Guru Puja, Sharddha Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Guru Puja. Cabella Ligure (Italy), 23 July 2000.
今日 私たちは グルの原理について 知るために 集まりました グルは 何をするでしょう グルはあなたが 持っているものが何であれ あなたの中にある 貴重なもの全てを あなたの知識のために 発見します 実際 全てがそこにあります 全てです 知識の全て スピリチュアリティの全て 歓びの全てが そこにあります あなたの内に 備わっています グルがする唯一のことは あなたの知識について あなた自身のスピリットについて 理解させることです 皆 自分自身の中に スピリットがあります 自分自身の中に スピリチュアリティがあります 外側から 得るものはありません この知識を得る前は 無知の中に 生きています 無知の状態では 内にある宝に 気づきもしません ですから あなたが何であるかを 教えるのがグルの仕事です それが第一段階です あなたは “自分のアイデンティティは” “幻影である この外観の世界にはない” と気付き始めます そして自分自身の中に 光を見出すようになります 十分な光を得る者もいれば 少しずつ得る者もいます 全ての宗教の真髄は 自分自身を知ることです 宗教の名の下で 戦う者たちに “あなたの宗教は” “自分自身が何であるか 教えてくれましたか” と尋ねるべきです 全ての宗教が 一つのことを言っているなら 自分を知るために これら全てをしなければいけません しかし 人々は 儀式に走ります 儀式をすることで 神に近づけると考えます 自分自身について 完全に無知のまま生きています 毎日 自己と全く 関係ないことをしています 祈りやプージャ このようなことが 続けられています 全て無知から来ます 彼らは人々の払い続ける お金で大変金持ちになり お金だけに 興味を持ちます 彼らはあなたのお金を 全て奪い あなたを愚かにします あなたのエゴを 甘やかします エゴを甘やかすことで あなたは 幻の大海に漂い始め 幻に溺れ 自分が大変宗教的で 神と繋がっていると思い込みます 神を知るには まず自分自身を知るべきです 自分を知らないで 神を知ることはできません 自分自身を知ること は不可決です しかし 自分自身を知る時 一部しか知ることができません 経験が 十分ではないからです 知識は出てくるものです グルが あなた自身についての 知識を与えます 照らし合わせなければいけません あなたのグルが 教えていることが何であれ 真実か真実でないか 正しいか正しくないか 幻かどうか 見極めなければなりません 上昇において 多くの問題が生じます まず第一に エゴの問題です 特に西洋では エゴが大きくなり 自分が偉大で 他者より秀でていて 何か特別である と考え始めます この無知は 世間的な無知より 大変危険だと思います なぜなら 世間的な無知は 間違ったことからの 結果を感じます あなたが 上昇の途中にいる時 自己について 無知な時 より高度な領域に 行こうとしている時 エゴを持ってはいけない と常に理解すべきです そこで内省が始まります 自分の何が間違っているのか 自分自身を見始めます 自分にエゴがあると分かれば 自分自身を見始められます 自分に何か欠けている 何か間違っていると 分かれば内省できます これは大変正直な 努力でないといけません サハジャ ヨガを 始めた頃は 自分が大変偉大で 内省は必要ないと 考える者がいます 自己に到達せずに 再び 無知の雲に覆われます ですから 自分自身何をしてきたか 自分が何であるか どれ程成長できたか 内省しなければいけません (今 通訳をしないでください 後でできます) (集中して 聞かないといけません) (理解できなかったとしても 効果はあります) そのような態度で望む者は 少しずつ変わります まず 非常に攻撃的で 短気で エゴが大きい者は 大変穏和で 柔和になります 恐れを持つ者 怖がる者 とても用心深い者は 恐れのない者になります この段階において 恐怖心はありません あなたは 自分が正しい道 正しい軌道にいる と確信します 容易に心を 乱されません しかし さらなる高みに 上昇しなければなりません 瞑想すると 自分の何が おかしいか気づきます あなたは セルフ リアリゼーションを得ました セルフ リアリゼーションの 恩恵を受けました 身体も健康で 数えきれない程の 恩恵を受けています 全て得ていますが あなたはさらに 成長しなければなりません サハジャ ヨガについての 全ての知識を 理解しなければなりません まずメンタルに 理解します そして どこまで正しいか 証明しないといけません どれほど理解したか どれほど 自分のものにできたか どれほど認識できているか 自分自身を 見始めると バクティ(献身)の領域に 入り始めます あなたは穏やかな者になり 優しい者になり あまりしゃべらず 誰も困らせません 大変感じよく 大変温和で 大変理解力の ある者になります 他者に対する あなたの振る舞いで 確かめないといけません アテンションを 自分から他者へ移し 自分が どう振る舞っているか見ます どれほど愛しているか あなたの 慈悲の程度はどれほどか 人を見返りなしに 愛せれば(愛だけです) その者に 完全に献身的で 従順です サレンダーといえる この愛があれば あなたはその者のために 何でもします これは愛そのものです サレンダーは 愛以外の何ものでもありません この愛は 大変歓びを与えます すると バクティ(献身)が始まり このバクティによって あなたは浄化されます あなたの 悪い面 あなたの持つ欠点 抱える問題を理解し 克服できます 同じような性質 同じような 問題を抱える者を見ると その者への愛から あなたは寛大に接しようとします その者への愛ゆえに 忍耐強くなろうとします そういう者は忍耐強いです 攻撃性はありません 許します リアライズ ソールは許し続けます 彼らの許す能力は 物凄いです 誰に対しても 悪意を持つことは全くありません いかなる怒りも持ちません 絶えず寛大に接し 許し そして許します この許しは いわゆる あなたのバクティの 美しい調べに過ぎません これらのマスターが持つ 許しの大きさは キリストの生き方に 見ることができます 聖人達は苦しめられ 十字に架けられました 人々は彼らを決して 好みませんでした ご存じのように彼らは 十字に架けられましたが 受け入れ 決して復讐しませんでした 慈悲に反することは 決してしません 彼らは 慈悲を持っていました その者に対して 慈悲を感じ “神よ 彼らを どうか許してください” “自分の行いが 解っていないのです” 大変 慈悲深いです 彼らの特質です 特質となり得た時 完全な 平穏を持ちます 彼らは全く乱されません 何が起ころうと 決して乱されず 神の意志だと信じます 如何なるものも 彼らを乱すことはできませんでした 献身を 楽しんでいました グルへの 神への献身です その献身で 美しい詩を詠い 踊り 歌いました 内に平穏を持ち 自分自身を 楽しんでいたからです 彼らが一人の時 決して孤独ではありませんでした 自分自身を 楽しんでいました 神と 一体であると知っていて 神の恩寵を 楽しんでいました 彼らは上辺だけのものに 惹かれません 決して心配したり 動揺したりせず 未来や過去を考えず 現在にいました 現在にいる時 彼らは完全に静寂の中にいます 何か問題が起こったり 彼らに何か起これば 彼らはすぐさま 思考のない状態になります それが 彼らの持つ能力です あなたはグルになるために その人格を備えないといけません 何かに囚われずにです 例を挙げましょう 私は決して急ぎません 時間をほとんど気にしません 一度アメリカで・・・ 神が計画を立てていると確信したなら 何も気にすることはありません 神聖が面倒を見ている時に 何を気にすることがありますか アメリカで子どもが 高いところから落ちてしまいました 私は丁度 出発するところでした その子は 腕を折ってしまいました 子どもを見て “治しましょう”と言いました 彼らは時間を気にしていましたが “いずれにしろ行きます”と答えて 30分程かけて治しました “では向かいましょう” と言うと 彼らは“間に合いません” と言います “私は決して遅れたことはありません さあ 行きましょう” 私たちが 飛行場へ着くと その飛行機は 故障していて NYではなく ワシントン行きが待っていました 実際 私はワシントンへ 行きたかったのです いかに色々なことが ワークアウトするか想像してみてください それを“サハジャ”と 呼んでいます サハジャに ワークアウトします つまり努力を 要しないということです しかし まず あなたの人格が 大変すばらしく 献身的でないといけません すると神聖が あなたの面倒を余儀なく見ます 神聖な力が あなたを取り巻き この力が あなたの安全を 完全に保証している と理解しなければなりません あなたが望む 全てにおいて言えます “マザー 貴女は とても力強いです” あなたが神聖な仕事に 完全に献身的であれば あなたも大変 力強くなれます あなたは 全ての力を備え 神聖はあなたが望む 必要な仕事 時間を与えてくれます 全てが 神聖によって与えられます この慈悲が 人から神へ 神聖へ あなたの グルへ広がるなら 生きることが とても楽になります シンプルになります 複雑でなくなります 全てが整い どんなことも 気にならないでしょう 目を閉じるだけで 全てがワークアウトします 全てがあなたの意志で あるかのようにワークアウトします あなたはそれを望むことも 考えることもありません ただワークアウトします 神が 全て面倒をみてくれます あなたの安らぎも健康も 全て面倒をみてくれます そして あなたが望んだり 願ったりすることなく 神聖は助けます 神聖が責任を持たなければいけない 人格を備えるからです 神聖はあなたに対して 特別な責任を持っています そして何があなたにとって良いか 悪いか知っています 多くありますが 一つ例を挙げます 例えば 誰かが 私に会いに来るとします “マザー 彼はとてもネガティブです 彼は決して来ません” “決して来ません” 様々なポジティブなことが 起こりますし ネガティブなことであれば あなたの慈悲を使うことができます ネガティブなことであれば 慈悲を使って問題を解決できます 自分自身の問題を 自分を取り巻く あなたの共同体の問題を 解決することができます 今あなたは リアリゼーションを得ています どれくらいあなたが 深くなったかは分かりません 多くの女性が 瞑想をしていないという 不満を耳にします そのような女性は 自分自身を大切にしていません リアライズ ソールではありません 多くの男性は “そのような女性は 役に立たないので離婚したい” と口にします その逆も言えます この問題の解決には 慈悲がないといけません あなたは 人生のパートナーを 慈悲でもって 勝ち取らなければなりません 男性は女性より 遥かに多忙ですが 女性は 他のことで忙しくします 家族や子どもの面倒を 見なければいけません そして そのような 日常的なことに気を取られ 瞑想する時間はありません しかし 瞑想なしに 上昇できません 瞑想しなければいけません 人は“リアリゼーションを得たので 大丈夫だ”と考えますが 毎日 瞑想しなければなりません その時浄化されるからです 浄化されることで 理解します あなたには何が必要で 必要でないか理解できます 浄化されます それは 神聖によって行われます あなたは宗教的に 瞑想しなければいけません 次第に瞑想が 深まっていくのが分かるでしょう あなたは 大変深くなります すると力が 現れ始めます あなたがどこにいようと ネガティビティは逃げ出します あらゆる問題も 解決されます あなたが望むものは 手に入ります あなたの望みが何であれ 人を助けるにしろ 人に与えるにしろ 叶えられます 私がお話していることは 私自身の経験です 毎日せめて十分 朝は五分ほど 瞑想しなければいけません 完全な献身と 崇拝の気持ちを持ってです バクティである献身 より高い献身である シュラッダを持つ者がいます それは あなたの一部になります あなたを完全に 包み込みます あなたが シュラッダを持つ時 多くの奇跡が起こるでしょう ある者は私を想うだけで 治りました だからといってシュラッダに 達していたことにはなりませんが シュラッダを 育まなければなりません では自然のスピリットの光 であるシュラッダを育むには どうしたらよいでしょう 人々は シュラッダを得ようと 努力しますが メンタルによって 育むことはできません 静かな瞑想によって 得られます 瞑想によってです・・・ 瞑想するよう 常に言っています 瞑想している者と していない者はすぐに分かります 私のプージャへ来て サハジャについて話し 人気を得るために 何かする人がいます 多くの者がそのようです 外へ出て人気を 得るために活動します 内側で自分自身に 向き合っていません 成長段階において 瞑想と内省によって 容易にそのレベルに到達できると理解し 励みに思わないといけません 内省することで 新たな理解の質を得られます 様々なものへの 解決策が見つかります リアライズ ソールである者が 持つ一つの特質です 他者の問題を 解決することもできます どのようにしたら 助かるか 提案できます するとシュラッダから 一種の兄弟愛が芽生えます あなたはサハジャの講演も することができますが シュラッダがない限り 上昇できません シュラッダは あなたの内にある一種の愛です それは燃えることのない 熱を帯びない 優しい炎のようです 冷たく 美しいそよ風のような感じで あなたに理解させます あなたは決して他の サハジャ ヨギの悪口を言いません 私はサハジャ ヨギを悪く言う者には 決して耳を傾けません 度を過ぎれば コレクティブにおける 不満であれば 少し気になり それについて リーダーに話します しかし ある者が 私のところに来て苦情を言えば その者に自分自身を 内省するように言います 人の粗を探すのは 人間にありがちな遊びです 自分の欠点は見ません 他者の欠点を見て 何の役に立つでしょう 他者の欠点を見ることは 自分の助けになりません 自分の欠点を 探すようにしなさい それは治すことのできる 助けることのできる ワークアウトさせることの できるものです 自分の欠点を探し それらを正すことは あなたの責任だと知るべきです ある者は自分の好みを 誇りにします “私はこれが好きです あれが好きです” しかし あなたのスピリットは 好みますか これが好き あれが好きでも あなたのスピリットはどうですか それを好みますか それを楽しみますか “これが好き あれが嫌い” と言い続けます 西洋ではよくあります 女性達が私のために 美しい絨毯をつくりました それはとても分厚く 歩くと少しバランスを崩しますが 愛でもって 彼女達がつくったことは 私を喜ばせ 幸せにしてくれました 私がどう感じているか 想像つかないでしょう この歓び この歓びの大海は あなたの中にあります それが現れると 些細なことは気になりません あなたに 美しさを与えます どう表現してよいか 分かりませんが あなたに霧雨が降るような 恩寵が 降り注ぐような感じです 人の愛に あなたは虜になります それを求めなくとも とても愛に溢れた 心優しい者と逢えば その関係に 真の友情を感じます サハジャ ヨギについて 悪く言うことは間違っています その者が犯した間違いを 皆に言うのは間違っています その者を助ける代わりに その者へのコレクティブな 嫌悪感をつくりだすことは間違っています 常に人は問題を抱えています 悪口を言うのではなく コレクティブで助けるべきです その者は 間違ったかもしれません しかし その者の悪口を言い始め “彼のこれは間違っている あれが間違っている”というなら あなたは サハジャ ヨギではありません 内省を通して自分の欠点を 見ることができるなら あなたはサハジャ ヨギです あなた方のほとんどは リアリゼーションを得ました 経験をしました しかし 中には知識を 得ていない者もいます 知識は 得なければいけません 知識が本当にそこにあるか 確かめないといけません アメリカの 国立衛生研究所NIHで サハジャ ヨガの試験を 試みました 医者が集まり その内の一人が進み出て “私のどこが悪いかヴァイブレーションで 教えてください”と言いました 女の子は“ハートに何か感じます” と答えました 彼は“当たっています” と答えました 彼は一カ月前に心臓の バイパス手術をしたばかりです 全く当たっていました 彼らを大変驚かせました 医者は誤診を するかもしれませんが これは人を診断する とても簡単な方法です ヴァイブレーションを 感じるだけです ですから彼らは 私たちに大変注目し 病院内でもサハジャ ヨガを 取り入れたいと望んでいます あなたは 自身で証明すべきです 自分自身を吟味し 自分自身について 何を得たか解るようにしなさい 例えば夫婦なら 妻が瞑想し 全て解っているとします 夫の何がおかしいのかも 知っています しかし 彼女は 夫には言いません 我慢します 不満をもらしません 何も要求しません ただ我慢します この忍耐こそ 彼女が彼より高い 人格であることを夫に納得させます 彼がどんな者であれ 次第に彼女が偉大な人格を 得ていると理解します 人には多くの欠点があります 特に西洋では 道徳的にあります 蛇にでも噛まれたかのような 人たちがいます 人々がしていることは 後進国の人間には 思いもよらないことです 発展は あらゆる放棄を だらしない気質を もたらしました 人々は自分が大変自由で 楽しめれば良いと思っています このような生き方は 良くありますが 自分自身を 判断してみてください あなたも このようなタイプですか 上昇において 高みにいる者ですか これは過程です 急に高みに 立てるわけではありません 時折 新しいサハジャ ヨギの者の方が 良い場合があります これは彼らがとても強い 望みを持っているためです 私たちは 何を求めていますか なぜ求めているか 理解すべきです なぜなら自分自身を知ることを 望んでいるからです なぜか 自分自身を知らないと いけないとわかっていました 今まで分からなかったので 求めます 真実の追求という 名の下で 私たちは様々なことを 間違ったことをしました しかし この求める気持ちは サハジャ ヨガに導きます そしてリアリゼーションを得ます クンダリーニを通して 容易に得られます クンダリーニはほとんどのことを ワークアウトさせます ある者は飲酒や喫煙を 一晩で止めました 一晩でです 私が止めるように 言ったわけではありません たった一晩で止めました そしてその者は “以前は自分の髪型にこだわり” “美容院で何時間もかけて 皆と違う髪型にしていました” “でも止めました” と言いました “あまり道徳的とは言えない 服を着ていましたが” “自分に敬意を払うようになり まともな服を着始めました” 全ての知識は あなたから来ます あなたの中に自然にあります 全て自分のものだからです あなたのグルが言うように あなたは導かれています グルの仕事は 人々を導くことです では この時点で 何が欠けているでしょう サハジャ ヨガにおいて何が 欠けているかお話ししなければいけません 大規模な災害が 多く起きています 災害は多様にあります 地震や洪水 大雨 川のように押し寄せる 泥水など 世界には 様々な災害が起きています ヨギは それらから救われます 疑いなく全てのヨギが 救われています しかし 救われることを どう理解しますか 知っていますか なぜこのような 災害が起きるのでしょう サハジャ ヨガが強固な コレクティブでないためです 強固にならなければいけません あらゆるところに 広まらないといけません 未だ会ったことのない人にまで 行き渡らないといけません 行き詰っているか 頑張りが少ないのでしょう 隅々まで広めなさい キリストの12人の弟子を ごらんなさい もちろん人々は誤った方向に 行ってしまいましたが 彼らの働きと 行いの徹底さを見るべきです 徹底的にしないのなら サハジャ ヨガを広めるための 完全な自己の奉仕がなければ コレクティブな問題は 解決しません あなたは日常や仕事や その他の生活に忙しくしています サハジャ ヨガでは構いません しかし アテンションをもっと 人生の この側面に置くべきです コレクティブのために何をしているか サハジャについて話しているか 広めているか 人々に伝えているか 一度 飛行機で 驚くことがありました 一人の女性が 私の隣に座りました とてもひどい ヴァイブレーションでした 私は自分にバンダンし “スピリチュアルなことを していますか”と尋ねました 彼女は バハイの名を挙げました “まあ大変” このような人が増えれば 大勢になってしまいます すると何が起きるでしょう 災害です 彼らは大変 ネガティブな者たちです 世界に善を もたらすことはありません いかに間違ったグルが 人々を引きつけて虜にし メッセージを広めているかをみると 大変なものです おかしな服を着て 道で歌う グルの賛美を歌う人々を見かけます 私たちはそのようなことを 願っていません もちろんあなたは 知識を持っています 疑いなくリアライズ ソールです しかしサハジャのために 何をしたかが大切です あなたは 広めないといけません 隅々までです 例えばバッジを付ければ “これは何ですか” と尋ねられるでしょう あなたは説明できます サハジャについて 話し始めることができます それ以外 話す必要はありません サハジャについて話し 広めないといけません それをしない限り コレクティブにはなれませんし コレクティブなナンセンスから来る 様々な災害が起きます あなたは多くのことから 助けられています 公害があったとしても ヨギに影響はありません 大地震が起きても ヨギは助かります しかし 全世界を 救うことはどうでしょう 災害は次々と起こります あなたに慈悲があるなら 災難に遭う者 大変な目に遭う者のことを 考えなければなりません もちろん私は多くの者を 治すことができますが コレクティブを強固にする 方法は分かりません ここには大勢います 各自 せめて百人に リアリゼーションを上げることができます あらゆるところへ行きなさい サハジャについて話しなさい 神の賛美を歌いなさい そうすれば 全世界は救われます 素晴らしい サティヤ ユガの到来は 数人を救うことではなく この母なる大地をも 救うことで来ます 母なる大地に住む人を 救わなければなりません とんでもないことをする者たちを テレビで見かけます 何を発言しているかも分からず 恥じらいなく話しています 後方には 何千という人もいます 彼らが愚かである というわけではありませんが 間違った道を望んでいる わけではありませんが これらの間違ったグルは 如何に人を魅了し 虜にし 話すかを心得ているようです サハジャ ヨギであれば ネガティブなヴァブレーションを 持つ者を見れば逃げ出します そのような 社会から逃げ出します 近づきません “ひどいヴァイブレーションです 要りません”と言えます あなたは勇気を持ち これらの場所に行って人と話し コレクティブにして いかなければいけません さもないとこの世界を 神の怒りから救うことはできません 疑いなく神は 怒りに満ちています 神はあなたを救うでしょうが 何のためでしょう 母なる大地を 救わなければなりません そのための準備と ワークアウトが必要です 機会があれば サハジャを広めなければいけません “マザーが来てくださればうまくいきます” と言いますが なぜですか あなただって私のようにできます 人に話すことができます 私は一人の人から 始めました 当時は 至るところ完全に暗闇でした シーカーはいなく ひどい人たちばかりでした しかしワークアウトして 光がもたらされました 一人でも多くのヨギを得られるのですから あなた方もできます あなたの態度 生き方の全てが 人に感銘を与えるでしょう 私たちの最終目標である 集合的意識に到達できるよう ワークアウトしなければいけません サハジャ ヨギだけでなく 皆のためです 起きている全ての災害 ひどいことが止むようにです 完全になくなると 確信しています あなたは常に救われるからです リアリゼーションを得た者 全てが救われます 私たちが間違ったことを 不道徳なことを 騙したり 他の者を抑圧したりするなら 私たちは 破壊の力となりえることを 率直に人々に 伝えてはどうですか でなければ 大規模な災害が起こり 責任を持つことになります あなたが 伝えようとすることは 組織体でもって 立ち向かうものでなく 人を納得させたり サハジャに連れてきたりする あなたの力によって 作用します あなたがグルとして 何をすべきか理解したと思います グルとして 多くのことがあります 昨日 登場した人物は 老子が師をどう描き いかに全てを超越していたか 表していました 彼らは混乱することも 嫉妬することもありません 軽率でもありません 全てを超越した 偉大な師です あなたも努力すれば グルになれます 到達しなければなりません 達成している者もいますが あなた方も慈悲と愛で 達成しなければなりません […]

Guru Puja, A Guru Should Be Humble And Wise (Nirmal Temple)

Guru Puja. Cabella Ligure (Italy), 20 July 1997.
今日のプージャは とても大切です あなたは 自分がリアリゼーションを得て 他人に与えるために必要な すべてを知っています もう知っているのです 大切なことで 与えようとしなければ 自分に信念もなく 自信や自尊心を 持てないでしょう 次に 与えたとしても 巻き込まれないことです 多くの人が 巻き込まれ過ぎです 誰かに与えると すごいことをした気になって 家族や親戚などに 働きかけます ご存知のように 親族だからといって リアリゼーションに近いとは 限りません 成長するにはコレクティブである 以外にありません 道場からはなれ 一人で 成長できると思っても不可能です サハジャ ヨガとは そういうものではありません 昔は別々に分かれて ヒマラヤに入り 数人だけがスピリチュアルな 成長のために選ばれました ここではそういう問題でなく コレクティブを どう育てるかという問題です それで コレクティブな人になり それを楽しみ そのために働き ともに生きるようになります そのような人は 新しい力を得ます 精妙で 浸透力がある あらゆるところに 入り込んでゆく力です それはコレクティブな気質を 持たないとできません 完全にコレクティブでないと サハジャ ヨガに必要な 高みは至れません 知っての通り 世界は問題だらけで 沈みかけているようです アメリカに行ったときは “ああ これは地獄です” と感じました 何の徳もなく 徳を信じようともせず 不徳を崇めるような そんな雰囲気に満ちていました 世界中で そのアメリカの影響がみられ 何も悪いことはない と思っています 何を言ったところで 耳を傾けることはありません 生活の根底から 崩れてきていることが見えていません 家族 社会 国中がです ひどく醜い不徳な性質が あたりに満ちていて そんな考えが どこからきたのか解りません 私が一つ一つあげる必要はありません ご存知でしょう あなた方は子供たちを救うためにも 指導者になる必要があります サハジャ ヨギだからと それについて話し 宣伝しても 相応の力があなたになければ 失敗に終わるでしょう では どうやってそれらの力を 内面で育てるかをみるべきです 言うのも気恥ずかしいことですが 師に対してきちんと振る舞うことです 教わったと思いますが 教わらずとも リアリゼーションを得ると 自発的に 自然に 謙虚な態度が出てきます それとともに 指導者に必要な 多くの性質を 身につけます 指導者と同じ地平に 自分が立っていると あなたに向かうものは ないでしょう なので指導者の位置より ずっと低い位置に立たねばなりません 私が怒らないのを 利用する者がいます 何度も“あの人たちを糾すべきです” と言われました “あなたと対等にしゃべっています” 私は“彼らは教訓を学びます” と言いましたが 学ばない者もいて 相変わらず私に対して 友達と話すかのように 振る舞う者がいます まずは完全な謙虚さです 極めて 謙虚でなければいけません 誰かと話すとき謙虚ですか 誰かについて考えるとき 謙虚ですか 家族に対しては 謙虚ですか 指導者であらんとするなら 謙虚さが最も大切です 謙虚の海に飛び込むべきです “謙虚だと利用されます” という者もいますが そんなことはありません あなたは常に守られていることを 忘れないでください パラマ・チャイタンニャが 世話をしています 頭で知っていても あなたは本当にそう信じていますか 本当に信じるなら 恐れないことです 心配せず 無意味な影響を 受けないことです “何が起るんだろう どうなるんだろう” と心配していると パラマ・チャイタンニャは あなたをそのままにします いかにそれが働くかを見なさい 自分がどう振る舞うか見なさい ちゃんとしないまま 自分を誇示すれば それなりの見返りがきます 私が何かするのでなく パラマ・チャイタンニャが教訓を与えます あなたは 今のようではいけなかったと そもそも何故 我々は サハジャ ヨガにきたのか 根本から初めなさい 私たちがサハジャ ヨガに来たのは 究極の真理を知りたいからです そしてヴァイブレーションを通して 知ることができました 何が絶対的な真理かを 知ることができました その真理にそって働くべきです あなたが感じる絶対的真理に 従わないといけません 残念にも 自分のヴァイブレーションを過信して 自分が感じているヴァイブレーションが 最高だと思っている人がいます それは正すのが 難しいポイントです エゴから来ます エゴがあると 自分の間違いに気づきません ヴァイブレーションが 何か示唆していても 自己からでなく エゴからきています エゴが自分を甘やかして 本来なら“こんなこと するんじゃなかった”とか “私は間違っている”と 気づかずにいるのです このプロセスでは 自分が“精妙になっているか” “粗野になっているか” 観察するのが一番です 些細なことで いつもヴァイブレーションを チェックしている人もいます 木や花 土地などの 物質的なことを チェックします でも何のために しているのでしょう 物質的な利益のためです ヴァイブレーションさえ チェックすれば 安全で 損失を被らないと 考えるのです そうではありません ヴァイブレーションは 世事のためではありません ヴァイブレーションをおとしめる事を するべきでありません ヴァイブレーションが害になる事を 示唆することさえあるのです ある人にある場所に行くよう頼んだら 彼は“行きませんでした” “何故?”と訊くと “ヴァイブレーションが悪かったからです”と “ヴァイブレーションが良かったら 行く必要ありません” “だからあなたに頼んだのに” “ヴァイブレーションが 悪いからといって” “行きたがらなかったなんて” 結局 楽で 快適な生活をしたいのです サハジャ ヨガによる解決を期待し 叶わないなら役に立たないと考えます どんな望みでも 叶えたいのです それらの望みは 個人的なものです “子供が具合悪いので 良くなって欲しい” “夫の態度が良くないので 良くしたい”とか “家がないので欲しい”と いつも気が散っていて 未だにいわゆる 消費マインドでいます “女の子でなく男の子が良い”と言い 娘が生まれると サハジャ ヨガのせいにしたりします 望み通りにはならないのは サハジャ ヨガのせいだと 更には サハジャ ヨガのせいで 苦しんでいると考えます または信念が弱まったり ぶれたりします 深く根付いていれば “何があろうとサハジャ ヨギでいる” というでしょう 誰かが亡くなったとして といっても サハジャ ヨガでは難しい事で パラマ・チャイタンニャが許さない限り 死のうとしても死ねません ですが 仮に 誰か自殺しようとしても その望みが叶うとは 限りません 叶わないからといって 機嫌を損ね “何がいけないの?” と考えます でも あなたの望みは 神の望みでなく パラマ・チャイタンニャが それなのです 私がアメリカに行ったときに ネガティヴィティに攻撃され 困らせられました この間ずっと いわゆる苦しみと痛みを味わいましたが それはこの頭の悪いアメリカ人が 育つ為にどれほどの尽力が必要か それを かの地のヨギに 見せるためだったのです お金を搾り取られて どれほど彼らが 愚かで馬鹿げているか 多くの者が私に “マザー 例えば あなたが300ドルでもとれば” “何千人もの弟子が 出来るでしょう”と告げました 私は“そんな人たちは 私の弟子ではない” “お金をとるなら 価値あるものを あたえるだろうと考えるなら” “彼らは完全に馬鹿です” と答えました サハジャ ヨガは 金銭で買うことができません この第一の原理を 彼らは理解できません 大半の者がリアリゼーションは 無料で得られると 理解しません ある裕福なグジャラート人が ニュージャージーで サハジャ ヨギに聞きました “どうして こんなに簡単なんですか?” “これは難しい事だと 教典に書いてあります” “リアリゼーションを得るのは 極めて困難だと” “なのにどうやってそんなに 簡単に与えられるのですか”と 誰も答えられませんでしたが こう言うべきだったのです 確かに難しく 多くには 与えられないと言われていますが 現にできる人がいます ならば どうやっているか 考えてみるべきです この種の馬鹿げた質問が多く 今も続いています 丁寧に伝える必要があります “でも それなりの人でないと・・・” そんな訳で彼らはお金を払い 自らを愚弄するのです “私にはグルが3人いる” “私には7人いる” どんな状況なんでしょう 彼らは極めて愚かで サンスクリットで ムールと呼びます 頭のない人はリアリゼーションを 得られませんので諦めなさい 口論しようとするなら 諦めなさい そんな権利はありません リアリゼーションを 得る権利はありますが 馬鹿げた質問をして 論争する権利はありません あなた方も指導者としての 自分の威厳を保つことを 忘れない事です 自分が指導者と知ったなら おどけてばかりではいけません 威厳ある態度と同時に 楽しみを与える人格 イライラする事もなく 何か特別なものを 感じさせる人格になります では どうやって そのような人格を持つか 西洋では エゴが最大の問題で 東洋では スーパーエゴが問題です このエゴのあれこれは どこから来たのか解りませんが 自分のエゴを見せびらかします 例えば アメリカでは驚くことに 人種差別の問題があります 黒人と白人間で 差別があるのです 肌の色は 神が与えたもので 皆が同じだったら 軍隊のように見えます 多様性があるべきで 自己表現や表情にも 違いがあるべきです それぞれが 固有の表現を持っていないと 皆が同じでは この世界は何の面白みもなく つまらないものに なってしまうでしょう ですが 人々の心に どれほどの差別心が入り込んだかに 驚かされました あなた方は指導者として 断固として差別に反対すべきです 簡単に解ることは 男性 女性として 更には母親としても 白人が最も 残酷になりうる一方で 優しく寛容な黒人が いることです 肌の色と気質は 対応しないということです ですが 黒人は 差別されたことに反応しがちです その仕方が粗野であったり 残酷になりがちなのです でも この種の間違った 人に対する態度には 動物だって 我慢できないでしょう ならば人に対して そのような態度を見せるなら その人は サハジャ ヨギに値しません そのような 肌が白いとか 黒いという意識をもつ人は サハジャ ヨガで 指導者にはなれません インドのカースト制度も 同様に酷いものです 何の理屈も基盤もなく 身分の上下を 信じる者がいます どんなカーストの者でも 最悪の行いをする可能性があり そこに境界線は存在しません 最下位のカーストから 偉大な詩人や スーフィが輩出されました カーストは人為的です 人為的なものは 私たちに合いません 結局は大変破壊的な事態を 呼びこみます 憎しみは憎しみを呼び 増殖していきます 憎しみを心から取り除けないなら サハジャ ヨギではありません これらすべてが コンディショニングです 白人家庭に生まれれば 白人だし クリスチャン家庭に生まれれば クリスチャンだし ユダヤの家庭に生まれれば ユダヤ教徒です ただ そのように 産まれてきただけです それが身分の高低に つながるでしょうか これらすべての人間の問題は 意味のない優越感に対する 人のこだわりのためで 共通意識によってのみ 変えることが出来ます 例えば 道場でも様々な人種の人が 平等な権利を 相互理解と愛を持って 暮らしています それがないなら 道場(アシュラム)とは言えません かつて “ハーレムで講演をして もらえませんか”と頼まれました “もちろん” と答えましたが “ハーレムがどんなところか ご存知ですか”と言うのです “知っています 害はありません” そのヨギ達は “黒人がいて・・・”と “私も黒人です” 私は黒人とも 白人とも呼ばれますが このような人間に対する 馬鹿げた考えを浄化してくれるのが 愛なのです 白人 黒人と差別すること自体が 人を見る目がない証拠です 深みと博愛があれば そんな表面的なことは 目に入りません 今日は指導者の 偉大さを祝す日です 彼らがどうだったか見なさい インド内外にスーフィなど 多くが存在しました 彼らは白人 黒人などの 人種による差別を 信じませんでした キリストも白人黒人の区別を 信じませんでしたし ブッダも同様です だれもこのような 人為的な問題を 信じませんでした このような人為的な考えが リアリゼーションの後でさえ受け入れられ 私がその対処に追われます それは言葉でなく 行動することで取り除けます どうなくしていくか見てみなさい 簡単です 瞑想をして 自分が何人を愛しているか そして何故なのか 哀れみでなく 愛をどれだけ持っているかを 見てみなさい 中には 美しい例もありますが 捨てるべき固定観念が まだあります サハジャ ヨガで指導者なら とても大切なことです 心が清浄で 開かれていて 愛情深く パラマ・チャイタンニャの旋律を 奏でるべきです まだ人為的な考えで満たされているなら 何が起るかわかりません 心臓移植でさえ 人工物でなく 本物を使う必要があります なので人工的な おかしな考えを 採用すればどんなことになるか 差別的で コレクティヴィティ(集合性)を 与えることはないでしょう 内省が必要です 私たちは一つですか? それともお互いを 裁き合っていますか? この裁きも多く見られます こういったことは ともに生活をして初めて気づくもので さもなくば気づきません 共同生活をして初めて 自らに足りないことを悟るのです 何があって 何がないのか 愛に満ちたハートは 非常に穏やかで あらゆる瞬間が 愛の契機であり 喜びを与えるものです シュリ ラーマのお話があります ベールと呼ばれる 果物を食べる際に ある老女が愛情から その果物に口をつけて試食しました 最高位の王である シュリ ラーマに対して この老女は 最低の位でありながら 愛をもって 果物を試食した上で おもてなしをしたところ 彼はそれを賞賛したのです 彼の妻も“私にも下さい” と言いました が 弟はまだ そこまで成熟しておらず 腹を立てます そこに彼女が “本当においしいですよ”と言うと “じゃあ 下さい”と 彼女は“どうして? 怒っていたじゃないですか” “あなたにあげることないですよ” と言います どれほど心が清らかで 愛情があるか 崇高で 非凡な人格かによって 指導者としてのあなたのレベルが 判断されることが示されています これは完全に自然なもので 人為的に組み込めないものです なんであれ 自然にするべきです 共同生活や 言動の中でのわざとらしさは 問題をうみます ニューヨークのアシュラムには とても細かく 厳しい女性がいました スプーンやフォークの位置や 他の何にも細かくて 多くの人を傷つけるのです サハジャ ヨガでは あなたが指導者になったら これらの文化的タブーは 重要ではありません 指導者はどこでも寝起きできて いつ何でも食べられる そうあるべきです しかし サハジャ ヨガでは 食事が出されると すぐ食べたがる人が沢山いるようです 一度食事を出された時 すぐにお皿を持っていかれたことがあります “どうしたんですか”と言うと “マザーまだ食べていないんですか” “触ってすらいないですよ”と 空腹というのは 最低レベルの欲求です 指導者はそれに頓着しません 得られても 得られなくても大丈夫です エゴを消して 与えられずとも気にしない そんな意識を持つべきです 人より少し遅く出されただけでも 傷ついたりします そんな様々なおかしなことが サハジャ ヨガでは見られます これは最低レベルの欲求で 真の指導者になりたいなら 頓着すべきでありません もちろん 麻薬とか 飲酒をしないなどの問題は もう解決されました それは恩恵です もしそこから始めるとしたら あなたを引っ張り上げるのに どれほど深くまで行く必要が あるかわかりません それは良いとして 皆の注目に値する 美しい生活のため 話し方 振る舞い方 愛し方を 学ぶ必要があります 指導者の権威は 愛を通さずして得られません 例えば 10人で劇をするとして 同じ国や 同じグループの人が 集まっても 面白くありません 音楽のグループにしても 同じ身分や 同じ宗教 同じ学校でやろうとするなら まだ至らない証拠です 指導者であるなら あらゆる文化 あらゆる美を好み 生活に取り入れられるべきです 人種や地位 階級意識で 誰かを 見下すべきでありません 指導者や聖者は 皆そうでした トゥカラマも “神よ 私をシドュールカーストにして 下さり感謝します” と言いましたが 実際は違いました 出自や人格に 常にこだわらないようにしなさい 誰が聖者で誰が違うか わからないくらいが良いのです 聖者であることで 高慢になるものさえいます アメリカ在住のロシア人が とても際立っていることに 驚きました 私に対して目を上げずに 伏し目がちで 深い人々でした ヴァイブレーションが とても深かったのです 共産主義で抑圧されてきて アメリカで 自由というものを見て その無意味さを 悟ったのでしょうか 両極端を知って 自身の深奥に触れ 強さと団結力を持っています 始めて会った時に驚きました ロシアから訪問しているのでなく 現地の人です 何故かと言うと 彼らの頭に 宗教がなかったからです どの宗教も彼らには同じで どれにも 追従していませんでした 宗教も人為的なものなので 指導者は 何の宗教にも属しません 宗教は世界中に問題をもたらし お互いに争っています 彼らは 聖なる存在ではありません 宗教の偏見に 巻き込まれないようにするべきです サハジャ ヨガでもクリスチャンなら そのように見えるので分かります ユダヤ教徒も分かります 何のために サハジャ ヨガに来ているのでしょうか 注意が内面に向けば 見つかるはずです どこが間違いか 指導者として何故成功できないか 自己分析するべきです 指導者としての成功とは 時間に惑わされないことです どの時間も聖なる時間で 誰かが遅れたり早くても 気にしません 時間や時計に隷従しません 300年前なら時計すらなく 誰も時間に 捕われなかったでしょう 第1に 彼は時間を超越している “カラティス”と言われます “グナティス”とは左右 あるいは中央のどこにも属さず それら3つのグナを 超越していて “全てを聖なる光のもとに見る” と言う意味です 良いことであろうと 悪いことであろうと全てに “聖なる光の働きです”と 全てをそこに帰するでしょう グナを超越しています 例えば 誰かが ライトサイドでエゴがあれば “こうしたかったのに どうして 上手くいかなかった”と挑戦します レフトサイドの人は 泣き出して “こんなことが起るなんて” と言ったりします センターの人でも “ヴァイブレーションが足りなかったのか” “なぜ分からなかったのだろう” と考えたりします ですが本物の指導者は “それは起るべきして起った” と言うのです 教訓は何でしょう 間違っていた 正しくなかったと分かるだけです 色々考えて 頭を使わないことです それだけに気をつけて 他のことは気にも留めません こうしてグナを超え どこでも寝食でき 生活できるのです 車でも牛車でも移動できます もらう花輪がみすぼらしくても 侮辱されたとは感じません 彼は何にも 影響を受けないのです 贈り物がシンプルであろうと 何もなかろうと気にしません あなたの目ではなく 自分の目を通して 自分を評価し楽しむのです 何かにしがみついたり こだわる必要が どこにあるでしょう 上手くいかないなら いくまで待てば良いだけです どうしたというのでしょう サハジャ ヨガでは指導者は 人を結びつけなければいけません その一方で 関係を壊し続ける人もいます そういう人は 文句ばかりいっています でも 優しく人を結びつけることが 出来る人もいます 許さなければいけないとかではなく 自然と出来るのです とても自然で そんな人に人は惹き付けられます アメリカでサハジャ ヨギが 少ないので驚きました 5万ドル使って 50人が来たというので 一人あたり千ドルです 非常に効率が悪いですが 希望を持たないといけません 多くの探求者がいて 道に迷っているからです 回り道のようなもので 馬鹿をやって初めて 分かるようになるかもしれません 先日の講演では 4000人の人が訪れました 米国では かつてなかったことです “こんなに人が集まったことは ありません”と言われましたが それでも多いとは言えません が リアリゼーションは得ました なので アメリカでさえも 徐々に育つでしょう サハジャ ヨギ達は自分の住居や 生活の心配だけでなく 外に出て行くべきです 余裕のあるものは アメリカに行き 働くと良いと思います 部外者が来てサハジャの話をすれば 興味を持たれるかもしれません 偽の指導者が数えきれないほどいて 受け入れられています 驚くことに お金や全てを失い 辛酸をなめても 受け入れてしまうのです “彼は私たちの師ですから”と 何を期待すべきか理解できない点で 何かおかしいのです 私は一冊 本を書いたところですが あなた方も経験やら何かを 出版できるでしょう それが人々が目を覚ます 助けになるかもしれません 何を書くにしても あなたのサハジャ ヨガの性質を表しなさい 人を傷つけてしまうとか 貶めてしまうとか気にせずに 人々を正し 助けるようにしなさい 指導者にとって 自身を勘違いしないことが重要です 貧しい あるいは豊かな家族の 出身であるなど意識しないことです ひとたびそこに至れば 指導者なのです 職人だったカビーラや トゥルシダのように インドでは低位の カーストとされていますが 美しい詩をかきました ナーマデヴァは仕立て屋でした 皆が同じ真理を 大変美しく詠いました どうして出来たのかといえば 皆 偉大なるスピリチュアリティの 領域に入ったからです あなた方も 美しい詩を詠みますが 良い詩を詠める反面 頑固で自己中心的な人もいます 美しい詩を詠めるのに エゴで一杯というのは理解できません だとしたらこの詩は 何に由来するか怪しいものです まずは自分です 人々に“本物の指導者に出会った” と言わしめるべきです その為に家族や何かを 放棄する必要はありません エゴを放棄するのです まだあるなら 何と言うべきか分かりませんが 完全にエゴを 集合的にも取り除くべきです 人々は密かにエゴを内に秘めていて 急にそれが出現します そのような精妙で 無意味な病理に耽っています このグルプージャに際し 真剣にとても一生懸命 働くように言わねばなりません 最も大切なのは どれほどあなたが時間を 人生を サハジャ ヨガに捧げたかです それで初めて あなたは指導者になります 私を見なさい ただの主婦で 家族に責任があり 問題もあります にも拘らず 常にサハジャ ヨガと サハジャ ヨギのことを気にかけていて 世界中の人類の覚醒に 心砕いています 身の回りだけでなく 世界中のです あなたのヴィジョンも拡げなさい 自分の学校や大学など 身の回りから より広いヴィジョンを抱き あらゆる問題や状況に 働きかけるべきです ひとたび そのような人格に至れば 多くの人を 助けられることに驚くでしょう ここにはそんな称賛に値する ヨギ達がいます 彼らは私を愛していて 私も愛しています ただ 指導者になるにあたって 自分を指導者だと思わないことが大切です 自分がもう指導者だと 考えるべきではありません そう考えたとたんに “ザ・指導者”と言うエゴが出てきます “自分は何でもない” “母の胸の小さなさざ波です” と思うことです そのような謙虚さを身につけると 全てが上手く働き出すでしょう あなたの振る舞い 意識に 人が啓発されるからで 他はあり得ません 何を試そうと あなた以外にサハジャ ヨガを 推進する者はいません 良き指導者については まだまだ言うべきことがありますが 次回にお話しすることにします ありがとうございました […]

Guru Puja, Gravity of Guruship Annapurna Atiram Aparthotel, Ansalonga (Andorra)

Guru Puja, “Gravity of Guruship”. Andorra (Europe), 31 July 1988.
今日は皆さん グルの崇拝の ために集まりました ご存知のように グルの原理はヴォイドにあります この原理がバランスと 重力をあなたに与えます 地球の重力が あなたのグルの原理によって 表現されています 重力に関して まず あなた方は 世俗に飲み込まれず 小競りあいに囚われない人格や 気質を示すべきです 自らの深みにいる グルの人格は たやすく飲み込まれる ことがありません これがグルの第一の性質 重力です お伝えしたように 何にも飲み込まれない性質です あなたの人格の 深くに位置取り 水面に浮かぶこともありません 先進国の人は 個人に強い力があると 考えがちです 個人が自由を謳歌することが 民主国家の目的になり 集合性が 見過ごされています もちろん個人は大事ですが コレクティブに寄与する必要があります しかし 重みがなく 表面を漂っているようでは 簡単に流されてしまいます だからファッションに 流される人がいるのです ファッションには知恵にも 健康にも合理的でありません 人格的成長や健康に 良いファッションはありません 時に変で 愚かに見えます すると人は “愚かで何が悪い” “バカになる事の何が悪い” といいます 個人の自由ですが 人格は育ちません 人格的にゼロで 空っぽです 自分で何も決められません 流行っていれば 何にでも従います これは西側の状況ですが インドような国でも ある狂った傾向が見られます 彼らも豊かさというものを 経験しなければならないからです 他人の芝を見て 彼らもやはりするでしょう 自分が得をするためには 何でもするでしょう あなた方が ファッションに惹かれたように 物質主義に陥るでしょう 個人主義は ある程度までは良いですが 度を越すとおかしくなります 特に西側では 人格が未熟なので 簡単に商売人に 騙されてしまいます 例えば愚かな人がポイズン(毒)という 名を使いはじめると 皆がポイズンを買うのが 良いことだとなります 愚かな者がある名を使うと 皆がそれを買いだすのです 特別なものではありません 何も特別でないのに 注目されます それであなたが 偉くなるわけではありません 有名ブランドというだけで 皆が買います “ああ あのブランドですね”と 非常におかしなことです そして髪型や足 首 爪 眉毛などの スタイルも流行ります 重みがないので どんな馬鹿げたことでも 自分の身体にしてしまうのです 重みがある人は そんなことはしません まず それに合理性があるかを 吟味します ただ変化のためなら おかしな流行なので流されません 水面に漂う藁のように流されないことが 人の重みを示しています 流されず 深い理解の海の真珠の ようにとどまります 今日ここに来ている皆さんは 自分の内なるグルを崇拝し まずは気質における重みが 必要なことを理解しなさい そのために大学教育は 必要ありません 読書や何かも必要ありません 自分の価値観を 正すだけです 価値観が正されると 何が社会に良いか理解します 何が自分に良いかもです 例えば 蓮の花は 泥や汚れを出しません バラのような 良い香りを常に放ちます 香りだけを放ち 汚いものは出しません 重みを獲得して 自分がグルと思うなら 醜悪なものを愛でたり 書いたりすることがないでしょう これが第二の点 価値観です まずは吉兆さを理解し 聖なる美や 精神のモラルを理解しなさい これら三つを悟り 身につけることで 人々が“あの人は重みがあって ある美しさがある”と気づくべきです 内面が変わると 外に現れます そのような落ち着きのある人は 落ち着いた格好をします 誰かを魅了しようと着飾ったり 自分を見せびらかしたりしません 自分の体を 尊重するために着ます 口を開くと知恵を語ります つまらない 下品で役立たずな話はしません 何かをするときは 品位と礼節があります 専門家になろうとする 人のようにです グルを崇拝する人は 仕事においても専門家になろうとします 例えばエンジニアのように お金や名声 他人の賛辞には無関心です 関心があるのは 対象を本当に理解できるかどうかです 凡庸ではないでしょう 音楽家は完全に音楽家で 芸術家は完全に芸術家で なければいけません 一般的なやり方で 上達しようとはせず スピリットの導きによって 向上しようとします 詩人なら スピリットの次元で 向上しようとし 商業的な成功は 望みません 凡人は多数派に娯楽を 与えようとするものです 社会の役に立たない低俗な本を売り 売名することに恥を感じません グルの持つ 価値観というより 彼のライフスタイルや言説 態度により表現されたことに 人は重力のように 惹きつけられるのです その結果 バランスの 価値体系が蓄積されます 何かの専門家になることは 別の面をおなざりにすることではないのです バランスです 例えば音楽家が絵画を理解しなければ そもそも芸術家ではありません あなたが芸術家で まだサハジャ ヨガを理解しなければ あなたはヨギではありません スピリットの核心から始めると 全ての知識が統合され 表現されることに驚くでしょう あらゆる意味で どんなことにもエキスパートになります 何を聞かれても あなたは何でも知っています ですが 価値の優劣を わきまえなさい 大切なことを 理解しようとしなさい お酒の種類とか 価値の無いものに 関する知識を手放すのです そこで上達しようとしないことです カーペットの種類の専門家に なろうとも思わないでしょう サリーやカメラの種類の知識も 知りたくないでしょう 知っていても良いですが 知らないことを気にすることではありません 人格における重みこそが 大切と分かってくるでしょう シンプルに言えば 吉兆さが解るようになるということです 吉兆とは何でしょう フェアプレイについては ご存知ですね 他者に対するフェアプレイとは 何でしょう 神の目における正義とは何かが 分かってきます あなたのクンダリーニを引き上げる 聖なる音楽を知るでしょう つまり重みによって あなたは分別を得るのです 何が人格で 何があなたを取り巻く 水気なのか解ります どう分別を弁えればよいか 分別の感覚は 内なるグルの原理から来ます しかし グルの原理が おかしな状態になることもあります 偽りの指導者を 信奉して本を読み 理論や教義にかぶれると おかしくなります その結果 頭部の エカデシャ・ルドラが増大します また 生活の一方だけに 自分を投影して 働き過ぎたりなど 極端な性格だと 心身やスピリットの問題が グルの原理に影響し エカデシャ・ルドラによって 破滅が始まります いかにグルの原理が 大切であるか 殆どの病気は この原理に反した結果 エカデシャ・ルドラのレベルまで その悪影響が至った結果なのです リアライズド・ソールとして あなた方はブラマナディを通過し サハスララを抜けて これら全てを超越しました しかし だからといって 例の重力を獲得したことにはなりません あなたはある意識を 既に獲得したのです 花を水面におけば 浮かびますが 花は熟せば実になり それは浮かばず 沈んで 水に溶けることもありません 同一性を保ちます それこそがあなたがなるべき者です サハジャ ヨガの果実になるべきです 花咲く季節は終わり あなたが果実になり 人々はあなた方には バランスの悪さがないと思うべきです あなた方は特別な重みを 持っているのです なのでサハジャ ヨガの プログラムで 決して子どもじみたり 馬鹿げた振る舞いをすべきではありません 私の前に座ってクンダリーニを 上げる人がいました 馬鹿げています バンダンするのも 馬鹿げています サハジャ ヨガに 来たあとでも 馬鹿げた重みのない 振る舞いをすることはありえます サハジャ ヨガに来て まだ以前のように振舞っているなら もっと成熟した実に ならなければなりません それこそがあなたがグルの原理を 獲得したしるしです 母なる地球の重力を 知ることが大切です 高速で回転しながらも いかに彼女は聖なる愛で私達を 美しく抱きかかえているか分かります 大きな山々を見ると それらは偉大な聖者が座して 瞑想にふけっているようです 海から放たれるグルの原理を つかめるのは彼らだけなのです ご存知の通り 海がグルの原理ですが それをつかめるのは とても高い山々なのです つまりあなた方は重みがありつつも 高い水準を保っています なので誘惑や人を惑わすような 馬鹿げた考えを超越しています 歴史上の偉人のように 他の皆より高く強く立っています かつて存在した 10人のグルの名を教えました アディナス 孔子 ソクラテス 後にアブラハム モーゼからサイナスまで 10人ほど存在しました 今日ここに 沢山のグルが座っています 皆さんはグルで そのように振る舞い 働くべきです 今日 自身の中にこの重みと理解を どう発展させられるかをみるべきです この平穏が あなたの中に宿れば サハジャ ヨギになる喜びが真にわかり 皆が楽しめることでしょう 神の恩恵がありますよう […]

Guru Puja, The State of Guru Grand Hotel Leysin (Leysin American Schools), Leysin (Switzerland)

Guru Puja, Leysin (Switzerland), 14 July 1984.
世界中のサハジャヨギに 敬礼いたします グルプージャのために 皆がたくさん集まったのを見て とても嬉しく思います グルを直接崇拝できることは 最高の恩恵とみなされます 私の場合はとても特別で 母でありながら グルでもあります あなたはシュリ ガネーシャが いかに母を崇拝したかわかりますね あなた方も皆 シュリ ガネーシャと 同じように産まれたのですが 彼は母を敬い その後最初のグル アディグルになりました 彼こそがマスタリー(修得) の本源です 母だけが 子供を達人にできます 男性であれ女性であれ グルの中の母性が 弟子を 指導者へと育てるのです まずあなたは母性を 自身の中に育むことで預言者となり その上で他者をも 預言者にしていきます ではグルになるために リアリゼーションの後に 何をなすべきでしょう グルとは 重力を意味します 重力とは 重く 深く 惹きつける人という意味です 御存知の通り サハジャ ヨガでは リアリゼーションは 全く努力なしに起こります 普通グルは弟子を 努力なしの状態 何もすることなく プラヤトゥナ シェティリャとなり クンダリーニが上昇しました プラヤトゥナ シェティリャ 「努力を緩める」ようにします そして第2の段階 ヴィチャラ シェティリャ 無思考の状態があります これも何もせずに 得ることが出来ました 第3は思考の完全な否定 アバーヴァ 平穏の恵みです この3つの段階の必要性を 理解する必要があります まず リアリゼーションを得るときは 当面全て自発的に得られます 誰かのクンダリーニを上げるのも 自然に起こります 今やあなたも 人々のクンダリーニを上げ 確立する力を持っています ですがヴィチャラ シェティリャを もってされるべきことを理解しなさい なぜなら 思考を投影すると リアリティではなく 人為的になるからです 思考は常に あなたと現実の間に立ちます 努力をすることで体現することに 反することになります 例えば 私があなたを癒やすなら 手をかざせばそれで終わりです 私はそういう存在なので 努力がありません あなたがリアリゼーションを得たのも 私がそういう存在だからです 私は努力して考えたりしません 私はそうあるだけです 誰かを見るだけで そうなります 誰かに注意をするだけで そうなります 少し願うだけで そうなります あなたがそうだから 自分の好きなようにできます 金に例えることができます 金は錆びません 錆びないように考えることも 努力することもなく 錆びません なので そうであるために 努力は要りません 努力がいるなら あなたはまだそれに なっていないということです 太陽も輝こうと 努力することもなく輝きます なので何かになろうと努力しているなら あなたは造りものです 花は美しいので 自らを飾る必要がありません 理解しなさい あなたの内面がそうであれば 努力する必要があるでしょうか ですが 私がそう言うと 無為なグルになって 無気力でいればよいと 考えたりします だから段階があると はじめに言ったのです さて 初めの段階は シュリ ガネーシャで 母に帰依すること これが始まりです 帰依するというのは 何もしないことではなく 高次の存在を敬い 従うということです 反応したり 言い返したりせずに 受け入れるということです 母親の母乳を子どもが 無条件に吸収するようにです なのでキリストは 「子どもようであれ」と言いました しかし疑うのであれば あなたは子どもではありません なのでまず第1には 子どものような意識を育てることです ですが 子どもが覚醒していて 重力を獲得するにはどうでしょう 子ども時代を確立してはじめて 成熟に向かいます 初めが肝心です 重力とは成熟で 軽薄さではありません ガネーシャの性質は ヴィヴェカ 分別です 彼は分別そのものです 分別を育て シュリ ガネーシャにシュブッディ 智慧を授かりなさい このためにシュリ ガネーシャに 従う必要があるのです この段階では 努力を否定する必要があります 例えば ガネーシャ 純真に反することにはなんであれ それを否定するべきです だから努力の否定は 否定する努力によって 達成されるということになります 初めはあなたは 努力なしになれないでしょうから そのための 努力が必要です 例えばキリストが 「不純な目を持たないように」 といいましたが あなたの目は純真ですか サハジャ ヨガでは 目を汚すような努力から 関心をそらす方法があります 母なる大地に 草木に注意を置くなどです こうやって避けること自体は 努力です なので新しい人はあらゆる努力を やめる努力が必要だと理解しなさい 例えば 放棄について語っても 快適な暮らしを求める人がいます そのような人は 快適な習慣から出て 母なる大地に寝るべきです キョロキョロと あちこちを見回す人もいます 注意を固定しなさい すると徐々に自分が 鍛錬されてくるでしょう なのでサハジャ ヨガではまず 努力をすることが大切なのです 他には 西洋では皮肉やいやみのような 隠微な暴力がよくみられます ても鈍感で「自分は 自分は」と エゴ丸出しの人もいます そういう人は喋らない努力をして 話すことを完全にやめることです 自分がいやみや無意味なことを 言っていないか監視しなさい この監視も 努力が必要です 発芽は簡単でも その後育てるのには 努力が必要なのです 成熟すれば 自分のものになります だからまず第一には エゴやスーパーエゴにより 間違った方向に努力しようとする こころを守るための努力です でも分別をわきまえるように 気をつけなさい ほどほどが一番で 極端にならないようにしなさい 例えば音楽好きな人 彼らは 音楽だけを追求します 詩歌が好きな人は そればかりになります これらが悪いということでは 全くありませんが 自分がそこで得たものは コレクティブに還元されるべきだし 他の人の発見も あなたは楽しむべきです 例えば学があり ドライな人は 優しくなるように 努力すべきです 中庸に戻ることで 極端な性質を中和するようにしなさい 「なんでも好きです」 というのが一番です 「置かれている状態が幸せです」と 自己暗示しなさい 「私は満足であり 品格です」 これらの徳や善を 自分に当てはめて 「自分に品位があるなら そんなことはできるか」と問いなさい こうやって自問して 自己を評価しなさい ケチな人が「寛容になりなさい」と 言っていてもそれは偽善ですが 自分がケチであることを自覚するなら 偽善者ではありません なので自分にあえて 価値や目標を当てはめ 努力してそうなろうと 努めなさい すると自然に自己批判により 自分の欠点を知り 他者批判をしなくなります 他者の欠点を知って 何になるというのでしょう イギリスでインドの状況を 良くしようとしたり インドがイギリスを 良くしようとするようなものです けれどもこれでさえ人の脳には 逃げ道があります 自己批判をするときに レフト ヴィシュッディに溜め込むことです ずる賢く 小賢しいほど レフト ヴィシュッディが悪くなります そして汚物を全部そこに 溜め込んで抱え込むのです 悪い主婦が家のゴミをある部屋に 詰め込んで溜め込みながら 「ああ、うまく片付いた」 と言うのと同じです それに向き合って正すことで あなたは力を得ます 自分の機械が ポンコツなのに 人の機械を良くしようとして どうするのですか その上機械が壊れたら ロッカーにしまって 「さあこれで大丈夫」というのです さもなくば自分以外の誰かを あれこれと責めるのです 有り難いことにあなた達は リアリゼーションを得たので 私が浄化する必要はなく 自分自身ですることができます つまり 自分のグルになる ということです 自分を離れてみて言うのです 「こんにちは いかがですか いらっしゃい」 でもサハジャ ヨガには 無意味なエゴで 自分が仙人とか 偉大なグルと思いだす人がいます そして「マザー 私はあなたを 愛していたから」といいます 私を愛すれば あとの浄化は私の責任と考えます それは グルの態度ではありません グルがすることは 自他を浄化して 神格に花を捧げることです あなた方皆が グルになるまでは 私があなたのグルですが あなたがグルになれば 私はあなたの神格になります 彼らがグルになるまでは 私が彼らのグルです 彼らがその意識に 達するまでです 彼らがグルになれば 私は彼らの神格です グルは皆 例えばムハンマドも 「神は偉大なり」と言いました 彼はグルだったので 聖霊や復活について語りました そして何を言うにしても 自身が導かれる源 そこを指して 完全な自信を持って言いました モーゼやキリストも 父なる神を指さしました なので自身のグルになるまでは まず努力が必要です すると次第に努力なく 達成できるようになります 努力しないことは証明できませんが 確かめることはできます 分別ある人の前では 他者も分別を弁えるものです 正直な人の前では 正直になります サンスクリットで 「ヤタ ラジャ タタ プラジャ」 王のように民がなる といわれます あなたがグルなら あなたはお手本です お手本になりなさい 指導者である立場の人間も 様々なようです 教授とか教師とか 彼らもスピリチュアルな グルでは無いけれどもグルです 彼らも非凡さのない凡庸な生活 をしていれば弟子の信頼を失います 政治家だって 好色だったり 弱点があれば 信頼や支持を失うでしょう 彼らも人格や価値観が 求められるのです ならばスピリチュアルな 指導者はどうでしょう 優秀な人たち であるべきです 内と外の生活の区別が あってはいけません 内と外がひとつになると 努力なしになるので そうなるべきです 内側から働きかけなさい 外を内には入れられませんが 内は外に出て行きます これがアンタル ヨガ 内なるヨガの始まりです 第2の段階では 無思考になるべきです 西洋人は 思考に生きているので 他の粗雑な問題はありませんが これが大切です 例えば法律を 恐れるように育てられます カーペットなど全てを キレイに保つように育てられます 物質的なものは 全てキレイに保たれます その分内面で 調節するのです 外見は上品ですが 内面はキレイではありません 振る舞いも 眼差しも キレイではありません 内面に毒をもっていて たまに嫌味を言ったり 毒を吐くのを好みます それが他国への 悪意ある攻撃になって現れます 世界を 破壊しようとしていても イデオロギーのためなら 悪いとも思いません イデオロギーで高尚な話があれば 何だってできます この汚れは とても精巧です 風呂にも入らない人が 香水でごまかすようにです だからまず内面に 良い考えを持とうとするべきです こころを観察しなさい 他人を どう思っていますか 人種差別は この病の一つです 地位もあって 上品な服装の人が 肌の色が違ったり途上国の人に 一言多いのを見てきました サハジャ ヨギですら そうするのを見ました 私は他ならぬ サハジャ ヨギに話しているのです 急に死んだものが 生き返ってきます こころが汚れて 色情や貪欲 怒りと嫉妬で一杯です だからとても 気をつけなけれないけません 洗練された人は 弱みも洗練されているので 嫉妬が共通の病です 先日 「なんでお父さんが息子や 兄弟に怒っているの?」と訊いたら 兄弟がその息子を 面倒見ていたと 普通のことです 自分の留守に息子を 見てもらったら感謝するべきです でもその人には 独占欲があります そもそも人を不安にさせるから 自分も不安になり 独占しようとするのです 不安には 多くの原因がありますが 自分の醜さを 他人に見るというのがその一つです この内面の穢れをとるのが 外面よりもずっと大変です 単に威張りたいから 人に指図する人もいます でも まず自分に 指図しましたか 自分を十分に 修めましたか あなたは自分の師ですか 自分を修めていない人は 人に命令したがります でも 自分を修めた人は 誰をも支配する必要がありません 師になります 努力することなく マスターします そして正すため マスターのための コツを沢山知っています 話すかもしれないし 何も言わないかもしれませんが やってのけます 何もしてないのに 皆が教わることになります そして人は それを感じてわかります 腰の低い 素朴な人 かもしれませんが それは大いなる幻 マハマヤです ですから力のある人は それを見せようとしません 反対に他人が 気づくようになります なにも見せびらかす必要はないと わかってくるからです わかっている人がいるのです そんな人がいたら 見習いなさい 第3段階では サットグル である師につく努力です それがあなたが 従うべきことです サハジャ ヨギでも 表面的なことがあります あるサハジャ ヨギがショールを 特定の着方をしていました 彼を指導役として 別のヨギ達のところに派遣したら 皆が同じように ショールを着るようになりました 外見でなく 内面に従うべきです あなたは グルになる時はなります あっという間になります 自分に向き合えば なるには もう少し足りないと分かるでしょう こう話している 今でさえ 「マザーはあの人の話をしている」と 自分ではなく他人のことを考えています グルから吸収し 自分のものにするには 自分を観察することです 他人を預言者に しようとするなら まずは自分たちが 預言者になるのが大変重要です 更に高い段階では あなたのグルが神格になります グル ブランマ グル ヴィシュヌ グル デヴォ マヘシュワラと言う時です そこまでは言っても グルが女神だとは言いません ブランマ ヴィシュヌ マヘシャ よりも高い段階に行けます グルの状態とは ブランマ ヴィシュヌ マヘシャの イノセンスの力を持っています しかしそこで「グル サクシャッ パラ ブランマ」と続きます パラ ブランマとは あなたに流れる母の力です ですからあなたはパラブランマの 道具となりますがどうやってでしょう それは 自己になるだけでなく グルの状態から 神格を反映する状態になることです すると全てのエレメントを コントロールし始めます だからアディ グルの化身達は皆 エレメントをコントロールできたのです 彼らを通してブラマデヴァが 完全に現れています なのでガネーシャから アディグルは生まれ ブランマ ヴィシュヌ マヘシャの 3者として顕現します 後にブラマデヴァ として4つの顔 ブランマ ヴィシュヌ マヘシャと シュリ ガーネシャで現れます なのでブラマデヴァが グルのシンボルとなり ガネーシャはチャトヴァリとして 常に4つの顕現になります そしてブラマデヴァになる段階で 全てのエレメントをコントロールします さて 今日は皆さんにグルパダ グルの状態を説明しようとしました ここで理解すべきなのは あなた達はとても幸運で 短い間に泥の中の何もない状態から 蓮の花になったということです 蓮は多くの昆虫を招き入れ 美しくします マドゥカといわれ マドゥ 蜜を選ぶもの という意味です 蜜を得ることで 自らが蓮になります 汚く汚れた池が 蓮で覆われます グルである蓮は より高く育ち 女神に捧げられます 彼女は蓮の美しい台座の 中心に居ます でも彼女をこころに留めるには あなたにハートがなければいけません グルの多くの性質 についてお話しました 12の全ての側面の最高の性質が グルの中に現れるべきです これらの性質を 有しているのがシヴァです なのでブランマ ヴィシュヌ マヘシャの中で マヘシャ つまりシヴァの本質が あなたを通じて光るべきです ヴィシュヌの性質は ダルマで まずは良いバランスのために ダルミックになる努力が必要で そして上昇します するとヴィラ−タに至り 他者にダルマ(徳)を 与えます このように一段一段理解が深まるので 偽善者になることはありません ですがあなたが現実になるので 現実があなた自身から示されます そうなります だから自分の内なる現実を理解し 向き合い 解決しなさい ですが 大概「マザー私は違います そうじゃありません」と人は言います 前に座って自分を 見せびらかす人も居ますが それが大切なわけでは ありません 大切なのは あなたがどれくらい 自己理解を得たか つまりセルフリアリゼーションなのです 一度それがわかると 表面ではなく真の意味で他人を理解し 完全に楽しめます ミツバチは造花に ひかれませんが 人間もミツバチのように なるべきです グルは自分がグルであると 宣言する必要がありません 今日はあなたを祝福します 私は12年の グル プージャを終えたので あなた方も真のシヴァの力を 身に付けるべきです 私は 身も心も一身にあなた方の 浄化 成就に完全に寄与してきました 私の努力を どうか無駄にしないでください 自らを見て 助け 高みを目指し 自己を成就するのです 自己となった時に あなたはグルとなります グルとなれば あなたが ブラマデヴァ マヘシャ ヴィシュヌになります あなた方はまず ガネーシャのように生まれ ブランマ ヴィシュヌ マヘシャとなります けれどそれはあなたの覚悟 特に正直さと真摯さによります シュリ ガネーシャがあなたに 智慧を与えると良いのですが シャクティはあなたが一生懸命働く力を シヴァが歓びを与えます サダシヴァが己れを確立できるように あなたに歓びを与えるでしょう 神の祝福を […]