Guru Puja, Sharddha Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Guru Puja. Cabella Ligure (Italy), 23 July 2000.
今日 私たちは グルの原理について 知るために 集まりました グルは 何をするでしょう グルはあなたが 持っているものが何であれ あなたの中にある 貴重なもの全てを あなたの知識のために 発見します 実際 全てがそこにあります 全てです 知識の全て スピリチュアリティの全て 歓びの全てが そこにあります あなたの内に 備わっています グルがする唯一のことは あなたの知識について あなた自身のスピリットについて 理解させることです 皆 自分自身の中に スピリットがあります 自分自身の中に スピリチュアリティがあります 外側から 得るものはありません この知識を得る前は 無知の中に 生きています 無知の状態では 内にある宝に 気づきもしません ですから あなたが何であるかを 教えるのがグルの仕事です それが第一段階です あなたは “自分のアイデンティティは” “幻影である この外観の世界にはない” と気付き始めます そして自分自身の中に 光を見出すようになります 十分な光を得る者もいれば 少しずつ得る者もいます 全ての宗教の真髄は 自分自身を知ることです 宗教の名の下で 戦う者たちに “あなたの宗教は” “自分自身が何であるか 教えてくれましたか” と尋ねるべきです 全ての宗教が 一つのことを言っているなら 自分を知るために これら全てをしなければいけません しかし 人々は 儀式に走ります 儀式をすることで 神に近づけると考えます 自分自身について 完全に無知のまま生きています 毎日 自己と全く 関係ないことをしています 祈りやプージャ このようなことが 続けられています 全て無知から来ます 彼らは人々の払い続ける お金で大変金持ちになり お金だけに 興味を持ちます 彼らはあなたのお金を 全て奪い あなたを愚かにします あなたのエゴを 甘やかします エゴを甘やかすことで あなたは 幻の大海に漂い始め 幻に溺れ 自分が大変宗教的で 神と繋がっていると思い込みます 神を知るには まず自分自身を知るべきです 自分を知らないで 神を知ることはできません 自分自身を知ること は不可決です しかし 自分自身を知る時 一部しか知ることができません 経験が 十分ではないからです 知識は出てくるものです グルが あなた自身についての 知識を与えます 照らし合わせなければいけません あなたのグルが 教えていることが何であれ 真実か真実でないか 正しいか正しくないか 幻かどうか 見極めなければなりません 上昇において 多くの問題が生じます まず第一に エゴの問題です 特に西洋では エゴが大きくなり 自分が偉大で 他者より秀でていて 何か特別である と考え始めます この無知は 世間的な無知より 大変危険だと思います なぜなら 世間的な無知は 間違ったことからの 結果を感じます あなたが 上昇の途中にいる時 自己について 無知な時 より高度な領域に 行こうとしている時 エゴを持ってはいけない と常に理解すべきです そこで内省が始まります 自分の何が間違っているのか 自分自身を見始めます 自分にエゴがあると分かれば 自分自身を見始められます 自分に何か欠けている 何か間違っていると 分かれば内省できます これは大変正直な 努力でないといけません サハジャ ヨガを 始めた頃は 自分が大変偉大で 内省は必要ないと 考える者がいます 自己に到達せずに 再び 無知の雲に覆われます ですから 自分自身何をしてきたか 自分が何であるか どれ程成長できたか 内省しなければいけません (今 通訳をしないでください 後でできます) (集中して 聞かないといけません) (理解できなかったとしても 効果はあります) そのような態度で望む者は 少しずつ変わります まず 非常に攻撃的で 短気で エゴが大きい者は 大変穏和で 柔和になります 恐れを持つ者 怖がる者 とても用心深い者は 恐れのない者になります この段階において 恐怖心はありません あなたは 自分が正しい道 正しい軌道にいる と確信します 容易に心を 乱されません しかし さらなる高みに 上昇しなければなりません 瞑想すると 自分の何が おかしいか気づきます あなたは セルフ リアリゼーションを得ました セルフ リアリゼーションの 恩恵を受けました 身体も健康で 数えきれない程の 恩恵を受けています 全て得ていますが あなたはさらに 成長しなければなりません サハジャ ヨガについての 全ての知識を 理解しなければなりません まずメンタルに 理解します そして どこまで正しいか 証明しないといけません どれほど理解したか どれほど 自分のものにできたか どれほど認識できているか 自分自身を 見始めると バクティ(献身)の領域に 入り始めます あなたは穏やかな者になり 優しい者になり あまりしゃべらず 誰も困らせません 大変感じよく 大変温和で 大変理解力の ある者になります 他者に対する あなたの振る舞いで 確かめないといけません アテンションを 自分から他者へ移し 自分が どう振る舞っているか見ます どれほど愛しているか あなたの 慈悲の程度はどれほどか 人を見返りなしに 愛せれば(愛だけです) その者に 完全に献身的で 従順です サレンダーといえる この愛があれば あなたはその者のために 何でもします これは愛そのものです サレンダーは 愛以外の何ものでもありません この愛は 大変歓びを与えます すると バクティ(献身)が始まり このバクティによって あなたは浄化されます あなたの 悪い面 あなたの持つ欠点 抱える問題を理解し 克服できます 同じような性質 同じような 問題を抱える者を見ると その者への愛から あなたは寛大に接しようとします その者への愛ゆえに 忍耐強くなろうとします そういう者は忍耐強いです 攻撃性はありません 許します リアライズ ソールは許し続けます 彼らの許す能力は 物凄いです 誰に対しても 悪意を持つことは全くありません いかなる怒りも持ちません 絶えず寛大に接し 許し そして許します この許しは いわゆる あなたのバクティの 美しい調べに過ぎません これらのマスターが持つ 許しの大きさは キリストの生き方に 見ることができます 聖人達は苦しめられ 十字に架けられました 人々は彼らを決して 好みませんでした ご存じのように彼らは 十字に架けられましたが 受け入れ 決して復讐しませんでした 慈悲に反することは 決してしません 彼らは 慈悲を持っていました その者に対して 慈悲を感じ “神よ 彼らを どうか許してください” “自分の行いが 解っていないのです” 大変 慈悲深いです 彼らの特質です 特質となり得た時 完全な 平穏を持ちます 彼らは全く乱されません 何が起ころうと 決して乱されず 神の意志だと信じます 如何なるものも 彼らを乱すことはできませんでした 献身を 楽しんでいました グルへの 神への献身です その献身で 美しい詩を詠い 踊り 歌いました 内に平穏を持ち 自分自身を 楽しんでいたからです 彼らが一人の時 決して孤独ではありませんでした 自分自身を 楽しんでいました 神と 一体であると知っていて 神の恩寵を 楽しんでいました 彼らは上辺だけのものに 惹かれません 決して心配したり 動揺したりせず 未来や過去を考えず 現在にいました 現在にいる時 彼らは完全に静寂の中にいます 何か問題が起こったり 彼らに何か起これば 彼らはすぐさま 思考のない状態になります それが 彼らの持つ能力です あなたはグルになるために その人格を備えないといけません 何かに囚われずにです 例を挙げましょう 私は決して急ぎません 時間をほとんど気にしません 一度アメリカで・・・ 神が計画を立てていると確信したなら 何も気にすることはありません 神聖が面倒を見ている時に 何を気にすることがありますか アメリカで子どもが 高いところから落ちてしまいました 私は丁度 出発するところでした その子は 腕を折ってしまいました 子どもを見て “治しましょう”と言いました 彼らは時間を気にしていましたが “いずれにしろ行きます”と答えて 30分程かけて治しました “では向かいましょう” と言うと 彼らは“間に合いません” と言います “私は決して遅れたことはありません さあ 行きましょう” 私たちが 飛行場へ着くと その飛行機は 故障していて NYではなく ワシントン行きが待っていました 実際 私はワシントンへ 行きたかったのです いかに色々なことが ワークアウトするか想像してみてください それを“サハジャ”と 呼んでいます サハジャに ワークアウトします つまり努力を 要しないということです しかし まず あなたの人格が 大変すばらしく 献身的でないといけません すると神聖が あなたの面倒を余儀なく見ます 神聖な力が あなたを取り巻き この力が あなたの安全を 完全に保証している と理解しなければなりません あなたが望む 全てにおいて言えます “マザー 貴女は とても力強いです” あなたが神聖な仕事に 完全に献身的であれば あなたも大変 力強くなれます あなたは 全ての力を備え 神聖はあなたが望む 必要な仕事 時間を与えてくれます 全てが 神聖によって与えられます この慈悲が 人から神へ 神聖へ あなたの グルへ広がるなら 生きることが とても楽になります シンプルになります 複雑でなくなります 全てが整い どんなことも 気にならないでしょう 目を閉じるだけで 全てがワークアウトします 全てがあなたの意志で あるかのようにワークアウトします あなたはそれを望むことも 考えることもありません ただワークアウトします 神が 全て面倒をみてくれます あなたの安らぎも健康も 全て面倒をみてくれます そして あなたが望んだり 願ったりすることなく 神聖は助けます 神聖が責任を持たなければいけない 人格を備えるからです 神聖はあなたに対して 特別な責任を持っています そして何があなたにとって良いか 悪いか知っています 多くありますが 一つ例を挙げます 例えば 誰かが 私に会いに来るとします “マザー 彼はとてもネガティブです 彼は決して来ません” “決して来ません” 様々なポジティブなことが 起こりますし ネガティブなことであれば あなたの慈悲を使うことができます ネガティブなことであれば 慈悲を使って問題を解決できます 自分自身の問題を 自分を取り巻く あなたの共同体の問題を 解決することができます 今あなたは リアリゼーションを得ています どれくらいあなたが 深くなったかは分かりません 多くの女性が 瞑想をしていないという 不満を耳にします そのような女性は 自分自身を大切にしていません リアライズ ソールではありません 多くの男性は “そのような女性は 役に立たないので離婚したい” と口にします その逆も言えます この問題の解決には 慈悲がないといけません あなたは 人生のパートナーを 慈悲でもって 勝ち取らなければなりません 男性は女性より 遥かに多忙ですが 女性は 他のことで忙しくします 家族や子どもの面倒を 見なければいけません そして そのような 日常的なことに気を取られ 瞑想する時間はありません しかし 瞑想なしに 上昇できません 瞑想しなければいけません 人は“リアリゼーションを得たので 大丈夫だ”と考えますが 毎日 瞑想しなければなりません その時浄化されるからです 浄化されることで 理解します あなたには何が必要で 必要でないか理解できます 浄化されます それは 神聖によって行われます あなたは宗教的に 瞑想しなければいけません 次第に瞑想が 深まっていくのが分かるでしょう あなたは 大変深くなります すると力が 現れ始めます あなたがどこにいようと ネガティビティは逃げ出します あらゆる問題も 解決されます あなたが望むものは 手に入ります あなたの望みが何であれ 人を助けるにしろ 人に与えるにしろ 叶えられます 私がお話していることは 私自身の経験です 毎日せめて十分 朝は五分ほど 瞑想しなければいけません 完全な献身と 崇拝の気持ちを持ってです バクティである献身 より高い献身である シュラッダを持つ者がいます それは あなたの一部になります あなたを完全に 包み込みます あなたが シュラッダを持つ時 多くの奇跡が起こるでしょう ある者は私を想うだけで 治りました だからといってシュラッダに 達していたことにはなりませんが シュラッダを 育まなければなりません では自然のスピリットの光 であるシュラッダを育むには どうしたらよいでしょう 人々は シュラッダを得ようと 努力しますが メンタルによって 育むことはできません 静かな瞑想によって 得られます 瞑想によってです・・・ 瞑想するよう 常に言っています 瞑想している者と していない者はすぐに分かります 私のプージャへ来て サハジャについて話し 人気を得るために 何かする人がいます 多くの者がそのようです 外へ出て人気を 得るために活動します 内側で自分自身に 向き合っていません 成長段階において 瞑想と内省によって 容易にそのレベルに到達できると理解し 励みに思わないといけません 内省することで 新たな理解の質を得られます 様々なものへの 解決策が見つかります リアライズ ソールである者が 持つ一つの特質です 他者の問題を 解決することもできます どのようにしたら 助かるか 提案できます するとシュラッダから 一種の兄弟愛が芽生えます あなたはサハジャの講演も することができますが シュラッダがない限り 上昇できません シュラッダは あなたの内にある一種の愛です それは燃えることのない 熱を帯びない 優しい炎のようです 冷たく 美しいそよ風のような感じで あなたに理解させます あなたは決して他の サハジャ ヨギの悪口を言いません 私はサハジャ ヨギを悪く言う者には 決して耳を傾けません 度を過ぎれば コレクティブにおける 不満であれば 少し気になり それについて リーダーに話します しかし ある者が 私のところに来て苦情を言えば その者に自分自身を 内省するように言います 人の粗を探すのは 人間にありがちな遊びです 自分の欠点は見ません 他者の欠点を見て 何の役に立つでしょう 他者の欠点を見ることは 自分の助けになりません 自分の欠点を 探すようにしなさい それは治すことのできる 助けることのできる ワークアウトさせることの できるものです 自分の欠点を探し それらを正すことは あなたの責任だと知るべきです ある者は自分の好みを 誇りにします “私はこれが好きです あれが好きです” しかし あなたのスピリットは 好みますか これが好き あれが好きでも あなたのスピリットはどうですか それを好みますか それを楽しみますか “これが好き あれが嫌い” と言い続けます 西洋ではよくあります 女性達が私のために 美しい絨毯をつくりました それはとても分厚く 歩くと少しバランスを崩しますが 愛でもって 彼女達がつくったことは 私を喜ばせ 幸せにしてくれました 私がどう感じているか 想像つかないでしょう この歓び この歓びの大海は あなたの中にあります それが現れると 些細なことは気になりません あなたに 美しさを与えます どう表現してよいか 分かりませんが あなたに霧雨が降るような 恩寵が 降り注ぐような感じです 人の愛に あなたは虜になります それを求めなくとも とても愛に溢れた 心優しい者と逢えば その関係に 真の友情を感じます サハジャ ヨギについて 悪く言うことは間違っています その者が犯した間違いを 皆に言うのは間違っています その者を助ける代わりに その者へのコレクティブな 嫌悪感をつくりだすことは間違っています 常に人は問題を抱えています 悪口を言うのではなく コレクティブで助けるべきです その者は 間違ったかもしれません しかし その者の悪口を言い始め “彼のこれは間違っている あれが間違っている”というなら あなたは サハジャ ヨギではありません 内省を通して自分の欠点を 見ることができるなら あなたはサハジャ ヨギです あなた方のほとんどは リアリゼーションを得ました 経験をしました しかし 中には知識を 得ていない者もいます 知識は 得なければいけません 知識が本当にそこにあるか 確かめないといけません アメリカの 国立衛生研究所NIHで サハジャ ヨガの試験を 試みました 医者が集まり その内の一人が進み出て “私のどこが悪いかヴァイブレーションで 教えてください”と言いました 女の子は“ハートに何か感じます” と答えました 彼は“当たっています” と答えました 彼は一カ月前に心臓の バイパス手術をしたばかりです 全く当たっていました 彼らを大変驚かせました 医者は誤診を するかもしれませんが これは人を診断する とても簡単な方法です ヴァイブレーションを 感じるだけです ですから彼らは 私たちに大変注目し 病院内でもサハジャ ヨガを 取り入れたいと望んでいます あなたは 自身で証明すべきです 自分自身を吟味し 自分自身について 何を得たか解るようにしなさい 例えば夫婦なら 妻が瞑想し 全て解っているとします 夫の何がおかしいのかも 知っています しかし 彼女は 夫には言いません 我慢します 不満をもらしません 何も要求しません ただ我慢します この忍耐こそ 彼女が彼より高い 人格であることを夫に納得させます 彼がどんな者であれ 次第に彼女が偉大な人格を 得ていると理解します 人には多くの欠点があります 特に西洋では 道徳的にあります 蛇にでも噛まれたかのような 人たちがいます 人々がしていることは 後進国の人間には 思いもよらないことです 発展は あらゆる放棄を だらしない気質を もたらしました 人々は自分が大変自由で 楽しめれば良いと思っています このような生き方は 良くありますが 自分自身を 判断してみてください あなたも このようなタイプですか 上昇において 高みにいる者ですか これは過程です 急に高みに 立てるわけではありません 時折 新しいサハジャ ヨギの者の方が 良い場合があります これは彼らがとても強い 望みを持っているためです 私たちは 何を求めていますか なぜ求めているか 理解すべきです なぜなら自分自身を知ることを 望んでいるからです なぜか 自分自身を知らないと いけないとわかっていました 今まで分からなかったので 求めます 真実の追求という 名の下で 私たちは様々なことを 間違ったことをしました しかし この求める気持ちは サハジャ ヨガに導きます そしてリアリゼーションを得ます クンダリーニを通して 容易に得られます クンダリーニはほとんどのことを ワークアウトさせます ある者は飲酒や喫煙を 一晩で止めました 一晩でです 私が止めるように 言ったわけではありません たった一晩で止めました そしてその者は “以前は自分の髪型にこだわり” “美容院で何時間もかけて 皆と違う髪型にしていました” “でも止めました” と言いました “あまり道徳的とは言えない 服を着ていましたが” “自分に敬意を払うようになり まともな服を着始めました” 全ての知識は あなたから来ます あなたの中に自然にあります 全て自分のものだからです あなたのグルが言うように あなたは導かれています グルの仕事は 人々を導くことです では この時点で 何が欠けているでしょう サハジャ ヨガにおいて何が 欠けているかお話ししなければいけません 大規模な災害が 多く起きています 災害は多様にあります 地震や洪水 大雨 川のように押し寄せる 泥水など 世界には 様々な災害が起きています ヨギは それらから救われます 疑いなく全てのヨギが 救われています しかし 救われることを どう理解しますか 知っていますか なぜこのような 災害が起きるのでしょう サハジャ ヨガが強固な コレクティブでないためです 強固にならなければいけません あらゆるところに 広まらないといけません 未だ会ったことのない人にまで 行き渡らないといけません 行き詰っているか 頑張りが少ないのでしょう 隅々まで広めなさい キリストの12人の弟子を ごらんなさい もちろん人々は誤った方向に 行ってしまいましたが 彼らの働きと 行いの徹底さを見るべきです 徹底的にしないのなら サハジャ ヨガを広めるための 完全な自己の奉仕がなければ コレクティブな問題は 解決しません あなたは日常や仕事や その他の生活に忙しくしています サハジャ ヨガでは構いません しかし アテンションをもっと 人生の この側面に置くべきです コレクティブのために何をしているか サハジャについて話しているか 広めているか 人々に伝えているか 一度 飛行機で 驚くことがありました 一人の女性が 私の隣に座りました とてもひどい ヴァイブレーションでした 私は自分にバンダンし “スピリチュアルなことを していますか”と尋ねました 彼女は バハイの名を挙げました “まあ大変” このような人が増えれば 大勢になってしまいます すると何が起きるでしょう 災害です 彼らは大変 ネガティブな者たちです 世界に善を もたらすことはありません いかに間違ったグルが 人々を引きつけて虜にし メッセージを広めているかをみると 大変なものです おかしな服を着て 道で歌う グルの賛美を歌う人々を見かけます 私たちはそのようなことを 願っていません もちろんあなたは 知識を持っています 疑いなくリアライズ ソールです しかしサハジャのために 何をしたかが大切です あなたは 広めないといけません 隅々までです 例えばバッジを付ければ “これは何ですか” と尋ねられるでしょう あなたは説明できます サハジャについて 話し始めることができます それ以外 話す必要はありません サハジャについて話し 広めないといけません それをしない限り コレクティブにはなれませんし コレクティブなナンセンスから来る 様々な災害が起きます あなたは多くのことから 助けられています 公害があったとしても ヨギに影響はありません 大地震が起きても ヨギは助かります しかし 全世界を 救うことはどうでしょう 災害は次々と起こります あなたに慈悲があるなら 災難に遭う者 大変な目に遭う者のことを 考えなければなりません もちろん私は多くの者を 治すことができますが コレクティブを強固にする 方法は分かりません ここには大勢います 各自 せめて百人に リアリゼーションを上げることができます あらゆるところへ行きなさい サハジャについて話しなさい 神の賛美を歌いなさい そうすれば 全世界は救われます 素晴らしい サティヤ ユガの到来は 数人を救うことではなく この母なる大地をも 救うことで来ます 母なる大地に住む人を 救わなければなりません とんでもないことをする者たちを テレビで見かけます 何を発言しているかも分からず 恥じらいなく話しています 後方には 何千という人もいます 彼らが愚かである というわけではありませんが 間違った道を望んでいる わけではありませんが これらの間違ったグルは 如何に人を魅了し 虜にし 話すかを心得ているようです サハジャ ヨギであれば ネガティブなヴァブレーションを 持つ者を見れば逃げ出します そのような 社会から逃げ出します 近づきません “ひどいヴァイブレーションです 要りません”と言えます あなたは勇気を持ち これらの場所に行って人と話し コレクティブにして いかなければいけません さもないとこの世界を 神の怒りから救うことはできません 疑いなく神は 怒りに満ちています 神はあなたを救うでしょうが 何のためでしょう 母なる大地を 救わなければなりません そのための準備と ワークアウトが必要です 機会があれば サハジャを広めなければいけません “マザーが来てくださればうまくいきます” と言いますが なぜですか あなただって私のようにできます 人に話すことができます 私は一人の人から 始めました 当時は 至るところ完全に暗闇でした シーカーはいなく ひどい人たちばかりでした しかしワークアウトして 光がもたらされました 一人でも多くのヨギを得られるのですから あなた方もできます あなたの態度 生き方の全てが 人に感銘を与えるでしょう 私たちの最終目標である 集合的意識に到達できるよう ワークアウトしなければいけません サハジャ ヨギだけでなく 皆のためです 起きている全ての災害 ひどいことが止むようにです 完全になくなると 確信しています あなたは常に救われるからです リアリゼーションを得た者 全てが救われます 私たちが間違ったことを 不道徳なことを 騙したり 他の者を抑圧したりするなら 私たちは 破壊の力となりえることを 率直に人々に 伝えてはどうですか でなければ 大規模な災害が起こり 責任を持つことになります あなたが 伝えようとすることは 組織体でもって 立ち向かうものでなく 人を納得させたり サハジャに連れてきたりする あなたの力によって 作用します あなたがグルとして 何をすべきか理解したと思います グルとして 多くのことがあります 昨日 登場した人物は 老子が師をどう描き いかに全てを超越していたか 表していました 彼らは混乱することも 嫉妬することもありません 軽率でもありません 全てを超越した 偉大な師です あなたも努力すれば グルになれます 到達しなければなりません 達成している者もいますが あなた方も慈悲と愛で 達成しなければなりません […]

クリスマス プージャ Ganapatipule (India)

クリスマス プージャ、1999年12月25日、ガナパティプーレ(インド)
Now that the talk was partly extracted from the “Shores of Bharat” VHS it became evident that the major part of the Puja protocol is missing.If you happen to come across a Recording of the Christmas Puja from the 25th of December, 1999, please be so kind to provide this tape to the archive.Contact the team at [email protected]

今日私たちは イエス キリストの誕生を祝います 彼は特異な状況で つまり処女から生まれ 地上に化身しました そして ご存知のように シュリ ガネーシャも 同じように生まれました イエスがシュリ ガネーシャの化身なので 私たちには理解することができます 生まれた時 彼は すべての力を備えていました 自分の持つ力を示す外的な 武器を持つ必要はありませんでした すべての力を 自身に備えていましたが それでも忍耐と理解を 示そうとしました なぜなら当時の人々が スピリチュアリティに対して 完全に無知だったからです 実は彼等はユダヤ人でした モーゼやアブラハムによって 指示されましたが 彼らは拠り所を失い 何をいかに求めるべきか 分かりませんでした 真実の探求者ではありませんでした 他の宗教も同じですが 彼らはユダヤ教の儀式に 満足していました 高次のものへの 探求心がありませんでした それゆえ彼にとって 人生は大変困難なものでした 彼が生まれた時 三人の者達が星を追って その場所に行き 飼い葉桶に横たわる キリストを見つけました 生まれるには 大変質素な場所です 困難な状況の中 生まれましたが 彼が偉大であることは 星によって明確に示されていました 先日ガナパティプーレは どのように探したのか尋ねられました マハラシュトラ州では あまり知られていない場所です 人はアシュタヴィナヤカには行っても マハガナパティには行きません ある時 ラトナギリから帰る途中 ある寺院の上に 大変大きな星を見かけました しかし誰もそれが見えませんでした サハジャ ヨギにもです なので私はこの星を 辿ってみようと言いました とてもとても大きな星で 通常の星とは違い 稀でした でも人の目には映りませんでした 一緒にいた者達も 見えないと言っていましたが 私は”構いません” “道を曲がり 別の道を行こう”と言いました そして星を辿っていきました もちろん皆文句を言わず それに従い先へ進みました 遅い時間でしたが “先へ進みましょう”と言いました ガナパティプーレに着いたのは 夜明けでした 忘れられない 美しい夜明けです 夜明けに見たのは私たちが今いる この美しい場所です そして“ここがサハジャ ヨギ達皆が” ”集まる場所です”と言いました ラビンドラナート タゴールは この場所について ”このバラトゥの海岸に 世界中の人々が集まる”と記しています これらすべて預言されています いかにこの場所を奇跡的に 発見できたかは驚くほどです この三人の偉大な者達が キリストを発見したようにです そしてこの場所は 大変祝福されていて 素晴らしいヴィブレーションに 満ちていました 私は二日滞在し この場所に決めました 最終的にこの土地を 手に入れました キリストは 多くのことを言っています 十字架の上で “母を見よ”と言いました ”behold”は意味深い言葉で 母を心待ちにしなさい という意味です 亡くなる前にも言いました 人々は暴力や拷問など 神聖とはかけ離れたことを し続けています 宗教は暴力や力尽くで 広めることはできません 愛と慈愛でのみ広められます あなたは愛と慈愛でのみ サハジャ ヨガを広めることができます その慈愛は メンタルなものではありません 私たちが人より優れているから 彼等を変えるべきだというものではありません その人の何かを変えるのではなく 人を真に復活させることが できると感じさせるのは 大いなる愛や慈愛なのです 復活させ真実を与えるのが 私たちの仕事です 世界中沢山の人がいます 今私たちはか 86カ国で活動しています ベニンでは七千人も サハジャ ヨギがいます 彼等はかつてイスラム教徒でした なぜサハジャを選んだのか尋ねると 当然ですと答えました “なぜ?” “なぜ初めは キリスト教徒だったのですか” “いえ キリスト教徒ではなく イスラム教徒だけです” さらに尋ねると “支配していたフランス人が 非常に不道徳で” “酒飲みで 不埒な彼等の宗教に従う のは無意味だと思ったからです” “もっとましになるにはどうするか考え イスラム教にしました” そして今彼等は サハジャ ヨガをしています 彼等には分別があるからです 真実の探求者で 分別があります 彼等はいわゆる黒人で 啓蒙された精神を持っています 私への詩を詠ったり 私のために様々なものも作っています 今となっては 七千人ものヨギがいます 彼らはいつか国民皆が サハジャ ヨギになるだろうと言っています トルコでは いわゆるイスラム教ですが リーダーのケマル アタテュルクは 啓蒙された魂の持ち主で パルダーや女性を抑圧することは 意味がないと話しています 彼女達たちを自由にしました 彼らは非常に創造性豊かです トルコには二千人の サハジャ ヨギがいます 以前地震が起きたときも 一人もサハジャ ヨギは 亡くなっていませんし 家も壊されませんでした 私たちの国でも四つの州が カトリック教徒に改宗しました 彼等と話しましたが “どう着飾って教会に行き 讃美歌を 歌うかを教わっただけです”と それを聞いて驚きました 確かにましな格好をしていましたが なぜ受け入れたのか分かりません 彼等は先住民で 現代に影響されていないからでしょう そしてその後 カトリック教はオリッサ州にも 手を伸ばしていました オリッサ州ではすでにカトリック教徒が 35から40人程いました そして私は オーストラリアのヨギにそこに行って サハジャ ヨガを教えるように言いました そこで彼等は 九つのセンターを作りました 良いことに 巨大な破壊的なハリケーンに 襲われたとき サハジャ ヨガを新しく 受け入れた者達は全員無事でした 家もすべて無事でした さて最後の審判が起こります 原理主義を唱える者や 原理主義者は破滅します これらの国々で 彼等の破滅を見るとそう思います 何が起こっていて なぜ彼等や家族 家が破滅するのか分かりませんが おそらくカルキがそれらの場所で 厳しく作用しているのでしょう 黒魔術をする者なども 破滅させられます 驚くことにオリッサ州では サハジャ ヨギは誰も怪我しませんでした サハジャ ヨギに対する 神聖の大いなる保護です 昔から言われた通りです ですが人々は儀式主義や司祭職や 説教で道に迷ってしまいました 説教や読むことによって スピリチュアルな経験はできません グル ナナカやカビラ アディ シャンカラチャリヤでさえ言ってます “お母さん そこから 抜け出させてください” 真実を知る者は 同じことを言っています 同じことを繰り返しています 彼等の生き方を読めば 驚くことでしょう イスラム教徒であったスーフィーでさえ 同じことを書いていました トルコに住むスーフィーも あるいは当時インドだった パキスタンでも 彼等は同じことを書いています イギリスの偉大な詩人も 同じことを書いています 真実は真実であり 真実は愛であると これこそキリストが 確立したかったことですが 彼は大変困難な状況において 生まれました 祭司や教会として 支配していた人々は それを利用し すべての者を抑圧しました サハジャ ヨガでは 抑圧はありません 参加するのも自由意志です そこで自己における真実を 知らないといけません キリストは常に “汝自身を知れ”と言っています しかし人は決してしようとしません 自分自身を知らないからです この状況は どの宗教にもあてはまります 聖人は何が正しい道で 何に従うべきか教えるために戦いました キリストがしたことは 大変注目すべきもので 彼はユダヤ人に 彼が光であり 道であると教えましたが 彼が到達点だとは 言っていません 誰かが来ると 知っていたからです そして聖霊が来ると言いました 彼女はつ三つの要素を持ち 慰め主で 指導主であり 救世主です 彼は“彼女”や“彼”ではなく ヘブライ語の“それ”で使っています 人々は聖書を悪用し イギリスでは王が妻との 離婚を望んでいたので 権威を聖書にまで 及ぼしました なぜ聖書のような聖典に不道徳者が 権威を与えられるのでしょうか 権力で彼は 支配したかったからです 現実であるすべてを 支配したかったからです これは盲目的な権力です あなたに真の力をあるなら 何に敬意を払うべきなのか分かります どの道へ行くべきか分かります 見る力が 全体への冴えた 理解が出てくるからです どの道に従うべきか どこへ行くべきか 何が正しいかのです このカリ ユガを通して あらゆる酷いことのお陰で またヒンズー教徒の間にも おかしな儀式があり それを通して人々は これが終着点ではないと 悟っています あなたは真実を 求めなければいけません 一つ大事なことは 全ての者が “真実を求め 自己を見つけ なければいけない”と言っていることです それは明確に インドの聖典に記されています いくつかには記されています “自己を求めなければいけない”と 特にインドで化身した聖人達は 常に真実を見つけ 求めないといけない と言っていました 彼等は真実を知っていて 皆にも見つけてほしいからです 全ての宗教には 啓蒙された者達がいました 仏教徒においても 真実の探求について語った者が 達磨大師や老子や その他大勢いました キリストは大変明確に それを言っていました 彼の誕生日に皆さんが すでに真実を見つけたこと 愛 慈愛そして謙虚さの道を 知っていることに嬉しく感じます 私たちは自身の中のどこに キリストが内在しているか いかにキリストに敬意を払い 崇拝するかを知っています このアギヤであなたは その者が真実の探求者か 支配力の強い傲慢な キリスト教徒か見分けられます あなたがキリスト教徒であるなら それができません それができるなら キリスト教徒ではありません キリストを見なさい いかに彼が謙虚だったか 彼はすべて滅ぼすこともできました その力がありましたが 自身を十字に架けました その理由はアギヤ チャクラが壊され 超えなければいけなかったからです なので彼は受け入れました 彼は最も破壊的な力である シュリ ガネーシャの力を すべて備えていました これらの力全ては 母なる大地から来ます そして母なる大地は 全世界を揺すぶることができます しかし彼はデヴィ マハトゥミャに 記されているマハヴィシュヌの化身です 彼はどんな者で 何をしたか 彼がした働きについて 美しく記されています さて キリストが生まれ 化身したのであれば 大変偉大なことです 彼は私たちに人生を捧げ 全てを成し遂げました そして私たちは許すことで 彼に従っています あなたは他の者を 許さないといけません 自身を許し他者も許します 主イエスが内在するこのアギヤ チャクラを開きたければ大切なことです 人を許せず 自身も許せなければ このアギヤは開きません 何よりキリスト教徒と呼ばれる 全てのキリスト教国では 皆大変ひどいアギヤをしています キリストに真に従うのであれば アギヤをキャッチすることがあるでしょうか まして彼等は非常に支配的で 傲慢です 彼等は キリストの弟子にはなれません 彼はあまりに謙虚でした 全能なる神と一つで 自分が十字に架けられることを 受け入れました 彼の誕生自体が 偉大な奇跡です 彼の働きはさらに偉大です 私たちは全てのキリスト教徒に 伝えなければいけません 何が真のキリスト教か 何が現実か 何に従うべきか どのようにキリストに正当に従うか 教えないといけません ですが大変大きな組織や 政治的なこと 様々なことが絡んでいます さらに彼等は 例えばヒンズー教の時 から悪いことを続けています それでは改宗する 意味があるでしょうか ですから 彼の生き方から 私たちは学ばなければいけません 彼は誰も望まないような 状況で生まれました 大変暗黒で 人々は無知で 残酷であった時代に彼が誕生したことは 非常に注目すべきことです 大変勇敢で 勇気のある人格です 今日人はキリストを 結核患者のような者にしています 乞食のような者です 人も乞食のようです ボンベイにいる時 少女や少年たちが 近寄ってきては歌を歌って “お金を恵んで”と言っていました 私は“キャロルを歌うなら お金をねだったりしてはいけません” “私たちはお金がいるの 食べるものがないの” それならなぜ キリストの歌を歌うのですか 様々な人が物乞いしています キリストは物乞いをしたでしょうか この世に乞食を 作ろうとしたでしょうか 彼は自尊心をもち 生き 死にました 人は彼の資質を学ばず 世俗的なものを受け入れています 時には完全に 品位を落としています 宗教的という言葉を使うと違う意味に なってしまうので使わない方がいいでしょうが 彼は私たちに大変徳深い 敬虔な 美しい人生を与えるために来ました 彼は手本でした 私たちが従うべき手本です サハジャ ヨガをする者は 何が正しくて間違っているか意識できます サハジャ ヨギにならないかぎり この分別を持つことは難しいです ですから多くの者は キリストの名において そして自分の破壊的な力に 自分を見失っています それらは私たち人間が持つ 六つの敵と呼びます なので今日彼の生き方を 彼の誕生 働き 偉大さ 犠牲を思い出す時 私たちは彼の人生に従うべきだと 理解しなければいけません 彼は私たちの見本です 私たちは多くのことに 忍耐強くないといけません 攻撃的ではいけません 他の者の自由に対して 脅威であってはいけません 悪魔のような者がいるでしょうが 彼等の脅威であってはいけません 真実は戦います これは私たちがすべき 大変簡単なことです サハジャ ヨガでは 大変徳のある生き方 徳のある振る舞いを 人々はしています 文化においても全てそうです サハジャ ヨガの文化は 大変徳のある 愛深く 慈愛に満ちた文化です あなた方の中のキリストがこのような 様子に歓びを感じていることでしょう 神の祝福がありますように […]

Guru Puja, A Guru Should Be Humble And Wise (Nirmal Temple)

Guru Puja. Cabella Ligure (Italy), 20 July 1997.
今日のプージャは とても大切です あなたは 自分がリアリゼーションを得て 他人に与えるために必要な すべてを知っています もう知っているのです 大切なことで 与えようとしなければ 自分に信念もなく 自信や自尊心を 持てないでしょう 次に 与えたとしても 巻き込まれないことです 多くの人が 巻き込まれ過ぎです 誰かに与えると すごいことをした気になって 家族や親戚などに 働きかけます ご存知のように 親族だからといって リアリゼーションに近いとは 限りません 成長するにはコレクティブである 以外にありません 道場からはなれ 一人で 成長できると思っても不可能です サハジャ ヨガとは そういうものではありません 昔は別々に分かれて ヒマラヤに入り 数人だけがスピリチュアルな 成長のために選ばれました ここではそういう問題でなく コレクティブを どう育てるかという問題です それで コレクティブな人になり それを楽しみ そのために働き ともに生きるようになります そのような人は 新しい力を得ます 精妙で 浸透力がある あらゆるところに 入り込んでゆく力です それはコレクティブな気質を 持たないとできません 完全にコレクティブでないと サハジャ ヨガに必要な 高みは至れません 知っての通り 世界は問題だらけで 沈みかけているようです アメリカに行ったときは “ああ これは地獄です” と感じました 何の徳もなく 徳を信じようともせず 不徳を崇めるような そんな雰囲気に満ちていました 世界中で そのアメリカの影響がみられ 何も悪いことはない と思っています 何を言ったところで 耳を傾けることはありません 生活の根底から 崩れてきていることが見えていません 家族 社会 国中がです ひどく醜い不徳な性質が あたりに満ちていて そんな考えが どこからきたのか解りません 私が一つ一つあげる必要はありません ご存知でしょう あなた方は子供たちを救うためにも 指導者になる必要があります サハジャ ヨギだからと それについて話し 宣伝しても 相応の力があなたになければ 失敗に終わるでしょう では どうやってそれらの力を 内面で育てるかをみるべきです 言うのも気恥ずかしいことですが 師に対してきちんと振る舞うことです 教わったと思いますが 教わらずとも リアリゼーションを得ると 自発的に 自然に 謙虚な態度が出てきます それとともに 指導者に必要な 多くの性質を 身につけます 指導者と同じ地平に 自分が立っていると あなたに向かうものは ないでしょう なので指導者の位置より ずっと低い位置に立たねばなりません 私が怒らないのを 利用する者がいます 何度も“あの人たちを糾すべきです” と言われました “あなたと対等にしゃべっています” 私は“彼らは教訓を学びます” と言いましたが 学ばない者もいて 相変わらず私に対して 友達と話すかのように 振る舞う者がいます まずは完全な謙虚さです 極めて 謙虚でなければいけません 誰かと話すとき謙虚ですか 誰かについて考えるとき 謙虚ですか 家族に対しては 謙虚ですか 指導者であらんとするなら 謙虚さが最も大切です 謙虚の海に飛び込むべきです “謙虚だと利用されます” という者もいますが そんなことはありません あなたは常に守られていることを 忘れないでください パラマ・チャイタンニャが 世話をしています 頭で知っていても あなたは本当にそう信じていますか 本当に信じるなら 恐れないことです 心配せず 無意味な影響を 受けないことです “何が起るんだろう どうなるんだろう” と心配していると パラマ・チャイタンニャは あなたをそのままにします いかにそれが働くかを見なさい 自分がどう振る舞うか見なさい ちゃんとしないまま 自分を誇示すれば それなりの見返りがきます 私が何かするのでなく パラマ・チャイタンニャが教訓を与えます あなたは 今のようではいけなかったと そもそも何故 我々は サハジャ ヨガにきたのか 根本から初めなさい 私たちがサハジャ ヨガに来たのは 究極の真理を知りたいからです そしてヴァイブレーションを通して 知ることができました 何が絶対的な真理かを 知ることができました その真理にそって働くべきです あなたが感じる絶対的真理に 従わないといけません 残念にも 自分のヴァイブレーションを過信して 自分が感じているヴァイブレーションが 最高だと思っている人がいます それは正すのが 難しいポイントです エゴから来ます エゴがあると 自分の間違いに気づきません ヴァイブレーションが 何か示唆していても 自己からでなく エゴからきています エゴが自分を甘やかして 本来なら“こんなこと するんじゃなかった”とか “私は間違っている”と 気づかずにいるのです このプロセスでは 自分が“精妙になっているか” “粗野になっているか” 観察するのが一番です 些細なことで いつもヴァイブレーションを チェックしている人もいます 木や花 土地などの 物質的なことを チェックします でも何のために しているのでしょう 物質的な利益のためです ヴァイブレーションさえ チェックすれば 安全で 損失を被らないと 考えるのです そうではありません ヴァイブレーションは 世事のためではありません ヴァイブレーションをおとしめる事を するべきでありません ヴァイブレーションが害になる事を 示唆することさえあるのです ある人にある場所に行くよう頼んだら 彼は“行きませんでした” “何故?”と訊くと “ヴァイブレーションが悪かったからです”と “ヴァイブレーションが良かったら 行く必要ありません” “だからあなたに頼んだのに” “ヴァイブレーションが 悪いからといって” “行きたがらなかったなんて” 結局 楽で 快適な生活をしたいのです サハジャ ヨガによる解決を期待し 叶わないなら役に立たないと考えます どんな望みでも 叶えたいのです それらの望みは 個人的なものです “子供が具合悪いので 良くなって欲しい” “夫の態度が良くないので 良くしたい”とか “家がないので欲しい”と いつも気が散っていて 未だにいわゆる 消費マインドでいます “女の子でなく男の子が良い”と言い 娘が生まれると サハジャ ヨガのせいにしたりします 望み通りにはならないのは サハジャ ヨガのせいだと 更には サハジャ ヨガのせいで 苦しんでいると考えます または信念が弱まったり ぶれたりします 深く根付いていれば “何があろうとサハジャ ヨギでいる” というでしょう 誰かが亡くなったとして といっても サハジャ ヨガでは難しい事で パラマ・チャイタンニャが許さない限り 死のうとしても死ねません ですが 仮に 誰か自殺しようとしても その望みが叶うとは 限りません 叶わないからといって 機嫌を損ね “何がいけないの?” と考えます でも あなたの望みは 神の望みでなく パラマ・チャイタンニャが それなのです 私がアメリカに行ったときに ネガティヴィティに攻撃され 困らせられました この間ずっと いわゆる苦しみと痛みを味わいましたが それはこの頭の悪いアメリカ人が 育つ為にどれほどの尽力が必要か それを かの地のヨギに 見せるためだったのです お金を搾り取られて どれほど彼らが 愚かで馬鹿げているか 多くの者が私に “マザー 例えば あなたが300ドルでもとれば” “何千人もの弟子が 出来るでしょう”と告げました 私は“そんな人たちは 私の弟子ではない” “お金をとるなら 価値あるものを あたえるだろうと考えるなら” “彼らは完全に馬鹿です” と答えました サハジャ ヨガは 金銭で買うことができません この第一の原理を 彼らは理解できません 大半の者がリアリゼーションは 無料で得られると 理解しません ある裕福なグジャラート人が ニュージャージーで サハジャ ヨギに聞きました “どうして こんなに簡単なんですか?” “これは難しい事だと 教典に書いてあります” “リアリゼーションを得るのは 極めて困難だと” “なのにどうやってそんなに 簡単に与えられるのですか”と 誰も答えられませんでしたが こう言うべきだったのです 確かに難しく 多くには 与えられないと言われていますが 現にできる人がいます ならば どうやっているか 考えてみるべきです この種の馬鹿げた質問が多く 今も続いています 丁寧に伝える必要があります “でも それなりの人でないと・・・” そんな訳で彼らはお金を払い 自らを愚弄するのです “私にはグルが3人いる” “私には7人いる” どんな状況なんでしょう 彼らは極めて愚かで サンスクリットで ムールと呼びます 頭のない人はリアリゼーションを 得られませんので諦めなさい 口論しようとするなら 諦めなさい そんな権利はありません リアリゼーションを 得る権利はありますが 馬鹿げた質問をして 論争する権利はありません あなた方も指導者としての 自分の威厳を保つことを 忘れない事です 自分が指導者と知ったなら おどけてばかりではいけません 威厳ある態度と同時に 楽しみを与える人格 イライラする事もなく 何か特別なものを 感じさせる人格になります では どうやって そのような人格を持つか 西洋では エゴが最大の問題で 東洋では スーパーエゴが問題です このエゴのあれこれは どこから来たのか解りませんが 自分のエゴを見せびらかします 例えば アメリカでは驚くことに 人種差別の問題があります 黒人と白人間で 差別があるのです 肌の色は 神が与えたもので 皆が同じだったら 軍隊のように見えます 多様性があるべきで 自己表現や表情にも 違いがあるべきです それぞれが 固有の表現を持っていないと 皆が同じでは この世界は何の面白みもなく つまらないものに なってしまうでしょう ですが 人々の心に どれほどの差別心が入り込んだかに 驚かされました あなた方は指導者として 断固として差別に反対すべきです 簡単に解ることは 男性 女性として 更には母親としても 白人が最も 残酷になりうる一方で 優しく寛容な黒人が いることです 肌の色と気質は 対応しないということです ですが 黒人は 差別されたことに反応しがちです その仕方が粗野であったり 残酷になりがちなのです でも この種の間違った 人に対する態度には 動物だって 我慢できないでしょう ならば人に対して そのような態度を見せるなら その人は サハジャ ヨギに値しません そのような 肌が白いとか 黒いという意識をもつ人は サハジャ ヨガで 指導者にはなれません インドのカースト制度も 同様に酷いものです 何の理屈も基盤もなく 身分の上下を 信じる者がいます どんなカーストの者でも 最悪の行いをする可能性があり そこに境界線は存在しません 最下位のカーストから 偉大な詩人や スーフィが輩出されました カーストは人為的です 人為的なものは 私たちに合いません 結局は大変破壊的な事態を 呼びこみます 憎しみは憎しみを呼び 増殖していきます 憎しみを心から取り除けないなら サハジャ ヨギではありません これらすべてが コンディショニングです 白人家庭に生まれれば 白人だし クリスチャン家庭に生まれれば クリスチャンだし ユダヤの家庭に生まれれば ユダヤ教徒です ただ そのように 産まれてきただけです それが身分の高低に つながるでしょうか これらすべての人間の問題は 意味のない優越感に対する 人のこだわりのためで 共通意識によってのみ 変えることが出来ます 例えば 道場でも様々な人種の人が 平等な権利を 相互理解と愛を持って 暮らしています それがないなら 道場(アシュラム)とは言えません かつて “ハーレムで講演をして もらえませんか”と頼まれました “もちろん” と答えましたが “ハーレムがどんなところか ご存知ですか”と言うのです “知っています 害はありません” そのヨギ達は “黒人がいて・・・”と “私も黒人です” 私は黒人とも 白人とも呼ばれますが このような人間に対する 馬鹿げた考えを浄化してくれるのが 愛なのです 白人 黒人と差別すること自体が 人を見る目がない証拠です 深みと博愛があれば そんな表面的なことは 目に入りません 今日は指導者の 偉大さを祝す日です 彼らがどうだったか見なさい インド内外にスーフィなど 多くが存在しました 彼らは白人 黒人などの 人種による差別を 信じませんでした キリストも白人黒人の区別を 信じませんでしたし ブッダも同様です だれもこのような 人為的な問題を 信じませんでした このような人為的な考えが リアリゼーションの後でさえ受け入れられ 私がその対処に追われます それは言葉でなく 行動することで取り除けます どうなくしていくか見てみなさい 簡単です 瞑想をして 自分が何人を愛しているか そして何故なのか 哀れみでなく 愛をどれだけ持っているかを 見てみなさい 中には 美しい例もありますが 捨てるべき固定観念が まだあります サハジャ ヨガで指導者なら とても大切なことです 心が清浄で 開かれていて 愛情深く パラマ・チャイタンニャの旋律を 奏でるべきです まだ人為的な考えで満たされているなら 何が起るかわかりません 心臓移植でさえ 人工物でなく 本物を使う必要があります なので人工的な おかしな考えを 採用すればどんなことになるか 差別的で コレクティヴィティ(集合性)を 与えることはないでしょう 内省が必要です 私たちは一つですか? それともお互いを 裁き合っていますか? この裁きも多く見られます こういったことは ともに生活をして初めて気づくもので さもなくば気づきません 共同生活をして初めて 自らに足りないことを悟るのです 何があって 何がないのか 愛に満ちたハートは 非常に穏やかで あらゆる瞬間が 愛の契機であり 喜びを与えるものです シュリ ラーマのお話があります ベールと呼ばれる 果物を食べる際に ある老女が愛情から その果物に口をつけて試食しました 最高位の王である シュリ ラーマに対して この老女は 最低の位でありながら 愛をもって 果物を試食した上で おもてなしをしたところ 彼はそれを賞賛したのです 彼の妻も“私にも下さい” と言いました が 弟はまだ そこまで成熟しておらず 腹を立てます そこに彼女が “本当においしいですよ”と言うと “じゃあ 下さい”と 彼女は“どうして? 怒っていたじゃないですか” “あなたにあげることないですよ” と言います どれほど心が清らかで 愛情があるか 崇高で 非凡な人格かによって 指導者としてのあなたのレベルが 判断されることが示されています これは完全に自然なもので 人為的に組み込めないものです なんであれ 自然にするべきです 共同生活や 言動の中でのわざとらしさは 問題をうみます ニューヨークのアシュラムには とても細かく 厳しい女性がいました スプーンやフォークの位置や 他の何にも細かくて 多くの人を傷つけるのです サハジャ ヨガでは あなたが指導者になったら これらの文化的タブーは 重要ではありません 指導者はどこでも寝起きできて いつ何でも食べられる そうあるべきです しかし サハジャ ヨガでは 食事が出されると すぐ食べたがる人が沢山いるようです 一度食事を出された時 すぐにお皿を持っていかれたことがあります “どうしたんですか”と言うと “マザーまだ食べていないんですか” “触ってすらいないですよ”と 空腹というのは 最低レベルの欲求です 指導者はそれに頓着しません 得られても 得られなくても大丈夫です エゴを消して 与えられずとも気にしない そんな意識を持つべきです 人より少し遅く出されただけでも 傷ついたりします そんな様々なおかしなことが サハジャ ヨガでは見られます これは最低レベルの欲求で 真の指導者になりたいなら 頓着すべきでありません もちろん 麻薬とか 飲酒をしないなどの問題は もう解決されました それは恩恵です もしそこから始めるとしたら あなたを引っ張り上げるのに どれほど深くまで行く必要が あるかわかりません それは良いとして 皆の注目に値する 美しい生活のため 話し方 振る舞い方 愛し方を 学ぶ必要があります 指導者の権威は 愛を通さずして得られません 例えば 10人で劇をするとして 同じ国や 同じグループの人が 集まっても 面白くありません 音楽のグループにしても 同じ身分や 同じ宗教 同じ学校でやろうとするなら まだ至らない証拠です 指導者であるなら あらゆる文化 あらゆる美を好み 生活に取り入れられるべきです 人種や地位 階級意識で 誰かを 見下すべきでありません 指導者や聖者は 皆そうでした トゥカラマも “神よ 私をシドュールカーストにして 下さり感謝します” と言いましたが 実際は違いました 出自や人格に 常にこだわらないようにしなさい 誰が聖者で誰が違うか わからないくらいが良いのです 聖者であることで 高慢になるものさえいます アメリカ在住のロシア人が とても際立っていることに 驚きました 私に対して目を上げずに 伏し目がちで 深い人々でした ヴァイブレーションが とても深かったのです 共産主義で抑圧されてきて アメリカで 自由というものを見て その無意味さを 悟ったのでしょうか 両極端を知って 自身の深奥に触れ 強さと団結力を持っています 始めて会った時に驚きました ロシアから訪問しているのでなく 現地の人です 何故かと言うと 彼らの頭に 宗教がなかったからです どの宗教も彼らには同じで どれにも 追従していませんでした 宗教も人為的なものなので 指導者は 何の宗教にも属しません 宗教は世界中に問題をもたらし お互いに争っています 彼らは 聖なる存在ではありません 宗教の偏見に 巻き込まれないようにするべきです サハジャ ヨガでもクリスチャンなら そのように見えるので分かります ユダヤ教徒も分かります 何のために サハジャ ヨガに来ているのでしょうか 注意が内面に向けば 見つかるはずです どこが間違いか 指導者として何故成功できないか 自己分析するべきです 指導者としての成功とは 時間に惑わされないことです どの時間も聖なる時間で 誰かが遅れたり早くても 気にしません 時間や時計に隷従しません 300年前なら時計すらなく 誰も時間に 捕われなかったでしょう 第1に 彼は時間を超越している “カラティス”と言われます “グナティス”とは左右 あるいは中央のどこにも属さず それら3つのグナを 超越していて “全てを聖なる光のもとに見る” と言う意味です 良いことであろうと 悪いことであろうと全てに “聖なる光の働きです”と 全てをそこに帰するでしょう グナを超越しています 例えば 誰かが ライトサイドでエゴがあれば “こうしたかったのに どうして 上手くいかなかった”と挑戦します レフトサイドの人は 泣き出して “こんなことが起るなんて” と言ったりします センターの人でも “ヴァイブレーションが足りなかったのか” “なぜ分からなかったのだろう” と考えたりします ですが本物の指導者は “それは起るべきして起った” と言うのです 教訓は何でしょう 間違っていた 正しくなかったと分かるだけです 色々考えて 頭を使わないことです それだけに気をつけて 他のことは気にも留めません こうしてグナを超え どこでも寝食でき 生活できるのです 車でも牛車でも移動できます もらう花輪がみすぼらしくても 侮辱されたとは感じません 彼は何にも 影響を受けないのです 贈り物がシンプルであろうと 何もなかろうと気にしません あなたの目ではなく 自分の目を通して 自分を評価し楽しむのです 何かにしがみついたり こだわる必要が どこにあるでしょう 上手くいかないなら いくまで待てば良いだけです どうしたというのでしょう サハジャ ヨガでは指導者は 人を結びつけなければいけません その一方で 関係を壊し続ける人もいます そういう人は 文句ばかりいっています でも 優しく人を結びつけることが 出来る人もいます 許さなければいけないとかではなく 自然と出来るのです とても自然で そんな人に人は惹き付けられます アメリカでサハジャ ヨギが 少ないので驚きました 5万ドル使って 50人が来たというので 一人あたり千ドルです 非常に効率が悪いですが 希望を持たないといけません 多くの探求者がいて 道に迷っているからです 回り道のようなもので 馬鹿をやって初めて 分かるようになるかもしれません 先日の講演では 4000人の人が訪れました 米国では かつてなかったことです “こんなに人が集まったことは ありません”と言われましたが それでも多いとは言えません が リアリゼーションは得ました なので アメリカでさえも 徐々に育つでしょう サハジャ ヨギ達は自分の住居や 生活の心配だけでなく 外に出て行くべきです 余裕のあるものは アメリカに行き 働くと良いと思います 部外者が来てサハジャの話をすれば 興味を持たれるかもしれません 偽の指導者が数えきれないほどいて 受け入れられています 驚くことに お金や全てを失い 辛酸をなめても 受け入れてしまうのです “彼は私たちの師ですから”と 何を期待すべきか理解できない点で 何かおかしいのです 私は一冊 本を書いたところですが あなた方も経験やら何かを 出版できるでしょう それが人々が目を覚ます 助けになるかもしれません 何を書くにしても あなたのサハジャ ヨガの性質を表しなさい 人を傷つけてしまうとか 貶めてしまうとか気にせずに 人々を正し 助けるようにしなさい 指導者にとって 自身を勘違いしないことが重要です 貧しい あるいは豊かな家族の 出身であるなど意識しないことです ひとたびそこに至れば 指導者なのです 職人だったカビーラや トゥルシダのように インドでは低位の カーストとされていますが 美しい詩をかきました ナーマデヴァは仕立て屋でした 皆が同じ真理を 大変美しく詠いました どうして出来たのかといえば 皆 偉大なるスピリチュアリティの 領域に入ったからです あなた方も 美しい詩を詠みますが 良い詩を詠める反面 頑固で自己中心的な人もいます 美しい詩を詠めるのに エゴで一杯というのは理解できません だとしたらこの詩は 何に由来するか怪しいものです まずは自分です 人々に“本物の指導者に出会った” と言わしめるべきです その為に家族や何かを 放棄する必要はありません エゴを放棄するのです まだあるなら 何と言うべきか分かりませんが 完全にエゴを 集合的にも取り除くべきです 人々は密かにエゴを内に秘めていて 急にそれが出現します そのような精妙で 無意味な病理に耽っています このグルプージャに際し 真剣にとても一生懸命 働くように言わねばなりません 最も大切なのは どれほどあなたが時間を 人生を サハジャ ヨガに捧げたかです それで初めて あなたは指導者になります 私を見なさい ただの主婦で 家族に責任があり 問題もあります にも拘らず 常にサハジャ ヨガと サハジャ ヨギのことを気にかけていて 世界中の人類の覚醒に 心砕いています 身の回りだけでなく 世界中のです あなたのヴィジョンも拡げなさい 自分の学校や大学など 身の回りから より広いヴィジョンを抱き あらゆる問題や状況に 働きかけるべきです ひとたび そのような人格に至れば 多くの人を 助けられることに驚くでしょう ここにはそんな称賛に値する ヨギ達がいます 彼らは私を愛していて 私も愛しています ただ 指導者になるにあたって 自分を指導者だと思わないことが大切です 自分がもう指導者だと 考えるべきではありません そう考えたとたんに “ザ・指導者”と言うエゴが出てきます “自分は何でもない” “母の胸の小さなさざ波です” と思うことです そのような謙虚さを身につけると 全てが上手く働き出すでしょう あなたの振る舞い 意識に 人が啓発されるからで 他はあり得ません 何を試そうと あなた以外にサハジャ ヨガを 推進する者はいません 良き指導者については まだまだ言うべきことがありますが 次回にお話しすることにします ありがとうございました […]

バースデイ プージャ、注意力 Kolkata (India)

バースデイ プージャ、1994年3月21日、インド、カルカッタ

毎年色々な人が 誕生日を迎えます そして誓いを立てます “今年はこれはしない あれはしない”と これは人生において どこまで自分が到達したかを測る 一番の方法ですが スピリチュアルな 人生において 高みに達した 多くの者にとって 誕生日は必要としません 彼らにとって毎日が 誕生の始まりであり 前進であり 理解や学びだからです 毎日が新しい年です 生きる上で 自分を取り巻く周りが大変 ゆっくり変化しているように見えます 周りが変わらないことに 時折ショックを受けたり 驚いたりしますが 精妙なレベルにおいて 私たちの内と外で 物凄い変化が起きています 今日環境の全ては 人間によって左右されています どれほどパラマチャイタンニャが 作用しているか分かりませんが 私たちの人生において 新しい次元を開くのは私たち自身なのです 例えば自身の内省を通して 自分が未だ昔の狡知で無意味なものを 引きずっていると気づけば そのために 誓いを立てることはありません あなたはただそれを 目撃すればいいのです するとあなたはすぐさま 破壊的なことを断念するでしょう 自分に誓いを立てないとと 気を揉むこともありません あなたは完全に 力を与えられているからです “サマルタ”です 間違いだと思うものを あなたのアテンションが次第に取り除きます あなたが懸念する問題や それに関すること コンディショニングやエゴが 未だにあるのではないか という疑念を取り除きます 確実に無くせます あなたのアテンションで 無くなります すると日々あなたのアテンションが より純粋に より力強く より慈悲深くなっていることに 気付くでしょう アテンションをおくことで 反応は無くなります 全てを目撃し始めます そしてあなたのアテンションの力 目撃する力が作用します あなたに作用するだけでなく 周りの全てに作用します まず瞑想を通して 瞑想状態において あなた自身の内が 広がります あなたは現在に留まれます 先日ある者に 前回の誕生日は どこで祝ったか訊ねられました “どこであったか忘れました” いつも象のように記憶が いいのですが忘れました 毎回 毎日 現在に生き 成長すると その成長がいつどこで起こったかは 忘れるものです 私自身の成長がそのようです 私が訪れるといつも 大変素晴らしい人達が新たに来ます そして昔からいる ひどい人達はいなくなります まるで木が育つ時と同じで 落ちる葉もあれば 新しい葉も出ます でもサハジャ ヨガでは 少し違うようです サハジャ ヨガの木では 落ちる葉は大変僅かで それは素晴らしい人達で茂る 青々とした庭になります 私にとって 素晴らしい花火のようです 細い線のようなものから始まり いくつかの美しい模様が広がります サハジャ ヨガに 私たちに 何が起こるか想像できません 私は物事を 想像することはありませんが あなたが見るビジョンは 本当に素晴らしいものです 全てのサハジャ ヨギ達が 神聖な愛に浸って 大変な美しさと深さでもって 自分達を表現しているのを見るのは 素晴らしいことです するとアテンションが 神聖な至福に完全に包まれ あなたはその瞬間を忘れます 私の誕生日を祝う時も そのような瞬間の一つです 私は自分がこの地上で 何年生きたかさえ忘れます 時には73歳と言ったり 70歳と言ったりします 至福に満ちた状態の時 時間や日付 年というものは残りません 何かとても素晴らしいものを 例えばタージマハールを そうとは知らずに見に行った時のようです 予期せず素晴らしい建築物に出会うと 目がくらみます ヒンディー語で“アワック”です どう表現してよいか分からず 言葉を失います あなたは常に時を忘れるでしょう どのように そこに行ったかも忘れます その背景にあることは そのビジョンのリアリティを 見るやいなや忘れ去ります このビジョンのリアリティは 私の考えや想像さえ超えています この精妙な知識を得た サハジャ ヨギが 大勢いるとは 信じられないぐらいです またこんなにシーカーが沢山いるとは 知りませんでした この地上にこのような精妙な 者達がいるとは知りませんでした 私が世界中のどこに行っても ネパールやブラジルでも 突如素晴らしいシーカー達に 出会います いつブラジルを訪れたかと聞かれれば 日付を言うことはできません 同じ理由で日付を覚えられません ヴィジョンをその都度見るからです そしてその瞬間 時が止まります 表現することも超え その体験以外は 何も残されません この経験は抽象的なもので それを描写することはできません 言葉や描写を超えています その時あなたは真に思考を超え 真に楽しみます 今日において 一番の災いは時計です 人は常に時間を気にします 常に時計を見ています 時計を見たその2秒後に また時計を見ます 私たちは時を超えています “カラティート”です なぜ超えているのかというと 時間が私たち次第で動くからです あなたはそれを経験できます 先日デリーから出発する時 家では皆時計を気にしていました “早く行きましょう 遅れています” “飛行機はすぐには乗れません” と急き立てていました しかし着くと“飛行機がまだいます から急ぐ必要はありません” “まだ15分か20分あります” 人は飛行場と聞いただけで 慌てるようです 飛行場に行くのがまるで 戦争に行くかのようです 幸いにも私は一度も飛行機に 乗り遅れたことはありません かなり頻繁に旅行していますが 毎回飛行機の方が私を待っています おもしろい例をお話ししましょう 私たちはプラハから ポーランドに向かっていました さっきと同じことが 乗り継ぎのウイーンで起こりました そこで素晴らしいヨギがいて 11時に飛行機が出発すると言われました その後飛行機は9時半出発でしたと 再度伝えられました 5分で準備できますが 2時間でもよかったわけです すぐさま車に飛び乗りましたが 15分ほど遅れて着きました すると乗務員に大声で“あなたのような VIPはこうでああで”と怒鳴られました 彼女は私に 様々なことを言ってきました このサハジャ ヨギは それに耐えきれませんでした 間違った時間を 伝えたのは自分で そのせいでお母さんが 怒鳴られたと感じたのです 彼はそれに耐え切れず とても悲しく感じました 背後でその女性が怒鳴り続けながらも 私たちは飛行機に乗りました するとパイロットと技師達が 器械の不具合で忙しそうでした 故障なので 座って待つように伝えられました さてこのサハジャ ヨギは耐え切れず 涙を流し始めました もう一人のヨギ二は彼に “大丈夫よ 泣かないで”と言いました 私は振り向いて“大丈夫ですよ 心配しないで”と言いました “耐えられません”と言って 涙を止めることはできませんでした すると一分もしない内に晴天だった空が 雲に覆われました まるで大きな象が その辺りに急に歩いて来たようにです 外で見ていたサハジャ ヨギ達も それを見ていました あたり中が真っ暗になりました “見てごらんなさい この男性の涙にはすごい力があります” その後飛行機が故障したため 降りるようアナウンスがありました なので私たちは降りたわけです 戻る時 彼が その乗務員のところに行き “今度は飛行機が飛び立たないことに 私たちは誰に怒鳴るべきですか” “よくも私のお母さんに 怒鳴れたものですね” 同じ方針を取っている飛行場の者達は 恐れを感じたようで 支配人自身 私のところに来て “搭乗時間まで5時間ほどあります 外に出る特別な許可をあげます” そして特別に案内されました この反応は 良く理解できませんでしたが 外に出て買い物をしてから 帰ると 驚きました 飛行場の人達は 私たちを驚きの目で見ていました 私が歩いて行くと それが唯一出発する便でした 他の全ての飛行機は 飛び立てなくなっていました そして乗ろうと 搭乗口へ歩むと そこにいた男性に言われました “どうか助けてください” “どうしたのですか” “腰痛がひどいのです” 私は“どうすれば良いでしょう” 今度は一人の女性がきて“肩がいたいのです どうか貴方の手を置いていただけませんか” そして手を置くと 彼女は“治ったようです” と言い腕を上げました 私はそろそろ搭乗しなければと思い 再び歩き出すと 先ほどの男性が来て “私の腰に手を置いてはいただけませんか” “飛行機に乗らないといけません” “では一緒に歩かせてください きっと治ります” 一緒に2分ほど歩くと 彼は“治りました”と言いました 全ての雰囲気は変わりました まるで軍のような体制の飛行場の者達に 大変な効果を与えました その効果に面白いほどでした 短い間に 全てが変わったのです このサハジャ ヨギの涙が いかに作用したかは驚くほどです 彼の目から涙が流れ始めた瞬間に 大きなドラマが現れたのです 最終的に その飛行場にいた者達は 非常に謙虚に そして敬意を示すようになりました ですから時間のことばかり 考え始めるなら 時間に隷属するのではなく 時間が私たちに 隷属するのだと理解しないといけません これに関して 1001ものお話しができます 場所に着くのが遅れても 時間を気にせずとも 神聖な力の業が すばらしいことを起こすのを見てきました 人の 時間についての 心配には驚きます 時間が本当に必要なら 毎年誕生日の時を気にするなら 時間が大切だと思うなら 現代において本当に必要な時間は 瞑想のための時間です コレクティブの集まりや サハジャ ヨガのための時間です この国の独立戦争の頃 両親は身体 精神 富の全てを捧げて戦いました その時両親は何も 気にしていなかったことを思い出します 彼等は全てを捧げました 帝国の支配からこの国を自由にすることが 何より大切だったからです これは非常に大事なことで 彼等が例え脱獄者に出くわしたとしても この時間を無駄にはしませんでした 大事な時間や会合や話し合いを 無駄にはできませんでした 全てが緊急だったからです 命令や説教されることもなく 内側から分かっていました 自由のために戦った彼等は皆 伝説の人達と言えます 今日も同じ状況です 緊急事態です 大変精妙な緊急事態です サハジャ ヨガを広める以外は 何も大事ではありません それを逃した者や知らないでいる者がいれば それは私たちの責任です キリストやブッダやマハヴィーラなどの時代は 飛行機で移動はできませんでした 拡声器やテレビなどの 伝達手段はありませんでした 今は全てあります 今や現れています それはパラマチャイタンニャの仕業です 科学者やその他の知識によって 可能になりました でも彼等は人々と向き合って 大勢にリアリゼーションを 与えることはありませんでした ですからこれらの発明や 現代の企業の活躍で見れるもの全ては サハジャ ヨガのためです サハジャ ヨガなしには この世界に何が起こるか想像がつきません まず私たちのハートには 全く平穏はありません 人は平和について語ります 平和賞を受賞した者達を知っていますが 彼等のハートには 全く平和はありません 人間の内に平和がない限り 全世界に平和はありません 戦争を起こしているのは 様々な暴力を起こしているのは私たちです 神の国に入る可能性を 損ねているのは私たちです なので平和は 人のハートに平和が 確立することでのみ得られます そしてそれは思考を超えた 意識状態に達したときのみ可能です あなたは現在に留まれます そこでしっかりと立てます あなたはリアリティを 手にするからです あなたが好きなように 作用させられます 現に私は何もしていません “貴方こそ全てをされています” と言うかもしれませんが私ではありません パラマチャイタンニャがしています 同じように あなたにも作用します しかし自分自身を サハジャ ヨガを 完全に信じないといけません これは私たちと共に 全員は難しくとも世界のほとんどの者が 神の王国に入れる 唯一の方法であると これこそ他の世俗的なことや 無意味なことよりも遥かに大切なことなのです ですから私たちのアテンションは “何人の者にサハジャ ヨガを紹介できるか” “何人の人を救えるか それにあたって何をすべきか”にあるべきです 毎朝それについて考えるなら 細かい時間や日にちを覚えていられますか あなたが緊急事態にいて その緊急事態を なんとかしなければと自覚しているなら どうして世俗的なことや世俗的な達成に アテンションをおけるでしょう それは成り行きに 任せればいいのです 心配することはありません 自動的に作用します あなたが唯一 注意をおくべきところは フォーカスすべきところは サハジャ ヨガだけです この世に平穏を真に望むなら 自分達の発展を望むなら 様々な肉体的 精神的そして 感情的問題の解決を望むなら 必要なのはサハジャ ヨガです それはクンダリーニを上げ 短い時間 瞑想する以外必要はありません 歓びの状態に達するだけです 今日 私の心は 歓びに満ちています いかに物事が起こっているかが 見えるからです 一人の者が何千ものサハジャ ヨギを 創ることができると分かっているからです 一つの奇跡を見ました 一度お話ししましたが 一つの種から千もの木が生まれます 組織培養の新しい技術を見た時 大変驚きました 一つの小さな種に たくさんの小さなプリムラがありました 同じようにあなた方も可能です 皆さんにもできます 何が必要かというと 自分への自信です そしてサハジャ ヨガに対する 誠実さです それが現れるなら あなた方は真に 私の誕生日をお祝いしています もし私の誕生日を 大切だと思うならです 全員がスピリチュアルな誕生日を迎えることが 私にとって とても大切です 神の祝福がありますように […]

Mahashivaratri Puja, Surrender New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja. Delhi (India), 14 March 1994.

シヴァの崇拝に世界中から皆が集まり とても喜ばしいです 実は今日はサダシヴァの崇拝をします ご存じのようにサダシヴァはシヴァとは違います サダシヴァとは全能の神であり 原初の母によるドラマを観る方です サダシヴァと原初の母であるアディシャクティの関係は 月と月光や太陽と陽光のようで 人間同士の関係や婚姻では 理解できません アディシャクティが創造するのは何であれ サダシヴァの望みであり 彼によって観られるのです しかも彼が創造を観る際は 完全に細部まで観ます 全宇宙を観ていると同時に 母なる大地も観ていて アディシャクティによる全創造を観ています 彼の力は観ることであり アディシャクティの力は 偏在する愛の力です 原初の父ともいえる全能の 神の望みである イッチャシャクティが 原初の母として現れます そして彼女は自らの力を 愛として表現します このように両者の関係は極めて 理解があり、とても深いものです 何であれ彼女の創造で 何か問題を見つけたり 彼女の仕事を邪魔しようとする 神の仕事を邪魔する人が 神でもないのにエゴを振りまくなら 彼が破滅をもたらします 彼が破壊の力の源なのです 彼は人間のハートに反映しています 全ての創造の中に彼は脈打っています でもその脈、拍動は原初の母の力です そして彼はそのアディシャクティの計画に 反するもの全てを破壊できます アディシャクティは愛であり 彼女は許し 愛します 自らの創造を愛し 想像が繁栄することを願っています そして創造されたレベルに到達するように 願っています 彼女は人間が神の王国 サダシヴァの王国へ 入れるよう願っています そこには恩寵と許し そして歓びがあります これはあなたが探求して そこに行きたいと望みさえすれば できるものです この望みは原初の母性の反映として 私たちの中にあります この望みと同時に世俗的な望みもあり それがあなたの上昇を止めます サハジャヨガでは決して 出家したり世俗を捨てたりすることで 欲を乗り越えようとはしません 過去に説かれたような手法も使いません まずスピリットの光を得たのです スピリットがサダシヴァの反映で この光で彼は道を示し 示し続けます スピリットは道を照らすために 燃えている光のようです その道中において あなたはとても賢くなり 英知と善の光の中を進むのです 破壊的なものは何であれ スピリットの光で見えるからです あなたは破壊的なことは全て 諦めだすでしょう 誰かにあれこれしてはいけないと 言われる必要はありません あなた自身がそれが間違っていると分かり 止めようと思うのです これが私独自の人間理解でした 今日では人間は完全に幻の中にいて ただ生きるためにもがいて争っています こんな状況ではどんなことをしたところで 世俗を去ってヒマラヤに行ったりしても失敗するでしょう 大衆にそれをするなら 抜本的な何かをしなければなりません 幸運にも私はその方法を見つけました まずは種を発芽させ リアリゼーションを得るのです リアリゼーションを得た人でも まだ学ばねばなりません リアリゼーションを得た人は多くて 数えたことがないので 何人かは分かりませんが まだ彼らにも放棄がたりません 口にするのも恥ずかしいですが それが事実です 現代のサハジャヨガは 放棄さえすればという状況です 自分の理解や別のやり方をし始めても サハジャヨガは理解できません 放棄しなさい イスラムという言葉が表すように 放棄するのです そしてその放棄なくして 神の大国に入れる者はいません 放棄とは家族や子供を捨てることではありません 家や財産を捨てることでもなくて 放棄とは まずはエゴを捨てること そしてコンディショニングを 捨てることです 例えば先日 苦しんでいる ある男性に会いました 彼にあなたの指導者は誰なのか聞いて言いました 彼はあなたに何も良いことをしてないです 彼のもとを去ってはどうでしょうと 明日そうしますというので なぜ今日でないのというと 今日彼に関するモノを捨てて 「明日の朝そうします」 「よろしい そうしなさい」 「マザー 何を捨てればいいですか」 「彼を崇拝するための全ての物を とにかくすべて捨てなさい」 そして彼は家に戻って家中にある 崇拝の用具を集めて海に捨てました そして海に言いました 「すみません 「私はこの男のせいでひどい思いをしました あなたは苦しみませんように」 このような染みわたるような知性がない限り 放棄できないものです 人はしがみつき続けるものです コンディショニングがなかなか取れない人を わたしは何人も知っています エゴよりも難しいものです 日常のコンディショニングと あなたの状況のはからいがあります まず生まれのコンディショニングがあります インドとかイギリスとかです サハジャヨガにくると殆どの人が 自国や国民のどこが悪いか 分かり始めます 自分たちの宗教や読んできた本のどこが悪いか すぐにハッキリと見つけ出して これが間違っているとかダメだと理解します それを皆からかいます 世界中の人がそうします だれも自分が英国人だから最高だとか ロシア人だから最高だとか インド人が最高とは思いません 彼らのどこに問題があるかを探し出し どうしてリアリゼーションを得ないかを 理解します その一方でとても慈悲深くなって 「マザー 多くの人がまだリアリゼーションをもらっていません」 「ぜひ彼らにリアリゼーションをあげましょう」と これは光の二重の作用です まず自分が光を得てそれを自覚している だから何であれ注意を向ければ現実が見えます するとこれは自分の国や社会のコンディショニングだとか 理解できるのです するとそれを嫌うようになり 自分から引き離します でもまずはお伝えしたように サレンダリング 放棄です 放棄によってある意識状態になり 内側から世俗を離れるのです あなたは何にも支配されなくなります サニャーシとは 世俗を超越している者という意味で 何も彼には張り付きません 彼が何かを見れば その本質が分かります 彼はすべを知っているとは言わない かもしれませんが間違いを犯しません とても無執着なので それによって 自分の間違いを見ることができます 彼は自分の家族や周囲を観察しだして あらゆる場所で何が悪いかを観ます 驚くことに自分とすら同一化しません トルコに行ったときに ある大きなスイスのホテルを経営している紳士に会いました 彼は私のところに来て言いました 「マザー 私にリアリゼーションを与えてください」と スイスではリアリゼーションを欲しがる ような人に会ったことがなかったから とても驚きました まさかトルコで会うとは 私がリアリゼーション与えると 「私はスイスに戻りません」 と言いました 想像してみなさい とても明確ですね この光があなたに偉大な知恵と バランスを与えるのです 例えば道を歩いていて足元が見えなければ 転んでしまうかもしれませんが 少しでも光があれば見えるのです これがサハジャヨガがしたことで あなたは光を授かったのです その少しの光であなたが多くのことを 放棄するのに十分でした 反対側はエゴの方です 人間のエゴはとても精妙なものです どうやって発達したのか分かりませんが あるのは事実で ちょっとしたことでいきり立つ 単純なエゴの人もいます 小さなことで怒ったり 誰か支配できる人を見つけると 支配的になります これを見つけたら 自分を笑いなさい 自分はどうしたのかと 考えるのです エゴはコンディショニングのように 外からは来ません 内側からくるもので 原因は何でもでありえます 人間はあらゆる馬鹿げた エゴを持っています ある女性が高慢で笑おうとも しない日がありました 「あの女性はどうしたのですか」 と尋ねると 「彼女は人形作りが上手だから尊大なんです」と 「ただの人形づくりで鼻にかけるなんて」 「そうなんです 彼女はそれで威張っているんです」 「だれでも人形くらい作れるのに 何を鼻にかけているんでしょう」 「でも本人はそれがすごいと 思っているんです」という具合です このように人はどんどん馬鹿になれます それがエゴを持つ人のサインです あまりに馬鹿なので話していると 呆気にとられてしまいます 無料で道化師が目の前に来て あれやこれやとお笑いを 見せてくれるのです 驚くべきことです エゴイストは見ると決まって 「私はこれをした 私は 私は」と言っています 当の本人はまたったくの厚顔無恥で 罪深い生活すら平気でしていたりします 女性や酒やあれこれが好きで とても罪深い生活をします そしてそれを自慢します 「あの日はこんなに飲んだ」とか 「5人の女性がいる」とか言い出します エゴイストには恥という概念がありません 意味のないことをただ言ってまわるので 「ああこんな人と話するのか」と 皆が思うのです その上何だって正当化します ある人に「心臓発作を起こしたことがあるから 飲まないほうがいい 飲酒をやめたらどうですか」と言うと 「プーネのキーロスカーという人も 95歳で飲んでいるから」というので 「あなたはキーロスカーさんではないし 彼が飲んでいてもそれで何が得られるというのですか」 「いやいや 飲酒していても成功者ですから」 「飲んでいるから成功しているのですか」 と言いました ごく普通の理性さえないのです 一般的に言ってもどんなに飲む国でも 酔っ払いの像があるのを 見かけたことは決してありません どんな国でも女性がいて飲酒で死んだと 讃えられる国は見かけませんでした 今のところはですが どれだけ人間がエゴを 推し進めるか分かりません 現代ではこのエゴがとても広がっていて 「これが好き これは好きじゃない」 とすぐに言います 「どれが好きじゃないの」 「このサリーが好きじゃない」 「こういうのは好きじゃない こんなのが好き」と でもあなたは何様ですか 人からは見ていても自分で見えていません あなたが好きでも嫌いでも どんな影響があるんでしょう なのに若者の間でよく目にします 「これがいい あれがいい」と これは完全な破滅のサインです エゴはあなたを馬鹿にするだけでは ありません 最近の着飾り方を見てください 「好きだからいいでしょう」 と言い張って やりたい放題しています そのうち頭で歩いても 「好きなんだからいいでしょう」 というかもしれません あらゆる愚行がエゴで説明できます リアリゼーションを得ることができた人は 神に感謝して理解することです これは私のエゴが話していると すると自分を笑ってからかい初めます これはエゴだったなと 一方サハジャヨガには 「まとめ役をしてみたら」と言っても 「マザー私のエゴが出てきてしまうから」 「それは何?」 「エゴがでるからまとめ役はちょっと」と エゴが出ることはあり得ません 例えば何かが燃えていれば それが見えるはずです どうやって自分を燃やすというのでしょう これはサハジャヨガの仕事を 避ける巧妙な言い訳です 「いや、エゴにとらわれるから」と 「だったらやってみて確かめてみなさい」 と私は言ったのです 人を馬鹿で間抜けにする事が沢山あって 今日では一体いくつあるのか分かりません 結婚でもよく見かけます 「私は彼女と結婚しましたが しなかったら良かったと思います」 とか何とか でもその時あなたはどうしたんでしょう 何故その時結婚したのでしょう こういう話を何度も耳にしました あらゆる愚かで馬鹿げたエゴの問題です ハッキリと理解することです このエゴが如何に自分の中で働いて 自分を下げているか 私たちが上昇について語る時は 高次の人生について語っています 私たちはサニャーシとなり 蓮のように池から出て 水面より上に位置するのです 蓮の葉ですら見ずに浸かっていません 私たちもそうなるべきです 托鉢僧のような恰好をする 必要は全くありません でも内面から執着を離れ 注意はそこにあるべきです すると内面と外面の問題点が すぐに見つかるはずです サハジャヨガではどうやってそれを 克服するかも分かっています これはとても効果的で 効率の良いシステムです でもそれを達成するにしても 内面でシヴァになる つまり無執着になる必要があります シヴァは完全に無執着ですから あなたもそうあるべきです その無執着がシヴァの英知を与えます サダシヴァはアディシャクティの 劇を静かに観ています 奢ることもエゴを発達させることもなく 「私の望みの力がどうしているか見てみよう」と ただ観ています でも破壊に関しては 彼が壊したほうが良いとなれば たちまちその部分を壊して取り除きます 私たちも同様になるべきで 人生を大きな場所と見て 自分がどうあるべきかを問いなさい 「だから何だ 自分はサハジャヨギだぞ」 という人を見かけました サハジャヨギであるなら そんな話し方をしてはいけません 合掌して「私はサハジャヨギです」 というべきです あなたの態度や言動全てにおいて 極めて謙虚であるべきです でなければサハジャヨガがあなたに 2重のエゴを与えたことになります ご存知のようにシヴァが無邪気で 素朴で許す方です 彼は悪魔も許します 誰でも平等に許します でも原初の母に逆らうものには 容赦しません この彼の性質を理解しなさい サレンダーとは外面を 放棄してしまうことではありません そこに何があるでしょう 石しかないような場所で何を放棄すると? サレンダーとは自分を完全に浄化して 完全な無執着になることです 無執着でしか上昇できません あるものは病気になり大騒ぎします 「病気になった 私は病気だ 世界が知るべきだ」と サハジャヨギならただ観るのです 確かに自分は病気になった では観てみようと スポーツのように観戦するのです 病気だとして次は何が起こるだろう 熱がいい感じででてきたなあとか 今度は下がってきたとか 遊びながら陽気に気にかけるのです 来たときは熱があったけれど だれも気付かなかったな 結婚に疲れていても 「全然疲れてなさそうだ」と言われたら 「そう 大丈夫」と言うのです こうやって人生で遊ぶべきです それはただの劇なのです そしてそれを智慧の光で観るのです サハジャヨガでは 深刻なことなんて何もありません なのにとても深刻になって 大騒ぎする人がいます 私たちが学ぶべきことは沢山あります シヴァを崇拝する際に彼を讃えます あなたはこうだとかああだとか言います 私を崇拝するときもあなたは同じくします 私は意識していませんが あなたが言うなら良いでしょう そういうならいいでしょう あなたはこうです ああですと シヴァの1000の名前も 女神やヴィシュヌの名前も良いでしょう でもこれらは彼らの名前の崇拝で あなたたち自身はどうでしょう いくつの名前を持てるでしょう プージャでは実際のサンスクリットの 名前を唱えることで それらがあなたの中で目覚めるのです それは間違いありません プージャの後にそう感じるはずですが あなた方はそれを使おうとしません 多くの者がプージャに来ては 神々とおなじ力を授かりますが 終わるころになるともう無くしています どこかに行ってしまいます だからサレンダーには別の側面があります 自覚です サハジャヨギであるという自覚であり それらの力を吸収できるという自覚です つまり一方ではサレンダーし委ねますが 何故委ねるのでしょう 吸収するためです あなたが何かを放棄すれば自然と 何かを取り入れることになります 取り入れたら維持する必要があります そして自分でその力を持っていると 自覚するのです そこで失敗するサハジャヨギが多いです 初めはサハジャヨギ達は 誰も触ろうとしませんでした クンダリーニを上げようともしません そのころには少なくとも50人ほどいたのに 「どうしたものでしょう チャンネルを用意したというのに 指を使うことすら誰もしないなんて これで上手くいくわけがありません 無理です」と言ったものです ナシックでプログラムがあった際に 私もそこから30マイルほどのところに 滞在していました そしたら途中で車が壊れて 他の車も通りかからないし 途方に暮れましたが 待っている大勢の聴衆が 「シュリマタジはいつ来るんですか?」 と聞くものだから とてもプレッシャーを感じて 「それじゃ私達がリアリゼーションを与えます 座ってください」 こうしてリアリゼーションを与えました これがサハジャヨギが初めて 自分の力に気づいて リアリゼーションが与えられると 気づくキッカケになりました こうして皆が与え始めたのです だから自覚が必要です 自分には力があると そしてこれを無駄にせずに 有効利用すると 他者を助け自分だけに取っておかないと そういった自覚が芽生えるべきです かつて船旅の最中 ある船員が冷蔵室に閉じ込められて 肺炎にかかりました そこで船長が私のところに来て この子は肺炎をおこしているから ヘリで搬送しないと行けないと言いました 「私がリアリゼーションを与えたから、 あなたが医師ですよ」というと 「私が」「そう」 「でも必要なら私が行きましょうか」 「いえいえ、私にどうするべきか教えて下さい」 「とにかく彼の胸に手を置きなさい」 「私が?」「そう あなたが!」 彼が手を置くとその子は回復しました 彼は驚きました その後結婚式であった際に 「これは私は誰にでもできるんですか?」 「そう誰にでもできますよ」と でも自覚もなくただ座って 瞑想だとか放棄だとかやっているだけでは 何の役に立つでしょう だからやらないといけないのでうす シヴァの状態を達成したら アディシャクティの仕事をしなさい サハジャヨガ広げたい 上手く機能させたいという望みを持つべきです でもコンディショニングやエゴが あるかもしれないから 注意しなさい 観察することで上手くいきます 沢山できるに違いありません 自分で自覚して動いている人もいます 各国に沢山成し遂げた人がいます だからまずはサレンダーが大切で スピリットやシヴァ サダシヴァの意識になりなさい 第2の意識は他者に思いを寄せることです はじめの方はサンスクリットでヴィヤシティといいます 個人的な獲得という意味です まずは個人として得なさい 次がサマシュティで集団の意味です 集団で機能させる必要があります リアリゼーションすら持っていない人々が 組織を作ってあれやこれや沢山しています あなた達はすべてを持っているのです 他者に与えることが大事で この光を他者に広めるのです […]

クリスマス プージャ、人生でキリストを表現しなさい Ganapatipule (India)

クリスマス プージャ、1992年12月25日、ガナパティプーレ(インド)

[Hindi translation missing]

キリストについて そしてイエス キリストと シュリ ラダジとの関連性について 多くお話ししてきました 彼はアディ シャクティの息子である シュリ ガネーシャの化身でした 次にシュリ ラダジに授けられ シュリ ラーダは マハ ラクシュミに 偉大な化身キリストの母 メアリになりました 西洋の人は 無原罪懐胎を理解できません スピリチュアルな生き方に対する 感受性が全くないからです インド人には理解できます シュリ ガネ―シャが 同じように創られたからです 信じて疑うことはしません 限られた脳で 神について疑うべきではありません インドでは疑いません しかし西洋では この限られた脳でキリストの誕生 についても口論します キリストの名の下にある 宗教はただ汚れていて ひどいことが言われていて 信じがたいほどです 彼の純粋さ 神聖さ 吉兆さは 西洋では決して理解されません なぜキリスト教徒は 徳ある人格において 品格を失えるのでしょう 政治的 経済的 法的な面は 良いとしても 彼らの道徳面は 完全に欠如しています キリストの信奉者は 最も徳の深い者であるべきです 彼曰く “汝 姦淫の目を持つなかれ” 大変精妙な意味合いです 目でさえ姦淫してはいけない 欲や色情を持ってはいけないと 大変精妙なことを言っています 西洋では それに従えませんでした パウロやペテロの影響で 宗教全体が汚れてしまったからです キリストに反する深刻なことを しました 未だ続いています カトリック教会は暴露されてはいますが 未だ続いています インドでも至る所にあります プロテスタント教会もあります キリストの名誉なんて 気にもしません キリストが真っ先に言ったことは 神の王国に入らないといけない 再び生まれないといけない ということです 再び生まれるについてもメンタルで 証明書があるだけです 西洋のメンタルな 捉え方のせいで 偉大な化身である キリストを殺しています ある意味また 十字に架けているのです メンタルにはスピリテュアルな ものは理解できません 頭脳に頼りなさいと言いますが サハジャ ヨガでは これは理解できません サハジャ ヨガにおいて 脳は何の意味を持つでしょう 思考を超えた意識状態において 頭脳は何の意味も持ちません 他の領域で頭脳に頼っても サハジャ ヨガでは違います 頭脳に頼って何ができるのか 理解できません 中には壇上で 演説をすることを好み 脳に頼ろうします そういう者は 頭脳に頼りますが 大事なのは 頭脳ではなくハートです ハートが開かないといけません 脳を働かせてすることといえば あらゆる類の物資主義です ナンセンスなことは 人間の脳からきます 動物の脳からは あまりありません どの森へ行ってもきれいで 良い香りがしますが そこに一人でも人間が行けば その汚れは人間が残した ゴミだとわかります 同様にすべての 偉大な化身がしたことを 人は台無しにしています 最悪なのは キリストにしたことです 無駄なことをしたと思います なので私たちは 正しくキリストを理解すべきです 彼は永遠の子どもです 純真そのものです 純真の源です そして彼はすべてのチャクラに 祝福を与える者です だからと言ってあなたがキリスト教徒だと 誇らしくすることではありません サハジャ ヨギの中には未だ キリストと同一視する者がいます 全くキリストとは関係ありません 彼の奇跡に満ちた人生の中で キリストがいかに沢山の奇跡を 起こしたか理解すべきです まず第一に 彼の誕生は純潔でした 人はマリアの出産が処女降誕か議論 しています すべての化身の誕生は純潔です 彼らは罪を超越しています 特別です 人間や天使 いかなる姿で化身したとしても 彼らは神聖で 人間の小さな脳で 議論はできないと理解しないといけません ただサレンダーし 崇拝するだけです 彼らは私たちを 遥かに超越しています ですからこの西洋の頭が 理解すべきことは キリストの人生が すばらしい恵みであって それを人は見失い 無駄にしてきたということです 人はそれに対していかに敬意を払うべきか 理解してきませんでした すべてが政治的 経済的 意味のないペテンになりました 大分前に私たちはキリストが ガネ―シャであると証明し 彼はロゴスであり いわゆるブランマナトゥ 初めの音であるとお話ししました ムラダ―ラを左側から右に見ると スワスティカに見えます 炭素原子でできているからです 右から左に見ると オムカラに見えます 下から上部を見ると アルファとオメガに見えます 当時キリストは “私がアルファで オメガです” と言いました 今やアニメにもなっています どうにか見られるといいですが それらを明白にみれます 私が言っていることを 証明するものです ガネーシャを崇拝するように キリストも崇拝しなければいけません ヒンズー教徒は ガネ―シャに固執し キリスト教徒は キリストに固執しています サハジャ ヨガをしていても 人はその特性を持ち続けます ある程度まで ガネ―シャを崇拝したとしても 彼の化身であるキリストにも 祈りを捧げることは大切です 同じようにキリストを崇拝する者は ガネ―シャも崇拝すべきです 彼が源であり キリストへと発展するからです これはすべて神聖の計画通りで 神聖な分別で成されました すべてが美しく 成されましたが 人間は美しいものを 台無しにするのが得意なようです 大変悲しいことです 彼の誕生日である今日 私たちは決意しなければいけません アルファでありオメガである彼が 内で正しく再び生まれりべきだと 彼の時代に人がこのシンボルを 知っていたとは知りませんでした これらのシンボルは無意識の領域から 偉大な数学者に降りて来たに違いありません なのでこれらのシンボルは正確に アルファとオメガのように使われてきました 彼をはっきりと 見ることができます サハジャ ヨガでは とても明白です 沢山のことを感知でき 証明できます いかにキリストが人を治し 何をしたか すべて感知できます サハジャ ヨガでいかにこの力が 作用したか証明できますが まず自分たちの人生を 浄化しないといけません 大変誠実で力強い 純粋な人生を歩まないといけません 外で店を出していますが ここに店を出さないように言いました サハジャ ヨガのためでなく 自分たちのために利益を得ているからです 一度キリストもそのような者に ハンターを連れ一撃しました 私はしません ですが彼らを 奨励してはいけません ここはショッピング センター ではありません あなた方は 瞑想するために来ました 必要なものは買ってあります それを買えば多少利益となり それはサハジャ ヨガに還元されます 個人的な目的に 使われません しかし外からの人たちは店を出し あなた方はそこに群がります 何のために ここに来たのですか ガナパティプーレにいるなら 常に瞑想的でいるべきです 常に瞑想状態でいるべきです あなたが外でするようにつまらないことに 囚われてはいけません あの者たちはあなたに未だ弱みがあると 分かっているので店を出しているのです リーダーはこのようなナンセンスを 止めるべきです 外食しないよう言ったはずです 前回皆さん苦しみました なのにまだ店があります 買いたがる者が いると彼らは知っているからです 具合が悪くなり サハジャ ヨガの面目を潰します まずガネ―シャは叡智です その叡智はキリストの生き方に 見ることができます 若い頃から 彼には自信がありました 12歳で牧師たちに 説教をしました 牧師やムラやバルギー いわゆるダルマ マンタンダにです 彼はその若さで主張しました 何をしているのか 口先だけで何を話しているのかと 彼らに言いました 彼は彼らに講義し 話しをしましたが 両親は彼らに殺されるのでは ないかと心配しました そのため彼をインドに連れて行きました 叡智のためです どこでインド人はその叡智を 見失ったか分かりませんが この国は当時 叡智に満ちていました 彼はインドに しばらくいました 彼の思い出は沢山あります シャリマン王も 彼に会いました カシミールで聖なる者に会ったと 書物に描かれています 彼に名前を尋ねると “私の名前はイサです” と答えました “イ”とはヴェダでアディ シャクティのために 使われた言葉です “サ”は“と共に” という意味です 彼はそう名乗りました “どこの国から来たのですか” と尋ねると “私にとって異国の国からです そしてここが私の国です” “このインド バラタ ヒンドゥスタンは スピリチュアリティの国であり” “物質的に高みにいる 他の国と競ったり” “劣等感を感じるべきではない” と言いました ここは私の国ですと はっきりと書かれています 彼はスピリチュアリティの富むこの国こそ 彼自身の国であると認識していました ですから 私たちは物質的な つまらない 下劣な 生き方をする所ではなく そのスピリチュアリティ 国に属します 彼の大変 短かい人生において 彼の言葉はどれも すばらしいものでした しかしパウロは それを完全に変え 聖書を編集し そこに沢山書き加えました 彼の欠点すべてが そこに加えられています 最近エジプトで瓶に隠されていた 書物を手に入れました 50年前に発見したもので ハマディの蔵書と呼ばれるものです 発見された場所が ハマディでした キリストが言ったことや トーマスがインドに来た時に 書いたもので興味深いです 彼はお酒は放蕩を 引き起こすと言っています ひどい言葉で言っていますが キリスト教徒は分かっていません それどころかキリスト教では お酒は許されていると信じています 彼はお酒を許したでしょうか 意識に反することを 許すわけがありません それなのに とても良いと思っていて キリスト教では飲むことを 大きな魅力にしています 他の宗教を見ると 例えばカトリック教徒です 結婚は一度だけです なので結婚後十人の 目掛けがいても構いません 聖書にも結婚は一度で 離婚は許されないが 好きにしなさいと書かれています モラルもありません 自己から逸脱し 次から次へと無意味なものを 受け入れるだけです キリストの人生の基本は 道徳性です 彼はシュリ ガネーシャから 来ているので左側にいて その後 アギヤに 彼自身を確立しています 道徳性が 彼の生き方の真髄です インドの言葉で言うと 人格です 私たちの人格は いかに純粋な人生を歩むかです 私たちはあらゆる ナンセンスなことに耽ります 西洋の国でしていることを 見ると驚愕します 信じられない程です 口にもできません いわゆる先進国は 神へ向かっているとは思えません 私たちの想像を超えます あまりに不純で ひどく破壊的な 不道徳さです 遺伝的に何か狂っています どこからその考えが来るのでしょう 次から次へと これらのことを人々がしていて 日曜日には着飾って教会に行き 神に礼拝します 自国のこのような人々を 救う決意をするのはあなたです キリストや神の名において ナンセンスであると言わないといけません シュリ ガネーシャについても同じです プネーで見かけましたが 驚くことに シュリ ガネーシャの前で 人々は酔い 酷い歌を 西洋の歌 映画の歌を かけながら踊っていました サハジャ ヨギはこのような ナンセンスに抗議すべきです シュリ ガネーシャの前で どうして酔っぱらえるでしょう シュリ ガネーシャの 叡智が全くありません 彼の吉兆さへの 敬意がありません 酔うだけでなく 様々なことをします タントラ教の者によって シュリ ガネーシャが酷いものにされています 西洋におけるいわゆる 心理学者によっても同じです ありがたいことに フロイトは暴露されました ガネーシャのもう一つの資質は キリストの人生に見られる お母さんへの献身です その書物によると メアリは知識について 話しています しかしパウロは それに反対しています 彼女はこれを得ないといけないと 言っていますが 彼はそれを望んでいなく 彼女と口論しています そこへトーマスは 十字に架けられたキリストが 言った言葉について言及します “お母さんを心に置きなさい” “彼女はキリストのお母さんです なぜ傲慢にも彼女を軽蔑できるのか” しかしパウロはその逆で 女性に敬意を払いませんでした なので 彼は 彼女をただの女と呼びました マハラクシュミに対して 全く敬意がありません 考えられますか ただの女です いわゆる先進国では女性が牧師に 任命できるか論争しています 私たちが時代遅れだと考えますが 彼らこそ宗教において時代遅れです 私たちはお母さんを アディ シャクティとして敬意を払います 彼女こそが 私たちを創造しました 私たちを世話しています 私たちにとって彼女は シャクティは重要です 彼らは彼女をシャクティと呼ばず ただの女と呼んでいます それでいて大変 進んだ者とされていて 先進の名の下で 無意味なことをしています 話すこともできない程です 言葉もありません キリストの名において 恥ずかしく感じます 地上に化身したキリストの 純粋な人生を祝う今日において 彼らは彼がそれ程までに 純粋であったとは信じていません 犯罪者も他の者が 犯罪を犯さないとは信じられません 私たちは心の純粋さを 私たちの目を通して表されるように 育んでいるか内に見ないといけません 目は純真でないといけません そうでないと効果がありません 他の者の気を引こうと 魅了しようとしているなら あなたはサハジャ ヨギではありません いる必要もありません 一度あなたの内に光を得ると 人は分かります サハジャ ヨギとして自身の生き方に キリストの光がないといけません 彼は地上に化身した若者でした すばらしい生き方でした 彼は売春婦のマグダラのマリアとは 何の関係もありませんでしたが 真実に立ち 彼女が投石にあっている時に 立ち上がって “罪を犯していないものは 私に石を投げなさい”と言いました 何という真実の力でしょう 彼は純粋な人格で あっただけでなく その純粋さは真実 そして彼の慈悲深さ 愛にも表れています 彼は素晴らしい慈愛を 表しています シュリ ガネーシャは 少し変化したと思います シュリ ガネーシャは確かに 彼を崇拝する者に大変慈悲深いですが 彼に反対な者には 強く叩きます 彼らは苦しみます エイズなど様々な症状が来ます しかし純粋な者を シュリ ガネーシャは守ります キリストは慈悲深く許します 人は変われると 信じているからです シュリ ガネ―シャは あまりに不純であるなら殺され 再び生まれ変わった方が良いと考えます しかしキリストは人は変われると 希望を持っていました しかし叶わず 彼らは彼を十字に架けました 十字に架けるなんて 何てひどい人たちでしょう 脳もない人たちだと言えます 全くスピリチュアリティを 理解していません 真の知識に対して 感受性が全くありません サハジャ ヨガは 賢い者のみができます 愚かでまぬけな者のため ではありませんし 悪賢い者のためでもありません ある者は人生において成功している ので自分は賢いと考えます 気の利いたことや 大変鋭いことを言えたとしても 彼らのためではありません キリストは“心が柔和な者は 地球を受け継ぐであろう”と言いました 柔和な者であって自分のことばかり 考えている者ではありません サハジャ ヨギの中でも 心が柔和な者は お母さんの祝福を受けます 柔和で 賢くないといけません 叡智があってこそ 柔和になれます このすばらしい宇宙において 私たちがどこにいるか理解し 神の王国に入っていると 感じるからです 何のために なぜここに入れたのでしょう 沢山の者が 様々なことを犠牲にして 頭で立ったり 断食したり 何千年も努力をしました それがなぜ突然この祝福を 私たちが得たのでしょう どうしてここにいるのでしょう このことを考えると 私たちは柔和になります 祝福であり 恩寵です エゴからでも コンディショニング からでもありません 神の恩寵であり 慈愛 愛 サンドゥラカルナです するとあなたは 変わることができた人生を 現実であるスピリチュアリティの 新しい次元を楽しめます あなたは現実を 全体を知りました すべてを知りましたが 自分自身を知らない者は サハジャ ヨギになっていません トゥカラマが 簡単な言葉で表しました 自身を知る者は 最後の者である 他者のチャクラを批判できたとしても 自身のを見ることができなければ 他者を顧みることができても 自身が内省できなければ 人のことをすべて分かっていても 自身のことを分かっていなければ あなたは サハジャ ヨギではありません まず自身のことを 知らないといけません どんなエゴがあって どんなコンディショニングがあるのか 今でさえ人は 沢山のコンディショングがあります ですからサハジャ ヨガには 新しい鍛練があります 新しい鍛錬において柔和で 謙虚で賢くないといけません どの動き 言葉においても 叡智を表さないといけません 自動的に間違ったことをさせない 鍛錬を持たないといけません 私が歩いているところにある女性が 私の足元にひれ伏すとします 私がつまづいて倒れるかもしれないと 考えもせずすれば 自己中心的といえるでしょう 私がマザーのところに行って 足に触れなければと考えるのは すべてエゴによるものです 真のサハジャ ヨギは 後ろにいます 私がどこにでもいると 分かっているので楽しめます 近づいて会おうとしたりしません 強引にしようとはしません マザーはここにいます 心における柔和は キリストが言ったことです 柔和は大事な言葉で 人は意味を理解していません 西洋では柔和なら弱いと考えます だから攻撃的であるべきだと 人を称える時は “攻撃的で素晴らしい”と言います 彼らが遺伝子的に 低レベルなのか 中にある種の動物がいるのでしょう さもなければ なぜ攻撃的でいることが 高等だと考えれるでしょう 高等であるべき者が 悪魔のようであるのは不可能です ヒットラーは自身が悪魔であるのに 自分は高等の人間だとなぜ言えるでしょう 悪魔は自分が 高等の人間だと言います サハジャ ヨガにおける 柔和とは ビジネスマンのような外見上ではなく 自然な柔和のことです 偉大なスピリチュアリティで あなたを輝かせる自然な柔和です 自分で落ちることはできても 誰もあなたを害すことはできません どこにおいてもあなたは 守られています 自分を叩こうとするなら 私は助けられません トゥカラマの言葉のように キリストは “自己を知りなさい”と言っています 内省のまず第一は 自分自身を知ることです あなたは自分自身を 見ようとしていますか 彼は他者の目に大きな光があって それを見るなら良いと言っていますが あなたは光が目にあるのに 他者の目にその光を見ようとし始めます それでは意味がありません ですから瞑想の中で まず内省しないといけません 主イエス キリストよ シュリ ガネ―シャよ どうか私に自身の何がおかしいか 理解する叡智を 良いサハジャ ヨギとして欠けている 資質を理解する叡智を与えてください 瞑想するだけで あなたは大変幸せに 歓びを感じます あなたの中の徳が 歓びを与えるからです だからと言って自分は 徳の高い者だとは言いません しかし内に徳を発見したとき それが歓びを与えます あなたの悪い資質 渇望 欲望や貪欲さに よってではありません ですから私たちは 真に集中しなければいけません サハジャ ヨガに来ても人は有名になろうと リーダーになろうとします 別の幻です またはどうにか金儲けのために 利用しようとします そしてビジネスを始めます サハジャ ヨガやヨギと ビジネスをしてはいけません 何回も言いました そうすれば問題が起こります それで私のところに来て 相談しないでください サハジャ ヨガは神の仕事です あなたがするすべては 神のためです あなたは自己のために しているのです ですから内省は大変大切です 他者への批判は少なくして 自分を批判し笑うことが最善です 私は沢山自分のことを笑い そのことを話します 人生をもっとおもしろくします そうやって あなたのエゴを殺します キリストが言っている柔和です それは私たちの中にある 自然な良さです 一度それが輝き 現れると あなたは大変美しく 愛深くなります どこに座っていようと そのような者は私には分かります 私のハートは そのような人格に開きます その者たちが誰か 私は分かっています 分かっていたとしても 決して言いませんが 自分で分かっていた方が 私が言うよりいいのです 自身を知ることは 彼のメッセージです 自分を欺くのではなく 真の意味でです 自分を欺いてもどうしょうもありません 欺きなしに 偽りなしに 完全な集中力で 自分自身を知るのです 自分の注意が どこに行っているのか見るのです そうやって上昇します 他者の欠点を 見ることでは上昇しません 自分の欠点を見ることでのみ あなたは上昇します これこそキリストが言わんとしたことで 私は簡単な言葉で言っています さらに彼は 隣人を愛せよと言っています 大変重要なことです これはサハジャ ヨガでのみ可能です あなた方がコレクティブだからです コレクティブでない者は 隣人を愛せません 隣人とは誰でしょう 誰も隣人ではありません 外部の者です あなたがコレクティブになると、、、 今日55カ国の人がいます あなた方はコレクティブで 徳があり 美しく 複雑な問題もありません 私は喜ばしく感じますが それを完璧にするのに 私たちは内省しないといけません 社会的に コレクティブ的に あなた方は良くなりましたが 個人的にも自身の中で 自分のために良くならないといけません キリストによって偉業が成し遂げられたので この素晴らしい時に祝わないといけません ひどい牧師によって どの国でも宗教でも 彼の偉業は薄れてしまいましたが 私たちはキリストの名を唱え 真逆の ことをする者を救うと誓わないといけません それを成し遂げられるなら あなたの人生で それを得られるなら キリストの偉業は 成し遂げられます あなたはキリストを あなたの生き方に表さないといけません あなたの生き方を通して 表すことができます 純粋さ 柔和さ 慈悲深さや キリストの叡智を通して表せます 彼は完全に 恐れを持ちませんでした それゆえあなたは 恐れのない者でなければいけません あなたは神だけを 恐れるべきだからです それだけです 間違いを犯していなければ 神を恐れることもありません 神はあなたを 大変愛しているからです すべてにおいて はっきりさせなさい 理解しなさい 疑いなくあなた方は 大変愛されるべき人たちですが あなたの持つ徳のために 自身を敬慕し 愛さないといけません 神の祝福がありますように […]

グル プージャ、重力 Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

グル プージャ 1992年7月19日、イタリア、カベッラ リグーレ

昨日グルの位について 尋ねていましたが 位ではなく意識状態です 位というと 外的なことを指します 誰にでも与えれます 誰にでも“これがあなたの位だ” と言えます 外的な利点で 人に位を付けることができます しかしグルにおいては 意識状態を指します その意識状態とは己を律することが できるレベルまでに進化することです もちろん まずは自分のマスターに ならないといけません 自分のマスターでもなければ その意識状態にはなり得ません それは生来のものである と言いましたが すると“生来のもの サハジャであるなら どのように習得できるのか” と考えるでしょう まず私たちが育むべき力が いくつかあります 一つ目は 思考を超えることです 瞑想において短い時間 思考を超えることができます 次第にこの短い時間が長くなり 全く思考がなくなります このようになるのも 状態と言えます ではそれを どのように習得できるかです 人は自然に起こることを 理解できません 何かしなければと考えます サハジャでは 大変簡単な方法があります “ニルヴィチャラ”のマントラです この“トワメヴァ サクシャッ ニルヴィチャラ”のマントラを唱えることで 何も考えずに目撃するようになります ただ見るだけ 目撃するだけです それ自体を見るだけで 私たちの内に その状態を作ります 最初の目撃者になる状態は とても大切です 目撃者になるや否や あなたが見ているものが 何であれ その全体像が 完全な理解を与えます 精妙な面や 粗野な面においてもです それを見て それを知ります サハジャ ヨギとしての現代の言い方だと あなたの知識になります 何かを見て記憶し 歓びを現します 知識を現します 慈愛を現します あなたが育まなければいけない 次元がたくさんあります これらの次元は 育まないといけません 例えばあなたに対処すべき 人がいるとします その者が話し続ける間 思考を超えるとします 思考を超えることで その者の思考や 攻撃による 影響はありません 違う領域にいるからです その領域において あなたの力が現れてきます その者を落ち着かせ 黙らせます あるいはあなたに この上ない愛を感じるかもしれません さて“グル”という言葉は 重力を意味します 母なる大地に 重力があるように グルである者は 重力がないといけません しかしその重みを どのように育むのでしょう ある者は わざと重々しく見せたり 自分があたかも 厳粛であるかのように見せます しかしグルの重みは 自分自身の内にあるものです グル パダの 第二の状態において 重みが現れないといけません あなたが目撃者になると 重みがそれ自身表れ始めます 短気な気質や厳粛さとして 現れません すべてが非常に 威厳ある荘重なものとして 現れるでしょう ただそれ自身で 現れるものです ですからあなたが得るその状態は 効力を発揮します 以前はそうではありませんでした 常にあれこれ言うことで 操る必要がありました しかしあなたの静寂さで 重みを現すことができます この重みは 大変磁性を持ち 磁石のように作用します ご存知のように 母なる大地には磁石があります それを重力と呼びます それによって人は引き付けられます 重力のお陰で私たちは この母なる大地に立てます すべてが母なる大地に 引き付けられます ですからあなたに 磁性を帯びた気質 人格が備わります あなたが育む この磁性を帯びた人格は すぐさまその力を現します わかりますか 今私に光が当たっています ただ光が差していますが 何も現れていません 太陽の光線が良い例です 太陽の光線が 葉に注がれると その光線がクロロフィルを作る力 として現れます 同じように あなたがその高みにいるなら その状態であるなら 何も言わずとも何もせずとも 一瞥で現すことができます それだけではなく すべてを記憶します お気づきのように 私は大抵のことを忘れません ある時旅行をしていて サンガネールの近くで 赤い石を見かけました そこでプラティスタンのために 赤石を使ってはどうかと提案しました しかし彼らは マハラシュトラ州にはないと言います サンガネールの 近くにあることを伝えると “通りましたが見ていません” “それでも私は確実に見ましたよ” と言いました そこへ行くと 山のような赤石がありました けれど以前は 誰も気づきませんでした さて 思考なしで 目撃し始めれば 知識を吸収するのに 障害がなくなります 思考がないからです 完全に吸収できます そして現すことができます このように 私たちの内に 神聖な力が働きます 自分の重みで 内なる深みに触れ 神聖な力を現すことができます 内でその深みに触れないかぎり サハジャ ヨガは “ハレ ラーマ ハレ クリシュナ” の宗派と同じです それゆえ 時折サハジャ ヨギは 急に間違った道へ 行くことがあります なぜなら 自身の深みに触れたり 自身の素晴らしさや 栄光を感じたり 神聖な力を現す重みを 使うことができないからです 例えば 多少しか動かない 修理されていない 車があれば 実用的に使えません 生きる上で実際に使えるものは 神聖な力です 非常に軽いものです この神聖な力には 重みを感じません この神聖な力に 圧迫感はありません しかしあなたが 浄化されていないなら 経路が浄化されていないなら この神聖な力は適切に流れ 現れることはできません 自分は全能なる神の 道具であるというなら 例えばこのマイクは 電源と繋がっています この道具が作用していなければ その役割は現れません 私たちはこのような 普通の道具より 最も複雑で 最先端の科学を 遥かに超えています 私たち自身が完全な真実の科学 である状態に達しているからです さてグルにおいて 必要なのは自尊心です 皆さん気づいていない とても大切な点です 自尊心を持つには 内省をし “自分は以前とは違う リアライズ ソウルで” “力を持っている” と分からないといけません もちろん力を持っています 愛の力 慈愛の力 把握する力 創造する力 人にリアリゼーションを 与える力です 以前は誰も 持っていませんでしたが サハジャ ヨガにおいても なぜか私たちは自覚していません エゴが大きくなるので 自意識過剰になるべきではありませんが 自尊心を持つべきです 自分たちはグルで 平凡な者でも 浮浪者でもなく 特別な者 真実に立つ者であって 道を失っている者や 正気を失っている者を 救済しないといけないのです 今日世界は 最も混沌としています そのような時こそあなたは内で ある種の静寂を感じるでしょう 危機に直面しても あなたはすぐさま静寂になるでしょう これも今お話ししている状態なのです あなたを動揺させ 落胆させることがあれば 静寂であるその地点に その軸に行くようにしなさい この静寂が あなたを真に力強くします この静寂はあなただけのもの ではないからです 静寂にいるとき あなたは宇宙の静寂の中にいます その宇宙の静寂が あなたに作用します 宇宙の力と言えるでしょうが それ以上で神聖な力です あなたはその力と繋がっています すべての宇宙に作用する神聖な力とです 自身の内に静寂があれば あなたは神の王国にいると 理解しなさい 王になる素晴らしい名誉を 授けられたら あなたは 自分の王座に座り 周りを見渡し 静寂の状態を感じるでしょう この静寂はあなたが確実に 神聖と繋がったという証です 神聖がすべて世話をしてくれるので あなたは静寂なのです 何もする必要はありません 静寂でいるだけです 無理矢理のものではなく それは状態なのです 混乱や問題が生じたとき あなたのアテンションは すぐさまその静寂に飛び込むでしょう 一度その静寂に飛び込むと あなたはすべてを 包括的な力と繋がります 人は未だ包括的な力について それが何か理解していません この包括的な力は愛です 周りに浮かぶ何かの エネルギーのようなものでしょうか あるいは川のような エーテルのようなものでしょうか それは 完全な現実全体です それがこの包括的な力です それ以外は現実ではありません そして現実は大変有能です 大変有能なので このマイクのような不都合は起きません 大変すばらしいものです それは絡み合ったもので いかにコントロールしているか 作用しているか 人間の理解では 想像できないほどです 例えば木を見ると バラの木にはバラしか咲きません 林檎は生りません ある高さまで育ちますが ココナッツの木のようには育ちません 自然界の特質は すべて維持され 滋養され 世話され 完全にそのタイミングや時季が コントロールされています それ故ルタンバラ プラッギャ とサンスクリット語で言われ ルタとは 季節のことです ルタンバラ プラッギャは 季節や啓蒙された知識を 世話するものという意味です しかし人間にはどう作用するか 理解できないほど大変複雑です あなたが認識した すべての奇跡 あなたが気づいていない 多くの奇跡 それらは考え 理解し 協力し調和させ あなたを愛し 世話する この力の戯れに過ぎません あなたの意のまままです どこにいても 繋がっています まるで護衛がついているようです 彼らは周りにいます 私にだけでなく あなたにもです あなたはすでに 契約されていて 彼らはあなたこそ 世話すべき者だと知っています 他の者の世話はしません あなたたち以外の者のためには 何もしません なので自尊心を持つべきです あなた方はサハジャ ヨギです つまりあなた方は特別な者で あなたが何をしていようと どこにいようと この神聖な力は あなたと繋がっています トランシーバーのようだと 言えるでしょう でも話しかけることも 何か言うことも 命じることも 頼むこともありません あなたの意のままです あなたはすでに 天の国の一員だからです 全てのプロトコルは あなたのものです あなたを侮辱する者や困らせる者は その行為に対して償わなければいけません ですから心配したり 平凡な次元で悩むことはありません むしろ許すほうがいいです そのようなふるまいをする者に 何が起こるか分かりません 慈愛だけではありません 激怒します あなた方は特別な者です ただ自尊心を持たないといけません そして自分のバランスを 保つようにしなさい 一度バランスが保てると グルの仕事は 他の者にバランスを与えることです すべてにバランスを与えます 自然 気候 雰囲気 社会 人間にバランスを与えます そのバランスはあなたにバランスを与える グルの原理から来ます 内にグルの原理があれば バランスを自動的に保てます 自動的にバランスのとれた 人格になれます 誰かに“バランスを持ちなさい” と言われずとも持てます ではそのバランスを どう育むのでしょう 昔は過酷な方法を使っていました あまり食べず 飢え ヒマラヤへ行き 逆立ちなどをしました 全くバランスがありません 禁欲的になれば 近寄り難い冷淡な者になります 完全に燃えた状態です 禁欲的な考えは どこから来たか分かりません スピリットにもっと注意を払って もらいたかったからかもしれませんが グルは性質上 禁欲的ではありません あまりに執着がないので 禁欲的なのです 王や乞食 お偉方や平凡な者でもありえます グルであるなら どの状態においても その者は完全にバランスを保ちます 何からも 動揺させられません 仮に 王冠を授かっても どうということはありません それがボール紙でできていようが 銀や金やダイヤモンドでできていようが その者を感心させることも バランスを失わせることもできません 例えば食べ物です 食べ物は一つの弱点だと思います グルは沢山食べるかもしれませんし 全く食べないかもしれません 何かを食べたかったり 食べたくなかったりしても グルはそれに 支配されることはありません なのでバランスを 保つことができます 食べ物や権力 富 お金に 支配されないのことがグルの証です 何にも支配されません あなたは超越しています 一度あなたがこれらを 超越していると分かれば あなたに怖いものはありません もはや怖いものがなくなります 恐怖心はありません 全くありません あなたのバランスを 失わせるものは何もありません あなたを支配するものも ありません あなたを 弱くするものはありません 依存させるものもありません 誘惑するものもありません 誘惑するものは もはや存在しません 誘惑もない 欲もないその状態に達したとき 問題はなくなります 何もあなたを 引きずり下ろすものはありません あなたが普通のトゥルシの ガーランドをしていたとしても 真珠やダイヤモンドを 着けていたとしても 全く影響されません だからといって 何からも逃げ出しません 逃げ出すのであれば あなたは不自然に禁欲的になります 禁欲という性質は もともと自身の中にあります ですから何の障害もありません 何も問題にはなりません その状態にいると 分からないといけませんが ヨギの中には“私はグルではない と思います”と言う者がいます “なぜですか” “その資質はあるかもしれませんが それでも食欲に支配されます” あなたは逆のことをしています 私が言ったことを負担に思い 自分を非難してはいけません 自分の良さに気づきいて 徐々に上昇するだけです 徐々に上昇し 自身で得た高みに落ち着きます それをしないで自信をもたず 落胆し 非難するなら “マザーは私たちが こうでないといけないと言っている”と 常に自分を非難するなら 助けになりません あなたは自信を持つべき者です 自分に確信を持つべきです 非難することも全くありません マザーがそう言ったと 言い続ける者がいますが 場合によっては言ったかもしれませんし 言わなかったかもしれません その時言ったにせよ あなたはどうなのですか “マザーがそう言った”と言うことで 人を困らせます 毎日食べるべきではないと 言ったでしょうか 決して言ってません そのような愚かなことを 言う者がいます 私が言ったとしても支障はありません あなたがどう受け取るかです ですから自分の経験に沿って 何が良いか役立たせます 信じ難いことでしょうが 私は人間として役に立ちません 私にとって難しいことです 現に父から 人間はどのようなもので どう見せるべきかを 沢山教わりました 私が人間のようにふるまうのは 大変なことでした まずなぜそのように反応するのか どう対処すべきか分かりませんでした かなり難しいことです ウイリアム ブレイクでさえ 同じように大変でした しかしあなた方が その状態に達するなら ただ自分自身を楽しむだけです あなた方は私より楽しめます あなた方は すでに人間であり 人間について 理解しているからです それでいて自らの 上昇を見ることができるのです あなた方にとって 楽しむことは容易なはずです 私は誘惑を知りません あなた方が持つ 性質を知りません なのでそこから 来るものに対して どう考えてよいか分かりません 初めから 問題も誘惑も全くなければ すごいというわけではありません あなた方は人間的なものから 高次のものに上昇したので称賛に価します 私やキリストやシュリ クリシュナが 楽しめるより遥かに楽しめます 上昇した者 成長した者は 自身の徳と資質と 偉大さを感じ 自分自身を楽しめるからです あなたは “私はここにいます” “私を害するものはありません” と言うでしょう その者にとってこの変化への 適切な理解が起こってきます そしてあなたが持つ 能力や知識や 深みや重みを持たない者を 理解できます あなたが人間であって 今は神聖だからです 人間であったので 他の者を理解できます グルはここでは 大変違う状況のようです 私は“お母さん”であるのに・・・ 私が見てきたグルといえば 大変残忍な者たちでした なぜ叩いたり 鞭打ったり 井戸に吊るせるのか分かりませんでした なぜそうできるのか 理解できませんでしたが 彼らは人間のレベルから 苦痛をへて立ち上がった者たちです なので“人が容易に得るべきではない 同じように苦しむべきだ”と考えます しかしあなた方は このような問題もなく得ました このようなグルとは違います サハジャに得ました 大変簡単に何もせず サハジャに得ました 全くサハジャです 何もせずにです ですからグルとしての あなたの役割は 進化した魂になるために苦しんだ これらのグルとは違います さてあなたの態度は もっと慈悲深いもの 理解あるもの 愛に満ちたものでないといけません あなたがサハジャに得たように 他の者もあなたから得ることができます 何かひどい仕打ちことをしたり 怒鳴ることもありません 悲しいことですが ある者が言いました “あるヨギにひどいことを言われたので サハジャ ヨガを去るしかなかった” サハジャ ヨギは決して誰にも ひどいことを言うべきではありません あなたは何も言われることなく 無料でリアリゼーションを得ました 何もせずにです リアリゼーションを得たい者には 同じようにしないといけません 禁欲的な修行を通して 得たわけではありません なのでこの態度は 変わるべきです このような態度をとるなら あなたはグルになれても サハジャではありません サハジャのグルとサハジャではない グルの違いを理解するようにしなさい 彼らは大変短気です サハジャのグルは短気である 必要は全くありません すべてが美しく 皆このすばらしい雰囲気を 楽しんでいます そこには愛 慈愛 互いへの敬意があります 競争も政治もありません あなたが全てサハジャに得て 同じように他者にも与え 互いに敬意を感じないといけない と理解するだけです ですから私たちは サハジャに則っています 皆さんにはすべての力があり グルであり 多くを習得し 多くのことができます それなら サハジャでないといけません サハジャに得たなら 残忍で短気な 厳しいグルにはなれません しかしサハジャ ヨガの中でも 軍隊の ようなことをしようとする者を見受けます 軍隊的な治療です それはありえません 鍛錬は必要ありません 自らで治めるようになります 皆さんグルです グルに鍛錬を与えることはできません 皆さんサハジャなのです あなた方のやり方は 全く違うはずです これらのグル達は リアリゼーションも与えれませんでした 正直にお話ししています クンダリーニを自分の手で 上げられるとは知りませんでした 歴史上数人の者だけが リアリゼーションを与えることができました でもあなた方は来る人に 容易にクンダリーニを上げています 今も“さあこの人を見て! こうです”と あなた方は 科学の限界を超えています あなた自身神聖の科学となり それについての全てを知っています “私はここが あなたは このチャクラがキャッチしてる” そして他者とどうのように 接するかがグル パダです 親切で優しく 気遣いをもつことです それはお母さんが あなたに与えたものです 気遣いを持つことです それぞれの人への 気遣いです 気遣いを持たなければいけません 別のグルは“死になさい 自殺しなさい 草を食べなさい”と命じます あなた方は そうではありません あなたは お母さんのようなグル 優しいグル 非常に優しく親切で 理解力があり 許すことができるグル にならないといけません その目的は何でしょう 目的はサハジャ ヨガを 広めることです それが分かっていません 私たちのリアリゼーションの目的は 人にリアリゼーションを与えることです サハジャヨガを広め 人を 全世界を解放することです 私たちの責任です その責任があなた方にあれば どう振る舞えばよいか分かります 聖職は要りません あの者がこう言ったから こうなったと言うことはありません その者に 言うべきことを言いなさい するとその者に その者の反応や態度に あなたの人格が反映していると 分かるでしょう 私たちは少しずつ このようなことを学んでいます このようなひどい支配的な者も サハジャ ヨガからいなくなっています 人々は非常に愛深く 互いに他者にも親切になっています あなたが善の 徳の体現で 忍耐 慈悲 愛と気遣い の体現だからです あなたがどうするかではなく あなたはもうすでにそうなのです ただ諦めてはいけません “ただそのものを見て 目撃するだけです” 誰でもできることではありませんが あなた方はそれができます ですからまず自尊心を持ち その力を自覚することです 自身の力を自覚しなさい グルであるなら 自覚しなさい 自分にはその力があると まだ分かっていません “その力があるのかないのか” と考えます つまりまだ初心者なのです “そんなことはない 私はグルです” 私たちは“マザー 私は私自身の グルです”と言いますが 口先だけです あなたは自身のグルであるだけでなく 全世界のグルなのです そしてコレクティブなグルです 何も恐れるものはありません 大変力強いです これを理解できるなら 私たちは自分の力を 受け入れないといけません ここではある者を選び 服を着せ ローマ法王と呼びます 法王かもしれませんが 実際は違います そのように演じたとしても 内側はそうではありません 彼は100回誤ちを犯せます 私たちはそうではありません 内にすべて備えています 内にあります それを持つ者であって ただそれを自覚するだけです 一度自覚すれば すべてのバダが逃げていくでしょう 驚くでしょう 聖人である者 自分がグルであると 分かっている者に耐えられません 逃げ出します しかし 自分の自尊心が完全に正しいと見れる 内省が必要です 自分がグルだと 思うことではありません 私は別の 本当のグルを知っています でもあなたを 彼らのとこには行かせません 身一つで生きて帰れるか 分からないからです 自分たちが本当のグルであると 伝えましたが 彼らに近づいてはいけません 彼らに欠けているものは慈愛 このサハジャのスタイルです 彼らは自分たちが懸命に頑張ったので 皆も頑張るべきだと考えます あなたが何者であっても 仕事が何でも 学識があろうとなかろうと 関係ありません 裕福でも貧乏でも 全く関係ありません 自分はグルであり その力を自覚すれば良いのです 自覚することは 他の才能と同じで 音楽家なら 音楽が分かりますし 料理人なら どう料理するか分かります 管理者なら 管理について知っています しかしそれですら 完全ではありません でもあなたはすでに 完全に現実全体なのです 現実があなたの意のままです 自覚しないといけません あなたは凡人では全くありません 俗に言う類いまれな者であると 言えるでしょう あなたはナンセンスなこと 全てなくせます 他の者が見れば この者たちはどんな者なのか どんな人生を歩み どんなにすばらしい人たちか 何て優しいのかと驚くでしょう そしてその知識は大変精妙で 素晴らしく高みにあります だからといって エゴが膨らむわけでもありません “チャクラなら全部知っている” と偉そうに言うヨギはいません 上向きの口髭を生やしてです しかしあなたはこの知識で 木に実が生ると垂れるように あなたは頭を垂れます その謙虚さ その素朴さが どんな心にも入り込める 特別な強みを与えます 故にあなたは 真実の使徒となります ウィリアル ブレイクのような 預言者になれます 様々なものを現わせるようになります 信じられないほどです でも信じなさい あなたは全能なる神である この偉大な力と一つなのです キリストの無原罪懐胎についての 長い論議がありますが そのような愚かな者は 見たことがありません 彼は神です 全能なる神です 人間ではありません 何でもできます どうして彼を批判できるでしょう 彼の力や働きについて 批判できるでしょうか 神について論じるのに 神の脳を持ち合わせていますか まるで私が銀行業務について 論じるのと同じです 一言二言で分からなくなります 同じように 人が神について論じる上で 神やその関係について どのように息子を授かったかなどを 論じる能力はないのだと 分からないといけません 自分を何者だと 思っているのでしょう あなたはその謙虚さの中で 気づくべきです 全能なる神を 彼は全能であると 神は何でもできると すると盲目的ではない 信心深さがでてきます 神は全能であって 自分はその神の メッセンジャーになったという気持ちで 信心深さを持つことで あなたはすべての力と 勇気 そして 彼の慈愛 愛 彼のアテンション 彼の理解を与えられます あなたはこの信心深さを 持たないといけません ある時グルに会いに行きました 彼はひどい者でした 多くの者を叩き 丘から投げ落とすなど 様々なことをしていました でも私には 物凄い敬意をもっていました 彼は私と女神と話すかのように 話し始めました “この世俗的な人間をどう思うか” と聞いてきました 私は“まあ仕方ないでしょう 私が創ったのですから” 彼は“それでも神なら貴方の力で 少し変えてみてはどうですか”と言いました 私は“そこが問題です 彼らに自由意志を与えました” “自由意志でその者が 変わりたいかどうか選べます” “強制できません” 彼は“でも貴方は全能なる神です 何でもできます” 私は“何でもできますが あることはしたくありません” “その一つに彼らから 自由意志を奪ることです” “選ぶのは彼らの自由です 彼らに与えられたものです” “究極的な自由を持つべきであるなら せめてこの小さな自由意志は持つべきです” これについて 私と話し続けましたが 彼は“貴方は全能なる神なので 何か他の方法があるはずです” “ひどい人たちを どうすればいいのか” 私は“あなたはグルなので 気遣うのは分かりますが” “私を全能なる神だとするなら 私のやり方は違います” “あなたのようにはなれません” すると彼は“確かにそうです 貴方は私のようにはなれません”と このように彼は目の前に 神がいるかのように話しました そして弟子たちに言います “主を称えなさい” “神は称賛を好むので 彼女を称えなさい” 私は“そうですか”と “はい” “主を称えると何でも与えてくれます 私は知っています 私は常に神を称えます” “何かを望むとき神を称えます すると叶います” そこで私は “確かにその通りです”と 神はバクティ ガンミャだからです あなたに心からのバクティがない限り マザーに至ることはできません すべて組み込まれています バクティがなければ マザーに至ることはできません 神に至ることはできません バクティがあれば マザーに至ることができます バクティ ガンミャ と言われています 誰かに“クンダリーニを上げろ” と言われてもできません それどころか7回生まれ変わっても リアリゼーションを得られないでしょう しかし“マザーどうか授けてください” と言えば一度で得られます 謙虚さだけでなく バクティです バクティは信心深さが あるときのみ得られます しかし現代では信心深さは 愚かな者や知識人 作り話をするようなひどい者や カトリック教会や様々な教会によって 挑戦されています ですから神に対する信心深さは 揺らぎないものでないといけません 何にも揺らがないことが大切です 奇跡を見てきたはずです 彼の力がどう作用しているかも 見てきています にも拘わらず 神への信仰が欠けています 神に完全な信仰を持つ者を 神自身である パラマチャイタンニャと呼びます グルはブランマチャイタンニャ 自身である者と呼ばれています なので神への信仰が 完全に確立すると “全能なる神がいる 彼は全能である” “そして私は神の メッセンジャーである”といった 理解が内で完全に強くなると あなたはグル パダにいます あなた方がこの グル パダの状態に留まり その状態を 得ることができるよう祝福します そしてあなたがどこにいようと 地位が何であろうと あなたが何をしていようと あなたの内に全能なる神への 真の信心深さがそれ自体表れます それだけでなくそれが現れて 神のように作用します 様々なことをお話しできます 前にも沢山のことを話しました 後にもお話しできますが 今日は一つだけ 覚えておかないといけません 私たちは神の王国に 全能なる神の力に そして自分自身に完全な信仰を 持たないといけないということです 神の祝福がありますように […]

Shri Mahavira Puja, Dead Spirits (Australia)

Mahavira Puja. Perth (Australia), 28 March 1991.
今日はマハヴィラの 誕生日を祝います マハヴィラは バイラヴァナスの化身です 同時に聖ミカエルでもあります ご存知のように ガブリエルであるハヌマナと ミカエルの両者がいます 一人はピンガラナディに もう一人の聖ミカエルは イダナディにいます さあ マハヴィラは 多くの困難を経て 探求しました もちろん彼は 天使でしたが 人として生まれ 自らの探求により レフト サイドについて 学ぶ必要がありました レフト サイドはとても複雑です ライト サイドより ずっと複雑です レフト サイドにはさらに 7つのナディがあり それらは順々に並んでいます 本にも書かれていて 一つずつ名前が付いています この7つの レフト サイドのナディは ご存知のように 過去に与します 例えばこの一瞬一瞬が 過去になっていきます 現在は過去になり この人生の過去があり 過去生もあります 過去全てが 私たちの内面にあります 天地創造以来の全てです 全ての心身症は ご存知のように 紛れもなく レフトサイドからの 存在の現れです 例えば誰かが 肝臓に問題があると 急に左から攻撃されます 特にムラダーラです もしくはレフト ナビなど レフト サイドのどこでもです ムラダーラだけが レフトサイドに イダナディと直結していて ライト サイドの ピンガラナディは スワディスタンに つながっています なのでムラダーラの問題は 人間を超えたもので 攻撃されると レフト サイドのどこであれ 心身症として 体に現れてきます 何度も言いましたが このように左右のセンターは 重なっています ライト サイドを酷使すると ある時点で急に レフト サイドが賦活され あらゆる病気 例えば糖尿病など 心身症になります とても働き者で考えすぎて とてもライトサイドだと 急に何かが起こるのです それは遺伝かもしれません 過去からの影響で 心身症になるからです これら心身症は レフト サイドの問題について 熟知していないと治せません なのでマハヴィラはレフト サイドの 深くに沈潜したのです レフトが難しいのは レフトに行くと 動きが直線的になり 下降し始めるからです それに対して ライトは上昇します このように下降し ぐるぐる巻かれ 渦巻きになります そうやって回り続け 渦の中で我を失うのです でももう一つは上昇するし 渦もそれほどありません それに上昇するから逃れやすいのです だから レフトに行きやすい人は 過去を考えすぎたり 自己憐憫や不満で泣いていて ライトサイドの人より難しいです ライトの人は他人を害しますが レフトの人は自分を害します そんなレフトを マハヴィラは しっかり理解したのです もちろん全てを 知っていたと思います ただ特にレフトについて詳細に 何が起こるかなどを 実践的に語り 地獄の概念をもたらしました 7つの地獄についても 語りましたが 酷い話なので 私は教えたくありません 地獄がどうで いかに残酷で 歓びがなく 全くもって ゾッとする場所で 自分を恨み 自分がどれほど罪を 犯したのかを悟ります パパスです その因果で 罰が下ります 全てマハヴィラがします 彼はどんな罰かを 細かく語りました レフトに行こうとする 人に対してです ライト サイドの人にも 罰がありますが それほどでもありません なぜなら彼は 両サイドの中でも 主にレフトに関わるからです 多くの人に言いましたが 魂は存在していて コーザル体で出来ていて それは5大要素なのです 例えば地は香りです なので 因果の5大要素で魂も センターも出来ていて さらに それらが 副交感神経を統括します 脊髄の外側か 副交感神経を 賦活するのです なので全てのセンターと 関係しています これが死後の魂で クンダリーニとスピリットを伴い 空に上がり その魂の導きにより 我々は導かれて 生まれ変わりが起こります だからこれまでに行ったことは全て その魂に記録されています マザー 何か丸い玉が あったのを見ました そう訊かれたりしますが 何でしょう それは死霊です やっと彼らも言われたことを 理解しました 人は亡くなると 魂が出てきます 今も見えます 丸いもので 沢山の時や 線状だったりします 私が指示して顕微鏡で 見たこともあります 細胞に魂は反映します 魂が各細胞を反映します 細胞の一部に 反映する部分があり それは細胞の片側で 魂も反映します 背後の主な魂は それぞれの 細胞に映された魂を コントロールします その反映の中に 7つのループがあり 7つのループが 8つのチャクラに乗っています 7つのチャクラとムラダーラです それで分かったのは 人が亡くなると いくつかの魂は 何日かして 生まれ変わりますが これらは全く平凡な人々で マハヴィラは これらの人々を分類しました 彼らは死んだ後 この種の人々は ちょっとの間だけ 集合的な潜在意識にいて 生まれ変わります とても凡庸な人々で 目的もなく 役に立たない人々です 一方 死後に空にとどまり しばらくの間 自分の叶わなかった望みを 叶えてくれそうな人を 捜す者もいます 例えば 酔っ払いがいたとすると 彼が生きていて飲もうとする人に とり憑きます すると そうやって 飲む習慣ができると その魂が その人に乗り移って すると 本当の酔っ払いにしていきます 背の低い小さな女性が キューバ人でしたが 私がアメリカを訪れた際 自分が嫌いだと言いました 旦那は彼女が ウィスキーをボトル一本 飲み干すというのです 彼女を見ると小さくて どうしたらそんなことできるの バンダンしてみたら 大きな黒人が見えました 彼女の背後に立っていました 黒人で知り合いは? 彼女はたちまち飛び上がって マザー 見えましたか? あの人 あの人なんです 私じゃない もちろん 私は彼女を治しました その後彼女は飲酒を完全に 辞めました だから何であれ 悪い習慣を持つと 自分をコントロール できなくなります すると霊が居座り あなたをコントロールします すると 抜け出す道が分からなくなります だから習慣から逃れるのは 大変なのです サハジャ ヨガでは クンダリニが上がると これらの死霊が あなたから離れ あなたは習慣から脱します そのように働きます マハヴィラはこれを 教えませんでしたし 発見することも ありませんでした 彼は科学者ではなかったんだと 思いますが 分かりません 彼はその代わり 地獄について語り こういったことをすると 今生において 地獄に堕ちること さらにその詳細を 忌憚なく語ったのです それは恐ろしいもので 自分のことばかりの人間が 最後にどんな地獄を味わうか そこから永遠に 抜けられない者もいます でも化身が生まれると 地獄で生きる運命の 悪魔たちが 生まれてきます 生まれると 害を及ぼしますが グルとして生まれるのです 現代でもそれが起こっています 彼らが生まれ人を迷わせるのが よく分かります レフト スワディスタナや レフトサイドを用いて 私たちを抑え込みます 人が憑依されると ヴァイブレーションを感じれなく あらゆる症状が出るのを 見たはずです サハジャ ヨガでは マハヴィラの名前を唱えます マハヴィラがイダナディを渡り いわゆる スーパーエゴに留まるからです そして調整し 働き 浄化するなど 必要な全てを行って サハジャ ヨガに来た人を 正します なので彼に感謝すべきです この汚い仕事を してくれることに 彼らは全く気にせず 浴室や そこら中で瞑想するのです なんでもする人達で 汚れています タントリカになると何でもします それによって人と神の間に 問題を起こします 例えば女神の寺院に行き そこで女性と逸脱します すると女神が消えます 一度女神が居なくなると レフトのブーツを呼び込みます それで今多くの魂が あちこちにいて 帰ってきて 人の意識に入り 取り憑こうとしています その上レフト サイドの マスターがいて これらの魂を操り 誰かに取り憑かせたり 人から人へ移したりします これは終わりのないプロセスで 人は完全に狂ってしまいます 今私たちはそれを知っていても まだレフト サイドに捕われます サハジャ ヨギも捕らわれます なのでこの マハヴィラの誕生日が 極めて大切な日なのです なぜマハヴィラと 呼ばれるのでしょう ヴィラとは勇敢の意味で 彼のような騎士のような人だけが 自身の存在に分け入り これら恐ろしいラクシャサ ネガティブな悪魔の到来を 滅ぼせたのです 私たちは レフト サイドを酷使し ネガティヴィティに 苦しめられます そこに助けがなければ マハヴィラなしでは無理です マハヴィラと彼を呼んだり 聖ミカエルとも呼ぶことが できますが 人として来たので マハヴィラと呼びましょう これら全てが彼のおかげです 偉大な神格です 人として化身しましたが それは聖者には 難しいことです それに 地獄の概念は 聖典に述べられた通りで 真実で実在します そこに行こうとするなら 私はいつも 眠ってしまって その眠りの中で 相手のことを知ります 何をして いかに取り憑かれているか 意識的にするのは 難しいことです 潜在意識に行く 必要があります スシュプティと言われる 深い眠りです そこでレフト サイドが 分かります これはおかしな状態で サハジャ ヨギには お勧めしません でもレフトの問題は 取り除くべきで マハヴィラが助けになります このチャクラがキャッチすると 右側が大きく腫れます ならばマハヴィラの名を 唱えなくてはなりません 左側の圧力を 取り除くためです 何故自分が苦労するか 知らない人が沢山います 何も悪いことをしていないのに 何故でしょう 取り憑かれているからです ウイルスとか 心身症 癌など 不治の病は レフト サイドが 賦活されたためです そのため不治の病気に なってしまうのです ですから マハヴィラに感謝しなさい 力を与えてくれ レフトの問題を 取り除いてくれます 手に光を与えてくれて バイブレーションも与えてくれ 曖昧さを光によって 例えば私について 明らかにしようとします 彼こそが唯一 心や体の問題の 癒し手です 左の問題はご存知の通り 3キャンドルで 簡単に治療できます マハヴィラは光が好きだと わかります 暗闇は好みません それによって 十分に行き渡り レフトサイドを浄化し ネガティヴィティの強い国々で サハジャ ヨガの確立しようと しているのです 彼はどこでも働いていて どんな心身症でも ロウソクなどで治せます 3キャンドルで治療できます なので彼に感謝すべきで レフト サイドへは分け入り どんな問題があるかを 見つけてくれました 今日は彼の誕生日を 彼の好んだ場所で 祝うことができて とても素敵なことです マハヴィラはたまに 裸で描かれますが ジャングルで レフト サイドの探求をしていて 起きてみると 藪の中で 身動きが取れなくなり 服の半分を破らなければ なりませんでした 半分を破って 藪から出た時は 大丈夫でしたが シュリ クリシュナが 子供として現れました 私は貧しく 何も持っていませんと言います あなたは王ですから 服をもらえませんかと この子にあげるからと言って 去って行きました 彼はシュリ ヴィユヌに 違いありません この時ヴィシュヌに服を与え せいぜい数秒の間に 彼は王なので この葉で身を隠し 城に戻り服を着ました ですがネガティヴなことに ジャイナ教徒は裸で歩きます 彼らは厳格な 不殺生のタブーを守り 虫さえも殺しません 彼らは小動物を敬い 例えば小さな蛇や 害虫などでも 生き物であると 殺してはならないと言います 彼らは狂っています 極端な菜食主義に走って 虫も殺さず 帽子に虫を集め その帽子を神官が被り 虫に神官の血を吸わせます 神官の血が 完全に吸われたら 虫は地面に落ちます すると神官が出てきて 彼らにダクシナを つまりお金を見返りに 与えます 神官の血を 虫に吸わせたからです このような菜食主義があります ベジタリアンに気をつけなさい ヒットラーでさえベジタリアンでした どんなベジタリアンか 推して知るべしです このような菜食への熱狂は 全くいりません マハヴィラはそれを身をもって 示しました 食べ物にこだわる必要は 全くないと いいですか 菜食主義の理論は 馬鹿げた極端に 行きすぎていて 私たちは完全に やめるべきです それに対して彼は 何をしたか見なさい タンパク質を摂らねば ブーツと戦えません ブーツが入っている人は たくさんタンパク質を摂りなさい 炭水化物でなく タンパク質です それでレフト サイドの敵と 戦えます なのにベジタリアンに なろうとするのです レフト サイドの敵が 中にいるのに ベジタリアンになるなんて 終わりです どうやって戦うのでしょう これら全ては 予め分かっていて 虫などの 人間より劣る動物を 決して殺してはならないと そういう人は 迫害者だと言います これは馬鹿げたことです 私は虫に リアリゼーションを与えれません 魚や鶏にもあげられません 人間が必要なのです これらは人間の仕業で 彼らの言っていることに 沿っていません キリストは汝不純な目を もつなかれと言いましたが そうではないキリスト教徒に サハジャヨギ以外で 会ったことがありません 男性でも女性でもです 教えられたのと 反対になるのです マハヴィラの場合も同じで 彼の試みはことごとく 菜食主義に 走るような人によって 台無しにされてしまいました もう一つは 菜食主義はネミンナスという シュリ クリシュナの時代の 教師が始め 当時の慣習で 彼は結婚し それだけでなく あらゆる肉も食べ ラム肉も羊も 彼の結婚式では出されて それで彼はいわゆる ウパラティ それで気を悪くして 何をしたかというと もう肉を食べない と言ったのです こうしてジャイナ教で 菜食主義が始まりました そして未だに続いています 彼らは喜びに欠けた つまらない人達です お金が大好きで 追い回して とてもおかしな態度で 振舞うので理解できません 人間ですが その態度は理解不能で 普通ではありません なので マハヴィラの努力にも 関わらず 彼のいわゆる弟子である ジャイナ教徒たちが そんな状態です ここで理解すべきは サハジャ ヨガでは それはダメだと 何か言われたら 理由を理解しなさい あなたは方法論を知っていて サハジャ ヨガの 詳しい知識があります 全部知っています なのでどんな形でも 間違った与太話や 大々的な広告に 誘惑されてはなりません とても大事なことです 私たちはサハジャ ヨギで バランスを心得ています もちろん西洋人や オーストラリア人なら もっと肉より炭水化物を 食べるように言います なので炭水化物を 摂っても良いですが それは決して 菜食主義ではありません あくまで栄養補給です インドではもっと肉を 食べなさいと言います それが効くでしょう でも肉ばかりたべれば 良いわけでもありません バランスをとるべきで 一度バランスが取れれば リラックスして気分が良く 驚くでしょう 啓蒙され バイブレーションも良くなります 食べ物に気をつけることです 衣服も同じで 服に熱狂しないことです 暑くても寒くても 自分に適した服装をしなさい 例えば こんな気候なら自分を 覆う服が要るでしょう ガナパティプーレのように 暑くもなく かといって寒くもない 乾燥している場所なら どんな装いが必要でしょう 見てみなさい そこで分かるものが 自分が快適な服を あなたは着るべきです いいですか 私が何か言っても 過剰に 受け止めてはいけません 少しでもダメです 私が何か言ったら それはあなたのためなのです あなたの性格や傾向が どうであろうと それを養い 向上させバランスを 与えるためです マハヴィラに帰依するなら バランスをとりなさい 同時にシュリハヌマナを 思う必要もあります 両者が大切です 短い講義でマハヴィラについて 教えるのは難しいです ですがサハジャにより彼に かなり繋がっていると思います あなたも彼とその役割が いかに重要か 分かったはずです 神の恩恵がありますように […]

ナヴァラトリ10日目、深さと満足/ナヴァラトリ プージャ Butlins Grand Hotel, Margate (England)

「自身の中のデーモンを壊しなさい」1989年10月8日マルゲート(イギリス)

デヴィ プージャを イギリスですることは 自然の流れで決まりました ここで行われるべきでした ここがサダ シヴァの場所であり アディ シャクティが崇拝されるべき 場所だからです なぜデヴィ プージャをするのか 今日 理解すべきです デヴィ プージャをする 理由は何でしょう それから何を得られるでしょう 私たちの内実において 何を得るべきなのでしょう まずクンダリー二はデヴィです 彼女はアディ シャクティの反映です なのでデヴィを崇拝するとき まずあなた自身の クンダリー二を崇拝します あなたにリアリゼーションを 与えたからです 普通の人に比べ デヴィのプージャに対して持つ 理解は遥かに深いです 彼らはリアライズ ソウル ではないからです クンダリー二が覚醒していません なのでデヴィ プージャの目的は リアリゼーションを得るためです デヴィを歓ばせて 人はリアリゼーションを得ます あるいはリアリゼーションを与える人に 会う機会を得ます しかし あなたはもはや 違うレベルにいます ですから 自身のクンダリー二に対する アディ シャクティに対する 感謝から行うものです 内にあり アディ シャクティによって 反映されたクンダリー二によって 奇跡的に起こったことに 対する賞賛です しかし 私たちが リアライズ ソウルであるということは ポイントではありません ヴィブレーションを感じられるというのも ポイントではありません 他者にリアリゼーションを与えられる ということもポイントではありません それでは何が大事なのでしょう 重要なのは内にある内実です 何が内にあるかが大事です これらは内にあるものの 現れにすぎません 例えばある者は 気前がいいとします そしてその者が金持ちだと分かります そうでないとできません なので自分たちの内実を 見なければいけません 内実において 自然界で真の内実があるのは どこでしょう 海を見ると 水で満たされています あらゆるところから水を吸収し 太陽によって蒸発し 雨になります ですが海は 最も低い高度にあります そしてあらゆるところから 水を吸収します 同じようにサハジャ ヨギが より良い内実を望むなら 外側において高いところにいることは ないと知るべきです 聖書に「柔和であれ」とありますが 意味は説明されていないと思います 強い者のみが柔和になれます 安定している者が柔和になれます 真髄において 豊かな者が柔和になれます 不安定な者にはなれません 不安定な者が どうして柔和になれるでしょう いわゆる金持ちも 柔和になれません 寛容でないからです 満足していません 哲学的ではありません 豊かさはなく 欲深い乞食のようです ですから内実が大事です 私たちの内実は何でしょう あなたは私を愛していて 私もあなたを愛しています いいことです しかし あなたが私を愛する時 サハジャ ヨギとして愛すべき資質が あることを知らないといけません 人はサハジャ ヨガをしていても 我を見失います 何に対しても克服できる 大丈夫だと考えれば 自分を見失います 私たちが柔和である時 その内実は謙虚さです 人に対し謙虚でいなさい すると自分自身を好きになります その資質を楽しめます “私は他の者より謙虚である” その他に内実において 大きな山が挙げられます 高さがあるからです 山が雲に触れます なので海の謙虚さと 山の高さには関係があります サハジャ ヨギは そのようでないといけません なぜなら 大海には内実が潤っており それが雲となり 山の高みに シヴァが住まうカイラス山に触れます なので大変 歓びを与えるものです 私が描かれた絵のように 昔の私の状況はそうでした 今日も精妙なレベルにおいて 働きかけています 沢山のネガティビティがあり 様々なレベルで 働きかける必要があるからです 人間が悪魔になっても仕方ない という言い訳はできませんし サハジャ ヨギはもってのほかです しかし私はあなたを 我が子と呼んでいるので 多少祝福はあります 長いロープに例えれば 気にすべきはロープでなく あなた自身の資質 吸収する内なる力です ありのままの海を見ると 海は周りの水を 取り込む性質があります そして太陽が スピリットとも言えますが 太陽によって蒸発します 海だからこそ可能です 川ではそれほどできません 海は大変広大で 深く 無尽蔵だからです そして完全に 純粋なものがでてきて ハートに触れます サハジャ ヨギだからできます ハートがシヴァが内在する高みの レベルにあるからです 純粋さ 心の広さ 深さ 謙虚さやマリヤダがないと そこに至ることはできません 海は決して マリヤダを超えることはありません 片方から押し寄せれば もう片方に表れ 決してその範囲を超えません もし太平洋がもう30メートル深ければ 問題があったでしょう なのでその深さ 高さ 広がりにおいて 自身のマリヤダがありますが そのマリヤダの中で 自然と お母さんと一つである という感触があります 母なる大地を乱すことなく 母なる大地の一部に 適切に位置されています 自然は神聖の下に束縛され 神聖が自然を世話しています すべてが美しく作用し 自由があります サハジャ ヨガを始めると より大きな自由を得ます 完全な自由です 無意味なもの 罪深いもの 低俗なものには束縛されません あなたは山のように それらを超越します 山と海が組み合わさり そこに船を通すことができます 深みある者のみが 深さがある岸に辿り着きます そのようにしてあなたのハートと バヴァサガラの繋がりに 自分の深みを得ます そこは人があなたのところに来て これは素晴らしいと 分かる美しい場所です 皆分かっています 私は普通の女性に見えるでしょう あなた方は違って 見えたかもしれませんが 通常は・・・ どのくらいの人が プログラムに来るでしょう どのように来るでしょう コロンビアでは私の名前すら 聞いたことがない者が 何千人も来ました 驚くべきことです 座る場所に困るぐらいでした ロシアでも私のことはもちろん 誰も知りませんでした 出版された本もありませんでした なので “貴方が集合的無意識を 操作をしました”と言うでしょうが していません ですがそうなったようです なのでサハジャ ヨギが 内実を高めると 集合的意識が 神聖が確実に作用します 広告を出せば 人が来るようなものです 人はお金をとると 買えると考えます しかしお金やビジネスは関係なく ただ素朴な者であれば 神聖によってすべて成されます 神聖がワークアウトさせます しかしその場のヨギが 何の役にも立たないのであれば 私がそこにいたとしても ワークアウトしません 生半可な者では ワークアウトしません あなた方を失望させる つもりはありませんが 自身の内実を育み 自身を完全に信じないといけません これはサハジャ ヨギの 最もすばらしい財産です ではこの大海は何でしょう 愛です それは愛です それは話すことも 何かを成すこともありません ただ自発的に働きます 自分でしようとしないほど 良いです “私はこれをします 処理できます”ではなく あなたはただ 自身の内実を育むだけです 皆さん幸運です 誰もが持てなかったものを 沢山持っています 人々はジャングルに入り グルの怒りを受けないと いけませんでした 彼らを守る者もいませんでした 崇拝する アディ シャクティもいません あなた方には アディ シャクティがいます その力は神聖です あなた方は大変 有利な状況にいますが まずそれに 気付かないといけません 内実を育むとき その器は 強くないといけません そうでないとすべてが壊れます この力であなたが 完全に守られていると知ることです 誰もあなたを傷つけません しかし試されないと 完全に安全であると分かりません あなたが理解しているか見るために トリックが起こるかもしれませんが 何もせずとも すべてが解決します どのように解決したか ワークアウトしたか分からないでしょう 問題はサハジャ ヨギが この力をどのように持つかです 私はそれをシュラッダだと言います シュラッダとは 盲信ではありません サハジャ ヨガを始めたあと リアリゼーションのあと あなたはすべてを分かります あなたは 私の写真を見ました サハジャ ヨガが いかに作用するか 人のクンダリー二の 上げ方も分かりました ヴァイブレーションを 感じることができます 人について分かり 治すことができます これらの力すべては あなたの中にあります エゴなしにこの力について ただ悟ることがあなたの力です あなたが強力なときエゴはありません 必要ないからです エゴは力がないときに 出てきます もっと欲するからです 十分であれば エゴはありません なのでこの力をまず 確かめないといけません あなたに力があるかどうか まず確かめます 例えば椅子に座る前に 壊れていないか確かめます “大丈夫だ 座れる” サハジャ ヨギの中には 際にいる者がいます 時には高みに達した者と 外側にいる者に大きく差があります これらすべて 昔滅ぼされたネガティブな力です 彼らを殺すのに シャクティ一人で十分でした カリ シャクティや ドゥルガ シャクティです でもあなた方には沢山います マハラクシュミ シャクティや サラスワティ シャクティがいます 12人の神格が あなたのために働いています では あなたがそれに気付くということは 自分を完全に 信じるということです 未だに自分を疑っているなら これも人間の資質ですが 犬は自分が 犬か猫か疑っていません 虎も分かっています 自分の能力も分かっています 人間だけが他の愚かな資質に加え 自分自身を疑うことをします この疑う資質が 彼らを臆病にしています サハジャ ヨガでは自分に対す る疑いを持つべきではありません “私は未だこうです このようにしてしまいます” それなら取り除きなさい 背中に猿を担ぎたいなら 私は問題を解決できません “まだ背中に猿がいます” 取り除きなさい 簡単です 私のシンプルな理論では これが答えです 猿を担ぎながら “マザー 私は猿を担いでいます” 見えてます 頭や背中から 取り除きなさい 簡単です あなた方はサハジャ ヨギです ロシア人は違うようです 彼らに猿はいません 驚きです 全く猿がいません 誰にもです 個人的 公的 その他問題はありません 全くです 議論もありません 彼らは“政府がこうだから”と 言えたかもしれませんが言いません うんざりしたのでしょう 大変学識があり専門家で 謙虚で 心を開いていました ただリアリゼーションを望みました “貴方は私たちの 解放の為に来ました” 私のサリーや歩いたところに 触れようとはしません ヴァイブレーションのことも 私が アディ シャクティだとも話していません どのように私を認識したでしょう 彼らは自身の内に力を シュラッダを育みました 自国で神について 決して話したことはありません 教会やイスラム寺院を立てる 愚かな者もいましたが ほとんどの者が大変強く 内実が現れていました プログラムがある度に 今でさえ フォローアップのときも 最低でも千人はいます このイギリスでは デヴィ プージャに千人もいません それに人々は何千キロも遠くから シベリアなどから来ます 自分たちでホールを予約し 支払います サハジャ ヨギはお金を取りませんが ホール代はかかります 生半可な者はワークアウトしようとも 頑張ろうともしません それはサハジャ ヨギの 生き方ではありません 私たちは 悪魔を殺すことはありません デヴィと共に戦ったように 戦争に参加することも 兵士のように 戦う必要もありません あなたは内にあるネガティビティを 倦怠感を取り除くだけです そしてワークアウトさせるだけです マントラを言ったり マントラの力を知っていても 神格が起きた状態 でないといけません そのため何度も言いますが 瞑想しないといけません ただ座って“分わかりました ゴルフと同じですね”違います まじめなことです あなたはアディ シャクティを 崇拝しているのです 完全な理解と献身で 瞑想しないといけません 機械的ではなく 遊びでもありません 大変精妙で特別なことです 行動で示せるものではありません ただ大変深い気持ちです その深みは他のどの 気持ちとも比べられません その想いで 瞑想しないといけません その後結果を見ます 多くの者が“あれこれしたのに まだ問題があります”と言います それは十分深くないからです 祈りの長さや言葉の多さは 関係ありません 神聖の御み足をどれほどの深みで 触れたかが大切です なので今日 デヴィがすべての ネガティビティを取り除くために 私たちのハートを剣でもって貫き シヴァのために蓮の花を根付くよう 植えるのだと理解することが重要です デヴィは私たちの内から すべての醜さを取り除きたいのです まるでデリケートな 素晴らしく成される手術のようで あなたは それを感じないほどです この間ある本をもらいました ヴァイブレーションのことをスパンダと 呼んでいました 脈打つという意味です サンスクリット語でアナハタです 震動がないというの意味です しかし この本を読むと 大変回りくどく 説明だらけで誰も理解できません ひどいものです 私はそれ以上のことを 簡単に説明しています その本を2ページ読めば 頭痛がします でもあなた方はサハジャ ヨガの 全知識をすばらしく得ました すばらしいことです 別のマントラについて読めば その説明は現実とは 無縁だったりします 現実と関係あったとしても とても回りくどく 複雑です アディ シャンカラチャリャは それに気付いて論文を断念し “お母さんの賛美をただ讃えれば 全て大丈夫です”と 人は難しく捉えますが とてもシンプルです 人間は大した専門家です ラジオのように次々賛美し 何もハートには入ってきません あなたはその深みを 育まないといけません サハジャ ヨガでは脳ではなく ハートを通して理解します あなたはハートを育み ハートで他者の素晴らしさを 受け止めないといけません 人は他者の間違いを 簡単に見れます 自分の間違いは見ません 知的な者は特にです リアリゼーションは必要ありません しかし賢い者は 自分の間違いを見ます そして賢いので 自分を信じられます 疑いはありません 自分が賢いと分かっています 自分の間違いや すべきことを分かっています 今日における女神の仕事は 大変違います 明白です もちろん象徴的には同じですが 大変精妙になりました まず第一の仕事は存在する ネガティビティを滅ぼすことです より光があれば 無知は消えます 光が広がり 暗闇がなくなります あなたが光です あなたは光を灯し その光を世話しないといけません そしてその光を 永遠のものにしないといけません これはあなたがしている 仕事の一つです 光を広げ人々を啓蒙することは あなたがするすばらしい女神の仕事です あなたの周りにあるネガティビティは あなたの内にあるものより 危険ではありません 今日では さらに精妙になりました ネガティビティはより 精妙になっています あなたの中に入り込みます 気をつけないといけません いつでもあなたを倒します あなたが登ろうとするとき 一歩でも間違えれば 落ちることができます なので緊張することなく 注意深くいないといけません すると注意深さが育ちます 光が内にあれば それを見始めます すぐさま見れます どう正すかも分かります すぐに取り組むでしょう 素敵なサリーに汚れがつけば すぐにきれいにするのと同じです 同じように私たちは 大変注意深くいないといけません ダクシャです 以前はこれは女神の仕事でした 女神が啓蒙し 人々のために注意深くいました 子どもたちのために 虎のように座りました 人は祈り プージャや ハヴァンを捧げました 女神は彼らの前に座り ネガティビティから守り 悪魔を殺し あらゆることをしました しかしその段階は 終わっています 彼女はあなたの中に 入っています なのであなたは自分のネガティビティ を殺さないといけません お母さんと 同じ力を備えています いかなるネガティビティも あなたに触れることはできません あなたはリアリゼーションを与えられます その力を備えています そして他者ではなく 自分の欠点を見ることができます そして取り除けます あなたの善にも 上昇のためにもならないからです 誰も得しません それはコレクティブ レベルおいて 自動的に作用します 心配することはありません 煩わせる者はいなくなります 盲目の者が崖から 落ちてしまうようなものです これについて 心配することはありません ただ作用します あなたはすでに見てきています あなたにある もう一つの資質は あなたを通して女神が作用していると 信じれることです 彼女はあなたの中に内在しています その力を備えています あなたは人を癒すことも 治すことも 平穏や至福を 与えることもできます 女神があなたに 至福を与えたからです あなたは至福になった ということです 冷房がかかっているとします 涼しい風がきます 同じようにあなたが至福を発するなら 他の者に至福を与えています しかし内に至福がなければ 与えることはできません ですからヨギは女神のように 至福に満ちていないといけません 彼女には 極端な性格があります 非常に残酷でもありえますし 非常に温和でもあり得ます 昨日の二つのラーガのようにです 彼女は 人間の想像以上に 非常に凄絶にもなれますし 非常に温厚にもなれます この凄絶な側面を あなたは持つ必要はありません ただ作用します この側面は 神聖のみが持つものです あなた方は もう一方の側面を持ちなさい 凄絶な側面は 神聖に任せなさい いずれにせよ神聖も 仕事をしないといけませんので あなたがすべての仕事をするなら することがなくなってしまいます なので神聖が その面を世話します 女神が自身を楽しむように あなたも自身を楽しまないといけません 彼女は自身の至福を 平穏を 創造のすべてを 子どもたちを 彼らの愛を楽しんでいます 同じようにあなたも 楽しまなければいけません すべてを知らなければいけません すべてを熟知する者 でないといけません “神聖よ どうか私たちをお守りください” と言う以外は 全く言う必要がありません せめてそれだけです 仮に言わなくとも 守られています 見えていなくても神聖が その舞台をワークアウトしています あなたはその舞台にいます 彼らが光をどこに照らし 何を変えるか すべてアレンジしています あなたは 居心地良くいるだけです 全ての仕事をする 必要はありません あなたは演じたり 台詞を言ったりして 自分の仕事をするだけです 他は彼らにさせなさい うまくやります 彼らはすばらしく 配置された専門家です 神聖の手に任せることを “サレンダー”と言います それができるなら ほとんどのことは 奇跡的にワークアウトするでしょう 驚くほどです “マザー このようにワークアウトするとは 思ってもいませんでした” 大変大きな力が 作用しています その力 すべてのエネルギーの 源であるそのエネルギーです この偉大な宇宙を創造し 母なる大地や 太陽を創造し あなたをデリケートに 創った力です その力が働いています その力があなたを世話し あなたがこのステージにいることを 誇りに思っています 今日は女神に “どうか私たちの内にあるネガティ ビティと戦えるよう助けてください” “戦えるようあなたの虎をください ライオンをください”と祈ります 私たちの内にいる 恐ろしい動物たちや 恐ろしい取り憑くもの 恐ろしいコンディショニング それらを取り除かないといけません 自分をよく見ると 沢山のコンディショニングがあります 薄いカーテンで覆われていて 見れなくなっていますが そこにあります その洞穴に虎を入れて 見つけなさい するとあなたは女神のように馬や ライオンや虎にまたがって楽しめます 結局子どもたちはお母さんから 受け継いでいる財産があります あなたはそれらを 使うことができます しかしあなたは それに値する者でないといけません 自分にはその価値があると 気づかないといけません それに値し それができると 今日私たちは このプージャのためにここにいます パースで予定されていましたが ここになりました このプージャができるのは 幸運なことです そしてこれはより深く より精妙な性質のものです あなたの血のように この七日間で女神は血の色の赤を 常に身に付けると言われています 胎児は母の子宮の中で まず赤色を目にします それは安心感です 一方で赤い服を意味し もう一方で 安心感を意味します あなたの周りに 安心感を与えます あなたが行くところが どこであれ安心感があります ただ感じなさい あなたは 神の王国に入っています 疑いようがありません 皆さんそこに入り すばらしく落ち着いています 神の祝福がありますように […]

Shri Bhairava Puja, Bhairava and Left Side (Italy)

Shri Bhairavanath puja. Garlate, Milan (Italy), 6 August 1989.
今日はバイラヴァナスへの プージャで ここへ集まりました まだ私たちは イダ ナディを上下する バイラヴァナスの意味を 理解していません イダ ナディはチャムンダ 月の経路です なので私たちを冷やす チャンネルです バイラヴァナスの役割は 私たちを冷やすことです 例えばエゴや肝臓が原因で 怒りっぽい人に バイラヴァナスは トリックをかけて冷やします 彼はガナ達を操り ガナパティの助けを得て 怒りを沈め バランスを与えるのです 誰かがかんしゃく持ちで 暴走するなら バイラヴァナスが ハヌマナと共に 怒りが馬鹿げていることを 示します レフトサイドで落ち込んだ人を 助け出そうとするのは ハヌマナですが バイラヴァナスも かなり助けになるのです それでレフトサイドな人は コレクティブになれません レフトサイドな人にとっては いつも悲しんでいて 不幸感や心配を抱えている人には とても難しいです 一方 かんしゃく持ちでライトサイドな人は コレクティブを楽しまないし 他者が楽しむこともさせませんが コレクティブに居続けて 自分の優位を見せつけます 自分の優位を 見せびらかそうとするので 当然コレクティブを楽しめません 反対に いつも落ち込んでいて “誰も自分を構ってくれない 気分が落ち込む”と言う人は いつも人から何かを期待していることで コレクティブを楽しめなくなります そんなレフトサイドな人は 何につけ不幸な点を探し出します 例えば先日 私はモスクワへ行きました そこにレフトサイドな サハジャ ヨギニがいました 私たちは食事のため外出しましたが 雨でタクシーがつかまらず 車に乗り込みました すると遅かったのでより高いほうの席へ 座るように言われました するとその女性が言いました “何という問題でしょう” “タクシーもみつからず 雨も降っていて 席もとれないなんて” “これは楽しいことで 問題ではありません”といいました 問題という言葉は私たちの頃は 幾何学でしか使わなかったものです このような全てを否定的にみる ネガティブな態度で 私たちはレフトサイドを ダメにしてしまうのです ですが男性がきて “私たちは反対側で待っていた”というのです ということは私たちは反対側に行って 美味しいものを食べて良かったわけで “ほら あなたは 悪い面ばかりを見て” “面白いことを見落としているんですよ” といいました 彼女は“どうすればいいんですか” と訊きました “バイラヴァの名前を言いなさい” “座って写真に左手を向け 右手を地面に置けば” “否定的なモノが出て行くでしょう” と言いました バイラヴァはいつも手の光です イダ ナディを上下して 光を与え 否定的なことなんて何もない と気づかせます 否定性はいろんな形でやって来ます 一つは “私のもの” “私の子” “私の夫” “私の資産” という“私の”ということです こんな風に執着してしまうと 子供がネガティブになるものです ポジティブになりたければ どこに自分の注意がいっているか 見るべきです あなたは問題を見ていますか それとも楽しみを見ていますか 何一つとして 楽しめない人がいます 天気がいいと言っては “あー いい天気になってしまった”と言い 曇りなら“曇りだ”と 愚痴を言います 喜ばないのです しかし どんな否定的なことも 肯定的に楽しめるのが サハジャ ヨギの能力です ネガティヴィティというのは存在しません それはただの無知です 無知というものも存在しないので 無知ですらありません すべてが偏在的な力であるなら 無知がどうして存在できるでしょう でも あなたがその力から隠れて 逃げてしまえば ネガティヴィティが 存在するというでしょう 洞窟に逃げ込んで 入り口を塞いでしまえば 太陽がない といえるように なので コレクティブになれない人 というのは 左右どちらか なかでもレフトサイドに 傾いていることが多いです ですが レフトサイドの人たちは ネガティヴィティのコレクティヴを作ります 幽霊達の友の会があるのです 酔っぱらいが一緒にいるのを見ると “環境問題とか問題だらけだ” と言ったりしています 皆が酔っぱらっていて “他の問題もあるし いつ解決するんだ” と言ったと思えば “ちょっと待て 世界が終わるという 話も聞いたぞ”という者があらわれ 更には “ああ 神よ みんな破滅だ 終わりだ”と 4人目は “このパブはどうなるんだろう” すると“皆死んでるんだから そんなことどうでもいいだろう” こうして幽霊の友の会は続きます 彼らは楽しみを見ることが出来ず 否定性において ある意味瞑想的で 達観していくのです しかし 彼らは 結局狂気に駆られます そしてライトサイドなら 白痴になります 精神病院に行った時に ある女性患者と話しました 彼女は結構大丈夫に見えたのです 話も賢くて “義兄がいて 彼を助けるべきと思うし こんなことするべきじゃない”など あらゆる話をして 彼女は優しく善人なのに 誰も 彼女を助けていないような口ぶりでした その上“私は怖いんです” と言ったりします 突然 ドクターが来たら 彼女は怒鳴り始めました “これはどうしたんですか”と訊くと ドクターはスタッフに “女を押さえて”と言います “彼女は一番危険なのに” “どうして彼女と話したんですか” と言われました 頭痛はしたけれど 彼女が発病しているとは知りませんでした 私の前では霊が逃げたか ごまかそうとしたのでしょうが 見るからに明らかでした サハジャ ヨギであるなら 私の子供だから 私のもの 私の と感情的に執着して 誰かの心配ばかりして 人生を無駄にすべきではありません サハジャ ヨギが コレクティヴになれないなら その人はサハジャ ヨギではありません これが私たちの 内なるバイラヴァナスの作用です 別の作用は 私たちの内面の 悪霊をやっつけることで 執着に対する悪い思考や狂気 抑うつを取り除くことです 今日はとても気分が良いです というのもバイラヴァは ガネーシャとゆかりが深いからです 知っての通り ガネーシャはムラダーラにいて バイラヴァはレフトサイドを動き ライトサイドへわたります なので あらゆる コンディショニング 悪癖を バイラヴァナスの助けにより 克服できます ネパールにはバイラヴァナスの 大きな像があり それはスワヤンブで 地元の人はレフトサイド故に それを恐れています なので 盗みなどの 悪癖がある人を 灯をともしたその像の前に 連れて行きます つまり警察が “バイラヴァナスの前で白状しろ”と 罪を認めさせるのです 彼は窃盗などの 陰険な悪行からあなたを守ります なにか隠れて出来ると思っていることも バイラヴァナスには隠せません あなたが変わらなければ 彼はあなたを完全に暴きます そのようにして彼は 偽の指導者を暴いてきました 今日は この偉大なバイラヴァナス 後にマハヴィーラとして 化身した神を讃えます 彼は地獄の門に立ち 人々が地獄へ落ちないよう 守っています しかし 本人が自ら それを望むのであれば “よろしい 行きなさい”と 彼は言うでしょう しかし ご存知のように 地獄も混雑していますので 否定性と戦って 他者を好きになって楽しみ 人があなたに どうしたかを気にせずに あなたが人に 何を出来るかを考えなさい さあ 今日はバイラヴァナスの 特別なプージャなので 笑い 楽しみましょう 神の恩恵がありますよう […]

Guru Puja, The State of Guru Grand Hotel Leysin (Leysin American Schools), Leysin (Switzerland)

Guru Puja, Leysin (Switzerland), 14 July 1984.
世界中のサハジャヨギに 敬礼いたします グルプージャのために 皆がたくさん集まったのを見て とても嬉しく思います グルを直接崇拝できることは 最高の恩恵とみなされます 私の場合はとても特別で 母でありながら グルでもあります あなたはシュリ ガネーシャが いかに母を崇拝したかわかりますね あなた方も皆 シュリ ガネーシャと 同じように産まれたのですが 彼は母を敬い その後最初のグル アディグルになりました 彼こそがマスタリー(修得) の本源です 母だけが 子供を達人にできます 男性であれ女性であれ グルの中の母性が 弟子を 指導者へと育てるのです まずあなたは母性を 自身の中に育むことで預言者となり その上で他者をも 預言者にしていきます ではグルになるために リアリゼーションの後に 何をなすべきでしょう グルとは 重力を意味します 重力とは 重く 深く 惹きつける人という意味です 御存知の通り サハジャ ヨガでは リアリゼーションは 全く努力なしに起こります 普通グルは弟子を 努力なしの状態 何もすることなく プラヤトゥナ シェティリャとなり クンダリーニが上昇しました プラヤトゥナ シェティリャ 「努力を緩める」ようにします そして第2の段階 ヴィチャラ シェティリャ 無思考の状態があります これも何もせずに 得ることが出来ました 第3は思考の完全な否定 アバーヴァ 平穏の恵みです この3つの段階の必要性を 理解する必要があります まず リアリゼーションを得るときは 当面全て自発的に得られます 誰かのクンダリーニを上げるのも 自然に起こります 今やあなたも 人々のクンダリーニを上げ 確立する力を持っています ですがヴィチャラ シェティリャを もってされるべきことを理解しなさい なぜなら 思考を投影すると リアリティではなく 人為的になるからです 思考は常に あなたと現実の間に立ちます 努力をすることで体現することに 反することになります 例えば 私があなたを癒やすなら 手をかざせばそれで終わりです 私はそういう存在なので 努力がありません あなたがリアリゼーションを得たのも 私がそういう存在だからです 私は努力して考えたりしません 私はそうあるだけです 誰かを見るだけで そうなります 誰かに注意をするだけで そうなります 少し願うだけで そうなります あなたがそうだから 自分の好きなようにできます 金に例えることができます 金は錆びません 錆びないように考えることも 努力することもなく 錆びません なので そうであるために 努力は要りません 努力がいるなら あなたはまだそれに なっていないということです 太陽も輝こうと 努力することもなく輝きます なので何かになろうと努力しているなら あなたは造りものです 花は美しいので 自らを飾る必要がありません 理解しなさい あなたの内面がそうであれば 努力する必要があるでしょうか ですが 私がそう言うと 無為なグルになって 無気力でいればよいと 考えたりします だから段階があると はじめに言ったのです さて 初めの段階は シュリ ガネーシャで 母に帰依すること これが始まりです 帰依するというのは 何もしないことではなく 高次の存在を敬い 従うということです 反応したり 言い返したりせずに 受け入れるということです 母親の母乳を子どもが 無条件に吸収するようにです なのでキリストは 「子どもようであれ」と言いました しかし疑うのであれば あなたは子どもではありません なのでまず第1には 子どものような意識を育てることです ですが 子どもが覚醒していて 重力を獲得するにはどうでしょう 子ども時代を確立してはじめて 成熟に向かいます 初めが肝心です 重力とは成熟で 軽薄さではありません ガネーシャの性質は ヴィヴェカ 分別です 彼は分別そのものです 分別を育て シュリ ガネーシャにシュブッディ 智慧を授かりなさい このためにシュリ ガネーシャに 従う必要があるのです この段階では 努力を否定する必要があります 例えば ガネーシャ 純真に反することにはなんであれ それを否定するべきです だから努力の否定は 否定する努力によって 達成されるということになります 初めはあなたは 努力なしになれないでしょうから そのための 努力が必要です 例えばキリストが 「不純な目を持たないように」 といいましたが あなたの目は純真ですか サハジャ ヨガでは 目を汚すような努力から 関心をそらす方法があります 母なる大地に 草木に注意を置くなどです こうやって避けること自体は 努力です なので新しい人はあらゆる努力を やめる努力が必要だと理解しなさい 例えば 放棄について語っても 快適な暮らしを求める人がいます そのような人は 快適な習慣から出て 母なる大地に寝るべきです キョロキョロと あちこちを見回す人もいます 注意を固定しなさい すると徐々に自分が 鍛錬されてくるでしょう なのでサハジャ ヨガではまず 努力をすることが大切なのです 他には 西洋では皮肉やいやみのような 隠微な暴力がよくみられます ても鈍感で「自分は 自分は」と エゴ丸出しの人もいます そういう人は喋らない努力をして 話すことを完全にやめることです 自分がいやみや無意味なことを 言っていないか監視しなさい この監視も 努力が必要です 発芽は簡単でも その後育てるのには 努力が必要なのです 成熟すれば 自分のものになります だからまず第一には エゴやスーパーエゴにより 間違った方向に努力しようとする こころを守るための努力です でも分別をわきまえるように 気をつけなさい ほどほどが一番で 極端にならないようにしなさい 例えば音楽好きな人 彼らは 音楽だけを追求します 詩歌が好きな人は そればかりになります これらが悪いということでは 全くありませんが 自分がそこで得たものは コレクティブに還元されるべきだし 他の人の発見も あなたは楽しむべきです 例えば学があり ドライな人は 優しくなるように 努力すべきです 中庸に戻ることで 極端な性質を中和するようにしなさい 「なんでも好きです」 というのが一番です 「置かれている状態が幸せです」と 自己暗示しなさい 「私は満足であり 品格です」 これらの徳や善を 自分に当てはめて 「自分に品位があるなら そんなことはできるか」と問いなさい こうやって自問して 自己を評価しなさい ケチな人が「寛容になりなさい」と 言っていてもそれは偽善ですが 自分がケチであることを自覚するなら 偽善者ではありません なので自分にあえて 価値や目標を当てはめ 努力してそうなろうと 努めなさい すると自然に自己批判により 自分の欠点を知り 他者批判をしなくなります 他者の欠点を知って 何になるというのでしょう イギリスでインドの状況を 良くしようとしたり インドがイギリスを 良くしようとするようなものです けれどもこれでさえ人の脳には 逃げ道があります 自己批判をするときに レフト ヴィシュッディに溜め込むことです ずる賢く 小賢しいほど レフト ヴィシュッディが悪くなります そして汚物を全部そこに 溜め込んで抱え込むのです 悪い主婦が家のゴミをある部屋に 詰め込んで溜め込みながら 「ああ、うまく片付いた」 と言うのと同じです それに向き合って正すことで あなたは力を得ます 自分の機械が ポンコツなのに 人の機械を良くしようとして どうするのですか その上機械が壊れたら ロッカーにしまって 「さあこれで大丈夫」というのです さもなくば自分以外の誰かを あれこれと責めるのです 有り難いことにあなた達は リアリゼーションを得たので 私が浄化する必要はなく 自分自身ですることができます つまり 自分のグルになる ということです 自分を離れてみて言うのです 「こんにちは いかがですか いらっしゃい」 でもサハジャ ヨガには 無意味なエゴで 自分が仙人とか 偉大なグルと思いだす人がいます そして「マザー 私はあなたを 愛していたから」といいます 私を愛すれば あとの浄化は私の責任と考えます それは グルの態度ではありません グルがすることは 自他を浄化して 神格に花を捧げることです あなた方皆が グルになるまでは 私があなたのグルですが あなたがグルになれば 私はあなたの神格になります 彼らがグルになるまでは 私が彼らのグルです 彼らがその意識に 達するまでです 彼らがグルになれば 私は彼らの神格です グルは皆 例えばムハンマドも 「神は偉大なり」と言いました 彼はグルだったので 聖霊や復活について語りました そして何を言うにしても 自身が導かれる源 そこを指して 完全な自信を持って言いました モーゼやキリストも 父なる神を指さしました なので自身のグルになるまでは まず努力が必要です すると次第に努力なく 達成できるようになります 努力しないことは証明できませんが 確かめることはできます 分別ある人の前では 他者も分別を弁えるものです 正直な人の前では 正直になります サンスクリットで 「ヤタ ラジャ タタ プラジャ」 王のように民がなる といわれます あなたがグルなら あなたはお手本です お手本になりなさい 指導者である立場の人間も 様々なようです 教授とか教師とか 彼らもスピリチュアルな グルでは無いけれどもグルです 彼らも非凡さのない凡庸な生活 をしていれば弟子の信頼を失います 政治家だって 好色だったり 弱点があれば 信頼や支持を失うでしょう 彼らも人格や価値観が 求められるのです ならばスピリチュアルな 指導者はどうでしょう 優秀な人たち であるべきです 内と外の生活の区別が あってはいけません 内と外がひとつになると 努力なしになるので そうなるべきです 内側から働きかけなさい 外を内には入れられませんが 内は外に出て行きます これがアンタル ヨガ 内なるヨガの始まりです 第2の段階では 無思考になるべきです 西洋人は 思考に生きているので 他の粗雑な問題はありませんが これが大切です 例えば法律を 恐れるように育てられます カーペットなど全てを キレイに保つように育てられます 物質的なものは 全てキレイに保たれます その分内面で 調節するのです 外見は上品ですが 内面はキレイではありません 振る舞いも 眼差しも キレイではありません 内面に毒をもっていて たまに嫌味を言ったり 毒を吐くのを好みます それが他国への 悪意ある攻撃になって現れます 世界を 破壊しようとしていても イデオロギーのためなら 悪いとも思いません イデオロギーで高尚な話があれば 何だってできます この汚れは とても精巧です 風呂にも入らない人が 香水でごまかすようにです だからまず内面に 良い考えを持とうとするべきです こころを観察しなさい 他人を どう思っていますか 人種差別は この病の一つです 地位もあって 上品な服装の人が 肌の色が違ったり途上国の人に 一言多いのを見てきました サハジャ ヨギですら そうするのを見ました 私は他ならぬ サハジャ ヨギに話しているのです 急に死んだものが 生き返ってきます こころが汚れて 色情や貪欲 怒りと嫉妬で一杯です だからとても 気をつけなけれないけません 洗練された人は 弱みも洗練されているので 嫉妬が共通の病です 先日 「なんでお父さんが息子や 兄弟に怒っているの?」と訊いたら 兄弟がその息子を 面倒見ていたと 普通のことです 自分の留守に息子を 見てもらったら感謝するべきです でもその人には 独占欲があります そもそも人を不安にさせるから 自分も不安になり 独占しようとするのです 不安には 多くの原因がありますが 自分の醜さを 他人に見るというのがその一つです この内面の穢れをとるのが 外面よりもずっと大変です 単に威張りたいから 人に指図する人もいます でも まず自分に 指図しましたか 自分を十分に 修めましたか あなたは自分の師ですか 自分を修めていない人は 人に命令したがります でも 自分を修めた人は 誰をも支配する必要がありません 師になります 努力することなく マスターします そして正すため マスターのための コツを沢山知っています 話すかもしれないし 何も言わないかもしれませんが やってのけます 何もしてないのに 皆が教わることになります そして人は それを感じてわかります 腰の低い 素朴な人 かもしれませんが それは大いなる幻 マハマヤです ですから力のある人は それを見せようとしません 反対に他人が 気づくようになります なにも見せびらかす必要はないと わかってくるからです わかっている人がいるのです そんな人がいたら 見習いなさい 第3段階では サットグル である師につく努力です それがあなたが 従うべきことです サハジャ ヨギでも 表面的なことがあります あるサハジャ ヨギがショールを 特定の着方をしていました 彼を指導役として 別のヨギ達のところに派遣したら 皆が同じように ショールを着るようになりました 外見でなく 内面に従うべきです あなたは グルになる時はなります あっという間になります 自分に向き合えば なるには もう少し足りないと分かるでしょう こう話している 今でさえ 「マザーはあの人の話をしている」と 自分ではなく他人のことを考えています グルから吸収し 自分のものにするには 自分を観察することです 他人を預言者に しようとするなら まずは自分たちが 預言者になるのが大変重要です 更に高い段階では あなたのグルが神格になります グル ブランマ グル ヴィシュヌ グル デヴォ マヘシュワラと言う時です そこまでは言っても グルが女神だとは言いません ブランマ ヴィシュヌ マヘシャ よりも高い段階に行けます グルの状態とは ブランマ ヴィシュヌ マヘシャの イノセンスの力を持っています しかしそこで「グル サクシャッ パラ ブランマ」と続きます パラ ブランマとは あなたに流れる母の力です ですからあなたはパラブランマの 道具となりますがどうやってでしょう それは 自己になるだけでなく グルの状態から 神格を反映する状態になることです すると全てのエレメントを コントロールし始めます だからアディ グルの化身達は皆 エレメントをコントロールできたのです 彼らを通してブラマデヴァが 完全に現れています なのでガネーシャから アディグルは生まれ ブランマ ヴィシュヌ マヘシャの 3者として顕現します 後にブラマデヴァ として4つの顔 ブランマ ヴィシュヌ マヘシャと シュリ ガーネシャで現れます なのでブラマデヴァが グルのシンボルとなり ガネーシャはチャトヴァリとして 常に4つの顕現になります そしてブラマデヴァになる段階で 全てのエレメントをコントロールします さて 今日は皆さんにグルパダ グルの状態を説明しようとしました ここで理解すべきなのは あなた達はとても幸運で 短い間に泥の中の何もない状態から 蓮の花になったということです 蓮は多くの昆虫を招き入れ 美しくします マドゥカといわれ マドゥ 蜜を選ぶもの という意味です 蜜を得ることで 自らが蓮になります 汚く汚れた池が 蓮で覆われます グルである蓮は より高く育ち 女神に捧げられます 彼女は蓮の美しい台座の 中心に居ます でも彼女をこころに留めるには あなたにハートがなければいけません グルの多くの性質 についてお話しました 12の全ての側面の最高の性質が グルの中に現れるべきです これらの性質を 有しているのがシヴァです なのでブランマ ヴィシュヌ マヘシャの中で マヘシャ つまりシヴァの本質が あなたを通じて光るべきです ヴィシュヌの性質は ダルマで まずは良いバランスのために ダルミックになる努力が必要で そして上昇します するとヴィラ−タに至り 他者にダルマ(徳)を 与えます このように一段一段理解が深まるので 偽善者になることはありません ですがあなたが現実になるので 現実があなた自身から示されます そうなります だから自分の内なる現実を理解し 向き合い 解決しなさい ですが 大概「マザー私は違います そうじゃありません」と人は言います 前に座って自分を 見せびらかす人も居ますが それが大切なわけでは ありません 大切なのは あなたがどれくらい 自己理解を得たか つまりセルフリアリゼーションなのです 一度それがわかると 表面ではなく真の意味で他人を理解し 完全に楽しめます ミツバチは造花に ひかれませんが 人間もミツバチのように なるべきです グルは自分がグルであると 宣言する必要がありません 今日はあなたを祝福します 私は12年の グル プージャを終えたので あなた方も真のシヴァの力を 身に付けるべきです 私は 身も心も一身にあなた方の 浄化 成就に完全に寄与してきました 私の努力を どうか無駄にしないでください 自らを見て 助け 高みを目指し 自己を成就するのです 自己となった時に あなたはグルとなります グルとなれば あなたが ブラマデヴァ マヘシャ ヴィシュヌになります あなた方はまず ガネーシャのように生まれ ブランマ ヴィシュヌ マヘシャとなります けれどそれはあなたの覚悟 特に正直さと真摯さによります シュリ ガネーシャがあなたに 智慧を与えると良いのですが シャクティはあなたが一生懸命働く力を シヴァが歓びを与えます サダシヴァが己れを確立できるように あなたに歓びを与えるでしょう 神の祝福を […]

Shri Mahakali Puja (India)

このヨガのすばらしい国に サハジャ ヨギの皆さんを歓迎します 今日はまず 自身の中に望みを 確立しないといけません 真理の探究者であり 自分の完全な成長と 成熟を得ることへの望みです 今日のプージャは 全宇宙のためです 全宇宙があなたの望みで 啓発されないといけません あなたの望みが 強いことで スピリットに到達するという 純粋な望みである マハ カリの純粋なヴァイブレーションを 放出しないといけません これが真の望みです 他のすべての望みは 幻のようなものです あなたは望みを表現し それを得るために 神によって 選ばれた者です 強い清浄への 望みによって あなたは全世界を 浄化しなければなりません 真理を探究する者だけではなく 真理を探究しない者をもです 究極を スピリットを得るという 望みでもって この宇宙に オーラをつくらないといけません 望みなしにこの宇宙は 創造されませんでした 神のこの望みは 聖霊であり この包括的な力であり あなたの中のクンダリーニです クンダリーニの 望みは一つです スピリットになることです 他のことを望めば クンダリーニは上昇しません 真理を探求する者を前にし この望みが満たされると わかった時のみ覚醒します 望みがなければ 誰もあなたに強制できません サハジャ ヨギは決して 他者にこの望みを強制させてはいけません セルフ リアリゼーションを得て まず直面することは あなたが家族について 考え始めるということです 私の母が 父が 妻が 子供たちが まだ得ていないと 考え始めるのです これらの関係は 世俗的なものだと知るべきです サンスクリット語で ロキックです 彼らはアロキックではないのです 世俗的な関係を 越えていません 世俗的な関係です これらの執着は世俗的です それに悩まされるなら マハ マヤ シャクティは 自由にそれをさせてくれます 好きなだけやりなさい 人々は親戚皆を 私の下に連れてきます そして最後には 間違っていたと気がつくのです 彼らは多くの大切な時間を 何時間も何年も無駄にし お母さんのアテンションに値しない者に エネルギーを費やします この望みが 自分の中にあっても いわゆる世俗的な親族には ないかもしれないことを 早く気がつくほど良いです 関係ないことなのです キリストは兄弟姉妹が 外で待っていますよと言われ “私の兄弟とは誰ですか 私の姉妹とは誰ですか” 常に家族の問題を抱えている者 私の注意を引こうとする者は 私がただ遊んでいると 気づくべきです あなたにとって あなたの成長にとって 何の価値もないのです あなたの親族に 望みを持たないこと これがマハ カリの力を 確立する最初の原理です 特にインドでは 家族に あまりにも執着しています とても大きな問題です ひとりの人に リアリゼーションをあげると 親戚全員が ブーツであることに驚きます ひとりにリアリゼーションをあげると 面倒なことになります ゆっくりとブーツが入り始め 私を苦しめます 私のエネルギーを無駄に費やし うんざりさせられます これは吉兆ではないと 理解するようにしないといけません 時間を無駄にしたいのであれば あなたに時間を無駄にさせておきます しかし早く 成長したいのであれば まずこれらの親戚は 全く世俗的な関係であり あなたの純粋な望みでは ないと覚えておくべきです ですから望みと 世俗的な望みを分けなさい あなたの家族を お母さんを 姉妹を 諦めなさいと提案しているのではありません あなたは彼らを 目撃するのです 他の人を見るのと 同じように見るのです そして彼らがその望みを 持っているかどうか見極めるのです 彼らがあなたの親戚だからといって 適していないというわけではありません あなたの親戚だからといって 適しているというわけでもありません ですからサハジャ ヨガで あなたの望みを純粋な望みにするには 多くのことから 抜け出なければいけません 家族に執着している者 家族に縛られている者は 親戚の誰にもサハジャ ヨガを 強制してはいけないと理解するべきです せめて私に 押し付けないことです 私は毎日しゃべっています シュリ クリシュナについて 話さないといけません でないと彼は私がマハ カリについてだけ 話していると思ってしまうでしょう 私たちの中にあるこの望み 現れるマハ カリの力は 多様な形で出てきます まず親戚に何かしてあげよう という気持ちが あなた達はサハジャ ヨギなので リアリゼーションのあとで出てきます そして私たちに出てくる 二番目の望みは 親戚である人達を 治してあげようとすることです あなた達の中の多くが感じている ことだと知るべきですし向き合うべきです ハンセン病から風邪や くしゃみなど小さなものまで 自分達が抱えているものが 何であれ お母さんに見てもらうべきだと 考えます 家族の心配事すべてを 見てもらうべきだと考えます 妊娠やくしゃみのような とても普通な 自然なことも あなたのアテンションにあるのです それがアテンションに あるのなら 私は “やってごらんなさい 可能なら 解決してごらんなさい”と言います しかしあなたのアテンションになければ それらは私のアテンションにあります 私のアテンションに任せなさい うまくやります しかしこれも悪循環です それは頭の精妙な反応です “私のアテンションに置かないので お母さんが面倒を見た方がいいです” というなら間違っています あなた自身の中に 強い望みを持つべきです 私はスピリットになっているか 私は自分の究極を得たか 世俗的な望みと 真の望みを区別しているか 浄化しなさい 一度それを浄化し始めたら 抜けたところは私が面倒を見ます これはただの確約であって 保証ではありません 私のアテンションに値するなら 私はそれを確実に面倒みます 私が私のアテンションを尊重するように あなたのアテンションを尊重しなさい あなたのアテンションを 私のより尊重しないといけません 私はより多くのことを 管理できるからです すべてが 私のアテンションにあるからです あなたが直面している世俗的な 問題から望みを離し 清めないといけません 考えが膨らみ 私たちの国の問題は どうなのかと考え始めるでしょう それならあなたの国の 地図を私にください それだけで十分です ですから自分自身を 浄化しなさい 持っている望みを 私に任せなさい 一度浄化されればその部分は あなたのアテンションで助けることができます それを克服したときのみ あなたはそこに光を当てられます しかしあなたがその中にいるなら 光が隠れてしまいます その望みより 上にいきなさい 望みが出るたび その上にいくのです そうすることで あなたが直面している 私が解決すべき問題に 光が放たれます これらすべてはあなた自身が 請け負っている私の問題です あなたはスピリットになるという ひとつのことをしなければいけません とても簡単なことです それ以外のことは私の問題です さて 集合的な望みにおける悩みは 大変異なるものであるべきです あなたの清浄を 実証するのに あなたの清浄に 良い香りをもたせるのに アテンションは 違う側にあるべきです あなたは私と向かい合っているのではなく 私と共に全世界に向いているのです すべての姿勢が 変わるでしょう その姿勢は“私が何を 与えられるか”にあるべきです “どうやって与えられるか” “与えることにおいて どこが至らないのか” “私はもっと 敏感でないといけない” “私のアテンションは どこにあるのか” “自分に対して敏感でないといけない 私は何をしているのか” “私の責任は何か” あなたは純粋であることを望むべきで 純粋な望みであるべきです つまりスピリットであるべきです 自身の責任は 何であるかです あなた自身の責任が表れないといけない 完全にならないといけないと望むべきです そしてこのサハジャ ヨガに 対するあなたの責任です サハジャ ヨガに対する 責任は何かです それは始まっている神の仕事であり あなたは私の手であるということです 神の仕事を しないといけません 神に反する要素 悪魔的な要素と 戦わなければいけません あなたはもはや 家族に責任はありません でなければ生半可なヨギで 何の役にも立ちません 脱落して 家族も苦しむでしょう 今 選別が始まるほどの力が 結集しているからです あなたはスピリットになることに 責任があります あなたはサハジャ ヨガに 責任があります あなたは私をもっともっと 理解する責任があります 自身のメカニズムを 理解する責任があります このメカニズムがいかに全てを うまくいかせるか理解する責任があります あなたの責任はいかに 自身のグルになるかです あなたの責任はいかに品位ある 称賛に値する者になるかです 立派な者になることで 安っぽい者にならないということです あなた達ひとりひとりが 宇宙に匹敵するほどの価値があります もしあなたがその高みまで 上昇したければです 宇宙という宇宙を あなたの足元に投げ出せます あなたがその高みまで 上昇したければ その大きさを あなたの中に育むことができます しかし低いレベルでまだ生きていたい者は 上昇することはできません 例えば西洋の サハジャ ヨギ達は お母さんに対して 罪を犯すという問題を持っています 東洋のサハジャ ヨギはお父さんに対して 罪を犯すという問題を持っています そこから抜け出すのは あなたにとって全く難しいことではありません アテンションは純粋に 保たれなければいけません いかにアテンションを 純粋に保てるかについて あなたはサハジャ ヨガの あらゆる方法を知っています アテンションが純粋でなければ この望みは 自分の成長に何の意味もない 無意味なことに常に攻撃されるでしょう 良いサハジャ ヨギは服装や 自分について人が何を言っているか どんな態度かは気にしません それらに注意はありません 人に対する 批判はありません 他者への攻撃性もありません なぜなら 他の者は存在しないからです しかし問題は 私の言うことが自分のことだと 思わないことです 攻撃的な者は攻撃的でない者について考え 攻撃的でない者もまた同じです 攻撃的な者について言えば 自分のこと ではなく攻撃的な者について考えます あなたはすぐに 自分の注意を他の者に移します 他の者の欠点を探します するとこの望みは次第に低く 低く さらに低くなります それに課される負担のためです 注意深さが重要です 完全は注意深さ サタルカタ 自分の純粋な望みを保つために 自分の注意をしっかりさせておくことです 望みはあなたのハートから来ます あなたのブランマランドラも ハートであるようにできています きれいなハートがなければ きれいに保てません サハジャ ヨガについて偉そうに話せば 自分は大丈夫だと思っている者がいます 彼らは自分自身を 騙しているのです ハートが開いていなければ ここは閉じてしまいます ですからあなたのハートを投影することで 開いておきなさい それを投影するのです 今日のこのプージャで マハ カリの崇拝をする この特別なヤグニャをすることで 私たちが確実にオーラをつくり 宇宙を啓発することを願います あなたの見解は これにどれぐらい貢献できたかにあります “まだ他の人のことを 考えているか” “自分の小さなつまらない問題 について考えているか” “あるいは自分のスピリット について考えているか” 左側はシュリ ガネーシャで始まり シュリ ガネーシャで終わります シュリ ガネーシャは たったひとつ基本的な本質があります 完全にお母さんにサレンダーしていて 他の神を知らないということです 父親も知りません 自分の母親しか知りません 彼女に完全にサレンダーしています この純粋な望みには 実践的な面も必要ですが それについては後日 プージャをするにあたってお話します しかし今日はスピリットになるという 純粋な望みを確立しましょう 西洋の考えからいくと “どうやってそれを得るのか”と尋ねるでしょう その方法について 常に考えるのです お話しましょう とても簡単なことです アディ シャンカラチャリアは 多くの本を書きました しかし多くの知識人達は 彼の人生を苦しめました そして彼らは どうしてなのかと問うのです 彼はこれらの人達を 忘れなさいと言っています 彼はお母さんについての 説明を書きました 彼女への献身を綴り 彼が書いた連句はすべてマントラでした それは精神でする 頭でする サレンダーではなく ハートでサレンダーすることでした それは完全にあなたのハートを サレンダーすることなのです ネガティビティの攻撃を 受け続けてきたことは 西洋のサハジャ ヨギ達は よく知っています 特にフロイトのような ひどい人が 人々の基礎 人々のルーツ(根本)を 破壊しに来ました いかに西洋人がそれを 盲目的に受け入れたか 彼らを地獄の道へと 陥れるものだったか それらは 取り除かれるべきです それらは無意味で間違っていて 完全に神に反しています 私たちのお母さんは 崇高な 気高い 養う 上昇させる 解放させる 全ての源であり これが私たちの基礎 根本を 破壊することである とあなたが言うことで 完全に戦うことができると 気付くでしょう 人間を動物のような生き物として見なし 低いレベルに貶めることで 彼は私たちを 根本から引き裂こうとしたのです あなた方に降り注いだ攻撃を 理解することは大切です それらのいかなるものとも 同一視しないことです あなた方はこの国に新芽を見るためでなく 根を見出すために来ました 西洋的な態度を変えなさい 電話は良くありません ここでは電話をかけられません 郵便もひどいです 私たちは鉄道を使ってはいますが 鉄道は最悪です しかし人々はすばらしいです ダルマを知っています 彼らはクンダリーニのおかげで 攻撃されませんでした 攻撃されないように ガネーシャが座っています このマハラシュトラには 彼らを守る八つのガネーシャがあります これを知っているか 分かりませんが またマルティが多くいます 誰がこの国を 攻撃できるでしょう 彼らが金銭主義である以外は ネガティブな攻撃はありません それが唯一の災いであり それから抜け出せれば偉大な人たちです ですから私たちはこの国に 西洋の快適さを楽しむためではなく スピリットの安らぎを 楽しむために来ました インドに対する考えを 変えないといけません インド航空で来なさいと 言っているのではありません サハジャ ヨギだからと インド航空で来るのは間違いです サハジャ ヨガとは 関係ありません あらゆる鉄道 すべてのものは サハジャ ヨガとは関係ありません 愛国主義でもって自国の 航空会社を使ってください ここに着くと人々が 純真であると気づくでしょう 彼らはフロイトを 理解できません この観点でいうと 高いレベルの人達です 攻撃されていないからです あなたは攻撃されたにもかかわらず そこから抜け出しました そして顔をそむけ 違うところにいるのです とてもすばらしいことです 同じように信じる者が この国には多くいて あなたを支える人口があることに 自信が持てるでしょう 当惑することはありません 今日 このマハ カリの プージャを始めないといけません またガウリの日 であるとも言えます 今日はガネーシャ ガウリの日です シデュの暦によると違うかもしれませんが 私によるとそうです もっと精妙なレベルで 純粋になる望み そして 内にあるあらゆる障害や不純なものを 浄化する望みを確立しましょう 偉大なサハジャ ヨギになる 望みです 責任あるサハジャ ヨギ になる望みです あなたのお母さんに サレンダーする望みです 難しいことではありません 最後の望みは簡単です 何をサレンダーするかですが あなたが私の愛を受け入れる以外は 私は何も望みません サレンダーとはハートを開き 私の愛を受け入れることです エゴを捨てなさい それだけです うまくいくでしょう うまくいくと確信しています 私はあなたのハートに 私自身を入り込ませようとしています そして私は確実に そこに座すでしょう マハ カリは泣くという 特別な能力を持っています レフト サイドにいるからです どうすることもできない時や行動に移すことが できない時 彼女は泣きます これはマハ カリの 唯一の現れです 望みが叶えられないと ただ泣くのです それはどうしようもないときに 彼女ができる唯一のことです そして時折 愛に満ちている時 あなた方がここに来て 多くの人が座っているのを見ると 彼女は自身をハートすべてで 十分に表現できず 歓びに涙を流します 今日のプージャで 神のご加護がありますように みなさんがこのことを 十分に受け入れ 自分の中に 精妙な中でも 最高の精妙さや感受性 そして歓びへと極まる愛を目覚めさせる ことができるように願っています 歓びの香りへと花咲く愛が 今日のプージャで表れますように 神のご加護がありますように […]

Mahashivaratri Puja New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja
シヴァは永遠で常在するのに なぜその誕生を祝うのでしょう 今日祝うのは 地上でのシヴァの確立で 物質的な自己にあります 全ての物質は神格によって創られ そこに神が宿ります なのでアディシャクティは まずシヴァを確立しようとしました 究極の存在であるシヴァ抜きでは 何も確立しないからです なのでシヴァを確立しなければなりませんが どうすればよいのでしょう 彼はタモ グナの神です 冷たく 静的なもの全ての神です まず 地球は熱い太陽から 離れた月の近くに置かれます 月はシヴァの義兄です 地球は月に近づき 氷に覆われるようになりました それから次第に 太陽の方に近づいていきました すると氷が溶けだします それでも氷が溶けずに残る その場所でシヴァが確立されました その地点は今もあり それがカイラスです 溶けずにある氷は シヴァの顔のように 目や鼻など年中はっきりと 形が見えます シヴァは このようにして創られ 地上で起こること全てを 観ずる存在としています 宇宙のクンダリーニである インドのある南を向いています 彼は両手を このようにして南を向き アディ クンダリーニの スペクタクルを観ている そのように創られました 宇宙のハートは イギリスですが シヴァはサハスララに座していて そこが彼の玉座なのです シヴァはあなたのハートに 宿っていても 彼の座は頭頂で そこからすべての身体を 観ています だから脚は南 頭は北 左手は東で 右手は西です このように宇宙が創られたと 見ることができます 立たないで座っていなさい 写真をとらないで 私の話を 注意して聞きなさい 瞑想的に聞くのです 私の話を最大限 役立てたいでしょう 瞑想的に聞きなさい そうすればはっきりと聞けます なにかせず 瞑想することです なのであなたは 目撃者として南を向いています 誰かが南の人は南枕で 寝る人がいると聞きました するとシヴァに足を向け 寝ることに なります カイラスは北ですね なのに何故脚を 北に向けるのでしょう 理屈にあいません ブラミンが言ったからといって 反対のことをしているのです ブラミンからこの国が 守られるといいのですが ブラマ(神)のことを 知らないくせに聖職者でいます 彼らが本物であれば 必ずこの国を治める用になると思います シヴァが物質において まず確立されるなら 私達においても同様で 胎児が形成されるとき シヴァの確立によって心拍が起こります シヴァが確立された というサインです 心臓に問題がある場合 シヴァの確立が 不完全であると言わざるを得ません 悪い人ということではなく 長生きする運命ではなく 後世で別の心臓を 持つのかもしれません もしくは前世で何らかの問題が あったのかもしれませんが シヴァの原理に 注意を払えば治ります 最も大切な臓器は 心臓です 心臓が止まれば 存在することができません なので アトゥマであるシヴァを 大切にすることが最重要です 私達は些細な 世事にかまけています あれこれと心配し スピリットに関心を向けません それが私達の 最大の問題です スピリットに 注意を払えば 全宇宙が歓びそのものである パラブラマと共鳴しだします ですがスピリットに注意を払わずに 人生を楽しもうと思ってもできません 無意味な事に囚われて スピリットを忘れていては人生を楽しめません 完全な静寂はスピリット以外からは 得られないのです 内なるスピリットが 目覚めると 静寂が働きだしてリラックスして 自分自身でいられるようになります 問題はなく 普通人が求めるものを求めず 自分自身と共にありたいと 思うでしょう ただ 同じようにスピリットを見つけた 他のサハジャ ヨギを求め ハートに宿る スピリットの交流をするでしょう スピリットは私達の内なる普遍性で 合一により普遍的な意識をもたらします シヴァやその原理には 多くの性質があり 全てはお伝えしませんが もう一つの次元があります シヴァの原理を持っている人は 冷静なタイプだということです そのような人は 熱いヴァイブレーションではなく 活動的なタイプでなく 極めて冷静な性質を発達させます 低血圧であったり スピリチュアルな性質を持ちすぎるゆえ 下痢気味だったり するかもしれません レフトサイドの作用で 愛の側に立つ人かもしれない レフトサイドはいわゆるカパの側で 粘液質のことです レフトサイドなので 風邪をひきやすいタイプです このような人は風邪などから 身を守る方法を サハジャ ヨガで 学ぶ必要があります スピリット自体は 健康問題を超越しています ですが スピリットの事ばかり考える レフトサイドな人は偏ってくるので この世に生きるなら バランスが必要です 自身のスピリチュアルな成長のための 活動に従事する事です スピリチュアルに成長した人が シヴァの原理で地上に生活することはできません バランスのとれた 性質でいなければなりません そのバランスが発達すると スピリットがハートから頭頂に登ります これが第2段階で ここは集合性 コレクティヴィティです 愛と情を中枢神経に注ぎ込んで 頭頂のヴィラータに導くと あなたの集合的な存在から 愛が広がり始めます そうなって初めて あなたは十全な人格となります でなければシヴァの原理は 宇宙の存在と無関係に存在しています シヴァの原理の重力に 宇宙は存在し 消滅していきます スピリチュアルな渇望を持つ者は 自身のシヴァをハートから頭頂へあげて 自分をサハスララの ディタッチした在り方に導くべきです 完全なバランスとは どこにあるでしょう サハジャ ヨガでは多くの人が 優しく 愛を持った良い人達です 例えばデリーでは ムンバイの人のようにきつくありません ムンバイの人はきついし プーナの人はもっときついです ですが ムンバイや プーナのヨギは深いのです 彼らは同情心のような感情を超えて 少しバランスをとれているからです “人にきつくしてはダメです不親切にしないで” という態度も変な場合があります 例えば昨日は私も 皆と同じ場所で寝ました ムンバイやプーナだったら 話し声は全く聞こえません ライオンやトラがいる森のように 静まり返るでしょう トラがいれば 何マイルも手前から 分かります 静まり返っているからです それがデリーでは 皆が話しています お金のことなどペチャクチャとしゃべり 外国からのヨギもそれに参加します 驚くほどです なぜあんなにいつも お喋りするのでしょう 逆に 私が寝ているときには 皆座って瞑想をするべきです なのに 無意味な話をしています 皆がペチャクチャと喋っていて どうしたら良いのでしょう 同情的な態度をもつかぎり 話し続けるのです “仕事でこんな問題があって”とか “私も同じですよ 彼らはダメですよね 他にも問題あったらしいですよ”とか サハジャ ヨガに 無関係な話をしています サハジャ ヨガの話ですら 私の前で話すべきではありません このような態度はサハジャ ヨギに 相応しくないとお願いしなければなりません 私の前で口を開くことすら 良くありません 詳細には 立ち入りたくありませんが シヴァの原理をハートから上げるには たくさんのことを学ぶ必要があります あなた方は人を歓ばせ まとめることには 長けているし 口論もありません ムンバイやプーナの サハジャ ヨギたちは口論好きです でもプーナやムンバイのサハジャ ヨギたちは 個人としての深みに到達しました 彼らは次に ハートに 少し帰ってくる段階です 彼らはちょっと人に厳しすぎるので 次の段階はそうなるのです ただ ある程度の厳しさが 必要なのです 例えば“マザーのおみ足に 触ってはいけません”と言われたら 悪い気がしますが 世俗的にはそうなります それが“私の足に触らないで下さい” と私が言ったら それに従い 自分ではなく 私を歓ばせるべきです “彼らは初めてなので これを言わないほうが良いです” という迎合的なアテンションを変えなさい やりなさい でないと私をアプラサンナにして それが問題を引き起こすことになります プーナやムンバイの マラティ語のようにきつくでなく ちゃんとしたウルドゥ語のように 人を不快にさせないようにしつつ 言うことは 言わなければいけません 私の邪魔をするようにしないで下さい きちんとするように伝えるべきです 自分に深く入るために 一人になり 瞑想と黙想に入りなさい デリーのヨギが皆そうだとはいいませんし ここでは組織運営が上手で ムンバイやプーネのヨギは 学ぶ必要があります 皆が口論し 飽き飽きします お互いをすり減らすのも 気に入りません でも 個人としては 彼らは良いので 個人的になります 個人的な人と社会的な人がいて 両極端になりがちです サハジャ ヨギはどうすべきでしょう マザー依存症になるべきです マザーが好むことをするべきです 分かりますか 世間や個人を 喜ばせる必要はなく マザーを歓ばせるというシンプルな事で アディシャンカラチャリヤが言ったことです “何がマザーを歓ばせるか” を学問にしなさい 分かりますか シヴァの原理として 私を歓ばせるのはたやすいことです 間違いをして 耳を引っ張っても大丈夫です でも やり過ぎないように 間違うのはいいけれど 当前と思い 間違え続けてはいけません 長いロープを掴んでも 結局それで首をつってしまうでしょう だからロープを与えられたら 却って気をつけないといけません 世間や自分の意見に こだわるべきではありません どちらも間違いです 私の中の全ての神格を 歓ばせるように振る舞いなさい 私は存在しないのです 信じて下さい 私は多くの存在の 集合にすぎません 宇宙にも この体にも 私は見当たりません たまに“これは一体何か” と思います 外部として感じられます でも そこに行き渡り 楽しみ 生活する一方 私はそこに存在せず どこにもいない 何がマザーを歓ばせるかを理解しようとすれば 私の望むような威厳を持てるでしょう 私の望むように 歓びを感じられるでしょう 私の与えるヴァイブレーションを さらに得る能力をえられるでしょう 何であれ あなたが自分に 良いことをすれば私は歓びます ただ 自分に良いことを自分流に考えて また個人主義になるかもしれません もしくは世間に 迎合するかもしれない 私が午後7時前に プログラムを予定しないように言うと 都合が合わないと言うかもしれませんが 私に合うかどうかが問題なのです 私にしか できないことがあるからです それをできる時間は 決まっています 私の予定をあなたの都合に 合わせないでください 午前11時以前に 予定すべきではありません 早朝5時であれば 良いですが ある時間は別の目的に 使わなければならないのです 何であれ私に合わせることが あなたの善につながるのです それが最も効果的です あなたのために 私のトリックを教えてあげているのです しかし働く人は 来られないだろうと言うのです 来なくて良いのです 7時に映画があれば 彼らは行くのではないですか だったらなぜ安易にマザーを 彼らの都合に合わさせるのでしょう 人が少なければ そのほうがずっといいのです そのほうが 天国がゆったりします 私を安売りしてはなりません 理解するべきです マザーの威厳を保ちなさい 皆や世間を 助ける必要はありますが でないと ゴミの駆除ができません 捨てるべきものが 沢山あります ゴミの部分を 心配しないで下さい 最良のものを選びますが その際にきつい話し方をしないことです “どけどけどけ” と 話すべきではありません 話し方を変えなさい どう柔らかく話すかを 皆に教えなさい これは大切で さもなくば最後は 聖人をも侮辱してしまうかもしれません だからやめるべきです 分かりなさい あなたは人前で 正しい概念 行い 態度と知識を 示すことができます 正しい理性ではなく 絶対的な正しさです シヴァは絶対で 絶対的知識を与え 私の歓ばせ方を知っています 私を不快になるその瞬間に 劇を中断します 彼は私のために それを観察しています ダメだと思ったら 劇を止めて “中止です 終わりなさい” シヴァは観察者と言いましたが 裁判官でもあります なのでちゃんとしなさい 私はシヴァを 歓ばせるようにしています シヴァのもとで 宇宙が良き場所であり あなたが約束された 永遠の生を得られるように でも何がマザーを歓ばせるか 理解しなさい 私をじっと見つめる者もいます それもいけません 目を伏せなさい 馬鹿げた行いです 馬鹿げているだけでなく 私を歓ばせません あなたもそうされれば 同じでしょう 私はあなたを 歓ばせようとしています どうやって歓ばせるか 私から学びなさい もちろん 私のようにはできません “マザー そこに行ったら馬をもらって・・・” と話しても 自己を達成できません 私はあなたの問題を解決できますが あなたは私の問題を解決できません あなたを歓ばせるのは 容易いです どんな仕方でも良かれと思って 人を不快にしないことです 特別なことを する必要はないのです この簡単な事が分かれば よかれと思って 私を不快にさせることもないでしょう 特別な事をする必要はなく 優しく 愛を持っていれば 私はいいのです そもそも私は上機嫌なので あなたに満足です いかにこれらを乗り越えて 何を達成すべきかですが 今のところデリーの人はハートから サハスララに行く必要があります ムンバイやプーナの人は ハートに戻る必要があります ラフリの人は ちょうどあいだと思います ちょうど中間です オーガナイズ上手だし 個人としても私に問題事をつくりません ラフリがおそらく 私のメッカかもしれません でも誰でもそうなれるのです 皆が伝え合い 教え合い 高め合えるのです 自分を本当に愛し 進化させようと思えば自然にできます 本当にしたければ 何かする必要はありません 次第に上手くいき バランスがとれてくるでしょう おしゃべりな人は あまり喋っていはいけません しゃべりすぎるなら 話を終えたらやめるべきです 必要なときに話し 必要なければ話さないことです そのような人格を 育てることができます どこまで話し どこには触れないかの知恵です やらない というのが シヴァの性質です 彼は何をせず 座って全ての喜劇を観ています 彼は何もせず 観ずる方なのです 彼が観るのをやめれば 劇は全ておわりです 何もしないことで 彼がどれほどしているか分かりますか その対比を見なさい 彼は皆を踊らせて 楽しんでいます 同じように あなたにも両面があります サハジャ ヨギとして そのバランスを達成できます それはあなたの善や進化 発展のためです さあ今日は 全てに浸透するシヴァの原理を 個々に伸ばすチャンスです カビラは美しい詩句に 表しました “私は愛を起こし 取り出して その波動を5大要素に注ぎ込む” と 偉大さが 分かるでしょう 彼は心から取り出して 5大要素に注ぎ込むのです これこそが サハジャ ヨガです これが分かれば 他に何も分かる必要がありません ハートにおいてそれを得たら 心の資本家となり 外では社会主義になります このバランスをきちんと 取れるようになれば終わりです できます 皆でやりましょう そして世界に それができると示すのです いわゆる普通の人が 非凡になれます 今日はそれをサハジャにすると 決意しなさい 常に自分を見続ければ 分かるでしょう 自分に言い訳しないことです そこがポイントではなく そういうのは馬鹿げています 自分に挑戦しなさい “どうしてこんなことになったのか”と そうして自分をワークアウトできます 力があるのだから間違いありません あなたのスピリチュアルな そしてコレクディブな成長を私は祝福します どちらも大切です コレクティブなしにスピリチュアルな 成長をしても意味がありませんし スピリチュアルな成長なしに コレクティブがあっても意味がありません 両者を統合しなさい シヴァをヴィラータに持っていき そこで確立するのです やりなさい これさえ分かれば 人との関係も末永く 実りある 良好なものになるでしょう そしてサハジャ ヨギの人生の質が すばらしいものとなります 神の祝福を […]