみならず 脳にも起こります それは微妙なことで “あのグルについたんですね”と言っても グルという言葉が出たら最後 聞く耳をもちません 彼のグルに反することは 何も言えません その人が悩みだせば 聞こうとするかもしれませんが 心からグルを手放させようとすると 彼も傷つくかもしれません とてもデリケートなことです 現代社会については 言葉にすることも憚られます フロイトのようなモラルも人格もない 人々によって現代社会の概念ができ 飲酒が崇拝されてこそいながら それによって価値感を葬ろうとしています 飲酒は前からありましたが 今日では誰もが酔っぱらいになる 可能性があります そして恥じていません その飲酒により 私達の価値観が傾き始め 人々はそれを普通だと 受け入れてしまいました これが新しい価値観です 以前なら子どもが 神の道に入ろうとしたり 善良でより高い価値を求めるなら 親はそれを喜んで支持したものです しかし昨今ではそれは反対で 親はそういったことを好みません まるで親は全てを 失ったかのような反応をして 子どもや孫を 束縛しようとします 完全に洗脳されてしまい 何も頭に残っていません 親と戦うことも 大きな問題です この恐れも大きく “お母さんやお父さんに 知られたくない”といいます 四方八方から恐れが炎のように 迫っているカリ・ユガの時代に 私達は サハジャ ヨガを始めました なので双方向から 守りを作る必要があります 母ももちろん常に あなたを守るためにいます 彼女の力は あなたを守るためです しかし驚くことに ある条件があります 以前は善は善 悪は悪で 区別がはっきりしていました なので女神に祈ると人々はそれを受け入れ 女神が現れ 働いたのです ですが現代では人々の脳のあちこちに 微小な悪が入り込みました 人々は極めて表面的です 大衆に流されがちで ファッションやら何やらを取り入れます かつて女神の帰依者は 自分が善良であることに自覚的に行動し 自らの脚でしっかりと立っていましたが 今は人格が未熟です なので現代のサハジャ ヨギは かつてとは違います かつては数十億人に一人が リアリゼーションを得て その後も 大変苦労しました その苦行により浄化され 自己を確立し続けたのです 時間を要する芸術は 注意深く制作されます 現代美術の数本の線よりも 間違いなく何千倍も価値あります 現代人は この現代美術家のようです 線を一本引いて “人の中に アイデンティティをみるべきだ”と言いますが どこにそんなものがあるというのでしょう たった一本の線です サハジャ ヨギ達は このような状況にいて 悪に囲まれていることを 自覚するべきです 私達の中にも 外にも存在しています 難しいことのように 思われるかもしれませんが 一つだけすればよく それは 私を認めるということです 確かに私はマハマヤで幻惑的かも しれませんが 同時に正直です うそ泣きはしません 正直ですが それでもマハマヤです では 私を認めるために 何をするべきでしょう それができれば あなたは守られます 浄化はサハジャ ヨガではシンプルで コレクティブになることです コレクティブでないなら あなたの何かがおかしいのです コレクティブであるなら ガンジス川で沐浴をしているようなものです ヒマラヤに行ったり 個人的にサダナ(行) をする必要はありません ただコレクティブになりなさい コレクティブになり 楽しんでいるなら あなたは清浄で 汚点がありません 完全に大丈夫です 第二の幻は 私があなたの側にいることです 直ぐ側にいる 必要がありました 近くにいて話し 関係をもち ヨガと自己について 全てを教えるためです あなたには 心身の合併症がある中で 全てを伝えなければ ならなかったのです 現実の姿で近づくのが 危険だったので マハマヤとして近づきました 私が聖なる神格であり 全ての神々が求める者 インカーネーション(神の化身) であると分かるなら すべての神々が あらゆる助け 力や満足 そして守護を与えるでしょう これは理性的な知性で 理解するにはとても難しいことで いかにアディ シャクティが 人間の身体になったのでしょう どうやって無限が 有限に現れたのでしょう 人間にはできないことです 人間には無理ですが 神には可能です 神はやはり神なのです であるなら写真などの 多くの奇跡があり それを分かるべきです 私が人々に話す際に マハマヤである私を理解せず 私に対して軽口を叩く者がいます 口答えする者さえいます 私が何か言うと 言い訳をする者がいます こういった自由はあえて 私があなたに与えたものですが アディ シャクティに話していると 理解することが非常に大切です 次にあなたの態度が とても大切です 決して表面的であっては なりません 両手をハートに当てて 感じるのが一番いいでしょう あなたの母は アディ シャクティで この宇宙を 世界を創造し あなたを守っているのです シュリ クリシュナですら パンダヴァスを守れませんでした 彼らは森へ行って苦しみましたが サハジャ ヨギは違います あなたの問題に気づくと たちまち私の注意が働きます シュリ ラーマ自身ジャングルに 行かなければなりませんでした あなたが全て与えられているのは 真理を探求したからで その真理とは私がアディシャクティの 化身であるということです この真理が あなたと一つになると 神々がそれを知っているために 恐れるものはなくなります 彼らはこの化身について よく知っています あなたの信仰を具現化するために なんでもする準備があります 写真や空などを通して 何とかしてあなたに与えたがっています 神は彼らが今日 何をするかを知っています 彼らはとても 気にかけています ステージの後ろにも 前にも 四方にいて 私の話を聞いていて 私が真理を話しているので 上機嫌です 彼らは私を認め 決して反抗しません 同じように振る舞えば あなたも今日話した あらゆる問題から守られるでしょう これをするな あれをするなとは言いません 何かを盗むなとか サハジャ ヨガで利益を得るなとか 何も言いません 飲酒や喫煙するなとも 言ったことがありません しかし自動的に 誰を前にし 誰に守られているのかが分かれば 自然とやめるでしょう 恐れはなくなるでしょう 認めれば 誰も恐れなくなるでしょう 認めるほどに 分かるほどに あなたはあらゆる意味で 精神 心理 社会経済 政治的に上昇するでしょう あなたを愛する 母としてだけでなく 守る力を持った母であると あなたが分かることはすごいことです 非常に強力です あなたがそれを知り 心に感じるのであれば 例えば私があなたに 注意したとしても “アディ シャクティ自身が私を 気にかけて注意してくれた”と思うでしょう “この時代に産まれ 彼女の偉業の 一翼を担えるのはなんて幸運だ” “どうしてだろう”と こうやって認めることだけで ナヴァラトリの全ての神々を満足させます さて 今日は ドゥルガやカリなど 全ての女神と その力を崇拝しています ラダもです カムサを殺害したのはラダで シュリ クリシュナではありません 彼はラダに頼んで 成敗してもらう必要があったのです その力には 殺傷力があります だから あなたのお母さんが アディ シャクティであると 分かるかどうかなのです 多くの人が分かっています ロンドン空港で働く紳士を 困らせようとした者がいました “気をつけた方がいい 私の母は 非常に力を持っているんだ”と言いました 次の日 その人は仕事を失い 事業を失いました 彼はその紳士のところに戻って “あなたの母親に会わせてもらいたい” と言いました ラフリの近郊の農家に サトウキビ泥棒が入りましたが 翌日犯人が戻ってきて “どんな女神を崇拝していますか?” と訊いたそうです “何故?”と訊くと “3人のいかつい男たちが 土地を見張っていて” “サトウキビを盗みに入ったら 彼らにぶたれました” “怪我はしなかったけれど” といったそうです 認めることさえすれば 背後にはこのような力が有ります 以下に力が働いたかの話が 本当にたくさんあります でもあなたが未だ疑っていたり 気持ち半分だったりすれば上手く行きません 自分の評判を 気にする必要はありません あなたはアディ シャクティである 私の子どもだということを胸に 全速力で どこにでも向かいなさい 酷いと思っていた状況は 全て良くなります フランスのケースでも よくわかります 何の心配入りません ただ私が アディ シャクティと知りなさい 神と女神の全ての力が 私の中にあり あなたを世話します でも認めないと 彼らとてあなたを認めません 今日のナヴァラトリでは あなたはドゥルガのみでなく アディ シャクティを崇拝することを 心に留めて下さい ドゥルガや全ての女神を崇拝し 敬意を払います かつて恐るべき時代に 彼女らに救われなければ あなたは道を誤り ここにはいなかったでしょうから だから我々が無力だった時に 守ってくれたことを感謝するのです 神の恩恵がありますように! […]

Shri Krishna Puja, The Technique of the Play (Nirmal Temple)

Shri Krishna Puja. Cabella Ligure (Italy), 1 September 1991.
今日は ヨゲシュワラを崇拝します 私たちにはシュリ クリシュナの 最も偉大な名だと思います ヨガの神という意味です ご存じのとおりヨガとは 神聖との合一を意味します ですが 別の「ユクティ」 という意味もあります 英語で適切に 訳せませんが ユクティとは トリックの意です トリックです でもトリックというとおかしな いたずらを連想させますが この場合は テクニックの意味です テクニックといえば 機械的なことです なのでユクティの 適切な訳語はありません あえて言えば テクニックを知り それを駆使する技術が ヨガ、ユクティの もう一つの意味です なのでつながりがあっても そのトリックを駆使できなければ つながっている 意味がありません 何の役にも立ちません リアリゼーションの後に テクニックのみでなく そのトリックも 学ばなければなりません クリシュナのレベルに 至るということは シュリ ラーマの後の 化身であり シュリ ラーマは 理想的な礼節を持った マリヤダ プルショッタマで 同時に慈悲深い王 でもありました ですがシュリ クリシュナの場合 人々が生真面目で堅く 過度に道徳的だったので 別な面を示したのです 儀礼さえしていれば大丈夫だ と考え 人々の成長は止まっていました そこでシュリ ヴィシュヌであるシュリ クリシュナがくる必要がありました 上昇について そしてそれがすべて 遊びであると唱えました ですが遊びの達人でないと そのように遊べません 例えば電気的な コミュニケーションがありますが 皆さんはそれで どう遊ぶかを知りません どう遊ぶかです つなぎ方とか いかに学ぶかではありません 遊びです 例えば技術をすべて知っていたら それで頭が痛むでしょう あそこが上手くいかないとか どうやって接続するかなど 自分がしていると 常に気になって 疲れて飽き飽きするでしょう でもそれが遊びだったら 達人にとっては遊びですが それが遊びになってしまえば 疲れることなく 楽しめるでしょう それがいわゆるリーラです それゆえ彼はリーラダラと呼ばれます 彼は達人だからです 達人として来ました マスターといっても指導者としてでなく ヨガの技術 ユクティの達人として 彼はとても巧みで有能なので 彼にとっては遊びです 彼にとっては すべてが遊びでした あなたもヨガにおいては 全てが遊びだと理解するべきです 例えば朝5時に起きるのも 遊びであるべきです 朝起きて まだ日が低く やることがまだない時間 月が沈んで まだ薄暗い時間に起きます とても美しい そんな時間に 瞑想に座るのです 何か堅苦しい つまらないことではなく 遊びなのです そのためにはあなたが 達人である必要があります ヨガの達人であれば それが遊びにになります まず シュリ ラーマの意識により ヴィシュワ ニルマラ ダルマとなると その後は遊びになります さて 神聖との コミュニケーションは 世界へと広まるべきです 全世界があなたが手に入れた コミュニケーションを得るべきです そこに関して シュリクリシュナは 子供としてシンプルな用意をしました 子供っぽく幼いやり方です ゴピ達が沐浴中に 服を隠したのです インド女性は決して 全裸になりませんが 彼女たちのサリーを隠して 彼女たちの背中を見ていましたが 小さな男の子には何でもありません 彼は木の枝に座って彼女たちの クンダリーニをあげようとしていたのです 彼女たちがラーダによって 清められたヤムナ川から出てきて すでに彼女たちのクンダリーニに ヴァイブレーションがあるわけです 彼女たちはその水を運び 彼は後ろから頭上の水がめを 割るのですが その水にも ヴァイブレーションがあります するとヴァイブレーションがある水が 彼女たちの背中にこぼれていきます それでクンダリーニを 引きあげようとしていたのです 子供らしい遊びを見なさい 子供らしいやり方でどうやって 遊ぼうとしたか そして後に 子どものようなやり方で 政治や人間関係 コミュニケーション での熟達を見せるのです 彼のパワーはラーダで ラはエネルギーで ダはその支えです ダレティサ ダルマと いわれるように ラダとはエネルギーを支える者 という意味です なのでまず彼女からもらったのが アラーダ ダイニの性質です アラーダを表す英語は 見当たりませんが アラーダとは急に素晴らしいものをみて 歓びを感じるような感覚です とても幸せな感覚ですが 幸福感を表す英単語が ほとんどありません アラーダとはまるで新鮮な 空気を吸ったような歓びです その感覚がアラーダです 彼女はアラーダ ダイニで アラーダを与える存在です この彼女の アラーダ ダイニの力で 関わりのあるすべての人に 働きかけたのです なので彼といる牛飼いたちは ラースをすることになります ラとはエネルギーで スとは共にという意で ラダジのエネルギーで 踊るということです 彼がただフルートを吹き 彼女が踊ると 彼女の手をエネルギーが流れて クンダリーニが覚醒されます ここにもう一つの 遊びがあります 遊ぶだけで彼は クンダリーニを上げたのです ですが現代では それはとても難しいです そのやり方で クンダリーニを上げるのは 現代では簡単ではありません 人も理解しないでしょう なので現代では サハジ ャヨガはただクンダリーニを 上げるのではなく サハジャ ヨガの 完全な知識を与え 他者にリアリゼーションを与えられる力を与えるという 大きな仕事でした そのために他者にリアリゼーションを 与える技法を見つける必要がありました 当時はクンダリーニは覚醒しても サハスララは開いていませんでした クンダリーニはアギアだったり ハートだったりに留まっていたのです そのような人々が シーカーになりました こうして今日の サハジャ ヨギ達が存在し サハスララが開いていてサハジャ ヨガのユクティを全て知っています ですが サハジャ ヨガのより精妙な ユクティがあります それをマスター しなければなりません 第一に 彼のマドゥリの性質です 優しさという意味です 「蜜のように甘く優しい」 という表現のように 彼が誰かと話したり 誰かと関わるときは 優しさを通して関わりました このような関りができないなら あなたはヨギであることから ほど遠いです 誰かと優しく話すこと それも自然にです 彼の全てがマドゥリです 話も態度も表情も 全てがマドゥリです コミュニケーションを語るなら まずは人同士のコミュニケーション が最も大切です そして人との コミュニケーションを考えるなら 多くの人が攻撃的なほうが 上手く人とかかわれると考えます それは違います 誰かが人から 何か得ようとする時に そこへ行って言います これが必要だとか あれこれ言います まるで否定しているようです でもあなたが優しい人で 優しく話せば 99%の人は 態度を軟化させるでしょう ではどうやって 人を軟化させるか そのトリックを学ぶべきです いかに優しさで人をほぐすか これは 彼の特別な性質の一つで 人と話す際に 心から優しく話すことで あなたとその人の間の 問題が解決するように 完全にです たくさんのトリックがあります 人とどう話すかを学ぶことは 最も大切なことの一つです 第一に あなたは人より 聡明でないと見せるべきです 私が若い科学者と話す際に ごめんなさい 科学はわからないんです というように 科学者向きじゃないんです すると彼らは そうですか と 気持ちよくなります 音楽家に対しては 音楽はわかりません と 少しだけやったことがありますが それほどでもありません 音楽家もうれしくなるでしょう エゴをおだてている 確かにそうも言えるでしょう でも自分が相手と比較できないと 言うことに害はありません 人と話す際の第一のトリックは 完全な謙虚さです それが偉大さのサインであり 達成のサインです 実をつけた木がたわむように まずは 私は何も知らないので 教えてください という態度です それが第一です まずは自らが極めて 謙虚になることです 他人にあなたが何者か わからないのが良いのです それはとても楽しいことです 私の例をお伝えしましょう 私の夫はインドで えらい立場でした 大学まで一緒だった友人と デリーで再開したときに 私がどこに住んでいるか と訊きました 私はミナバという 何の変哲もない場所を言いました 公舎に入れなかったので とりあえずの場所でした ダンナさんは何をしていらっしゃるの 公務員です とだけ伝えました そこに夫が通りかかり 私に微笑んで立ち去りました 彼を知っていらっしゃるの 私の夫です というと驚いて オーマイゴッド どうして教えてくれ なかったの 急に態度が変わりました 彼女は自分を恥じました ただの事務員か何かと結婚したのねと 私を下に見ていたからです なので下のふりをするのが 一番です 全てにおいて下のふりです マザーに力をもらったのであれもこれも できるというサハジャ ヨギを知っています 自画自賛は役に立ちません 私はとくに力がなく ただのサハジャヨギです でも そういうならやってみます なので下のふりをすることです できる限りそうしなさい 家で実践しなさい 練習をして実践するのです これが他者とのコミュニケーションの際 最も大切なことのひとつです 第二にはギータ全部を読むと 一つ大切なことがあります クローダ ピラエティ サモアといって 私たちの悪い性質があり 六つの敵があるということです 彼はギータでその中でもまず クローダから説いています 内面に怒りがあるなら あなたは達人であるわけがありません 達人であればそれで遊べるので 怒る必要がありません あなたをこうやって 踊らせることができます かんしゃくを起こす 必要があるでしょうか でもあなたが対人関係において それを習熟していなければ 5、6分も経てば 声が荒くなってきて 結局怒鳴りだすことになります 熱いかんしゃくを まだもっているからです ですが達人にはありません 必要がありません 彼はクローダから説き始めました 全ての問題は怒りから始まります 次から次へと なので自分が怒りっぽいか 注意するべきです 怒りはヴィシュッディから来ます 肝臓から始まりますが ヴィシュッディを通して表現されます 顔や目が赤くなり 口からはあらゆる 罵詈雑言が出てきて 全く違う表現になります あなたが怒るときに この怒りを観察しなさい これはどこにあるのでしょう 肝臓だ ということなら じゃあ 治そう と マスターするためには はっきりと自分に向き合うことです 皆が彼女はかんしゃくもちで あれもこれもありましたと言います でも本人は いいえ そんなことありません じゃあ何で皆がそういうの わかりません 自分はちゃんとやってます 誰かがそういうなら 自分を観察しなさい あなたはたまに怒りますか あなたはかんしゃくを起しますか 見れば簡単にわかります なので交渉のコツはどれほど 自分に足りないか自ら直視することです まずは 本物の謙虚さが大切で 第二には冷静さです かんしゃくを起す必要は 全くありません 何をしているの どうしてそんなことをするの 言いたくないことを言わせないで そうやって言えばいいのです これが限度です それは嫌いだというぐらいは 良いでしょう でもそれ以上 行かないことです そこで止めれば かんしゃくを起こす 傲慢な習慣が消えていくでしょう この傲慢さや かんしゃくがなくなり 自分が楽になることに 驚くでしょう 怒りによってその反動で レフトヴィシュッディが キャッチして 負い目を感じるからです なぜあんなことを言ってしまったのか と気分が悪くなります そうやってヴィシュッディが だめになります レフトヴィシュッディなら 頭痛です どんどん怒りや 何かをため込むと レフトヴィシュッディが キャッチします それで起こる問題は ご存じの通りです だから誰かに腹が立っても 負い目に思わないことです そのかわり鏡のまえで 自分にビンタをするのです 腹が立ったら 自分に腹を立てて 鏡の前でこうやってするんです 自分が怒った時と 同じようにするんです 負い目に感じないでしょうし もっと起こればなお良いでしょう そうしてレフトヴィシュッディを 空っぽにできます 次は怒らないでしょう 負い目を感じているなら 同じことを何度も繰り返します 怒りの表現も男女で違います 時に女性が心配です 水の力を使うので私も困惑します でも エゴがあるほど 泣き虫になります それがサインです 何か指摘するとすぐに泣き出すのを 見てきました もうレフトヴィシュッディが 風船のように一杯に膨れているので そこに触れたとたんに 水が出てきます 知ってのとおり 男性の場合は違います 腹を立てたらケンカをして 皆を殴りかかったかと思いきや ちゃっかり座って 飲みものを飲んだりします もう出してしまおうと言います でも女性は違います ため込んで それが後に涙になります これらは喜びや 幸せの涙ではなく 誰かへの思いでもありません 誰かに自分が悲しいことを 印象づけるための涙です なので第二のトリックは いかに自分のかんしゃくを克服するかです そして第三にはいかに人の かんしゃくを克服するかです そっちのほうが ずっと高級です ガガンギリ マハラジのところに行った 話をあなた方にしたでしょうか 彼はとても短気な聖人で その熱のため水の中に常にいたので 足を悪くして失いました 人は彼がトラに乗っていると言いますが トラは見かけませんでした 私は彼に会いに行きました 彼は雨を操ることが できるはずだったのですが そこへは四時間半ほど 坂を上ったところです 私が歩き出すとたちまち大雨になり 終始降り続けました 彼は止められませんでした 彼は挑戦されたと思いました 私が到着すると 彼は洞窟の外の岩にすわって 怒りでこうやって どうしようもなかったのです 彼を見て私が洞窟に座ると 彼も来ました 彼は連れられて来て 私の足元にひれ伏したのちに 言いました なぜ私に雨をとめさせて下さらなかたのか あなたがずぶぬれになってしまった この雨が腹立たしい 私のエゴを抑えるためでしょうか とんでもない あなたにエゴがあるとは 知りませんでした ではなぜ 私はご存知のように マスターだから いいですか あなたは修行僧で 私にサリーを買いました オレンジ色のです あなたからオレンジ色を 受け取るわけにはいきません あなたが修行僧だからです でもずぶ濡れなれば あなたから受け取れますね するとたちまち彼は 心を開きました でも私は達人でなければ なりませんでした まずどうやって彼を和らげるか 次にどうやって 彼のこころを掴むか これはもっと精妙な面です あなたは人心を掴めます このように人があなたに してくれたことが分かります 何を用意したか 何が待っているか 未来が分かるとは 言いませんが 人を分かるために そうするなら その人の全てが分かります シンプルなことです まずその人を 分かろうとしなさい 私の父は多くの トリックを持っていました 加えて とても愉快な人でした ある日 弟のババママが歌の上手い 友達の話をしました 父に彼の歌は どうだったか訊くと うん 彼はとても勇気があるね どうして 知らなくても歌おうとするからね 大したもんだ 何て適切な表現でしょう その男性について とても勇気があるって 彼は知らなくても歌うけど 何とかなっていると 勇気があるとは悪口ではないです 勇気がある でも彼のことが 良くわかる言い方で もし変な歌い方をしても 笑わないようにという意味が その「勇気」のことばで分かります 同じように 誰かについて学べば その人を 面白いやり方で表せます 欠点や悪いクセがある とかではなく その人の ある一部について述べます これはその人全体を まるごと理解して 性質や欠点も含めて そのまま受け入れるやり方です その巧みさを あなたは持てるでしょうか 人の特質に注目しなければ 欠点ばかりが目に付くでしょう 彼の特質が分かれば 欠点があっても ちょっとした性格上の スパイスみたいなものです そう 彼はちょっとだけね ちょっと彼の性格に 注記を加える感じです するとその人が気にならなくなり 楽しめるでしょう 私の娘婿は 犬が大好きですが 妻の方は賃貸だから犬はダメと 夫婦ゲンカになります プラバットが“会う機会が無くなります” というので それは良くないけれど なら次は私が犬になろうかしら といいました たちまち彼は理解しました なのでどう人に話すか ほのめかす事ができます 何がその人の長所で 何が欠点か でも直接言う必要はありません ユーモアをもって 間接的にほのめかす事で その人は理解するでしょう 人と関わる時には ユーモアのある人であるべきです でもユーモアというと 誰か体が不自由でまっすぐ 歩けないような人を笑ったり 誰かの髪型が変だと笑ったり そういった表面的なことで笑いますが それはユーモアではありません これは笑いの 形をとった批判です でなかれば 皮肉を言う人もいます これは良くありません 鋭いことを 言ったつもりでしょうが あなたはその人を永遠に失います こういわれた とその人は忘れないからです なので皮肉はあなたの敵であり サハジャ ヨガの敵です 何か言うなら相手を傷つけない 言い方でいいなさい 微妙なユーモアを楽しみつつ 自分の欠点を理解できるように さあ ユーモアをもって あなたに何か言うならば なんだかんだと 直接あなたに言わずに 例えば うちにカラスが やってきてね と言って あなたの性質を そのカラスに移して表すでしょう そしてカラスが あれこれしたと言うでしょう あなたはすぐに “マザーは私のことを話しているのか” “それともカラスの話なのか” 考え出します なので誰か別の存在に 移し替えなさい 移し替えるのが ベストな方法です 例えば プージャに出席する人の 名簿が期限までに必要だとします 今回はアメリカが ホストですので アメリカ人が必要だといった と言えばいいのです 実際には言ってないのですが そういうウソは無害です それで人々はあなたではなく アメリカ人に腹を立てるでしょうが 問題ありません しばらくの間はいいのです まるで移し替えるように この転移は アスタンタラと言われます 一方から他方へと 移し替えていくことで シュリ クリシュナは この技の匠でした 彼の話で 彼はランチョルダといって 戦場から逃げる 彼は気にせずに逃げ出します なぜなら とても悪い悪魔がいましたが ブラマデーヴァから恩恵を授かり 多くの人を殺していましたが シュリクリシュナも どうしてよいか分かりません そこで彼は別の誰かに 彼を任せることにしました 彼は別の特別な ヨギを知っていました 彼は瞑想を通して同じブラマデヴァから 恩恵を授かりましたが それは寝ている最中に 起こされて まず初めに見たものが灰となる という恩恵でした シュリ クリシュナは仕事を 彼に移したほうがよいと考えました そこで彼は 戦場から逃げ出し その悪魔があとを追いました シュリクリシュナはその聖者の 洞穴にそっと入りました そして自分のショールを 彼の上にかけました そしてそこで身を隠しました ここで入ってきた悪魔は シュリ クリシュナが寝ていると思いました ああ 疲れて寝てしまったか ここでどうやって自分を守れるか お手並み拝見としよう そして彼を起こしたところ この聖者が目を覚まし彼を見て 彼は灰と化したのです なので自分の仕事を 移しなさい もっと能力があり 上手くできる人に 自分で抱えこんで 直接さあ来いと戦っても 勝てません いわゆる 血みどろの戦いになります 誰かに任せなさい 友達になるなり おだてるなり何でもして ポイントは悪を取り除く ということで この場合はその悪魔です だから誰でも良いのです 彼は沢山の トリックをかけました マハバーラタでは ビシュマは神の恩恵のために 自ら望まなければ誰も彼を殺すことは できない というものでした なので シュリ クリシュナは トリックを使うと決めました そしてアルジュナに言いました 自分は馬車の御者をするだけで アルジュナに言いました 彼を矢の上に 寝せるようにと 矢の上に寝れば 死を選ぶしかなくなると ドロナチャリアは アルジュナの偉大なグルですが カウラバス側についていました どうしたら殺せるでしょう 彼は弓に関する あらゆる技を持っていました どうすれば良いのでしょう 彼は弓の達人で アルジュナは彼の弟子なのです どやって彼を 止めるのでしょう どうしたら彼が アルジュナの矢に 反応するようにできるでしょう 彼は達人だから反応しない どうするかです そこで クリシュナは特別な方法を 編み出しました 彼はシカンディという宦官を 連れてきました 彼がいかに宦官になったかは おいて とにかく有利です そして彼をアルジュナの 前に立たせました 宦官はインドでは 女性扱いになります ドロナチャリアは戦えない と 女性を殺すわけにはいかない と こうして ドロナチャリアに勝ちました こうやってトリックを使ったのは 悪者を成敗するためだったのです あなたが出来ないときには 誰かに頼めばよいのです 悪を取り除くのが 大事だからです 謙虚に自分よりできる人に頼めば 自分で戦うよりずっと効果的です 無茶は 何の役にも立ちません マハバーラタを見ると終始 シュリ クリシュナはトリックをしています 軍隊全部と私とどちらかを選ぶように アルジュナに言いました カウラバスは 軍隊を選びました アルジュナは クリシュナを選びました しかもクリシュナは戦わずに 戦車のドライバーをすると言います でも彼はトリックのマスターです 武器なんか要らずに 何だってできます なのでアルジュナはドライバーでいいと 受け入れたのです 逐一全てを分かっていたからシュリ クリシュナはいつも微笑んでいました 誰かに相談されると 私も微笑みそうになりますが 我慢するようにしています 見られたくないから でも何をしているか トリックは何か 分かっています 皆さんもトリックに長けていて 色々と知っているでしょう 人がトリックをかけて来たら わかるでしょう そしたら微笑みなさい 優しく微笑んで そうね そうそう そのとおりと これによって人間関係が とても良くなります サハジャ ヨガで よくある例は “リーダーにお前はブーティッシュだと 言われました”というものです もう一人来て“私はお前は ブーツだ”と言われました さらには“私はひどいブーツが お前には入ってる”と言われたと これら3つの違いは何でしょう と なぜ人にブーティッシュだ とかいうのでしょう 必要ありません 分かるならレフトスワディスターナを 治すように言えば良いのです どこかのグルについていたか 聞いてあげなさい その人が良い人であるなら なおさら大事なことです ただ外からの悪影響だから 取り除けばよいだけと伝えなさい ただしアギアとレフトスワディスターナ のキャッチがある場合は お役に立てませんと言うことです ずる賢いと分かっているからです それと戯れても無駄です 私たちはそれも忘れて だれでもどうぞ となってしまいます 誰でもサハジャ ヨガが できるわけではありません 全人類ではないと 知りなさい サハジャ ヨガは 探究者であり その上勇気ある人にしか 与えられません ニーラと呼ばれる人たち向けで 普通の人向けではありません 私たちはオープンだから いろいろな人が来て 困った人のために 一生懸命してあげも 彼らが問題を起こすと 分かるのです まずはシンプルな人達を 相手にしなさい シュリ クリシュナが 牛飼いと戯れたように そのうえで難しい人を扱うときには コレクティブで対処できるか見なさい でもヒトラーやラジニーシのような人を 変えようとしても無駄です サハジャ ヨガでは無理なことを しようとしないことです シュリ クリシュナは自ら それを示しました 対処しがたいことを 避けたのです 彼はそれの達人でしたから やってのけました もちろん彼は自分に向き合い マスターする必要はなく 彼はヨガの神なので 全てを知っていました 全てを知っていれば マスターする必要すらありません 逆に自分がどれほど知っているか 恐れを感じるほどです 人に関わるときに 一番良いのは サハジャ ヨガで自分がどんな人間か 何の専門かを良く知ることです どれほど常に自分に向き合っているか 見る必要があります なぜ私はそんなことを 言うのだろう 自分の心に 何が足りないのか 自分の中のネガティヴィティを はっきりと見なさい 何度も言ったように 西洋のネガティヴィティは心が常に 楽をしようと働くことです 働くことを嫌がります 例えば 誰かに 電話をかけるように言うと すぐに言い訳が 10個返ってきます いないかもとか 奥さんが怒るとか 仕事中かもとか もう10時だとか あれやこれやです 電話はそこにあるのに かけようとしないのです 100個の言い訳 新しい言い訳は コンピューターの不具合とか ファックスの不具合とか あなたの脳ミソ以外は 全部働いているのです それが逆で 自分の頭は働いているけれど 別の何かがだめだというのです 明かりがないとか なんであれ言い訳になります でもどうして解決策を 見つけられないか学ぶべきです 何かしなくては と 例えば前にもいったように 根っこの先がどうやって あちこち探しまわることで 水分を見つけだすか 同じように私たちも これがだめならあれでとしてますか それがだめなら これをしようとか 何もないところから 多くを達成できるのです でも いつもあなたが出来ない理由を いつも探し出すならどうでしょう シュリ クリシュナは違います 彼はヴィラータの 神の化身です マスターの中のマスターです ドロウバディは 危機の際に 彼女はヴィシュヌマーヤで 彼の姉でしたが シュリ クリシュナのことを 思いました ドゥリヨダナによって サリーをひぱっられて 彼女はこうして クリと言いましたが そうやってくわえていましたが シュナといった瞬間にサリーが離れました シュナというと サリーが落ちてしまいます サリーは落ち シュリ クリシュナについて 述べました ドワリカ メショラバヨ ショラバヨバリ シャンカ チャクラ ガダ バドマ ガルル レイ シダーリ この音がハスティナプールから ドワリカに数千マイルをこえて届き その音はチャイタンニャを 通ることで増幅され シャンカ チャクラ ガダ パドマ これらはもちろん武器ですが 全てをもって彼は ガルーダにのり現れます 姉の純潔を守るために あっという間です その瞬間に自然とです サリー1枚くらいなら後でも大丈夫とは 言いませんでした 皆が私にプージャで 沢山くれたサリーを 彼は取っていったに 違いありません そう感じます でなければ どこからサリーを用意したのでしょう 私の倉庫からでしょう そのために あなた方はサリーを沢山くれたのです それで彼は多くの女性の 純潔を守っているのです これら全てが 関連した一つの出来事で 壮大なドラマが繰り広げられて いるのですが 見えません でもあなたが自分を信じ 自分がサハジャ ヨギであり 自らの性質と存在 その価値を信じるのなら あなたは間違いなく マスターになれます でもまずもって自分のリアリゼーション の価値を知りません どれほど能力があるかも 知りません まだ自分が平凡な人間で 大学をでてからリアリゼーションを マザーから授かっただけ だれも大学を出ていません キリストも ラーマも大学にいっていません クリシュナも大学に行ってないし キリストは大学をでていません 普通の大工の息子でした でもあなたはリアライズソールであり ながら自身の価値を知りません それが分かれば 何にでも微笑むでしょう あなたは世界の頂点に 位置しているから それさえわかれば 習熟してくるでしょう でなければ師が弟子より 下に甘んじているようなものです だからといって支配するわけでは ありません 責任を持つのです 完全に受け持つのです あなたは何でも分かっているし どうすればいいかも分かっています この習得が必要です あなた方皆に それが全く可能です ですがまず自分を修める 必要があると知りなさい そういうとすぐに“マザー 自分が一番難しいんです” 私にはわかりません 人を修めようとするくせに 自分を修められないのですか あなたは常に自分と一緒で それがあなたの財産なのです 人の資産を正すことができるなら 自分のも正せるはずです た易いことであるはずなのに 自分のものだという確信がありません 自分にできると思っていません できます 今や自分を知っているのです ならばマスターするべきです 自分を見て観察すれば 自分がすべてのトリックを 知っていると気づくでしょう ユクティです 私があれこれと 言う必要はありません 自分で対処できます 私たちは細々した事は 沢山知っています 何かが落ちてくるなら これで支えればいいとか スピリチュアルな生活は 最もた易いはずです あなたが 知識の大海だからです ただあなたに知識があることを 知らなければ 人と関わる際の トリックが分からないでしょう 人とコミュニケートする目的は 世界を救済することだからです 無知から救い出すためです そのために習熟が必要です 無意味なことで迷わず 習熟してくためには 早朝の瞑想が必要です まずそれです そして自分に向き合いなさい 常にです なぜそんな事をいったのか ああ あのせいだな と この言葉はあの人から 来ているな 自分に向き合うと 驚くべきことに あなたは常に現実を避けようと こころを使っているのです いつも言いますが こころはあなたを欺きます 最後は シュリ クリシュナは 劇のエキスパートだということ 彼はドラマをつくり それを自ら演じ 更に観客でもあります あなたも この3つで自分を見なさい 自分のドラマをつくり ああ ここはこうか どうやって演じるとしよう そしてその観客にもなる 自分のドラマの 観客になりなさい すると分かるでしょう 自分が何をしていて どうやって進めているかを すると私たちの欺瞞は 常に自分を欺いているものが すっかり消えていきます 芸術家が同時に 鑑賞する側と知っていれば 演者が観客でもあると 意識していれば 自分を欺くことはないでしょう それが演技と知っているからです 自己欺瞞は避けるべきです 直面しなさい でも他の抜け道があります 例えば“手紙を書いたら”というと “分かってる” “手紙書いたほうが良かったん じゃないの お世話になったし・・・” “わかってるよ” “何も連絡しないなんてひどくない ですか・・・”“わかってる!” “自分が悪いし ひどい人だし バカだし” “自分が悪かった、全部わかってるよ! だから何なの”と 自分が悪いと認めたら それで終わりです これは新しい逃げで シュリ クリシュナの時代には なかった現代版です 自分は悪人ですが それが何か これは第2段階です 第1段階では、分かってる! 第2段階では、だから何?と進化します こうして脱線が始まります こうして あちこちと揺れ始めます 知っているのに どうして直せないんだろう そうあるべきです 自分でそれを分かっている 知っているなら直すトリックも 知るべきです 自分が正そうとする人格から 離れているから 自分を正せるのです そもそもヨガとはそういうもので 自らの意識が神と一体になり 自分の執着を離れて 見ることができて 全てに対する執着が無くなります そしてあなたに来る力は あなたを通って執着に働きます 状況がガラッと変わります サハジャ ヨガでは 全く変わります 悪い人が サハジャ ヨガにくると 追い出されるか 正されるかどちらかです 悪い人は正されるか 追い出されるかです 現代はシュリ クリシュナの時代より 進化しているようです 彼はアルジュナ一人に教えましたが 私は数千人に知識を与えています 当時は戦時下で 今は平和な時代です シュリ クリシュナはリアリゼーションを 与えなかったのでずっと進化したのです あなたはリアリゼーションを得て 全ての精妙な知識を持っています 現代というのはそういうもので あなたはすでにヴィラータの一部です あなたはヴィラータを見たことが ありませんが すでにその一部なのです あなたは見ているのでなく その中にいるのです それによって サハジャ ヨガから追い出されるのは 自分を見ないことだけで そうならないように 自分自信を良く見て 自分を正し ヴィラータと一体になることです これがヨゲシュワラのサインです そうやって笑顔でもって 全てを知りつつ 皮肉をいわず 父親の様な笑みを浮かべる そうあるべきです 全ての人に対してです すぐに人は分かるでしょう 小さい子は特にです 子供は極めて親に対して 保護的です 心配しなくても大丈夫 神様が守ってくれるから と 本当に可愛いものです とても優しくて 世界が癒されます 子どもや赤ちゃんから 学ぶことが沢山あります そして内なる ガネーシャの原理を持って 働きかけるべきです 無心さが最も効果的で なので皆さん 自分に向き合ってください 自分を責めず 正して尊敬しなさい そして自らの栄光へと進んでいきなさい 神の恩恵がありますように! […]

Shri Buddha Puja, You must become desireless Brielpoort Deinze, Deinze (Belgium)

Shri Buddha Puja, “You must become desireless”. Deinze (Belgium), 4 August 1991.
今日 私たちは ブッダ プージャのために 集まりました ご存じのように ブッダは王子でした ある日 彼は 貧しい男を見て ショックを受けます やせて通りを歩く とても不幸な人でした 彼はそれを 悲しく思いました 次に彼は 病気で 瀕死の人を見ます 更には 亡くなった人を見て 人々は泣きながら 火葬場へ 遺体を運んでいました 彼は これら全てに狼狽し 考え始めます あらゆる人間的な 現象に対して 理由を探し始めました まず なぜ人は それほど 惨めになり または 病気になるのか なぜ人はそれほど 不幸に亡くなるのか 彼は ある意味 世界中を旅し ウパニシャッドを読み グルの下へ行きました 精神的教えを受けるため あらゆる場所に赴き ベナレスや多くの場所に 行きました 最後は 菩提樹の下に 座っている時に 突如として彼の クンダリーニがアディシャクティ によって覚醒しました そして 悟りました これら全ての原因は 欲望にあると 悟りました サハジャ ヨガでは 私たちは 他のすべての欲望は 純粋ではないことを 知っています 第一に どんな欲望であれ 満たされたとしても 満足することはありません 第二に 欲望は 悪影響をもたらします では 純粋な欲望とは 何でしょう ご存知のとおり クンダリーニです クンダリーニとは 純粋な欲求の力です 精霊になろうとする 欲求を与えます ブッダつまり 目覚めた者となるための 欲求です ブッダとは “悟りを得た者” という意味です なので ゴータマが ブッダになったということです 皆さんが 今はサハジャ ヨギに なったようにです しかし 彼は様々な 苦行を経たので すでに学んだことが 身についていました サハジャ ヨガは 全てがサハジャ(自然)です しかし 私たちは何でも “これも結局サハジャだから” と結論付けます そして 何かをしようとする際も “最後は自然に上手くいくよ” “いいよ マザーが全てなさるから” といつも言います これはサハジャ ヨガで よく見られる間違いです あなたに長い経過を課すか それとも すぐリアリゼーションを与えるかは 私の問題でした 混乱した今の時代には あなたに長い経過を課す 時間はないからです ブッダにはできましたが あなた方には困難でしょう 何人やり抜けるか わかりません ほとんどが途中で 脱落するでしょう なので それを サハジャにしました あなたは菩提樹の下で座ることもなく リアリゼーションを得ました クンダリーニが 引き起こされ 自らを悟りました ですが ブッダのような悟りが あなたに起こったわけでは ありません チャクラがブッダほど 浄化されていないからです でも 体も心も ブッダと同じで リアリゼーションを得た際の 態度も同じです 私たちは神の家を 探していたので 未だ 神の家ばかり 見ています ですが あなたは もう入っています 窓の外を 見ないといけません それを忘れがちです 私たちは 丘の頂に座っていて 交通渋滞などから 自由なのに まだ車を見ながら 恐れています 自分が丘の頂にいることを 知らないのです お母さんが あなたを そこに置いたのに そのように あなたは 振る舞っています 自分が リアライズ ソールだと 解っていないヨギの話を 耳にすると驚きます それゆえブッダは 無欲について唱えています リアリゼーション以前には 無理なことです 後ですら難しいようです ある微妙な欲求があり それを あなたはワークアウト しなければなりません しかし“エゴがキャッチする” と言って ワークアウトさせません つまり状況に合わせて あるやり方をしたり 別のやり方を したりするのです あらゆることの解決は 一つです 私自身 見つけたことですが コレクティブな現象が 解決するということです 個人では人は エゴを克服できません 個人主義の人は エゴを克服できません 個人的に生活し 全てを個人的に 楽しむ者は エゴを克服できません 例の苦行を 経ていないからです でなければ 個人主義の者は苦行を経てから 戻ってきたほうが 良いでしょう ですから 解決は 全てのチャクラを 浄化することです 人生そのものを コレクティブの中で 浄化します これが エゴの問題の 解決法です 以前なら 皆が個人的に ワークアウトしていました ヒマラヤに 行かなければなりません グルに付いても 追い出されたり また別のグルに行っても 追い出され 生まれ変わっても 再び追い出されるでしょう 最後にグルに 受け入れられても ムチ打たれたり 拷問にかけられたりします その上でようやく その個人に近づく グルがいれば リアリゼーションを 与えられるでしょう そんな状況でした ですが サハジャ ヨガでは ドアが開かれているので 誰でも入れます リアリゼーションを 得られます 私はコレクティブに 信念があるので コレクティブでの生活は 間違いなく あなたに ブッダが個人的な 努力を経て得たものを 与えるでしょう しかし そこでも 私たちは どうコレクティブになればいいか 分からなくなったります 個人主義はいつも 私たちについてまわります なんでも個人的に考えます コレクティブが良いところは サハジャ ヨガも上手くいき 良くないところは 問題が生じています 自分自身を 見つめることは とても大切です 自分がどれほどコレクティブか 見ることです コレクティブを 楽しんでいるかどうか コレクティブを 目的にしているか カベラという場所について 思った時 すぐにその川の畔に アシュラムを建てよう と思いました “マザー 自分の家を 買ってもいいですか” と尋ねる者がいました すぐにです 何が目的でしょう “マザー うちに食事に いらしてください” “お茶にいらしてください” と言います 私には興味がありません サハジャ ヨガでは あなたが コレクティブにならない限り 上昇も 自分を磨くことも 浄化することも 不可能です ブッダもある意味 言っています “ブッダン シャラナン ガッチャーミ” まず “私は自らの悟りに帰依します” そして “ダンマン シャラナン ガッチャーミ” “ダルマ 徳に帰依します” それは スピリチュアリティです そして 彼は三番目に “サンガン シャラナン ガッチャーミ” サンガとは コレクティブのことです “私は自らをコレクティブに 帰依します” しかし 彼はリアリゼーションを 集団に与える方法を知りませんでした なので 弟子達は 頭を丸めなければ いけませんでした 身分や性別に関係なく 一枚の布をまといました そして 大部屋で 一枚のマットの上に 寝ました 結婚も夫婦も 全く存在しません 村で施しを 乞いに行き それをグルや 自らの食事としました 不十分で あったとしてもです これは サハジャ ヨガでは ありません サハジャ ヨガでは 最初からなんでも楽しめて あなたは完全に 喜ばしい人のはずです しかし コレクティブの歓びを 知らずには 成長できません 他にはありません 苦行は無意味です コレクティブを 楽しむようになるまでは 苦行だと 感じる者もいます すぐ問題を起こし とても批判的です アシュラムにいながら 人を批判ばかりする者もいます 完全に 高次の意識を持つ者は 洗脳されません 完全な意識と理解でもって コレクティブに ならないといけません これが 私たちの浄化の 解決法です 例えば 私の手が 汚れているとします そこで 蛇口のところへ行き 一滴しか水が出なければ 洗えません そして別の場所へ行くと 水が出ません 三番目の場所でも 何もない事を知ります 最後にようやく 少しの水を見つけます そこで完全に洗うでしょう 他で無理なのを 知っているからです しかし サハジャ ヨガでは あなたは コレクティブの水に 浸っているのです あなたが それを楽しめて 泳ぐことができれば 何の問題もありません ブッダはご存知のとおり ライト サイドで作用します アギヤです 驚くことに 彼のような神格が ライト サイドで作用します まず 彼はライト サイドにおいて 執着しないこと 無欲であることを 唱えています 無欲なら 何も得るものがないのなら 誰も何もしないでしょう 普通の場合はそうです ですが あなたは 無欲に働く必要があります そうして初めて ライト サイドが 克服されます とても象徴的です 普通 ライト サイドの人は 痩せています しかし ブッダは太っています ライト サイドの人は 往々にして極端に真面目です くすぐっても 笑わないくらいです ブッダは両手を広げて 笑い 楽しんでいました この対比を見てください なので 無欲に働いて 初めて そういった意識が 持てます いつも 笑っていられるでしょう しかし 自分がやっていると 考える者 何か欲がある者 金儲けを考えるような 低級な者は 意味のないことを続けます それはどんどん 巧妙になります 人が精妙になると 色々な欲も 徐々に精妙になるものです 気を付けなければ 急に出てきます 彼はライト サイドに 位置し レフト サイドへ 渡ります 彼は言っています “ライト サイドにおいて” “無欲であれ”と なんという対比でしょう 特に西洋で何かをする度 ため息するのを見かけます スプーンを持っただけです そして そのまま座ります 私が全く疲れないので 驚かれました 私は何もしていません 欲はありません 実際何もしません ニシクリヤです 何もしません このようにあなたが 帰依した道具になれば 自分は何もしていない と知れば ライト サイドを マスターすることが できるでしょう どうやって マスターするかというと 何もしないことです どの店でも とにかく入れば 何か見つかるでしょう 何もせずにです 無欲でいれば 思いもしなかった事が 突然 現れるでしょう すぐそこに あなたのためにあります ただ受け取りなさい なので 何かを 達成しようとして 働くと 反動が返ってきます どんな行動も 反動があります 無欲な行動は 反動がありません そもそも 無欲だからです どこかで私が 道に迷ったとしましょう 慌てることはありません そこに行く必要が あったのかもしれません 何かを買おうとするときも 城だとしても 同じです 買うべきことと 欲は異なります “イタリアに家を買います” と急に言うこともあります そして城を見たところ よくありませんでした 構いません 次の城は “いくら出しても買うべきです” と皆が気に入りました 場所が気に入りませんでしたが “皆の願いを叶えましょう” と言いました しかし 皆だまされました 結局 彼らが乗り気でない 別のを買いました 私はそもそも無欲だったので 満足しています すると 最高の結果と なりました 結局 最高のことが 私には起こるからです なんであれ 私に起こることは 最高のことだと知っています 常に 私や サハジャ ヨガのために 起こります 誰かがサハジャ ヨガを 批判するとします すばらしい インドでも ある雑誌で ラジニーシが ある人物を通して 私を批判しました その女性は私の写真を盗み 勝手に譲渡しました 私の家族は憤慨し 兄弟も夫も 訴えようとしました 私は“その考えは好みません” と言いました それでいて デリーでの 最初のプログラムは 大勢の人が来ました 車で入れないほどでした 会場の外まで 人が溢れていて ホールの外に スピーカーを 設置したほどでした どうやって来たのか 尋ねると 彼らは “あの週刊誌の写真を見て” “興味を持ちました” と言うのです 何も読まずにです ハルシもそうです 多くがそうやって来ました ただ写真を見て来ました ですから 写真が盗まれたものの 良かったのです 相当な費用がかかるところ 全く宣伝費用もいらずに 写真が掲載されたのです そして私の家族も その雑誌が 半年間休刊になり 莫大な損失を 出したのを見ました それも 私は願っていません 無欲なら あなたは幸せです 落ち込むことが ないからです イライラもありません 無欲というのは 禁欲主義者のように なる事ではありません 期待をしない ということです “これをすればこうなり あれが起こるから・・・” 心配しないことです したいことをしなさい ひとつ覚えておくことは あなたに何も ひどいことは起きません 悪いことが起こっているなら 何かあなたが間違っているということです もうひとつ言います 私は少し転びました 少しだけです すると “家から出ないほうがいいです” “雨なので関節炎になります” と言うのです そんな事はないのですが 家にいる機会を得て 本を書きました 転んで良かったのです でなければ 招かれたでしょう 家族も 休日で家にいて この四、五日で 書き上げることができました 落胆を最高に 利用するのです 落胆することがあっても 微笑み これもあなたの 新しい発見のため より良い何かを見つけるため だと知りなさい しかし コンディショニングは 強いものです だから“コレクティブでいなさい” と言います 例えば 私たちは インド人 フランス人と様々です 皆のコンディショニング があります インド人ならどこでも インド料理を食べたがるし とても難しい状況です その意味では皆さん どんなインド料理でも食べられます 私はインド料理を さほど好みません 美味しいけれど 栄養がありません でも あなた方は 何を食べても頓着しません 良いことです でも欲はべつです あえて言う必要もありません 例えば 女性に化粧品や重いものを あまり持ち歩かないように言いましたが ここに来る度に 大きくて重いスーツケースで 男性達が 手を痛めています 私は“みすぼらしい恰好で” “歩きまわりなさい” と言っているわけではなく 最低限にしなさい と言っているのです リーダー達の 競争もあったり 他の者の間でも 問題が起こります 西洋では食べ物ではなく 家庭の問題があります インドにもです インド人の妻や ギリシャ人の妻は 夫を自分に縛り付けようとします よくあることです ギリシャ人も インド人のように 夫や自分の成長を ダメにします それは事実です とても支配的です インドの女性は支配的ではありませんが 夫をコントロールしようとします 家を持とうとしたり インド人は コレクティブを知りません とても個人主義的です もちろん今は サハジャ ヨガを通して少しずつ 他人といることを 学んでいます 文化的に違う人もいます 自分の文化に固執しがちですが 良い文化は取り入れるべきです 普遍的な文化が サハジャにあるからです ですが 人は つまずくことが多々あります コンディショニングのせいです 故にブッダの同時代に 偉大な化身マハヴィーラが存在しました コンディショニングに こだわる人にとって 何が罰となるかを 指摘しました 彼は恐ろしいことを 話しました コンディショニングを 持つとどうなるか どんな状況に 追いやられるか どんな地獄に行き着くか 恐ろしいことを 述べました もちろん今日は その話をしません しかし 彼と同時代の聖人に 共通するのは ブッダやカビーラも そうでしたが カビーラはブッダほどでは なかったけれど 神について 話さないということです 神ではなく 抽象的な 形のないものについて 話します 当時 最もひどい コンディショニングは 如何なる神格でも 崇拝すれば 皆が 奴隷のようになる ということです モハメッドも形のないもの について話しました しかし 二人は 先を行っていて “神はいません 神について話すより リアリゼーションを得なさい”と言いました 私も当初 “まずリアリゼーションを 得なさい”と言いました でないと 誰もが ”私が神だ” と言い出しかねないからです だから 彼らも神について 話しませんでした 常に“神ではなく あなたの 自己が存在する”と言ったのです 彼らはニリシュワラと呼ばれ 神の話をタブーにしました 二人とも神を 信じませんでした しかし リアリゼーションは 信じました 彼らは 私が来て 神について 話すことを 知っていました ブッダは未来のブッダ つまり マトレーヤについて 話していました 「マ」は母を意味し 三つの形姿 マハカリ マハラクシュミ マハサラスヴァティを指します 仏教徒にマトレーヤについて 質問させれば そこでリアリゼーションを 与えられるでしょう 彼はマトレーヤについて 話しています マトレーヤがやってきて 神について話すことを 知っていたからです 彼らによると 人はまだ 神について話を聞く 段階ではなかった と言います それで “神はいない” と言ったのです リアリゼーションのみを 強調しました アトマギャーン 自己の知識のみです セルフ リアリゼーションです 初期の仏教徒は 当然ながら 皆 禁欲主義でしたが グノスティクスのように 精霊の涼しい風を感じる 体験をしていました ですが少数でした あなた達ほど 多くではありません ただ 質は とても高いものでした なぜなら 皆が 大変な 苦行をしたからです それで 彼らの質が 高かったのです その質の違いが 大きかったために 他の人々に 理解されませんでした 廃れてしまいました しかし ヴィディタマによって 禅がもたらされました ブッダの弟子です タオも起こりました これらはどちらも ブッダのサハジャ ヨガの 理想を体現しています タオは サハジャそのものです “それが如何に働くか” という意味があります 禅とはディヤーナ 瞑想という意味です どちらもクンダリーニの 覚醒を信じました 誰の脊柱も 叩きませんでしたが 後になって 瞑想に人を導くために 棒で叩くようになりました タオも禅も 仏教から出たものです 本来の仏教 と言うべきでしょう 上昇について話し 神については 話しませんでした しかし 目的は同じで ブッダ(自己)に なることでした しかし 廃れてしまいました 私は禅の代表者を 治療したことがあります なぜ カッシャパでないのに リーダーなのかと尋ねました カッシャパとは “覚醒した人”です 彼は“カッシャパは 数えて26人しかいなく” “6世紀に 始まりましたが” “ほんの何人かいただけで” “その後いなくなった” と打ち明けました あなた方は どんなに幸運でしょう 覚醒した人たちです 私たちの菩提樹は コレクティブです 私たちは コレクティブとして 一体になることで 自らをより精妙にする 必要があります それは 大変喜ばしく 美しいものです それができないと サハジャでは 成長できません 問題をおこしたり 皆に迷惑をかけます アテンションは悪く 皆が 耐えがたい思いをします ブッダのメッセージは もちろん エゴを 大きくしないことです しかし どうすれば 良いのでしょう まず 何をするにつけ “私がしているのではありません” と言うことです “これは マザーが 行っています” もしくは “神が行っています” “私は何もしていません” サハジャのために何かしている と感じているなら それを止めた方が 良いでしょう そうでなく “何もしていないけれど” “たまたまそうなったのです ただそれだけです” そうなれば あなたは 大きな達成を成し遂げます 二つ目は欲望です どんな欲望であれ 大きなものでも 小さなものでも 我が子や妻を 愛することであれ “私の” “私のもの” と言うすべて こういったすべての 欲求は それが満たされず 不満に感じるなら 何かあなたに非がある ということになります しかし コレクティビティを 理解すれば とても早く 成長できます インド人は 極めて信心深く 自制のある人々ですが コレクティビティに 欠けています 彼らがコレクティブになれば 突出できます 唯一 良い国はロシアです 共産主義なので コレクティブで 無欲です あらゆる欲求は 共産主義によって満たされ 他に選択肢が ありませんでした そしてコレクティブです ある意味 共産主義は 政府でなく民衆に合いました 反対に民主主義は 政府にくみして 民衆が苦労しました なので 私たちは コレクティブを学ばずに きたのです コレクティブは西洋で 早く発達するでしょう 疑いありません ずっと早いでしょう しかし 無欲にあまり なれないでしょう 歯を持つ人もいれば 食べ物を持つ人もいる状況です 自分をありのままに見て “この問題かあの問題かの どちらかだ”と理解するなら その偏りを正そうとするなら 解決できるでしょう 一つを解決することで 他も解決できるからです 中庸に立って 自分を見て “自分の欲は何か”と 一つ一つ数えなさい “私の欲求は何か”と問えば 私は無思考状態になります ひどいものです “何が欲しいか”と問うと 思考がなくなってしまうのです “エゴを持とう” と思っても どこから始めてよいか 分かりません “皆エゴを持っているのだから 私もあるのではないか”と思っても どうにも始められません 私たちには こんなコンディションングもあります 負い目を持つことです ブッダの時代には ありませんでした 負い目を感じるというのは 現代のやり方です 何らかのモダニズムに 違いありません なぜこうなるのか わかりません この現代のひどい “負い目”を浄化させる 役目を 私が 担うことになります ブッダの時代には ありませんでした でなければ 彼は 道を作ったでしょう 彼はレフト ヴィシュッディの 浄化を託しました なので 私のレフト ヴィシュッディが いつも痛んでいます これは特に 西洋でひどい現象で インド人には全くありません しかし これは克服できます ご存知のように ブッダもマハヴィーラも アギヤのセンターを サポートしています なので とてもクリアな アギヤ チャクラを持つには 一方では無欲になり 許す必要があります “クシャム”です クシャムとは許すための ビジャ マントラです ライト サイドのための ビジャ マントラです クシャム 私は許します そして レフト サイドは “ハム”です レフト サイドの人はいつも “私はダメだ”と考えがちです “私は良い”と 言うべきです “ハム”は“私は存在する” という意味です ハムとクシャムは必要な 二つのビジャ マントラです もちろん唱えると 作用します 今やあなたの息吹が 啓発されたからです まだ弱いですが 構いません あなたのマントラは 効きます これら二つのマントラを アギヤ チャクラの浄化に 使いなさい マハヴィーラは 解決法を持っています リアリゼーションの後 キャッチすると アギヤに 頭痛を感じます それがマハヴィーラ のスタイルです 何か間違えると 罰を受けます 何かに耽溺すると 罰を受けます サハジャに反すると 罰を受けます 私ではなく マハヴィーラがするのです 同時に働きます 賢くなろうとしすぎると 裏をかかれます この二つの力が 右から左へ 左から右へと働きます 右に行きすぎると 左があなたを強く叩きます 左に行きすぎると 右があなたを強く叩きます それぞれが 挟み撃ちのようです 一人は “欲を持つな”と言い もう一方で“はい 欲がありますね” と罰を与えます “子供が欲しい” と言う者がいます 子供を授かると“マザー なぜこんな ひどい子を私に授けたのですか” と言います 例えば 誰かが “マハラシュトラの女性と 結婚したい”と言うと 最近あったケースですが “マザー マハラシュトラの女性と 結婚させてください”と言ったので 特別な形で 罰せられました ”マハラシュトラの女性は もうたくさんです”と言います 私もあんなマハラシュトラ出身の 女性は見たことがありません 恐ろしいです こだわりの強い 女性でした “もうたくさんです” と彼らは言いますが “違います 他の皆は すばらしいです” “これはあなたに罰を与える為の まれなケースです” なので 何か欲があって 一線を越えると 罰せられます マハヴィーラによるものです 小さくも大きくもです 例えば ロンドンに 小さな男の子が来ました とても生意気な子です 何か買って もらいたがりました 普通の店に連れていくと そこにウールの 良いコートがありましたが 欲しがりません “大きな店に行きたい” “良いでしょう 私は行きませんが” と言い 父親に行かせました 帰ってくると その店で合成繊維のコートを 買ってきました 合成とは知らずにです いつも普通の店で 買い物をせず 大きな店で高いものを 買うので 高いお金を払い それを買ってきたのです サハジャ ヨギは 常に マハヴィーラがそこに 座っているのを知るべきです ブッダもそこにいて 彼は あなたに示唆を 与えます “止めておきなさい” “あまり欲を持たないように” 彼が限界を作ります でもそれに耳を貸さなければ マハヴィーラが正します ある程度まで行くと 頭痛がしてきて “マザー なぜ頭痛がするのですか” と言うのです 自分で招きました すごい自動の機械です サハジャ ヨギとして とても気をつけるべきです なので 今日の教訓は 内側からコレクティブに なる必要がある ということです 何であれ 文句や不満を言わずに コレクティブを 楽しむべきです コレクティブの もう一面は コレクティブを 乱用しないということです さもないと 問題になります 例えば バスルームの使い方を 知らない人がいます コレクティブであるなら 他者のコレクティビティも 尊敬するべきです あなたがいることで 他の人が気分を害することが あってはならないし 侮辱されたり 迷惑に感じたり するべきではありません なので コレクティブにいるときは 他の人があなたと一緒に いることを楽しむべきで あなたの存在を 楽しむべきなのです 問題は存在しません でも要求がましかったり 自分のことばかり考え その要求ばかりすれば コレクティブになることは不可能です 代わりに 苦労するでしょう 自動的に 苦労することになります これにきちんと 気づいて理解すれば あなたのアギヤは解決です 怒りについても “彼に腹が立つ”と 自慢げに言う人がいます 自慢しています その怒りをただ 許しに変えなさい すると 自分が 彼の問題に はまり込むことなく 彼が問題に はまって行くでしょう 怒りは あなたを乱しますが 許しは 彼を乱します 自動的にです あなたの最も大きな 武器が許しです ブッダの人格に それがよく現れています 許しは 自尊心を与えます どんなことにも乱されない という自尊心です まるで 船が 航海できるようです 浮かべて壊れるなら 船を作る意味はありません いつも心乱されている サハジャ ヨギに 何の意味があるでしょう あなたは航海に 適していないといけません 何にも 乱されることはありません 犬が吠えているとします 吠えさせておきなさい 象が犬を見て 水を少し飲み その水を祝福するように かけます そうすることで 頭は冷えるでしょう あなたに自尊心を 与えるでしょう そしてあなたが他者よりも ずっと崇高であると知るのです そのようにして エゴを取り除きます あなたにとって 最大の問題です “マザー どうやったら エゴをなくせますか” エゴは ユーゴー(you go) と言い換えられます この“自分”の意識がなくなった時 自己が現れます 傷ついたり 気分を害することがありますか 人を傷つけることが あるでしょうか 誰かに騙されたとしても あなたが騙したわけでは ないのですから 機嫌よくしていなさい エゴを 失くしたということは 自らを 委ねたということです 誰もあなたを騙せません わかりますか 誰もあなたを騙せません ある高次の力が あなたを守るからです この様にブッダを 理解するべきです ブッダの性質を 知る必要があります この様に エゴを溶かすのです “マザー 私はあなたに帰依します” と言う時 それは この酷いエゴを 完全に あきらめる ということなのです そうです そうやって エゴがなくなるのです ちょうど今 あなた方のアギヤが 開きました ほとんどがです 何を見ても 笑っていられるでしょう 自分をからかったり 何であれ ただ楽しむでしょう 神のご加護が ありますように […]

Shri Mahavira Puja, Dead Spirits (Australia)

Mahavira Puja. Perth (Australia), 28 March 1991.
今日はマハヴィラの 誕生日を祝います マハヴィラは バイラヴァナスの化身です 同時に聖ミカエルでもあります ご存知のように ガブリエルであるハヌマナと ミカエルの両者がいます 一人はピンガラナディに もう一人の聖ミカエルは イダナディにいます さあ マハヴィラは 多くの困難を経て 探求しました もちろん彼は 天使でしたが 人として生まれ 自らの探求により レフト サイドについて 学ぶ必要がありました レフト サイドはとても複雑です ライト サイドより ずっと複雑です レフト サイドにはさらに 7つのナディがあり それらは順々に並んでいます 本にも書かれていて 一つずつ名前が付いています この7つの レフト サイドのナディは ご存知のように 過去に与します 例えばこの一瞬一瞬が 過去になっていきます 現在は過去になり この人生の過去があり 過去生もあります 過去全てが 私たちの内面にあります 天地創造以来の全てです 全ての心身症は ご存知のように 紛れもなく レフトサイドからの 存在の現れです 例えば誰かが 肝臓に問題があると 急に左から攻撃されます 特にムラダーラです もしくはレフト ナビなど レフト サイドのどこでもです ムラダーラだけが レフトサイドに イダナディと直結していて ライト サイドの ピンガラナディは スワディスタンに つながっています なのでムラダーラの問題は 人間を超えたもので 攻撃されると レフト サイドのどこであれ 心身症として 体に現れてきます 何度も言いましたが このように左右のセンターは 重なっています ライト サイドを酷使すると ある時点で急に レフト サイドが賦活され あらゆる病気 例えば糖尿病など 心身症になります とても働き者で考えすぎて とてもライトサイドだと 急に何かが起こるのです それは遺伝かもしれません 過去からの影響で 心身症になるからです これら心身症は レフト サイドの問題について 熟知していないと治せません なのでマハヴィラはレフト サイドの 深くに沈潜したのです レフトが難しいのは レフトに行くと 動きが直線的になり 下降し始めるからです それに対して ライトは上昇します このように下降し ぐるぐる巻かれ 渦巻きになります そうやって回り続け 渦の中で我を失うのです でももう一つは上昇するし 渦もそれほどありません それに上昇するから逃れやすいのです だから レフトに行きやすい人は 過去を考えすぎたり 自己憐憫や不満で泣いていて ライトサイドの人より難しいです ライトの人は他人を害しますが レフトの人は自分を害します そんなレフトを マハヴィラは しっかり理解したのです もちろん全てを 知っていたと思います ただ特にレフトについて詳細に 何が起こるかなどを 実践的に語り 地獄の概念をもたらしました 7つの地獄についても 語りましたが 酷い話なので 私は教えたくありません 地獄がどうで いかに残酷で 歓びがなく 全くもって ゾッとする場所で 自分を恨み 自分がどれほど罪を 犯したのかを悟ります パパスです その因果で 罰が下ります 全てマハヴィラがします 彼はどんな罰かを 細かく語りました レフトに行こうとする 人に対してです ライト サイドの人にも 罰がありますが それほどでもありません なぜなら彼は 両サイドの中でも 主にレフトに関わるからです 多くの人に言いましたが 魂は存在していて コーザル体で出来ていて それは5大要素なのです 例えば地は香りです なので 因果の5大要素で魂も センターも出来ていて さらに それらが 副交感神経を統括します 脊髄の外側か 副交感神経を 賦活するのです なので全てのセンターと 関係しています これが死後の魂で クンダリーニとスピリットを伴い 空に上がり その魂の導きにより 我々は導かれて 生まれ変わりが起こります だからこれまでに行ったことは全て その魂に記録されています マザー 何か丸い玉が あったのを見ました そう訊かれたりしますが 何でしょう それは死霊です やっと彼らも言われたことを 理解しました 人は亡くなると 魂が出てきます 今も見えます 丸いもので 沢山の時や 線状だったりします 私が指示して顕微鏡で 見たこともあります 細胞に魂は反映します 魂が各細胞を反映します 細胞の一部に 反映する部分があり それは細胞の片側で 魂も反映します 背後の主な魂は それぞれの 細胞に映された魂を コントロールします その反映の中に 7つのループがあり 7つのループが 8つのチャクラに乗っています 7つのチャクラとムラダーラです それで分かったのは 人が亡くなると いくつかの魂は 何日かして 生まれ変わりますが これらは全く平凡な人々で マハヴィラは これらの人々を分類しました 彼らは死んだ後 この種の人々は ちょっとの間だけ 集合的な潜在意識にいて 生まれ変わります とても凡庸な人々で 目的もなく 役に立たない人々です 一方 死後に空にとどまり しばらくの間 自分の叶わなかった望みを 叶えてくれそうな人を 捜す者もいます 例えば 酔っ払いがいたとすると 彼が生きていて飲もうとする人に とり憑きます すると そうやって 飲む習慣ができると その魂が その人に乗り移って すると 本当の酔っ払いにしていきます 背の低い小さな女性が キューバ人でしたが 私がアメリカを訪れた際 自分が嫌いだと言いました 旦那は彼女が ウィスキーをボトル一本 飲み干すというのです 彼女を見ると小さくて どうしたらそんなことできるの バンダンしてみたら 大きな黒人が見えました 彼女の背後に立っていました 黒人で知り合いは? 彼女はたちまち飛び上がって マザー 見えましたか? あの人 あの人なんです 私じゃない もちろん 私は彼女を治しました その後彼女は飲酒を完全に 辞めました だから何であれ 悪い習慣を持つと 自分をコントロール できなくなります すると霊が居座り あなたをコントロールします すると 抜け出す道が分からなくなります だから習慣から逃れるのは 大変なのです サハジャ ヨガでは クンダリニが上がると これらの死霊が あなたから離れ あなたは習慣から脱します そのように働きます マハヴィラはこれを 教えませんでしたし 発見することも ありませんでした 彼は科学者ではなかったんだと 思いますが 分かりません 彼はその代わり 地獄について語り こういったことをすると 今生において 地獄に堕ちること さらにその詳細を 忌憚なく語ったのです それは恐ろしいもので 自分のことばかりの人間が 最後にどんな地獄を味わうか そこから永遠に 抜けられない者もいます でも化身が生まれると 地獄で生きる運命の 悪魔たちが 生まれてきます 生まれると 害を及ぼしますが グルとして生まれるのです 現代でもそれが起こっています 彼らが生まれ人を迷わせるのが よく分かります レフト スワディスタナや レフトサイドを用いて 私たちを抑え込みます 人が憑依されると ヴァイブレーションを感じれなく あらゆる症状が出るのを 見たはずです サハジャ ヨガでは マハヴィラの名前を唱えます マハヴィラがイダナディを渡り いわゆる スーパーエゴに留まるからです そして調整し 働き 浄化するなど 必要な全てを行って サハジャ ヨガに来た人を 正します なので彼に感謝すべきです この汚い仕事を してくれることに 彼らは全く気にせず 浴室や そこら中で瞑想するのです なんでもする人達で 汚れています タントリカになると何でもします それによって人と神の間に 問題を起こします 例えば女神の寺院に行き そこで女性と逸脱します すると女神が消えます 一度女神が居なくなると レフトのブーツを呼び込みます それで今多くの魂が あちこちにいて 帰ってきて 人の意識に入り 取り憑こうとしています その上レフト サイドの マスターがいて これらの魂を操り 誰かに取り憑かせたり 人から人へ移したりします これは終わりのないプロセスで 人は完全に狂ってしまいます 今私たちはそれを知っていても まだレフト サイドに捕われます サハジャ ヨギも捕らわれます なのでこの マハヴィラの誕生日が 極めて大切な日なのです なぜマハヴィラと 呼ばれるのでしょう ヴィラとは勇敢の意味で 彼のような騎士のような人だけが 自身の存在に分け入り これら恐ろしいラクシャサ ネガティブな悪魔の到来を 滅ぼせたのです 私たちは レフト サイドを酷使し ネガティヴィティに 苦しめられます そこに助けがなければ マハヴィラなしでは無理です マハヴィラと彼を呼んだり 聖ミカエルとも呼ぶことが できますが 人として来たので マハヴィラと呼びましょう これら全てが彼のおかげです 偉大な神格です 人として化身しましたが それは聖者には 難しいことです それに 地獄の概念は 聖典に述べられた通りで 真実で実在します そこに行こうとするなら 私はいつも 眠ってしまって その眠りの中で 相手のことを知ります 何をして いかに取り憑かれているか 意識的にするのは 難しいことです 潜在意識に行く 必要があります スシュプティと言われる 深い眠りです そこでレフト サイドが 分かります これはおかしな状態で サハジャ ヨギには お勧めしません でもレフトの問題は 取り除くべきで マハヴィラが助けになります このチャクラがキャッチすると 右側が大きく腫れます ならばマハヴィラの名を 唱えなくてはなりません 左側の圧力を 取り除くためです 何故自分が苦労するか 知らない人が沢山います 何も悪いことをしていないのに 何故でしょう 取り憑かれているからです ウイルスとか 心身症 癌など 不治の病は レフト サイドが 賦活されたためです そのため不治の病気に なってしまうのです ですから マハヴィラに感謝しなさい 力を与えてくれ レフトの問題を 取り除いてくれます 手に光を与えてくれて バイブレーションも与えてくれ 曖昧さを光によって 例えば私について 明らかにしようとします 彼こそが唯一 心や体の問題の 癒し手です 左の問題はご存知の通り 3キャンドルで 簡単に治療できます マハヴィラは光が好きだと わかります 暗闇は好みません それによって 十分に行き渡り レフトサイドを浄化し ネガティヴィティの強い国々で サハジャ ヨガの確立しようと しているのです 彼はどこでも働いていて どんな心身症でも ロウソクなどで治せます 3キャンドルで治療できます なので彼に感謝すべきで レフト サイドへは分け入り どんな問題があるかを 見つけてくれました 今日は彼の誕生日を 彼の好んだ場所で 祝うことができて とても素敵なことです マハヴィラはたまに 裸で描かれますが ジャングルで レフト サイドの探求をしていて 起きてみると 藪の中で 身動きが取れなくなり 服の半分を破らなければ なりませんでした 半分を破って 藪から出た時は 大丈夫でしたが シュリ クリシュナが 子供として現れました 私は貧しく 何も持っていませんと言います あなたは王ですから 服をもらえませんかと この子にあげるからと言って 去って行きました 彼はシュリ ヴィユヌに 違いありません この時ヴィシュヌに服を与え せいぜい数秒の間に 彼は王なので この葉で身を隠し 城に戻り服を着ました ですがネガティヴなことに ジャイナ教徒は裸で歩きます 彼らは厳格な 不殺生のタブーを守り 虫さえも殺しません 彼らは小動物を敬い 例えば小さな蛇や 害虫などでも 生き物であると 殺してはならないと言います 彼らは狂っています 極端な菜食主義に走って 虫も殺さず 帽子に虫を集め その帽子を神官が被り 虫に神官の血を吸わせます 神官の血が 完全に吸われたら 虫は地面に落ちます すると神官が出てきて 彼らにダクシナを つまりお金を見返りに 与えます 神官の血を 虫に吸わせたからです このような菜食主義があります ベジタリアンに気をつけなさい ヒットラーでさえベジタリアンでした どんなベジタリアンか 推して知るべしです このような菜食への熱狂は 全くいりません マハヴィラはそれを身をもって 示しました 食べ物にこだわる必要は 全くないと いいですか 菜食主義の理論は 馬鹿げた極端に 行きすぎていて 私たちは完全に やめるべきです それに対して彼は 何をしたか見なさい タンパク質を摂らねば ブーツと戦えません ブーツが入っている人は たくさんタンパク質を摂りなさい 炭水化物でなく タンパク質です それでレフト サイドの敵と 戦えます なのにベジタリアンに なろうとするのです レフト サイドの敵が 中にいるのに ベジタリアンになるなんて 終わりです どうやって戦うのでしょう これら全ては 予め分かっていて 虫などの 人間より劣る動物を 決して殺してはならないと そういう人は 迫害者だと言います これは馬鹿げたことです 私は虫に リアリゼーションを与えれません 魚や鶏にもあげられません 人間が必要なのです これらは人間の仕業で 彼らの言っていることに 沿っていません キリストは汝不純な目を もつなかれと言いましたが そうではないキリスト教徒に サハジャヨギ以外で 会ったことがありません 男性でも女性でもです 教えられたのと 反対になるのです マハヴィラの場合も同じで 彼の試みはことごとく 菜食主義に 走るような人によって 台無しにされてしまいました もう一つは 菜食主義はネミンナスという シュリ クリシュナの時代の 教師が始め 当時の慣習で 彼は結婚し それだけでなく あらゆる肉も食べ ラム肉も羊も 彼の結婚式では出されて それで彼はいわゆる ウパラティ それで気を悪くして 何をしたかというと もう肉を食べない と言ったのです こうしてジャイナ教で 菜食主義が始まりました そして未だに続いています 彼らは喜びに欠けた つまらない人達です お金が大好きで 追い回して とてもおかしな態度で 振舞うので理解できません 人間ですが その態度は理解不能で 普通ではありません なので マハヴィラの努力にも 関わらず 彼のいわゆる弟子である ジャイナ教徒たちが そんな状態です ここで理解すべきは サハジャ ヨガでは それはダメだと 何か言われたら 理由を理解しなさい あなたは方法論を知っていて サハジャ ヨガの 詳しい知識があります 全部知っています なのでどんな形でも 間違った与太話や 大々的な広告に 誘惑されてはなりません とても大事なことです 私たちはサハジャ ヨギで バランスを心得ています もちろん西洋人や オーストラリア人なら もっと肉より炭水化物を 食べるように言います なので炭水化物を 摂っても良いですが それは決して 菜食主義ではありません あくまで栄養補給です インドではもっと肉を 食べなさいと言います それが効くでしょう でも肉ばかりたべれば 良いわけでもありません バランスをとるべきで 一度バランスが取れれば リラックスして気分が良く 驚くでしょう 啓蒙され バイブレーションも良くなります 食べ物に気をつけることです 衣服も同じで 服に熱狂しないことです 暑くても寒くても 自分に適した服装をしなさい 例えば こんな気候なら自分を 覆う服が要るでしょう ガナパティプーレのように 暑くもなく かといって寒くもない 乾燥している場所なら どんな装いが必要でしょう 見てみなさい そこで分かるものが 自分が快適な服を あなたは着るべきです いいですか 私が何か言っても 過剰に 受け止めてはいけません 少しでもダメです 私が何か言ったら それはあなたのためなのです あなたの性格や傾向が どうであろうと それを養い 向上させバランスを 与えるためです マハヴィラに帰依するなら バランスをとりなさい 同時にシュリハヌマナを 思う必要もあります 両者が大切です 短い講義でマハヴィラについて 教えるのは難しいです ですがサハジャにより彼に かなり繋がっていると思います あなたも彼とその役割が いかに重要か 分かったはずです 神の恩恵がありますように […]

Mahashivaratri Puja, Four Nadis of the Heart (Italy)

Mahashivaratri Puja. Chianciano Terme (Italy), 16 February 1991.
今日私たちは サダシヴァを崇拝するために 集まりました 私たちの内にシヴァとして スピリットとして反映しています 彼は私たちのハートに 反映しています 私たちの人生の目標は スピリットの状態に到達することです 先日何冊か 本を読みました スピリットを知るための リアリぜーションを どのように求めたか いかに人々が 苦しんだかについてです まず彼らは 自らを拒絶したり 無視したり 身体を痛めつけるよう求められました 身体が快適さを求めれば まずベッドではなく 絨毯の上に寝るように言われました それでもだめなら ゴザの上に寝て それでもだめなら 大地に寝るようにし それでも身体が嫌がれば 石の上に寝るようにしました それでも ヒマラヤはほど遠く シヴァは カイラス山にいるからです なのでヒマラヤに行き 氷の上に寝ました これは最低限 求められました もし良い食べ物を 好むなら 贅沢な食べ物を好み 沢山食べたいのなら まず好きな食べ物を 全て拒むように言われます 例えばイタリア人なら パスタを食べられません それを断念します しかしそれでも 十分ではありません その後 大変苦い物を食べます 禅のように108倍もの 苦さの物を食べます 完全に苦い物 あるいは完全に甘い物です 舌を試します それでもまだ 食欲があります 過食するなら 一日断食します 十分でないなら 7日間断食します 次に40日間断食します 一か月は30日なので 40日断食したらもう死んでいます そのようにして ニルヴァナの苦行をしました 死んでいるなら いずれにせよニルヴァナを得ます 何も残りません 骨だけです その骨がニルヴァナになっても 結局は死に至り 終わりになります 疑いなくニルヴァナです 次に家には住みません 快適だからです 妻や子供 全員を断念し 布だけをまとい 物乞いをします その布でさえ執着するので 問題となります そこで誰もいない ヒマラヤに行き 服を脱ぎ 寒さの中 震えながら耐えます そしてニルヴァナを得ます 身体の欲求をなくすため まずこのような 条件が課せられました “ニルヴァナを得るためなら 何もいらない”と言い聞かせました 第二に快楽さ 喜びを求めようとさせる頭を なくすことでした 例えば何かとても 欲しているものがあるとします それを拒みます 頭が言うものに “いらない いらない”と言います サンスクリット語で シュロカがあります “これもいらない これもいらない” と言い続けます そして初めて ニルヴァナのことを口にできます その前はニルヴァナのことを 話すことすらできません この本を読んだとき “これはやりすぎだ”と言いました サハジャ ヨガでは 全くその逆です まず建物の小尖塔を建て 次に土台を建てます はじめに得るものは サハスララの開花です そしてそのサハスララの光で 自分自身を見なければいけません ヴァイブレーションを通して 内省することの方が良いのです そして見ることです なぜ私はこれを望み アテンションが 快適さにいくのか なぜ食べ物や自分の家族 子供にいくのか 至高の状態に 到達しなければいけないのに そこで内省し始めます すると自分のヴァイブレーションで 何かがおかしいとわかります 他の者の何がおかしいのか 見ません 自分自身を見ようとします 得なければいけないのは あなた自身の上昇だからです しかし昔はこのようなことが 個人レベルで行われました ニルヴァナを得ようとする者は 人里離れたところに行き 人を遠ざけ 関わらないようにして 上昇を リアリゼーションを 得ようとしました 自分のためだけにです 他の人のためではありません その者は完全に隠者となり 誰とも話さず 会わず 人里離れた山の頂で 瞑想しました 近づく者には石を投げ ひどいことを言って 決して 会おうとしませんでした サハジャ ヨガは違います サハジャ ヨガは 全体の上昇です このような個人の達成は 何にもなりませんでした 聖人はもちろん 人々と話し リアリゼーションについて 神について 徳や価値観について 教えようとしましたが 人は彼らを変人と見なし 苦しめ困らせました なので個人レベルの 上昇の段階では それについて話したり 教えたりする以外には サハジャ ヨガが始まるまで 手立てはありませんでした 話すことすら 禁止されていました インドでは12世紀まで 公の場では 誰も話しませんでした すべてサンスクリット語でした 数人の熱望者だけが理解できる 難しいサンスクリット語の本でした 極少数の者に 説明されました それでもリアリゼーションを 与えることは拒否されました なので一人の師に 弟子が一人つきました すべて個人的な上昇 個人的なワークアウトでした 弟子は他の者から遠ざけられ 内密に働きかけました その者は歌ったり 詩を書いたり 至福について 話したかもしれませんが 他者にリアリゼーションを与える 権利はありませんでしたし 与え方も知りませんでした あなた方がどれほど 上昇したかおわかりでしょう 断念することもなく リアリゼーションを得ました より広く 働きかけられます リアリゼーションを与えれます サハジャ ヨガについての 精妙な知識を知っています 今日は私たちが知るべき 大切なことをお話しします 知ることは とても大切です 教会に行くかのように サハジャ ヨガをする人がいるからです ハートからしていません ハートは スピリットの住まいです 私たちの内にいる シヴァです なのでハートについて 知らないといけません とても大切なことです ご存じのように 三つのナディがあります イダ ピンガラ スシュムナですが ハートには 四つのナディがあります 一つ目のナディは ムラダーラに行きます ムラダーラの一線を越えると 地獄に落ちます それゆえシヴァは 破壊者であると言われています 実際自ら 破壊を招きます 自ら招き そうなります すべて滅ぼしたとしてもです 実がなるとき花びらは 朽ちていくように見えます あなたの コンディショニングやエゴ 人種主義 熱狂主義が 破壊されるようにです これらすべて サハジャ ヨガで破壊されます 美しさが現れてくるために 破壊されなければいけないものです ある境界線を越えると 自らの破壊に至ります 四つのナディがあるので 四つの方向で破壊があります ではどうすべきでしょう 最初のナディが地獄へといくのに この破壊をどう食い止めるのでしょう シヴァの資質の一つは 純真です 彼は非常に純真です 子供のようです 彼は純真を体現しています なので 私たちの世俗的な欲求を 純真に 純真の大海に 溶け込ませないといけません 純真の大海に 溶け込ませます 純真は その良さをわかり 理解し 楽しまれないといけません 動物を見ると純真です 子供たちを見ても 花を見ても 純真です あなたのアテンションを これらに向けなさい 道を歩くとき 高さ100センチ以下に 目をやるのが最良です 100センチ以下には 花や 美しい芝や 子供たちがいます そちらに 目を向けると良いです それ以上の高さのものに 目をやる必要はありません 100センチ高さのものを 見なさい 人の脚を見ても 構いません 純真でない人の目は 見ないことです ですからこの欲求を 純真さに溶け込ませなさい 純真であるこのムラダーラは 朽ちることなく 純真で高潔です シュリ ガネーシャの資質です 純粋です この世俗にいようとも 人間のように暮らしていたとしても 子供がいたとしても あなたは純真であり続けます 一度シュリ クリシュナの 妻たちが 彼には1万6千人の 妻がいました それにもう5人です 1万6千人は彼の力でした そして5人は要素です 彼女たちは大変有名な聖人に 祈願しようと願いました 彼に会って 敬意を払おうとしました そこでシュリ クリシュナの 許しを請いましたが 川が氾濫し 渡ることが困難だと知り 渡れませんでした 彼女たちは戻り “どのように渡ればいいのでしょう” と言いました クリシュナは “そこに行き こう言いなさい” “シュリ クリシュナが ヨゲシワラであるなら” “性的に完全に純真なら 水よ沈まりなさい” “そんなことはできるのだろうか 私たちは数多くの妻です” 彼女たちは川に行き その通り言いました すると水が 引き始めました 彼女たちは夫の言ったことに 大変驚きました そして川を渡り そのリシを崇拝し また戻ろうとしました するとまた川が氾濫していました そこでリシのもとに戻り どうすれば良いか尋ねました 彼に“どのように渡ったか”尋ねられ シュリ クリシュナの話をしました 彼女たちはリシに沢山の食べ物や 果物をもてなしていました “では川に行き リシが 全く何も食べていないと言いなさい” 彼女たちは驚きました 彼女たちが戻って川にそう伝えると 川の水が引きました ですからこの世俗に生きていても 妻であり 夫であったとしても 結婚していても あなたは純真でいられます 完全に純真でいられます それが純粋の象徴です あなたを破滅へと導く 二番目のナディは欲望です それゆえお釈迦様は 欲望を持たないことが 老いない 病気にならない 心配にならない 唯一の道であると言ったのです 私たちが持つ “欲しい”という欲求は どこよりも 西洋に強くあります 企業家が日々新たな物を 生産しているからです 例えば髪に関しても 女性は様々なウィッグを欲しがります “これが欲しかった このウィッグをつけたい” 他の女性は “私はこれがいい”と言います 男性の欲しがるものといえば “彼がロールスロイスを持つなら 私も持たなけらば” 他者のロールスロイスを 楽しむことができません 自分の物でなければいけません 所有していなければいけません 欲求は物質的なものでなくても 何にでも持てます メンタルなものでも あり得ます “この女性は この子は 自分のものだ” 様々な所有欲として でてきます それが執着のためだとは 言えません 執着ではなく ただもっと 自分のものにしたいのです どんどん自分のものにしても 幸せや満足感は感じません このような欲求の理由は それが純粋な望みではないからです 不純な望みです そのような望みが働くと 極端に走ることもあります サダム フセインや ヒットラーのようにです 限度を超えた 完全な欲求に他なりません 他者を支配したいのです これもまた 別の欲求です このような欲求は 最終的に破壊へと導きます 歓びや 幸せがないからです 例えば サリーが欲しいとします するとサリーを 買いたいと思います アテンションがいかにサリーを 手にするかにすべて注がれます アテンションがつまらないものの ために汚され乱されます スピリットを楽しみ 養うアテンションが 欲求のために乱されます 第一に純真でないので アテンションが乱されます 第二に欲求があるので アテンションが混乱します では欲求に対して 私たちはどうしたらいいでしょう 欲求は物質的欲求から 審美的な欲求へと 美しいものへと移すことができます 真に審美的に 豊かなものを持つようにします それがシヴァの資質だからです 彼がすべてに審美を与えています 例えばこれが簡素に見えるとします 機械的だともいうかもしれません もしシヴァの仕事なら 彼はそれを美しいものにするでしょう ですからシヴァの資質は ブランマデーヴァによって 創造され ヴィシュヌによって進化したもの すべてを美化することです 審美的なものを創造する 精妙な仕事をするのが彼です 光が沢山写っている私の写真を 見たことがあるでしょう 彼の仕事です 彼がしています 彼が光を放ち あなたに私のことを 納得させるために写し出しています なので彼の仕事は 審美的なものを創り出すことです 振る舞いの美しさ 詩の美しさをです 創造する全てが 美しく創られます 歓びを与えるものにします それが彼の資質です ですからあなたが 望むものが何であれ それをワークアウトさせ 手作りの審美的なものを望めば 次第にヴァイブレーションに 行きつくとわかるでしょう 美しいもの全てに ヴァイブレーションがあるからです ヴァイブレーションに至るには 純粋な望みでないといけません なので狂気に満ちた あなたを狂ったようにさせる つまらない退屈な欲求が 純粋な望みになります あなたの欲求すべてを ヴァイブレーションに 溶け込ませないといけないからです しばらくするとあなたは ヴァイブレーション以外は求めなくなります ヴァイブレーションのない物を 買いません ヴァイブレーションがない者とは 話しません 相手にヴァイブレーションが全く なければ逃げ出すでしょう 猿に追いかけられているかのように 人から逃げる者もいます よく見ると 酔っ払いであったりします 以前は自分が 酔っ払いだったかもしれません “今はもう沢山だ とんでもない” 以前ヒッピーだった者達と 一緒にいたことがありました 今はあなた方同様普通で サハジャ ヨギです その時4、5人のヒッピーが プログラムに来ました ラフリだったと思います 彼らが恐怖を感じていたので 私は“どうしたのですか” そこでやってきたヒッピーたちを 見ようと振り返りましたが その時には彼らは 出て行っていました ですからすべての欲求が ヴァイブレーションに終わります そうでなければ 何か欠けていると知るべきです そうならなければ あなたは終いに破滅します 彼が破壊者であると言うのは 一方的な捉え方です 彼には 両方の力があります あなたにヴァイブレーションを 与える力があります 彼が与えます 女神がその力 シャクティですが 彼がヴァイブレーションを創ります 例えば これは指ですが あなたをくすぐれば それはシヴァです 指は女神のです くすぐれば 歓びや幸せを与えます それはシヴァです バクティです バクティの歓びは シヴァから来ます 今日お話ししましたが ある女性が デヴィの献身者で バクティについて沢山学んでいました 沢山のことを知っていて 私に溶け込んでいました 彼女が何をしてきたか 知りませんが 通常人が デヴィについて読めば “これはデヴィについてで これはマタジについて”と分けます 人はデヴィについて 読んでいるとは知りません 彼女は “マザー 私には分かります” “貴方がいかに 優しいか綴っています” “女神がいかに私に触れ 私の面倒をみているか” “いかに注意が 私に注がれているか” “カタクシャ カタクシャ ニルクシャナ” という文があります “すべての一瞥が視察です” 視察は適切な言葉 ではありません ニルクシャナは 神聖な視察という意味です “いつも貴方であると感じます 常に貴方です” “音楽を聴けば感じます 私を見ています” “私を感じています 養っています” “いつも貴方の愛を感じます” このようにバクティがでてきます あなたにあるヴァイブレーションは 無味乾燥ではありません それはバクティの歓びです バクティを崇拝や 他の言葉に変えたとしても 神である愛の大海です あなたはそれに浸るだけです それは言葉で表現できません あなたが感じるのは それなのです スピリットであなたと あなたのお母さん あるいはお父さんとの つながりを持てたのです 違いはありません あなたはその大海と一つです 大海に浸っています あなたは滴であり 大海です そのバクティと 一つなのです そのバクティは 機械的ではありえません 人間の作るものでは ないからです なので サハジャ ヨガを楽しむとき それは無味乾燥な ヴァイブレーションではなく バクティだと知るべきです それが シヴァの資質の歓びです 彼が私たちの人生に 与える歓びの資質です すべてが取り囲まれているように 反響しているように見えます 歓びも同じです “私は神に愛されている” “神が私を愛していて 私の人生に意義がある”と感じるなら まずエゴがなくなります そしてコンディショニングも なくなります 三番目のナディは 私たちが執着を感じる 人に執着を感じるナディです 例えばこれは私の子供です 夫です 家族です 妻 父 母です サハジャ ヨガを始めると皆 初心者なので 自分の家族全員のことを 話します “私の父がこうです 母は病気です 母の妹の兄が具合悪いです” まるで契約を 結んだかのようです 今日ある人に聞きました ある夫婦が最初の子供を 亡くしたそうです 別の部屋に 寝かせたからです “小さい子は母親と寝るべきです 面倒を見るべきです”と言いました インドにはそのような 母親はいません それができなければ 夫を追い出すでしょう “一緒に寝るべきだと伝えなさい” と言いましたが 彼らは信じません どうしようもありません その子の面倒を見るという 契約はありませんが 私たちの言うことさえ 耳に傾けません 始めの頃に 良くある考えですが “マザー サハジャ ヨガを 一か月していますが” “私の経済的な問題が 改善しません” まるで私をそのために 訴えるかのようです 私ががっかりさせた かのようです 自分たちはサハジャ ヨガを始めた ばかりだと理解していません あるいは何年もしていても サハジャ ヨギではないのです 何か欠けています それに値しません サハジャ ヨガでなく あなたに問題があります しかし人は何か契約を 交わしたかのように感じます すぐさま知らせてきます “この人 あの人が病気です サハジャ ヨギを5人送ってください” 何のためでしょう これらの執着が 私たちの内で働きます ある者は自分の子供に 大変執着します そして甘やかし続けます “私の子 私の子” すると突如 子供が悪魔のように なっていると気付きます 口答えしたり ひどいことを言ったり 暴力を振ったり 不作法に振る舞います 愛情を注いだのに ひどくなったとわかります さらにひどく感じます “私はこんなに妻に 夫に尽くしたのに このような仕打ちをされている” なぜそんなに尽くすのですか 必要はありません そうするなら ただ尽くし あとは忘れなさい 私はそのように 感じたことはありません 一生懸命働きかけた ヨギが堕落しました 私が気に掛けるなら “今後どうなってゆくのか” それが唯一の関心です 私に何が起こるかではありません 何も私には起こらないからです 彼らが罪深いのであれば 彼らの将来を案じます ですから違います このような執着をサンスクリット語で ママットゥといいます “これは私のです これは私の子 私の 私の” あなたの親族がサハジャ ヨギです 覚えておいてください 次のことを 覚えておいてください “私の親族は サハジャ ヨギだけです” “妻や子供であろうと誰も” “サハジャ ヨギを 困らせたりさせない” “そうならば私とは 関係ない者である” サハジャ ヨギに害を及ばさない限り 関係は大丈夫です サハジャ ヨギを傷つけるなら 関係はないからです そのような者を沢山見てきました すばらしいヨギで 自分の妻や子の 肩を持ちません もしそうするなら彼らを罪深く だめにしてしまうからです 自分の上昇を気にかけます 家族に他のヨギを 困らせることはさせません 刃向かう 問題を起こす 暴力的な子供をみてきました 親は“マザー 正してください 貴方にお任せします” 他の者なら“私の子はそんなことを する子じゃない”と言うでしょう なので分別を 理解しないといけません “なぜ私は執着をするのか” この直喩を 何回も与えました まるで 樹液が上がっていき 木の様々なところに行き 幹 枝 葉 花 実を滋養し 戻るか 蒸発するかと同じです どこにも執着しません 一か所に偏れば 木は死んでしまいます そしてその樹液が行ったところも また死んでしまいます しかし樹液の方が 私たちより分別があります 彼女たちにとって 夫が第一です 夫や妻に関して 数多く問題があります なのでグルは“サニヤーシに なりなさい”と言いました “そうすれが妻子について 話さないでしょう” “まずサニヤーシになりなさい” グルの頭痛の種も なくなります 家族の話をするなりグルは “出ていきなさい”と言ったものです しかしサハジャ ヨガには より深い仕事があります 社会面 政治面 経済面に 入り込まなければいけません 全世界の解放です あなたの 責任を理解しなさい 個人の禁欲的な上昇のために いるわけではありません あなたは全世界を解放するために 選ばれたと理解するのに どれほどの叡智 愛 分別 が必要でしょう 破壊へと 至らせないための方法は いわゆる限られた愛ではなく 無限の愛です シヴァは愛に他ならないからです 彼は愛です あなたを正し 滋養し あなたの善を望む愛です それがシヴァです あなたの善を望みます あなたの善の面倒をみます 他の者の善のために 愛でもって尽くすなら 人生が変わります 生活が変わります それを楽しみます なぜなら 多くの者や多くの家族 他の者の問題に 関心を持て その者達と一つであると 感じるからです 今日沢山の サハジャ ヨギがここにいます 初めて イタリアに行った時 グレゴアーの奥さん キャサリーンと行きました 彼女が唯一 イタリア語を話せました ホールを予約し 広告を載せるよう 新聞社に頼みましたがだめでした 結果誰も来ませんでした そこで彼女とチラシを張るのに 回りましたが誰も来ませんでした 今日沢山の人がいます 私達はお互い愛で つながっていると知るべきです その愛は私たちの善のため 私たちの上昇のためです するとみんなを楽しめます 人種や国やその人については 気にしません サハジャ ヨギであるだけです あなたは普遍的な 人格になります この姿勢で なければいけません インド人の若い女性が 苦しめられていると聞いて なぜそのようなことが できるでしょう 肌が黒いからといって インド人が下層階級だからといって 不当な扱いをするなど ありえません 全員が全体の 一部分だからです みんな同じ母から生まれた 兄弟姉妹です しかしこれは 偉大な 無限の愛の大海に あなたの限定された関係を 溶け込ませたときに可能です それができないなら 正当化しないことです ただ自分自身を目撃します 自分が皆を真に 愛しているか見なさい 私は常に 買い物に行くと “これはあの人に 良いかもしれない”と考えます 自分自身のために 何か買うのは不可能です 早急に必要でない限り ないと困るのでなければですが 喉が渇いていても 飲み物ですら買いません すべてが他者のための 歓びだからです “これはあの人に良いだろう この人に似あうだろう” これらすべては 最も歓びに満ちたことです 他にはありません 自分のことを考えると “なぜ私はここにいるのでしょう” “私は皆を楽しむために ここにいます” “皆リアライズ ソウルです” “美しい蓮の花です” “私は泥とは無関係です” “私はもはや蓮の花です” このようにして ハートを開きます あなたのハートの蓮をです そのような者の香りは 大変すばらしいです あなたは分裂的になりません お互いばらばらになりたいと 思いません どこでも構いません 快く同意するでしょう ここでなければ あそこでなければとは思いません 皆一緒であればです あなたにある 小さな執着を シヴァであるこの愛の大海に 溶け込ませないといけません 四番目は 私たち皆にとって大切です レフト ヴィシュディを通って ハートへとつながるナディです ハートから始まり 上にあがって アギヤを通ります 4つの花弁があり 開きます トゥーリヤと呼ばれる状態を あなたに与えます 私たちは3つの状態において 生きています 起きている状態 ジャグルティにおいて 私たちのアテンションは散漫します アテンションを汚します 二つ目の状態は いわゆる寝ている状態です 眠っていると 過去に起こったことが 甦ってきます そしてスシュプティと呼ばれる 深い眠りがあります 深い眠りの状態です 現実の夢を見ます 私のことを 夢で見るかもしれません 潜在意識の エーテルの部分のようです そこですばらしい情報が 得られます 例えばイタリアに 私が行くとします イタリア人はスシュプティで 私が来たと分かるでしょう 人によります 四番目の状態はトゥーリヤで もう二つ状態があります あなたは トゥーリヤの状態にいます “トゥーリヤ”は 四番目の意味です 思考を超えた意識状態が 四番目の状態です 思考がないとき あなたは純真です 思考がないとき ヴァイブレーションがあります 思考がないとき 誰にも執着しません “トゥーリヤ スティティ”です この状態にあなたがいると あなたの内にある これらの四つの花弁が脳で開きます あなたのハートから 脳にいきます そこであなたは 神が何であるか 完全に理解します 完全に神を理解します その時 真の知識を人は得ます しかし四つの花弁が開かない限り また戻ります それゆえ サハジャ ヨギの中には 手を付けるべきでないものに 手を出す者がいます 彼らは神が何であるか 理解していません それもある一つの点を理解するような 理解ではありません それはハートから 脳へといくものです 脳からハートではありません それはまるで 蜜のようなバクティが 脳を覆うようです 完全にです 例えば シャンカラチャリヤが 素晴らしい論文 “ヴィベカ チュダマニ”を書きました 神は何かを記しました “ヴィベカ”とは意識のことです それについて語っています しかしシャーマというひどい人が 彼に抗議しました 彼をうんざりさせました そこで彼は “サンダリヤ ラハリ”を書きました お母さんを称賛する マントラでした “私はお母さんを知っている 称賛させてほしい” “討論は必要ない 愚か者には理解できまい” 彼は悟りました “彼らは私が知ることを理解する 能力も感受性も持っていない” 真の知識は神が何であるか 分かることです それが神であるなら なぜあなたは疑ったり 分析したりすることがありますか 神です すべてを知っていて 成していて 楽しんでいる全能なる神です それこそギャーナというべき 真の知識です 純粋な知識です チャクラの知識 ヴァイブレーションの知識 クンダリーニの知識でもありません 全能なる神の知識です そして全能なる神の知識は メンタルではありません もう一度言います ハートから始まり 脳に行きます 歓びの経験から来るものが 脳を覆います すると脳はもはや それを否定できません あなたはお母さんの愛を 知っています でも説明できません あなたのハートから来ます “お母さんはそのようなことはしない 良く知っている” お母さんについての知識は・・・ 生みのお母さんはいいお母さんとは いえないかもしれませんが 愛であり 真実であり すべてを知る神についての知識は あなたの一部になります その時ニルヴァナであると 言えます 特に西洋の人にとって ハートを開くことはとても大切です ハートから始まり 脳からではないからです 人をヴァイブレーションで 判断してはいけません 自分自身を常に判断しなさい シヴァ プージャはより多くの説明と 理解を意味します 他のプージャでは 様々なマントラなどがあるからです しかしこのプージャでは 知識を知ることです それは神です 神を知るということは すばらしいことです 彼女がマハマヤであれ何であれ “私は彼女を知っている”ということです 一冊の本でも100冊の本でも 説明できません 言葉では説明できません 神を分かることです つまりそれが神です 全能なる神です そしてそれがあなたに 素晴らしいサレンダーを与えます そこは愛の大海において 完全な安心感をあなたに感じさせます その状態を皆が 得られることを願います 神の祝福がありますように […]

Christmas Puja (India)

Christmas Puja (English/Hindi). Ganipatipule (India), 25 December 1990.
今日私たちは キリストの誕生を祝う機会に 恵まれました 彼は馬小屋で生まれました これら全ては あらかじめ計画されていました 大変困難な状況の中 馬小屋で生まれ 裕福な生まれであろうと 貧しい生まれであろうと どんなに困難な状況でも あなたの内に神聖があれば それ自身で輝くということを示しました キリスト教は誤った 逸脱した道を行き キリストの意味を 決して理解しませんでした 無原罪懐胎は彼らにとって ありえないことです ほとんどの者が 神話だと考えています しかしインドでは ガウリが 自らのヴァイブレーションから シュリ ガネーシャを創りました そしてムラダーラの神格と なったと信じられています 受け入れています しかし西洋では 決して受け入れません メンタルな部分が発達しすぎていて それが支配しているからです 恐らくインド人のように 全てを超越する神がいると理解できるほど 成長していないのでしょう 神の概念も メンタルな捉え方です キリスト教のあり方も 正しく導くものではありませんでした 行き詰れば “これは神秘だ”と言います しかし インド人にとって 理解するのは容易いです “神にとって何でも可能である 結局は神だから” “全能だから” スピリットにおける知識より 遥かに低いこのメンタルに留まる姿勢は 平凡で取るに足らない 表面的な知識にあなたを留め 神の偉大さを受け入れさせません 私には祖母がいました 父の叔母です 神に会いに行こうとする者の すばらしい話をしてくれたものです もちろんインドでは 誰でも理解できます どうやって神に会いに行くのか とは誰も言いません 会いに行く途中 道端で 神の賛美を歌う男性に会います “神に会いに行くのかい” と尋ねられ “そうです 何か伝言はありますか” “大丈夫だけど” “食べ物がなくなってきたので 何かいただければと伝えてくれるかい” “それでいいのですね” “神に全てしてもらっているけど 一応伝えてね” 旅を続けると逆立ちや ポーズをしている男性に会いました 彼は“全て試した” “神にいつお目見えできるか 姿を拝見したい” “伝えましょう” 神の下へ行き 仕事を終えると 神は尋ねました “何か伝えることはありますか” “特にありませんが 全てを試した男性に会い” “お目見えしたいと 言っていました” “逆立ちし ポーズをし 教会やモスクで祈りも捧げています” いつ会いにきてくれるか と言ってました 神は“もう少し続けるように と伝えなさい” “簡単ではありません” “サハジャ ヨガが来たら 会えるでしょう” 男はさらに続けました “もう一人会いました 彼は歌いながら楽しんでいました” “食べ物がなくなりそうです と言っていました” “そうなのですか” と神はすぐさま答え “早く行って世話してあげなさい” ”すでに手配しました” “では大丈夫ですね” 彼は理解できませんでした 様々なことをしている男性には 待ちなさいと言い ただ神の歌を歌い 何もしていない男性には なぜ感銘を受けているのか 神は彼が幻にいると 気づき 言いました “戻って二人に 次のことを伝えなさい” “神のところへ行くと 針の穴にラクダを 通しているのを見た と” “本当に言うべきですか” “そのように伝え 反応を見なさい” そして戻って 最初の男性に会い伝えました “神はサハジャ ヨガが来るまで 続けなさいと言っていました” “いつサハジャ ヨガは来るのか” “でも神はいつか来るのだな サハジャ ヨガが来てほしい” 大変落ち込んでいました 彼は“神に会って何を 見たか”と尋ねました “針の穴にラクダを 通していたのを見ました” “できるはずがない” “針の穴にラクダを通すなんて” “大きさをみれば分かることだ 通れないに決まってる” “作り話だ 神に会ったから 自慢しているだけだ” “この馬鹿げた話は信じられん 騙そうとしても無駄だ” 次の男性に会うと 道でおいしそうに食べていました “あなたが着く前に 神が手配してくれたよ” “神は常に面倒を見てくれている そこで何を見たの?” “驚くべきことに全能なる神は 針の穴にラクダを通していましたよ” “驚くこと? 彼は神だよ!” “君も彼は神だと知っているでしょ? 彼は何でもできるんだ” そこで彼は理解しました 神が全能だと 理解しているなら マハラシュトゥラにヒマラヤを動かせる という意味ではありません 全能というのは 最も精妙なことができるということで 人間の頭脳 メンタルな部分で 理解できないことができます 人間が考える 概念を超えるものです これが神なのです 神が人間を創造しました 人間を超越しているはずです 陶芸家が壺を創ったのであれば 壺を超えています 壺は陶芸家を 創ることはできません 壺は陶芸家によって 創られているので 壺より遥かに 力があるはずです しかし これは 信じられないことです 人間の概念を超えています この すばらしいコンピューターを 創造した神の偉大さは理解できません 人は全て 当然のように捉えます 人はわずかな粘土も 創れません 何も創ることができません 石があれば どこかに置くことはできます 粘土があれば 家を建てることはできます 物から物は生み出せます 蝋燭を創れますか バダを燃やす蝋燭です 自分の目で見えるように バダは私の写真の前で 燃えます あなたにできますか 複雑で繊細な機械が いかに作用しているか 人は理解できません 繊細かつダイナミックで 爆発する機械です いかに人間を創り 宇宙を創り これらの美しい 花や木を創ったことか 星をごらんなさい こんなにあります その中から この母なる地球を選びました 人間を創りました いかに創ったことか 自分の息子を送りこむなら どんな方法でもできます これに対して 挑戦することすら 精神が泥の中に 浸かっています ですから いかにガウリから シュリ ガネーシャが生まれたかは 真の聖人のみが 教えられます しかし それを信じるには・・・ まずサハジャ ヨガに来ると 奇跡を見始めます 奇跡が起こると理解できます 起こるべき奇跡があるなら いずれにせよ起こります 何もせずとも起こります それを疑いません 一度疑い始めると 泥の中に埋もれ 人間と同じになります あなたは開花した 蓮の花のようです 根は下にありますが あなたはもう蓮の花です 蓮の花にマハラクシュミの 原理が生まれます マハラクシュミの原理は シタジとして ラーダとして メアリ(聖母マリア)として 地上に来た者です マハラクシュミは海から 生まれたと言われています メアリの意味は何でしょう マリとは海です 彼女は海から生まれました 彼女自身で子どもを創れます 問題はありません 何でも可能です つまり 超えないといけません キリスト教徒は キリスト教を超えないといけません ガネーシャの原理の 化身であるキリストは 大変偉大であると 理解しないといけません ガネーシャがマハヴィシュヌになったことは 大きなことで 理解すべきことです ガネーシャはシヴァの息子です シュリ ガネーシャは 他の何よりもまず始めに 創られました 彼がオムカラだからです オムカラはアディ シャクティが シヴァから分離したことで始まります その音 “タンカル” と呼ばれています そこからオムカラが始まり 彼がオムカラを体現する者です ですからこの音が シュリ ガネーシャの力です それがまず始めに 創られました 神聖を創るためです この神聖が創られたとき 海に様々なものが 創られました そしてキリストとして化身しました マハヴィシュヌとしてです シヴァの息子としてではなく マハヴィシュヌとしてです ヴィシュヌとは誰でしょう シュリ ガネーシャの伯父です 彼の母の兄弟は シュリ ヴィシュヌです 彼はマハヴィシュヌによって 育てられました マハラクシュミは シュリ ガネーシャの原理を用います クンダリーニのチャートではシュリ ガネーシャ が左側イダ ナディと繋がっていて クンダリーニが その上をいくことが分かります つまり彼が その部分を超えます 彼が救世主として来るなら マハラクシュミの息子として 来ないといけませんでした マハラクシュミが彼を キリストとして産まないといけません そしてマハヴィシュヌになりました 神々や女神の家族においては 何でも可能です 彼らは神だからです いかにその領域で これらのことが起こっているか 人間の理解を超えます あなたは 涼しい風として感じられます そして新しいことが あなたに起こっています 神や女神の関係において 不純なことは一切ありません 彼らにおいて 人間的なものは全くありません 彼らは 全てが神聖で純粋です 一度これを理解すると なぜシュリ ガネーシャが マハラクシュミの息子になって キリストとして生まれたか 分かります アギヤに来なければ ならなかったからです 救済としてです ガネーシャとしては 救済はしません 純粋のため 神聖のため 叡智のため そしてまたネガティビティを 破壊するために彼がいるからです しかし彼は 化身しなければいけませんでした 唯一 ガネーシャが この収縮されたチャクラ アギヤ チャクラに 来ることができます ではなぜ収縮されるのでしょう 今日は話しませんが 科学的なことです 収縮されるべきもので さらに収縮されます このアギヤ チャクラは 考えれば考えるほど より左や右に傾き このようになります ですから この大変精妙な領域に 化身できるのはキリストだけです なぜなら彼は精妙の中で 最も精妙な者だからです 原子より精妙です シンメトリックや反シンメトリックな 動きをするヴァイブレーションは 原子よりさらに精妙です そしてこれはより精妙です ですから この収縮した領域において唯一 純真以外何者でもない キリストのような人格が来れます 彼には純真以外の 要素はありません 他の化身には 全ての5つの要素がありますが 彼は純粋なヴァイブレーション 以外の何者でもありません それ故 彼は水面を 歩くことができました 彼の身体には 物質が存在しなかったからです チャイタンニャ以外の 要素はありません オムカラがガネーシャになります 彼女の身体から出てきた チャイタンニャだけです ガネーシャの段階において チャイタンニャはその形に留まりましたが キリストの段階では ありませんでした 後に彼の死や復活といった ドラマが起こりました 彼が私たちの救済に 責任ある者だからです 彼は門だからです 彼は道です ガネーシャだからです オムカラが道です そして彼は門です しかし 彼が最終目的ではありません 彼のお母さんが最終目的です マハラクシュミでもありません マハカリ マハサラスワティでもなく あなたが到達すべき 最終目的はアディ シャクティです これらは聖書に 決して語られていません 彼がほとんど4年しか 公の場に出ていないからです 当時の者は そのことを触れたくありませんでした 知らなかったし 神聖なもの すべてにおいて抑圧があったからです 社会は営利化した制度でした インドにも営利化した 制度がみられます しかしインドにおける唯一の利点は 宗教が組織化していないことです しかし彼らはキリストや 彼の原理を組織化しました 今は彼を 良い人間だと思っています なんということでしょう 今日私たちは オムカラの誕生を祝います 大変大きなことです あなたに理解できるでしょうか 全てに動き・・・ 原子や分子 組織化する化学 周期律や引力 動く全てがこのオムカラです そしてあなたのヴァイブレーションは オムカラ以外の何ものでもありません 実際私の写真において ヴァイブレーションはオムカラとしてきます 人間の頭上には オムカラが描かれています これらの光がオムカラのように 見えるのはなぜでしょうか なぜサハジャ ヨギの頭上に オムカラがあるのでしょう アラビア語でアラーです 私の名前も アラビア語ではそうです これは誰がしているのでしょう 全て彼がしています オムカラ自身が形を採り アディ シャクティについて あなたに納得させます 彼がこれらの力を操ります 彼は写真には入りません トリックをします 写真は 光を通して写されます 光が直線に射すからです しかし彼が望めば 光の道を曲げることができます 他のものに変えることができます 好きにできます そしてあなたを納得させます 彼が言うには “私に対して何であれ我慢できますが” “聖霊に対してはできません” そしてこの聖霊とは アディ シャクティです あなたは彼なしに サハスララに到達できません 全ての戯れにおいて 彼はストゥラダーラです 彼は指揮者です 操り人形の紐を動かす者です プージャをする度に シュリ ガネーシャに祈ることは大切です そのようにして私たちは 主イエス キリストにも祈っています 私たちは彼の吉兆さ 助けなしに サハジャ ヨガをすることはできません 彼は管理人です 私はここに座っています そして彼が管理人です 管理人なしに 私は何をどう話すでしょう 何も起こりません 彼は大変有能です 全てを作用させ 全てを為します […]

Birthday Puja, Sincerity Curzon Hall, Sydney (Australia)

Puja for the 67° Birthday, Sydney (Australia), 21 March 1990.
世界中の 何という熱意でしょう シドニーにある花全てが 買い占められたようです すばらしい言葉やカード 手紙 美しい詩をもらいました 子どもたちも 美しく歌っています 誠実な幸福の 気持ちに対して 歓びの気持ちを表す 言葉がありません あなたには 世話をしてくれる 気にかけてくれる 叡智であなたを変えてくれる お母さんが必要でした ですから 誕生日が来るたびに サハジャ ヨギは より寛大になり もはや一滴ではなく大海の一部である と気付いていると感じます その大海はあなた方を強め 世話しています あなた方を養います そしてその大海によって 導かれます ですから一滴と大海のつながりは 完全に確立されなければいけません 一滴の限界は 大海の偉大さによって 完全になくならなければいけません 配慮と優しい言葉で コレクティブの深さを 向上させることができます コレクティブになりたいという 誠実な望みでもってできます コレクティブになりたいという望みは 大変誠実でないといけません するとあなた自身に 広がりがでてきます まず必要なのは 自分に対する誠実さです 一滴の状態から つまり小さな限界を持つ 一滴から来ているので 何度も限界に 突き当たりますが 自身のヴィジョンを 見なければいけません 将来あなたは どうなっていたいか コレクティブになりたいと思う 誠実さは 全ての障害を取り除きます どんな目的に対しても誠実であれば 時間も労力も全て忘れます 小さなことでさえ 得ようと望みます ではこの誠実さは どこから来るのでしょう 2つの事によって 誠実さは作用します まずサハジャ ヨガとは何か あなたに何をもたらしたかを 自分自身で見なければいけません リアリゼーションを与えました より広いヴィジョンを与えました 集合的意識や 思考を超えた 疑いを超えた 意識状態を与えました 卵から鳥になるように 新しい人格を与えました あなたは鶏になりました 殻に戻ることはできません 一度サハジャ ヨガが あなたのために何をしたか気づけば そしてまたあなたが 何を得たかを気付けば・・・ あなたは長年内密だった クンダリーニの知識を得ました 完全に内密で 誰も知りませんでした クンダリーニについての知識を 大学やいかなる学びの場で 学ぶことなしに得ました 実験室に行くことなく 経験しました 理解しました クンダリーニの 上昇を見ました 人にリアリゼーションを与えました 聖霊の涼しい風を経験しただけでなく 自分自身の力も体験しました また 物事を理解する ための知識は 以前と比べると 大変変わりました あなたの知識は 大変豊かになり クンダリーニを上げる権利を 与えられています 以前は偉大な聖人でさえ 偉大な預言者や聖者でさえ できませんでした ほんの少数の者しか クンダリーニを上げれませんでした それを得ています チャクラを理解し 診断できます 子どもでもできます あなたが気付いていない すばらしさです 人間の段階では それについて クンダリーニという言葉さえ 知りませんでした しかしあなたは短い時間で その知識に精通しました サハジャ ヨガの恩恵です 豊かな知識や アテンションの光の作用をみると たくさんの恩恵に満ちていて 自動的で 何もすることなく結果を得ていて 驚きます どうやって起こるか どう作用するか理解できません “突然そこでこれが起きた” どうやってでしょう この大海はどの瞬間も 細部に渡って作用します これら全ての事柄が示す あなたはもはや普通の人間でなく 聖人であるという事実に 目を開かなければいけません 私達の姿勢が 変わらないといけません 多くの人間は未だ動物です 互いを殺したり 振る舞い方を見れば 人間ですらありません そのような者と 共に住んでいます 彼らは犯罪者で それだけでなく 彼らの中には 大変低いレベルの文化があります 動物とも呼べます 半分人間で 半分動物の者もいれば 完全に人間で 真実の探究者である者もいます サハジャ ヨガで 得たものへの理解から 自分が何者であるかを 悟るべきです 全て私達に 自然に起こったことであれば それに対して 大変誠実であるべきです 私達が得たものはすばらしいものだと 感じなければいけません ですから私達は 誠実でなければいけません メンタルにも 感じないといけません これはとても重要で 価値のあることだと メンタルにも まず第一に感じることです それに対してあなたは 大変誠実になります 次の段階では 見て 知ったことに対して 心を開き始めます 次の段階として あなたはハートを開かないといけません つまり誠実さは ハートからきます ハートが開いていなければ 誠実にはなれません 心が開いていないとは どういうことでしょう あなたは再び生まれ リアリゼーションを得ました ある意味 あなたの誕生日です あなたの知識と 理解の成長において あなたは今まで自分のハートと 歩調を合わせていませんでした 何があなたのハートを そのようにさせるのでしょう ハートが身体や脳を支配していることは 容易に分かります ハートが止まれば 全て停止するからです 脳が止まっても 心臓は止まりません ですからハートが最も大切で あなたの中で全てを支配しています 大変繊細で循環する この特別な器官が石のようなら どのように鼓動できるでしょう ですから “心を広げる”という時 石のような固いハートが 溶けないといけません なぜ石のようになるのでしょう 私達はそのルーツに いかないといけません ハートが脳をコントロールしているので 石のようになります 脳に七つのオーラがあるように ハートにも七つのオーラがあります そしてこれらのオーラ全てが 脳のオーラをコントロールしています 脳にはエゴとコンディショニングの 2つがあります それらが脳を抑えつけます 結果として 脳のオーラは抑えつけられます ですからハートを取り巻く オーラも抑えつけられます しかし脳は考えることができます “これは大変いいです どうクンダリーニを上げるか知っています” 考えることができるので 石のようにはなりません どんなにハートが石のようでも 脳は考えることができます ヒットラーのようにです ですから脳は コンディショニングやエゴによって 石になったり 考えられなくなったりはしません 大きなエゴがあれば その者は 愚かになるかもしれません しかし考えます 本当に愚かになります エゴイストは アギヤが キャッチしている者は愚か者になります 確かです その者の態度や話し方 行動にみてとれます 自慢したがります 大変愚かになります 賢い者は その愚かさに気づきます 頭がスーパーエゴで 覆われていても 脳は固い石の ようにはなりません 代わりに その者を大変愚かにします そのような者は 永遠と話し続けます 人はすぐさま その者の愚かさに気づきます コンディショニングは さらにひどいです 大変陰険です コンディショニングが強い者は 表だってそれを出さないからです 自慢しません しかし 悪賢く サハジャでない考えで 頭がいっぱいです プージャで私が手を洗った水を とっておくのを見るとします すると“なぜとっておくのか” お母さんの手を洗ったものです 別の者が“マザーの手には 強いヴァイブレーションがあり” “そこにヴァイブレーションが 浸透します” その者は 信じられませんでした コンディショニングが強く 汚れだけが出ると思うのです ヴァイブレーションのことを 考えられないのです そのようなコンディショニングが 人の頭にはあります コンディショニングがあるために ハートで理解できません その者は悪賢い考えをしたり 嘘を言ったり ナンセンスなことを言ったりして まともであると納得させようとします その者達は愚かではなく 馬鹿なのです 馬鹿な者のように話します 馬鹿なことを受け入れます 叡智がありません 一方は愚か者で もう一方は馬鹿です 間にサハジャ ヨギがいます コンディショニングは 頭を歪めますが 石にはしません 精神錯乱を持って 生まれた者であれば 考えることができず 石のようになります 普通の脳は考え続けます コンディショニングかエゴでもって 考え続けます 脳によってハートに 影響を及ぼすべきではありません ハートが脳に 影響を与えるものです ハートから出ているオーラは 鈍くなったり 消えたりします ハートのオーラは大変敏感で “脳に光を与えても仕方がない” と感じます するとオーラは どんどん小さくなります そしてハートが小さくなります そこに居続ける意味が なくなるので小さくなります 結果として ハートが小さくなります “心が狭い人” “臆病者” とも言いますが そのような者を “石のようなハート”と言います コンディショニングやエゴがあるため これが起こります その結果はハートが 石のようになることで感じられます ハートは敏感で 脳は敏感ではないからです 柔らかいものを茹でるなら 固くなりますが 石を茹でても 固さは変わりません 敏感で繊細なハートは 石のようになります 脳波の熱で茹でるようです 大変固い石になります 一言も優しい言葉は 出てきません 常に人を攻撃し 言うべきでないことを言ったり “人を傷つけるために何を言おう” と考えます 悪賢いので“人をおとしめるには どうしたらいいか”と考えます またハートはエゴで凍ります そしてハートは考えます 脳にオーラを 放つことができなくなります 脳は“ハートはコントロールする力がない” と考えます するとハートも “私は私ですべての仕事をします” ハートは小さく 石のようになり 作用しません そして脳が支配権を得ます 脳は理解が及ばないことを し始めます 動物のうように 悪魔のように振る舞います 大変残忍になり 人にどう優しい言葉をかけていいか 分からなくなります 間違ったプライドを持ち 他者を傷つけたりします 同類が現れて 共に破滅するまで互いを軽蔑し合います それが全てにおける 問題点ですが そうでなければ 全滅しているでしょう エゴが強い二人は一緒にいれないので 互いを無力化するからです おかげで 彼らから救われています ですから脳にある これらの二つの状況が ハートを凍らせ ハートの領域をなくし 脳がそれ自体で 主張し始めます それ故 どう人に優しくしていいか どう助けていいか どう人を安心させ 守っていいか分かりません これら全ては受け継いでいます あなたがサハジャ ヨガに来た時は 石のようなハートで 脳はエゴかスーパーエゴで いっぱいでした しかし クンダリーニの上昇は 頭を一掃します クンダリーニが動いて ハートの座である ブランマ ランドゥラに触れると 誠実さがでてきます すると王が戻ってくるように ハートが戻り 脳を支配し始めます ハートが戻ると 怒りを感じていた人や話したくない人や 関係ない人に対し 親切になります 人は様々なやり方で あなたを傷つけました すべての危害や 全てがただ消えます そして 大変優しく すばらしくなります クンダリーニがハートの座である ブランマ ランドゥラに触れたということです それが開き始めるや否や ハートも開き “脳に支配されるなんて” と目が覚めます 人が突如変わるのを見ると 驚くでしょう アメリカにある男性がいました “マザー リアリゼーションの後” “あまりに変わって 大変穏和になりました” “伯父や誰に対しても 幸運を祝ったことがありませんでしたが” “伯父さん こんにちは” 伯父は彼を見て “大丈夫かい” そんな風に声を かけたことがありませんでした “伯父さん 何かできることはありませんか” と素敵な言葉をかけました 伯父は “酔っ払っているのか” “なぜそんな優しい言葉をかけるのか 信じられない” このように起こります 簡単に抜け落ちると 理解すべきです それらを身につけたからです 身につけたので なくせます それらによって 煩わされることはありません 一度ハートが目覚めれば エゴとスーパーエゴを 立ち退かせることができます ですから人と接する時 良いコミュニケーションをとることで 氷を壊さないといけません 自分自身に言い聞かせます “この者は そんなに悪い人ではない” “まともかもしれない” 誰かを悪く決めつけるのは 簡単です 一度そう思い始めると 自分の周りに要塞をつくり 自分が最高で 周りは良くないと考えます そしてこの考えは 地域や社会 人類全てに害を及ぼします サハジャ ヨガはそれを直す 唯一の方法です サハジャ ヨガがこれらを終わらせる 唯一の方法です あなた達によって なされなければいけません クンダリーニを上げて ブランマ ランドゥラを開くことです そして人はこれによって 誠実さが戻ると理解できます あなたのハートは上昇します 覚醒された人格になり 常に狂ったように考える脳を 支配できます これが一度起こると 疑いのない意識状態に 飛び込んだことに気付くでしょう 2つの関係は 理解されていないといけません まずハートの支配が ハートの王国が挑戦されて力を失うと 脳が王になり 私達を支配し始めます “私はこう考える” “私はこう感じる”と 脳が エゴが言います “私はこう考える” “私はこうしたい” と言うことを断念すれば 全てうまくいきます 代わりにこの身体が それを望んでいると言うべきです 自分から切り離します “私がこうしたい”と言わないことで 自分と切り離し始めます “この身体が この手が この頭が” と言うべきです 切り離します 一度切り離すとエゴやスーパーエゴの 障害が消えるでしょう またこの2つを取り除くのは 容易いです クンダリーニを上げて ブランマ ランドゥラを貫くことによってだけです これはあなたが得た 最高のことです ブランマ ランドゥラを貫き クンダリーニが包括的な力と繋がるだけです ですから瞑想しなさいと言います そうすればうまく作用します 外側のことにあまり 注意をおいてはいけません もちろんある意味 あなたは サハジャ ヨガに責任があります それに対して誠実だからです 自分を強制できません ですから何度も言います 自分の誠実さを計りなさい “いかにサハジャ ヨガに 誠実であるか” ある者は軽率にも “マザー 私は馬鹿でした 混乱していました” そのように言えないはずです あなたはサハジャ ヨガに 恩義があるからです あなたの人生が 新しくなりました “混乱していました 馬鹿でした” などとは言えません 自分にはできないと 言うのですか お母さんは誠実さに 働きかけてきました それに対して 不誠実ではいられません 偽善者ではいたくありません 感謝の気持ちや 自尊心があるなら “混乱していました 馬鹿でした” とは決して言うべきではありません 自分が冴えない者だと 言っているようなものです サハジャ ヨガや自分自身に対して 全く感謝の気持ちがありません サハジャ ヨガはあなたを 必要としているわけではありません あなたがサハジャ ヨガを 必要としています サハジャ ヨガ自体 完全体です 完璧です そのままであり続けます それ自体の位置づけ 重要性 威厳があり 完全です それから何かを得ようとするなら あなたが作用させなければいけません ガンジス川から 水を汲むなら 必要な深さの 水差しが必要です 石を持って行っても 汲めません ガンジス川は流れ続けます それ自体の容量で あり続けます 石を持っていっても 変わりません クンダリーニを 出来る限り上げることが大切です 常にクンダリーニに 注意をおきなさい 問題がどこか見て 完全に取り除きなさい 問題がどこかを探り 何回もクンダリーニを上げ 大脳辺縁系に 流れているのを感じなさい そうすることで ハートが開きます ある意味 機械的なプロセスと言えます しかし それさえしません していたら ハートが大きいはずです “私のハートがアジアのように 大きくなった”と言うでしょう ハートの奇跡を見るでしょう あなたは ヴァイブレーションを放ち それによって慈悲深く ダイナミックになります サハジャ ヨガに 誠実になります 今日のプージャで 心を開くようお願いします あなた方は歓喜に満ちています 心を開いたからに違いありません 私に対して大きなハートを持っている ためですが 自分に対してではありません 私のために何でもしますが 自分のためには何もしません ホールを飾るために 朝から晩まで働きます これらの花を 私のために揃えました “自分の為に瞑想しなさい” というとしません “自分のためにこれを習得しなさい” というとしません そういう状況です これらを飾ることで力を無駄にせず 自分自身を飾るべきです 誠実さでもって ハートを大きく保てると 自分の想像や知性や良識を使うことが できると信じることによってです これが世界中への 今日の誕生日のメッセージです 全世界が一つの脈動する 大きなハートのように感じたからです 電話を取ってからここに来ました 電話がかかったり お花が届いたり すばらしい言葉が送られました それに浸っています あまりにもすばらしいです 子どもや女性 男性から 心温まるものをいただき いかに彼らが私の誕生日に対して 歓びに満ちているかをみると驚きます 同じように毎日が あなたの誕生日だと考えてください 常にクンダリーニを 上げておかなければいけません クンダリーニの基準を より高く保ちなさい ハートが開けば開く程 クンダリーニの糸が上がって あなたのハートはより開きます 目覚めます より力強くなります 開いた 大きな 力強いハートで おかしな考えを与える脳を 支配できます 今年そうなることを願います 大きなハートが持てるように 努力してほしいです 大きなハートとは 愚かさではありません 私を入れられるハートのことです 私はかなり大きな人です 私が内在できるほどの 大きなハートを持たないといけません 大きなハートです それを持つべきです これが起これば 全てがうまく作用するでしょう どのようにサレンダーすればよいか 知らなければいけません サレンダーできない部分をどう保つか 知らなければいけません サレンダーは あなたのハートを 完全に開くことでするからです 私をハートにおきなさい そして自分自身を 完全にコントロールできたときに贈る 私への花を持っていなさい 持っている花のように あなたの感情や気持ちを持ちます それはあなたの ハートの大海の一部です 一度準備ができれば 全て整います もし家の準備ができていれば 花を 感情を 美しいものを 持ってきて それらを大切にします 他者にかける優しい言葉 についての本があるべきです そのような本を探すべきです あるいはどう優しく言えるか いかに他の者の面倒を見れるか どうすれば愛を感じてもらえるか の本を書くべきです そのような本は 人に素敵な 言葉をかける手助けになります 何か優しい言葉をかけると その優しさは戻ってきます まるでさざ波が浜辺に触れ 嬉しく感じるのと同じです 優しい 心地よい ありがたく感じられる 言葉を言い続けなさい 誠実さから言うなら 表面的に良いからといって 適当な言葉を言うのではなく 心から言うなら 相手のハートが開き 感情の美しい花が あなたに流れるでしょう 一方で自分のハートを 開かないといけません そしてもう一方で 美しい繊細な気持ちを あらゆるところから吸収して取り入れ 適切な時に それを他へと注ぐのです それは芸術です この花も庭で育てられ 適切な時にここに運ばれました 花は適切な時に使われて 光栄に感じています 私達のハートも そうでないといけません 人間は大変繊細だからです 大変美しいものです 美しくさせるには 美しいことを言わないといけません この口は乱暴なことを 言うためにはありません 他の者にもその美しさが出てくるような 美しいことを言うためにあります すばらしい言葉は 私の心に残ります “このような言葉を 人に言える機会がいつ訪れるだろう” “これはすばらしい言葉だ 優しい言葉だった” “ではどこでこの言葉を使おう” と思います 店に行って 何か良いものを見つけると “あの人が喜ぶだろう では買おう” と思います 同じように 素晴らしい気持ちや 素晴らしい感情に触れたら 素敵な言葉を言われたら あなたはどうしますか それを集めます 心に留め 適切な時に 適切な場所で使います これはシュリ ガネーシャの叡智です 純真な者は 最も誠実な者です 狡猾な者は 誠実にはなれません 彼らは狡猾さを 楽しんでいるからです 素朴な者 愛深い者 何よりも愛を大切にする者が 素晴らしい言葉を 誠実に言うことができます 今日はオーストラリアでの この誕生日が どんなにすばらしかったか お話ししたかったのですが 言葉がありません オーストラリアは 大変遠い所にあります たくさんの人がここに来て “アガタ スワガタ”を歌っていることは 信じれられません お金をあげたわけでも 受け取ったわけでもありません そのようなことを 言ったこともありません 歌っているだけでなく 楽しんでいます 素晴らしいことです あなた方は楽しんでいます ハートが大きければ 他者のために何をするにせよ楽しめます 素晴らしいことをしたり 言ったりすることを楽しみます ですから 美しい言葉の精選された 花を持つべきです 互いに表現できる 精選された気持ちを持つベきです 今日から始めなさい 常に お互い美しい言葉を かけあわないといけません 耳を澄まし 目を開き 機会あるごとに すばらしい言葉を聞いたなら 心に留め 使うようにしなさい 大変 遠く離れた オーストラリアに こんなにたくさんのヨギがいると 思うだけで感激です サハジャ ヨガに対して誠実であることは あなたの責任です 誠実さでもって 全てをすれば 以前耳にしたような おかしな口論は起きないでしょう “私達はマザーを愛していて” “お互いを愛し 常に素敵なことを 互いに言うことで愛が増す” と考えるようにしなさい 悪く言うことは 人のハートを壊すようなことを 言うことは罪深いです 聖人のハートを壊すことはひどい罪で 罰せられるでしょう あなた方は皆聖人です お互い尊重しないといけません それだけでなく 自分の誠実さを楽しまないといけません それ故 誠実さを 楽しみなさいと言います 頭によぎる 愚かな考えをなくしなさい 口論を耳にすると これは何かと思いました 彼らはサハジャ ヨギなのか それとも普通の人なのか あれこれ起きたり 子どもたちについてもです インドに送りなさいと 言い続けています あなたは 自己中心的でした まともに育ちません インドに送りなさい ハートが開きます 全世界が あなたの家族だからです 世界のどこへ行こうと あなたを愛する人や 何でもしてくれる人に会えるでしょう あなたに会うのを心待ちにしている人が どこにでもいると分かります このミュージシャン達は シンガポールに行きます どこに泊まるでしょう 色々計画を立てます 突然 私はバンダンをしました すると電話がきました バラが言うには “私のお母さんが世話をします” いかなる問題も解決できます あなたが誠実だからです 不誠実であるなら 不誠実な人だけに出会い 概算通りに 人を評価したようになるでしょう サハジャ ヨガに 不誠実な人の居場所はありません 誠実さを育てなさい 何度もクンダリーニをあげなさい サハスララに留めなさい そしてハートが 開いているかみなさい “どうハートを開くか”尋ねるでしょう “鍵を取りなさい”としか言えません “心を開く”とは クンダリーニを上げ ブランマ ランドゥラに留め ブランマ ランドゥラが開いているか見ることです ハートが開いたら 人に優しくすることで どう感じるかを見なさい あまり話さない 人に会わない者がいます そのような者はなんらかの憑きものが 頭に取り憑いているようです そうでなければ サハジャ ヨギにとって不自然です 今日たくさんのことを お話しました 気遣い 愛情 叡智 忍耐が 備わるべきだからです 私があなたのグルなら お母さんなら これらの資質を備えるべきです 私は全てにおいて心配します 誰かに問題があれば心配します 問題を解決しようとします 問題が解決するまで 私は気にかけます そして子どもや妻 夫について “正した方が良い”と率直に話します あなたを気にかけているからです これがサハジャ ヨギに対する サハジャ ヨガに対する態度であるべきです これがあなたを大変強くします あなたが気にかけるので 他の者も気にかけるからです 多くが私のようなインド人を こんなにも気にかけています なぜ私を気にかけるでしょう あなた方はサハジャ ヨギですが そうでない人も大勢います 子どもの頃から 知っている人達や家族も 皆が気にかけます 私が気にかけているからです 心配するからです 私に問題を打ち明ける者がいれば 解決するまで頭から離れません 問題を解決できないかと 見ようとします 自分の問題は 全くありません あなたも自分の問題を 持つべきではありません そうすれば うまく対処できます いいですね 神の祝福がありますように 来年の誕生日は インドに来てくれることを望みます ツアーを考えています 恐らくうまくいくでしょう もっと安くで来れればと思います 多くのことを気にかけないといけません うまくいくでしょう […]

Shri Bhairava Puja, Bhairava and Left Side (Italy)

Shri Bhairavanath puja. Garlate, Milan (Italy), 6 August 1989.
今日はバイラヴァナスへの プージャで ここへ集まりました まだ私たちは イダ ナディを上下する バイラヴァナスの意味を 理解していません イダ ナディはチャムンダ 月の経路です なので私たちを冷やす チャンネルです バイラヴァナスの役割は 私たちを冷やすことです 例えばエゴや肝臓が原因で 怒りっぽい人に バイラヴァナスは トリックをかけて冷やします 彼はガナ達を操り ガナパティの助けを得て 怒りを沈め バランスを与えるのです 誰かがかんしゃく持ちで 暴走するなら バイラヴァナスが ハヌマナと共に 怒りが馬鹿げていることを 示します レフトサイドで落ち込んだ人を 助け出そうとするのは ハヌマナですが バイラヴァナスも かなり助けになるのです それでレフトサイドな人は コレクティブになれません レフトサイドな人にとっては いつも悲しんでいて 不幸感や心配を抱えている人には とても難しいです 一方 かんしゃく持ちでライトサイドな人は コレクティブを楽しまないし 他者が楽しむこともさせませんが コレクティブに居続けて 自分の優位を見せつけます 自分の優位を 見せびらかそうとするので 当然コレクティブを楽しめません 反対に いつも落ち込んでいて “誰も自分を構ってくれない 気分が落ち込む”と言う人は いつも人から何かを期待していることで コレクティブを楽しめなくなります そんなレフトサイドな人は 何につけ不幸な点を探し出します 例えば先日 私はモスクワへ行きました そこにレフトサイドな サハジャ ヨギニがいました 私たちは食事のため外出しましたが 雨でタクシーがつかまらず 車に乗り込みました すると遅かったのでより高いほうの席へ 座るように言われました するとその女性が言いました “何という問題でしょう” “タクシーもみつからず 雨も降っていて 席もとれないなんて” “これは楽しいことで 問題ではありません”といいました 問題という言葉は私たちの頃は 幾何学でしか使わなかったものです このような全てを否定的にみる ネガティブな態度で 私たちはレフトサイドを ダメにしてしまうのです ですが男性がきて “私たちは反対側で待っていた”というのです ということは私たちは反対側に行って 美味しいものを食べて良かったわけで “ほら あなたは 悪い面ばかりを見て” “面白いことを見落としているんですよ” といいました 彼女は“どうすればいいんですか” と訊きました “バイラヴァの名前を言いなさい” “座って写真に左手を向け 右手を地面に置けば” “否定的なモノが出て行くでしょう” と言いました バイラヴァはいつも手の光です イダ ナディを上下して 光を与え 否定的なことなんて何もない と気づかせます 否定性はいろんな形でやって来ます 一つは “私のもの” “私の子” “私の夫” “私の資産” という“私の”ということです こんな風に執着してしまうと 子供がネガティブになるものです ポジティブになりたければ どこに自分の注意がいっているか 見るべきです あなたは問題を見ていますか それとも楽しみを見ていますか 何一つとして 楽しめない人がいます 天気がいいと言っては “あー いい天気になってしまった”と言い 曇りなら“曇りだ”と 愚痴を言います 喜ばないのです しかし どんな否定的なことも 肯定的に楽しめるのが サハジャ ヨギの能力です ネガティヴィティというのは存在しません それはただの無知です 無知というものも存在しないので 無知ですらありません すべてが偏在的な力であるなら 無知がどうして存在できるでしょう でも あなたがその力から隠れて 逃げてしまえば ネガティヴィティが 存在するというでしょう 洞窟に逃げ込んで 入り口を塞いでしまえば 太陽がない といえるように なので コレクティブになれない人 というのは 左右どちらか なかでもレフトサイドに 傾いていることが多いです ですが レフトサイドの人たちは ネガティヴィティのコレクティヴを作ります 幽霊達の友の会があるのです 酔っぱらいが一緒にいるのを見ると “環境問題とか問題だらけだ” と言ったりしています 皆が酔っぱらっていて “他の問題もあるし いつ解決するんだ” と言ったと思えば “ちょっと待て 世界が終わるという 話も聞いたぞ”という者があらわれ 更には “ああ 神よ みんな破滅だ 終わりだ”と 4人目は “このパブはどうなるんだろう” すると“皆死んでるんだから そんなことどうでもいいだろう” こうして幽霊の友の会は続きます 彼らは楽しみを見ることが出来ず 否定性において ある意味瞑想的で 達観していくのです しかし 彼らは 結局狂気に駆られます そしてライトサイドなら 白痴になります 精神病院に行った時に ある女性患者と話しました 彼女は結構大丈夫に見えたのです 話も賢くて “義兄がいて 彼を助けるべきと思うし こんなことするべきじゃない”など あらゆる話をして 彼女は優しく善人なのに 誰も 彼女を助けていないような口ぶりでした その上“私は怖いんです” と言ったりします 突然 ドクターが来たら 彼女は怒鳴り始めました “これはどうしたんですか”と訊くと ドクターはスタッフに “女を押さえて”と言います “彼女は一番危険なのに” “どうして彼女と話したんですか” と言われました 頭痛はしたけれど 彼女が発病しているとは知りませんでした 私の前では霊が逃げたか ごまかそうとしたのでしょうが 見るからに明らかでした サハジャ ヨギであるなら 私の子供だから 私のもの 私の と感情的に執着して 誰かの心配ばかりして 人生を無駄にすべきではありません サハジャ ヨギが コレクティヴになれないなら その人はサハジャ ヨギではありません これが私たちの 内なるバイラヴァナスの作用です 別の作用は 私たちの内面の 悪霊をやっつけることで 執着に対する悪い思考や狂気 抑うつを取り除くことです 今日はとても気分が良いです というのもバイラヴァは ガネーシャとゆかりが深いからです 知っての通り ガネーシャはムラダーラにいて バイラヴァはレフトサイドを動き ライトサイドへわたります なので あらゆる コンディショニング 悪癖を バイラヴァナスの助けにより 克服できます ネパールにはバイラヴァナスの 大きな像があり それはスワヤンブで 地元の人はレフトサイド故に それを恐れています なので 盗みなどの 悪癖がある人を 灯をともしたその像の前に 連れて行きます つまり警察が “バイラヴァナスの前で白状しろ”と 罪を認めさせるのです 彼は窃盗などの 陰険な悪行からあなたを守ります なにか隠れて出来ると思っていることも バイラヴァナスには隠せません あなたが変わらなければ 彼はあなたを完全に暴きます そのようにして彼は 偽の指導者を暴いてきました 今日は この偉大なバイラヴァナス 後にマハヴィーラとして 化身した神を讃えます 彼は地獄の門に立ち 人々が地獄へ落ちないよう 守っています しかし 本人が自ら それを望むのであれば “よろしい 行きなさい”と 彼は言うでしょう しかし ご存知のように 地獄も混雑していますので 否定性と戦って 他者を好きになって楽しみ 人があなたに どうしたかを気にせずに あなたが人に 何を出来るかを考えなさい さあ 今日はバイラヴァナスの 特別なプージャなので 笑い 楽しみましょう 神の恩恵がありますよう […]

Paramchaitanya Puja Taufkirchen (Germany)

Paramchaitanya Puja. Taufkirchen (Germany), 19 July 1989.
質問を受けました “今日は何のプージャを するのですか” 秘密にしていました 今日は パラマチャイタンニャを 包括的な神の愛の力を 崇拝します 私たちは パラマチャイタンニャが すべてをしていると気づいています せめて頭では アディ シャクティの力である パラマチャイタンニャの恩恵によって すべてがワークアウトされている と分かっています しかし ハートにおいて 私たちの意識において 明瞭ではありません パラマチャイタンニャは 大海に例えることができます それ自身で すべてを含有する大海です すべてが すべての働きが それ自身の限界の内にあります ですから 他とは比較できません 太陽は 陽光は太陽から出て 作用します 例えば権力がある者は その力を外に 誇示しないといけません 彼自身の中で 表すものではありません 種も 種の中から 木が育ち 実となります そしてそれが売られ 人は食べます すべて種の中にあります それがパラマチャイタンニャです ですから私たちは その中に包まれています 私たちはその波だけを見ます 波にいるので 切り離されたように見えます 私たちが “これはドイツ”だとか “これはイギリス”“これはインド”だと 感じるようにです これらはパラマチャイタンニャの サリーのひだにすぎません 切り離されているように 見えても つながっています そのつながりは 完全です ここから一本の糸を引き抜くと 全体から抜かれます 同じように このパラマチャイタンニャは それ自体の中で 働きます それ以外ではありません ですからあなたが サハジャ ヨギなら 特別な注意が注がれます あなたと完全に一つになると 言えるでしょう あなたが望むものは 欲するものは 同じパラマチャイタンニャ から来ます それと一つであるなら 例えば 荒れ狂う大海で いくつかの滴が 空中に飛び出たとします そして “私たちは超越している” “世俗から離れた 大海から離れた” と考えたとしても 再び同じところに 落ちないといけません ですから この形のないエネルギーには すべての知性 協調 組織 コンピューターやテレビなどの 考えうる コミュニケーションのすべてが 統治する 管理するすべてが 備わっていて 何よりも愛なのです 神の愛です あなたのお母さんの愛です ですからパラマチャイタンニャと 一つになろうとするなら あなたがリアリティにならないと いけないと知るべきです 例えば 私のここに座っている 写真を撮るなら 私の写真から生きたヴァイブ レーションが発せられるでしょう 写真ではありますが 他の人の写真では サハジャ ヨガは ワークアウトしません 理由はその者が リアリティになっていないからです 絵画と同じです 降っている雨を描いた 絵を見ても その雨は 花に水をやれません そこにいる者たちの服を 濡らすことはできません 静止画です そこにいる者たちの服を 濡らすことはできません 静止画です なので無知において リアリティのことについて描いた 静止画があります それゆえ人は自分たちですべて ワークアウトできると考えます 仮に誰かが “この絵の雨を本物にします” と言ったとしても 不可能です 好きに色はつけられます 故意に色をつけられても そこにはリアリティの力や 性質はありません 人間は常にリアルでないものを 扱っています そして何かすごいことを していると思い込みます 人はリアルな花を 手にできますし 感じることもできます 本物そっくりに造花を作ることも 絵を描くこともできます しかし自分で一輪の花さえ 創ることはできません リアリティに いないといけません 母なる大地がそれを創ります そして太陽が 母なる大地を助けます なのであなた方 サハジャ ヨギは リアリティにおいて あなたは何もしていない すべてパラマチャイタンニャが していると分からないといけません これがサハジャ ヨギと そうでない者の違いです サハジャ ヨギでない者には 分かりません 仮に分かっているとしても ハートにおいて真実ではありません その者の一部ではありません しかしサハジャ ヨギは リアリティが パラマチャイタンニャで リアリティがすべてをワークアウト していると分かっています そしてこのリアリティは 神聖な愛です 人は愛と行動を 常に切り離します 愛を人に対する 異常な振る舞いと捉えます いかに愛するかの ノウハウはありません それは何の理解なしに 作用します 誰かを愛するとき 人はよく分かっていません 愛していると思っても 明日には“あなたを憎んでいる” と言い始めます それが愛である わけがありません 私たちは自分の子供や 家族や友達を愛します それは全く リアルではありません リアルであるなら 失敗はありません 今日息子のために働いても 息子中心に考えていたとしても 明日彼がどんな態度をとるか 彼にどんな態度をとるか分かりません しかしパラマチャイタンニャは 知っています 愛の表し方を知っています それだけでなく それは永遠の愛の感じです 色合いは変わろうとも 愛における 関心は変わりません 愛の本質は関心です 誰かが間違ったことを するとします 神聖の関心は その者を正すことです 関心を「ヒタ」と言います 善です その者の善のためへの 関心が常にあります 残酷に見えたり 愛深く見えたり わがままにさせている ように見えても 波のように いかなる形をとったとしても どんな方法であったとしても 実際あなたの 善のためなのです あなたの善のために働きます あなたの善のためだけではなく コレクティブの善のためです そして何をすべきかいかに ワークアウトすべきか良く知っています どこかに行って 教わることはありません すべてのノウハウの完全な知識が それ自体の中にあるからです 物凄い知恵 知識 そして愛の宝庫です ですから 逸脱することはありません 一度サハジャ ヨギになると あなたの善のための 関心が常に注がれます 罰せられるとか 罰せられない とかの話ではありません ある者は 仕事を得るかもしれません ある者は仕事を 得ないかもしれません この方法でワークアウトする者も いれば しない者もいます “なぜパラマチャイタンニャは そうするのか”と思っても すべてあなたを正すためです 激しくかき回します あなたを正すためです あなたの善のためです これを理解するなら あなたは人生において 失望はありません それ自体への善には 関心がありません それ自体 完全な 善だからです どうすればそれ自体の助けになるか など決して考えません 煩わされることが ないからです 世俗的なものすべてを 手にした者がいても もっと手にしたいと 考えるかもしれません そこには欲があります しかしそれは完全 プルナなのです 欲がありません それ自体で 完全に満足しています とても強力で 知識を備えているので 全く疑いはありません 誰も傷つけられないので 全く恐れはありません あなたはパラマ チャイタンニャを感じています あなたは 完全に恐れのない 穏やかで歓びに満ちた人生 を与えられているはずです まるでお母さんを見つけた子供が 泣き止むようです 同じようにあなたは パラマチャイタンニャを見つけ つながりを得ました ですから何も 心配することはありません 考えることも 計画を立てることもありません ただそれに 飛び込むだけです ただ飛び込み リアリティの 一部になったと分かるだけです このことを理解するなら 私たちは大きなことを 成し遂げたと思います 私たちはドイツにいます ドイツにはかつて 人類の希望を壊そうとした 者達がいました そのような出来事が あったとしても 多くの者が亡くなった 残酷な出来事でしたが (もちろんまた生まれ変わって いるので問題はありませんが) 全世界が終わるだろうと 思うような問題でした 人は大変心配し この世が終わると思いました でもそれは 起こりませんでした この戦争は 私たちに教訓を与えました 私たちを よりコレクティブにしました お互いを 理解できるようにしました そうでなければ“自分たちはこの国 あの国の者だ”という 無知から抜けられません 差別主義や 国家主義 愛国主義 これらの切り離す力や不和を 起こすことから抜けられません 私たちは 全くもって人間です 人間として扱われるべきです 歴史を見ると どの戦争の後も 知識に対する 世界が一つであるという知識への 迅速な動きがありました まるで コンテナが次々と つながっている宇宙船が スピードを増すごとに 下層部のコンテナが 爆発するようにできているようです 爆発すると上部の宇宙船を 高速させます 速度が増します そのようにして 宇宙へ飛び立ちます 同じように このような残酷な出来事は 自分たちは間違っている リアルでないものの中で 生きているという知識へと導く 爆発のようなものです 今日の問題は 例えば 環境問題や エイズ 麻薬などの 現代の問題や貧困です 目撃者として見るなら これらはかなりショッキングです 大変ショッキングです しかしこれらは私たちのマインドに 衝撃を与えるべき事柄です なぜこのような問題があるのか これらの問題を愚かな指導者は お金で解決できると考えます お金で環境問題から 自分たちを守れると考えます お金があるので 環境を汚染してもかまわない マスクをつければ大丈夫 自分たちを守るために お金を儲けようと考えます なので環境問題があっても かまわないわけです ガスが充満する区域に 入ろうとしているかのようです このような愚かな考えは 人間の尊厳が何か 分からないからです 人間はすべてのものを 超越している 機械や世俗のすべての物質を 超越していると理解しないからです 機械を調和させる 話ではなく 人間が機械に 隷属する話をしています お金が大事だからです もっと儲けて環境問題から 自分たちを守ると主張します ばかげています 人間の尊厳を 理解するのなら 今までしてきたナンセンスなこと すべてを止めるために 人間として大変ポジティブな 賢い方法をとらないといけません 例えば フランスのほとんどの 海岸が汚染されています 海岸で休日を楽しむためにと おかしなことを始めたからです これが結果です 好き勝手にはできません やめなければいけません 人間の頭は 自分の間違いを理解する代わりに “きれいにするために 新しい何かを始めよう”と考えます 間違いを 咎めようとしません 海岸でおかしな快楽に 夢中になります エイズにおいては 驚くことに アメリカでは ロスアンゼルスだけで 70万人が エイズの殉教者だと 自身を讃えています 無意味な人生を達成しようと しているからです 大きな改革さながらです 偉大な革命家のようです 自分たちのエイズ疾患を 支え讃える偉大な者だと 彼ら自身思い込みます このような主張が受け入れられる なんて信じられますか 人々は笑うでしょう すべてが お金儲け主義だからです 宣伝し お金の支援 について話したいのです このようなことが起こったのも お金があれば麻薬がもっとできた のにと言いたいのでしょう お金がないので 盗むのだと 麻薬が そのような人生が 送れるように 彼らにお金をあげないと いけないのです 概して人は 生涯を全くリアルでないものに 生きています 間違いを犯したことに 向き合う時 その間違いをすべきでない と言うとき 人は後ずさりし 別の栄光あるもの 不自然な偽りのものに走って “私たちは偉大だ 殉教者だ” と主張します これをカリ ユガと呼びます 恥ずべき 忌み嫌うべきものすべてが 達成する目的になります 私たちを包括する力こそが サハジャ ヨガをしていると あなたをサハジャ ヨガに 連れてきたと そしてあなたに恩恵を授けていると 理解できると思います パラマチャイタンニャを通して ワークアウトします 今日は私たちが よりそれを意識でき 私たちは パラマチャイタンニャの一部であり それを感じ その力を 使うことができるよう祈るべきです そのように感じることが できるなら すでに沢山のことが 成し遂げられたでしょう それに対して 神の恩恵がありますように このプージャをするとき 私をパラマチャイタンニャとして 崇拝していることを忘れないでください あなたが対象としているのは リアリティ自体であると思ってください その理解であなたは このプージャをしないといけません 神の恩恵がありますように […]

Sahastrara Puja, Jump Into the Ocean of Joy (Italy)

Sahastrara Puja, “Jump into the Ocean of Love”. Sorrento (Italy) 6 May 1989.
昨晩は 真っ暗な夜でした その日は マウシアと呼ばれ 月相の始まりでした 今日私たちは サハスララが開かれた日を 祝う為に集まりました 写真で見たかと思います サハスララがいかに開かれたかを示す 私の脳の写真です 脳の光を 撮ることができるのは 現代がもたらした すばらしいことです 神の存在を証朋する多くのものを 現代はもたらしています そしてまた 私についても 証明することができます 私が誰であるか 確信させることができます これは とても重要なことです 現代において この出現は充分に 認められなければならないからです これはサハジャ ヨギの 条件のひとつです では現代において 人の脳において 何が起こっているのでしょうか 人の脳において 今日 サハスララは 攻撃されています 長い間 攻撃されていましたが この現代が最悪です 大脳辺縁系をとても 鈍くさせようとしています とても憂鬱にさせる 小説や思考 憂鬱にさせる音楽が 溢れています ギリシャ悲劇の戯言のような これらすべては 中世のものから来ました しかし この― 新しい時代が始まるまで と言えるでしょう それらは大脳辺縁系に 全く良くありませんでした 私たちを憂鬱にしました いわゆる 惨めさから逃れる為に アルコールに走ったのです そして現代に至っては 人は過活動になり 過度の行動が始まりました 脳の活動も過度になり 以前からの鈍さに加え 極端な 過活動の状態になりました さらに鈍くするのに 麻薬に走ったり ひどい音楽に 走りました それにより 大脳辺縁系をさらに 鈍感にしてしまいました 刺激を得るために 始めた麻薬も 後には 苛酷な状態になるまで 量を増やさざるをえなくなり 麻薬が救われる唯一の方法だと 思い込むのです なぜでしょう 緊張が原因です 現代には 緊張というものがあるわけです 以前はありませんでした 話題にもなりませんでした 今は誰もが 緊張していると言います この緊張とはなんでしょう それは 私の出現ゆえにあるのです 大脳辺縁系は 私を知ろうとしています サハジャ ヨガが 広まるにつれ 人々の中でクンダリーニも 引き上げられようとしています あなたが媒体だからです あなたが行くところ全てに ヴァイブレーションを 発しています これらのヴァイブレーションが 人々のクンダリーニに 挑戦します メッセ一ジを与えます 人のクンダリーニを 引き上げます サハスララまで 引き上げられないかもしれません でも もとに戻ります そこに 認識がないからです 何かをするたびに クンダリーニが引き上げられ サハスララが開いていないので 圧迫を与えます それは閉じた戸です 戸が閉じているので 頭に圧迫感を与えます それを理解できないので 緊張と呼んでいるわけです 実際 クンダリーニが外に 突き抜けようとしているのですが 出られないのです リアリゼーションを得た者も サハスララを 良く保たなければ 緊張してしまいます サハスララを何年か前に 開いたとしても しなければならないことがあります それは私たちのサハスララを きれいにすることです まず始めに サハスララが開きます 一度開くと ブランマランドラが開くと 神の恩恵を感じ始め それが イダとピンガラにいきます クンダリーニがではなく 恩恵がです 恩恵 つまり 全てを取り巻くチャイタンニャは 私たちの左側と右側を 落ち着かせます すると チャクラがさらに開き クンダリーニの糸も より貫くようになっていきます ですから私は 常にヨギ達に言いますが 瞑想は とても大事です あなたのサハスララが大丈夫であれば 全てのチャクラも大丈夫です 全てのチャクラを コントロールするセンターであるピタが 脳にあるからです 大脳辺縁系の辺りにあります あなたのサハスララが きれいであれば また違う形で すべてが上手くいきます どのようにサハスララを 良く保てるでしょう よく尋ねられます 私がサハスララに内在していることは 皆が知っています 私は千の蓮の花びらの上に 化身しています ですから それを開くことができたわけです 今日あなたの目に映るように 私がいますが サハスララは マハマヤだと言われています これは幻です あなたのためにある 幻のような存在です そうでなければならなかったのです なぜなら 私から様々な光が放ち 昨日見たように サハスララから抽象的な色が あちらこちらに出て 光が放出されていては あなたは私と 向き合うことはできません 私が話している時は 写真を撮らないでください 後で撮れます 私の話に注意を向けてください 注意を向けてください 大事なことです プージャの間は写真を撮ってはいけないと 前もって伝えるべきです ワークアウトしなければいけない 重大なことだからです 理解できなかったとしても 効果があります 私が話している時は 十分に注意を向けてください その方がうまくいきます あなたはサハスララを 世話しなければいけません それは あなたのお母さんの神殿です 私を心に留めるということは 実際私をサハスララにおくということです ここのブランマランドラ 大脳辺縁系には 心をコントロールするセンター ピタがあるからです サダ シヴァの座です シヴァのと言えるでしょう 私を心におく時 実際私をそこにおいています 心からそこへ上げるのに あるいは 心へもってくるのに 二つのタイプの人に 問題があります 心が繊細な者 例えばヨーロッパでは イタリア人が繊細と言えるでしょう 彼らは私を見ると まずハートに手を当てます それなのです 私を心で感じるようにする方が 簡単です 私を心で感じるには どうすればよいかと あなたは 尋ねるかもしれません 私があなたを愛するように 私を愛さなければいけません 自分のどの細胞も 愛さなければいけません あなた達は皆 私の中にいるからです どのように愛するか 教えることはできません 愛は自分の中にあるものです そして愛は現れるものです ただ心を開けばいいのです 何が障害となるか 考えてみましょう まずコンディショニングです 西洋では 自分の愛を表現するのは 罪深いとされています “愛しています”と言うのに 時間がかかります “憎んでいます”は 子供ですら言います “憎んでいます” と言い続けるわけです しかし人を憎むことは 罪深いことです 誰に対しても憎むことは 罪深いことです 憎んでいますと口に出すことは 罪深い行為です 何を言うべきかというと “愛しています” と言い続けることです つまりあなたにとって 親愛なる人を愛すべきです 普通は自分に何か良いことを してくれた人を愛します しかし アディ シャクティ自身があなたに リアリゼーションを与えたのなら 愛することは たやすいはずです 彼女が“あなた達皆は 私の身体の中にいます”と言えば お互いを愛することは とても簡単なはずです サハスララの浄化全ては この愛を通して行われます この愛は 条件付けからくるものでもなく 抑制されるものでもなく 休息を与えるものでもなく 如何なる見返りも 求めません しかし往々にして愛は 条件付けが強すぎるのです するとまず コンディショニングの問題が起こります コンディショニングは 誰かを憎ませたり 人を愛させなかったりします しかし実際 一つ一つみていくと コンディショニング自体 とてもばかげています 簡単に言うと コンディショニングについて 理解してもらいたいのですが 面白い記事がありました “恋愛を台無しにしたのは誰か” という記事でした 彼が言うには 美容師だとのことです 恋愛になぜ美容師が 関わっているのかと思いますが 美容院に通う女性は ある髪型を一人の男性から 気に入られていました 彼はその髪型に 好意をもっていました 彼の奥さんあるいは恋人が 全く違う髪型に変えたとします すると彼は 彼女の髪型が原因で 彼女に憎いと言うのです 彼は特定の髪型ゆえに 彼女を愛していたわけです 違う髪型ならあなたを嫌いだ と言うのでしょう まったく好きではない あるいは好きである というのは コンディショニングが 強すぎる象徴です まともな髪型やまともな服を装う人に 大嫌いですと言うわけです そのようなことを言う権利は ないはずです あなたは裁判所で任命された 裁判官でもありません ではなぜ そのように言うのでしょう 大嫌いだと言って 人を傷つけるのでしょう “それも気にいっていますが もっと良い格好もあります”とも言えます それが愛です その人のよさが出てくるような 格好をしてもらいたいのです しかしこれはとても 低いレベルの話です 次に人は 如何に知的で賢く カリスマ性を持ち チャーミングであるかを見ます チャーミングという言葉は 捉えにくいものです それらを持つ者が 愛するに値し 愛していると思うのは コンディショニングです それら全ては外観です 金持ちだという理由で 愛しているように見せる人もいます 金銭を切り離して 考えられないわけです その人は もっとお金をもっていて より高級な車をもっていて 良い格好を しているという理由で愛しているのです このような考えを持つことは 愛を殺しています 愛がなければ 歓びも失われます 愛なしに歓びはありません 歓びも愛も 同じものと言えます 精妙な より精妙なレベルになると 我が子を愛する という話になります 中には我が子さえ愛することも 出来ない人もいます 様々な人がいますが “この子は私の子供です 私の子供です” と主張します これもまた愛が死んでいます 木の樹液が 上に向かって上がっていき 全ての実や葉 どの部分にも 行き渡り そして戻ります 執着していません 美しいからといって 一つの部分 一つの花に執着していたら 木が枯れてしまい 花も枯れてしまいます これが愛の死です 偏らず 執着のない 愛でなければいけません 私がこのような話しをするたびに どうすればできるか訊かれますが スピリットの愛がそれなのです コンディショニングのある 精神からくる愛は違います コンディショニングのある精神は 制限のある愛し方しかできません コンディショニングがあるからです 愛の最大の敵は 私たちの中にあるエゴです 私たちの頭にある 風船のようなものです エゴが私たちに 大変大きな緊張を与えます コンディショニングとはー 例えば誰かが ある絨毯(じゅうたん)を見ます その者のコンディショニングにとって あまりよくないものであれば “なんてひどい絨毯でしょう” と言うでしょう これは 低いレベルにおけるものですが 高いレベルにおいて言うならば “自分の国を愛している” と言うようなものです “私の国が一番です” 人を殺しても 世界平和を壊したとしても その国に属していれば 構わないと思うのです 自分の国や国民を 非難することは決してしません さらに精妙になりますが 知的な面においては最悪です 知的に 何かが良いと理解したなら 誰も何も言えないのです なぜなら あなたの脳で理解したからです ラビンドラナート・タゴールの 本を読んでいた頃 実際私は驚きました とても美しい序文と序説を イギリス人が書いていました 彼は 西洋では創造性を 殺しているというのです 彼はインド人の評論家である 男性に尋ねました “あなたの国の詩人は 批判しないのですか?” “評論家の人は いないのですか?” “もちろん評論家はいます 批判します” “では何に批判しますか?” “この時期に雨が降らなかったので 問題に繋がった 等と批判します” “いいえ 詩人についてです” “詩人を批判しますか? 芸術家を批判しますか?” 批判の対象になるものでしょうか 創造されたものです 彼が感じたものを 創造したわけです 仮に彼が 下品なものを創ったとします それなら 私たちは好みません しかし美しい精神で創られたものなら 美しいに違いありません それなら 批判しないのです 彼は“人はそのように 創造できないから”と言います ではなぜ創造するのですか 理性的に判断し すべてに規範をつくっています 芸術や すべての創造においてです “この絨毯が 好きではありません” 私たちが達した 知的な理解の規範に訴えないからです その枠にはまらないので 好まないのです その一インチでさえ あなたは創れますか? ですからこのエゴが あなたに権限外の行動をさせます 権限外です あなたには 批判する権限がありません 何もできないのに なぜ批判するのでしょう それより鑑賞して 自分自身で自分には権限がないこと 批判するに値しないことを 知るべきです それに値しないのなら 批判することはありません そしてまた あなたは 自分のエゴの奴隷であると知るべきです あなたのエゴの 命ずるところには あなたの知性が いわゆる知性が規範をもたらし それが特定の共同体 特定の国 特定のイデオロギーの 集合的エゴになるのです これはコレクティブです 彼らは“私たち” “私たちはこれを 芸術とはみなしません”と言います それ故 芸術界に 巨匠がいないのです レンブラントのような芸術家も 出てきませんし 彼自身 大変苦しかったでしょう ゴーギャンも苦しみました これらの芸術家は 苦しみました ミケランジェロでさえです 金銭面だけでなく 批判され続けたのです ですから皆さん 諦めたのでしょう 多くの作品を手掛けた 芸術家に会いました 自分のために創ったと言い 見せてくれませんでした でもお願いして 見せてもらいました 大変美しかったです なぜ見せないのか尋ねると “人は批判するだけです 自分の歓びのために創っています” “彼らは私の作品の歓びを 汚すだけです”と言いました 基本的なこととして 人を批判することは避けるべきです 自分自身を批判する方がいいです 自分自身を批判する 自分の兄弟姉妹を批判する 自分の国や 自分の悪い習慣を批判する そして自分自身に笑うことが 最良の方法です 自分自身に笑うことを知れば 他の者の如何なる創造物に対して 反論したり邪魔したりしないはずです ですからエゴがあると 権限外になんでも批判できます 誰に批判する権利を 与えられたのか自問すべきです 誰を批判できるというのでしょう 聖人なので もちろん今あなた達はそうですが 誰がキャッチがひどく 悪いヴァイブレーションを与えているか 誰が問題を抱えているか あなたは解ります それはコンディショニングではありません エゴがから来る認識ではなく あなたの指先で感じています それはあなたの中の 実際の感覚です それはボーダです あなたは知っているということです では何をすべきでしょう あなたの愛で 相手に伝えるのです できれば“ここが間違っています 直した方がいいです”と言いなさい でも彼ができるようにです 言うことによって反対に 今より悪い状態になったのなら その人を愛していないのです 皆が成長できるようにしなさい サハジャ ヨガには 大変良い人やすばらしい人がいます しかし中には 大変難しい人もいます 頭にひびが入っているのか 何かが欠けているのか ねじが緩んでいるような 人がいます 時折 道化師のように振る舞う人や 手に負えないような人もいます 他ではとても知的で 俊敏になれるでしょうが サハジャ ヨガでは 成長が可能なレベルまで 至ることはできないようです 例えば 母なる大地が 太陽のように熱いとします 成長しないでしょう あるいは月のように寒ければ 成長しません 両者の均衡が取れるような 中庸にいなければいけません 同じように人間も 節度や均衡を保ったり 如何なるものにも 極端に走ったりしないことを理解し ワークアウトしないといけません そのバランスは 誰かを愛した時に学べます サハジャ ヨガでは 知っての通り ある人にはサハジャ ヨガを 出るように言うことがあります これは彼らへの愛からです 一度出ると彼らが 向上するからです 大変向上したのをみてきました しかし彼らが サハジャ ヨガに留まるなら 厄介な存在になります 彼らのエゴが働き コンディショニングが働き より厄介になります なんであれ 厄介になろうとします “どうかしばらく出てください” と言わなければいけません 厄介でいる意味がなくなれば 彼は正直にならないといけません もはや厄介ではいられません この理由で出て行ってほしいと その人に告げて 論理的に 訴えることができます 彼らがうんざりするほど 面倒になることもありますが あなたは 完全な忍耐と完全な理解を示し 愛する者として 話さなければいけません 愛には力があるもので 愛していないと示唆するようなことは したくないものです 愛は大変力強いです 何かをしたいと思わせる 美しい方法で人を結びつけます 例えば私に花を贈るのは 花が好きだと知っているからです 愛を表すために あなたは花を贈ります ただ表すためです 私を愛しているのは知っています 私への思いを ただ強調したいのです 私への愛そして想いを表すために あなたは私に花を贈ります このような物質的なものは あなたの愛を表現するのに使われます 相手が 愛とは何かを知ることができるような形で 表現することができます サハスララの力すべては愛です 脳は愛さなければいけません サハジャ ヨガの力を あなたの脳と知性で確証し もはや分析したり統合したりするのは 意味がないと解ったなら 単純に愛であると解るでしょう 以前は分析したり 批判したり 無意味なことに使われていた脳が 同じサハスララが 今は愛することを望み 愛を楽しみます ただ愛するという絶頂に 脳は到達しなければいけません 愛するだけです なぜなら愛の力をみたからです あなたはある論理的な結論に達し 重要な点をつかんだのです アディ シャンカラは 多くのものを書きました 様々な論文を書き 断念しました 彼はこれではないと悟り お母さんへの賛美を書きました 一度そこに達したなら ニルヴィカルパにいると言えます ヴィカルパはないからです 愛しているので あなたの頭には疑いがありません 愛において あなたは疑いません 考える時のみ疑います 愛している時 疑いません あなたはただ愛します 愛を楽しんでいるからです ですから愛は歓びで 歓びは愛なのです 幾日もかかって サハスララが開きました 瞑想の過程を通して 自分自身や他者を理解し おそらく 論理的にも理解することで 私たちは自分達のサハスララを 再度開かなければいけません それ以外はありません 最後に到達しています すべての論理が終わりました 愛の大海に飛び込むだけです 一度愛の大海に飛び込んだなら 他にすることはありません 楽しむだけです 全ての波を 全ての色を 全ての感触をです サハジャ ヨガは 愛以外の何ものでもないと結論付けて これを学ぶべきでしょう 神の祝福がありますように […]

Guru Puja, Gravity of Guruship Annapurna Atiram Aparthotel, Ansalonga (Andorra)

Guru Puja, “Gravity of Guruship”. Andorra (Europe), 31 July 1988.
今日は皆さん グルの崇拝の ために集まりました ご存知のように グルの原理はヴォイドにあります この原理がバランスと 重力をあなたに与えます 地球の重力が あなたのグルの原理によって 表現されています 重力に関して まず あなた方は 世俗に飲み込まれず 小競りあいに囚われない人格や 気質を示すべきです 自らの深みにいる グルの人格は たやすく飲み込まれる ことがありません これがグルの第一の性質 重力です お伝えしたように 何にも飲み込まれない性質です あなたの人格の 深くに位置取り 水面に浮かぶこともありません 先進国の人は 個人に強い力があると 考えがちです 個人が自由を謳歌することが 民主国家の目的になり 集合性が 見過ごされています もちろん個人は大事ですが コレクティブに寄与する必要があります しかし 重みがなく 表面を漂っているようでは 簡単に流されてしまいます だからファッションに 流される人がいるのです ファッションには知恵にも 健康にも合理的でありません 人格的成長や健康に 良いファッションはありません 時に変で 愚かに見えます すると人は “愚かで何が悪い” “バカになる事の何が悪い” といいます 個人の自由ですが 人格は育ちません 人格的にゼロで 空っぽです 自分で何も決められません 流行っていれば 何にでも従います これは西側の状況ですが インドような国でも ある狂った傾向が見られます 彼らも豊かさというものを 経験しなければならないからです 他人の芝を見て 彼らもやはりするでしょう 自分が得をするためには 何でもするでしょう あなた方が ファッションに惹かれたように 物質主義に陥るでしょう 個人主義は ある程度までは良いですが 度を越すとおかしくなります 特に西側では 人格が未熟なので 簡単に商売人に 騙されてしまいます 例えば愚かな人がポイズン(毒)という 名を使いはじめると 皆がポイズンを買うのが 良いことだとなります 愚かな者がある名を使うと 皆がそれを買いだすのです 特別なものではありません 何も特別でないのに 注目されます それであなたが 偉くなるわけではありません 有名ブランドというだけで 皆が買います “ああ あのブランドですね”と 非常におかしなことです そして髪型や足 首 爪 眉毛などの スタイルも流行ります 重みがないので どんな馬鹿げたことでも 自分の身体にしてしまうのです 重みがある人は そんなことはしません まず それに合理性があるかを 吟味します ただ変化のためなら おかしな流行なので流されません 水面に漂う藁のように流されないことが 人の重みを示しています 流されず 深い理解の海の真珠の ようにとどまります 今日ここに来ている皆さんは 自分の内なるグルを崇拝し まずは気質における重みが 必要なことを理解しなさい そのために大学教育は 必要ありません 読書や何かも必要ありません 自分の価値観を 正すだけです 価値観が正されると 何が社会に良いか理解します 何が自分に良いかもです 例えば 蓮の花は 泥や汚れを出しません バラのような 良い香りを常に放ちます 香りだけを放ち 汚いものは出しません 重みを獲得して 自分がグルと思うなら 醜悪なものを愛でたり 書いたりすることがないでしょう これが第二の点 価値観です まずは吉兆さを理解し 聖なる美や 精神のモラルを理解しなさい これら三つを悟り 身につけることで 人々が“あの人は重みがあって ある美しさがある”と気づくべきです 内面が変わると 外に現れます そのような落ち着きのある人は 落ち着いた格好をします 誰かを魅了しようと着飾ったり 自分を見せびらかしたりしません 自分の体を 尊重するために着ます 口を開くと知恵を語ります つまらない 下品で役立たずな話はしません 何かをするときは 品位と礼節があります 専門家になろうとする 人のようにです グルを崇拝する人は 仕事においても専門家になろうとします 例えばエンジニアのように お金や名声 他人の賛辞には無関心です 関心があるのは 対象を本当に理解できるかどうかです 凡庸ではないでしょう 音楽家は完全に音楽家で 芸術家は完全に芸術家で なければいけません 一般的なやり方で 上達しようとはせず スピリットの導きによって 向上しようとします 詩人なら スピリットの次元で 向上しようとし 商業的な成功は 望みません 凡人は多数派に娯楽を 与えようとするものです 社会の役に立たない低俗な本を売り 売名することに恥を感じません グルの持つ 価値観というより 彼のライフスタイルや言説 態度により表現されたことに 人は重力のように 惹きつけられるのです その結果 バランスの 価値体系が蓄積されます 何かの専門家になることは 別の面をおなざりにすることではないのです バランスです 例えば音楽家が絵画を理解しなければ そもそも芸術家ではありません あなたが芸術家で まだサハジャ ヨガを理解しなければ あなたはヨギではありません スピリットの核心から始めると 全ての知識が統合され 表現されることに驚くでしょう あらゆる意味で どんなことにもエキスパートになります 何を聞かれても あなたは何でも知っています ですが 価値の優劣を わきまえなさい 大切なことを 理解しようとしなさい お酒の種類とか 価値の無いものに 関する知識を手放すのです そこで上達しようとしないことです カーペットの種類の専門家に なろうとも思わないでしょう サリーやカメラの種類の知識も 知りたくないでしょう 知っていても良いですが 知らないことを気にすることではありません 人格における重みこそが 大切と分かってくるでしょう シンプルに言えば 吉兆さが解るようになるということです 吉兆とは何でしょう フェアプレイについては ご存知ですね 他者に対するフェアプレイとは 何でしょう 神の目における正義とは何かが 分かってきます あなたのクンダリーニを引き上げる 聖なる音楽を知るでしょう つまり重みによって あなたは分別を得るのです 何が人格で 何があなたを取り巻く 水気なのか解ります どう分別を弁えればよいか 分別の感覚は 内なるグルの原理から来ます しかし グルの原理が おかしな状態になることもあります 偽りの指導者を 信奉して本を読み 理論や教義にかぶれると おかしくなります その結果 頭部の エカデシャ・ルドラが増大します また 生活の一方だけに 自分を投影して 働き過ぎたりなど 極端な性格だと 心身やスピリットの問題が グルの原理に影響し エカデシャ・ルドラによって 破滅が始まります いかにグルの原理が 大切であるか 殆どの病気は この原理に反した結果 エカデシャ・ルドラのレベルまで その悪影響が至った結果なのです リアライズド・ソールとして あなた方はブラマナディを通過し サハスララを抜けて これら全てを超越しました しかし だからといって 例の重力を獲得したことにはなりません あなたはある意識を 既に獲得したのです 花を水面におけば 浮かびますが 花は熟せば実になり それは浮かばず 沈んで 水に溶けることもありません 同一性を保ちます それこそがあなたがなるべき者です サハジャ ヨガの果実になるべきです 花咲く季節は終わり あなたが果実になり 人々はあなた方には バランスの悪さがないと思うべきです あなた方は特別な重みを 持っているのです なのでサハジャ ヨガの プログラムで 決して子どもじみたり 馬鹿げた振る舞いをすべきではありません 私の前に座ってクンダリーニを 上げる人がいました 馬鹿げています バンダンするのも 馬鹿げています サハジャ ヨガに 来たあとでも 馬鹿げた重みのない 振る舞いをすることはありえます サハジャ ヨガに来て まだ以前のように振舞っているなら もっと成熟した実に ならなければなりません それこそがあなたがグルの原理を 獲得したしるしです 母なる地球の重力を 知ることが大切です 高速で回転しながらも いかに彼女は聖なる愛で私達を 美しく抱きかかえているか分かります 大きな山々を見ると それらは偉大な聖者が座して 瞑想にふけっているようです 海から放たれるグルの原理を つかめるのは彼らだけなのです ご存知の通り 海がグルの原理ですが それをつかめるのは とても高い山々なのです つまりあなた方は重みがありつつも 高い水準を保っています なので誘惑や人を惑わすような 馬鹿げた考えを超越しています 歴史上の偉人のように 他の皆より高く強く立っています かつて存在した 10人のグルの名を教えました アディナス 孔子 ソクラテス 後にアブラハム モーゼからサイナスまで 10人ほど存在しました 今日ここに 沢山のグルが座っています 皆さんはグルで そのように振る舞い 働くべきです 今日 自身の中にこの重みと理解を どう発展させられるかをみるべきです この平穏が あなたの中に宿れば サハジャ ヨギになる喜びが真にわかり 皆が楽しめることでしょう 神の恩恵がありますよう […]

Makar Sankranti/Shri Surya Puja (India)

Makar Sankranti – Shri Surya Puja. India Tour, Bombay (India), 10 January 1988.
これは 大変特別な機会です あなた方に ボンベイで再会できました そして あなた方は国へ帰ります 今日行われるのは 特別な類のプージャです これは 太陽へのプージャです マカール サンクラントゥ と呼ばれています マカールの意味は “南回帰線”です または “やぎ座の回帰線”です 今 太陽が 南回帰線から 北回帰線へ動きます 太陽と関係しているため 常に決まった日にちです 唯一 インドの暦で 毎年同じ日です 太陽によるからです しかし今回は なぜか分かりませんが 今月の15日になっています いつも14日です 今日 変わります 季節が 変わろうとしています 太陽は移動するまで 6か月かかります 南半球へ移動し 温かくします 明日から 北半球へ移動します つまり 今日は最後の日です 今日はインドで もっとも寒い日といえます この後 暑さが増します 夏季に吉兆なことを することができます プージャの後に 吉兆なことを行えます 夏は大変暑いですが 人々は太陽の活動や 温かさを望みます 太陽のおかげで 田畑の作物や果実 全てが育ちます そのため太陽がない6ヶ月間を サンクラントゥと呼びます ある意味災害です ヨーロッパ諸国 例えばイギリスや アメリカでは 太陽がない この時期は災害です ここでさえ そのように思われています サンクラントの終わる日です つまり災害の終わりです 人々は胡麻の入った 甘いものを食べます 胡麻は 熱を与えるからです ですから 今日は最も 寒い日なので胡麻を食べます 熱を蓄えて これからの暑さに 身体を調整します これはある意味 大変グロースなレベルです 十分な温かさを 保たせます またこの時期に 愛の温かさは 表されるべきである と言われています 最も寒い日だからです 人に優しい言葉を かけるという 特別なことをする と言われています より温かい国に住む者は 寒い場所に住む者より優しいです 寒い場所では 自然が厳しいからです 彼らの気質を 非難できません 自然が厳しいからです インドではどこにでも 住むことができます 木の下でも 森でも幸せに暮らせます 飲み水や水浴びできる 場所さえあれば暮らせます 世界で直面しているような 問題はありません 他の国は 外出に 20分かけて着飾ります ここではそのまま家を出て 夏の間 空けっぱなしにできます 自然に関して言うなら 何の問題もありません 夏季の自然は 大変寛大です 木は青々と茂り 人々は大変幸せです 全ての活動が 太陽のエネルギーによって 活発になります しかし 西洋では 太陽があまり出ません そのため人々はより家に留まり 暖房や他の機器に頼ります そして戸口を閉め ハートも閉じてしまいます 他者とのコミュニケーションが 難しくなります 南へ行けば あなたの国もそうですが 人はより温かく 素朴で とても寛容です 太陽のおかげで 人々の心は開き 客を招き入れるような 心になります サハジャ ヨガの 観点から見ると 太陽の経路は 右側です 月は左側です 月の経路において 人は望みを持てますが 行動することはできません 左の経路において 極端になれば破壊的になります 家にいて何もしなければ (今日失業の 問題がありますが) あなたは 考え過ぎてしまいます これは望みの エネルギーの作用であって 行動ではありません 行動なしでは このエネルギーは 大変破壊的になります それ故 “怠惰な心は悪魔の仕事場” という ことわざがあります 人が行動しないとき 行動が起こらないとき 大変破壊的になります ですから温かい国と そうでない国は 状況が違います しかし 温か過ぎる国 例えばアフリカでは 熱がありすぎが 問題のもとになります 赤道が通る地域は 強く熱せられるため 高い木が育ち 密林地帯になります その場所全体が 群葉で覆われ 陽光が届きません そして 暗闇が広がります この極端さは 寒季の極端さと同じです 当然そこは太陽が あまり出ないため 住む者は あまり成長しません 人は原始的であったり 大変攻撃的であったりします 彼らは動物から学ぶため 大変攻撃的になりえます ですから バランスが必要です バランスとは 望みそして 行動することです しかし 問題は 人間の環境にあります 労働の区分にあると 思います 国の中で 考える者と活動する者が 分かれています この状況では 何もうまくいきません スシュムナが作用する バランスが必要です スシュムナの経路は 位置でいう赤道です 赤道というより 母なる地球の軸です 母なる地球の軸は スシュムナです 作用されるべきです 軸はつまり バランスを もたらすものです 実際は 母なる地球の中に 私たちが軸と呼んでいる 大きな柱のようなものはありません 母なる地球の中に 軸と呼ばれる物質的なものはありません しかし それは エネルギーであり 広大な宇宙で 物凄いスピードで 地球を 動かしています それだけでなく 私たちのために昼夜を創ります 昼は働き 夜に寝ることで 私たちにバランスをもたらしています 太陽の周りを回ることで 地球の半分の国々が 夏季に太陽の恩恵に授かります もう半分は 冬季に恩恵を授かります この軸が作用させ 全てに働きかけます またこの軸は 宇宙の他の惑星や衛星から 必要な距離を保たせます この軸は 母なる地球の知性です 知性だけでなく 芳香であり 母なる地球の スシュムナの経路です この軸によって スワヤンブーが出現し 地震などの 現象が起こります この軸は動くものです エネルギーとして 捉えられます 様々な方向へ 溶岩層を動かします 様々な領域にぶつかって 地震を引き起こします また 火山も引き起こします 軸は何をすべきか分かるので このような現象を起こします この軸は 私たちを愛しています この軸は 季節をつくります 季節は 私たちに様々な種類の食べ物や 物を与えるために 美しく創られています 母なる地球の熱が 失われれば この地上に 何も存在しません 全てが凍り 雪に覆われ 食べ物もありません 月のようになってしまいます ですから 特別に創られました 太陽の熱によって 母なる大地は誕生しました つまり 太陽は 母なる大地の父と言えます 次に地球は月の近くに移動し 温度を下げました 完全に冷え 雪に覆われました そして 太陽の近くに 移動しました 生命が誕生可能な 地点まで移動しました その場所で命が育まれるよう 全てがすばらしく体系化されました 生命が誕生したことで 炭素が形成されたことが分かります 炭素は 同じ軸で形成されます 軸に熱があるためです 熱のエネルギーが 植物を炭素に変えます この炭素は後に 含水炭素あるいは 全ての有機体の生産の ための基盤となります しかし 生命誕生には その他に窒素が必要です 窒素は驚くことに 同じ軸の動きから 創られています この窒素が創られたとき 私たちにアミノ酸をもたらしました 私たちの内に アミノ酸が創られたとき 私たちの生命の起源である アメーバが誕生しました もちろん 全ての始まりは海です 海で窒素がつくられ 生命が生まれたからです 海から始まりました そのようにして 私たちにはアミノ酸があります アミノ酸の形成は 多様な 生命をもたらしました 進化の過程において 母なる地球は軸を通して 大きな役割を果たしました 同じように 人間にとって軸は 最も大切なものです 軸は私たち生命の 主要な原理です 私たちは自分の軸で 立たなければいけません 自分の軸で立たない者は 左か右に傾いて立ちます 完全に崩壊する 可能性があります 右や左に傾き過ぎるため 滅びます ですから 自分の軸は しっかり保たなければいけません しっかりした軸を 持たない者は 様々なチャクラや その者の資質に 影響します 自分の軸を伸ばしすぎる者は このように頭を反らせます 大変右に傾き エゴの問題が起こります 卑屈な者のように 頭がうなだれる者は 自分を 破滅へ追い込みます この両者には 問題があります 一方は支配的で 他者を支配して 破滅させるだけでなく 自分も破滅します 例えばインドは イギリス人に 支配されました フランス人も 他国を支配しました ポルトガル人も 他国を支配しました しかし 支配したことに対しての 反動がありました インド人は支配されたことによって 大変卑屈になりました 今日でさえ大変卑屈で あるべき 自主的な軸がありません 大変卑屈です インド人が西洋へ行くと さらに卑屈になります 彼らは白人を喜ばせようと 卑屈な行動を取ります インドで白人は 崇敬されるようになりました それが 白人のエゴを増長させ 今日そのエゴが 彼らを滅ぼしています エゴのため 破壊寸前です ですから大変 不自然で表面的です 人間にとって最も大切なのは軸だ と理解しなければいけません 軸は全ての人にあります それぞれの軸を尊重しなければいけません サハジャ ヨガで私は あなたを顔では知りません チャクラで どのようなスシュムナかで あなたを知っています 深いスシュムナなら 深い者だと分かります 表面的なスシュムナなら 上辺だけの者だと 分かります 親切に 振る舞っていても サハジャについて話し よく知っていたとしても 達人であるかのようにして 人を当惑させることを言ったとしても あなたの深さは 知っています 軸の深みが 何よりも大切です 軸が大変 深くなければいけません “軸は軸であって なぜ深く なれるのですか”と尋ねるでしょう 人間の内にある軸は 三巻き半に巻かれた 紙のようです その中心が ブランマの経路です ブランマの経路とは 大変細い 髪の毛のようなもので 髪の毛の細さのクンダリーニが 通ることができます 深い者なら ブランマの経路は太く 外側に巻かれている ものはより細いです 一方 深みのない者は 外側に被さるものが 内側より太いです そのような者は外見上 大変ダイナミックに見えます 知的で賢く見えて 容姿も良いですが 内的には 深くありません 深い者は 態度全てが素晴らしいです 大変 歓びを与える者です そうでない者に会えば 喜びに満ちているようでも 喜ばせようとしていても その喜びは 真に深くありません それは喜びを 殺すようなものです ですから 軸をより深めることは とても大切です これにおいて 私たちは 適切な配慮や 努力に欠けています 自然に 大変深い 軸である者もいれば ある意味 大変収縮された軸を 持つ者もいます この軸は 成長させなければいけません プージャに来れば 確かに軸は広がります しかし それは 一時的なものです その状態を保つには 自宅またはコレクティブで 働きかけなければいけません 自宅での瞑想で 働きかけなければいけません ただし真剣にすべきです ただの遊びであったり 軽薄であってはいけません 献身的なものとして 真面目にしなければいけません それは瞑想的なもので 神への祈りのようなもので 神へのプージャです そのような敬意で なされなければいけません 敬意はそれを 達成する鍵だからです 自分に対して また 人に対して敬意がなければ 達成できません まず人生に 敬意を持つべきです 人生に対して 何をし 何を無駄にしているか なぜ深くなれないのか 何らかの目的が あるに違いない 目的に向かっているのか このようなことを 考えるなら 自分のエゴと戦えると 理解できます 通常 人は些細なことで 戦うからです サハジャ ヨガでも 完全に無益なことで 戦う者がいます 戦いや喧嘩について 言及することすら 愚かしく感じます 深い者は あまりしゃべらなくても あまり 見せびらかさなくても 前列に座らなくても 自分の深さで 自分を表します それを通して より働きかけられます これを育むには 瞑想しなければいけません 大事なことは 毎日の瞑想です 食べない日があっても 寝ない日があっても 仕事に行かない日が あっても 日常的なことをしない 時があっても 毎日 瞑想しなければ いけません 中央の収縮された部分を より育むことは 大切な事です それが育まれると 自分について まず気付くことは 快適さを 求めないということです 物質的なことに 煩わされません 何であれ あなたは その上をいきます 自分が属さないものに 首をつっこもうとしません それから離れ “手に負えません 私が気にすることではありません” あなたの注意は 内側に向きます 内側に向くと 軸がより広がります ブランマの経路である 内側の部分です そしてさらに 広がり始めます 些細な事に関しても 例えば 私がある者に対して 言及せず 他の者に対して 言及するとします “マザーは私のことを 口にしなかった”と感じます あまりにも些細で 気に止めても 仕方ありません 深い軸がありさえすえば あなたは私といますし 私はあなたといます 完全に一つです 外側のこととは “他の者は素敵なサリーをもらえて” “私はもらえなかった”など これら全てが 頭に浮かぶなら あなたに何か欠けているものがある ということです 不満を言うでしょう “バスで 立たなければならなかった” 全くあなたは 快適でなかったということです 軸の広がりが あなたを快適にします それが快適にさせます どんな状況でも どんな地位でも どんな暮らしでも あなたに快適さを 感じさせます それ以外の快適さを あなたは欲しません それを瞑想によって 育まなければいけません 次にサハジャ ヨガは集合的現象 だと知らなければいけません 特にインドの男性は 自分で手仕事をしません 間違っています 全く自分でしないので 集合性にひどく欠けます インド人は 集合性において最悪です アシュラムも 建てる必要が あるのかと思う程誰も使いません 自分の家や家族 子どもたちにこだわり 集合性において最悪です インドの男性は決して 手仕事をしないからです 一本の釘さえ打ちません 多くがそうです 何かを修理するのは もっての他です 彼らは腰に手をおき 指示するだけです マラティ語に 面白い言葉があります “ラクダに乗って ヤギを追い払う” という言葉です これはインド人特有です 彼らは修理も 何もできません 何か広げ始める者がいれば 立って見るだけで手を出しません どのサハジャ ヨギも シャマダンが大切です シャマダンを しなければいけません シャマダンとは労力を 提供するということです それが 私たちに欠けています それにあたって 家をきれいにしたり 家の外観をきれいにしたり 庭の手入れをしたり 家にペンキを塗ったり 自分の手を使うべきです することがなくても 髪をといたり 何かできます とても簡単なことから 始められます それさえしない人も いるからです ひげも剃らず 誰かに任せたりします 彼らは完全に怠慢です 逆に西洋は 自分の手を使います 自分の手を使うので 大変コレクティブです コレクティブであることに プラスになります 一方 インド人には伝統があり クンダリーニや ガネーシャのことを知っている という利点があります 左側が望みで 右側が行動です アンバランスが生じる という話しに戻ります 西洋では 行動に移しますが ここでは考えるだけ 計画するだけです 全てが計画だけです 何も上手くいきません 計画を立て続けるだけです この10年間でデリーに アシュラムが一つ建ちました まるでタージマハールです 大して 大きくないのに なぜそんなに年月を費やしたのか 理解するのは難しいです これはサハジャ ヨギだけでは ありません 他も同じです 皆がそうだからです 全てが延期され 全てが 次の日に行われます ある人が来ても 他の人が来なかったりします 同じように学校で 足し算をしたり 問題を 解いたりしますが 一つの家を建てるのに 3人が働きに来て一人が逃げました そして 2人の人が働きに来て 一人が残り二人が逃げました 次に五人働きにきて 二人が逃げました いつ家が建つのでしょう 建ちません 逃げる人がいては 完成しません そのようです つまり 集合性の欠如です インド人は 行って何かを植えられる 場所を探すべきです そのような場所を探し 素晴らしい菩提樹の種を植え 共に水やりをして 育てるべきです その点で インドの女性は良いです しかし欠けている ところもあります 知性です 考えることです 考えていることと言えば “夫はこうです 夫のために料理をしなければ” 夫が食事にレモンを必要とすれば 家にレモンがなければ 女性はあらゆる場所へ行き レモンを手にいれるでしょう でなければ彼は 食べ物を食べないでしょう 食事を抜く時があっても 構いません それでも 女性はしようとします 夫の嗜好を 守ろうとするからです それで夫の分別も 保っています 男性は 大抵の夫は 虎のようだからです ですから餌を与え続けなければ いつ飛びかかってくるか分かりません イギリスやアメリカは逆です 夫がヤギで 女性が虎のようです 西洋化した インドの女性もそのようです 西洋に行けば 素朴な女性でさえ虎のようになります 突然の変貌には 驚きます ジーンズを 履かなくてもそうなります 南回帰線でも北回帰線でもない 母なる地球の軸を 持つべきだと理解しないと 人間はバランスを崩し始めます このバランスは 私たちの深みからきます それを深めていかなければ いけません サハジャ ヨガのことを 話すことよってではなく 実際 真剣に瞑想をする ことによってです 次にコレクティブの事を しなければいけません 例えば インドの建築家は 自分の手で 決して何も触りません 座って 設計するだけです 設計が終われば 勝手にさせます そして実質的な問題が 生じます 彼は一本も 釘を打てません 彼らはいわゆる ホワイトカラーです 手仕事には 全く役に立ちません 如何なる手仕事も できません 折りたたみ式椅子を持ちあげて 立てることすらできません 集合性に関して 破滅的な社会から 私たちは来ていると これらの状況化で 理解しなければいけません ですから コレクティブになりましょう コレクティブで 何かするようにしましょう インドでは集合性に関して 大変乏しいです 妻にも優しくしません 妻や子どもたちと 楽しく話しません 妻に優しくするのは 不道徳だと考えます 一方 西洋の人は コレクティブを重んじ 何であれ 妥協しようとし 家庭生活を 円満に保とうとします ですから両極端です しかしながらインド女性の 叡智のおかげで 家庭生活は うまく回っています イギリスの男性を見ると インドの男性が女性にする ナンセンスが耐えがたく見えます 彼らの振る舞いは 全く許されるものではありません 男女間のバランスにおいて 軸となるのは 家庭です 家庭が軸です 家庭内で どのような会話をするか 何を考え どんな問題があるのか どこに注意が向いているか どんな話題をするか 大変大切です その中で 家族に 何が起きているのか分かります 互いに 悪口を言い合っていては 夫が子どもに 妻のことを告げ口していては 妻も子どもに 夫のことを告げ口していては そのようなことが 続いていては しっかりした軸は ありえません 軸は 愛そのものです 利用するものでも 甘やかすものでもなく愛です 私たちのような国では 何が軸でしょう 私たちの国の軸は スピリチュアリティです 私たちは お金や発展への渇望を 乗り越えなければいけません まずスピリチュアリティです 発展する前に 国民がリアリゼーションを得れば ここにアメリカがもう一つできる という心配はありません 共産主義者になることも 何もありません 共産主義者は アメリカ人と同じです 気質において 違いはありません アメリカ人がロシアに滞在すれば ロシア人と同じように振る舞うでしょう そして また 逆も同じです 違いはありません 人のスピリチュアルな 成長を可能にする国において スピリチュアリティの軸が 最も大切なものとなるなら そして得られるなら 如何なる発展があろうと その国を 滅ぼすことはできません 戦争はありません 至る所に 平穏と歓びがあるでしょう ですから マカール サンクタントゥの日に サンクタントゥ(災害)は終わった と言いましょう 私たちを祝福する 新しい月の新たな時代を 待ち望まなければいけません そして私たちに 必要なエネルギーを与える すばらしい太陽の 日の出に サハジャ ヨガの黄金の時代の 出現を祝ってもらいましょう 神の祝福がありますように […]

Diwali Puja, Power of Innocence Lecco (Italy)

Diwali Puja, “Power of Innocence”. Lecco (Italy), 25 October 1987.
私達は始めに シュリ ガネーシャに礼拝します シュリ ガネーシャは 私達の内にある純真の源だからです ですから内にある 純真に礼拝します この純真は あなたに啓蒙を与えます 昨日お話ししたように 光は一般に純真で表されますが それは知識のない 純真さです しかしあなたの光の純真さには 知識が備わっています 人は知識ある者は 決して純真にはなれないと 素朴にはなれないと考えます 純真に対する 概念においても 純真な者は常に騙され 軽視されると考えます しかし純真は力です 守る力を与えます 知識の光を与えます 世俗的な意味で 知識は いかに人を利用し 騙し 金儲けをし 人をいかにからかうか 蔑むかを指します しかし純真の光は 愛が最も高いものであると 分からせます そしてそれは人をいかに愛し 気にかけ 優しくするかを教えます またあなたの内に 光をもたらします 世俗にあるアヴィッディヤとは 対称的です 外的なアヴィッディヤは 私達に 競争心やいかに人を 貶めるかを教えます そこに恐れや 不安があるからです この知識に安心感は 全くありません 安心感があれば そのようには振る舞いません 純真の光は 全てを知っています そこに恐れはありません “子どもは純真だ”と言うとき 純真の力を持っているということです 子どもが高い所から落ちても 助かったケースが多くあります 一方若者はさほど高くない所からでも 死ぬことがあります 子どもは落ちる恐怖心がなく ただ楽しみます パラシュートを 使っているかのようです そして落ちた後も 立ち上がって皆に微笑みます なぜ皆が心配しているか 理解できません その純真さの中で子どもは 世話され守られていることを知ります 自分より高次な力があると 感じています ですから心配しません しかし子どもに 様々な概念を植え付けると 子どもは純真の力を 失い始めます そして臆病になり ずる賢くなり 不道徳になります それでも 子どもの純真さは ある意味 無知の純真さと言えます 人生における危険を 知らないからです しかし純真の光は すべての危険を知っています どう取り除くかも知っています そのような者といかに 関わらないかも知っています ある賢い者が 階段を下りようとしていました そこへ下から愚か者が 上がろうとしていました 愚か者は劣等感があるゆえに 常に攻撃的です そこで愚か者は 一人しか通れないため ”馬鹿な者にゆずる気はない” と言いました すると賢い者は “私は馬鹿な者にゆずりますよ” と言い道を開けました このように純真の光は どこまで相手に踏み込むか どこまで話すか 相手の人格や問題に どこまで立ち入るか教えてくれます この者は相手が愚かな者だと理解し ”ゆずります”と言いました そのような者には 気にもかけません この純真の光は 分別を与えます どこまで踏み込むか 分かります “私は彼を愛しています” 相手に蹴られても 叩かれ 困らされても 取り憑かれても その者に 惚れ込む者がいます 自尊心もありません 世間的には 純真かもしれませんが その者は啓蒙も 純真もありません 啓蒙され 純真であるなら あなたの純真に力があります それはまずあなたに 分別を与えます 手にランプを 持っているとします すると持っている物が 蛇か紐か分かります ランプがなしには 見れません 蛇だと分かっても 逃げ出すか 愚か者なら “噛んでみてどうなるか様子をみよう” と言うかもしれません しかし啓蒙された者なら 蛇に”放っておいてください” と言うでしょう 蛇も理解して去るでしょう 邪悪な蛇なら ただ蛇を一瞥するだけで 蛇の方から 逃げ出すでしょう ですからこの純真の力は とても大切です それは啓蒙を通してのみ 得られます 人は始めは 無知で純真です 後に純真でも 無知でもなくなります 啓蒙もありません 両方の本質がなければ ずる賢くなります また無知ではなく 知識があり すべてに長けていて 知性や知識の豊富さゆえに 名声を得たとしても そのような者は 世間的な知識はありますが 純真さはありません そのような者は 思考をコントロールしようとします そして純真さが失われます 純真さは愚かさだと考え 純真さに敬意を払いません 人を巧みに操ろうとしたり 過激なことしたり 傷つけたり ひどいことを言います そのようなことに 脳は使われます 純真に戻れないからです 私達はそのような者を 好みません 彼らは”自分たちは優れていて 選ばれた者だ”と自讃し 同じ考えの者達と いようとします ですから無知に いわゆる知識が加わります 内側は完全に無知で 外側に知識があります そうなると内に 真実を求めようとしません 彼らの外側に いわゆる知識に満足するからです その状態で突き進めば 痛い目をみて ”内側が全くの暗闇だ” と気づきます 私達は太陽が輝く中 窓を密閉して生きることはできません 内側に光がないといけません 自分達は何者で 自分の力は何で どれくらい高められるか 人生の目標を どう達成させているかを 見ることができる光を 持たないといけません これらの光の啓蒙は あなたの内にヴァイブレーションとして チャイタンニャとして現れます チャイタンニャ自身が光です この光と普通の光には 違いがあります 普通の光は あなたの目に訴えるだけです 対象が石であるか木であるか 家か人間の顔かを教えます しかしその人が 良い者か悪い者か この家にヴァイブレーションが あるかないかは教えられません あなたに吉兆を与えません 吉兆感も教えられません 私達はガネーシャの 純真について話しますが それは私達に吉兆感を与え 私達自身を吉兆にします ですからチャイタンニャ自身が 啓蒙です それが持つ全ての知識を あなたに教えます いかに微細であるか 想像してみてください 大変微細な チャイタンニャが 知性を持ち 分別を持ち その者が良い者か 悪い者かを教えます 大変簡単に サハジャ ヨガで得ました 自身の複雑な仕組みに 何が起こったか気にもしないほどです それには知識があります その人が良い者か悪い者か 分かるだけでなく どのような問題を 抱えているかも分かります 普通の光は人の容姿や歩き方といった 一次元までの理解を与えます 人が何かを想像すれば “私はこう思う” と言います 内に流れるチャイタンニャによって あらゆるものを感じることができます それは全てに遍いていて 全ての分子に脈打っています そして私達に 全ての物質や動物 人間 全ての神格についての知識を与えます この光なしにあなたは私を 認識することはできませんでした どの神格も 認識できませんでした 人生における立ち位置や目標を 知ることもできませんでした 人生の目的や なぜここにいるのかもです あなたはここに金儲けのために 貯金したり 株を買うためにいるのですか あるいは家を買うため 妻に手の内で踊らされるため 妻に対して支配的になったり 子どもの成長に精を出すためですか チャイタンニャがはっきりと それは違うと教えるでしょう しかし これらに頓着するなら コレクティブな現象から 完全に切り離されてしまいます そしてこの光は消えます この光が繋がりを失うやいなや 光をもつことはできません ですからヴァイブレーションの繋がりが 強くないといけません 完全で 安定していないといけません 例えば不安定で 動く光があるとすると 物事を適切に 理解することができません ヴァイブレーションは 全てを知っていますが あなたがヴァイブレーションに 敬意を払わない道具でいるなら ヴァイブレーションで伝達ができない 不完全な道具でいるなら どう伝達するというのですか 子どもを外に 連れ出してください あまり無理しないように 子どもに短気になっては いけません 子どもが泣いているのは 何か欲しいのでしょう […]

Makar Sankranti Puja (India)

Makar Sankranti Puja. English part and Marathi part, Rahuri (India), 14 January 1987.
今日は太陽が 北回帰線へと 移動することを祝う日です 北回帰線は 地球の母性を象徴します 地球の母性です 北回帰線は 広範囲に渡りますが 南回帰線は そうではありません 広範囲において 大地に母性の本質の 異なった美しさを見せます 太陽が 新たな範囲へと移ります 私達は その変化を祝います 世界中に太陽の温かみが 行き渡るようにです 太陽の温かさは 神の愛の温かさを象徴します それ故 胡麻で作られた お菓子を食べて祝います 胡麻は熱を与えるからです この時期は 寒い季節から 暑い季節へ移るので 太陽の温かさに 身体を慣らすため 来たる暖かさや 太陽の温かさを象徴する 胡麻でできた 特別なお菓子を作ります インドは暑すぎますが 人々はこの時期を心待ちにし 温かい心で祝います この時期に 胡麻と砂糖を食べるのは 優しい口調で 話せるようにです “ゴッド ゴッドボラ”とは 優しい口調で話すという意味です 優しく話すことは とても大切です 中には乱暴に 話すことは賢明で 怒鳴るのは知性があるから と考える者もいますが 誰もそのような人は 好みません 例えその者が利口で 鋭く抜け目なくても テレビでそのような者を 見たいかもしれませんが 仲間や友達に なりたくありません 大変優しい口調で 話すことは 育ちの良さや良い文化背景や 神への畏怖の念を表します 神への畏怖の念を持つ者は 乱暴な話し方をしません 同じスピリットの輝きを 他者に見るからです 自分達と同じように 全能なる神によって創られた者に対して きつく当たったり 怒鳴ったりすることはありません 互いのこの愛深い 美しい関係を 特にサハジャ ヨギに なった後も 互いに優しく話すことで 表しましょう 優しくできる方法は たくさんあります ちょっとしたことに 優しさを添えることができます 尖った話し口調でなく 鋭い記憶力が必要です 私は何度もそれを 活かしてきました ある素晴らしい 行動力のある サハジャ ヨギがいました 車で一緒でした 彼は運転手か誰かに ナイフを盗まれ 大変怒っていました “貧しくて盗んだのでしょう 忘れなさい”と言いました 彼は“スイスの友人からの贈り物で 大切にしていました” “失くしてしまい 申し訳なく感じます”と言いました 私がスイスに行ったとき 同じナイフを買い 彼に渡すと 彼は言葉を失いました “昔の話しを なぜ覚えていたのですか” “どうやって 手に入れたのですか” “私は記憶力がいいのです それが問題なぐらいです” 記憶力があまりに良くて 相手を恥ずかしく思わせてしまうほどです 何であれ私は忘れません もちろんひどいことは忘れます 悪いことを覚えておくことや それを考えることはありません 許すことでいつも 悪いことは忘れられます 良いことを覚えているなら あなたの歓びは倍増します 悪いことを覚えておこうとすれば 歓びはなくなります 人と会う度にその人が あなたにした良いことを その人の良さを 思い出しなさい 良いことが記憶に残れば すばらしい時間を持てます 今日は皆さん インドに発つ日です 明後日出発する者もいます いずれにせよ あなた方の為に 歓びと幸せを与えるために 精一杯のことがなされました 帰国しても耳にしたことや 素晴らしかったことを覚えていてください 人々がいかにあなたを称賛し 愛し 親切であったか 素晴らしい出会いや経験を 覚えていてください 価値のないことを くよくよ考えてはいけません 人に不快なことを言われたり 言ったかもしれません 忘れなさい 人生を楽しむチャンスを 台無しにしていると理解しなさい 誰も傷ついていません たくさんの人との出会いがあり 結婚式があり 素晴らしい時間を持ちました どの瞬間も歓びとヴァイブレーションに 満ちていたと 幸せを感じなさい 中には悲しく思う者も いるでしょう 奥さんや旦那さんが 帰ってしまったりするからです 惨めに思う者がいるのも 見受けられます 良いことです 愛ゆえに互いへの思いや お互いを楽しんでいるからです 大変良いと思いますが いずれまた会うわけですし かけた言葉や楽しい思い出を 胸にハッピーでいなさい 時間は早く過ぎます サハジャ ヨガにいると 時間を忘れます そして また旦那さんや 奥さんと一緒になれます ですから悲しく 思うことはありません 笑顔でいなさい 彼らが出発するとき 涙を浮かべた顔ではいけません 希望ある確かな 勇気に満ちた顔で送りなさい すぐ会えます 悲しむことはありません 今日は全てを楽しみ 私達の周りにある 神の恩恵を感じる日です 太陽がその栄光において 戻ってきました 来たる年の成功を 望まないといけません マハラシュトラでは しばらく雨が降っていません 問題になっています 太陽に幸運を祈って 雨が降るよう 太陽のエネルギーで 必要なことがこの国にもたらされるよう 祈らないといけません 国に戻っても 太陽のように 輝かないといけません この国より暑くありませんし 温かさもないからです この国の人々が温かく 愛深いのは太陽の恵みです その太陽を持ち帰り 人々に愛情と温かさを与えなさい インドより持ち込まれたと 感じてもらいなさい どの国へ行こうと 太陽は明るく照らします インド人は太陽を持ちこむ という云われがあります 実際ポケットには 入りませんが ハートに入れて