シュリ ヴィシュヌマーヤ プージャ Pawling (United States)

シュリ ヴィシュヌマーヤ プージャ、1997年、8月9日、ニューヨーク(アメリカ)

今日 私たちはシュリ ヴィシュヌマヤへ プージャをするために集まりました ヴィシュヌマヤは 人間の努力によっても創造されます さて雲は互いに擦れることで 電気が発生します ですから まずはじめに 雲が作られました 太陽が海に働きかけます 沢山のチャクラが 関連しています 海はヴォイドです 太陽は海に作用します 月も海に作用します その結果 雲が発生します 大海で電気は生まれません 問題が起こるからです 皆が見れて 聞こえるように 空で発生します まず見て その後聞こえます 全てが計算されています それがヴィシュヌマヤです しかしまたこの地上の人間の 知力によっても作られました 最初 人は二つの雲が 擦れるのを見ました 原始時代に人は二つの物質を 擦り合わせることで電気を作りました 二つの物質 つまり物質の二箇所を 擦り合わせて電気を発生しました 大変意味深いことです 物質は電気を発生させるのに 使うことができます 電気の火花は 物質から発生します 物質なしに 料理もできません ですから ヴォイドの助けにもなります まず大海から空へ渡り 人々に電気は起こせるという メッセージを与えました それは愛です 人はより簡単に消化できるように 料理の仕方も学びました 私たちのためになっています 人間はより良い生活のために 自然界から学び 実践します この慈悲深いエネルギーは 人間のためにあり 利用されます これはすべて ヴィシュヌマヤの創造です なのでマヤ(幻)なのです 電気でマヤを作れます それをどう作るかはご存知の通りです 幸運にも自発的にマヤを作るための この電気と関わる者が多くいます アメリカはこの電気 ヴィシュヌマヤによって助けられていますが 感謝していません 例えばナイアガラの滝や 沢山の滝があります 水が低い所まで落ちると タービンが動き 電気を作ります 静圧による電気です 石炭からも電気は作られます ここでもまた 母なる大地が彼女の中で 石炭を作ることで 人間のより良い生活に 作用します 彼女が全てのバダを腹部に 取り入れているに違いありません 石炭を作るために 石は燃やされ その石炭は 電気を作るために使われます 自然が私たちの善のために 働いています ニューヨークは 電気無しには存在しません 15分でも止まれば 電気の力がわかります それ無しで動くことも 存在することもできません それは作られなければいけません 人に善を与えます 料理したり 見れたり 聞いたりでき 楽しみます 電気無しには テレビも 何もありません ここの出口のサインもなければ 壁にぶつかってしまいます このヴィシュヌマヤは 大変作用しています でも彼女はマヤです マヤを作ります これが人のマインドに “私たちは世界の頂点にいる” という大きなマヤを作りました 仮に電気がなくなれば 石を擦り合わせて電気を起こす 原始人に戻ります この電気の流れは破滅のためではなく 自身の善のために使います しかし今日 あなたは 自分の破滅のために使っています 30、40年か もっと前のことですが 映画は白黒でした アメリカの映画は以前は 誠実味のある素晴らしい映画でした 既婚者が別の既婚者を 追い回すものは全くなく 素晴らしい家族を描く 大変純粋なものでした 全てを滋養するようなものでした 悪が打ち克つようなものを 見せることはありませんでした 今では泥棒がヒーローになるような ものを作っています そして人は 特に子ども達が そのような映画を見て 泥棒を偉大なものの象徴のように思います 彼らは完全にヴォイドに 内なる宗教に反しています ヴォイドを滋養する物が 原子価を保たせる物が 今では完全に ヴォイドを害しています それがそのマヤの部分です あなたに正しい道を示すべき同じ電気が 暗闇に光を照らすべき電気が 今では崩壊への磁石のように 人を引っ張っています これはヴィシュヌマヤの仕業です それは至る所に広がっています それは人々に概念を与えたり ある生き方を取り入れさせます ハリウッドや著名な人々は この電気で成功しています しかしヴィシュヌマヤに感謝することなく 人はヴィシュヌマヤに反することをしています このヴィシュヌマヤは あなたを助ける者です 彼女がシュリ クリシュナの シスターだからです シュリ クリシュナの領土なので あなたを助けるためにここにきました 彼女はシスターです よく理解すべきです シスターとの関係は 純粋です ここでは全てが混乱していますが これは兄弟姉妹の 最も純粋な関係です ブラザーはシスターによって 守られています そしてシスターの純潔は ブラザーによって面倒を見られます シスターの純潔が 危機に晒されていたり 彼女が不純でいることに心が痛まないなら 彼はブラザーとは言えません シスターの純潔を 保たせる責任があります そして彼女の純潔のみが 彼を守ります これは相互作用です この気持ちが育まれないなら、、、 “彼女は私のシスターで 私が 彼女の純潔を面倒見なければいけない” “私の欠点を気づかれないように きちんとしていなければならない” この関係はあなたを 大変浄化する工程があります 電気にも同じ工程があるようにです 電気がよくしているように シスターもブラザーのためにします 彼のために料理し 彼に正しい道を教え 彼を啓蒙し 時には彼に衝撃を与えます 彼らには衝撃が必要です でなければどうワークアウトして 良いか分かりません 何よりも シスターの扱い方に対して 大変注意深くいなければいけません シスターの扱いが 分からないなら あなたは完全に 間違えを犯すでしょう 思いもよらないことが起こりえます ですからいかにシスターを 扱うか心得ないといけません シュリ クリシュナの時代に シュリ ヴィシュヌマヤが ドラウパディとして再び生まれたことは 理解すべきことです 彼女はドラウパディとして生まれました ドラウパディが カウラヴァスによって攻撃された時 彼らは彼女のサリーを 取ろうとしました サリーを取る行為は 彼女の純潔への挑戦に値します マヤ ナグリを考えると 女性達は体を覆わなければ いけないという認識が全くありません このマヤ ナグリにおいて 全く逆なことをしています 大変責任ある者さえ“私たちの文化では 女性は露出しなければいけない”と言います なんという文化でしょう 全く反クリシュナ 反ヴィシュヌマヤです そのような者は 電気の問題に陥ります シスターの夫の純潔を 気にかけなかったり 逆に彼を支持したり 間違ったことをさせたりするブラザーは 同じように責任があります サハジャ ヨガではシスターは 守られなければいけません シスターの夫が間違ったことをしていたら ブラザーが忠告します 一度インドで ある新聞社が 私に対して批判しました 私の弟は憤慨しました 私は“問題が起きそうだ どうしたものか”と 事実大きな問題になりました 彼らは訴えようとしました “私は法廷に行きません”と “私たちが行きます”主人と兄弟が 一緒になると手に負えません どうしたら良いか分かりませんでした そこで私は 言伝を頼みました “編集長に私の兄弟に気をつけるよう 伝えなさい 彼らは影響力があります” でも彼らは謝罪しませんでした そこで私はヴィシュヌマヤを思いました すると大きなストが起き 新聞社が丁度六ヶ月閉鎖になりました 彼らは大きな損害を被りました 業務が再び始まると 働ていた人々が言いました “なぜシュリ マタジに対して批判をしたのか もう辞めます”ようやく新聞社は謝罪しました ブラザーの愛はアディ シャクティが 通常しないことでさえさせることができます 同じようにドラウパディが 挑戦された時 シュリ クリシュナは ハスティナプールにはいませんでした 彼は少なくとも千マイル以上 離れていました しかしこう伝えられています “シャンカ チャクラ ガダ パドゥマ ガルーダ ライ シダーレ” 彼は全ての武器を携え コンドルに乗って来ました シスターの純潔を救うために これら全てを携えました 私たちの歴史には 多くの出来事がありました 例えばアブラハム リンカーンは 自由の女神の 偉大なるブラザーであったと思います 純粋な愛で全く金銭を介さずに 女性のために 飲んだくれの亭主を 罰するため戦いました 素晴らしい強力な ブラザーの振る舞いです しかしこのような心持ちを持つ者は 今ではあまり見ません しかしロシアで レーニンの家を訪ねた時ですが 彼は奥さん以外に 彼のシスターの助けがありました 彼のためにタイプしたり 公的な仕事をしたりしました 彼は54年の短い生涯で 本を何巻も書きました まず第一に彼はシベリアにいました 彼のシスターが そのほとんどをタイプしたのです 私たちは滞在中も そのシスターの存在を感じました いかに彼女が ブラザーを助けたかを感じました この関係は何の見返りも求めない 大変純粋なものです 普通であれば妻は “私にコートをくれないなら離婚する”と イギリスやアメリカでもありえます しかしシスターと 離婚はありません 離婚できません 今回新聞社の出来事で 私のブラザーの名前が公に出ました “どうしたら良いでしょう 彼は私のブラザーです” 良くも悪くも 彼は私のブラザーです 彼と離婚は出来ません 全く切れることのない関係です 自然がこの関係を あなたに与えました しかしコレクティブにおいても この関係に敬意を払うことは 大変大切です あなたができなければ コレクティブの生活を浄化できません 私がパーティに行くと おかしなことが起こっているのを感じます 別の妻が 別の旦那と大変親密です おかしなことが起こっています 自分の妻以外は皆シスターです そうであるなら 純粋さが落ち着きます “彼女達は私のシスターです” そして目も落ち着きます あなたの目から純真が煌きます 大変簡単なことです リアリゼーションを得ると 目に煌きを得ます 輝きがあります それがヴィシュヌマヤです あなたの目を通して輝く ヴィシュヌマヤです そしてヴィシュヌマヤが 彼女が作り出すマヤを超えさせます 目の煌きをリアライズソールに 見たことがあるはずです そしてこの煌きこそが 兄弟姉妹関係の力や 美しさを感じさせ 理解させます サハジャ ヨガが始まった頃 これを 確立させるのは不可能だと思いました なのでヴィシュヌマヤを 試してみようと思いました うまくいきました 現にこれは間違っているあれが 間違っていると自然に分かります それに対して 掟を作る必要はありません ある女性が兄弟と アメリカに行きました 彼女は私に言いました “大変おかしな場所です” “節約のために 一つの部屋に泊まろうとしました” しかし“ダメです 兄弟姉妹は 一部屋には泊まれません” インドなら泊まれます むしろ“兄弟姉妹以外は泊まれません” しかしここでは兄弟姉妹は 一部屋に泊まれません 法律上ホテルに同じ部屋で 泊まることはできません 父と娘なら泊まることができます 馬鹿げています インド人にとってはショックです 私は“なぜですか”と 理解できませんでした 今や法律になるほどです 私たちにとって そのような法は馬鹿げています 電気について あなた方から多く学びました あなた方もヴィシュヌマヤの力について 私たちから学んだ方が良いです 根について学ぶことは 害ではありません 木が駄目になっていれば 根から本質的なことを学びます ブラザーとシスターの間の 純粋な関係についてです シスターとの関係は常に 夫婦間の接合剤の役割もあります 夫が私を困らせるなら 彼のシスターが彼をたしなめるでしょう 彼は気をつけないといけません 私も同じで 私が何か間違っていたとしたら ブラザーが夫の味方になります 私の味方ではありません それが関係を 大変強固にさせます 歴史において二つの 大変素晴らしい出来事をお話します 一つはシヴァジについてです 大変素晴らしい出来事が シヴァジの人生に二度起こりました 一度大変美しい女性が 彼の前に連れてこられました 彼女は服飾品を奪われていました イスラム教徒の宮廷に 仕える者の娘だったからです そして彼らはこの美しい女性を夫から奪って シヴァジの前に連れてきました シヴァジは彼女を見て言いました “どうかヴェールをとってください” イスラム教徒はヴェールをします 彼女がヴェールを取ると 彼は言いました “私の母があなたと同じくらい美しかったら 私は同じように美しかったでしょう” なんという詩的な言葉でしょう つまり“あなたが私の母なら 私はあなたと同じぐらい美しかったでしょう”と つまり自分のシスターである ことを喩しています そして彼はこれらの人々には 腹を立てて “女性に対してもそのようなことを 決してしてはいけません” そう言っただけではなく彼女に 沢山の服飾品や様々な物を与え “彼女は夫の元に敬意をもって帰る 私のシスターだ”と言いました 実は彼女の夫は シヴァジの最悪の敵でした いかに純粋さで その問題を解決したか その夫は彼のその振る舞いで 大変温和な者になりました そして彼の人生における 二つ目の出来事は プーネの私の家の近くにある 城砦についてです カマル クマリと呼ばれる ラージプートの女性がいました その城砦の役人である イスラム教徒の男性に捕まっていました “あなたは私と結婚しなければいけない” しかし彼女は受け入れませんでした 彼女は力尽くで 連れて来られたのです 彼女は受け入れませんでした 彼女はラージプートでした しかし彼は“明日には 私と結婚しなければならない” この女性はどうして良いか 分かりませんでした そこで密かにシヴァジに ラーキーと共に手紙を送りました でもそれは シヴァジの母に届きました お母さんは馬でシヴァジに メッセージを送りました “出来る限り早くここに来てください 食事中ならここで手を洗いなさい”と シヴァジはお母さんに 大変従順でした 人は彼の人格から 学ばなければいけません 彼は母の下に急ぎました 従順が彼の力だったからです “お母さん どうしたのですか” “私はあなたと チェスがしたいのです” “なぜですか” 彼は理解出来ませんでした そこで彼女はチェスをして 彼に勝ちました 彼女はただ言うことも出来ましたが 彼にヴィシュヌマヤを作用させたかったのです 彼は負けて “お母さん 何が望みですか” “今夜中にこの城砦を 占領してほしいのです” “今日ですか” “そうです” そして彼女は 手紙とラーキーを見せました ラーキーは大変強力で 母が息子に頼まなければいけないほどでした 息子はイスラム教徒から マハラシュトゥラの解放に責任のある立場でした つまり彼こそこの城砦に行って 占領することができます その紐に大変強力な メッセージがあります “分かりました” でも彼はどうしたら良いかと 動揺していました するとタナジと呼ばれる 男性が現れました 息子の結婚式に 招待するために来ました そして彼の動揺を見て “どうしたのですか” “母にこのように頼まれました” “私が行きます あなたが行く必要はありません” “私のようなタナジはたくさんいますが シヴァジはあなただけです” “しかし息子が結婚するのですよ” “私の剣がこの城砦と結婚します その後息子は結婚します” そのような素晴らしい人がいました 大変な犠牲心です たった一つのラーキーのためにです 彼らはこの女性について何も知りません 見たこともありません 今日そのようなことを する人はいるでしょうか 先進的で偉大とされている人がいますが 誰もこのような映画を見には行きません 人はつまらないと感じるからです さて彼はそこへ行き 大きなトカゲのようなものを使いました 釘を打ち ロープで登り その城砦を勝ち取りました シヴァジが見えるように 成功したら火を灯すと決めていました 彼は早朝にその火を見て そこへ行きました 木の下にタナジの死体が 横たわっていました 彼は彼を見て言いました “私たちは城砦を手にしましたが ライオンを失いました” それ故ライオンの城砦 と呼ばれています 私の家からも見ることができます ラーキーと呼ばれる 小さな記念碑です 城砦を次から次へと 占領することができるという 象徴の表現です もう一つの出来事は 前にもお話しましたと思いますが アレキサンダー大王がプルと呼ばれる 王に逮捕された時のことです 彼はインドの女性を 妻にしていました そして偉大なるアレキサンダーは 投獄されていました それはヴィシュヌマヤの日でした 妻は大変賢い女性で 素敵に覆われた小さなタリーに ラーキーを入れて王様へ送りました 儀式通り その日に彼に贈られました 贈物は受け取らなければいけません シスターはわざと送ったわけですが 彼は受け取りました そしてラーキーが結ばれると “シスターは誰ですか” “あなたのシスターは アレキサンダーの妻です” “なんということだ 義理の兄弟を逮捕してしまった” すぐさま彼と 義理の兄弟です 別に結婚式が行われた訳でなく 義理の兄弟となりました 彼は牢屋に急ぎ 偉大なる皇帝の前にひれ伏しました アレキサンダーは理解できませんでした “プルに何が起こったのか” そしてプル王は 自国の言葉で謝罪しました “貴方が私の義理の兄弟だとは 知りませんでした 許してくれますか” そして彼を王座に座らせました 彼は理解できませんでした 彼を座らせ花輪を捧げ アーティをして 宝飾品やダイヤモンドやルビーなど 大きな首飾りを与えました 足に触れて洗い 大いなる敬意をもって彼を家に返しました しかし彼は“狂ったのか 誰かに憑依されてしまったのか” 彼の謙虚な態度にギリシャ人が 取り憑いたのかと思ったのでしょう 彼が家に帰ると妻が笑顔でいました “なぜ笑っているのか” “私はインド人の心に効く トリックを知っていました” “トリックとは何か” 彼女は彼に一本の紐を見せました 彼は理解できず “これは何なのか” “これはラーキーでこれを彼に送りました これはシスターのシンボルです “だから解放されたのです” アレキサンダーは座って “なんということか この者達は 自分の敵を一本の紐で解放するのか” “そのような者達を捕られない あまりにも良い人達だ” ”このような精妙さを理解することは できない”彼は自国へ戻りました 彼は彼の賛美を歌う 何人かの詩人を連れました ギリシャではそのような精妙な者を 見るのはむしろ驚きです 彼らが精妙さを理解する 時だったのかもしれません しかし今日では あまり望めません 人を見ると 彼らは精妙ではありません ヒーローとして崇拝している オナシスのような人しかいません どこからこうなったのでしょう ひどいものを良いものとしています 同じヴィシュヌマヤが このマヤを起こしていると言えます そうなれば地獄行きです 彼女がこれを あなたのためにアレンジしました 彼女はアメリカ人が ヨギに値するとは考えていません 私と戦っているのは彼女です 彼女は“マザー 忘れて下さい” 映画を見ると どれもひどいものです 最近の映画は見ることさえできません 目を閉じてしまうほどです 同じ力があなたの 崩壊のためにあります あなた自身で使っています これらの映画は全て 人を互いに戦わせ 殺させ 凶暴にさせ 醜くさせ 恥とも思わせない 全く自尊心も 互いへの敬意も 持たせないように作用させます 全てメディアからきます 子どもも無礼になっています 誰も人の言うことを聞きません 目上の者に敬意を払いません 人は素朴で正直で知的で聡明な者が いれば愚か者だと考えます 彼らをどう出し抜き 話を切り返すか どう侮辱できるか分からないからです 全ての映画産業はより侮辱的な 言葉を生み出そうとしています 侮辱的な言葉ほど良いとされ 公衆もそれを望みます 経済目的のために 映画を作ります お金が全てになると 堕落と言えます お金を得て何が悪いのか お金さえあれば良いのです あなたはお金を得たいのですか この国の野蛮な子ども達を そのままにするのですか 何が得られますか 金銭主義はあまりにも酷く アメリカ人は最も狭量で 自己陶酔していると言えます 一方でヴィシュヌマヤは 最も寛容です 彼女は光をあなたに与えるために 自身を燃やします 狭量さは金銭主義から来ます 彼らは大変悪意があり 時には極悪で酷いことをしようとします すると電気が 作用せざるを得ません 彼女がどのように作用させるかは 分かりませんが大変怒っています 特にアメリカ人にです 彼女のブラザーが 統治しているからです 彼女は全てが 安泰であってほしいのです ここから全世界を滅ぼしている 無意味な映画が作られているからです エイズはヴィシュヌマヤの 恩恵の一つです 左のヴィシュディからきます まず左のヴィシュディから 汗をかき始めます 人が罪悪感を感じるなら 向き合い なくさなければいけません もちろんそれは右側に 傾くことで始まります この右側に傾く傾向が 結局は左のヴィシュディにいきます その内在している部分が 人の中である種の弱さを作ります それは母性の 純粋な形だからです センターハートです 母性の純粋な形です 純真な女の子を見ると 彼女の興味は小さなお人形です 彼女は完全にお母さんです 彼女が正しく育つなら 幼い頃から彼女はお母さんです 母性は女性の典型です ヨギの中にも結婚後も子どもを 欲しがらない愚かな者がいます サハジャ ヨガから 直ちに出るべきです これら全てを子どもを望まない人のために してきたわけではありません できるならそうすべきです 生まれたいと望む偉大な魂が 沢山いるからです それらはあなたの家族の木に 繁栄する偉大な果実です 子どもを全く望まないのであれば あなたはここで何をしているのですか ヴィシュヌマヤの 最も主要なことは 女性が母親にならなければ いけないということです するとその母性が輝くための 特別な力を授けます さてエイズはレフト ヴィシュディで始まり センターハートにいきます センターハートが挑戦され 母性が失われます このようにして抗体が弱まり 病気と戦うことができなくなります エイズにかかった者は抗体が 全くない状態で戦わないといけません 全てにアレルギーを起こし 死んでしまいます エイズに立ち向かうのに シスターとブラザーの関係は 確立されなければいけません そうすることシスターが 男性の振る舞いにおいて 注意してあげることができ そして彼らもシスターを 注意してあげることができます 全ての 悪魔的な動きにおいて 男性は肉体的に攻撃され 女性は精神的に攻撃されます そのような攻撃の中では 女性はそこから抜け出すことが難しいです まず第一に私たちの目的が 何かを決めなければいけません それはスピリットになることで 色情のためではありません このマヤがあなたの目的を 完全に変えました あなたを虫けらのようにしています 実際アメリカ人がどこに向かっているか 理解すべきです 皆アメリカ人が半分気が 狂っていると思っています アメリカ人が来れば “気をつけなさい アメリカ人だ” アメリカ人は自覚して いないかもしれません 人はアメリカ人を 正気な者だとは考えません この奇妙で愚かな 考えがあるからです しかしここでは人は 愚かで狂う基本的な権利を もっていると主張していると聞きました 今日この国で起こっていることは そのようなことです あなたは彼らの矛先を神に セルフ リアリゼーションに向けないといけません これはサハジャ ヨギにとって 大変難しい仕事です 私はあなたにお願いします そして祈ります あなたがヴィシュヌマヤの力を育み ヴィシュヌマヤの力で あなたが輝くように 自由の女神を見ると 彼女はヴィシュヌマヤだと思います なぜ男性ではなく 女性なのでしょう 彼女はシスターの ヴィシュヌマヤのシンボルです あなたが自由を持たなければ ならないのなら持てます しかしそれは叡智の自由で 愚かさの自由ではありません このシュリ クリシュナの偉大な国で 今日私はこのことを 話さなければいけません 注意していないといけません 南米で彼女は本当に 適切に支配していると言えます そこは彼女の領域でもあります そこでは電気が至る所にはありません 堕落が始まっています 彼らはあなたのレフト ヴィシュディ をダメにするために コカインや 他の酷いものを作っています 北米では罪悪感を感じる一方 もう一方ではコカインを作り あなたのヴィシュディをダメにするために ここに輸出して悪化させています これはヴィシュヌマヤに対する攻撃で 輸出からくる 南からくる別の攻撃です なぜ輸出しているのか 尋ねました “自国の民を救うのは彼らの問題で 私たちではありません” コロンビアでは公に このように感じています “アメリカは自身で世話できないのに なぜ私たちは国民の面倒を見れるでしょう” 彼らはあなた方から 多大なお金を儲けています それはあなた方がお金に 大変な注意をおいているからです “構いません 私たちはあなたに ヴィシュディをダメにする物を与えることで儲けます” “お金をそんなに大切だと思うなら あなたからお金をもらいます” 大変大きな戯れです マヤです この国が陥っている 酷いマヤです 簡単に物を受け入れたり 酷いことに気づかせる輝かしい例によって あなたは行動しなければいけません ヴィシュヌマヤがここで 硬い殻を破ると確信しています サハジャ ヨギ達が歩める 新しい道を作ることを望みます そして適切でダイナミックな方法で サハジャ ヨガに多くの人が来るように サハジャ ヨガに落ち着くように 神の祝福がありますように […]

シュリ ヴィシュヌマーヤ プージャ、姉妹の力/ Southlands College, London (England)

シュリ ヴィシュヌマーヤ プージャ 1985年9月1日 イギリス ロンドン市、ウィンブルドン

今日の シュリ クリシュナのシスターである ヴィシュヌマーヤのプージャですが 今までインターナショナルプージャには ありませんでした 神の愛のために 献身者が集まるなら 神でさえ規則を 破らないといけません ですから 行われることになりました せめて一回は 行われても良いでしょう あなた方の愛 そして献身ゆえに望まれ このプージャが 行われることになりました そのような折りに私が 英国にいるのは自然の成り行きで このプージャを行うなら インドで行われたはずです このプージャの神格である ヴィシュヌマーヤは その種を植えるには 西洋の国では容易ではないからです すべてのシャクティは このようにプログラムされています まずシャクティとして お母さんがいます 本源的なお母さんです 彼女から三人のシャクティが生まれます マハカリ マハラクシュミ マハサラスワティです そして彼女達からも子どもが 生まれます 兄弟姉妹です 妻の力が創られる前に シスターの力が創られます ブランマ ヴィシュヌ マヘシャは この三つのシャクティから生まれました そして彼らにはシスターがいて それぞれ結婚しています 例えばヴィシュヌのシスターは パルヴァティで シヴァと結婚しています この三種類の力が常にチャクラに 働いていることを理解するのは 大切なことです これらの三つの力の作用を 理解すれば ヴィシュヌマーヤの大切さを 理解できるでしょう ヴィシュヌマーヤは 家族におけるシスターの力です 女性は力であって 男性はこれら三つの力を現わす 動的な力です 男性の力が加わると これらの力は連携し 助け合います ヴィシュヌマーヤの力を 理解するのは大切です お母さんの力は純真さを 守るためにあるからです 大事なことです 純真さを守るのはお母さんの力です ヴィシュヌマーヤの力は あなたの純潔を守るためです 時にあなたは純潔や 純真とは何か理解しません 純真は行動しない力です 家の中の電気のように 私たちの内に純真があります つまり行動は 純潔を通して行われます “私はこれを純真にやった” とは言えません 純真さからしたのであれば あなたの人格や純真さや徳深さを 傷つけることはないからです ですから“純真にやったのに” と言うのは間違いで 純真にしたなら それは純潔です 純真さで行われれば 純潔になります 自分の純潔に敬意を 払わないといけません 純潔は内にあるヴィシュヌマーヤの力 ガウリの力 純粋な処女です 結婚はしません ヴィシュヌマーヤは生まれてすぐ カンサに殺されました 内にある純潔を理解するには 純潔はすべてのダルマの礎であると 分からなければいけません 純潔感がない限り ダルマは持てません ダルマの礎だからです 純潔がなければ 不安定なものでしかありません 純潔の礎がなければ すぐさま崩れ落ちてしまいます 西洋では挑戦されていますが 純潔は大事なことです この国で純潔の種を植えるのは難しくても そうならないといけません このプージャが行われるのですから 神聖な計らいがあるのでしょう 容易いことではありません 純真な者 信心深い 人生を歩んできた者 純潔に敬意を払ってきた者によって 行われるべきです いまやあなたは聖人です 全てが純粋で善いものです 神聖な人生を歩んできたので 純潔が内で覚醒されました 純潔は内でガウリとして クンダリーニとして作用しています サハジャ ヨガの徳ある 生き方の真髄は純潔です 多様化できません この純潔があなたにマリヤダを与えました 境界を定めました 純潔があなたに マリヤダを 境界を与えます どのように与えるでしょう 空にある雷のようにです サハジャ ヨギを二つの雲とすると 海から発生し 雲から純粋な水が 流れ出ないといけません 接近するとエゴが一線を超え 互いに争い 衝突すると 純潔である雷が起こります 雷が“あなたは間違っている なぜ互いのエゴを戦わせるのか”と言います そのように注意するのが シスターの仕事です 昨日も大勢の シスターがいましたが シスターの仕事はどちらか一方の 味方をすることではありません 兄弟としての一線を超えれば 雷が落ちます さて雷の力は シュリ クリシュナの力の一部で 彼の一部から取りました だから彼は大変優しく 温和な化身なのです 自分の一部から取って “私のシスターとなって人が不義を働く度に 正させないといけない”と言いました シュリ クリシュナが大変温和で ロマンチックな化身として言われているのは シスターの部分が 取り除かれたからです 彼女は常に彼と共にいて 役割を果たします 家族におけるシスターの役割は 兄弟が争わないようにし 面倒をみて 他から 挑発されないようにし どこまで相手に踏み込むかの マリヤダを与えることです フロイトや たわ言を言う者が ヴィシュヌマーヤに挑戦するような 間違ったおかしな理論を打ち出したことは 間違いだと理解することは 大切なことです 兄妹間で そのような関係があるなら 七世代に渡って 家族がひどい病気に苦しむでしょう フロイトが言うような関係なら 14世代に渡って苦しみます ヴィシュヌマーヤの制限する力は あなたのエゴやスーパーエゴ 家族をコントロールします 内に存在するヴィシュヌマーヤの 純粋な力に導かれ 全てが彼女の力の コントロール下にあります ですが悲しいことに 西洋諸国ではヴィシュヌマーヤが 完全に病んでいます 私の左耳が 聞こえなくなるほどです 純潔感が 完全に欠如しているからです 私たちは無分別の人のことは 忘れないといけません 私たちはサハジャ ヨギなのです 多くが“あの男性とは 良い交友がある“とか “あの男性とは大変親しい”など おかしな考えを持ちます マリヤダがありません 男女間の交友はあり得ません ばかげています 西洋文化も おかしくなっています 夕食に招かれれば 両側に他人の旦那が座ります 東洋ではそれはありません ヴィシュヌマーヤが 反対しているからです 彼女が夫婦を 一緒に座るようにさせます ここでは純潔が欠けていて 左のヴィシュディがキャッチしています それについて私が話せば 余計キャッチします あなたは実際 ヴィシュヌマーヤに 自分のシスターに罪悪感がないと 認めているのです 彼女はあなたに 罪悪感を持ってほしくありません 妻ならあなたに罪悪感を 持ってもらいたいかもしれません 自分の力が挑戦されている ライバルがいると感じるからです しかしヴィシュヌマーヤは違います シスターはそうは言いません ブラザーとシスターは 決して友達ではありません グループの中でも互いが 兄弟姉妹であると分かっています 特定の者や一人のシスターとだけ 親しくはしません ある時 キリスト教徒の 集まりがありました 中に少なくとも30人の従兄弟と 4,5人の兄弟がいました 様々なインド人の キリスト教徒でした その中に愚かな者達がいて 私たち姉妹に絡んできました 自分にそんなに沢山の従兄弟が いるとは知りませんでしたが 急に私たちのところに飛んできて 彼らをやり込めました 兄弟の多さに 改めて気づかされました 兄弟達や私たちは それぞれで話していて そんな中突然大勢の兄弟が 助けにきました シスターの純潔を守るために 飛んできました シスターが彼らの純潔の 基礎だからです いつも話す間柄ではありません 近しくはなりませんが 困難な状況やマリヤダが必要な時 家族に助けが必要な時は シスターのところに行きます 最近 家族に問題が起こったので 弟から手紙をもらいました 母は丁度いませんでしたし 普通シスターの方が役に立つものです すぐ聞いてくれるからです 母親は家族全員の面倒で忙しいわけです なのでシスターの気持ちは とても大切です 私たちの左のヴィシュディが 悪いのは 自分達の純潔に 気にかけてこなかったからです 敬意がありませんでした インドでは違います 女性も男性も自分の純潔に 敬意を払います ある外国の若者に尋ねると 彼らは “間違ったことをしてきているものの 何かが間違っていることには気づいていました” なぜか尋ねると “シスターの関係を感じるからです”と しかし今ではインド人の男性も あなた達のようです 自分の純潔を守る力を 失っています 男性は自分の純潔に 敬意を払うべきです 純潔のお陰であることを 分かっていないからです スピリチュアルな存在の基礎がなければ すぐさま崩壊するでしょう ですから母なる大地や緑に 注意を向けなさいと言っているのです 緑の色です そこに注意を向けるなら 常にシスターや他人の妻 娘達を 見ることで犯している 不貞から救われます さて 娘やシスター 母の関係は 大変純粋なものです あなたが頭を使い過ぎれば なぜハートがキャッチするのかに繋がります 右側を使いすぎれば なぜハートがキャッチするのでしょう ハートがキャッチする理由は 何でしょう これは理解すべきことです シヴァとヴィシュヌの関係と同じです まずヴィシュヌの妻は、、、 シヴァのシスターは誰でしょう シヴァのシスターはサラスワティです サラスワティにおいて働き過ぎると ハートがキャッチします マリヤダがあります そのように結婚によって繋がる シスターの関係が あなたのチャクラの マリヤダを守るために働きます 度が過ぎれば 急に左や右に傾きます マリヤダを超えるからです このシスターとの関係は 他の化身にも存在します モハメッド サイーブのシスターは アリの妻でしたが 彼女は彼の 娘として生まれました 娘としてもシスターとしても 生まれることができます 彼女はナナカのシスター ナナキとして生まれました モハメッド サイーブの娘としてもです それが化身のシスターでも 娘でもあり得ます 娘もシスターも純真で 真の純潔です 純潔の大切さを理解できない者に 法について説明しても無駄です 法の意味が マリヤダだからです それはヴィシュヌマーヤの力を 通して意味をなします 他人の物を盗むのは 良くないと言いますが 他の人の所有物だからです でも誰がそれは間違っている と言うのでしょう もちろん警察はいますが 正しくないと言うのは誰でしょう 法律家でしょうか 無意識の中でその役目を果たすのが ヴィシュヌマーヤです 何かを盗むや否や 罪悪感を感じるからです 法律にも“有罪” という言葉があります 罪悪感は左の ヴィシュヌマーヤから来ます ですから純潔感を 持つことは大切です ですが人は分かれています 道徳的な純潔を持つ者は 物質的な純潔を持たないかもしれません 物質的な純潔を持つ者は 道徳的な純潔を持たないかもしれません 道徳的な純潔が生来のものなので まず最初に来ます 大切なことです あなたの道徳的純潔が 完全に滋養されていれば 自動的に 物質的な純潔が出てきます その効果は同じです サハジャ ヨガでお金を騙すのも 道徳的に騙すのも ヴィシュディはキャッチします 全ての問題は 左のヴィシュディから始まります サハジャ ヨガの中で誰かが騙そうと お金を騙し取ろうとするとします すぐさまその者の 左のヴィシュディがキャッチします キャッチすると おかしな態度をとるようになります そのキャッチ全体が表れてきます 不道徳になっても 左のヴィシュディはキャッチします すべての罪悪感は そこから来ます 何であれ母に口答えするのも 母に対して無礼です 多くの者がよく “マザー それは違います”と言います 決して言ってはいけません 否定すれば左のヴィシュディが キャッチしてしまいます ヴィシュヌマーヤの力が何であれ 否定することには我慢しません 多くの者がそれを習慣化していますが 言ってはいけません 一度左のヴィシュディがキャッチすれば 左全体のチャクラが弱くなるからです すべてのチャクラの基礎である 純潔が弱まるからです ですから左のヴィシュディの価値を 理解することは大切です 私達は左のヴィシュディをキャッチしても 大したことはないと考えます “左のヴィシュディね つまり罪悪感があるということだ” 何をしたのか理解していません 限度を超えたので それが表れているです ある種の徳を怠ったから 聖なる父母に対して間違ってしまった からだと理解していないのです 左のヴィシュディは 間違えや過ちや罪の印です サハジャ ヨギは左のヴィシュディを キャッチさせてはいけません 人は喫煙や様々なものを吸って 問題を悪化させます インドではタマクと呼ばれる 葉タバコを吸います そして何も悪いとは思いませんが 左のヴィシュディはキャッチします 左のヴィシュディは 自分の様々な問題の戸口です 何に対しても罪悪感を感じないよう 気を付けないといけません その上大変悪循環です 例えば間違えを犯した者が いるとします その者がどう思おうと 私は直に 間違っていることを伝えようとします もちろん分かってもらえるよう トリックをしますが 私の言おうとしていることが 分からないのであれば “私の中にあなたをいさせることはできません” と言いサハジャ ヨガから出てもらいます サハジャ ヨガから出れば せめて私の頭痛はなくなります この負の力が働くと 人はそれに向き合うことをしません “私が間違っていた それは間違いだった”といったように 間違いに向き合わず 言い訳をします 言い訳をすれば 左のヴィシュディが こぶのように大きくなります そうすると治すことも 浄化もできなくなります ですから人は“なぜ間違ったのか” と言い訳をします 一度間違ったと言えば 間違いを受け入れるだけです “次はその間違いはしない すみません”と このすみませんという言葉は 西洋では曖昧です インド人のサハジャ ヨギにも “すみません”と言う者がいます 良いことにインド人は 決して罪悪感を感じませんし すみませんとも言いません 間違いを犯した後 自分は 人間だということを理解すべきなのです 間違えるのは人間だからで 許すのは神聖です しかし間違えた事実を 知らないといけません 言い訳をし続けるなら 神が全てを知っていることに 気づいていないのです 神に間違いを犯したと言われたなら やはり間違えたわけです それに対して“あれが理由で 間違えてしまった”とは言えないはずです あなたにショックを与える 電気の力が働きます すると間違いに気づくのです ですから自分にショックを与えるような 機会を与えないことです ショックに至るような 振る舞いはしないことです もちろんお母さんの力は許しです サダシヴァの力は許しです ですからあなたがしていることを しばらくは続けさせてくれます しかしこれは間違っていると 教わっているはずです 例えば完全に自分の限界を 超えるとします すると突然ヴィシュヌマーヤが現れ すべて暴露します サハジャ ヨガでは 暴露されます なのでこの力は大変助けになり 導いてくれ 向上させ 滋養され あなたを守りますが ある点までだと 理解しないといけません さもないと 彼女があなたを暴露します あなたのその愚かな行いに 彼女は耐えれません ですからそれを続けるなら 暴露します 人の低劣な行いを あなたは知っているはずです 沢山の首相や社長を知っていますが 彼らが死ぬと暴露されます 誰もそのような者が 純潔であったとは言いません 国のリーダーの中には純潔な者が 僅かにいましたが 大変稀です 人生において権力を得れば 自由を得た 好きなことができる と考えるからです 純潔でもそうでなくとも 好きなことができます “自分には力があり 最高の地位にいる” という概念に負かされます そしてそれは その者にとって完全な 幻になり 純潔が大切だと忘れさせます 高い地位になればなるほど エゴを甘やかすものを 得るほど 左のヴィシュディが圧迫されます そのような者は 左のヴィシュデに逃げ込みます 心の奥底で無意識に 罪悪感を感じるからです 全てが左のヴィシュディに 罪悪感としてきます 罪悪感として左のヴィシュディにあると 状況は厳しいです 非常に敏感になるからです その者に何か言えば もっと罪悪感を感じます 正そうとすれば もっと悪くなります 左のヴィシュディをキャッチする者 にとって良くない状況です またそのような者は 常に言い訳をします 右のヴィシュディなら 傲慢になりますが 左のヴィシュディは 口答えをし 全てに言い訳をする悪賢さを持ちます 言うことは何であれ “マザー違います こうです” そしてそこで終わらず 皮肉を加えます だから西洋の者は常に 率直に言わず皮肉的です 伝えるのが難しくても 皮肉的に話さない限り 率直に言うのは愚かで 知性に欠けると考えます なので大変ひねくれた 話し方をします この話し方は左のヴィシュディの 問題から来ます あなたの左のヴィシュディが 良くならない限り 優しさや美しさや 感謝できるものは得られません 左のヴィシュディに問題があれば 決して感謝できません 左のヴィシュディに苦しむ者は 他人の良さを見れません エゴにとって問題が存在しないと いけないので“自分が一番だ”と考えます それは相手の方が秀でていることを 人に従わなければいけないことを 人から教えられることを 受け入れたくない歪んだエゴです 特に私と一緒にいる者は 左のヴィシュディがすぐキャッチします プロトコールに欠けるからです プロトコールに欠けると 左のヴィシュディにきます 私と一緒にいることは ブレッシングですが プロトコールに逸脱しないよう 最新の注意を払わなければいけません 馴れ合いになって はしゃいではいけません 中には度を越え 左のヴィシュディをキャッチします マザーに対する畏怖の念や 敬意を持つべきです それは左のヴィシュディによって 守られるものです これはシュリ ガネーシャの 隠れた力です シュリ ガネーシャの力は 左のヴィシュディで 純潔として作用します ガネーシャの力は 左のヴィシュディを通して表されます ですからガネーシャを信じる者 純粋な純真さを信じる者は 毎日自分の振る舞いや行動において 純潔でないといけません ガネーシャは 純潔の花として表されます 神聖な法において 純潔がなければ どのように人は境界を持ち 正し 浄化し 進化できるでしょう 例えば育つ木に 限界がなければ 際限なく伸び放題で 収拾つきません ですから人をより高次にするには 制限が要ります 父がよく良い例を話してくれました 小麦が、、、 (邪魔しないでください) (出ていきたいなら出てください) (ただ人に迷惑は かけないでください) これも同じです 左のヴィシュディによる 動乱に過ぎません 目立ちたがったり 邪魔したり 圧力を与えたり 出しゃばる傲慢さは全て 左のヴィシュディが原因です 自分の左のヴィシュディに 打ち克ちたいのでそうするのです だからそれらが加わるのです 打ち克とうとすればするほど加わります 父の話してくれたことをお話しします 小麦があるとします 小麦を広げるとアテンションのように なくなってしまいます でも黄麻袋に入れると まとめることができます 高さも得ることができます 同じように純潔なしにアテンションを 散漫にすれば 広がってしまいます 制限がありません 形がありません しかし制限があれば あなたはより高くなれます スピリチュアルな人生において 高く上昇できます あなた方はスピリチュアルな 人生を望んでいるので 左のヴィシュディは正されないと いけないと理解すべきです では左のヴィシュディは どのように正すのでしょう 時折私はこれに対して うんざりすることがあります キャッチしていることを伝えれば 余計ひどくなります 悪循環です それをどう治せるでしょう 向き合うことです “何のために罪悪感を感じるのか 同じことを繰り返している” 自分に喝を入れるべきです なのにその代わりに “マザー違います”と言い始めます 自分に言いなさい “自分が違うのだ” “私は今日も明日も明後日もしてしまう” もう止めなさい この時点で止めなさい そうやってヴィシュヌマーヤの 力を働かせます ヴィシュヌマーヤの力は 中和されないといけません あなたの間違いによってです その力を取り戻すなら ヴィシュヌマーヤ の力を使わなければいけません 自分にショックを与えることです そうすること によってのみ可能です あなたはヴィシュヌマーヤの見地で それをしないといけません このプージャについて考えていました あなた方が私に このプージャをする際 私が何か言えばさらに あなたにヴィシュヌマーヤを創ります “私は罪深く感じる”とあなたは 簡単に処理できるからです “自分は罰を受け 罪深い” と言います 陪審員に有罪を言われ 受け入れるようです でも罰はありません ですが間違いを犯したのであれば 自分に罰を与えなさい 人には二通りの方法があって 一つは“私は断食する” と言って自ら罰する者です しかし断食の習慣を持つ者は 逆に周りを困らせ攻撃的になります 人間は大変歪んでいます 歪んだナイフで自分を殺せます それでは自分を正せません 正すのであれば 適切な方法で 自分に向き合わないといけません 何か間違えを犯したなら 人はいつも自分が好むことをして 罰を与えます すみません間違えました 自分がいつも好むことをしてはいけません 正すにあたって ある者は庭や 花の手入れを好んでいるとします 間違えを犯したなら しばらくは花を見ないことです 花から目を遠ざけます ある者は 歌うのが好きだとします 間違えを犯したなら 歌うのをやめなさい そのようにして 自分にショックを与えます ご存知のようにヴィシュヌマーヤは雷です 講義もそうでないといけません シュリ クリシュナのように 優しくてはいけません 強力です ヴィシュヌマーヤの力が神によって あなた達の内に目覚めますように 人間が持てる最も強力で 最も吉兆なものです あなたは聖なる人格を持ちます 神のリアリゼーションを得る 方法の一つです 昨日 良いタイミングで 純潔を確立するための質問がありました バンダンやヴァイブレーションを もらうだけで去っては無意味です 朝から晩まで 自身を正しなさい 自身と向き合い 罪悪感を感じないことです そして新しいことを学びます あなたどうすればが向上するかを 教えるのは マザーでなくシスターです マザーに“違います” と言えるからです でもシスターにそのようなことを言えば 電気ショックです プラグに指を入れてみなさい 分かるでしょう 説明は要りません このような理解で 今日は純潔を 感情における 精神における純潔を 確立するためにプージャをします 今までしてきたことや 過去は忘れなさい 過去を忘れることは大事なことです でないと言い訳できます “あれがあったから こうなった 私の父母がこうだったから・・・” 母も父も皆忘れなさい あなたは聖なる家族の一員です 聖人である皆とあなたは 共にいます そしてこの法が 自動的に作用します あなたが誰と仲良くするかを 私が言う必要ありません 常に異性への関心を持つことは 純潔の印ではありません それどころか完全に馬鹿げていて あなたを愚かにします ある男性は女性の香水を 熟知しています 何のためでしょう 無意味なことに長けます 男性なら男性らしく生きなさい そして女性は純潔感を持たないといけません 女性は力だからです なぜ男性のように なろうとするのですか 男性の後ろにいる力なのです 女性は自分の純潔の 面倒をみないといけません その面でインドの女性は尊敬します 彼女達は謙虚で 彼女達から学ぶべきでしょう もちろんそうでない者もいますが 謙虚さがあります ですが謙虚さを持てない 部類の者がいます それは化身です 残念ですが 私は謙虚さを持てません あなたが大事にできる資質のうちで 私が持てないものがあります 自分自身を 謙虚にすることはできません そうあるべきではないのです どの化身も謙虚ではありません 不可能です なぜなら罪悪感がないからです 私は罪悪感を持つ者を多く ヴィシュディに入れてきて 浄化するのに 耳がブロックしています あなたが罪悪感を 浄化できるなら開いてきます ですからどうか左のヴィシュディを 良い状態に保つようお願いします 罪悪感を感じてはいけません センターでいなさい 自身を見て向き合いなさい ショックを与え正しなさい そのような者のみ上昇できます もう一つの方法は瞑想です 左手を写真に向け 手元に炎を灯し 大地に右手を置きワークアウトします 炎をかざしてバンダンすることで ワークアウトできます でも心からしないと 儀式的になります なのでまず精神面で向き合い これらの方法を使いなさい 感情面においても理解しなさい 感情に罪悪感を持ってはいけません 罪悪感を示すような言葉を 使わないことです 謙虚でいなさい 罪悪感を持つことと 謙虚でいることは違います 罪悪感を持つ者は ストレスを感じていたりしますが 謙虚な者は自由人です 自身の自由の中で 謙虚さを持っています 木に実が生って母なる大地に 頭を下げるのと同じです 海では周りのココナッツの木が 海に向かって頭を下げます 海がその特性を与えたからです ココナッツの水は 海からきています 全ての木が海に対する謙虚さで 敬意を払います 同じように罪悪感を持たない者だけが 真に謙虚になれます 罪悪感を持つ者は皮肉や汚い言葉 口答えや言い訳で攻撃的だからです 謙虚な者は自由です 謙虚さ 親切心 穏やかさ 慈悲深さにおいても自由です そのようなサハジャ ヨギ でなくてはいけません 謙虚さで人に 感銘を与えられるようにです 謙虚さは何にも従属しません 純真さや謙虚さは 私が持ち合わせていない資質です 私は謙虚ではいられません 私を謙虚にさせることはできません してはいけません 私の振る舞いは謙虚でない とは誰も言えませんが 私は大変謙虚な者 のように演じます 謙虚な者を演じることができます 正直言って謙虚さはありません 慈愛は謙虚さとは違います 謙虚さは人間の資質で バクタのみが持てる特別な資質です バクタのみが持て 至福が注がれる 大変素晴らしい資質です 至福を与える側は謙虚になれません 何も受け取れないからです 謙虚である人間のみ得ることができ 受け取れます 受け取れない者は大変孤独です そのような者は 誰とも友好関係を持てません 与えなければいけないからです 孤独で 全てを自身で 向き合わないといけません 謙虚な者は互いに親切で 自分達の問題を分かち合えます 私はできません あなたに解決法がないからです 私は自身の問題を 解決しなければいけません ですから謙虚さが 明確に表現する助けとなり 皆と親密な関係を持たせ 困難を分かち合えます ですがあなたの謙虚さは 同情から来るものではいけません 謙虚さは 執着のない資質からきます 特定の者に 執着するものではありません 不必要に傲慢であったり 怒鳴ったりすることもない謙虚な生き方です インドでは牛は 大変謙虚な動物とされます ミルクを与え 全てを与えますが 誰にも攻撃はしません 謙虚さはあなたの守りです 時には謙虚な者を利用しようする 者もいますが構いません 謙虚さが失われない限り 全て大丈夫です ですが人は謙虚さを失います 人に困らされる時 人はレフト ヴィシュディにきて謙虚さを失います 失ってはいけないものです 神聖と繋がりを持つなら 謙虚でないといけません 他に方法はありません 謙虚でなければ 良い関係は保てません 二つの資質であり プラグとソケットのようなものです プラグはあくまでもプラグであって ソケットはソケットでないといけません 神聖から何かを得たいのであれば 謙虚であるべきです 傲慢さからは 攻撃性からは何も得ません “マザーを愛している”と思っても その愛は完全な謙虚さで 表されないといけません 私に近づける唯一の方法で 唯一の経路です 他にはありません 今日は大変高次の 段階までいきました それは神のリアリゼーションの 始まりです あなた方は私と共に 加速しなければいけません 神のリアリゼーションへと向かうのであれば まず純潔感や謙虚さを確立しなさい 神の祝福がありますように […]