Mahashivaratri Puja, Destructive Power of Shri Mahadeva New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja, Delhi (India), 25 February 2001.
今日 私達は マハシヴァラトゥリを祝うために 集まりました シュリ マハデヴァについて 理解することは 私達 皆にとって 大変光栄なことです あなたがセルフ リアリゼーションを 得ない限り シュリ マハデヴァの 偉大な神格 その性格 その力を 理解することはできません 私達が謙虚でない限り 彼の偉大さ その深さに到達することも 理解することも 容易ではありません シュリ マハデヴァの 蓮の御み足に到達するためには 私達はとても 謙虚でないといけません この偉大な人格の 蓮の御み足にいるために サハスララでさえ 越えないといけないのです 彼は私達の 概念を超越していますが スピリットとして ハートに内在しています そして あなたが リアリゼーションを得たとき 大変よく反映するのです しかしながら 私達は シュリ マハデヴァの力を 理解しなければなりません この偉大な神について 短い言葉で説明することは 容易ではありませんが 彼自身が持っている 最初の力とは 大いなる許しの力です 彼は許します 彼は たくさんある私達の罪 たくさんの破壊的な行動 みなに問題を起こそうとする 気質を許します ある程度までです しかし 同時に破壊する 最も大いなる力も持っています 彼はすべての 五大要素を支配しているので 彼の破壊は 突如起こります すべての要素を支配しています 母なる大地を 支配していますし その他の要素も すべて支配しています 彼は問題を見つけ 望みさえすれば すべてを 破壊することもできます 地震は私ではなく 彼によって 起こるといわなければなりません 私は破壊のために いるのではありません この地上で何が起こっていて 人間に何が起こっているのかを見るのは 彼なのです グジャラットの例をあげましょう グジャラットの人々は 大変な金銭主義者です 株式取引について心配したり あれこれと 常にお金のことばかりです 外国に暮していたとしても 非常にお金重視です 彼らにサハジャ ヨガの話を するのが不可能なのには 時折 驚かされます 彼らは偽者のグル達が 好きなのです どこからそれを得るのか わかりません ともかく グジャラットに バヴナガールという場所があります ある時バヴナガールの人達が来て 銀のスリッパ パドゥカスを 私にヴァイブレート してもらうために持ってきました 驚きました この人達がそのように考えていたことに 少なくとも嬉しかったのです バヴナガールで そしてバロダでも 彼らはプージャをし ハヴァンをしました これらがボカンパや地震によって 害が及ばなかった 二つの場所なのです 想像できますか そして 遠いところにある スラットは 完全に破壊されました 何人かのサハジャ ヨギは すべて助かりました そして彼らの 家も動きませんでした つまり あなたのお母さんの保護と 全能なる神の 怒りの間にいるのです 彼がすべての要素に対して 力を持っていることを 良く理解するべきでしょう 私がフランスに行った時 何人かが 私を困らせようとしました マスコミが 私を追いかけていました テレビや他のところで 私のことを悪く言っていました どこかで何かが起こることは わかっていました そして突然海から大きな 何と呼ぶかわかりませんが 大きな嵐が起こりました 誰もなぜそれが 起きたのかわかりません そして二つの船が 完全に沈み 助けようと行った人達は ガンになりました 次に起こったことは この嵐が早く動きはじめ すべての教会の屋根を ふきとばし たくさんの牧師の家が こわされました その嵐がどんどん進み 私が買ったとても大きな 城のところまで来ました そこでまさに止まりました それは私が やったことではありません 彼がすることなのです 彼は大変許すことができ 非常にやさしく 穏やかですが 彼の力を意識するべきでしょう これらすべての力は 私の仕事を守るために 使われています 行き過ぎることもあります スピリチュアリティの仕事を 邪魔すべきではないことを 人々に示すためなのです 本物のスピリチュアリティ でないといけません 偽りのグルのような者が 魔法のようなものを見せたり 不自然なことを話したり するのではだめなのです 本当のスピリチュアリティ であるなら 常に守られますし シヴァはこの上なく幸福です そして あなたに与えられたものは あなたが想像できる以上の すばらしいものなのです 彼は大変許すことができます そのような許しの源です あなたの心に許しがあれば 彼はあなたの心に内在します そうでなければ 次第にあなたは 大変重い病気にかかるでしょう あなたが許せるなら あなたのハートはとても早く動くでしょう 誰もあなたのハートを おかすことはできません 心臓発作を起こすことは ありえません しかし もしあなたが 我慢強く 苦しみ いろいろなことを 自分の力として受けとめるなら 間違ったことをし 神を忘れるなら あなたのハートは だんだん弱まり始めるでしょう ですから 一方では非常に 攻撃的なハートになっていき ヒットラーのような ハートになれるのです いかなる主張をしようとも あなたが誰かを 苦しめるのであれば あなたのハートは固くなり 強力な心臓発作になるでしょう これは避けられません また あなたが 大変辛抱強く 意味のないことを辛抱し 大変従順で おびえているとします おびえているのなら その恐れでそれをしているなら 別の心臓疾患 狭心症を引き起こすでしょう 最終的には 罪悪感のようなものを持ち始め ありきたりの人生を 送ることでしょう このような精妙なことが とても辛抱強いと思われる人に よく見られます スピリチュアリティのためであれば 辛抱するのもかまわないでしょうが 恐れをから するものではありません あるいはこわさから するものではありません サハジャ ヨギであるなら 何も恐れることはありません インドでは 人々は何でもこわがります リスを見てこわがったりします トカゲを見ようものなら もうおしまいです 彼らは何でもこわがり 女性はゴキブリでさえ こわがります このような気質は 大変ばかげています 狭心症に陥りがちな 人になるからです こわがる必要はありますか サハジャ ヨギであるなら 何にもこわがることはありません 人はねずみを見てはこわがり 何でもないことにこわがり それを自慢し 話題にします ハートがどんどん 弱くなっていきます また インドの男性にも 責任があるでしょう 女性を付属物か 義務のように扱ったりするからです 女性をどう思っているか わかりません 彼らの態度は 信じられないほど悪いです 特にインドの北部です 女性に地位はありません 家の中に閉じ込められ 召使いのようです 顔を常に 覆っていないといけません 許可なしに 外出はできないのです ひどいものです イスラム教徒の影響である という人もいます しかし 永遠の命 スピリチュアルな命を 信じるのであれば いかなる無意味な残虐行為にも 支配されるべきではないのです ですから インドの女性が 自由になる必要を感じるわけです 彼女達は大変いい人達で 辛抱強く 心やさしいのですが 自分の価値を 自分自身を尊ぶことを 知らないために 悪い病気にかかったり 精神疾患を引き起こしたりするのです このことについては すでにお話ししています なぜ男性は このように振舞うのでしょう 私達の国では 少なくとも70%が女性ですので 北部では70%の人々のエネルギーが 無駄になっているように思います 彼ら自身 どう思っているか 分かりませんが その報いを受けています このような国々は 決して栄えることはありません 女性はラクシュミだからです しかし 彼女達も ラクシュミであるべきです ラクシュミのように 振舞うべきですが このようなひどい状況には ショックを受けます どうして女性でいられるのでしょう 悪魔のようです このような社会での アンバランスもまた シュリ マハデヴァによって 罰せられるわけです 彼は大変親切で 苦しんでいる人達の 面倒をみようとしますし 苦しめる人達を 罰しようとします 攻撃的な人達を滅ぼすことで 助けようとするのは 彼の本質なのです 彼はクンダリーニや セルフ リアリゼーション について語りません ただしっかりと罰を与えます ショックを受けるぐらい ひどい方法でやります 苦しみの中で生きている 女性達を見てきました 彼女達は寿命より かなり早く死んでしまいますが そういう人達を彼は救います これらのことを 正しく見なければなりません 彼はもちろん 守るためにいますが それ以上に 滅ぼすために存在します 彼はさまざまな動物 さまざまな鳥 あらゆる自然を守ります 彼が守ります すべての喜び スピリチュアリティの 喜びをもたらすのは 彼なのです しかし もしあなたが 攻撃的になろうとしたら 滅ぼすのは彼なのです 自分の首を吊るためのロープに ゆとりをもたらせます それで人はまだ大丈夫と思い 自己満足するのです 逆に西欧では 男性より 女性の方が支配的なようです 大変驚きです どうやっているのでしょう 常に支配しているのです 男性は 手玉に取られています どうやっているのかわかりませんが 支配しています 彼女達は 謙虚ではありません 愛していないのです 常に夫と 離婚し続けているのです 愛していないのです 愛とは何か 知らないのです またインドの男性も 愛が何であるか理解していないようです 一生のパートナーである妻を どう愛していいかわからないのです どう敬意を払っていいか わからないのです そして ひどい怒りが起こってきます この怒りは いろいろなところに作用し そのような男性達には 恐ろしい病気や問題ごとが 次々と引き起こされます 社会全体もまた 謙虚な者達に対してふりかかる さまざまなことに責任があります 双方です あなたが攻撃的であるなら シュリ マハデヴァの 第3の目に見つめられていると 理解するべきでしょう 例えば あなたの召使に 攻撃的であれば 部下に攻撃的であれば あなたの子供達に 攻撃的であれば この怒りに満ちた神がいます 彼の破壊の呪文の下に 置かれるでしょう しかし 彼は私達に ヒマラヤのすばらしい高さを与えます 彼は人間を非常に美しく とても気高くします そして 彼は人々がお互いを 愛し合うことを望んでいます 人間の間には 純粋な愛があるべきです そして彼があなたを とても繊細に 人に対して振舞えるように 人にやさしくできるようにします それができないのであれば あなたは違う方向へ 行っています 彼の最も偉大な特権は あなたに高さと深さを与えるということです あなたが彼を崇拝するなら 全世界を目撃者として 見ることができる高さを得られます 彼は全世界を サクシ スワルパとして目撃します ですから 彼は知識なのです 彼は純粋な知識なのです あなたはリアリゼーションを 得たかもしれません 涼しい風を 感じたかもしれません しかしその知識を持っていますか 自由とは何かを この手の意味は何かを ヴァイブレーションは何かを 話さなければなりません 彼がその知識なのです その純粋な知識です 最も高いレベルの 完全な知識なのです ですから 彼が知識の源なのです 謙虚でない人は その知識を得ることはできません 傲慢な人 他の人を繊細に 優しく 美しく扱えない人は 彼の恩恵を得られません そういう人は 人生において何も得られません 何を得るべきでしょう 地位でも富でもありません これらの外的なもの ではありません 愛することができるハートを 得ないといけません あなたが愛することができる ハートです シヴァがハートに 内在するのであれば あなたはすべての人を 大変美しい方法で愛せます 愛について おかしな考えはありません 純粋な愛だけです すべての人への純粋な愛です そのお恵みで あなたの荒っぽさは すべて消えます 例えば もしほんの少し 力があるとします するとあなたは 良くないことに使うでしょう シヴァを見てください 非常にたくさんの力を 持っています 彼がそれを 間違って使えば この地上に草一本も 生えないでしょう いかにあなたが罪深いか 自己中心的か それでも彼は あなたにチャンスを与えます “成長するかもしれない”と 彼は非常に寛容です 彼は大変許すことができ また極めて寛大です 仮に 砂漠に住んでいる人達が いるとします そして彼らが 大変いい人達だとします 砂漠に住むがために 苦しんでいるなら 彼らにオアシスを創るでしょう 彼は母なる大地を 支配しています 彼らを幸せにするためなら 何でもできます 彼らがスピリチュアルであれば 崇拝しているのなら しかし 人間はとても愚かで 神の名のもとで戦いつづけます 例えば南部では 二つの種類の人達がいます 一方はシヴァを もう一方はヴィシュヌを崇拝します ヴィシュヌは シヴァを崇拝していたのです 誰も高くも 低くもありません すべてが大切なのですが シヴァを崇拝するか ヴィシュヌを崇拝するかで 人々は戦っていました 彼らは現実から 程遠かったのです 現実が何か 知らなかったのです ただ戦い 戦いだけです 神の名のもとで戦う者に シヴァが行き 彼らを三俣の鉾で 刺します 神の名のもとで戦ってはいけません 愛し 理解することです 神の名のもとで 戦うことは無意味です それだけではなく 大変危険です そのようなことをする者は 滅ぼされるでしょう 自己破壊的です 完全に滅ぼされます ですから 神の名において 愛さねばならないことを 理解する必要があります ばかげたことを 我慢する必要はありません 愛さなければいけません 愛を広めなさい 次第にその愛は 世界中に達して 私のヴィジョンが達成されつつあるのを 見ることができます しかし 諍いや憎しみ あらゆる攻撃性があるなら これら全てはシヴァに反し 滅ぼされるでしょう 彼らが滅ぼされるとしたら 何ができるでしょう 拝金的で 物質主義であるなら 彼らは愛しません 金銭のためだけに 愛しています 彼らが皆滅ぼされるのは 疑いがありません 謙虚であるばかりでなく 非常に愛する人でなければいけません シヴァの恩恵に与るには 極めて愛する人でなければなりません そういった人は利口だったり ずる賢くはないかも知れませんが 純真であると思います 誰かを愛すると その人を助けたいと思うからです 私自身苦しみました 人々を助けようとして 彼らは私を欺きました だから何だというのでしょう それが彼らの性質で あげく破滅しました 私は自分を欺くように 頼んだわけではありません 私は彼らに良くしましたが それでも私を欺いたのです ですから 破滅がやってきます 私に何が できるというのでしょう 誰も破滅して欲しく ありません この自らの創造を 愛していますが 彼らが破壊的であるとしたら 守る方法がないのです 彼らを破壊するもう一つの 偉大なる力があるからです 私がどうしようもない立場にいる ということがわかるでしょう どう表現してよいか わかりません しかし シヴァの 愛と恩恵によって あなたは極めて愛情深く 寛大で 非常に優しく 子どものように 純粋になれるということを サハジャ ヨギとして 理解すべきです あなたは 純真でなければなりません ずる賢くなる必要は 全くなく 純真さが如何に守られるかに あなたは驚くでしょう あなたが純真なら 心配する必要はありません シヴァの第3の目の力が存在していて あなたを保護します どこに行こうと あなたと共にあります 馬鹿になる ということではありません 現実的でなくなる というわけではありません シヴァの力によって 現実的な側面は ことごとく引き受けられます 彼の導き 愛 優しさを 人生の中のありとあらゆる 歩みの中で見ることができます まず自分の歩みに 気を付けなさい 攻撃的ではないですか 人を困らせてはいませんか 他人につらくあたったりは していませんか あなたは謙虚ですか 穏やかですか 親切ならば 彼はとても喜びます 自然のなかで働いているのは 彼の掟です それは非常にシステマティックで お互いを理解し合いながら 生きています 例えば ジャングルに行って 全く静かで 鳥のさえずり さえも聞こえなければ そこに虎が座っている と思うべきです 彼は王様です 従うことを皆知っていて 王がいる場には 礼儀が存在します 自動的に礼儀を 理解しています 虎がいれば 誰も動かないでしょう 彼は威厳をもって座ります 1週間か10日に一度だけ 一匹の動物を殺します 彼も食べなければなりません 一匹殺して 彼とその家族が まず食べます 血が流れ出るまで待ってから 家族皆が来て食べます それからその動物を そこに残していき 他の動物たちが順に来て プラサードとしてそれに与るのです 最後には カラスたちが来て その動物を食べます それほどの規律 礼儀の理解が存在しています シヴァによってどれほど動物たちが 統率されているかに驚きます 動物が ストライキをしているとか 動物の巨大な裏社会がある とは聞かないでしょう 動物がものを盗む というのも聞きません 私達は動物の段階から 進化してきたというのに動物以下です 争いのようなおかしな 行動様式をもちながら どうして私達が 上昇できるというのでしょう どんな小さな原因であれ 争い始めます 動物も多少戦いますが 集団ですることはありません 人間のように 集団ではしません ほんのちょっとの腹立ちで 仲間をつくって争い始めます 動物も仲間集団をつくりますが 争いません 動物たちは 真に理解しています 私達も自然の掟を 理解してはどうでしょう このような自然の摂理に 従わせるのがマハデーヴァです 空や大地ですら 全てが彼によって保護されています 美しいことを 私達のために行います 季節の移り変わりと共に 美しい花々をつくり出します 心地よく 美しい 喜びを与える ようなものを創造し 保護します 自然が与えるものを示し 私達が無邪気な子どものように楽しんだり 喜んだり 幸せでいられるようにします しかし 私達は傲慢にも 何事につけ反応します 絨毯を見れば “これは好きではない”と言うでしょう 特に西欧では 良くあることです 何かを好まないというあなたは 自分を何だと思っているのでしょう 良くあることで 恥じらいもなく“これは好きではない これは好き”といいます そういった人間はどこへ行き着き 何が起こるのでしょう 何事も愛でることなく 楽しむこともなく なぜ批判的な反応を するのでしょう そういった反応は西欧に多いです インドではあまりありません しかし そこにはある種の 文化の違いがあると思います インドなら 異常者のように思われるでしょう どう愛について語り それを表現するかが大切です まず 自分の妻から始めなさい そして自分の子どもや 他人に向かうようにしなさい 時折 世界は愛せても 妻は愛せないようなことがあります それは特殊です インドではあります 西側でも 妻を怖れるが故に愛するような おそらくは離婚を怖れる人がいます 愛はただ “自由な” 愛であるべきです 怖れなしに 責めることなしに その純粋な愛を楽しみなさい それが今日の 人間に足りないことです 人々が愛の美しさを 悟る日が訪れると 天国から花々が 私達に降り注ぐでしょう マハデーヴァが 第3の目を閉じることができて こころ穏やかになる すばらしい日になることでしょう それが私のヴィジョンです それがあなた方の未来です どれほど人と 穏やかに話せるか どれほど優しく 人を愛せるか どれだけ人に 与えられるかわかるでしょう 例えば 何か贈り物を しなければならないとすると 彼らは店に行き 最も安っぽい ひどいものを買って 贈ろうとします そうではないのです 大きさが何であれ 愛情をもって買うべきです それが愛を語るべきで どれほど費やしたかではありません インドですら昨今では いかに着飾るか どれほど自分に価値あるかを 見せびらかすのが とても一般的です 何のためでしょう なぜでしょう そういった人々を 多く知っていますが 亡くなれば 遺体を運ぶのに 4人の人さえもいません 生前は 自分のことばかりを 際限なく考えていました そのような時に その人を愛したり気にかけたりする人が 何人いるかを見るべきです 育ちのせいか 愛を知らなかったのかも知れません どんなことでもそのせいにできます しかしサハジャ ヨギにとっては 愛こそが人生であり スピリチュアリティであり その愛は 見返りを期待しない 愛であるということを学ぶことが重要です 貧しい人や何かを援助するのに 長けた人がいることも知っていますが その背後に力があって 単に権力意識を満たすだけで 愛を満たすことなく考えます ですから 働いているときに 何らかの利益や 地位のためではなく 単にスピリットを満たすためだけ 愛を満たすためだけにしていると 知っていなければなりません こういった類の執着のない愛 ヴィラクタを有していれば 何らかの資格を 得る必要もありません あなたはすでにそれを得ているし 楽しんでいるのです 英語で話さなければならない というのは残念です 英語を解さない人も いるかも知れませんが 英語が最近では 優位でどうしようもありません 英語を強いなければならないのです 他の言葉を私は話せません しかし 人は 愛の言葉を発するべきです 動物たちを見ると 馬でも犬でも 動物たちは みな愛を理解します あなたになついたり 愛情を表したり 非常にかわいらしいです これを今 彼らから 学ばなければいけません 他にどうやって愛の価値を 理解させられるかわかりません 現実的ではないと 批判したり たいしてお金がないとか 権力がないとか そういったことではないのです それは重要ではありません そんなことならいくらでも 手にはいるからです けれども 私達は違います 私達は人類の宝石で 輝いていなければなりません ダイアモンドが貴重に見えるには カットされる必要があるように 内にある悪いもの全てを 切り落とすのです 私の唯一の 望みがあるとすれば “シュリ マハデヴァの性質に 従うようにしなさい”ということです いかに彼が偉大か いかに彼に執着がないか 完全に執着がありません 彼は骨やそういったものと 暮らします どこに 誰と住むか 何を所有するかにも 何にも頓着しません 私達も 無執着であるべきです 同時に彼のように 極めて愛情深くあるべきです どれほど彼のハートが 他者への愛で満たされていて どんなに他者の世話をするか 私は警告しています あなた達は私を愛していることを 知っていますが あなた達がお互いを 愛するべきだからです 愛するハートを持ち 他者を愛することに満足しなさい それを育てることができたら サハジャ ヨガでのあなたの 高みと深みが増すでしょう 確かに女神があなたに シュラッダ(信仰)を与えます しかしそのシュラッダの深さは サンスクリット語や ヒンディ語では知りませんが マラティ語ではデャスと言います その愛の深みに飛び込めば 愛を全身に浴びれば 愛を楽しめば あなたは何も欲しいとは思いません 全てを得たのです 何を欲しがるというのでしょう シュリ マハデーヴァの 偉大さのように 彼はあまりに偉大なので 執着がありません 彼以上に偉大なものがなければ 彼以上に重要なものもありません 何を望むというのでしょう だから彼は無執着です この無執着を あなたも育てる必要があります しかし同時に 彼は芸術 音楽 リズムの 神でもあります 先日 男の子達が リズムを奏でていました 彼こそが万物に リズムを与えます 自らの命のリズムに 私達は無自覚です 子どもが生まれるのも 9ヶ月と何日と正確です 誰がこのリズムを守るのでしょう そしてある花が ある季節に咲きますし 自然には四季が存在します 誰がこのリズムを守るのでしょう 彼はリズム以外の 何者でもありません そのリズムが自然において 守られています 全てにおいてリズムがあります そしてリズムのある人こそ 大きなハートを持った人です それは大海のようです そのリズムが狂うと 残酷だったり 妄想的な人がいたりすると 整った 美しく穏やかな 全くさざ波もないような湖の中は 愛以外は 存在しないのですが そういった静かな ハートのリズムが乱されると シヴァが働き出します ですから 人は完全な時間のリズム 自然のリズムや 全てにおいてのリズム感を 持つべきです 花の名前さえ こういった花が何かさえ 何時ごろに咲くかも 知りません そういった生命のリズムに 関して全く知りません 知ろうともしません 見てみれば 全てに渡って 季節が存在します ですから 彼はあらゆるリズムを タブラやパクワジを演奏するように 全ての季節のしらべを 奏でたのです そしてそれによって自然が芽吹き 花を咲かせ 枯れていくのです その点を わかっていません 自分自身にかかずらって ばかりいます “調子はどうですか” と尋ねれば “マザー 頭痛や胃の痛み 他にも・・・” 何から何まであります 別の人はいいます “ええ 順調です” “マザー 世界をどうか 正して下さい”と 自分の心配をせずに 他者のことを心配します 世界を幸せにするために何ができるか という美しい理解のもとで いわば一生懸命に 働かなければなりません そのなかで “この世を美しくするのは 私達の義務ではないか” “この世界をリズミックに スピリットと調和のとれた世界にするのが” “私達の仕事ではないか” と考えるのです それは私達の義務です サハジャ ヨガを自分のためだけではなく 他人のためにするのです 自分のことをいつも心配するのではなく 他人の心配をするのです 世界で起こっていることに気を配る それが愛です その愛は自発的で 働くときにはすてきな働きをします 今夜は美しい夕べで この場所で偉大な成長の源を 崇拝しています あなた方が どれほどその力を得ているか シヴァのリズムにおいて どれほどその力を 全身に浴びたかを 理解するよう望みます 彼はそのリズミカルな方法で あなた方にヴァイブレーションを与えます 私達の生の道すじを流れ それがあなた方を 完全に包み込むはずです そこであなたの自己意識は 溶けていくように要請されるでしょう 私はそれを祝福します ありがとうございました […]

Mahashivaratri Puja, How To Get Detached and Ascend (Australia)

Shivaratri puja. Castle Mountain, Sydney (Australia), 26 February 1995.
今日 私たちは サダ シヴァに プージャをするために 集まりました 私たちの中に 反映されるのは シヴァです 純粋なスピリットです 私たちの中にある 純粋なスピリットは 全能なる神 サダ シヴァの反映です 水面に映る 太陽のようで はっきりと反映します あるいは 石に映せば 全く反映しません 鏡なら 太陽が鏡に 映し出されるだけでなく その光を反射します 同じように 人間において 全能なる神の反映は あなたの人格がどうであるか によって映し出されます 清らかで明瞭で 純真な人格なら その反映は 鏡のようでしょう ですから聖人は 自分自身を 間違ったものに 同一化していないので 全能なる神を 適切に反映します そのような同一化がなく その者が完全に 純粋なスピリットであれば 他へも神の反映が 投影されます 幸運にも あなた方は セルフ リアリゼーションを 得ました つまり 全能なる神の反映が あなたのアテンションに すでに作用しています アテンションが スピリットの力によって 啓蒙されています スピリットの力とは 反映することです 反映する者は 鏡や水面と 決して同一視しません 太陽が輝いている限り 反映し 太陽がなくなれば 反映しません あなた自身 サハジャ ヨガで 浄化されました クンダリーニも あなたを浄化し 今は純粋な人格です それにより この反映は より明瞭になり 人はそれを見ます あなたの顔に 体に 仕事や 振る舞いに あらゆるところに見ます 自分が 全能なる神を 反映することができると 信じるのは難しいです 自分に対して コンプレックスのような ものがあるようです 全能なる 神を反映する者に どうして突然なれるのか 理解できません しかし 人は 神を反映する者に なれます そのために 自分自身を信じ 自分の上昇を信じ そうなっていけると 信じないといけません サハジャ ヨガにおける 自信はとても大切です 充分な 自信がなければ 上昇はできません 私の講義でも 充分な 自信を持つべきだと 話しています しかし自信は エゴや攻撃性では 全くありません 自信があるなら あなたに全く 攻撃性はありません 大変興味深い 中国の話があります ある王様が 闘鶏で 自分の雄鶏を 勝たせようとしました “聖人のもとに 連れていけば” “必ず勝てるように 強くしてくれる”と聞いて 二羽を 連れていきました 聖人に渡して “闘鶏に勝てるよう 強くしてほしい” と言いました 一ヶ月後 王は引き取り 二羽を闘鶏場に連れて行きました 大勢の鶏がいる 闘技場です 闘鶏が 始まると その二羽は 攻撃されました しかしその二羽は 忍耐強くその場に立ち 静かに落ち着いていました いかなる攻撃も 遊びのように 見るだけでした 他の雄鶏は疲れて 闘技場から逃げ出しました そのようにして 二羽は優勝しました 執着がない者は 決して攻撃されないと 理解しなければいけません 人は様々なことと 同一視するため攻撃されます まず家族です そして自分の国に 自分の宗教に 人種主義にです 同一視は 本当に自分を弱くします 自分を常に攻撃し サハジャ ヨギの精神に 混乱を引き起こすからです サハジャ ヨガに そして自分自身に 自信を 持たなければいけません そうすることで 正しい道にいれますし 救われます 誰にも攻撃されません 神聖によって 完全に保護されるからです 人はいかなる宗教 いかなるグル いかなることに従っても 攻撃されるのではないかと 常に恐れます そして発言することを 恐れます 何を言うべきかの 分別もありません あなたが 純粋なスピリットであるという 適切な理解で それを信じるなら 自分がしていることに 大変自信を持てることに 驚くでしょう もう一つの 大きな利点は 私たちがコレクティブである ということです コレクティブにいると 自分がどう振る舞っているか 分かります どのような反応があるか コレクティブで 大変精妙な者は 多く話す必要はありません お話しした雄鶏のように 立つことができます その者の深さは 感じられます 度量を感じられます 攻撃性はなく 深みがあります その者は自身の中に 保護を感じます この保護を 感じないといけません 精神的にではなく 自身の中にです 一度その重みや 感じを持てば 誰も攻撃できません 攻撃する者こそ 不安を感じています あるいは 育ちが悪いのか まだサハジャ ヨギでは ないのでしょう ですからその者に 情け深い見方をする 必要があります シヴァのようにです サダ シヴァの人格は 誰をも許す人格として 知られています 彼は頭で立つ 片足で立つ 断食するなどの 苦行者に対して 愛想をつかし “何が望みですか 叶えましょう” と言います 彼は御存じのように 多くのラクシャサにさえ 恩恵を与えました 彼らの苦行に 愛想をつかし 多くのラクシャサが 彼に祝福されました サダ シヴァが人々に 祝福を与えるという 話が多くあります ラヴァナにさえです 大変 興味深い 話があります ラヴァナは たくさん苦行をしました 頭が十もあり 断食も大変だったでしょう 口が一つでも 空腹になります 十あれば大変です そのような苦行に 何をしたか分かりませんが シヴァは うんざりしました 彼の慈悲は あまりに大きく 望みを叶えようと 考えました ラヴァナが シヴァのもとへ行くと “何が望みか なぜ苦行するのか” と聞かれ “祝福をいただきたい” と答えました “どんな祝福か” “何でも叶えると 約束してくださいました” “できる範囲で叶えましょう” これは大変 興味深い話です ラヴァナは “貴方の妻が欲しい” 彼の妻が アディ シャクティと知っていて アディ シャクティを 配偶者に持てば 効果が得られると 思ったからです 彼は“配偶者に 貴方の妻を頂きたい” とせがみました 悪魔に妻を渡す決断は 難しいことでしたが 慈悲でもって 承諾しました この出来事は 彼の慈悲がいかに作用するかを 物語るものです 結局 彼の妻パルバティは この恐ろしい者に 連れられることになりました しかし パルバティの兄弟は シュリ ヴィシュヌ つまり シュリ クリシュナです 彼は考えます “悪魔に 姉を渡せない” “手を打たなければ” シュリ クリシュナこそ 最もいたずら好きです 彼はラヴァナに お手洗いに 行かせたくさせます 恥ずかしさから 彼女を地面において お手洗いに行きました 実はシヴァに “彼女の母は 母なる大地なので” “決して大地に 降ろしてはならない” “常に背負わないといけない” と注意されていました ですから ある地点に達したとき シュリ クリシュナは お手洗いに行かせたくさせました そして彼女を降ろすや否や 大地が吸いこみました 彼はどうしてよいか 分かりませんでした 二回目も試しました シヴァのもとに行き “あなたが約束したことです” と言いました シヴァは “注意したはずです” “彼女の兄弟はいたずら好き なので気をつけなさい” “次は耳を 貸さないようにしなさい” ”何があろうと 地面に降ろさないことです” 今回も 背中におぶって やってみました すると 突然 少年が現れました それは嘲け笑う シュリ クリシュナ自身でした “なぜ私を笑うのか” 少年は“なぜ老婆を背負っているのか 宝飾品もつけていない” ラヴァナは“彼女は女神だ” “それは違う 宝飾品がないのに 女神なものか” インドでは 言い伝えがあります 宝飾品をつけない女性は ランカ パルヴァティのようだ と言います 彼女をランカに 連れて行こうとしたのが由縁です 彼が見上げると 歯のない老婆が 彼を嘲け笑っていました あまりに驚き 彼女を投げ捨てました マハマヤです そして三回目では シヴァに “妻に誰の言うことも 聞かないよう言ってください” “今度こそ妻を 渡してください”と言いました シヴァは“ランカで生まれ変わる ので結婚できる” “その時の名はマンドダリだ” そのように すばらしい話は続きます マンドダリは ラーマが彼を殺そうとした頃 ヴィシュヌの崇拝者でした 全てマンドダリによって 計画されていました “シュリ ラーマが ラヴァナを殺せば” “女性に対する 悪いもくろみから解放される” と彼女が 知っていたからです 彼はシータを 追いまわします “彼が生まれ変わり” “美しい女性を追いまわすことを 止めるように何か起こるべきだ”と 彼女は望んでいました シータを連れ去ったのも 反対でしたが 聞く耳を持ちませんでした ですから 戦争が起こり その戦いで シュリ ラーマに殺されました これらの出来事は シュリ シヴァに 無限の慈悲があったため 起こりました 彼の慈悲は 時折 理にかなって いないように見えますが 理にかなっています 彼が引き起こすことは 問題の解決を もたらすからです 例えば ある戦いでは その時 問題がありました シュリ シヴァによって 誰にも殺せない 恩恵を授かった ひどい悪魔がいたからです シヴァはまた ある聖人にヴァラダンという 恩恵を授けていました “今より眠りに就く 誰にも邪魔されたくない”と言うので その恩恵を授かりました 眠りを邪魔すれば 一瞥で 灰にすることができます 戦いが起こった時 シュリ クリシュナは 二人のことを思い出し 聖人が得た恩恵で この悪魔を殺すのが最良だと思いました そこで彼は遊びました 戦場から 逃げ始めます そのため 戦場から逃げ出す戦士 ランチョルダスと呼ばれています 戦場から逃げ出す者です 彼は逃げるとき ショールを羽織っていました こっそり洞窟に入ると そこには聖人が眠っていました そこで彼のショールを 聖人にかけました ショールを その者にかけたので 追ってきた悪魔が その場に行き そのショールを見ると “ああ 疲れてここに 横になっているのだな”と言いました そこに横になっているのが 誰かも知らずショールを取りました 眠っている聖人が起きて 悪魔に目をやり 三番目の目で 燃やしてしまいました そこで解決です すべての出来事はこのように 三つの力が働きます 最終的に 真実が見えます まず シヴァの慈悲深さ 善があり シュリ クリシュナ あるいはシュリ ヴィシュヌの戯れで 中和します 三つ目は ブランマです 彼は創造します これらの 三つの力が働きます 人間の意識に 何かが起こるべきであると 私たちに感じさせる 雰囲気をつくるためです 真実を追求する 望みを 私たちの中に 進化させます シヴァは 非常に慈悲深く 悪魔にさえ 優しい一方 もう一方では 非常に 残酷でもあります 彼は全宇宙を 破壊することもできます もし人々が大変堕落し スピリチュアルに 成長しようとしなければ 純真が 完全に失われれば この世界で 問題を引き起こしている 誤った同一化に 執着し続けるなら 彼は 全宇宙を破壊します 彼はアディ シャクティの 仕事の目撃者です 彼女に 人間の創造や リアリゼーションの仕事を させます しかし 彼女の子ども達が 彼女によって 救われた人々が 悪行や侮辱をするなら 彼女の仕事を 台無しにするなら 彼は怒り 全宇宙を破壊できます しかし今となっては 彼にその機会はないでしょう 世界中に サハジャ ヨギがいるからです サハジャ ヨギの中でも ある者は 大変早く成長します 着実に強く シヴァ タトゥワの原理を 達成しています まず最初の達成は 内側から 執着しないことです メンタルに 執着しないのではありません サニアーサのようになるとか ヒマラヤの修業とか 家族を断念することではありません 執着をしないとは 自身の中のことです 執着しなくなると まず歓びに満ちます 幸せになります “なぜ不幸なのですか” と人に尋ねれば 妻のことや 恐らく家のこと 子どものこと 国 社会のこと 何であれ言うでしょう 自分の周りの 出来事に 完全に腹を立て 不幸だと思うでしょう リアライズソールなら 不幸だと思うことは 何の助けにもなりません これらの社会や家族 国全体の欠点は あなたが人を変えることで 正すことができると 知る必要があります 悪く思うことによって ではありません それをするのに 大事なことは 完全に 執着しないことです サハジャ ヨガを 私が始めた頃 自分の国の人について私に 的確に話してくれて驚きました 宗教についても 聞いて驚きました 私は知りませんでした 執着心がないため はっきりどこが悪いのか見れます 社会や人々 家族 国 全世界の 悪いところが どこか分かります それらと同一視しないことで のみ可能になります そうでないと欠点や 人の何が悪いのか見れません どのチャクラが キャッチしているか見れません 最初に 起こるべきことは 執着しないことです ではいかにして 達成できるでしょう 多くの者が“どうしたら 良いでしょう”と言います 私には執着がないので 分かりません しかしあなた方は 自身を理解するための 内省が必要です 自分が何に執着しているか 見るようにしなさい なぜみじめなのか 誰を心配し なぜ心配するのか 以前は決して 大切に思わなかったものが あるヨギには 大切になりました 例えば 西洋では 我が子をあまり気にかけない と聞きました しかし リアリゼーションを 得るやいなや 我が子に執着します まるでのりのようです 子どもにとって 何がよいかも分かりません 子どもに関するすべてが 主要な義務だと思います 先日 親が バースデー プージャの後に 来たいと聞いて驚きました ショックでした バースデー プージャが 次いでなのです “なぜ終わってから 来たいのでしょう” とヨギに尋ねると “子どもがいると幸せ だからです” “親のためにもなります” でも全てのアテンションが 子どもにいきます 子どもを連れてきて 世話をしなければいけません ですから 子どもへの執着が 確実に そのようにさせます よくないことです あなたにとってよくありません サハジャを始めた後で 新しい執着が始まります 良くあります 家族に対する執着が 出てきます 西洋ではたいてい 家族に執着しません お酒を飲んだり 様々なことをします リアリゼーションを受けると 急に家族に注意が向きます 家族に執着し 家族や その全てに執着します 理解できません あなたが純粋なスピリットなら 執着はありません あなたは ただの反映です 全能なる神の反映です これらの同一視は なくなります どのようになくなるかと 尋ねるでしょう 私にはなくす必要がありませんが 提案できます まず瞑想です 自分自身を知るべきです どこがおかしく どちら側がキャッチしているか 右側か左側か 瞑想を通して分かります お金や仕事に 執着していますか それとも家族ですか サハジャに反するような 自分の国や 文化に執着していませんか それなら瞑想を通して これらの執着を なくすようにしなさい 左右の問題の治し方を あなたは知っています この執着は 指先に現れます どの中心部がキャッチしているか 自分自身で見なければいけません サハジャの簡単な治し方で 浄化できます 何かに執着すると 自分では気づかないことが問題です “ある者を愛しているので” “大変すばらしいことをしている” と考えます “これはシヴァの特質で 慈悲の気持ちである” と人に執着し始めます 全く慈悲ではありません そのように執着するのは いかなる慈悲でもありません シヴァの慈悲を 持つことはできません “心の中で作用しているのは シヴァの慈悲だ”と考えますが違います その慈悲は 大変純粋なものです 何度もお話ししたように 木の樹液に例えられます 上昇し 木の様々な 部分に行き渡り 蒸発するか 母なる大地に行きます 執着しません 一つの花にあるいは葉や 果実に執着すれば 木全体が苦しみます そして花は枯れます ですから特定の者への ある特定の考えへの執着は 正しくありません サハジャ ヨガにおいて 人は大変順応でき 何をすべきか 理解するようになります それには 瞑想が大切です ハートに シヴァ タトゥワに シヴァの原理に 瞑想することで 確実に執着から 離れます すると歓びが 最高頂になるでしょう 人は 食べ物や服や 家に興味を持ちます あなたは興味を持てます 興味を持つべきです しかし その興味を執着しない 啓蒙があるべきです 例えば インド南部の者は 北部の料理を好みません 北部の者は 南部の料理を好みません 大きな問題です インド航空の者に“標準の 料理を出さないのですか” 彼は“何が標準料理ですか” 良い質問です インド人は嗜好や 食べ物にこだわります インドでは標準の料理が ないのも事実です 同じように西洋でも 必要でないことに 多くこだわってます 流行だからといって こだわります 人格が未熟だからです 成熟した人格なら 全てを 高い視点から見て 他者と 一緒になろうとしません あなたが知るものは より高く 偉大で 歓びを与えるものです 喜びを与えると考える 執着ですが 子どもが 妻が喜びを 与えると考えるのは 間違っています 歓びはあなたのスピリットの 源から来ます 夫がすばらしくても 子どもが良くても悪くてもなんであれ 彼らが歓びを 与えることはありません あなたは自分自身を 楽しむだけです それによって 人は 大変許せる者になります 誰もあなたを傷つけることができないなら 誰に腹を立てるというのですか これはサダ シヴァの 偉大な特質で 彼は寛大である ということです あるところまで耐えて アディ シャクティのした 仕事を破壊します さもなければ 彼は 大変寛大で 大変バランスを 保っています 一度 アディ シャクティが 大変堕落した世界に腹を立て 全てを 破壊し始めました そこで彼は彼女の足元に 幼い子どもをおきました 衝撃で巨大な舌を出し 破壊を止めました これがシヴァのやり方です 自分に シヴァの原理を育む者は 大変 寛容でないといけません 残忍で苦しめる者がいる のは知っています その者たちを耐えられないのなら 縁を切りなさい 私はあなたを支えます でも耐えられるのなら 耐える方が良いでしょう その経験を耐えなさい そこから離れるより 耐える方が難しくないからです 例えば ある女性が私に “夫と離婚します” “なぜですか” “いつも遅く帰ってきて ほとんど会えないからです” 私は“離婚したら 全く会えませんよ” 理屈に合いません せめて今は会えます 会える時もあります 解決策ではありません 離婚すれば 決して会えません では離婚をする 必要は何でしょう このようなことは あなたが 執着のない者になれば 何も執着しないのであれば 理解できます 誰にも執着しないなら 誰があなたを攻撃できるでしょう 誰もできません 抗議すべきだと感じるなら そうすべきです それも執着せずにです 抗議するのも 完全に執着しない ということが大事です 重要なことは 皆 上昇しないと いけないということです 一様の力で 上昇しないといけません 網に捕まった 鳥の話があります 鳥たちは “この網から抜け出そう”と言い 皆 抜け出そうとしましたが 個々では 上手くいきません そこで一斉に 飛び立つことにしました “1、2の3” 網と共に飛び立ちました そしてねずみに 網を切ってもらうよう 頼みました 鳥は自由になりました 鳥とねずみで うまくできました 私たちもできるはずです コレクティブにおいて いかに助け合い 歓びを感じられるかに 驚くでしょう あなたの母 父 姉妹に問題があるとします 構いません あなたにはコレクティブにおける 歓びの大海があります 問題を解決したければ コレクティブに解決できます コテクティビティに 頼らないといけません コレクティブと 一つになることです 一度 サハジャの海に 飛び込めば 歓びがあなた達を 一つにします お互い会うことは 喜ばしいことです 見知らぬ場所で 偶然サハジャ ヨギに会えて 嬉しく感じる経験を 多く耳にします サハジャ ヨギ間の つながりは 最も喜ばしいもので 一つになる源です 一度 お互いを楽しむと・・・ インドの偉大な詩人の話しを 一度しましたが 彼の名はナマデーヴァで 仕立屋でした もう一人は 陶芸家でした (英語を時折忘れます) この陶芸家は 詩人でもあり コラクンバと呼ばれています ナマデーヴァが 彼に会いに行くと (聖人は聖人に会いたい と望むものです) 彼を見てその場で すばらしい対句を 口にします 彼は“形のない チャイタンニャを見に来きたのに” “チャイタンニャが形になっている” と言いました “形のないものを ヴァイブレーションを見に来たのに” “私が見ているものは 形である” 聖人のみが 他の聖人にそう言います 精妙な評価は 二人の聖人の間で可能です 土を捏ねているとこや 仕事場での 汚いドーティは 目に映りません そのように見ません 身体や顔は 目に映りません 彼の中に人格化した 神聖を見ました 他のサハジャ ヨギを 感じる感受性を あなたの中に 育まないといけません するとあなたは 無意味な上辺のことを 気にかけません これはシヴァの 偉大な原理の一つです 彼は気にしません 彼の髪は もつれています 素早い雄牛にまたがり 結婚式に向かいます 想像できますか 彼の友達や 信奉者は 片目であったり 片手しかなかったり 腰が曲がっていたりします 彼にとって 外見は関係ありません スピリチュアリティが 大事なのです 片目でも 身体が曲がっていても 重要ではなく 皆は彼にとって 自分のもので 上辺のことに 気を取られません 人の神性だけです 彼の原理を理解する 多くの方法があります 彼が包括的だからです 誰かに慈悲を感じるなら 作用します 確実に作用します 最近の例があります 不治の病を 患っている者が メキシコにいました 国連に務める メキシコ人の女性が 私に手紙を書きました “息子を亡くすかもしれません 重い病気を患っています” 彼女は私にそう書きました 私は彼女に 大変慈悲を感じました その手紙に 涙が流れました その涙が その少年を治しました 完全に治し 彼女は感謝の手紙を 書いてきました 私は驚きました 私の慈悲はメンタルなもの ではないからです ただ内在し 流れ 作用します 同じように あなたもそうなれます あなたに全ての力を 持つことを望みます まず 慈悲の気持ちです 人に対して ひどい扱いをしてはいけません サハジャ ヨギであろうと なかろうとです 誰も他のヨギを 攻撃することはできません それが サハジャ ヨギでなくてもです ヨギは決して 攻撃すべきではありません ヨギらしくありません ヨギは違います 先日ある者に“あなたは 短気です”と言いました “誰かが私を 怒らせるとそうなります” 私は“皆怒りを 駆り立てれば怒ります” 怒りを駆り立てられても 怒らないのは狂った者だけです ですからあなたを 怒らせる者がいれば怒ります 皆そのように怒ります しかし“駆り立てられないのであれば 怒りません” と言うならそれは 大変違う状態です 今日の現代における 全ての環境で 大変な 苦闘があります それはシヴァの 文化ではありません シヴァの文化とは サハジャの文化と言えます あなたがサハジャ ヨギなら あなたの中に慈悲や 他者への 理解があるべきです サハジャ ヨギだけでなく ヨギでない者も 助けなければいけません するとあなたの慈悲が 効果的になります ご存じの通り今日の文明の 最も大きな問題は 西洋の文化が 堕落しているということです 新聞を読むと ショックを受けます 破滅する前にどれくらいの人が 気づくか分かりません 本当に自虐的です 一方で放縦な 自由放任な社会があり もう一方では対抗しようとする イスラム文化があります 対抗しようとするのも 最もです しかし そのやり方が 問題を引き起こしています あれこれしてはいけない と反対するならもっとやるでしょう 例を挙げると インドの北部に行くと 文化がよりイスラム的です 人は不道徳で 常に女性に目がいきます ヒンズー教であると言っても 悪い習慣があります イスラム的な 抑圧から来ます 女性が 完全に覆われていて 誰も見れなければ 人はもっと興味を持ちます ボンベイから来た 私と旅をしていた者が 通りの女性全員を 見ていて 私は“そのように見ていたら 首が折れますよ” しかし普通のことです それだけに留まらず 好奇心が行き過ぎれば 人は非常に 不道徳になります 西洋と同じようにです ですから あなたの欲求を 抑えるのもよくありません 外側を抑えようとする この文化は 内側で 人を不道徳にします 一度リオからロンドンに 旅をしていました 眠ってしまい 起きた時 短いスカートを履いて 蝶ネクタイをした女性が 着飾って 座っていました スチュワーデスに “どこかで止まりましたか” “直行便です 止まっていません” “この人たちは誰ですか” “同じ人達です” 全く違う姿でした 裾の長い服から おかしな格好に 変わったので驚きました 理解できませんでした このようなことが起こります 抑圧によって作られた 好奇心は 健康的ではありません サハジャでは 抑圧はありません あなたは純真になります 純真になるだけです シヴァの原理です サハジャの文化は 中庸にあり 行き過ぎた不道徳や 抑圧はありません 中庸です シヴァの最も偉大な原理は 純真であることです この純真が あなたの中で輝きます それを見てきました 過去に関わらず あなたは大変純粋です 西洋のように 振る舞おうとする愚かな考えは あなたにはありません サハジャ ヨギになった 多くのイスラム教の人々は サハジャになり すばらしい人生を歩んでいます 告白する手紙を送った イラン人がいました ショックを受けます 私には耐えられないので 読みませんが 今彼らは 最も道徳的です 極端に走るのは 間違っています 中庸にいることです サハジャにおいて 人生に大切なのは 徳であると理解できます それは あなたの純真からきます それはシヴァの息子である シュリ ガネーシャの本質です そして シュリ シヴァの 純真を通して放されます シヴァの次の講義で あなたに純真について話します そのために執着しないことについて 理解しないといけません 自分の中で育まれるものです 強制できません 瞑想を通して無執着を 内に育むことができます それは大変 歓びを与えるものです シヴァの多くの特質を 説明できます 彼については多くの講義で お話ししたと思います あなたのアシュラムで コレクティブな瞑想を持つべきだと 言わなければいけません コレクティブな瞑想を するのは良いことです 人にバイブレーションを 与えることはありません 他者のチャクラを 世話することもありません 自分を気にしなさい どこが問題か見なさい あなたの上昇における困難への 解決策が何であれやってみなさい 全世界の責任が サハジャ ヨギにかかっているからです あらゆる問題から 人類を救うのに サハジャ ヨギが地上に 生まれなければいけませんでした 正しい状態に自分を保つのは あなたの責任です サハジャ ヨガに関してです 左右の問題を なくしなさい そして 大げさな言葉や 攻撃性からではなく 愛と慈悲で サハジャを広めなさい 多くは達成しましたが 私が正す嫌な問題が いくつかあります 何であれ 作用してると言えるでしょう 皆 自分を見て どう変わって 深まるかを感じないといけません 神の祝福がありますように […]

Mahashivaratri Puja, Surrender New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja. Delhi (India), 14 March 1994.

シヴァの崇拝に世界中から皆が集まり とても喜ばしいです 実は今日はサダシヴァの崇拝をします ご存じのようにサダシヴァはシヴァとは違います サダシヴァとは全能の神であり 原初の母によるドラマを観る方です サダシヴァと原初の母であるアディシャクティの関係は 月と月光や太陽と陽光のようで 人間同士の関係や婚姻では 理解できません アディシャクティが創造するのは何であれ サダシヴァの望みであり 彼によって観られるのです しかも彼が創造を観る際は 完全に細部まで観ます 全宇宙を観ていると同時に 母なる大地も観ていて アディシャクティによる全創造を観ています 彼の力は観ることであり アディシャクティの力は 偏在する愛の力です 原初の父ともいえる全能の 神の望みである イッチャシャクティが 原初の母として現れます そして彼女は自らの力を 愛として表現します このように両者の関係は極めて 理解があり、とても深いものです 何であれ彼女の創造で 何か問題を見つけたり 彼女の仕事を邪魔しようとする 神の仕事を邪魔する人が 神でもないのにエゴを振りまくなら 彼が破滅をもたらします 彼が破壊の力の源なのです 彼は人間のハートに反映しています 全ての創造の中に彼は脈打っています でもその脈、拍動は原初の母の力です そして彼はそのアディシャクティの計画に 反するもの全てを破壊できます アディシャクティは愛であり 彼女は許し 愛します 自らの創造を愛し 想像が繁栄することを願っています そして創造されたレベルに到達するように 願っています 彼女は人間が神の王国 サダシヴァの王国へ 入れるよう願っています そこには恩寵と許し そして歓びがあります これはあなたが探求して そこに行きたいと望みさえすれば できるものです この望みは原初の母性の反映として 私たちの中にあります この望みと同時に世俗的な望みもあり それがあなたの上昇を止めます サハジャヨガでは決して 出家したり世俗を捨てたりすることで 欲を乗り越えようとはしません 過去に説かれたような手法も使いません まずスピリットの光を得たのです スピリットがサダシヴァの反映で この光で彼は道を示し 示し続けます スピリットは道を照らすために 燃えている光のようです その道中において あなたはとても賢くなり 英知と善の光の中を進むのです 破壊的なものは何であれ スピリットの光で見えるからです あなたは破壊的なことは全て 諦めだすでしょう 誰かにあれこれしてはいけないと 言われる必要はありません あなた自身がそれが間違っていると分かり 止めようと思うのです これが私独自の人間理解でした 今日では人間は完全に幻の中にいて ただ生きるためにもがいて争っています こんな状況ではどんなことをしたところで 世俗を去ってヒマラヤに行ったりしても失敗するでしょう 大衆にそれをするなら 抜本的な何かをしなければなりません 幸運にも私はその方法を見つけました まずは種を発芽させ リアリゼーションを得るのです リアリゼーションを得た人でも まだ学ばねばなりません リアリゼーションを得た人は多くて 数えたことがないので 何人かは分かりませんが まだ彼らにも放棄がたりません 口にするのも恥ずかしいですが それが事実です 現代のサハジャヨガは 放棄さえすればという状況です 自分の理解や別のやり方をし始めても サハジャヨガは理解できません 放棄しなさい イスラムという言葉が表すように 放棄するのです そしてその放棄なくして 神の大国に入れる者はいません 放棄とは家族や子供を捨てることではありません 家や財産を捨てることでもなくて 放棄とは まずはエゴを捨てること そしてコンディショニングを 捨てることです 例えば先日 苦しんでいる ある男性に会いました 彼にあなたの指導者は誰なのか聞いて言いました 彼はあなたに何も良いことをしてないです 彼のもとを去ってはどうでしょうと 明日そうしますというので なぜ今日でないのというと 今日彼に関するモノを捨てて 「明日の朝そうします」 「よろしい そうしなさい」 「マザー 何を捨てればいいですか」 「彼を崇拝するための全ての物を とにかくすべて捨てなさい」 そして彼は家に戻って家中にある 崇拝の用具を集めて海に捨てました そして海に言いました 「すみません 「私はこの男のせいでひどい思いをしました あなたは苦しみませんように」 このような染みわたるような知性がない限り 放棄できないものです 人はしがみつき続けるものです コンディショニングがなかなか取れない人を わたしは何人も知っています エゴよりも難しいものです 日常のコンディショニングと あなたの状況のはからいがあります まず生まれのコンディショニングがあります インドとかイギリスとかです サハジャヨガにくると殆どの人が 自国や国民のどこが悪いか 分かり始めます 自分たちの宗教や読んできた本のどこが悪いか すぐにハッキリと見つけ出して これが間違っているとかダメだと理解します それを皆からかいます 世界中の人がそうします だれも自分が英国人だから最高だとか ロシア人だから最高だとか インド人が最高とは思いません 彼らのどこに問題があるかを探し出し どうしてリアリゼーションを得ないかを 理解します その一方でとても慈悲深くなって 「マザー 多くの人がまだリアリゼーションをもらっていません」 「ぜひ彼らにリアリゼーションをあげましょう」と これは光の二重の作用です まず自分が光を得てそれを自覚している だから何であれ注意を向ければ現実が見えます するとこれは自分の国や社会のコンディショニングだとか 理解できるのです するとそれを嫌うようになり 自分から引き離します でもまずはお伝えしたように サレンダリング 放棄です 放棄によってある意識状態になり 内側から世俗を離れるのです あなたは何にも支配されなくなります サニャーシとは 世俗を超越している者という意味で 何も彼には張り付きません 彼が何かを見れば その本質が分かります 彼はすべを知っているとは言わない かもしれませんが間違いを犯しません とても無執着なので それによって 自分の間違いを見ることができます 彼は自分の家族や周囲を観察しだして あらゆる場所で何が悪いかを観ます 驚くことに自分とすら同一化しません トルコに行ったときに ある大きなスイスのホテルを経営している紳士に会いました 彼は私のところに来て言いました 「マザー 私にリアリゼーションを与えてください」と スイスではリアリゼーションを欲しがる ような人に会ったことがなかったから とても驚きました まさかトルコで会うとは 私がリアリゼーション与えると 「私はスイスに戻りません」 と言いました 想像してみなさい とても明確ですね この光があなたに偉大な知恵と バランスを与えるのです 例えば道を歩いていて足元が見えなければ 転んでしまうかもしれませんが 少しでも光があれば見えるのです これがサハジャヨガがしたことで あなたは光を授かったのです その少しの光であなたが多くのことを 放棄するのに十分でした 反対側はエゴの方です 人間のエゴはとても精妙なものです どうやって発達したのか分かりませんが あるのは事実で ちょっとしたことでいきり立つ 単純なエゴの人もいます 小さなことで怒ったり 誰か支配できる人を見つけると 支配的になります これを見つけたら 自分を笑いなさい 自分はどうしたのかと 考えるのです エゴはコンディショニングのように 外からは来ません 内側からくるもので 原因は何でもでありえます 人間はあらゆる馬鹿げた エゴを持っています ある女性が高慢で笑おうとも しない日がありました 「あの女性はどうしたのですか」 と尋ねると 「彼女は人形作りが上手だから尊大なんです」と 「ただの人形づくりで鼻にかけるなんて」 「そうなんです 彼女はそれで威張っているんです」 「だれでも人形くらい作れるのに 何を鼻にかけているんでしょう」 「でも本人はそれがすごいと 思っているんです」という具合です このように人はどんどん馬鹿になれます それがエゴを持つ人のサインです あまりに馬鹿なので話していると 呆気にとられてしまいます 無料で道化師が目の前に来て あれやこれやとお笑いを 見せてくれるのです 驚くべきことです エゴイストは見ると決まって 「私はこれをした 私は 私は」と言っています 当の本人はまたったくの厚顔無恥で 罪深い生活すら平気でしていたりします 女性や酒やあれこれが好きで とても罪深い生活をします そしてそれを自慢します 「あの日はこんなに飲んだ」とか 「5人の女性がいる」とか言い出します エゴイストには恥という概念がありません 意味のないことをただ言ってまわるので 「ああこんな人と話するのか」と 皆が思うのです その上何だって正当化します ある人に「心臓発作を起こしたことがあるから 飲まないほうがいい 飲酒をやめたらどうですか」と言うと 「プーネのキーロスカーという人も 95歳で飲んでいるから」というので 「あなたはキーロスカーさんではないし 彼が飲んでいてもそれで何が得られるというのですか」 「いやいや 飲酒していても成功者ですから」 「飲んでいるから成功しているのですか」 と言いました ごく普通の理性さえないのです 一般的に言ってもどんなに飲む国でも 酔っ払いの像があるのを 見かけたことは決してありません どんな国でも女性がいて飲酒で死んだと 讃えられる国は見かけませんでした 今のところはですが どれだけ人間がエゴを 推し進めるか分かりません 現代ではこのエゴがとても広がっていて 「これが好き これは好きじゃない」 とすぐに言います 「どれが好きじゃないの」 「このサリーが好きじゃない」 「こういうのは好きじゃない こんなのが好き」と でもあなたは何様ですか 人からは見ていても自分で見えていません あなたが好きでも嫌いでも どんな影響があるんでしょう なのに若者の間でよく目にします 「これがいい あれがいい」と これは完全な破滅のサインです エゴはあなたを馬鹿にするだけでは ありません 最近の着飾り方を見てください 「好きだからいいでしょう」 と言い張って やりたい放題しています そのうち頭で歩いても 「好きなんだからいいでしょう」 というかもしれません あらゆる愚行がエゴで説明できます リアリゼーションを得ることができた人は 神に感謝して理解することです これは私のエゴが話していると すると自分を笑ってからかい初めます これはエゴだったなと 一方サハジャヨガには 「まとめ役をしてみたら」と言っても 「マザー私のエゴが出てきてしまうから」 「それは何?」 「エゴがでるからまとめ役はちょっと」と エゴが出ることはあり得ません 例えば何かが燃えていれば それが見えるはずです どうやって自分を燃やすというのでしょう これはサハジャヨガの仕事を 避ける巧妙な言い訳です 「いや、エゴにとらわれるから」と 「だったらやってみて確かめてみなさい」 と私は言ったのです 人を馬鹿で間抜けにする事が沢山あって 今日では一体いくつあるのか分かりません 結婚でもよく見かけます 「私は彼女と結婚しましたが しなかったら良かったと思います」 とか何とか でもその時あなたはどうしたんでしょう 何故その時結婚したのでしょう こういう話を何度も耳にしました あらゆる愚かで馬鹿げたエゴの問題です ハッキリと理解することです このエゴが如何に自分の中で働いて 自分を下げているか 私たちが上昇について語る時は 高次の人生について語っています 私たちはサニャーシとなり 蓮のように池から出て 水面より上に位置するのです 蓮の葉ですら見ずに浸かっていません 私たちもそうなるべきです 托鉢僧のような恰好をする 必要は全くありません でも内面から執着を離れ 注意はそこにあるべきです すると内面と外面の問題点が すぐに見つかるはずです サハジャヨガではどうやってそれを 克服するかも分かっています これはとても効果的で 効率の良いシステムです でもそれを達成するにしても 内面でシヴァになる つまり無執着になる必要があります シヴァは完全に無執着ですから あなたもそうあるべきです その無執着がシヴァの英知を与えます サダシヴァはアディシャクティの 劇を静かに観ています 奢ることもエゴを発達させることもなく 「私の望みの力がどうしているか見てみよう」と ただ観ています でも破壊に関しては 彼が壊したほうが良いとなれば たちまちその部分を壊して取り除きます 私たちも同様になるべきで 人生を大きな場所と見て 自分がどうあるべきかを問いなさい 「だから何だ 自分はサハジャヨギだぞ」 という人を見かけました サハジャヨギであるなら そんな話し方をしてはいけません 合掌して「私はサハジャヨギです」 というべきです あなたの態度や言動全てにおいて 極めて謙虚であるべきです でなければサハジャヨガがあなたに 2重のエゴを与えたことになります ご存知のようにシヴァが無邪気で 素朴で許す方です 彼は悪魔も許します 誰でも平等に許します でも原初の母に逆らうものには 容赦しません この彼の性質を理解しなさい サレンダーとは外面を 放棄してしまうことではありません そこに何があるでしょう 石しかないような場所で何を放棄すると? サレンダーとは自分を完全に浄化して 完全な無執着になることです 無執着でしか上昇できません あるものは病気になり大騒ぎします 「病気になった 私は病気だ 世界が知るべきだ」と サハジャヨギならただ観るのです 確かに自分は病気になった では観てみようと スポーツのように観戦するのです 病気だとして次は何が起こるだろう 熱がいい感じででてきたなあとか 今度は下がってきたとか 遊びながら陽気に気にかけるのです 来たときは熱があったけれど だれも気付かなかったな 結婚に疲れていても 「全然疲れてなさそうだ」と言われたら 「そう 大丈夫」と言うのです こうやって人生で遊ぶべきです それはただの劇なのです そしてそれを智慧の光で観るのです サハジャヨガでは 深刻なことなんて何もありません なのにとても深刻になって 大騒ぎする人がいます 私たちが学ぶべきことは沢山あります シヴァを崇拝する際に彼を讃えます あなたはこうだとかああだとか言います 私を崇拝するときもあなたは同じくします 私は意識していませんが あなたが言うなら良いでしょう そういうならいいでしょう あなたはこうです ああですと シヴァの1000の名前も 女神やヴィシュヌの名前も良いでしょう でもこれらは彼らの名前の崇拝で あなたたち自身はどうでしょう いくつの名前を持てるでしょう プージャでは実際のサンスクリットの 名前を唱えることで それらがあなたの中で目覚めるのです それは間違いありません プージャの後にそう感じるはずですが あなた方はそれを使おうとしません 多くの者がプージャに来ては 神々とおなじ力を授かりますが 終わるころになるともう無くしています どこかに行ってしまいます だからサレンダーには別の側面があります 自覚です サハジャヨギであるという自覚であり それらの力を吸収できるという自覚です つまり一方ではサレンダーし委ねますが 何故委ねるのでしょう 吸収するためです あなたが何かを放棄すれば自然と 何かを取り入れることになります 取り入れたら維持する必要があります そして自分でその力を持っていると 自覚するのです そこで失敗するサハジャヨギが多いです 初めはサハジャヨギ達は 誰も触ろうとしませんでした クンダリーニを上げようともしません そのころには少なくとも50人ほどいたのに 「どうしたものでしょう チャンネルを用意したというのに 指を使うことすら誰もしないなんて これで上手くいくわけがありません 無理です」と言ったものです ナシックでプログラムがあった際に 私もそこから30マイルほどのところに 滞在していました そしたら途中で車が壊れて 他の車も通りかからないし 途方に暮れましたが 待っている大勢の聴衆が 「シュリマタジはいつ来るんですか?」 と聞くものだから とてもプレッシャーを感じて 「それじゃ私達がリアリゼーションを与えます 座ってください」 こうしてリアリゼーションを与えました これがサハジャヨギが初めて 自分の力に気づいて リアリゼーションが与えられると 気づくキッカケになりました こうして皆が与え始めたのです だから自覚が必要です 自分には力があると そしてこれを無駄にせずに 有効利用すると 他者を助け自分だけに取っておかないと そういった自覚が芽生えるべきです かつて船旅の最中 ある船員が冷蔵室に閉じ込められて 肺炎にかかりました そこで船長が私のところに来て この子は肺炎をおこしているから ヘリで搬送しないと行けないと言いました 「私がリアリゼーションを与えたから、 あなたが医師ですよ」というと 「私が」「そう」 「でも必要なら私が行きましょうか」 「いえいえ、私にどうするべきか教えて下さい」 「とにかく彼の胸に手を置きなさい」 「私が?」「そう あなたが!」 彼が手を置くとその子は回復しました 彼は驚きました その後結婚式であった際に 「これは私は誰にでもできるんですか?」 「そう誰にでもできますよ」と でも自覚もなくただ座って 瞑想だとか放棄だとかやっているだけでは 何の役に立つでしょう だからやらないといけないのでうす シヴァの状態を達成したら アディシャクティの仕事をしなさい サハジャヨガ広げたい 上手く機能させたいという望みを持つべきです でもコンディショニングやエゴが あるかもしれないから 注意しなさい 観察することで上手くいきます 沢山できるに違いありません 自分で自覚して動いている人もいます 各国に沢山成し遂げた人がいます だからまずはサレンダーが大切で スピリットやシヴァ サダシヴァの意識になりなさい 第2の意識は他者に思いを寄せることです はじめの方はサンスクリットでヴィヤシティといいます 個人的な獲得という意味です まずは個人として得なさい 次がサマシュティで集団の意味です 集団で機能させる必要があります リアリゼーションすら持っていない人々が 組織を作ってあれやこれや沢山しています あなた達はすべてを持っているのです 他者に与えることが大事で この光を他者に広めるのです […]

Mahashivaratri Puja, Four Nadis of the Heart (Italy)

Mahashivaratri Puja. Chianciano Terme (Italy), 16 February 1991.
今日私たちは サダシヴァを崇拝するために 集まりました 私たちの内にシヴァとして スピリットとして反映しています 彼は私たちのハートに 反映しています 私たちの人生の目標は スピリットの状態に到達することです 先日何冊か 本を読みました スピリットを知るための リアリぜーションを どのように求めたか いかに人々が 苦しんだかについてです まず彼らは 自らを拒絶したり 無視したり 身体を痛めつけるよう求められました 身体が快適さを求めれば まずベッドではなく 絨毯の上に寝るように言われました それでもだめなら ゴザの上に寝て それでもだめなら 大地に寝るようにし それでも身体が嫌がれば 石の上に寝るようにしました それでも ヒマラヤはほど遠く シヴァは カイラス山にいるからです なのでヒマラヤに行き 氷の上に寝ました これは最低限 求められました もし良い食べ物を 好むなら 贅沢な食べ物を好み 沢山食べたいのなら まず好きな食べ物を 全て拒むように言われます 例えばイタリア人なら パスタを食べられません それを断念します しかしそれでも 十分ではありません その後 大変苦い物を食べます 禅のように108倍もの 苦さの物を食べます 完全に苦い物 あるいは完全に甘い物です 舌を試します それでもまだ 食欲があります 過食するなら 一日断食します 十分でないなら 7日間断食します 次に40日間断食します 一か月は30日なので 40日断食したらもう死んでいます そのようにして ニルヴァナの苦行をしました 死んでいるなら いずれにせよニルヴァナを得ます 何も残りません 骨だけです その骨がニルヴァナになっても 結局は死に至り 終わりになります 疑いなくニルヴァナです 次に家には住みません 快適だからです 妻や子供 全員を断念し 布だけをまとい 物乞いをします その布でさえ執着するので 問題となります そこで誰もいない ヒマラヤに行き 服を脱ぎ 寒さの中 震えながら耐えます そしてニルヴァナを得ます 身体の欲求をなくすため まずこのような 条件が課せられました “ニルヴァナを得るためなら 何もいらない”と言い聞かせました 第二に快楽さ 喜びを求めようとさせる頭を なくすことでした 例えば何かとても 欲しているものがあるとします それを拒みます 頭が言うものに “いらない いらない”と言います サンスクリット語で シュロカがあります “これもいらない これもいらない” と言い続けます そして初めて ニルヴァナのことを口にできます その前はニルヴァナのことを 話すことすらできません この本を読んだとき “これはやりすぎだ”と言いました サハジャ ヨガでは 全くその逆です まず建物の小尖塔を建て 次に土台を建てます はじめに得るものは サハスララの開花です そしてそのサハスララの光で 自分自身を見なければいけません ヴァイブレーションを通して 内省することの方が良いのです そして見ることです なぜ私はこれを望み アテンションが 快適さにいくのか なぜ食べ物や自分の家族 子供にいくのか 至高の状態に 到達しなければいけないのに そこで内省し始めます すると自分のヴァイブレーションで 何かがおかしいとわかります 他の者の何がおかしいのか 見ません 自分自身を見ようとします 得なければいけないのは あなた自身の上昇だからです しかし昔はこのようなことが 個人レベルで行われました ニルヴァナを得ようとする者は 人里離れたところに行き 人を遠ざけ 関わらないようにして 上昇を リアリゼーションを 得ようとしました 自分のためだけにです 他の人のためではありません その者は完全に隠者となり 誰とも話さず 会わず 人里離れた山の頂で 瞑想しました 近づく者には石を投げ ひどいことを言って 決して 会おうとしませんでした サハジャ ヨガは違います サハジャ ヨガは 全体の上昇です このような個人の達成は 何にもなりませんでした 聖人はもちろん 人々と話し リアリゼーションについて 神について 徳や価値観について 教えようとしましたが 人は彼らを変人と見なし 苦しめ困らせました なので個人レベルの 上昇の段階では それについて話したり 教えたりする以外には サハジャ ヨガが始まるまで 手立てはありませんでした 話すことすら 禁止されていました インドでは12世紀まで 公の場では 誰も話しませんでした すべてサンスクリット語でした 数人の熱望者だけが理解できる 難しいサンスクリット語の本でした 極少数の者に 説明されました それでもリアリゼーションを 与えることは拒否されました なので一人の師に 弟子が一人つきました すべて個人的な上昇 個人的なワークアウトでした 弟子は他の者から遠ざけられ 内密に働きかけました その者は歌ったり 詩を書いたり 至福について 話したかもしれませんが 他者にリアリゼーションを与える 権利はありませんでしたし 与え方も知りませんでした あなた方がどれほど 上昇したかおわかりでしょう 断念することもなく リアリゼーションを得ました より広く 働きかけられます リアリゼーションを与えれます サハジャ ヨガについての 精妙な知識を知っています 今日は私たちが知るべき 大切なことをお話しします 知ることは とても大切です 教会に行くかのように サハジャ ヨガをする人がいるからです ハートからしていません ハートは スピリットの住まいです 私たちの内にいる シヴァです なのでハートについて 知らないといけません とても大切なことです ご存じのように 三つのナディがあります イダ ピンガラ スシュムナですが ハートには 四つのナディがあります 一つ目のナディは ムラダーラに行きます ムラダーラの一線を越えると 地獄に落ちます それゆえシヴァは 破壊者であると言われています 実際自ら 破壊を招きます 自ら招き そうなります すべて滅ぼしたとしてもです 実がなるとき花びらは 朽ちていくように見えます あなたの コンディショニングやエゴ 人種主義 熱狂主義が 破壊されるようにです これらすべて サハジャ ヨガで破壊されます 美しさが現れてくるために 破壊されなければいけないものです ある境界線を越えると 自らの破壊に至ります 四つのナディがあるので 四つの方向で破壊があります ではどうすべきでしょう 最初のナディが地獄へといくのに この破壊をどう食い止めるのでしょう シヴァの資質の一つは 純真です 彼は非常に純真です 子供のようです 彼は純真を体現しています なので 私たちの世俗的な欲求を 純真に 純真の大海に 溶け込ませないといけません 純真の大海に 溶け込ませます 純真は その良さをわかり 理解し 楽しまれないといけません 動物を見ると純真です 子供たちを見ても 花を見ても 純真です あなたのアテンションを これらに向けなさい 道を歩くとき 高さ100センチ以下に 目をやるのが最良です 100センチ以下には 花や 美しい芝や 子供たちがいます そちらに 目を向けると良いです それ以上の高さのものに 目をやる必要はありません 100センチ高さのものを 見なさい 人の脚を見ても 構いません 純真でない人の目は 見ないことです ですからこの欲求を 純真さに溶け込ませなさい 純真であるこのムラダーラは 朽ちることなく 純真で高潔です シュリ ガネーシャの資質です 純粋です この世俗にいようとも 人間のように暮らしていたとしても 子供がいたとしても あなたは純真であり続けます 一度シュリ クリシュナの 妻たちが 彼には1万6千人の 妻がいました それにもう5人です 1万6千人は彼の力でした そして5人は要素です 彼女たちは大変有名な聖人に 祈願しようと願いました 彼に会って 敬意を払おうとしました そこでシュリ クリシュナの 許しを請いましたが 川が氾濫し 渡ることが困難だと知り 渡れませんでした 彼女たちは戻り “どのように渡ればいいのでしょう” と言いました クリシュナは “そこに行き こう言いなさい” “シュリ クリシュナが ヨゲシワラであるなら” “性的に完全に純真なら 水よ沈まりなさい” “そんなことはできるのだろうか 私たちは数多くの妻です” 彼女たちは川に行き その通り言いました すると水が 引き始めました 彼女たちは夫の言ったことに 大変驚きました そして川を渡り そのリシを崇拝し また戻ろうとしました するとまた川が氾濫していました そこでリシのもとに戻り どうすれば良いか尋ねました 彼に“どのように渡ったか”尋ねられ シュリ クリシュナの話をしました 彼女たちはリシに沢山の食べ物や 果物をもてなしていました “では川に行き リシが 全く何も食べていないと言いなさい” 彼女たちは驚きました 彼女たちが戻って川にそう伝えると 川の水が引きました ですからこの世俗に生きていても 妻であり 夫であったとしても 結婚していても あなたは純真でいられます 完全に純真でいられます それが純粋の象徴です あなたを破滅へと導く 二番目のナディは欲望です それゆえお釈迦様は 欲望を持たないことが 老いない 病気にならない 心配にならない 唯一の道であると言ったのです 私たちが持つ “欲しい”という欲求は どこよりも 西洋に強くあります 企業家が日々新たな物を 生産しているからです 例えば髪に関しても 女性は様々なウィッグを欲しがります “これが欲しかった このウィッグをつけたい” 他の女性は “私はこれがいい”と言います 男性の欲しがるものといえば “彼がロールスロイスを持つなら 私も持たなけらば” 他者のロールスロイスを 楽しむことができません 自分の物でなければいけません 所有していなければいけません 欲求は物質的なものでなくても 何にでも持てます メンタルなものでも あり得ます “この女性は この子は 自分のものだ” 様々な所有欲として でてきます それが執着のためだとは 言えません 執着ではなく ただもっと 自分のものにしたいのです どんどん自分のものにしても 幸せや満足感は感じません このような欲求の理由は それが純粋な望みではないからです 不純な望みです そのような望みが働くと 極端に走ることもあります サダム フセインや ヒットラーのようにです 限度を超えた 完全な欲求に他なりません 他者を支配したいのです これもまた 別の欲求です このような欲求は 最終的に破壊へと導きます 歓びや 幸せがないからです 例えば サリーが欲しいとします するとサリーを 買いたいと思います アテンションがいかにサリーを 手にするかにすべて注がれます アテンションがつまらないものの ために汚され乱されます スピリットを楽しみ 養うアテンションが 欲求のために乱されます 第一に純真でないので アテンションが乱されます 第二に欲求があるので アテンションが混乱します では欲求に対して 私たちはどうしたらいいでしょう 欲求は物質的欲求から 審美的な欲求へと 美しいものへと移すことができます 真に審美的に 豊かなものを持つようにします それがシヴァの資質だからです 彼がすべてに審美を与えています 例えばこれが簡素に見えるとします 機械的だともいうかもしれません もしシヴァの仕事なら 彼はそれを美しいものにするでしょう ですからシヴァの資質は ブランマデーヴァによって 創造され ヴィシュヌによって進化したもの すべてを美化することです 審美的なものを創造する 精妙な仕事をするのが彼です 光が沢山写っている私の写真を 見たことがあるでしょう 彼の仕事です 彼がしています 彼が光を放ち あなたに私のことを 納得させるために写し出しています なので彼の仕事は 審美的なものを創り出すことです 振る舞いの美しさ 詩の美しさをです 創造する全てが 美しく創られます 歓びを与えるものにします それが彼の資質です ですからあなたが 望むものが何であれ それをワークアウトさせ 手作りの審美的なものを望めば 次第にヴァイブレーションに 行きつくとわかるでしょう 美しいもの全てに ヴァイブレーションがあるからです ヴァイブレーションに至るには 純粋な望みでないといけません なので狂気に満ちた あなたを狂ったようにさせる つまらない退屈な欲求が 純粋な望みになります あなたの欲求すべてを ヴァイブレーションに 溶け込ませないといけないからです しばらくするとあなたは ヴァイブレーション以外は求めなくなります ヴァイブレーションのない物を 買いません ヴァイブレーションがない者とは 話しません 相手にヴァイブレーションが全く なければ逃げ出すでしょう 猿に追いかけられているかのように 人から逃げる者もいます よく見ると 酔っ払いであったりします 以前は自分が 酔っ払いだったかもしれません “今はもう沢山だ とんでもない” 以前ヒッピーだった者達と 一緒にいたことがありました 今はあなた方同様普通で サハジャ ヨギです その時4、5人のヒッピーが プログラムに来ました ラフリだったと思います 彼らが恐怖を感じていたので 私は“どうしたのですか” そこでやってきたヒッピーたちを 見ようと振り返りましたが その時には彼らは 出て行っていました ですからすべての欲求が ヴァイブレーションに終わります そうでなければ 何か欠けていると知るべきです そうならなければ あなたは終いに破滅します 彼が破壊者であると言うのは 一方的な捉え方です 彼には 両方の力があります あなたにヴァイブレーションを 与える力があります 彼が与えます 女神がその力 シャクティですが 彼がヴァイブレーションを創ります 例えば これは指ですが あなたをくすぐれば それはシヴァです 指は女神のです くすぐれば 歓びや幸せを与えます それはシヴァです バクティです バクティの歓びは シヴァから来ます 今日お話ししましたが ある女性が デヴィの献身者で バクティについて沢山学んでいました 沢山のことを知っていて 私に溶け込んでいました 彼女が何をしてきたか 知りませんが 通常人が デヴィについて読めば “これはデヴィについてで これはマタジについて”と分けます 人はデヴィについて 読んでいるとは知りません 彼女は “マザー 私には分かります” “貴方がいかに 優しいか綴っています” “女神がいかに私に触れ 私の面倒をみているか” “いかに注意が 私に注がれているか” “カタクシャ カタクシャ ニルクシャナ” という文があります “すべての一瞥が視察です” 視察は適切な言葉 ではありません ニルクシャナは 神聖な視察という意味です “いつも貴方であると感じます 常に貴方です” “音楽を聴けば感じます 私を見ています” “私を感じています 養っています” “いつも貴方の愛を感じます” このようにバクティがでてきます あなたにあるヴァイブレーションは 無味乾燥ではありません それはバクティの歓びです バクティを崇拝や 他の言葉に変えたとしても 神である愛の大海です あなたはそれに浸るだけです それは言葉で表現できません あなたが感じるのは それなのです スピリットであなたと あなたのお母さん あるいはお父さんとの つながりを持てたのです 違いはありません あなたはその大海と一つです 大海に浸っています あなたは滴であり 大海です そのバクティと 一つなのです そのバクティは 機械的ではありえません 人間の作るものでは ないからです なので サハジャ ヨガを楽しむとき それは無味乾燥な ヴァイブレーションではなく バクティだと知るべきです それが シヴァの資質の歓びです 彼が私たちの人生に 与える歓びの資質です すべてが取り囲まれているように 反響しているように見えます 歓びも同じです “私は神に愛されている” “神が私を愛していて 私の人生に意義がある”と感じるなら まずエゴがなくなります そしてコンディショニングも なくなります 三番目のナディは 私たちが執着を感じる 人に執着を感じるナディです 例えばこれは私の子供です 夫です 家族です 妻 父 母です サハジャ ヨガを始めると皆 初心者なので 自分の家族全員のことを 話します “私の父がこうです 母は病気です 母の妹の兄が具合悪いです” まるで契約を 結んだかのようです 今日ある人に聞きました ある夫婦が最初の子供を 亡くしたそうです 別の部屋に 寝かせたからです “小さい子は母親と寝るべきです 面倒を見るべきです”と言いました インドにはそのような 母親はいません それができなければ 夫を追い出すでしょう “一緒に寝るべきだと伝えなさい” と言いましたが 彼らは信じません どうしようもありません その子の面倒を見るという 契約はありませんが 私たちの言うことさえ 耳に傾けません 始めの頃に 良くある考えですが “マザー サハジャ ヨガを 一か月していますが” “私の経済的な問題が 改善しません” まるで私をそのために 訴えるかのようです 私ががっかりさせた かのようです 自分たちはサハジャ ヨガを始めた ばかりだと理解していません あるいは何年もしていても サハジャ ヨギではないのです 何か欠けています それに値しません サハジャ ヨガでなく あなたに問題があります しかし人は何か契約を 交わしたかのように感じます すぐさま知らせてきます “この人 あの人が病気です サハジャ ヨギを5人送ってください” 何のためでしょう これらの執着が 私たちの内で働きます ある者は自分の子供に 大変執着します そして甘やかし続けます “私の子 私の子” すると突如 子供が悪魔のように なっていると気付きます 口答えしたり ひどいことを言ったり 暴力を振ったり 不作法に振る舞います 愛情を注いだのに ひどくなったとわかります さらにひどく感じます “私はこんなに妻に 夫に尽くしたのに このような仕打ちをされている” なぜそんなに尽くすのですか 必要はありません そうするなら ただ尽くし あとは忘れなさい 私はそのように 感じたことはありません 一生懸命働きかけた ヨギが堕落しました 私が気に掛けるなら “今後どうなってゆくのか” それが唯一の関心です 私に何が起こるかではありません 何も私には起こらないからです 彼らが罪深いのであれば 彼らの将来を案じます ですから違います このような執着をサンスクリット語で ママットゥといいます “これは私のです これは私の子 私の 私の” あなたの親族がサハジャ ヨギです 覚えておいてください 次のことを 覚えておいてください “私の親族は サハジャ ヨギだけです” “妻や子供であろうと誰も” “サハジャ ヨギを 困らせたりさせない” “そうならば私とは 関係ない者である” サハジャ ヨギに害を及ばさない限り 関係は大丈夫です サハジャ ヨギを傷つけるなら 関係はないからです そのような者を沢山見てきました すばらしいヨギで 自分の妻や子の 肩を持ちません もしそうするなら彼らを罪深く だめにしてしまうからです 自分の上昇を気にかけます 家族に他のヨギを 困らせることはさせません 刃向かう 問題を起こす 暴力的な子供をみてきました 親は“マザー 正してください 貴方にお任せします” 他の者なら“私の子はそんなことを する子じゃない”と言うでしょう なので分別を 理解しないといけません “なぜ私は執着をするのか” この直喩を 何回も与えました まるで 樹液が上がっていき 木の様々なところに行き 幹 枝 葉 花 実を滋養し 戻るか 蒸発するかと同じです どこにも執着しません 一か所に偏れば 木は死んでしまいます そしてその樹液が行ったところも また死んでしまいます しかし樹液の方が 私たちより分別があります 彼女たちにとって 夫が第一です 夫や妻に関して 数多く問題があります なのでグルは“サニヤーシに なりなさい”と言いました “そうすれが妻子について 話さないでしょう” “まずサニヤーシになりなさい” グルの頭痛の種も なくなります 家族の話をするなりグルは “出ていきなさい”と言ったものです しかしサハジャ ヨガには より深い仕事があります 社会面 政治面 経済面に 入り込まなければいけません 全世界の解放です あなたの 責任を理解しなさい 個人の禁欲的な上昇のために いるわけではありません あなたは全世界を解放するために 選ばれたと理解するのに どれほどの叡智 愛 分別 が必要でしょう 破壊へと 至らせないための方法は いわゆる限られた愛ではなく 無限の愛です シヴァは愛に他ならないからです 彼は愛です あなたを正し 滋養し あなたの善を望む愛です それがシヴァです あなたの善を望みます あなたの善の面倒をみます 他の者の善のために 愛でもって尽くすなら 人生が変わります 生活が変わります それを楽しみます なぜなら 多くの者や多くの家族 他の者の問題に 関心を持て その者達と一つであると 感じるからです 今日沢山の サハジャ ヨギがここにいます 初めて イタリアに行った時 グレゴアーの奥さん キャサリーンと行きました 彼女が唯一 イタリア語を話せました ホールを予約し 広告を載せるよう 新聞社に頼みましたがだめでした 結果誰も来ませんでした そこで彼女とチラシを張るのに 回りましたが誰も来ませんでした 今日沢山の人がいます 私達はお互い愛で つながっていると知るべきです その愛は私たちの善のため 私たちの上昇のためです するとみんなを楽しめます 人種や国やその人については 気にしません サハジャ ヨギであるだけです あなたは普遍的な 人格になります この姿勢で なければいけません インド人の若い女性が 苦しめられていると聞いて なぜそのようなことが できるでしょう 肌が黒いからといって インド人が下層階級だからといって 不当な扱いをするなど ありえません 全員が全体の 一部分だからです みんな同じ母から生まれた 兄弟姉妹です しかしこれは 偉大な 無限の愛の大海に あなたの限定された関係を 溶け込ませたときに可能です それができないなら 正当化しないことです ただ自分自身を目撃します 自分が皆を真に 愛しているか見なさい 私は常に 買い物に行くと “これはあの人に 良いかもしれない”と考えます 自分自身のために 何か買うのは不可能です 早急に必要でない限り ないと困るのでなければですが 喉が渇いていても 飲み物ですら買いません すべてが他者のための 歓びだからです “これはあの人に良いだろう この人に似あうだろう” これらすべては 最も歓びに満ちたことです 他にはありません 自分のことを考えると “なぜ私はここにいるのでしょう” “私は皆を楽しむために ここにいます” “皆リアライズ ソウルです” “美しい蓮の花です” “私は泥とは無関係です” “私はもはや蓮の花です” このようにして ハートを開きます あなたのハートの蓮をです そのような者の香りは 大変すばらしいです あなたは分裂的になりません お互いばらばらになりたいと 思いません どこでも構いません 快く同意するでしょう ここでなければ あそこでなければとは思いません 皆一緒であればです あなたにある 小さな執着を シヴァであるこの愛の大海に 溶け込ませないといけません 四番目は 私たち皆にとって大切です レフト ヴィシュディを通って ハートへとつながるナディです ハートから始まり 上にあがって アギヤを通ります 4つの花弁があり 開きます トゥーリヤと呼ばれる状態を あなたに与えます 私たちは3つの状態において 生きています 起きている状態 ジャグルティにおいて 私たちのアテンションは散漫します アテンションを汚します 二つ目の状態は いわゆる寝ている状態です 眠っていると 過去に起こったことが 甦ってきます そしてスシュプティと呼ばれる 深い眠りがあります 深い眠りの状態です 現実の夢を見ます 私のことを 夢で見るかもしれません 潜在意識の エーテルの部分のようです そこですばらしい情報が 得られます 例えばイタリアに 私が行くとします イタリア人はスシュプティで 私が来たと分かるでしょう 人によります 四番目の状態はトゥーリヤで もう二つ状態があります あなたは トゥーリヤの状態にいます “トゥーリヤ”は 四番目の意味です 思考を超えた意識状態が 四番目の状態です 思考がないとき あなたは純真です 思考がないとき ヴァイブレーションがあります 思考がないとき 誰にも執着しません “トゥーリヤ スティティ”です この状態にあなたがいると あなたの内にある これらの四つの花弁が脳で開きます あなたのハートから 脳にいきます そこであなたは 神が何であるか 完全に理解します 完全に神を理解します その時 真の知識を人は得ます しかし四つの花弁が開かない限り また戻ります それゆえ サハジャ ヨギの中には 手を付けるべきでないものに 手を出す者がいます 彼らは神が何であるか 理解していません それもある一つの点を理解するような 理解ではありません それはハートから 脳へといくものです 脳からハートではありません それはまるで 蜜のようなバクティが 脳を覆うようです 完全にです 例えば シャンカラチャリヤが 素晴らしい論文 “ヴィベカ チュダマニ”を書きました 神は何かを記しました “ヴィベカ”とは意識のことです それについて語っています しかしシャーマというひどい人が 彼に抗議しました 彼をうんざりさせました そこで彼は “サンダリヤ ラハリ”を書きました お母さんを称賛する マントラでした “私はお母さんを知っている 称賛させてほしい” “討論は必要ない 愚か者には理解できまい” 彼は悟りました “彼らは私が知ることを理解する 能力も感受性も持っていない” 真の知識は神が何であるか 分かることです それが神であるなら なぜあなたは疑ったり 分析したりすることがありますか 神です すべてを知っていて 成していて 楽しんでいる全能なる神です それこそギャーナというべき 真の知識です 純粋な知識です チャクラの知識 ヴァイブレーションの知識 クンダリーニの知識でもありません 全能なる神の知識です そして全能なる神の知識は メンタルではありません もう一度言います ハートから始まり 脳に行きます 歓びの経験から来るものが 脳を覆います すると脳はもはや それを否定できません あなたはお母さんの愛を 知っています でも説明できません あなたのハートから来ます “お母さんはそのようなことはしない 良く知っている” お母さんについての知識は・・・ 生みのお母さんはいいお母さんとは いえないかもしれませんが 愛であり 真実であり すべてを知る神についての知識は あなたの一部になります その時ニルヴァナであると 言えます 特に西洋の人にとって ハートを開くことはとても大切です ハートから始まり 脳からではないからです 人をヴァイブレーションで 判断してはいけません 自分自身を常に判断しなさい シヴァ プージャはより多くの説明と 理解を意味します 他のプージャでは 様々なマントラなどがあるからです しかしこのプージャでは 知識を知ることです それは神です 神を知るということは すばらしいことです 彼女がマハマヤであれ何であれ “私は彼女を知っている”ということです 一冊の本でも100冊の本でも 説明できません 言葉では説明できません 神を分かることです つまりそれが神です 全能なる神です そしてそれがあなたに 素晴らしいサレンダーを与えます そこは愛の大海において 完全な安心感をあなたに感じさせます その状態を皆が 得られることを願います 神の祝福がありますように […]

Mahashivaratri Puja New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja
シヴァは永遠で常在するのに なぜその誕生を祝うのでしょう 今日祝うのは 地上でのシヴァの確立で 物質的な自己にあります 全ての物質は神格によって創られ そこに神が宿ります なのでアディシャクティは まずシヴァを確立しようとしました 究極の存在であるシヴァ抜きでは 何も確立しないからです なのでシヴァを確立しなければなりませんが どうすればよいのでしょう 彼はタモ グナの神です 冷たく 静的なもの全ての神です まず 地球は熱い太陽から 離れた月の近くに置かれます 月はシヴァの義兄です 地球は月に近づき 氷に覆われるようになりました それから次第に 太陽の方に近づいていきました すると氷が溶けだします それでも氷が溶けずに残る その場所でシヴァが確立されました その地点は今もあり それがカイラスです 溶けずにある氷は シヴァの顔のように 目や鼻など年中はっきりと 形が見えます シヴァは このようにして創られ 地上で起こること全てを 観ずる存在としています 宇宙のクンダリーニである インドのある南を向いています 彼は両手を このようにして南を向き アディ クンダリーニの スペクタクルを観ている そのように創られました 宇宙のハートは イギリスですが シヴァはサハスララに座していて そこが彼の玉座なのです シヴァはあなたのハートに 宿っていても 彼の座は頭頂で そこからすべての身体を 観ています だから脚は南 頭は北 左手は東で 右手は西です このように宇宙が創られたと 見ることができます 立たないで座っていなさい 写真をとらないで 私の話を 注意して聞きなさい 瞑想的に聞くのです 私の話を最大限 役立てたいでしょう 瞑想的に聞きなさい そうすればはっきりと聞けます なにかせず 瞑想することです なのであなたは 目撃者として南を向いています 誰かが南の人は南枕で 寝る人がいると聞きました するとシヴァに足を向け 寝ることに なります カイラスは北ですね なのに何故脚を 北に向けるのでしょう 理屈にあいません ブラミンが言ったからといって 反対のことをしているのです ブラミンからこの国が 守られるといいのですが ブラマ(神)のことを 知らないくせに聖職者でいます 彼らが本物であれば 必ずこの国を治める用になると思います シヴァが物質において まず確立されるなら 私達においても同様で 胎児が形成されるとき シヴァの確立によって心拍が起こります シヴァが確立された というサインです 心臓に問題がある場合 シヴァの確立が 不完全であると言わざるを得ません 悪い人ということではなく 長生きする運命ではなく 後世で別の心臓を 持つのかもしれません もしくは前世で何らかの問題が あったのかもしれませんが シヴァの原理に 注意を払えば治ります 最も大切な臓器は 心臓です 心臓が止まれば 存在することができません なので アトゥマであるシヴァを 大切にすることが最重要です 私達は些細な 世事にかまけています あれこれと心配し スピリットに関心を向けません それが私達の 最大の問題です スピリットに 注意を払えば 全宇宙が歓びそのものである パラブラマと共鳴しだします ですがスピリットに注意を払わずに 人生を楽しもうと思ってもできません 無意味な事に囚われて スピリットを忘れていては人生を楽しめません 完全な静寂はスピリット以外からは 得られないのです 内なるスピリットが 目覚めると 静寂が働きだしてリラックスして 自分自身でいられるようになります 問題はなく 普通人が求めるものを求めず 自分自身と共にありたいと 思うでしょう ただ 同じようにスピリットを見つけた 他のサハジャ ヨギを求め ハートに宿る スピリットの交流をするでしょう スピリットは私達の内なる普遍性で 合一により普遍的な意識をもたらします シヴァやその原理には 多くの性質があり 全てはお伝えしませんが もう一つの次元があります シヴァの原理を持っている人は 冷静なタイプだということです そのような人は 熱いヴァイブレーションではなく 活動的なタイプでなく 極めて冷静な性質を発達させます 低血圧であったり スピリチュアルな性質を持ちすぎるゆえ 下痢気味だったり するかもしれません レフトサイドの作用で 愛の側に立つ人かもしれない レフトサイドはいわゆるカパの側で 粘液質のことです レフトサイドなので 風邪をひきやすいタイプです このような人は風邪などから 身を守る方法を サハジャ ヨガで 学ぶ必要があります スピリット自体は 健康問題を超越しています ですが スピリットの事ばかり考える レフトサイドな人は偏ってくるので この世に生きるなら バランスが必要です 自身のスピリチュアルな成長のための 活動に従事する事です スピリチュアルに成長した人が シヴァの原理で地上に生活することはできません バランスのとれた 性質でいなければなりません そのバランスが発達すると スピリットがハートから頭頂に登ります これが第2段階で ここは集合性 コレクティヴィティです 愛と情を中枢神経に注ぎ込んで 頭頂のヴィラータに導くと あなたの集合的な存在から 愛が広がり始めます そうなって初めて あなたは十全な人格となります でなければシヴァの原理は 宇宙の存在と無関係に存在しています シヴァの原理の重力に 宇宙は存在し 消滅していきます スピリチュアルな渇望を持つ者は 自身のシヴァをハートから頭頂へあげて 自分をサハスララの ディタッチした在り方に導くべきです 完全なバランスとは どこにあるでしょう サハジャ ヨガでは多くの人が 優しく 愛を持った良い人達です 例えばデリーでは ムンバイの人のようにきつくありません ムンバイの人はきついし プーナの人はもっときついです ですが ムンバイや プーナのヨギは深いのです 彼らは同情心のような感情を超えて 少しバランスをとれているからです “人にきつくしてはダメです不親切にしないで” という態度も変な場合があります 例えば昨日は私も 皆と同じ場所で寝ました ムンバイやプーナだったら 話し声は全く聞こえません ライオンやトラがいる森のように 静まり返るでしょう トラがいれば 何マイルも手前から 分かります 静まり返っているからです それがデリーでは 皆が話しています お金のことなどペチャクチャとしゃべり 外国からのヨギもそれに参加します 驚くほどです なぜあんなにいつも お喋りするのでしょう 逆に 私が寝ているときには 皆座って瞑想をするべきです なのに 無意味な話をしています 皆がペチャクチャと喋っていて どうしたら良いのでしょう 同情的な態度をもつかぎり 話し続けるのです “仕事でこんな問題があって”とか “私も同じですよ 彼らはダメですよね 他にも問題あったらしいですよ”とか サハジャ ヨガに 無関係な話をしています サハジャ ヨガの話ですら 私の前で話すべきではありません このような態度はサハジャ ヨギに 相応しくないとお願いしなければなりません 私の前で口を開くことすら 良くありません 詳細には 立ち入りたくありませんが シヴァの原理をハートから上げるには たくさんのことを学ぶ必要があります あなた方は人を歓ばせ まとめることには 長けているし 口論もありません ムンバイやプーナの サハジャ ヨギたちは口論好きです でもプーナやムンバイのサハジャ ヨギたちは 個人としての深みに到達しました 彼らは次に ハートに 少し帰ってくる段階です 彼らはちょっと人に厳しすぎるので 次の段階はそうなるのです ただ ある程度の厳しさが 必要なのです 例えば“マザーのおみ足に 触ってはいけません”と言われたら 悪い気がしますが 世俗的にはそうなります それが“私の足に触らないで下さい” と私が言ったら それに従い 自分ではなく 私を歓ばせるべきです “彼らは初めてなので これを言わないほうが良いです” という迎合的なアテンションを変えなさい やりなさい でないと私をアプラサンナにして それが問題を引き起こすことになります プーナやムンバイの マラティ語のようにきつくでなく ちゃんとしたウルドゥ語のように 人を不快にさせないようにしつつ 言うことは 言わなければいけません 私の邪魔をするようにしないで下さい きちんとするように伝えるべきです 自分に深く入るために 一人になり 瞑想と黙想に入りなさい デリーのヨギが皆そうだとはいいませんし ここでは組織運営が上手で ムンバイやプーネのヨギは 学ぶ必要があります 皆が口論し 飽き飽きします お互いをすり減らすのも 気に入りません でも 個人としては 彼らは良いので 個人的になります 個人的な人と社会的な人がいて 両極端になりがちです サハジャ ヨギはどうすべきでしょう マザー依存症になるべきです マザーが好むことをするべきです 分かりますか 世間や個人を 喜ばせる必要はなく マザーを歓ばせるというシンプルな事で アディシャンカラチャリヤが言ったことです “何がマザーを歓ばせるか” を学問にしなさい 分かりますか シヴァの原理として 私を歓ばせるのはたやすいことです 間違いをして 耳を引っ張っても大丈夫です でも やり過ぎないように 間違うのはいいけれど 当前と思い 間違え続けてはいけません 長いロープを掴んでも 結局それで首をつってしまうでしょう だからロープを与えられたら 却って気をつけないといけません 世間や自分の意見に こだわるべきではありません どちらも間違いです 私の中の全ての神格を 歓ばせるように振る舞いなさい 私は存在しないのです 信じて下さい 私は多くの存在の 集合にすぎません 宇宙にも この体にも 私は見当たりません たまに“これは一体何か” と思います 外部として感じられます でも そこに行き渡り 楽しみ 生活する一方 私はそこに存在せず どこにもいない 何がマザーを歓ばせるかを理解しようとすれば 私の望むような威厳を持てるでしょう 私の望むように 歓びを感じられるでしょう 私の与えるヴァイブレーションを さらに得る能力をえられるでしょう 何であれ あなたが自分に 良いことをすれば私は歓びます ただ 自分に良いことを自分流に考えて また個人主義になるかもしれません もしくは世間に 迎合するかもしれない 私が午後7時前に プログラムを予定しないように言うと 都合が合わないと言うかもしれませんが 私に合うかどうかが問題なのです 私にしか できないことがあるからです それをできる時間は 決まっています 私の予定をあなたの都合に 合わせないでください 午前11時以前に 予定すべきではありません 早朝5時であれば 良いですが ある時間は別の目的に 使わなければならないのです 何であれ私に合わせることが あなたの善につながるのです それが最も効果的です あなたのために 私のトリックを教えてあげているのです しかし働く人は 来られないだろうと言うのです 来なくて良いのです 7時に映画があれば 彼らは行くのではないですか だったらなぜ安易にマザーを 彼らの都合に合わさせるのでしょう 人が少なければ そのほうがずっといいのです そのほうが 天国がゆったりします 私を安売りしてはなりません 理解するべきです マザーの威厳を保ちなさい 皆や世間を 助ける必要はありますが でないと ゴミの駆除ができません 捨てるべきものが 沢山あります ゴミの部分を 心配しないで下さい 最良のものを選びますが その際にきつい話し方をしないことです “どけどけどけ” と 話すべきではありません 話し方を変えなさい どう柔らかく話すかを 皆に教えなさい これは大切で さもなくば最後は 聖人をも侮辱してしまうかもしれません だからやめるべきです 分かりなさい あなたは人前で 正しい概念 行い 態度と知識を 示すことができます 正しい理性ではなく 絶対的な正しさです シヴァは絶対で 絶対的知識を与え 私の歓ばせ方を知っています 私を不快になるその瞬間に 劇を中断します 彼は私のために それを観察しています ダメだと思ったら 劇を止めて “中止です 終わりなさい” シヴァは観察者と言いましたが 裁判官でもあります なのでちゃんとしなさい 私はシヴァを 歓ばせるようにしています シヴァのもとで 宇宙が良き場所であり あなたが約束された 永遠の生を得られるように でも何がマザーを歓ばせるか 理解しなさい 私をじっと見つめる者もいます それもいけません 目を伏せなさい 馬鹿げた行いです 馬鹿げているだけでなく 私を歓ばせません あなたもそうされれば 同じでしょう 私はあなたを 歓ばせようとしています どうやって歓ばせるか 私から学びなさい もちろん 私のようにはできません “マザー そこに行ったら馬をもらって・・・” と話しても 自己を達成できません 私はあなたの問題を解決できますが あなたは私の問題を解決できません あなたを歓ばせるのは 容易いです どんな仕方でも良かれと思って 人を不快にしないことです 特別なことを する必要はないのです この簡単な事が分かれば よかれと思って 私を不快にさせることもないでしょう 特別な事をする必要はなく 優しく 愛を持っていれば 私はいいのです そもそも私は上機嫌なので あなたに満足です いかにこれらを乗り越えて 何を達成すべきかですが 今のところデリーの人はハートから サハスララに行く必要があります ムンバイやプーナの人は ハートに戻る必要があります ラフリの人は ちょうどあいだと思います ちょうど中間です オーガナイズ上手だし 個人としても私に問題事をつくりません ラフリがおそらく 私のメッカかもしれません でも誰でもそうなれるのです 皆が伝え合い 教え合い 高め合えるのです 自分を本当に愛し 進化させようと思えば自然にできます 本当にしたければ 何かする必要はありません 次第に上手くいき バランスがとれてくるでしょう おしゃべりな人は あまり喋っていはいけません しゃべりすぎるなら 話を終えたらやめるべきです 必要なときに話し 必要なければ話さないことです そのような人格を 育てることができます どこまで話し どこには触れないかの知恵です やらない というのが シヴァの性質です 彼は何をせず 座って全ての喜劇を観ています 彼は何もせず 観ずる方なのです 彼が観るのをやめれば 劇は全ておわりです 何もしないことで 彼がどれほどしているか分かりますか その対比を見なさい 彼は皆を踊らせて 楽しんでいます 同じように あなたにも両面があります サハジャ ヨギとして そのバランスを達成できます それはあなたの善や進化 発展のためです さあ今日は 全てに浸透するシヴァの原理を 個々に伸ばすチャンスです カビラは美しい詩句に 表しました “私は愛を起こし 取り出して その波動を5大要素に注ぎ込む” と 偉大さが 分かるでしょう 彼は心から取り出して 5大要素に注ぎ込むのです これこそが サハジャ ヨガです これが分かれば 他に何も分かる必要がありません ハートにおいてそれを得たら 心の資本家となり 外では社会主義になります このバランスをきちんと 取れるようになれば終わりです できます 皆でやりましょう そして世界に それができると示すのです いわゆる普通の人が 非凡になれます 今日はそれをサハジャにすると 決意しなさい 常に自分を見続ければ 分かるでしょう 自分に言い訳しないことです そこがポイントではなく そういうのは馬鹿げています 自分に挑戦しなさい “どうしてこんなことになったのか”と そうして自分をワークアウトできます 力があるのだから間違いありません あなたのスピリチュアルな そしてコレクディブな成長を私は祝福します どちらも大切です コレクティブなしにスピリチュアルな 成長をしても意味がありませんし スピリチュアルな成長なしに コレクティブがあっても意味がありません 両者を統合しなさい シヴァをヴィラータに持っていき そこで確立するのです やりなさい これさえ分かれば 人との関係も末永く 実りある 良好なものになるでしょう そしてサハジャ ヨギの人生の質が すばらしいものとなります 神の祝福を […]