Sahastrara Puja, Continue To Live A Life of Reality Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Sahastrara puja, “Continue to live a life of Reality”,. Cabella Ligure (Italy), 9 May 2004.

今日はサハジャヨギとしての 人生でとても大切な日です サハスララが開いた日です 真にカリスマティックなことが起こりました 私の生きている間に出来るとは 思っていませんでしたが できました そして皆の多くのサハスララが開きました それなしでは真理を知ることは できなかったでしょう 皆同じように人生に迷っていました 第一に サハスララ以外に現実を知り 理解する道はありません あなたは現実とは何か 悟りました そして現実を知っている意識を 楽しんでいます サハスララが開いてそれを知ったのは 大きな恩恵です でなければそれはただの話にすぎす 意味がありませんし 理解もありません だからまずサハスララを開きたかったのです それができました 上手く行きました それで皆さんの サハスララが開きました 特別なことです こんな多くのサハスララが開くとは 誰も信じられないことですが 私には皆の頭上にハッキリと 光が見えます 間違いなく素晴らしいことです 誠実な探求のおかげです 誠実に探求したから 得られたのです 私は何もしていません そこにたまたまあなたがいて ランプを灯すようにしただけです 大したことではありません あなたがその意識に至ったのです 悟りの意識です それを求め 作用させ 努力をしたから 得られたのです 立派なことです 私の手柄ではないと思います 私はサハスララを開いたけれど それをあなたが体得していくのが 私にはとても嬉しい だからあなたは理解できます サハスララが開くまでは 話せません 何も通じません わからないからです サハスララが開くことで 理解が大きく進みます それが皆に起こりました だから嬉しいです 多くの人がここに座り サハスララを開きました 更にに来ていない人も多くいます つまりこれは人類にとって大きなことで 集団でサハスララが 開きました それによって初めて 究極の真理がわかります リアリゼーションの後に知ることは 何であれ究極の真理です それを議論したり 疑いません それを知って受け入れます 知識としてです 全てがあったのは良かったけれど 開いていませんでした それが開けば私のことが解る それも聖なる法則です サハスララが開いたのは 偉大な神の恵みですが 何もしていないと言うかもしれないけど 違います あなたの真理の探求が 真摯でありはっきりしていたから 真理を知りたいと望んだから それが叶ったのです でなければどんなお金も 多大な努力も 何も上手く行かなかったでしょう サハスララは自分で開く必要があります あなたの準備ができていたから すべてあなたが自分でしたことです それによって美しい事が起きましたが 私の手柄ではありません ハッキリ言います 私が教えたように サハスララが開くのが大切です それ以上話すこともなく 質問もありませn サハスララを開くことによってのみ 何が真理か分かります この美しい状況で 母として何が言えるでしょう 現実を理解して行きなさいと それだけです 全てにおいて 真理がありますが どうやって成就した真理を使えるでしょう 人々は迷っています 知識がないからです 本からの知識は本物ではありません 知識は内面から来るものです 自分たちの中からです サハスララが開いたからできるのです どの国でもそれができています 世界中で起こるでしょう 多くの人が悟るでしょう ただあなた達に一つだけ言いたいのは 感情的に執着しないことです 現実的につながるのです そこにあって それが起こり 働きます すると人々に悟りを与えられます リアリゼーションの大切さが分かるでしょう 使わないと リアリゼーションの力が分かりまsん なのでこの力の使い方を覚えなさい あなたの中にあります それは作用し始めました それは莫大な能力を与えるでしょう 歳なので 私の体調は少し落ちました でも疲れは感じません 皆さんに話していて 夢中になってしまいます 沢山のサハジャヨギがいて 沢山のサハスララが開き 皆がそれを愉しんでいます 実は質問を受けたいと思っています 質問をかいて送ってください のちにお答えしましょう それが良いでしょう ありがとうございます 神の恩恵がありますように サハジャに育っていきなさい 自分になっていきなさい 神の恩恵を 私の恩恵を授けます

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Navaratri Puja, Develop Wisdom Through Meditation, Bhakti & Shraddha Los Angeles (United States)

Navaratri Puja, Wisdom Through Meditation, Bhakti & Shraddha, Los Angeles (USA), 27 October 2002.
今日 私たちは 女神を崇拝します まず左側に プログラミングするのは 彼女です そして サハスララにおいて 彼女はアディ シャクティです 左側において 彼女がすることは すでに記憶されています 彼女は記憶でも あるからです そして 叡智です また あなたを守ります これは 彼女がガナ達に 力を及ぼすときに 見られます ご存じのように ガナ達は あなたにおける 様々な修正に 責任があります このガナ達は 左側に作用します ご存じのように癌は 左側の問題に 起因します ガナ達は左側にいます 彼らは 女神の力と 完全に一つです 彼らに指示することも 導くこともありません すでにそのようにできています このガナ達は 目標を定めます 病気に目標を定め あなたを治します 多くの癌患者を 左に問題がある者を 治しました ガナ達によってです ガナ達は 誰にも耳を傾けません 彼らの隊長は ガナパティです ガナ達をコントロールします あなたのガナパティが 健全なら 問題は少ないです 健全でなければ 様々な問題が起き あなたを苦しめます 次のことを強調します 私たちのガネーシャは 正常に機能していないといけません 先日 受け取った手紙に こう書かれていました “マザー ガナ達を コントロールするのが難しいです” ガナパティは もっと難しいです “では どうしたら良いですか” “トラウマになってしまいます” 簡単なことは トラウマになったとき ガナパティを 克服できないときに 何をすべきかと言うと 瞑想です 瞑想が ガナ達を克服する 唯一の方法です まず 子どもの成長と 実在する環境 この2つの 要因は大切で ガナ達とうまくいく 助けになります しかし 問題は 人間は道に迷い ガナパティを 気にかけないことです ですから 女神を 崇拝するとき シュリ ガネーシャも崇拝します 彼は 彼女の陰の力です お母さんの最も偉大な力は あなたへの保護です あらゆることからの保護です 左側への保護もあります デヴィ マハトゥミャムに 記されているように 素晴らしい保護を あなたに与えています 彼女の保護する力は 絶大です この保護する力は あなたに理解を与えます いかに彼女が優しく いかに 守っているかの理解です 非常に保護的です あなたが常に 守られるように 彼女は導きます 左側を守ります ガナ達を通して あなたの面倒をみます 右側も同じです 右側に偏る者は 女神が正し 力添えします 正常な状態に戻し 謙虚にし そして 理解させます あなたがお母さんの 子であり 子として振る舞わなければ いけないという理解です あなたが極端に走れば 左側に混乱が起こるように 右側も様々な 混乱が起こります 右側の問題は 今日よく見られます 人は克服することが できないようです アルツハイマー等 あらゆる病気が 後に起こります まず肝臓から起こります 肝臓の問題に陥るので 肝臓が起因となります 考えすぎたり 未来思考であったり 攻撃的であるなら 肝臓がやられます それら全ては 肝臓の力を使うからです 肝臓の力が衰えると 肝臓の力がなくなります 多くの病気が起こり あなたが打ち克てないような 問題が出てきます 大変困難です もちろんサハジャ ヨガで 肝臓が治った者は多くいます 肝臓にとって 素晴らしい作用があります しかし 謙虚でないと いけません そして 肝臓を正常に 保たなければいけません ですから あなたの身体には 保護が備わっています 左側がガナ達によって そして 右側が反応によって 保護されます しかし 最も偉大なことは お母さんの祝福です いかにあなたの面倒を 見ているか あなたを愛しているか あなたを大切にしているか 当然のことだと 考えてはいけません あなたは 瞑想しなければいけません とても大切なことです 瞑想なしに 大丈夫でいることはありません 瞑想は最も大切なことで 実践すべきものです それによって彼女の ヴァイブレーションに近づけます 彼女の 特質に近づけます 動物でさえ お母さんに大変敏感です 動物はヴァイブレーションに 大変敏感です しかし 人間は 自分なりの理解があり 自由があり いわゆる知性があり その罠にも陥ります 従うべきでないものに 従います アメリカのような国で 何が必要かというと 献身 そして バクティ(献身的愛)です この2つが欠けています インド人がサハジャ ヨガを始めると 深く根付きます バクティが何か 献身が何か を知っているからです 全てのエゴは 溶けてなくなります このバクティは 楽しむべきものです あなたの中にどうしたら バクティを創れるかは 分かりません バクティがある者を 見てきました 彼らは素晴らしい高みを得ました 左側の動きではありますが 左側の動きで 素晴らしい高みを得ました いかにバクティとシュラッダ(啓蒙された 信仰)が彼らを助けたでしょう このことにおいては インド人が一番です 彼らにはバクティとシュラッダの 力があるからです ここで見られるような 熱狂ではありません 宗派に属し 狂う者を見てきましたが 熱狂ではありません バクティは愛です 理解がある愛です バクティそしてシュラッダとは何か という理解です あなたの中にバクティと シュラッダを育まない限り 上昇できません 自分の問題を 超えられません 人格を越えられません なぜなら バクティは人に 押しつけられるものではありません 誰にも強制できません 熱狂的になることで バクティを持つことはできません あなたは全ての特質を 完全に備えなければ いけません 知的であるべきです 理解があるべきです 全てあるべきです 同時に あなたの中に バクティの歓びがあります バクティの歓びが 流れ始めると 女神自身 あなたの中に入ってきます インドでは 高みを得た 多くの偉大な聖人や 献身者を見てきました 深みがありました 彼らについて読めば 彼らを理解すれば 誰の助けも得ず 指導もなく 深みの境地に 達しており いかに女神を崇拝したかに 驚きます 崇拝は 読書から 学ぶものでも 復唱することでもありません それはハートの 深い意識です スピリットです スピリットが覚醒すれば バクティを育むことができ あなたは 全ての無意味な考え 頭に入りこむ あらゆる偽りがなくなります あなたはただ バクティを育めます デヴィについて記された これらの特質は 左のもので 脳にあります 記憶も 他に記されるものも 脳にあります バクティがその状態に 達すると 全てを中和します 脳の全ての問題が 中和されます そして あなたは 賢い者になります 女神の最も すばらしい恩恵は あなたに叡智を 与えることです それは 意識と呼べます 叡智のようなもので あなたは完全に 神聖な人格になります バクティを通してその叡智を 得なければいけません 様々な人がいます シュラッダ バクティ 献身が 強くあると思う者がいますが 間違っています 彼らは誰を崇拝すべきか どこに向かうべきか 理解していません サハジャ ヨガは 実現するものです サハジャ ヨガは サクシャッ 実現です 誰を崇拝すべきか 誰にサレンダーすべきか 分かります 全く盲目的ではありません 盲目であれば バクティは 無意味な者にさせます そのようにして 多くの宗派や 他のものが出てきました しかし それによって見たり 知ったり 理解することはできません あなたの知性によって あなたの特質によって バクティとは何かを 理解すべきです 私たちは クンダリーニの覚醒によって バクティの理解と力の 素晴らしい高みに達しました バクティの最も偉大な力は あなたを守ることです 守ることです どんな困難に苦しむ者も どんな問題に苦しむ者も 抜け出すことができます あなたのこのバクティは 正しい理解を 与えるからです あなた自身の理解も 与えます 周囲の理解も与えます 全宇宙の理解も与えます なぜ人はこのように振る舞うのか なぜこうなのか これら全てあなたの バクティによって解決できます 盲目的であってはいけません 賢いバクティ 叡智ある賢さ でないといけません サハジャ ヨガを通してのみ 可能です 人が狂ったようにする バクティは バクティではありません 狂うのでなく 賢い者になります 賢い者が 過去に多くいましたが 彼らが語ったこと全ては 驚くべきです いかに彼らが 人間の意識について あなたの上昇について 語ったかに驚きます 私が人に話せるように 適切な場を準備した と感じます 特にインドでは どういうわけか 古来から 大変献身的でした 同じように世界中も そうなるべきです もちろんインドにも 熱狂的な者がいます 確かに宗派や 様々なものがあります しかし 私たちを 大変よく導いた聖人も 実際いました それにも関わらずインドでは 誤った道に行く者や 誤ったことをする者 誤った崇拝をする者がいます 事実です それは 叡智のない おかしな熱狂とも言えます 狂人と聖人は違います 狂人には叡智がありません 叡智を持つ者が “自分は賢い” […]

Diwali Puja, Expression of Love Novi Ligure (Italy)

Diwali Puja, Novi Ligure, Italy, October 25th, 1998
今日ディワリ プージャのために 皆さんに会えて嬉しいです ポルトガルで行う予定でしたが ここになりました ディワリ プージャは小さなものですが 極めて意義あるプージャです まず ディワリでは初日に 家族のための何かを買います 何か料理に使うものや 奥さんに宝飾品などです その日が主婦の日で 主婦に敬意を表す日だからです その結果 インドでは 主婦がとても尊敬されています 実際は 世界中で 尊敬されています 政府の祝賀会でも 婦人がどこに座るかが 大切にされます 今日先進国においても 特別な尊敬を集めます 主婦は学もなく 素朴で 現代的ではないかもしれません ロンドンで プログラムをした際 私たち政府の代表が 招かれましたが 団長の奥さんが 見つかりませんでした “席はあるのに 彼女はどこでしょう” と訊かれました “分かりません この辺りにいるのでは” 会が始まる前に化粧室に行ったら そこで座っていて驚きました “何をしているの 皆待っていますよ” 彼女は“座っているように 言われました” 私は外に行き “あそこに 座っていますよ 呼んできたら” “あれが奥さんですか?” “もちろんです” “事務員かと思いました” “なぜそう思ったの?” この女性はモダンな スリットの入ったドレスを着ていたので 秘書官だろうと 思われたわけです なので待合室で 待つよう言われました 主婦であれば キチンと立派な服装をすべきで 事務員や秘書のような 格好をするべきではありません 主婦が最高位だからです ですが彼女はパーマをかけて お金をかけて着飾ってきました なのに可哀想に 待合室で待たされることに なってしまうのです 主婦とは 家の威厳なのです それどころか 国の文化や国自身を表す存在です その国の文化を 表すのです 最近のインド映画では おかしな格好をしていますが そんな格好をした主婦は 見たことがありません 映画だけです 社会が強固で 主婦はキチンとすべきと されるからです キチンと 威厳を保ち 品のある振る舞いをしなければなりません 逆にインドのシャハストリ首相 の例があります 妻はシャハストリさんが投獄されたので 学校にいけず 学がない人でした 素朴な 普通の女性でしたが フランスへ行きました 当時フランスの大統領はド・ゴールさんで 奥さんも素朴な人だったのです シャハストリさんは妻に“親友の ド・ゴール婦人と別れる時泣かないで” 彼女たちはお互いにフランス語も ヒンディー語も知らないのに 二人は大親友になったのです 結局旦那さんに泣かないように と言われたけれども 結局 帰り際に 泣きだしました シャハストリさんは “泣かないように言ったのに” 奥さんは “彼女が先に泣くもんだから” そうやって主婦同士で分かり合い 連帯ができていったのです 共通の問題があるのです 子どもや夫を丸々世話しているからです 主婦の問題は 同じだということです 主婦は小さなことを よく知っています 少なくともインドの男性は何も知りません 地に足がついてないと思います 女性のほうが理性的で 細かいことにも良く気づいています 面白いことに 男性は日常の問題ごとに 関わっていないため 可笑しな 間違いをしたりするのです 一方では 主婦は生活に関わり 他方では 家族や子どもを世話します さらに社会に対しても 責任があります 世間を維持しなければなりません 女性に分別があり 成熟した国では 社会や家庭 子ども達が 極めて良くなるのは驚きです この意味でインドは 良い国 良い社会です これはグルハ ラクシュミ である主婦の 文化における 重要な働きのおかげなのです これは インドではよく見られ 主婦が とても尊敬されています なのでサハジャの文化でも 主婦を尊敬することが最も大切です でもそれは夫を支配して 喧嘩したり 困らせるようなことを 意味しません 社会において主婦が 重要な役割であるということです 彼女は女神のように 扱われるのです でも 彼女も 女神に値すべきです 彼女をドアマットのように扱えば 子どもたちは尊敬しないでしょう 適切に尊敬しなければ 子どもたちも母親を尊敬せず 子どもへの影響力がなくなるでしょう 母親が尊敬されないと 子どもたちは我がままで 支配的で怒りっぽく 協調性のない子になってしまいます なので今日 13日目の ダンテラスの日には 主婦に何かを プレゼントするべきです 少なくともポットか 何かキッチンで 使う物をプレゼントして 敬意を表すべきです 母親が尊敬されない家庭では 子どもが問題を起こし 結婚時など家族の皆が 大変な思いをします 男性は妻を尊敬しなかったことが 間違いだと気づくべきです 子どもの前で怒鳴ったり 敬意に欠けた態度を見せれば 子どもは母親を 尊敬しません 何も欲しがらずに あなたや その家族を世話している女性に そんなことをするのは 罪なことです 女性がどれほど問題を起こすかは 政治を見れば良いのです 政治に参入すれば 男性たちを皆おかしくします しかも一人の女性の 特有の考えによってです 彼女たちの領域は 家庭にあるからです しかも一人の女性の 特有の考えによってです 彼女たちの領域は 家庭にあるからです 女性が家庭で尊敬されないと 外へ出て 突飛な振る舞いをします 忍耐も苦労も多いけれど 家庭で主婦は尊敬されるべきです それがとても大切な グルハ ラクシュミのメッセージです 2日目はナラカスラという ひどい悪魔が成敗された日です これはシャクティの力によって なされました ナラカスラは多くの人を苦しめ ずる賢いことをたくさん行ってきました とても狡猾でずる賢く 誰も殺せませんでした そこで特別な力が地上に降りてきて ナラカスラを倒したのです ナラカスラの成敗は 4日目でした その際に地獄の門が 閉じたとされます なので人はその日は 早朝にシャワーをしますが 地獄の門が開いている時に 水浴びは良くないと思います むしろ 彼が地獄に 落とされるまで寝ていなさい ナラカとは地獄(奈落)を意味し 彼がおびき出されて殺されます 最後が一番良い日で シュリ ラーマと弟のバラットの再会です シュリ ラーマは父親の命で 14年間森に追放されていました ある意味 投獄されていたようなもので 城での生活から森での大変な生活に 妻や弟と共に追放されたのです ラーマーヤナの話は ご存じですね 城で生まれ育った子どもが 王になることなく 酷い生活を強いられて あんまりです でもシータが同行して 彼を支えました でも結局シータすらも ラヴァナに誘拐されてしまいます そしてラーマはラヴァナと戦い 殺して妻を取り戻すのです 都アヨッディヤに帰還したときは 大きなお祝いでした 弟のバラットは 兄が大好きで 国を治めるにも 兄のサンダルウッドのサンダルをおいて 統治したと言われています それを王座におき 統治しました バラットミレンといわれる バラットとシュリ ラーマの再会が祝われ シュリ ラーマが 王として戴冠されます 何千年も前の古い話です この祝祭は意味深く 善き王が王座につき統治する という意味があります 彼の経験した不正や残虐な 行いが全て終わるという意味で ディワリは重要です 最終日は 女神ラクシュミを崇拝します 彼女の恩恵でこれら全ての出会いが 可能になったからです 9種の色々なラクシュミが私達に 宿っていると以前お伝えしました ラクシュミ プージャでは ラクシュミ自身を崇拝します 金銭ではありません 金銭の崇拝は間違っています 私達のもつ金銭や富をラクシュミとして 注意深く使うべきだという意味です 彼女は流動的なので お金も滑り落ちることがあるからです 反対に ケチになってもいけません ラクシュミは けちな人を好みません でもお金を使うなら 正しく使うべきです ラクシュミは原初の海が 撹拌された際に創られ 4つの手を持っています ひとつは与えるためです 彼女は気前よく与えます そして別の手では祝福します 片方で与え もう片方で祝福します 大切なのは 誰かに何かをあげるときに その何かというより 祝福を与えることです 金銭だけでなく 祝福を与えるのです 残りの2つの手には ピンク色の蓮の花を持っています ピンクは愛の色で お金を持つ人は 愛に満ちた家を持つべきです 客人は誰であれ 尊敬されるべきです 神のように 扱われるべきです インドでは外国人は 神のような存在と考えられています ここでは悪く捉われますが インドでは尊敬を表します 神のようです あなた達もインドで受けた 歓待を覚えていますね これがインドの文化の基盤で 客人であれば 神のように扱われるのです 別の国なら 全くの反対で 外国人なら話すことも 憚れると思われます どうしてそんなメンタリティに なったのかわかりません でもサハジャ ヨギ達は 違います 彼らはお客を歓待し 良く面倒を見て 美しく連帯していると聞きます これが蓮の花の意味で 愛に満ちた家というものです 身体に刺のある カブトムシですら 蓮に止まると内部に招き入れられ 心地よく眠ります カブトムシすら 邪魔されません 富める者は このように人を扱うべきです でも世間では金持ちは カブトムシのようです 刺だらけで人を侮辱したり 自分のことばかり考えています ラクシュミとしての金銭を得ることで 悪魔的になるというのが驚きです 彼らが他人をどう扱うかは 更にそれ以下です これらが女神の姿の意味です なによりも蓮の花に立っています 誰にも圧力をかけません 自らで存在します 誰にもプレッシャーをかけません 自らの脚で立ち 威厳をもって 自分の体重をバランスしています これこそが ラクシュミのあるべき姿です この作用で経済やその他の 危機に陥った国が発展していくのです 人民が楽しむでしょう お金を楽しむのでなく いわゆるデザイナーズブランドなどの 高いものを持とうと思うのは 攻撃的な考えです デザイナー達は ラクシュミに反しています あなた達のお金を巻き上げて 無駄にさせるのです 人は異性関係や飲酒といった 無駄な習慣に走ります ラクシュミの本来の恩恵と いえるようなことはしません なので誰かに何かを贈るときには 心から贈るべきで それがラクシュミの プラサードになるべきです でなければ誰かに プレゼントを贈る意味がありません とても狭い了見で 贈り物をする人がいます それでも 贈ろうとするのです 日本では 大きな贈り物をします ところが開けていくうちに 結局 マッチ箱サイズになったりします そのマッチ箱の中に 2つのマッチ人形の ようなものが入っています “何でこんなに大きな包装を するんですか”と驚きました でもとても素朴な民族です 日本に行った時には 雨の日でも行った先々で 贈り物を頂きました “何故こんなにくれるのでしょう” と尋ねました “彼らはあなたが 王族と思っています” “何でそう思うの?” “あなたが美容室に 行かないからです” “本当に?” “日本の皇族は美容室に 行かないんです” “それは知らなかった” “それであなたが 王族だと思ったんですよ” 彼らが美容に関して どんな考えを持っていたか 想像してみてください インドでは女性はキチンと 髪をとかしていなければなりません 彼女はヒッピーみたい ではいけません ここにはまだヒッピーを信じている人がいて そういった髪型をしています 女性は社会で 大きな役割を果たします 着るものや行く場所など 子どもは父親よりも母親から 影響を受けます 父親の方が影響力がある 場合もありますが 洗練されたものは 全て母親から受け継ぎます なので衣服や生活スタイルの 理解は女性によります ロンドンにいるインド人のヨギニに 今の流行を訊いたら マラティ語で “ジプレヤ”と答えました 前髪をこうすることです インドでは母親に “ジプレヤをどけなさい”と言われます 前髪をこう被せていると 斜視になるからです でも前髪を目まで伸ばすのが 流行っているようです これが流行りです 今は皆 品のある人でも そうしていて そうしないのは サッチャーさんぐらいです どう逃れたのか わかりませんが 女性は誰かの真似をする 必要はありません それは卑屈です 流行っているからといって 何故するのでしょう 流行を作る人の術中にはまるのは 馬鹿げたことで あなたが依存的だからです 自分の個性や 理解の上に立脚しなさい 自分の見かけを 台無しにするのでなく 威厳と理解をもって 良くしていくようにしなさい これは女性に より当てはまります ラクシュミ プージャは 女性向きです 女性がいかにあるべきかに 関するものです 私は女性は男性よりずっと 威厳を持ちなさいといつも言ってきました 男性は馬鹿かもしれませんが いいのです 女性が威厳と分別を 持たなければいけないのです よくご存知のように 男性はよく解っていないのです 可哀想に 大学の勉強しかわかりません 実際的なことになると 何も解っていません だからそれで 気を悪くする必要もありません 男性達が“自分はあれもこれも 知ってる”と言いながら 何も知らずに間違えるのを 見ていると面白いでしょう でも男性は“知りません”とは言いません そいいう性質だからいいのです それは別に何か意味があるわけではなく 単に分かってないだけだから 芸術や美的センスについても 男性はどこか抜けていて 大して知っていると思えません 可哀想に ある種の服を手にすると ずっとそれで通します いつも同じようなスタイルの服を着ていて 他に欲しがりません でも女性は芸術的です インド女性がサリーをやめて ジーンズを履いたら農村部はどうなるでしょう 内職でサリーを作ったりして 生計を立てているからです なのでインドにそういった 洋服を紹介するのは無理です 学校ではあっても 結局は好きなサリーに戻るでしょう サリーはこれからも 続いていくでしょう それぞれが個性的で とても美しいです 芸術やアートに関しては やはり女性の方が優れています 男性が分からないのは 構いませんが 女性は家の中を 完全に綺麗にするべきです 蓮の花のように 居心地よくしなさい でも家事に関して独裁的な ヒットラーのような女性もいます “こうでなければダメ”と 男性の生活を惨めにします 自分の家でいつも新聞を 持ち歩く男性がいました “こうでなければダメ”と 男性の生活を惨めにします 自分の家でいつも新聞を 持ち歩く男性がいました なぜ持ち歩くのか 尋ねると “新聞を敷いて座るんです” “何故?” “ちょっと汚しただけで 妻に怒られるから” “どうして?” “彼女は何かが汚れるのが 嫌いなんです” “とても細かいので 新聞を敷いて座ります” “やり過ぎです” と言いました 彼は“あなたもやったほうが いいですよ”というのです とにかくやかましくて 病院よりひどく そんな家に住むのは 無理です このようにとても細かく 几帳面な女性もいるのです でも普通女性は親切で 家族や皆にもとても好意的です これはとても大事なことで 私には大家族がいて 皆が兄弟で 一人ひとりが大切なのです だれもが違った香りの個性的な 人格を持っていて 素晴らしいです 違いにもかかわらず 皆がお互い好意的に 楽しんでいるのが素晴らしいです ロシアでは特に女性が 非常に気立てがよく かつユーモアがあって 何でも楽しんでいます 驚いたのは彼らに 二千人分の贈り物を持って行ったら 一万六千人もいたのです どうやって 贈り物をあげましょう すると一人の女性が ネックレスを外して “これをあげましょう イヤリングもあります”と言い 何ももらえなかった 男性をからかっていました とても楽しんでいて よく解っています お金に恵まれなかったので 逆にスピリチュアルなのです スピリチュアルな女性は物に執着せず 自分の威厳を保ちます そしてスピリチュアルであることを 態度で示します これはとても素敵なことです 例えば日本に関して ちょっと変わっているといいましたが その日本に行った時 建造中の建物のデザイン タイルを気に入りました “一つもらえませんか”と言うと “いいですよ あとで船に送ります” そしたら大量の タイルが届きました “どうしてこんなに?” と船長に訊くと “全種類を持ってきてくれたようですよ” 信じられますか つまり 彼らの包装の仕方とは 違う面があるということです だから何かをもらった時に がっかりせずに 込められた意味を 理解するのです 気づいていない素晴らしい意味が あるかもしれません どうしてそれをくれたのか 訊くとよいでしょう これが吉兆というもので ラクシュミの最高の性質です あなたの贈り物は何であれ 吉兆であるべきです 例えば子どもがイタズラで トカゲを捕まえてきてあげようとします 不吉なことでも教えられていないので そういうことをします 吉兆でないと教えないといけません 女神は喜びません 間違った物を持ってきてラクシュミを侮辱して はいけないと分からないといけません 知らないのであれば 学ぶべきです この意味でこれは ディワリに関係しています 最も素晴らしいメッセージは シュリ ラーマに王座が与えられた事です シュリ ラーマは 正義とフェアプレーの体現でした 私達の感謝の念や愛情は シュリ ラーマのような偉大な存在に 向けようと感じるべきです これはとても精妙なことですが 分かろうとしなさい あげたくないのに あげてはいけません 贈るなら その人にふさわしいものを 贈らないといけません これこそがシュリ ラーマの 性格から学ぶべきことの一つです 彼が村の森で 老婆に合った時です 彼女は歯が全部欠けているような その地の原住民でした 彼女はシュリ ラーマに “ベール”と呼ばれる ある果物を贈りました “味見したら どれも甘かったです” “甘くないものをあげたく なかったから味見しました” “ちょっとかじったら甘かったら どうぞ食べて下さい”と 彼はすぐに食べました でも弟のラクシュマナは とても腹を立てました インドでは口をつけたものを あげることは不吉で やってはいけないこととされます でもシュリ ラーマは “こんなおいしい果物を 食べたことがありません” すると彼の妻が“私にも下さいな 私はあなたの分身なんだから” シュリ ラーマが彼女に渡すと “なんて美味しい 素晴らしい” 彼女が食べたので ラクシュマナも “お姉さん 私にもください”と 彼女は“この女性のことを 散々言っていたのに” 彼は“もう許してく下さいよ”と シュリ ラーマは 彼女の愛を ヴァイブレーションを この果物から感じられたのです だから奥さんにもそれが届いて その和に加わりました なんであれ愛をもってする ということです 愛をもってすれば 吉兆にすることができます でも愛がなく 何らかの企みが あるなら役に立ちません これこそが贈るということ シュリ ラーマのような 偉大な神に贈るということです 彼女は愛をもって 彼にそれを贈りました そのようにあなたもとても素朴なら 何が一番か分かるでしょう 今日でディワリはお終いです 改めてディワリおめでとう 栄えある新年を祈念します 神のご加護がありますよう! このラクシュミは マハラクシュミになります それはお金の価値の理解が ある点に達すると あなたは執着を 離れるということです すると新しい姿のラクシュミが現れます それがマハラクシュミです それがあなたをより高みへ スピリチュアルな目覚めへと 連れて行く力です 豊かな国では どこでも真理を探求し 見つけたいという欲求が 出てくるのを見たでしょう マハラクシュミの力が働き出し 真理を探求し その探求の中で皆さんは サハジャ ヨガに来たのです なので マハラクシュミは大切です コラプールには マハラクシュミの寺院があり 地面から隆起したと 言われています でも彼ら自身何故 その寺院で ジョガワで “アンべよ 目覚めよ”と歌われたのか 知りませんでした アンべとはクンダリーニです 何故マハラクシュミの寺院で歌うのでしょう どうしてその寺院でクンダリーニを上げる “ジョガワ”が歌われたのか あなた方なら理解できます […]

Diwali Puja Lisbon (Portugal)

Diwali Puja. Lisbon (Portugal), 10 November 1996
今日はマハラクシュミを 崇拝します この国ではマリア崇拝で マハラクシュミが敬われています ご存知のようにマリアの スワヤンブもあります 彼女が現れたと聞いても 信じられませんでした ですがヴァイブレーションを見たら 本当だと分かりました 彼女は本当に ここに現れたのです 私の前にも現れました あなた方も写真を見たでしょう あなた方はこの原理によって 今の高みに達しました マハラクシュミの力により 上昇する中道が作られました そこをクンダリニが 昇ります コラプールの マハラクシュミの寺院では ウデ ウデ アンベ と いつも歌います そこでどうして そのアンベの歌を マハラクシュミの寺院で 歌うのか訊きましたが 何故かわかりませんが 間違っていますかというので 間違いではなく クンダリニは マハラクシュミの経路を昇るからです それにクンダリニはアンバですからと それで分かりました それで説明がつくので 驚いていました 古来からこの歌は そこで歌われてきて 誰も何故かは 分からなかったのです マハラクシュミに 関しては このチャンネルで マハラクシュミの力が 上昇のため適切な バランスの道を作りました 左右の均衡が 取れると彼女は 上昇のための道を広げます これは愛と慈しみの道で それを通して 道を作ります その道が狭いと クンダリニが 上昇できないからです 結果人は探究を始め それに伴って マハラクシュミの原理が 覚醒します 時にはとても強く覚醒し 狂った探究になったりもします 残念なことに多くの者が 探究中に 迷ってしまいましたが 上昇への正しい道へ 来たものも多くいます マハラクシュミの もう一つの原理は クンダリニの力を困難な チャクラへと導くことです 困難なチャクラへの道を作り それらを治します 彼女が柔軟にクンダリニを導く力 であるというべきでしょう クンダリニの助けが どのチャクラに必要かも知っています クンダリニが昇ると 拍動するのを見たでしょう どこに行って何を覚醒する 必要があるか それを示します 彼女の溢れる愛と慈悲によって 全てが機能します あなたが究極の真理に 到達するためです ご存知のように サハジャ ヨガでも多くの問題があります 過去の石を背負いながら 登ろうとして 登れなくなる者が いるからです 試しては失敗し また試して 失敗しと繰り返します でも今日はどんな意識が 必要か教えましょう シュリクリシュナがギータの第2章で スティタプラギャを語りますが 理解するのは とても難しいです 彼はマザーほど クリアカットではありません なので人は理解できず 質問します どうやってスティタ プラギャになるのですか どうやってそこに行けますか でもガネシュワラは その著書ガネシュワリで それはサハジャスティティ つまり サハジャの状態だといっています スティタプラギャとはいわず サハジャスティティ と呼びました そして美しく精妙に それを述べました もちろんそれすら理解するものは 少ないと思います そこに至ったものは 鏡のようで 多くの顔が通りかかり そこに自らを映し出します 多くの者が 自らを飾りますが 鏡自体は 変わりません スティタプラギャ またはサハジャな者とは 直面するものに とらわれません 誰といても どこにいてもです 自分の中に留まり 自身を抱えます 太陽のようです 様々な光線を放ちながらも 自らを失わず その光線は自分に戻ってきます 私たちの感覚も同様で 様々に動き 戯れつつも サハジャ状態の者にとっては 何の影響もなく 巻き込まれず ただ戯れるだけです そして全てがもう一度彼に帰って いきます 皆さんそうなるべきです それで初めて サハジャヨギですが 未だに道に迷って サハジャ ヨガで儲けようとする者がいます リーダーシップや 嫉妬や羨望に迷う者もいます まだ内面の仕事がたくさん 残っているということです いわゆる労働は 全てを委ねれば 必要ありません だから常に瞑想しなさい と言うのです 瞑想すれば あなたを引きずり下ろすものは 全部なくなります あなたが自己になるに従い 徐々に消えていきます 自身に満足し 飽きることがありません 私は飽きることがなく それがどんなことかも分かりません 何かがあってもなくても 飽きることはありません 何を飽きるというのでしょう 巻き込まれていなければ飽きません あとは強欲などの影響を 超越するようになります 欲のある人はまだ 金儲けに拘っています あちこちで稼ごうとしたり 色情で一杯の人も まだ何かと企んでいます でもサハジャスティティでは ただ観じます ただの観察者で 引きずり降ろされません あなたには 全く難しくはありません もう自分のこころを 超えたからです これら全ては こころを通して来ます こころは幻想だと何ども言いましたが それを受け入れる必要があります こころがあなたにアイデアをくれると 思う人もいるでしょう わかりました、でも…という この「でも」はこころから来ています 脳が現実で こころではありません こころで「でも」と言って その後とても落ち込んだりします とても良い人でありながら ヨギが少ないと落ち込んだりします 関係ありません ただ観察しなさい この観ずる状態こそが サハジャスティティです そこであなたは 精妙になり自己になります 何にも乱されず変えられないほど 精妙になります 自然をありのまま見なさい 92のエレメンツがあります そのエレメンツの どれを取っても 例えば銀は金にならないし 逆もまたそうです 原子の配列には ある原子価が関係し 分子構造にも厳然と法則があり それを変えることはできません 変えようとしたのが 原子爆弾で それは 極めて破壊的です 人間だけが それを変えられます さて人間であるとは 恩恵であり 自らのエレメントを 自己へと変えられるのです これは 人間のみ特別です でも偽のグルや誰かが 何かを企むなら あなたは爆発してしまいます 偽のグルについていた人が 今でもフラついたりするのを見ました 他の人に比べ まだ多くの問題を抱えています 殆どの人は 良くなりましたが これを理解しなさい あなたが分析したり 原子や分子を分割したり 変えようとすると 上手くいかずに爆発します 反対に統合すれば 良いのです すると自然に全てが 形成されます 例えばこのプラスティックは 統合により生成されました 物質は統合により 融合します 人間も 統合されるべきです 変容できる分 モノより統合されやすいはずです 例えば金などを アクセサリーにする際 どんな形にもなりますが 金は金であり続けます 宝飾品にしても変わらず 金のエレメントはそのままです でも人間は統合されると 変容します これが物質や自然と 人間の違いです 人間は他とは 違っていて 一度変容すると 自然の摂理で 花のようになりますが それでも自然で見られるのとは 違っています 自然には こころがないからです 自然の摂理に従って 働いているだけです ですがあなたは自分の コントロール下にあります こうして自分を コントロールできます この統合が 内面で育つと 自分が完全に コントロール下に入ります それが 起こっているのです 自分を全てと 切り離して見るようになり マザー 私のエゴがとても悪いから 取ってくださいと頼まれたりします 自分のエゴが問題だと分かるのです 私のナビが悪いという人もいます まだお金にとらわれています 自分で分かるのです まずは自分を 分かるようになります 自己認識ですが それをも超える必要があります その認識によって どうするのでしょう まず知識のなさに気づきます 人々は無知で 暗闇があります そこへ光がもたらされると 何が悪いか自分で見えるのです 自分と見えている悪いものを 分けて見ることができます それが徐々に なくなるのを見ます 嫉妬や羨望 強欲や色情など 無意味なものが沢山あります ディワリのお祝いで話すのも 憚られるようなことです ディワリでは電気が一つずつ 沢山灯されていき 自身の悪いところが 見えるようになって 見えれば手放したくなって そのために努力します 清められたいからです 今はその知識さえ 消えます 何かを知る必要はありません あなたはもうそこにいるのです チャクラの知識はもう要りません もうその段階です そこでは何も問題ではありません 石のように堅固になり 同時にハートと頭脳 そして意識をしっかり用います 何も気にならず 慌てることなく 愛と慈悲を ただ楽しみます するとその余波があなたに 帰ってきます それすらがしばらくすると 無くなって あなたはサハジャそのものに なっています それをかつて人は 成就しました しかし不足があったので再び迷いま した 他者に何もできなかったのです 一人がその境地に達して終わりか せいぜい二人でした 今サハジャヨガでは皆 まず知識の水準にあります まずは自身についての 完全な理解が必要です 自己認識が 完成すべきです そして第三段階で 知識が完成すると 自分で気づいたことを 取り除けるはずです 無意味であなたの成長を 邪魔するもので 悪いとわかっているものです 私のサリーに埃がつけば それを取るように するとサハジャの状態で 自分を切り離していきます でもサハジャヨガでは もう一つの次元があります それは集合意識で それこそが現代のサハジャヨガです 昔はそれがなかったので どれも廃れてしまいました 現代では集合意識により 他者を感じるようになります 他者を感じ 他者への慈愛で 働くようになります そんな中でもどれだけ儲けになるか 考えることがあります リーダーとして何を達成できるかとか あれこれがまだあります でも集合意識が高まると お伝えしたように あなたという雫が大海になります 完全な大海となり 大海はそれ自体の節度があります 惑わされず 節度を持った生活をします 一線を越えることなく その限界を受け入れます 同様にあなたも 自らが満たされて 自己中心的でなく 内面で満たされます 多くのサハジャヨギが 憤っているのを知っています 私が酷い人たちを 罰しないからです サハジャヨガを 邪魔する者たちを 私は気にしません パラマチャイタンニャが 働き者なので 任せましょう 誰かを気にする必要はなく 結局うまくいくのです なので邪魔をせずに ただ見るのが私の仕事です それで十分です 誰かを殺す必要もなく 今生において 彼らは自滅します 誰かを暴露することはないと 伝えました でも私がどの国を訪れても 人々は暴かれるものです 時に私は逃げます どんなことが起こるか 神のみが知ると 思います ちょっとある国に 注意を置くだけで 何かが働き 私自身気づかないこともあります 神よ いつの間に そうしてしまったのかしら だから神の聖なる愛の力に なるべきです 神の神聖な愛の力を持ちつつ それを操作せず 聖なる力に任せます それは私の力の一部で 働いています 驚くでしょう 私は全く一人で この力も私から出ています でもこの力は サハジャヨガや人類に何が良いか わかっています それ自身で働くので私は 邪魔しません 反射的に起こります 信じてください 反射です あなたは言うかも知れません マザー あなたがもうなさったことに 私は邪魔に入りません 私が何か言う必要もなく それ自身でとても良く働いています 例えば イギリスで昔 マザー 長い夏が欲しいです というので 何でそんなことを頼むの マザー違うんです とても長い夏が 必要です あまりに何回も頼んだので その年は長く酷い夏になりました インドのようにエアコンや ファンもなく せいぜい うちわぐらいで 何もないのです 私たちは当時小さなギャラリーで 寝起きしていて どうしたものかと それでロンドン市内で ファンを買おうとして 3ヶ月後に入荷しますと いわれました 3ヶ月 寒くなった頃に手に入るというので 要りません と断りました なので娘に2つ空輸して もらいました そうやって何とかしたのです インド人は暑がりです 自国で沢山太陽を 浴びたからです あなた方の誰よりも 暑がりです あなたは日なたに座りますが それを理解できません わざわざ日に当たりにいくのは イギリス人と狂犬くらいだといいます そんなわけで私たちは 日に当たりません もう当たりすぎて いるからです それでこの夏は酷暑になりました でも一つ良いこともあって 黄色から赤に徐々に 紅葉が見られました 最高の秋になり あるサハジャヨギは夢で マザーに裏庭にドライブするよう 頼まれたと言いました 皆にそれを 伝えました 私はそんな夢については知りません でしたが 彼に電話して言いました ちょっと来れますか 英国中の 秋の紅葉を見に行きたいから それで一緒に ずっとドライブしました それで知ったのです マザー 彼はあなたの裏庭と言っていました 彼は何マイルも 運転していたんですよ カナダのように 美しかった 英国中が秋の 美しさで満たされて だから何かあっても ちゃんと補われるものです それはとても美しく 皆が秋の外出をしていました 美しい自然の色を見て 緑 黄色 黄土色など あらゆる色を楽しみました 驚くことにあの国では 普通は紅葉しないのです ですが夏の太陽のおかげで こちらが補われました パラマチャイタンニャの働きです 全てはパラマチャイタンニャで 私は ニシクリヤで何もしません 座って見ているだけです 何も問題はなく 全てがゆっくりと確実に働いています 例えば誰かが マザー あなたに祈ったから こうなりました と そうかも知れません 私の周りの存在が聞いたのでしょう 私ではありません 彼らのしたことですから 私に責任は全くありません 例えばあるメキシコの女性の 息子は酷い病気でした 亡くなりそうな時に 彼女は 私に3通手紙を書きました 息子がまだ若いのに 亡くなりそうです 彼はハーバードで勉強していますと 私は何もしませんでした 返事もしませんでした すると4通目が来て 彼が完全に 治りましたと 私がしたわけでなく 私は1箇所に座っていただけです こうやって働くのです 私が何でもすると 思うでしょうが 私でなく パラマチャイタンニャです 私はあなたと完全に 全くもって別々でもあるからです 人は祈るように言いますが あなたの祈りは神格達への祈りです 彼らグナ達は私の周りにいて 私に祈るのではありません なぜならそれに何の関係も ないからです わかりますか 神格達は私にあれこれ指図しません なので私も指示しません そうなっています そうなって初めて あなたはサハジャの状態であると いうことができます 何も望まず 何も求めない 私はあらゆることをします 太陽のように行います ある意味私もしています 花や自然を世話したり あなたからプレゼントを受け取ったり でも同時に何も受け取っていません 何も所有せず 何の関心もありません あなたが自分の喜びのため プレゼントしたいのです そうしたいならしなさい 花もいいでしょう 私個人にとっては 何の違いもありません でもマザーとして 私は皆を愛しています でも愛で何かするわけではありません あなたはこう言うかも知れません マザーあなたは沢山愛してくれます いつですか? いつ愛したでしょう キスすらしてないのに でもあなたはいつも 私が沢山愛してくれたと言います 何ででしょう 誰がしているのでしょう それは私を超えた 私でない何かなのです ここに至って初めて サハジャストゥティなのです そこではあなたは 何もしていないと思います 全てが上手く働いています でもあなたの今の段階では こう言うでしょう 私たちが 何もしていないなら どうしてサハジャヨガを広める 必要があるのでしょう まだその水準に 達していないからです 成長しなさい 自分や世界を認識する意識になって 初めてそれが可能になります でも知識を超えると 何度もあなたが見たように 私が言うだけでそれが起こります 私は誰かの クンダリーニもチャクラも感じません 全くです でも自然にわかります コンピューターのようですが 私はそれでもありません 説明するのは 難しいです あなたは実際にそうなる 必要があります そうなれば とても精妙になり そこには恩恵のみがありますが それを楽しむこともありません どう楽しむかも 知りません ジェイマタジと あなたが言っても 自分のことと感じません 私もジェイマタジと 言ったりします とてもシンプルなことで それを理解して そうなるべきです 何もすることなく全てが働きます すでにそうなら良いでしょう まだだとしたら そうなりなさい まずは行動が必要です 知識が第一で すると知識も 必要なくなります でも経験してその段階に 至る必要があります ディワリでは 光をあちこちに灯します サハジャヨガを 広げるように でも光は自分を知っていますか キャンドルは自己意識を持ってますか 皆に光を与えるけれど それを知りません 月も月光を放つけれど 意識していません 楽しむこともありません 同じようにディワリでは あなたたちは確かに 人々に光を与えますが そしてそれは良いことで 行うべきですが 一方でランプのように なりなさい 自分を意識しません なので2つの メッセージがあります 一つは他者や世界に 光をもたらすこと それが一つ 次に何も意識しない 光そのものになることです 昨日皆さんは あなたが光ですと歌 いましたが それはあなたのことです 良いですか 私は光で自分を 意識しないと言いました 自分が光であると 意識すらしない状態です ただ意識せず 頭に入ってこないのです あなたは何度も歌い 名前を唱えますが 私について歌っているという 実感がわきません こういうとあなたが どう反応するかわかりませんが 人間というのは おかしな存在ですから あなたにこんなことを言うと エゴが出てきて 私もそうです なんていうかもしれません そんな人が 沢山いました 私は マタジより上だとか そうなのかもしれません そういう人が多くいました 自分はカルキだとか そういって回る人がいるようです 良いでしょう そういうことにしておきなさい でも私がアディシャクティである と言う際には 自意識がないのです そう宣言すべきです と 人は私に言いますが 何を宣言するというのでしょう 何と言おうと私は私なのです 宣言するとあなたがより 成長するようです なのでそれはそれで 良いでしょう でも自ら宣言する 必要はありません ここに到達しなさい そのためには 働くことです サハジャヨガのために働き 多くの光を与えなさい 自分が光だと わかってくるでしょう 他の全てを 啓発することで 精妙な形でわかってきます 私は光である 多くのサハジャヨギが 沢山の仕事をしています サハジャヨガを広め 作用させています 多くの国で起こっていて 素晴らしいことです こんなに広まり 外的な宗教の暗闇を取り除きました 人種差別だとか 〜主義とか 暗闇が深かったのです だからこれが必要でした 浄化して そこを泳ぐために 始めれば徐々に 解ってきます 海は浄化されていることを 見てみなさい どう働いているかを 今生でわかってほしいと願っています 他者への完全なリアリゼーションの 仕事を達成します 他者にリアリゼーションを 与えない者は ただプージャに参加している ような者は凡人です 大した高みには 行けません プージャに来るとは何でしょう 高みに登るためです でもまた落ちます 安定して登るには この状態に入る必要があります 私の生前に間違いなく ただ立っているだけで 平和や光をもたらす そんな人々が現れます 彼らは光なので外から光は必要なく 自らが光である そんな段階に至るべく あなたの内面の 仕事をしなさい この状態は多くの詩人や聖人達に 詠われました でも彼らは その水準にいたので 人々は何を言っているか理解できず 彼らは狂人だと考えました キリストさえ理解されず 磔にされました あなた達は一つ一つ ステップを踏んでいます 今はこれがわかり キリストや他の聖人も理解できます でもまだ仕事があります サハジャヨガの仕事をしないと 上昇できません サハジャヨガのために働きなさい もっと広げ 作用させるのです 互いに兄弟愛を 楽しみなさい 美しい人格が そこにあります その意識に至って 初めて上昇できます サハジャストゥティの段階です そこではあなたは 完全です でもこれら全てを 取り除きなさい 今日はマハラクシュミの日で まずは お金の病気を理解し 本当に病気だと理解しなさい 金持ちはお金を持っていません 金持ちに訊くと お金がないといいます なぜでしょう 貧しい人も お金がないといい 金持ちも お金がないという それは欲は決して満たされず 助けにならいということです こうした些細なことが まずは落ちていくべきです すると働くことで 浄化されます 働きながら自分が浄化されているか 解ってきます 自分がどう働いているかも 見えてきます これが起これば 間違いなくその状態に 至るでしょう 私の生前にあなたの生前にです ディワリの日に伝えたかったのです どんどん精妙になっていく 必要があり 外の影響を 受けないように 流行だとか 外面的なことです ファッションに流される人は馬鹿で 盲目のネズミのようです 誰でも彼らを 操作できます ハイ次はこれ 次はこれをしろと 誰かに考えをもらって 追随しようとするなら その考えにより完全に 自分を見失うでしょう 私はクリスチャンとかヒンドゥーとか ムスリムと言い出します でもスピリットになれば とても多くを知るでしょう 大切な知識です これが 聖人と凡人の違いです あなたは徐々に そこを渡りました 今やあなたは 人間の問題を理解し どう対処するかも わかっています サハジャヨガによって 集合意識が 現代に もたらされました これは聖人も 持っていました でもそれを口にしませんし そんなそぶりも見せません よろしいこの人は このチャクラ 地獄に行かせなさい 構いませんと 世話をしません 気にしないのです 彼らは その状態で座り 記録しているだけです よろしいでしょう 鏡に映るのが醜い人でも 美しい人でも構いません そのように彼らは人々を 通り過ぎさせましたが 私たちはまだ成長する 必要があります 私たちは作用させることで成長し それを方々でしている者こそが その水準に達した者たちです そして彼らにはパラマチャイタンニャ が隷属するでしょう 何かを望めば自然と 手に入る人を見ました 何かが必要なら 作用します ならば何を望むかが ポイントです リアリゼーションの後 全てを得て後 何を望むかといえば信念です 自己に対する信念です あなたはスピリットであり 光であり 啓発を与えるべきだと この信念が自分が 思った以上に深まっていくと 私は スピリットであると あなたがスピリットであるなら 全ての自然があなたの内にある 私はあるサハジャヨギを知っています 彼は漁師でした サハジャヨガの仕事をしていて 私に強い信念を持っていました サハジャヨガの仕事のために 別の村に行く際に 小屋から出ると 空が暗く曇ってきました 彼は空に向かって いいかい これからマザーの仕事に行くので 雨を降らさないようにと そのままで私が仕事を終えるまで いるんだぞ わかったかいと 彼はボートで 向かっていたからです 他のヨギたちは 何を言っているんだと 皆がボートに乗り込み 現地について リアリゼーションを与え 講義をし 全て終えて 岸に着いて 帰宅して 彼は 玄関のドアを閉め はいもういいよ どうぞと言いました 本当に雨は降りませんでした なのでパラマチャイタンニャがあなた のために働くという完全な信念です 常にあなたに仕えるために 待機しています 何でもいえば 起こります そのためにはまず 自己に信念を持つことです あなたはサハジャヨギである との信念です 今でも人々は 色情などの 酷いものを 持っているようです まずはダルマにおいて 確立し ダルマとはご存知のように 正道の意で その正道に沿っていれば必ずパラマ チャイタンニャはあなたに従います でも例えば何かを欲しても その通りにならない時 がっかりすることすら あまり良くありません 落胆は 未熟さのしるしです 何をがっかりすると いうのでしょう それはあなたの為 なのかもしれない 例えば私がある道を選んで 道に迷うとして どこに行くか分からなくなります 迷いましたがそれが何でしょう どこにいようと私はいるのです 自分を見失うことはありません するとそこに来るべきだったと わかるのです ちょうど会いたかった 誰かに会うためだったりします 考えらえるでしょうか そんなことが起こるのです 仮に誰にも会わなくても 何だというのでしょう そちらに行くべきだったのは バイブレーションのためかもしれない そいうことです どこに行こうと 完全な信念を 持つことです 実際完全な権威が 与えられます サンンスクリットで サッタと言いますが 真理を意味し それが権威を与えます もう一つは グルに対する信念です グルに信念を持つなら パラマ チャイタンニャが親切にしてくれます とても助けになりますが 疑うなら あなたもパラマチャイタンニャに 疑われます パラマチャイタンニャはグルを介して あなたを知るからです 私でも別の真のグルでも 同じですが 私に対しては 私が許すので 皆甘えてしまいます 他には 叩くグルもいます ちゃんとしないなら 恐ろしいことをするでしょう すでに多くのグルの 話をしました 良いグルたちが どう弟子を扱うか でも私は許します 何も言いません 放っておきます 放っておかれて 初めて 立ち上がりこの段階へと 成長するからです でも 反対になることもあり 許されても当たり前と 受け止め 何をしてもいいのだと 考えてしまいます だから自分への信念とは 自分を見る忍耐です 何があっても がっかりしないことです 今では沢山がリアリゼーションを得て 聖人が沢山います 昨日はフランス人が 上手に歌えて驚きました 初めてハーモニアムで 教えた時は 30分かけても ダメでした そのフランス人が こんなにクリエイティブに なりました あなたの能力が向上して 現れてきます でもエゴに 行かないように 徐々に開花して 香りを周りにもたらすでしょう そして彼らもサハジャヨガにきます その時が本当の神の恩恵で あなたが完全の 水準に達します プルナットヴァ 完全性です 自分で判断しなさい 完全にサハジャと一つですか サハジャに献身していますか それともサハジャヨガより 大切なものがありますかありますか ならどうぞご自由に サハジャヨガには競争はないと はっきりと理解すべきです ありえません 競争はありません 羨望も陰口もありません 皆違っていて聖人です スタイルも違うし 全く超越しています 嘘をついたり 人を騙したりもできません 未だにしているなら まだ成長する必要があると どうか理解してください 影響力の大きいものは サハジャヨガで上位にいると 考えますが そうではありません 何を考えるかでは 道を誤ってしまいます 何をしたかを 理解すべきなのです 何人にリアリゼーションを 与えたか 何人にそれを 話したか みなシャイでサハジャヨガについて 話したがりません ある女性が私と同乗しましたが とても熱い人でした この人は誰ですかと聞いたら私の グルはああでこうでと話し始めました この人から熱が出ていて 話し続けるばかりです でもサハジャヨギは サハジャヨガについて話したがりません 恥ずかしがって 百人友達と会っても サハジャヨガについて話しません 恥ずかしがります パーティーに出席して 飲み会の席では 自分は飲みませんとは言いますが サハジャヨギだとは言いません 飲めないクチなんですと それだけです これが第3のポイントで アナウンスです 自信を持って アナウンスしなさい 聖人は皆します それで殺されたりもしました ソクラテスは毒を盛られました 構いません 現代では誰もあなたを殺しません 生存の権利があります 誰も殺せません 信じてください アナウンスしなさい サハジャヨガに対する 完全な信念と理解で持ってです どれほど大切なことか 目的は世界を 変えることです あなたが変われば 世界中が変わります とても複雑な機構で サハジャヨガは 作用します 先日マイクが 壊れました 私の講義中でした でもその後も皆が 聞こえていました 何が起きたのかわかりません エーテルを通したのでしょうか 壊れたことすら 気づきませんでした 皆がちゃんと 聞いていたからです 後で後半はマイクなし だったと告げられました でも皆が完全に 聞こえていたのです いいですか 何か不思議で 素晴らしいことがあるのです 何かが起こりつつあり 我々が向かっているのは 神の王国なのです あらゆる恩恵が 降り注ぐしでしょう 恩恵と知識 全てが一つの恵みになり その恩恵の状態に 気づかずしているのです 最高の恩恵は 何も気づかないことです ただそうなります 皆がそうなれると 良いです ポルトガルでの このディワリで ここはマリアが 出現した特別な地で スワヤンブもあり マハラクシュミの顔もあって 皆に作用するでしょう 少々精妙な状態について 話していますが あなたの成長のため 必要なことです あなたにとっては 容易いことです 何もせずとも 徐々に その村に入ってき 全てがそこにはあるでしょう カイロに行ったのですが 皆が私に 挨拶するのです どうしたのかと 思ったら レニングラードの プログラムに来たと どうしてきたのですか というと もちろんお顔です と 小さな新聞記事を見たのです 見るからに聖者です そうなれば アナウンスもできます サハジャヨガは 唯一の道だと 何の害もありません そしてあなたの愛する人たち 彼らは成仏 できるのでしょうか 自分ができたのなら 皆も助けるべきです 彼らは探していないかも しれませんが 構いません もう探究者は 残っていないと思います そうであるなら 探究してない人をも 助けるべきでしょう 神の恩恵がありますように […]

Sahastrara Puja, Achieve Complete Freedom (Italy)

Sahastrara Puja, Cabella Ligure (Italy), 7 May 1995.
今日 私たちにとって 全てのサハジャ ヨギにとって すばらしい日です 一日 二日 遅れていますが この日に サハスララが開かれました 奇跡といってよいでしょう それが為される時点に きているとは 思わなかったからです 時期を遅らせたかったのですが 私に開かなければならないと思わせる いくつかのことが起きました これ以上遅らせれば 間違ったグルのナンセンスな教えを 世界中に広めるのを 促してしまう 状況に陥ると感じたからです これは 自発的に サハジャに起こったと言えるでしょう 25年が過ぎました その間 あなた方が集まりました ここに来ていませんが 多くのことを達成した者も たくさんいます しかし 本当の意味で 私たちが何を達成したか おそらく意識していません あなたは ヴァイブレーションを得ました この包括的な力を 感じることができます いわゆる歓びの大海に あなたは泳いでいます あなた方全員が コレクティブを楽しんでいます そしてあなたは多くの 自分の限界を超越しています これら全ては あなたに起こっています あなたには それを得る権利があるからです 私の功績ではありません あなたに 常に指摘してきましたが あなたは 神の王国に入っています そして自分自身を楽しんでいます 私たちは自分たちの周りを みなければなりません 全ての自然はそれ自体で楽しんでいます 何も気にしていません 何に対しても気にしません リアリゼーションも受けていませんし パラマチャイタンニャを感じていません しかし なぜ楽しむことを 知っているのでしょう 花は短い間だけ咲いて 枯れます しかし生きている限り 大変幸せです 過去や未来について 考えていません 現在を楽しんでいます 現在において楽しみます つまり それらは香りを持ち 他へ与えます 美しく 他を癒します 自然界全てがそのようです 鳥を見ても 自然と呼べるすべてのものを見ても 皆瞑想状態です 丘も大きな山もそうです 起こったこと全てを 目撃しているように見えます 私たちが何を得たか まず省みるべきです これは大事なことです あなたが丘を登っているなら 振り返って下を見れば 衝撃を受けます 落ちるかもしれません ですから普通 人は 決して振り返らないように言います しかし 宝を手にした者は 何度も何度も そこに行って数え どれほど得ているか確かめ それを見ては楽しみます ですから自分が何を得たか 相対的に知ることで そして どのように得たか知ることで より強い心と人生の豊さを 確かに与えられるでしょう あなたに最初に起こったことは とても大事なことで この包括的な力を 感じたということです つまり あなたが誠実で 正直で 分別のあるすばらしい 真実の探求者であったということです 私のプログラムに来ただけで ヴァイブレーションを感じました その後 除々に 定着していきました 皆さんのほとんどが 突然感じました 驚嘆し 衝撃を受け 驚いたでしょう あなた方はそれが真実かどうか 見ようと思いました そして自信を持ち 真実を見つけ 人生に新しい次元を 確かに得ました 神聖な愛の 包括的な愛を感じています この包括的な力についての説明は 長い話を要するほどです あなたがそれから得たものは その真髄だと知らなければなりません それは完全な自由です あなたは 完全な自由を得ました まず始めに この自由が あなたにないといけません もっとも大切なことです あなたのエゴからの解放です エゴの束縛から逃れました エゴは大変大きく あなたにとって大きな問題でした このエゴはあなたが意識していない 多くのことをします エゴイストの者は 誰を傷つけても気にとめません 彼が傷つきます しかし彼が傷つけられると 気に入りません すぐさま泣き出します エゴを持つ者は 特に傷つきやすいです それなのに 自分が何人の者を傷つけたか 怖がらせたか 解っていません あなたは エゴから逃れられました 他の人間を傷つけることは 罪深いことです 如何なる理由があろうと 他の者を傷つけてもいいと感じるのは 罪深いことです 第一に復讐があります 復讐心があります 自分を傷つけ 自分に対して間違ったことをした者に対して 復讐をしなければならない と思います 復讐心はあなたが 反応した時に起こります 大変攻撃的に 反応する者もいます 復讐の名の下で 自分の親族や仲間 自国の者の間で 互いに殺し合う者もいます 世界中で 復讐の愚かな観念があります しかし復讐を 精妙な側面から見るとどうでしょう どんな復讐を できるというのでしょう あなたを困らせた者が いたとします その彼に対し 怒りを感じたとします 彼を殺せば 実際あなたは その者を救ったことになります 彼が罪悪感に 苦しむこともありません 彼は何もすることがなくなり ただ終わります 復讐とは何でしょう 復讐とは 人を殺す観念から 逃れることです 例えば 剣は 剣とは決して戦いません 盾と戦います 同じように 私たちが他の者にする復讐は 復讐ではありません なぜなら復讐の名の下で行う行為は あなたに返ってくるからです そして さらにあなたを傷つけます 人が復讐の名の下において行動し始めれば 様々なことが起こります 例えば今日 世界中で復讐が多く起こっています 神の名においてでさえ 復讐しています ある者はある宗教に 従っているため あるいは あなたがしていない何か他のことを 彼らがしているため復讐します このような復讐で 上手くいかせようとすることは あなたがなぜ復讐しているのかも理解されず、 人はただ殺され 滅ぼされているに過ぎません 爆弾をしかけたり 様々なことをされ 何千もの罪のない者が 殺されています どんな復讐が できるというのでしょう いかなる復讐も 彼らには値しません 膨れ上がった復讐心は 大勢の罪のない者を殺します そして確かに 自分に返ってきます それから逃れることはできません これは復讐の 長い過程のことです バーミューダの三角地帯について お話ししたことがあります 多くの黒人や奴隷が連れ去られ その場所で溺れました 話によると 彼らの霊が そこを通る者を呪うと言われています ほとんど白人を呪い 溺れさせます ですからそれは 大変長い過程です この吉兆な日に 長く話す必要はありません 私たちが復讐をする時 どんな行為にも 反応があると言わなければなりません ですから あなた方は この復讐の観念から逃れられました ただし観念だけです もう一つあります あなたが復讐せず神にゆだねれば 作用があります 作用があるだけでなく 神聖な力がそれ自体でコントロールし あなたに復讐しようとする者に その共同体 組織体のようなものに 教訓を与えます あなたは 心配する必要はありません […]

Christmas Puja (India)

Christmas Puja. Ganapatipule (India), 25 December 1993.
今日はみなさんで キリストの誕生を祝います とても重要な この時期に祝います なぜなら反キリスト教徒が キリスト教を担っており キリストの誕生に対して 非難しているからです 彼らにそのような権利は ありません リアライズソールでは ありません 神聖をまったく理解 していません 彼らは全てが 偽りだと主張し 彼女がバージンではなく キリストはあのように 生まれてないと 誰が言ったのでしょう 聖ガブリエル が来て言ったのでしょうか どのような権利があって 彼らは言うのでしょう 反キリスト的な人達が 今ではキリスト教を担っています 教皇ですらそうです サティ ユガで彼らは 暴露されねばなりません ここにいる誰かが 教皇に聞いてください ”あなたにどの権利があって そのような事を言うのか” ”神の包括的な愛を感じたことが ありますか?” ”キリストを攻撃しているあなたの中に どれだけ神聖さがありますか?” おそらく彼らはポールの 生まれ変わりの一部でしょう 彼らは神聖を理解できません 神聖が何をもたらすか 知らないのです どれだけ奇跡的なことか 理解できないのです 皆さんは神の恩恵を 感じたことでしょう 皆さんはそれが 奇跡だと分かるでしょう いつでも奇跡が起こるのです 一つ簡単な例を挙げましょう ナヴァラトリプージャで ある写真がありました その写真の裏方で ある光景が浮かんできました この光景は何を示しているのかと 思いました その光景とは スーリヤが カーテンを開けていました そこにはスーリヤの目 鼻 口があり 彼は笑顔でカーテンを開けていました これは何だろうと思いました ナヴァラトリ プージャで 何を意味するのだろうと思いました しかしモスクワに行ったとき 驚きました 彼らは背景を全く同じように ペイントしていたのです 全く同じように 背景が描かれていました ナヴァラトリ プージャは 一ヵ月半も前のことです パラマチャイタニャが 描いたのです 物事が奇跡的に起こるのは 驚きです このような奇跡は 数え切れないほどあります モスクワに向かう機内の中で 気温は-20度だと言ってました 到着すると気温は-50度だと 翌朝の気温は-12度くらいまで 回復するでしょうと言っていました 午後になると-4度でした 次の日は+10度まで 上がりました 通常は時間の経過と共に 徐々に寒くなるものです 今度は夫がモスクワを訪れ-20度で とても寒いと言ってました 私は心配する必要はありません 気温は回復するでしょうと伝えました 彼が到着したときは -2度でした これら全ての要素は 私たちを助けてくれています 全ての 問題は すぐに解決するでしょう どのように問題が解決するか 驚くでしょう するとなぜキリストは 磔にされたのかと 聞くでしょう なぜ彼を磔から 救えなかったのかと 彼が磔にされたのは そうされるようになっていたからです 彼はアギヤを通らなければ ならなかったからです 自身をアギヤで確立し 十字架を 乗り越える必要があったからです 彼の人生のメッセージは 十字架ではなく 彼の復活にあるのです 彼は復活しました これが彼の偉大な成就の一つです 皆さんも復活できるのです 進化における 全ての生まれ変わりは とてもユニークな形で 生まれ変わります そして最後にはキリストが 復活を遂げました 彼は死ぬ必要がありました 死なずに 復活はできません たくさんのことが神話的ですが 実際は違うのです 明日になれば彼らはキリストは 復活していないと言うでしょう 実際彼はその後 カシミールで亡くなりました 証明もあります しかしそれでも人々は 信じたがらないのです ただ単にキリスト教を 広めたいだけなのです なぜなら彼らは知っているのです 大衆を得れば権力を持てると 同じトリックを政治家が 行っています しかしこのような大衆は 何の安堵も 慈愛も人々にもたらしません キリストの母は攻撃を 受けていました 彼女に対するさまざまな 虚偽を言われていました 対してモハメッドはコーランで 何人たりともキリストの母である 聖母の純潔を攻撃してはならないと 彼は敬意を表してました なぜ聖母マリアに対する敬意が 聖書で見られないのでしょう パウロによって 単なる女性と呼ばれています 彼は酷い反キリストとして現れ キリスト教を乗っ取り キリスト教を広め それに自分の価値観を活用し キリスト最悪の弟子である ペテロを利用しました あなたはサタンに乗っ取られると キリスト告げられた弟子にです 彼らは不可能だと 伝えているのです キリストがヴァージンから 生まれたなどありえないと 私たちインド人は シュリ ガネーシャを崇拝します シュリ ガネーシャは キリストと同一です 私たちは聖母がヴァージン ガウリとして子供を創造したと 信じています 信じるだけでなく 私たちは信念を持っています ところが西欧での信念とは 全てが合理性にあります そのように考え 過ちを犯していくのです ダラムについて無意味な記事を 発行する意味があったでしょうか 彼はさらに 名誉まで与えられていました カンタベリー大司教という反キリスト から名誉を与えられていました 名誉を与えられたすぐ後で 彼の教会は ヴィシュヌマヤによって 完全に焼き尽くされました 彼女は一時間ほど見回り その後完全に焼き尽くしました わずかに下位部分だけ残ったのは 美しい絵画があったからでしょう すると愚か者たちは言いました 神の恩恵が ヴィシュヌマヤから 下位部分を守ってくれたのだと ではなぜ焼き尽くしたのでしょう 合理性では神性を理解することは できないのです 無理です 制限や条件付けや エゴが強すぎます どのようにして合理性がキリストの 人生の真実を伝えられるでしょう 私たちには 科学的根拠もあります 皆さんも 知っていると思いますが 炭素の構造上右側から左方向を 見るとスワスティカが見えます 炭素原子を右から左を見ると スワスティカが見えます 以前に大きなモデルを創りました 今度はそれを逆に 左から右方向を見ると オムカラが見えます 間違いありません 下から見上げると「アルファ」と 「オメガ」があります キリストは言いました ”私がアルファとオメガ”だと 当時はシンボルが存在するか 分かりませんでした どうであれ彼は言いました ”私がアルファとオメガ”だと そこにはもう一つ意味があります ”私が始まりで私が終わり”だと 彼がアルファとオメガ と言ったように 下から見上げると はっきりと象徴的に見えるのです 一方にはオムカラ もう一方からはスワスティカが 互いが共に上昇し 生まれ変わると アルファとオメガになります しかしこれらは反キリストには 理解できません 神聖に何ができるのか 理解できないのです あなたはリアリゼーションを得ました 二度目の誕生です ただここに 座っているだけでです どのようにして 得られたのでしょうか 彼らの話す内容は 自らを不幸にします 自己を破滅へと 追いやるものです リスクを犯しすぎです 皆さんもご存知のように シュリ ガネーシャは とてもパワフルな 神格です キリストも同じです 彼は“聖霊に一言でも 反抗するなら許しません”と言いました 同じく一言でもキリストに反抗する なら私が許しません 一言でもです そのときはこの酷い人たちを 完全に滅ぼすでしょう 彼の生誕において私たちが 知るべきことは キリストは シュリ ガネーシャと 同じものから生まれました 彼は叡智であり その源なのです 彼に与えられた人生は短かったため 多くを語ってはいません 3年から3年半の間 キリストは人々に教示しました 彼が話したこと全てが 真実で正しく賢明です 彼らはその真実を 乱そうとしたかもしれません しかし多くの真実が 聖書に残されています 彼は人生を懸けて 真実が何か伝え続けました 彼が最初です 神について 明確に語ったのは 彼のレベルでは このタパの部分に3人存在します 一人はブッダで もう一人はマハヴィーラです ブッダとマハヴィーラは儀式主義の 傾向が強い時代に生まれました 彼らは神について 話さないと言いました “まずはチャイタニャについてのみ お話します”と言いました 皆そうしました ジャナカのグル アシュタヴァクラですら ヴァイブレーションについてのみ 話しました ナナカもそうでした ナーマデーヴァが プンジャブに行った時言いました 神のことやハリのことは 話さないようにと まずパラマチャイタンニャについて 話すべきだと 人はまずパラマチャイタニャに 到達するからです その後“神はどこにいるのですか?” と聞くでしょう 当時 神について話をしたのは キリストのみでした 人々は神について 語りたがらなかったのです 彼は恐れを知らない 勇気ある人でした しかし彼の幼少期については 何処にも説明されていません とても悲しいことです シュリ クリシュナやシュリ ラーマに ついては美しい記述があります 唯一彼がペルシャ人と 口論になった時 人々は彼の分別する能力や明晰さに 驚いていたくらいです それぐらいです しかし後ほど 彼らはメアリに対して 敬意を払いませんでしたが 女神がいるはずだと 信じざる終えませんでした キリストはどのようにして 彼女から生まれたのかと そこでマドンナと 呼ぶようになりました このようにして聖母メアリは マドンナと呼ばれるようになりました 未婚で処女という意味です マドンナは教会や至る所に広がり 人は彼女を 女神と崇拝しました 聖書でもキリスト教でもなく 彼女をマドンナと呼び始めたのです このマドンナのレベルから 人は聖母や母性を 見るようになりました 彼女がマハラクシュミだと 私たちは良く知っています そしてマハラクシュミとして 崇拝します 彼女はラーダです ラーダにも 息子がいました 卵の様な息子でした 卵の半分はキリストで もう半分はシュリ ガネーシャでした この子が生まれた時に 父を求めました 父親はシュリ クリシュナです デヴィ マハットミャムを読めば 出ています 彼はいつも手をこのようにして 父に向けています 一つはシュリ クリシュナで もう一つはシュリ ヴィシュヌです そして彼女がラーダです 「ラー」はエネルギー 「ダー」は エネルギーを支える人を意味します 彼女がジーザスと呼んだのです ヘブライ語ではイエス ヘブライ語から直訳されたマラティの 聖書を読んだときもイエスでした 「イエス」という名は シュリ クリシュナの母の名前です 「イエス」とは彼女の名前である 「イェショダ」からきた呼び名です そう呼ぶようになりました 「キリスト」という名は 「クリシュナ」からきました 彼女は「クリスト」と呼びました もしくは「イエス」や 「ジーサス」と呼びました ヤショダのことも イエスやジーサスと呼びます 彼女は彼をそう呼びました それは彼がシュリ クリシュナと 身近にあったことを 私たちに知らせるためにです シュリ クリシュナはインドにのみ 生まれ変わりました なぜなら彼がアメリカに 生まれ変わるには寛大すぎました 彼らには 際限やマリヤダが無く 戒律が何かもわかっていませんし 全くダルマがありません キリストのように とても純粋で明晰 シュリ クリシュナのリーラ(遊戯) を信じない人柄だからです シュリ クリシュナ曰く 全てはリーラである シュリ ラーマの厳格さを 乗り越えるにはそれしかないと しかしキリストは そうは言いませんでした にも関わらずキリスト教では 全てがリーラだと信者は考えています 無戒律はリーラだ どんな過ちを犯してもそれはリーラで 結局全ては純真だと 彼らの論理を 理解することはできません 非論理的で とても自己破壊的です 私たちインド人は戒律について 理解していると知るべきです 何が正しくて 何が間違っているか しかし私はキリスト教の人達を より称賛します 彼らはクンダリーニが何か 全く分からない国から来て 素晴らしいサハジャ ヨギに なったのですから すると神の恩恵が与えられます 彼らは純粋で誠実なため キリストが彼らを サハジャ ヨガに導いたのです 彼の存在無くして それは不可能でした ここではシュリ ガネーシャは 単なるシンボルに過ぎません 石の中に宿ります そして彼は生まれ変わりました 戒律とは何かを 人々に伝えたのです しかし人々はその教えに 従いませんでした 全く従いませんでした お金の事ばかり気にしています 彼らが神の名において 行ってきたことは驚きです 彼の出生は とても象徴的です 彼は馬小屋で生まれました 想像してみてください 沢山の藁の束があるところで 生まれたのです ほかにも動物がいた場所です この偉大な化身の 生まれ方を見てください 彼は王様ではありません 彼はお金持ちでもありません 彼はとても 貧困な環境で生まれ 平均的水準を下回る 粗雑な環境で生まれたのです このメッセージは 生まれる時に お城や大きな部屋は必要ないのです あなたが純粋なスピリットなら 何処で生まれてもいいのです あなたがキリストなら 偉大な人格は この様に生まれるのです その反対に向かうと とても拝金的で 物質的になり 何がしたいのか 全く分かりません 彼らは稼いだお金で 自分自身を破滅させています センスも プロポーションもありません これが現在 西洋で起こっていることです そして私たちも それに従おうとしています 彼らの破壊的な法則に従い それが先進的だと 信じているのです 破滅に向かって先進的 それが彼らです 気を付けなければなりません 子供達のことや 人との関係性など 彼らの汚れたやり方に巻き込まれ ないようにしなくてはなりません 神の名において行ったのです ここにいる皆さんは 比較的大きなグループです 私たちはサハジャ ヨギです 神の恩恵を受けていて 神聖とは何かを理解しています キリストとは何かも 知っています 例えあなたがヒンズー教徒で 生まれようと関係ありません なぜならキリストは普遍的です 宇宙をサポートしているのです デヴィ・マハトミャムにも記されています 天地万有のサポートです キリストを崇拝する人を 馬鹿にしてはいけません 私たちも シュリ ガネーシャを敬うように 愛情と献身とサレンダーをもって キリストを崇拝しなければなりません キリスト教徒は キリストに対する信念がないでしょう “私たちはキリストを信じます あれこれやってください”と言います サハジャ ヨギの信念は 通用します あなたの信念は 啓蒙されているので通用します 自分自身やサハジャ ヨガ 自分の人生を信用してください これが起きるまで サハジャ ヨギとは呼べません 未だに 表面的な人を見受けます するとどうしたら良いか 分からないでしょう 思考的に分からなくても 神の広大な愛に包まれ この愛を誰かに 与えたくなるのです しかし物質主義が 精妙になる人もいます 未だに物質的です 彼らは物質的で 悪い方法で お金を稼ぐこと考えています もしかしたらそれほどでも ないかもしれませんが 彼らは急に子供に 執着し始めたように感じます この執着は間違っています 子供達はサハジャ ヨガに属しています あなたに権利はありません 彼らは子供達にガナパティプレに 行かず すぐに帰宅してほしいのです 彼らはサハジャヨガの 子供達です ガナパティプレに 来なくてはなりません しかし子供を 連れ去りたいのです 直接そうしたいのです 子供はその為に いるのではありません サハジャ ヨガで 成長するためにいるのです それを望まないのなら 連れ去りなさい 皆がガナパティプレに来るときに 連れ 去るのはあるべき姿ではありません 子供もそれを 望まないでしょう 彼らはここに居たいのです 子供に対してもお金を節約する という物質主義が働いています 物質主義とはキリストが決して 執着することの無かったことです 決して望みません ここを理解するべきです キリストに敬意を払うには この物質観念から抜け出すことです たとえ物に対する 執着があったとしても ヒマラヤに行きなさいとか 禁欲主義になりなさいとか ブッダのように子供を手放しなさい などといっているのではありません 執着は無くすべきです 例えば鳥がいたとします 海を渡りますが 決して海水を飲みません 塩辛いからです あなたはそこに居ます あなたはこの世界に居ますが 執着心を無くすべきです 最初は“父や母が病気で”とか “子供がこうで”でも良かったでしょう しかし もう通用しません 現在はサハジャ ヨガの スピードが速くなっています 遅れをとる人は 取り残されます 気を付けてください このような物への執着に 巻き込まれないでください 特にインド人はアシュラムに 居たがりません 自分の家を持ちたいのです 妻を支配できるし 自分の好きな者が食べれるし 自分の悪趣味を いつでも楽しめるからです 人々はおそらくそのためにインド人は 絶食するべきと言ったのでしょう 味覚から来る欲求を 取り除くために 絶食中でさえ 食べ物のことを 考えています 意味ありません キリストは40日間絶食しました するとサタンが“絶食など諦めなさい” とあれこれ言いました 決して従いませんでした 物質主義には 2種類あります まず第一に西洋では “私の家 妻 子供”などと言います 東洋ではどんな食事をして どのような家に住み どのような家族を持つべきか などと言うでしょう これら全てに 未だ執着しています あなたのセンターが より精妙になるように これらもより精妙になり あなたの足を引っ張ります 例えばサハジャ ヨガで金儲けをしようと しているヨギを知っています 外にいる人は私たちに物を売って 金儲けをしようとしていました サリーが必要だったので サリーを買いますと言いました しかし外の人からは買いません さらにはどこかのショップに行って 食べ物や飲み物を買います そして体調を崩します 何をしているのでしょう 少しくらいのどの渇きを 我慢できないのでしょうか 空腹を我慢 できないのでしょうか 簡単なことです 彼はどうしたでしょう キリストは我慢しました あなたはキリストを 崇拝しに来ました コントロールしてください 重要なことです 一度これが起これば食べ物を 得られようが 住む場所を得られなくても 関係ありません 何処でも暮らせます 皆さんもご存知のとおり 私は何処でも気にしません 私に欲求はありません 身体が何も欲しがらないのです とても素晴らしい身体で 何も求めません その為 疲れることがありません ここに皆さんと居て 同時に全てに存在します ここに寝て欲しければ 一晩中寝れます 身体はなんとも言いません 反対に経験とは違うものです 過去に列車で旅をしました プーネからハイダーバード だったと思います 乗っていた列車がガタガタと 飛び上がるほど揺れました 寝ていて感じたことは 星から星へ移動しているようでした 宇宙を駆け巡っていました 振動など感じませんでした 星から星へ移動している 感じだけでした 普通の人なら この様な振動に 怒り出すところでしょう 対照的に私は星から星へ移動しながら ただその振動を楽しんでいました とても興味深いことです 反応が違うのです 危機が訪れると 完全に思考の無い状態になります ものすごい平穏が流れ込みます 危機が訪れる時にです この状態は執着を無くせば 皆さんも得ることができるのです 私にも子や孫がいますが 電話したことがありません 特に気にしてません 向こうが電話してくるなら いいでしょう 夫にも電話しません いつも思うのですが 時間の無駄です 私の中に 電話機能がありますから 皆が無事だと分かっているのに 電話する必要ないでしょう しかしそのステータスに達するまでは そうなれないでしょう それ以外でサハジャ ヨギに 気づいたことは 突然暴力的になる人がいて 殴られた人がいると報告を受けました この行いは サハジャ ヨギではありません 私は人にも自分の子供にも 手を上げたことはありません 許されることではありません 何人たりとも他者に 手を上げるべきではありません そのような人はサハジャ ヨガでは 何もせずとも低いところまで落ちます 怒ったり 怒鳴ったり すべきではありません これらは何の 助けにもなりません いつも平穏で穏やかで 慈悲深くあるべきです 間違った行いをする人がいたら 私が何とかします あなたがどうにかしようとして 不作法に振舞う必要は無いのです あなたはまだ 執着しているのです その執着が あなたを引き落とします ですので怒らないよう 気をつけて下さい キリストを見てください 彼は教会の近くで物売りをしていた 人に対して怒りましたが 当時は教会ではなく 礼拝堂と呼ばれていました 彼は怒っていました 神の神殿の外で 物を売っていたのですから 彼は大きなハンターで 一撃しました しかし彼はキリストです 同時に彼が磔に された時に言いました “神よ 彼らを許してください 自分が 何をしているか分かってないのです” このことを 彼から理解するべきです どれだけ人を許し 愛に溢れていたか どれだけ人の面倒を見て 彼らの解放のための 手助けをしたか 当時の混乱と 無秩序の時代では 彼は真実を伝えるために スピリットや上昇について 伝えるために立ち上がりました 彼らは無知ゆえにキリストの言葉を 理解していませんでした しかし彼は話しました 聖書には沢山の神話が 書かれています そのうちの一つは 復活のときに身体が 墓から蘇ってくると これはキリスト教に 限ったことではありません イスラム教や ユダヤ教にも共通します 考えてみてください 何年も経った後に 墓の中に何が残っているでしょう 骨だけです この骨が出てきても どうやってリアリゼーションを 与えられるでしょう 考えてください ただの神話です 論理的に考えてもありえません それはこういうことです “ナル ダマヤンティ アキャン” インド哲学では 明確に表しています カリ ユガが訪れると 神を求める沢山の探求者が あらゆる場所から 誕生し始めるでしょう そしてリアリゼーションを 得るでしょう クンダリーニが覚醒します これらは論理的に語られています 私達が行っていることだからです 近年の人口増加も 沢山の探求者が生まれてくるからです どれだけの人がリアリゼーションを 得られるか分かりません リアリゼーションを得た人は 自身を確立するべきです しかしそこでも人に対する 精妙な執着心が見受けられます キリストの資質に 完全にサレンダーすると良いでしょう それは素晴らしい資質です 最大の特質は 聖霊に対する無礼を決して許しません そのときだけは 彼が正しに来るでしょう もしあなたがサハジャ ヨギで 羽目を外したら 彼はある程度は 大目に見るでしょう あるアメリカ人がサハジャについて 私と電話で話したいといっていました 彼は自分の手に 負えないと感じたのか 他のサハジャ ヨギ達と話し始め 私とは話しませんでした 皆は怒っていましたが “放っておきなさい”と言いました ある日彼がプログラムを行っている という連絡が届きました そこで彼は 中風によって倒れました 彼はサハジャ ヨギではありません 私に責任はありません しかし誰かが私を 「マザー」と呼ぶとき パラマチャイタニャが それを尊重します サハジャ ヨギであるなら人を殴ったり 罵ったりしてはなりません もちろん人を宥めるときは サハジャ ヨガの方法で行います 暴力的には行いません 暴力は間違っていますし サハジャ ヨガで急に暴力的に なる人がいるのを聞くのは残念です これは肝臓から来ます 肝臓のトリートメントをして 自身を整えてください しかし犯したことから逃れられると 思わないでください 逃れられません このような人は 2日間絶食をして 自身を罰するとよいでしょう 怒りは最悪な行為です シュリ クリシュナ曰く 怒りは最悪でそこから全てが始まると 私たちは怒りを コントロールするべきです キリストは許しの具現化だと 理解するべきです 私達はそのキリストを 今日崇拝します 彼がどのようにして 人を許したか 彼を磔にしたのは ユダヤ人ではなくローマ人でした 古代ローマの権威者です しかしパウロはユダヤ人を 有罪にしました 罪を着せたのです ユダヤ人が行ったのでは ありませんが 彼らはユダヤ人に 永遠の罪を着せたのです これらにより人々は ユダヤ人を嫌い 困難に落としいれ 拷問にかけたのです ユダヤ人も反応しました 彼らも一緒です ですので ユダヤ人ではありません 執行官が大衆に キリストと盗人どちらを磔にするか 問うたことはありません 行われていません 自分たちの決断によって 行ったのです ただ単にユダヤ人を 呪うために行ったのです パウロが大変な ダメージを与えました ありがたいことに今では 沢山のユダヤ人もいますし イスラエルにセンターがあり 機能しています イランからアメリカに来た人も 沢山います ユダヤ教や イスラム教の人達もいます 皆サハジャ ヨガを行っています さまざまなことが起こっています トルコからスーフィの人たちが サハジャ ヨガに参加していますし さらにインドからも スーフィが参加します これらは皆さんのために なるように働きます 第一にキリストがどんな人物で どんな人生を送ったか どれだけ世界を愛していたか 理解すべきです 彼は磔にされるために 地球に来たのです 彼は自分が磔にされることを 知っていました そして実行しました 出回っている写真は 彼を正しく表現していません 彼は健康的でたくましく 背が高い人でした 十字架を運ばなくては なりませんでした 彼を結核患者のように 描いた人は あの十字架を運ぶことができたか 知るべきです あらゆることで彼の人格や 特質を抹殺しました サハジャ ヨギの皆さんは 彼を知るべきです 彼を信頼し 尊敬するべきです 彼があなたのお兄さんです シュリ ガネーシャがあなたの お兄さんとして生まれ変わったのです さまざまな困難や混乱から あなたを守ってくれます いつも私たちをさまざまな形で 守ってくれます それにはサレンダーすること 許すことです これが私たちが受け入れるべき キリストの性質です 神のご加護がありますように […]

Shri Adi Shakti Kundalini Puja Nirmal Temple (Italy)

Shri Adi Shakti Kundalini Puja. Cabella Ligure (Italy), 6 June 1993.
今日の崇拝の対象は 私です 初めてです これまでは 私の一部や一側面でした 今こそアディ シャクティとは 何かを知るべき時です それは全能の神の 純粋な望みといわれ サダ シヴァに由来します では全能の神の 純粋な望みとは何でしょう あなたは自分の望みをみると 何に由来するでしょう 聖なる愛ではなく 身体的な愛であり 物質的な愛であり 力への愛です これら全ての背後に愛があります 何かを愛しなければ 欲しないでしょう あなた方はこれら平凡な愛をもち そのために 多くの時間を浪費します 実際それで 満たされることはありません 真の愛ではないからです 少しの間のぼせて すぐに飽きるのです それをあちこちで繰り返します 次々と対象をかえながら アディ シャクティは神の愛の 現れで 神の純粋な愛です でも彼は愛において 何を欲するのでしょう 人間を創ることを欲し 彼らが従順になり 崇高な 天使のようになるよう望みました アダムとイヴの創造は 彼によるものです 天使には自由はありません そのように創造されました そう決められています なぜそうするかも知りません 動物もなぜ自分が ある行動をするか知りません ただするだけです 自然に縛られていて 全能の神に結びついています シヴァはパシュパティであるといわれ 動物を支配するという意味です 彼はパシュパティです 彼は動物を支配するので 全ての動物の欲求が彼に含まれますが 悔やむことはありません エゴもなく 良い悪いを考えることもありません カルマの問題もありません エゴがなく 自由もないからです ここで 純粋な愛であるアディ シャクティは 一つの人格に全ての愛を注ぎ それゆえ何も残されておらず ただ観じるのみの父なる神を 想起します 彼は考えること無く ただ自らの思いを観ます 愛を観ます それがいかに作用するかを 観ています それを見る際は注意深く 私の創造した神格は 愛と慈悲に他ならないと 知っているからです その慈悲は高貴で それを損ねたり害したり いかなる形であろうと 乱したり貶めたり 侮辱することは 決して許しません 彼はその点とても注意深く 良く観ています ある分離が彼の愛によって 起こったと言ってよいでしょう この愛にも人格があり つまりエゴをもち作用し 独立した人格となり 自由に好きなことを為します 現世の夫婦ではありえませんが 夫婦共に完全に自由で 好きにすることができます 何の結合力もなく 合意もなく 調和も関係もないけれど 月と月光のよう 太陽と太陽光のようです ある意味 非常に結びついていて 一方がすることを他方が楽しみます その美しい分割において アディ シャクティが 彼のプランを変えることにしました サンカルパ ヴィカルパ カロティ として知られます 何かを過度にしようとすれば 彼女はそれを分割します 今日の11時のプージャのように なのでアダムとイブの事にしても 彼らが動物や天使のように なったところで何になるかと そう考えました 自覚が必要だと 自分がしていることを知るべきだと 彼らには知識を得る自由があると 知る権利があると ただ動物のように生活して 機会的に同じ繰り返しを する必要があるでしょうか なので彼女の任意で 当然熟慮の上ですが 蛇として来たのは彼女なのです そして告げます 知識の果実を味わいなさい と サハジャ ヨギではない人には これを教えられません ショックを受けるでしょう ですがこの蛇こそが 彼らに試しに言ったのです この果実を味わいなさい と 蛇は女性に言いました 男性ではなく 女性は物事を 受け入れやすいからです ブーツでも無意味なことでも 受け入れられます 受け入れる存在だからです 一方男性はたやすく受け入れません 議論したり口論します なので女性に行って言いました 彼女が来たと言うべきでしょう 聖霊は現に女性性だからです より女性に近く この力が蛇として来て言いました 知識の果実を味わいなさいと だから夫を説得することは イヴの 女性の仕事です 女性はどうするかを知っています 時に間違えることもあるかも 知れませんが 間違った 不吉な事を 言うかもしれません マクベスでもそうでした 夫を変にする女性は 沢山見てきました でも夫というのは 導かれることもあれば 解放されることもあります 妻がちゃんとしていればですが 彼は妻に 全幅の信頼を寄せ 信じて 知識の果実を味わいました それは神の女性性の人格 聖霊の導きでした これは キリストの姿や モハメッドやナナカを 多少理解したといっても 分からないことです 理解できません ちょっと分かっただけです 人に話しても こう言われてしまいます ハア それは何ですか と 耳を貸そうとはしません なので当時の意識や 世の反応に対して 彼らはダルマと上昇について 話しました でもインドではクンダリーニについて 古くから語られ それはアディシャクティの 私達の内なる反映であるとされます いいですか 彼女が自ら言ったのです 私は全ての人の中に宿ると ならばアディ シャクティは 愛それも純粋な愛であると 慈悲であると知りなさい 他には何もありません 彼女のハートの純粋な愛のみです その純粋な愛は とてもとても力強く この母なる大地に愛を与えました その母なる大地は 我々の行いの罪深さに関わらず 美しい物を通して 万人に愛を注いでいます これらの美が あらゆる方法で 銀河や星々を通して 表れています 科学的観点からは 科学には愛はありません 愛を問題にはしません 人はヨガでさえ 愛や慈悲を問題にしません 愛と慈悲がなければ その人に聖なる光はありません 全てが聖なる愛に 完全に浸っています 地上の被造物は全て 宇宙の創造の全ては そしていくつもの宇宙が 聖なる母の愛によるものです なのでアディ シャクティの愛は 極めて精妙で 時にあなたの理解を超えています 私はあなたが私を 愛していると知っています それは巨大な愛ですが そのヴァイブレーションは さざ波のようで 岸については引いていきます そして多くのキラキラした泡が その浜を覆っています 同じように私のハートには あなたの愛が光を放ち その響きがこだましています この聖なる愛において それがどんな感じかを 説明しがたい経験です まず目に涙が溢れてきます なぜなら それは慈悲で サンドラ カルナで アダル つまり乾いていません 父なる慈悲は ドライかもしれません “これをしなければ撃つ こうすると・・・” 父親はそんな言い方をしますが 母親は そんな傷つけるような 言い方はしません たまに貴方を正すために 言うこともありますが 父親のそれとは違う言い方です 彼女はサンドラカルナを 持っているからです アダルとは 乾いていない の意です このようなハートを 彼女は持っていて この聖なる愛を抱え 体中が 全てが聖なる愛で できています どの部分も聖なる愛を放ちます ヴァイブレーションとは 聖なる愛です 以前言ったように この化身が来る 必要がありました 時が熟しました その時がきたと皆分かりました でもそれは固定された時ではなく サハジャである時です 固定された時間は 例えば電車の出発時刻や 到着時刻です 例えば 機会があるペースで 生産をし続ければ このくらいの期間で これくらいの生産量が見込めるだろうと しかし生き物は自発的で サハジャであるので いつとは言えません 自由のプロセスも同様です あなたは最大の 自由を持っています だからいつとは言えません いつ人々が この聖なる愛の 精妙な知識を受け入れるか ドライな知識もあります インドではひどい人がいて 本を読んだりマントラを言ったり そればかりに忙しく そうやってどんどんドライになります 骨格しか残っていないような 人たちです そしてとても短気で 誰かを見ると その人は灰と化します こんなことのために 地上に生まれたのでしょうか 苦行だとかを重ねて 人を灰にするためでしょうか でもそれで彼らは 自分たちが偉いと思いました 人を見ることで 灰にしたり消したり バスミサットと呼ばれます 彼らのハートには 善の概念がありません ですから まず聖なる愛によって 成就するのは あなたの善です 善ということば自体が 大分濫用されています 善とはあなたのスピリットに良い という意味です スピリットとは 全能の神の繁栄です だからあなたの中でスピリットの 美しさが反映されだすと あなたは与える側になります もはや何かをとる側の人でなく とても満たされて与える側になります この降臨はそうと決められた その時に起こりました 先にいったように あなたには自由があります 人々は荒んで あらゆることをしています 分かりますか それ以前は 力を求める人の問題がありました インドに行ったり 中国に行って侵略したり 反対にアフリカを侵略したり そこらじゅうです いわゆるアメリカ人も アメリカを占拠しました この時期は人が自由を 力の行使に使っていた時代です アディ シャクティが生まれる 時期ではありませんでした 力を希求する人たちがいました 今日でもそういう人がいますが 当時は力と領土 そればかりでした まったく重要でないのにです その時期ではあり得ませんでした 当時は自由のため戦う 必要がありました 帝国主義者の支配から 逃れるために 力で圧倒する人たちにです 状況は徐々に変化しました 大変スムーズに変わりました 驚くことに 私自身変化を目の当たりにしました 上手くいきました 私自身もご存じのとおり インド独立運動に参画しました 大切なことです インドからそれは起こったのです まず帝国主義からの自由 その自由の概念が次第に 各国に広がり 民衆は考えだしました 理解しだしました 植民地は不要だと 自分の場所へ戻るべきだと これらの変化は 私の生前に起きたのです まず自由を求めた人は 亡くなりました 多くの人が殺されました バガットシンのような人がいました どの国でも 革命家は投獄され ひどい扱いを受け殺されました インドだけではありませんでした そこを通過する必要がありました 自由が試されたのです 彼らは無駄死にだと考えました これは自由ではないと 結局あれは何だったのかと後悔し そして ある種の恐れを抱き 他者を恐れ いわゆる レフト ヴィシュディの問題が 始まりました 強く負い目を感じて 自分が間違ったことをした するべきではなかったと この時点でも 様々なほかの問題があり カースト制度や 奴隷制 身分の格差で 低く扱われる人がいたり より優れた人とされたり 民族的にも優劣があり あらゆる馬鹿げたことがありました 自由を通して これらを作り出したと 自由のせいだと それは事実ではありません でもそういったものが作られた 例えば これはカーペットじゃない と そう言い続けたとします するとみな洗脳されて これはカーペットじゃなくて違うものだ と皆が言い出すのです それはまる催眠術のようです 人々がこの人種差別を受け入れて 格差や隷属を カースト制や女性蔑視を 受け入れました これらは全て 彼らが選択したものです 何が良くて何が悪いか 彼らにとっては 良いことだったと分かります 好ましいことだったのです このような状況では 慈悲は無駄になるでしょう 聖なる愛も無駄でしょう それを知的に理解する 準備がなかったから 彼らには話せないでしょう これは完全な盲目で 無知だからこんなことをする といっても これは正しくない これはあなたを貴くせず あなたは卑しいことをしている といっても駄目でしょう もちろん何人もの聖者が やって来て 高貴さや許し 融和や合一が唱えられました 偉大な予言者が生まれ そういったことを語るに至りました 民衆はさほど 準備ができていませんでしたが 次第にそれらの教えが 人々の間で働き始めたようでした でも最も大きな問題は いわゆる宗教問題です 宗教は皆脱線し 彼らはある種の水たまりをつくり ムスリムはここ クリスチャンはここ ヒンドゥーはここと それぞれが溜まっていました そこで命を与える者が必要でした 水たまりを満たして 一つにするためです ある種の人種が 他より優っているなど 完全な無知で愚かさそのものです ただ言えるのは それぞれが 違う状態だということです 違う意識があって より高い意識の者もいますが 一概に誰かを責めることはできません 彼はだめだとか この社会はだめだとか 一概には言えません 個人的には言えますが 一概には言えません でもこの無知の闇はとても深い 集合的になるからです それは集団での無知 集合的無知です 彼らは皆が手を取り合って この宗教が一番だとか 我々こそが 選ばれた民だとかいいます 他の人は いやいや違うと この人たちは完全にだめな民族で 私たちが最高だと 宗教の名の下で 全能の神の名の下で これらナンセンスを始めたのです なのでアディ シャクティが 完全な力を 発揮しなければなりません まず彼女が分かったのは 家族とは何かを知る必要です こどもは家族の中で育ちます 子どもがきちんと両親によって 注意されないと 甘やかされて育てば もしくは過干渉にされたり 放っておかれたりすれば こどもは愛を知りません 子供が愛が何かをわからないのは 愛とは甘やかして おもちゃをたくさん与えたり 取り上げたりすることではありません いつも子供に 注意をおくということです 甘やかす注意ではありません 子供の善に対する注意です いつもそこに善があるように こうして家庭生活が まず維持されるべきと思いました とても大切です なぜならこの時代は 宗教をかたって 尼僧や聖職者や 出家僧や ありとあらゆる賢人がいます 彼らはみなとてもドライです 皆民衆をミスリードしています 民衆は色々な修行をはじめ 出家して 妻や子供から逃げ出します なのでまず私が分かったことは 人間は愛を知らなければ 愛せないということです この愛はコレクティヴなら より効果的です インドで見たはずです インドの家族は 本当に愛し合っています 会ったことのない親戚でさえも どんな関係かもわからずに お兄さんとかお姉さんと呼びます 関係も知らないし 誰が父親とか姉妹であるとか 知らずにです 単にお兄さんのように 感じるからです 自分の兄のことを聞かれても わからないでしょう 理由は拡大家族制にあり それはコレクティブのような制度です 誰が本当の兄かもわからない 誰が義兄で 誰がいとこかも分からない 皆が一緒に親戚として 一緒に暮らしたのです それもまた廃れてしまい 拡大家族も廃れました 経済的理由とか何とか 理由は何であれ なのでこの大切な時期に 人々は愛を知る必要があるのに 家族制度が あらゆる国で崩壊しています 西洋諸国では特に 男女ともに家族制度の 重要性を理解していません 家族制度を信じていません 可哀想な子供達にとっては 不安な事態です 不誠実な土台では ちゃんと育ちません それによって暴力的な ひどく取りつかれた 世代が来ました 彼らは戦争の商売に行きました 無意識に戦いを欲するのです 木と戦う子供を見ました “なんで戦っているの?” “戦うのは良いんだよ” と言います でもなぜそうするかは 気づいていません 理由は愛の欠如です 見るものすべてが嫌で これもあれも嫌いだといって 憤りでもって何かをし 見るものすべてを破壊します 新しい傾向が始まりました 戦争が終わると 当然価値観が堕落し 民衆は何だったのかと 私たちの価値によって 何を得たのか 戦争ばかりで 社会が荒廃し 子供達も殺され 何が戦争だというのかと 概ね民衆のこころは まあとにかく戦わなねば となります 痩せている人が最高で 支配する人が 上昇志向が最高だと こうして帝国主義的な支配は 終わったにもかかわらず 個人の支配に姿を変え 支配へのエゴが育ちました 子供の教育においてさえ 子供をとても傲慢にしむけます 人為的で 極めて傲慢かつ不自然です なぜ子供がコントロールされず これは悪いと 教えられていないのか 信じがたいです なぜなら親が とても防衛的な態度で 子どもに向き合おうとせず 悪いことを教えないからです 子供に見捨てられるとか そんな考えにとらわれて 何でもしていいから一緒にいよう と言います そんな状況下で 人間は良い家庭生活から次第に 離婚などおかしな 男女を共有する信条などへ 堕落してきています アディ シャクティの出現には 何とひどい状況でしょう それに他に大きな問題として 宗教があれこれと主張して 考えや制約を人々に課していて 民衆を盲目にしていることです なので混乱があり こうした混乱の時だからこそ アディ シャクティがダルマを 確立しにくる必要がありました 彼女がダルマを確立させる 必要がありました とても不誠実で 胡散臭い時代でした 生まれてきて人々を見て驚きました 当時はシーカーも あまり居ませんでした 一人か二人の リアライズドソールに会いましたが ほとんどは自分の保険とか お金とかの心配をしている人でした 話しかけようにも どんなところに来てしまったのかと 何を話せば良いかわかりません 聖なる愛の話を どうやってするというのでしょう 探求すらしていない人たちに それが次第に 自信を持ち始めました 最初はちょっと早く来すぎたかと もう少し待ったほうがよかったかと そう思いました 人々はお互いに憎しみ合い それぞれが敵対しあい 騙しあっていたし それにお互い 嫉妬しあっていました 出世競争とか 足の引っ張り合いもありました なのでサハジャ ヨガの時代では まだないかと思いました すると偽のグルに会って 人々に魔術をかけ 支配しているのを見ました それで本当に考えました もう世間の雰囲気を 気にするのはやめようと どんな人であれ気にせず 始めようと こうして最初の ブラマランドラチェダンが インドで起こりました 5月5日のことです 1970年5月5日の朝です 他にももちろん急いで始める 理由がありました 私の準備は整っていて 人間の問題を知っていました でも人はセルフ リアリゼーション を得られるとは 信じないだろうと思いました この化身はとても特別です 多くの化身が来ましたが 彼らはやってきて言葉で教えました これが良いあれが良いと 彼らに魅せられて 追従したものもいました でもハートは空っぽでした 聞いたことはよくても それは説教であり 講義であり ギータであるだけです そのような人の生も 聖なる愛の輝きが 内にありませんでした 何人もの良い人が この短い間に存在しました マハトマガンディーや マーティンルーサーキングや 色々な人が方々にいて アブラハムリンカーンも ジョージワシントンも ウィリアムブレイクもシェイクスピアも この間文学のみならず 老師もソクラテスもいました ソクラテス以来 何人もの哲学者がいて より高い生を語りましたが それにも関わらず 人々は彼らを変な人扱いし 理解不能として黙殺しました 誰も例えば グルギータを読もうとしません 読みません 意味のないことだとして 役に立たないたわごとだと こんな態度がそこら中にあり 私はそれを見て ああ どうやって話すというのでしょう 自分について 彼らについて 見つけねばならないものについて 私はこころから 人々に熱心さを望みました 少しでも私に チャンスが与えられたら この聖なる愛はとても精妙で 彼らのハートに届くでしょう でも彼らは石のようでした どんな話をするのも無理でした それに最悪だったのは 自分のことばかり考えていることでした この状況で サハジャ ヨガが始まりました そこでアディ シャクティの力が 問題よりも ずっと強いことが分かりました 自分ではっきり分かりました この力がクンダリーニを 引き起こすからです 自分がクンダリーニを引き上げ られるのは知っていました それを大勢に一度に 与えられるのも知っていました でもあげた人がまた戻ってくるかは 分かっていませんでした 人々は無知だからです 帰ってくるとは思っていませんでした このレベルまで サハジャ ヨガを実践するとは これっぽっちも思っていませんでした 誰かに言われても 笑って否定したでしょう 最初の講義の時は どこもホールが一杯で もちろんホールのせいでは ありませんが 私は別の場所に滞在していて ホールがなかなか 借りられませんでした そしてその後も ほとんど人が来ずです だからもう何を言っても駄目だと 耳から頭を通り抜けるだけで なにも理解しようとしないと 何もわかっていない 私は家族から反対され あれこれと 問題と圧力を感じていました でもそれは重要でなく 一番重要なのは どうやって人の心に届くかです 唯一の解決法は彼ら自身の クンダリーニを上げることでした それにより内なる光が灯ります 私はずっと座っていて そこへ誰かが クンダリーニをあげてもらいに来て 私がクンダリーニを上げてあげて というのは間違った考えで 私にはそれが分かりました そこで集合的 リアリゼーションが始まりました 人々はとても驚きました それはマジックではなく 物語でもなく真理でした 彼らは自分の手先で 実際に感じました 頭頂部でも感じました それがサハジャ ヨガの実現です 驚くほど上手くいきました でなければ無理だったでしょう 今日目にするこのすべての驚異は あなたが反応してくれがおかげです あなたが反応し受け入れたからです でなければ アディ シャクティも役立たずです あなたが受け入れなければ 私は無です 実際それはあなたの英知が 感覚や探求が サハジャ ヨガに導いたのです 手紙を書いたこともなければ 電話もしません 他のグルは皆そうします 新しい場所につくと かの地の要人をリストアップして 手紙を一斉に送ります 少なくとも2、3人が 出席するようにです しかしそんなことをせずとも この集合的目覚めを いかに達成できたか 人々はサハジャ ヨガを それによって理解でき 彼らに浸透していきました まずそのために私は 自分のクンダリーニをあげます パブリック プログラムの度に 自分で上げます その上あなたの問題をすべて 私のクンダリーニで受け止めます それは痛みます だからプージャの後は しばらく石のような状態になります あなたの内にあるものを 吸収するからです あなたを私の体に入れるようにです あなたは私の身体の一部なのです 私の体の細胞の一つ一つが あなたの為です あなたにはそれほど 精妙さが必要です 自分が何を抱えているか理解したり サハジャ ヨガや他の事に できることがないか アシュラムを始めたいとか 何かあるなら たちまち私は分かります あなたが私の中にいるからです ほとんどのことをハッキリわかります 分からないこともあります 理由は一つ あなたと私の関係です もちろんそれは親密なもので 私の体の中にあなたがいます でもあなたが瞑想していなければ ありふれたことを言わなければなりません ディヤーナガンミャです あなたが瞑想していなければ 私はあなたと無関係です あなたは私の親族ではありません 私に対して何の権利もありません 何かを質問することもできません どうしてこんなことが起こるのですかと なのでいつも言います 瞑想 瞑想と 私とあなたはは 何の関係もありません もはやそこにはいません 私とはつながりがありません 他の人と同じようです サハジャ ヨギかもしれません サハジャ ヨガの単位を リーダーがくれたかもしれません 偉大な人と 思われているかもしれません でも瞑想していなければ 毎日朝か晩にしないなら シュリ マタジの領域にはもういません つながりは ただ瞑想を通してだからです ギャナです 瞑想をしない人がいました すると苦しんで 子どもも苦しむ何かが起きます そして私に来て言います でもその人が瞑想していないのは はっきりわかります 私は何の関係もありません 私に何か聞く権利は 彼にはありません はじめは瞑想になるまで 時間がかかります ですがどんなものかわかったら どうやって私と一緒にいて 一つになるか どうやって関係を築くか あいだには何もいりません 手紙やなんかも必要なく 特別なつながりも何もいりません 瞑想だけが必要なものです 瞑想のなかで成長します そこでスピリチュアルに上昇します それが起こると あなたはある意味 成熟した意識状態へと サハジャ ヨガで成熟します すると瞑想を辞めたくなくなります なぜなら瞑想中に 私と一体だからです 3時間も4時間も 瞑想する必要はありません どれだけ本気で私といるかが重要です どれだけ長いかではなくです ならば私はあなたに責任があります あなたの子供や皆に対してです あなたの上昇や ネガティヴィティから守ること それらに私が責任をもちます 父親が直接罰するような そういうやり方ではありません そうでなく “そうですか もうあなたは私と 無関係です”と それが唯一起こりうることです 瞑想してない 良いでしょう 無理強いはできません 私もあなたと無関係です 他のところで外で誰かと 関係をもてるでしょう でもあなたの善を得られる 内なる関係は 瞑想なしにはいられません 何度も行ってきました 瞑想してくださいと 毎日瞑想するようにと でも人は理解しないようです どれほど大切なことか “マザー 私たちは瞑想しません” “なぜ?” “もう私たちはリアライズドソール だから必要ないです” 道具がそろっているのに 主電源につながっていなかったら 何の役にも立ちません 瞑想の中で愛を感じるでしょう 聖なる愛の美しさを感じるでしょう 風景が一変します 瞑想的な人は態度がとても違います とても違う気質を持ち いつも満たされて 特別な人生を送っています 今日は上昇の初日であると そうも言えるでしょう この崇拝によって 実際は今日でなくとも そう言うことはできます それが起こりあなたを助け あなたへの大きな恵みとなった であれば それを維持しなければならない さらにいかに高めるか いかに楽しむかを知るべきです ちょっとした出来事 最後の物語や あれこれで満足せず 完全な一体を得るべきです 神との完全な合一です それは瞑想によってのみ可能です 簡単なことです マザー 時間がとれませんとか いつも考えてばかりですとか 時計を見たくなるとか言います 最初はちょっと問題もあるでしょう あるとは限りませんが ないかもしれません あるとしても最初だけです 徐々に大丈夫になるでしょう 徐々にマスターするでしょう 少しずつですが 極めて上達するでしょう すると他には何も必要なくなります ほかの安っぽいものには 見向きもしなくなります いいですか その美に至るのに その栄光に 偉大な人格に至るのに すでに現れてきていますが 信心深く必要なのは 瞑想だけです 今日は遅く帰ったから 瞑想できなかったとか 明日は仕事ではないから 瞑想できないではなく 誰も言い訳を聞きたくありません 自分のことなのです あなた自身のためです 全てがあなたのためです 誰かに自分が 進化の高みに到達したとか 知らせる必要はありません その高みから更に上昇する 無理ではありませんし 可能でしょう でもまずはあなたが何であれ ハイクラスなサハジャ ヨギであれ 瞑想には謙虚でありなさい この瞑想的な資質は こうして話していても 私はそこに入っていきます とても喜びに満ちているから 喜びの大海に飛び込みなさい 最初は難しいでしょう しばらくするとこのつながりが シュリ マタジとのつながり それだけが欲しいものだと分かります もう一つ人が迷うのは よく見かけることですが そこで失敗する人もいます 個人で瞑想するのは とても正しいことで 個人的に瞑想しますが 座って瞑想し プージャも行う でもコレクティブで瞑想しない これがもう一つの覚えておく点です コレクティヴで 瞑想しなければなりません 私が皆をすべて合わせた 存在だからです コレクティヴで瞑想すると あなたは私のすぐ側にいます だからプログラムでも何でも コレクティブで瞑想しなさい プログラムでは常に 瞑想を優先しなさい 歌を歌ってすべて終えたら瞑想です 何か力説するとすれば これが真理であり すべての土台であると 理解することです 平凡なことにみえますが とても重要です 今アディ シャクティを 崇拝するにあたって どうするべきでしょう かつてないことです アディ シャクティへの祈りなどは ありませんでした バガヴァティまでは行きましたが それ以上に至ったことがありません なのでどんなプージャになるでしょう でもやってみましょう 瞑想が最上の方法でしょう 実際に何かを成就できます なので5分瞑想に入りましょう 目を閉じてください 11のルドラが覚醒しました 彼らがすべての ネガティヴィティを破壊するでしょう […]

シュリ ラジャ ラジャスワリ プジャ (India)

シュリ ラジャ ラジャスワリ プジャ 1991年12月6日
インド、マドラス 今日、シュリ ガネシャ プジャを行います その前にラジャ ラジャスワリのプジャを行います 女神はいろいろな名前で呼ばれました 詩人アディシャンカラチャルヤは女神をラジャと呼び  ラジャ ラジャスワリは ”女王の中の女王””という意味です。 西欧では聖母マリアのこともそう呼びましたが、 これは異教から来ています。 聖書の中に 描かれている聖母からではありません。 つまり、何回も 聖書が書き直されたのことを示しています。  それだけでなく インドの聖典であるギタさえも書き直されています。  そのために全宗教は間違った方向に逸れ始め、  知識人はそれを利用し、 自分自身の考えを主張し始めました。 彼らが言ったり、書いたりしたことは 神聖な神とは全く反したものでした。 あなた達はこの地球上で最も幸運です。 なぜなら、現実を発見したから。  たとえば 神話が真実であり、 知的なものは事実でないということ。 人々を分離する為に使われたものは 真実ではないということを知ったから。 私たちが全ての宗教を信じているので いわゆる信心深い人々は 私たちに反発しています。 なぜなら、彼らは一つの宗教のみを信じ、 その他の宗教に対して戦わなけらばならないと思っているから。 全ての宗教を信じるということは 全く信心深くないという考え方です。 彼らにとって、私たちが全宗教を信じること 全てのインカーネーション(化身)を尊重し、 全ての神の統合を信じていることはショッキングなのです。 シュリガネシャを知ったことは、 西欧人にとって大きな驚きだったに違いなく、 インド北部でさえも、シュリガネシャが インド南部程、崇拝されていません。 特にこの地域とマハラストラには 8つのガネシャスワヤンブ(swayambhu)があり 皆、それを信じています。 盲目的信仰だと言う人もいますが、 あなたはシュリ ガネシャが私の後ろに立っているのを見たことがあるでしょう。 私の中にいるガネシャも。  つまり、ガネシャという神格は存在するということです。 シュリ ガネシャの半分が見えて、 半分は私のサリーが見える写真も見たでしょう。 これは全て シュリガネ‐シャという神格がいて ムーラダーラを通して、実際に活動しているということの証です。 この知識はインド人には知られていました。 何千年も前から。 このクチプディダンスも紀元前7世紀に始まりました。 つまり、シュリ ガネシャに関する知識は、 何千年も前からあったということです。 だからこの国の人々はスピリチャルに進化した。 聖人とは何で、 どんな姿で、どんな役割があるか知っていたのです。 隠された知識ではあったが、 聖人の言うことは何でも受け入れました。 そのことに関してエゴがなかったためです。 不可解なのは、 西欧人のエゴがなぜ、こんなに強くなったのか 今だに良くわからない。 エゴを通して、なぜこんなにアグレッシブになったのか 競争のせいだとか言う人もいますが、 どちらかというと西欧の歴史である、キリストは 謙虚さ以外何者でもないことが はっきりとあらゆる文書に表されているにもかかわず、その信者は アグレッシブです。 私たちが理解しなけらばならないのは謙虚さです。 謙虚はヴィナイvinayと呼ばれ、 シュリガネ‐シャの特質である‐ Vinayaka “Vidya vinayen shobhate” ”知識は謙虚さだけで飾られている。”という意味です。 昨日偉大な芸術家の謙虚さ そこにいた偉大なグル(指導者)の謙虚さを、 またアカデミーに私を招待してくれたグルは 数多くの奉納を行い、 まるで、女神に奉納するように 私とサハジャを 受け入れてくれたことに感激しました。 このカラクシェトラKelakshetraは 神智学協会(Theosophical Society)に支配されている 彼女は神智学協会のことはあまり気にしませんでしたが、 この大きな講堂を作り、 全てを芸術に捧げた 神智学協会の人をその中に入れることは許可しなかったが 私をこのように受け入れてくれました。 彼らの献身と理解がわかります。 聖人に対して謙虚になるということは、 この国の暗黙の法律です。 聖人に対するチャレンジや独占は許されず、 聖人が言うことは全て、受け入れなければならない。 シュリ ガネシャが私たちにあたえてくれるのはvinay – “vinay”とは謙虚さです。 謙虚さとは表面的ではなく、たとえば ”ごめんなさい“とか” すみません“とかではありません。 見た目や口先だけではなく、謙虚さは 自分の中から出てくるものでなければならない。 謙虚さはエゴによって、失われます。 エゴは人を惑し、 自分のエゴに気がつかない。 私がエゴのことを話すときも、 マザーは他の人の話しをしていると思い、 ”エゴがあるのは自分自身だ“とは思いません。 シュリ ガネシャはエゴを殺すことができる なぜなら、謙虚さのみが エゴをなくすことができるからです。 謙虚になるため、何をを見なければならないか? たとえば、皆さんが来たこの国には、 とてもシンプルな人達が所有物もほとんどなく、シンプルに暮らしています。 身の回りに洗練されたものは持っていない。 葉やプラントの上の食べ物を手で食べています。 ここに住んでいた西欧人は、 これらの人々は皆、原始的だと言った人がいた。 でも、この芸術を作り上げてきた業績をを見ると、 このような素早さ、このような飛び方さでも なかなか達成できるものではありません。 なぜこのように努力するのか それは芸術に対する謙虚さからです。 芸術は尊重されるべきで、 グルは尊敬されるべきです。 尊敬がなければ、物事を学ぶことはできません。。 インド人の血の中にそれがあると思います。 暗黙にグルに従わなければならないということを知っています。 そして、グルは多くの人々を指導している。 ここにはたくさんの女子がいますが、 グルの芸術を表現するためだけにいます。 グルはあまりお金をもらってはいません。 所有物もあまりない。 また、お金もあまり請求しない。 しかし、彼の献身は まるでシュリ ガネシャが母に対するような献身です。 完全に没頭しています。 他に大事なこと何もない。 謙虚になるため、あなたは 注意を他に向けてはなりません。 これは非常に大事なことです。 もしあなたの注意が、他の問題に向けられるなら、 もし、あなたがサハジャヨガに 他の理由で来るなら、うまくいきません。 心から謙虚に 完全に謙虚にならなければならない。 彼は純粋なので、謙虚です。 純粋でなければ、謙虚にはなれません。 純粋かどうかの証拠は謙虚さでわかります。 良い子供、純粋な子供は非常に従順で、 何を言っても従います。 私の孫ですが、‐以前ネパールに行った時、 とても寒かった。 孫の母親が ”子供達は頭に何もかぶろうとしない“と言ったので、 私は“1分でそうさせましょう”と言った 孫を呼び、ありふれた布切れを渡した。 “頭を覆いなさい”と言った。“はい” 子供達はそれを頭に覆いました。 きちんと覆って、形を整えました。 見た目は少し変だったが、子供達は気にしなかった そういうことが 欠けているのです。。 だから、深さが足りないのです。 コンディショニング(様々な環境的条件)だけではない そうとはいいません。 コンディショニングを超えた インド人でさえそうです。 謙虚になるのは非常に難しい。かなり難しい 西欧の影響というかもしれない。または 過去を忘れてしまったのかもしれない しかし、謙虚さは非常に大事です。 子供の頃から、私の場合、 キリスト教の家に生まれたが、まず母なる大地に触れて、 許しを願わなけらばならなかった 頭を下げて 両親の足元に触れる。 家族の長老たちも足元も‐そうでしょう。 家族の中で年長の人々の足元に触れる たとえ、年老いた召使でも、年上の兄弟の面倒を 見てくれた召使の足元もです。 そのような謙虚さが欠けています。 また、年長者が持っていなけらばならない尊厳も欠けています。 とにかく足元を触れるのは私たちの義務で、 年長者の話はしない。 これがサハジャヨガの美しい雰囲気を作ります。 しつこく“これをすることは謙虚か?と 聞きなさい。 “こういうことをして、これを言って、謙虚だったか?” 現在の問題はリーダーに対する批判である リーダーはふさわしいからリーダーになっているわけで もし、良くないリーダーだと分かった日には、その人を追い出します 皆さんもよく知っているでしょう。 それでも謙虚さがない。 謙虚さはエゴに置き換えられ、そのエゴが リーダーの中にエゴを植え付ける。 リーダはエゴイスティックになり、多くのリーダーが 追い出されました。 いったい、いつ、バランスが取れるのかわからない どちらを責めたらいいのか?メンバーなのかリーダーなのか とにかくマザーがリーダーを任命したのだから 謙虚になりなさい。 それには何らかの 理由があるはずで、 なぜリーダーと喧嘩したり、リーダーのあら捜しをしなければならないのか? まるで、リーダーに対して結成した組合のように シュリガネ‐シャはとても謙虚で、彼の ganas(天使)は ある意味ではもっと謙虚です。 なぜなら、かれらは 母親に対して、謙虚でないガナを決して許さない。 ほんの微妙な目の動きを見ながら戦う準備をしている そして、言われたことは何でもする。 彼らは母親の全ての目線の角度を理解し、 何をしなければいけないかがわかる このような献身のみが あなたをさらに深くさせる。 ところが西欧でのやり方は 私たちをもっと広げ、宣伝し、 自分のことをもっと話し、 自分のことをもっと自慢しなければならない そうすればするほど、成功する そういうことが毎日見られる。 ”信じる“と言いはる。 信じる、信じないと言っているあなたは誰? そういうことを言っているのは誰? あなたの自らのイメージはおそらく 偉大なパーソナリティ‐とか、プロフィールを持っていることでしょう それで、プロフィールを作る。全くうわべだけの、ナンセンスなものを 驚くことに、そのようなうわべだけのプロフィールに、 人々は頭を下げる。 おそらく、その人々も見せかけだけなので そのようなうわべだけの人に頭を下げるのかもしれません。 驚いたのは、有名な詐欺師がいて、 みんな詐欺師だと知っていているのに それでも、人々はその詐欺師の前で土下座をすることです。 たぶん何らかの物質的な 利点が欲しいのかもしれない。 何らかの表面的な利点が。 そのような人と一緒に写真をとることさえ、 素晴らしいこと思われています。 このような考え方はサハジャヨギとしての目を通して見なければならない。 彼らのジョーク、ドラマ、何が起きているのか それを思い起こして、自らに問いかけ、 ”自分に中にはそういうものがありませんように“と。 時々、私たちは他人を笑うことがあるが、自分達もその仲間に入っています。 一度、自らに問いかけ始めると、自分に中にそういうものを見ることができる。 “はい、それはあります”と。 ある国のあるサハジャヨギは 報告を受けましたが、突然、 “マザーから特別なパワーをもらった“とか “私はマハマタジ(偉大な母)”とか そう言った人がいた。 私でさえ、自分がマタジだと一度も言ったことがない。 あなた達は私をそう呼ぶが、自らそう言ったことはありません。 しかし、彼は”私はマハマタジ”と言った。 頭がおかしいと言うかもしれないが、 これは傲慢が 強くなり、 本人も自分が何を言っているのかわからないです。 同じように、あなた達のリーダーを 攻撃することで、リーダーのエゴを強化するのです。 攻撃すればするほど、人は反応をし、反応すれば エゴが強くなります。 今日は先ほど話したように、 ラジャ ラジャスワリRaja Rajeshwariを崇拝します。 今まで皆さんの前でこう言ったことはない。 グルギータを読みなさいと頼んだこともない。 また 一度も 聖母マリアが”ラジャラジャスワリだ” […]

6th Day of Navaratri, Recognize Me Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Navaratri Puja. Cabella (Italy), 13 October 1991
今日はナヴァラトリ プージャのために 集まりました これまでに9回 宇宙的母性が化身しました 目的があってきましたが それは帰依者 弟子達 子どもたちを守ることです それは 結びつける愛でした 愛さざるを得なかったのです 母の愛は結びつけます 彼女は愛さないわけには いかないのです 彼女はそれを表現し 働かせ 子どもたちに守りを与えます この守護が現代において もう一人の姿で現れたのです 当時悪が 正しく 善行をつみ 信心深い生活をしようとする人を 害し 破壊しようとしていました そこで 彼らを守るために 彼女が受肉したのです 彼らは何が悪で 間違っているか自覚していて 貴重な一生を善く 保とうとしていました 金銭や権力にも 興味がなく ただ女神を崇拝するために 覚醒を欲していましたが 彼らが悪に害された際に 彼女が現れる必要があったのです しかし 現代は複雑で それに伴い状況も複雑です まず社会生活 日常において 善い人に間違ったことをすることに 対する恐れが入り込んでいます 彼らは司祭や教会 寺やモスクを 恐れますが全て誤っています 彼らは神を恐れず 信じません 自分たちが神を作り 操れると思っています 態度を見ていれば 彼らが畏れ多い 神の存在を信じていないのは明らかです 自分たちに何が起こるか 全く心配していません 生まれ変わりも 復活も信じていません 近視眼的で あらゆる悪行さえ行っています さて あなたには産まれた途端 あるブランドが与えられます あなたはこれ あなたはあれと 生まれて直ぐにです つまり宗教がまず 現代人に与えられるブランドです 避けられません 何らかの宗教に 属することになります どこかに行くにしても パスポートに書かなくとも “あなたの宗教は?” と訊かれたものです インドでは無宗教だと パスポートすら取得できません まだ悪人やその弟子の 資格を持っていないからです なので正しい善良な 神の信仰者が “これを支払わないなら バチが当たる”とか “告解しないなら神の怒りを買う” などと脅され 恐れを 植え付けられるのです “我々のナンセンスが耐え難いなら 神の怒りを買うでしょう”と このようなことが人々の脳に 簡単に入り込んでいったのです 飲酒を罪としない宗教や 一夫多妻を罪としない 宗教もあり 身分制度を認める 宗教もあります 全て神に反しています そして それらがいわゆる 聖職者と呼ばれる人々によって 社会的に続けられています なのでサハジャヨガを始めるときは まずこのようなひどい条件づけがあり 新しいことを始めるのが 難しいとわかるのです ですから母がまず守るのは この条件付けからです 第二に 国の条件付けです どんな国に あなたがいようとです 近頃はどの国も 汚職やマフィアなどのあらゆる問題が 競うようにでてきています どの国でもです 突然明るみにでます 国を信用していたら “彼らはある人物を秘密裏に 援助していたんだ”と 彼らが民主的であろうとなかろうと ある名目で暴力団が関与しています いわゆる法も 騙されやすく 純粋な市民のためであって 法をまとう側の人間のためではないのです あらゆる収賄をしていながら 法の番人であり続けます 自分たちが法を作ったので 違法行為の仕方も心得ています これが現代人の 第二の恐れです 三番目は戦争です 多くの戦争が起こりました 多くの者が戦争を恐れ その反動として自分を守るための 愚かなエゴを発展させました 自衛のためのエゴにより 今や彼らは攻撃的な人々に なりつつあります この種の広義の恐れは 何処へでも向かう 可能性があります それで人種問題 差別が起こります ネオ・ナチズムが 小さなヘビのように 台頭しつつあると聞きました これも昨今の とても危険な動きです 今日 探求者は あらゆるグルにつき 本を読むなど 探求を続けています その過程で汚れた水を飲み 病気になりえます あなたは探求していて乾いていたのです 許されるべきです このように多くの問題が 身体のみならず 脳にも起こります それは微妙なことで “あのグルについたんですね”と言っても グルという言葉が出たら最後 聞く耳をもちません 彼のグルに反することは 何も言えません その人が悩みだせば 聞こうとするかもしれませんが 心からグルを手放させようとすると 彼も傷つくかもしれません とてもデリケートなことです 現代社会については 言葉にすることも憚られます フロイトのようなモラルも人格もない 人々によって現代社会の概念ができ 飲酒が崇拝されてこそいながら それによって価値感を葬ろうとしています 飲酒は前からありましたが 今日では誰もが酔っぱらいになる 可能性があります そして恥じていません その飲酒により 私達の価値観が傾き始め 人々はそれを普通だと 受け入れてしまいました これが新しい価値観です 以前なら子どもが 神の道に入ろうとしたり 善良でより高い価値を求めるなら 親はそれを喜んで支持したものです しかし昨今ではそれは反対で 親はそういったことを好みません まるで親は全てを 失ったかのような反応をして 子どもや孫を 束縛しようとします 完全に洗脳されてしまい 何も頭に残っていません 親と戦うことも 大きな問題です この恐れも大きく “お母さんやお父さんに 知られたくない”といいます 四方八方から恐れが炎のように 迫っているカリ・ユガの時代に 私達は サハジャ ヨガを始めました なので双方向から 守りを作る必要があります 母ももちろん常に あなたを守るためにいます 彼女の力は あなたを守るためです しかし驚くことに ある条件があります 以前は善は善 悪は悪で 区別がはっきりしていました なので女神に祈ると人々はそれを受け入れ 女神が現れ 働いたのです ですが現代では人々の脳のあちこちに 微小な悪が入り込みました 人々は極めて表面的です 大衆に流されがちで ファッションやら何やらを取り入れます かつて女神の帰依者は 自分が善良であることに自覚的に行動し 自らの脚でしっかりと立っていましたが 今は人格が未熟です なので現代のサハジャ ヨギは かつてとは違います かつては数十億人に一人が リアリゼーションを得て その後も 大変苦労しました その苦行により浄化され 自己を確立し続けたのです 時間を要する芸術は 注意深く制作されます 現代美術の数本の線よりも 間違いなく何千倍も価値あります 現代人は この現代美術家のようです 線を一本引いて “人の中に アイデンティティをみるべきだ”と言いますが どこにそんなものがあるというのでしょう たった一本の線です サハジャ ヨギ達は このような状況にいて 悪に囲まれていることを 自覚するべきです 私達の中にも 外にも存在しています 難しいことのように 思われるかもしれませんが 一つだけすればよく それは 私を認めるということです 確かに私はマハマヤで幻惑的かも しれませんが 同時に正直です うそ泣きはしません 正直ですが それでもマハマヤです では 私を認めるために 何をするべきでしょう それができれば あなたは守られます 浄化はサハジャ ヨガではシンプルで コレクティブになることです コレクティブでないなら あなたの何かがおかしいのです コレクティブであるなら ガンジス川で沐浴をしているようなものです ヒマラヤに行ったり 個人的にサダナ(行) をする必要はありません ただコレクティブになりなさい コレクティブになり 楽しんでいるなら あなたは清浄で 汚点がありません 完全に大丈夫です 第二の幻は 私があなたの側にいることです 直ぐ側にいる 必要がありました 近くにいて話し 関係をもち ヨガと自己について 全てを教えるためです あなたには 心身の合併症がある中で 全てを伝えなければ ならなかったのです 現実の姿で近づくのが 危険だったので マハマヤとして近づきました 私が聖なる神格であり 全ての神々が求める者 インカーネーション(神の化身) であると分かるなら すべての神々が あらゆる助け 力や満足 そして守護を与えるでしょう これは理性的な知性で 理解するにはとても難しいことで いかにアディ シャクティが 人間の身体になったのでしょう どうやって無限が 有限に現れたのでしょう 人間にはできないことです 人間には無理ですが 神には可能です 神はやはり神なのです であるなら写真などの 多くの奇跡があり それを分かるべきです 私が人々に話す際に マハマヤである私を理解せず 私に対して軽口を叩く者がいます 口答えする者さえいます 私が何か言うと 言い訳をする者がいます こういった自由はあえて 私があなたに与えたものですが アディ シャクティに話していると 理解することが非常に大切です 次にあなたの態度が とても大切です 決して表面的であっては なりません 両手をハートに当てて 感じるのが一番いいでしょう あなたの母は アディ シャクティで この宇宙を 世界を創造し あなたを守っているのです シュリ クリシュナですら パンダヴァスを守れませんでした 彼らは森へ行って苦しみましたが サハジャ ヨギは違います あなたの問題に気づくと たちまち私の注意が働きます シュリ ラーマ自身ジャングルに 行かなければなりませんでした あなたが全て与えられているのは 真理を探求したからで その真理とは私がアディシャクティの 化身であるということです この真理が あなたと一つになると 神々がそれを知っているために 恐れるものはなくなります 彼らはこの化身について よく知っています あなたの信仰を具現化するために なんでもする準備があります 写真や空などを通して 何とかしてあなたに与えたがっています 神は彼らが今日 何をするかを知っています 彼らはとても 気にかけています ステージの後ろにも 前にも 四方にいて 私の話を聞いていて 私が真理を話しているので 上機嫌です 彼らは私を認め 決して反抗しません 同じように振る舞えば あなたも今日話した あらゆる問題から守られるでしょう これをするな あれをするなとは言いません 何かを盗むなとか サハジャ ヨガで利益を得るなとか 何も言いません 飲酒や喫煙するなとも 言ったことがありません しかし自動的に 誰を前にし 誰に守られているのかが分かれば 自然とやめるでしょう 恐れはなくなるでしょう 認めれば 誰も恐れなくなるでしょう 認めるほどに 分かるほどに あなたはあらゆる意味で 精神 心理 社会経済 政治的に上昇するでしょう あなたを愛する 母としてだけでなく 守る力を持った母であると あなたが分かることはすごいことです 非常に強力です あなたがそれを知り 心に感じるのであれば 例えば私があなたに 注意したとしても “アディ シャクティ自身が私を 気にかけて注意してくれた”と思うでしょう “この時代に産まれ 彼女の偉業の 一翼を担えるのはなんて幸運だ” “どうしてだろう”と こうやって認めることだけで ナヴァラトリの全ての神々を満足させます さて 今日は ドゥルガやカリなど 全ての女神と その力を崇拝しています ラダもです カムサを殺害したのはラダで シュリ クリシュナではありません 彼はラダに頼んで 成敗してもらう必要があったのです その力には 殺傷力があります だから あなたのお母さんが アディ シャクティであると 分かるかどうかなのです 多くの人が分かっています ロンドン空港で働く紳士を 困らせようとした者がいました “気をつけた方がいい 私の母は 非常に力を持っているんだ”と言いました 次の日 その人は仕事を失い 事業を失いました 彼はその紳士のところに戻って “あなたの母親に会わせてもらいたい” と言いました ラフリの近郊の農家に サトウキビ泥棒が入りましたが 翌日犯人が戻ってきて “どんな女神を崇拝していますか?” と訊いたそうです “何故?”と訊くと “3人のいかつい男たちが 土地を見張っていて” “サトウキビを盗みに入ったら 彼らにぶたれました” “怪我はしなかったけれど” といったそうです 認めることさえすれば 背後にはこのような力が有ります 以下に力が働いたかの話が 本当にたくさんあります でもあなたが未だ疑っていたり 気持ち半分だったりすれば上手く行きません 自分の評判を 気にする必要はありません あなたはアディ シャクティである 私の子どもだということを胸に 全速力で どこにでも向かいなさい 酷いと思っていた状況は 全て良くなります フランスのケースでも よくわかります 何の心配入りません ただ私が アディ シャクティと知りなさい 神と女神の全ての力が 私の中にあり あなたを世話します でも認めないと 彼らとてあなたを認めません 今日のナヴァラトリでは あなたはドゥルガのみでなく アディ シャクティを崇拝することを 心に留めて下さい ドゥルガや全ての女神を崇拝し 敬意を払います かつて恐るべき時代に 彼女らに救われなければ あなたは道を誤り ここにはいなかったでしょうから だから我々が無力だった時に 守ってくれたことを感謝するのです 神の恩恵がありますように! […]

Shri Krishna Puja, The Technique of the Play (Nirmal Temple)

Shri Krishna Puja. Cabella Ligure (Italy), 1 September 1991.
今日は ヨゲシュワラを崇拝します 私たちにはシュリ クリシュナの 最も偉大な名だと思います ヨガの神という意味です ご存じのとおりヨガとは 神聖との合一を意味します ですが 別の「ユクティ」 という意味もあります 英語で適切に 訳せませんが ユクティとは トリックの意です トリックです でもトリックというとおかしな いたずらを連想させますが この場合は テクニックの意味です テクニックといえば 機械的なことです なのでユクティの 適切な訳語はありません あえて言えば テクニックを知り それを駆使する技術が ヨガ、ユクティの もう一つの意味です なのでつながりがあっても そのトリックを駆使できなければ つながっている 意味がありません 何の役にも立ちません リアリゼーションの後に テクニックのみでなく そのトリックも 学ばなければなりません クリシュナのレベルに 至るということは シュリ ラーマの後の 化身であり シュリ ラーマは 理想的な礼節を持った マリヤダ プルショッタマで 同時に慈悲深い王 でもありました ですがシュリ クリシュナの場合 人々が生真面目で堅く 過度に道徳的だったので 別な面を示したのです 儀礼さえしていれば大丈夫だ と考え 人々の成長は止まっていました そこでシュリ ヴィシュヌであるシュリ クリシュナがくる必要がありました 上昇について そしてそれがすべて 遊びであると唱えました ですが遊びの達人でないと そのように遊べません 例えば電気的な コミュニケーションがありますが 皆さんはそれで どう遊ぶかを知りません どう遊ぶかです つなぎ方とか いかに学ぶかではありません 遊びです 例えば技術をすべて知っていたら それで頭が痛むでしょう あそこが上手くいかないとか どうやって接続するかなど 自分がしていると 常に気になって 疲れて飽き飽きするでしょう でもそれが遊びだったら 達人にとっては遊びですが それが遊びになってしまえば 疲れることなく 楽しめるでしょう それがいわゆるリーラです それゆえ彼はリーラダラと呼ばれます 彼は達人だからです 達人として来ました マスターといっても指導者としてでなく ヨガの技術 ユクティの達人として 彼はとても巧みで有能なので 彼にとっては遊びです 彼にとっては すべてが遊びでした あなたもヨガにおいては 全てが遊びだと理解するべきです 例えば朝5時に起きるのも 遊びであるべきです 朝起きて まだ日が低く やることがまだない時間 月が沈んで まだ薄暗い時間に起きます とても美しい そんな時間に 瞑想に座るのです 何か堅苦しい つまらないことではなく 遊びなのです そのためにはあなたが 達人である必要があります ヨガの達人であれば それが遊びにになります まず シュリ ラーマの意識により ヴィシュワ ニルマラ ダルマとなると その後は遊びになります さて 神聖との コミュニケーションは 世界へと広まるべきです 全世界があなたが手に入れた コミュニケーションを得るべきです そこに関して シュリクリシュナは 子供としてシンプルな用意をしました 子供っぽく幼いやり方です ゴピ達が沐浴中に 服を隠したのです インド女性は決して 全裸になりませんが 彼女たちのサリーを隠して 彼女たちの背中を見ていましたが 小さな男の子には何でもありません 彼は木の枝に座って彼女たちの クンダリーニをあげようとしていたのです 彼女たちがラーダによって 清められたヤムナ川から出てきて すでに彼女たちのクンダリーニに ヴァイブレーションがあるわけです 彼女たちはその水を運び 彼は後ろから頭上の水がめを 割るのですが その水にも ヴァイブレーションがあります するとヴァイブレーションがある水が 彼女たちの背中にこぼれていきます それでクンダリーニを 引きあげようとしていたのです 子供らしい遊びを見なさい 子供らしいやり方でどうやって 遊ぼうとしたか そして後に 子どものようなやり方で 政治や人間関係 コミュニケーション での熟達を見せるのです 彼のパワーはラーダで ラはエネルギーで ダはその支えです ダレティサ ダルマと いわれるように ラダとはエネルギーを支える者 という意味です なのでまず彼女からもらったのが アラーダ ダイニの性質です アラーダを表す英語は 見当たりませんが アラーダとは急に素晴らしいものをみて 歓びを感じるような感覚です とても幸せな感覚ですが 幸福感を表す英単語が ほとんどありません アラーダとはまるで新鮮な 空気を吸ったような歓びです その感覚がアラーダです 彼女はアラーダ ダイニで アラーダを与える存在です この彼女の アラーダ ダイニの力で 関わりのあるすべての人に 働きかけたのです なので彼といる牛飼いたちは ラースをすることになります ラとはエネルギーで スとは共にという意で ラダジのエネルギーで 踊るということです 彼がただフルートを吹き 彼女が踊ると 彼女の手をエネルギーが流れて クンダリーニが覚醒されます ここにもう一つの 遊びがあります 遊ぶだけで彼は クンダリーニを上げたのです ですが現代では それはとても難しいです そのやり方で クンダリーニを上げるのは 現代では簡単ではありません 人も理解しないでしょう なので現代では サハジ ャヨガはただクンダリーニを 上げるのではなく サハジャ ヨガの 完全な知識を与え 他者にリアリゼーションを与えられる力を与えるという 大きな仕事でした そのために他者にリアリゼーションを 与える技法を見つける必要がありました 当時はクンダリーニは覚醒しても サハスララは開いていませんでした クンダリーニはアギアだったり ハートだったりに留まっていたのです そのような人々が シーカーになりました こうして今日の サハジャ ヨギ達が存在し サハスララが開いていてサハジャ ヨガのユクティを全て知っています ですが サハジャ ヨガのより精妙な ユクティがあります それをマスター しなければなりません 第一に 彼のマドゥリの性質です 優しさという意味です 「蜜のように甘く優しい」 という表現のように 彼が誰かと話したり 誰かと関わるときは 優しさを通して関わりました このような関りができないなら あなたはヨギであることから ほど遠いです 誰かと優しく話すこと それも自然にです 彼の全てがマドゥリです 話も態度も表情も 全てがマドゥリです コミュニケーションを語るなら まずは人同士のコミュニケーション が最も大切です そして人との コミュニケーションを考えるなら 多くの人が攻撃的なほうが 上手く人とかかわれると考えます それは違います 誰かが人から 何か得ようとする時に そこへ行って言います これが必要だとか あれこれ言います まるで否定しているようです でもあなたが優しい人で 優しく話せば 99%の人は 態度を軟化させるでしょう ではどうやって 人を軟化させるか そのトリックを学ぶべきです いかに優しさで人をほぐすか これは 彼の特別な性質の一つで 人と話す際に 心から優しく話すことで あなたとその人の間の 問題が解決するように 完全にです たくさんのトリックがあります 人とどう話すかを学ぶことは 最も大切なことの一つです 第一に あなたは人より 聡明でないと見せるべきです 私が若い科学者と話す際に ごめんなさい 科学はわからないんです というように 科学者向きじゃないんです すると彼らは そうですか と 気持ちよくなります 音楽家に対しては 音楽はわかりません と 少しだけやったことがありますが それほどでもありません 音楽家もうれしくなるでしょう エゴをおだてている 確かにそうも言えるでしょう でも自分が相手と比較できないと 言うことに害はありません 人と話す際の第一のトリックは 完全な謙虚さです それが偉大さのサインであり 達成のサインです 実をつけた木がたわむように まずは 私は何も知らないので 教えてください という態度です それが第一です まずは自らが極めて 謙虚になることです 他人にあなたが何者か わからないのが良いのです それはとても楽しいことです 私の例をお伝えしましょう 私の夫はインドで えらい立場でした 大学まで一緒だった友人と デリーで再開したときに 私がどこに住んでいるか と訊きました 私はミナバという 何の変哲もない場所を言いました 公舎に入れなかったので とりあえずの場所でした ダンナさんは何をしていらっしゃるの 公務員です とだけ伝えました そこに夫が通りかかり 私に微笑んで立ち去りました 彼を知っていらっしゃるの 私の夫です というと驚いて オーマイゴッド どうして教えてくれ なかったの 急に態度が変わりました 彼女は自分を恥じました ただの事務員か何かと結婚したのねと 私を下に見ていたからです なので下のふりをするのが 一番です 全てにおいて下のふりです マザーに力をもらったのであれもこれも できるというサハジャ ヨギを知っています 自画自賛は役に立ちません 私はとくに力がなく ただのサハジャヨギです でも そういうならやってみます なので下のふりをすることです できる限りそうしなさい 家で実践しなさい 練習をして実践するのです これが他者とのコミュニケーションの際 最も大切なことのひとつです 第二にはギータ全部を読むと 一つ大切なことがあります クローダ ピラエティ サモアといって 私たちの悪い性質があり 六つの敵があるということです 彼はギータでその中でもまず クローダから説いています 内面に怒りがあるなら あなたは達人であるわけがありません 達人であればそれで遊べるので 怒る必要がありません あなたをこうやって 踊らせることができます かんしゃくを起こす 必要があるでしょうか でもあなたが対人関係において それを習熟していなければ 5、6分も経てば 声が荒くなってきて 結局怒鳴りだすことになります 熱いかんしゃくを まだもっているからです ですが達人にはありません 必要がありません 彼はクローダから説き始めました 全ての問題は怒りから始まります 次から次へと なので自分が怒りっぽいか 注意するべきです 怒りはヴィシュッディから来ます 肝臓から始まりますが ヴィシュッディを通して表現されます 顔や目が赤くなり 口からはあらゆる 罵詈雑言が出てきて 全く違う表現になります あなたが怒るときに この怒りを観察しなさい これはどこにあるのでしょう 肝臓だ ということなら じゃあ 治そう と マスターするためには はっきりと自分に向き合うことです 皆が彼女はかんしゃくもちで あれもこれもありましたと言います でも本人は いいえ そんなことありません じゃあ何で皆がそういうの わかりません 自分はちゃんとやってます 誰かがそういうなら 自分を観察しなさい あなたはたまに怒りますか あなたはかんしゃくを起しますか 見れば簡単にわかります なので交渉のコツはどれほど 自分に足りないか自ら直視することです まずは 本物の謙虚さが大切で 第二には冷静さです かんしゃくを起す必要は 全くありません 何をしているの どうしてそんなことをするの 言いたくないことを言わせないで そうやって言えばいいのです これが限度です それは嫌いだというぐらいは 良いでしょう でもそれ以上 行かないことです そこで止めれば かんしゃくを起こす 傲慢な習慣が消えていくでしょう この傲慢さや かんしゃくがなくなり 自分が楽になることに 驚くでしょう 怒りによってその反動で レフトヴィシュッディが キャッチして 負い目を感じるからです なぜあんなことを言ってしまったのか と気分が悪くなります そうやってヴィシュッディが だめになります レフトヴィシュッディなら 頭痛です どんどん怒りや 何かをため込むと レフトヴィシュッディが キャッチします それで起こる問題は ご存じの通りです だから誰かに腹が立っても 負い目に思わないことです そのかわり鏡のまえで 自分にビンタをするのです 腹が立ったら 自分に腹を立てて 鏡の前でこうやってするんです 自分が怒った時と 同じようにするんです 負い目に感じないでしょうし もっと起こればなお良いでしょう そうしてレフトヴィシュッディを 空っぽにできます 次は怒らないでしょう 負い目を感じているなら 同じことを何度も繰り返します 怒りの表現も男女で違います 時に女性が心配です 水の力を使うので私も困惑します でも エゴがあるほど 泣き虫になります それがサインです 何か指摘するとすぐに泣き出すのを 見てきました もうレフトヴィシュッディが 風船のように一杯に膨れているので そこに触れたとたんに 水が出てきます 知ってのとおり 男性の場合は違います 腹を立てたらケンカをして 皆を殴りかかったかと思いきや ちゃっかり座って 飲みものを飲んだりします もう出してしまおうと言います でも女性は違います ため込んで それが後に涙になります これらは喜びや 幸せの涙ではなく 誰かへの思いでもありません 誰かに自分が悲しいことを 印象づけるための涙です なので第二のトリックは いかに自分のかんしゃくを克服するかです そして第三にはいかに人の かんしゃくを克服するかです そっちのほうが ずっと高級です ガガンギリ マハラジのところに行った 話をあなた方にしたでしょうか 彼はとても短気な聖人で その熱のため水の中に常にいたので 足を悪くして失いました 人は彼がトラに乗っていると言いますが トラは見かけませんでした 私は彼に会いに行きました 彼は雨を操ることが できるはずだったのですが そこへは四時間半ほど 坂を上ったところです 私が歩き出すとたちまち大雨になり 終始降り続けました 彼は止められませんでした 彼は挑戦されたと思いました 私が到着すると 彼は洞窟の外の岩にすわって 怒りでこうやって どうしようもなかったのです 彼を見て私が洞窟に座ると 彼も来ました 彼は連れられて来て 私の足元にひれ伏したのちに 言いました なぜ私に雨をとめさせて下さらなかたのか あなたがずぶぬれになってしまった この雨が腹立たしい 私のエゴを抑えるためでしょうか とんでもない あなたにエゴがあるとは 知りませんでした ではなぜ 私はご存知のように マスターだから いいですか あなたは修行僧で 私にサリーを買いました オレンジ色のです あなたからオレンジ色を 受け取るわけにはいきません あなたが修行僧だからです でもずぶ濡れなれば あなたから受け取れますね するとたちまち彼は 心を開きました でも私は達人でなければ なりませんでした まずどうやって彼を和らげるか 次にどうやって 彼のこころを掴むか これはもっと精妙な面です あなたは人心を掴めます このように人があなたに してくれたことが分かります 何を用意したか 何が待っているか 未来が分かるとは 言いませんが 人を分かるために そうするなら その人の全てが分かります シンプルなことです まずその人を 分かろうとしなさい 私の父は多くの トリックを持っていました 加えて とても愉快な人でした ある日 弟のババママが歌の上手い 友達の話をしました 父に彼の歌は どうだったか訊くと うん 彼はとても勇気があるね どうして 知らなくても歌おうとするからね 大したもんだ 何て適切な表現でしょう その男性について とても勇気があるって 彼は知らなくても歌うけど 何とかなっていると 勇気があるとは悪口ではないです 勇気がある でも彼のことが 良くわかる言い方で もし変な歌い方をしても 笑わないようにという意味が その「勇気」のことばで分かります 同じように 誰かについて学べば その人を 面白いやり方で表せます 欠点や悪いクセがある とかではなく その人の ある一部について述べます これはその人全体を まるごと理解して 性質や欠点も含めて そのまま受け入れるやり方です その巧みさを あなたは持てるでしょうか 人の特質に注目しなければ 欠点ばかりが目に付くでしょう 彼の特質が分かれば 欠点があっても ちょっとした性格上の スパイスみたいなものです そう 彼はちょっとだけね ちょっと彼の性格に 注記を加える感じです するとその人が気にならなくなり 楽しめるでしょう 私の娘婿は 犬が大好きですが 妻の方は賃貸だから犬はダメと 夫婦ゲンカになります プラバットが“会う機会が無くなります” というので それは良くないけれど なら次は私が犬になろうかしら といいました たちまち彼は理解しました なのでどう人に話すか ほのめかす事ができます 何がその人の長所で 何が欠点か でも直接言う必要はありません ユーモアをもって 間接的にほのめかす事で その人は理解するでしょう 人と関わる時には ユーモアのある人であるべきです でもユーモアというと 誰か体が不自由でまっすぐ 歩けないような人を笑ったり 誰かの髪型が変だと笑ったり そういった表面的なことで笑いますが それはユーモアではありません これは笑いの 形をとった批判です でなかれば 皮肉を言う人もいます これは良くありません 鋭いことを 言ったつもりでしょうが あなたはその人を永遠に失います こういわれた とその人は忘れないからです なので皮肉はあなたの敵であり サハジャ ヨガの敵です 何か言うなら相手を傷つけない 言い方でいいなさい 微妙なユーモアを楽しみつつ 自分の欠点を理解できるように さあ ユーモアをもって あなたに何か言うならば なんだかんだと 直接あなたに言わずに 例えば うちにカラスが やってきてね と言って あなたの性質を そのカラスに移して表すでしょう そしてカラスが あれこれしたと言うでしょう あなたはすぐに “マザーは私のことを話しているのか” “それともカラスの話なのか” 考え出します なので誰か別の存在に 移し替えなさい 移し替えるのが ベストな方法です 例えば プージャに出席する人の 名簿が期限までに必要だとします 今回はアメリカが ホストですので アメリカ人が必要だといった と言えばいいのです 実際には言ってないのですが そういうウソは無害です それで人々はあなたではなく アメリカ人に腹を立てるでしょうが 問題ありません しばらくの間はいいのです まるで移し替えるように この転移は アスタンタラと言われます 一方から他方へと 移し替えていくことで シュリ クリシュナは この技の匠でした 彼の話で 彼はランチョルダといって 戦場から逃げる 彼は気にせずに逃げ出します なぜなら とても悪い悪魔がいましたが ブラマデーヴァから恩恵を授かり 多くの人を殺していましたが シュリクリシュナも どうしてよいか分かりません そこで彼は別の誰かに 彼を任せることにしました 彼は別の特別な ヨギを知っていました 彼は瞑想を通して同じブラマデヴァから 恩恵を授かりましたが それは寝ている最中に 起こされて まず初めに見たものが灰となる という恩恵でした シュリ クリシュナは仕事を 彼に移したほうがよいと考えました そこで彼は 戦場から逃げ出し その悪魔があとを追いました シュリクリシュナはその聖者の 洞穴にそっと入りました そして自分のショールを 彼の上にかけました そしてそこで身を隠しました ここで入ってきた悪魔は シュリ クリシュナが寝ていると思いました ああ 疲れて寝てしまったか ここでどうやって自分を守れるか お手並み拝見としよう そして彼を起こしたところ この聖者が目を覚まし彼を見て 彼は灰と化したのです なので自分の仕事を 移しなさい もっと能力があり 上手くできる人に 自分で抱えこんで 直接さあ来いと戦っても 勝てません いわゆる 血みどろの戦いになります 誰かに任せなさい 友達になるなり おだてるなり何でもして ポイントは悪を取り除く ということで この場合はその悪魔です だから誰でも良いのです 彼は沢山の トリックをかけました マハバーラタでは ビシュマは神の恩恵のために 自ら望まなければ誰も彼を殺すことは できない というものでした なので シュリ クリシュナは トリックを使うと決めました そしてアルジュナに言いました 自分は馬車の御者をするだけで アルジュナに言いました 彼を矢の上に 寝せるようにと 矢の上に寝れば 死を選ぶしかなくなると ドロナチャリアは アルジュナの偉大なグルですが カウラバス側についていました どうしたら殺せるでしょう 彼は弓に関する あらゆる技を持っていました どうすれば良いのでしょう 彼は弓の達人で アルジュナは彼の弟子なのです どやって彼を 止めるのでしょう どうしたら彼が アルジュナの矢に 反応するようにできるでしょう 彼は達人だから反応しない どうするかです そこで クリシュナは特別な方法を 編み出しました 彼はシカンディという宦官を 連れてきました 彼がいかに宦官になったかは おいて とにかく有利です そして彼をアルジュナの 前に立たせました 宦官はインドでは 女性扱いになります ドロナチャリアは戦えない と 女性を殺すわけにはいかない と こうして ドロナチャリアに勝ちました こうやってトリックを使ったのは 悪者を成敗するためだったのです あなたが出来ないときには 誰かに頼めばよいのです 悪を取り除くのが 大事だからです 謙虚に自分よりできる人に頼めば 自分で戦うよりずっと効果的です 無茶は 何の役にも立ちません マハバーラタを見ると終始 シュリ クリシュナはトリックをしています 軍隊全部と私とどちらかを選ぶように アルジュナに言いました カウラバスは 軍隊を選びました アルジュナは クリシュナを選びました しかもクリシュナは戦わずに 戦車のドライバーをすると言います でも彼はトリックのマスターです 武器なんか要らずに 何だってできます なのでアルジュナはドライバーでいいと 受け入れたのです 逐一全てを分かっていたからシュリ クリシュナはいつも微笑んでいました 誰かに相談されると 私も微笑みそうになりますが 我慢するようにしています 見られたくないから でも何をしているか トリックは何か 分かっています 皆さんもトリックに長けていて 色々と知っているでしょう 人がトリックをかけて来たら わかるでしょう そしたら微笑みなさい 優しく微笑んで そうね そうそう そのとおりと これによって人間関係が とても良くなります サハジャ ヨガで よくある例は “リーダーにお前はブーティッシュだと 言われました”というものです もう一人来て“私はお前は ブーツだ”と言われました さらには“私はひどいブーツが お前には入ってる”と言われたと これら3つの違いは何でしょう と なぜ人にブーティッシュだ とかいうのでしょう 必要ありません 分かるならレフトスワディスターナを 治すように言えば良いのです どこかのグルについていたか 聞いてあげなさい その人が良い人であるなら なおさら大事なことです ただ外からの悪影響だから 取り除けばよいだけと伝えなさい ただしアギアとレフトスワディスターナ のキャッチがある場合は お役に立てませんと言うことです ずる賢いと分かっているからです それと戯れても無駄です 私たちはそれも忘れて だれでもどうぞ となってしまいます 誰でもサハジャ ヨガが できるわけではありません 全人類ではないと 知りなさい サハジャ ヨガは 探究者であり その上勇気ある人にしか 与えられません ニーラと呼ばれる人たち向けで 普通の人向けではありません 私たちはオープンだから いろいろな人が来て 困った人のために 一生懸命してあげも 彼らが問題を起こすと 分かるのです まずはシンプルな人達を 相手にしなさい シュリ クリシュナが 牛飼いと戯れたように そのうえで難しい人を扱うときには コレクティブで対処できるか見なさい でもヒトラーやラジニーシのような人を 変えようとしても無駄です サハジャ ヨガでは無理なことを しようとしないことです シュリ クリシュナは自ら それを示しました 対処しがたいことを 避けたのです 彼はそれの達人でしたから やってのけました もちろん彼は自分に向き合い マスターする必要はなく 彼はヨガの神なので 全てを知っていました 全てを知っていれば マスターする必要すらありません 逆に自分がどれほど知っているか 恐れを感じるほどです 人に関わるときに 一番良いのは サハジャ ヨガで自分がどんな人間か 何の専門かを良く知ることです どれほど常に自分に向き合っているか 見る必要があります なぜ私はそんなことを 言うのだろう 自分の心に 何が足りないのか 自分の中のネガティヴィティを はっきりと見なさい 何度も言ったように 西洋のネガティヴィティは心が常に 楽をしようと働くことです 働くことを嫌がります 例えば 誰かに 電話をかけるように言うと すぐに言い訳が 10個返ってきます いないかもとか 奥さんが怒るとか 仕事中かもとか もう10時だとか あれやこれやです 電話はそこにあるのに かけようとしないのです 100個の言い訳 新しい言い訳は コンピューターの不具合とか ファックスの不具合とか あなたの脳ミソ以外は 全部働いているのです それが逆で 自分の頭は働いているけれど 別の何かがだめだというのです 明かりがないとか なんであれ言い訳になります でもどうして解決策を 見つけられないか学ぶべきです 何かしなくては と 例えば前にもいったように 根っこの先がどうやって あちこち探しまわることで 水分を見つけだすか 同じように私たちも これがだめならあれでとしてますか それがだめなら これをしようとか 何もないところから 多くを達成できるのです でも いつもあなたが出来ない理由を いつも探し出すならどうでしょう シュリ クリシュナは違います 彼はヴィラータの 神の化身です マスターの中のマスターです ドロウバディは 危機の際に 彼女はヴィシュヌマーヤで 彼の姉でしたが シュリ クリシュナのことを 思いました ドゥリヨダナによって サリーをひぱっられて 彼女はこうして クリと言いましたが そうやってくわえていましたが シュナといった瞬間にサリーが離れました シュナというと サリーが落ちてしまいます サリーは落ち シュリ クリシュナについて 述べました ドワリカ メショラバヨ ショラバヨバリ シャンカ チャクラ ガダ バドマ ガルル レイ シダーリ この音がハスティナプールから ドワリカに数千マイルをこえて届き その音はチャイタンニャを 通ることで増幅され シャンカ チャクラ ガダ パドマ これらはもちろん武器ですが 全てをもって彼は ガルーダにのり現れます 姉の純潔を守るために あっという間です その瞬間に自然とです サリー1枚くらいなら後でも大丈夫とは 言いませんでした 皆が私にプージャで 沢山くれたサリーを 彼は取っていったに 違いありません そう感じます でなければ どこからサリーを用意したのでしょう 私の倉庫からでしょう そのために あなた方はサリーを沢山くれたのです それで彼は多くの女性の 純潔を守っているのです これら全てが 関連した一つの出来事で 壮大なドラマが繰り広げられて いるのですが 見えません でもあなたが自分を信じ 自分がサハジャ ヨギであり 自らの性質と存在 その価値を信じるのなら あなたは間違いなく マスターになれます でもまずもって自分のリアリゼーション の価値を知りません どれほど能力があるかも 知りません まだ自分が平凡な人間で 大学をでてからリアリゼーションを マザーから授かっただけ だれも大学を出ていません キリストも ラーマも大学にいっていません クリシュナも大学に行ってないし キリストは大学をでていません 普通の大工の息子でした でもあなたはリアライズソールであり ながら自身の価値を知りません それが分かれば 何にでも微笑むでしょう あなたは世界の頂点に 位置しているから それさえわかれば 習熟してくるでしょう でなければ師が弟子より 下に甘んじているようなものです だからといって支配するわけでは ありません 責任を持つのです 完全に受け持つのです あなたは何でも分かっているし どうすればいいかも分かっています この習得が必要です あなた方皆に それが全く可能です ですがまず自分を修める 必要があると知りなさい そういうとすぐに“マザー 自分が一番難しいんです” 私にはわかりません 人を修めようとするくせに 自分を修められないのですか あなたは常に自分と一緒で それがあなたの財産なのです 人の資産を正すことができるなら 自分のも正せるはずです た易いことであるはずなのに 自分のものだという確信がありません 自分にできると思っていません できます 今や自分を知っているのです ならばマスターするべきです 自分を見て観察すれば 自分がすべてのトリックを 知っていると気づくでしょう ユクティです 私があれこれと 言う必要はありません 自分で対処できます 私たちは細々した事は 沢山知っています 何かが落ちてくるなら これで支えればいいとか スピリチュアルな生活は 最もた易いはずです あなたが 知識の大海だからです ただあなたに知識があることを 知らなければ 人と関わる際の トリックが分からないでしょう 人とコミュニケートする目的は 世界を救済することだからです 無知から救い出すためです そのために習熟が必要です 無意味なことで迷わず 習熟してくためには 早朝の瞑想が必要です まずそれです そして自分に向き合いなさい 常にです なぜそんな事をいったのか ああ あのせいだな と この言葉はあの人から 来ているな 自分に向き合うと 驚くべきことに あなたは常に現実を避けようと こころを使っているのです いつも言いますが こころはあなたを欺きます 最後は シュリ クリシュナは 劇のエキスパートだということ 彼はドラマをつくり それを自ら演じ 更に観客でもあります あなたも この3つで自分を見なさい 自分のドラマをつくり ああ ここはこうか どうやって演じるとしよう そしてその観客にもなる 自分のドラマの 観客になりなさい すると分かるでしょう 自分が何をしていて どうやって進めているかを すると私たちの欺瞞は 常に自分を欺いているものが すっかり消えていきます 芸術家が同時に 鑑賞する側と知っていれば 演者が観客でもあると 意識していれば 自分を欺くことはないでしょう それが演技と知っているからです 自己欺瞞は避けるべきです 直面しなさい でも他の抜け道があります 例えば“手紙を書いたら”というと “分かってる” “手紙書いたほうが良かったん じゃないの お世話になったし・・・” “わかってるよ” “何も連絡しないなんてひどくない ですか・・・”“わかってる!” “自分が悪いし ひどい人だし バカだし” “自分が悪かった、全部わかってるよ! だから何なの”と 自分が悪いと認めたら それで終わりです これは新しい逃げで シュリ クリシュナの時代には なかった現代版です 自分は悪人ですが それが何か これは第2段階です 第1段階では、分かってる! 第2段階では、だから何?と進化します こうして脱線が始まります こうして あちこちと揺れ始めます 知っているのに どうして直せないんだろう そうあるべきです 自分でそれを分かっている 知っているなら直すトリックも 知るべきです 自分が正そうとする人格から 離れているから 自分を正せるのです そもそもヨガとはそういうもので 自らの意識が神と一体になり 自分の執着を離れて 見ることができて 全てに対する執着が無くなります そしてあなたに来る力は あなたを通って執着に働きます 状況がガラッと変わります サハジャ ヨガでは 全く変わります 悪い人が サハジャ ヨガにくると 追い出されるか 正されるかどちらかです 悪い人は正されるか 追い出されるかです 現代はシュリ クリシュナの時代より 進化しているようです 彼はアルジュナ一人に教えましたが 私は数千人に知識を与えています 当時は戦時下で 今は平和な時代です シュリ クリシュナはリアリゼーションを 与えなかったのでずっと進化したのです あなたはリアリゼーションを得て 全ての精妙な知識を持っています 現代というのはそういうもので あなたはすでにヴィラータの一部です あなたはヴィラータを見たことが ありませんが すでにその一部なのです あなたは見ているのでなく その中にいるのです それによって サハジャ ヨガから追い出されるのは 自分を見ないことだけで そうならないように 自分自信を良く見て 自分を正し ヴィラータと一体になることです これがヨゲシュワラのサインです そうやって笑顔でもって 全てを知りつつ 皮肉をいわず 父親の様な笑みを浮かべる そうあるべきです 全ての人に対してです すぐに人は分かるでしょう 小さい子は特にです 子供は極めて親に対して 保護的です 心配しなくても大丈夫 神様が守ってくれるから と 本当に可愛いものです とても優しくて 世界が癒されます 子どもや赤ちゃんから 学ぶことが沢山あります そして内なる ガネーシャの原理を持って 働きかけるべきです 無心さが最も効果的で なので皆さん 自分に向き合ってください 自分を責めず 正して尊敬しなさい そして自らの栄光へと進んでいきなさい 神の恩恵がありますように! […]

Shri Buddha Puja, You must become desireless Brielpoort Deinze, Deinze (Belgium)

Shri Buddha Puja, “You must become desireless”. Deinze (Belgium), 4 August 1991.
今日 私たちは ブッダ プージャのために 集まりました ご存じのように ブッダは王子でした ある日 彼は 貧しい男を見て ショックを受けます やせて通りを歩く とても不幸な人でした 彼はそれを 悲しく思いました 次に彼は 病気で 瀕死の人を見ます 更には 亡くなった人を見て 人々は泣きながら 火葬場へ 遺体を運んでいました 彼は これら全てに狼狽し 考え始めます あらゆる人間的な 現象に対して 理由を探し始めました まず なぜ人は それほど 惨めになり または 病気になるのか なぜ人はそれほど 不幸に亡くなるのか 彼は ある意味 世界中を旅し ウパニシャッドを読み グルの下へ行きました 精神的教えを受けるため あらゆる場所に赴き ベナレスや多くの場所に 行きました 最後は 菩提樹の下に 座っている時に 突如として彼の クンダリーニがアディシャクティ によって覚醒しました そして 悟りました これら全ての原因は 欲望にあると 悟りました サハジャ ヨガでは 私たちは 他のすべての欲望は 純粋ではないことを 知っています 第一に どんな欲望であれ 満たされたとしても 満足することはありません 第二に 欲望は 悪影響をもたらします では 純粋な欲望とは 何でしょう ご存知のとおり クンダリーニです クンダリーニとは 純粋な欲求の力です 精霊になろうとする 欲求を与えます ブッダつまり 目覚めた者となるための 欲求です ブッダとは “悟りを得た者” という意味です なので ゴータマが ブッダになったということです 皆さんが 今はサハジャ ヨギに なったようにです しかし 彼は様々な 苦行を経たので すでに学んだことが 身についていました サハジャ ヨガは 全てがサハジャ(自然)です しかし 私たちは何でも “これも結局サハジャだから” と結論付けます そして 何かをしようとする際も “最後は自然に上手くいくよ” “いいよ マザーが全てなさるから” といつも言います これはサハジャ ヨガで よく見られる間違いです あなたに長い経過を課すか それとも すぐリアリゼーションを与えるかは 私の問題でした 混乱した今の時代には あなたに長い経過を課す 時間はないからです ブッダにはできましたが あなた方には困難でしょう 何人やり抜けるか わかりません ほとんどが途中で 脱落するでしょう なので それを サハジャにしました あなたは菩提樹の下で座ることもなく リアリゼーションを得ました クンダリーニが 引き起こされ 自らを悟りました ですが ブッダのような悟りが あなたに起こったわけでは ありません チャクラがブッダほど 浄化されていないからです でも 体も心も ブッダと同じで リアリゼーションを得た際の 態度も同じです 私たちは神の家を 探していたので 未だ 神の家ばかり 見ています ですが あなたは もう入っています 窓の外を 見ないといけません それを忘れがちです 私たちは 丘の頂に座っていて 交通渋滞などから 自由なのに まだ車を見ながら 恐れています 自分が丘の頂にいることを 知らないのです お母さんが あなたを そこに置いたのに そのように あなたは 振る舞っています 自分が リアライズ ソールだと 解っていないヨギの話を 耳にすると驚きます それゆえブッダは 無欲について唱えています リアリゼーション以前には 無理なことです 後ですら難しいようです ある微妙な欲求があり それを あなたはワークアウト しなければなりません しかし“エゴがキャッチする” と言って ワークアウトさせません つまり状況に合わせて あるやり方をしたり 別のやり方を したりするのです あらゆることの解決は 一つです 私自身 見つけたことですが コレクティブな現象が 解決するということです 個人では人は エゴを克服できません 個人主義の人は エゴを克服できません 個人的に生活し 全てを個人的に 楽しむ者は エゴを克服できません 例の苦行を 経ていないからです でなければ 個人主義の者は苦行を経てから 戻ってきたほうが 良いでしょう ですから 解決は 全てのチャクラを 浄化することです 人生そのものを コレクティブの中で 浄化します これが エゴの問題の 解決法です 以前なら 皆が個人的に ワークアウトしていました ヒマラヤに 行かなければなりません グルに付いても 追い出されたり また別のグルに行っても 追い出され 生まれ変わっても 再び追い出されるでしょう 最後にグルに 受け入れられても ムチ打たれたり 拷問にかけられたりします その上でようやく その個人に近づく グルがいれば リアリゼーションを 与えられるでしょう そんな状況でした ですが サハジャ ヨガでは ドアが開かれているので 誰でも入れます リアリゼーションを 得られます 私はコレクティブに 信念があるので コレクティブでの生活は 間違いなく あなたに ブッダが個人的な 努力を経て得たものを 与えるでしょう しかし そこでも 私たちは どうコレクティブになればいいか 分からなくなったります 個人主義はいつも 私たちについてまわります なんでも個人的に考えます コレクティブが良いところは サハジャ ヨガも上手くいき 良くないところは 問題が生じています 自分自身を 見つめることは とても大切です 自分がどれほどコレクティブか 見ることです コレクティブを 楽しんでいるかどうか コレクティブを 目的にしているか カベラという場所について 思った時 すぐにその川の畔に アシュラムを建てよう と思いました “マザー 自分の家を 買ってもいいですか” と尋ねる者がいました すぐにです 何が目的でしょう “マザー うちに食事に いらしてください” “お茶にいらしてください” と言います 私には興味がありません サハジャ ヨガでは あなたが コレクティブにならない限り 上昇も 自分を磨くことも 浄化することも 不可能です ブッダもある意味 言っています “ブッダン シャラナン ガッチャーミ” まず “私は自らの悟りに帰依します” そして “ダンマン シャラナン ガッチャーミ” “ダルマ 徳に帰依します” それは スピリチュアリティです そして 彼は三番目に “サンガン シャラナン ガッチャーミ” サンガとは コレクティブのことです “私は自らをコレクティブに 帰依します” しかし 彼はリアリゼーションを 集団に与える方法を知りませんでした なので 弟子達は 頭を丸めなければ いけませんでした 身分や性別に関係なく 一枚の布をまといました そして 大部屋で 一枚のマットの上に 寝ました 結婚も夫婦も 全く存在しません 村で施しを 乞いに行き それをグルや 自らの食事としました 不十分で あったとしてもです これは サハジャ ヨガでは ありません サハジャ ヨガでは 最初からなんでも楽しめて あなたは完全に 喜ばしい人のはずです しかし コレクティブの歓びを 知らずには 成長できません 他にはありません 苦行は無意味です コレクティブを 楽しむようになるまでは 苦行だと 感じる者もいます すぐ問題を起こし とても批判的です アシュラムにいながら 人を批判ばかりする者もいます 完全に 高次の意識を持つ者は 洗脳されません 完全な意識と理解でもって コレクティブに ならないといけません これが 私たちの浄化の 解決法です 例えば 私の手が 汚れているとします そこで 蛇口のところへ行き 一滴しか水が出なければ 洗えません そして別の場所へ行くと 水が出ません 三番目の場所でも 何もない事を知ります 最後にようやく 少しの水を見つけます そこで完全に洗うでしょう 他で無理なのを 知っているからです しかし サハジャ ヨガでは あなたは コレクティブの水に 浸っているのです あなたが それを楽しめて 泳ぐことができれば 何の問題もありません ブッダはご存知のとおり ライト サイドで作用します アギヤです 驚くことに 彼のような神格が ライト サイドで作用します まず 彼はライト サイドにおいて 執着しないこと 無欲であることを 唱えています 無欲なら 何も得るものがないのなら 誰も何もしないでしょう 普通の場合はそうです ですが あなたは 無欲に働く必要があります そうして初めて ライト サイドが 克服されます とても象徴的です 普通 ライト サイドの人は 痩せています しかし ブッダは太っています ライト サイドの人は 往々にして極端に真面目です くすぐっても 笑わないくらいです ブッダは両手を広げて 笑い 楽しんでいました この対比を見てください なので 無欲に働いて 初めて そういった意識が 持てます いつも 笑っていられるでしょう しかし 自分がやっていると 考える者 何か欲がある者 金儲けを考えるような 低級な者は 意味のないことを続けます それはどんどん 巧妙になります 人が精妙になると 色々な欲も 徐々に精妙になるものです 気を付けなければ 急に出てきます 彼はライト サイドに 位置し レフト サイドへ 渡ります 彼は言っています “ライト サイドにおいて” “無欲であれ”と なんという対比でしょう 特に西洋で何かをする度 ため息するのを見かけます スプーンを持っただけです そして そのまま座ります 私が全く疲れないので 驚かれました 私は何もしていません 欲はありません 実際何もしません ニシクリヤです 何もしません このようにあなたが 帰依した道具になれば 自分は何もしていない と知れば ライト サイドを マスターすることが できるでしょう どうやって マスターするかというと 何もしないことです どの店でも とにかく入れば 何か見つかるでしょう 何もせずにです 無欲でいれば 思いもしなかった事が 突然 現れるでしょう すぐそこに あなたのためにあります ただ受け取りなさい なので 何かを 達成しようとして 働くと 反動が返ってきます どんな行動も 反動があります 無欲な行動は 反動がありません そもそも 無欲だからです どこかで私が 道に迷ったとしましょう 慌てることはありません そこに行く必要が あったのかもしれません 何かを買おうとするときも 城だとしても 同じです 買うべきことと 欲は異なります “イタリアに家を買います” と急に言うこともあります そして城を見たところ よくありませんでした 構いません 次の城は “いくら出しても買うべきです” と皆が気に入りました 場所が気に入りませんでしたが “皆の願いを叶えましょう” と言いました しかし 皆だまされました 結局 彼らが乗り気でない 別のを買いました 私はそもそも無欲だったので 満足しています すると 最高の結果と なりました 結局 最高のことが 私には起こるからです なんであれ 私に起こることは 最高のことだと知っています 常に 私や サハジャ ヨガのために 起こります 誰かがサハジャ ヨガを 批判するとします すばらしい インドでも ある雑誌で ラジニーシが ある人物を通して 私を批判しました その女性は私の写真を盗み 勝手に譲渡しました 私の家族は憤慨し 兄弟も夫も 訴えようとしました 私は“その考えは好みません” と言いました それでいて デリーでの 最初のプログラムは 大勢の人が来ました 車で入れないほどでした 会場の外まで 人が溢れていて ホールの外に スピーカーを 設置したほどでした どうやって来たのか 尋ねると 彼らは “あの週刊誌の写真を見て” “興味を持ちました” と言うのです 何も読まずにです ハルシもそうです 多くがそうやって来ました ただ写真を見て来ました ですから 写真が盗まれたものの 良かったのです 相当な費用がかかるところ 全く宣伝費用もいらずに 写真が掲載されたのです そして私の家族も その雑誌が 半年間休刊になり 莫大な損失を 出したのを見ました それも 私は願っていません 無欲なら あなたは幸せです 落ち込むことが ないからです イライラもありません 無欲というのは 禁欲主義者のように なる事ではありません 期待をしない ということです “これをすればこうなり あれが起こるから・・・” 心配しないことです したいことをしなさい ひとつ覚えておくことは あなたに何も ひどいことは起きません 悪いことが起こっているなら 何かあなたが間違っているということです もうひとつ言います 私は少し転びました 少しだけです すると “家から出ないほうがいいです” “雨なので関節炎になります” と言うのです そんな事はないのですが 家にいる機会を得て 本を書きました 転んで良かったのです でなければ 招かれたでしょう 家族も 休日で家にいて この四、五日で 書き上げることができました 落胆を最高に 利用するのです 落胆することがあっても 微笑み これもあなたの 新しい発見のため より良い何かを見つけるため だと知りなさい しかし コンディショニングは 強いものです だから“コレクティブでいなさい” と言います 例えば 私たちは インド人 フランス人と様々です 皆のコンディショニング があります インド人ならどこでも インド料理を食べたがるし とても難しい状況です その意味では皆さん どんなインド料理でも食べられます 私はインド料理を さほど好みません 美味しいけれど 栄養がありません でも あなた方は 何を食べても頓着しません 良いことです でも欲はべつです あえて言う必要もありません 例えば 女性に化粧品や重いものを あまり持ち歩かないように言いましたが ここに来る度に 大きくて重いスーツケースで 男性達が 手を痛めています 私は“みすぼらしい恰好で” “歩きまわりなさい” と言っているわけではなく 最低限にしなさい と言っているのです リーダー達の 競争もあったり 他の者の間でも 問題が起こります 西洋では食べ物ではなく 家庭の問題があります インドにもです インド人の妻や ギリシャ人の妻は 夫を自分に縛り付けようとします よくあることです ギリシャ人も インド人のように 夫や自分の成長を ダメにします それは事実です とても支配的です インドの女性は支配的ではありませんが 夫をコントロールしようとします 家を持とうとしたり インド人は コレクティブを知りません とても個人主義的です もちろん今は サハジャ ヨガを通して少しずつ 他人といることを 学んでいます 文化的に違う人もいます 自分の文化に固執しがちですが 良い文化は取り入れるべきです 普遍的な文化が サハジャにあるからです ですが 人は つまずくことが多々あります コンディショニングのせいです 故にブッダの同時代に 偉大な化身マハヴィーラが存在しました コンディショニングに こだわる人にとって 何が罰となるかを 指摘しました 彼は恐ろしいことを 話しました コンディショニングを 持つとどうなるか どんな状況に 追いやられるか どんな地獄に行き着くか 恐ろしいことを 述べました もちろん今日は その話をしません しかし 彼と同時代の聖人に 共通するのは ブッダやカビーラも そうでしたが カビーラはブッダほどでは なかったけれど 神について 話さないということです 神ではなく 抽象的な 形のないものについて 話します 当時 最もひどい コンディショニングは 如何なる神格でも 崇拝すれば 皆が 奴隷のようになる ということです モハメッドも形のないもの について話しました しかし 二人は 先を行っていて “神はいません 神について話すより リアリゼーションを得なさい”と言いました 私も当初 “まずリアリゼーションを 得なさい”と言いました でないと 誰もが ”私が神だ” と言い出しかねないからです だから 彼らも神について 話しませんでした 常に“神ではなく あなたの 自己が存在する”と言ったのです 彼らはニリシュワラと呼ばれ 神の話をタブーにしました 二人とも神を 信じませんでした しかし リアリゼーションは 信じました 彼らは 私が来て 神について 話すことを 知っていました ブッダは未来のブッダ つまり マトレーヤについて 話していました 「マ」は母を意味し 三つの形姿 マハカリ マハラクシュミ マハサラスヴァティを指します 仏教徒にマトレーヤについて 質問させれば そこでリアリゼーションを 与えられるでしょう 彼はマトレーヤについて 話しています マトレーヤがやってきて 神について話すことを 知っていたからです 彼らによると 人はまだ 神について話を聞く 段階ではなかった と言います それで “神はいない” と言ったのです リアリゼーションのみを 強調しました アトマギャーン 自己の知識のみです セルフ リアリゼーションです 初期の仏教徒は 当然ながら 皆 禁欲主義でしたが グノスティクスのように 精霊の涼しい風を感じる 体験をしていました ですが少数でした あなた達ほど 多くではありません ただ 質は とても高いものでした なぜなら 皆が 大変な 苦行をしたからです それで 彼らの質が 高かったのです その質の違いが 大きかったために 他の人々に 理解されませんでした 廃れてしまいました しかし ヴィディタマによって 禅がもたらされました ブッダの弟子です タオも起こりました これらはどちらも ブッダのサハジャ ヨガの 理想を体現しています タオは サハジャそのものです “それが如何に働くか” という意味があります 禅とはディヤーナ 瞑想という意味です どちらもクンダリーニの 覚醒を信じました 誰の脊柱も 叩きませんでしたが 後になって 瞑想に人を導くために 棒で叩くようになりました タオも禅も 仏教から出たものです 本来の仏教 と言うべきでしょう 上昇について話し 神については 話しませんでした しかし 目的は同じで ブッダ(自己)に なることでした しかし 廃れてしまいました 私は禅の代表者を 治療したことがあります なぜ カッシャパでないのに リーダーなのかと尋ねました カッシャパとは “覚醒した人”です 彼は“カッシャパは 数えて26人しかいなく” “6世紀に 始まりましたが” “ほんの何人かいただけで” “その後いなくなった” と打ち明けました あなた方は どんなに幸運でしょう 覚醒した人たちです 私たちの菩提樹は コレクティブです 私たちは コレクティブとして 一体になることで 自らをより精妙にする 必要があります それは 大変喜ばしく 美しいものです それができないと サハジャでは 成長できません 問題をおこしたり 皆に迷惑をかけます アテンションは悪く 皆が 耐えがたい思いをします ブッダのメッセージは もちろん エゴを 大きくしないことです しかし どうすれば 良いのでしょう まず 何をするにつけ “私がしているのではありません” と言うことです “これは マザーが 行っています” もしくは “神が行っています” “私は何もしていません” サハジャのために何かしている と感じているなら それを止めた方が 良いでしょう そうでなく “何もしていないけれど” “たまたまそうなったのです ただそれだけです” そうなれば あなたは 大きな達成を成し遂げます 二つ目は欲望です どんな欲望であれ 大きなものでも 小さなものでも 我が子や妻を 愛することであれ “私の” “私のもの” と言うすべて こういったすべての 欲求は それが満たされず 不満に感じるなら 何かあなたに非がある ということになります しかし コレクティビティを 理解すれば とても早く 成長できます インド人は 極めて信心深く 自制のある人々ですが コレクティビティに 欠けています 彼らがコレクティブになれば 突出できます 唯一 良い国はロシアです 共産主義なので コレクティブで 無欲です あらゆる欲求は 共産主義によって満たされ 他に選択肢が ありませんでした そしてコレクティブです ある意味 共産主義は 政府でなく民衆に合いました 反対に民主主義は 政府にくみして 民衆が苦労しました なので 私たちは コレクティブを学ばずに きたのです コレクティブは西洋で 早く発達するでしょう 疑いありません ずっと早いでしょう しかし 無欲にあまり なれないでしょう 歯を持つ人もいれば 食べ物を持つ人もいる状況です 自分をありのままに見て “この問題かあの問題かの どちらかだ”と理解するなら その偏りを正そうとするなら 解決できるでしょう 一つを解決することで 他も解決できるからです 中庸に立って 自分を見て “自分の欲は何か”と 一つ一つ数えなさい “私の欲求は何か”と問えば 私は無思考状態になります ひどいものです “何が欲しいか”と問うと 思考がなくなってしまうのです “エゴを持とう” と思っても どこから始めてよいか 分かりません “皆エゴを持っているのだから 私もあるのではないか”と思っても どうにも始められません 私たちには こんなコンディションングもあります 負い目を持つことです ブッダの時代には ありませんでした 負い目を感じるというのは 現代のやり方です 何らかのモダニズムに 違いありません なぜこうなるのか わかりません この現代のひどい “負い目”を浄化させる 役目を 私が 担うことになります ブッダの時代には ありませんでした でなければ 彼は 道を作ったでしょう 彼はレフト ヴィシュッディの 浄化を託しました なので 私のレフト ヴィシュッディが いつも痛んでいます これは特に 西洋でひどい現象で インド人には全くありません しかし これは克服できます ご存知のように ブッダもマハヴィーラも アギヤのセンターを サポートしています なので とてもクリアな アギヤ チャクラを持つには 一方では無欲になり 許す必要があります “クシャム”です クシャムとは許すための ビジャ マントラです ライト サイドのための ビジャ マントラです クシャム 私は許します そして レフト サイドは “ハム”です レフト サイドの人はいつも “私はダメだ”と考えがちです “私は良い”と 言うべきです “ハム”は“私は存在する” という意味です ハムとクシャムは必要な 二つのビジャ マントラです もちろん唱えると 作用します 今やあなたの息吹が 啓発されたからです まだ弱いですが 構いません あなたのマントラは 効きます これら二つのマントラを アギヤ チャクラの浄化に 使いなさい マハヴィーラは 解決法を持っています リアリゼーションの後 キャッチすると アギヤに 頭痛を感じます それがマハヴィーラ のスタイルです 何か間違えると 罰を受けます 何かに耽溺すると 罰を受けます サハジャに反すると 罰を受けます 私ではなく マハヴィーラがするのです 同時に働きます 賢くなろうとしすぎると 裏をかかれます この二つの力が 右から左へ 左から右へと働きます 右に行きすぎると 左があなたを強く叩きます 左に行きすぎると 右があなたを強く叩きます それぞれが 挟み撃ちのようです 一人は “欲を持つな”と言い もう一方で“はい 欲がありますね” と罰を与えます “子供が欲しい” と言う者がいます 子供を授かると“マザー なぜこんな ひどい子を私に授けたのですか” と言います 例えば 誰かが “マハラシュトラの女性と 結婚したい”と言うと 最近あったケースですが “マザー マハラシュトラの女性と 結婚させてください”と言ったので 特別な形で 罰せられました ”マハラシュトラの女性は もうたくさんです”と言います 私もあんなマハラシュトラ出身の 女性は見たことがありません 恐ろしいです こだわりの強い 女性でした “もうたくさんです” と彼らは言いますが “違います 他の皆は すばらしいです” “これはあなたに罰を与える為の まれなケースです” なので 何か欲があって 一線を越えると 罰せられます マハヴィーラによるものです 小さくも大きくもです 例えば ロンドンに 小さな男の子が来ました とても生意気な子です 何か買って もらいたがりました 普通の店に連れていくと そこにウールの 良いコートがありましたが 欲しがりません “大きな店に行きたい” “良いでしょう 私は行きませんが” と言い 父親に行かせました 帰ってくると その店で合成繊維のコートを 買ってきました 合成とは知らずにです いつも普通の店で 買い物をせず 大きな店で高いものを 買うので 高いお金を払い それを買ってきたのです サハジャ ヨギは 常に マハヴィーラがそこに 座っているのを知るべきです ブッダもそこにいて 彼は あなたに示唆を 与えます “止めておきなさい” “あまり欲を持たないように” 彼が限界を作ります でもそれに耳を貸さなければ マハヴィーラが正します ある程度まで行くと 頭痛がしてきて “マザー なぜ頭痛がするのですか” と言うのです 自分で招きました すごい自動の機械です サハジャ ヨギとして とても気をつけるべきです なので 今日の教訓は 内側からコレクティブに なる必要がある ということです 何であれ 文句や不満を言わずに コレクティブを 楽しむべきです コレクティブの もう一面は コレクティブを 乱用しないということです さもないと 問題になります 例えば バスルームの使い方を 知らない人がいます コレクティブであるなら 他者のコレクティビティも 尊敬するべきです あなたがいることで 他の人が気分を害することが あってはならないし 侮辱されたり 迷惑に感じたり するべきではありません なので コレクティブにいるときは 他の人があなたと一緒に いることを楽しむべきで あなたの存在を 楽しむべきなのです 問題は存在しません でも要求がましかったり 自分のことばかり考え その要求ばかりすれば コレクティブになることは不可能です 代わりに 苦労するでしょう 自動的に 苦労することになります これにきちんと 気づいて理解すれば あなたのアギヤは解決です 怒りについても “彼に腹が立つ”と 自慢げに言う人がいます 自慢しています その怒りをただ 許しに変えなさい すると 自分が 彼の問題に はまり込むことなく 彼が問題に はまって行くでしょう 怒りは あなたを乱しますが 許しは 彼を乱します 自動的にです あなたの最も大きな 武器が許しです ブッダの人格に それがよく現れています 許しは 自尊心を与えます どんなことにも乱されない という自尊心です まるで 船が 航海できるようです 浮かべて壊れるなら 船を作る意味はありません いつも心乱されている サハジャ ヨギに 何の意味があるでしょう あなたは航海に 適していないといけません 何にも 乱されることはありません 犬が吠えているとします 吠えさせておきなさい 象が犬を見て 水を少し飲み その水を祝福するように かけます そうすることで 頭は冷えるでしょう あなたに自尊心を 与えるでしょう そしてあなたが他者よりも ずっと崇高であると知るのです そのようにして エゴを取り除きます あなたにとって 最大の問題です “マザー どうやったら エゴをなくせますか” エゴは ユーゴー(you go) と言い換えられます この“自分”の意識がなくなった時 自己が現れます 傷ついたり 気分を害することがありますか 人を傷つけることが あるでしょうか 誰かに騙されたとしても あなたが騙したわけでは ないのですから 機嫌よくしていなさい エゴを 失くしたということは 自らを 委ねたということです 誰もあなたを騙せません わかりますか 誰もあなたを騙せません ある高次の力が あなたを守るからです この様にブッダを 理解するべきです ブッダの性質を 知る必要があります この様に エゴを溶かすのです “マザー 私はあなたに帰依します” と言う時 それは この酷いエゴを 完全に あきらめる ということなのです そうです そうやって エゴがなくなるのです ちょうど今 あなた方のアギヤが 開きました ほとんどがです 何を見ても 笑っていられるでしょう 自分をからかったり 何であれ ただ楽しむでしょう 神のご加護が ありますように […]

Mahashivaratri Puja, Four Nadis of the Heart (Italy)

Mahashivaratri Puja. Chianciano Terme (Italy), 16 February 1991.
今日私たちは サダシヴァを崇拝するために 集まりました 私たちの内にシヴァとして スピリットとして反映しています 彼は私たちのハートに 反映しています 私たちの人生の目標は スピリットの状態に到達することです 先日何冊か 本を読みました スピリットを知るための リアリぜーションを どのように求めたか いかに人々が 苦しんだかについてです まず彼らは 自らを拒絶したり 無視したり 身体を痛めつけるよう求められました 身体が快適さを求めれば まずベッドではなく 絨毯の上に寝るように言われました それでもだめなら ゴザの上に寝て それでもだめなら 大地に寝るようにし それでも身体が嫌がれば 石の上に寝るようにしました それでも ヒマラヤはほど遠く シヴァは カイラス山にいるからです なのでヒマラヤに行き 氷の上に寝ました これは最低限 求められました もし良い食べ物を 好むなら 贅沢な食べ物を好み 沢山食べたいのなら まず好きな食べ物を 全て拒むように言われます 例えばイタリア人なら パスタを食べられません それを断念します しかしそれでも 十分ではありません その後 大変苦い物を食べます 禅のように108倍もの 苦さの物を食べます 完全に苦い物 あるいは完全に甘い物です 舌を試します それでもまだ 食欲があります 過食するなら 一日断食します 十分でないなら 7日間断食します 次に40日間断食します 一か月は30日なので 40日断食したらもう死んでいます そのようにして ニルヴァナの苦行をしました 死んでいるなら いずれにせよニルヴァナを得ます 何も残りません 骨だけです その骨がニルヴァナになっても 結局は死に至り 終わりになります 疑いなくニルヴァナです 次に家には住みません 快適だからです 妻や子供 全員を断念し 布だけをまとい 物乞いをします その布でさえ執着するので 問題となります そこで誰もいない ヒマラヤに行き 服を脱ぎ 寒さの中 震えながら耐えます そしてニルヴァナを得ます 身体の欲求をなくすため まずこのような 条件が課せられました “ニルヴァナを得るためなら 何もいらない”と言い聞かせました 第二に快楽さ 喜びを求めようとさせる頭を なくすことでした 例えば何かとても 欲しているものがあるとします それを拒みます 頭が言うものに “いらない いらない”と言います サンスクリット語で シュロカがあります “これもいらない これもいらない” と言い続けます そして初めて ニルヴァナのことを口にできます その前はニルヴァナのことを 話すことすらできません この本を読んだとき “これはやりすぎだ”と言いました サハジャ ヨガでは 全くその逆です まず建物の小尖塔を建て 次に土台を建てます はじめに得るものは サハスララの開花です そしてそのサハスララの光で 自分自身を見なければいけません ヴァイブレーションを通して 内省することの方が良いのです そして見ることです なぜ私はこれを望み アテンションが 快適さにいくのか なぜ食べ物や自分の家族 子供にいくのか 至高の状態に 到達しなければいけないのに そこで内省し始めます すると自分のヴァイブレーションで 何かがおかしいとわかります 他の者の何がおかしいのか 見ません 自分自身を見ようとします 得なければいけないのは あなた自身の上昇だからです しかし昔はこのようなことが 個人レベルで行われました ニルヴァナを得ようとする者は 人里離れたところに行き 人を遠ざけ 関わらないようにして 上昇を リアリゼーションを 得ようとしました 自分のためだけにです 他の人のためではありません その者は完全に隠者となり 誰とも話さず 会わず 人里離れた山の頂で 瞑想しました 近づく者には石を投げ ひどいことを言って 決して 会おうとしませんでした サハジャ ヨガは違います サハジャ ヨガは 全体の上昇です このような個人の達成は 何にもなりませんでした 聖人はもちろん 人々と話し リアリゼーションについて 神について 徳や価値観について 教えようとしましたが 人は彼らを変人と見なし 苦しめ困らせました なので個人レベルの 上昇の段階では それについて話したり 教えたりする以外には サハジャ ヨガが始まるまで 手立てはありませんでした 話すことすら 禁止されていました インドでは12世紀まで 公の場では 誰も話しませんでした すべてサンスクリット語でした 数人の熱望者だけが理解できる 難しいサンスクリット語の本でした 極少数の者に 説明されました それでもリアリゼーションを 与えることは拒否されました なので一人の師に 弟子が一人つきました すべて個人的な上昇 個人的なワークアウトでした 弟子は他の者から遠ざけられ 内密に働きかけました その者は歌ったり 詩を書いたり 至福について 話したかもしれませんが 他者にリアリゼーションを与える 権利はありませんでしたし 与え方も知りませんでした あなた方がどれほど 上昇したかおわかりでしょう 断念することもなく リアリゼーションを得ました より広く 働きかけられます リアリゼーションを与えれます サハジャ ヨガについての 精妙な知識を知っています 今日は私たちが知るべき 大切なことをお話しします 知ることは とても大切です 教会に行くかのように サハジャ ヨガをする人がいるからです ハートからしていません ハートは スピリットの住まいです 私たちの内にいる シヴァです なのでハートについて 知らないといけません とても大切なことです ご存じのように 三つのナディがあります イダ ピンガラ スシュムナですが ハートには 四つのナディがあります 一つ目のナディは ムラダーラに行きます ムラダーラの一線を越えると 地獄に落ちます それゆえシヴァは 破壊者であると言われています 実際自ら 破壊を招きます 自ら招き そうなります すべて滅ぼしたとしてもです 実がなるとき花びらは 朽ちていくように見えます あなたの コンディショニングやエゴ 人種主義 熱狂主義が 破壊されるようにです これらすべて サハジャ ヨガで破壊されます 美しさが現れてくるために 破壊されなければいけないものです ある境界線を越えると 自らの破壊に至ります 四つのナディがあるので 四つの方向で破壊があります ではどうすべきでしょう 最初のナディが地獄へといくのに この破壊をどう食い止めるのでしょう シヴァの資質の一つは 純真です 彼は非常に純真です 子供のようです 彼は純真を体現しています なので 私たちの世俗的な欲求を 純真に 純真の大海に 溶け込ませないといけません 純真の大海に 溶け込ませます 純真は その良さをわかり 理解し 楽しまれないといけません 動物を見ると純真です 子供たちを見ても 花を見ても 純真です あなたのアテンションを これらに向けなさい 道を歩くとき 高さ100センチ以下に 目をやるのが最良です 100センチ以下には 花や 美しい芝や 子供たちがいます そちらに 目を向けると良いです それ以上の高さのものに 目をやる必要はありません 100センチ高さのものを 見なさい 人の脚を見ても 構いません 純真でない人の目は 見ないことです ですからこの欲求を 純真さに溶け込ませなさい 純真であるこのムラダーラは 朽ちることなく 純真で高潔です シュリ ガネーシャの資質です 純粋です この世俗にいようとも 人間のように暮らしていたとしても 子供がいたとしても あなたは純真であり続けます 一度シュリ クリシュナの 妻たちが 彼には1万6千人の 妻がいました それにもう5人です 1万6千人は彼の力でした そして5人は要素です 彼女たちは大変有名な聖人に 祈願しようと願いました 彼に会って 敬意を払おうとしました そこでシュリ クリシュナの 許しを請いましたが 川が氾濫し 渡ることが困難だと知り 渡れませんでした 彼女たちは戻り “どのように渡ればいいのでしょう” と言いました クリシュナは “そこに行き こう言いなさい” “シュリ クリシュナが ヨゲシワラであるなら” “性的に完全に純真なら 水よ沈まりなさい” “そんなことはできるのだろうか 私たちは数多くの妻です” 彼女たちは川に行き その通り言いました すると水が 引き始めました 彼女たちは夫の言ったことに 大変驚きました そして川を渡り そのリシを崇拝し また戻ろうとしました するとまた川が氾濫していました そこでリシのもとに戻り どうすれば良いか尋ねました 彼に“どのように渡ったか”尋ねられ シュリ クリシュナの話をしました 彼女たちはリシに沢山の食べ物や 果物をもてなしていました “では川に行き リシが 全く何も食べていないと言いなさい” 彼女たちは驚きました 彼女たちが戻って川にそう伝えると 川の水が引きました ですからこの世俗に生きていても 妻であり 夫であったとしても 結婚していても あなたは純真でいられます 完全に純真でいられます それが純粋の象徴です あなたを破滅へと導く 二番目のナディは欲望です それゆえお釈迦様は 欲望を持たないことが 老いない 病気にならない 心配にならない 唯一の道であると言ったのです 私たちが持つ “欲しい”という欲求は どこよりも 西洋に強くあります 企業家が日々新たな物を 生産しているからです 例えば髪に関しても 女性は様々なウィッグを欲しがります “これが欲しかった このウィッグをつけたい” 他の女性は “私はこれがいい”と言います 男性の欲しがるものといえば “彼がロールスロイスを持つなら 私も持たなけらば” 他者のロールスロイスを 楽しむことができません 自分の物でなければいけません 所有していなければいけません 欲求は物質的なものでなくても 何にでも持てます メンタルなものでも あり得ます “この女性は この子は 自分のものだ” 様々な所有欲として でてきます それが執着のためだとは 言えません 執着ではなく ただもっと 自分のものにしたいのです どんどん自分のものにしても 幸せや満足感は感じません このような欲求の理由は それが純粋な望みではないからです 不純な望みです そのような望みが働くと 極端に走ることもあります サダム フセインや ヒットラーのようにです 限度を超えた 完全な欲求に他なりません 他者を支配したいのです これもまた 別の欲求です このような欲求は 最終的に破壊へと導きます 歓びや 幸せがないからです 例えば サリーが欲しいとします するとサリーを 買いたいと思います アテンションがいかにサリーを 手にするかにすべて注がれます アテンションがつまらないものの ために汚され乱されます スピリットを楽しみ 養うアテンションが 欲求のために乱されます 第一に純真でないので アテンションが乱されます 第二に欲求があるので アテンションが混乱します では欲求に対して 私たちはどうしたらいいでしょう 欲求は物質的欲求から 審美的な欲求へと 美しいものへと移すことができます 真に審美的に 豊かなものを持つようにします それがシヴァの資質だからです 彼がすべてに審美を与えています 例えばこれが簡素に見えるとします 機械的だともいうかもしれません もしシヴァの仕事なら 彼はそれを美しいものにするでしょう ですからシヴァの資質は ブランマデーヴァによって 創造され ヴィシュヌによって進化したもの すべてを美化することです 審美的なものを創造する 精妙な仕事をするのが彼です 光が沢山写っている私の写真を 見たことがあるでしょう 彼の仕事です 彼がしています 彼が光を放ち あなたに私のことを 納得させるために写し出しています なので彼の仕事は 審美的なものを創り出すことです 振る舞いの美しさ 詩の美しさをです 創造する全てが 美しく創られます 歓びを与えるものにします それが彼の資質です ですからあなたが 望むものが何であれ それをワークアウトさせ 手作りの審美的なものを望めば 次第にヴァイブレーションに 行きつくとわかるでしょう 美しいもの全てに ヴァイブレーションがあるからです ヴァイブレーションに至るには 純粋な望みでないといけません なので狂気に満ちた あなたを狂ったようにさせる つまらない退屈な欲求が 純粋な望みになります あなたの欲求すべてを ヴァイブレーションに 溶け込ませないといけないからです しばらくするとあなたは ヴァイブレーション以外は求めなくなります ヴァイブレーションのない物を 買いません ヴァイブレーションがない者とは 話しません 相手にヴァイブレーションが全く なければ逃げ出すでしょう 猿に追いかけられているかのように 人から逃げる者もいます よく見ると 酔っ払いであったりします 以前は自分が 酔っ払いだったかもしれません “今はもう沢山だ とんでもない” 以前ヒッピーだった者達と 一緒にいたことがありました 今はあなた方同様普通で サハジャ ヨギです その時4、5人のヒッピーが プログラムに来ました ラフリだったと思います 彼らが恐怖を感じていたので 私は“どうしたのですか” そこでやってきたヒッピーたちを 見ようと振り返りましたが その時には彼らは 出て行っていました ですからすべての欲求が ヴァイブレーションに終わります そうでなければ 何か欠けていると知るべきです そうならなければ あなたは終いに破滅します 彼が破壊者であると言うのは 一方的な捉え方です 彼には 両方の力があります あなたにヴァイブレーションを 与える力があります 彼が与えます 女神がその力 シャクティですが 彼がヴァイブレーションを創ります 例えば これは指ですが あなたをくすぐれば それはシヴァです 指は女神のです くすぐれば 歓びや幸せを与えます それはシヴァです バクティです バクティの歓びは シヴァから来ます 今日お話ししましたが ある女性が デヴィの献身者で バクティについて沢山学んでいました 沢山のことを知っていて 私に溶け込んでいました 彼女が何をしてきたか 知りませんが 通常人が デヴィについて読めば “これはデヴィについてで これはマタジについて”と分けます 人はデヴィについて 読んでいるとは知りません 彼女は “マザー 私には分かります” “貴方がいかに 優しいか綴っています” “女神がいかに私に触れ 私の面倒をみているか” “いかに注意が 私に注がれているか” “カタクシャ カタクシャ ニルクシャナ” という文があります “すべての一瞥が視察です” 視察は適切な言葉 ではありません ニルクシャナは 神聖な視察という意味です “いつも貴方であると感じます 常に貴方です” “音楽を聴けば感じます 私を見ています” “私を感じています 養っています” “いつも貴方の愛を感じます” このようにバクティがでてきます あなたにあるヴァイブレーションは 無味乾燥ではありません それはバクティの歓びです バクティを崇拝や 他の言葉に変えたとしても 神である愛の大海です あなたはそれに浸るだけです それは言葉で表現できません あなたが感じるのは それなのです スピリットであなたと あなたのお母さん あるいはお父さんとの つながりを持てたのです 違いはありません あなたはその大海と一つです 大海に浸っています あなたは滴であり 大海です そのバクティと 一つなのです そのバクティは 機械的ではありえません 人間の作るものでは ないからです なので サハジャ ヨガを楽しむとき それは無味乾燥な ヴァイブレーションではなく バクティだと知るべきです それが シヴァの資質の歓びです 彼が私たちの人生に 与える歓びの資質です すべてが取り囲まれているように 反響しているように見えます 歓びも同じです “私は神に愛されている” “神が私を愛していて 私の人生に意義がある”と感じるなら まずエゴがなくなります そしてコンディショニングも なくなります 三番目のナディは 私たちが執着を感じる 人に執着を感じるナディです 例えばこれは私の子供です 夫です 家族です 妻 父 母です サハジャ ヨガを始めると皆 初心者なので 自分の家族全員のことを 話します “私の父がこうです 母は病気です 母の妹の兄が具合悪いです” まるで契約を 結んだかのようです 今日ある人に聞きました ある夫婦が最初の子供を 亡くしたそうです 別の部屋に 寝かせたからです “小さい子は母親と寝るべきです 面倒を見るべきです”と言いました インドにはそのような 母親はいません それができなければ 夫を追い出すでしょう “一緒に寝るべきだと伝えなさい” と言いましたが 彼らは信じません どうしようもありません その子の面倒を見るという 契約はありませんが 私たちの言うことさえ 耳に傾けません 始めの頃に 良くある考えですが “マザー サハジャ ヨガを 一か月していますが” “私の経済的な問題が 改善しません” まるで私をそのために 訴えるかのようです 私ががっかりさせた かのようです 自分たちはサハジャ ヨガを始めた ばかりだと理解していません あるいは何年もしていても サハジャ ヨギではないのです 何か欠けています それに値しません サハジャ ヨガでなく あなたに問題があります しかし人は何か契約を 交わしたかのように感じます すぐさま知らせてきます “この人 あの人が病気です サハジャ ヨギを5人送ってください” 何のためでしょう これらの執着が 私たちの内で働きます ある者は自分の子供に 大変執着します そして甘やかし続けます “私の子 私の子” すると突如 子供が悪魔のように なっていると気付きます 口答えしたり ひどいことを言ったり 暴力を振ったり 不作法に振る舞います 愛情を注いだのに ひどくなったとわかります さらにひどく感じます “私はこんなに妻に 夫に尽くしたのに このような仕打ちをされている” なぜそんなに尽くすのですか 必要はありません そうするなら ただ尽くし あとは忘れなさい 私はそのように 感じたことはありません 一生懸命働きかけた ヨギが堕落しました 私が気に掛けるなら “今後どうなってゆくのか” それが唯一の関心です 私に何が起こるかではありません 何も私には起こらないからです 彼らが罪深いのであれば 彼らの将来を案じます ですから違います このような執着をサンスクリット語で ママットゥといいます “これは私のです これは私の子 私の 私の” あなたの親族がサハジャ ヨギです 覚えておいてください 次のことを 覚えておいてください “私の親族は サハジャ ヨギだけです” “妻や子供であろうと誰も” “サハジャ ヨギを 困らせたりさせない” “そうならば私とは 関係ない者である” サハジャ ヨギに害を及ばさない限り 関係は大丈夫です サハジャ ヨギを傷つけるなら 関係はないからです そのような者を沢山見てきました すばらしいヨギで 自分の妻や子の 肩を持ちません もしそうするなら彼らを罪深く だめにしてしまうからです 自分の上昇を気にかけます 家族に他のヨギを 困らせることはさせません 刃向かう 問題を起こす 暴力的な子供をみてきました 親は“マザー 正してください 貴方にお任せします” 他の者なら“私の子はそんなことを する子じゃない”と言うでしょう なので分別を 理解しないといけません “なぜ私は執着をするのか” この直喩を 何回も与えました まるで 樹液が上がっていき 木の様々なところに行き 幹 枝 葉 花 実を滋養し 戻るか 蒸発するかと同じです どこにも執着しません 一か所に偏れば 木は死んでしまいます そしてその樹液が行ったところも また死んでしまいます しかし樹液の方が 私たちより分別があります 彼女たちにとって 夫が第一です 夫や妻に関して 数多く問題があります なのでグルは“サニヤーシに なりなさい”と言いました “そうすれが妻子について 話さないでしょう” “まずサニヤーシになりなさい” グルの頭痛の種も なくなります 家族の話をするなりグルは “出ていきなさい”と言ったものです しかしサハジャ ヨガには より深い仕事があります 社会面 政治面 経済面に 入り込まなければいけません 全世界の解放です あなたの 責任を理解しなさい 個人の禁欲的な上昇のために いるわけではありません あなたは全世界を解放するために 選ばれたと理解するのに どれほどの叡智 愛 分別 が必要でしょう 破壊へと 至らせないための方法は いわゆる限られた愛ではなく 無限の愛です シヴァは愛に他ならないからです 彼は愛です あなたを正し 滋養し あなたの善を望む愛です それがシヴァです あなたの善を望みます あなたの善の面倒をみます 他の者の善のために 愛でもって尽くすなら 人生が変わります 生活が変わります それを楽しみます なぜなら 多くの者や多くの家族 他の者の問題に 関心を持て その者達と一つであると 感じるからです 今日沢山の サハジャ ヨギがここにいます 初めて イタリアに行った時 グレゴアーの奥さん キャサリーンと行きました 彼女が唯一 イタリア語を話せました ホールを予約し 広告を載せるよう 新聞社に頼みましたがだめでした 結果誰も来ませんでした そこで彼女とチラシを張るのに 回りましたが誰も来ませんでした 今日沢山の人がいます 私達はお互い愛で つながっていると知るべきです その愛は私たちの善のため 私たちの上昇のためです するとみんなを楽しめます 人種や国やその人については 気にしません サハジャ ヨギであるだけです あなたは普遍的な 人格になります この姿勢で なければいけません インド人の若い女性が 苦しめられていると聞いて なぜそのようなことが できるでしょう 肌が黒いからといって インド人が下層階級だからといって 不当な扱いをするなど ありえません 全員が全体の 一部分だからです みんな同じ母から生まれた 兄弟姉妹です しかしこれは 偉大な 無限の愛の大海に あなたの限定された関係を 溶け込ませたときに可能です それができないなら 正当化しないことです ただ自分自身を目撃します 自分が皆を真に 愛しているか見なさい 私は常に 買い物に行くと “これはあの人に 良いかもしれない”と考えます 自分自身のために 何か買うのは不可能です 早急に必要でない限り ないと困るのでなければですが 喉が渇いていても 飲み物ですら買いません すべてが他者のための 歓びだからです “これはあの人に良いだろう この人に似あうだろう” これらすべては 最も歓びに満ちたことです 他にはありません 自分のことを考えると “なぜ私はここにいるのでしょう” “私は皆を楽しむために ここにいます” “皆リアライズ ソウルです” “美しい蓮の花です” “私は泥とは無関係です” “私はもはや蓮の花です” このようにして ハートを開きます あなたのハートの蓮をです そのような者の香りは 大変すばらしいです あなたは分裂的になりません お互いばらばらになりたいと 思いません どこでも構いません 快く同意するでしょう ここでなければ あそこでなければとは思いません 皆一緒であればです あなたにある 小さな執着を シヴァであるこの愛の大海に 溶け込ませないといけません 四番目は 私たち皆にとって大切です レフト ヴィシュディを通って ハートへとつながるナディです ハートから始まり 上にあがって アギヤを通ります 4つの花弁があり 開きます トゥーリヤと呼ばれる状態を あなたに与えます 私たちは3つの状態において 生きています 起きている状態 ジャグルティにおいて 私たちのアテンションは散漫します アテンションを汚します 二つ目の状態は いわゆる寝ている状態です 眠っていると 過去に起こったことが 甦ってきます そしてスシュプティと呼ばれる 深い眠りがあります 深い眠りの状態です 現実の夢を見ます 私のことを 夢で見るかもしれません 潜在意識の エーテルの部分のようです そこですばらしい情報が 得られます 例えばイタリアに 私が行くとします イタリア人はスシュプティで 私が来たと分かるでしょう 人によります 四番目の状態はトゥーリヤで もう二つ状態があります あなたは トゥーリヤの状態にいます “トゥーリヤ”は 四番目の意味です 思考を超えた意識状態が 四番目の状態です 思考がないとき あなたは純真です 思考がないとき ヴァイブレーションがあります 思考がないとき 誰にも執着しません “トゥーリヤ スティティ”です この状態にあなたがいると あなたの内にある これらの四つの花弁が脳で開きます あなたのハートから 脳にいきます そこであなたは 神が何であるか 完全に理解します 完全に神を理解します その時 真の知識を人は得ます しかし四つの花弁が開かない限り また戻ります それゆえ サハジャ ヨギの中には 手を付けるべきでないものに 手を出す者がいます 彼らは神が何であるか 理解していません それもある一つの点を理解するような 理解ではありません それはハートから 脳へといくものです 脳からハートではありません それはまるで 蜜のようなバクティが 脳を覆うようです 完全にです 例えば シャンカラチャリヤが 素晴らしい論文 “ヴィベカ チュダマニ”を書きました 神は何かを記しました “ヴィベカ”とは意識のことです それについて語っています しかしシャーマというひどい人が 彼に抗議しました 彼をうんざりさせました そこで彼は “サンダリヤ ラハリ”を書きました お母さんを称賛する マントラでした “私はお母さんを知っている 称賛させてほしい” “討論は必要ない 愚か者には理解できまい” 彼は悟りました “彼らは私が知ることを理解する 能力も感受性も持っていない” 真の知識は神が何であるか 分かることです それが神であるなら なぜあなたは疑ったり 分析したりすることがありますか 神です すべてを知っていて 成していて 楽しんでいる全能なる神です それこそギャーナというべき 真の知識です 純粋な知識です チャクラの知識 ヴァイブレーションの知識 クンダリーニの知識でもありません 全能なる神の知識です そして全能なる神の知識は メンタルではありません もう一度言います ハートから始まり 脳に行きます 歓びの経験から来るものが 脳を覆います すると脳はもはや それを否定できません あなたはお母さんの愛を 知っています でも説明できません あなたのハートから来ます “お母さんはそのようなことはしない 良く知っている” お母さんについての知識は・・・ 生みのお母さんはいいお母さんとは いえないかもしれませんが 愛であり 真実であり すべてを知る神についての知識は あなたの一部になります その時ニルヴァナであると 言えます 特に西洋の人にとって ハートを開くことはとても大切です ハートから始まり 脳からではないからです 人をヴァイブレーションで 判断してはいけません 自分自身を常に判断しなさい シヴァ プージャはより多くの説明と 理解を意味します 他のプージャでは 様々なマントラなどがあるからです しかしこのプージャでは 知識を知ることです それは神です 神を知るということは すばらしいことです 彼女がマハマヤであれ何であれ “私は彼女を知っている”ということです 一冊の本でも100冊の本でも 説明できません 言葉では説明できません 神を分かることです つまりそれが神です 全能なる神です そしてそれがあなたに 素晴らしいサレンダーを与えます そこは愛の大海において 完全な安心感をあなたに感じさせます その状態を皆が 得られることを願います 神の祝福がありますように […]

Christmas Puja (India)

Christmas Puja (English/Hindi). Ganipatipule (India), 25 December 1990.
今日私たちは キリストの誕生を祝う機会に 恵まれました 彼は馬小屋で生まれました これら全ては あらかじめ計画されていました 大変困難な状況の中 馬小屋で生まれ 裕福な生まれであろうと 貧しい生まれであろうと どんなに困難な状況でも あなたの内に神聖があれば それ自身で輝くということを示しました キリスト教は誤った 逸脱した道を行き キリストの意味を 決して理解しませんでした 無原罪懐胎は彼らにとって ありえないことです ほとんどの者が 神話だと考えています しかしインドでは ガウリが 自らのヴァイブレーションから シュリ ガネーシャを創りました そしてムラダーラの神格と なったと信じられています 受け入れています しかし西洋では 決して受け入れません メンタルな部分が発達しすぎていて それが支配しているからです 恐らくインド人のように 全てを超越する神がいると理解できるほど 成長していないのでしょう 神の概念も メンタルな捉え方です キリスト教のあり方も 正しく導くものではありませんでした 行き詰れば “これは神秘だ”と言います しかし インド人にとって 理解するのは容易いです “神にとって何でも可能である 結局は神だから” “全能だから” スピリットにおける知識より 遥かに低いこのメンタルに留まる姿勢は 平凡で取るに足らない 表面的な知識にあなたを留め 神の偉大さを受け入れさせません 私には祖母がいました 父の叔母です 神に会いに行こうとする者の すばらしい話をしてくれたものです もちろんインドでは 誰でも理解できます どうやって神に会いに行くのか とは誰も言いません 会いに行く途中 道端で 神の賛美を歌う男性に会います “神に会いに行くのかい” と尋ねられ “そうです 何か伝言はありますか” “大丈夫だけど” “食べ物がなくなってきたので 何かいただければと伝えてくれるかい” “それでいいのですね” “神に全てしてもらっているけど 一応伝えてね” 旅を続けると逆立ちや ポーズをしている男性に会いました 彼は“全て試した” “神にいつお目見えできるか 姿を拝見したい” “伝えましょう” 神の下へ行き 仕事を終えると 神は尋ねました “何か伝えることはありますか” “特にありませんが 全てを試した男性に会い” “お目見えしたいと 言っていました” “逆立ちし ポーズをし 教会やモスクで祈りも捧げています” いつ会いにきてくれるか と言ってました 神は“もう少し続けるように と伝えなさい” “簡単ではありません” “サハジャ ヨガが来たら 会えるでしょう” 男はさらに続けました “もう一人会いました 彼は歌いながら楽しんでいました” “食べ物がなくなりそうです と言っていました” “そうなのですか” と神はすぐさま答え “早く行って世話してあげなさい” ”すでに手配しました” “では大丈夫ですね” 彼は理解できませんでした 様々なことをしている男性には 待ちなさいと言い ただ神の歌を歌い 何もしていない男性には なぜ感銘を受けているのか 神は彼が幻にいると 気づき 言いました “戻って二人に 次のことを伝えなさい” “神のところへ行くと 針の穴にラクダを 通しているのを見た と” “本当に言うべきですか” “そのように伝え 反応を見なさい” そして戻って 最初の男性に会い伝えました “神はサハジャ ヨガが来るまで 続けなさいと言っていました” “いつサハジャ ヨガは来るのか” “でも神はいつか来るのだな サハジャ ヨガが来てほしい” 大変落ち込んでいました 彼は“神に会って何を 見たか”と尋ねました “針の穴にラクダを 通していたのを見ました” “できるはずがない” “針の穴にラクダを通すなんて” “大きさをみれば分かることだ 通れないに決まってる” “作り話だ 神に会ったから 自慢しているだけだ” “この馬鹿げた話は信じられん 騙そうとしても無駄だ” 次の男性に会うと 道でおいしそうに食べていました “あなたが着く前に 神が手配してくれたよ” “神は常に面倒を見てくれている そこで何を見たの?” “驚くべきことに全能なる神は 針の穴にラクダを通していましたよ” “驚くこと? 彼は神だよ!” “君も彼は神だと知っているでしょ? 彼は何でもできるんだ” そこで彼は理解しました 神が全能だと 理解しているなら マハラシュトゥラにヒマラヤを動かせる という意味ではありません 全能というのは 最も精妙なことができるということで 人間の頭脳 メンタルな部分で 理解できないことができます 人間が考える 概念を超えるものです これが神なのです 神が人間を創造しました 人間を超越しているはずです 陶芸家が壺を創ったのであれば 壺を超えています 壺は陶芸家を 創ることはできません 壺は陶芸家によって 創られているので 壺より遥かに 力があるはずです しかし これは 信じられないことです 人間の概念を超えています この すばらしいコンピューターを 創造した神の偉大さは理解できません 人は全て 当然のように捉えます 人はわずかな粘土も 創れません 何も創ることができません 石があれば どこかに置くことはできます 粘土があれば 家を建てることはできます 物から物は生み出せます 蝋燭を創れますか バダを燃やす蝋燭です 自分の目で見えるように バダは私の写真の前で 燃えます あなたにできますか 複雑で繊細な機械が いかに作用しているか 人は理解できません 繊細かつダイナミックで 爆発する機械です いかに人間を創り 宇宙を創り これらの美しい 花や木を創ったことか 星をごらんなさい こんなにあります その中から この母なる地球を選びました 人間を創りました いかに創ったことか 自分の息子を送りこむなら どんな方法でもできます これに対して 挑戦することすら 精神が泥の中に 浸かっています ですから いかにガウリから シュリ ガネーシャが生まれたかは 真の聖人のみが 教えられます しかし それを信じるには・・・ まずサハジャ ヨガに来ると 奇跡を見始めます 奇跡が起こると理解できます 起こるべき奇跡があるなら いずれにせよ起こります 何もせずとも起こります それを疑いません 一度疑い始めると 泥の中に埋もれ 人間と同じになります あなたは開花した 蓮の花のようです 根は下にありますが あなたはもう蓮の花です 蓮の花にマハラクシュミの 原理が生まれます マハラクシュミの原理は シタジとして ラーダとして メアリ(聖母マリア)として 地上に来た者です マハラクシュミは海から 生まれたと言われています メアリの意味は何でしょう マリとは海です 彼女は海から生まれました 彼女自身で子どもを創れます 問題はありません 何でも可能です つまり 超えないといけません キリスト教徒は キリスト教を超えないといけません ガネーシャの原理の 化身であるキリストは 大変偉大であると 理解しないといけません ガネーシャがマハヴィシュヌになったことは 大きなことで 理解すべきことです ガネーシャはシヴァの息子です シュリ ガネーシャは 他の何よりもまず始めに 創られました 彼がオムカラだからです オムカラはアディ シャクティが シヴァから分離したことで始まります その音 “タンカル” と呼ばれています そこからオムカラが始まり 彼がオムカラを体現する者です ですからこの音が シュリ ガネーシャの力です それがまず始めに 創られました 神聖を創るためです この神聖が創られたとき 海に様々なものが 創られました そしてキリストとして化身しました マハヴィシュヌとしてです シヴァの息子としてではなく マハヴィシュヌとしてです ヴィシュヌとは誰でしょう シュリ ガネーシャの伯父です 彼の母の兄弟は シュリ ヴィシュヌです 彼はマハヴィシュヌによって 育てられました マハラクシュミは シュリ ガネーシャの原理を用います クンダリーニのチャートではシュリ ガネーシャ が左側イダ ナディと繋がっていて クンダリーニが その上をいくことが分かります つまり彼が その部分を超えます 彼が救世主として来るなら マハラクシュミの息子として 来ないといけませんでした マハラクシュミが彼を キリストとして産まないといけません そしてマハヴィシュヌになりました 神々や女神の家族においては 何でも可能です 彼らは神だからです いかにその領域で これらのことが起こっているか 人間の理解を超えます あなたは 涼しい風として感じられます そして新しいことが あなたに起こっています 神や女神の関係において 不純なことは一切ありません 彼らにおいて 人間的なものは全くありません 彼らは 全てが神聖で純粋です 一度これを理解すると なぜシュリ ガネーシャが マハラクシュミの息子になって キリストとして生まれたか 分かります アギヤに来なければ ならなかったからです 救済としてです ガネーシャとしては 救済はしません 純粋のため 神聖のため 叡智のため そしてまたネガティビティを 破壊するために彼がいるからです しかし彼は 化身しなければいけませんでした 唯一 ガネーシャが この収縮されたチャクラ アギヤ チャクラに 来ることができます ではなぜ収縮されるのでしょう 今日は話しませんが 科学的なことです 収縮されるべきもので さらに収縮されます このアギヤ チャクラは 考えれば考えるほど より左や右に傾き このようになります ですから この大変精妙な領域に 化身できるのはキリストだけです なぜなら彼は精妙の中で 最も精妙な者だからです 原子より精妙です シンメトリックや反シンメトリックな 動きをするヴァイブレーションは 原子よりさらに精妙です そしてこれはより精妙です ですから この収縮した領域において唯一 純真以外何者でもない キリストのような人格が来れます 彼には純真以外の 要素はありません 他の化身には 全ての5つの要素がありますが 彼は純粋なヴァイブレーション 以外の何者でもありません それ故 彼は水面を 歩くことができました 彼の身体には 物質が存在しなかったからです チャイタンニャ以外の 要素はありません オムカラがガネーシャになります 彼女の身体から出てきた チャイタンニャだけです ガネーシャの段階において チャイタンニャはその形に留まりましたが キリストの段階では ありませんでした 後に彼の死や復活といった ドラマが起こりました 彼が私たちの救済に 責任ある者だからです 彼は門だからです 彼は道です ガネーシャだからです オムカラが道です そして彼は門です しかし 彼が最終目的ではありません 彼のお母さんが最終目的です マハラクシュミでもありません マハカリ マハサラスワティでもなく あなたが到達すべき 最終目的はアディ シャクティです これらは聖書に 決して語られていません 彼がほとんど4年しか 公の場に出ていないからです 当時の者は そのことを触れたくありませんでした 知らなかったし 神聖なもの すべてにおいて抑圧があったからです 社会は営利化した制度でした インドにも営利化した 制度がみられます しかしインドにおける唯一の利点は 宗教が組織化していないことです しかし彼らはキリストや 彼の原理を組織化しました 今は彼を 良い人間だと思っています なんということでしょう 今日私たちは オムカラの誕生を祝います 大変大きなことです あなたに理解できるでしょうか 全てに動き・・・ 原子や分子 組織化する化学 周期律や引力 動く全てがこのオムカラです そしてあなたのヴァイブレーションは オムカラ以外の何ものでもありません 実際私の写真において ヴァイブレーションはオムカラとしてきます 人間の頭上には オムカラが描かれています これらの光がオムカラのように 見えるのはなぜでしょうか なぜサハジャ ヨギの頭上に オムカラがあるのでしょう アラビア語でアラーです 私の名前も アラビア語ではそうです これは誰がしているのでしょう 全て彼がしています オムカラ自身が形を採り アディ シャクティについて あなたに納得させます 彼がこれらの力を操ります 彼は写真には入りません トリックをします 写真は 光を通して写されます 光が直線に射すからです しかし彼が望めば 光の道を曲げることができます 他のものに変えることができます 好きにできます そしてあなたを納得させます 彼が言うには “私に対して何であれ我慢できますが” “聖霊に対してはできません” そしてこの聖霊とは アディ シャクティです あなたは彼なしに サハスララに到達できません 全ての戯れにおいて 彼はストゥラダーラです 彼は指揮者です 操り人形の紐を動かす者です プージャをする度に シュリ ガネーシャに祈ることは大切です そのようにして私たちは 主イエス キリストにも祈っています 私たちは彼の吉兆さ 助けなしに サハジャ ヨガをすることはできません 彼は管理人です 私はここに座っています そして彼が管理人です 管理人なしに 私は何をどう話すでしょう 何も起こりません 彼は大変有能です 全てを作用させ 全てを為します […]

Birthday Puja, Sincerity Curzon Hall, Sydney (Australia)

Puja for the 67° Birthday, Sydney (Australia), 21 March 1990.
世界中の 何という熱意でしょう シドニーにある花全てが 買い占められたようです すばらしい言葉やカード 手紙 美しい詩をもらいました 子どもたちも 美しく歌っています 誠実な幸福の 気持ちに対して 歓びの気持ちを表す 言葉がありません あなたには 世話をしてくれる 気にかけてくれる 叡智であなたを変えてくれる お母さんが必要でした ですから 誕生日が来るたびに サハジャ ヨギは より寛大になり もはや一滴ではなく大海の一部である と気付いていると感じます その大海はあなた方を強め 世話しています あなた方を養います そしてその大海によって 導かれます ですから一滴と大海のつながりは 完全に確立されなければいけません 一滴の限界は 大海の偉大さによって 完全になくならなければいけません 配慮と優しい言葉で コレクティブの深さを 向上させることができます コレクティブになりたいという 誠実な望みでもってできます コレクティブになりたいという望みは 大変誠実でないといけません するとあなた自身に 広がりがでてきます まず必要なのは 自分に対する誠実さです 一滴の状態から つまり小さな限界を持つ 一滴から来ているので 何度も限界に 突き当たりますが 自身のヴィジョンを 見なければいけません 将来あなたは どうなっていたいか コレクティブになりたいと思う 誠実さは 全ての障害を取り除きます どんな目的に対しても誠実であれば 時間も労力も全て忘れます 小さなことでさえ 得ようと望みます ではこの誠実さは どこから来るのでしょう 2つの事によって 誠実さは作用します まずサハジャ ヨガとは何か あなたに何をもたらしたかを 自分自身で見なければいけません リアリゼーションを与えました より広いヴィジョンを与えました 集合的意識や 思考を超えた 疑いを超えた 意識状態を与えました 卵から鳥になるように 新しい人格を与えました あなたは鶏になりました 殻に戻ることはできません 一度サハジャ ヨガが あなたのために何をしたか気づけば そしてまたあなたが 何を得たかを気付けば・・・ あなたは長年内密だった クンダリーニの知識を得ました 完全に内密で 誰も知りませんでした クンダリーニについての知識を 大学やいかなる学びの場で 学ぶことなしに得ました 実験室に行くことなく 経験しました 理解しました クンダリーニの 上昇を見ました 人にリアリゼーションを与えました 聖霊の涼しい風を経験しただけでなく 自分自身の力も体験しました また 物事を理解する ための知識は 以前と比べると 大変変わりました あなたの知識は 大変豊かになり クンダリーニを上げる権利を 与えられています 以前は偉大な聖人でさえ 偉大な預言者や聖者でさえ できませんでした ほんの少数の者しか クンダリーニを上げれませんでした それを得ています チャクラを理解し 診断できます 子どもでもできます あなたが気付いていない すばらしさです 人間の段階では それについて クンダリーニという言葉さえ 知りませんでした しかしあなたは短い時間で その知識に精通しました サハジャ ヨガの恩恵です 豊かな知識や アテンションの光の作用をみると たくさんの恩恵に満ちていて 自動的で 何もすることなく結果を得ていて 驚きます どうやって起こるか どう作用するか理解できません “突然そこでこれが起きた” どうやってでしょう この大海はどの瞬間も 細部に渡って作用します これら全ての事柄が示す あなたはもはや普通の人間でなく 聖人であるという事実に 目を開かなければいけません 私達の姿勢が 変わらないといけません 多くの人間は未だ動物です 互いを殺したり 振る舞い方を見れば 人間ですらありません そのような者と 共に住んでいます 彼らは犯罪者で それだけでなく 彼らの中には 大変低いレベルの文化があります 動物とも呼べます 半分人間で 半分動物の者もいれば 完全に人間で 真実の探究者である者もいます サハジャ ヨガで 得たものへの理解から 自分が何者であるかを 悟るべきです 全て私達に 自然に起こったことであれば それに対して 大変誠実であるべきです 私達が得たものはすばらしいものだと 感じなければいけません ですから私達は 誠実でなければいけません メンタルにも 感じないといけません これはとても重要で 価値のあることだと メンタルにも まず第一に感じることです それに対してあなたは 大変誠実になります 次の段階では 見て 知ったことに対して 心を開き始めます 次の段階として あなたはハートを開かないといけません つまり誠実さは ハートからきます ハートが開いていなければ 誠実にはなれません 心が開いていないとは どういうことでしょう あなたは再び生まれ リアリゼーションを得ました ある意味 あなたの誕生日です あなたの知識と 理解の成長において あなたは今まで自分のハートと 歩調を合わせていませんでした 何があなたのハートを そのようにさせるのでしょう ハートが身体や脳を支配していることは 容易に分かります ハートが止まれば 全て停止するからです 脳が止まっても 心臓は止まりません ですからハートが最も大切で あなたの中で全てを支配しています 大変繊細で循環する この特別な器官が石のようなら どのように鼓動できるでしょう ですから “心を広げる”という時 石のような固いハートが 溶けないといけません なぜ石のようになるのでしょう 私達はそのルーツに いかないといけません ハートが脳をコントロールしているので 石のようになります 脳に七つのオーラがあるように ハートにも七つのオーラがあります そしてこれらのオーラ全てが 脳のオーラをコントロールしています 脳にはエゴとコンディショニングの 2つがあります それらが脳を抑えつけます 結果として 脳のオーラは抑えつけられます ですからハートを取り巻く オーラも抑えつけられます しかし脳は考えることができます “これは大変いいです どうクンダリーニを上げるか知っています” 考えることができるので 石のようにはなりません どんなにハートが石のようでも 脳は考えることができます ヒットラーのようにです ですから脳は コンディショニングやエゴによって 石になったり 考えられなくなったりはしません 大きなエゴがあれば その者は 愚かになるかもしれません しかし考えます 本当に愚かになります エゴイストは アギヤが キャッチしている者は愚か者になります 確かです その者の態度や話し方 行動にみてとれます 自慢したがります 大変愚かになります 賢い者は その愚かさに気づきます 頭がスーパーエゴで 覆われていても 脳は固い石の ようにはなりません 代わりに その者を大変愚かにします そのような者は 永遠と話し続けます 人はすぐさま その者の愚かさに気づきます コンディショニングは さらにひどいです 大変陰険です コンディショニングが強い者は 表だってそれを出さないからです 自慢しません しかし 悪賢く サハジャでない考えで 頭がいっぱいです プージャで私が手を洗った水を とっておくのを見るとします すると“なぜとっておくのか” お母さんの手を洗ったものです 別の者が“マザーの手には 強いヴァイブレーションがあり” “そこにヴァイブレーションが 浸透します” その者は 信じられませんでした コンディショニングが強く 汚れだけが出ると思うのです ヴァイブレーションのことを 考えられないのです そのようなコンディショニングが 人の頭にはあります コンディショニングがあるために ハートで理解できません その者は悪賢い考えをしたり 嘘を言ったり ナンセンスなことを言ったりして まともであると納得させようとします その者達は愚かではなく 馬鹿なのです 馬鹿な者のように話します 馬鹿なことを受け入れます 叡智がありません 一方は愚か者で もう一方は馬鹿です 間にサハジャ ヨギがいます コンディショニングは 頭を歪めますが 石にはしません 精神錯乱を持って 生まれた者であれば 考えることができず 石のようになります 普通の脳は考え続けます コンディショニングかエゴでもって 考え続けます 脳によってハートに 影響を及ぼすべきではありません ハートが脳に 影響を与えるものです ハートから出ているオーラは 鈍くなったり 消えたりします ハートのオーラは大変敏感で “脳に光を与えても仕方がない” と感じます するとオーラは どんどん小さくなります そしてハートが小さくなります そこに居続ける意味が なくなるので小さくなります 結果として ハートが小さくなります “心が狭い人” “臆病者” とも言いますが そのような者を “石のようなハート”と言います コンディショニングやエゴがあるため これが起こります その結果はハートが 石のようになることで感じられます ハートは敏感で 脳は敏感ではないからです 柔らかいものを茹でるなら 固くなりますが 石を茹でても 固さは変わりません 敏感で繊細なハートは 石のようになります 脳波の熱で茹でるようです 大変固い石になります 一言も優しい言葉は 出てきません 常に人を攻撃し 言うべきでないことを言ったり “人を傷つけるために何を言おう” と考えます 悪賢いので“人をおとしめるには どうしたらいいか”と考えます またハートはエゴで凍ります そしてハートは考えます 脳にオーラを 放つことができなくなります 脳は“ハートはコントロールする力がない” と考えます するとハートも “私は私ですべての仕事をします” ハートは小さく 石のようになり 作用しません そして脳が支配権を得ます 脳は理解が及ばないことを し始めます 動物のうように 悪魔のように振る舞います 大変残忍になり 人にどう優しい言葉をかけていいか 分からなくなります 間違ったプライドを持ち 他者を傷つけたりします 同類が現れて 共に破滅するまで互いを軽蔑し合います それが全てにおける 問題点ですが そうでなければ 全滅しているでしょう エゴが強い二人は一緒にいれないので 互いを無力化するからです おかげで 彼らから救われています ですから脳にある これらの二つの状況が ハートを凍らせ ハートの領域をなくし 脳がそれ自体で 主張し始めます それ故 どう人に優しくしていいか どう助けていいか どう人を安心させ 守っていいか分かりません これら全ては受け継いでいます あなたがサハジャ ヨガに来た時は 石のようなハートで 脳はエゴかスーパーエゴで いっぱいでした しかし クンダリーニの上昇は 頭を一掃します クンダリーニが動いて ハートの座である ブランマ ランドゥラに触れると 誠実さがでてきます すると王が戻ってくるように ハートが戻り 脳を支配し始めます ハートが戻ると 怒りを感じていた人や話したくない人や 関係ない人に対し 親切になります 人は様々なやり方で あなたを傷つけました すべての危害や 全てがただ消えます そして 大変優しく すばらしくなります クンダリーニがハートの座である ブランマ ランドゥラに触れたということです それが開き始めるや否や ハートも開き “脳に支配されるなんて” と目が覚めます 人が突如変わるのを見ると 驚くでしょう アメリカにある男性がいました “マザー リアリゼーションの後” “あまりに変わって 大変穏和になりました” “伯父や誰に対しても 幸運を祝ったことがありませんでしたが” “伯父さん こんにちは” 伯父は彼を見て “大丈夫かい” そんな風に声を かけたことがありませんでした “伯父さん 何かできることはありませんか” と素敵な言葉をかけました 伯父は “酔っ払っているのか” “なぜそんな優しい言葉をかけるのか 信じられない” このように起こります 簡単に抜け落ちると 理解すべきです それらを身につけたからです 身につけたので なくせます それらによって 煩わされることはありません 一度ハートが目覚めれば エゴとスーパーエゴを 立ち退かせることができます ですから人と接する時 良いコミュニケーションをとることで 氷を壊さないといけません 自分自身に言い聞かせます “この者は そんなに悪い人ではない” “まともかもしれない” 誰かを悪く決めつけるのは 簡単です 一度そう思い始めると 自分の周りに要塞をつくり 自分が最高で 周りは良くないと考えます そしてこの考えは 地域や社会 人類全てに害を及ぼします サハジャ ヨガはそれを直す 唯一の方法です サハジャ ヨガがこれらを終わらせる 唯一の方法です あなた達によって なされなければいけません クンダリーニを上げて ブランマ ランドゥラを開くことです そして人はこれによって 誠実さが戻ると理解できます あなたのハートは上昇します 覚醒された人格になり 常に狂ったように考える脳を 支配できます これが一度起こると 疑いのない意識状態に 飛び込んだことに気付くでしょう 2つの関係は 理解されていないといけません まずハートの支配が ハートの王国が挑戦されて力を失うと 脳が王になり 私達を支配し始めます “私はこう考える” “私はこう感じる”と 脳が エゴが言います “私はこう考える” “私はこうしたい” と言うことを断念すれば 全てうまくいきます 代わりにこの身体が それを望んでいると言うべきです 自分から切り離します “私がこうしたい”と言わないことで 自分と切り離し始めます “この身体が この手が この頭が” と言うべきです 切り離します 一度切り離すとエゴやスーパーエゴの 障害が消えるでしょう またこの2つを取り除くのは 容易いです クンダリーニを上げて ブランマ ランドゥラを貫くことによってだけです これはあなたが得た 最高のことです ブランマ ランドゥラを貫き クンダリーニが包括的な力と繋がるだけです ですから瞑想しなさいと言います そうすればうまく作用します 外側のことにあまり 注意をおいてはいけません もちろんある意味 あなたは サハジャ ヨガに責任があります それに対して誠実だからです 自分を強制できません ですから何度も言います 自分の誠実さを計りなさい “いかにサハジャ ヨガに 誠実であるか” ある者は軽率にも “マザー 私は馬鹿でした 混乱していました” そのように言えないはずです あなたはサハジャ ヨガに 恩義があるからです あなたの人生が 新しくなりました “混乱していました 馬鹿でした” などとは言えません 自分にはできないと 言うのですか お母さんは誠実さに 働きかけてきました それに対して 不誠実ではいられません 偽善者ではいたくありません 感謝の気持ちや 自尊心があるなら “混乱していました 馬鹿でした” とは決して言うべきではありません 自分が冴えない者だと 言っているようなものです サハジャ ヨガや自分自身に対して 全く感謝の気持ちがありません サハジャ ヨガはあなたを 必要としているわけではありません あなたがサハジャ ヨガを 必要としています サハジャ ヨガ自体 完全体です 完璧です そのままであり続けます それ自体の位置づけ 重要性 威厳があり 完全です それから何かを得ようとするなら あなたが作用させなければいけません ガンジス川から 水を汲むなら 必要な深さの 水差しが必要です 石を持って行っても 汲めません ガンジス川は流れ続けます それ自体の容量で あり続けます 石を持っていっても 変わりません クンダリーニを 出来る限り上げることが大切です 常にクンダリーニに 注意をおきなさい 問題がどこか見て 完全に取り除きなさい 問題がどこかを探り 何回もクンダリーニを上げ 大脳辺縁系に 流れているのを感じなさい そうすることで ハートが開きます ある意味 機械的なプロセスと言えます しかし それさえしません していたら ハートが大きいはずです “私のハートがアジアのように 大きくなった”と言うでしょう ハートの奇跡を見るでしょう あなたは ヴァイブレーションを放ち それによって慈悲深く ダイナミックになります サハジャ ヨガに 誠実になります 今日のプージャで 心を開くようお願いします あなた方は歓喜に満ちています 心を開いたからに違いありません 私に対して大きなハートを持っている ためですが 自分に対してではありません 私のために何でもしますが 自分のためには何もしません ホールを飾るために 朝から晩まで働きます これらの花を 私のために揃えました “自分の為に瞑想しなさい” というとしません “自分のためにこれを習得しなさい” というとしません そういう状況です これらを飾ることで力を無駄にせず 自分自身を飾るべきです 誠実さでもって ハートを大きく保てると 自分の想像や知性や良識を使うことが できると信じることによってです これが世界中への 今日の誕生日のメッセージです 全世界が一つの脈動する 大きなハートのように感じたからです 電話を取ってからここに来ました 電話がかかったり お花が届いたり すばらしい言葉が送られました それに浸っています あまりにもすばらしいです 子どもや女性 男性から 心温まるものをいただき いかに彼らが私の誕生日に対して 歓びに満ちているかをみると驚きます 同じように毎日が あなたの誕生日だと考えてください 常にクンダリーニを 上げておかなければいけません クンダリーニの基準を より高く保ちなさい ハートが開けば開く程 クンダリーニの糸が上がって あなたのハートはより開きます 目覚めます より力強くなります 開いた 大きな 力強いハートで おかしな考えを与える脳を 支配できます 今年そうなることを願います 大きなハートが持てるように 努力してほしいです 大きなハートとは 愚かさではありません 私を入れられるハートのことです 私はかなり大きな人です 私が内在できるほどの 大きなハートを持たないといけません 大きなハートです それを持つべきです これが起これば 全てがうまく作用するでしょう どのようにサレンダーすればよいか 知らなければいけません サレンダーできない部分をどう保つか 知らなければいけません サレンダーは あなたのハートを 完全に開くことでするからです 私をハートにおきなさい そして自分自身を 完全にコントロールできたときに贈る 私への花を持っていなさい 持っている花のように あなたの感情や気持ちを持ちます それはあなたの ハートの大海の一部です 一度準備ができれば 全て整います もし家の準備ができていれば 花を 感情を 美しいものを 持ってきて それらを大切にします 他者にかける優しい言葉 についての本があるべきです そのような本を探すべきです あるいはどう優しく言えるか いかに他の者の面倒を見れるか どうすれば愛を感じてもらえるか の本を書くべきです そのような本は 人に素敵な 言葉をかける手助けになります 何か優しい言葉をかけると その優しさは戻ってきます まるでさざ波が浜辺に触れ 嬉しく感じるのと同じです 優しい 心地よい ありがたく感じられる 言葉を言い続けなさい 誠実さから言うなら 表面的に良いからといって 適当な言葉を言うのではなく 心から言うなら 相手のハートが開き 感情の美しい花が あなたに流れるでしょう 一方で自分のハートを 開かないといけません そしてもう一方で 美しい繊細な気持ちを あらゆるところから吸収して取り入れ 適切な時に それを他へと注ぐのです それは芸術です この花も庭で育てられ 適切な時にここに運ばれました 花は適切な時に使われて 光栄に感じています 私達のハートも そうでないといけません 人間は大変繊細だからです 大変美しいものです 美しくさせるには 美しいことを言わないといけません この口は乱暴なことを 言うためにはありません 他の者にもその美しさが出てくるような 美しいことを言うためにあります すばらしい言葉は 私の心に残ります “このような言葉を 人に言える機会がいつ訪れるだろう” “これはすばらしい言葉だ 優しい言葉だった” “ではどこでこの言葉を使おう” と思います 店に行って 何か良いものを見つけると “あの人が喜ぶだろう では買おう” と思います 同じように 素晴らしい気持ちや 素晴らしい感情に触れたら 素敵な言葉を言われたら あなたはどうしますか それを集めます 心に留め 適切な時に 適切な場所で使います これはシュリ ガネーシャの叡智です 純真な者は 最も誠実な者です 狡猾な者は 誠実にはなれません 彼らは狡猾さを 楽しんでいるからです 素朴な者 愛深い者 何よりも愛を大切にする者が 素晴らしい言葉を 誠実に言うことができます 今日はオーストラリアでの この誕生日が どんなにすばらしかったか お話ししたかったのですが 言葉がありません オーストラリアは 大変遠い所にあります たくさんの人がここに来て “アガタ スワガタ”を歌っていることは 信じれられません お金をあげたわけでも 受け取ったわけでもありません そのようなことを 言ったこともありません 歌っているだけでなく 楽しんでいます 素晴らしいことです あなた方は楽しんでいます ハートが大きければ 他者のために何をするにせよ楽しめます 素晴らしいことをしたり 言ったりすることを楽しみます ですから 美しい言葉の精選された 花を持つべきです 互いに表現できる 精選された気持ちを持つベきです 今日から始めなさい 常に お互い美しい言葉を かけあわないといけません 耳を澄まし 目を開き 機会あるごとに すばらしい言葉を聞いたなら 心に留め 使うようにしなさい 大変 遠く離れた オーストラリアに こんなにたくさんのヨギがいると 思うだけで感激です サハジャ ヨガに対して誠実であることは あなたの責任です 誠実さでもって 全てをすれば 以前耳にしたような おかしな口論は起きないでしょう “私達はマザーを愛していて” “お互いを愛し 常に素敵なことを 互いに言うことで愛が増す” と考えるようにしなさい 悪く言うことは 人のハートを壊すようなことを 言うことは罪深いです 聖人のハートを壊すことはひどい罪で 罰せられるでしょう あなた方は皆聖人です お互い尊重しないといけません それだけでなく 自分の誠実さを楽しまないといけません それ故 誠実さを 楽しみなさいと言います 頭によぎる 愚かな考えをなくしなさい 口論を耳にすると これは何かと思いました 彼らはサハジャ ヨギなのか それとも普通の人なのか あれこれ起きたり 子どもたちについてもです インドに送りなさいと 言い続けています あなたは 自己中心的でした まともに育ちません インドに送りなさい ハートが開きます 全世界が あなたの家族だからです 世界のどこへ行こうと あなたを愛する人や 何でもしてくれる人に会えるでしょう あなたに会うのを心待ちにしている人が どこにでもいると分かります このミュージシャン達は シンガポールに行きます どこに泊まるでしょう 色々計画を立てます 突然 私はバンダンをしました すると電話がきました バラが言うには “私のお母さんが世話をします” いかなる問題も解決できます あなたが誠実だからです 不誠実であるなら 不誠実な人だけに出会い 概算通りに 人を評価したようになるでしょう サハジャ ヨガに 不誠実な人の居場所はありません 誠実さを育てなさい 何度もクンダリーニをあげなさい サハスララに留めなさい そしてハートが 開いているかみなさい “どうハートを開くか”尋ねるでしょう “鍵を取りなさい”としか言えません “心を開く”とは クンダリーニを上げ ブランマ ランドゥラに留め ブランマ ランドゥラが開いているか見ることです ハートが開いたら 人に優しくすることで どう感じるかを見なさい あまり話さない 人に会わない者がいます そのような者はなんらかの憑きものが 頭に取り憑いているようです そうでなければ サハジャ ヨギにとって不自然です 今日たくさんのことを お話しました 気遣い 愛情 叡智 忍耐が 備わるべきだからです 私があなたのグルなら お母さんなら これらの資質を備えるべきです 私は全てにおいて心配します 誰かに問題があれば心配します 問題を解決しようとします 問題が解決するまで 私は気にかけます そして子どもや妻 夫について “正した方が良い”と率直に話します あなたを気にかけているからです これがサハジャ ヨギに対する サハジャ ヨガに対する態度であるべきです これがあなたを大変強くします あなたが気にかけるので 他の者も気にかけるからです 多くが私のようなインド人を こんなにも気にかけています なぜ私を気にかけるでしょう あなた方はサハジャ ヨギですが そうでない人も大勢います 子どもの頃から 知っている人達や家族も 皆が気にかけます 私が気にかけているからです 心配するからです 私に問題を打ち明ける者がいれば 解決するまで頭から離れません 問題を解決できないかと 見ようとします 自分の問題は 全くありません あなたも自分の問題を 持つべきではありません そうすれば うまく対処できます いいですね 神の祝福がありますように 来年の誕生日は インドに来てくれることを望みます ツアーを考えています 恐らくうまくいくでしょう もっと安くで来れればと思います 多くのことを気にかけないといけません うまくいくでしょう […]

Paramchaitanya Puja Taufkirchen (Germany)

Paramchaitanya Puja. Taufkirchen (Germany), 19 July 1989.
質問を受けました “今日は何のプージャを するのですか” 秘密にしていました 今日は パラマチャイタンニャを 包括的な神の愛の力を 崇拝します 私たちは パラマチャイタンニャが すべてをしていると気づいています せめて頭では アディ シャクティの力である パラマチャイタンニャの恩恵によって すべてがワークアウトされている と分かっています しかし ハートにおいて 私たちの意識において 明瞭ではありません パラマチャイタンニャは 大海に例えることができます それ自身で すべてを含有する大海です すべてが すべての働きが それ自身の限界の内にあります ですから 他とは比較できません 太陽は 陽光は太陽から出て 作用します 例えば権力がある者は その力を外に 誇示しないといけません 彼自身の中で 表すものではありません 種も 種の中から 木が育ち 実となります そしてそれが売られ 人は食べます すべて種の中にあります それがパラマチャイタンニャです ですから私たちは その中に包まれています 私たちはその波だけを見ます 波にいるので 切り離されたように見えます 私たちが “これはドイツ”だとか “これはイギリス”“これはインド”だと 感じるようにです これらはパラマチャイタンニャの サリーのひだにすぎません 切り離されているように 見えても つながっています そのつながりは 完全です ここから一本の糸を引き抜くと 全体から抜かれます 同じように このパラマチャイタンニャは それ自体の中で 働きます それ以外ではありません ですからあなたが サハジャ ヨギなら 特別な注意が注がれます あなたと完全に一つになると 言えるでしょう あなたが望むものは 欲するものは 同じパラマチャイタンニャ から来ます それと一つであるなら 例えば 荒れ狂う大海で いくつかの滴が 空中に飛び出たとします そして “私たちは超越している” “世俗から離れた 大海から離れた” と考えたとしても 再び同じところに 落ちないといけません ですから この形のないエネルギーには すべての知性 協調 組織 コンピューターやテレビなどの 考えうる コミュニケーションのすべてが 統治する 管理するすべてが 備わっていて 何よりも愛なのです 神の愛です あなたのお母さんの愛です ですからパラマチャイタンニャと 一つになろうとするなら あなたがリアリティにならないと いけないと知るべきです 例えば 私のここに座っている 写真を撮るなら 私の写真から生きたヴァイブ レーションが発せられるでしょう 写真ではありますが 他の人の写真では サハジャ ヨガは ワークアウトしません 理由はその者が リアリティになっていないからです 絵画と同じです 降っている雨を描いた 絵を見ても その雨は 花に水をやれません そこにいる者たちの服を 濡らすことはできません 静止画です そこにいる者たちの服を 濡らすことはできません 静止画です なので無知において リアリティのことについて描いた 静止画があります それゆえ人は自分たちですべて ワークアウトできると考えます 仮に誰かが “この絵の雨を本物にします” と言ったとしても 不可能です 好きに色はつけられます 故意に色をつけられても そこにはリアリティの力や 性質はありません 人間は常にリアルでないものを 扱っています そして何かすごいことを していると思い込みます 人はリアルな花を 手にできますし 感じることもできます 本物そっくりに造花を作ることも 絵を描くこともできます しかし自分で一輪の花さえ 創ることはできません リアリティに いないといけません 母なる大地がそれを創ります そして太陽が 母なる大地を助けます なのであなた方 サハジャ ヨギは リアリティにおいて あなたは何もしていない すべてパラマチャイタンニャが していると分からないといけません これがサハジャ ヨギと そうでない者の違いです サハジャ ヨギでない者には 分かりません 仮に分かっているとしても ハートにおいて真実ではありません その者の一部ではありません しかしサハジャ ヨギは リアリティが パラマチャイタンニャで リアリティがすべてをワークアウト していると分かっています そしてこのリアリティは 神聖な愛です 人は愛と行動を 常に切り離します 愛を人に対する 異常な振る舞いと捉えます いかに愛するかの ノウハウはありません それは何の理解なしに 作用します 誰かを愛するとき 人はよく分かっていません 愛していると思っても 明日には“あなたを憎んでいる” と言い始めます それが愛である わけがありません 私たちは自分の子供や 家族や友達を愛します それは全く リアルではありません リアルであるなら 失敗はありません 今日息子のために働いても 息子中心に考えていたとしても 明日彼がどんな態度をとるか 彼にどんな態度をとるか分かりません しかしパラマチャイタンニャは 知っています 愛の表し方を知っています それだけでなく それは永遠の愛の感じです 色合いは変わろうとも 愛における 関心は変わりません 愛の本質は関心です 誰かが間違ったことを するとします 神聖の関心は その者を正すことです 関心を「ヒタ」と言います 善です その者の善のためへの 関心が常にあります 残酷に見えたり 愛深く見えたり わがままにさせている ように見えても 波のように いかなる形をとったとしても どんな方法であったとしても 実際あなたの 善のためなのです あなたの善のために働きます あなたの善のためだけではなく コレクティブの善のためです そして何をすべきかいかに ワークアウトすべきか良く知っています どこかに行って 教わることはありません すべてのノウハウの完全な知識が それ自体の中にあるからです 物凄い知恵 知識 そして愛の宝庫です ですから 逸脱することはありません 一度サハジャ ヨギになると あなたの善のための 関心が常に注がれます 罰せられるとか 罰せられない とかの話ではありません ある者は 仕事を得るかもしれません ある者は仕事を 得ないかもしれません この方法でワークアウトする者も いれば しない者もいます “なぜパラマチャイタンニャは そうするのか”と思っても すべてあなたを正すためです 激しくかき回します あなたを正すためです あなたの善のためです これを理解するなら あなたは人生において 失望はありません それ自体への善には 関心がありません それ自体 完全な 善だからです どうすればそれ自体の助けになるか など決して考えません 煩わされることが ないからです 世俗的なものすべてを 手にした者がいても もっと手にしたいと 考えるかもしれません そこには欲があります しかしそれは完全 プルナなのです 欲がありません それ自体で 完全に満足しています とても強力で 知識を備えているので 全く疑いはありません 誰も傷つけられないので 全く恐れはありません あなたはパラマ チャイタンニャを感じています あなたは 完全に恐れのない 穏やかで歓びに満ちた人生 を与えられているはずです まるでお母さんを見つけた子供が 泣き止むようです 同じようにあなたは パラマチャイタンニャを見つけ つながりを得ました ですから何も 心配することはありません 考えることも 計画を立てることもありません ただそれに 飛び込むだけです ただ飛び込み リアリティの 一部になったと分かるだけです このことを理解するなら 私たちは大きなことを 成し遂げたと思います 私たちはドイツにいます ドイツにはかつて 人類の希望を壊そうとした 者達がいました そのような出来事が あったとしても 多くの者が亡くなった 残酷な出来事でしたが (もちろんまた生まれ変わって いるので問題はありませんが) 全世界が終わるだろうと 思うような問題でした 人は大変心配し この世が終わると思いました でもそれは 起こりませんでした この戦争は 私たちに教訓を与えました 私たちを よりコレクティブにしました お互いを 理解できるようにしました そうでなければ“自分たちはこの国 あの国の者だ”という 無知から抜けられません 差別主義や 国家主義 愛国主義 これらの切り離す力や不和を 起こすことから抜けられません 私たちは 全くもって人間です 人間として扱われるべきです 歴史を見ると どの戦争の後も 知識に対する 世界が一つであるという知識への 迅速な動きがありました まるで コンテナが次々と つながっている宇宙船が スピードを増すごとに 下層部のコンテナが 爆発するようにできているようです 爆発すると上部の宇宙船を 高速させます 速度が増します そのようにして 宇宙へ飛び立ちます 同じように このような残酷な出来事は 自分たちは間違っている リアルでないものの中で 生きているという知識へと導く 爆発のようなものです 今日の問題は 例えば 環境問題や エイズ 麻薬などの 現代の問題や貧困です 目撃者として見るなら これらはかなりショッキングです 大変ショッキングです しかしこれらは私たちのマインドに 衝撃を与えるべき事柄です なぜこのような問題があるのか これらの問題を愚かな指導者は お金で解決できると考えます お金で環境問題から 自分たちを守れると考えます お金があるので 環境を汚染してもかまわない マスクをつければ大丈夫 自分たちを守るために お金を儲けようと考えます なので環境問題があっても かまわないわけです ガスが充満する区域に 入ろうとしているかのようです このような愚かな考えは 人間の尊厳が何か 分からないからです 人間はすべてのものを 超越している 機械や世俗のすべての物質を 超越していると理解しないからです 機械を調和させる 話ではなく 人間が機械に 隷属する話をしています お金が大事だからです もっと儲けて環境問題から 自分たちを守ると主張します ばかげています 人間の尊厳を 理解するのなら 今までしてきたナンセンスなこと すべてを止めるために 人間として大変ポジティブな 賢い方法をとらないといけません 例えば フランスのほとんどの 海岸が汚染されています 海岸で休日を楽しむためにと おかしなことを始めたからです これが結果です 好き勝手にはできません やめなければいけません 人間の頭は 自分の間違いを理解する代わりに “きれいにするために 新しい何かを始めよう”と考えます 間違いを 咎めようとしません 海岸でおかしな快楽に 夢中になります エイズにおいては 驚くことに アメリカでは ロスアンゼルスだけで 70万人が エイズの殉教者だと 自身を讃えています 無意味な人生を達成しようと しているからです 大きな改革さながらです 偉大な革命家のようです 自分たちのエイズ疾患を 支え讃える偉大な者だと 彼ら自身思い込みます このような主張が受け入れられる なんて信じられますか 人々は笑うでしょう すべてが お金儲け主義だからです 宣伝し お金の支援 について話したいのです このようなことが起こったのも お金があれば麻薬がもっとできた のにと言いたいのでしょう お金がないので 盗むのだと 麻薬が そのような人生が 送れるように 彼らにお金をあげないと いけないのです 概して人は 生涯を全くリアルでないものに 生きています 間違いを犯したことに 向き合う時 その間違いをすべきでない と言うとき 人は後ずさりし 別の栄光あるもの 不自然な偽りのものに走って “私たちは偉大だ 殉教者だ” と主張します これをカリ ユガと呼びます 恥ずべき 忌み嫌うべきものすべてが 達成する目的になります 私たちを包括する力こそが サハジャ ヨガをしていると あなたをサハジャ ヨガに 連れてきたと そしてあなたに恩恵を授けていると 理解できると思います パラマチャイタンニャを通して ワークアウトします 今日は私たちが よりそれを意識でき 私たちは パラマチャイタンニャの一部であり それを感じ その力を 使うことができるよう祈るべきです そのように感じることが できるなら すでに沢山のことが 成し遂げられたでしょう それに対して 神の恩恵がありますように このプージャをするとき 私をパラマチャイタンニャとして 崇拝していることを忘れないでください あなたが対象としているのは リアリティ自体であると思ってください その理解であなたは このプージャをしないといけません 神の恩恵がありますように […]

Makar Sankranti/Shri Surya Puja (India)

Makar Sankranti – Shri Surya Puja. India Tour, Bombay (India), 10 January 1988.
これは 大変特別な機会です あなた方に ボンベイで再会できました そして あなた方は国へ帰ります 今日行われるのは 特別な類のプージャです これは 太陽へのプージャです マカール サンクラントゥ と呼ばれています マカールの意味は “南回帰線”です または “やぎ座の回帰線”です 今 太陽が 南回帰線から 北回帰線へ動きます 太陽と関係しているため 常に決まった日にちです 唯一 インドの暦で 毎年同じ日です 太陽によるからです しかし今回は なぜか分かりませんが 今月の15日になっています いつも14日です 今日 変わります 季節が 変わろうとしています 太陽は移動するまで 6か月かかります 南半球へ移動し 温かくします 明日から 北半球へ移動します つまり 今日は最後の日です 今日はインドで もっとも寒い日といえます この後 暑さが増します 夏季に吉兆なことを することができます プージャの後に 吉兆なことを行えます 夏は大変暑いですが 人々は太陽の活動や 温かさを望みます 太陽のおかげで 田畑の作物や果実 全てが育ちます そのため太陽がない6ヶ月間を サンクラントゥと呼びます ある意味災害です ヨーロッパ諸国 例えばイギリスや アメリカでは 太陽がない この時期は災害です ここでさえ そのように思われています サンクラントの終わる日です つまり災害の終わりです 人々は胡麻の入った 甘いものを食べます 胡麻は 熱を与えるからです ですから 今日は最も 寒い日なので胡麻を食べます 熱を蓄えて これからの暑さに 身体を調整します これはある意味 大変グロースなレベルです 十分な温かさを 保たせます またこの時期に 愛の温かさは 表されるべきである と言われています 最も寒い日だからです 人に優しい言葉を かけるという 特別なことをする と言われています より温かい国に住む者は 寒い場所に住む者より優しいです 寒い場所では 自然が厳しいからです 彼らの気質を 非難できません 自然が厳しいからです インドではどこにでも 住むことができます 木の下でも 森でも幸せに暮らせます 飲み水や水浴びできる 場所さえあれば暮らせます 世界で直面しているような 問題はありません 他の国は 外出に 20分かけて着飾ります ここではそのまま家を出て 夏の間 空けっぱなしにできます 自然に関して言うなら 何の問題もありません 夏季の自然は 大変寛大です 木は青々と茂り 人々は大変幸せです 全ての活動が 太陽のエネルギーによって 活発になります しかし 西洋では 太陽があまり出ません そのため人々はより家に留まり 暖房や他の機器に頼ります そして戸口を閉め ハートも閉じてしまいます 他者とのコミュニケーションが 難しくなります 南へ行けば あなたの国もそうですが 人はより温かく 素朴で とても寛容です 太陽のおかげで 人々の心は開き 客を招き入れるような 心になります サハジャ ヨガの 観点から見ると 太陽の経路は 右側です 月は左側です 月の経路において 人は望みを持てますが 行動することはできません 左の経路において 極端になれば破壊的になります 家にいて何もしなければ (今日失業の 問題がありますが) あなたは 考え過ぎてしまいます これは望みの エネルギーの作用であって 行動ではありません 行動なしでは このエネルギーは 大変破壊的になります それ故 “怠惰な心は悪魔の仕事場” という ことわざがあります 人が行動しないとき 行動が起こらないとき 大変破壊的になります ですから温かい国と そうでない国は 状況が違います しかし 温か過ぎる国 例えばアフリカでは 熱がありすぎが 問題のもとになります 赤道が通る地域は 強く熱せられるため 高い木が育ち 密林地帯になります その場所全体が 群葉で覆われ 陽光が届きません そして 暗闇が広がります この極端さは 寒季の極端さと同じです 当然そこは太陽が あまり出ないため 住む者は あまり成長しません 人は原始的であったり 大変攻撃的であったりします 彼らは動物から学ぶため 大変攻撃的になりえます ですから バランスが必要です バランスとは 望みそして 行動することです しかし 問題は 人間の環境にあります 労働の区分にあると 思います 国の中で 考える者と活動する者が 分かれています この状況では 何もうまくいきません スシュムナが作用する バランスが必要です スシュムナの経路は 位置でいう赤道です 赤道というより 母なる地球の軸です 母なる地球の軸は スシュムナです 作用されるべきです 軸はつまり バランスを もたらすものです 実際は 母なる地球の中に 私たちが軸と呼んでいる 大きな柱のようなものはありません 母なる地球の中に 軸と呼ばれる物質的なものはありません しかし それは エネルギーであり 広大な宇宙で 物凄いスピードで 地球を 動かしています それだけでなく 私たちのために昼夜を創ります 昼は働き 夜に寝ることで 私たちにバランスをもたらしています 太陽の周りを回ることで 地球の半分の国々が 夏季に太陽の恩恵に授かります もう半分は 冬季に恩恵を授かります この軸が作用させ 全てに働きかけます またこの軸は 宇宙の他の惑星や衛星から 必要な距離を保たせます この軸は 母なる地球の知性です 知性だけでなく 芳香であり 母なる地球の スシュムナの経路です この軸によって スワヤンブーが出現し 地震などの 現象が起こります この軸は動くものです エネルギーとして 捉えられます 様々な方向へ 溶岩層を動かします 様々な領域にぶつかって 地震を引き起こします また 火山も引き起こします 軸は何をすべきか分かるので このような現象を起こします この軸は 私たちを愛しています この軸は 季節をつくります 季節は 私たちに様々な種類の食べ物や 物を与えるために 美しく創られています 母なる地球の熱が 失われれば この地上に 何も存在しません 全てが凍り 雪に覆われ 食べ物もありません 月のようになってしまいます ですから 特別に創られました 太陽の熱によって 母なる大地は誕生しました つまり 太陽は 母なる大地の父と言えます 次に地球は月の近くに移動し 温度を下げました 完全に冷え 雪に覆われました そして 太陽の近くに 移動しました 生命が誕生可能な 地点まで移動しました その場所で命が育まれるよう 全てがすばらしく体系化されました 生命が誕生したことで 炭素が形成されたことが分かります 炭素は 同じ軸で形成されます 軸に熱があるためです 熱のエネルギーが 植物を炭素に変えます この炭素は後に 含水炭素あるいは 全ての有機体の生産の ための基盤となります しかし 生命誕生には その他に窒素が必要です 窒素は驚くことに 同じ軸の動きから 創られています この窒素が創られたとき 私たちにアミノ酸をもたらしました 私たちの内に アミノ酸が創られたとき 私たちの生命の起源である アメーバが誕生しました もちろん 全ての始まりは海です 海で窒素がつくられ 生命が生まれたからです 海から始まりました そのようにして 私たちにはアミノ酸があります アミノ酸の形成は 多様な 生命をもたらしました 進化の過程において 母なる地球は軸を通して 大きな役割を果たしました 同じように 人間にとって軸は 最も大切なものです 軸は私たち生命の 主要な原理です 私たちは自分の軸で 立たなければいけません 自分の軸で立たない者は 左か右に傾いて立ちます 完全に崩壊する 可能性があります 右や左に傾き過ぎるため 滅びます ですから 自分の軸は しっかり保たなければいけません しっかりした軸を 持たない者は 様々なチャクラや その者の資質に 影響します 自分の軸を伸ばしすぎる者は このように頭を反らせます 大変右に傾き エゴの問題が起こります 卑屈な者のように 頭がうなだれる者は 自分を 破滅へ追い込みます この両者には 問題があります 一方は支配的で 他者を支配して 破滅させるだけでなく 自分も破滅します 例えばインドは イギリス人に 支配されました フランス人も 他国を支配しました ポルトガル人も 他国を支配しました しかし 支配したことに対しての 反動がありました インド人は支配されたことによって 大変卑屈になりました 今日でさえ大変卑屈で あるべき 自主的な軸がありません 大変卑屈です インド人が西洋へ行くと さらに卑屈になります 彼らは白人を喜ばせようと 卑屈な行動を取ります インドで白人は 崇敬されるようになりました それが 白人のエゴを増長させ 今日そのエゴが 彼らを滅ぼしています エゴのため 破壊寸前です ですから大変 不自然で表面的です 人間にとって最も大切なのは軸だ と理解しなければいけません 軸は全ての人にあります それぞれの軸を尊重しなければいけません サハジャ ヨガで私は あなたを顔では知りません チャクラで どのようなスシュムナかで あなたを知っています 深いスシュムナなら 深い者だと分かります 表面的なスシュムナなら 上辺だけの者だと 分かります 親切に 振る舞っていても サハジャについて話し よく知っていたとしても 達人であるかのようにして 人を当惑させることを言ったとしても あなたの深さは 知っています 軸の深みが 何よりも大切です 軸が大変 深くなければいけません “軸は軸であって なぜ深く なれるのですか”と尋ねるでしょう 人間の内にある軸は 三巻き半に巻かれた 紙のようです その中心が ブランマの経路です ブランマの経路とは 大変細い 髪の毛のようなもので 髪の毛の細さのクンダリーニが 通ることができます 深い者なら ブランマの経路は太く 外側に巻かれている ものはより細いです 一方 深みのない者は 外側に被さるものが 内側より太いです そのような者は外見上 大変ダイナミックに見えます 知的で賢く見えて 容姿も良いですが 内的には 深くありません 深い者は 態度全てが素晴らしいです 大変 歓びを与える者です そうでない者に会えば 喜びに満ちているようでも 喜ばせようとしていても その喜びは 真に深くありません それは喜びを 殺すようなものです ですから 軸をより深めることは とても大切です これにおいて 私たちは 適切な配慮や 努力に欠けています 自然に 大変深い 軸である者もいれば ある意味 大変収縮された軸を 持つ者もいます この軸は 成長させなければいけません プージャに来れば 確かに軸は広がります しかし それは 一時的なものです その状態を保つには 自宅またはコレクティブで 働きかけなければいけません 自宅での瞑想で 働きかけなければいけません ただし真剣にすべきです ただの遊びであったり 軽薄であってはいけません 献身的なものとして 真面目にしなければいけません それは瞑想的なもので 神への祈りのようなもので 神へのプージャです そのような敬意で なされなければいけません 敬意はそれを 達成する鍵だからです 自分に対して また 人に対して敬意がなければ 達成できません まず人生に 敬意を持つべきです 人生に対して 何をし 何を無駄にしているか なぜ深くなれないのか 何らかの目的が あるに違いない 目的に向かっているのか このようなことを 考えるなら 自分のエゴと戦えると 理解できます 通常 人は些細なことで 戦うからです サハジャ ヨガでも 完全に無益なことで 戦う者がいます 戦いや喧嘩について 言及することすら 愚かしく感じます 深い者は あまりしゃべらなくても あまり 見せびらかさなくても 前列に座らなくても 自分の深さで 自分を表します それを通して より働きかけられます これを育むには 瞑想しなければいけません 大事なことは 毎日の瞑想です 食べない日があっても 寝ない日があっても 仕事に行かない日が あっても 日常的なことをしない 時があっても 毎日 瞑想しなければ いけません 中央の収縮された部分を より育むことは 大切な事です それが育まれると 自分について まず気付くことは 快適さを 求めないということです 物質的なことに 煩わされません 何であれ あなたは その上をいきます 自分が属さないものに 首をつっこもうとしません それから離れ “手に負えません 私が気にすることではありません” あなたの注意は 内側に向きます 内側に向くと 軸がより広がります ブランマの経路である 内側の部分です そしてさらに 広がり始めます 些細な事に関しても 例えば 私がある者に対して 言及せず 他の者に対して 言及するとします “マザーは私のことを 口にしなかった”と感じます あまりにも些細で 気に止めても 仕方ありません 深い軸がありさえすえば あなたは私といますし 私はあなたといます 完全に一つです 外側のこととは “他の者は素敵なサリーをもらえて” “私はもらえなかった”など これら全てが 頭に浮かぶなら あなたに何か欠けているものがある ということです 不満を言うでしょう “バスで 立たなければならなかった” 全くあなたは 快適でなかったということです 軸の広がりが あなたを快適にします それが快適にさせます どんな状況でも どんな地位でも どんな暮らしでも あなたに快適さを 感じさせます それ以外の快適さを あなたは欲しません それを瞑想によって 育まなければいけません 次にサハジャ ヨガは集合的現象 だと知らなければいけません 特にインドの男性は 自分で手仕事をしません 間違っています 全く自分でしないので 集合性にひどく欠けます インド人は 集合性において最悪です アシュラムも 建てる必要が あるのかと思う程誰も使いません 自分の家や家族 子どもたちにこだわり 集合性において最悪です インドの男性は決して 手仕事をしないからです 一本の釘さえ打ちません 多くがそうです 何かを修理するのは もっての他です 彼らは腰に手をおき 指示するだけです マラティ語に 面白い言葉があります “ラクダに乗って ヤギを追い払う” という言葉です これはインド人特有です 彼らは修理も 何もできません 何か広げ始める者がいれば 立って見るだけで手を出しません どのサハジャ ヨギも シャマダンが大切です シャマダンを しなければいけません シャマダンとは労力を 提供するということです それが 私たちに欠けています それにあたって 家をきれいにしたり 家の外観をきれいにしたり 庭の手入れをしたり 家にペンキを塗ったり 自分の手を使うべきです することがなくても 髪をといたり 何かできます とても簡単なことから 始められます それさえしない人も いるからです ひげも剃らず 誰かに任せたりします 彼らは完全に怠慢です 逆に西洋は 自分の手を使います 自分の手を使うので 大変コレクティブです コレクティブであることに プラスになります 一方 インド人には伝統があり クンダリーニや ガネーシャのことを知っている という利点があります 左側が望みで 右側が行動です アンバランスが生じる という話しに戻ります 西洋では 行動に移しますが ここでは考えるだけ 計画するだけです 全てが計画だけです 何も上手くいきません 計画を立て続けるだけです この10年間でデリーに アシュラムが一つ建ちました まるでタージマハールです 大して 大きくないのに なぜそんなに年月を費やしたのか 理解するのは難しいです これはサハジャ ヨギだけでは ありません 他も同じです 皆がそうだからです 全てが延期され 全てが 次の日に行われます ある人が来ても 他の人が来なかったりします 同じように学校で 足し算をしたり 問題を 解いたりしますが 一つの家を建てるのに 3人が働きに来て一人が逃げました そして 2人の人が働きに来て 一人が残り二人が逃げました 次に五人働きにきて 二人が逃げました いつ家が建つのでしょう 建ちません 逃げる人がいては 完成しません そのようです つまり 集合性の欠如です インド人は 行って何かを植えられる 場所を探すべきです そのような場所を探し 素晴らしい菩提樹の種を植え 共に水やりをして 育てるべきです その点で インドの女性は良いです しかし欠けている ところもあります 知性です 考えることです 考えていることと言えば “夫はこうです 夫のために料理をしなければ” 夫が食事にレモンを必要とすれば 家にレモンがなければ 女性はあらゆる場所へ行き レモンを手にいれるでしょう でなければ彼は 食べ物を食べないでしょう 食事を抜く時があっても 構いません それでも 女性はしようとします 夫の嗜好を 守ろうとするからです それで夫の分別も 保っています 男性は 大抵の夫は 虎のようだからです ですから餌を与え続けなければ いつ飛びかかってくるか分かりません イギリスやアメリカは逆です 夫がヤギで 女性が虎のようです 西洋化した インドの女性もそのようです 西洋に行けば 素朴な女性でさえ虎のようになります 突然の変貌には 驚きます ジーンズを 履かなくてもそうなります 南回帰線でも北回帰線でもない 母なる地球の軸を 持つべきだと理解しないと 人間はバランスを崩し始めます このバランスは 私たちの深みからきます それを深めていかなければ いけません サハジャ ヨガのことを 話すことよってではなく 実際 真剣に瞑想をする ことによってです 次にコレクティブの事を しなければいけません 例えば インドの建築家は 自分の手で 決して何も触りません 座って 設計するだけです 設計が終われば 勝手にさせます そして実質的な問題が 生じます 彼は一本も 釘を打てません 彼らはいわゆる ホワイトカラーです 手仕事には 全く役に立ちません 如何なる手仕事も できません 折りたたみ式椅子を持ちあげて 立てることすらできません 集合性に関して 破滅的な社会から 私たちは来ていると これらの状況化で 理解しなければいけません ですから コレクティブになりましょう コレクティブで 何かするようにしましょう インドでは集合性に関して 大変乏しいです 妻にも優しくしません 妻や子どもたちと 楽しく話しません 妻に優しくするのは 不道徳だと考えます 一方 西洋の人は コレクティブを重んじ 何であれ 妥協しようとし 家庭生活を 円満に保とうとします ですから両極端です しかしながらインド女性の 叡智のおかげで 家庭生活は うまく回っています イギリスの男性を見ると インドの男性が女性にする ナンセンスが耐えがたく見えます 彼らの振る舞いは 全く許されるものではありません 男女間のバランスにおいて 軸となるのは 家庭です 家庭が軸です 家庭内で どのような会話をするか 何を考え どんな問題があるのか どこに注意が向いているか どんな話題をするか 大変大切です その中で 家族に 何が起きているのか分かります 互いに 悪口を言い合っていては 夫が子どもに 妻のことを告げ口していては 妻も子どもに 夫のことを告げ口していては そのようなことが 続いていては しっかりした軸は ありえません 軸は 愛そのものです 利用するものでも 甘やかすものでもなく愛です 私たちのような国では 何が軸でしょう 私たちの国の軸は スピリチュアリティです 私たちは お金や発展への渇望を 乗り越えなければいけません まずスピリチュアリティです 発展する前に 国民がリアリゼーションを得れば ここにアメリカがもう一つできる という心配はありません 共産主義者になることも 何もありません 共産主義者は アメリカ人と同じです 気質において 違いはありません アメリカ人がロシアに滞在すれば ロシア人と同じように振る舞うでしょう そして また 逆も同じです 違いはありません 人のスピリチュアルな 成長を可能にする国において スピリチュアリティの軸が 最も大切なものとなるなら そして得られるなら 如何なる発展があろうと その国を 滅ぼすことはできません 戦争はありません 至る所に 平穏と歓びがあるでしょう ですから マカール サンクタントゥの日に サンクタントゥ(災害)は終わった と言いましょう 私たちを祝福する 新しい月の新たな時代を 待ち望まなければいけません そして私たちに 必要なエネルギーを与える すばらしい太陽の 日の出に サハジャ ヨガの黄金の時代の 出現を祝ってもらいましょう 神の祝福がありますように […]

Diwali Puja, Power of Innocence Lecco (Italy)

Diwali Puja, “Power of Innocence”. Lecco (Italy), 25 October 1987.
私達は始めに シュリ ガネーシャに礼拝します シュリ ガネーシャは 私達の内にある純真の源だからです ですから内にある 純真に礼拝します この純真は あなたに啓蒙を与えます 昨日お話ししたように 光は一般に純真で表されますが それは知識のない 純真さです しかしあなたの光の純真さには 知識が備わっています 人は知識ある者は 決して純真にはなれないと 素朴にはなれないと考えます 純真に対する 概念においても 純真な者は常に騙され 軽視されると考えます しかし純真は力です 守る力を与えます 知識の光を与えます 世俗的な意味で 知識は いかに人を利用し 騙し 金儲けをし 人をいかにからかうか 蔑むかを指します しかし純真の光は 愛が最も高いものであると 分からせます そしてそれは人をいかに愛し 気にかけ 優しくするかを教えます またあなたの内に 光をもたらします 世俗にあるアヴィッディヤとは 対称的です 外的なアヴィッディヤは 私達に 競争心やいかに人を 貶めるかを教えます そこに恐れや 不安があるからです この知識に安心感は 全くありません 安心感があれば そのようには振る舞いません 純真の光は 全てを知っています そこに恐れはありません “子どもは純真だ”と言うとき 純真の力を持っているということです 子どもが高い所から落ちても 助かったケースが多くあります 一方若者はさほど高くない所からでも 死ぬことがあります 子どもは落ちる恐怖心がなく ただ楽しみます パラシュートを 使っているかのようです そして落ちた後も 立ち上がって皆に微笑みます なぜ皆が心配しているか 理解できません その純真さの中で子どもは 世話され守られていることを知ります 自分より高次な力があると 感じています ですから心配しません しかし子どもに 様々な概念を植え付けると 子どもは純真の力を 失い始めます そして臆病になり ずる賢くなり 不道徳になります それでも 子どもの純真さは ある意味 無知の純真さと言えます 人生における危険を 知らないからです しかし純真の光は すべての危険を知っています どう取り除くかも知っています そのような者といかに 関わらないかも知っています ある賢い者が 階段を下りようとしていました そこへ下から愚か者が 上がろうとしていました 愚か者は劣等感があるゆえに 常に攻撃的です そこで愚か者は 一人しか通れないため ”馬鹿な者にゆずる気はない” と言いました すると賢い者は “私は馬鹿な者にゆずりますよ” と言い道を開けました このように純真の光は どこまで相手に踏み込むか どこまで話すか 相手の人格や問題に どこまで立ち入るか教えてくれます この者は相手が愚かな者だと理解し ”ゆずります”と言いました そのような者には 気にもかけません この純真の光は 分別を与えます どこまで踏み込むか 分かります “私は彼を愛しています” 相手に蹴られても 叩かれ 困らされても 取り憑かれても その者に 惚れ込む者がいます 自尊心もありません 世間的には 純真かもしれませんが その者は啓蒙も 純真もありません 啓蒙され 純真であるなら あなたの純真に力があります それはまずあなたに 分別を与えます 手にランプを 持っているとします すると持っている物が 蛇か紐か分かります ランプがなしには 見れません 蛇だと分かっても 逃げ出すか 愚か者なら “噛んでみてどうなるか様子をみよう” と言うかもしれません しかし啓蒙された者なら 蛇に”放っておいてください” と言うでしょう 蛇も理解して去るでしょう 邪悪な蛇なら ただ蛇を一瞥するだけで 蛇の方から 逃げ出すでしょう ですからこの純真の力は とても大切です それは啓蒙を通してのみ 得られます 人は始めは 無知で純真です 後に純真でも 無知でもなくなります 啓蒙もありません 両方の本質がなければ ずる賢くなります また無知ではなく 知識があり すべてに長けていて 知性や知識の豊富さゆえに 名声を得たとしても そのような者は 世間的な知識はありますが 純真さはありません そのような者は 思考をコントロールしようとします そして純真さが失われます 純真さは愚かさだと考え 純真さに敬意を払いません 人を巧みに操ろうとしたり 過激なことしたり 傷つけたり ひどいことを言います そのようなことに 脳は使われます 純真に戻れないからです 私達はそのような者を 好みません 彼らは”自分たちは優れていて 選ばれた者だ”と自讃し 同じ考えの者達と いようとします ですから無知に いわゆる知識が加わります 内側は完全に無知で 外側に知識があります そうなると内に 真実を求めようとしません 彼らの外側に いわゆる知識に満足するからです その状態で突き進めば 痛い目をみて ”内側が全くの暗闇だ” と気づきます 私達は太陽が輝く中 窓を密閉して生きることはできません 内側に光がないといけません 自分達は何者で 自分の力は何で どれくらい高められるか 人生の目標を どう達成させているかを 見ることができる光を 持たないといけません これらの光の啓蒙は あなたの内にヴァイブレーションとして チャイタンニャとして現れます チャイタンニャ自身が光です この光と普通の光には 違いがあります 普通の光は あなたの目に訴えるだけです 対象が石であるか木であるか 家か人間の顔かを教えます しかしその人が 良い者か悪い者か この家にヴァイブレーションが あるかないかは教えられません あなたに吉兆を与えません 吉兆感も教えられません 私達はガネーシャの 純真について話しますが それは私達に吉兆感を与え 私達自身を吉兆にします ですからチャイタンニャ自身が 啓蒙です それが持つ全ての知識を あなたに教えます いかに微細であるか 想像してみてください 大変微細な チャイタンニャが 知性を持ち 分別を持ち その者が良い者か 悪い者かを教えます 大変簡単に サハジャ ヨガで得ました 自身の複雑な仕組みに 何が起こったか気にもしないほどです それには知識があります その人が良い者か悪い者か 分かるだけでなく どのような問題を 抱えているかも分かります 普通の光は人の容姿や歩き方といった 一次元までの理解を与えます 人が何かを想像すれば “私はこう思う” と言います 内に流れるチャイタンニャによって あらゆるものを感じることができます それは全てに遍いていて 全ての分子に脈打っています そして私達に 全ての物質や動物 人間 全ての神格についての知識を与えます この光なしにあなたは私を 認識することはできませんでした どの神格も 認識できませんでした 人生における立ち位置や目標を 知ることもできませんでした 人生の目的や なぜここにいるのかもです あなたはここに金儲けのために 貯金したり 株を買うためにいるのですか あるいは家を買うため 妻に手の内で踊らされるため 妻に対して支配的になったり 子どもの成長に精を出すためですか チャイタンニャがはっきりと それは違うと教えるでしょう しかし これらに頓着するなら コレクティブな現象から 完全に切り離されてしまいます そしてこの光は消えます この光が繋がりを失うやいなや 光をもつことはできません ですからヴァイブレーションの繋がりが 強くないといけません 完全で 安定していないといけません 例えば不安定で 動く光があるとすると 物事を適切に 理解することができません ヴァイブレーションは 全てを知っていますが あなたがヴァイブレーションに 敬意を払わない道具でいるなら ヴァイブレーションで伝達ができない 不完全な道具でいるなら どう伝達するというのですか 子どもを外に 連れ出してください あまり無理しないように 子どもに短気になっては いけません 子どもが泣いているのは 何か欲しいのでしょう […]

Makar Sankranti Puja (India)

Makar Sankranti Puja. English part and Marathi part, Rahuri (India), 14 January 1987.
今日は太陽が 北回帰線へと 移動することを祝う日です 北回帰線は 地球の母性を象徴します 地球の母性です 北回帰線は 広範囲に渡りますが 南回帰線は そうではありません 広範囲において 大地に母性の本質の 異なった美しさを見せます 太陽が 新たな範囲へと移ります 私達は その変化を祝います 世界中に太陽の温かみが 行き渡るようにです 太陽の温かさは 神の愛の温かさを象徴します それ故 胡麻で作られた お菓子を食べて祝います 胡麻は熱を与えるからです この時期は 寒い季節から 暑い季節へ移るので 太陽の温かさに 身体を慣らすため 来たる暖かさや 太陽の温かさを象徴する 胡麻でできた 特別なお菓子を作ります インドは暑すぎますが 人々はこの時期を心待ちにし 温かい心で祝います この時期に 胡麻と砂糖を食べるのは 優しい口調で 話せるようにです “ゴッド ゴッドボラ”とは 優しい口調で話すという意味です 優しく話すことは とても大切です 中には乱暴に 話すことは賢明で 怒鳴るのは知性があるから と考える者もいますが 誰もそのような人は 好みません 例えその者が利口で 鋭く抜け目なくても テレビでそのような者を 見たいかもしれませんが 仲間や友達に なりたくありません 大変優しい口調で 話すことは 育ちの良さや良い文化背景や 神への畏怖の念を表します 神への畏怖の念を持つ者は 乱暴な話し方をしません 同じスピリットの輝きを 他者に見るからです 自分達と同じように 全能なる神によって創られた者に対して きつく当たったり 怒鳴ったりすることはありません 互いのこの愛深い 美しい関係を 特にサハジャ ヨギに なった後も 互いに優しく話すことで 表しましょう 優しくできる方法は たくさんあります ちょっとしたことに 優しさを添えることができます 尖った話し口調でなく 鋭い記憶力が必要です 私は何度もそれを 活かしてきました ある素晴らしい 行動力のある サハジャ ヨギがいました 車で一緒でした 彼は運転手か誰かに ナイフを盗まれ 大変怒っていました “貧しくて盗んだのでしょう 忘れなさい”と言いました 彼は“スイスの友人からの贈り物で 大切にしていました” “失くしてしまい 申し訳なく感じます”と言いました 私がスイスに行ったとき 同じナイフを買い 彼に渡すと 彼は言葉を失いました “昔の話しを なぜ覚えていたのですか” “どうやって 手に入れたのですか” “私は記憶力がいいのです それが問題なぐらいです” 記憶力があまりに良くて 相手を恥ずかしく思わせてしまうほどです 何であれ私は忘れません もちろんひどいことは忘れます 悪いことを覚えておくことや それを考えることはありません 許すことでいつも 悪いことは忘れられます 良いことを覚えているなら あなたの歓びは倍増します 悪いことを覚えておこうとすれば 歓びはなくなります 人と会う度にその人が あなたにした良いことを その人の良さを 思い出しなさい 良いことが記憶に残れば すばらしい時間を持てます 今日は皆さん インドに発つ日です 明後日出発する者もいます いずれにせよ あなた方の為に 歓びと幸せを与えるために 精一杯のことがなされました 帰国しても耳にしたことや 素晴らしかったことを覚えていてください 人々がいかにあなたを称賛し 愛し 親切であったか 素晴らしい出会いや経験を 覚えていてください 価値のないことを くよくよ考えてはいけません 人に不快なことを言われたり 言ったかもしれません 忘れなさい 人生を楽しむチャンスを 台無しにしていると理解しなさい 誰も傷ついていません たくさんの人との出会いがあり 結婚式があり 素晴らしい時間を持ちました どの瞬間も歓びとヴァイブレーションに 満ちていたと 幸せを感じなさい 中には悲しく思う者も いるでしょう 奥さんや旦那さんが 帰ってしまったりするからです 惨めに思う者がいるのも 見受けられます 良いことです 愛ゆえに互いへの思いや お互いを楽しんでいるからです 大変良いと思いますが いずれまた会うわけですし かけた言葉や楽しい思い出を 胸にハッピーでいなさい 時間は早く過ぎます サハジャ ヨガにいると 時間を忘れます そして また旦那さんや 奥さんと一緒になれます ですから悲しく 思うことはありません 笑顔でいなさい 彼らが出発するとき 涙を浮かべた顔ではいけません 希望ある確かな 勇気に満ちた顔で送りなさい すぐ会えます 悲しむことはありません 今日は全てを楽しみ 私達の周りにある 神の恩恵を感じる日です 太陽がその栄光において 戻ってきました 来たる年の成功を 望まないといけません マハラシュトラでは しばらく雨が降っていません 問題になっています 太陽に幸運を祈って 雨が降るよう 太陽のエネルギーで 必要なことがこの国にもたらされるよう 祈らないといけません 国に戻っても 太陽のように 輝かないといけません この国より暑くありませんし 温かさもないからです この国の人々が温かく 愛深いのは太陽の恵みです その太陽を持ち帰り 人々に愛情と温かさを与えなさい インドより持ち込まれたと 感じてもらいなさい どの国へ行こうと 太陽は明るく照らします インド人は太陽を持ちこむ という云われがあります 実際ポケットには 入りませんが ハートに入れているようです 太陽が素晴らしく輝いていたのは そのせいかもしれません 皆が全てを楽しみました ですからあなたは優しく話し 互いに思いやり 助け合い 親切にすることで 太陽を携えないといけません なぜならあなた方はヨギです 普通の人ではありません 徳や善 慈悲 愛深さを持つ 代表者です あなた方に幸運を祈ります 旅行を楽しみなさい 全てを楽しみなさい ここで得た歓びを 他のサハジャ ヨギに サハジャ ヨギでない人にも 与えなさい 神の祝福がありますように […]

Shri Ganesha Puja, Establishing Shri Ganesha Principle YMCA - Camp Marston, San Diego (United States)

Shri Ganesha Puja, “Establishing Shri Ganesha Principle”. San Diego (USA), 7 September 1986.
今日は シュリ クリシュナの土地で シュリ ガネーシャの 誕生を祝います 先例のないことです 大変意味深いことに シュリ クリシュナ自身の土地で 息子の誕生を祝います シュリ ガネーシャは 地上におけるマハヴィシュヌであり ラーダの息子 キリストとして化身したことは ご存じの通りです つまりこの誕生を祝うことで 主イエス キリストが シュリ クリシュナの息子であることを あなた方は認めるのです デヴィマハトミャムには この原初の子が 卵の形になり シュリ ガネーシャとマハヴィシュヌに 分化したかが述べられています 進化の過程に これらの故事は 記録されていますが キリストがガネーシャ神の化身であると 今日人間が理解したことに とても満足を覚えます キリストは ガネーシャ神の化身です 彼は永遠の子どもですが シュリ クリシュナの息子 キリストとしてやってきたのです ですが創造の際 シュリ ガネーシャは パルヴァティによってのみ産まれました 父がいませんでした パルヴァティは 自ら息子を望んだのです ガナ達が シヴァだけに仕えるように ヴィシュヌやシヴァに 仕える天使がいます そこで パルヴァティは 彼女の力を地上に及ぼすため 息子を望みました ですからまず シャクティは宇宙を創造し サダシヴァが 彼女の被造物を観ずるなか 最初に地上で 創られたのが純真で その体現が シュリ ガネーシャなのです 宇宙全体が 純真で包まれ それをオムカラと呼びます この純真が 全ての物質に浸透し あらゆる創造を 守護しました 物質は純真無垢です 物を叩けば 反作用が返ってきます そういう性質があるからです 作用すれば反作用があるだけで あなたを害する 意図はありません 自然に作用する性質があり ジャダと呼ばれます 動物も別の意味で純真で 罪の意識を持ちません 別の動物を殺したり 縄張りを犯したりすることで 法や罪を犯している という意識はありません 彼らは本能に従い 生きていて パシュースと呼ばれています パシャとは従属を意味します 彼らは神の法に 従属しています シュリ シヴァは パシュパティと呼ばれています 動物の段階までは 純真は保たれ 自我の発達はありません だから動物は純真なのです 虎が牛を食べようと 象が人間を踏みつけようと 彼らは純真です より高い意識へ至るために 母性のシャクティ 原初の母が 人間の純真を守る存在を 創ろうとしました 物質や動物の上位に シュリ ガネーシャを創りました 像の頭のシュリ ガネーシャ についてはご存知でしょう 彼は人間でありながら 動物のようで シュリ ガジャナナの頭であり 動物界で最も賢い 象の頭を持ちます 純真である 頭を持っているので エゴは発達しません エゴのない意識状態です しかし人間はそうではなく 炭素はアミノ酸の産生に 向けられます アミノ酸を定着させる 作用もあります ヴィシュッディのレベルで 人間はこのように直立し 新たな進化を遂げました 動物の頭は 地面に面しているので 大地に向かって エネルギーが流れますが 人間は重力に反して 頭を持ち上げました すると新たな気が流れ始めましたが 新たな問題も起こります ヴィシュッディの問題があると クンダリーニが作用できなくなります 大地から頭をあげると 大地の自然の力から 遠ざかるからです そのようにヴィシュディを 上向きにすると 結果 このヴィシュッディの国では 自然に反する機械に頼り 自然を絞り採り 原子爆弾を作るのに 核分裂させてみたりと自然を害しています 頭を上げたことで 自然に反し始めたということです でもそれが神への完全な 帰依として行われたなら 母なる自然に 頭を垂れて為されたなら あなたを害しないでしょう しかし美しい自然から 完全に切り離されてしまったら どうなるでしょう 昨日この国の美しい自然の写真を あなた方は見ましたが アメリカのように豊かな国が 創造主に感謝せずに 頭が高いと ヴィシュッディの問題が起こります あらゆる場面において 自然に反する 社会構造ができています 結果 無垢さに ムラダーラに害が及んでいます ムーラダーラの自然さが 忘れられています キリストやアブラハム モーゼの時代のずっと前から 婚姻は聖なる制度として 永く社会に認知されてきました しかし人は傲慢にも 正常な人の道である婚姻に 反する声をあげました 私生活が 自然であるなら なぜ人は 様々な病気になるのでしょう あなたが自然な人であれば 何の病気にもならないでしょう 自然に反する結果 この国では多くの男女が 嫉妬によって殺害されています 10人の男女が 愛しあうのが自然なら なぜ嫉妬がおこるのでしょう あなたは幸せであるべきで それが自然です シュリ クリシュナに帰依することなく ヴィシュッディチャクラで頭を上げたことで 生命に抗うような雰囲気が 拡がりました このような生活により この国や今は 破滅の崖っぷちにあります 無垢に対する攻撃が この国の一番の弱さです 流行をつくる人々による 最大の間違いは 貞操の力や節操ある生活に 価値をおかないことです ガネーシャは創造の根本です あなたがシュリ ガネーシャに反するなら 根無し草になるでしょう するとどんな馬鹿げたものでも 新しいことに飛びつくでしょう “不順な目を持つなかれ” といったキリストを忘れて フロイトを 崇拝するほどになります ガネーシャのレベルには 視線すらも無垢である必要があります 視線に 色情があるべきではありません しかし 傲慢さが “何が悪い”と感じさせます “これの何が悪いのか” 今や国中が傲慢な試みによって 危機に瀕しています その上 その破滅を 受難として受け止めています シュリ ガネーシャの土地に住む サハジャ ヨギは大変な責任を負っています しかしシュリ クリシュナの 土地に住む人々は 責任がその肩に 完全にかかっていて 逃れることができません あなた方が無垢の大切さを 理解しない限り 私が何をしたところで この国を救うことはできません 他でもない あなた方が救うのです あなた方にしかできません クンダリーニが引き上げられると あなたがかつて敬ったことのない シュリ ガネーシャが 傷を負い沈んだ状態から ゆっくりと覚醒します そこでどうやって養うかです どうやって彼の成長を 支持するか アメリカのサハジャ ヨギの 責任は大きいです これ以上自分を 裏切ることはできません 傲慢さを満たすこともできません これまでの過ちは酷いものでした あなた方はその間違いに対する 十字軍として立ち上がり シュリ ガネーシャを 十分に確立し 自らの根を滋養して 必要なバランスを得るべきです まずもってショッキングです あなた方が理解できないことが あのような馬鹿げた考えを 受け入れることはあり得ません あんなおかしな 明らかに酷いことをするなんて 例えば売春という言葉の意味を 知っていませんか 他にも汚らわしい言葉があります 今口にしたくはありません その言葉の汚さを 分かっていません 人はそれに気づいていましたし 知っていました 自分に何をしたのか わからない程 私達は叡智を 失ってしまったのでしょうか 自尊心がありません この傲慢さは非常に危険で 何が起こるか分かりません 神のみがそのような行いの 結果を知っています サハジャ ヨギには 特にアメリカの女性には いかに自分のプライバシーを 敬うべきかを伝えました 自らがシャクティであろうとするなら 自身を 自身の純潔を敬うべきです 驚くことに 外で起こっていることは 驚くことで サハジャ ヨガに来た後でも 地獄行きの一員に なろうとする者がいます 彼らを救おうとするなら 自分をしっかり直しなさい シュリ ガネーシャは 4つの手に パラシャの 破壊の兵器をもっています それに注意しなさい これは彼の仕事で 彼をおなざりにすると その力が働いて リアリゼーションにも関わらず あなたは自分を 救えないかもしれません 自分のリアリゼーションを 当たり前と思わないで下さい ガネーシャが 確立しない限り リアリゼーションは 意味がありません 気をつけなさい 不純な目をしていませんか 不純な心を持っていますか 何をサハジャ ヨガに 求めていますか 多くの者が サハジャ ヨガによって恩恵を得て 健康や金銭 地位や権力を 得られると考えます まず 純粋なガネーシャを ニルマラ ガネーシャを望むべきです “マザー どうか” “純粋なガネーシャの原理を 確立して下さい” 振る舞い 態度 関係において 自分が無垢か判断しなさい キリストは “自分に反することは耐えるが” “アディ シャクティに反することは 許さない”と言いました ですが 母として言いますが それは違います 私に反することがあっても キリストや 主ガネーシャに 反することはいけません リアリゼーション以後に 彼に反した行いにより あなたは神の領域から 完全に堕落した者として 追い出されるでしょう これは受け入れられない 許されない 耐え難いことです 過去は終りました あなたは生まれたばかりの鳥です しかし成熟した後に なお過ちを犯し それに耽るなら 私はあなたを助けられません つまり純真さ故に シュリ ガネーシャは 私の息子なのです いまや彼だけが 私の息子ではありません 私は多くの息子や娘がいて 私はあなた方を シュリ ガネーシャと同じように 父親なしで創造しました 心身の無垢さこそが 母には喜びなのです 不純なものは何であれ 捨てられるべきです 私の名前自体 純粋を意味します あなたにはできます その力が備わっています クンダリーニがあります まず自分を浄化して 後は心配しないことです シュリ ガネーシャが 面倒を見てくれます 一つのチャクラを綺麗に保てば 他は上手くいきます 筋肉の問題であれ 統合失調症や心身症であれ ガンのような不治の病であれ 全てがムラダーラの阻害から 来ています 根が傷んでいるのに どうやって木を治すというのでしょう 根が大丈夫なら 薬が何処にでも効きますが 根がダメなら どうしようもありません 今日は 私の中のシュリ ガネーシャを 崇拝するために招かれました 私の中のシュリ ガネーシャは パワフルな神格です 崇拝することで そのパワフルさを確立し 表すことです シュリ ガネーシャの 力の偉大さは吉兆です それは科学で言う ある係数 公式で それが吉兆を現します それは母なる地球の磁力です 同じ磁力が シュリ ガネーシャとして あなたにも存在しています 一人でも 私は東西南北が 言い当てられます 目を閉じてもできるでしょう 多くの渡り鳥がオーストラリアから シベリアへと渡っていきます 彼らには純真 磁力が備わっているからです 多くの魚にも その磁力があります 科学者が発見するべきです 同じように 私達の中の シュリ ガネーシャも磁力です なのでシュリ ガネーシャが 覚醒した人には磁力があり それは鉄を 落ち葉ではなく 鉄を引きよせます 鉄はグルの原理のようです “鉄人”というのは 人格と信念を持ち 誘惑に囚われない人 のことです このように この磁力は 鉄を引き寄せます 鉄にはひとつだけ 欠点があり それはドライで 柔軟性にかけることです が 磁力は鉄が引き寄せられる 特質を引き出すということです 同じようにこの性質が目覚めると あなたは驚くでしょう 人がアシュラムから離れていくどころか 皆があなたに駆け寄ってくるでしょう 私がどの家を訪ねるにしろ 人がそれを知ろうものなら どこからでも来ます この磁力は何でしょう 純粋な愛です 純粋な愛とは 他の何にも依存しない という概念です それ自身が支えです 光が自身の性質により 拡がります 何も必要とせず 欲しないようにです ただ拡がり 人々の心を照らします それ故 人は惹かれます カルカッタのような場所では 私に会ったことも 知ることもなかった人々が押し寄せて “警察を呼ばなくては” というほどでした “呼ばなくて良いです 何とかします”と言ったものです プーネでは 群衆があまりに多く ホールの責任者が恐れたほどでした “これではホールがもちません” “屋外の広い土地を 使って下さい” “心配しないで すべてうまく収まります” と言いました 聴衆が沢山いたものだから 地面や階段やそこら中に人が座って 私の話が始まるまで 絵のように微動だにしませんでした そして1時間半話しました 静止画のようでした 手足や目の動きもありません まるで絵のように ホールのオーナーは初めて そんな様子を目にしました 1時間半もの間 何の動きもありません それが何かというと 磁力なのです あなたが鉄でも引き寄せますが 磁力があれば 引き寄せ続けます なのでヨガにおいては 子どものように無垢な シュリ ガネーシャの磁力を備えることです 子どもが一人いれば 皆がその子に惹きつけれらます 子どもがどこか高いところで 動けなくなっていれば ロシア人であろうと アメリカ人やアラブ人であろうと 皆がその子の 心配をするでしょう アラブの子だとか アメリカの子だとか 悪魔でない限り そう考えません 子どもに惹きつけられるのは 磁力があるからです エゴがまだ発達していません エゴは私達が 自らの自由において 善悪を判断するために 発達しました なので エゴの発展は 必要なことです ある程度のエゴが私達には必要です ですが 発達させすぎて スーパーエゴを 覆い隠しました そうなると何の調節もなく 好きなことをするだけでしょう 今日は半ズボンを履き 明日は長ズボンを履きます 次に髪をいじったり あれこれ始めます 何のブレーキもありません スーパーエゴ(超自我)が エゴで包まれてしまっています このエゴはガネーシャの原理が 保たれている限りで大丈夫なのです これはガネーシャの叡智です ガネーシャの2つ目の力が 叡智です 農民と学者を見てみましょう 学位を持つ者より農民が ずっと賢いことがわかるでしょう なぜか それは彼らが毎日 大地に関わるからです 彼らは命の原理を知っています 母なる大地の無垢さを知っています なので素朴な人が 最も賢いのです 無邪気な一人の子は 10人のエゴ中心の人々より 賢いのです シュリ ガネーシャの2つ目の能力は それにあなたが賢くなるということです あなたが話せば 人々が耳を貸すでしょう あなたは カビラやナナカのように話します 人々が スピリットを 感じるように話します それこそが 私の言うサハジャ ヨギです 叡智のない サハジャ ヨギは役に立ちません そんな人はサハジャ ヨガに来ると とても粗暴で こちらで誰かとぶつかり むこうで別の人とぶつかりします そして3人の傷ついた人に聞くと “あの 例の雄牛か”となります 皆が同じ雄牛の報告をします “ああ 例のあの人ね そうそう”と とにかく 叡智です シュリ ガネーシャの力により あなたの目がキラキラします あなたは目に輝きを得ます 彼により 目に光が与えられます 色情や強欲をもつ人を 見られなくなります しかし あなたの視線が とても強くなり ひと目で何千の人を 浄化できるようになります ただ目を開きさえすれば 暗い闇夜が美しい朝に 状況が一変するでしょう 一瞥が クンダリーニを引き上げます シュリ ガネーシャが許さない限り クンダリーニは上がりません 彼は各チャクラに座る 判事のようです “よろしい 行きなさい”と チャクラへの許可を与えます そしてシュリ ガネシャが目覚め クンダリーニが上がります でも彼が眠ると 彼によって クンダリーニは元に戻されます さて 私達は 無垢さを失ったと考えますが 簡単には失われません 破壊することができないものです ただ覆い隠され シュリ ガネーシャの原理が 現れなくなっているだけです あなたはそれを押し込めたのです プレッシャーをかけました 無意味なことを これでもかと負わせたのです それだけです 死ぬことはありません それが宇宙の永遠の原理です シュリ ガネーシャの力をもつ人の もう一つの性質は 障害を取り除く ということです 誰か一人 そんな人が近くにいれば 何かのトラブルやアクシデントから 全員が助かったりするでしょう あなたもそのうち分かるでしょう 彼はガナパティで ガナ達の主だからです 彼があなたを導きます シュリ ガネーシャなしに サハジャ ヨガは作用しません 彼こそがサハジャな存在です 彼こそが世界の自発性を 生み出す存在です あなたを正しい道へ導きます 彼こそが全てを たやすく与えるのです 彼こそ全ての不思議な力 世界中の奇跡を担う者です 彼こそガナパティです 彼こそガナの上位に位置し ガナの王です シュリ ガネーシャを歓ばせる者は 全ての神と女神を歓ばせます 全ての神々が シュリ ガネーシャを歓ばせるからです そして彼はとても賢いです 彼はとにかく母を歓ばせれば いいことを知っています 世界の全ての力を得るには マザーを歓ばせるようにすれば良いのです 多くの性質が シュリ ガネーシャにはあるとされます 彼は食べる歓びを与える者です 何かを食べて 好むと好まざるとにかかわらず サハジャ ヨギによって マザーによって創られたと教えてくれます つまり彼が 食べ物に愛情の味を添えます 彼は愛だからです 彼はいかに愛を表すか 思いつかせます 一度 歌うように頼まれました 昔は歌が上手でしたが 講義を何回もしたことで 声を枯らしたようです うまく歌えませんでした ある日 歌うように頼まれました 一つの歌が思い浮かんで 歌いました そして一年ほど経って プログラムで “マザーに一曲歌いたい” と言われました この曲は 誰にも知られていませんでした どこでメロディを知ったのでしょう 彼らは同じ曲を 歌い始めました あまりの歓びに 涙が出てきました 歓びを抑えられませんでした この歓びの気持ちは シュリ ガネーシャによって創られた 仕掛けから来ます 彼は人との美しい関係を 築くので忙しいです 子どもの誕生日に 何を言いますか “翌朝 鳥が プレゼントを運んでくるよ” 鳥はいませんが シュリ ガネーシャが そのような思いつきをさせます 彼はサンタクロースだと言えます あなたにその方法や いかに繊細に人との関係を 純粋な関係を築くかを教えます プレゼントを隠したり 包んだり 見つけさせたりする方法もです “わー すごい” そして花束を差しだします すべてシュリ ガネーシャの努力です 彼のやり方であり 提案です 創造物の中で 花はシュリ ガネーシャの 本質を表します シュリ ガネーシャの本質は 母なる大地の本質 その香りから来ます シュリ ガネーシャの恩恵に 授かる者には 香りがあります 白檀であったり バラであったり このガーデニアのようです どこからともなく 香りますが その香りは シュリ ガネーシャから来ます そしてそれが あなたの中の磁力です そのような者には香りがあり 常にすばらしい芳香です シュリ ガネーシャが そのような者から香りを出します それはあなたのシュリ ガネーシャが 大丈夫なときに感じられます あなたの中のこの偉大な神格の 説明には終わりがありません 彼はそこにいて 浄化されるのを常に待っています 沼の中の蓮の花のように 彼の頭が出るのを待っています それに敬意を払うことで助けます するとあなたの中で香ります ヴィラータに 集合性に シュリ クリシュナにサレンダーせずに 私たちは頭を上げたので この国にとっては 大切なことです 私たちは頭を上げましたが シュリ ガネーシャで頭を下げます 神が授けた 豊かさに対してです 傲慢さはシュリ ガネーシャの 蓮の御み足において消えます 彼が私たちに叡智を与えます 理解力を与えます 内にある傲慢さを克服する 力を与えます 彼こそが知識を与えます 光を与えます インドでは多くの者が シュリ ガネーシャを崇拝し おかしなことをします それは不必要に 自分を騙すのと同じです 自分の中にシュリ ガネーシャを 確立するのは簡単です でもサハジャ ヨギである あなた方にとって シュリ ガネーシャを確立することは 重要であると理解しなさい それは静かに作用します 静かな力ですが作用します 音もなく 密やかに作動する力です 私が心から これらのことを言ったことで あなた方サハジャ ヨギの中で シュリ ガネーシャが確立されるでしょう そして あなた方を通して 力が放たれ あなた方の国でシュリ ガネーシャが 確立されていくでしょう 神の祝福がありますように […]

Shri Kartikeya Puja Munich (Germany)

Shri Kartikeya Puja. Grosshartpenning, Munich (Germany), 13 July 1986.
遅くなってすみません このプージャがこのような 美しい場所で開催されるとは 思いませんでした ここにミケランジェロの 美しい絵画があります あなた方を救い 助けたいという神の 父の願望が現れています そしてワークアウトしています ドイツでは 大変攻撃的な 出来事がありました 西洋の国中に 壊滅的な影響をもたらしました 価値観が崩れ 道徳観も乱れました 女性が 男性のように振る舞い 大勢の人が亡くなり 大変若い人々が 亡くなりました 彼らの望みも叶わず 生涯を戦争に捧げ ざる負えませんでした 熱波のようなものが襲い 精妙さを破壊しました 自然が憤怒すると 粗野なものだけを破壊しますが 人間が破壊し始めると 精妙なものでさえ破壊します 例えば 人の価値観や人格 純潔 純真さ 忍耐強さをです 戦争はより精妙な レベルで起こっています これらのことが 西洋の人々に破壊的な影響を もたらしたと理解すべきです ですから まずしなければならない 努力はそれを正すことです 再び自分の足で 立てるようにすることです 人々は 自分の人格や伝統 拠り所や根源を 失くしてしまったからです そして知的体験を 求めるようになりました 女性は大変自立し 問題は自分で解決できるし 男性のようになれると思い始めました そして問題は よりひどくなりました 女性は女性で あるべきだからです 女性の中にも少しは 男性の面があるかもしれませんが 自分の特質を ないがしろにし わずかにある性質を 発達させればおかしくなってきます すでに亡くなった沢山の男性に 取り憑かれているのかもしれません 男性のようになりたい という願望は 女性の精神に入りたがっている 沢山のブーツを惹きつけます 取り憑かれると 体裁は女性であっても その精神は悪魔です その邪悪さで世俗的に成功するので その女性は気づきません 暮らし向きが良かったり 人を支配できるかもしれません 男性のように注意深く 几帳面で 整然としているかもしれませんが 美しさ優しさはありません そのような女性は ついには 吸血鬼のようになります 戦争はすでに終わっていますが ドイツの女性に影響しています 以前アマゾニックと呼ばれる 女性達による攻撃について耳にしました 歴史がまた 繰り返されています この間ドイツ人の女性との インタビューがありました 彼女の態度に 驚かされました 内にナチスがいるようでした ナチスのブーツが取り憑いています 二重人格のように 一方ではやさしく話し もう一方では ナチスでした ファシストでした 大変狡猾な 話し口調です 言うことと言えば “私たちはインド人のような 虐げられた人々の味方です” “インド人はアーリア人です 私たちもアーリア人です” “私たちは アーリア人に同情します” インド人は スピリチュアルな者です 彼女達がインド人のようだと 言うのです 信じられません ポイントは生活の質が 向上されることです 何回も言っていますが 男性の質は女性のとは違います 女性が男性のように なろうとすれば 正しいものは 何も得られません そのような人は多くいます 毛沢東の妻や 蒋介石の妻もです 彼女の名前はマルコスです そのような女性は 大勢います 彼女達が男性のようになると 破滅的です 歴史に残る 女性は多くいますが インドでも すばらしい女性がいました 英国と戦ったジャンシ キ ラニ のような女性です 未亡人でした 我が子をおぶって 英国と闘いました 55メートルの要塞の小塔から 馬で飛び降りたと言われていて “勝利は我々にあるが栄光はジャンシ にある”と英国人は明記しています インドには 偉大な女性がいました たとえばヌル ジャハンなども そうです 彼女達は女性でした 男性のエゴはありません 女性も男性のように オフィスで働くこともできますが 男性のようになることは ありません 私自身の例でいうと ある時ラクナオに 家を建てなければいけませんでした 大変女性的な やり方で進めました 素敵な家ができました 男性が建てるより はるかに安くできました 男性なら まず建築家に相談し すべてを測定し 前もってすべて合うようにします そしてエゴで高いお店にいき 高価なものを買って騙されます そしてまたエゴで高いお金を 出して人を雇います すべてを仕切ります 私は違うやり方でしました お金があったので 適任者と最高のレンガを見つけました 家はレンガで 建てることになっていました その他にいるものは 何かです 女性が食べ物を 料理するようです 砂がいります セメントも必要です あと格子 そして労働です ですから男性のようには しませんでした またレンガを売る 適任者を見つけました 彼は“まずレンガを入れる炉がないと いけないがそのお金がない” 私は“炉をまるまるひとつ買います いくら必要ですか” “5千ルピーで十分ですが” “うまくいかなければ 火が回らな ければ責任はとれません” “構いません 私の名前で炉を準備してください” そこで彼から炉を買いました 炉に全てのレンガを入れ 泥で覆い 下から火を焚きます 時にはうまくいかず 全部だめになることもあるようです 私は“やってください 5千だけですね” 火がつけられ出来上がると 5万ルピー以上のものになりました 次に川に行き 大きな砂の山の一部は いくらかと尋ねました 彼らは“夏場は安いですが 冬場は高くなります” 男性なら必要最低限の分を 買うでしょうが “夏場は安く買えるなら その砂を全部を買います”と言いました そこで砂の山 全部を買いました 次に鉄器商を訪ね 鉄ついて聞きました “塊で注文すればもっと安くします 即時払いでこれくらいです” “注文します” 料理の材料を準備するかのように すべて準備しました 次に木材が必要でした そこで彼らは “木はネパールから来ます” その他にはどこからか 尋ねました “どこの森からも可能です” そこでインドの中央にある ジャバルプールに行き注文しました 全ての木が新たに切られ 競売でそこの木を沢山買いました あるだけ買って さらに大理石も買いました その大理石は一度も 使われたことがないものでした “シンプルですね 大理石は何にでも使えます” ですからそこから 大理石と木材を手に入れました 次に労働者です そこで友人に石細工が得意な 職人について尋ねました その者達皆を呼びました 私は“住み込みで働けば 私の家に住み食事や世話もします” すると彼らは 家族と共に移り住み 私は彼らのために 料理をしました 料理のお陰で彼らは 私のために何でもしてくれました 私に大変親切で 新しい技術を使い セメントで 大理石のような効果を出していました さまざまな芸術を そこに施しました 寝室が20室 客間が5室と 食堂のある大きな家が 一年以内に建てられました 誰もその家にかかった 費用も信じられませんでした 建築家が手掛ける 10分の1の値段です 帳簿についても知りませんでしたが うまくつけられました 毎日“今日はこれだけ 使います”と言い それだけを その日使いました そしてそれを帳簿につけ 1ルピーの誤差もありませんでした ですから起訴されず 問題もありませんでした 普通 家を建てようと思えば 沢山の問題と所得税に悩まされます 私は僅かな費用で 建てることができました “タジマハールが倒れてもこの家は 倒れない”と言う人もいました 丈夫な土台を 作ったからです レンガを 安く買えたおかげです 炉をまるごと 格安で買ったため 沢山残ったので 半分売りました 砂も全部必要でなかったので 半分売りました 2倍の値段で売れたので ただ同然でした 買った木材も切ってもらい 倉庫にすべて入れました 天候から守るようにです その半分を取り出し 100の窓と60のドアに使い 残りを売りました 木くずでさえ 燃やすために売られました 材木用に そして小屋を建てる用に 売られました 私は彼らのために 手料理をし 世話をし ベッドと毛布を準備し 彼らは大変喜んでいました そのように 女性がワークアウトさせます 私の帳簿に何の誤差もなかったことに 皆驚いていました 主人の友達に 私から離れるよう勧めました 首相と一緒に 働いていたので “彼女は賄賂を受け取っている” と言いかねません あるいは私に これは言いとか 悪いとか言ったでしょう なので近づけませんでした 男性は議論好きです 女性は結果を出します 会議も要りません “仕事をさせてください” と言いました これらの人たちと すばらしい家を建てられました 写真に撮ったと思います あなた方も それを見れるかもしれません サハジャ ヨギニであれば これらの特質を育むべきです 女性はとても直観的です 常に正しい結論に達します 女性であればです 半分男性で少しだけ女性なら 何者か分かれません 女性のように なろうとすべきです 女性は大変強力です さまざまのことに耐えられる 母なる大地のようで 最高のものを与えられます 非常に献身的で 気前がよく 忍耐強く 愛深く 許します 男性が女性の資質を育めば 聖人になれます 女性のを追い回す資質 ではありません このような ナンセンスはありません ヴィラスに ならないといけません 騎士道的で 勇敢でないといけません 勇敢でありながら 慈愛や許しの心を 持たないといけません ドイツでは その逆のようです 西洋のサハジャ ヨギにも 見受けます 女性は ひどいエゴがあります インドでは女性は働きます 何でもします 長いこと有名な演説者もいましたが エゴはありませんでした 私の母は 学位を持っていました 当時数人の女性しか 持てませんでしたが 母にエゴは ありませんでした 私の娘たちも建築を修めました 室内装飾もです 彼女は夫が働いているので 働いていませんが 人のために家を設計し 無料で助けています そして沢山の友達がいます では女性が 得るものはなんでしょう 女性の周りには 沢山人がいます 人間的な力です 女性の周りには より多くの人が集まります 男性の能力は何でしょう 家や保険の支払いを しなければいけません 車の修理代もです 汚れた仕事はやってもらいましょう 女性は子ども達や夫 周りから ラブレターをもらいます 彼女達は愛されます 面倒をみてもらえます 今は女性は男性のようになって しまって このような強みがありません 以前はバスに乗れば 女性に席を譲ったものです ある時 高齢の女性が乗ってきて 若い男性が座っていました 私は“席を譲ってはどうですか” 彼は“必要ありません 彼女もズボンをはいています” この女性は ズボンをはいていました “席を譲ることはありません” “お互いズボンをはいているので 違いはありません” 男性のようになることで 私たちの強みや特権を失っています それで何を得るのでしょう 実際その反対です 現代女性は 以前より男性に隷属しています 動揺します 例えばあるサハジャ ヨギニは キャッチがひどく問題を抱えています 考えることといえば “夫が私を捨て 子どもを連れて 行ってしまう どうしよう?” サハジャ ヨガのことは 決して考えません でもある時 素晴らしい女性に 会いました 真の女性です “マザー 私は統合失調症です コレクティブから離れます” “夫と別れ 子ども達とも会いません” “なによりサハジャ ヨガが 自分や夫や子供より大切だからです” “女性の真髄です” 彼女は“子供の時から統合失調症で 今分かり 症状が出ています” 大抵の女性は 自分のことを心配します “夫と別れるなんて” 夫を利用しようと しているのです “子どもと離れるなんて” ではサハジャ ヨガはどうですか サハジャ ヨガに最も重きをおくなら 統合失調症も治せます 神はあなたを助ける 必要があるでしょうか 普通の女性のように 自分のことばかり心配するならです サハジャ ヨガのことを 心配しないならです 男性も同じです 男性はあまり恐れません 自分の足で立てると 思うからです 女性は自分はヨギニで お母さんが 面倒を見ていると知るべきです でも自分のことや夫 家 我が子のことだけを心配するなら おしまいです 女性ではありません 良き女性の象徴ではありません 女性は全ての子ども達を 愛せる者です 愛する力は 計り知れません でも貪欲で狭量でいるなら 女性ではありません 孫娘に 将来の夢を尋ねました まだ小さい子どもです 看護婦さんか 客室乗務員と言いました “なぜその仕事がいいの?” “おばあちゃん この二つの仕事なら 食べ物をサーブしてあげれる” 他の仕事では そうはいきません 食べ物をサーブする喜びは オフィスで働くよりすばらしいです 事務仕事はひどいものです クッキングをしていた方が いいです 沢山の人が食べて 楽しんでくれると考える方が ペーパーワークをするより いいです でも女性は 分別を失っています 良識はありません 愚かです ドイツでは 気をつけなければいけません オーストリアでもです オーストリアの女性は すばらしいですが ドイツの女性は男性のように なろうとしないことです まずしゃべり過ぎないことです 男性のように話しだせば ブーツが入って 男性のようにしか 話せなくなります 男性がいかに コントロールされるか分かります インドの女性は いかに男性を コントロールするか心得ています 離婚がありません 問題がありません 口喧嘩はしますが 男性は別の女性の後を追いません 女性は着飾ったり 美容院に行ったりしません 様々な 美容グッズはありません ですから自尊心を育てなさい あなた方は シャクティです 力です 夫をキャベツのようにするなら 子ども達はどうなるでしょう 敬意を払いなさい 彼らを男にしなさい 男らしさを楽しみなさい そうすれば決して あなたを捨てたりしません 二人の間に 競争心はありません ドイツにおける今日の問題は 女性が良識を失っていることです ドイツの女性に 全くそう感じます 音楽においても 芸術においても 広範囲に及んでいます 誰の記憶に残っているでしょう 音楽家でいえば モーツァルトです 誰もがモーツァルトを 覚えています チョコレートにも モーツァルトがいます 彼自身チョコレートを 食べたかどうか分かりませんが また人はミケランジェロやレオナルド ダ ヴィンチを覚えています 誰もその当時の 書類を持って走り回る公務員は 覚えていません ですから女性は 永遠の価値を持ち それを育むべきです 最もすばらしいことは 女性には愛することができるということです しかし女性が 自己中心的になったり 自分のことをだけを心配するなら 内側の美しさはありません 今日私をカルティケヤとして崇拝する のでこのことについて取り上げました カルティケヤは二人の子どもの 母であるパルヴァティ ウマの息子です ガネーシャとカルティケヤです ある日 両親のシャンカラと パルヴァティが言いました “二人の内 先に母なる地球を 回った方にご褒美をあげましょう” するとカルティケヤは 男性的な力でしたので “自分の乗り物に乗って さっそく行こう”と乗り出しました 孔雀でした ガネーシャは 自分にこう言います “僕は小さな男の子で彼とは違う 乗り物も小さなネズミだ” “どうしょう” そこで彼は考えて “僕のお母さんは 全宇宙より偉大だ” “ということは 母なる地球は・・・” カルティケヤはすでに母なる地球を 回り始めていました シュリ ガネーシャはお母さんの 周りを三回回ってご褒美をもらいました 彼の母性の資質が お母さんが最も偉大で サダシヴァよりも 偉大だと気づかせました 驚くことにそれを サダシヴァは好むのです 母に 内にある母性に 敬意を払うことをです “女性が敬意を払われるところには 神々が内在する” 女性はとても重要です 西洋の男性にも 非があるというべきです 女性を冷遇し 宗教からも除外し 蔑んできました インドではイスラム教徒が そうしてきましたが 西洋ではさらに洗練された 攻撃者です 非常にひどく扱い 蔑んできました しかし彼らを許し 女性的に 力強くなるようにしなさい 女性の力は 神の力である愛です 理屈っぽい知性を使うより 愛を使うべきです 無駄なエネルギーを 使わないでください 特にドイツのサハジャ ヨギには より女性らしくなってもらいたいです いい料理を作ること だけではありません 人生対する 態度においてです サハジャ ヨガがあなたの愛の力に 頼るほどの視野の広さです 私たちは非常に 愛深く 優しく サハジャ ヨギの面倒を 見ないといけません できる限りの歓びを 与えれるようにです さもなければこの国の女性は 吸血鬼のようになります ですから気をつけてください 男性もそのような女性がいれば 敬意を払わないといけません 特権を与えないといけません 面倒をみないといけません 女性は子供たちを 世話しますが 援助し 必要なお金を 与えないといけません 家計簿を確認したりせず 任せなさい 最悪でも 破産するぐらいです もうしていますが まず女性のサハジャ ヨガに対する 態度をみることです 家で女性が財布を握っていると 男性が管理しているよりも サハジャ ヨガの仕事のために もっとお金が使えるのを見てきました 驚くべきことです 男性が管理すれば自分の車や 大きなことを考えますが 女性が管理すれば お金の貯め方が分かります 私のお金のやりくりは お話しした通りです 男性は節約できません 女性だけができます より大きな関心があればです 自分のことばかり 考えるなら 夫のシャツや自分のサリーに 全部つぎ込んでしまいます より幅広い関心があれば 大変賢くお金を使え 他の者のために使うお金が 常にあるでしょう 私の場合 主人からのお金で 家計をうまくやりくりしています 結構もらっていますが 市場で買い お金を節約します あらゆるところで 節約しています 初めて良さそうなクリーニング屋に 自分のセーターを出しました そのように女性は節約し みんなのために使います それが真の 女性の満足感だからです 自分たちの結婚生活や社会生活に バランスのとれた見方ができるなら この世界で 理想的な者になれます 学校について はっきり言っていますが もし聞きたいのであれば・・・ パンフレットはありますか 見たいです ないのですか 男性みたいですね 彼ら自身ここで見たいと 言ってましたが 男性に料理を頼めば すべて足りなくなります “シュリ マタジ 敬意を持ってお尋ねします” “男性でいることに 少しでも利点はあるのでしょうか” 男性なしに 女性は 自分自身を表現できません 潜在能力だからです 可能性だからです 全く相関的な用語です 女性は男性なしに 存在できません 母なる大地に すべての香りがあったとしても 花がない限り 母なる大地に香りが あるとどうわかるのですか 男性は最も大切です さもないと すべての力が無駄になります 女性が母なる大地であるなら あなた方は花です 利点ですか あなたを人々は見るのですから しかたありません そうなのですから 電車でも 電車が止まれば 男性は電車から降ります そこに座っていられません 私は主人に言いました “あなたはなぜいつも 家から出ようとするの” “しばらく家で 座っていられないの” 彼は“男性の側からすれば 家にいる者はカルゴスナと言われ” “常に家にいるという意味だ” 私は“家から逃げる者はカルパグナ?” つまり逃げる者という意味です 中間があるべきでしょう でもそれが男性的なのでしょう しかしサハジャ ヨガでその両者に バランスをもたらすことができます それがサハジャ ヨガです バランスを与えます するとお互いを 楽しめるようになり 家でも楽しめますし 外でも楽しめます なので家でも外でも 一緒にいられます お互いの関心が同じです 関心が同じに なっていくからです まるで花が母なる大地に落ち 母なる大地を香しくするようです するとその大地が 香しくなります そのように美しいのです 教育に関して 指示を出しました モンテッソーリ教育について 気にすることはないと話しました サハジャ ヨガの 学校を建てます モンテッソーリの教育をする女性が ひどくなっていくのを見てきました 彼女達のエゴの大きさには 驚きます ですからあなた方が サハジャ ヨガの先生になって サハジャ ヨガの 学校にしましょう シドニーとメルボルンで 学校を始めましたね 公式な学校です それについて 恐れることはありません 公式にサハジャ ヨガの 学校です 皆の役に立っています 批判もありません 胸をはってサハジャ ヨガの 学校だと言えます ですから先生達は サハジャ ヨガの専門家です つまりすばらしいサハジャ ヨギ ヨギニでないといけません エゴが強くてはいけません キャッチがあってはいけません いい先生になれません モンテッソーリの先生は 夜に酒を飲み タバコを吸い 朝になると先生をします あなたはまずサハジャ ヨギになって 初めて先生になれます その資質がないといけません 大切です リアライズ ソウルの生徒や リアリゼーションを得られる生徒を 受け入れることが大切です 今日はカルティケヤのためにする 特別なプージャです カルティケヤは偉大な ガナ達の隊長とも言える リーダーを象徴します ガネーシャは王様ですが 彼は隊長です ドイツ人は全てにおいて 指揮権を持つ性質があるので この場所でプージャをし スピリットと男性的な資質の 指揮がとれるようになります 女性は女性的な資質の指揮を とれるようになります 指揮をとるのは マスターになるのとは違います マスターはそれを所有しますが 指揮官は所有しません 所有しません 所有権がなくなり 指揮するだけです その状態にならないといけません ガネーシャの状態から カルティケヤの状態です ガネーシャはやさしく 王様で すべての力を備え座っています 純真があります カルティケヤは 純真を指揮し その指揮する力を あなたに与えます 彼が指揮します グル プージャの後 他の者を指揮する力を持つべきです そしてその指揮する スピリットは 男性においては 話すことや ダイナミックさや 個人的な達成によって出てきます そして女性においては 愛する力 忍耐力 慈悲深い態度 許す心 慈愛によって出てきます それを今日育みましょう 指揮ができるようにです 備わっているのではなく 指揮する立場にあるという意味です カルティケヤについて あなたが理解できることを願います 神の祝福がありますように […]

Pre-Christmas Talk and Farewell Puja Montague Hall, Hounslow (England)

Pre-Christmas Talk and Farewell Puja. Montague Hall Hounslow (UK), 23 November 1984.
昨日は 素晴らしい日でした 次元の 違うことについて 話しました これまで 世俗的なことについて 話してきましたが 時には そのことがとても 大切です しかし 昨日話した時に あなた方は サハジャ ヨガの 精妙な理解の領域に 飛躍しなければならないと 悟ったことでしょう まず私たちは 家族や我が子 家事 結婚について 心配します 次から次に このような心配をし 些細なことについて 気がかりになります 次に アシュラムについて 心配します アシュラムの 問題についてです 私たちが何をしてきたか どのように問題に取り組んできたか 何が問題を 引き起こしているか考えます こうして人間は 精妙な理解を 持ち始めます それから私たちは 神の寵愛を 受けていること いつも私たちを見てくれている 偉大な存在に気づきます 何か崇高な力 私たちに特別な注意が 向けられていると悟ります 今日私は 神に助けられている という事実を 私達がいかに 悟り始めたか 説明しました 全ての問題は ある種の原因の結果です あらゆる問題が そうです 例えば モナが書いた手紙によると 高速道路を 運転しているとき 自動車が コントロールを失い ブレーキが 効かなくなりました そして車が 左右から接近し 前後にも 接近していました もう一人ヨギが 同乗していて 2人とも もう終わりだと思いました 原因は車か あるいは ブレーキか機械の 何らかの故障で 結果が すべての問題です ではどうしたら その問題を 乗り越えられるでしょう 結果を無効にしたくても できません 原因を進展させようとも うまくいきません ではどうしますか 最も簡単なことは 原因を超えることです 原因の上に 超越することです すると原因が 存在しなくなり 結果もなくなります 原因があなたの注意にある限り 結果もあります 彼女はどうしたでしょう ただ私に祈り 私のことを思いました “これが私の 最後のチャンスです” それだけです すると 原因が消えました それを 超越したからです 結果も消えました 彼女はとても驚きました ですから ただ原因から 高次に 上昇すればよいのです “妻がこうだ”とか “夫がこうだ” “家族がこうだ” “ヨギ達がこうだ”という あらゆる問題があります ただの結果です 何が原因でしょう あの人や この人であったりします これは 原因との関係です それを サレンダーしなさい あなたは そうする権利があります 才覚があります 出来ます 能力があります 資格があります しかし あなたはそうしません 忘れてしまうのです 原因を委ねてしまえば 結果はなくなるのです 大切なのは上昇することだと 心に留めて置くことです 原因を超えることは それを取り除く 最良の方法です 私は あなたと遊んでいます 原因があると“マザー 私に 仕事がありません” 仕事が見つかると 次に“仕事が大変だ”と言い 次に“妻をもつべきだ” と言います “妻に問題があり 離婚しなければならない・・・” “悪いのは自分の中に ブーツがあるからです”と言い ブーツを原因にします “このように振る舞うのは ブーツが中にいるから” それは他のせいに しているようなものです あなたがまず “ブーツとは何か ブーツとは誰か” “私はマザーを知っています” “貴方にブーツを任せます” と言うことによって それを超越できます それだけです でも非常事態に 置かれないといけません その力があっても あなたはしないからです 非常事態にいれば 急速に解決します 非常事態でなければ モナのように使おうとしません もう1つの例は あるジャーナリストが 旅をしているとき 急にブレーキが 効かなくなりました 他にもう1人いました (そのもう1人が 私に話してくれました) 彼はサハジャ ヨギでした 彼はブレーキが 効いていないことに気づき 前から 大きなトラックが 後ろからは 別のトラックが迫ってきました 曲がる道も 抜け道もなく ブレーキはひどいものでした それほどの 非常事態だったので “ああ 神よ 最後の瞬間が来ました もう終わりです” 前後からトラックが 近づいてきて もう少しで 死ぬところでした そして友人に “マザーを思いなさい”と言いました すると トラックを背後に残し 路上をゆっくり進んでいました ブレーキは効いていました 非常事態でないと いけなかったのです 人間は追い込まれなければ 決してそうしないでしょう いったん追い込まれると そうするのです これが人々が 禁欲的な生活をする理由です 禁欲的なら 追い込まれるからです 禁欲者は自分に非常事態をつくり 神を思うためにゴビ砂漠に行きます しかし 砂漠での修業は 時代遅れです 彼らはそこから抜け出るために 追い込まれる状態でいます サハジャ ヨギは賢ければ そのようなことをする必要はありません しかし どうやってそこに 到達するのでしょう 瞑想が 唯一の方法です 皆 瞑想しなければ なりません 瞑想しなくても 暫くは続くかもしれませんが 数か月もしくは2年間は 大丈夫かもしれませんが その後去ります 多くの人が “何のために瞑想するのか” “瞑想がなくても構わない” と考えますが違います 瞑想によってのみ 成長するからです 非常事態において 急速に成長します びっくり箱のように バネで跳ね上がります しかし 継続的な 成長を望むなら 瞑想しなければなりません 思考を 次々と浮かばせ 鎮めなさい 思考のない 意識状態になります その思考のない状態のときに 成長します 結果の原因に 囚われないときに成長します 原因がなければ 結果もありません 問題は たいてい 瞑想しないということです 最終地点に来た時に 落ちるしかなくなった時に それを考えます おそらくその瞬間は 助けられるでしょうが 成長しません 瞑想によってのみ 成長します それが 重要な点の一つで 普段から瞑想する者に 真の助けをもたらします 通常の生活において 酸素がなければ 成長できません 酸素や食事は 不可欠です スピリチュアリティにおいては 瞑想で成長します それ以外ありません 瞑想なしに成長できると 思うことは傲慢なことで 実際 傲慢です サハジャについて 語れるからです そのような人を 見てきました 大胆な 講演ができても バイブレーションがありません 何の役にも立ちません コレクティブの 意識がありません 様々な問題を 抱えています 成長は瞑想を通して 得なければなりません これはその一部です 崇拝であり プージャであるといえます 何も諦める 必要はありません ただ執着をなくし 原因自体から 離れればいいのです これはその一部なのです 第二にこれは 感情的な束縛に 精妙な側面をもたらします 感情的な束縛は 帰属意識を与えます キリスト教徒 ヒンドゥー教徒 イスラム教徒 イギリス人や あらゆる人種 何と名付けようと 全て払い落されます 執着のない人格を 手に入れるからです このような束縛 “私の兄弟です 姉妹です” “妻が心配です” “子供が心配です” あなたを 小さな人格にする 感情的な束縛は 払い落され 一つの感情的な 束縛を持ちます “私は慈悲において 成長します” “慈悲は働きかけられ 効果的です” “私は慈悲をしっかりもっています 私の慈悲はこの分別です” “私はヨギです” そして次に あなたは サハジャ ヨガの本を読みます サハジャ ヨガについて 知ります サハジャ ヨガの テクニックを知ります クンダリーニを上げます チャクラをきれいにします マントラについて 理解しようとします マントラについて 精通します 神格について精通します 彼らを喜ばせます これら全てが 適切にされた時 あなたの精神的な束縛が 払い落されます 偉大な科学者は これが科学でないと知るでしょう 神の技法の学問は 遥かに上回ります 本を多く読んできた人は サハジャ ヨガについて読むと 自身で体験し 理解します 今まで読んできたものは 全て馬鹿げたもので 意味もなく空疎であると知るでしょう こうしてある種の 虚無感が襲って来ます エゴの虚無感です 知識の偉大さを 知るからです ニュートンは言いました “知識は大海のようだ そして私は 浜辺で小石を拾っている子供のようだ” なんという 理解力でしょうか あなたの中に 空白感が入ってきます そして本当の知識が 入ってくるでしょう 真の知識への認識が できます 話せば言葉に 効果があります それはマントラです 軽率に喋りません “私はヨギです 15年間しています” 何の意味もありません 百年していても ロバがロバであり続けるように 全く変わりません 一年しか していなかったとしても ロバから人間へ そしてヨギへとなることもできます まず初めに 私たちが お母さんに 感情的に執着することで 自分自身を再度 条件付けしなければいけません あなた方は 世界中にいた他のヨギより 利点があります 彼らはお手本が ありませんでした 根源的な母について 知っていましたが 形がありませんでした あなたにはあります 恵まれていて 幸運です 抽象的なものを崇拝するより 形があった方が良いです でなければ どうやって 絶対的意識を崇拝しますか その執着は 私に何か与える ということではありません 与えれるものは ありません ただ原因から 自由になればいいのです うまくいきます あなたは体験しています “どうにか解決しました” と言うでしょう バンダンとは何でしょうか あなたがお母さんと 繋がるということです これは お母さんへの電話です それだけです そして私はあなたに “バンダンします”と言って遊びます 自分自身に バンダンしています 電話です ただの電話です 真の信じる気持ちが育ち 感情的なものに 執着しないでいられます “私の母が・・・ ” 彼女にバンダンしなさい “私の父が・・・ ” バンダンしなさい “私の兄が・・・ ” バンダンしなさい 何であろうと バンダンしなさい あなたはお母さんの保護下に 悩みを置いています 自覚はないでしょう 手を通してお母さんの愛と 彼らを結び付けています このバイブレーションは お母さんの愛です あなたを通して 流れています では あなたのお母さんへの 愛はどうでしょう 完全な非常事態の時は サレンダーをし 作用しています 非常事態を作る 必要はありませんが ゆっくり確実に 解決しなければなりません あなたの中で 自然に確立していきます 内に力を持つでしょう 保障します 瞑想は一つの方法で もう一つはサハジャの知識です 他人に話すのではなく 自分で解決していくことです チャクラがどう作用しているか 自身に働きかけなさい 他人を悟そうとするのは あなたのブーツです 自分のために 自分の内で学んでいくべきです 誰がどのチャクラを 精通したか知っています “こうすべきだ”と他人に 言うことではありません それは完全な 意味のないエゴです してはいけません 聞かれれば 個人的に 話すことはできますが 大勢の前で講義をして 人を 混乱させてはいけません 克服すべきことが 二つあります 感情的に 精妙でない部分と 精神的に 精妙でない部分です 肉体的に 精妙でない部分も同じです 肉体的に 精妙でない部分は 唯一の薬である バイブレーションに 自身をサレンダーすれば 克服できます 孫のアヌパマが 母親に言いました “お母さんはアロパシーで生まれ ホメオパシーを治療法とし” “明日はジャンボパシーに従い その次はナンボパシーをするでしょう” “でもー” “私は神に生まれ 神パシーだけに従います” “そしたら神は私の面倒を見てくれ 私を治します” 娘は言いました “あなたも 変わるかもしれない” 孫は “神は決して変わらない” 単純な答えです 神は あなたを癒すでしょう でもそれを言うには 非常事態の時ぐらいに 上昇していなければなりません 強い気持ちと人格を 持ち合わせていないといけません “神様 助けてください” とだけ言うなら あなたが神のために時間がないように 神もあなたに時間がありません 単純なことです 崇高なことから 平凡なことまで 効果があります ランプであろうと その灯やオイルであろうと 原因を超越して 効果を得るなら あなたは 精妙なレベルにいます あなたは 原因を超越するので 何に対しても 原因をつくりだすことはありません ただその効果を見ます 一度 原因が消えれば その効果は表れます 得るべきもの 正しいものを得られます 最悪なことが 起こるわけではありませんが 原因にこだわれば 起こるでしょう 最良なのは 原因に執着しないことです そうすれば 効果が出てきます 車のブレーキのように 効果があります 車は大丈夫でした 全てが大丈夫で 効果がありました 原因は なくなったわけです なぜ どうやって どのように全て 上手くいったのでしょう その効果を尋ねても 説明できません 原因はもうないので 原因を挙げられません 神の業が働いた と言うでしょう 本当に効力のある 唯一の原因というものは 神聖です しかし 神聖を世俗的な 観点でみてはいけません “お母さんの写真があります” “礼拝しました 満足です お母さん おはようございます” そのやり方ではいけません お母さんを 知らなければなりません 愛さなくてはなりません それだけのことです 私を愛さなければいけない というのは気恥ずかしいものです しかし 母として 多くの気恥ずかしいことが ありました そのうちの1つが これです 子どもたちに どう言っていいかわかりません 事実です 非常事態や そのような問題を経る必要はありません 自然に働きかけられて 上手くいってしまうくらい 成長できるように 自分自身を 高めるだけです 例をあげましょう 驚くことに最も働きかけた イギリスが一番上手くいきません 単純な 例を挙げましょう 数か月前 あなた達が インドに来ると決められました 私は今度で 2度目の帰国ですが イギリス人が唯一その場で 払わなければいけませんでした でもまだ払っていません オーストラリア人は 払いました 80人くらいいましたが 払いました イギリス人はまだです 全てが遅いです エゴに関しては一番ですし 国旗も一番に来ます エゴはどこで発生したのでしょう 偉大なるイギリスです 何か始める時 彼らは最も遅く 批判に関しては最も優れています 彼らに地位を与えると エゴが突然みえてきます なぜでしょう 原因があるので 説明できます あなたは言うでしょう “それは惰性で” “誰かのせいで ブーツのせいで” “エゴや スーパーエゴのせいで” “私ではありません 私は大丈夫です” なんらかの原因です なぜ今まで 払わなかったのですか 大きな問題です 私は 行かなければいけません 来ないなら 来るべきではなかったのです 払うべきなら 払った方がいいです どうしたというのですか 行く者が50人から 35人になりました 準備もし 色々注文もしました バスの手配もです でも彼らはいません 誰も強制していません 逆に“少人数で行きましょう” と言いました 350人以下は無理ですとか 300人は大丈夫 200人は大丈夫 210人では無理・・ どこに泊まるというのでしょう 世俗的な視点です 他の国はどうでしょう “ともかく行きましょう お母さんがうまくやります” すべてが 上手く行きました 驚いたことにアメリカ人が それを成し遂げました しかしイギリス人は 行くかどうかさえ 分かりまん まだ何人かいます かわいそうなギャヴィンは 走りまわりました 彼こそ 忍耐強い人です 私は11人がまだ払ってないことに 驚いています 信じられますか とても単純なことです 行きたい者が 行けばいいのです 行くか行かないか ただ彼に言えばいいのです 誰もあなたを 期待してません こんな些細なことも 出来ないのです “これが起きたから”とか “あれが起きたから”とか・・・ イギリス人はもっと 上昇すべきです あなた方のために 頑張ったのですから 神はさらに5年の 歳月を私に与えました 時折 戻るべきではない と感じます というのも 意味がないからです これは とても小さな例です 世俗的なことです これは他の場所でも 見られます 彼らに何か言うと “でもマザー なぜこのような ことが起きたのですか” “なぜ私はこのように したのですか”と質問します 原因を聞きます “なぜ私がそのように 振るまったのか” “短気を起こしたのか” サハジャに長く来ていて 実践していながら 他のシュタイナーの ところへ行き 次に他のとこに 参加している人を知っています 彼らは私やサハジャ ヨガを 信じていません 狂ったようにあれこれ実践して それを続けています イギリスでのみ できることです 特異なことです サハジャ ヨガを 実践せずに サハジャ ヨガに来て 治癒して 助けられた人を 多く知っています それでいて 他のことをします これでいいのでしょうか リーダーを 責める人が多くいます ここに来た時 具合が悪くなってしまいました 8日間具合が悪く その後も大変でした あなた方は私の体の中にいるので 私は苦しみます リーダーが悪いと 言いだし “リーダーは強くあるべきで 手腕を持つべき” “さもないと大変になる”と またしても原因 そしてまた原因 あなた方には素晴らしいリーダー ギャヴィンがいます 彼こそ多くのお金を 費やしました 彼の事務所も 私たちのために働きました どうしようもない人達を 受け入れました “この人はエゴが大きいです” といえば彼は雇います “この人にブーツがいます” といえば雇います 私が1日でさえ扱いきれないような ブーツと一緒に働きました 彼は その人の所へ行き “一緒にやろう”と声をかけ 自身の感覚と理解で 多くを救いました しかし率直に人を リードしませんでした 正直に言うべきです “あなたはブーツです 治しなさい 大丈夫です” “ブーツでも構いません レモンやチリがあります 座りなさい” “マザー 彼は自身を最大のブーツと 同一化しています”と言うなら それと向き合いましょう あなたにリーダーの 理解があるなら あなたよりも私は解っている と思うべきでしょう これは時折 悲しいことです 人の良さを なぜ理解できないのでしょう 彼が耐えてきたブーツの量は 私は1日でも耐えられません 中には大変エゴが強く 彼らが私の家の 階下に降りてくれば 私のお腹が痛くなる程 邪悪です でも彼は耐えます その必要は何でしょう 彼はただ助けようと 思っただけです この人は邪悪であると言う度 ギャヴィンによって雇われます ある日 首にするよう 言わないといけませんでした そして彼らは 首にされました なぜイギリスに 最大量のブーツがいるのでしょう 彼らを近くに置く 必要があるでしょうか 私が発つ日に する話ではありませんが 私が行くと ブーツが戻ってくるようです それが原因となり 結果が出ます あなたがこの偉大な国に生まれて 至高の高さまで上昇できることを 明白なビジョンとして あなたに与えなければいけません しかし ひどく 落ちることもできます それを見てきました あなたは常に 誰かのせいにするからです 例えば ギャヴィンに対してです これはあなたがした 最悪のことでしょう それを グレゴアに言えば 彼はその人を10回細かく 切り刻み その状態で 私のところに 連れてくるでしょう 本当です 彼は言うでしょう“なんと馬鹿げた話 それならやってみなさい” ワーレンに言えば オーストラリア人の 気質で何をするか分かりません 彼らは素晴らしいです でも あなた達にはギャヴィン のような人が相応しいです 彼らは私が大いに 働きかけた特別な人です でも驚きました まともな者は そのような リーダーは必要ないのです 驚くことにまともな人は 今のオーストラリア人のようです 私に対しての振る舞い方が 大変愛情に満ちています ギャヴィンは私のために 良いカップとソーサーを買いました 私にそれで紅茶を 入れようと思ったからです そこで彼は 全てのセンターに買いました 彼ら子供達が お金を集めました “ケーキを食べるでしょうから お皿を用意します” 彼らは 小切手を送りました なんて優しいのでしょう でも知っての通り 私はケーキを食べません それでも優しい子供達は 用意してくれました 理由はなんでしょう なぜ私たちは 支配したりされたりするのでしょう また原因があります 超えないといけません 私が次に来る時 また間違いを起こさないよう 祝福します 瞑想しなさい 瞑想しなさい あなたが インドに来た時 私が働きかけた人達を みてもらいたいのです 私が訪れたことのない場所でも 誰かがリアリゼーションを与えています 彼らは 素晴らしい花です ここでは 私が 間違っているのでしょうか 私が一生懸命 働きかけた場所で 人々は原因について より心配しています あなたにとても正直に 言わなければいけません 自分自身の中で 成長しなさい あなたは寛大ですか? […]

1st Day of Navaratri, The Discipline (England)

Navaratri Puja, London Hampstead (UK), 23 September 1984.
今日はナヴァラトリを お祝いできる そして このツアーを通して久しぶりに お互い会える素晴らしい日です イタリアで イギリスは 宇宙のハートであると言いましたが イタリア人は納得しませんでした 驚いていました イギリスが宇宙のハートだとは 信じられなかったのです その理由に イギリス人にとってローマ人は かつてのイギリスの侵略者であり ローマ人にとってもイギリス人は 負けを認めない傲慢な者だったからです 負けても傲慢でした なのでイギリスが宇宙のハートだと 信じられなかったのです ハートであるなら 宇宙の状況はどうなのか そして私にもイギリス人の傲慢さについて 長々と説明しました 私もそう感じたことがありました 今 最もすばらしい ナヴァラトリを祝うのですから 特別なことがあるに 違いありません ハートを完全に 浄化しないといけません 身体全体を流れる血が 浄化されるほど完全に浄化します ハートが最高の 器官なわけですから ハートの細胞も 最高でないといけません 人間の身体の中で ハートの細胞が最高の細胞で 最高の資質を有し 最も敏感だからです ハートは響きのない音 アナハタを表します 度量の大きい者もいれば おしゃべりな者や 自慢好きな者もいて 度量の小さい者もいます この特別な国 イギリスに生まれたなら 器を大きくできるはずです その可能性を 内で育まないといけません では何が欠けているのでしょう 可能性を持ちながら すばらしい素質を持ちながら ここにいる利点がありながら なぜサハジャ ヨギが 長年に渡り高みに至らないのか 理由は何でしょう ハートは脈拍し 鼓動でもって動きます 心電図で 確認することができますし 系統だっています とても規則的で それ自身で修めています かすかな音や変化も 図で分かります 大変敏感です しかしここでは 修身が欠けています 常軌を逸した おかしなハートが エゴを膨れ上がらせています 何を話そうとも 別の解釈をします 何を言おうとも その時は真面目に聞いていますが 次の瞬間には効果がありません ですからこのことを よく理解しないといけません その素質があるのに 修身が欠けています 修身がなければ 器は大きくなりません そのためには 内なる知性を持つことです 教育ではなく 内的な知性です 器を大きくする必要があると 理解させる知性です ここにスピリットが脈動しています 力ではなく スピリットです 目撃者であり 神の反映で デヴィの仕事の傍観者です しかしその高みに行かないで “私たちはスピリットなので 見ているだけです”と言うなら その器に 達することはできません 祝福を受けても ハートの七つのオーラのように 七つのアシュラムがあっても 自分自身を修める必要があると 理解しません ただ利点として捉え サハジャ ヨガにいるだけで ヨギであると断言するなら ハートの細胞である ということにはなりません 警告しなければいけません サハジャ ヨガが離陸しようとする この時に大切なのことです スピードが増して 離陸しようとしています 残される者は残されます もはや傲慢ではいられません まずあなたの人格が 皆が言うように傲慢なら 謙虚になるようにしなさい 地上に取り残されるのではなく 飛行機に乗らないといけないと理解しなさい 速いスピードで動いています 最も幸運なことに 今日がナヴァラトリで ロンドンに私がいます ナヴァラトリ プージャが ここで行われるということです 他の国にこのような特権は 与えていません これはあなたが出席できる 最も崇高なプージャだからです なぜ私たちは ナヴァラトリをするのでしょう ハートでナヴァラトリをするのは シャクティの力を受け入れるためです これらのチャクラに 力があると悟り これらが啓蒙されれば これら九つのチャクラの力を 現すことができると悟るためです 七つのチャクラに加え ハートと月で九つです これら七つとその上の もう二つのセンターと言えるでしょう 驚くことに ブレイクも 九つのセンターだと説明しました 上の二つについて 今は言えませんが 七つのセンターについて話しましょう 私たちはこれらのセンターの力を 内で育んでいるでしょうか 時間もなく 忙しくしていて 傲慢でいるならどう育むのでしょう この力を育むのに これらのチャクラに集中しないといけません 行く先々で私に尋ねることや 彼らの様子には驚かされました 誰も自分の家族や家 仕事 失業などの つまらないことに触れませんでした 彼らはただ “このチャクラの力を育むには どうしたらよいですか”と尋ねました なぜ特定のチャクラについて 尋ねるのか聞くと “自分の中にこれが欠けていて 良くないため”と言いました リアライズ ソウルに 私があなたに 修身させることはできません 今日 厳しく言いたくはありませんが 今警告しなければ 後に私を責めるでしょう 重要な警告として 受け止めてください リアリゼーションのあと 私があなたを 修身させることはできません あなた方には光があるからです あなた方は リアリゼーションは何かを知り リアライズするとは どういうことか分かり どれほどのものを得て 自分の人格がどれほど 向上したかも分かっています でも それだけではいけません 自分を修められているか 見ないといけません リーダーや他の者に 言われる必要は全くありません あなたはリアライズ ソウルなのです 自分自身のマスター グルです あなた方全員が偉大なグル サットグルです 自分は天使たちに祝福される敬意に値する 聖人だと想像してみてください それでいて傲慢に講義したり 傲慢に話したりしています 神格にとっても 恥ずべきことです 彼らはあなたにガーランドを贈るべきか 黙らせるべきか困っています あなたはリアリゼーションを与えられた すばらしい地位にいます ただこのすばらしいヨガの美しさを 受け入れるだけです これら七つのチャクラにある あなた自身の力を啓蒙するだけです まず最初のチャクラの力は ガウリの力です シュリ ガネ―シャの母の力です 大変力強いです 彼女の力のおかげで あなたはリアリゼーションを得ました あなたはその力を育むために 何をしましたか 今日がナヴァラトリの初日なので 何をしたか見るべきです 自分の中に その純真さを育めているか 人は話すとき 大変棘々しく話します 純真なら なぜ棘々しくなれるでしょう 人は大変傲慢です 純真なら なぜ傲慢になれるでしょう 純真であるなら なぜ人を騙せるでしょう なぜお互いを傷つけられるでしょう 純真であるなら ナンセンスなことはすべて無くなるはずだと まず分からないといけません 純真であることを望むなら 純真でないものは 抜け落ちるはずです 無知な者であるなら分かります 純真を知らないでしょう しかしあなたは無知ではありません 知識が豊富です 啓蒙されています 純真の力は大変すばらしいです 完全に恐れのない者にします 傲慢ではなく恐れのない者です 純真である最もすばらしいことは 人に対して敬意を払えるということです あなたの中に 人への 他のサハジャ ヨギへの 敬意を育めないなら アシュラムに対する敬意や 自分を律していく上で 自分自身に敬意を育めないなら サハジャ ヨガの話をすることさえ 無駄です それが基本だからです はじめは敬意を払えなかったり 傲慢であったり 愚かであっても仕方ありません しかし光を得たあとは 今まで握りしめていた蛇を 手放さなければいけません 簡単なことです あなたの子供のような 資質によってのみ ガウリの祝福を得ることができます 真に子供のようでないといけません さもないと無駄です 自分が賢いと思っているなら 何をあなたに言っても無駄です 全てを知っていると 思っているからです 最初の力を育むのに まず母なる大地に 座るようにしなさい 最初のチャクラは母なる大地でできているので 大地に敬意を払います 母なる大地でもって 自分を安定できるようにしなさい 木に花が咲いても 大地にそれほど敬意を払いませんが 実になれば 母なる大地に頭が垂れます 同じように サハジャ ヨガの果実を得たなら 頭が下がらないといけません 純真は人を大変平穏にする 特別な力があります 怒り 短気 攻撃性は 純真を前に存在できません 純真でないがために 悪賢いか攻撃的なのです ハートに平穏は訪れません 純真な者は波立ちません 純真に生き 完全な平穏と 調和の中ですべてを楽しみます 攻撃性は狡猾になると 出てきて 思考はこう考えます “自分は賢く相手は愚か者だ 相手に怒鳴る権利がある” しかし純真でない者は 決して賢くありません 切れ者のように見えるかもしれませんが 賢くはありません 叡智は純真であるときにあります どれほどの叡智が あなたにありますか それを見るべきです 純真の力が増すと 叡智が現れます 人は“この者は大変賢い” と言うでしょう 例えば 妻のことで 泣いている者がいれば 賢い者は“この者は妻のことで まだ振り回されている” 家のことで 泣いている者がいれば “まだ家のことで 振り回されている”と言うでしょう 彼らにきりがありません サハジャ ヨガについて 一時間講義をしなければと エゴを膨らませる者を見受けます 一時間講義をしない限り 自分のエゴを発揮できないと思うのです しかし賢い者は 何か言ったり 話したりすることはありません もっと簡単に人に 彼の静寂や叡智を印象づけます そのことを気付かないといけません 自分を修められているか あなたの成長は まだ初めの段階です かなり成長しないといけません 人は利己的な気質でもって 自分は成長すべきだと 理解しません あなた方は 大きく成長しないといけません 成長れば この叡智は慈愛で芳しくなります あなたの叡智は 慈愛で芳しくなります そのようなすばらしい慈愛が あなたの存在から放ち 近づく者は あなたの吉兆さを感じるでしょう リアリゼーションに 自己に しかるべき敬意を払わないといけません そのためにすべきことは瞑想です ある者からヴァイブレーションのひどい 手紙を受け取りました なぜこんなにひどいのか尋ねると 自分には瞑想は必要ないと 言っていることがわかりました 彼は14番目の天国に達していて 瞑想は必要ないと 言い訳をするのは簡単ですが 誰に言い訳をするのでしょう 自分に言い訳をすべきです 誰も聞きたくありません 自分にだけです 飛行機に乗り遅れるようなもので すでに飛び立っていれば 誰に言い訳をしても仕方ありません なので言い訳するなら 自分自身にだけです 空や通路に向かって “こんなことがあって 時間がなくて 渋滞で” と説明したところで 飛行機は飛び立っています 誰に説明するというのですか ですから皆毎日 瞑想をしなければいけません 大変大事なことです 私のいない イギリス以外の国では皆しています 私がイギリスにいるので 皆さん 私がいることを当たり前のように思っています “マザーがすべてしている” それなら私は4時に起きて あなた方のために 瞑想しなければいけません またそうしないといけません 瞑想の時間がないようなので せめて私があなたのためにしないといけません 皆さん毎日瞑想すると 私に約束しないといけません 朝起きなさい 世界中の皆が起きれるのですから イギリス人だってできます ウォタルーの戦争では 一番でした 時間通りだったので 戦争に勝ちました その時間の正確さは 今はどうしたのでしょう 私たちはお酒を飲みません 二日酔いもありません 夜更かしもしません では今日“毎朝起きて瞑想する” と決断しないといけません そして瞑想中は他者でなく 自分に注意をおかなければいけません どのチャクラがキャッチしているか どうすればいいか このナヴァラトリの日に 今日という初日に ガウリの力が内で 啓蒙されないといけません それは表れないといけません このすばらしさは 一度にお話できません 本源的なクンダリー二を 考えてみてください 母なる大地に作用し 宇宙に作用します 動物に 物質に 人間に作用します そして今 あなたに作用しています 彼女があなたの容姿を決めます どんな子供を授け どんな子供が あなたに必要か決めます 彼女があなたに 輝かしい顔や目を与えます これらすべてを あなたのためにしていますが あなた自身の中にある 力はどうですか どれほど現せていますか 本源的な力は 一生懸命働いていますが クンダリー二が覚醒されている あなたの方はどうでしょう どれほど開きましたか クンダリー二は 真の望みに過ぎません 自身を完全にし 成長させる真の望みです 真の望みであれば 他のことは重要ではありません 他のすべての望みは 二番手 三番手に下がります 最も重要な望みは 成長することです 誰のためでしょう 自分のためです それが全世界のために なっていきます 今日のサハジャ ヨギは この宇宙の成長 人類の成長の尺度です あなたが大変重要な役割を 担っていることを理解していますか 世界が崩壊しそうな 重大な時期にです あなた方にはウィリアム ブレイクのような 偉大な聖人や この時期について語っている 偉大な人たちがいました 彼らが培い 伝統的に私たちが培ってきました 長年に渡る偉業がイギリスを この状態まで上がらせました イギリスのサハジャ ヨギの立場が 大変重要であると気づいていますか なぜ自己を理解せず 叡智に欠け 傲慢で 大声で話せるのですか なぜ自分自身が弱く 傲慢でありながら すべてを仕切ろうと考えるのですか 今日 毎日瞑想している者が 何人かは数えませんが これだけは言えます 毎日瞑想しない者は 来年ここにはいないでしょう 確かです 毎日瞑想しないといけません 自らを修めなさい あなたは新しい展望にいます 新しいヴィジョンです そのヴィジョンで見据えるなら それを知ったなら ただそこに立っていることは できません 動きなさい 皆 言っていますが “マザー イギリスのヨギのために” “多くの時間を費やしています なぜですか” 彼らが偉いから 私が尽くしていると 大事なことは あなたがハートの国にいるので 他の国の者より あなた方を もっと浄化させなければいけません しかし実際は違います 他の者は早く成長していて 彼らのヴァイブレーションや 感受性や理解に驚くほどです 皆 マスターしています ここではただ集まるだけで サハジャ ヨガを理解していないのに 講義したがります 目上の者への 敬意がありません 年配者や若年者への 敬意がありません 人より早くリアリゼーションを得ているので 偉いと思う者もいます キリストの言葉を 思い出すべきです “最初に来る者が最後になる” 自分は成長しないと いけないと理解しなさい これらの力を現せるようにするのは あなた自身です あなたがどれぐらい 理解できたか分かりませんが ガウリの力を備える者は その場に足を踏み入れるや否や みんなのクンダリー二が上がります 讃えるからです ガウリの力があれば あなたは際立ちます 目に純真な 欲のない 美しい 輝きがあるからです あなたが目を向けるところは 一瞥ですぐさま クンダリー二が上がります 癌や病気で苦しむ者は ガウリの力さえ育めば すぐさま治ります あなたの悩みもすべて解決します ネガティブなものはなくなり あらゆるネガティブなものを打ち負かす 美しく芳しい蓮のようになります ある者に感化されたので 自分も自己中心的になったり 自己中心的な者が他の者と話して その者も同じようになるのは 感受性が高まったからではありません 神に対して感受性を 持たなければいけません しかし私たちは良いものより 悪いものに感化されやすいです 良いものと同化する力 良いものを放出する力を あなたは得ることができます それは 称賛することによってではなく あなたの挑戦心と すばらしい好奇心 あなたの飛躍でもって 得なければいけません しかし成長していません イギリスでも成長していません 中にはおかしなタグを着けた おかしな者がいます 彼らに注意すべきです 後で宣告してもかまいません ブラック リストに載せるべきでしょう 最初はここでプージャを するつもりはありませんでした 大変悲しかったからです ヴァイブレーションを見ると 様子を見ると イギリスでは人がまるで ピクニックをしているようだからです あなたは私を常に夢中にさせ あなたの努力を ありがたく感じてきましたが 自身を省みるなら 自身の内をみるなら 一人ひとりが自分の内にある 真意をみるべきです あなた方は友達や婚約者 妻や夫のことを心配します 器の大きさはありません さらに小さくなる一方です よくありません 私の慈愛があなたをだめにしているなら これ以上注げません あなたはこの国に生まれた 利点を持っています あなたは高みに 達することができます それについて議論したり 考えたりすることによってではなく すばらしい力を備えることによってです そしてコレクティブの恩恵に 気づかなければいけません きっと驚くでしょう 限りない恩恵を受けています それなのになぜその力を 備えられないのでしょう 何が問題なのでしょう コレクティブでないのなら 自分たち自身の間に問題があるなら そうさせない存在 エゴがあるということです このことを真に分かるようにしましょう 神の恩恵により 大事な時に生まれたという リアリゼーションを授かる 恩恵を賜っているという 私たちは成長しているという 深い理解を持つと誓いましょう しかし私たちは羽を広げるどころか 切り落としています 些細なことを心配する 狭心者になってはいけません 何も重要ではありません 自分の前世において 様々な食べ物 旅行 結婚など すでに時間を浪費しました 無意味なことを様々してきました もう終わっています 新たな事をしなさい 前世において幾度も結婚し 家も何件も持ち 快楽もありました もう終わりにしなさい これは特別な時です あなたが成長すべき リタンバラの最高の時です この時に成長しないのなら もはや成長しません この利点を使いなさい サハジャ ヨガに 一意専心なさい 仕事を断念することではなく サハジャに専心するなら あなたはすべてにおいて専心します しかし専心さがありません ミュンヘン行きも急遽決めました ウォレンが話したかわかりませんが 最後の瞬間に行くことを決めました ミュンヘンにひどい人がいると 伺っていました 彼女は大変傲慢だったので ミュンヘン行きを考え直しましたが ヴァイブレーションを感じて 急遽行くことにしました 彼らは私のビザを取得するので 忙しくしていましたが いつものようにうまくいきました この短期間に 何百もの人が集まりました 彼らは大変な専心さで 子どもでさえ私の一言一言に 聞き入っていました 真珠かダイヤモンドを受け取るように 一言一言を書き記していました リアリゼーションを得ると 彼らは驚いていました ドイツ人がです あなた方イギリス人を超えています あなた方はどうなるでしょう 彼らは意志も強く 良いことをしようと思えば 多くを成し遂げるでしょう このようではありません 私がホールを出ると 彼らはサハジャ ヨガのことを 話しながらまだ驚いていました でもここでは 私が出ていくなり 意味のないことを話し始めます 聞こえますし ヴィブレーションも分かります 専心さがありません 専心さを高めなければいけません これをシュラッダと言います 大変重要です 今年はサハジャ ヨガへの深い理解を あなた方は持てると思います しかし専心さが欠けています 過去において 何か間違いをして それに対して 執着しているのかもしれません でもあなたならできます 過去は忘れなさい サハジャ ヨガでは 過去は意味がありません あなたは全くの新しい者です ただ自身の精妙な仕組みを見なさい 私はあなた方に 懸命に働きかけてきました 自分を信じていない以外に 何もおかしなところはありません 自分を信じれない者は 常に傲慢です ですからまず あなたのスピリットに ハートに軸足をおきなさい おしゃべりしたり 自慢するのではなく あなたの力 内的な力を育みなさい 未だ多くの者が 取り憑かれています 恥ずかしいことですが 神の寺院にいながら 邪悪なものに取り憑かれている者もいます なぜでしょう 今も取り憑かれています なぜでしょう 専心さを持たなければいけません 自分は成長できないと思っていても 後々自身のすばらしさに 気づき驚くでしょう まずは自身を修めることです 修めなさい 中には食べすぎる者 おしゃべりが過ぎる者がいます あるいは全く話さなかったり 食べなかったり これでは 自分を修められていません より高次のスピリチュアルな 人生を望むなら スピリットにおいて 自分を修めることです そうすれば自然とできます スピリットに 支配してもらいなさい それは可能です 短い間しかいなかったので 彼らの名前すら知りません しかしここでは皆さんを名前で ヴァイブレーションで分かります そして彼らは成長しています 今日は素晴らしい日です もちろん これはすばらしい特権です 常にあなた方には特権があります 神の家にいるようです しかしある日この神の家が 完全に消えてしまうかもしれません あなた方は神のように 振まわないといけません ですから謙虚にお願いします どうか自分を修めることに対して 崇拝の念を持つようにしてください あれこれしなさいとは言いません あなたは何をすべきか分かっています もはや“わかっている すべきだったのは知っている”とは言えません 知っているならなぜしないのですか その力は備わっています 今日 自分に対する 上昇に対する完全な自信で 十分な専心さで プージャに望みましょう そしてハートにおいて “私は自分自身を修める”と決断しましょう 神の祝福がありますように […]

Birthday Puja, Overcoming The Six Enemies (Australia)

Birthday Puja, “Overcoming The Six Enemies”. Sydney (Australia) 21 March 1983.
このよき日をあなた方と 共にできるのは素晴らしいことです オーストラリアの サハジャヨギは とても良いヨギと 分かりました 短い間に スピリチュアルな 生活において 早く成長しました こうして私の子供たちと ここに居るのが とても嬉しいです ご存じのとおり 私には多くの子供たちが 世界中にいます 実際に産んだ 子供たちの他にです ここに来ていない 者たちのことも 私たちは 思い出すべきです 彼らは何千マイルも 離れたところで スピリットの上昇を 祈っています 人はスピリットの 上昇のみを願うべきです 上昇すれば 他は全てついてくるからです 必要なものを 得られないとしたら 上昇が足りないのです そのために 問題があるのです 未だに私が解決しなければ ならないこともあります プージャに来る前にです ですがスピリチュアルに 上昇すると決心すれば 必要なものは 全て得られるでしょう 神があなたに 注ぐべき恩恵の全て 彼の王国の民に なるための全て 裁かれることのない国 罰せられることもなく 試されることもない 神の愛とその栄光に 永遠に包まれる 場所にです 10年で これ程達成できるとは 10年前には 考えられませんでした 私たちはサハジャヨガと 他の偽のグルとを 比べるべきではありません 一人の預言者を作るのでさえ 千もの生を必要とするのに 多くの者が預言者になったのは 偉大なことです 自分の欠点は忘れましょう 自分が預言者であると 自覚しましょう この自覚を確かにしなさい あなたが何者になったか 自覚できれば 神の栄光を放つでしょう 花が咲く時のように ある香りが 自然に漂うでしょう でも 自覚しないということもまた 人間だけが持っている自由です 自らを偽り 演出することも 正しく自覚することもできます 預言者になってもなお 自分とは違う幻に しがみついたりします まだ恐れていて エゴ中心です それは偽りで 本当のあなたではなく 俳優が 演じているようなものです シヴァジ王のような 振る舞いを演じていると シヴァジのように なってくるのと同様に 生き方まで変わって シヴァジのようになりますが 同じ人が ヒトラーを演じていると ヒトラーになってしまいます どちらも人為ですが そうなります あなた方が 真に預言者であると 本来の自分自身であることが 難しいと分かります しかし 以前の人為が 無くなっているのです 無くなっていて 罪人は死んだのです エゴイストはもういません 恐れる人も消えて あなたは預言者なのです その人格の栄光まで 昇りなさい 預言者でないものは 神に背く者でさえ 自分を預言者だと 言うことはできますが 本当の預言者は “自分自身”を偽りたがりません あなたは 自覚さえすればなれるのです 私たちは今まで 慣れ親しんできたこの種の 心のトリックを 乗り越える必要があります 偽りは 全てはがれ落ちるべきです もちろん お伝えした通り 誘惑的で 悪魔的な力だらけの中で 10年でこれほど達成できるとは 思っていませんでした これは あなた方の達成でもあります 多くの問題や ハードルにも関わらず あなた方は上昇しました 高く高く上昇し 美しい預言者になりました あなたは大きく変わり 自覚さえ持てば とても優しい気持ちに なれるでしょう 私が上の孫と話した際に 11歳の小さい女の子ながら 自分の母親に言いました “もうおばあちゃんと話せないわ だって女神様なのよ” “恥ずかしくて 話せる訳ないでしょ” あんな歳でいうのです 彼女はいつも クラスで一番で 学校新聞の 編集員をしています 素晴らしい子です その上とても謙虚で “恥ずかしくておばあちゃんとは 話せない”というのです “女神様なのよ 話せる訳ない”と ラスタムが彼女から ヴァイブレーションが出ているといいましたが あなた方も そう成長するべきです まず 自分が預言者だと 知らなければなりません そして私が聖霊であると 知る必要があります 私はアディシャクティです 私はこの偉業のために 初めてこの姿で 地上に現れた者です これを理解するほど 良くなります 驚くほど変わるでしょう いつかオープンに言うことだと 知っていました そして明らかにされました さあ 次はあなた方が それを証明する番です キリストの弟子たちは リアライズ ソールですら ありませんでしたが どこであれ キリスト教を布教しました キリストが磔になってしまい 残されたのは たった12人という状況で 彼らは耐え抜きました 彼らは極めて 謙虚な人たちでした それにキリストと自分 そしてマザーの違いを知っていました そして自分たちと他の者たちの 違いも知っていました 清らかな キリストに啓蒙された 人生を送りました 彼らはリアライズ ソールでは なかったのに 自身を浄化し 生活を美しく保ちました なのでサハジャヨギであれば 尚のこと 次の6つの敵に 与せません まず かんしゃくです これは 慈悲を含みません かんしゃくを慈悲に 置き換えなさい 今日は 60歳の誕生日ですが 心の中で戦うべきは たった6つの敵です 第2は色情で すでにあなた方のほとんどが 倒錯への注意を正しました あなた方殆どが 前より良くなり キョロキョロしなくなりました ですが まだ エゴ中心です うぬぼれがあります まだ競争心があり 嫉妬があります まだ隠れた 物質主義があります そして新しく 家族への 執着が起こりつつあります それを 変えなければいけません 違った用途にです 神の仕事にも 同じことが使えます サハジャヨギの 6つの手として使えます まず 怒り 自分が間違ったら 自分に怒りなさい 負い目を感じなくとも 間違ったことをした自分に怒るのです 罪悪感は自分を変えないために 最も役立つものです 鍵のついた 個人的な倉庫みたいなものです 私はあなた方の罪悪感で ひどい思いを沢山してきました それは 次々と出てくるのです 罪悪感を感じたら 自分に怒る必要があります “どうして私が罪悪感なんか 感じれるだろう” “なぜしたのだろう もうそれはしない”と 他人ではなく 自分への怒りを育てなさい それに怒りは戦いのために とっておくこともできます でないと本当に 戦う必要があるときに アルジュナがしようとしたように 武器を置いてしまいます それに対して人々は “アルジュナは戦争が始まるまでは 偉大な戦士だった”というでしょう なので力を無駄に使わず 些細なことで戦争をせず 幻と戦うことはやめることです 性欲 倒錯は 自身のパートナー 妻に向けられるべきです そして貞節を守ることです 全てが貞節に集約されます 貞節な生活を送りなさい 動物的でなく 人間としてです そういったすべての意識を 貞節の力にしなさい それがあなたを守り 神とのつながりになります 強いられる貞節ではなく 理解とバランスに基づいた 貞節です 家族と 妻と 貞節な生活を送ることができます 女性にはもっと それが当てはまります 夫を悪く言うような もしくは夫に刃向うよう 吹聴するような別の男性に 耳を貸してはいけません 女性の夫を悪く言うような 男性は皆 サハジャヨガから 一掃されるべきです 婚姻は聖域です 夫婦の間に 割って入ってはいけません そんな権利は だれにもありません 問題があるなら 私に伝えてください それは 愚かさのサインです 次にうぬぼれは プライドに変えられます 自分がヨギであると プライドを持ち 本当に誇りなさい プライドで頭を上げなさい “私たちはサハジャヨギだ”と 誇りは押しつけがましくなく 栄えあるものです ですがうぬぼれは 押しつけがましいです プライドとは 自尊心の表れに他なりません 物乞いや債務 猿まねなどは全て 自己理解の不足によります うぬぼれは プライドに変わるべきで プライドとは 自尊心の表現です 自尊心とエゴは大違いです 自尊心は実物ですが エゴは偽物です 男性は男性らしくあるべきで 女々しくてはいけません 牛のように従順で 女性の思いに 縛られてばかりではいけません 社会を リードしなければならないのです インドでは女性の権利のために 戦っているのは女性ではなく 男性です 女性ではなく 男性です なぜなら男性は 女性の父でも 兄弟でもあるからです そして女性の幸福を 気にかけているからです 女性は男性と戦うと きりがないと知っているので 滅多に戦うことはありません 男性と共存すべきと 知っているので戦わないのです ですが男性同士では戦います アメリカですら 女性の解放のために戦ったのは 女性ではなく アブラハムリンカーンでした なので うぬぼれでなくプライドです サハジャヨギであることを誇り この時代に生まれたことを誇りなさい 神の仕事を することのできる時代です 神はあなたを選んだのです あなたの上昇のためにです サハジャヨガのなかで 急に気難しい 隠遁者になるものがいます 神が多くを与えたのに 許されないことです 誰かがあなたに ダイヤを与えたとします あなたは 見せびらかそうとします スピリットを与えられたら それを誇りに思うべきで 隠れるべきではありません 働かないほうがいい とか考える者もいます “外にはいかず 瞑想だけしよう” サハジャ ヨガにはそういった人の 居場所がありません “私にはできません” といいますが “できません”ということばは 皆の辞書から削除されるべきです 仮にもサハジャヨギであるなら “私にはできません” とは言えません 自尊心はあなたに サハジャ ヨギとして必要な ダイナミズムを与えます 分別のある 賢いダイナミズムです 私があなたの問題を解決する 必要はなくなります 競争と嫉妬の性質は 方向をかえて 自分自身に 向けられるべきです 過去の自分と 現在の自分の競争です 過去か現在か どちらが勝つでしょう 現在が より早くなり続けるべきです 過去をできるだけ 置いていくのです サハジャ ヨギどうしの競争は あってはなりません 何を入手したかなど 競争が見受けられます どなったり 悲鳴を上げたり 誰かにつらく当たるなど 激しく争っています 慈愛の心の競争をしましょう マイルドさ 優しさ 美しい態度 誰がより文化的で 紳士的か だれがより深遠か お手本を誰か見つけなさい あなたから見て紳士な人 レディーというに ふさわしい人を 反対に 男性のように振る舞う女性を 理想としてしまったら それも間違っています 女性のような男性もです それは理想ではありません 逆もしかりです 男性とは違う 女性の権利ばかりを 強調するような女性もです サハジャ ヨガでは 男性も女性もありません 男性だから女性だからと いうことでなく スピリットなのです あなたの姿かたち 肉体 あなたのランプや光は 違うものです 光を灯し続けるためには 女性は女性らしく 男性は男性でなければなりません 昨日お伝えしました りんごがマンゴになろうとか マンゴがりんごに なろうとしてはダメです 一番のりんごと 一番のマンゴになれば良いのです なので隠遁して 逃げようという人たちは 人間的というよりは なんと言うべきかわかりませんが 動物はそんなことしませんね 失業手当をもらいながら 怠け者になってはいけません まず できるだけ 手当をもらって欲しくありません 良いヨギではありません 皆ハードワーキングで あるべきで 学業的にも そして何より人格的に 優れているべきです よき生徒 よき料理人 良き母親 良き父親 良き役人 そういった人達に 一体どこで会えるのでしょう 私たちは皿洗いに なるわけには行きません さて 男女の競争は 止めるべきです それぞれの 居場所を持つべきです 女性は男性が 自分の両手だと知りなさい あなたが動力源だとすると 彼らは機械なので壊してはなりません 怒鳴ったり 金切り声で 彼らの自信を 失わせてはなりません 自分の立場がなくなります 彼らが聖なる仕事ができるように 励ますべきです サポートすることです 世話をしなさい 彼らは あなたの機械であり 両手であり あなたは彼らの 動力源だからです 彼らが動力源に逆らえば もちろんひどい目にあいます 子供同士や親子の争いも 我が子と人の子を比べて 張り合わないことです そこから気を逸らして 完全に共存すべきです なので競争心は 共有によって止められます どれだけ分かちあえるか 酔っ払いは 独りで飲めなくて 誰かが 一緒にいて欲しいものです 泥棒ですら徒党を組みます なのに神の恩恵を賜り どうして独り占めできるでしょう 楽しめません 一人だと喜びが欠けています お互いに 優しく親切になりましょう 神の恩恵を楽しむなら いかに多くの人と それを分かちあえるかで 競争すべきです 誰がより分け与えるか より気前がいいか 物質主義は 美に変えられます 一つの手造りの製品が とても美しく 金銭的価値を上回ります 人は金銭を求めて 昼夜お金の勘定をしていると 変になります どこか頭に異常をきたして 結局お金も失います 恩恵を数えなさい 命や 物に込められた 美を見なさい 命がいかに働くか 木を見れば そこに独特の模様が見えます 無味乾燥な 死んだものではなく それは 生気に満ちています 芸術を 鑑賞することもできます 美しいもの全てを 見ることができます 神の創造の力の反映です そうしてあなたに 幸福感を与えます モノに支配されることは 望んでいません あなた方が主人です 最後に 自分の子供への執着です または自分の妻であったり 自分の 自分のと “自分の”といっても それは“自分”ではありません 自分の家 それは“自分”ではありません “私のこれ” “私の 私の”というのは 止めるべきです “ママトヴァ”を壊しましょう それに代わり “私たち”というべきです “私たち”というのは良い言葉で 私もよく使います それでいつだったか 誰かが私に尋ねました “私たちというのは どういう意味ですか” “一体感を感じて 私たち というのは可能でしょうか” “もちろん可能です” あなたは私の体の一部なので 私たちは一つじゃないですか 心臓と指を分けたりしませんね あなたが 私の体の一部であるなら “私たち”という言葉を 使うべきです 私は集合的な存在として 皆がここに居ることに意識的です なので“私”でも“私の”でもなく “私たち”といいます 自分に話すときも 3人称を使えます 例えば “このニルマラがロンドンにいく”とか 本当にです なぜなら行くのは体であって 私そのものではないからです “アディ シャクティである私が行く” といっても どこへ行くというのでしょう どこへも行きません 私はどこにでも存在しています 私が存在しない場所は ありません どこかに行かなければ ならないなら 地獄だけでしょうが 行きたくはありません なので “今 ニルマラが発つ”という 言い方ができます “オーストラリアから出発する”と 私は明日発ちますが 何が起こるというのでしょう 私の体が移動するだけです そのように自分の体に対して 語りかけてみなさい 私の心 とか 誰々さんの心とか 自分を何々さんと言ったほうが良いでしょう 自分に“誰々さん 起きてください” と言ってみなさい 子供はそうします 三人称を使うので驚きます あらゆる場面での ユーモアを感じることができます 自分を 笑うことができます “さあ あなたこちらに来てください こんなことして” そうやって自律を マスターするでしょう どうやってこの赤ん坊を 扱うか分かってきます そうやって 成熟していくでしょう “私の子供です 私の妻です” というのは もちろん子供も妻も あなたの責任において 世話する必要がありますが 他人の子にはもっと 自分の子以上に 構ってあげなさい 自分の子供に対する 過保護は あなたにトラブルを与えます あなたの家族は 父なる神の家族であり 母なる神が 世話をしています 自分で世話ができる と思うならばやってみなさい 過保護にならないように 心配しすぎないようにしなさい 家族のことで 慌てすぎないように 社会的な態度を保ち 子供が同じように ならないようにしなさい 分かち合いを教えなさい 子供が転んだら 別の子に助けるように言いなさい 子供が遊びの中で 身体の不自由な子に 自然に別の子供たちが集まり 助けようとする そんな場面を経験させなさい 劇や物語を通して 様々なことを通じて 良いことを教えなさい 助けるという意識なく 助けなさい それは喜びであり 光栄なことです 大いに光栄なことです 考えを完全に変えなさい 我が子優先で 我が子にまず与える これは全く下品です 育ちの悪さが出ています まず他者に与え その後に自分の家族です 我が子のために 何かを確保し 食べ物を隠し持つ こういったことは全て “クパマンドゥラ”つまり “井の中の蛙”のしるしです 克服しなさい 試してみなさい 男女それぞれ グループを作ってみなさい 男性から女性にあまり 指示をだすべきではありません 良くありません おかしな事を 沢山見つけました 解りません どうして そうなってしまうのでしょう 一方で家族は もうたくさんだと感じて 夫はたくさんだと言い 家族から 離れておきながら 夫をあきらめます 彼はだめだ 結婚は失敗だと言いつつ 別の何かにくっついたりします それは 更なる破滅への道です なので どちらも良くありません 自分の夫や妻 子供の側に立ちなさい 適切な時にはです ただ あからさまに することはありません “わかった いいよ” “でも人前ではダメ” というべきです その子があなたの子だと 分からないようにすべきです ほかの子と交わって 一緒にいて分かち合う それがサハジャ ヨギです ご存じのように私は 自分の子に リアリゼーションすら与えていません 信じられますか クンダリーニの知識は とってあります いつでも教えられると 知っています 時間も 全く与えていません 分かりますか 全くです どれだけ自分の娘たちに時間を 与えたかというと ほとんどなしです 今年は 年にせいぜい3日です 今もっとも大切な 人間関係は サハジャ ヨガや サハジャ ヨギなのです 親に手紙を書くヨギを 見受けます 自分の母や 兄には書きますが サハジャ ヨギには あまり書きません 驚くことです 父には書くけれど サハジャ ヨギには書かない ヨギに書くようにしなさい ロンドンにすんでいる皆 誰か彼らに書いていますか 友達になりましたか さっぱりです 自分の問題で一杯一杯で わざわざ 愛の繋がりを 作ろうとしません サハジャ ヨガに 関心がないかのようです ロンドンの アシュラムにいましたが 何人が 彼らに手紙をしましたか ロンドンの皆に 何人書きましたか プログラムで会った彼らに あなた達の何人が手紙して 関係を持っているでしょう 手間はかからないことです 今日帰ったらすぐにでも この誕生日について 手紙するべきです どんなお祝いだったっかを 美しく 家族にではなく 自分の周りの人でない 人に書きなさい そこら中にいることを 知っているはずです 代表者に書きなさい たとえばグレゴアに またはイタリアのルースに ジェノヴァの ジェネヴィーヴにも書けます 会ったことがあるのだから 書きなさい 女性は女性に 男性は男性に書きなさい アルノーがローザンヌにいます なぜ書かないのですか 知っていますか 彼の妻は出産のために アメリカに行きました お互いのことを 知っているべきです 私は多くの人の 細かいことまで知っています こうやって自分を 愛で満たすのです 今度アメリカとか 他のところに行ったら そこに兄弟姉妹がいるのです マザーについて書きなさい 自分の考えを あなた方は私には書きますが お互いに文通しません 私には特にですが 長文の手紙は書かないでください 詩的な 優しい手紙を書くのです 花を贈るようなもので 人を喜ばせます とても良いアイデアでしょう こうして 6つの敵を克服して 自分の支配下におき 自分のために使うのです するとすばらしく変化します あなたのアシスタントになり あなたの軍隊の長になり あなたの装飾品になります 全てあなた次第です 知恵を持ってしなさい 私はこの歳になりましたが いつも同じ歳でもあります 私は常に今のように成熟しつつ 子供でもあります 若い娘であり 年老いた女性でもあります 毎年毎回同じです ただ 人間理解においては 確実に成熟しました 人間を理解することに 関しては 間違いなく上達しました 生まれた当初は アディ シャクティでありながら 人間のことが 分かりませんでした 自分で創造しておきながら 全く理解できませんでした でも今は成長して あなた方のことが分かります あなたが私の子供で 私を愛している事を知っています どれほど親密かも 知っています なぜそんなに 泣いているの “トイレに行きたいそうです” 連れて行かせなさい “私と行きたいそうです” “自分で行くべきです” 行かせなさい これなんです こういった子たちはとても頑固です 憑き物のようですね 行かせなさい ダメでしょう 行きなさい ほら じゃあ降ろして どうしたことでしょう とても頑固です これは憑き物です こんな大きな子が トイレに行かれないなんて 邪魔したいだけです もう叩きなさい 二回叩けば 憑き物がおちるでしょう 後はもうしません この場合は叩かなければいけません 強くではなく あなたがこれを受け入れないことを 分からせなさい 憑き物は叩かないと 出ていかない場合があります 子供で特に 起こりやすいようです 二回顔を叩けば 大丈夫になります 憑き物ですから 出ていきます 昨日子供について 教えたことを注意しなさい 子供をサハジャ ヨガの 資産にしなさい 負債ではなくです ちゃんとしつけて 育てなさい 彼らは質の良いしつけに ふさわしい存在です 初めはとても厳しく 罰することが必要です 善悪の判断が つくようにです 彼らが成長したときに どれほど重要な資産かわかり驚くでしょう とても良い子供もいますが 悪い子供の影響が 及んでくると よい子まで ダメになるかもしれません よい子を 褒めた方がよいです 優しい子をです 自分の若い時代を思うと 当時の夢は実現しました 私の夢は 想像を越えています 私に関しては もう達成しました あなた方はもう 私をそれほど必要としません あなたに必要な助言や 他者を啓発し どう癒すかはもう教えました あなた方は全て知っています そのアートの達人になりなさい 過去は忘れなさい あなた方は 皆が偉大な人です なので来年会うときは 私の膝の上ではなく この椅子に座って 自分で子供達に 教えているべきです 第2世代が始まるべきです 第1世代は準備ができています 第2世代が育つために 彼らの世話を しなければいけません 私は本当のあなたの お祖母さんになりたいのです 多くの孫に対して それは本当に光栄なことで 成熟であり成就です 雨がふってきましたね あなたの精霊を 満たそうとしています 私が聖霊であると 宣言したからです 皆が喜びに あふれているようです 私をここに招いて下さって ありがとうございます そして世界中のサハジャ ヨギを 思いなさい 皆です 今日はテレグラムを送るべきです 12通ぐらい できますか 全てのセンターに “マザーの60歳の誕生日は 喜びと共に祝われました”と “彼女は皆に恩恵をと伝えています” という感じで 喜ぶでしょう でも インド式では 61歳になります 生まれた日が 一回目の誕生日と数えるからです それが本当の誕生日でしたので 61歳といわれます そしてインドでも 大きなプログラムが行われます 皆さんは 特別待遇されています なので今年は皆さんも私を 特別に迎えて頂ければと思います あなた方皆が 新しい役割を担い 新しい穏和なスタイルを 男性は従順ではなく 女性に対して穏和な人となり 女性は従順に家庭的になると 美しく 穏和な笑顔が 大きな喜びを産むでしょう 私たちは喜びを産みだすためにいます 権利を主張するためではありません それは人為的な喜びです どれだけ喜びを産み出せますか どれだけの喜びを与えられますか この善き日に どうか心に喜びを 感じてください 心の奥底に 歓びの源が存在します なので内側へ 深く入って行きなさい そしてあなたの 60歳の母の歓びを感じなさい 私の中にもそれがあります 深く潜りなさい そこにあります それを楽しみ 他者に与えなさい 歓びの泉のように流しなさい 神の恩恵がありますように すべての国に私が聖霊であり この復活の特別な時のために来たのだと伝えなさい […]