アディ シャクティ プージャ (Italy)

アディ シャクティ プージャ 2004年
イタリア カベッラ リグーレにて 今日の集会は特別です 今日は特別な日でもあり 多大なお恵みの日です なぜならある力 秩序が 誕生したと歌われ 語られるからで それはアディであり始源なるものです 偉大な宇宙の創造は この力によります 理由や方法については あなた方は既に知っています わざわざ話す必要はありません 今日はこの力について話します あなたのハートに隠されています それによりあなたは創造できます 新しい世界や家族や秩序 まだ見ぬ全てを創造できます それは可能です それは可能であり起こりつつあります 難しいのは 人間をどう適応させるか 互いに完全に同調させるか それが難しいようです 彼らは身内では大丈夫です 同じスタイルなどを持つ仲間内なら大丈夫です 別々の者を完全に一つにしようとするのは とても難しいし するべきではありません 一つにするべきではなく そうされるべきでもなく そうなるべきなのです 問題は 美しい魂の人たちがいるのに 彼らは 十分に一つになれないことです どう解決すれば良いでしょう 多くの人々が 「マザーなぜこの問題があるのでしょう」 私は微笑みました なぜならあなた方が どうしてX線のような 新しい方法を用いるようになったか それを考えると 私たちが皆ひとつであり唯一の存在であると 分かるためだからです だから皆の内面が一つであり 一人として違いがないことに 感謝すべきなのです その唯一なる存在が輝き 何かを執り行うなら すべてが同じ方法になることに驚くでしょう 同じことには同じ様に作用します 両者に違いはありません にも関わらず私達の心はさ迷い サハジャヨガには意味のないような 問題にはまってしまいます 私達は問題がないということを 解っていないことが一番の問題です 私達には問題がありません 問題があると考え それに取り組むべきと思いますが そもそも問題がないのです 私にはどこにも見当たりません 問題があると思う人は 私に手紙を書くように言いました 私から問題について 教えようと思います でも私がなにか言う前に サハジャヨギ達がまだまだ 自らが唯一無二であることを 理解する水準でないと言いたいです 全ては外からでなく内面からなので 外面の努力は全て無駄です 私達は努力を放棄して自分自身にならねばならない そこであなたは無を発見するでしょう 別の集会も謎解きも 何も必要ありません 全てはそこにあるのです あなたがそうなれば良いだけです これを理解するのはかなり難しく 皆が違った鼻をして顔も違いながら 同じになれるのです でも同じなのです 同じだからこそ違って見えるのです みな一つであると言わなければなりません 同じというのは 衝動も感情も理解も全てが 同じだということです ただ違ったタイミングで経験するから 勘違いして違うと感じますが 実際はそうではありません 一つの存在で一つの関係です アディシャクティとの関係です あなたはその一部であり 何をしようとするにしても アディシャクティなしには行えません あなたは彼女から生まれ導かれ 養われます 私には全てが一つです あなたには道も行動も違うと思いますが それは間違いです 私が何を言うにしてもそれは証明されるべきで ぞっとする話をあなたは受け入れることはありません 私自身あなたと一つです いつもそうだしこれからもずっと皆さんと一緒です 私には少しも違いはありません 外側のことで服やスタイルだけです 内面的な気質は 多分人によるでしょう それが少し変わるだけで あなた達は一体感を感じて あっという間に違いはなくなるでしょう 今日私はとても危険な人に会いました 彼はそうしたければ私を殺せると思いました 何でも出たはずですがそうなりませんでした なぜなら私が誤解していたのです 彼は私に敬意を示したかっただけだったのです 私を殺害しようとしたかったわけではないのです あなたがいかに互いを理解するかに驚きます その理解が適切にならない限り ありのままを理解することができません 本質や正しさや真理が分かりません 真理とはずっと前に 人がそれを望むずっと前から存在しましたが 多くの偽りの物事と共に 真理も失われてしまいました 例えば私があのヘビは 無知からから生まれと言い 他のヘビをがそれを支持すると ヘビがどんどん増えて 不正や嘘で宇宙全体を一杯にします するとそれを信じてお互いに 殺し合います 皆同じヘビなのにです どれだけこのナンセンスを信じるのでしょう どれだけそれに従うのでしょう どれほどそれを受け入れるのでしょう とても難しいことです なのに真理以上に受け入れられています 不正は真理より簡単に受け入れられます なぜでしょう 私達が不正に立脚しているからです 私達の理解が不正確だからです だから真理の理解の仕方を変えなければいけません それは難しくありません 私達が真理だからです 真理になるのは何故難しいのでしょう 自然に起こることなのに 何かがおかしいからです 私達のどこがおかしいのか 何がおかしいのか見つけなさい 自分のどこに向き合えていないかです 私たちは自分に向き合えません 人には向きますが自分には無理です 自分を見ることはありません 自分の置かれた状況を理解していません それこそがマザーに示されるべきことです そのためにマザーがここに来たのです 地上に降りてあなたの内なる問題を 指摘しに来たのです それを受け入れなさい この原理を実践しなさい するとあなたが知識をもっていて どれほど自分や周囲を理解できるかに 自分自身が驚でしょう 特別でも異質でもないことです 自分を受け入れるだけでよいのです 人はサハジャヨギになっているようで なりきっていません 成ろうとしていますがまだ成り切れていません 反対に彼らは自分がサハジャヨギであると 知るべきです 何かになる必要はありません すると問題がなくなります でも違うサハジャヨガやヨギがあると 受け入れると あなたが違う存在になります するとどうやってサハジャヨギになれるでしょう 無知です 私達の無知ゆえなのです まるで知らない人同士のように振る舞う 全くの無知です 全てが同じであると 理解する必要があります 無知は全く必要ありません それが起こればたちまちにして 世界の問題がたやすく解決されるでしょう 今日のプージャは特別です なぜならこのプージャは 決して変わることも変容もせず 常に同じ様に存在し続けるもの そのためのプージャだからです そこで私が何を言えるでしょう なにか言う必要があるでしょうか ありません 自分自身と一体になりなさい それこそが結論で 自己と一体になるのです 頭で考えて言葉に溺れたり 雰囲気や他人に流されたりしないことです 現代こそ脳が刺激され コントロールを失う時代だからです ヘビのようなもので 然るべき場所に納まるべきです 動き出すと危険です 私達の心も同じで すぐに間違った方向に行こうとします そのためには原始の母のプージャが必要です 私達は原始の母に沿うようになるべきで 自身の始原を保持し 本源的な自己を働かせ 自分を詩歌や理論に流されないことです これができれば最高の達成です できると確信しています 問題ありません ただ私達は自分がインド人であるとか 英国人とかヨーロッパ人とか意識しすぎています でも私達は違います 私達は単に私達そのものであり それと一つになることが目標です 神のお恵みがありますように! […]

Adi Shakti Puja, Use Your Right Side For Giving Realization (Nirmal Temple)

Adi Shakti Puja. Cabella Ligure (Italy), 23 June 2002.
今日は皆さんにとって いつもとは違った日です アディ シャクティ プージャだからです アディ シャクティとは 完全なる人格 皆さんの知っている レフト サイドだけではないのです 皆さんはレフト サイド すなわち シュリ ガネーシャから上昇する 左側のチャクラしか 知らないでしょう 私が最初に ライト サイドを伝えなかったのは ライト サイドを通った人は 自分を見失ったからです 彼らはガヤトゥリ マントラを 書面から得たのですが どういう意味か分からず ただ暗記していたのです 本来の意味も分からず そのため ライト サイドに傾き アギヤに到達し そしてセルフ リアリゼーションを 得ようとしました 彼らはライト サイドさえ しっかりと行えば 最終的にリアリゼーションに 到達すると約束されましたが 誰一人 到達できませんでした 人々はひどく短気になり 他者に呪いをかけ 破壊するようになりました これら全てを ライト サイドから学びました クンダリーニを覚醒できず 彼らはアギヤ チャクラ までしか上昇せず そして無知へと 崩壊していったのです これらの書物は ライト サイドからのアプローチが 簡単ではないことを理解せず クンダリーニを 覚醒させようとしたのです クンダリーニは 中心にある全てのチャクラに沿って アギヤまで到達し 交差し サハスララに到達後 突き抜けます ブラマランドラというこの突き抜ける場所が なぜ重要なのでしょうか お話したことは ありませんでしたが 皆さんに お伝えする時期が来ました 幼少の頃は タルという泉門が 常に脈動しています なぜ脈動しているかというと そこからスピリットが入り込み そこを閉じた後に ハートに留まるからです あなたはスピリットを 認識した人になるべきですが どのようにして サハスララに入るかが問題なのです タントラ教の人々は レフト サイドを通り さまざまな呪術を 発達させました ライト サイド寄りの人は とても短気で 野心的で 残忍でした 彼らは人に呪いを かけることにとても長け 人々を呪いで殺し始め 強引に他者の権利を 踏みにじりました 彼らは最も野心的で パワフルな人とみなされていました バラモン教やクシャトリヤの人々は ライト サイドを通りました ライト サイドは彼らを とてもパワフルにしました 彼らは世界中の パワーを手に入れ パワフルで威厳ある人だと みなされていましたが そうではなかったのです とても短気だったからです 短気な人は スピリチュアルにはなれません “心配しないで続ければ スピリチュアルリティを得られる”と言われ ライト サイドの 7つのチャクラの説明を受けました 彼らによると “ブー” と “ブルバ” があります “ブー” とは プリシービ この世です “ブルバ” とは全コスモス アンタリクシャとも言えます “スワーハ” とは ナビ チャクラでの消費 “スワダ” とは 内側で消費 吸収 “スワーハ” “スワダ” “マナー” とは 精神 心 その次がヴィシュディ ヴィシュディ とは “ジャナ” 集合性 人の集り アギヤは“タパ”です “タパ”の 中心には キリストが居ます レフト サイドには ジャイナ教 ライト サイドには キリスト教がありました それらは 上昇の道ではありません 真実を求める者達の エネルギーの捌け口のようなものでした これらはインドで 長い間起こりました これらを行った全てのグル サドゥ タパスビスは どこに到達したのでしょう タパスビスは人々に “クシュ” 鋭い呪いをかけることができます “カタクシャ” 一瞥で 人を殺したり 燃やすことができます このライト サイドのパワーによって 彼らはどこに到達したのでしょう 地獄 辺獄です セルフ リアリゼーションを 得た者は誰もいません インドの古い書物を 読んでもわかるように ギリシャ人 エジプト人 イギリス人 ドイツ人などは皆 攻撃的でした カトリックの人々や ローマ人などは侵略的で 外国の土地や 所有物を奪いとりました 極端に攻撃的でした 人を殺すことに 何の抵抗もない とても侮辱的で 短気な人たちでした どうしたら彼らを正常に 中心へと戻せるでしょうか ひとつは先ほどお伝えした “ブー” “ブルバ” “スワーハ” “スワダ” 消費です それはグルの原理により 行われます そして“マナ” “ジャナ” 即ち集合体 彼らは 集合体となりました なぜなら 彼らはパワフルだった為 沢山の人を抱え 抑圧のために戦いました その抑圧的な気質で 人々を押さえつけたのです ご存知のように このような時代は歴史に現れ 消えていきました 戦争が行われ 沢山の人々が殺されました ヒットラーが 残虐の極みでしょう 人類に対して なんとも思わなかったのです そしてアギヤに到達し キリストを殺したのです 中心の経路を通った 多くのすばらしい聖者や化身をも 破壊しました 全てはラーマの時代以降に 起こりました 次から次へと 悪魔が現れ 世界の平和な文明を 破壊していったのです ひどい傲慢さの自己顕示だと 言えるでしょう とても攻撃的な人々です 攻撃性は とても強い力で 次から次へと行われました 行き着くところまで 行きました 人々は反抗すると 殺されたのです 残酷な人々が 生み出されました 攻撃的で 破壊的な人々です この性質が未だに 残っている人もいます 右寄りだからです 癇癪 攻撃性 他者をコントロールするなど ライト サイドの人は 皆これらの問題を抱えています スピリチュアルな成長は 止まります 彼らはスピリチュアリティを 求めていましたが これらの行いをした為に スピリチュアリティーから遠ざかりました この世には沢山の 化身が現れましたが 全て殺されました 人類を救うことなど 不可能でした 一人の悪党が現れ 世の中を破滅させたのです ヒットラーによって 全ての人々 国々 民族は破滅しました これらの原因はライト サイドを 選択したことにありました スピリチュアリティにとってそれが 簡単だと考えたのですが 間違いです そして一線を越えて 悪魔になったのです 人は悪魔になれる ということを知らずに 彼らのグルも同様でした 全ての化身を 拷問にかけたのは彼らです どの様にして 自分自身を救ったかは驚きです しかし 最終的には何も 達成できませんでした まず最初に私は クンダリーニについて学び それを上昇させることを 行いました 私はクンダリーニを 上昇させるために来ました 人々が右寄りでも 左寄りでもなく 中央経路を歩めるようにです レフト サイドの知識とクンダリーニを 上昇する方法を以前お伝えしました クンダリーニを上昇させることで サハスララを突き抜け 現実の歓びの領域に 到達します 全ての悪い性質は そぎ落とされます 中央経路で まず最初はムラダーラです 中央経路でムラダーラを覚醒することで とても純粋になります 目は純真になり 放縦さや軽薄さは無くなり とても神聖な人になります そうでなければ サハジャ ヨガには居られません みだらであったり 軽薄だったり 他人のお金を 盗み取ろうとしたり 攻撃的であってはいけません サハジャ ヨガから 追い出されます 一度追い出されると 彼らは怒りをぶつけます 追い出されたことが 気に食わないのです しかし今となっては自分たちが 過ちを犯したことに気付いた人もいます まず第一に純潔さを養い 尊重し 楽しむことです これはムラダーラが覚醒された ことにより起こったのです 左側の第一チャクラには シュリ ガネーシャが宿っています 右側にも 神格がいます 全てのチャクラには 互いを補う神格がいます シュリ ガネーシャは 中央にいます ですから私たちは彼の強力な 純粋さに祝福されました そして純粋の美しさや 純粋の力を理解し始めました このようにして右寄りから 脱することができたのです ライト サイドは争いや殺戮 憎悪のために使います これらの人々に 平穏は訪れません 他者を制圧することしか 知らないのです そしてスワディスタナのレベルへ 上昇しました スワディスタナまで上昇し 攻撃的な人による 創造が行われました 今でも行われています 名声を得るために さまざまな 無意味でグロテスクで 汚いことが創造されています これがスワディスタナの 別の側面です 地位や名声を求める 人々です これは右スワディスタナから来ます 次に3つ目の ナビ チャクラに到達します ナビ チャクラでは 金儲けに翻弄します ラクシュミではなく お金です あらゆる方法で 世界を騙したのです これによって得たお金で さまざまな悪行を働きました 欺瞞か 侵略を行ったのです 欺瞞はインドのような 左寄りの国々で見られ 侵略は右寄りの国々で 見られました 中心経路のスワディスタナの 性質は創造性です アートの創造性などは とても美しく 深みがあり 非常にスピリチュアルです これらは消滅し 人々は悪習慣に満ちた 化身まで表現し始めました このプロセスにより さまざまな不浄が現れたのです そしてお伝えしたナビです ナビでは人は お金を追い求めます 左の者は金儲けに 右の者はお金で攻撃的になり 稼いでいれば 自分が世界で一番だと感じ お金があれば自分たちに 勝る者はいないと思っていました これは彼らを 滅亡させました 彼らは お金とは破壊するためでなく 建設するためのものだと 気付かされるのです 国を建設したり 人類が共に愛と平和を育んだり 助け合ったり 良いことに使われるべきだと 同じく右寄りの人が 母なるチャクラへ到達し 子供や皆を支配しようとしたり 子供の為に何も犠牲にできないなど 酷い母親になりました このように夫や子に対して 攻撃的な女性は沢山います 男性間でも 母性は消滅しています 私が地球に来たとき このような人が 沢山いてショックを受けました なんとひどい人達なのでしょう 彼らをどのように扱い クンダリーニを覚醒すればよいのでしょう ナビ チャクラにおいても 自分を見失っているのに さらには母なるチャクラもです 彼らには父性も母性も無く 子供を排斥したのです とても身勝手で 自己中心的で支配的な親です これがハート チャクラです 次に集合性のチャクラである ヴィシュディに到達しました ここでは全世界を 支配しようと目論んだのです 世界を支配し 自分たちが皇帝になろうとしたのです そして帝国を築き 人として受け入れ難いような 無礼な振る舞いを行ったのです 彼らは魔でした その悪魔の性質は 未だ存在します 人に対する態度 全てに見て取れます 人をその様に扱うからです これはスピリチュアリティに反する人 攻撃的な人を創り出します そして二面性の世界 即ち攻撃する側とされる 側を創り出したのです この二面性の世界は 大分減りましたが 今でも存在します 集合的理解のおかげで 沢山の良い施設が創られましたが あまり機能していません 何故ならトップにいる人が 支配しているからです 自分自身でなく 他者を支配するのです これらの行いが このチャクラの働きを阻害したのです 現在私たちの周りにある 集団性を見て分かるように 至る所で戦争が起こり 戦いが続き 殺人と破壊が 行われています なぜでしょう この世界には沢山の スピリチュアルな人たちがいるのにです それはスピリチュアルな人たちが とても静かで平和的になり 単にスピリチュアルな人生を 楽しむようになったからです これでは平和は もたらされません もっと活動的になり 世界に平和を 呼び込まなければなりません 自分たちの進化に 満足していても 他者の進化がどれだけ進んでいるか それに対して何ができるのかなど 気にかけていないのです 私は沢山の 変容をもたらせますが あなたのレベルで どれだけの人を変容しましたか 何をしましたか これが分からないといけません あなたはまだアギヤのエゴで 生きています サハジャ ヨガによって得た平穏に とても幸せなのです これは現在世界が 直面している不幸なのです スピリチュアルな人 高みに到達した人が やるべき善きことに無頓着なのです 彼らは自身の スピリチュアリティを楽しみ プージャに参加し もっともっと得ようとします しかし人々を変容するという コレクティブな仕事を行っていません しっかりやっている人もいますが それもほんの少数です ほとんどの人は周りから 素晴らしい人だと受け入れられている 自分自身を楽しんでいます あなたがどれだけ コレクティブな仕事をしたか どれだけの人に 行ったか内省してください 誰と話し どれだけの人に サハジャ ヨガを伝えましたか キリストは12人の弟子しか いませんでしたが 彼らの方があなたより 活動的でした ここでライト サイドを 活用するべきです ライト サイドを活用するとき ダイナミックな人を創造するでしょう 平穏で静かで忍耐強く 役立たずな人ではなくです これはサハジャ ヨガの 意図ではありません サハジャ ヨガの意図は変容 沢山の変容です これを行う人には 私からの恩恵が受けられます 自分だけの為に サハジャ ヨガを行う人は良くありません あなたの国にどれだけ サハジャ ヨギがいますか どれだけの人に サハジャ ヨガを教えましたか あなたのヨガは完全でなく レフト サイドの部分的なヨガです 愛情があり 優しいだけです 攻撃的になれとは 言っていません リーダーになって偉くなろうという 人達を見たことがありますが どれだけの人に リアリゼーションを与えたのでしょう サハジャ ヨガを伝えたのでしょう 至る所で サハジャ ヨガの話をしています しかしサハジャ ヨガを 自分自身の為に 自分自身を理解する為に 使用しています その為にあなたに もたらされたのではありません リアリゼーションを人々に広める為に もたらされたのです 若い世代の人へ忠告します サハジャのエネルギーを 無意味なことに使わないことです サハジャ ヨガをどんどん 勧めてください 広めてください 学校を経営したり貧困者のために 何かしたりする者がいますが あなたの 仕事ではありません あなたの仕事は サハジャ ヨギを増やすことです しかし これが 行われれていません ライトサイドが欠けているのです ライトサイドを活用してください 悪いことは起りません 誰もあなたを殺したり 邪魔をしたり 逮捕したりしません 私を信じてください パワーが備わっていても 使わなければ意味がありません それ故ライト サイドを使うことを 知るべき時が来ているのです ライトサイドは とても重要です 次回ライト サイドについて お伝えします 今後何をするにも レフト サイドに偏るべきではありません ライト サイドを正しく理解し 正しく活用してください ヒットラーのように独断的であったり 支配的にならないでください サハジャ ヨギにも ヒットラーはいました しかし今は 以前に聖者が成し遂げた 以上のことを皆さんがやる時が来ました 自分だけの為に 素晴らしい家族や 子供を楽しむだけのものではありません サハジャ ヨガはそのために あるのではありません サハジャ ヨガは 全世界を変容するためにあるのです このことを考えてください あなたは何をしてますか 何処にいますか サハジ ヨガから何を得ましたか そしてアギヤに到達しました アギヤで 何が起こったかというと ヨギ達は様々な苦しみに耐えられますが それは望んでいません 人々の苦しみや攻撃性を 取り除くことを望んでいます 私たちにはそのような組織や 理解はありません それがワークアウトすれば あなたは変わるでしょう 私たちは聖なる間にいる 聖者のように変容したのです 攻撃性無しに何か ポジティブなことをしてください 皆さんの中には未だ攻撃的で自己 顕示欲のある人がいるのを知っています コレクティブでワークアウトする 気があれば あなたの何が間違っていて 何が欠けているかが分かるでしょう とても重要なことです アギヤ チャクラではなぜか 多くのヨギがつまづくことがあります アギヤでは 許すべきと伝えましたが 他者の間違った行為を 見過ごすことではありません 争わず 何も言わず 許すことは 簡単ですがそうではないのです その人の所へ行って 間違いを伝えるのです 向き合わなければいけません 向き合えなければ あなたは役立たずです 何のために リアリゼーションを得たのでしょう 今理解すべきことは 私達にはヴァイブレーションがあり 人を癒すことができる ということだけではありません 公共の場に行って コレクティブになり サハジャ ヨガを広めることです 世界中にサハジャ ヨギが 沢山いるのに進展がありません 具体的にどのようにサハジャ ヨガを 広めていくか考えてください とても重要なことです 皆さんはサハジャ ヨガを話したり 歌ったりするのはとても上手ですが もっとヨギを増やさない 限り意味が無いのです トルコのような小さな国でも 2万5千人のサハジャ ヨギがいます 皆イスラム教徒でした 2万5千人のイスラム教徒が サハジャ ヨギになったのです それに比べ 他の国では ヨギが少数しかいません 彼らは裕福ではないけれど 自身のリアリゼーションや 他者に与えることを大事に思っています どのようにして広まったのか 興味深いことです 自身の問題や敵 権力 について考えるより 他者にパワーを与え ヨギにすることを考えてください とても重要なことです あなたがサハスララに居るなら 全てのパワーを持っています サハスララに居て 広めないなら 何のためのリアリゼーションでしょう 自分のためだけですか 自分勝手です 自分の栄光や 名声を広める代わりに もっとサハジャ ヨガに連れてきてください ダイナミックな勢力になってください サハジャ ヨギは死人のようだと 沢山の人が愚痴をこぼします それがあなたですか 一人で沢山の仕事をしてきました あなた達はどうなのですか 自分の国で できる限りのことをしましたか 考えてみてください これを行わない限り “サンプルナ” 完全にはなれません アディシャクティの完全なる パワーを理解していません それ故 私をアディ シャクティとして 崇拝するのは重要です アディ シャクティは完全でなくては ならないと理解すべきです レフト サイドだけでは だめです これをワークアウトせずに 何の意味があるでしょう それは他のリアリゼーションを 得るようなもので重要ではありません あなたは広めるだけでなく ヨギを増やし認識させるのです あなたに与えた全ての恩恵 愛 パワーをどうぞ理解してください ありがとうございました […]

Easter Puja Kilyos, Kilya Hotel Kilyos (Turkey)

Easter Puja. Istanbul (Turkey), 21 April 2002.
今日は イエス キリストと 彼の母を崇拝します 偶然にも彼の母も ここトルコに滞在していました 驚くことに キリストも十字に架けられた後 ここに滞在していました 彼と一緒に来たのでは ないでしょうか 彼がカシミールに行った時 彼女もいたようです 途中でそこに寄ったのでしょう ですから私達は ここで彼を崇拝します サハジャ ヨガでは彼女は マハラクシュミの化身です そして宗教の為に 息子を犠牲にしました 残念ながら彼女の価値は 誰にも理解されませんでした 偉大で スピリチュアルな人格だと 分かりませんでした サハジャ ヨガを通してのみ キリストを生んだ 大変偉大な人格であったと理解できます 彼女が敬意を払われなかったことは 残念なことです 特にイスラムの世界でです その為イスラム文化において 女性の居場所がありません 彼女達における私の経験は 大変悲しいものです 貧困で苦しむ女性の更生の為の 協会を設立しましたが 申し込む女性皆が イスラムの女性でした 悲しいことです モハメット曰く “自分の母の世話をしないといけない” しかしこの女性達の中には 子どもが8人や10人いて この貧困者の為の家に来ました 私達は家を与え 世話をしなければいけません 宗教に対する狭い考え方は 指示しないからです 最も大切なのは “人間”の宗教です 全ての宗教が ひとつにならなければいけません 大変なことです イスラム教徒はキリスト教徒に キリスト教徒はヒンズー教徒に 敬意を払いません 神と神の仕事 そして彼の愛の為に皆がいます それなのに 互いへの敬意や愛がありません どこでも口論したり 争ったり 殺し合っています 宗教の神の名の下で 人々があまりに残忍に 愚かになるのは 大変悲しいことです セルフ リアリゼーションを が唯一の解決策です リアリゼーションをコーランでは “ミラージ”と呼んでいます しかし人は得ることができない と言います モハメッド以外は 得ていません まるで人には得られない と言っているようです 真実ではありません 全ての人間が得られます アフリカ 英国 アメリカ インド どこの出身であろうと 皆ミラージを得ることができます 人は戦うために創られた わけではないと理解すべきです 動物でさえ戦いません なぜ人は戦うのでしょう それも宗教や 神の名の下でです キリストは宗教に統一感を 与えるために来ました キリスト教徒でさえ戦いを始め 他者を支配します 全ての者が神や宗教の名の下で戦い 世界は混乱しています 私達の宗教はグローバルで ひとつの宗教です 私達は全ての神格 全ての神々や女神に敬意を払い 崇拝します 神は皆ひとつであると分からないほど 愚かではありません リアリゼーションを得た後も 全ての神々が中枢神経系や チャクラに内在すると悟ります 歴史において語り継がれたから いるのではありません 実際皆そこにいます 全世界の救済のため 働きかけています キリストが為した 最も偉大なことは救済です 彼は救済において 苦しみました 多くの試練がありました そして身体が復活しました 同様にサハジャ ヨガが 作用しています リアリゼーションを得たことは 自身の救済を意味します 間違った考えや 無意味なことは消えます そして愛において 深い理解が芽生えます この仕事をインドや他で 始めた当初は大変でした 至るところ人々は無知で 互いに憎み合っていました 言い訳をしたり 良く分かりませんが 歴史的な偏見からか 憎み合っています インドにもありました 外国でも同じです ヒットラーは人間を 憎んでいたので来ました 彼は化身した 悪魔的な力でした 様々な残酷なことをしました その殺し方は 人間にできるとは 想像もできないほどです ガス室で 子どもや大人を殺しました ひどいです ドイツに私に これを見てほしい と言われましたが断りました 夫がそこに行き 帰ってくると 7日間病気になりました 気分を害します 何らかの状況下で 何らかの概念や間違った考えで そのように行動を起こす 人を殺すことは 非人道的です どんな考えか 殺すために ユダヤ人を狙いました 宗教の名の下で 様々なことがこの地上で起きています 人は宗教の名の下に 殺し合っています 宗教は神を 互いを 愛することを教えます どうして憎しみや殺すことを 教えるでしょう 未だ続いていることに 驚きます この愚かさを止められるのは サハジャ ヨガだけです そうなるべきです 私達は人間だからです その為人は キリストがしたように 復活しないといけません それはサハジャ ヨガでもって 容易にできます モハメッドは ミラージと呼んでいます 彼は明白に説明しています しかし誰も ミラージを望んでいません ワークアウトしようものなら 人はその者を潰そうとします “これはとんでもないことで 間違っている”と言います この為に皆が苦しみました 人間の無知が原因です 私もです あれこれ批判されます しかし私は 彼らより力強いです 愛は何にもまして 力強いからです そして世界中に作用します 至るところで人は このような憎しみや 他者への間違った考えは 大変危険だと悟り始めています 多勢の人がこのことを知れば 全てが終わると確信しています このような事柄は たくさんあります 特定の宗教に従っているからといって 人を憎むことは理解できません 自分でも説明できません 人間を創造した神の名の下で 憎むのは間違っています 人は神や 神の愛を理解しています 例えばキリストの生き方をみると たった33才で 十字に架けられました 彼の母は 苦しまないといけませんでした なぜ十字に架けたのでしょう 彼が愛について 教えていたからです 誰も互いを愛す考えを 好みませんでした 愛なしにどう助けるのですか どのような根拠で他者を助けますか 愛する故に他者を楽しみ 理解したいのです 一度他者を愛し始めれば この作り事は終わります キリスト教徒やヒンズー教徒として 生まれるとします 何が他者との違いを 思わせるのでしょう 同じように 母親から生まれました 見た目も同じです 鼻も目も全て同じです 何が違うのでしょう 政治的なことが 絡むのでしょうか 神や宗教の名の下で 分裂させるのはひどいことです 逆にサハジャ ヨガは 神の名の下で 人をひとつにします 例えば誰かが南アフリカに 遠く離れたベニンに 住んでいるとします サハジャ ヨギになるとします そこには何千ものヨギがいます 彼らは皆 あなたの兄弟姉妹です 行けば 我が子や親族のように もてなされるでしょう どこの宗教から来たかは 決して考えません 愛の深さに驚くほどです 現に愛することは 人間の内的な資質です どの人間も 愛する能力を与えられています しかしその能力は 大変弱まっています その能力で人は 互いに戦ったり殺し合ったりします 宗教の名の下で人を殺めるのは 最も大きな罪です 殺し合うことで天国に行けると なぜ信じているのか分かりません 最悪の地獄へ行くでしょう この考えは和らいでいますが 未だ存在しています このようなナンセンスが 日々見受けられますが 未だ続いています サハジャ ヨギはそれに対して 何ができるでしょう 人は何らかの宗教に 生まれるものです 天から舞い降りる わけにはいきません ですからいかなる宗教に生まれても それに縛られてはいけません あなたは愛と歓びの宗教に 縛られています 人は不幸や戦いで泣き続けます これでいいのでしょうか これでいいのでしょうか 私達は人間です 動物ではありません なぜ人間は互いに殺し合い 他者や自分の人生を 惨めにするのでしょう 他者を憎めば 憎しみに満ちた者になります AがBを憎み BがAを憎みます すると全人類や文明を 憎むことしかなくなります サハジャ ヨガは あなたにとってお恵みです 内に全ての神格を 与えたからです そして今は全体に 属していることを知っています 愚かな考えに属して いないことを知っています 私がここに来たとき 彼がいつ住んでいて 母マリアも住んでいたと 分かりました 家があります 彼女が住んでいたと知り 喜ばしく感じました ですから彼女を 崇拝しないといけません 何と言っても キリストの母です 彼女がどんな教徒でも 何の関係もありません 彼女の愛 全世界 宇宙の為に 息子を犠牲にしました 何という母でしょう この世に我が子を 十字に架けることを余儀なくされる 母がいるでしょうか 何という勇気 愛 グローバルな人格でしょう 私達はここにいます 偶然です 彼がここに住んでいました なぜここに来たのでしょう 彼女は直接行けたはずです ここに来て住みました 家があります キリスト教徒はここでも 宗派を始めるでしょう イスラム教徒とキリスト教徒で 互いに戦おうとします 何をしようと戦うでしょう 主な気質は戦うことで 他者を助けることではありません ただ大変おかしく 残忍でいようとしているだけです “互いに愛し合わないといけない” と教えた者達がインドにはいました にも関わらず インドでは人々は戦っています この国には多くの スーフィ達がいました インドでも至るところに 偉大な聖人がいました ある者はイスラム教徒であったり ヒンズー教徒であったり それぞれで讃美歌を歌います 別々に崇拝し 神の名の下で人々は戦います 戦う対象を探したいのです 闘鶏のようです 人間の資質である愛や愛情を 内に持っていないようです 互いへの愛を楽しむべきです 愛する能力を失っています 中国やインド どの国に生まれようと関係ありません 人間です その者には愛する能力があり あなたも愛する能力を持つべきです 違う経験をしたことがあります 夫と中国に行きました 当初人はインド人に対して 好感を持っていませんでした しかし私に大変親切でした いかに私の世話をしたか 周りは驚いていました “なぜそんなに親切なのでしょう インド人は好かれません” “それは作り事です” と言いました 彼らは非常に親切で 私に敬意を払っています 彼らに何をしたというのでしょう あるホテルで私はアンクレットを 落としてしましました シルバーです 大変離れたところに 移動してしまいましたが 彼らは封筒に入れて を送ってくれました 私ははるばる送ってくれたことに 感動の涙を流しました “これらの中国人は 非常に愛深いです” 私は会議に参加しました 女性会議です なぜか中国の男の子達が 空港まで来てくれました 私は大変遅れていました 会議は10時からで 8時半頃に着きました 車まで案内してくれました 荷物を詰めながら 会場に直接行きますと言われました 彼らは短時間で 私に大変良くしてくれました 会議の間待っていてくれました インド人に反感を持つ 同じ中国人がです そしてその後も続きます 彼らは私の車いすと 私のために車を2台用意しました そしてショッピングに 連れていってくれました 階段に差し掛かると 彼らは手で車いすを運びました 彼らは私の親戚でもなければ 一会ったこともありません 一人が “明日は来られません 結婚するからです” “この数日 何をしていたのですか” “貴方のそばにいれて楽しかったです 嫁も連れてきます” 涙が出てきました “何という愛 親切心でしょう” 私は彼らに 何もしていません 最後まで 良く世話をしてくれました 皆25才以下の 若者たちです 私の車いすを 3階まで手で運びました “しないでください”と言っても “是非見てほしいのです” “なぜですか” “皆のために 大変すばらしいことです” 大変啓蒙された者たちです 愛でもって人は 啓蒙されます 深い理解を得ます そのような深い愛が あなたに存在します 政治家であれば 説得しようとするでしょう 戦いをけしかける者もいます ドイツではそのように 若者をけしかけました しかし今は 変わってきています この世界は 変わらないければいけません 苦しんだからです これは宗教でも 聖人の教えでもありません 他者を憎むように教えるのは 悪魔的です 最悪のことです 愛の歓び 愛情の歓びを知らないのです 今日 教会の問題や 他にも問題があります 愚かな人達です 人は多くの掟をつくり 理由が何にせよ かわいそうな子どもたちが 苦しんでいます 彼らは純粋な愛が 分かりません 誰も純粋な愛を理解できません 愛は生来の資質です 生来の資質ですが 人をどう純粋に愛するか知りません 大変剛直です そのようになるのは 人間としてふさわしくありません 人間はその極端に走ります 美しさや想像性の豊かさ 芸術の豊かさ 芸術的気質 人生を楽しむ豊かさがありません 闘鶏であるなら 他の者の 他の全てに 良いところを見ることはできません 他の者と戦い 自分達自身の間で戦います “戦わないといけない” と訴えます でも仲間同士でも 戦っています 自分の兄弟姉妹を苦しめます もはや愛してはいません なぜ宗教の名の下で 戦うのでしょう 自分達の間で憎み合うような ひどいことを教えられるのでしょう キリスト教徒 ヒンズー教徒 イスラム教徒だけでなく 至るところ人間は 大変汚れてしまいました カリ ユガであると言います 愛する力を どうして失くせるでしょう これはキリストが話したことです 愛についてはっきり語りました “隣人を自分のように愛しなさい” それができる人を 知っていますか そのような人は見つかりません キリストに従う キリスト教徒はどうしたでしょう モハメッドに従う イスラム教徒や シュリ ラーマに従う ヒンズー教はどうしたでしょう 指導者に近づけていますか 神聖の化身に少しでも 近づけていますか いません その理由はリアリゼーションを 得ていないからです スピリットを知りません リアリゼーションがなければ 何も理解できません いかなる歓びも理解できません ドイツへ行って 彼らがしたことは 見れません 人間の質を持つ者は 倒れます 日本においても 広島にしたことはひどいです 耐えられません “なぜ人間はそこまで 残酷になれるのか”と言いました 我が子を殺す者もいます 極限がこれです その反対がサハジャ ヨガです 全ての人間を愛します 皆人間だからです 皆この時期に 生まれました 互いに助け合い 愛し合わないといけません 大切なことです これを育めば 強いヨギになれます 神聖に支えられ 祝福されます 神聖があなたのすべての問題や 苦難から助けます あなたが愛深い人格ならです これはカリ ユガの恩恵です 以前は存在しませんでした あなたが愛深い者なら 神聖があなたを助けます 問題を解決し あなたを困らせる者を罰します 私自身の経験です 私は決して人の災いを願いません 怒鳴りません 自動的に作用します 神聖に頼むことさえ言いません 神聖は最高の正義の人格であり 全ての正義を与えます 誰も神聖の導きと愛の下で 苦しむことはありません これはカリ ユガの恩恵です カリ ユガが大変な時期で あることは分かります しかし神聖は 大変油断がありません これほど注意深いことは ありませんでした この時期ならキリストは 十字に架けられなかったでしょう カリ ユガの間に 生まれたからというだけです 私達にとって恩恵です 誰も苦しめられたり 困らされることはありません ただ謙虚でありなさい すばらしい人格を持ち 愛深い人格でなければいけません それだけです 愛深い人格を楽しめるでしょう 愛深い人格ゆえに 恩恵を受けます いかに神聖が面倒をみることか 人から奇跡を聞きますが 驚きません 神聖が非常に油断なく すばらしい人間を見ているからです 面倒をみて 支え 全てをします 注意深さに驚くほどです モハメッドも含め 皆が苦しみました 今は違います サハジャ ヨギは苦しみません 神聖によって全て 面倒をみられています 世界中から手紙が来ます いかに支えられ 助けられたか いかに救われたかは 驚くべきです ですから自分自身を信じ 人を本当に愛さないといけません 謙虚になり 愛さないといけません この愛が人生を通して 助けるでしょう これがキリストのメッセージです “彼らを許してください” と言いました “やっていることが 分かっていないのです” 十字に架けた者に対して 愛でもって懇願しました “何をしているか分かっていません お許しください” 彼の愛深い徳性を 想像できますか そして今 祝い 彼を崇拝するとき 内にある徳性を崇拝すべきです 私達もまた愛深い者です 世界中の全てのサハジャ ヨギは 互いを愛しています ほとんどのサハジャ ヨギは 互いを愛しています 私からの祝福はこれです “この日に神がたくさんの愛を 内に愛する能力を与えますように” それを持つべきです 人生を変えるものです 力強い人格 力強いサハジャ ヨギになります 愛の理解を育むことができれば 奇跡的なことができます 神の祝福がありますように […]

Birthday Puja New Delhi (India)

Puja for the 79th Birthday, Delhi (India), 21 March 2002. English part
愛について話しています 全能の神の全てを遍く 包み込む愛についてです それは全てを産みだし 全ては愛の空気で 満たされています しかしそれは子どものように 純粋な者にだけ可能で あなたが非常に憎しみに満ちているなら 誰もあなたを救えません 憎しみを正当化するのに 十回でも議論をするでしょう 正当化するために どこまででもいってしまいます 私たちの国は穏健で 平和な国とされていますが 殺人だけを 信じるような人がいます このようなことは全く信じなかったこの国が 長いあいだ暴力に溺れていますが 基本的に私たちは 平和を信じる国民です 平和なくして 成長は起こりえないからです 完全な平和が必要です 内に平和が宿れば 平和な環境にあれば 美しい国民に育つでしょう 怖れからでも 圧力からでもなく あなたの内なる完全な 平和が胸にあれば 怖れていないというだけではなく 平和を醸し出します 平和を与えます そういった者の近くに行く人は 誰でも穏やかな感じを持ちます あなた方は皆サハジャ ヨギで リアリゼーションを得ています つまりスピリットが平穏さと喜びの ヴァイブレーションを発しているということです どこにいても穏やかな ヴァイブレーションを発するでしょう 平和をつくりだすのです 如何に平和をつくり出すか 平和な 雰囲気を確立するか見いだすでしょう 私たちが平和をつくり 平和を他人に与えるような 模範となるよう成長していく ことが非常に重要です このデリーでこんなに多くのリアライズ ソールをもてるとは信じられません 期待していませんでした まず 私は 人々の心が私の仕事を理解できる状態に なるのを待たなければなりませんでした なぜなら私たちは国の分断を体験し 多くが命を落とし 財産を失いました 私はそれに直面し 目撃しました 彼らは本当に 他の人を許せませんでした 許しは他者の痛みや困難を理解するために 非常に良い方法ですが この深みを まずあなたは 開発しなければなりません 怒ったり 復讐的になったりするかわりに 聖なる愛を通して 心の平穏を持つことができれば 何かを特別にする必要など ないのです 今やあなたが胸に宿しているのは 平穏さだけです それをただ感じなさい あなたは平穏な人で 簡単に気分を害したり 人の気分を害するために腹をたてることに 対して言い訳をしたりしないでしょう あなたはこれらの怒りやばかげた復讐心など 全てを超越した者です リアライズ ソールでない人たちに 説明するのは難しいです 彼らはそれを 好まないからです リアリゼーションを得れば 話せます 最良なのは サハジャ ヨガを広めることです シーク教徒 イスラム教徒 キリスト教徒… […]

Shri Ganesha Puja, You Have To Protect The Innocent (Italy)

Shri Ganesha Puja, Cabella Ligure, 22 September 2001.
今日 私たちはシュリ ガネーシャを崇拝する ためにここに集まりました シュリ ガネーシャは 純真さの神です 彼は 純真さの海です そして彼は あれほど若く 小さな男の子でありながら 全世界を相手に戦え 全てのネガティビティを 破壊できます それが純真さの印です 子どもがとても高い所から落ちても 全然怪我をしない 何事もない という話しが聞かれます 彼らの純真さは とても強力なので 害されるべきでない者には 全く害は及びません それは全世界の 叡智を備えており 世界を完全に理解しています そして その純真さを 傷つけようとする者に対しては 世界が 全世界が 今までそれほど純真さを 大切にしなかったり あまり崇拝してなかった かもしれませんが 純真さを傷つけようと する者があれば 誰に対してでも 彼ら全員が立ちあがります あなた方の生活においても 誰かが子どもたちを 困らせようとすると どんな者であろうと どこから来て 国籍が何であれ 皆その子どもを守り 事態を統制しようと飛び出します これは一体何でしょう 私たちの内にある 非常に注意深く純真さを 守ろうとするものは何でしょう それは本当に 恥ずべきことです この世界において この純真さが 攻撃されているという事態をみれば 非常に恥ずかしいことです それ以外なら 大抵は容認できます 何も間違いを犯していない 悪意のない人々 敵意の全くない人々 子どものように生活している というべき人々 そのような人が何者かによって 攻撃を受ければ 全世界が それに反応するという以上に 世界中の一人一人が 純真な人 あどけない存在が 害されることに耐えられない思いをします 私たちは解っていません 私たちの中に 愛の大海や ― 子どものことを理解する 大海が存在することを どうしてでしょう 特に子どもに対してそういった感情を 抱くのはどうしてでしょう 特別に無垢さに対して そう感じるのはどうしてでしょう 常に敵意のない人々や 無垢な子どもたちを攻撃する人がいます そのような人が存在します しかし 誰も彼らを支持したい とは思いません 子どもたちを虐待することが適切であると 考える人は誰もいません そしてそういったことを した者たちは 苦しまなければなりません 彼らは皆 反動として苦しみます 私たちの中で こういった反応 純真さに対する大きな反応を 引き起こすのは一体何でしょう 例えば通常の戦争があり 戦っている人々がいても 通常の戦争では 人々はあまり同情を抱きません 人々は「いいでしょう」 「こういった理解もあるだろうし そういったことはあることです」と言います 一番大きな同情心が起こるのは 純真さが挑戦される時です それが人間の特性です 彼らは内なる力 シュリ ガネーシャの力を 持っていて その力が あなた方に 純粋さ 純真な子どもたち 純真な人々を 守らなければという 感覚や能力 理解を与えます そして全世界が 純粋な人を 殺そうとするような人に対して 立ち上がることができます 疑いの余地はありません こういった攻撃に反対 もしくは批判することができなければ その者は まだ人間ではないと言えます 最高の人格は 何であれ犠牲にできますし 諦めることもできますが 純真さに対する感覚だけは 捨てられません 非常に注目するに値します 純真な存在に対して どれほどの保護と愛の大海が 存在しているのか 私たちは知りません 最も強い力が 引き出されるのは 私たちが 純真な人や純真な子どもが 攻撃にさらされているのを見るときです それが人間の美しさです もちろん 残酷になれる人間も多くいて 悪魔と言えるような者も 存在するかもしれません しかし 特に子どもや 純粋な人々のことになると 誰もが自らの責任を 感じるものです 普通の人間が純真になるのは 難しいです なぜなら 彼らは 自分たちが何か偉いと思ったり 全てを理解したり 分析できるような ある理解の仕方をしていて 曲がったり 攻撃的になったり 厄介事を起こしたりと 何にでもなる 可能性があるからです その上それに対して言い訳できます しかし構いません それでも 彼らは概して 自分のしていることに 対して尊敬されたり 名誉を得ることは 決してありません 私たちサハジャ ヨギは サハジャの文化では 純真さは 尊敬されるべきものです あなたは少し騙されたと 感じるかもしれません なんとなく支配されている ように感じたり 恥ずかしい思いをさせられていると 感じるかもしれませんが サハジャ ヨギは 純真でなければなりません 彼らの中にシュリ ガネーシャの力が 宿っているからです 落胆させられたり 利用されたり 侮辱されたり 苦しめられたり 支配されられても 大丈夫です 彼らは誰であれ 他人の純真さを 破壊すべきではありません 自動的にそれは機能します 純真さが挑戦を受けたとき 世界中のあらゆる善なる者が それを救いに来ることに驚くでしょう その例として 先の戦争があります いわゆるアメリカの戦争です そこで無実の人々 何の罪もない人々が 苦しめられ 殺されました あの時 世界中からの 支持が 彼らに寄せられました 全ての国々が 信じる信じないに関わらず この犯罪者たちを 探そうとしました 彼らは必ずしも同じ宗教や 同じ国に属しているわけでは ないかもしれませんが 同じ犯罪に 関わっていないかもしれませんが この機会に 純真さの味方をしない者たちは 孤立し 破滅するでしょう それについて 疑いようがありません これではっきりと 彼らは 無実な人々を攻撃することはできない ということを学ぶことになるでしょう すでにお話したように サハジャ ヨガにおいて 私たちは決して子どもたちに イライラすべきではありません 罰することはもっての他です 私たちが 一番得なければならないものは 子どもに対する愛情のこもった 眼差しです 世界中で その子が自分の家族でも 他の家族の子どもでも またあなたに対して なつかなくても それは彼が子どもで 純真だからで 彼の中の純真さを あなた自身の純真さが 守ろうとしています 人が攻撃から 純真さを守るために 自分の命の犠牲を 選ぶことには驚きます 決して子どもは 攻撃されるべきではありません もちろん彼らは 自分を守る力を持っていますが 自分の力を 無駄にすべきではありません ― 極めて不吉で 残酷で 醜いものに あなたが子どもを 愛すことができなければ 何をも愛することはできません 私は今まで 幸運なことに 子どもを愛さない人に 出会ったことがありません 花が好きですと 言う者がいるでしょう なぜでしょう なぜ人は 花を好むのでしょう それらが純真だからです それらに純真な美しさが 備わっているからです あなたは自然を愛しますが なぜでしょう それが純真だからです しかし最も偉大な純真が 人間の中に見出されれる者が サハジャ ヨギです ずる賢くなることは簡単です 非常に簡単にずる賢くなれます 利口になるのも非常に簡単です しかし賢くなるためには 純真でいることの美しさを 理解しなければなりません 「マザー 純真でいると人に利用されてしまいます」 という者もいるかもしれません 純真な人を 利用できる人はいません こんなことをされた 攻撃的だったと 思う者もいるかもしれませんが そんなことはされません それはまるで岩のようです それはまるで岩のようです どんな怒りや復讐の海によっても 打ち砕かれることはありません その岩は シュリ ガネーシャによって 擁護され、養われています すでに述べましたが 純真さは決して 破壊されることはありません 驚くべきことです 罪人や 残虐な人 どんな人であれ 純真さは 破壊されません 純真に関して 非常に密やかなものが 神によって込められています 私たちはよく 自身の純真を もてあそぶことがあります 自分が好きなようにすれば 「大丈夫 結局は ―」 「自分の望み 自分の願望だから」 と思うのです そして常に 自分たちの力を弱め続け 自分たちの純真の力を 隠しています 覆い隠しています そして 上手くやったと思うのです 自分の悪賢い性格によって 全ての人を騙せたと この悪賢い性格は いかなる満足も与えません 自己を満足させません あなたが誰かを騙そうとすると あなたにその企みが 作用します あなたに跳ね返ってきます そして 純真に対する信仰を なくさせます それは最も大きな信仰で 最も大きな助けで 地上における 最も強力な力です 自分の純真に敬意を 払えない者は 自分が弱くなると思うからで 純真の力が いかに作用し いかに効くか解っていません 世界中どこからでも 作用します しかしこれまで 人間は純真の力に 気づいていません 純真になることは 最も高貴です そしてそれは作用します 全ての理解 全ての問題の解決が その人に 素晴らしく得られるようにです この世の中で 何が言われ 人は何を覚えていて 何が尊敬されているでしょう 理想が高い者が 尊敬されています しかし精妙な側面から見ると このような高い理想を持つ人は とても素晴らしい 生き方をしています とても良い人格で 良い性格です これらの者たちは 傷つけられ 殺されたかもしれませんが 彼らの純真のおかげで 彼らは輝いています 長年に渡って 輝いています そのような偉大な者たちの 人生を見ることができます 彼らは皆 とてもシンプルで 彼らは 考えた末の行動ではなく 自然に行動しています 自然に生きています 次々と国が 滅ぼされても 純真の力は 滅ぼされることはありません 自信を持ってください 自分自身に完全な自信を 持たなければなりません 自分は純真以外の何者でもないと 信じなければなりません 純真な者は 騙されると言うかもしれません 誰も純真を 騙すことはできません それは永遠の価値を 持つものだからです 他の金銭面や他の何かで あなたを騙すかもしれません しかし最も永遠なものは あなたの純真さです あなたは人生おいて最も 成功する者になれるでしょう あなたが全く純真なら ― あなたの純真さを 大切にしているなら 純真は決して 壊されることはありません それはあなたの悪い考えで 悪い行いで一時的に 覆われることはあります あなたが純真の空から 雲を取り除くことができたら 世界をものにしたことは 明らかです キリストの例を挙げられます 彼は十字に架けられ 侮辱され 苦しめられました これをした者たちはどこへ 行ったでしょう 誰が彼らを知るでしょう 誰も彼らの名前すら知りません 誰も彼らのことを気にかけません たった一人の者が 利用され苦しめられました それにも関わらず どうなったでしょう 彼は世界中から尊敬を得ました 全世界が尊敬しています 誰も どのように十字に架けられ 何をしたか 一切口にしませんでした 尊敬しただけです 人は何を尊敬したでしょう 完全な純粋の真髄です サハジャ ヨガでは 彼が 純真の化身であったと 言います 彼はシュリ ガネーシャの化身でした 証明できます 私たちは自分の好き勝手が できると思ったり それが間違っているとすら 思わないなら 私たちに何が起こるか 分かりません ヒットラーに何が起きたでしょう 彼は全世界を滅ぼせると 思いました 大勢の者を殺していながら 大変偉大な人物になれると 思っていました 真に尊敬される者とはどういう者か 理解していませんでした 時代を超え 歴史を超え 誰もヒットラーを 好きではありません 世界中の力を 自分のものにしようと思う者は 偉大な者として名声を望む者は ― 偉大な者を見習うべきだと 理解していませんでした 偉大な者とは 純粋な者たちのことです 偉大な者の誰をとっても 彼らの一番の力は純真です この力がどのように作用するか どう言ってよいか分かりません 多方面に作用するからです 歴史上の出来事を顧みると 彼らの存在が見えます どんな者たちだったしょう 大変純真で シンプルで 賢い者たちです ずっとあなたの人生の中で 記憶に残る者たちです 私が子どもで 学校に通っていた頃 よく図書館へ行き 素晴らしい者たちの 伝記を読みました 私たちのために 偉業を残しました たくさんいます 大変感銘を受けました 大変シンプルな者もいて 子どものようでした 例えば アブラハム リンカーンです 私は彼に大変敬意を 持っています 彼は妻に苦しめられました 彼女が言うに 「あなたは少し抜けていて服も着こなせない」 「振る舞い方も知らない」 現に彼女は 彼に大変乱暴でした 常に彼を苦しめました 彼は最終的に殺されました こうも言えます 「アブラハム リンカーンである意味は どこにあるでしょう」 「なぜなら彼は殺されました」 「彼は成功しませんでした」 今日まで世界中どこでも 人はアブラハム リンカーンを 知っています 恐らく彼の妻を知る者は いないでしょう しかしアブラハム リンカーンは 誰でも知っています 彼女によると 少し抜けていて 様々な悪口を言っていましたが 誰も彼女を尊敬していません 誰も彼女のことは考えもしません 今日尊敬されているのは アブラハム リンカーンです なぜでしょう 実際は彼は暗殺されました 殺されたということは 生き残る力がなかったことを 指すのでしょうか 彼は時代を超えて生きています 何年も過ぎていますが 彼はまだ生きています 純真であった 全ての偉大な者を見ると 彼らには理想がありました 彼らにとって 理想が他の何よりも 自分の命よりも 遥かに大事でした 理想を抱く気持ちは あなたの純真から来ます それがあなたに 何が理想で いかに生きるべきか どんな人生を歩むべきか 教えてくれます あなたに大きな権限があるとか 大臣としての大きな地位は 重要ではありません 多くの者が生きて死んでいきます 野心を持つ者が多くいます 抑圧する者が多くいます 彼はどこへ行ったでしょう 誰も気にしていませんし 見ようともしません 彼らの写真を見せられれば 目を閉じて 見たくありませんと言うでしょう しかしもし小さな男の子 とても純真な口調でしゃべる 無垢な子どもがいれば 世界中の人々が その子を称賛します これらの偉大な人は 真に純真の象徴です 彼らの一番の本質は純真で 彼らの叡智はそこから来ます ガネーシャの一番の 特質は叡智です 彼は成功とは何かを 知っていました ― 彼の純真の本質を通して 時折り純真な者は、 自分の純真の本質に気づいていません 驚くことです いかにその者に 純真の本質が輝いているか 普通の人であったり とてもシンプルであったり あまり知的で 鋭敏に見えない者であったり 外交的でなかったにしても 純真です 人間の栄光を見るようです 純真に 純真になるには どうしたら良いでしょう 人はこう言います 「マザー 私たちは純真になるには どうしたら良いでしょう」 まず始めに 自分自身で 自分の頭がどう動いているか 見ることができます 何をしているのか どんな反応をしているのか これをしっかり見ていくべきです 私はそれを内省と呼びます どんな計画を この頭がしようとしているのか 何が一番だと思っているのか その考え 思考のプロセスにおいて 自分を見るのに 一番大切な見方は何なのか 何よりもまず 自分が人に対して どういう反応をしているか知るべきです 純真な反応ですか それとも下心のある反応ですか 自分自身を見るのは 容易いことです あなた方皆 サハジャ ヨギだからです あなたの反応がいかなるものか 見ることができます あなたへの如何なる攻撃 あなたに降り注ぐあらゆる問題に どう反応しているか あなたの態度はどうであるか あなたが力強い者なら それに対してあなたは 全く気にしません 人があなたにすることは 愚かなことに過ぎないと見れます 全く愚かしいことであると 人が愚かしいことを しているときに なぜそれを 気にすることがあるでしょう なぜエネルギーを 消耗させることがあるでしょう 彼らの愚かさは暴露されます 彼らが生きている間 そしてその後も 人から蔑まれるでしょう 人は彼らの名前を 口にさえしたくないでしょう 写真も持たないでしょう 彼らと関わりたくないでしょう この時代に このような時に 何が起こるかというと 騙すような者 純真に反する者は 彼らに従い始めてしまいます そういう者たちと彼らが 合っているからです 攻撃的であったり 悪賢いことが 合っているからです そのように新しいグループが 結成されます そういう者たちを 悪魔的なグループと呼べます そしてこの悪魔的なグル―プは 全く何も出来ません 純真な人格の持つ者に対して サンスクリット語で スローカがあります スピリットについてのスローカです 「如何なる武器も 殺すことができない」 「如何なる火も 燃やすことができない」 マルタは空気です あるいは風とも言えます 「風はそれを吸いこむことができない」 破壊しようとするどんな性質の ものより上回っています しかし驚くことに 自然は理解しています 自然は純真です それを理解し 適切な時に作用します 攻撃的な者 純真を困らせようとする者に対して このように自分たちの純真を崇拝 すべきだと知るべきです 純真であることで支配されると 感じるのは解ります 時折り なぜこのような扱いを受けるのか と悲しく感じるでしょう 様々なことが 頭によぎるでしょう しかし純真を崇拝するなら あなたは常に幸せな者になれます 常に優しい者になれます 常に謙虚な者になれます ですから注意しないといけません あなたは あなた自身の破壊者です あなたは殺す者です ヒットラーはどうでしょう ヒットラーは自分を滅ぼしました 誰が滅ぼしたでしょう どうであれ人は死ぬもので いずれにせよ彼は死んでいましたが 永遠に滅ぼしたのは彼自身です ですからあなたは自分を殺せます 自分を救うこともできます 純真であれば 栄光も授かります 純真の力に自信を持ってください 何が大切かというと あなたの人生の中で 純真の力をどう表していくかです 互いにどのような態度で 接するかです 私はそれを愛と呼びます 自分に対してこの態度で望まない限り あなたは慈悲深くいられません あなたは親切になれません ― 一時的になれたとしても 永遠の慈悲深い気質は あなたの人格を通して永遠に 流れる純真さからです 純真な力は 人間にとって気取らないもの 支えてくれるもので 全てを上回り 時を超えます 何千年経っても 人はあなた方サハジャ ヨギを 忘れないでしょう ― あなたの勇気 あなたの純真な力を見せれば 今日のプログラムが 遅くなってすみませんでした 行く準備はできていましたが 結婚のことが大切なものに なってきているようです 書類がぎりぎりに届いて 結婚について 最後まで決めていたためです こういうことは最後です 次回はしないでください 自分の申し込み用紙は せめて八日前までに 送らないといけません ガナパティプーレでは 二週間前です そうでないと 一日は24時間しかありません それを増やすことはできません 一つ謙虚に お願いしたいことがあります 結婚を上手くいかせたいなら 私が見る時間があるように してください そうでないと 他の者に決めてもらいます それでよければそうします 簡単なことですが 結婚というのが大切なことだと 理解してください 結婚すれば 純真な子どもが授かります しかし このような態度をとれば 責任がない感じがします ですから時間の大切さについて 理解するようお願いします 次回 あまりにも遅く書類を送れば 結婚式が行われないのは確かです せめて一週間以内であるべきです 理解していただけるよう お願いします ありがとうございました […]

Adi Shakti Puja, The Work of the Adi Shakti Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Adi Shakti Puja, Cabella Ligure (Italy), 3 June 2001.
今日 私たちは アディ シャクティを崇拝します 最も大切な プージャだと思います なぜなら あなたにセルフ リアリゼーションを 授けたのも あなたに真実を 与えたのも 慈悲と愛の力を与えたのも アディ シャクティの力だからです それは サダ シヴァから 分かれた力です この力は この完全な宇宙を 創ることを望みました 次々と宇宙を創り 愛します 彼女の愛で この偉大な創造を この世界の創造をしました この惑星は 人間の創造のために特別に選ばれ 太陽と月の間の 中央に 美しく位置づけられました これは彼女の偉大な業です 大いなる愛と慈悲で 創られました そして 彼女の子どもたちが 真実を知り 自分自身や他の全てについての 究極的知識を得ることを 期待して創られました 聖書で記された通り 蛇の姿をして アディ シャクティが現れ 人間たちに アダムとイブに 特にイブに “知識を知らなければいけない” と話しました 彼らは知識の果実を食べることを 受け入れました 人生の精妙さを知らなければ 動物のように生き続けたかもしれません 少しだけ動物より ましだったかもしれません 果実を食べると 何も身にまとっていないことに 違和感をもち始め 自分自身を 木の葉で覆いました 最初の知識は純潔でした なぜならシュリ ガネーシャが 確立されたからです 彼の影響は私たちに 体を覆わなければいけないという 意識をもたらしました 私たちはもはや 動物ではありません 動物は二本足で立ちませんし そのようなことを意識しません 純潔の知識でもって 次第に人間は 美しい国を 建国し始めました しかしまだ 知るべきこと 意識すべきことは 多くあります 人は多くのことに 気づいているかもしれませんが スピリチュアルな 覚醒なしには 自己の知識を得ない限りは 他のすべての知識は 全く意味がありません 自己の知識によってのみ あなたは力を持ちます 真の力である 愛と慈悲の力です 今日の世界は 戦いに明け暮れ 人々を戦争から守るための 巨大な防衛武器を作っています 全世界が互いに殺し合い 滅ぼし合い 野心 競走 紛争へと発展し より悲惨な戦争に 繋がります 彼らは一区画の 土地のために戦います 彼らは大変無知です 死ぬ時に人は 土地の一部でも持っていけますか 人は生まれた時 こぶしを握っています 死ぬ時 手は開いたままです 何を持っていけますか 何も持っていきたくない かもしれませんが あなたが戦っている 素晴らしいと 思っているものを楽しんでいますか 愚かな者たちの間で なぜこのような戦いが起こるのでしょう 平穏を望まないことに 驚きます 土地のこととなると 理解がなくなることに驚きます 全体が 間違った方向に進み 完全な破滅へ向かっています 彼らの無知によって 人間は大変苦しんでいます 無知によって これらの習癖を持ち 間違ったものに魅了され 間違った同一性を持ちました それは彼ら全員を滅ぼします 彼らはまともに ならなければなりません 自己の知識を 得なければなりません 自己の知識は 人に与えられた救いの鍵です 多くの聖人がいました 多くのスーフィがいました タオイストの者も 禅の者もいました この地上には あらゆるリアライズ ソールがいました 彼らは苦しみました 苦しめられました 誰も彼らを 理解できませんでした しかし今 あなたが 真実を知る時が来ました 無味乾燥なものでなく 慈悲深さのある真実 すべての人を包み込む 真実であり 私たちの存在の 完全な見解を与えてくれます なぜこの地上にいるのですか 私たちの目的は何ですか 私たちは何をすべきですか アディ シャクティの力は 愛のそして慈悲の力で まずあなたの自己を 理解させてくれます あなたにとって愛は とても とても限られています 自分自身について意識できません あなたにとってどんなにすばらしいか 考えてみてください あなたは自己を しっかり意識できるように ならなければいけません 非常に大切なことです まず自己を 意識しないといけません 今あなたは スピリットの光を持ちました その光で自分が何であるか 見ることができます どれぐらいのところに達しているか どんな間違いをしているか どれほどの害を 自分に及ぼしているか あなたにはそれを治す 改善する まともにする力があります これは最も大切な時間です あなたはこのような時間を 二度と持てないでしょう これまでの歴史にもありませんでしたし 未来にも決してないでしょう これはあなたが得た時間です 意識するだけでなく 自己の知識を得るだけでなく どうしたら良いか 解っています 聖人について タオイストや禅の者について言えば 彼らは 自己の知識を持つ者について 振る舞い方や生き方 他者と比べて何が違うかを ただ語っているにすぎません どうすればそうなれるのか 誰も言っていません 誰も言えませんでした することもできませんでした なぜならほとんどが クンダリーニのことを知りませんでしたし 知っていた者は 人々にそれを 話すことができませんでした ですから アディ シャクティの最大の仕事は あなたの仙骨に クンダリーニを置くことです このクンダリーニは アディ シャクティではありません アディ シャクティは もっと偉大な 大きな 広大な 深い 強い 力強いものです クンダリーニは アディ シャクティの力の反映です 彼女が覚醒されると 何が起こるか いかにリアリゼーションを得られるかは ご存じのとおりです しかし あなたは大変 注意深くいないといけません あなたは本当に 慈悲深い者ですか あなたが慈悲深ければ・・・ 慈悲深い者に まず起こることは 他の者を助けること 他の者を救うことだと思います 自分自身の達成や セルフ リアリゼーションの状態だけでは 満足できません 起こりえませんでした アディ シャクティが 全てをする必要は何でしょう 私が一生懸命やらなければ いけなかったことはご存じだと思います 幼少時代から 大変努力してきました 大変困難な時期もありました 人間からみて 困難な時期です しかし最悪なのは 私がリアリゼーションをあげた者たちが セルフ リアライズした者たちが 他者に責任を感じていません あるとしてもほんの少しです 今日彼らには人類を救う 世界を救う 慈悲の気持ちや愛がありません 私たちの大事な仕事であるだけでなく しなければならない唯一の仕事です 他から得るものは何もありません 他の者にリアリゼーションを与える この知識を与える あなたの努力 個々の努力だけです この知識は大変容易に 理解することができます もちろん大変精妙です お話ししたように 話題になっている量子論ですが 奇跡的な光の波動を見た 科学者たちが それは何であるかを 知ろうとしています サハジャ ヨギが他の者の上をいく ということではありません 自分に起きた 大変特別なことだと 皆さん一人一人が 理解しなければいけません たとえヒマラヤで修行しても 断食しても 何年も神の賛美を 歌い続けても あらゆる儀式や 苦行に耐えたとしても リアリゼーションを 得ることができませんでした 可能ではありませんでした このことは知っていました それゆえ 私は大変努力が要りました 様々な問題 様々な混乱 様々な圧力と 向き合わなければ なりませんでした なぜでしょう あなた達が創られ 私の手となるよう見るためです あなたは働かないといけません どの指も働かないといけません ずっと言い続けていますが 今は私たちの責任です 私たちが サハジャ ヨギになるためだけでなく 開花の時 多くの人が サハジャ ヨギになるためです それはアディ シャクティの仕事です 理解するようにしなさい それは どの聖人の仕事でもありません どの化身の仕事でもありません いかなる政治家の 仕事でもありません いかなる偉大な指導者の 仕事でもありません アディ シャクティの仕事です それはあなたの中に 結果をはっきりと見せています それに あなたが気づくことです 私を歓ばせることは あなたの切なる望みです 解っています あなたが どんなに私を愛しているか どんなに私のために 尽くしたいか知っています 私のためにできる 最大のことは サハジャ ヨガを広めることです それはとても特別なことで あなたに与えられた 非常に難しいお恵みです あなたはいかなる努力も 要りませんでした 全くお金を払うことも ありませんでした あらゆる儀式で 変になることもありませんでした 自発的にそれを得ました それを生まれ持った権利のように 捉えてはいけません それはアディ シャクティの仕事です アディ シャクティの仕事は あなたの生き方の中に 現れなければいけません 見返りを期待しない 慈悲の心です 人は貧しい者に 同情を見せることで 貧しい者や障害者の世話をすることで 宗教を広めようとしました サハジャ ヨガは それをする必要はありません すべきことは人を変えることです どのように人を変えられるか いかにアディ シャクティのメッセージを 広められるか 方法を探してみなさい 心がけなさい そうすれば どうしたら良いかわかるでしょう サハジャを広める方法を 見つけなければならないという 強い願望を 常に持つべきです でなければ キリストが述べていた 湿地に落ちた種は 発芽しても 決して育つことがなかった話の ようになってしまいます 自分ができることを 知ることによって あなたは 本当の意味で成長でき 何かとても特別な者 真の者になれます もちろん 私にはビジョンがあります 何度もお話ししました プージャだけで終わるのは よくありません とても困難な国もあります 問題は何か なぜ難しいのか 分かるようにしなさい 最後の審判と呼べる 同じ土壌の中で 人はなぜ自分自身を 滅ぼそうとしているのかということに 私たちのアテンションはあるべきです 私たちの慈悲と愛を通して できるだけ多くの人を救いましょう これはアディ シャクティの仕事です いかなる聖人や 化身の仕事ではありません 彼らは皆そこにいます 私たちの中にいます 終始私たちを助けています あなた方は とても偉大な 浸透する奇跡のような アディ シャクティの力を持っています 大変効果的です しかし あなたが 自分自身の力を意識しないかぎり どうやって ワークアウトするのですか それは全てを備えた 死んだ機械のようなもので 誰も操作する人が いないのと同じです 私は常に 大変際どい時期を 過ごしてきました 大変困難であったので 時には来世でないと無理かと 感じたこともありました しかし 今はあなたにとって とても簡単なことです それは大変な思いをして 作られた道を 自分がどれほど簡単に得たか 気づきもしないで歩いているようなものです それに気づけば “この道を 多くの人が歩けますように” “大変な忍耐と理解と愛で創られた この道を”と感じるでしょう 全てのサハジャ ヨギが この世界を変えるために 最善を尽くさなければいけません 実際人類は 他の誰でもなく あなた方によって 救われなければなりません 大統領でも首相でも 大臣でもありません 彼らは世界を 変えることはできません その権利を与えられているのは あなたです あなたは この力を持っています 自分の地位 立場が 遥かな高みにあることに 気づいていますか その悟りがあれば 愛と慈悲を表わすために 人が本当はどんな存在か 気づいてもらうために あらゆるところに出向くでしょう サハジャによってのみ 世界を救うことができます 他の方法はありません 何をしようと 何を言おうと 貧しい者を助けようと それは上辺だけのものです 最良なことは 全ての者に リアリゼーションをあげることです 私たちは子どもたちを見てきています 彼らは成長しています 偉大なヨギになるでしょう 分かります しかしその前に 自分がして得たものを 示さないといけません 静的な仕事ではありません 爆発的な大きな動きです そのような 大きな歩みでないかぎり 審判の日に 誰が咎められるかわかりません 人類の運命を高めるのは あなた達です 自分自身を 何でもない者として見てはいけません あなたはリアリゼーションを 得なかったかもしれません 多くの中からあなたこそが 私のところに来て リアリゼーションを望み 授かりました 強制されるものではありません このリアリゼーションは 強制されるものではありません この意識は 強制されるものではありません この意識の成長もまた 強制されるものではありません あなたはアテンションを 自分の中で深く育まなければなりません そして何をしてきたか 見ないといけません 金銭問題 権力問題あるいは 他の様々な問題で忙しくするなら 問題はあなたです あなたは サハジャ ヨギではありません サハジャ ヨギは 全てを超えています とても強力です 力が備わります 口先だけの愛でなく 愛と慈悲の力です それは他の者を愛するだけの 業ではありません あなたが持つようになる 強力な人格です それは偉大で 神聖な光をただ放ち 人を捉えることができます 皆が とても勇気ある人格を 持つべきです 皆さん成長しました 以前私に“これが私の悪いところです あれが父の悪いところです” “曽祖母の悪いところです”といった ことを書く者がいました しかし そのようなことはなくなりました 大変少なくなりました 病気の者 失敗した者 改善することができない 状態にいる者について 私に話すかわりに アテンションを 変えなければなりません ある人が 癌にかかれば 私に少なくとも 10枚写真が届きます リーダーもその妻も 私に手紙を書くでしょう 皆が私に手紙を書くでしょう なぜですか それは私の仕事ですか その人は治ることができます 病院があります 写真で治せます しかしアテンションは 常に同情の方にいってしまいます いわゆる肉体的に 精神的に 感情的に 財政的に また結婚生活で 苦しむ者に対して あなたの仕事ではありません 私のでもありません その人が病気なら 写真を使ってワークアウトすべきです うまくいかなければ 仕方ありません 彼らを特別に扱ったり ワークアウトさせたりする 必要はありません うまくいかなくても “こういう人が病気です” と私に書くことはありません 何がそんなに大事ですか 健康な人はたくさんいます その者たちに 働きかけてはどうですか 私たちの仕事は 人を治すことではありません 愛情はいいでしょう 慈悲もいいでしょう 私たちのアテンションが病人 あるいは貧しい者 苦しんでいる者にいくのは 自然なことですが サハジャ ヨガはどうなるのですか 一人の病人がいれば 百人のサハジャ ヨギが気にかけるでしょう その理由は何ですか 慈悲ですか そうではありません 彼らはその人を治すことができると 証明したいのです 慈悲ではありません 今日慈悲とは 人をサハジャ ヨギに 良い人に変えていくことです それがアディ シャクティの愛です 生まれた者は必ず 死ななければいけません もちろん不親切になることは ありませんが どれほどの者にリアリゼーションを 与えられるかにアテンションがあるべきです 人がいわゆる治療や改善に 夢中になるのは とても普通のことです いいでしょう 例えば 結婚生活に問題が生じます 夫婦で暮らしたくない者もいます 終わりにしなさい 一緒に住みたくないなら そうしなさい この世界にはもっと分別のある者が 健康な者が多くいます なぜ住みたくない者と 一緒に葛藤し続けるのですか あなたの仕事ではありません まずあなたは スピリチュアルに働く者です ソーシャル ワーカーではありません もちろん 社会的に働くことができます しかし あなたにとって一番大切なことは 人を変えることです これにおいて 最も厄介なことは 冷酷さ 残酷さ 他者を苦しめること 怒りです 内的なものである これらすべては 直すことができます 今日求められています どの国も戦い 苦しめられ 常に破滅への危機に さらされています あなたができる唯一の方法は リアリゼーションをあげることです リアリゼーションをあげた時 何が起こるか しっかり見るべきです その人はそれを大切にし 成長すると 守られます 完全に守られます 誰が守るのでしょう アディ シャクティと 言ってもいいでしょう この世界には 破壊の力があります ネガティブなものではなく シュリ シヴァの ポジティブな破壊の力です アディ シャクティの仕事が うまくいっているなら 彼は幸せです しかし 彼はひとりひとりを サハジャ ヨギのすべての仕事を そこに座って見ています 彼が何かとても 間違ったものを見つけたら 私はそれを コントロールすることはできません 彼は滅ぼします 私はそこには立ち入れません 彼は滅ぼします 何千もの人を 彼は滅ぼすことができます 災害があるところはどこでも 地震や ハリケーンのようなものはすべて シュリ マハデヴァの働きから来ます 私はそこでは助けられません しかし あなたが人々に リアリゼーションをあげたなら それらの人々は 危険を避けることができます もちろんこの世界を創り あなたを サハジャ ヨギ達を創ったのも アディ シャクティの 気まぐれと言えるでしょう しかし あなたの責任もまた とても大切です あなたは 責任を持つことはできません 私の責任だったかもしれませんが 違いがあります 決して私の責任だと 感じませんでした これは私の仕事だと 決して感じませんでしたし 私がしなければいけないと 思いませんでしたが 私はやりました これが仕事です このような人格を あなたは持つべきです あなたは とても謙虚な気持ちで とても美しいやり方で やらないといけません そしていかに守られているか いかに支えられ いかにすべてがうまくいくかに 驚くでしょう 人にリアリゼーションを与えられると 彼らの人生を変えることができると分かる時 最大の歓びを得られます そのような歓びは他では 決して感じられないでしょう 仮に宝くじに当たっても 大きな仕事をもらったとしても 有名になったり 表彰されたりしても 感じられないでしょう サハジャ ヨギを創る歓びは 計り知れません 大変歓びに満ちたことです そのような仲間 そのような結束 そのような一体感 愛の歓び 慈悲の歓びを あなたは得られます それは普通の喜びではなく 違うレベルの歓びです あなたは私を 恐れることはありません でも自分自身を恐れなさい 自分自身を注意深く見なさい そして今まで何をしてきたか これまで何をしたか 自分自身で見なさい あなたは啓蒙されています 啓蒙された者が光を与えられなければ それを持つ必要があるでしょうか これらの小さな ロウソクを見てみなさい どんなに炎が小さくても その光を放っています 自分自身を燃やして 光を与えています 光が与えられなければ 啓蒙されても 何の役にも立ちません 啓蒙されるとは 自分だけに光が当たることではありません 愛の 慈悲の光であり 神聖です 普通のものではありません 映画でみるような 普通のものではありません 働きかけるのは神聖な愛です サハジャ ヨギが 金銭問題に絡んでいるとか 騙しているとか 犯罪に関わっていると耳にすると 弱ったように感じます 理解できません 信じられません 最も高いものを得たのに なぜそのように下落するのでしょう それは自分が得たものを まだ感じていないからです あなたは自分が得たものに 気がついていません 敬意を払っていません まだ同じライン 同じレベルに留まるなら 私や自分自身を 公平に評価していないと言うべきでしょう ワークアウトしなければなりません ひとりで私はやりました 一生懸命やったと言うべきでしょう ひどい者と 大変冷酷で 自己中心的で残酷な者と 付き合わなければいけませんでした それは問題ではありません 大変美しい鳥を見つけました あなたは自分の光沢を保ち ワークアウトさせなければなりません すごい速さでサハジャ ヨガが 広まっていると聞くと そして人々が 平穏 歓び そして幸福の領域に 本当に達していると聞くと 大変うれしく感じます それが私の夢です あなた方皆が ワークアウトすることを望みます ありがとうございました […]

Mahashivaratri Puja, Destructive Power of Shri Mahadeva New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja, Delhi (India), 25 February 2001.
今日 私達は マハシヴァラトゥリを祝うために 集まりました シュリ マハデヴァについて 理解することは 私達 皆にとって 大変光栄なことです あなたがセルフ リアリゼーションを 得ない限り シュリ マハデヴァの 偉大な神格 その性格 その力を 理解することはできません 私達が謙虚でない限り 彼の偉大さ その深さに到達することも 理解することも 容易ではありません シュリ マハデヴァの 蓮の御み足に到達するためには 私達はとても 謙虚でないといけません この偉大な人格の 蓮の御み足にいるために サハスララでさえ 越えないといけないのです 彼は私達の 概念を超越していますが スピリットとして ハートに内在しています そして あなたが リアリゼーションを得たとき 大変よく反映するのです しかしながら 私達は シュリ マハデヴァの力を 理解しなければなりません この偉大な神について 短い言葉で説明することは 容易ではありませんが 彼自身が持っている 最初の力とは 大いなる許しの力です 彼は許します 彼は たくさんある私達の罪 たくさんの破壊的な行動 みなに問題を起こそうとする 気質を許します ある程度までです しかし 同時に破壊する 最も大いなる力も持っています 彼はすべての 五大要素を支配しているので 彼の破壊は 突如起こります すべての要素を支配しています 母なる大地を 支配していますし その他の要素も すべて支配しています 彼は問題を見つけ 望みさえすれば すべてを 破壊することもできます 地震は私ではなく 彼によって 起こるといわなければなりません 私は破壊のために いるのではありません この地上で何が起こっていて 人間に何が起こっているのかを見るのは 彼なのです グジャラットの例をあげましょう グジャラットの人々は 大変な金銭主義者です 株式取引について心配したり あれこれと 常にお金のことばかりです 外国に暮していたとしても 非常にお金重視です 彼らにサハジャ ヨガの話を するのが不可能なのには 時折 驚かされます 彼らは偽者のグル達が 好きなのです どこからそれを得るのか わかりません ともかく グジャラットに バヴナガールという場所があります ある時バヴナガールの人達が来て 銀のスリッパ パドゥカスを 私にヴァイブレート してもらうために持ってきました 驚きました この人達がそのように考えていたことに 少なくとも嬉しかったのです バヴナガールで そしてバロダでも 彼らはプージャをし ハヴァンをしました これらがボカンパや地震によって 害が及ばなかった 二つの場所なのです 想像できますか そして 遠いところにある スラットは 完全に破壊されました 何人かのサハジャ ヨギは すべて助かりました そして彼らの 家も動きませんでした つまり あなたのお母さんの保護と 全能なる神の 怒りの間にいるのです 彼がすべての要素に対して 力を持っていることを 良く理解するべきでしょう 私がフランスに行った時 何人かが 私を困らせようとしました マスコミが 私を追いかけていました テレビや他のところで 私のことを悪く言っていました どこかで何かが起こることは わかっていました そして突然海から大きな 何と呼ぶかわかりませんが 大きな嵐が起こりました 誰もなぜそれが 起きたのかわかりません そして二つの船が 完全に沈み 助けようと行った人達は ガンになりました 次に起こったことは この嵐が早く動きはじめ すべての教会の屋根を ふきとばし たくさんの牧師の家が こわされました その嵐がどんどん進み 私が買ったとても大きな 城のところまで来ました そこでまさに止まりました それは私が やったことではありません 彼がすることなのです 彼は大変許すことができ 非常にやさしく 穏やかですが 彼の力を意識するべきでしょう これらすべての力は 私の仕事を守るために 使われています 行き過ぎることもあります スピリチュアリティの仕事を 邪魔すべきではないことを 人々に示すためなのです 本物のスピリチュアリティ でないといけません 偽りのグルのような者が 魔法のようなものを見せたり 不自然なことを話したり するのではだめなのです 本当のスピリチュアリティ であるなら 常に守られますし シヴァはこの上なく幸福です そして あなたに与えられたものは あなたが想像できる以上の すばらしいものなのです 彼は大変許すことができます そのような許しの源です あなたの心に許しがあれば 彼はあなたの心に内在します そうでなければ 次第にあなたは 大変重い病気にかかるでしょう あなたが許せるなら あなたのハートはとても早く動くでしょう 誰もあなたのハートを おかすことはできません 心臓発作を起こすことは ありえません しかし もしあなたが 我慢強く 苦しみ いろいろなことを 自分の力として受けとめるなら 間違ったことをし 神を忘れるなら あなたのハートは だんだん弱まり始めるでしょう ですから 一方では非常に 攻撃的なハートになっていき ヒットラーのような ハートになれるのです いかなる主張をしようとも あなたが誰かを 苦しめるのであれば あなたのハートは固くなり 強力な心臓発作になるでしょう これは避けられません また あなたが 大変辛抱強く 意味のないことを辛抱し 大変従順で おびえているとします おびえているのなら その恐れでそれをしているなら 別の心臓疾患 狭心症を引き起こすでしょう 最終的には 罪悪感のようなものを持ち始め ありきたりの人生を 送ることでしょう このような精妙なことが とても辛抱強いと思われる人に よく見られます スピリチュアリティのためであれば 辛抱するのもかまわないでしょうが 恐れをから するものではありません あるいはこわさから するものではありません サハジャ ヨギであるなら 何も恐れることはありません インドでは 人々は何でもこわがります リスを見てこわがったりします トカゲを見ようものなら もうおしまいです 彼らは何でもこわがり 女性はゴキブリでさえ こわがります このような気質は 大変ばかげています 狭心症に陥りがちな 人になるからです こわがる必要はありますか サハジャ ヨギであるなら 何にもこわがることはありません 人はねずみを見てはこわがり 何でもないことにこわがり それを自慢し 話題にします ハートがどんどん 弱くなっていきます また インドの男性にも 責任があるでしょう 女性を付属物か 義務のように扱ったりするからです 女性をどう思っているか わかりません 彼らの態度は 信じられないほど悪いです 特にインドの北部です 女性に地位はありません 家の中に閉じ込められ 召使いのようです 顔を常に 覆っていないといけません 許可なしに 外出はできないのです ひどいものです イスラム教徒の影響である という人もいます しかし 永遠の命 スピリチュアルな命を 信じるのであれば いかなる無意味な残虐行為にも 支配されるべきではないのです ですから インドの女性が 自由になる必要を感じるわけです 彼女達は大変いい人達で 辛抱強く 心やさしいのですが 自分の価値を 自分自身を尊ぶことを 知らないために 悪い病気にかかったり 精神疾患を引き起こしたりするのです このことについては すでにお話ししています なぜ男性は このように振舞うのでしょう 私達の国では 少なくとも70%が女性ですので 北部では70%の人々のエネルギーが 無駄になっているように思います 彼ら自身 どう思っているか 分かりませんが その報いを受けています このような国々は 決して栄えることはありません 女性はラクシュミだからです しかし 彼女達も ラクシュミであるべきです ラクシュミのように 振舞うべきですが このようなひどい状況には ショックを受けます どうして女性でいられるのでしょう 悪魔のようです このような社会での アンバランスもまた シュリ マハデヴァによって 罰せられるわけです 彼は大変親切で 苦しんでいる人達の 面倒をみようとしますし 苦しめる人達を 罰しようとします 攻撃的な人達を滅ぼすことで 助けようとするのは 彼の本質なのです 彼はクンダリーニや セルフ リアリゼーション について語りません ただしっかりと罰を与えます ショックを受けるぐらい ひどい方法でやります 苦しみの中で生きている 女性達を見てきました 彼女達は寿命より かなり早く死んでしまいますが そういう人達を彼は救います これらのことを 正しく見なければなりません 彼はもちろん 守るためにいますが それ以上に 滅ぼすために存在します 彼はさまざまな動物 さまざまな鳥 あらゆる自然を守ります 彼が守ります すべての喜び スピリチュアリティの 喜びをもたらすのは 彼なのです しかし もしあなたが 攻撃的になろうとしたら 滅ぼすのは彼なのです 自分の首を吊るためのロープに ゆとりをもたらせます それで人はまだ大丈夫と思い 自己満足するのです 逆に西欧では 男性より 女性の方が支配的なようです 大変驚きです どうやっているのでしょう 常に支配しているのです 男性は 手玉に取られています どうやっているのかわかりませんが 支配しています 彼女達は 謙虚ではありません 愛していないのです 常に夫と 離婚し続けているのです 愛していないのです 愛とは何か 知らないのです またインドの男性も 愛が何であるか理解していないようです 一生のパートナーである妻を どう愛していいかわからないのです どう敬意を払っていいか わからないのです そして ひどい怒りが起こってきます この怒りは いろいろなところに作用し そのような男性達には 恐ろしい病気や問題ごとが 次々と引き起こされます 社会全体もまた 謙虚な者達に対してふりかかる さまざまなことに責任があります 双方です あなたが攻撃的であるなら シュリ マハデヴァの 第3の目に見つめられていると 理解するべきでしょう 例えば あなたの召使に 攻撃的であれば 部下に攻撃的であれば あなたの子供達に 攻撃的であれば この怒りに満ちた神がいます 彼の破壊の呪文の下に 置かれるでしょう しかし 彼は私達に ヒマラヤのすばらしい高さを与えます 彼は人間を非常に美しく とても気高くします そして 彼は人々がお互いを 愛し合うことを望んでいます 人間の間には 純粋な愛があるべきです そして彼があなたを とても繊細に 人に対して振舞えるように 人にやさしくできるようにします それができないのであれば あなたは違う方向へ 行っています 彼の最も偉大な特権は あなたに高さと深さを与えるということです あなたが彼を崇拝するなら 全世界を目撃者として 見ることができる高さを得られます 彼は全世界を サクシ スワルパとして目撃します ですから 彼は知識なのです 彼は純粋な知識なのです あなたはリアリゼーションを 得たかもしれません 涼しい風を 感じたかもしれません しかしその知識を持っていますか 自由とは何かを この手の意味は何かを ヴァイブレーションは何かを 話さなければなりません 彼がその知識なのです その純粋な知識です 最も高いレベルの 完全な知識なのです ですから 彼が知識の源なのです 謙虚でない人は その知識を得ることはできません 傲慢な人 他の人を繊細に 優しく 美しく扱えない人は 彼の恩恵を得られません そういう人は 人生において何も得られません 何を得るべきでしょう 地位でも富でもありません これらの外的なもの ではありません 愛することができるハートを 得ないといけません あなたが愛することができる ハートです シヴァがハートに 内在するのであれば あなたはすべての人を 大変美しい方法で愛せます 愛について おかしな考えはありません 純粋な愛だけです すべての人への純粋な愛です そのお恵みで あなたの荒っぽさは すべて消えます 例えば もしほんの少し 力があるとします するとあなたは 良くないことに使うでしょう シヴァを見てください 非常にたくさんの力を 持っています 彼がそれを 間違って使えば この地上に草一本も 生えないでしょう いかにあなたが罪深いか 自己中心的か それでも彼は あなたにチャンスを与えます “成長するかもしれない”と 彼は非常に寛容です 彼は大変許すことができ また極めて寛大です 仮に 砂漠に住んでいる人達が いるとします そして彼らが 大変いい人達だとします 砂漠に住むがために 苦しんでいるなら 彼らにオアシスを創るでしょう 彼は母なる大地を 支配しています 彼らを幸せにするためなら 何でもできます 彼らがスピリチュアルであれば 崇拝しているのなら しかし 人間はとても愚かで 神の名のもとで戦いつづけます 例えば南部では 二つの種類の人達がいます 一方はシヴァを もう一方はヴィシュヌを崇拝します ヴィシュヌは シヴァを崇拝していたのです 誰も高くも 低くもありません すべてが大切なのですが シヴァを崇拝するか ヴィシュヌを崇拝するかで 人々は戦っていました 彼らは現実から 程遠かったのです 現実が何か 知らなかったのです ただ戦い 戦いだけです 神の名のもとで戦う者に シヴァが行き 彼らを三俣の鉾で 刺します 神の名のもとで戦ってはいけません 愛し 理解することです 神の名のもとで 戦うことは無意味です それだけではなく 大変危険です そのようなことをする者は 滅ぼされるでしょう 自己破壊的です 完全に滅ぼされます ですから 神の名において 愛さねばならないことを 理解する必要があります ばかげたことを 我慢する必要はありません 愛さなければいけません 愛を広めなさい 次第にその愛は 世界中に達して 私のヴィジョンが達成されつつあるのを 見ることができます しかし 諍いや憎しみ あらゆる攻撃性があるなら これら全てはシヴァに反し 滅ぼされるでしょう 彼らが滅ぼされるとしたら 何ができるでしょう 拝金的で 物質主義であるなら 彼らは愛しません 金銭のためだけに 愛しています 彼らが皆滅ぼされるのは 疑いがありません 謙虚であるばかりでなく 非常に愛する人でなければいけません シヴァの恩恵に与るには 極めて愛する人でなければなりません そういった人は利口だったり ずる賢くはないかも知れませんが 純真であると思います 誰かを愛すると その人を助けたいと思うからです 私自身苦しみました 人々を助けようとして 彼らは私を欺きました だから何だというのでしょう それが彼らの性質で あげく破滅しました 私は自分を欺くように 頼んだわけではありません 私は彼らに良くしましたが それでも私を欺いたのです ですから 破滅がやってきます 私に何が できるというのでしょう 誰も破滅して欲しく ありません この自らの創造を 愛していますが 彼らが破壊的であるとしたら 守る方法がないのです 彼らを破壊するもう一つの 偉大なる力があるからです 私がどうしようもない立場にいる ということがわかるでしょう どう表現してよいか わかりません しかし シヴァの 愛と恩恵によって あなたは極めて愛情深く 寛大で 非常に優しく 子どものように 純粋になれるということを サハジャ ヨギとして 理解すべきです あなたは 純真でなければなりません ずる賢くなる必要は 全くなく 純真さが如何に守られるかに あなたは驚くでしょう あなたが純真なら 心配する必要はありません シヴァの第3の目の力が存在していて あなたを保護します どこに行こうと あなたと共にあります 馬鹿になる ということではありません 現実的でなくなる というわけではありません シヴァの力によって 現実的な側面は ことごとく引き受けられます 彼の導き 愛 優しさを 人生の中のありとあらゆる 歩みの中で見ることができます まず自分の歩みに 気を付けなさい 攻撃的ではないですか 人を困らせてはいませんか 他人につらくあたったりは していませんか あなたは謙虚ですか 穏やかですか 親切ならば 彼はとても喜びます 自然のなかで働いているのは 彼の掟です それは非常にシステマティックで お互いを理解し合いながら 生きています 例えば ジャングルに行って 全く静かで 鳥のさえずり さえも聞こえなければ そこに虎が座っている と思うべきです 彼は王様です 従うことを皆知っていて 王がいる場には 礼儀が存在します 自動的に礼儀を 理解しています 虎がいれば 誰も動かないでしょう 彼は威厳をもって座ります 1週間か10日に一度だけ 一匹の動物を殺します 彼も食べなければなりません 一匹殺して 彼とその家族が まず食べます 血が流れ出るまで待ってから 家族皆が来て食べます それからその動物を そこに残していき 他の動物たちが順に来て プラサードとしてそれに与るのです 最後には カラスたちが来て その動物を食べます それほどの規律 礼儀の理解が存在しています シヴァによってどれほど動物たちが 統率されているかに驚きます 動物が ストライキをしているとか 動物の巨大な裏社会がある とは聞かないでしょう 動物がものを盗む というのも聞きません 私達は動物の段階から 進化してきたというのに動物以下です 争いのようなおかしな 行動様式をもちながら どうして私達が 上昇できるというのでしょう どんな小さな原因であれ 争い始めます 動物も多少戦いますが 集団ですることはありません 人間のように 集団ではしません ほんのちょっとの腹立ちで 仲間をつくって争い始めます 動物も仲間集団をつくりますが 争いません 動物たちは 真に理解しています 私達も自然の掟を 理解してはどうでしょう このような自然の摂理に 従わせるのがマハデーヴァです 空や大地ですら 全てが彼によって保護されています 美しいことを 私達のために行います 季節の移り変わりと共に 美しい花々をつくり出します 心地よく 美しい 喜びを与える ようなものを創造し 保護します 自然が与えるものを示し 私達が無邪気な子どものように楽しんだり 喜んだり 幸せでいられるようにします しかし 私達は傲慢にも 何事につけ反応します 絨毯を見れば “これは好きではない”と言うでしょう 特に西欧では 良くあることです 何かを好まないというあなたは 自分を何だと思っているのでしょう 良くあることで 恥じらいもなく“これは好きではない これは好き”といいます そういった人間はどこへ行き着き 何が起こるのでしょう 何事も愛でることなく 楽しむこともなく なぜ批判的な反応を するのでしょう そういった反応は西欧に多いです インドではあまりありません しかし そこにはある種の 文化の違いがあると思います インドなら 異常者のように思われるでしょう どう愛について語り それを表現するかが大切です まず 自分の妻から始めなさい そして自分の子どもや 他人に向かうようにしなさい 時折 世界は愛せても 妻は愛せないようなことがあります それは特殊です インドではあります 西側でも 妻を怖れるが故に愛するような おそらくは離婚を怖れる人がいます 愛はただ “自由な” 愛であるべきです 怖れなしに 責めることなしに その純粋な愛を楽しみなさい それが今日の 人間に足りないことです 人々が愛の美しさを 悟る日が訪れると 天国から花々が 私達に降り注ぐでしょう マハデーヴァが 第3の目を閉じることができて こころ穏やかになる すばらしい日になることでしょう それが私のヴィジョンです それがあなた方の未来です どれほど人と 穏やかに話せるか どれほど優しく 人を愛せるか どれだけ人に 与えられるかわかるでしょう 例えば 何か贈り物を しなければならないとすると 彼らは店に行き 最も安っぽい ひどいものを買って 贈ろうとします そうではないのです 大きさが何であれ 愛情をもって買うべきです それが愛を語るべきで どれほど費やしたかではありません インドですら昨今では いかに着飾るか どれほど自分に価値あるかを 見せびらかすのが とても一般的です 何のためでしょう なぜでしょう そういった人々を 多く知っていますが 亡くなれば 遺体を運ぶのに 4人の人さえもいません 生前は 自分のことばかりを 際限なく考えていました そのような時に その人を愛したり気にかけたりする人が 何人いるかを見るべきです 育ちのせいか 愛を知らなかったのかも知れません どんなことでもそのせいにできます しかしサハジャ ヨギにとっては 愛こそが人生であり スピリチュアリティであり その愛は 見返りを期待しない 愛であるということを学ぶことが重要です 貧しい人や何かを援助するのに 長けた人がいることも知っていますが その背後に力があって 単に権力意識を満たすだけで 愛を満たすことなく考えます ですから 働いているときに 何らかの利益や 地位のためではなく 単にスピリットを満たすためだけ 愛を満たすためだけにしていると 知っていなければなりません こういった類の執着のない愛 ヴィラクタを有していれば 何らかの資格を 得る必要もありません あなたはすでにそれを得ているし 楽しんでいるのです 英語で話さなければならない というのは残念です 英語を解さない人も いるかも知れませんが 英語が最近では 優位でどうしようもありません 英語を強いなければならないのです 他の言葉を私は話せません しかし 人は 愛の言葉を発するべきです 動物たちを見ると 馬でも犬でも 動物たちは みな愛を理解します あなたになついたり 愛情を表したり 非常にかわいらしいです これを今 彼らから 学ばなければいけません 他にどうやって愛の価値を 理解させられるかわかりません 現実的ではないと 批判したり たいしてお金がないとか 権力がないとか そういったことではないのです それは重要ではありません そんなことならいくらでも 手にはいるからです けれども 私達は違います 私達は人類の宝石で 輝いていなければなりません ダイアモンドが貴重に見えるには カットされる必要があるように 内にある悪いもの全てを 切り落とすのです 私の唯一の 望みがあるとすれば “シュリ マハデヴァの性質に 従うようにしなさい”ということです いかに彼が偉大か いかに彼に執着がないか 完全に執着がありません 彼は骨やそういったものと 暮らします どこに 誰と住むか 何を所有するかにも 何にも頓着しません 私達も 無執着であるべきです 同時に彼のように 極めて愛情深くあるべきです どれほど彼のハートが 他者への愛で満たされていて どんなに他者の世話をするか 私は警告しています あなた達は私を愛していることを 知っていますが あなた達がお互いを 愛するべきだからです 愛するハートを持ち 他者を愛することに満足しなさい それを育てることができたら サハジャ ヨガでのあなたの 高みと深みが増すでしょう 確かに女神があなたに シュラッダ(信仰)を与えます しかしそのシュラッダの深さは サンスクリット語や ヒンディ語では知りませんが マラティ語ではデャスと言います その愛の深みに飛び込めば 愛を全身に浴びれば 愛を楽しめば あなたは何も欲しいとは思いません 全てを得たのです 何を欲しがるというのでしょう シュリ マハデーヴァの 偉大さのように 彼はあまりに偉大なので 執着がありません 彼以上に偉大なものがなければ 彼以上に重要なものもありません 何を望むというのでしょう だから彼は無執着です この無執着を あなたも育てる必要があります しかし同時に 彼は芸術 音楽 リズムの 神でもあります 先日 男の子達が リズムを奏でていました 彼こそが万物に リズムを与えます 自らの命のリズムに 私達は無自覚です 子どもが生まれるのも 9ヶ月と何日と正確です 誰がこのリズムを守るのでしょう そしてある花が ある季節に咲きますし 自然には四季が存在します 誰がこのリズムを守るのでしょう 彼はリズム以外の 何者でもありません そのリズムが自然において 守られています 全てにおいてリズムがあります そしてリズムのある人こそ 大きなハートを持った人です それは大海のようです そのリズムが狂うと 残酷だったり 妄想的な人がいたりすると 整った 美しく穏やかな 全くさざ波もないような湖の中は 愛以外は 存在しないのですが そういった静かな ハートのリズムが乱されると シヴァが働き出します ですから 人は完全な時間のリズム 自然のリズムや 全てにおいてのリズム感を 持つべきです 花の名前さえ こういった花が何かさえ 何時ごろに咲くかも 知りません そういった生命のリズムに 関して全く知りません 知ろうともしません 見てみれば 全てに渡って 季節が存在します ですから 彼はあらゆるリズムを タブラやパクワジを演奏するように 全ての季節のしらべを 奏でたのです そしてそれによって自然が芽吹き 花を咲かせ 枯れていくのです その点を わかっていません 自分自身にかかずらって ばかりいます “調子はどうですか” と尋ねれば “マザー 頭痛や胃の痛み 他にも・・・” 何から何まであります 別の人はいいます “ええ 順調です” “マザー 世界をどうか 正して下さい”と 自分の心配をせずに 他者のことを心配します 世界を幸せにするために何ができるか という美しい理解のもとで いわば一生懸命に 働かなければなりません そのなかで “この世を美しくするのは 私達の義務ではないか” “この世界をリズミックに スピリットと調和のとれた世界にするのが” “私達の仕事ではないか” と考えるのです それは私達の義務です サハジャ ヨガを自分のためだけではなく 他人のためにするのです 自分のことをいつも心配するのではなく 他人の心配をするのです 世界で起こっていることに気を配る それが愛です その愛は自発的で 働くときにはすてきな働きをします 今夜は美しい夕べで この場所で偉大な成長の源を 崇拝しています あなた方が どれほどその力を得ているか シヴァのリズムにおいて どれほどその力を 全身に浴びたかを 理解するよう望みます 彼はそのリズミカルな方法で あなた方にヴァイブレーションを与えます 私達の生の道すじを流れ それがあなた方を 完全に包み込むはずです そこであなたの自己意識は 溶けていくように要請されるでしょう 私はそれを祝福します ありがとうございました […]

Shri Krishna Puja (Italy)

Shri Krishna puja. Cabella Ligure (Italy), 20 August 2000.
今日 私たちの中に内在する シュリ クリシュナを 崇拝するために集まりました ご存知のように サハジャ ヨガに来る前 皆さん 真実を探求していました 様々な所に行くことで 読むことで探そうとしました 中には自分を 見失う者もいました しかし何を探していたか 分からなかったでしょう あなたが探していたものは 自己を知ることでした すべての宗教が “汝 自身を知れ”と言っています このことについては どの宗教も言っています 自己を知らずして 神を知ることはできないからです スピリチュアリティを 知ることはできません 最初の段階は 自分を知ることですが それにあたって人は あなたを騙そうとしました 間違ったことを教え お金を奪い 騙しました 様々なことを経て サハジャ ヨガにたどり着き リアリゼーションを得ました リアリゼーションの目的は 何でしょう 神を知ることです 女神を知ることです これがリアリゼーションの目的です リアリゼーションの後 あなたに何が起こるべきでしょう 多くが麻薬などナンセンスなことに 無関心になりました 無益な本を読むことにも もはや関心がありません お酒を飲むことにも 関心がありません しかしそれだけでは 十分ではありません いずれにせよ そうなったでしょう なぜ神は自己を 知ってほしいのでしょう あなたの中に 彼の反映を見たいからです 反映を見たいので あなたを創りました 女神も同じです 彼女はあなたに リアリゼーションを与えました あなたの中に 彼女の反映を見たいからです ですから より純粋で 美しく 愛深く 慈悲深く 何より叡智が反映されるように ならないといけません 叡智を持つことを理解できる 地点まで到達しないといけません 叡智が欠けているなら あなたは自覚を得た者ではありません シュリ クリシュナの 域において 彼はあなたが ヴィラータの ヴィラタンガナの一部に なることを望んでいます ヴィラータの 一部になるべきであって リアライズ ソールだからといって 完全に大丈夫で 何もしなくて良いと 思ってはいけません そこから何をするかが 大切です リアリゼーションの後 シュリ クリシュナのような 神々の人生から あなたの中にあるべき反映を 見なければいけません シュリ クリシュナは 大変困難な境遇で生まれました そしてヤシュダによって出身地へと 連れ出されました そこで彼の戯れが 始まりました あなたも人生において 遊び心を持ち 楽しさや歓びを 創り出さないといけません 聖人のようにヒマラヤで 座禅をしなさいとは言っていません 子どもたちと戯れ 話し 遊び 楽しみなさいと言っています 彼は同時に 彼に挑む ネガティブな力を全て滅ぼしました 子どもでありながら 大変成熟しており プトゥナや2人の恐ろしい ラクシャサも殺しました 同じ頃 彼は ゴピスと戯れたり からかったり 困らせたり 茶化したりしていました なぜでしょう 彼らに遊び心を 持ってもらいたかったからです それに対して 様々な祝賀がありました ある豪雨の日 彼は指先で山全体を持ち上げました 人々は不可能に思いました 奇跡です 山を指先で掲げ 立っていました 気取らない様子で 彼と遊んでいた男の子達を 守るために持ち上げました また彼は大蛇カリナを 水中で殺しました この恐ろしい蛇は水中で 人を殺す毒液を作っていました 彼はあっという間に ヤムナ川の物凄い水流に飛び込み カリナを打ち負かし 殺すことで人々を救いました しかしこの大蛇の妻は 彼に夫を許すよう懇願しました 彼は許しました 6-7才の子どもが このような偉業を 自分がしていると思うことなく 成し遂げました そのことを考えもせずにと 言ってもいいでしょう シュリ クリシュナであると 悟っていたのでできました ですからあなたは自覚を得た者 であると意識すべきです 普通に振る舞うような 凡庸な人間ではありません あなたは特別な人です 全能なる神の本質を 反映するために創られました 誰もあなたにカリアを殺すよう 期待していませんが あなたは絶えず 守られている状況です 誰もあなたを 傷つけられません 殺せません あなたはサハジャ ヨギです 面倒を見てもらっています では物事を決めるにあたって サハジャ ヨギはどうあるべきか 理解する必要があります 自然な判断であるべきです 計算たり 下見したり 検討することはありません シュリ クリシュナが川に飛び込んだように 即座に自然な判断を下します 同じように全てにおいて 自然な判断をすべきです 例えば 絨毯を買うとします 店に行き どれを買うべきか すぐ分からないといけません 人生のどの瞬間も 自然な判断をすべきです 即座にです しかし私が見る限り そうではないようです 店を次々の渡り歩き リストを作って測定したり 帰宅すると 明日決めようと言います サハジャ ヨギの 振る舞いではありません サハジャ ヨギは全て その場で自然に判断します そうあるべきです 例えば誰かが 溺れそうだとします 最初の衝動は その者を救おうとします どう助けますか 水に飛び込みます 守られているからです あなたに悪いことは起こりません ですからただ飛び込み 人を救います これがとるべき 最小限の姿勢です 自然な判断が あなたの気質です 悩んで決断し 決断にあたっても 会議を開いたりすることはありません 日常においても そうあるべきです 政治面 経済面 全ての生活面においても 自然でないといけません いかに自然な判断が できるでしょう あなたにどのような 素質があるでしょう 何を使って決断しますか あなたには ヴァイブレーションがあります 感じられます ヴァイブレーションとは 何かも知っています あなたに何を教えているか 知っています あなたに語っています ですからヴァイブレーションで 何をすべきか瞬時に分かるはずです “カベラは物凄いヴァイブレーションです” と言う者がいます 事実です どれくらいの人が そう感じるでしょう あなたの感受性は まだ発達していません 自分のヴァイブレーションに対して 敏感でないといけません 誰を見ても 隣に座る者が誰であれ 誰と握手をしようと その者のヴァイブレーションが 分からないといけません このような感受性を発達させるなら 自然な判断ができます 私にはそれができます カベラの城を 5分で買いました 近くまで行くと 車が大型で 行けませんでした “私の車で行きましょう” と市長に言われました 到着すると 確かに荒廃していました 周りの足場も悪く 幽霊が出そうな場所でした 一緒にいた皆が “ひどい場所です これは買えません”と言いました そこで私は市長に言いました “買います 今です” 彼は驚いていました どうやって購入できるか 尋ねると “イタリアでは簡単で 値段の1/3を払えば自分のものです” “気に入らなければ断れますが 返金はできません” “競争相手がいれば 倍額を支払います” “お得ですね 買います” と言いました 皆がこの出来事に 驚いていました 決めては ヴァイブレーションです その場のヴァイブレーションです 7つの城を彼らに 案内されましたが 中に入らずに断りました 入りもしなかったので 驚いていました “以前は何だったのですか” “女子修道院でした” このような自然な判断が できるようになるべきです できるようになれば 短い時間で素晴らしいものを 得られることに驚くでしょう だからといって 粗雑にするのではなく まずヴァイブレーションの 敏感さを持つべきです 敏感になるならサハジャ ヨガ において成熟しています 成熟しないといけません リアリゼーションを得たので これができると思うのではありません まず敏感さを 持たないといけません どのぐらい敏感か どう分かるでしょう 自然な判断で結果が 芳しくなかったとします 自然な判断で 決断しながら 失敗し 間違っていたとします 経済的 政治的 あらゆる面で 苦しむことになるとします そこであなたの価値観が 評価されます どれほど サハジャ ヨガで深まったか リアリゼーションを どれほどものにしたか このように 自分を試すことができます でも失敗を恐れてはいけませんし 成功に舞い上がることもありません あなたが 自覚を得た者だからです もちろん敏感なら すぐさま分かります 私と同じようにとは言いませんが やってみるべきです ある者を称賛する人がいます “すばらしい人です 是非会って下さい”と言われました その者の写真を 見せてもらうと “残念ですが会いたくありません” と言いました 彼らには理解できません “どんなに偉く 将来大臣になろうと 会いたくありません” すると翌日の新聞に 悪人であるという記事が載りました あなたは自然に決めたことに 対する経験や 理解と 向き合わないといけませんが それでも自然な判断を するよう言います どうやったらよいかなどは 考えてはいけません 何が正しくて間違っているかを 知っていると思い込むことは 自然な判断に 影響を及ぼします (私が建てた家を 何人の者が見たか分かりませんが) シュリ クリシュナのもう一つの側面は 創造性の豊かさです 幼少時代 いたずらのような 様々なことをしました 大人になると ドワリカの王になりました そして王様のような 装いをしていました 何であれ王でした 子どもの頃は小さい孔雀の羽根を 一つ着けていたものです しかし王になると王の装いで 王座に座り 人々と話しました 偉大さを持ち 創造性は大変豊かでした 彼はドワリカに金でできた 大変美しい宮殿を建てました 信じられますか 彼が建てましたが 水面下に沈みました 西洋諸国に洗脳されたインドの知識人は それは不可能だと言いました 水中には何もなく 宮殿は建てられなかったと 作り話で神話だと しかし ある者は それを信じ 水中に宮殿を見つけました 全てではありませんが 金が少し残っていました 彼の建てた巨大な宮殿に 驚いていました 水中に沈みながらもありました このように化身たちは 大変創造性豊かでした あなたが創造的でなければ リアリゼーションは何の役に立つでしょう 簡単で 最もすばらしい 創造的なことは 他の者を サハジャ ヨギにすることです 最も簡単で歓びを与えることは 他の者をサハジャ ヨギにし 彼らが長年求めていた 神聖の恩恵を得ることです あなたは素晴らしい 癒しや恩恵を与えます あなたはリアリゼーションを 簡単に得ました 瞬時のニルヴァナといいます サハジャ ヨガの 瞬時のニルヴァナです 人は簡単に瞬時に得られるものの 価値を理解できません インド人は“独立で 簡単に自由を得た”と言います そのため貴重に思いません ただで特別な努力なしに得ると それを尊重しません 理解しません 当然のように思いますが リアリゼーションを得るための 人の苦難を知っていますか ヒマラヤに行き一本の脚で 何ヶ月も立ったり 逆さ立ちしました それでも得られませんでした 28年間 こもった者もいます なぜそのようにするのでしょう 人や悪い環境から離れれば リアリゼーションを得られると 考えたのでしょうが 得ることはありませんでした 簡単に得られるものでも 大変貴重なもので 素晴らしいものだと 理解すべきです リアリゼーションを得るのは 容易なことではありませんでした 自覚を得た者について 読んだことがあるでしょう 彼らはそれをどう得たかも クンダリーニのことも知りません でもグルや 苦行を通して得ました 仏陀はリアリゼーションを得るまで どれほど苦労したでしょう いかに得たか 考えてみてください 彼の人生を見れば ぞっとするでしょう 最期は飢えと貧困で 亡くなりました しかしあなたには そのようなことはありません 何の困難もなく得ました 大変優しい方法です お金も努力もなしにです だからといって尊重しなくていい ということではありません それは種が母なる大地に植えられ 自然に発芽し 木へと育つようです 胚芽に生命が宿ります しかし水を与えなければいけませんし 世話する者がいないといけません この場合 あなたが 世話をしないといけません まず慈悲と愛の栄養を与えます 慈悲と愛を持っていますか 人を愛していますか 今日子どもが嫌いだという者がいて ショックを受けました “他人の子は好きですが 自分の子が嫌いです” なぜ我が子が嫌いだなどと 言えるのでしょう まずあなた方は “好きです 嫌いです”と 決して言うべきではありません 反マントラです “私はこれが好きです” と言うあなたは誰ですか “この絨毯が嫌い 銀のものが嫌い” あなたはそれを創れますか この決めつけは自然な判断だと 思いがちですが違います そのように言う権利があるという発想は コンディショニングから来ます あなたは何ですか スピリットなら 決して言わないでしょう 人を傷つけるかもしれません 傷つけるような言葉は使いません 危害を加えません スピリットなら愛深さ 慈悲深さ 穏やかさ を与えることを言うでしょう 他者に歓びを発するでしょう スピリットは他者に歓びを 与える力があります あなたが不機嫌なら 自覚を得た者ではありません あなたは歓び 愛 慈悲を 与えることができるはずです そしてそれは 全く自然に起こるものです マハラシュトラでの 聖人の話しがあります 人は“カヴァドゥ”と呼ばれる水亀で 水を運んでいました グジャラートからシュリ クリシュナの 寺院まで遥々運びます シュリ クリシュナに帰依する すばらしい行為だとみなされていました その聖人も“カヴァドゥ”と呼ばれる 水亀で水を運んでいました マハラシュトラの村から 遥々運んでいて 寺院のある麓にさしかかると 喉が渇いて死にそうな ロバを見かけました すると彼はそのロバに 水を与えました “神格に捧げるため 何マイルも幾日もかけて運んだ水を” “このロバにあげるのか” と皆は言いました 彼は言いました “神が水を飲む為に降りて来られた ことが分からないのですか” 彼の態度を見てください 自覚を得た者にとって 慈悲はこのようでないといけません 大変寛容です あなたが寛容でなく狭量で 常にお金や貯金のことを心配するなら 成熟したサハジャ ヨギとは 言えません それにそのようなお金は 幸福を与えません 欲深さは スピリットに反しています スピリットは非常に寛容です 決して何かを倹約したり 人を騙したり 盗んだりしようとしません 論外です その者に欲が 全くないからです 欲が全くないので リアライズ ソールは欲深くないのです 大変寛容です 大変寛容な者を 他者の問題に理解力がある者を 多く見てきました 自分の問題事に悩む者は サハジャ ヨギではありません 他者の問題を 解決する為にいるのであって 自分の問題解決やそれを 話題にする為ではありません 現代の“これが私の問題です” という言葉は 以前は幾何学でしか 使われていませんでした 人は“問題はない” とか言いますが それが問題なのです あなたの問題を 他者に振るべきではありません 何も要求しないことです “私のためにこれをして あれをして” 人が相手を利用しようと するのには驚きます 外国に行くのが好きで “あなたの国に言ってみたい” と連絡する者がいます 寛大なサハジャ ヨギは “来てください”と言うでしょう 問題は要求している方です 何も要求すべきではありません あなたは完全だからです 満足してるだけでなく 完全です 人が何をあなたに 与えるられるというのでしょう あなたが完全であるとき 全ての欲求が消えます 来るとき 多くの星が見えました でも月が出るや否や 星は全て消えました 同じように あなたが完全なら 人から何かしてもらおうと 期待しません 反対に他の為に何ができるか 見つけようとします 他者の問題を 自分のことのように考えます 真剣に考えます あなたの成長につながります あなた方全員に起こるべきです リアリゼーションを 得ているからです 自分の為でなく 他者の為に生きる人格が発達します あなたはどこでも暮らせます 寝れます どんな食事でも 食事がなくても構いません あなたは 満足しているからです 逆に他の者の為に 料理したいと望むでしょう できることは 何でもしようとします できるならそうするでしょう しかし自分の問題にしか 目を向けない者がいます サハジャ ヨギではありません スピリットは問題を持たないものです あなたはもはやスピリットであって 全てを超越していると理解しなさい あなたの創造性は また別の次元へといきます もちろん他者に リアリゼーションを与え始めます 芸術を創造します ババママは文学が 得意ではありませんでした 母が数学者だったので 数学は得意でしたが 言語においては 得意ではありませんでした 私が彼の小論を 書いていたほどです しかしリアリゼーションの後 大変美しい詩を書きました ババが書いたとは 皆信じられませんでした 先程言ったように 私が小論を書いていたくらいです 驚くことに ウルドゥやマラティ ヒンディの詩を書き始めました 兄弟が彼にどうやって ウルドゥの詩を書いたかと尋ねると “シュリ マタジに教わった” “全てにおいて教わった” と答えました ですからあなたの中の 創造性が開花します どこから創造性がきたのか 自分でも驚くでしょう 数学者が突然詩人になったと 想像してみてください 不可解に見えますが あなたにはこのような能力があります あなたは多岐に渡って 創造的にならないといけません 私は大変創造的です 常に何かに働きかけていて 結果も良好です それに人から称賛されるべきだとか 新聞に載るべきだという 普通の人が持つような興味は 私にはありません 創造のために創造します その創造をただ楽しみます すると人が言ったり話したり 行動したりすることにも 適応性を 持てるようになります 人は攻撃的になったり 称賛したりするでしょう でもあなたを称賛していると 気がつかないでしょう “シュリ マタジ キ ジェイ”を 私も一緒に言って 私のことを言っていると 忘れることがあります あなたは これらを超えています そのような人間の振る舞いに 全く理解できないほどです サハジャ ヨガに来ると リーダーになりたい サハジャ ヨガの偉い組織者になりたいと 強い欲求を持つ者がいます そのようなものは 偉大なサハジャ ヨギとして 国際的な名声を欲します 伝えている創造性とは 離れています 私は何を創造したでしょう 人間にとって 人から称賛を得たいと思うのは 普通のことです あなたがスピリットなら 皆知っています 何を自慢することがありますか 脚光を浴びる必要がありますか 後ろにいても光はあります ですからあなたは 暗闇から出ないといけません あなたが光で 光を広げる者だからです 暗闇にいるなら 光を広げることはできません ですからあなたのスピリットは 問題を持てません 恐れはありません そして何よりも すごい叡智があります それがより高次な人格である あなたの印です これは進化です あなたが変わったとき 別の特質を持つ者として進化します 際立ちます 周囲と同じになるなら サハジャをしても 意味がありません キリストはどうでしょう 大工の息子でした 教育を受けていません でも何をしたでしょう 彼はスピリットでした 内に神を反映しました そしてまた そのために 十字に架けられました サハジャ ヨガでは 起こりません そのような試練はありません しかし 自分の判断基準が どうであるか見るべきです 内省を通して ワークアウトしているか 自問すべきです “サハジャ ヨギ氏 ごきげんよう” “自覚を得ていない者が夢中になることに 没頭していませんか” 探ってみなさい サハジャ ヨギの成長は その振る舞いや生き方や 表情に表れます このような者にシワはありません 心配事はありません それなのに なぜシワがあるのでしょう そのような者は 誰に対しても逆上しません 逆に笑います 一度スイスの教会で 私を聖書で叩こうとした 女性がいました 私は聖書で叩くなんてと 笑いました 笑っていたので 彼女は怖がりました 聖書で叩こうとする愚かしさを 見なさいと言いました 石ならまだ分かりますが 聖書では叩きません 皆さんの目の前で 起こったことです ご存じと思います ネガティブな力が あなたを精神的にも 感情的にも 傷つけるかもしれませんが 超越していれば 誰もあなたを傷つけられません 傷つけられたと感じないでしょう 気にもなりません しかしあなたは 何か創造しましたか 今日何人かの男女が 離婚しようとしていました サハジャ ヨガで結婚して 離婚を望みました 考えられますか ショックでした 夫が兄弟のようだと 変な考えをしていました おかしな考えをしていて スピリットの光が ありませんでした スピリットの光があれば あなたの理解は 違ったものになっていたでしょう 自分でなく 他の者のことだけ心配し その者の為に 解決策を見出そうとします 助けようとします あなたにとって 簡単なことだからです 光を灯すのは簡単です 一度啓蒙されて 灯されているからです 輝きをなくす方が 難しいです 人間は リアリゼーションの後でさえ 何年も成長した後でも まだ愚かです リアリゼーションの価値を 分かっていません スピリットを 殺すことはできません 吹き払うこともできません この光は消せても スピリットの光は消えません 灯し続ける油は 何でしょう 慈悲や愛 他者への思いやりです 中には支配的な人がいて 問題を起こします それでも 思いやりなさい あなたとは違います 完全ではありません だからこそ 思いやりなさい “そうする必要があるのか” と思うならあなたは終しまいです このような反応は スピリットの者ではありません スピリチュアルな者の反応は これとは全く違います シュリ クリシュナの生き方に 見ることができます 彼には 大変貧しい友がいました シュリ クリシュナに 会いに行きたがったので 妻は彼に 米菓子を持たせました “あなたの友達に 持っていってください” 彼は恥ずかしく思いましたが 持って行きました シュリ クリシュナは 宮殿にいて 門番に“彼には会えません” と言われました “スダナが来たと伝えてください” シュリ クリシュナは王座に座り 話しあいをしていましたが 伝言を受けて 門へ駆けて行き 友を何度も 抱きしめました 彼は“なぜここに立っているのか” と言いました 中へ招き入れ 王座に座らせ 妻に友の足をきれいにするよう 言いました そして服を持ってこさせ 風呂に入れました そして彼のベッドに 寝かせました シュリ クリシュナの愛です そして友の足が汚れ ひび割れていたので 薬を塗ってあげました ひび割れを治そうと 精一杯のことをし 彼のベッドで休むように 言いました そして眠れるように うちわで扇ぐよう女性たちに言いました シュリ クリシュナの慈悲深さが 美しく表れています 私たちは 慈悲深いでしょうか 彼はそれをする義務も ドラマもありませんでしたが 彼のハートからくる 自然な判断でした スダナが来たと聞いて 友のもとへ駆けました 旧友が来たことに 嬉しく感じたのです 彼がハスティナプールに 行ったとき カウラヴァの長男 ドゥリョダナに “私の宮殿に来られて 滞在してはどうか”と言われました 彼は“行きます でもヴィデュールと食事をとります” ヴィデュールは 使用人の息子です 彼は行って ヴィデュールと食事をしました ヴィデュールは 貧しい者でした ドゥリョダナなら豪華な食事が 出たでしょうが どんな食事だったかは 分かりません 味や食事の質は 関係ありません 愛です リアライズ ソールであった ヴィデュールへの敬意です 他のサハジャ ヨギヘの敬意です 政治家だからといって サハジャ ヨギが尊敬するなら 理解できません スピリットは 全てを超越しています 他のヨギに敬意を払えないなら 何かがおかしいのです スピリチュアルな者は肩書きを持つ者より 高次であると理解すべきです そして生き方に 愛が表れています 全ての聖人 化身は皆 愛を持っていました 全てを超越し そして何も期待しません 人の期待から 行動するのではありません 神の愛を反映する人格です その反映が あなたにもあるべきです サハジャ ヨギでは人より秀でている という意味ではありません 人と異なる 超越している ということです 優越感がないので あなたは人と違うのです 大変謙虚なので 人と違うのです 大変歓びに満ち 穏やかなので 謙虚なのです シュリ クリシュナの生き方から お話しできることはたくさんあります 彼はヨゲシュワラ と呼ばれています ヨガの神です 彼がヴィラータだったからです 彼はアルジュナだけに 姿を見せました 誰もアルジュナのようでは なかったからです アルジュナでさえ 彼を見た時畏怖しました 彼はシュリ クリシュナのように 牛飼いとして暮らしました シュリ クリシュナはゴクールで生活し 自分の力を自慢しませんでした 彼の力は内にありました そしてそれは 自然に表現されました この力は叡智と分別です 完全な分別がありました もしなければ 神聖な力ではありません 悪魔的な力だったでしょう あなたに親切だからといって 親切にするなら間違っています インドではアヴァデュタ と呼ばれる者達がいました 彼らはリアライズ ソールで 社会から離れ 人から隠れ 質素な場所や 洞穴に暮らしていました “理解されないなら話す必要はない” と考えたからです 彼らは孤立し それぞれで暮らしていました 何ができたというのでしょう 多くのサハジャ ヨギといる あなた方とは違います あなたにはたくさんの友や お互いがいます でも彼らは孤独で 社会から離れました 人とも会いませんでした そうしようものなら 十字に架けられていたでしょう あなた方は違います 社会があります 良い友や スピリチュアルな人々の すばらしく啓蒙された 社会があります それらを伴い 創造的でありえないなら 何と言って良いか分かりません 何かを創造しないといけません 芸術や音楽 詩 文学 何であれ 創造しないといけません 何よりもサハジャ ヨギを 創らないといけません これが一番の 創造であるべきです 至るところでサハジャ ヨギを 創ることが大切です 私が色々な場所へ行き プログラムをすることもできますが すばらしい状態を得たという 模範を示さないといけません あなたが彼らに 気付きを与え サハジャ ヨギとしての生き方が できるようにしないといけません 実際完全になるなら あなたはマハヨギです そうならないといけません あなたのスピリットが 皆に歓び 平穏 恩恵を与える マハヨギになること以外に 大切なことはありません 神の祝福がありますように […]

Shri Ganesha Puja Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Shri Ganesha Puja. Cabella Ligure (Italy), 25 September 1999.
今日はシュリ ガネーシャを 崇拝するために集まりました 皆さんは彼が力強い 神格であると知っています 彼の力は 純真さから来ます 小さい子どもを見ると 自然と惹きつけられ 愛し キスし 一緒にいたくなります 子どもは純真です 非常に純真です 私たちが シュリ ガネーシャを崇拝するとき 自分が本当に純真かどうか 知らなければなりません 最近 人は 狡猾になっています どんなに狡猾でも 気にしません 純真で素朴な者に対して 狡猾になります 常に自分を 正当化できます 現代 皆が狡猾なので 自分のすることを正当化します この狡猾さは人を 極端な右側にもっていきます それは大変悪い 影響として跳ね返り 肉体的なあらゆる問題が 生じる者もいます 例えば 手が麻痺したり 足が麻痺したり 肝臓に 支障をきたします さらに心身障害を 引き起こすこともあります このような問題 右側の問題で苦しむ者は シュリ ガネーシャを 崇拝すべきです 例えば 最近あなた方は 生活に忙しく 仕事に忙しく 普通より余分に 雑用もあります 偉大な仕事をしているとさえ 思っています 結果 シュリ ガネーシャを 疎かにし その者は冷淡になるか わがままになります どちらかになり 自分を見失います サハジャ ヨガにおいて 中庸にいさせるのは シュリ ガネーシャのプージャであり シュリ ガネーシャへの崇拝です それによってあなたは 常に中庸でいられます このような右側の問題はシュリ ガネーシャのプージャで治せます シュリ ガネーシャの崇拝には 様々な方法がありますが 一番簡単な方法は 彼を心におき 彼の写真の前で ヴァイブレーションを受け取ることです 自分のバランスをとる 最良の方法です 多くの心配事や 葛藤があります 全てシュリ ガネーシャによって なくなります 彼は純真ですが 非常に賢いです 彼の助けが来ると 驚くほどに ワークアウトさせ 全ての障害 心配事を取り除きます なので私たちにとって 重要な神格です シンプルな神格ですが ムラダーラは大変複雑です 最も複雑なチャクラだと 思います 多くの起伏や区画があり 絶えずヴァイブレートされ 振動しているからです それを 落ち着かせるには シュリ ガネーシャに完全に 献身的でないといけません シュリ ガネーシャは キリストとして化身しました キリストも 大変純真でした 純真でなければ 十字に架けられませんでした 人の狡猾さを見れる 狡猾さはありませんでした 裏切った弟子が誰か知りながら 口にしませんでした 彼の人生を見ると 純真の美しさに満ちています 彼は素朴な心の 持ち主で 素晴らしい人格で 間違ったことを見れば それに対して戦いました シュリ ガネーシャも 同じです シュリ ガネーシャの恩恵は 特に何か障害やサンカタ を抱える者にとって重要です 彼はサンカタ ヴィモチャナ と呼ばれ 生きる上で 障害を取り除く方です あなた方の多くは 様々な問題や障害 大変困難な時期から 救われた経験をしています うまく対処させるのが 彼の特徴です ガナパティだからです ガナパティとは ガナの最高神のことです お話ししたように ガナ達は私たちの中に存在します 小さな小さな体として 存在し 何か問題があれば 脳に報告します 胸骨には女神ドゥルガの 玉座とも言える住まいがあります 私たちに問題や困難が 生じれば 胸骨が 振動し始め ガナ達が 情報を得ます 医学用語で 抗体と呼ばれています これらのガナ達が 攻撃します 問題に的を定め 攻撃します 疾病に苦しむ者だけでなく 精神的に動揺したり 苦しんでいる者も助けます ガナ達は問題に的を 定めるのが上手で いかにワークアウトするかに 驚くほどです 例えば ある子どもに 何かあったとします 両親はお母さんに すがり泣いています お母さんが ドゥルガだとします すると彼らが そこにかけつけ その子を奇跡的に 治します あなたの人生に起こる多くの 奇跡は説明できません それらはガナパティの ガナ達によって起こっています ガナ達は 大変小さく活発で 注意深く 決して寝ません いつでも問題があれば そこに行って攻撃し 問題を解決します いかに作用し 効くか 信じられないほどです 沢山の例を 挙げることができます 男の子が 溺れたことがあります アメリカのあるアシュラムの プールで起きました 子どもははしゃぎますが 危険なのであまり好みません 一人の子が落ちて 中に15分から20分いました 皆 落ちたことを 知らず その子の行方を 探していました どこにも見当たらず ようやく 水中にいるのを見つけました 怖くなってマザーに 皆でお願いしていました 驚くことに私は 一度も電話をしたがありませんが この番号にかけるように 言いました 私は誰の番号も 知りません 電話をかけると リーダーの一人が出て 男の子のことは分かっています 助かりますと告げました 誰からも 聞いていませんでした ”全く大丈夫です” と伝えました 水から引き上げられると 医者だけではなく ヴァイブ レーションでも働きかけました 今日 その子は大丈夫です 医者は“助かったとしても 一生昏睡状態だろう”と言ってました 今回アメリカで その子に会いました このようなことが 多く起こりますが これはあなたの恩恵ですと 人は言います ある意味そうかもしれませんが シュリ ガネーシャのお陰です 彼のもう一つの本質はお母さんに 従順であるということです 彼はシヴァやヴィシュヌ 他の誰も知りません 彼にとって お母さんがすべてです ですから父 シヴァとも 誰とでも戦えます 完全にお母さんに 従順で 母の望みを 大変素早く理解し ワークアウトさせます 彼のやり方は純真で シンプルで子どものようですが 彼のすることは すごいです ガナ達も 大変純真ですが 特定の問題を 攻撃するように言われれば 大変すばやく 迅速です もう一つの要素は 純潔を人生の中で最も大切に する者に敬意を払うことです 彼は 純潔を好みます 女性だけでなく 男性に対してもです リアリゼーションの後は 完全に純潔でないといけません 目をあちらこちらに さまよわせてはいけません 若い女性や男性に 色目を使って 純潔を 汚してはいけません 目は清らかでないと いけません 思考もです そのために内省し どんな間違えを犯しているか いかに不純な振る舞いを しているか見ます 正さないといけません そしてシュリ ガネーシャに 許しを請います 許しを請えば 彼は何でも許します 大変純真で美しいので あなたを許します とても大切なことです 私たちの徳は 純潔感から成り立っています 様々な宗教が 純潔について語っていますが 宗教は 無意味になっています 全く基礎がなく 彼らのために記されたことも 実行されていません 彼らはあらゆる 好きなことをし ヒンズー教徒 イスラム教徒 キリスト教徒と自称します 現に宗教は 堕落しています それゆえ シュリ ガネーシャは 彼らを咎めます シュリ ガネーシャの もう一つの特質は 彼が母なる大地によって 創られたということです 彼がある国の者達を 好まなければ 例えば 黒魔術や原理主義 ひどく不道徳な 者がいたら 彼らに 問題を起こします 彼が母なる大地に 地震を起こさせるように言います 地震は純潔を 尊重しない者や 原理主義や 黒魔術を崇拝する者が いるところで起こります 彼の母を通して 攻撃されます 母なる大地も 理解しています 最近トルコや台湾で 大きな地震がありましたが サハジャ ヨギは 一人も死にませんでした 彼らを守ります 彼は分別があり この様な者のみを 滅ぼします 以前もそのようにして 多くを滅ぼしました 彼は母なる大地の力を 持っています つまり 彼には惹きつける力 があり 人を惹きつけます 私たちが子供に惹かれるように 彼に惹きつけられます これが彼の 惹きつける力です 驚くことに この力は 鳥にもあります 他の動物にもありますが 特に鳥です 向かう方向が 分かります シベリアから オーストラリアまで飛べます そして戻って来れます 魚にもあります 例えば 魚は 上流から 下流に行き また戻って来ることができます 同じ場所に戻るには 方向を知らないとできません 彼らには 方向感覚があります また彼ら自身の特質を 備えています 例えば 蛇は蛇です 犬は犬です ライオンは ライオンですが 人間は全ての動物を 内に持っているのでしょう しかし自分が何にでもなれると 認めるには狡猾すぎます 一度そうなると 人間であるのになぜそんなに 低俗になれるのか驚きます 生き方においてガネーシャに 敬意を払わなかったからです どんなレベルへも 落ちることができます 例を挙げると インドの ラトゥルで大地震がありました ラトゥルでは シュリ ガネーシャの 14日目の祝いの日でした シュリ ガネーシャを 海や川の中にお供えします ラトゥルである者達が シュリ ガネーシャの素敵な像の前で 踊り 奇妙な映画の ひどく低俗な歌を流し始めました あまりにひどく 耐えられないほどです それがシュリ ガネーシャを 怒らせました 彼らは像の前で そのように踊っていました 像を水の中に入れ 家に帰りました 彼らは酔っ払って踊りだし ジェイ ガネーシャと歌っていました その時 大地が揺れ 地震が彼らを 飲み込みました 皆 大地に 消えました 同じようなことをしていた者も 大地に飲み込まれました そこに私たちの アシュラムがありました その周辺も 素晴らしい土地がありましたが そこには 触れませんでした 広範囲に渡り その周辺を囲むように 大きな亀裂が 走りました アシュラムの周りの母なる大地に 亀裂が起こりましたが 誰も 傷つきませんでした 皆 家にいて 大丈夫でした アシュラムには 一切触れず サハジャ ヨギも 誰一人として 死にませんでした いかにシュリ ガネーシャとガナ達 に守られているか驚くべきです なので ガナ達に 敬意を払わないといけません 彼らが内在し 作用していると 分かることが大切です あなたが どんな者か見ています あなたの間違った態度で シュリ ガネーシャを失望させても あなたをまともに 戻そうとします あなたに何度も 機会を与えますが それでも狡猾な 自己中心的な考えを持つなら 彼によって 大きく打ちのめされます あなたにとって 大きな災難です なのでシュリ ガネーシャを 崇拝しないといけません しかし 職人が作るシュリ ガネーシャ を崇拝しないように言います 職人がどんな者か 分からないからです 金儲けのため かもしれません 純潔でない者が 作ったかもしれません そのような者が作った物を 崇拝しても 助けになりません このような理由で モハメッドは 偶像を崇拝しては いけないと述べています 作る権利のない者 によって作られるからです スワヤンブーではなく 母なる大地 から作られているのではなく 金儲けのために 模倣されたものです そのように店で買う 偶像は 如何なるものでも崇拝する 必要はありません ヴァイブレーションの悪い者 詐欺師や狡猾な者が作る物を 崇拝することはありません そのような者から買えば 害が及び 助けになりません 装飾品として置いても 崇拝するものではありません シュリ ガネーシャの 本当の写真はありません 母なる大地から出てきた シュリ ガネーシャが8つあります そこにいるプジャーリ 祭司は ひどい者達でした ある者を訪ねると 私は喘息で 身体も麻痺している 私も祖先も シュリ ガネーシャを崇拝していて なぜこのような 目に合うのか ”まず自分を内省しなさい” と言いました ”どんな人生を歩んでいるか” “シュリ ガネーシャの プジャーリに値する者か” 彼は気がつきました “治してあげます 後は純粋な者に なれるよう努力しなさい” ”狡猾で悪賢い者になるのでなく 純粋な人生を歩むようにしなさい” シュリ ガネーシャの引き起こす 問題は数えきれません どんなにあなたを阻み 困らせ 死へ近づけるか分かりません 彼は大変力強いです 彼の全エネルギーは 神聖な仕事を するために注がれるからです それ以外は望みません 彼の全エネルギーは そのためだけにあります シンプルなものしか 望みません ココナッツから 作られるモダカを食します 身体は大変精妙で 力強いです 彼は山を次から次へと 動かせます 彼の気取らなさ 優しさ 純真さで 真に人を 変えることができます 大変困難な 乱暴な者も 変えることができます 彼のシンボルは スワスティカです 時計回りの方向です 逆であるなら ヒットラーはそれを使って 初期の頃 大変成功を治めていました しかし彼らは 型版を持ち 逆方向に使い始めました 左側から 出ていました 彼らは 滅ぼされました シュリ ガネーシャのスワスティカは 大変威力があります スワスティカを左から右に見ると 炭素原子の形をしています 炭素原子には スワスティカがあり チャクラ全体が 炭素原子でできています チャクラを左から右に見ると オムカラが見えます 右から左に見ると スワスティカが見えます 下から上を見ると 十字のように見えます つまり ガネーシャがキリスト として化身したことを証明します 彼こそ世界中で 崇拝される者で デヴィ マハトミャムに 卵から生まれ 半分はキリストに 半分はガネーシャに なったことが記されています しかし人はあまりに混乱して いるので理解できません 全て記載されていると 認識したくないのです ですからキリストを崇拝する者は シュリ ガネーシャも崇拝します あなたがキリストに言うことは シュリ ガネーシャに言うのと同じです 彼らは全く異なる 二人ではなく一人です 私がキリストに対して言ったこと全て 真実か見ることができます 証明できます 例えばキリストは この二本の指を見せていますが 一本はヴィシュディ つまりシュリ クリシュナで もう一本は シュリ ヴィシュヌです つまり父であるシュリ ヴィシュヌと シュリ クリシュナを意味します はっきりと この二本を使っています なぜこの二本の指 なのでしょう 父であるシュリ ヴィシュヌとシュリ クリシュナの方に向けていました 私の言っていることは 簡単に分かるはずです シュリ ガネーシャのヴァイブレーション を見て 彼のことを想えば アギヤが開き 思考を超えた 状態になることに驚くでしょう 彼はイエスで アギヤに内在するからです ですから開いていきます アギヤを詰まらせる 愚かな考えはなくなります シュリ ガネーシャの名を 唱えるだけでアギヤが開くからです アギヤからくる狡猾さは 完全に消えます もはや狡猾ではありません あなたの額にこの純真さを 見れば驚くでしょう これらの考えは 全て消えます 狡猾になったり 他者を 傷つけるようなことは考えもしません アギヤが完全に開く時 あなたは完全に変わります ムラダーラ チャクラが整うことは 私たちにとって大きな恩恵です 地面に座ると より助けになります シュリ ガネーシャのお母さんは プリトゥヴィで 母なる大地だからです ですからこの母なる大地は 大切にしなければなりません しかし 人は大切にしていませんし 母なる大地の真価を理解していません インドには 起床時に母なる大地に ナマスカーする文化があります これは母なる大地に足が 触れるため 礼拝します 母なる大地にそのような 敬意を持てば 現代に見られる開拓や 公害の問題は起きません 全て無知から起きています 大地はムラダーラとして内在する シュリ ガネーシャのお母さんです これを理解するな 何をすべきか分かるはずです 大地自体を 大切にすべきです 人は彼女を称賛し 美しくし 様々なことができますが 今しているような 開拓は誤った考えです 公害でもって 自分たちを傷つけています 金銭のために 母が育てた自然を 切り倒すのは間違っています 考え直すべきです 一本伐採すれば そこにもう一本植えないといけません 青々とした草木や全てが 母なる大地の美しさです 庭の手入れや自然に対して 全く興味のない者が多くいます しかしどうしてか 庭や自然に 興味を持たず生きています 自然は大変美しいです 自然をみれば 臭い汚れもありません どの葉も陽光が浴びれるよう 体系化されています 対立もなく体系化 されていて 美しく 動物によって 滅ぼされることもありません 動物でさえ壊しません せいぜい草を食べる程度で 私たち人間が 母なる大地を壊しているように 動物は通常自然を壊したり 木を損なわせたりはしません 何であれ 大地に敬意を払うべきだと 理解しなければなりません 母なる大地は 最年長のヨギである シュリ ガネーシャのお母さんです 彼はあえてヨガの状態にならなくとも 常にヨガの状態です 最も偉大なヨギであり 常に正しいことをしています 彼は決して 間違ったことをしません 最も偉大な神格として 位置づけられます 最も偉大な神格です 真に崇拝しなければなりません 彼を通して他の神格が崇拝され 歓ばれ 恩恵を授かります 今日人は 羞恥心を忘れ ある種の名声のため 私たちの 純潔を困らせようとしています 少しでも自尊心があれば 純潔でいられます 自分を蔑み 罪深くいることが 大変利口で 現代的だと思っています 現代における罪深い行為は 完全に間違っていて 完全にいとわなければ なりません シュリ ガネーシャが怒るので その ようなことに近づいてはいけません 最も重要な基礎が 純潔だと理解するのに まともでいることが大切です インドでは三万二千人の女性が 純潔を守るために焼身しました 私は同じ家族からきます 彼女達はどれほどの勇気を持ち 純潔を信じていたことか 純潔を失うなら 人生に意味をもたないほどでした ですから純潔が 最も大事であると示すために 大いなる犠牲を払いました 男性のためでもあります 特に男性です シュリ ガネーシャはとても大切です シュリ ガネーシャに敬意を払わな ければ様々な病気にかかるからです シュリ ガネーシャを尊重すれば 私たちの健康は大変よくなるでしょう 絶えず私たちの身体を 治しているからです 絶えず世話し 守っています シュリ ガネーシャは ムラダーラに内在し クンダリーニを世話し 私たちのクンダリーニを守っています 何かあれば クンダリーニは上昇します 彼女を支え 上昇させるのは シュリ ガネーシャです 彼がワークアウトします あなたのリアリゼーションの礎である クンダリーニを守っています シュリ ガネーシャの 重要性を知るべきです 自身を知り 内省し シュリ ガネーシャに献身的か見るべきです それについて 何をしていますか 汚いものに対して 本当の嫌悪感を持つでしょう そのような者も好みません そのようにして ワークアウトさせます 子どもたちは よく知っています 子どもたちは 愛らしく 優しく 愛に満ちていて 美しいです 同様にシュリ ガネーシャが いると知るべきです 彼こそ真に純真で 非常にあなたを守っています 純真で守っています 私たちも自分の純真を 大切にすべきです 時折 騙され 支配され 傷つくこともありますが 構いません そのような者は 皆苦しめられます 全世界でそれについて 激論が交わされています 純粋で素朴な者に対して 支配してはいけないと訴えています すでに起こっていますが 全て変わらなければいけません 終止符が打たれなければ いけません どこへ行くにも抑圧するなら 人は存在できません アメリカにはレッド インディアンが 多くいることに驚きました 彼らは皆抑圧され 他方に逃げなければなりませんでした カナジョアリに行きましたが ヴァイブレーションが 大変良いと分かりました つまり 純真で素朴な者を かつてアメリカ人は そこへ行き滅ぼそうとしました そして カナジョアリに 隠れ住むようになりました カナジョアリは素晴らしいヴァイブ レーションで 今でさえ感じます 彼らこそ 完全に その場所を楽しんでおり レッド インディアン “アメリカン インディアン”と呼ばれていました 大変素朴で純粋で スピリチュアルな者たちです 常に“お母さん”を 崇拝していたからです 他国にも見ることができます オーストラリアは種族に 大変寛大で嬉しく思います マウリ族や他の種族もいて 大変奨励しています 彼らの富んだ才能には 驚きました オーストラリアでは彼らに同じ権利 政治的権限があると示すために この州に連れてきています 大変良い試みです ガネーシャはオーストラリアで ウルル山として出土しています 大きい山で シュリ ガネーシャのように見えます 大きな鼻が見られます ヴァイブレーションが シュリ ガネーシャだと証明しています シュリ ガネーシャはそこだけでなく 多く母なる大地から出土しています ヴァイブレーションの 源を感じます オーストラリアで サハジャが簡単に広まったのは 彼のおかげだと思います 政府も私たちを 困らせたことはありません ウルルとして現れたガネーシャが サハジャ ヨガを守り ワークアウトさせているの だろうと思います 同じようにあなたがどこにいようと ガネーシャは崇拝されるべきで 全てにおいて 奇跡的に助けられます でもまずシュリ ガネーシャである 純潔を大切にしなければいけません 神の祝福がありますように […]

Shri Krishna Puja Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Shri Krishna Puja. Cabella Ligure (Italy), 16 August 1998.
今日 私たちは シュリ クリシュナ プージャ をします シュリ クリシュナの 力において 大切なことは あなたに 目撃する状態を 与えてくれることです なぜなら 今日が カリ ユガの時代にあり 価値観における 完全な混乱 あらゆる混乱が 大変複雑な状況を 生み出しているからです 目撃する状態は 瞑想を通してのみ 可能です 思考のない意識状態に 到達します それらは 合わさったものです 目撃する状態とは あなたがただ 反応しないという状態です 反応すれば 問題は起こります 容易に分かりますが 私たちはエゴや コンディショニングで反応しています そうでなければ 何の反応もありません 例えば ここに 美しい絨毯があるとします 私にエゴがあれば それを見るなり どこからそれを 手に入れたのか それにいくら払ったのか 考え始めます これは最初の反応です それ以上反応すると 怒りが沸くかもしれません なぜすばらしい絨毯を置くのか ここに置く必要はあるのか このように 次から次へと出てきます コンディショニングで 私が見るとすると この色はクリシュナ プージャに適していない このプージャのために 他の色にすべきだったと言うでしょう 次から次へと このようなことが起こります つまり コンディショニングが 私たちの中にあります 私たちの コンディショニングの問題は 全て本当に ひどいものです 例えば “人種差別”です アメリカで 人種差別があります 強く感じられます 彼らは口にはしませんが イタリアから行けば 感じます インドから行っても また感じられます なぜこのような 人種差別があるのでしょう 理由は何でしょう 異なる共同体や 表面的な違いだけの 肌の色に対して なぜこのような ひどい憎しみで 反応するのでしょうか 合理的に説明すると “ああ 神よ” “彼らは全く 役立たずである”とか “私たちの国にやってきて 私たちを” “困らせている”と 言えますが 全てコンディショニングです 彼らが 移民のことを話すなら アメリカ人は皆 移民である と解らなければいけません アメリカは決して 彼らの国ではなかったのです 彼らが北米先住民を 皆追い出し 土地を奪い 平然と アメリカの領主となったのです その反応は 白人でない者は誰でも 誰でも非難され 苦しむべきだ というものでした もとから暴力的なら 暴力をする コンディショニングが出てきます そして互いに 殺し始めます 彼らは冷酷にも 多くの人を殺しました どの国においても 彼らには権利があり 皆殺しにし 自分の土地ではないものでも 奪って良いと 考えているのです 土地は 誰のものでもありません その国に属さない者が そこにいる人たちを 追い出す権利は どの国においてもありません 昨日は インドの独立記念日でした そして 私は 自分たちの国旗が 上がって 英国の国旗が 降りていくのを見ました それは苦闘の末 人々のあまりの 苦しみを経て 起こったことです なぜなら 彼らは インドにうまく上陸し 支配者になったからです ですからこれも 一種のコンディショニングです それは 集合性をおびています 誰の国でも入り込み そこの者達を追い出し その場所を支配し 主人になるのです それはまるで 誰かの家に行き そこに住む者達を 追い出し 自分が家主として うまく居座るのと同じです 彼らは恐らく より知的であるか悪賢いのです その悪賢さで 白人が黒人を 支配できると思うなら 目撃する状態は 発達することができません ですから このような コンディショニングは 疫病のようなもので ある国から別の国へ渡り 自分たちの方が 勝っていて 彼らの方が劣っている と感じさせます またその人たちも 同等であるのに このような地位や状況を 受け入れてしまいます 今回はアメリカ人が 主催者なので アメリカの例を挙げます クリシュナが 統治者だからです クリシュナは アメリカの統治者です 彼は色黒で 肌の色は黒い方でした 彼が支配するその国で もう一つ 気づくべきことがあります 彼らは気づいていません もし全ての黒人や 全てのアジア系の者が 国から出て行ったら 彼らはどうなるでしょう スポーツの大半は 黒人が活躍していて アメリカのスポーツを見るなら 99%は黒人です 音楽を見ても黒人です 色が黒いけれども・・・ 悪いことではなく 白人がいるように 黒人もいるのです 彼らには白人にはない 素晴らしい声があります どんな白人でも競うことが できない程 素晴らしく歌います 肌の色に 完全な公平さがあります すべての アジア系の人を 除くとしたら すべての 医師 看護師 建築家 すべての会計士は 消えてしまうでしょう 誰が残るというのでしょう 肌の色は あなたの 知性や価値観 あなたのスピリットと 何も関係がないことを 理解しないといけません スピリチュアリティを 得る為にここにいます スピリットは 肌の色を理解することは できません 上辺だけのものだからです 肌の色のために 人を非難することは 大変残酷です 今 同じ反応が 起こっています どの行動にも 反応があります 何が起こっているか というと 黒人が 反応しているのです 反応していて その反応は大変危険です 毎日のように ひどく反応が 起こっています アメリカだけでなく 世界中でです 支配に対し 立ちあがって 反応しないといけない と考えています 異なる色の人種 少数のアジア系の人 ほとんどは黒人ですが 自国でグループを結成し 互いの喉を 切り合っています 残酷な殺しを テレビで見たことがありますが 肌の色の違いは 私にはよく解りません グループを結成し グループで殺しにいったり 殺しにきたりします カウラヴァスと バンダバスではありません 二種類の人ではないのです 全く逆です ネガティブなものと ポジティブなものではありません 白人であろうと黒人であろうと それらは皆ネガティブで 互いに口論し合い 戦い始めます この暴力は 大変大きくなっています 暴力が自分たちを表現する 唯一の武器であるかのようです どこかで 何かが起これば 爆弾を爆発させ 多くの罪のない人々を 殺しています それは 大変 罪深いことです 小さな暴力でさえ 罪深く シュリ クリシュナの目から見ると このような暴力は 完全に 罰せられるべきものです これはエゴから来ます 人は何らかの 党派に属していて 別の党派を殺すことが できると考えます そのようなおかしな 考えが入ってきます 他の者を殺す権利がある と決めつけます ある者はこれが憎しみから 来るというかもしれませんが 憎しみは エゴから来るものです エゴが作用し始めると 憎しみのようなものを 全て集めてしまいます 支配欲 怒り 暴力 これらすべては 彼らを盲目にする エゴから来ます 暴力を振るったり 人を憎んだり 他の者を殺す 必要もないのに エゴがそこにあるので 盲目的になります “マザー どうやって エゴは起こるのですか” もちろん ほとんどは 反応することで起こります あるいは コンディショニングによってです 子供の時分 これらの人を憎むべきだと 彼らは間違った者達で 悪い者達だと教われば 憎むようになります 大人になると その憎しみを表し始めます サボテンのように 大きくなり 他の者を殺します 人間の このような振る舞いは 正当化することは できません 人は人間的な資質を 持たなければいけません そして それは ただ目撃すること 反応しないことを学べば 可能になります 例えば あなたは 二羽の雄鶏が戦っているのを 見るのを楽しみます 二羽の雄鶏の戦いで 一羽が死ねばとても喜びます あたかも死んだ鶏が あなたの両親を殺したかのようです とても驚きます スペインでは闘牛が まだ続いています 毎年六頭戦い 闘牛場にはここにいるより 十倍の人が来ます 常に満席です 女性でさえ 闘牛を楽しみ 闘牛が殺されなければ 道に放し人を殺させるのです このような 暴力的な快楽が 人々の心に 入り込んでいるのです 博愛主義を唱え 平和を唱え 歓びについて語る者達が このような暴力的な行動を まだ楽しんでいるのを見るのは 大変悲しいことです 彼らは実際やっているか それらを見たがっているかのどちらかです 残酷な暴力性を帯びた 映画を見に映画館に行き 人々はそれを楽しみます そのような映画が 次々と作られています 目撃する状態に入れば 目撃する状態に あなたがいれば そのようなことが 起こったとしても 静まるでしょう あなたが目撃する状態の レベルでいるなら 目の前で事故は 起こらないでしょう 事故が起こったとしても あなたは人を救うことが できるでしょうし 大変積極的に人を 助けることができます これは小さなことですが 大きな規模でも 何か素晴らしいことが できるでしょう 思い出しますが 私がまだ若い頃 私たちは大臣の 近くに住んでいて ある時 ストがあり 彼らはマハラシュトラ州の独立を 主張していました そこには警察が立っていて 治安当局の大臣の命令で そこにいた皆や道行く人に 発砲し始めたのです 射撃のゲームを 楽しんでいるようでした 私はこれを目の当たりにして 耐えきれずそこに行き 警察に止めるよう 頼みました すると 驚くことに 止めたのです 傷ついた人々を家に運び 弾を取り出し救急車を呼び 人々を助けました ひとつ言えることは 私が目撃する状態にいた ということです あなたは 恐れのない者になります 一度 あなたが 目撃する状態にいることを学べば 全く恐れはありません あなたが 目撃していない時は 動揺したり 憤りを感じたり 興奮したりするからです 間違った人たちの 仲間になるかもしれません しかし あなたが 目撃する状態でいれば それ自体が力となります そして目撃することが 他の者の多くの困難を 乗り越える助けとなります 聖人についての 中国の話があります ある王様が彼のところに 雄鶏を持ってきて 勝てるように仕込むよう 頼みました 彼は承知し 一ヶ月 預かることにしました 闘鶏が 始まると 雄鶏が 様々な所から出てきて 戦いが始まりました この雄鶏はただ立ち上がり 目撃し始めたのです ただ目撃していました 他の雄鶏達は 恐れを抱きました 他の雄鶏達はこの雄鶏が微動だにせず ただ目撃していることが理解できなかったのです。彼はただ立っているだけです。何もせずにいるだけです 闘鶏場から皆消え 彼が勝者となりました これが非暴力をもたらす 最善の方法でしょう 暴力的なところに出向き 起きている全てに向き合ってじっと立って見ます すると その目撃する行為が そこで起こっている 暴力的なことを抑えるでしょう しかし 目撃する状態とは 精神的な状態ではありません それはスピリチュアルな 上昇の状態です 目撃者となります 目撃する状態を得る 最善の方法は 誰も批判しない ということです 常に他の者を 批判する人がいます 彼らは自分自身を 批判できません ですから あまりにも他の者を批判し始めると 自分自身のことでさえ何がおかしいのか 他の者に対してどのように 悪いことをしているのか見ることができません なぜなら 他の者を批判する 権利があると思っているからです それに 批判することを 大変楽しんでいます 実際 批判することは 何もありません ただ自分自身を見てみなさい それだけです あなたの権利です あなたには他の者や他のことを 批判する権利は全くありません しかしある者は 批判しなければ 事はそのまま続いて 決して終わらないだろうと思うのです そうではありません そのことを一度自分自身で見ます あなたのアテンションを見ます アテンション自体 すでに啓蒙されています その啓蒙されたアテンションで あなたは見ることができます 無意味なことを 止めることができます しかし私たちは 常に自分達が何か 偉いという意識を持っています そしてこれをしなければいけない あれをしなければいけないと考えます このような状況で 何が起こるかというと あなたがまた 問題となるということです 何ができますか 何もできません あなたができることは 目撃することです 見ること ただあるがままを見ることで あなたは大変違った状態に 発展できます まず初めに 目撃できる人は おもしろいことに 忘れることが少ないです 彼らが見るものすべてを 写真のように捉えるからです 色や組み合わせを 言うことができます 彼らが見るものすべて まるで写真のように頭に残ります そして その記憶は失われません 自分が見たものを 正確に言うことができます一方あなたがすべてにおいて反応するなら あなたの記憶は ひどいものになります おまけに人々は反応するという ことに対して癖になっています 私が知っている 一人の男性は 反応する癖がありました 車で一緒でしたが 彼は 広告を どの店の名前 人の名前をすべて 読んでいました これは何で あれは誰でと話していました たくさんしゃべっている この男性を見て 彼はどうなるのかと思いました 常に反応する者は忘れがちに 大変忘れがちになります しかし このような人は それだけではありません 彼らが集合体になると 大変危険になります なぜならそのような性質で 何かをするわけですから 彼らは何かをしないといけないと思うのです つまりある目的で一緒になっています 彼ら全員がつくりあげたある反応で 一緒になっているとも言えるでしょう 小さなことでも 大きなことでも このような行動にでる者達は 多くの者を集めることができ 他の者に どんな害も与えられるのです ヒットラーのことが 目に浮かびます 九年間もこの男は ユダヤ人のどこが間違っているのかと見ていました 彼はドイツ人が 何をしているのか 彼らの社会のどこが おかしいのかは見ません その当時 社会も大変ひどかったのです なぜなら様々な 淫らな行為があったからです 彼はユダヤ人が このようである 彼らはこれをしてお金を取り お金を貸すといった 様々なことを 書き留めていました そういったことを 頭に入れていき その結果 こういった人々はドイツから出ていくべきだ と考えるに至ったのです しかし その後 彼はユダヤ人がドイツから出ていっても なお彼らは繁栄するだろうと考え それなら殺してはどうか と考えました つまり 映画ですら 見られないような類のことを ヒットラーは行いましたし 彼は何のためらいもなく まるでそれが大いに 楽しみであるか 彼の責務であるかのように 行いました どうやったら何千もの ユダヤ人を殺害するような 責務を負えるのでしょう […]

Easter Puja, You Can Spread Sahaja Yoga Only Through Love and Compassion Istanbul (Turkey)

Easter Puja. Istanbul (Turkey), 19 april 1998.
今日 私たちは キリストの復活を 祝います 復活はキリストの生涯で 最も偉大なメッセージです 十字に架けられたことは 重要ではありません 人は十字に架けられると 死にますが キリストは 死から復活しました 死そのものがなくなり 克服しました 普通の人間にとっては 奇跡ですが キリストは 神聖なので 奇跡では ありませんでした 彼は シュリ ガネーシャです オムカラそのものです 水面を歩くこともでき 重力にも影響されません また彼の復活は 死にも影響されません 偉大で 神聖な特質を持つ 彼が 人類のために 特別に送られ者だと 人々は 理解できませんでした 人は彼のことを 理解できませんでした 人々は彼を 大変野蛮な方法で殺しました 今でさえ人は キリストが十字に架けられて 亡くなったことから 十字架を 偉大だと思っています 十字架を尊ぶことは 人間の 非常に残酷な 考え方です この意味は何でしょう 彼にした 残忍な仕打ちを 十字架に象徴される 彼の死 残虐や苦しみを 人は好んでいる ということです 十字に架けられるという 大変悲しい時がありましたが 復活は 最も喜ばしく 最も吉兆で 美しい時でした サハジャ ヨガにとって キリストの復活は 大変象徴的です キリストが 復活できるのであれば 人間もまた 復活できます なぜなら彼は 全ての力を備えて 人間として化身し 私たちのために 復活の道を創ったからです サハジャ ヨガにおいて この復活の道こそ 私たちがたどる道です 最も重要なことは アギヤ チャクラを 通過することです これについては スピリチュアルな書物や いわゆる聖典に “アギヤ チャクラの黄金の 扉は覆われていて” “誰も通過できなく 閉ざされた扉だ”と記されています しかし キリストは 通りました この通過は今日 あなたのアギヤを開くための 助けとなりました アギヤが開かれないと サハスララまで行けません キリストが苦難と 残虐を経て越えたことで あなた方は大変 容易に できるようになりました どれほど彼の恩恵に 授かっているか 言葉に表せません 彼こそが 人々の先頭に立って ”求めなさい” “そうすれば 見つかるでしょう” そして“扉を叩きなさい” と言いました これが あなたに起こったことで アギヤ チャクラまで 上がって その先まで行きました アギヤを通過することは 難しいことでは全くありません 将来の計画の 遂行のための思考や コンディショニングの 黒雲が アギヤを 漂っていたとしてもです 思考が支配し 自分では覆われたアギヤを 通過できませんでしたが 可能となりました アギヤ チャクラを通過した ことさえ感じないほどの 容易さです まず あなたのために アギヤ チャクラを開いた キリストに 感謝しなければなりません 彼にとって 苦難や残虐は 何でもありませんでした なぜなら 彼の人生の目的 彼の出現の目的 化身は アギヤ チャクラを 開くためでした 今日 人のアギヤが 開いていても アギヤ チャクラに 巻き込まれる者が いるのに驚くでしょう サハジャ ヨギでも アギヤ チャクラに巻き込まれます 何が起こっているかは 内省を通して 見ることができます 例えば 一度 サハジャ ヨギになると 自分が責任を 負わなければと思います 様々なことに責任を持ち サハジャ ヨギに対しても 責任があると思い込みます サハジャ ヨギとして ふさわしくない態度をとります その者たちが いかに責務を感じて 人を押し分け 偉そうに先頭に 立っているかに驚きます これは現代に 始まったことでなく 人類において 絶えずありました しかしサハジャ ヨガ 以前の問題のはずです 今でさえ人は 責務から 他者に対して 支配的になる意向があります あなたが思うほど サハジャはシンプルではありません 多くの誘惑があるからです ある者をリーダーにすると その者は 責任を感じ また 権力に酔います 他の者たちを 支配し始め 自分が何か偉大だと 見せ始め 他の者たち皆を 配下に入れようとします そして皆に 恐怖感を与えようとします まず間違ったことを 言い始めます “マザーがこう言いました そう言いました” “マザーの考えです” 私は直接関わっていません 彼はそのように話し続け 人々は恐れを抱きます 彼は“言いつけますよ マザーはそれを聞いて” あなたを罰することができます” と言って恐れを与えます 私はそのような者に 大変驚きます 誰かを罰することを サハジャから追い出すことを 決して 言ったことがありません 自分のことばかり考える この者は リーダーかもしれませんし そうでないかもしれませんが そのように 大変おかしな態度で 人と話すのは サハジャ ヨギでは ないように見えます さらに悪化すれば “より上昇するために 特別に選ばれた者で” “偉大である”と 自分を称します このようなことを耳にすると なぜ人は 絶えず 自分自身を騙し そのように振る舞えるのかに 驚きます サハジャ ヨガで まず大切なことは 謙虚さです 謙虚な者でなければ サハジャ ヨギにはなれません 命令したり 話し方が ヒットラーのような者は 人を支配したり 責務を負う者は サハジャ ヨガで 何も 得ていないと 言っているようなものです まずは 謙虚さを楽しむことです このような人を 見かけます 最前列に座り 私が見える場所に 必ず座って常に ほほ笑んでいる人です 自分を誇示しているに 過ぎません 自分のことしか 考えていないため そこに座りたがります 自分自身を 見失っています 見失っていて あまり 幸せではありません ですから このようなこと 支配するようなことをします そうでない者は 大変謙虚で シンプルで 正直で 真実の探求者なのですが ある者によって 威圧されてしまいます その者が彼らを 威圧したり 誇示したり 他の者を 奴隷のように扱います 極端に走る ひどい人達を見てきました 彼らは リーダーの許可がなければ 1cmも動かず そのような 不合理な人格の持ち主に 大変 従属してしまいます まずこれは母の愛です 母は決して支配しません 愛の何ものでもないので 支配できません 問題に気づくや否や すぐさま吸収します 彼女は故意に 怒っていると見せるために 芝居をしなければいけません しかし基本的に 誰にも怒ることはできません 愛が絶えず 絶えず流れていて その愛があなたも お母さんも包み込みます それによってあなた達は サハジャ ヨガを理解します 人類の必要とするものは 愛と慈悲だけです 大変純粋な類の 愛と慈悲です キリストをごらんなさい 彼を十字に架けた者たちに 憐れみを感じました 彼は全能なる父に 言いました “彼らを許してください 自分がしていることを解っていません” 彼は 人々の盲目からくる 間違った行動に 父なる 神が腹を立て 彼らを滅ぼすかもしれないと 感じていました 彼はそれについて 考えずに 慈悲の心で 自然に 次のように感じました “彼らは私に対してしています 彼らはどうなるのでしょう” 彼は 父なる神に祈りました “どうか許してください” “彼らは自分がしていることを 解っていません” “彼らは盲目です どうか罰しないでください” なんという 慈悲と愛でしょう 考えてみてください 人生の中で 誰かに危害を加えられたり 困らされるなら そのようにできますか 自分が何をしているか 解っていない者たちを 許してもらうよう 父に頼めますか それがサハジャで なければなりません 許しを求めれば ワークアウトします 神はその者たちの 面倒を見て 彼らを変え まともに導くでしょう キリストのメッセージは 愛 慈悲 純粋な慈悲に 満ちています 罪深い人生を歩んでいた メアリ マグダレナを挙げれば 彼は彼女を 守ろうとしました 聖人である彼は 彼女と 何の関係もありませんでしたが 投石刑にあっている 彼女を見て 彼は 彼女の前に 立ちはだかり 自分の手に石をとり “過ちや罪を 犯したことがない者は” “この石を取って 私に投げなさい”と言いました 誰も前に 出てきませんでした 自分自身と 向き合う必要があったからです 他者を支配する時 人はある種の 残酷な喜びを持ちます 私自身理解できない 喜びの一種です しかし人はそれを持ち 誇示します “この喜びに到達しました この偉大な力を得ました” 何世紀にも渡り 偉大な皇帝や 独裁者によって 起きています しかしサハジャ ヨギは 逆でないといけません 平穏と愛で世界を 統轄しなければなりません 全く誇示することはありません そのようにしてサハジャ ヨガは より早く広まります 世界は何を 必要としているでしょう 愛 愛情のみです 人生に無知で 我を見失う者 他者を困らせたり 苦しめたり コレクティブに 反する者は まともにならなければ なりません なぜ時折 大変異常な行動を取り 狂人のように振る舞うのかを 理解できないでしょう そのような者に 狂っていると 伝えるのは難しいです 権力を持つ者 狂ったような者と 一緒にいるのも 難しいです 多くのサハジャ ヨギは 彼らに権力があると 思っているようです 彼らは 自分の好きなようにでき 誰にでも 好きなように話せ 誰をも混乱させられる と思っています しかしサハジャ ヨガでは 混乱する必要はありません あなたの愛をはっきり 表さなければなりません それは特定の出来事のための 特定の仕草という意味ではありません 互いの間での一体感です 時折サハジャ ヨギが 互いによく理解し 愛し合い 他者の愛を 美しく 楽しんでいるのをみると 大変幸せに感じ 完全に歓びで満たされます 私が望むものであり 人が楽しむものです あなたは 他者に与える愛が 最も楽しめることに驚くでしょう あなたが もらわなくとも 他者に愛を与える時を 最も楽しみます あなた自身を 表現する方法は 他の者をいかに歓ばせ 幸せにするかを 理解する業です 以前ある聖人について 話しをしたことがあります その者はガガンガドゥに 住んでいました それは丘か 山のようなところです 彼はそこに住んでいて 歩けませんでした ヴァイブレーションのために 脚を失ったからです 寅を愛していたので 彼は 寅に乗って移動します この男性は ボンベイからの者に 常に言っていました “マザーが来ています 御み足に触れに行きなさい” なぜ私にそんなに 関心があるのか知りませんでした そこで“この者に会いに行きます” と言いました これらのグルは “私たちは 自分の場所を離れません” と言います つまり彼らはどこに住もうと 決して外へ出ません 私は正反対です 決して一か所には 留まりません そこで彼らは私に 来てくれるよう頼みました “いいですよ”と答えました ヨギは“いつもは出向かないのに 今回はなぜですか” ヴァイブレーションをみると 物凄いヴァイブレーションです ですから私は 訪ねに行きました 彼は雨をコントロール できる者でしたが その日は叶わず 雨に対して 腹を立てていました 彼は雨をコントロール できるはずでした 彼はコントロールできなかった ことに驚いていました そして私は ずぶぬれになりました 彼は怒っていました 岩の上に座り 怒りで震えていました 私は何も言わず 洞窟に入り 彼が準備した 場所に座りました 彼が入ってきました まだ怒っている彼に 私は驚きました 彼はなぜ雨を止めれなかったか 理解できませんでした そこで私に“なぜ雨を 止めさせてくれなかったのですか” “あなたがここまで私に 会いに来てくださったのに” “雨はわきまえるべきです” “それなのに雨を コントロールできませんでした” “なぜですか どんな教訓ですか”と尋ねました 私はただほほ笑み “あなたは修行者です サニアーシです” “そして私は あなたのお母さんです” “あなたからサリーを 受け取れません” “なぜなら あなたがサニアーシで” “サニアーシから物を 受け取れないことになっています” “お母さんでさえ 受け取れません” “しかし私に素敵な サリーを買ってくれました” “ずぶぬれになることで サリーを受け取れます” 伝える私の優しさは 彼を溶かし 彼は涙をこぼしました 彼は言いました “この世界に お母さんが必要です” “お母さんがいるべきです” 人は問題を 解決することができません 問題が何であれ 腹を立てるか 目を背けようと するからです 問題を 罪深くひどい者たちと共に 解決することを 望みません これが今日の 世界における問題です 全世界にスピリチュアルな 者がいないのもそのためです 彼らこそ苦しめられ 困らせられ 侮辱され あらゆることが降りかかった 者たちだからです ですから もがき 早くに死を望みます ギャネシワラは 偉大な人格を備える 偉大な作家 詩人です 大変美しいものを 書きます しかし23歳で サマディの道を行きました つまり洞窟にこもり そこで亡くなりました 無知な人々の中で疲れ うんざりしたに違いありません それ故 亡くなりました カルティケヤの化身である ギャネシワラのような者は 大変苦しめられ 耐えられず 死の世界へ 去るしかありませんでした 人は 彼を非常に苦しめ “サニアーシの息子だ”と 罵りました サニアーシの息子とは “役に立たない” “庶子である” という意味です ひどい扱いを受け 履く靴すらありません 灼熱のインドを 裸足で歩きました 偉大な学者であり 偉大な聖人であり 偉大な化身である 彼の兄弟姉妹もです 結果として 彼は消えることを望み 大変美しい方法で 行いました 彼らに“行かなければいけません” と伝えました 彼らから去り 洞窟に入って サマディを得ました キリストでさえ 十字に架けられた時 大変若く 33歳でした 私たち サハジャ ヨガの道をつくり アギヤを開くため 命を犠牲に 十字に架けられることは 神聖によって 全て計画されました 非常に恐ろしく 残酷な方法で刑に処されましたが 普通 死を目前とする者は 彼が振る舞うようには できません 彼の処刑に携わった者たちに 何が起きたでしょう 彼らの振る舞いからも 悪魔であったに違いありません キリストが言ったとしても 彼らを許すことは不可能です 十字架のキリストを見ていた そのような者を許すことは難しいです キリストのような者は “(サハスララを突き抜けるために) 私に仕事をさせてください” と考えますが これらの者たちと共に生きて 苦しむことを望みませんでした 彼は復活後 カシミールに去り そこで暮らしました 彼の 上昇や復活について 様々な話があります これらの話を読めば いかに奇跡的か 驚くでしょう 彼は再び 生まれ変わり カシミールで 再び生きました 彼は母とある年月 幸せにカシミールで暮らし そこで亡くなりました キリストの墓がそこにある と言われています そして 彼の母も そこにいました 彼の人生を 利用したのは誰でしょう 彼の死を 望んだのは誰でしょう あなたは よく知っています いかにキリストが 亡くなり パウロや ピータのような者が 突如現れ 巨大な事業にしていったか 知っています この二人の人物によって 恥をもたらされたことは 悲しいことです このパウロは 間違いなく組織者です 官僚と言っても良いでしょう 官僚だけでなく 高い地位も欲していました ですから彼は虚偽を公言し ダマスカスに行きました 途中で彼は 大きな十字架を見ました サハジャ ヨガによると 超意識の兆候です スピリットのものではありません 彼は戻って調査を始め 多くのことを 書きました 全てに及んで あなたが読むなら 彼がサハジャ ヨギでない ことは解るでしょう 彼はただの組織者で 官僚で 管理の方法を 書いており 様々な種類の者の 必要性を説き 人の管理について 綴っています ですから彼は経営陣で キリスト教の経営者でした このためキリスト教徒は 大変事務的になりました 全てに 時間は定められ このように来なければ 座らなければ 話さなければいけない キリスト教徒である国も 公式にそれらを 守っています なぜそのように 事務的なのか 理解していません アギヤを開いたキリストが 為したこととは反対に このようなことが 築きあげられました キリスト教徒の国は 世界で最も傲慢で 最も攻撃的な国です 彼らは 目に着く土地は支配する 権利があると思っています 彼ら自身の 法律や議会を 設置する権利がある と思っています 今日でさえこれは インドのプンジャブのような 場所でも起きています ほとんどの者は 質素に暮らしていて 大変勤勉に 働いていますが 支配的な者や 利用しようと する者たちによって 常に 攻撃にさらされています キリスト教徒として このように振る舞うのは ばかげています 人々を改宗させようとします 改宗させるのは ナンセンスです 南インドで 彼らがしたことは・・・ インド人は決して パンを作りません 南ではオーブンの 使い方も知りません そこで彼らは大きな ケーキのようなパンを作り 水または 井戸に入れました そして “牛の一部を そこにいれました” と言うのです 人々は信じました そして“あなた方はもはや ヒンズー教徒や” “他の宗教に 属していません” “今やキリスト教徒になりました” と告げました そのように 何千もの人を虐げ キリスト教徒に 改宗させました このような虐げられた者たちは キリスト教徒を望みました キリスト教徒もまた 宣教活動に従う 疑惑の持たない 者たちを 望んでいました 人々には教育がなく 彼らが 何者か理解する 知性や理解力も ありませんでした 虐げた者に対して 彼らが宣教を始めると 多くの者も 入信しました 彼らは自身の同志を見つけ 事業を始めました いかに人を 支配しようとする性質が 特定の宗教を 受け入れたか 理解すべきです 宗教とは謙虚さの 何ものでもありません キリスト教の責任者が いかに人々を 愚かな者へと変えたか 理解すべきです それは人間の性質で いかなるナンセンス あらゆる残虐 あらゆる抑圧をも 楽しみます 彼らは支配した領域を 決して断念しません 今ではキリスト教徒の国は それ以上です キリスト教徒の間で 自由が与えられているためです 彼らは自由です “好きなことをしなさい より良くなるでしょう” “あなた方は大丈夫です” 彼らこそ 支配する者です そして支配される者が 至るところにいます 彼らはいわゆる 先住民といった 普通の人のところへ 行っては改宗させます 主な活動は 改宗させることです 多くの者を改宗させる 必要は何でしょう 人数が民主主義において 重要だからです 数の獲得のために 改宗させました それは多大な 破滅をもたらしました キリストの 後の状況に 大変懸念を抱きます 今日 あなた方皆 サハジャ ヨギです 他の者より高みにいます あなたには 全ての力が備わっています あなたがキリスト教徒 のように振る舞えば どうなるか 分かりません サハジャ ヨガがあらゆる 国で受け入れられ 人はサハジャ ヨギである 者に敬意を払い 地位がある状況に 置かれています そこで突如 権力が あなたの頭によぎり 独裁者のように なろうとするかもしれません それは人間の性質です 神聖ではなく 人間の性質です 例えば 動物の世界では 互いに攻撃的です それは許されています そこには支配における体系や やり方 法則があります 誰にでも飛びかかる ようなものではありません サハジャ ヨギの中でも リーダーに指名すれば 大変になります その者は皆を 仕切り始め リーダーにしなければ 次から次へと私に 手紙を書きます “マザー 私は リーダーになりたいです” そう彼らは 主張し続けます 何のために他の者を支配する リーダーになりたいのですか この支配欲はサハジャ ヨガに 必要ありません 今日私は 死を超越した キリストの 美しさについて お話するためにいます 同時に 彼の死における概念 ネガティブな思考 全てが克服され なければいけません あなたは自身の 主でなければなりません それによって あなたは大変癒され 幸せに感じなければ なりません 人に与えることについても 同じです 人から何かを奪うよりも 大変簡単です サハジャ ヨガが これら全てを あなたに教えたことは 大変驚くべきことです サハジャ ヨギは 大変すばらしく 大変美しい者たちで 愛深く 親切であると 人に言われなければなりません あなた方皆が 個人的にも コレクティブにおいても 大変 偉大であると絶えず 耳にするのを望みます しかし この偉大さは 支配すること あるいは誇示することによる ものではなく 内側から来る偉大さです 人はあなたを見て 何かであると知ります そのようにして サハジャ ヨガは広がります あなたの中で 目覚めるべきはキリストです 導くのは あなたの中のキリストです 他者に対しての 振る舞いや 信用をどう得るか あなたの中に流れる 愛と平穏をどう与えるか 幸せで 喜びに満ちた者に どう変えるか教えるのは キリストです これが 復活のメッセージです サハスララを貫く メッセージです デヴィ マハトゥミャムでは この卵について 大変驚くべき形で 明記されています いかにこの卵がつくられ 二つに分けられたか 内一つから キリストが生まれました もう一つからは シュリ ガネーシャが生まれました 全て記されています しかし キリストは マハヴィシュヌとして記されています ですから マハヴィシュヌとなって これら全てを すばらしいこと全てをします 真のメッセージであり キリストの人生が 美しく書かれています これを思考のない状態で 意識することができます その光を 人生を通して 表さないといけません 私たちには それが可能で 自身の内でのみ 私たちは全く完全であると 世界に 示さなければなりません 私たちは他から 何も望みません 自分が得たものを 他の者にあげたいだけです 人々はそれをあなたに 全てのサハジャ ヨギに見ます 皆さんに 神の祝福がありますように キリストのことを考えると 起きている状態でいるのは 難しいようです キリストのことを考え 彼のことを話す時 現代において 起きている状態でいるのは 難しいようです 人は 彼のような偉大な者 偉大な人格を 全く 理解できなかったからです 彼は神聖でした 完全に神聖でした それにも関わらず 演じました 苦しみを経験しなければ いけませんでした いかに 自分自身を 十字にかけ いかに亡くなったか 思い出すだけでも 心が痛みます しかし大事なことは あなたのために したということです 全て彼のおかげです クンダリーニの覚醒を助け 大脳辺縁系を 突き抜けることができたのも 彼の働きでした キリストの犠牲がなければ これら全ては不可能でした あなたはその犠牲を 受けるに 値しなければなりません 起きたことは 大変象徴的です あなたは 人類の解放に できるだけ 犠牲を払う準備が常に できていなければなりません 今の時点で 真実の探求を忘れなさい 全てを忘れなさい あなたが聖人であると 常に覚えておくことが 必要です あなたは キリストの犠牲によって 祝福を授かっています 大変重要です 神の祝福が ありますように […]

Adi Shakti Puja, Respect the Mother Earth Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Adi Shakti Puja. Cabella Ligure (Italy), 25 May 1997.
今日はアディ シャクティの プージャを行います この力がサダシヴァのもので あることは分かりにくいので 難しいトピックです サダシヴァは全能の神で 彼女はその息吹であり その欲求であり 力の全てで 彼女の力なしにはサダシヴァも 何もできないと言われています このことは多くの著者によって 様々に述べられています でも 創造の起源については 最低7回講義が必要ですので 触れる必要はないでしょう 今回は アディ シャクティが地球に作用する 部分についてお話します まず興味深いことに 地球の内部に クンダリーニが作られ 地球から シュリ ガネーシャが作られます なので地球が 私達には大切です なのに私達は どうやって母なる地球を そして自分自身を 敬うかを知りません アディ シャクティはあなた方の中に クンダリーニとして現れています それがアディ シャクティの反映です また ご存知のように 地球上の様々な国や 地方 都市が 母なる地球のチャクラを 表現しています まずは 人類の誕生のため 聖なる母である 地球を創ることが必要でした なので まず クンダリーニは 地球に反映したのです クンダリーニとは アディ シャクティの一部で 彼女の純粋な望みといえます アディ シャクティは サダシヴァの望みの全てであり アディ クンダリーニは アディ シャクティの望みの全てです それがまずは 母なる地球 大地の中に現れます クンダリーニは地中に及び 地球内部を冷やした後 地表に現れて チャクラを構成します なのでヴィラータ 母なる地球 そして人間の間には 大きな類似があります すべてがアディ クンダリーニの 反映であれば 密接に繋がりがあるはずです 人間は母なる地球との固い 結びつきに気づいていません クンダリーニは地球の各地の センターを作りつつ通過していき 最後はカイラス山から 抜けていきます 皆さん行った事があるか 知りませんが カイラス山からは強大な ヴァイブレーションが流れ出ています 母なる地球を侮辱することは アディ シャクティを 侮辱することです 母なる地球を敬うには 多くの仕方があります インドでは 一日の始まりに 起き上がり 大地に足を置いたら “ああ 母なる地球よ” “どうか足で踏みつけることを お許し下さい”といいます 大地の動きは全て アディ シャクティの反映である クンダリーニによって コントロールされています 重力も地球の クンダリーニの現れです 私達が苦しむのは この美しい惑星を 敬わないからです 地球を敬うとは どのような意味でしょう? それは地上と海 エレメンツの全ての 創造を敬うということです 今日 汚染などの 多くの問題がいわれますが エレメンツの重要性と それに助けられていることを 人々が理解しないからです 母なる大地を敬うため 家を耐えてる時に ブミ プージャをします でないと地震が 起こったりするからです つまり母なる大地には 意識があって動くということです 人間には 理解できないような動きをします ナグプールという ところのお祭りで シュリ ガネーシャの像を 海に捧げようと 皆が歌い 踊っていました 後に皆 飲酒し始めたのですが それを 母なる大地は嫌います 酔うとふらついて 地面に倒れたりします 飲酒により 大きな地震が起こり 人々は母なる大地に 飲み込まれてしまいました サハジャ ヨガのセンターは 地割れに囲まれましたが 一人として 犠牲になりませんでした 母なる大地は サハジャ ヨギを救ったということです 聖なる存在を 彼女は理解します 誰が聖者で 聖者の足かわかるからです そういう事が何度もありました モーゼが海を渡ろうとすると 陸が盛り上がり道ができたように もしユダヤ人だったら 起こらなかったでしょう モーゼの聖なる性質のために 大地が助けたのです 同じように ラーマがランカに渡る際 大地が隆起し 橋渡しされた事がありました なので 災難にあっても 大地に悪態をつくべきではありません 聖なる人であれば 常に大地に守られるでしょう 常に必要な物は 与えられるでしょう 些細な事にも それはあって 例えばカベラでは バラがとても大きく育ちます 他に見られないほど 大きいものです プラティスタンでは ひまわりがとても大きく 持ちあげられないほど育ちます これらがある特定の場所で起こる というのはどうしてでしょう 母なる地球が 知っているということで 誰が彼女の背中を 地表を歩いているか ヴァイブレーションがわかるのです 特定の場所で とても聖なる場所が存在します どうやってそれらの聖なる場所が 分かったのでしょう 磁力によってです 驚くことに 私がいたオクステッドでは 磁力が交差していました 以前から交差していて そこに引っ越したのです 母なる地球は 聖人に便宜をはかるのです 大地があなたを導くことは とても面白いことです 母なる地球が理解を示し 愛を持って聖者を守ろうとする そういったことが多くあります 私達はその価値を分かっていません 同じように 雨が適切に降ったり 大気が 月や太陽 全てが 聖者のために 美しく働くことを知りなさい 聖者が座っていることを 知っています 純粋な人がわかり 命の精髄であり 守られるべきであると 知っています 一方 役に立たない人を 守ることはありません 例えばハッジに行き 多くの者が亡くなったことがありました アマナスに行き亡くなりました 聖者でなく ただの儀式的な人で 母なる大地には 無益だったからです でも そこから誰も 学ぼうとしません アマナスで 沢山の人が亡くなった後 パキスタン人は “アマナスは悪い場所だから 行かないほうがいいんだ”と言い “そこは聖地ではないということだ” と言いました しかし ハッジによって 多数が亡くなったことを 説明する術を 知らなかったのです これらの人々は ハッジにいつも行っていたからです かつては32000人もの 死傷者がでました そういうことなのです そこは確かに聖地ですが そうであっても その地を訪れることが スピリチュアルな上昇を 意味しないということです 聖地を訪れることは 何も成したことにはなりません 一方 聖地に疑義を 呈することはできません 私はチンドワラで生まれましたが メッカと同様 北回帰線上に位置しています どうしてでしょう メッカとは何でしょう マケシュワラシヴァの意で シヴァのことです なぜムハンマドが石を 崇拝するように言うのでしょう 偶像崇拝に反対で 石を信じてはいなかたのに なぜあの黒い石を 崇拝するように言ったのでしょう 皆がそこを 訪れる必要があります 何故でしょう それがスワヤンブーで ヴァイブレーションがあるからです だからです それでムスリム達が狂ったように 訪れていますが それで成長した人を 見たことがありません それは単なる儀式で そこに行きさえすれば 死後にメッカを訪れたと 証明書を神に見せようというのです 教皇がかつて 真のクリスチャンであることの 証明書を与えたように このように 全ての儀式が始まりましたが 現実は内面にあります 現実は本物の人たちの為で 偽物の為ではありません ですが この儀式主義が 高まりすぎました インドには沢山のクンダリーニ 由来のスワヤンブーがありますが これもまた 崇拝されています ほとんど行きましたが 驚くことにそこのプジャリ達は皆 何らかの重病を患っていました 例えば麻痺がある者です “私達はスワヤンブーや 神に奉仕しているのに” “なぜ病気になるのでしょう” と相談されました “金儲けしているからです 神の名において金儲けはいけません” “神に奉仕したくないなら 去りなさい” “でなければ儲けることをやめなさい” と言いました 金儲けをしている人が 麻痺を患うのはよく見かけることです これはとても深い理解で エレメンツや大地の全てが 持っている理解力です 彼らのクンダリーニが あなたのようでなく エゴやスーパーエゴなど 無意味なもので 敏感さがなく 現実を示さないからです あなたのスピリチュアリティは 注意深く鋭敏で 感じたことをたちまち 説明できるべきなのに そうでないのが問題です なぜ敏感でないのでしょう 反対に 他人を気にして “あなたのここがキャッチしている” と言い出したりします 本当はそう言っている本人が キャッチしています アディ シャクティの 反映であるなら 曇り一つなく 純粋であるべきで 白いサリーに黒いインクがつけば 目立ってしまいます あなたは純白で 自他共になんの汚点も みられないようでないといけません 純粋な知性とハートで その高みに 達する事ができれば 何かを操作する必要は 全くなくなります 母なる地球のように 全てが自然です 彼女はなにかを 操作するでしょうか どれほど彼女が 自発的かみなさい 大地に種を植えると いかに芽吹くか その自発性を 私達は疑問に思いません 多様な花を見ても 色々な香りも 林も木々も いかにバランスよく 各地で育つか 分子や原子の一つ一つまで 大地においては意味があります この身近な母なる大地こそが アディ シャクティの反映の 最たるものなのです なので まず 大地を崇拝すべきです あなた達がこうやって 大地に座るのは好ましいことです 瞑想時に大地に座るのは とても良いですし あいにく私も同じですが 吸収力があるので あなたの問題事を 簡単に取り除いてくれます 例えば大地に 座れないのであれば 石や大理石などの 自然なものに座るとよいでしょう でも プラスティックに座り 瞑想しても どれほど効果があるか 分かりません 問題をよく 吸収してくれるので 自然なものを 使うように言うのです 他には身体や知的なラインで 理解する人為があります 知的にはどうなるかというと 議論と説明が 延々と続いて終わりません それで実際頭痛持ちに なったりするのです あなたが自発的であれば 相手が何を伝えようとしているか たちまち理解できます 大して考えなくとも 相手の考えを吸収できたりします 吸収とは悪いものをもらうのではなく 選り分けるということです 相手の言うこと聞いて 選り分けるのです 問題は私が あなた方全員を 自分の体に取り込むと 決めたことです 危険なことだと 解っていますが 今日における私の使命なので そうしました なのであなたの問題が全て 私に行きました 海に入ると あなたは浄化されますが それを吸収する 海の方はどうなのでしょう 海はあなたの厄介な問題事を 抱え続けることになります なのであなた方が 自分で浄化するのが一番なのです 内省を通した浄化が大切です それは考えることではありません 内省とは瞑想であり 皆が瞑想をすることです リーダーたちのミーティングで 皆が客間に座った時ですが 皆が集まった途端に 私は腹部に深刻な痛みを感じ ひどい下痢をしました 誰が問題を抱えているか 知りません 誰が持ち込んだのかも 知りません でも母として 私はあなた方が元気で純化されれば 何も気になりません 大地が養うように 私はあなたの世話をします 大地が愛するように私も あなたが善かれ悪しかれ愛しますが それは問題ではありません 良いサハジャ ヨギで あろうとするなら 見栄や義務でなく 思考や議論 他人の批判でなく あなたが一日10分でも瞑想すれば 私は最高に健康になるでしょう あなたの注射を受けたせいで 私の健康が無意味に害されるからです 私の負うリスクが分かれば マザーが苦しまないようにする 分別があるに違いありません 時に連日の磔刑のようで なんと言うべきか分かりません 例えば先日デリーでのこと あるリーダーの男性が 私に会いに来た時に 私の足がこう動き始め 痛み出しました 出て行くよう 言うわけにも行きません 彼を傷つけたくありませんから “どうしたんですか 一体どこに行っていたの” 彼は理解してそこを去り その後良くなりました 問題を沢山抱えている人が 私に近づくと 意識に入ってくるので 私が影響されることになるのです なぜサハジャ ヨガにいるのか というシンプルな問いがあります それは上昇のためです より高くと 昨日歌ったように 昨日あなた達が上昇への望みを 歌うのをとても楽しみました 間違いなく 歓びを感じられました ですが 実際そのために 何をしているでしょう 真剣に考えるべきです 誰かの成長や理解に 何をしているでしょう 特に女性は あまりしないようですが 母性であるのに それではいけません どんどん外に出て リアリゼーションを与えるべきです 男性は積極的ですが 女性は違います それは反対なのです 男性は活動的だが 瞑想をしない一方 女性は瞑想するが 外に出ようとしない ある種の 分業のようになっています これではうまく行きません 瞑想も外でのサハジャ ヨガの啓蒙も 両方必要です 両方するべきです 瞑想だけで与えなければ 上昇できません クンダリーニは 非常に分別をわきまえています 成人にする必要があるのか と彼女は考えます どんな用途があるでしょう サハジャ ヨガは 誰かが聖者になり その人がどこかに座っている というような個人の上昇ではありません 一人の人間 自分のためではありません それは集合的な現象です なので集団に働きかけて初めて クンダリーニが認めるのです 身体が働くようにです 身体においても もしある臓器が 自分はもういい と言ったら ある細胞が成長をやめる 身体全体はもう構わないとなったら うまく行かないでしょう 何度も言うように それは生きた組織で 育ち また吸収する 必要があります エネルギーを得て成長するには 瞑想が必要です 成長しなければ 終わりです もうサハジャ ヨギではありません 誰にもリアリゼーションを与えていない人を サハジャ ヨギとはいえません サハジャ ヨギは 与えなければいけません 他の活動に加え 主な活動は リアリゼーションを与えることです その側面を 生活においてケアしない限り サハジャ ヨガで 成長することはないでしょう 例えば私の立場は 私は完全で 問題はありません ではなぜサハジャ ヨギのために 一生懸命働いたのでしょう 私は成熟しすぎていて これ以上は必要ありません 私にはしなくても良かったのに どんな必要があったのか それは 愛のためです 私の中には沢山の愛があり 伝達しなければなりません でなければ窒息してしまいます 自分を愛せません この愛は広がる必要があり そのために あなた方が必要だということ これが私のヴィジョンです この特別な 約束された時代に あなた方は このために選ばれました さて あなた方がどれだけその重要性を 理解しているかが大切です 自ら瞑想により 成長するのは構いません ですが それを使わなければ どんな意味があるというのでしょう 例えば何かを 修理できたとします このマイクをきちんと直したとしても 私が喋らなければ なんのためのマイクでしょう 同じように あなたが一生懸命でも 4時に起きて シャワーを浴びて瞑想し そして夜も瞑想 という人を知っていますが 外で誰かにサハジャ ヨガを 広めようとしません 聖なる愛を 与えようとしなければ 愛の無い世界の問題が 解けることはありません 聖なる愛を誰も知らずにいるので 与えるべきです このアディ シャクティの 力を感じるべきです 知らせることをしなければ 自分だけが全てを楽しんでいて 自分勝手といえるでしょう こんなわけで サハジャヨガで バランスのとれた人格に ならないことがあります 例えばサハジャ ヨギ同士で 結婚したとします 私の願いは 彼らがお互いを完全に理解し 愛するのみならず サハジャ ヨガや 他者をも愛することです これがサハジャ ヨガの結婚を 正当なものにする唯一の理由で でなければ 結婚する必要はありません でも そうなりません サハジャ ヨガでの結婚は 簡単なので 口論の末 離婚話になるか 幸運にもそうならない時は 自分の家族を持ち 家を持ちと 非常に小さく 限られた生活を初めます そんなことのために サハジャ ヨガにきたのですか 自分の人格を悟りなさい 母なる大地を見れば 彼女は自分の人格を知っています 土や泥だけで出来ています にもかかわらず いかに自覚があり こだわりつつ 注意深く働くでしょう あなたは こんなにも恵まれいます 与えることを考えていますか お粗末で 問題はあったにせよ キリスト教は 12人で拡がったのです イスラム教もあまり上手くないにせよ 拡がりました これらのお粗末な仕事が 拡がるなら サハジャ ヨガの 良い仕事はどうでしょう 色々なところに拡がるべきです どこに行って何を話せるか どうやって人を助け 苦しみ 不幸や破壊を 超えられるかを見つけなさい 時間は限られていて 私達はそれに見合った 動きをしていません ずっと早く先に進み 一貫した集中的な努力を通して サハジャ ヨギを 産み出さねばなりません でも サハジャ ヨガは ついでのことになっています 責任感にかける理由です 母なる大地から 学ぶ必要があります “あなたのようにはなれません” “あなたは結局 アディ シャクティだから” 指先一つでものを動かせるからといって 何だというのでしょう 私に必要な理由が あるでしょうか あなたが私であり 大地が私であるという 美しい創造において あなたは世界のニーズに 敏感にならなければいけません 世界は何を 必要としているのでしょう あなたが今日ダメなら 永遠にダメでしょう 少数しか存在しないでしょう なのでサハジャ ヨガを 拡めるべきで この愛はあなただけのもの ではありません あなただけが 楽しむためではありません 世界中のできるだけ多くに 楽しまれるべきです 今日はアディ シャクティの 子どもとして 外に出て あらゆる場所に赴き 声高らかにサハジャ ヨギとしての 責任を全うするべきです あなたがここにいる理由が あるに違いません 初めの頃 ヨギ達は “マザー 私の過去世はこれですか シヴァジですか” “知っても意味がありません” 過去がなんであれ 今は高みにいます 理解すべきです ナポレオンだったとか どこかの王様とか 女王とか言うかもしれませんが 何をしたというのでしょう 誰かのクンダリーニを あげましたか 何らかの力を 持っていましたか キリストやムハンマドの 弟子達ですらできましたか クンダリーニについての 知識を持っていましたか リアリゼーションを与えたいという 純粋な愛を持っていましたか スーフィー達もリアリゼーションを 与えませんでした 多くの聖者もです ムハンマドも ゴータマ・ブッダも 誰にもリアリゼーションを 与えませんでした 考えてみなさい キリストもクリシュナも ラーマも誰もです あなただけができるのです そしてクンダリーニについて 知っているのです あなたはアディ シャクティの子であり これは大きなことです あなたとともに 母がここにいるのです あなたがいてくれて 私にはとても幸運です 誇らしく思いますが サハジャ ヨガに もっと多くを もっと早く 連れてくる 必要があります ご存知のように何かを強要するのは 私の性格ではありません 怒りに任せて強制的に 何かをさせることはできませんが あなたが失敗すれば 私も完全に 失敗することになるのです そういうことで 今日は 皆がサハジャ ヨガについて語り 広げ 知ることを 誓って頂きたいと思います 何も知らない者が多くいます サハジャ ヨギであっても 何も知らず 夫婦問題に陥ったり する者がいるのは驚きです あらゆる無意味な問題事が 私に持ち込まれます あなたは問題を起こすためにいるのですか それとも誰かの問題解決のためでしょうか 全体としては 上手くやれていますが 更なる早さと熱意 喜びをもって働くべきです 誰かにリアリゼーションを与えることが どんなに喜びかをあなたは知りません 最も喜ばしい瞬間です 一度試せば もっとしたくなってくるでしょう サハジャ ヨガにきたら “彼が行ってしまう リアリゼーションを与えよう” それだけを願うべきです “ちょっと来て下さい あげたいものがあるんです”と座らせ 路上でも与えるのです こういうおかしな スタイルでやるのです “この人はまだ得ていない あげよう” 教会や大学 あらゆる集会に行って 何を得られるかを恐れず 敵意なく伝えるのです あなたの徳のために来た と言えます 自分ではなく あなたの 徳のために来たと言えば 間違いなくあなたの クンダリーニはご機嫌でしょう 彼女は自分を十分に 使おうとしない人に満足しません 世界救済のためになら 喜んで力を貸してくれるでしょう 神のご加護がありますように […]

Sahastrara Puja, At Sahastrara you stand on Truth and go beyond Dharma Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Sahastrara Puja, “At Sahastrara you stand on Truth and go beyond Dharma”. Cabella Ligure (Italy), 4 May 1997.
今日はサハスララの崇拝に 集まりました ご存知の通りサハスララは サトルシステムで 重要な部分です 1970年に このチャクラが開かれ 私たちは何を 達成したのでしょう まずクンダリーニが上がり ヴォイドでダルマを確立します ナビ チャクラとその周辺で ダルマが確立され 内なる純粋な宗教が 確立します さらにクンダリーニが上昇すると ダルマの確立にも関わらず おかしな世間と距離を とり始めます キャッチや不道徳を 恐れるのでしょう その段階ではサハジャ ヨガの プログラムにでたり 私生活も全てサハジャにしたくなります これは大切なことで このチャクラが完全に滋養される 必要があるからです ナビの周りをスワディスタンが 回転していますが 脳にエネルギーを与える 大切な役割があり ダルマの確立時に クンダリーニを通して ダルマやサハスララに エネルギーを送り スワディスタンの力も流れ サハスララに上ります それまでは 完全なサハジャ ヨギではなく サハジャヨガかぶれだったりします サハジャ ヨギ以外の人に会うのを 怖がる狂信的な人もいました サハジャ ヨギ以外の人を 恐れ嫌がったりします もちろんサハジャ ヨガを 批判したり邪魔したりする 悪人とあう必要はありませんが 真理を求める人に会うのは 私達の義務です ダルマを超えた意識が脳で 確立されるとダルマティトゥとなり ダルマが自分の一部になり サハジャ ダルマが 内面化します それはすばらしく もう儀礼も必要なくなり 他者を気にする必要も キャッチしないので ヴァイブレーションを 気にすることもなくなります 誰にも乱されなくなります これはシャッダの完成形です サハスララが完全に啓発され あなたはダルマとなります キリストの例では 娼婦が投石されていると 売春とは正反対のキリストが その際石を握り言います 全く罪を犯していないものは 私に石をなげなさい 皆驚きました 娼婦の方を持つのかと 彼は宗教的な人なのにと 彼は真理に立脚していました あなたもそうなります サハスララにおいては 真理に立ちます ダルマと真理では 少し違い ダルマの人は過剰に 理不尽なまでに道徳的になり ライトやレフトにいってしまい 優越感を持ったり 他者をなぜ 助けなければならないのか 地獄に行かせればいい と思ったりします サハジャ ヨガで新しい技法を始めたり 人に指示を与える人を見ました 彼らはダルマに とらわれないので これがよいとかあれが 良いと言い出します ですが真理に到達すると 儀式は必要なくなります ダルマと真理に立脚しているので 気にしません 真理はダルマより高次です 真理に立つ者は 宗教やサハジャについて おかしな考えを 気にしたりしません これはサハジャだとか サハジャでないとかを超えます 自身に普遍的な真理を見ます そして見るだけでなく知ります 自分がそこにいることを 知っています そこにダルマの花が咲けば とても美しく 皆が体験すべきです ダルマだけでは まだ取れない要素が多く 人がエゴや金欲に 走るのを見てきました 私に無断ですべきでないことを 始めたりします それはサハジャ ヨガには 良くありません 謙虚さが欠けていて 真理か真理でないかが 分からないのです ダルマの基礎である 真理に立ち返るべきで 生命の樹は 脳に根差していて 身体が枝葉です 何事も根本が大切で そこでサハスララが 完全に確立されます サハスララが 全ての形の根本です ダルマを達成したとして なにがその根本でしょう なぜダルマを守る 必要があるのでしょう 守ってなくても 豊かな人が沢山います 外面的には 彼らは楽しくやっていて 私たちには それがないように見えます ダルマの意識においては 真理とは関係ないことが 大切に見えたりするのです このように ダルマの意識を達成しても サハジャ ヨギが 躓く点は多くあります 酒やドラッグなど依存から抜けだしても 語学が堪能になっても 行いが良くなって謙虚になっても まだ自分が道徳的だと 意識しています それは消えるべきです サハスララでは この意識がなくなります 真理が愛で 愛が真理だからです ここでクンダリニが ハートと出会います ハートのピタはここです クンダリニがハートを貫くと 脳に真理が流れます 愛が流れます 真理そもものと愛としての真理は 違うものです キリストは娼婦の側に立った時 真理に立っていましたが 彼の胸には 純粋な愛が流れていました 誰かに大して 純粋な愛があれば 全てを別の角度から捉え その人を違う角度で見て とても優しくなります でないと真理は とても苦く痛くもあります でも愛が伴えば 棘のない花になります 真理に立ちつつ 愛を与えるような そんな人格になるべきです 愛を表現するにあたり こんな例があります 私が誰かに会ったら その人が他人の 悪口ばかりだったとします すると私はその人と悪口を言っている 人の両方に強い愛を感じます なので完全な嘘を言います ですがある意味それも真理です あなたが悪口を言っている人は いつもあなたを褒めているのに そんなことばかり言うのですか もちろん 真実ではありませんが 友達関係を修復する という意味で 真理です これが愛の働きです 人を近づけ一つにします 差別的なやり方は消え 人心を一つにするための 方法は何かを分かろうとします あなた方が集合意識にあるように それも表面的には アシュラムを建てたり いろいろと 結果には結びつくものの 愛に満たされてはじめて 集合意識も完全なものとなります 人は平和を語りますが 集合意識なしには無理です そこにも 愛の原理が必要です 例えばドイツのヨギが イスラエルに行くとします このプージャにもイスラエルのヨギが 選ばれ とても嬉しく思います さらにイスラエル人が ムスリムにされたことを 忘れてエジプトにいくとします こうして愛の表現に惹かれていくのは 驚くべきことです サハジャヨギの仲間に対しての愛 それが育ちだすと そうして世界を変えられることに 驚くでしょう 人間の問題はほとんど 憎しみによるものです 誰かを憎むのは罪です 罪や悪を憎むべきで 憎しみのための憎しみでは いけません それがあらゆる問題を 起こしてきました 権力のために差別することで 多くの国が破壊されました 私の国もイギリスにより 分断されました これは止まりません それにより インドを去った国々は 皆大変苦しんでいます 国を分割しようとした人は 自分が首相になれるとか 考えましたが 殆ど暗殺され 憎しみがいかに現れるかが よく分かります 些細な事がそこら中に広がるのです どの国でも分裂が見られます 分ける必要は全くありません それは憎しみと問題を生みます サハジャヨガでも分裂を 考えてはいけません 先日ガンジスの畔に美しい 土地を得ましたが 皆別々の家や部屋を 欲しがるのです なぜでしょう 共同生活の楽しさをしっているのに 別々の家を欲しがるのはなぜですか どんな秘密があるのですか 結局ヴァイブレーションで 全てバレるのに ならどうして別の家や プライバシーが必要でしょう サハジャ ヨガでは プライバシーはありません 皆がお互いを知っています 何をしていて何が問題か どのチャクラがキャッチしているか そこでプライバシーは必要ありません 理解できません まだ計算が働いていて 彼らは相続を 気にしているのです 相続して良いといいました でも息子がサハジャ ヨギに ならなかったら どうしようもありません ルールや決まりでは人は 結びついて幸せになれず 純粋な集合意識と愛が必要です 私たちには組織も 聖職者もいません リーダーもしょっちゅう変わります 足場の悪い砂上にいる上に マザーは あらゆるトリックを使います あなたに岩の上に 立って欲しいからです 美しい聖なる愛と 歓びを放つ岩です 例えば特にインド人は 個別の浴室を欲しがります それが急にイギリス人のようになり 逆もあるのです なぜかインド人は 個別の浴室を欲しがります よくあるインド人の病気です 時にそれが人を離してしまいます コレクティブの生活では 必要ありません 浴室があるとかないとか 私は意識すらしません そこに行って帰ってくるだけです 同様にあなたも 海のような社会の概念を持ちなさい 波と同時に上下する 愛のユニゾンです 私はヒマラヤの麓に そんな社会を期待します 皆ヒマラヤがサハスララであると やがて解るでしょう サハスララ プージャの前に できたのはヒマラヤの恩恵です ヒマラヤはクンダリニが昇り ヴァイブレーションが空に出て行く サハスララのようで ヴァイブレーションが空に見えます 同時に憤怒するシヴァの領域で 危険もあります とても気をつける必要があり 憎しみや分裂など サハジャでないもの 分裂を選ぶなら 憤怒する神がそこに座しています メッカにもシヴァはおり 無作法をすれば怒ります シヴァはどこにでもいるので 常に気をつけるべきです マハラシュトラでは 違うタイプの サハジャ ヨガが始まり シュリ ガネーシャのお祝いの日に 酒を飲んでいると シヴァの怒りが大きな地震を 起こしました 多くが亡くなりましたが サハジャ ヨギは全員助かりました 大きな火事が先日もありましたが あなた方は守られて無傷でした 常に守られています だから シヴァの怒りが及びませんでした あなた方が 守護の下にいたからです この守護は母の愛に他なりません とても強くあなたを 守り 助けています 同じ愛を他者に向けなさい サハジャ ヨギにも他人や別の 母なる大地などにです あなたの愛が自分だけでなく 他者も助けます 自分のことばかりだと あなたの意識はどんどん小さくなり あれこれ欲しがりだします これが好き と言わないように 私は自分が何が好きか わかりません あれこれ好き嫌いをいう あなたは何様でしょう 純粋なスピリットなら愛だけです 愛において他者を思います 他者を心地よくさせ 世話をしようとして 自分だけにはなりません そんな境地に至りなさい あなたが道徳的でダルマがあり 全てにおいてサハジャヨギであっても サハスララのその状態になるまでは まだ大丈夫とは言えません やり遂げなさい それにはもちろん瞑想が大事で 考えがあれこれ邪魔をします 自分の心を見続けなさい どこにあなたを連れて行くか 何を吹きこもうとするか 自分の家は 子どもは 国はどうなるかと そうやって私の私の…と言ううちに 道に迷ってしまいます カビーラが美しく言ったように 山羊はメエメエと鳴きますが それは私は 私は…と聞こえます しかし山羊が死んで その腸が綿花を洗うのに 使われる時 トゥー匕 トゥー匕と音がします “貴方こそがその方です”という言葉です それが響き渡っていると だから同じようにあなた方も 他者の視点から 考えるべきです そもそもトゥー匕とは グルや神で 貴方こそがその方で 自分は何者でもない 自ら愛の大海と一体になり 貴方こそがその方ですと唱える それがサハジャの文化です 表では愛を伝え 裏では悪い企みをする そういったことは サハジャ ヨギはしませんし その境地に達しましたが まだ意識はしています 常にこれをしないように 酒を飲まないとかグルメでないとか 自分の境地を誇っています とても自慢気です 自分たちはこうですと 純粋なスピリットだと言いますが 実際そうなりなさい 自分が実際にそうなると人は 自慢しないものです アディシャクティであることを 誇りに感じますか と訊かれましたが 自分がそうであるなら誇る 必要があるでしょうか 自分がそうでなければ 誇りに思うかもしれませんが 太陽は太陽であり 自らを誇りません あなたも自分が人間であると 誇ったりしません 人間であると誇りますか 同じことで 自分であることは意識しません 自分はアディシャクティだとか 意識しません それが事実ですから 神がそう選んだならそれまでです それでよいでしょう でもある人びとは サハジャ ヨガがまるで 貴族のような特権階級と感じます 自分がそうなったなら ただそうであると理解しなさい 石が金に変わったなら それをわざわざ誇らないはずです なぜ誇るのですか 同じように 自分はサハジャ ヨギだと 意識しなくなります 気をつけて下さい サハジャ ヨギだから 何だというのでしょう 偉いわけではありません 自分に鼻があると誇る人はいません もうあるのだから 誇るものでもありません とても大切なことで 自意識はなくなると理解しなさい 全体の一部 大海の一滴だと 自他の境界を意識しないことです このような意識が育つべきで 喜びに満たされると 愛に満たされると それを見たり表現するだけです 話しても話さずとも 微笑むとも微笑まずとも 胸にあるのは歓びです ここのハートチャクラのピタが 真理の光で満たされます 真理とはいわゆる馬鹿げた 真実ではありません 誰かが“真理とは何か” ときくので “真理を語り 人を喜ばせることだ” と教えました サッチャンヴァデーツ プリヤンヴァデーツ それをどうやるかといえば 真理とは味の良いもので 人が好み 間違った人でも引き寄せると クリシュナは サッチャンヴァデーツ ヒタンヴァデーツ プリヤンヴァデーツ といって 真実を語るが 歓迎される真理を語れ それはスピリットを滋養し 善をもたらす真理である そしてプリヤであれ つまり人がはじめは ひどいことを言われたと思っても 後には言ってくれて良かったと それによって欠点が補われた と思うような真理 でもくれぐれも人を 不快にしないように あなたは人を正す役割はありません まずサハジャ ヨギは このチャクラがキャッチしている あのチャクラがキャッチしていると いつもエゴでたわむれていますが 人を責める権利はあなたにはありません 自分が責められてきたのに どうして同じことを人にするのですか ただサハジャ ヨガにおいて あなたが充分に成熟したなら 愛をもってそれに 挑戦するでしょう でもそれもやり続けないことです だれかの短所を指摘し続けることは 嫌なことを避ける言い訳です 例えば誰かが病気で医者がお手上げだと 医者はどうするでしょう 例えば寒い中外出したからだと そうやって説明します でも治療の方はどうなるのでしょう いや あなたがこうしたのが 良くなかったと そうやって過去の 間違いばかりを責めます 私達も同じです 何でこんなことをしたのか あんなグルにいったのか だから今こうなっていると そう責めずに治療しなさい もちろん責めたり批判せず 訊ねることはできます でも間違いを 責める必要はありません これは優越感によるもので 自分が何でも知っていると 思っているのです あなたは現に知識に富む グノスティクスですが その自意識があるうちは違います それが消えて初めて サハジャ ヨギになります このサハスララの発達を あなた方皆に期待します 世界について考え サハジャ ヨギや シーカーのことだけでなく 他にも目を向けなさい 多くの問題と仕事があります 例えばインドには貧困があります 私はそのために何かしようと思います あなたの国にもあります 問題を見つけ 運動を起こしなさい できるだけ助けようとしなさい それは賞や名誉のためでも 改宗目的の宣教でもなく 自分の歓びのためにするのです それは歓びなのです そうやってキャッチを恐れることなく 社会に出ていきなさい ある夫婦は 社会に働きかければというと エゴが出てくるのが怖いですと そういう人は他でもなく 自分を恐れているのです これら無意味な考えは捨てて 恐れのない意識に入りなさい あなたにはその力があります そのための特別な 力が与えられています でもその力を使わなければ ランプは光らなければどうでしょう 置物ですか 使うのです 意識すること無く 自分が偉大であるとか 優れているとか 選ばれていると意識せずに するとたちまち 慈愛と理解が広まります ありとあらゆる愚か者がいますが あなたは解っています 笑ってからかいつつ 問題を解決するのです そこでも人を傷つけないように 何をするにしても 上手く行ったか結果を見なさい ある人はより優れた類の 知性を持っています その知性でどう話すか どう人に関わるのかを知ります この聖なる愛であなたは自分を 完全に律せられるようになります どう振る舞い 話し 人を扱うか 人間の最大の 欠点はなんでしょう クリシュナによれば それは怒りで 私にとっては嫉妬です どんなものであれ嫉妬は アクのように出るものです サハジャ ヨガでも 人は嫉妬し たとえ表に出さずとも 人間関係において 問題を生みます 自分の心をみることです 嫉妬がないかどうか 時々私は心配になります 誰かにプレゼントすると 嫉妬を生んでしまうので しないほうが良かったと感じます マザーが忘れたか 足りなかったかもしれない だから良いのです でもサハジャ ヨガでは皆とても過敏です 例えば 私が 誰か特定の人に会うと もう終わりです 別の人がその人に嫉妬します 時々悩まされます 皆が何故か“マザー私に会って下さい” とせがむのです 私はどこにでもいるというのに 私と話す必要がありますか 私はあなただけのために いるのではありません 皆のためにいるのです 自分に特権があると思う人もいて 私と個人的に会わないと 気を悪くします これらはあなたが大海となれば 全てなくなります どこにいこうと気にせず ただ大海と一体です 上下に波で揺れるだけです これは愛の生きた大海です 見せびらかさず 支配せずに 育みなさい 全てが自分の中にあります ヒンディではアプネメといい 自己の内にあり 最高の楽しみです 自分が何か欲するなら 努力してそれを得ますが それが自分の中にあるなら 自分で完全に満たされます それより大事なことがありますか ありません 完全に満たされ ただ分かち合いたいと思う それがサハスララの理想で やがて世界がこの境地に達するでしょう そのサハスララが開くべきです それが私達の仕事で 浮世離れして瞑想にふけるだけでは 途絶えてしまいます そうではなく それはあなたが 自身が育つための瞑想です 素晴らしい場所かもしれませんが どうか自分の価値を分かって下さい この時代生まれ リアリゼーションを得たのは 世界の解放 人類の変容のためです 世界を神に導くためです あなた方は そのためにいるのです 神の恩恵がありますように! […]

Mahashivaratri Puja, How To Get Detached and Ascend (Australia)

Shivaratri puja. Castle Mountain, Sydney (Australia), 26 February 1995.
今日 私たちは サダ シヴァに プージャをするために 集まりました 私たちの中に 反映されるのは シヴァです 純粋なスピリットです 私たちの中にある 純粋なスピリットは 全能なる神 サダ シヴァの反映です 水面に映る 太陽のようで はっきりと反映します あるいは 石に映せば 全く反映しません 鏡なら 太陽が鏡に 映し出されるだけでなく その光を反射します 同じように 人間において 全能なる神の反映は あなたの人格がどうであるか によって映し出されます 清らかで明瞭で 純真な人格なら その反映は 鏡のようでしょう ですから聖人は 自分自身を 間違ったものに 同一化していないので 全能なる神を 適切に反映します そのような同一化がなく その者が完全に 純粋なスピリットであれば 他へも神の反映が 投影されます 幸運にも あなた方は セルフ リアリゼーションを 得ました つまり 全能なる神の反映が あなたのアテンションに すでに作用しています アテンションが スピリットの力によって 啓蒙されています スピリットの力とは 反映することです 反映する者は 鏡や水面と 決して同一視しません 太陽が輝いている限り 反映し 太陽がなくなれば 反映しません あなた自身 サハジャ ヨガで 浄化されました クンダリーニも あなたを浄化し 今は純粋な人格です それにより この反映は より明瞭になり 人はそれを見ます あなたの顔に 体に 仕事や 振る舞いに あらゆるところに見ます 自分が 全能なる神を 反映することができると 信じるのは難しいです 自分に対して コンプレックスのような ものがあるようです 全能なる 神を反映する者に どうして突然なれるのか 理解できません しかし 人は 神を反映する者に なれます そのために 自分自身を信じ 自分の上昇を信じ そうなっていけると 信じないといけません サハジャ ヨガにおける 自信はとても大切です 充分な 自信がなければ 上昇はできません 私の講義でも 充分な 自信を持つべきだと 話しています しかし自信は エゴや攻撃性では 全くありません 自信があるなら あなたに全く 攻撃性はありません 大変興味深い 中国の話があります ある王様が 闘鶏で 自分の雄鶏を 勝たせようとしました “聖人のもとに 連れていけば” “必ず勝てるように 強くしてくれる”と聞いて 二羽を 連れていきました 聖人に渡して “闘鶏に勝てるよう 強くしてほしい” と言いました 一ヶ月後 王は引き取り 二羽を闘鶏場に連れて行きました 大勢の鶏がいる 闘技場です 闘鶏が 始まると その二羽は 攻撃されました しかしその二羽は 忍耐強くその場に立ち 静かに落ち着いていました いかなる攻撃も 遊びのように 見るだけでした 他の雄鶏は疲れて 闘技場から逃げ出しました そのようにして 二羽は優勝しました 執着がない者は 決して攻撃されないと 理解しなければいけません 人は様々なことと 同一視するため攻撃されます まず家族です そして自分の国に 自分の宗教に 人種主義にです 同一視は 本当に自分を弱くします 自分を常に攻撃し サハジャ ヨギの精神に 混乱を引き起こすからです サハジャ ヨガに そして自分自身に 自信を 持たなければいけません そうすることで 正しい道にいれますし 救われます 誰にも攻撃されません 神聖によって 完全に保護されるからです 人はいかなる宗教 いかなるグル いかなることに従っても 攻撃されるのではないかと 常に恐れます そして発言することを 恐れます 何を言うべきかの 分別もありません あなたが 純粋なスピリットであるという 適切な理解で それを信じるなら 自分がしていることに 大変自信を持てることに 驚くでしょう もう一つの 大きな利点は 私たちがコレクティブである ということです コレクティブにいると 自分がどう振る舞っているか 分かります どのような反応があるか コレクティブで 大変精妙な者は 多く話す必要はありません お話しした雄鶏のように 立つことができます その者の深さは 感じられます 度量を感じられます 攻撃性はなく 深みがあります その者は自身の中に 保護を感じます この保護を 感じないといけません 精神的にではなく 自身の中にです 一度その重みや 感じを持てば 誰も攻撃できません 攻撃する者こそ 不安を感じています あるいは 育ちが悪いのか まだサハジャ ヨギでは ないのでしょう ですからその者に 情け深い見方をする 必要があります シヴァのようにです サダ シヴァの人格は 誰をも許す人格として 知られています 彼は頭で立つ 片足で立つ 断食するなどの 苦行者に対して 愛想をつかし “何が望みですか 叶えましょう” と言います 彼は御存じのように 多くのラクシャサにさえ 恩恵を与えました 彼らの苦行に 愛想をつかし 多くのラクシャサが 彼に祝福されました サダ シヴァが人々に 祝福を与えるという 話が多くあります ラヴァナにさえです 大変 興味深い 話があります ラヴァナは たくさん苦行をしました 頭が十もあり 断食も大変だったでしょう 口が一つでも 空腹になります 十あれば大変です そのような苦行に 何をしたか分かりませんが シヴァは うんざりしました 彼の慈悲は あまりに大きく 望みを叶えようと 考えました ラヴァナが シヴァのもとへ行くと “何が望みか なぜ苦行するのか” と聞かれ “祝福をいただきたい” と答えました “どんな祝福か” “何でも叶えると 約束してくださいました” “できる範囲で叶えましょう” これは大変 興味深い話です ラヴァナは “貴方の妻が欲しい” 彼の妻が アディ シャクティと知っていて アディ シャクティを 配偶者に持てば 効果が得られると 思ったからです 彼は“配偶者に 貴方の妻を頂きたい” とせがみました 悪魔に妻を渡す決断は 難しいことでしたが 慈悲でもって 承諾しました この出来事は 彼の慈悲がいかに作用するかを 物語るものです 結局 彼の妻パルバティは この恐ろしい者に 連れられることになりました しかし パルバティの兄弟は シュリ ヴィシュヌ つまり シュリ クリシュナです 彼は考えます “悪魔に 姉を渡せない” “手を打たなければ” シュリ クリシュナこそ 最もいたずら好きです 彼はラヴァナに お手洗いに 行かせたくさせます 恥ずかしさから 彼女を地面において お手洗いに行きました 実はシヴァに “彼女の母は 母なる大地なので” “決して大地に 降ろしてはならない” “常に背負わないといけない” と注意されていました ですから ある地点に達したとき シュリ クリシュナは お手洗いに行かせたくさせました そして彼女を降ろすや否や 大地が吸いこみました 彼はどうしてよいか 分かりませんでした 二回目も試しました シヴァのもとに行き “あなたが約束したことです” と言いました シヴァは “注意したはずです” “彼女の兄弟はいたずら好き なので気をつけなさい” “次は耳を 貸さないようにしなさい” ”何があろうと 地面に降ろさないことです” 今回も 背中におぶって やってみました すると 突然 少年が現れました それは嘲け笑う シュリ クリシュナ自身でした “なぜ私を笑うのか” 少年は“なぜ老婆を背負っているのか 宝飾品もつけていない” ラヴァナは“彼女は女神だ” “それは違う 宝飾品がないのに 女神なものか” インドでは 言い伝えがあります 宝飾品をつけない女性は ランカ パルヴァティのようだ と言います 彼女をランカに 連れて行こうとしたのが由縁です 彼が見上げると 歯のない老婆が 彼を嘲け笑っていました あまりに驚き 彼女を投げ捨てました マハマヤです そして三回目では シヴァに “妻に誰の言うことも 聞かないよう言ってください” “今度こそ妻を 渡してください”と言いました シヴァは“ランカで生まれ変わる ので結婚できる” “その時の名はマンドダリだ” そのように すばらしい話は続きます マンドダリは ラーマが彼を殺そうとした頃 ヴィシュヌの崇拝者でした 全てマンドダリによって 計画されていました “シュリ ラーマが ラヴァナを殺せば” “女性に対する 悪いもくろみから解放される” と彼女が 知っていたからです 彼はシータを 追いまわします “彼が生まれ変わり” “美しい女性を追いまわすことを 止めるように何か起こるべきだ”と 彼女は望んでいました シータを連れ去ったのも 反対でしたが 聞く耳を持ちませんでした ですから 戦争が起こり その戦いで シュリ ラーマに殺されました これらの出来事は シュリ シヴァに 無限の慈悲があったため 起こりました 彼の慈悲は 時折 理にかなって いないように見えますが 理にかなっています 彼が引き起こすことは 問題の解決を もたらすからです 例えば ある戦いでは その時 問題がありました シュリ シヴァによって 誰にも殺せない 恩恵を授かった ひどい悪魔がいたからです シヴァはまた ある聖人にヴァラダンという 恩恵を授けていました “今より眠りに就く 誰にも邪魔されたくない”と言うので その恩恵を授かりました 眠りを邪魔すれば 一瞥で 灰にすることができます 戦いが起こった時 シュリ クリシュナは 二人のことを思い出し 聖人が得た恩恵で この悪魔を殺すのが最良だと思いました そこで彼は遊びました 戦場から 逃げ始めます そのため 戦場から逃げ出す戦士 ランチョルダスと呼ばれています 戦場から逃げ出す者です 彼は逃げるとき ショールを羽織っていました こっそり洞窟に入ると そこには聖人が眠っていました そこで彼のショールを 聖人にかけました ショールを その者にかけたので 追ってきた悪魔が その場に行き そのショールを見ると “ああ 疲れてここに 横になっているのだな”と言いました そこに横になっているのが 誰かも知らずショールを取りました 眠っている聖人が起きて 悪魔に目をやり 三番目の目で 燃やしてしまいました そこで解決です すべての出来事はこのように 三つの力が働きます 最終的に 真実が見えます まず シヴァの慈悲深さ 善があり シュリ クリシュナ あるいはシュリ ヴィシュヌの戯れで 中和します 三つ目は ブランマです 彼は創造します これらの 三つの力が働きます 人間の意識に 何かが起こるべきであると 私たちに感じさせる 雰囲気をつくるためです 真実を追求する 望みを 私たちの中に 進化させます シヴァは 非常に慈悲深く 悪魔にさえ 優しい一方 もう一方では 非常に 残酷でもあります 彼は全宇宙を 破壊することもできます もし人々が大変堕落し スピリチュアルに 成長しようとしなければ 純真が 完全に失われれば この世界で 問題を引き起こしている 誤った同一化に 執着し続けるなら 彼は 全宇宙を破壊します 彼はアディ シャクティの 仕事の目撃者です 彼女に 人間の創造や リアリゼーションの仕事を させます しかし 彼女の子ども達が 彼女によって 救われた人々が 悪行や侮辱をするなら 彼女の仕事を 台無しにするなら 彼は怒り 全宇宙を破壊できます しかし今となっては 彼にその機会はないでしょう 世界中に サハジャ ヨギがいるからです サハジャ ヨギの中でも ある者は 大変早く成長します 着実に強く シヴァ タトゥワの原理を 達成しています まず最初の達成は 内側から 執着しないことです メンタルに 執着しないのではありません サニアーサのようになるとか ヒマラヤの修業とか 家族を断念することではありません 執着をしないとは 自身の中のことです 執着しなくなると まず歓びに満ちます 幸せになります “なぜ不幸なのですか” と人に尋ねれば 妻のことや 恐らく家のこと 子どものこと 国 社会のこと 何であれ言うでしょう 自分の周りの 出来事に 完全に腹を立て 不幸だと思うでしょう リアライズソールなら 不幸だと思うことは 何の助けにもなりません これらの社会や家族 国全体の欠点は あなたが人を変えることで 正すことができると 知る必要があります 悪く思うことによって ではありません それをするのに 大事なことは 完全に 執着しないことです サハジャ ヨガを 私が始めた頃 自分の国の人について私に 的確に話してくれて驚きました 宗教についても 聞いて驚きました 私は知りませんでした 執着心がないため はっきりどこが悪いのか見れます 社会や人々 家族 国 全世界の 悪いところが どこか分かります それらと同一視しないことで のみ可能になります そうでないと欠点や 人の何が悪いのか見れません どのチャクラが キャッチしているか見れません 最初に 起こるべきことは 執着しないことです ではいかにして 達成できるでしょう 多くの者が“どうしたら 良いでしょう”と言います 私には執着がないので 分かりません しかしあなた方は 自身を理解するための 内省が必要です 自分が何に執着しているか 見るようにしなさい なぜみじめなのか 誰を心配し なぜ心配するのか 以前は決して 大切に思わなかったものが あるヨギには 大切になりました 例えば 西洋では 我が子をあまり気にかけない と聞きました しかし リアリゼーションを 得るやいなや 我が子に執着します まるでのりのようです 子どもにとって 何がよいかも分かりません 子どもに関するすべてが 主要な義務だと思います 先日 親が バースデー プージャの後に 来たいと聞いて驚きました ショックでした バースデー プージャが 次いでなのです “なぜ終わってから 来たいのでしょう” とヨギに尋ねると “子どもがいると幸せ だからです” “親のためにもなります” でも全てのアテンションが 子どもにいきます 子どもを連れてきて 世話をしなければいけません ですから 子どもへの執着が 確実に そのようにさせます よくないことです あなたにとってよくありません サハジャを始めた後で 新しい執着が始まります 良くあります 家族に対する執着が 出てきます 西洋ではたいてい 家族に執着しません お酒を飲んだり 様々なことをします リアリゼーションを受けると 急に家族に注意が向きます 家族に執着し 家族や その全てに執着します 理解できません あなたが純粋なスピリットなら 執着はありません あなたは ただの反映です 全能なる神の反映です これらの同一視は なくなります どのようになくなるかと 尋ねるでしょう 私にはなくす必要がありませんが 提案できます まず瞑想です 自分自身を知るべきです どこがおかしく どちら側がキャッチしているか 右側か左側か 瞑想を通して分かります お金や仕事に 執着していますか それとも家族ですか サハジャに反するような 自分の国や 文化に執着していませんか それなら瞑想を通して これらの執着を なくすようにしなさい 左右の問題の治し方を あなたは知っています この執着は 指先に現れます どの中心部がキャッチしているか 自分自身で見なければいけません サハジャの簡単な治し方で 浄化できます 何かに執着すると 自分では気づかないことが問題です “ある者を愛しているので” “大変すばらしいことをしている” と考えます “これはシヴァの特質で 慈悲の気持ちである” と人に執着し始めます 全く慈悲ではありません そのように執着するのは いかなる慈悲でもありません シヴァの慈悲を 持つことはできません “心の中で作用しているのは シヴァの慈悲だ”と考えますが違います その慈悲は 大変純粋なものです 何度もお話ししたように 木の樹液に例えられます 上昇し 木の様々な 部分に行き渡り 蒸発するか 母なる大地に行きます 執着しません 一つの花にあるいは葉や 果実に執着すれば 木全体が苦しみます そして花は枯れます ですから特定の者への ある特定の考えへの執着は 正しくありません サハジャ ヨガにおいて 人は大変順応でき 何をすべきか 理解するようになります それには 瞑想が大切です ハートに シヴァ タトゥワに シヴァの原理に 瞑想することで 確実に執着から 離れます すると歓びが 最高頂になるでしょう 人は 食べ物や服や 家に興味を持ちます あなたは興味を持てます 興味を持つべきです しかし その興味を執着しない 啓蒙があるべきです 例えば インド南部の者は 北部の料理を好みません 北部の者は 南部の料理を好みません 大きな問題です インド航空の者に“標準の 料理を出さないのですか” 彼は“何が標準料理ですか” 良い質問です インド人は嗜好や 食べ物にこだわります インドでは標準の料理が ないのも事実です 同じように西洋でも 必要でないことに 多くこだわってます 流行だからといって こだわります 人格が未熟だからです 成熟した人格なら 全てを 高い視点から見て 他者と 一緒になろうとしません あなたが知るものは より高く 偉大で 歓びを与えるものです 喜びを与えると考える 執着ですが 子どもが 妻が喜びを 与えると考えるのは 間違っています 歓びはあなたのスピリットの 源から来ます 夫がすばらしくても 子どもが良くても悪くてもなんであれ 彼らが歓びを 与えることはありません あなたは自分自身を 楽しむだけです それによって 人は 大変許せる者になります 誰もあなたを傷つけることができないなら 誰に腹を立てるというのですか これはサダ シヴァの 偉大な特質で 彼は寛大である ということです あるところまで耐えて アディ シャクティのした 仕事を破壊します さもなければ 彼は 大変寛大で 大変バランスを 保っています 一度 アディ シャクティが 大変堕落した世界に腹を立て 全てを 破壊し始めました そこで彼は彼女の足元に 幼い子どもをおきました 衝撃で巨大な舌を出し 破壊を止めました これがシヴァのやり方です 自分に シヴァの原理を育む者は 大変 寛容でないといけません 残忍で苦しめる者がいる のは知っています その者たちを耐えられないのなら 縁を切りなさい 私はあなたを支えます でも耐えられるのなら 耐える方が良いでしょう その経験を耐えなさい そこから離れるより 耐える方が難しくないからです 例えば ある女性が私に “夫と離婚します” “なぜですか” “いつも遅く帰ってきて ほとんど会えないからです” 私は“離婚したら 全く会えませんよ” 理屈に合いません せめて今は会えます 会える時もあります 解決策ではありません 離婚すれば 決して会えません では離婚をする 必要は何でしょう このようなことは あなたが 執着のない者になれば 何も執着しないのであれば 理解できます 誰にも執着しないなら 誰があなたを攻撃できるでしょう 誰もできません 抗議すべきだと感じるなら そうすべきです それも執着せずにです 抗議するのも 完全に執着しない ということが大事です 重要なことは 皆 上昇しないと いけないということです 一様の力で 上昇しないといけません 網に捕まった 鳥の話があります 鳥たちは “この網から抜け出そう”と言い 皆 抜け出そうとしましたが 個々では 上手くいきません そこで一斉に 飛び立つことにしました “1、2の3” 網と共に飛び立ちました そしてねずみに 網を切ってもらうよう 頼みました 鳥は自由になりました 鳥とねずみで うまくできました 私たちもできるはずです コレクティブにおいて いかに助け合い 歓びを感じられるかに 驚くでしょう あなたの母 父 姉妹に問題があるとします 構いません あなたにはコレクティブにおける 歓びの大海があります 問題を解決したければ コレクティブに解決できます コテクティビティに 頼らないといけません コレクティブと 一つになることです 一度 サハジャの海に 飛び込めば 歓びがあなた達を 一つにします お互い会うことは 喜ばしいことです 見知らぬ場所で 偶然サハジャ ヨギに会えて 嬉しく感じる経験を 多く耳にします サハジャ ヨギ間の つながりは 最も喜ばしいもので 一つになる源です 一度 お互いを楽しむと・・・ インドの偉大な詩人の話しを 一度しましたが 彼の名はナマデーヴァで 仕立屋でした もう一人は 陶芸家でした (英語を時折忘れます) この陶芸家は 詩人でもあり コラクンバと呼ばれています ナマデーヴァが 彼に会いに行くと (聖人は聖人に会いたい と望むものです) 彼を見てその場で すばらしい対句を 口にします 彼は“形のない チャイタンニャを見に来きたのに” “チャイタンニャが形になっている” と言いました “形のないものを ヴァイブレーションを見に来たのに” “私が見ているものは 形である” 聖人のみが 他の聖人にそう言います 精妙な評価は 二人の聖人の間で可能です 土を捏ねているとこや 仕事場での 汚いドーティは 目に映りません そのように見ません 身体や顔は 目に映りません 彼の中に人格化した 神聖を見ました 他のサハジャ ヨギを 感じる感受性を あなたの中に 育まないといけません するとあなたは 無意味な上辺のことを 気にかけません これはシヴァの 偉大な原理の一つです 彼は気にしません 彼の髪は もつれています 素早い雄牛にまたがり 結婚式に向かいます 想像できますか 彼の友達や 信奉者は 片目であったり 片手しかなかったり 腰が曲がっていたりします 彼にとって 外見は関係ありません スピリチュアリティが 大事なのです 片目でも 身体が曲がっていても 重要ではなく 皆は彼にとって 自分のもので 上辺のことに 気を取られません 人の神性だけです 彼の原理を理解する 多くの方法があります 彼が包括的だからです 誰かに慈悲を感じるなら 作用します 確実に作用します 最近の例があります 不治の病を 患っている者が メキシコにいました 国連に務める メキシコ人の女性が 私に手紙を書きました “息子を亡くすかもしれません 重い病気を患っています” 彼女は私にそう書きました 私は彼女に 大変慈悲を感じました その手紙に 涙が流れました その涙が その少年を治しました 完全に治し 彼女は感謝の手紙を 書いてきました 私は驚きました 私の慈悲はメンタルなもの ではないからです ただ内在し 流れ 作用します 同じように あなたもそうなれます あなたに全ての力を 持つことを望みます まず 慈悲の気持ちです 人に対して ひどい扱いをしてはいけません サハジャ ヨギであろうと なかろうとです 誰も他のヨギを 攻撃することはできません それが サハジャ ヨギでなくてもです ヨギは決して 攻撃すべきではありません ヨギらしくありません ヨギは違います 先日ある者に“あなたは 短気です”と言いました “誰かが私を 怒らせるとそうなります” 私は“皆怒りを 駆り立てれば怒ります” 怒りを駆り立てられても 怒らないのは狂った者だけです ですからあなたを 怒らせる者がいれば怒ります 皆そのように怒ります しかし“駆り立てられないのであれば 怒りません” と言うならそれは 大変違う状態です 今日の現代における 全ての環境で 大変な 苦闘があります それはシヴァの 文化ではありません シヴァの文化とは サハジャの文化と言えます あなたがサハジャ ヨギなら あなたの中に慈悲や 他者への 理解があるべきです サハジャ ヨギだけでなく ヨギでない者も 助けなければいけません するとあなたの慈悲が 効果的になります ご存じの通り今日の文明の 最も大きな問題は 西洋の文化が 堕落しているということです 新聞を読むと ショックを受けます 破滅する前にどれくらいの人が 気づくか分かりません 本当に自虐的です 一方で放縦な 自由放任な社会があり もう一方では対抗しようとする イスラム文化があります 対抗しようとするのも 最もです しかし そのやり方が 問題を引き起こしています あれこれしてはいけない と反対するならもっとやるでしょう 例を挙げると インドの北部に行くと 文化がよりイスラム的です 人は不道徳で 常に女性に目がいきます ヒンズー教であると言っても 悪い習慣があります イスラム的な 抑圧から来ます 女性が 完全に覆われていて 誰も見れなければ 人はもっと興味を持ちます ボンベイから来た 私と旅をしていた者が 通りの女性全員を 見ていて 私は“そのように見ていたら 首が折れますよ” しかし普通のことです それだけに留まらず 好奇心が行き過ぎれば 人は非常に 不道徳になります 西洋と同じようにです ですから あなたの欲求を 抑えるのもよくありません 外側を抑えようとする この文化は 内側で 人を不道徳にします 一度リオからロンドンに 旅をしていました 眠ってしまい 起きた時 短いスカートを履いて 蝶ネクタイをした女性が 着飾って 座っていました スチュワーデスに “どこかで止まりましたか” “直行便です 止まっていません” “この人たちは誰ですか” “同じ人達です” 全く違う姿でした 裾の長い服から おかしな格好に 変わったので驚きました 理解できませんでした このようなことが起こります 抑圧によって作られた 好奇心は 健康的ではありません サハジャでは 抑圧はありません あなたは純真になります 純真になるだけです シヴァの原理です サハジャの文化は 中庸にあり 行き過ぎた不道徳や 抑圧はありません 中庸です シヴァの最も偉大な原理は 純真であることです この純真が あなたの中で輝きます それを見てきました 過去に関わらず あなたは大変純粋です 西洋のように 振る舞おうとする愚かな考えは あなたにはありません サハジャ ヨギになった 多くのイスラム教の人々は サハジャになり すばらしい人生を歩んでいます 告白する手紙を送った イラン人がいました ショックを受けます 私には耐えられないので 読みませんが 今彼らは 最も道徳的です 極端に走るのは 間違っています 中庸にいることです サハジャにおいて 人生に大切なのは 徳であると理解できます それは あなたの純真からきます それはシヴァの息子である シュリ ガネーシャの本質です そして シュリ シヴァの 純真を通して放されます シヴァの次の講義で あなたに純真について話します そのために執着しないことについて 理解しないといけません 自分の中で育まれるものです 強制できません 瞑想を通して無執着を 内に育むことができます それは大変 歓びを与えるものです シヴァの多くの特質を 説明できます 彼については多くの講義で お話ししたと思います あなたのアシュラムで コレクティブな瞑想を持つべきだと 言わなければいけません コレクティブな瞑想を するのは良いことです 人にバイブレーションを 与えることはありません 他者のチャクラを 世話することもありません 自分を気にしなさい どこが問題か見なさい あなたの上昇における困難への 解決策が何であれやってみなさい 全世界の責任が サハジャ ヨギにかかっているからです あらゆる問題から 人類を救うのに サハジャ ヨギが地上に 生まれなければいけませんでした 正しい状態に自分を保つのは あなたの責任です サハジャ ヨガに関してです 左右の問題を なくしなさい そして 大げさな言葉や 攻撃性からではなく 愛と慈悲で サハジャを広めなさい 多くは達成しましたが 私が正す嫌な問題が いくつかあります 何であれ 作用してると言えるでしょう 皆 自分を見て どう変わって 深まるかを感じないといけません 神の祝福がありますように […]

5th Day of Navaratri, Innocence and Enlightened Faith Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Navaratri Puja,  Cabella Ligure, (Italy), 9 October 1994.
今日私たちは ナヴァラトゥリのプージャをします 昨日ナヴァラトゥリの 美しい描写をみました そしていかに母なる女神が あなたの中に 様々な力をつくったかをみました 彼女だけが その力を持っているのではなく あなた方全員が持っています そして ワークアウトさせることができます あなた方はこれらの力が 存在するか否か分かります 私たちにおいて リアリゼーションは大変重要です クンダリーニがあなたに このリアリゼーションを授けました もちろんクンダリーニは アディシャクティの一部であり 反映でもあります また― ジャガダンバも アディシャクティの一部です 彼女は 二つのハートの中央に位置します それは大変大切な箇所です 全てのこれらの力は そのチャクラにおかれています どれほどの力が そこにあるでしょう 彼女の力は センターハートを通して あなたの身体にある 全てのガナで表されます これらのガナは あなたに保護を 睡眠を エネルギーを 恩恵を与えます 常にガナ達は働いています そして非常に献身的で 母なるアンバ ジャガダンバとも呼べますが それと始終繋がっています 彼女は宇宙のお母さんです どんなに全宇宙の世話に 忙しくしているでしょう このセンターが弱まれば ガナと彼女の繋がりが 弱まったということです ガナ達も弱くなり そのため 作用すべき力が うまく働きません それは大変精妙なセンターです お母さんのセンターだからです お母さんの愛を 理解することができません 完全に不可能です 女の子が結婚して お母さんになると 母の育てた大変さを 理解します 同じように サハジャ ヨギが すばらしいサハジャ ヨギになると ガナ達がいかにネガティビティと 戦うための忍耐が 愛そして知性が必要だったか 気づきます 故にジャガダンバの全ての力が 様々なネガティビティを 打ち負かすのに作用します 何よりも彼女の性質は この世界における サハジャにおける あなたにおける 全てのネガティビティを 破壊することです 彼女の破壊は 様々な方法で行われます まず もしあなたが 女神に対して罪を犯せば 肉体的な問題が生じます 精神疾患や様々な病気です たとえば癌 エイズなどです 病気の中には ガナパティと関連するものがあります ガナパティは ガナ達の神です お母さんにはガナパティがいます 息子であるガナパティを通して 全てのガナを統轄します 強い繋がりがあります お母さんに対して罪を犯す時とは 不道徳になった時です 不道徳とは ダルマが許さないことに 耽るときです 汚れたものは悪です あなた方は内的に サハジャ ダルマを理解しています 何が間違っていて 正しいか知っています ですからそのようなことを あなたがしようとするなら 彼女はお母さんなので 罰するのに時間を与えます しかしお父さんに対して 罪を犯すなら 自慢したり 残酷になったり 乱暴であるなら すぐさま罰がきます しかし彼女は 慈悲の大海なので 罰はもっと遅らされます 十分な機会が与えられます その者自身が改善する 自分を導くための機会です しかし罰が始まると あなたは病気になります それも深刻な病気です それは恐れと 言われているものからきます 他人に脅かされたり 攻撃されたりする者は いわゆる蚊のようになる と言いますが 攻撃的な者に抑圧される 脅される者は 恐怖におののく者は 母の力に自信を失くします 結果としてそのような人は― おしゃべりが過ぎます その子を連れ出せますか 父親はどこですか 子どもを コントロールしなければいけません おしゃべりをしているのは ネガティブな子です 誰の子どもですか 自分の子の面倒を見てください 普通ではありません 普通まともな子は 私が話している間は静かにします 外に連れていきなさい このセンターハートは 気遣われるべきです 恐怖で左側に投げ出され 母から遠ざかると お母さんが私たちに 自信や勇気を与えるので もし恐れていたり 恐怖の下にいるなら 左側に投げ出されます 様々な深刻な 不治の病に犯されます もう一つは もし快楽に耽るなら 徳を重んじずに耽るなら 中庸から外れ 左側に投げ出されます 母の蓮の御み足に いるに値しないからです このセンターは恐れがあると 胸骨がリモコンのように動き 攻撃が来ているとガナ達に知らせます しかしあえて左側へいって 快楽にふけるなら ガナ達は気にもしなくなります “好きなようにしなさい” と言うでしょう これらの様々な 左への動きは あなたをお母さんから遠ざけます アメリカで起こった ある者の話をします 彼はインド人で 昔からのヨギです 彼は仕事場から出て 車に乗りました そこには刃物を持った男がいて 彼のセンターハートを刺しました 血が流れ始めました 彼は“マザー 何が起きたか 分かりませんが” “力が湧いてきて 戦うことができました“ “刃物を奪うと その者は逃げ出しました” “それでも血が出ていることは 気になりませんでした” “近くの同僚に声をかけ 彼の車に乗り込みました” 彼は警察には行かず 犯人探しに30分かけました しばらくしてから行くと シャツの血に警察官は驚いていました 警察官はショックを受けていました “犯人を30分間追っていました” “なぜ警察に 連絡しなかったのですか” “30分待つなら 自分で探した方が良いと思いました“ その勇気を見てください もちろん病院へ連れていかれ 傷口を縫いましたが大丈夫でした これは深刻な病気に 侵されない者の象徴です いかなる恐れもありません そして彼はインド人です 彼は“子どもを叩いたことも 喧嘩したことも” “レスラーでもありません でも起こりました” “どこからそのシャクティを得たかも どうやったかも分かりません“ このような話は多くあり サハジャ ヨギや聖人について話せます いかに攻撃された時 対抗するのが怖くなかったか あらゆるひどいことから勇気を持って 自分自身を守れたか これは信じ難いことですが 毎日起こっています いかに勇敢であったか 手紙で読みます あなたが女神を信じるなら 彼女は非常に力強いと知りなさい 彼女は大変知的です あなたを守るべきなら 分からないような方法で 完全にあなたを守るでしょう この信心は 育まれなければいけません 経験によっても 育まれなければいけません いかに守られ 助けられ 危機から救われたかの経験です それにも関わらず あなたが取り乱すなら あなたの人生の空に 雲がかかるなら あなたはまだ 弱いということです ですからまず 女神を本当に崇拝するなら いかなる心配も すべきではありません 恐れは持つべきではありません 恐れなしに進みなさい あなたがしていることが何であれ 恐れなくやりなさい しかし同時に 他の事も言わなければいけません ゾンビのように 振る舞ってはいけません つまり右側に傾く戯言を 言うことではありません もし何かをすべきなら 明確な考えで恐れなしにしなさい 彼女の力のすべてが 内に現れます 恐れのない者は 睡眠や幸福を 心配する必要は全くありません その者は恐れがありません 恐れがないということは 人と衝突したり 好き勝手言うことではありません 誰が攻撃しようと恐れを持たず 常に自分を守れます 先程の話も これは内にいる女神からくる 守りではありません 彼が彼自身を守りました 彼を通して その力が働き始めました あなたは精神に 身体に この力を投影させなければいけません さもなければプージャや 他のことには力が備わっていても あなたの精神は 自分の力を認めないでしょう この説明を裏付ける 話や奇跡は多くあります まず 何に対しても 恐れを抱くべきではありません 間違ったことをしていないなら 正しい道にいるなら あなたは常に守られます 覚えておいてください あなたは常に守られます 覚えておきなさい そして信じなさい “私は常に守られています” これは大変難しいことです 私たちの精神には 思考があるからです “神よ 何が起こるでしょう” ですからもっとも大切なことは 恐れを持たないことです 女神を現せるようにすることです こう考えてみてください 全てのガナがあなたに従っています もし軍隊の隊長が怖がっていたら 他の者はどうなるでしょう あなたは自分自身を頼るべきです この信心は 育まれなければいけません 病気の者は 私に会おうとします 自分を頼っていません 自分を治せます 会いに来る必要はありません 祈りだけで自分や他の者を治した 事例は多くあります この信心が成熟していなければ 私に治させようと 触れてもらおうと考えます 以前はそうしていましたが 止めました 自分自身に頼るべきだからです 自分だけでなく 他の者も助けられます 自分を治せる 面倒を見れる 守れるという 信心が内になければ 常にお母さんに してもらおうと思ってしまいます 小さな赤ん坊なら 養わなければいけません 食べ物を与え世話をします しかし成長すれば 養ってもらいたくありません サハジャ ヨギも同じです 私は何年も面倒を見ています 成長しなければいけません 威厳を持ち 自分自身でしっかりできるよう 成熟すべきです この成熟はあります お母さんがあなたに恩恵を与えたからです あなたに全ての力を与えました その中でも忍耐の力は 難しいものです お母さんのように 忍耐を持つべきです 難しいと思っても 試してみなさい 自分に忍耐強くないといけません ある者はスピリチュアルにおいて駄目だと 何も得ていないと思っているようです これは一種の逃避です 自分の人格からの逃避です 内省すれば真のスピリチュアルな 大物に育ったと分かるでしょう 誰も手出しはできません あなたは何でもできます 自分の面倒も見れます 他の者も支えられます 昨日の歌の力全てが どんなに凄くでも この力は全て あなたの中に現れています しかしあなたは それを偶然に感じ 自分のものではなく 他の力だと感じます 全ての弟子と 神聖な力をつなぐ仕事は 今まで誰も したことがありませんでした これは愛の神聖な力なので あなたは 他者への愛を知らなければいけません 大切なことです しかしここで愛というと 我が子や妻を思いがちです サハジャ ヨガでよくあります 我が子に執着します 以前は自己中心的で 妻子への執着はありませんでした しかし今はノリのようです 子どもたちも妻も 糊づけされているようです そして家族が大切です これは克服すべき もう一つの誘惑です 家族を断念する ということではありません もう一度言います 執着してはいけません 執着しないことはあなたの力です 執着のない目で全てを見なさい “数日前からサハジャをしています“ と考えてはいけません “誰かの方が優れている” と考えてはいけません ただ自分自身を内省し どれほどの力をすでに持っているか 自分でみなさい 分かれば分かるほど 謙虚になります 驚くべきです あなたは謙虚になり いかなる恐れもありません お金をたくさん持てば 恐れを抱くかもしれません 大変教養があれば 嫉妬する恐れがあるかもしれません 服飾品のような富を持つなら 強盗を恐れるかもしれません 政治家であれば 不在の時に席が取られると 恐れるかもしれません しかしサハジャ ヨガにおいては 逆です 誰があなたのセルフ リアリゼーションを 盗めますか 誰があなたの力を盗めるでしょう 誰があなたのヴァイブレーションを 盗めるでしょう 考えてみてください 誰があなたの愛を盗めるでしょう それは永遠である スピリットから来ています 常に流れています あなたがスピリットから 遠退いた時のみ 人が暗闇にいる時に感じることを あなたは感じます もうひとつのお母さんの力は 目撃する力です すべてを目撃できる状態を あなたに与えることです あなたは 絶大な忍耐力を備えます 何が起ころうと大丈夫です 為すがままにできます つまり怒りと呼べる ひどいものを取り除いて 大変穏やかな 目撃する状態を与えるので あなたはより若くなります 私がリアリゼーションを与えた あるヨギに今年会いましたが 分かりませんでした 突如 10才若返ったのです 驚くべきことで 正直言って 息子なのか本人なのか 同じ人だとは本当に分かりませんでした あなたに何が起こるかというと 穏やかな人格になります なぜでしょう お母さんがいつも そこにいるからです この信じる気持ちです 彼女はいつも共にいて 守っています 私たちが成長したので すべての力を与えました すべての資産を与えました 何を恐れることがあるでしょう この信心は盲目的なものではなく 啓蒙されたものです その違いは 盲目的な信心は信心があっても 力はありません 啓蒙された信心には信心と 全ての力があります これがあなたに起こると 急速に成長し始めます まずダルマにおいて 自分の徳に恐れを抱きません どこへ行っても人に サハジャ ヨガについて話します そしてそれは作用します 一度恐れがなくなれば 全体がクリアになります 洞察力を持つからです サンスクリット語で“ドゥシタス”です なぜC・S・ルイスは私たちの 状況が分かったのでしょう ウィリアム・ブレイクは 未来を予言できました ギャネシワラは全てのサハジャ ヨギの 説明をパセイドンで書きました 彼は“立ちあがって働きなさい あなたはすでに備わっています”と言いました 常に人に確信を 持たせようとしました なぜタゴールは私たちがガナパティプレに 行くのを知っていたのでしょう なぜこのようなことが起こるのでしょう 啓蒙された信心を持ったときのみ それは起こります お母さんは啓蒙された信心において 素晴らしい力をさらに与えます 分別です ある者が私のところに来て “マザー この紳士はすばらしいです” “誰の世話にもならず 彼は教養があり お金もあります“ “では写真を見せてください” 写真を見て私は “中に入れないようにしなさい”と言いました 彼は驚きました 私は写真から分かりました ヴァイブレーションで分かりました すぐさま “よくありません”と言いました ある男性が来て言いました “銀行に3500ポンド入金するよう” “ナイジェリア人が 手紙で書いてきました” そこに彼も多額のお金を入れるからと 後にその1/3が手に入ると言うのです 私に話してくれました “関わってはいけません“ と言いました “なぜですか” “それは詐欺です” 彼がアメリカに帰ると 詐欺だと分かりました “なぜ分かったのですか” “ヴァイブレーションで分かります 大変熱いです” “ですから詐欺です“ あなたはヴァイブレーションがあります 感じることができます この新しい意識を使いたくないなら 何の役に立つでしょう “忘れなさい”と言ったら 彼は動転していました 彼は“なぜそんなことを言うのだろう” 私は“お金が必要ならあります” “でもこれには 関わらないでおきなさい“ 詐欺だと言われ ショックを受けていました 帰国して詐欺だと分かりました 飛行場で彼は私に ひれ伏しました “マザー おっしゃるとおりでした” その者がペテン師だと教えてくれたのは ヴァイブレーションでした 大金を渡すと言ったのは嘘です その者のヴァイブレーションが 悪かったからです このようにあなたは 次第に経験できます その経験を ハートに入れるようにしなさい その経験に自信を持ちなさい あなたはどう変わったか サハジャ ヨガにおいて マザーの恩恵を受けた経験を どれほどもてたか 内に啓蒙された信心があれば 力強くなれます 信じる気持ちが薄いために 力がないのです もしあなたが進化して成熟し 真にリアライズ ソールになれば あなたのすべての力が 作用します インドにある漁師がいました 漁師ですが 学位を持っています ある日 彼はサハジャ ヨガの プログラムをするため ボートで他の島に 行くところでした 外へ出ると 巨大な暗い雲が漂っていました ヴィシュヌマーヤの戯れでした 彼は岸に立ち ヴィシュヌマーヤに言いました “雲に悪さをしないよう 言ってください“ “マザーの仕事をします” “その道中 困らせないよう言ってください” 彼と一緒にいた人達が 教えてくれました 彼らはプログラムをして 家に帰りました 家に着くやいなや 雨が降り始めました ですから啓蒙された信心で 5大要素をコントロールします あなたは何も言うことはありません その力はあまりに偉大で 作用します 今日もプージャの時間に 突如快晴になりました 私が頼んだわけではありません ただ快晴になりました 昨日より遥かに穏やかです 寒くなっていたかもしれません 信心をもたなければいけません まさに現実です 前回はひどい雨でした すべて跳ね上がり 柱を下ろさないといけませんでした しかし私の“ジェイ” と言い始めると止みました この経験で分かることは これらの柱は 下ろす必要はなく ただ私の“ジェイ”を 言うだけでよかったということです 代わりに下ろすのに 忙しくしていました 私はただ見ていました “やらせておきましょう” これらの試練は あなたを成熟させるために起こります これらの試練がなければ それに取って変わるものはありません 取って変わるものがなければ 信心が何か知ることはできません 岸に立っている者は “どう泳げばよいか分からない”と言うでしょう しかし水に飛び込ませれば 泳ごうとします すると泳げると分かります 自分が何になったか分からないので 泳げることに気づいていないので 他の者も救えると知らないので 未だ小さな 些細なことに 忙しくしています しかしあなたが どのような者になったか知れば あなたは完全に変わります 極一部分のように見える あなたの小ささが 空全体を覆うでしょう 内にあるこの力は あなたにエゴを与えません 一つにあなたを謙虚にします あなたを謙虚にし 大変愛深く 慈悲深くします これらの力で 他の者を傷つけません これがお母さんの愛 お母さんの愛の力の象徴です 母親が大変愛深く 親切であれば 心理的事実として その子どもは大変良い人です それは心理的事実です ですからあなたが 真の自分に気づけば・・・ ナヴァラトゥリ プージャはある意味 大変力強いプージャです それはあなたの力の経路を開き 顕わにするからです それ故 これは大変大事です 今朝から ヴァイブレーションは満ち溢れ ヴァイブレーションの滝のようでした 常に光 光 光が目に映り 何を話してよいか分かりませんでした そのため目を閉じていました あなた方ではなく 他のものが見えているたためです でも今はあなた方が光です 光は暗闇を恐れませんね 暗闇をなくせるからです それがあなたです あなたは自分が何者か知りません 自分自身についての小さな 大変小さな考えで生きています 頭に2つ角をつけた 大口を吐くグルのようになりなさい とは言っていません あなたを飾るのは謙虚さです 親切心 優しさ いかに人と接するかです 何か間違ったところがあれば その者に言いますが その者が自分の為だと 分かるようにします すると全人格 全気質 全てが変わります 表情全てが変わります 動き全てが変わります 話し方も変わります 自然にです まるで内側の機械が 変わったと分かるようにです あなたは 真のマハ ヨギの資質を育みます 以前にもこのマハ ヨギの状態は 多くの者によって達成されましたが 大変な回り道を 経験しなければいけませんでした 全てを断念し 見せかけでなく 真に無執着でいないと いけませんでした 彼らは人里離れたとこに行き 素食で 暮らさないといけませんでした 仏陀でさえ大変苦しみました キリストも同じです 化身でしたが 苦しまなければいけませんでした ラーマもシュリ クリシュナも 大変苦しみました あなた方は 苦しむことはありませんでした それどころか 苦しみから抜け出して 喜び 音楽 全てがあります しかし 喜び以外の何ものでもない ニラナンダにおいて サハジャ ヨガを楽しむためには 自分が生きている全ての幻を 断念すべきだと知らないといけません 様々な“幻”があります 貧しい 金持ち 不幸せ という幻を持つ者もいます 幸せだという者もいます 様々な幻があります 全て幻です 大事なのは 完全な空です この空は歓びによって 満たされます 完全な空があれば 誰からも何も期待しません そしてその内なる空は 慈悲と愛があなたの中に入るよう 機会を与えます 鍋が満たされているなら それ以上何を入れられますか 何を加えるというのでしょう あなたの中が完全に空なら 過去や未来 野心 虚為のような ナンセンスは関係ありません 空になれば 歓びで満たされます 永遠の特質を備える歓びは 望まなくとも 期待しなくとも常にあります 今日あなた方がそれを 感じられることを望みます ご存じのように女神の話は 大変深く精妙です いかに彼女がお母さんの姿となり いかに愛で 彼女の献身者の世話をしたことか いかに悪魔や ネガティビティと戦ったことか しかし今 悪魔はあなた方の ハートに入り込んでいます 間違ったグルが 頭に入り込んでいます 本を通して多くのことが入り込み 常に人を攻撃しています 悪魔を殺しても あなたの頭に残ります あなたの精神に反映したなら それらは殺されるべきです そうすれば 消すことができます でなければ立ち去っても 頭にブーツを残します 間違って従ってきたものからの 間違った書物からのネガティビティがあります サハジャ ヨガに来てからも 間違って導かれることもあります そのような状況でも その者を許しなさい その者が改善しても あなたは同じ思い違いや おかしなことを続けるかもしれません ですからあなたの本質は 慈悲や愛 恐れのなさや勇気です そして完全な空です この空において 何を得るべきかは 何人の人を集めたかは サハジャ ヨガに何人来るかは心配しません 自動的にうまくいきます 望むこともありません “人が少ない“と嘆きません 私たちにはいいかもしれません 天国には愚かな者たちの 場所はありません ネガティブで役に立たない者を 追うべきではありませんが 純粋に善良な者は 確実に得ないといけません もう一つ言いたいことは そういった者はサハジャ ヨガを 自然に止めます 一回で止めるでしょう そこにいるに値しないからです お母さんの力を持つに値しません 大変すばらしく精妙に起こります プログラムには いつも私は遅れていきます 役に立たない者はいなくなります 途中でいなくなる者もいます 何も理解できないので いなくなります 残った者は 真実の探究者です リアリゼーションを得ます サンスクリット語で“シィーン” 精選です 自然な選択が行われます 人がサハジャ ヨガを去ったり 戻ったり興味深いです サハジャ ヨガでよくあります 気にすべきではありません 例えば 来た人がロシアから多く スイスから少なかったとします そのように考えるかもしれませんが 私たちはもはやロシア人でも スイス人でもありません 私たちは超越した人間です ロシアやインドや アフリカから来ようと同じです サハジャ ヨギである限り 幸せであるべきです しかしスイス人が来るなら 喜ぶべきです 彼らに来てもらいという執着は ある意味良いです 仲間ができるからです 一人で密林にヨギ以外の者達と 住むことはできません ですから仲間が要るのです もっともっと必要です でも構いません その人数で十分です 人数について 心配すべきではありません 愛を分かち合いたいとき 欠けていると思ってしまいます 自分がスイス人だからではなく 分かち合えないからです その時新しい人格が芽生えます この新しい人格こそが作用します お金や賞与 奨励を もらえるものではありません あなたの写真が 飾られるわけでもありません 如何なる組織体でも あなたのように働けません 彼らは賞やボーナスや 昇格を与えます 様々な手を使って働かせます しかしサハジャ ヨガでは何もしません 何があなたを 一生懸命にさせるのでしょう 広めさせるのでしょう ただ分かち合いたい ということだけです しないではいられません 酒飲みも 一緒に飲む人を欲します 一人だと罪に感じるからです 罪なことをしているので 誰かと一緒に分かち合おうとします 罪の半減です サハジャ ヨガでは分かち合います 広めたいのです それはあなたが コレクティブだからです コレクティブになりました だからです もっと来てもらって 一緒に楽しみたいのです あなたは 大変高貴になりました 仮にある者が くじを当てたとします 大きな仕事を得るとします すると誰とも分けたくありません しかし自分がこれ程楽しめるなら 他の者にもと思います 同じような恩恵を持てれば と思います あなたが高貴になったからです 大変一生懸命 それを達成するようにします あなた方が自発的に働いているのを見ると 歓びを表すことができません 昨日映画を 全てのドラマを見て 大変驚きました そしてカベラにマラティの音楽がきた という思いに感動しました イタリア人が思いつきました 想像できますか 何百年経っても考えないでしょう いかに自発的に 起こったことでしょう それはうまくいってます 集合的センスがあるからです 新しい時代とは 確かにこのことです 新しい意識もあります 何が新しいかと言うと 集合性です その集合性が作用し 広めたいと望みます もっとサハジャ ヨギになってもらいたい という切望です もっと兄弟姉妹がほしいという プージャに来れますよう 良いヨギになれますよう という切望です この種の野望 歓びは 何と呼ぼうと その計画はあなたのハートに集合性が 繁栄している現れです それ故サハジャ ヨガをヒマラヤで ひとりで楽しめません 他の者と一緒にいたいのです いかにお母さんの愛が あなたのハートに根付いているかの いかにサハジャ ヨガを 広めるかの表れです オーストラリアで誰かが 金儲けをしているようです オーストラリアは常に問題があります これで金儲けをしているとは 理解できません どうして金儲けのことや サハジャに反することを考えれるでしょう 頭痛のようなものがします 構いません 私に任せなさい どうにかします あなたはお母さんの すばらしい光となりなさい それを今日 あなたにお願いしています あなたの中に 全ての力が流れています 啓蒙された光があります それを広げないといけません もっと広げなさい あなたはトゥカラマの言葉に 驚くでしょう “私は塵の小さな欠片のようなものです そしてまた空全体でもあります“ これがあなたの人格です 神の祝福がありますように […]

Birthday Puja, Satya Yuga New Delhi (India)

Puja for the 70° Birthday, New Delhi (India), 21 March 1993.
これほど多くのサハジャ ヨギが 世界中から来て 笑顔で座っているのが眩しく 胸が一杯です 今日私のヴィジョンが 実現したかのようです 私にはあなた方が 明日の世の救済者に見えます カリユガの惨禍が あらゆる方角から 私達を取り巻いているなかで あなた方は生まれかわり カリユガの池から 色とりどりの蓮の花になり 芳しく美しく咲いています 私の誕生日を祝うのでなく あなた方の誕生を祝うべきです 先日お伝えしたように あなたこそ偉大な真理と愛の 探求者であり 預言者で それをもたらす存在です さもなくば 一人を変えることすら とても難しいことでしょう しかしあなた方は敏感で 深みがあり 驚くことに 精妙な知識を吸収しました 信じがたいことです 自分でも このカリユガに 偉大な人々が生まれました これほど沢山の 聖者が私の前に座っていて 信じがたいことです スピリチュアリティ史上 なかったことで 天国においてさえ 神々は少数です 優劣をつけがたい 美しいハートと 卓越した知性 活発な意識を有しています この70才の誕生日に 皆さんに会えて感謝します サハジャ ヨガは 一人から始まりました 参加者がいても 権力や金銭を求めていたりして 問題を起こすものが多くいました 次々と問題に見舞われたり 低次元の探求者も 沢山やってきました しかし今日においては 全員が美しく 見分けがつかないほど 成長しました サハジャ ヨガに コミットできるのは この世の最高の恵みです お分かりのとおり 私一人ではできません あなた方が必要です あなた方がチャンネルで もっともっと広めるべきです デリーのヨギたちは全てを 上手に運営してくれました そもそも皆がこぞって 70歳の記念日に 来るつもりでした 理由はともかく 皆が乗り気で デリーのヨギたちは 今回は私達がやります といったのです マザーぜひデリーで誕生日をと 大変そうですよ 気をつけて下さい 皆が来たがっているみたいですと 軽く考えていたようで “沢山何百人も来ますよ 大丈夫ですか”と訊くと それならもっと嬉しいです 彼らの運営にかける熱意を 私は見ました 最高なのは デリーのような政治家や 政党のある政治の中枢で サハジャ ヨガ内に 政争がないことです 言い合いもなく 足の引っ張り合いもなく デリーのような場所で 注目すべきことです 連日のように 国会内ですら 乱闘が報じられるのに おそらくこの地獄ゆえに 善人が生まれ サハジャ ヨギに なるべきだったのでしょう サハジャ ヨガの知識は ご存知のとおり 極めて精妙で 簡単ではなく いわゆる知識階層や 因習に囚われている人々には たやすく浸透しません 一方には無知な大衆がいて もう一方には自分の頭で作った 枠組みの中だけで 生きている階層がいます 両者とも極めて荒削りです しかし 如何に彼らが 神の微細な恵みを吸収したか 信じがたいことです 私の誕生の後に 多くの者が生まれたこと それをだれも理解できません 私の前に生まれた人も 少数います 彼らは私の誕生直後に生まれ サハジャ ヨガに来たのです しかし私は世界を見て ショックでした カビラ自身よりも 衝撃を受けました どうやって誰かと話せるでしょう 私の家族とも どう切り出せば良いか わかりませんでした 無知の暗闇が深く できませんでした どうしたら 聖なるものを信じるでしょう それが待っていると分かるでしょう 彼らは皆 ある種の宗教を信奉し 現実から乖離していました どう話せばよいか 思い描くことすらできませんでした 最初の出来事を覚えています ナゴールに行き サハスララを開いたときです 最初にリアリゼーションを与えたのは グジャラート人の宝石商でした たちまち他の皆が 35人足らずでしたが 宝石商で金持ちだから だと言いました だからマザーは リアリゼーションを与えたと 本気で怒ったのは あの時が最初で最後でした 彼らに怒鳴りました あなた達は全くの役立たずで 聖なるものを決して分からないでしょう 本気でもうやめよう と思いました サハジャ ヨガが 理解されるまで もう1回生まれ変わる 必要があると ですが突然 人々がクールブリーズを 手に感じ始めした 私が怒鳴った直後です マザー 働いていますと 身体の内外で働いています こうして12人を得ました 以前リアリゼーションを 与えた女性も 後に加わって 14人のサハジャ ヨギで 始めました 突然そうなったので 皆が驚いていました それが何か 知らなかったからです すると驚くことに 憑依された女性が プログラムに来て ジャガダンバ ジャガダンバと 言い始めたのです 彼らは理解できませんでした 私も自分について教えていませんでした さもなければ 教えなかったでしょう 彼女は次に詩を吟じ始め それはサンスクリット語の ソゥンダリャラフリでした 彼女はただのメイドで しかも男性の声でした 皆ショックを受け どうして霊が そういったのかと思いました その後彼女は去りました すると人々は 私が何者かわかりだして 最初の私への プージャをしたがりました 私の自宅でした でもまだ自信がなくて 神官まで呼んだようです このサプタサディは 難しいプージャだから どうなってしまうのだろう ですがプージャが済むと 何も起こらなかったし 前より良くなりました 皆クールに感じました 雰囲気も完全に変わりました 彼らはサハジャ ヨガが ユガ ダルマであると知りました このカリユガの時代のダルマで サハジャ ダルマが このユガのダルマになりました このユガ(時代)は とても確かに難しいです だからこそあなた方は 皆さんが 熱烈な探求者になったのです あなた方は大衆が ただ何かに従い 道を見失っていると分かりました 自身の殻のなかで 頭をあちこちぶつけていると 彼らはたちまち リアリゼーションを得ると 自身の探求や人生について 私に語ってくれました 私は驚きました 彼らには探究心が働いていて サハジャ ヨガに 導かれてきたのです その過程で偽のグルつかまって 道を失った者も多いことも 忘れてはなりません にも関わらず こんなに多くのサハジャ ヨギが 国を代表してここにいます ですが祖国には 更に沢山いるのです インド国内でさえ もっとずっといます あなた方は代表しているのです その何倍もの数が いるということです 何人かわかりませんが サハジャ ヨギは何人いるんですかと 何度も訊かれましたが “わかりません” “わからないのですか” “わかりません 記録しないので” 彼らには理解し難いようで オフィスも記録も事務員もいません 私はタイプもできません 小切手の切り方も知りません 人々は理解できません 現代に私のような人が 存在することを ですが全て何とかなります 現代の無知があるけれども 全てが完全に パーフェクトに運びます リモコンのようです これら全てに関して 私はひとことも 言ったことはありません どうすべきだとか 何人必要だとか 全て自然に上手くいきました 皆がコミットしているからです そのコミットメントが 素晴らしい運営力を もたらしたのです 本当に多くがまとまりました パラマチャイタンニャが クリタ ユガにさしかかり 全てを運んでいるからです それがあなた方を完全に助けます たとえば警察は ムスリムがここに住んでいるので 何か問題になるかもと言っていました 危害があるかもというので どのムスリムですかと聞くと ニザムディン アウリアの人が 住んでいます 彼らは私たちに危害を加えません なぜなら彼らはスーフィだから それに彼は偉大な聖人だったから なので彼らの殆どがスーフィで それを信じているはずで 私たちに危害を 加えるわけがありませんと 明日早朝に チャードルを頭にまいて 行って来なさい 彼らはとても感激して ここまではるばるやってきて それにとても丁寧でした すると私を呼んで チャードルをくれたのです 他にも何かとくれたり 歓待されました 彼の弟子に アミールクスロウがいて 彼も偉大なスーフィで 私は彼の詩やニザムディンの 気品ある生き様を 賞賛していました 彼らムスリムは 私にこうして手を向け クールブリーズを感じます と言うので これがルーです ああ これがルーですか 彼らはルーを得たら すぐにサハジャ ヨギになり その結果 世界中に沢山のスーフィがいて 彼らの住所を調べて 会いに行きましょう そしたらもう一つ テントが必要になるかもしれません 2つか もしくは 3つかもしれません デリーでは サイズをあまり恐れません またデリーでするのが良いでしょう また昨今では デリーは騒がしい都で それをなだめ沈めるのにも 私達が居ると良いでしょう いわゆる国の舵取りをする 役人たちに智慧を与えられます 間違いなくそうなります これらサハジャ ヨギによって レーションが 放たれています あなた方の頭上をみると 天井の布が上下に揺れ続けています 外の風はないのにです 木の葉は動きません あなた方の頭が動かしています このヴァイブレーションが 政治家や役人を 鎮静して穏やかにし やがて平和を確実にもたらします 世界で様々なことが起きていて 不安に満ちたこの時代 政情不安があり ロシアでも ボスニアでも イギリスでは不景気 アメリカも スペインも不景気で 皆が苦しんでいて 彼らは極端な態度にでました なのでこの極化により 彼らは物質主義との 向き合い方を変えるでしょう 必ずあるバランスに至るでしょう あなた方の全なる望みや祈りで この世は美しく 魅力的になり 後世の人々は この世が聖なる芳しい 香りに満ちた蓮の花になった というのです あなた方は花びらで コロナであり 色彩であり 美であり 花粉であり 私の世界のビジョンの 美しい蓮の花です 今日この日に サハジャ ヨガのために 働くと決めて それを広め 自らにも働きかけて下さい 危険があるとすれば エゴに支配されないことです それが唯一の暴れ馬で 馬に引きずり回されず 自分を乗りこなせば とても早く前進するでしょう 美しく こうしてサハジャ ヨガは広がります 誕生日ごとに 誓いを立てたりしますが 私は何を誓えばよいのでしょう 私に無理をしないようにと 人々は言います 私は一生懸命働いています ですがそれを 倍にしようと思います 同じようにあなたも 皆が誓いましょう サハジャ ヨガの仕事にコミットし 社会に出て行くと それについて考えると 科学者なら 博士なら本を書くべきです 記事を書き 動きまわり 同僚と話し 同僚たちと 研修会を催すべきです 建築家たちや 他の職業でも 同僚たちに リアリゼーションを与えるべきです 金融の分野にいてさえ サハジャ ヨガをするべきです それが大事で お金の問題は聖なる力でしか 解決できないからです 誰にも解決できません この世の誰もが 法律でも別の分野でも サハジャ ヨガをするべきです そしてクリエイティブに 仕事をなすべきです そしてまた 周りの環境 村や都市 どこであれサハジャ ヨガの プログラムをして 拡めて行きなさい 治療に関しては 誰にも触らないように 私の写真だけを使って こうしてどんどん サハジャ ヨギが増えていき 病気の者は減っていきます 人々は治っていき 皆サハジャ ヨギになるでしょう 農業もあります 何度か試しましたが 更に農業に応用すべきです 政府に農業分野での 可能性を訴えるべきです 委員会を作り 会いに行き サハジャ ヨガが 農業にどう役立つか話しなさい 子どもの援助も必要です 彼らを大切にしなければなりません 彼らにどんな未来が 待っているでしょう どんな世になってくるでしょう インドにおいてさえです なので子どもを サハジャの文化で ちゃんと世話することが とても大切です 彼らが明日の サハジャ ヨギだからです 多くが生まれながらに リアライズしています ちゃんとしつけて 彼らをアーラにすべきです アーラ ダルザです カワリで言われる サハジャ ヨギのことです 家庭もとても大切です 今日の家族が 狂っているのをみるのは ショックなことです 誰もその大切さに 気づかずにいます サハジャ ヨガでは 小競り合いやケンカ キツさや残酷さはなくすことです ちゃんとした関係をつくり まずは夫婦からはじめて 連れ添っていき それを子どもが見て学び 楽しむのです 生活のなかでの装いも 威厳と品位をもって 自らを敬いなさい とても大切です 自分に似合うものを 国に合わせて着るべきです 真夏の季節で 3ピースのスーツを来たりしたら どうなるでしょう 適切で 文化にあったもの 品があって伝統に沿った 装いをするべきです 特に女性には大切です より高貴に見えるような 服を着ることです もう一言女性に加えると 女性が少なくとも 新聞くらいは読むことです 注意が世界の問題に 向いていれば とても効果的です あなたの注意は効くからです 注意を使いなさい 新聞も時に恐ろしいのは 知っていますが バンダンをしなさい 何が起こっているか見なさい 大切です 男性はセンセーショナルなものは 読まないことです 現実に起こっていることに関し 読んで解決を考えなさい サハジャ ヨギとして どう役立つか 個人的にも社会的にも 私たちは多くの問題を 解決しなければなりません 名作も読むべきです 映画も見なさい それらに対する感想を持ち こころを敏捷に保ちなさい 私は美しい詩歌を 最近たくさん読みました それらは まさか詩を書くとは 思えなかった そんな人々による 最上級の美しいものです これらの詩を集めましょう 奇跡的な写真も 方々から集めましょう 今それらを編纂しています そしてそれらによって 自然に何かの助けになれば 素晴らしい達成です 今までにそうした情報を集めたり 保管したりしてこなかったからです 最も大事なのは瞑想です 瞑想しなさい 瞑想によってのみ現在にいることができ スピリチュアルな成長が可能です 何度も言っているのに しようとしません 10分ほど瞑想できれば 寝る前にすれば効果的でしょう 間違いなく 早く成熟します 私には瞑想しているか すぐに変化が分かります 習慣づけば 決して止めないでしょう 簡単な瞑想です フットソークなどもあります 朝はエゴを叩きなさい それだけです それは義務や 苦行ではありません そういったことではなく シンプルなことです でも自分自身でそれを行い 自己実現と神聖への成長に 敬意を現すのです 私たちには 沢山の強みがあります でも気をつけていただきたいのは 探求心のない人々に サハジャ ヨガを勧めないことです 議論や口論して 力を浪費しないことです あまり議論できることでは ないからです 彼らは忘れて放っておくことです 私に任せなさい 真理を探求している シンプルな良い人を選びなさい 議論ばかりの人々のために 頭を痛めてほしくありません 今日では サハジャ文化が出てきて 人々はあなた方を見て 特別だと感じるでしょう 何かユニークさをもっていて 他にない性質があると これらは全て あなたの内面から 自然に出てきましたが それを恥じずに保つことです 自身の美徳を 恥じてはなりません 人が何をしてきても こうしろああしろと言われても 間違いなら 従うべきではありません あなたにはもう力があり したくないです といえば良いだけです あなたが民衆を導くのであって 人にリードされるべきでありません ファッションにも惹かれず あなたがファッションを作りなさい 彼らに道を作るのです 彼らの道を あなたが歩くのではありません いいですか あなたの人格は 多くの精妙さを 理解するレベルにあり その力に人は気づきません だからあなたが 当然リードしなければなりません 彼らの考えを取り入れるのでなく サハジャ ヨガやあなた自身に 何かを言われても 恐れないようにしなさい 自身を持ちなさい そうすれば上手くいきます 私はただの女性で主婦ですが サハジャ ヨガに自信があるから うまくいきました 始めるかどうか 迷うことなく ただ始めたら 家族ではあまり評判は 良くなかったけれど それは問題ではなくて 自分で全てを初め 全て上手くいきました 真理に完全に自信がありました 真理が私を助け 私を訪れる人々をも助けると そして現にそうなりました あなたにも難しくないでしょう まずは皆さん 自分が条件づけされてなく エゴがないことを 確かめてから始めていけば 上手くいくので驚くでしょう 今日のプージャは短いので 長く講義しました この短い時間では まだ言えないことがたくさんありますが ですが坐れば簡単にできます 12345678自分と なので自分がオーガナイザーだと こころに留めて下さい 何をするべきか 何ができるか 何をなそうとしているか ぜひやってみてください 皆ができます 日記をつけるのが 一番よいでしょう 何をしたかとか リアリゼーションを何人に与えたか 何人治り 彼らについてどう思ったか でもサハジャ ヨギ達は 今持っていないと マザー 今は持ってないので 明日から始めます 今日から始めなさい サハジャ ヨギの唯一の問題は ものを軽く考えすぎるところです もちろん そういう性格なのでしょうが サハジャ ヨガに関してはいけません 他のことなら 軽く考えても良いです 誰かに怒鳴られたら 叩かれたとしても 軽く受け止めれば良いでしょう そんなことは何でもありません あなたはスピリットなのですから スピリットを壊すことはできません ナイナム チダンティ シャストラ二 でもサハジャ ヨガに関しては 違う態度であるべきです 一方ではリラックスしていて もう一方では精力的であるべきで そちら側でサハジャ ヨガの理論を 前面に押し出すのです 人々に話す際に プレスコンファレンスを催したり したいようにしなさい どんなレベルであっても やりたいなら キチンと計画したなら あとはただ実行するのみです 全てうまくいくでしょう 間違いありません 私のこれらのアイデアで 多くの者が来るでしょう 来年にはきっと 実現していることでしょう ライ氏のように多くの人に 本を書いてもらいたいです 医者は皆書けるでしょう ドクターライは簡単に書きました 簡単に書けました 美しく成功しました 誰もが自分の体験を サハジャ ヨガの理解を持って 書くことができます それがサハジャ ヨガを 助けるでしょう ただ非常に 誠実な本であるべきです そうであれば サハジャ ヨガでも賞賛され 出版されることになるでしょう アイデアがあるものは 誰でも本を書いてみるべきです 新しいアイデアや創作です とても大切です 現代では人々は 新しいことをしようとするからです このような状況ですから 皆が上手くやれるに違いません サハジャ ヨガについて常に考え アイデアを思いついたら書き留め それを編纂し サハジャ ヨガの 美しい本にしなさい 女性にも多くのチャンスがあり サハジャ ヨガのために色々できます 今が絶好の機会です 間違いなく明日から サッティャユガが始まると思います 何が兆しかといえば サッティヤ(真理)が 勝利するということです 何であれしようとすると 真理が勝利します 真理の勝利 それがあなた達により起こります そのためあなた方に おめでとうといいます それを是非やってみてください 神の恩恵がありますように […]

Hamsa Chakra Puja Vancouver (Canada)

Hamsa Chakra Puja, Vancouver (Canada), 13 September 1992.
今日 私たちは ハムサ チャクラを崇拝します 今まで私たちは常に 神格を崇拝してきましたが ハムサのセンターを崇拝するのは 今回で二度目です このチャクラは 二つの眉の間に位置しています 二つの目は 左側と右側を表しています このセンターは 目 耳 鼻 舌 歯 喉 などに関与しています これはとても 重要なセンターです なぜならヴィシュディは16の花弁を 世話しなければなりませんし またこれらの異なる器官を 世話しなければならないからです その上ヴィラータと 伝達し合って このハムサ チャクラのセンターを 通り抜けなければなりません ハムサ チャクラは 私たちの意識の中で 吉兆を表す まさに中枢のセンターです このセンターが 鋭敏で目覚めるなら 私たちは直ちに 何が吉兆で そうでないか分かります 神聖な分別を得ます 人々が善と悪 破壊的と建設的な ものに分別を持つのは 遺伝の一部だと思います 基本的に 備わっているものですが 外部からコンディショニングやエゴを 収集しているこれらの器官によって 私たちは容易に このセンターを損なってしまいます ですからこのセンターは 傷つきやすいのです このセンターが これらすべての器官と関連して 全ての情報を 受け取っているのに比べ 他のセンターはそれほど 外部とは繋がっていません 例えば目は スピリットの窓と言われるように 大変重要です クンダリーニが上昇して スピリットが輝き始めると 瞳が拡張し 純粋な子どものように見え 目に輝きがでます しかし目を貪欲と欲望によって 無分別に使うなら このセンターを ひどく損傷させます 一度生活の中に破壊的なものを 取り込み始めると 私たちはすぐに何でも 不適当で破壊的なものを いとも簡単に受け入れてしまいます これは遺伝上の欠陥 ではないかと感じています つまらないもの 破壊的なものを 受け入れない者もいるからです 一方でばかげた 破壊的なものに 簡単に引き寄せられる者もいます 集団的に 受け入れることもあります 一度集団的に受け入れると 周りに影響を及ぼします 取り込むだけでなく 周りに影響を与える効果があります 例えば 落ち着きの無い目の者が 他の者に影響を与えて 彼らもそのように なってしまうことがあります 彼らに影響を及ぼし 同じようにさせる可能性があります つまりこれは あらゆるブーツが入ってくる うってつけの戸口です そしてそれを投影し始めると 同じブーツが 他の者へ乗り移り 同じような真空 その人のハムサ チャクラに 同じような弱点を 作りだすことがあります ですから 目はとても清く 純粋でなければいけません もう一つは 聞くことにに関してです 人は聞きたいないことを耳にすれば 耳をふさいだりしますが それを聞くのを 好む者もいます 普通人が好まないような 恐ろしいことを聞くのに慣れ それを好むように 条件付けられます 例えばフランス人は 匂いに関して分別がありません 匂いがひどいのに 腐った食べ物やチーズ ワインを飲み食いしています 匂いが分かりません 近くにいる人でさえ わかります 彼らの手からも匂います 分別の力を失っています 同じように私たちの国には 汚い物を手できれいにする スイーパーというカーストがあります 臭いとは考えません 臭覚が おかしくなっています ですから 彼らは仕事ができます 香りに対する 敏感さが失われれば・・・ 煙草から作られた物があって それが良いとされています “タバック”のような有名な 香水のブランドもです 一度そのような物を好めば “ポイズン”のようなひどい香りまで 良いとしてしまいます 嗅げばアルコールの 匂いがします 彼らは気にも留めません そのような香りに 快楽を感じるからです これらは 終には 鼻の細胞を破壊させ 臭覚さえ失いかねません 臭覚は 喜びを与える器官の一つです クンダリーニが上がると 多くの者がたくさんの香りを感じます グッグルや白檀の 香りがする者もいます それらは花や木の 自然のエキスです 不自然に作られたものは 現に鼻の臭覚の細胞を 破壊します 一度それを使い始めると 動物のように悪い匂いが 分からなくなります 動物の大半は何の匂いにせよ 匂いを感じます 人間の香りに対する 感受性が失われてます 私たちがどれほど人間として 上昇したとしても 次第に 完全に失われていきます また喉に関しても 口汚い言葉が使われたり 人を罵ったり 短気を起こしたり 攻撃したりすれば あるいは飲酒や 特に喫煙などのような 破壊的な性質によって 喉をだめにします 煙草を吸えば 喉は傷を受けやすくなり あなたの声の優しさは 失われます しわがれ声になってしまいますが 全て外的なものです 口が臭くなり 分別なく取り入れれば 歯も影響されます 流行っている 売れているからといい その通りにしてしまうことは 叡智や人格を持っていないことを 意味します ハムサ チャクラが 目覚めると 私たちの分別は 発達します 昨日ハムサの語源について お話ししました 美しいサンスクリットの 連句があります それによると 白鳥と鶴は 双方とも白い鳥ですが では白鳥と鶴の 違いは何でしょう ミルクと水を混ぜれば白鳥は ミルクだけを飲むことができますが 鶴は分別できません 私たちが分別の力を失えば ロボットのようになってしまいます 人格を失うからです 誰でも洗脳することができます 分別について説かれれば 耳を傾けるでしょう 多くの人が 誤ったグルへ行き 同性愛やエイズになり ドラッグに手を出しています それは信じ難いことです これらに耽り 人生を台無しにしています 酒屋でお金を 使い果たして酔い潰れます 人はそれを見て 自分にお金があることを確かめ 入っては酔い潰れます そのような愚かさをみても 自分もそのようなことに お金を費やします 自分自身を破壊するために お金を払います これは誰にとっても 不自然なことです 動物でさえ知っていて 危険を嗅ぎつけ 命を守るために逃げ出します 動物は人生の貴重さを知っていて 生きなければと考えます この常識が 失われはじめ 何が悪いのかと 言い出します それはハムサの遺伝に 欠陥があるということです ハムサ チャクラには 神格はいませんが ブッダ マハヴィーラ キリスト クリシュナによって見守られている 多くの器官の 形の無いエネルギーです そしてその四人はシュリ ガネーシャ によって管理されています これらの遺伝はガネーシャによって 設けられています 彼は叡智の源だからです 一度人がムラダーラを 駄目にしてしまうと その叡智 基盤となるものが終わります 私たちの人生において 不道徳な 生活を送ることは有害なのです 分別を失うからです ハムサ チャクラにシュリ ガネーシャ を目覚めさせることができれば 突如 サハジャ ヨギの 高度な人種に属することになります 人々が一夜で ドラッグを絶ったり 不道徳な者が非常に 道徳的になるのを見てきました このチャクラが 突然目覚めたからです スピリットの光は 日常生活において またコレクティブにおいて このチャクラを通じて最もよく表れます 私たちは真意を 見始めます 現在サハジャ ヨガで 私たちは異なる問題を抱えています 人が初めてサハジャ ヨガに来ると 他者の欠点 落ち度を見始めます 何のためにここにいるのか 見ようとしません 他者の欠点を探すためではなく 自身を正すためです 周りを非難しては 問題を起こします そしてグループを 作ろうとします 何のためにいるのですか 政治のためですか それとも自身の 上昇のためですか あるいはこれで金儲けを 考える者もいます または自分とは関係ないことで 他者を批判する者もいます 彼らはまだ 遺伝子が叡智によって確立 されていないので忘れてしまうのです 心配すべきでない事まで 心配します “私こそリーダーだ”“なぜ私はリーダー でないのか”と考える者がいます そしてリーダーの欠点を 探し始めます 時にはリーダーも “私はリーダーで 厳格にでき” “懲戒でき 支配できる”と 感じることもできます どのように愛し 慈悲深くなり 忍耐強くなるかを ここへ学びに来たのです 統率力や従順さのセンスは 双方とも任意です あなたが誰かに何か言われ 自分の善のために従うなら 自分の善のためだと 精妙な理解をするでしょう リーダーにここが 間違っていると言われたら それに対して傷つくのではなく 間違っているか自分を見なさい いかに自身を高められるか リーダーでも私でも尋ねてください でもそうする代わりに すぐさまリーダーを非難し 私に言いつけます あるいは“彼はマザーに嘘をつき マザーはそれを聞いています” お母さんは バカではありません 全てを知っています 前世からのものを 生まれ変わっても持ち続けています 卵から鳥になっても まだ殻が 身体にくっついているようです 浄化しなければなりません この時点で あなたはリアリゼーション を得ているので 最初の思慮は “いかに純粋なスピリットの状態に 到達できるか”であるべきです しかし代わりに人は 分別がないので 自分を見失います 啓蒙によって 最初に起こることは 私は見てきましたが 彼らの目が定まることです もはや目は むやみに彷徨いません 大変純真な目を持ちます さもなくば彼らは 本当に狂っています このように全てを見ようとします 気違いと同じです その者は気違いと 同じようなことをします 大変狂っています しかし すぐさま自発的に 部屋に光が入るように 大変自発的に 物事が明確に見え始めます “違います 正しくありません” 以前は庭から棘を集めては 身体に刺すような状況でした 決しては花は見ません リアリゼーションの後は 棘ではなく花を見ます 棘を見れば取り除きます リアリゼーションの前や後でさえ 喜びはありますが それを楽しむ能力はありません その能力は リアリゼーションの後で出てきます そしてあなたに起こる 主要なことは分別です そして白鳥のように全てから ミルクだけを採ることができます あなたは大変異なった 態度になります 別の角度から物事を見ます 芸術を見るのに ある寺院を訪ねたことがあります 義理の息子と娘とで山を 何キロも登らければいけませんでした 大変疲れたので ある寺院で休憩しました そこで言いました “象の彫刻を見てごらん” “全部異なる尻尾と鼻 ポーズで美しいよ” “僕たちは疲れすぎて 見れないよ” 私のアテンションは疲れでなく 美しいものにあったからです 同じようにあなたは ミルクを採ることができます あなたは喜びがあっても 感じることができません 神聖の分別の 精妙な力がないからです 一度それが出てくると 全てを楽しみ始めます 人生も同じです 何も変わりません 同じ家 同じ家族 同じ町 同じ環境 それでいて あなたは楽しみます ハムサ チャクラの感受性は神聖な 分別のためだけにあるからです すぐさま知ることができます 刺のあるものは要らない 花だけを集めたい 花の集め方も知っています あなたは歓びの中にいます そのようにハムサ チャクラを通して 光るスピリットの光は あなたに叡智を授けます 議論や喧嘩の仕方を知っているのが 叡智ではありません 叡智とは あなたが歓びを 感じるために全ての良い面を取る 全ての破壊的なことを避けて 建設的なことを取る ということです あるいは危険と書かれた 道を歩くとします リアリゼーションの前は 何が危険か見ようとします そして死んで ニルヴァナを得たと言います 賢明な者なら 危険であれば戻ろうとします 自身を守り 人生に敬意を払います 今や自分は神の媒介であることを 知っているからです 叡智は自動的にきますが 経験を通してです するとあなたは 正しい道が分かります 経験を通して 理解し始めます 今だから話せますが 20年前はできませんでした 話せば“信じ難い話だ 本当かは分からない”と言うでしょう 一度 叡智が明白になると それを通して全てを 明瞭に見始めます あなたの頭を 完全に明瞭にします 誰かに叡智ある言葉を言われれば 決して悪く思わないでしょう 逆に感謝するでしょう “話を聞けて幸運だ” それらはあなたに 歓びを与えます ですから 多くのことは耳で聞きます 以前聞いた事でも 音楽であっても 決して歓びを与えませんでした この変化によって 以前聞いたことのある 同じ音楽を聞けば 天国にいるかのように 感じさせます 歓びを与えます 昔詠んでつまらなかった 詩も同じです “以前ウィリアム ブレイクを読めば 頭が痛くなりました” “でも今は大好きです 聖書のようです” あなたは新しい見る力 聞く力を 発達させたからです サンスクリット語で アティンドゥリヤです 内にある精妙な器官 という意味です 目や耳は精妙な器官です これらの精妙な器官は 美しいと感じるものを集め 自分を取り巻くもの全てに 反響をもたらします 例えば暗闇にいれば 普通あなたは怖がるでしょう ですが 今では “楽しい 冒険的だ”と言うでしょう 互いの手を握って ゆっくり進むでしょう 例えば大変暑いとします 普通 人はどう反応するか 分かりませんが “とてもいい日だ 時には 暑くてもいいね”と言う者もいます 寒くても同じです 悪いとされるものでも 全ての面を楽しみ始めます どう楽しむかが分かります 一度分かると “私たちは歓びの大海で 泳いでいる”と言います 大海は同じですが 大海にある蜜の 美しい雫を手に入れたのです 他の者たちは 溺れることを心配しています 同じ大海 同じ世界です ですからマヤだと 言われていますが この分別が輝き始めると マヤはありません 楽しみます 例えば 誰かが 海に落ちるとします 彼は大変怖がり 沈む前に死ぬでしょう ですが海の中の美しさを 見れる者なら その者は安全で 美しい海中眼鏡やフィンをつけ 煩わされるものはありません そこへ行って 写真を撮り 楽しみます 大海は彼にとっても 海に落ちた者にとっても同じです 安全な者 全ての装具を 身に着けている者 何を見るべきか知っている者は 楽しみます 同じように あなたは叡智と 安心感を備えています 自分が何をしているか知っていて 同じ物でも美しく感じ 楽しみます サハジャ ヨギが全てを 楽しんでいるのを見てきました 例え誰かが会場で 叫んでいても サハジャ ヨギは皆 大笑いしていました 哀れな人は精一杯 非難しようとしているのに ヨギはただ彼を笑っていました 彼は逃げ出しました 彼らは彼の愚かさを 楽しんでいました そのように生きる姿勢が このハムサ チャクラによって 大変変わります あなたはその叡智を自動的に発達させていることに意識していませんが 後にあなたはそれを 確固たるものにし あなた自身の啓発された 信念にしていきます あなたが信じたこと全て ワークアウトするからです あなたが知ることなく 努力することなく 頑張っていたことが 突然舞い込んでいるでしょう 突然人に会ったり 助けを得たり 多くのことが起こります インドから来た者で ミラノ駅で 会うことになっていました 人を迎いに行かせましたが 小さなバッジしか着けていなかった ので分かりませんでした 探していると 走ったり 動揺せず ヨギにようにリラックスして 立っている者がいました 彼に声をかけると “そうですあなただと思いました” その者の姿勢や様子 話し方 振舞い方が違うので分かります 全ての人生や人格が変わるのは 奇跡のようです 一度夫がイギリスの図書館に ヨギを連れて行きました 人は無礼なものです 閉館して 2分ほど経っていました 館員は彼らに 怒鳴り始めました “おっしゃる通りです イギリスの渋滞は 全く閉館時間を理解していません” “僕たちがなんと言おうとだめでした 閉館時間も言ったのに” “大事なことを 全く理解していませんね” “渋滞が僕たちを止めてすみません 次回はそうなりません” 館員は唖然として 緊張がほぐれ “分かりました入りなさい 1時間開けます” 人と接したり話したり 仕事を処理する叡智が 全てのことをワークアウトさせます そしてワークアウトしなくても あなたは悪く思いません “仕方ない 相手は サハジャ ヨギでないのだから” “どうすることもできない” と考えます 今回私たちが来る時も オランダ航空の支配人で 感じの良い紳士が対応しました “座席がないという 問題が生じていて” “3人しかファーストクラスに 乗れません” “それは難しいです 彼は友人で一緒でないとだめです” そこで私は椅子に腰掛け この状況に3回バンダンしました すると“6つ席が空きました” 活発で 私たちを見守る 包括的な力 があるとはっきり分かってきます 偉大な聖人皆が力を貸しています 時には天使たちが 共にいると感じるでしょう どう導き 助け ワークアウト しているか感じるでしょう それら全てを見ます あなたはそれを知り 信じ始めます すると分別が しっかりしてきます その状態になるまで サハジャ ヨガ から脱落することはありえます 些細なことで脱落していった者を 多く見てきました 何か荒っぽいことを言われ 脱落した者もいます あらゆる種類の人々が 縁部にいるからです ですから何か言われれば 脱落します 分別を得た状態に 到達していないからです “私に相応しい場所なのに” “相手が間違っているのに なぜ私が出なければならないのか” 成長はあなたのハムサが 整った時に初めて可能になります あなたが完全にそうならなければ 難しいでしょう 一度ハムサが確立すれば・・・ 人が本当に献身的になるのを 見てきました ご存じのようにサハジャ ヨガは 世界中に広まっています ですが私には秘書も 組織も事務所もありません 皆が私の秘書です 各自ワークアウトしています それと同一化していて それに責任を持っています 私はプラグのようです どこにでも設置できます 皆私の子供たちで 私を傷つけない という分別ぐらいはあります 時折忙くなったり 急ぎ足だったり しますが私は気にしません 彼らはサハジャ ヨガのために 一生懸命だからです そしてもっとそれをしたいと望み 責任を感じています なので私はそれに敬意を払います 時には“スケジュールが過酷すぎます 見るに耐えません” と言われますが 大丈夫です 彼らのサハジャ ヨガへの同一化に 完全に信頼を置いているからです 彼らは騙しませんし 偽善者でもありません サハジャ ヨガを助けるために 他者を助けるためにそうしています 培ってきた誤ったものとの 同一視はなくなります 美しいものと同一視し始めます 美の芳香を得て 堪能し始め ハートは開き始めるからです あなたのハムサが未だエゴや コンディショニングに感化されていたら この喜びやこれら全てのものは 不可能になります 人はヒンズー教やキリスト教など 様々なコンディショニングがあります 間違ったものに従っています でも自分の善のためという 信念のもとに 全てのコンディショニング を放棄すれば このアギヤ チャクラは開花します それなしにアギヤは開けません それはアギヤへの ヴィシュディへの入り口 頭にある全てのチャクラへの ピタへの入り口です ですからハムサ チャクラを きれいに保つことは大変重要です ハムサ チャクラを保つための 身体面でのアドバイスはしました 精神面においても 話しましたが すべきことは マインドを落ち着かせ 全てのものの中に 美しさを見出すことです 低俗なものではなく 有益性でもなく 美しさをです 徐々に目が浄化されて いくことに気付くでしょう 今や多くの人が サハジャ ヨガにいます 深さや探求心ゆえでしょうか あるいは星廻りでしょうか あなたが意識しているか どうか分かりませんが ハムサ チャクラは 最も偉大なことをします つまりあなたのカルマがどうであれ 影響されません あなたの先祖の 国の 個人の カルマの責任がなくなります 何であれ私たちが行った過ちは 全て終わりました 過去から完全に 切り離されたかのようです 一度これが確立されると 全ての過ち 間違った行動 あなたのものだけでなく 親類 先祖 家族 国 この地球全てに あなたは害されません あなたはそれを超越します そしてこのクリタ ユガにおいて ブランマ チャイタンニャは過去の カルマを暴いて罰しようとしています 集合的にも国家的にもです しかしあなたに 触れることはできません このセンターの光が 非常に力強いので あなたが過去に行ったことからくる 全ての恐怖から救うからです あなたはまさに泥から出て咲く 蓮の花のように美しく咲くでしょう そしてあなたは全世界に 美しい芳香を発するでしょう 神の祝福がありますように […]

Shri Mahavira Puja, Dead Spirits (Australia)

Mahavira Puja. Perth (Australia), 28 March 1991.
今日はマハヴィラの 誕生日を祝います マハヴィラは バイラヴァナスの化身です 同時に聖ミカエルでもあります ご存知のように ガブリエルであるハヌマナと ミカエルの両者がいます 一人はピンガラナディに もう一人の聖ミカエルは イダナディにいます さあ マハヴィラは 多くの困難を経て 探求しました もちろん彼は 天使でしたが 人として生まれ 自らの探求により レフト サイドについて 学ぶ必要がありました レフト サイドはとても複雑です ライト サイドより ずっと複雑です レフト サイドにはさらに 7つのナディがあり それらは順々に並んでいます 本にも書かれていて 一つずつ名前が付いています この7つの レフト サイドのナディは ご存知のように 過去に与します 例えばこの一瞬一瞬が 過去になっていきます 現在は過去になり この人生の過去があり 過去生もあります 過去全てが 私たちの内面にあります 天地創造以来の全てです 全ての心身症は ご存知のように 紛れもなく レフトサイドからの 存在の現れです 例えば誰かが 肝臓に問題があると 急に左から攻撃されます 特にムラダーラです もしくはレフト ナビなど レフト サイドのどこでもです ムラダーラだけが レフトサイドに イダナディと直結していて ライト サイドの ピンガラナディは スワディスタンに つながっています なのでムラダーラの問題は 人間を超えたもので 攻撃されると レフト サイドのどこであれ 心身症として 体に現れてきます 何度も言いましたが このように左右のセンターは 重なっています ライト サイドを酷使すると ある時点で急に レフト サイドが賦活され あらゆる病気 例えば糖尿病など 心身症になります とても働き者で考えすぎて とてもライトサイドだと 急に何かが起こるのです それは遺伝かもしれません 過去からの影響で 心身症になるからです これら心身症は レフト サイドの問題について 熟知していないと治せません なのでマハヴィラはレフト サイドの 深くに沈潜したのです レフトが難しいのは レフトに行くと 動きが直線的になり 下降し始めるからです それに対して ライトは上昇します このように下降し ぐるぐる巻かれ 渦巻きになります そうやって回り続け 渦の中で我を失うのです でももう一つは上昇するし 渦もそれほどありません それに上昇するから逃れやすいのです だから レフトに行きやすい人は 過去を考えすぎたり 自己憐憫や不満で泣いていて ライトサイドの人より難しいです ライトの人は他人を害しますが レフトの人は自分を害します そんなレフトを マハヴィラは しっかり理解したのです もちろん全てを 知っていたと思います ただ特にレフトについて詳細に 何が起こるかなどを 実践的に語り 地獄の概念をもたらしました 7つの地獄についても 語りましたが 酷い話なので 私は教えたくありません 地獄がどうで いかに残酷で 歓びがなく 全くもって ゾッとする場所で 自分を恨み 自分がどれほど罪を 犯したのかを悟ります パパスです その因果で 罰が下ります 全てマハヴィラがします 彼はどんな罰かを 細かく語りました レフトに行こうとする 人に対してです ライト サイドの人にも 罰がありますが それほどでもありません なぜなら彼は 両サイドの中でも 主にレフトに関わるからです 多くの人に言いましたが 魂は存在していて コーザル体で出来ていて それは5大要素なのです 例えば地は香りです なので 因果の5大要素で魂も センターも出来ていて さらに それらが 副交感神経を統括します 脊髄の外側か 副交感神経を 賦活するのです なので全てのセンターと 関係しています これが死後の魂で クンダリーニとスピリットを伴い 空に上がり その魂の導きにより 我々は導かれて 生まれ変わりが起こります だからこれまでに行ったことは全て その魂に記録されています マザー 何か丸い玉が あったのを見ました そう訊かれたりしますが 何でしょう それは死霊です やっと彼らも言われたことを 理解しました 人は亡くなると 魂が出てきます 今も見えます 丸いもので 沢山の時や 線状だったりします 私が指示して顕微鏡で 見たこともあります 細胞に魂は反映します 魂が各細胞を反映します 細胞の一部に 反映する部分があり それは細胞の片側で 魂も反映します 背後の主な魂は それぞれの 細胞に映された魂を コントロールします その反映の中に 7つのループがあり 7つのループが 8つのチャクラに乗っています 7つのチャクラとムラダーラです それで分かったのは 人が亡くなると いくつかの魂は 何日かして 生まれ変わりますが これらは全く平凡な人々で マハヴィラは これらの人々を分類しました 彼らは死んだ後 この種の人々は ちょっとの間だけ 集合的な潜在意識にいて 生まれ変わります とても凡庸な人々で 目的もなく 役に立たない人々です 一方 死後に空にとどまり しばらくの間 自分の叶わなかった望みを 叶えてくれそうな人を 捜す者もいます 例えば 酔っ払いがいたとすると 彼が生きていて飲もうとする人に とり憑きます すると そうやって 飲む習慣ができると その魂が その人に乗り移って すると 本当の酔っ払いにしていきます 背の低い小さな女性が キューバ人でしたが 私がアメリカを訪れた際 自分が嫌いだと言いました 旦那は彼女が ウィスキーをボトル一本 飲み干すというのです 彼女を見ると小さくて どうしたらそんなことできるの バンダンしてみたら 大きな黒人が見えました 彼女の背後に立っていました 黒人で知り合いは? 彼女はたちまち飛び上がって マザー 見えましたか? あの人 あの人なんです 私じゃない もちろん 私は彼女を治しました その後彼女は飲酒を完全に 辞めました だから何であれ 悪い習慣を持つと 自分をコントロール できなくなります すると霊が居座り あなたをコントロールします すると 抜け出す道が分からなくなります だから習慣から逃れるのは 大変なのです サハジャ ヨガでは クンダリニが上がると これらの死霊が あなたから離れ あなたは習慣から脱します そのように働きます マハヴィラはこれを 教えませんでしたし 発見することも ありませんでした 彼は科学者ではなかったんだと 思いますが 分かりません 彼はその代わり 地獄について語り こういったことをすると 今生において 地獄に堕ちること さらにその詳細を 忌憚なく語ったのです それは恐ろしいもので 自分のことばかりの人間が 最後にどんな地獄を味わうか そこから永遠に 抜けられない者もいます でも化身が生まれると 地獄で生きる運命の 悪魔たちが 生まれてきます 生まれると 害を及ぼしますが グルとして生まれるのです 現代でもそれが起こっています 彼らが生まれ人を迷わせるのが よく分かります レフト スワディスタナや レフトサイドを用いて 私たちを抑え込みます 人が憑依されると ヴァイブレーションを感じれなく あらゆる症状が出るのを 見たはずです サハジャ ヨガでは マハヴィラの名前を唱えます マハヴィラがイダナディを渡り いわゆる スーパーエゴに留まるからです そして調整し 働き 浄化するなど 必要な全てを行って サハジャ ヨガに来た人を 正します なので彼に感謝すべきです この汚い仕事を してくれることに 彼らは全く気にせず 浴室や そこら中で瞑想するのです なんでもする人達で 汚れています タントリカになると何でもします それによって人と神の間に 問題を起こします 例えば女神の寺院に行き そこで女性と逸脱します すると女神が消えます 一度女神が居なくなると レフトのブーツを呼び込みます それで今多くの魂が あちこちにいて 帰ってきて 人の意識に入り 取り憑こうとしています その上レフト サイドの マスターがいて これらの魂を操り 誰かに取り憑かせたり 人から人へ移したりします これは終わりのないプロセスで 人は完全に狂ってしまいます 今私たちはそれを知っていても まだレフト サイドに捕われます サハジャ ヨギも捕らわれます なのでこの マハヴィラの誕生日が 極めて大切な日なのです なぜマハヴィラと 呼ばれるのでしょう ヴィラとは勇敢の意味で 彼のような騎士のような人だけが 自身の存在に分け入り これら恐ろしいラクシャサ ネガティブな悪魔の到来を 滅ぼせたのです 私たちは レフト サイドを酷使し ネガティヴィティに 苦しめられます そこに助けがなければ マハヴィラなしでは無理です マハヴィラと彼を呼んだり 聖ミカエルとも呼ぶことが できますが 人として来たので マハヴィラと呼びましょう これら全てが彼のおかげです 偉大な神格です 人として化身しましたが それは聖者には 難しいことです それに 地獄の概念は 聖典に述べられた通りで 真実で実在します そこに行こうとするなら 私はいつも 眠ってしまって その眠りの中で 相手のことを知ります 何をして いかに取り憑かれているか 意識的にするのは 難しいことです 潜在意識に行く 必要があります スシュプティと言われる 深い眠りです そこでレフト サイドが 分かります これはおかしな状態で サハジャ ヨギには お勧めしません でもレフトの問題は 取り除くべきで マハヴィラが助けになります このチャクラがキャッチすると 右側が大きく腫れます ならばマハヴィラの名を 唱えなくてはなりません 左側の圧力を 取り除くためです 何故自分が苦労するか 知らない人が沢山います 何も悪いことをしていないのに 何故でしょう 取り憑かれているからです ウイルスとか 心身症 癌など 不治の病は レフト サイドが 賦活されたためです そのため不治の病気に なってしまうのです ですから マハヴィラに感謝しなさい 力を与えてくれ レフトの問題を 取り除いてくれます 手に光を与えてくれて バイブレーションも与えてくれ 曖昧さを光によって 例えば私について 明らかにしようとします 彼こそが唯一 心や体の問題の 癒し手です 左の問題はご存知の通り 3キャンドルで 簡単に治療できます マハヴィラは光が好きだと わかります 暗闇は好みません それによって 十分に行き渡り レフトサイドを浄化し ネガティヴィティの強い国々で サハジャ ヨガの確立しようと しているのです 彼はどこでも働いていて どんな心身症でも ロウソクなどで治せます 3キャンドルで治療できます なので彼に感謝すべきで レフト サイドへは分け入り どんな問題があるかを 見つけてくれました 今日は彼の誕生日を 彼の好んだ場所で 祝うことができて とても素敵なことです マハヴィラはたまに 裸で描かれますが ジャングルで レフト サイドの探求をしていて 起きてみると 藪の中で 身動きが取れなくなり 服の半分を破らなければ なりませんでした 半分を破って 藪から出た時は 大丈夫でしたが シュリ クリシュナが 子供として現れました 私は貧しく 何も持っていませんと言います あなたは王ですから 服をもらえませんかと この子にあげるからと言って 去って行きました 彼はシュリ ヴィユヌに 違いありません この時ヴィシュヌに服を与え せいぜい数秒の間に 彼は王なので この葉で身を隠し 城に戻り服を着ました ですがネガティヴなことに ジャイナ教徒は裸で歩きます 彼らは厳格な 不殺生のタブーを守り 虫さえも殺しません 彼らは小動物を敬い 例えば小さな蛇や 害虫などでも 生き物であると 殺してはならないと言います 彼らは狂っています 極端な菜食主義に走って 虫も殺さず 帽子に虫を集め その帽子を神官が被り 虫に神官の血を吸わせます 神官の血が 完全に吸われたら 虫は地面に落ちます すると神官が出てきて 彼らにダクシナを つまりお金を見返りに 与えます 神官の血を 虫に吸わせたからです このような菜食主義があります ベジタリアンに気をつけなさい ヒットラーでさえベジタリアンでした どんなベジタリアンか 推して知るべしです このような菜食への熱狂は 全くいりません マハヴィラはそれを身をもって 示しました 食べ物にこだわる必要は 全くないと いいですか 菜食主義の理論は 馬鹿げた極端に 行きすぎていて 私たちは完全に やめるべきです それに対して彼は 何をしたか見なさい タンパク質を摂らねば ブーツと戦えません ブーツが入っている人は たくさんタンパク質を摂りなさい 炭水化物でなく タンパク質です それでレフト サイドの敵と 戦えます なのにベジタリアンに なろうとするのです レフト サイドの敵が 中にいるのに ベジタリアンになるなんて 終わりです どうやって戦うのでしょう これら全ては 予め分かっていて 虫などの 人間より劣る動物を 決して殺してはならないと そういう人は 迫害者だと言います これは馬鹿げたことです 私は虫に リアリゼーションを与えれません 魚や鶏にもあげられません 人間が必要なのです これらは人間の仕業で 彼らの言っていることに 沿っていません キリストは汝不純な目を もつなかれと言いましたが そうではないキリスト教徒に サハジャヨギ以外で 会ったことがありません 男性でも女性でもです 教えられたのと 反対になるのです マハヴィラの場合も同じで 彼の試みはことごとく 菜食主義に 走るような人によって 台無しにされてしまいました もう一つは 菜食主義はネミンナスという シュリ クリシュナの時代の 教師が始め 当時の慣習で 彼は結婚し それだけでなく あらゆる肉も食べ ラム肉も羊も 彼の結婚式では出されて それで彼はいわゆる ウパラティ それで気を悪くして 何をしたかというと もう肉を食べない と言ったのです こうしてジャイナ教で 菜食主義が始まりました そして未だに続いています 彼らは喜びに欠けた つまらない人達です お金が大好きで 追い回して とてもおかしな態度で 振舞うので理解できません 人間ですが その態度は理解不能で 普通ではありません なので マハヴィラの努力にも 関わらず 彼のいわゆる弟子である ジャイナ教徒たちが そんな状態です ここで理解すべきは サハジャ ヨガでは それはダメだと 何か言われたら 理由を理解しなさい あなたは方法論を知っていて サハジャ ヨガの 詳しい知識があります 全部知っています なのでどんな形でも 間違った与太話や 大々的な広告に 誘惑されてはなりません とても大事なことです 私たちはサハジャ ヨギで バランスを心得ています もちろん西洋人や オーストラリア人なら もっと肉より炭水化物を 食べるように言います なので炭水化物を 摂っても良いですが それは決して 菜食主義ではありません あくまで栄養補給です インドではもっと肉を 食べなさいと言います それが効くでしょう でも肉ばかりたべれば 良いわけでもありません バランスをとるべきで 一度バランスが取れれば リラックスして気分が良く 驚くでしょう 啓蒙され バイブレーションも良くなります 食べ物に気をつけることです 衣服も同じで 服に熱狂しないことです 暑くても寒くても 自分に適した服装をしなさい 例えば こんな気候なら自分を 覆う服が要るでしょう ガナパティプーレのように 暑くもなく かといって寒くもない 乾燥している場所なら どんな装いが必要でしょう 見てみなさい そこで分かるものが 自分が快適な服を あなたは着るべきです いいですか 私が何か言っても 過剰に 受け止めてはいけません 少しでもダメです 私が何か言ったら それはあなたのためなのです あなたの性格や傾向が どうであろうと それを養い 向上させバランスを 与えるためです マハヴィラに帰依するなら バランスをとりなさい 同時にシュリハヌマナを 思う必要もあります 両者が大切です 短い講義でマハヴィラについて 教えるのは難しいです ですがサハジャにより彼に かなり繋がっていると思います あなたも彼とその役割が いかに重要か 分かったはずです 神の恩恵がありますように […]

Shri Bhairava Puja, Bhairava and Left Side Garlate (Italy)

Shri Bhairavanath puja. Garlate, Milan (Italy), 6 August 1989.
今日はバイラヴァナスへの プージャで ここへ集まりました まだ私たちは イダ ナディを上下する バイラヴァナスの意味を 理解していません イダ ナディはチャムンダ 月の経路です なので私たちを冷やす チャンネルです バイラヴァナスの役割は 私たちを冷やすことです 例えばエゴや肝臓が原因で 怒りっぽい人に バイラヴァナスは トリックをかけて冷やします 彼はガナ達を操り ガナパティの助けを得て 怒りを沈め バランスを与えるのです 誰かがかんしゃく持ちで 暴走するなら バイラヴァナスが ハヌマナと共に 怒りが馬鹿げていることを 示します レフトサイドで落ち込んだ人を 助け出そうとするのは ハヌマナですが バイラヴァナスも かなり助けになるのです それでレフトサイドな人は コレクティブになれません レフトサイドな人にとっては いつも悲しんでいて 不幸感や心配を抱えている人には とても難しいです 一方 かんしゃく持ちでライトサイドな人は コレクティブを楽しまないし 他者が楽しむこともさせませんが コレクティブに居続けて 自分の優位を見せつけます 自分の優位を 見せびらかそうとするので 当然コレクティブを楽しめません 反対に いつも落ち込んでいて “誰も自分を構ってくれない 気分が落ち込む”と言う人は いつも人から何かを期待していることで コレクティブを楽しめなくなります そんなレフトサイドな人は 何につけ不幸な点を探し出します 例えば先日 私はモスクワへ行きました そこにレフトサイドな サハジャ ヨギニがいました 私たちは食事のため外出しましたが 雨でタクシーがつかまらず 車に乗り込みました すると遅かったのでより高いほうの席へ 座るように言われました するとその女性が言いました “何という問題でしょう” “タクシーもみつからず 雨も降っていて 席もとれないなんて” “これは楽しいことで 問題ではありません”といいました 問題という言葉は私たちの頃は 幾何学でしか使わなかったものです このような全てを否定的にみる ネガティブな態度で 私たちはレフトサイドを ダメにしてしまうのです ですが男性がきて “私たちは反対側で待っていた”というのです ということは私たちは反対側に行って 美味しいものを食べて良かったわけで “ほら あなたは 悪い面ばかりを見て” “面白いことを見落としているんですよ” といいました 彼女は“どうすればいいんですか” と訊きました “バイラヴァの名前を言いなさい” “座って写真に左手を向け 右手を地面に置けば” “否定的なモノが出て行くでしょう” と言いました バイラヴァはいつも手の光です イダ ナディを上下して 光を与え 否定的なことなんて何もない と気づかせます 否定性はいろんな形でやって来ます 一つは “私のもの” “私の子” “私の夫” “私の資産” という“私の”ということです こんな風に執着してしまうと 子供がネガティブになるものです ポジティブになりたければ どこに自分の注意がいっているか 見るべきです あなたは問題を見ていますか それとも楽しみを見ていますか 何一つとして 楽しめない人がいます 天気がいいと言っては “あー いい天気になってしまった”と言い 曇りなら“曇りだ”と 愚痴を言います 喜ばないのです しかし どんな否定的なことも 肯定的に楽しめるのが サハジャ ヨギの能力です ネガティヴィティというのは存在しません それはただの無知です 無知というものも存在しないので 無知ですらありません すべてが偏在的な力であるなら 無知がどうして存在できるでしょう でも あなたがその力から隠れて 逃げてしまえば ネガティヴィティが 存在するというでしょう 洞窟に逃げ込んで 入り口を塞いでしまえば 太陽がない といえるように なので コレクティブになれない人 というのは 左右どちらか なかでもレフトサイドに 傾いていることが多いです ですが レフトサイドの人たちは ネガティヴィティのコレクティヴを作ります 幽霊達の友の会があるのです 酔っぱらいが一緒にいるのを見ると “環境問題とか問題だらけだ” と言ったりしています 皆が酔っぱらっていて “他の問題もあるし いつ解決するんだ” と言ったと思えば “ちょっと待て 世界が終わるという 話も聞いたぞ”という者があらわれ 更には “ああ 神よ みんな破滅だ 終わりだ”と 4人目は “このパブはどうなるんだろう” すると“皆死んでるんだから そんなことどうでもいいだろう” こうして幽霊の友の会は続きます 彼らは楽しみを見ることが出来ず 否定性において ある意味瞑想的で 達観していくのです しかし 彼らは 結局狂気に駆られます そしてライトサイドなら 白痴になります 精神病院に行った時に ある女性患者と話しました 彼女は結構大丈夫に見えたのです 話も賢くて “義兄がいて 彼を助けるべきと思うし こんなことするべきじゃない”など あらゆる話をして 彼女は優しく善人なのに 誰も 彼女を助けていないような口ぶりでした その上“私は怖いんです” と言ったりします 突然 ドクターが来たら 彼女は怒鳴り始めました “これはどうしたんですか”と訊くと ドクターはスタッフに “女を押さえて”と言います “彼女は一番危険なのに” “どうして彼女と話したんですか” と言われました 頭痛はしたけれど 彼女が発病しているとは知りませんでした 私の前では霊が逃げたか ごまかそうとしたのでしょうが 見るからに明らかでした サハジャ ヨギであるなら 私の子供だから 私のもの 私の と感情的に執着して 誰かの心配ばかりして 人生を無駄にすべきではありません サハジャ ヨギが コレクティヴになれないなら その人はサハジャ ヨギではありません これが私たちの 内なるバイラヴァナスの作用です 別の作用は 私たちの内面の 悪霊をやっつけることで 執着に対する悪い思考や狂気 抑うつを取り除くことです 今日はとても気分が良いです というのもバイラヴァは ガネーシャとゆかりが深いからです 知っての通り ガネーシャはムラダーラにいて バイラヴァはレフトサイドを動き ライトサイドへわたります なので あらゆる コンディショニング 悪癖を バイラヴァナスの助けにより 克服できます ネパールにはバイラヴァナスの 大きな像があり それはスワヤンブで 地元の人はレフトサイド故に それを恐れています なので 盗みなどの 悪癖がある人を 灯をともしたその像の前に 連れて行きます つまり警察が “バイラヴァナスの前で白状しろ”と 罪を認めさせるのです 彼は窃盗などの 陰険な悪行からあなたを守ります なにか隠れて出来ると思っていることも バイラヴァナスには隠せません あなたが変わらなければ 彼はあなたを完全に暴きます そのようにして彼は 偽の指導者を暴いてきました 今日は この偉大なバイラヴァナス 後にマハヴィーラとして 化身した神を讃えます 彼は地獄の門に立ち 人々が地獄へ落ちないよう 守っています しかし 本人が自ら それを望むのであれば “よろしい 行きなさい”と 彼は言うでしょう しかし ご存知のように 地獄も混雑していますので 否定性と戦って 他者を好きになって楽しみ 人があなたに どうしたかを気にせずに あなたが人に 何を出来るかを考えなさい さあ 今日はバイラヴァナスの 特別なプージャなので 笑い 楽しみましょう 神の恩恵がありますよう […]

Sahastrara Puja, Jump Into the Ocean of Joy (Italy)

Sahastrara Puja, “Jump into the Ocean of Love”. Sorrento (Italy) 6 May 1989.
昨晩は 真っ暗な夜でした その日は マウシアと呼ばれ 月相の始まりでした 今日私たちは サハスララが開かれた日を 祝う為に集まりました 写真で見たかと思います サハスララがいかに開かれたかを示す 私の脳の写真です 脳の光を 撮ることができるのは 現代がもたらした すばらしいことです 神の存在を証朋する多くのものを 現代はもたらしています そしてまた 私についても 証明することができます 私が誰であるか 確信させることができます これは とても重要なことです 現代において この出現は充分に 認められなければならないからです これはサハジャ ヨギの 条件のひとつです では現代において 人の脳において 何が起こっているのでしょうか 人の脳において 今日 サハスララは 攻撃されています 長い間 攻撃されていましたが この現代が最悪です 大脳辺縁系をとても 鈍くさせようとしています とても憂鬱にさせる 小説や思考 憂鬱にさせる音楽が 溢れています ギリシャ悲劇の戯言のような これらすべては 中世のものから来ました しかし この― 新しい時代が始まるまで と言えるでしょう それらは大脳辺縁系に 全く良くありませんでした 私たちを憂鬱にしました いわゆる 惨めさから逃れる為に アルコールに走ったのです そして現代に至っては 人は過活動になり 過度の行動が始まりました 脳の活動も過度になり 以前からの鈍さに加え 極端な 過活動の状態になりました さらに鈍くするのに 麻薬に走ったり ひどい音楽に 走りました それにより 大脳辺縁系をさらに 鈍感にしてしまいました 刺激を得るために 始めた麻薬も 後には 苛酷な状態になるまで 量を増やさざるをえなくなり 麻薬が救われる唯一の方法だと 思い込むのです なぜでしょう 緊張が原因です 現代には 緊張というものがあるわけです 以前はありませんでした 話題にもなりませんでした 今は誰もが 緊張していると言います この緊張とはなんでしょう それは 私の出現ゆえにあるのです 大脳辺縁系は 私を知ろうとしています サハジャ ヨガが 広まるにつれ 人々の中でクンダリーニも 引き上げられようとしています あなたが媒体だからです あなたが行くところ全てに ヴァイブレーションを 発しています これらのヴァイブレーションが 人々のクンダリーニに 挑戦します メッセ一ジを与えます 人のクンダリーニを 引き上げます サハスララまで 引き上げられないかもしれません でも もとに戻ります そこに 認識がないからです 何かをするたびに クンダリーニが引き上げられ サハスララが開いていないので 圧迫を与えます それは閉じた戸です 戸が閉じているので 頭に圧迫感を与えます それを理解できないので 緊張と呼んでいるわけです 実際 クンダリーニが外に 突き抜けようとしているのですが 出られないのです リアリゼーションを得た者も サハスララを 良く保たなければ 緊張してしまいます サハスララを何年か前に 開いたとしても しなければならないことがあります それは私たちのサハスララを きれいにすることです まず始めに サハスララが開きます 一度開くと ブランマランドラが開くと 神の恩恵を感じ始め それが イダとピンガラにいきます クンダリーニがではなく 恩恵がです 恩恵 つまり 全てを取り巻くチャイタンニャは 私たちの左側と右側を 落ち着かせます すると チャクラがさらに開き クンダリーニの糸も より貫くようになっていきます ですから私は 常にヨギ達に言いますが 瞑想は とても大事です あなたのサハスララが大丈夫であれば 全てのチャクラも大丈夫です 全てのチャクラを コントロールするセンターであるピタが 脳にあるからです 大脳辺縁系の辺りにあります あなたのサハスララが きれいであれば また違う形で すべてが上手くいきます どのようにサハスララを 良く保てるでしょう よく尋ねられます 私がサハスララに内在していることは 皆が知っています 私は千の蓮の花びらの上に 化身しています ですから それを開くことができたわけです 今日あなたの目に映るように 私がいますが サハスララは マハマヤだと言われています これは幻です あなたのためにある 幻のような存在です そうでなければならなかったのです なぜなら 私から様々な光が放ち 昨日見たように サハスララから抽象的な色が あちらこちらに出て 光が放出されていては あなたは私と 向き合うことはできません 私が話している時は 写真を撮らないでください 後で撮れます 私の話に注意を向けてください 注意を向けてください 大事なことです プージャの間は写真を撮ってはいけないと 前もって伝えるべきです ワークアウトしなければいけない 重大なことだからです 理解できなかったとしても 効果があります 私が話している時は 十分に注意を向けてください その方がうまくいきます あなたはサハスララを 世話しなければいけません それは あなたのお母さんの神殿です 私を心に留めるということは 実際私をサハスララにおくということです ここのブランマランドラ 大脳辺縁系には 心をコントロールするセンター ピタがあるからです サダ シヴァの座です シヴァのと言えるでしょう 私を心におく時 実際私をそこにおいています 心からそこへ上げるのに あるいは 心へもってくるのに 二つのタイプの人に 問題があります 心が繊細な者 例えばヨーロッパでは イタリア人が繊細と言えるでしょう 彼らは私を見ると まずハートに手を当てます それなのです 私を心で感じるようにする方が 簡単です 私を心で感じるには どうすればよいかと あなたは 尋ねるかもしれません 私があなたを愛するように 私を愛さなければいけません 自分のどの細胞も 愛さなければいけません あなた達は皆 私の中にいるからです どのように愛するか 教えることはできません 愛は自分の中にあるものです そして愛は現れるものです ただ心を開けばいいのです 何が障害となるか 考えてみましょう まずコンディショニングです 西洋では 自分の愛を表現するのは 罪深いとされています “愛しています”と言うのに 時間がかかります “憎んでいます”は 子供ですら言います “憎んでいます” と言い続けるわけです しかし人を憎むことは 罪深いことです 誰に対しても憎むことは 罪深いことです 憎んでいますと口に出すことは 罪深い行為です 何を言うべきかというと “愛しています” と言い続けることです つまりあなたにとって 親愛なる人を愛すべきです 普通は自分に何か良いことを してくれた人を愛します しかし アディ シャクティ自身があなたに リアリゼーションを与えたのなら 愛することは たやすいはずです 彼女が“あなた達皆は 私の身体の中にいます”と言えば お互いを愛することは とても簡単なはずです サハスララの浄化全ては この愛を通して行われます この愛は 条件付けからくるものでもなく 抑制されるものでもなく 休息を与えるものでもなく 如何なる見返りも 求めません しかし往々にして愛は 条件付けが強すぎるのです するとまず コンディショニングの問題が起こります コンディショニングは 誰かを憎ませたり 人を愛させなかったりします しかし実際 一つ一つみていくと コンディショニング自体 とてもばかげています 簡単に言うと コンディショニングについて 理解してもらいたいのですが 面白い記事がありました “恋愛を台無しにしたのは誰か” という記事でした 彼が言うには 美容師だとのことです 恋愛になぜ美容師が 関わっているのかと思いますが 美容院に通う女性は ある髪型を一人の男性から 気に入られていました 彼はその髪型に 好意をもっていました 彼の奥さんあるいは恋人が 全く違う髪型に変えたとします すると彼は 彼女の髪型が原因で 彼女に憎いと言うのです 彼は特定の髪型ゆえに 彼女を愛していたわけです 違う髪型ならあなたを嫌いだ と言うのでしょう まったく好きではない あるいは好きである というのは コンディショニングが 強すぎる象徴です まともな髪型やまともな服を装う人に 大嫌いですと言うわけです そのようなことを言う権利は ないはずです あなたは裁判所で任命された 裁判官でもありません ではなぜ そのように言うのでしょう 大嫌いだと言って 人を傷つけるのでしょう “それも気にいっていますが もっと良い格好もあります”とも言えます それが愛です その人のよさが出てくるような 格好をしてもらいたいのです しかしこれはとても 低いレベルの話です 次に人は 如何に知的で賢く カリスマ性を持ち チャーミングであるかを見ます チャーミングという言葉は 捉えにくいものです それらを持つ者が 愛するに値し 愛していると思うのは コンディショニングです それら全ては外観です 金持ちだという理由で 愛しているように見せる人もいます 金銭を切り離して 考えられないわけです その人は もっとお金をもっていて より高級な車をもっていて 良い格好を しているという理由で愛しているのです このような考えを持つことは 愛を殺しています 愛がなければ 歓びも失われます 愛なしに歓びはありません 歓びも愛も 同じものと言えます 精妙な より精妙なレベルになると 我が子を愛する という話になります 中には我が子さえ愛することも 出来ない人もいます 様々な人がいますが “この子は私の子供です 私の子供です” と主張します これもまた愛が死んでいます 木の樹液が 上に向かって上がっていき 全ての実や葉 どの部分にも 行き渡り そして戻ります 執着していません 美しいからといって 一つの部分 一つの花に執着していたら 木が枯れてしまい 花も枯れてしまいます これが愛の死です 偏らず 執着のない 愛でなければいけません 私がこのような話しをするたびに どうすればできるか訊かれますが スピリットの愛がそれなのです コンディショニングのある 精神からくる愛は違います コンディショニングのある精神は 制限のある愛し方しかできません コンディショニングがあるからです 愛の最大の敵は 私たちの中にあるエゴです 私たちの頭にある 風船のようなものです エゴが私たちに 大変大きな緊張を与えます コンディショニングとはー 例えば誰かが ある絨毯(じゅうたん)を見ます その者のコンディショニングにとって あまりよくないものであれば “なんてひどい絨毯でしょう” と言うでしょう これは 低いレベルにおけるものですが 高いレベルにおいて言うならば “自分の国を愛している” と言うようなものです “私の国が一番です” 人を殺しても 世界平和を壊したとしても その国に属していれば 構わないと思うのです 自分の国や国民を 非難することは決してしません さらに精妙になりますが 知的な面においては最悪です 知的に 何かが良いと理解したなら 誰も何も言えないのです なぜなら あなたの脳で理解したからです ラビンドラナート・タゴールの 本を読んでいた頃 実際私は驚きました とても美しい序文と序説を イギリス人が書いていました 彼は 西洋では創造性を 殺しているというのです 彼はインド人の評論家である 男性に尋ねました “あなたの国の詩人は 批判しないのですか?” “評論家の人は いないのですか?” “もちろん評論家はいます 批判します” “では何に批判しますか?” “この時期に雨が降らなかったので 問題に繋がった 等と批判します” “いいえ 詩人についてです” “詩人を批判しますか? 芸術家を批判しますか?” 批判の対象になるものでしょうか 創造されたものです 彼が感じたものを 創造したわけです 仮に彼が 下品なものを創ったとします それなら 私たちは好みません しかし美しい精神で創られたものなら 美しいに違いありません それなら 批判しないのです 彼は“人はそのように 創造できないから”と言います ではなぜ創造するのですか 理性的に判断し すべてに規範をつくっています 芸術や すべての創造においてです “この絨毯が 好きではありません” 私たちが達した 知的な理解の規範に訴えないからです その枠にはまらないので 好まないのです その一インチでさえ あなたは創れますか? ですからこのエゴが あなたに権限外の行動をさせます 権限外です あなたには 批判する権限がありません 何もできないのに なぜ批判するのでしょう それより鑑賞して 自分自身で自分には権限がないこと 批判するに値しないことを 知るべきです それに値しないのなら 批判することはありません そしてまた あなたは 自分のエゴの奴隷であると知るべきです あなたのエゴの 命ずるところには あなたの知性が いわゆる知性が規範をもたらし それが特定の共同体 特定の国 特定のイデオロギーの 集合的エゴになるのです これはコレクティブです 彼らは“私たち” “私たちはこれを 芸術とはみなしません”と言います それ故 芸術界に 巨匠がいないのです レンブラントのような芸術家も 出てきませんし 彼自身 大変苦しかったでしょう ゴーギャンも苦しみました これらの芸術家は 苦しみました ミケランジェロでさえです 金銭面だけでなく 批判され続けたのです ですから皆さん 諦めたのでしょう 多くの作品を手掛けた 芸術家に会いました 自分のために創ったと言い 見せてくれませんでした でもお願いして 見せてもらいました 大変美しかったです なぜ見せないのか尋ねると “人は批判するだけです 自分の歓びのために創っています” “彼らは私の作品の歓びを 汚すだけです”と言いました 基本的なこととして 人を批判することは避けるべきです 自分自身を批判する方がいいです 自分自身を批判する 自分の兄弟姉妹を批判する 自分の国や 自分の悪い習慣を批判する そして自分自身に笑うことが 最良の方法です 自分自身に笑うことを知れば 他の者の如何なる創造物に対して 反論したり邪魔したりしないはずです ですからエゴがあると 権限外になんでも批判できます 誰に批判する権利を 与えられたのか自問すべきです 誰を批判できるというのでしょう 聖人なので もちろん今あなた達はそうですが 誰がキャッチがひどく 悪いヴァイブレーションを与えているか 誰が問題を抱えているか あなたは解ります それはコンディショニングではありません エゴがから来る認識ではなく あなたの指先で感じています それはあなたの中の 実際の感覚です それはボーダです あなたは知っているということです では何をすべきでしょう あなたの愛で 相手に伝えるのです できれば“ここが間違っています 直した方がいいです”と言いなさい でも彼ができるようにです 言うことによって反対に 今より悪い状態になったのなら その人を愛していないのです 皆が成長できるようにしなさい サハジャ ヨガには 大変良い人やすばらしい人がいます しかし中には 大変難しい人もいます 頭にひびが入っているのか 何かが欠けているのか ねじが緩んでいるような 人がいます 時折 道化師のように振る舞う人や 手に負えないような人もいます 他ではとても知的で 俊敏になれるでしょうが サハジャ ヨガでは 成長が可能なレベルまで 至ることはできないようです 例えば 母なる大地が 太陽のように熱いとします 成長しないでしょう あるいは月のように寒ければ 成長しません 両者の均衡が取れるような 中庸にいなければいけません 同じように人間も 節度や均衡を保ったり 如何なるものにも 極端に走ったりしないことを理解し ワークアウトしないといけません そのバランスは 誰かを愛した時に学べます サハジャ ヨガでは 知っての通り ある人にはサハジャ ヨガを 出るように言うことがあります これは彼らへの愛からです 一度出ると彼らが 向上するからです 大変向上したのをみてきました しかし彼らが サハジャ ヨガに留まるなら 厄介な存在になります 彼らのエゴが働き コンディショニングが働き より厄介になります なんであれ 厄介になろうとします “どうかしばらく出てください” と言わなければいけません 厄介でいる意味がなくなれば 彼は正直にならないといけません もはや厄介ではいられません この理由で出て行ってほしいと その人に告げて 論理的に 訴えることができます 彼らがうんざりするほど 面倒になることもありますが あなたは 完全な忍耐と完全な理解を示し 愛する者として 話さなければいけません 愛には力があるもので 愛していないと示唆するようなことは したくないものです 愛は大変力強いです 何かをしたいと思わせる 美しい方法で人を結びつけます 例えば私に花を贈るのは 花が好きだと知っているからです 愛を表すために あなたは花を贈ります ただ表すためです 私を愛しているのは知っています 私への思いを ただ強調したいのです 私への愛そして想いを表すために あなたは私に花を贈ります このような物質的なものは あなたの愛を表現するのに使われます 相手が 愛とは何かを知ることができるような形で 表現することができます サハスララの力すべては愛です 脳は愛さなければいけません サハジャ ヨガの力を あなたの脳と知性で確証し もはや分析したり統合したりするのは 意味がないと解ったなら 単純に愛であると解るでしょう 以前は分析したり 批判したり 無意味なことに使われていた脳が 同じサハスララが 今は愛することを望み 愛を楽しみます ただ愛するという絶頂に 脳は到達しなければいけません 愛するだけです なぜなら愛の力をみたからです あなたはある論理的な結論に達し 重要な点をつかんだのです アディ シャンカラは 多くのものを書きました 様々な論文を書き 断念しました 彼はこれではないと悟り お母さんへの賛美を書きました 一度そこに達したなら ニルヴィカルパにいると言えます ヴィカルパはないからです 愛しているので あなたの頭には疑いがありません 愛において あなたは疑いません 考える時のみ疑います 愛している時 疑いません あなたはただ愛します 愛を楽しんでいるからです ですから愛は歓びで 歓びは愛なのです 幾日もかかって サハスララが開きました 瞑想の過程を通して 自分自身や他者を理解し おそらく 論理的にも理解することで 私たちは自分達のサハスララを 再度開かなければいけません それ以外はありません 最後に到達しています すべての論理が終わりました 愛の大海に飛び込むだけです 一度愛の大海に飛び込んだなら 他にすることはありません 楽しむだけです 全ての波を 全ての色を 全ての感触をです サハジャ ヨガは 愛以外の何ものでもないと結論付けて これを学ぶべきでしょう 神の祝福がありますように […]

Guru Puja, Gravity of Guruship Annapurna Atiram Aparthotel, Ansalonga (Andorra)

Guru Puja, “Gravity of Guruship”. Andorra (Europe), 31 July 1988.
今日は皆さん グルの崇拝の ために集まりました ご存知のように グルの原理はヴォイドにあります この原理がバランスと 重力をあなたに与えます 地球の重力が あなたのグルの原理によって 表現されています 重力に関して まず あなた方は 世俗に飲み込まれず 小競りあいに囚われない人格や 気質を示すべきです 自らの深みにいる グルの人格は たやすく飲み込まれる ことがありません これがグルの第一の性質 重力です お伝えしたように 何にも飲み込まれない性質です あなたの人格の 深くに位置取り 水面に浮かぶこともありません 先進国の人は 個人に強い力があると 考えがちです 個人が自由を謳歌することが 民主国家の目的になり 集合性が 見過ごされています もちろん個人は大事ですが コレクティブに寄与する必要があります しかし 重みがなく 表面を漂っているようでは 簡単に流されてしまいます だからファッションに 流される人がいるのです ファッションには知恵にも 健康にも合理的でありません 人格的成長や健康に 良いファッションはありません 時に変で 愚かに見えます すると人は “愚かで何が悪い” “バカになる事の何が悪い” といいます 個人の自由ですが 人格は育ちません 人格的にゼロで 空っぽです 自分で何も決められません 流行っていれば 何にでも従います これは西側の状況ですが インドような国でも ある狂った傾向が見られます 彼らも豊かさというものを 経験しなければならないからです 他人の芝を見て 彼らもやはりするでしょう 自分が得をするためには 何でもするでしょう あなた方が ファッションに惹かれたように 物質主義に陥るでしょう 個人主義は ある程度までは良いですが 度を越すとおかしくなります 特に西側では 人格が未熟なので 簡単に商売人に 騙されてしまいます 例えば愚かな人がポイズン(毒)という 名を使いはじめると 皆がポイズンを買うのが 良いことだとなります 愚かな者がある名を使うと 皆がそれを買いだすのです 特別なものではありません 何も特別でないのに 注目されます それであなたが 偉くなるわけではありません 有名ブランドというだけで 皆が買います “ああ あのブランドですね”と 非常におかしなことです そして髪型や足 首 爪 眉毛などの スタイルも流行ります 重みがないので どんな馬鹿げたことでも 自分の身体にしてしまうのです 重みがある人は そんなことはしません まず それに合理性があるかを 吟味します ただ変化のためなら おかしな流行なので流されません 水面に漂う藁のように流されないことが 人の重みを示しています 流されず 深い理解の海の真珠の ようにとどまります 今日ここに来ている皆さんは 自分の内なるグルを崇拝し まずは気質における重みが 必要なことを理解しなさい そのために大学教育は 必要ありません 読書や何かも必要ありません 自分の価値観を 正すだけです 価値観が正されると 何が社会に良いか理解します 何が自分に良いかもです 例えば 蓮の花は 泥や汚れを出しません バラのような 良い香りを常に放ちます 香りだけを放ち 汚いものは出しません 重みを獲得して 自分がグルと思うなら 醜悪なものを愛でたり 書いたりすることがないでしょう これが第二の点 価値観です まずは吉兆さを理解し 聖なる美や 精神のモラルを理解しなさい これら三つを悟り 身につけることで 人々が“あの人は重みがあって ある美しさがある”と気づくべきです 内面が変わると 外に現れます そのような落ち着きのある人は 落ち着いた格好をします 誰かを魅了しようと着飾ったり 自分を見せびらかしたりしません 自分の体を 尊重するために着ます 口を開くと知恵を語ります つまらない 下品で役立たずな話はしません 何かをするときは 品位と礼節があります 専門家になろうとする 人のようにです グルを崇拝する人は 仕事においても専門家になろうとします 例えばエンジニアのように お金や名声 他人の賛辞には無関心です 関心があるのは 対象を本当に理解できるかどうかです 凡庸ではないでしょう 音楽家は完全に音楽家で 芸術家は完全に芸術家で なければいけません 一般的なやり方で 上達しようとはせず スピリットの導きによって 向上しようとします 詩人なら スピリットの次元で 向上しようとし 商業的な成功は 望みません 凡人は多数派に娯楽を 与えようとするものです 社会の役に立たない低俗な本を売り 売名することに恥を感じません グルの持つ 価値観というより 彼のライフスタイルや言説 態度により表現されたことに 人は重力のように 惹きつけられるのです その結果 バランスの 価値体系が蓄積されます 何かの専門家になることは 別の面をおなざりにすることではないのです バランスです 例えば音楽家が絵画を理解しなければ そもそも芸術家ではありません あなたが芸術家で まだサハジャ ヨガを理解しなければ あなたはヨギではありません スピリットの核心から始めると 全ての知識が統合され 表現されることに驚くでしょう あらゆる意味で どんなことにもエキスパートになります 何を聞かれても あなたは何でも知っています ですが 価値の優劣を わきまえなさい 大切なことを 理解しようとしなさい お酒の種類とか 価値の無いものに 関する知識を手放すのです そこで上達しようとしないことです カーペットの種類の専門家に なろうとも思わないでしょう サリーやカメラの種類の知識も 知りたくないでしょう 知っていても良いですが 知らないことを気にすることではありません 人格における重みこそが 大切と分かってくるでしょう シンプルに言えば 吉兆さが解るようになるということです 吉兆とは何でしょう フェアプレイについては ご存知ですね 他者に対するフェアプレイとは 何でしょう 神の目における正義とは何かが 分かってきます あなたのクンダリーニを引き上げる 聖なる音楽を知るでしょう つまり重みによって あなたは分別を得るのです 何が人格で 何があなたを取り巻く 水気なのか解ります どう分別を弁えればよいか 分別の感覚は 内なるグルの原理から来ます しかし グルの原理が おかしな状態になることもあります 偽りの指導者を 信奉して本を読み 理論や教義にかぶれると おかしくなります その結果 頭部の エカデシャ・ルドラが増大します また 生活の一方だけに 自分を投影して 働き過ぎたりなど 極端な性格だと 心身やスピリットの問題が グルの原理に影響し エカデシャ・ルドラによって 破滅が始まります いかにグルの原理が 大切であるか 殆どの病気は この原理に反した結果 エカデシャ・ルドラのレベルまで その悪影響が至った結果なのです リアライズド・ソールとして あなた方はブラマナディを通過し サハスララを抜けて これら全てを超越しました しかし だからといって 例の重力を獲得したことにはなりません あなたはある意識を 既に獲得したのです 花を水面におけば 浮かびますが 花は熟せば実になり それは浮かばず 沈んで 水に溶けることもありません 同一性を保ちます それこそがあなたがなるべき者です サハジャ ヨガの果実になるべきです 花咲く季節は終わり あなたが果実になり 人々はあなた方には バランスの悪さがないと思うべきです あなた方は特別な重みを 持っているのです なのでサハジャ ヨガの プログラムで 決して子どもじみたり 馬鹿げた振る舞いをすべきではありません 私の前に座ってクンダリーニを 上げる人がいました 馬鹿げています バンダンするのも 馬鹿げています サハジャ ヨガに 来たあとでも 馬鹿げた重みのない 振る舞いをすることはありえます サハジャ ヨガに来て まだ以前のように振舞っているなら もっと成熟した実に ならなければなりません それこそがあなたがグルの原理を 獲得したしるしです 母なる地球の重力を 知ることが大切です 高速で回転しながらも いかに彼女は聖なる愛で私達を 美しく抱きかかえているか分かります 大きな山々を見ると それらは偉大な聖者が座して 瞑想にふけっているようです 海から放たれるグルの原理を つかめるのは彼らだけなのです ご存知の通り 海がグルの原理ですが それをつかめるのは とても高い山々なのです つまりあなた方は重みがありつつも 高い水準を保っています なので誘惑や人を惑わすような 馬鹿げた考えを超越しています 歴史上の偉人のように 他の皆より高く強く立っています かつて存在した 10人のグルの名を教えました アディナス 孔子 ソクラテス 後にアブラハム モーゼからサイナスまで 10人ほど存在しました 今日ここに 沢山のグルが座っています 皆さんはグルで そのように振る舞い 働くべきです 今日 自身の中にこの重みと理解を どう発展させられるかをみるべきです この平穏が あなたの中に宿れば サハジャ ヨギになる喜びが真にわかり 皆が楽しめることでしょう 神の恩恵がありますよう […]

Christmas Puja (India)

Christmas Puja, Pune (India) 25 December 1986.
今日 私たちは 主イエス キリストの 誕生を祝うことを 心待ちにしていました このような 場所にいるのは 深い意味があります イエスが生まれたときと 同じような小屋です 風が四方から 吹いていて 部屋を温かく保つのは 難しいです しかし 正しく言えば 彼は12月に 生まれていません もっと温かい そんなに寒くない 時期でした 彼が感じた気候は 恐らくあなたが今 感じているくらいでしょう 今日の気候は 示唆的です あなた方は この気候や環境 簡素な生活に 不快を感じないでしょう 彼は全く不快を感じませんでした 彼の母も同じです 私たちの意識が スピリットにあるとき 私たちは 自然や世俗的なことに 不快を感じません 最初の兆候として サハジャ ヨギが 快適さに 不満を持ち始めます サハジャ ヨギになりきれていない という兆候です まず 私たちは 気候と 完全に順応します 気候の特徴 移り変わり 私たちをいかに形作るか を楽しみます 自然と身体には 摩擦がありません なぜなら 同調させるスピリットが 自然と一体になるよう あなたを助け 最良な部分を 楽しませてくれるからです いかに楽しんでいるかで 偉大なサハジャ ヨギは表せます 私のおかげだと思います 全ての不快が 楽しみに代わりました キリストの到来は 大きな出来事でした アギヤ チャクラを 確立するため この地上に生まれました しかし 大分前に意識において すでに生まれていました その完全な意識自体が イエス キリストの誕生でした リアライズソールなら 彼の人生を説明することができます でなければ 彼が誰で どんな働きをしたか 話すことはできません それでも サハジャ ヨガで 多くを説明するのは 難しいです 経験するだけです 今日 あなたは 湖から水が沸き出るのを 見ました これは誰も 専門家でさえ 説明することはできません 水が興奮して 神聖を感じ 泡のように 愛が沸き出たのです 水でさえ 感じられるのです あなたは光が それを感じるのを見ました 同じように どの要素も感じられます 全ての要素は 私たちの中にあります 最も崇高なのは 光と言えます 光には 効力があるからです それはイエス キリストによって 統轄されています 光には効力があります 正しいものを あらわにします それが私たちに 世俗的な全ての次元を 理解させ 最終的にこの光が スピリットから来て スピリットを啓蒙すると あなたは他の次元を 見始めます 時には あなたを笑わせ ほほ笑ませ 時には涙させます サハジャ ヨガを通して 美しく 新しい 次元を得ました しかし全て あなたの内にあり 達成するものでした 一方 大変な努力を した者もいます 例えば イエス キリストは 小さな馬小屋で生まれました 神聖が王家に生まれる必要がない と示すためです 馬小屋でも 生まれることができます 神聖にとっては 関係ありません しかし 人は 誤った捉え方をします 人は 惨めでなければならなく 神に全てを奉納すべきだ と言う者もいます 神は何も望んでいませんし 所有しません 人は何も与えられません 乞食のようになり 神に与える という認識は間違いです 望んでいません 望んでいることは あなたが幸福で喜びに満ち 楽しむことです これが一番大切なことです ほんの少しでも 神に捧げれば 神はその百倍 あなたに与えるでしょう ほんの少しでも 神に捧げることです いけにえとして 木に自分の首を 吊るすことはありません キリストがあなたのために 全てをしました 彼の人生の 美しさは 生まれた時から 全く物質的な豊かさを 享楽しなかったことを 表しています 私たちが知る 世俗的なことは 全く楽しみませんでした そして それは 世俗的なことを 渇望する必要がないことを 私たちが 分かるようにしたものです それらが私たちを 渇望します このようなことで 心配する必要はありません 心配すべきことは あなたのスピリットです 彼の人生は 短かかったと言えます 彼は努力をしました 人について 大変興味を 持っていました 人間とはどのようなものか 知らなかったからです 人間界から かけ離れた者でした ですから 彼は 見極めようとしました 見極める中で 理解すべき 大変すばらしいことを 多く語っています その中の一つに 彼は “あなたを 理解したくない者に” “真珠を投げてはいけない” と言っています ヨギにとって これを 理解することは大切です 反神論者にサハジャのことを 話すべきではありません あなたの兄弟や姉妹 父親かもしれませんが サハジャ ヨガについて 説得すべきではありません 彼らは あなたに関係しません 主人や兄弟を説得する事を 心配する者が多くいますが あなたがそれをワークアウトする 必要は全くありません このことに関して 断念しなさい もう一つ 大変大事なことを 私たちに伝えています 許すことです 彼は許すという最も偉大な武器を 私たちに与えました 許すということは 大変実用的です あなたがただ許すなら 相手は存在しなくなります 相手はもはや あなたを煩わせません 注意にも入ってきません 許すことは 私たちが受ける世俗的な 精神的な苦痛から 解放される 最も簡単で最良なことです 彼の人生は スピリチュアルな 物語でした 様々な苦難を経ました スピリットがやり通せる あらゆる問題を経ました 誰もスピリットを殺せない と示すためです ギータで語っています 殺すことはできません 永遠の命です 人生を通して 永遠性を証明しようとしました 始めから終わりまで スピリットは 物質を超えていて 何にも支配されることはない と示しました 私たちのために 大変な偉業を成し遂げました 大きな自信を 私たちのスピリットに もたらしました 疑いなく証明しました あなた方が理解し 些細なつまらない事で 私や自分達を困らせないよう願います それは大切ではありません もっと大事な事 永遠なもの 価値のあるものを 求めなさい この場所を気に入り 楽しんでいることに 嬉しく思います 加えて今日は 多くの結婚を発表しました この短い期間に 多くのイベントがありました このクリスマス イブに 神の祝福がありますように メリークリスマス ハッピー ニューイヤー […]

Guru Puja, The State of Guru Grand Hotel Leysin (Leysin American Schools), Leysin (Switzerland)

Guru Puja, Leysin (Switzerland), 14 July 1984.
世界中のサハジャヨギに 敬礼いたします グルプージャのために 皆がたくさん集まったのを見て とても嬉しく思います グルを直接崇拝できることは 最高の恩恵とみなされます 私の場合はとても特別で 母でありながら グルでもあります あなたはシュリ ガネーシャが いかに母を崇拝したかわかりますね あなた方も皆 シュリ ガネーシャと 同じように産まれたのですが 彼は母を敬い その後最初のグル アディグルになりました 彼こそがマスタリー(修得) の本源です 母だけが 子供を達人にできます 男性であれ女性であれ グルの中の母性が 弟子を 指導者へと育てるのです まずあなたは母性を 自身の中に育むことで預言者となり その上で他者をも 預言者にしていきます ではグルになるために リアリゼーションの後に 何をなすべきでしょう グルとは 重力を意味します 重力とは 重く 深く 惹きつける人という意味です 御存知の通り サハジャ ヨガでは リアリゼーションは 全く努力なしに起こります 普通グルは弟子を 努力なしの状態 何もすることなく プラヤトゥナ シェティリャとなり クンダリーニが上昇しました プラヤトゥナ シェティリャ 「努力を緩める」ようにします そして第2の段階 ヴィチャラ シェティリャ 無思考の状態があります これも何もせずに 得ることが出来ました 第3は思考の完全な否定 アバーヴァ 平穏の恵みです この3つの段階の必要性を 理解する必要があります まず リアリゼーションを得るときは 当面全て自発的に得られます 誰かのクンダリーニを上げるのも 自然に起こります 今やあなたも 人々のクンダリーニを上げ 確立する力を持っています ですがヴィチャラ シェティリャを もってされるべきことを理解しなさい なぜなら 思考を投影すると リアリティではなく 人為的になるからです 思考は常に あなたと現実の間に立ちます 努力をすることで体現することに 反することになります 例えば 私があなたを癒やすなら 手をかざせばそれで終わりです 私はそういう存在なので 努力がありません あなたがリアリゼーションを得たのも 私がそういう存在だからです 私は努力して考えたりしません 私はそうあるだけです 誰かを見るだけで そうなります 誰かに注意をするだけで そうなります 少し願うだけで そうなります あなたがそうだから 自分の好きなようにできます 金に例えることができます 金は錆びません 錆びないように考えることも 努力することもなく 錆びません なので そうであるために 努力は要りません 努力がいるなら あなたはまだそれに なっていないということです 太陽も輝こうと 努力することもなく輝きます なので何かになろうと努力しているなら あなたは造りものです 花は美しいので 自らを飾る必要がありません 理解しなさい あなたの内面がそうであれば 努力する必要があるでしょうか ですが 私がそう言うと 無為なグルになって 無気力でいればよいと 考えたりします だから段階があると はじめに言ったのです さて 初めの段階は シュリ ガネーシャで 母に帰依すること これが始まりです 帰依するというのは 何もしないことではなく 高次の存在を敬い 従うということです 反応したり 言い返したりせずに 受け入れるということです 母親の母乳を子どもが 無条件に吸収するようにです なのでキリストは 「子どもようであれ」と言いました しかし疑うのであれば あなたは子どもではありません なのでまず第1には 子どものような意識を育てることです ですが 子どもが覚醒していて 重力を獲得するにはどうでしょう 子ども時代を確立してはじめて 成熟に向かいます 初めが肝心です 重力とは成熟で 軽薄さではありません ガネーシャの性質は ヴィヴェカ 分別です 彼は分別そのものです 分別を育て シュリ ガネーシャにシュブッディ 智慧を授かりなさい このためにシュリ ガネーシャに 従う必要があるのです この段階では 努力を否定する必要があります 例えば ガネーシャ 純真に反することにはなんであれ それを否定するべきです だから努力の否定は 否定する努力によって 達成されるということになります 初めはあなたは 努力なしになれないでしょうから そのための 努力が必要です 例えばキリストが 「不純な目を持たないように」 といいましたが あなたの目は純真ですか サハジャ ヨガでは 目を汚すような努力から 関心をそらす方法があります 母なる大地に 草木に注意を置くなどです こうやって避けること自体は 努力です なので新しい人はあらゆる努力を やめる努力が必要だと理解しなさい 例えば 放棄について語っても 快適な暮らしを求める人がいます そのような人は 快適な習慣から出て 母なる大地に寝るべきです キョロキョロと あちこちを見回す人もいます 注意を固定しなさい すると徐々に自分が 鍛錬されてくるでしょう なのでサハジャ ヨガではまず 努力をすることが大切なのです 他には 西洋では皮肉やいやみのような 隠微な暴力がよくみられます ても鈍感で「自分は 自分は」と エゴ丸出しの人もいます そういう人は喋らない努力をして 話すことを完全にやめることです 自分がいやみや無意味なことを 言っていないか監視しなさい この監視も 努力が必要です 発芽は簡単でも その後育てるのには 努力が必要なのです 成熟すれば 自分のものになります だからまず第一には エゴやスーパーエゴにより 間違った方向に努力しようとする こころを守るための努力です でも分別をわきまえるように 気をつけなさい ほどほどが一番で 極端にならないようにしなさい 例えば音楽好きな人 彼らは 音楽だけを追求します 詩歌が好きな人は そればかりになります これらが悪いということでは 全くありませんが 自分がそこで得たものは コレクティブに還元されるべきだし 他の人の発見も あなたは楽しむべきです 例えば学があり ドライな人は 優しくなるように 努力すべきです 中庸に戻ることで 極端な性質を中和するようにしなさい 「なんでも好きです」 というのが一番です 「置かれている状態が幸せです」と 自己暗示しなさい 「私は満足であり 品格です」 これらの徳や善を 自分に当てはめて 「自分に品位があるなら そんなことはできるか」と問いなさい こうやって自問して 自己を評価しなさい ケチな人が「寛容になりなさい」と 言っていてもそれは偽善ですが 自分がケチであることを自覚するなら 偽善者ではありません なので自分にあえて 価値や目標を当てはめ 努力してそうなろうと 努めなさい すると自然に自己批判により 自分の欠点を知り 他者批判をしなくなります 他者の欠点を知って 何になるというのでしょう イギリスでインドの状況を 良くしようとしたり インドがイギリスを 良くしようとするようなものです けれどもこれでさえ人の脳には 逃げ道があります 自己批判をするときに レフト ヴィシュッディに溜め込むことです ずる賢く 小賢しいほど レフト ヴィシュッディが悪くなります そして汚物を全部そこに 溜め込んで抱え込むのです 悪い主婦が家のゴミをある部屋に 詰め込んで溜め込みながら 「ああ、うまく片付いた」 と言うのと同じです それに向き合って正すことで あなたは力を得ます 自分の機械が ポンコツなのに 人の機械を良くしようとして どうするのですか その上機械が壊れたら ロッカーにしまって 「さあこれで大丈夫」というのです さもなくば自分以外の誰かを あれこれと責めるのです 有り難いことにあなた達は リアリゼーションを得たので 私が浄化する必要はなく 自分自身ですることができます つまり 自分のグルになる ということです 自分を離れてみて言うのです 「こんにちは いかがですか いらっしゃい」 でもサハジャ ヨガには 無意味なエゴで 自分が仙人とか 偉大なグルと思いだす人がいます そして「マザー 私はあなたを 愛していたから」といいます 私を愛すれば あとの浄化は私の責任と考えます それは グルの態度ではありません グルがすることは 自他を浄化して 神格に花を捧げることです あなた方皆が グルになるまでは 私があなたのグルですが あなたがグルになれば 私はあなたの神格になります 彼らがグルになるまでは 私が彼らのグルです 彼らがその意識に 達するまでです 彼らがグルになれば 私は彼らの神格です グルは皆 例えばムハンマドも 「神は偉大なり」と言いました 彼はグルだったので 聖霊や復活について語りました そして何を言うにしても 自身が導かれる源 そこを指して 完全な自信を持って言いました モーゼやキリストも 父なる神を指さしました なので自身のグルになるまでは まず努力が必要です すると次第に努力なく 達成できるようになります 努力しないことは証明できませんが 確かめることはできます 分別ある人の前では 他者も分別を弁えるものです 正直な人の前では 正直になります サンスクリットで 「ヤタ ラジャ タタ プラジャ」 王のように民がなる といわれます あなたがグルなら あなたはお手本です お手本になりなさい 指導者である立場の人間も 様々なようです 教授とか教師とか 彼らもスピリチュアルな グルでは無いけれどもグルです 彼らも非凡さのない凡庸な生活 をしていれば弟子の信頼を失います 政治家だって 好色だったり 弱点があれば 信頼や支持を失うでしょう 彼らも人格や価値観が 求められるのです ならばスピリチュアルな 指導者はどうでしょう 優秀な人たち であるべきです 内と外の生活の区別が あってはいけません 内と外がひとつになると 努力なしになるので そうなるべきです 内側から働きかけなさい 外を内には入れられませんが 内は外に出て行きます これがアンタル ヨガ 内なるヨガの始まりです 第2の段階では 無思考になるべきです 西洋人は 思考に生きているので 他の粗雑な問題はありませんが これが大切です 例えば法律を 恐れるように育てられます カーペットなど全てを キレイに保つように育てられます 物質的なものは 全てキレイに保たれます その分内面で 調節するのです 外見は上品ですが 内面はキレイではありません 振る舞いも 眼差しも キレイではありません 内面に毒をもっていて たまに嫌味を言ったり 毒を吐くのを好みます それが他国への 悪意ある攻撃になって現れます 世界を 破壊しようとしていても イデオロギーのためなら 悪いとも思いません イデオロギーで高尚な話があれば 何だってできます この汚れは とても精巧です 風呂にも入らない人が 香水でごまかすようにです だからまず内面に 良い考えを持とうとするべきです こころを観察しなさい 他人を どう思っていますか 人種差別は この病の一つです 地位もあって 上品な服装の人が 肌の色が違ったり途上国の人に 一言多いのを見てきました サハジャ ヨギですら そうするのを見ました 私は他ならぬ サハジャ ヨギに話しているのです 急に死んだものが 生き返ってきます こころが汚れて 色情や貪欲 怒りと嫉妬で一杯です だからとても 気をつけなけれないけません 洗練された人は 弱みも洗練されているので 嫉妬が共通の病です 先日 「なんでお父さんが息子や 兄弟に怒っているの?」と訊いたら 兄弟がその息子を 面倒見ていたと 普通のことです 自分の留守に息子を 見てもらったら感謝するべきです でもその人には 独占欲があります そもそも人を不安にさせるから 自分も不安になり 独占しようとするのです 不安には 多くの原因がありますが 自分の醜さを 他人に見るというのがその一つです この内面の穢れをとるのが 外面よりもずっと大変です 単に威張りたいから 人に指図する人もいます でも まず自分に 指図しましたか 自分を十分に 修めましたか あなたは自分の師ですか 自分を修めていない人は 人に命令したがります でも 自分を修めた人は 誰をも支配する必要がありません 師になります 努力することなく マスターします そして正すため マスターのための コツを沢山知っています 話すかもしれないし 何も言わないかもしれませんが やってのけます 何もしてないのに 皆が教わることになります そして人は それを感じてわかります 腰の低い 素朴な人 かもしれませんが それは大いなる幻 マハマヤです ですから力のある人は それを見せようとしません 反対に他人が 気づくようになります なにも見せびらかす必要はないと わかってくるからです わかっている人がいるのです そんな人がいたら 見習いなさい 第3段階では サットグル である師につく努力です それがあなたが 従うべきことです サハジャ ヨギでも 表面的なことがあります あるサハジャ ヨギがショールを 特定の着方をしていました 彼を指導役として 別のヨギ達のところに派遣したら 皆が同じように ショールを着るようになりました 外見でなく 内面に従うべきです あなたは グルになる時はなります あっという間になります 自分に向き合えば なるには もう少し足りないと分かるでしょう こう話している 今でさえ 「マザーはあの人の話をしている」と 自分ではなく他人のことを考えています グルから吸収し 自分のものにするには 自分を観察することです 他人を預言者に しようとするなら まずは自分たちが 預言者になるのが大変重要です 更に高い段階では あなたのグルが神格になります グル ブランマ グル ヴィシュヌ グル デヴォ マヘシュワラと言う時です そこまでは言っても グルが女神だとは言いません ブランマ ヴィシュヌ マヘシャ よりも高い段階に行けます グルの状態とは ブランマ ヴィシュヌ マヘシャの イノセンスの力を持っています しかしそこで「グル サクシャッ パラ ブランマ」と続きます パラ ブランマとは あなたに流れる母の力です ですからあなたはパラブランマの 道具となりますがどうやってでしょう それは 自己になるだけでなく グルの状態から 神格を反映する状態になることです すると全てのエレメントを コントロールし始めます だからアディ グルの化身達は皆 エレメントをコントロールできたのです 彼らを通してブラマデヴァが 完全に現れています なのでガネーシャから アディグルは生まれ ブランマ ヴィシュヌ マヘシャの 3者として顕現します 後にブラマデヴァ として4つの顔 ブランマ ヴィシュヌ マヘシャと シュリ ガーネシャで現れます なのでブラマデヴァが グルのシンボルとなり ガネーシャはチャトヴァリとして 常に4つの顕現になります そしてブラマデヴァになる段階で 全てのエレメントをコントロールします さて 今日は皆さんにグルパダ グルの状態を説明しようとしました ここで理解すべきなのは あなた達はとても幸運で 短い間に泥の中の何もない状態から 蓮の花になったということです 蓮は多くの昆虫を招き入れ 美しくします マドゥカといわれ マドゥ 蜜を選ぶもの という意味です 蜜を得ることで 自らが蓮になります 汚く汚れた池が 蓮で覆われます グルである蓮は より高く育ち 女神に捧げられます 彼女は蓮の美しい台座の 中心に居ます でも彼女をこころに留めるには あなたにハートがなければいけません グルの多くの性質 についてお話しました 12の全ての側面の最高の性質が グルの中に現れるべきです これらの性質を 有しているのがシヴァです なのでブランマ ヴィシュヌ マヘシャの中で マヘシャ つまりシヴァの本質が あなたを通じて光るべきです ヴィシュヌの性質は ダルマで まずは良いバランスのために ダルミックになる努力が必要で そして上昇します するとヴィラ−タに至り 他者にダルマ(徳)を 与えます このように一段一段理解が深まるので 偽善者になることはありません ですがあなたが現実になるので 現実があなた自身から示されます そうなります だから自分の内なる現実を理解し 向き合い 解決しなさい ですが 大概「マザー私は違います そうじゃありません」と人は言います 前に座って自分を 見せびらかす人も居ますが それが大切なわけでは ありません 大切なのは あなたがどれくらい 自己理解を得たか つまりセルフリアリゼーションなのです 一度それがわかると 表面ではなく真の意味で他人を理解し 完全に楽しめます ミツバチは造花に ひかれませんが 人間もミツバチのように なるべきです グルは自分がグルであると 宣言する必要がありません 今日はあなたを祝福します 私は12年の グル プージャを終えたので あなた方も真のシヴァの力を 身に付けるべきです 私は 身も心も一身にあなた方の 浄化 成就に完全に寄与してきました 私の努力を どうか無駄にしないでください 自らを見て 助け 高みを目指し 自己を成就するのです 自己となった時に あなたはグルとなります グルとなれば あなたが ブラマデヴァ マヘシャ ヴィシュヌになります あなた方はまず ガネーシャのように生まれ ブランマ ヴィシュヌ マヘシャとなります けれどそれはあなたの覚悟 特に正直さと真摯さによります シュリ ガネーシャがあなたに 智慧を与えると良いのですが シャクティはあなたが一生懸命働く力を シヴァが歓びを与えます サダシヴァが己れを確立できるように あなたに歓びを与えるでしょう 神の祝福を […]

Shri Krishna Puja, The Ultimate Of The Fatherhood Tannay Ashram, Tannay (Switzerland)

Shri Krishna Puja, Geneva (Switzerland), 28 August 1983.
今日 私たちは この神聖な地で シュリ クリシュナの 誕生を祝います お話したようにシュリ クリシュナは 究極の父性です 地上に化身し 究極の父性を例証します 地上において最も高い父性が シュリ クリシュナの意識です しかし神の王国において 天国とも言えますが 全ての最上に位置する領域で 化身しないサダ シヴァが内在します シュリ クリシュナは 父であるサダ シヴァの一つの側面です そして アディ シャクティあるいは聖霊は サダ シヴァのもう一つの側面であり 彼の力です ですからこの地上に シュリ クリシュナが化身したとき アディ シャクティの側面が ラーダとしてこの地上に来ました 彼女は キリストの母としても来ました シュリ クリシュナの名にちなんで キリストと名付けました クリシュナの名前であるかのように クリシュナから取りました インドでは彼を “クリシュトゥ”と呼びます なぜ彼がイェシュあるいはジェスと 呼ばれたかはお話ししました ではシュリ クリシュナの 二つの側面を見ていきます 神聖な誕生の出現でした ラーマは人生において プルショッタマを つまりこの世における 最高の父を示しました そしてシュリ クリシュナの人生では ヨゲシュワラを つまり神聖な働きとしての 最高の父性を示しました 私たちが理解すべき 最初の側面はヨゲシュワラです 二番目の側面はヴィラータです ヨゲシュワラは ヨガの最高神 ヨガの力という意味です 彼がヨギとして到達すべき 最高峰に到達したので そう言われています あなたが到達すべき理想が 彼であるかのようです 彼はヨギとして 王家に生まれましたが 牛や普通の人と共に 密林に 森に住みました 彼は石や草の上のような 普通の所で寝て 牛をエサ場に連れて行きました 彼は大変意識していました 彼の力をエゴなしに 完全に意識していました “サムハラ シャクティ”と呼ばれる 特別な力を持っていて 神聖な出現を傷つけようとする者全てを 滅ぼすことができました この“サムハラ シャクティ”は 彼の手に持つチャクラで現します もう一つは “ガダ”(槌鉾)です これらの力は彼の内にあり ラーダの力によって動きました ラーダがシュリ クリシュナの力を 支える者だからです その証拠に 彼がラーダとゴクルにいたとき “サムハラ”の働きをしました 後に アルジュナのために 二輪戦車の運転手になりました 彼の弟子アルジュナのために 二輪戦車の運転手にもなります ヨゲシュワラのもう一つの 偉大な特質は 備わっている 完全な分別の力です 彼は誰が悪魔でそうでないか 誰が良い者で悪い者か 誰がとりつかれいているか 誰が純真でそうでないか知っていました これは彼の内に備わっていた 完全な分別の力です 彼は目撃する能力を より表した能力である “サクシ”を備えていました つまり彼は サクシそのものでした 全世界の戯れを目撃する 能力を持っていました ラーマの時代 ラーマは 自分の問題に自らを巻き込みました 人間が彼を 神と認識しないように 完全な人間であるかのように 示しました どのように彼を神と受け入れられるでしょう “どうであれ 彼は神でした” この彼の内にある 目撃する能力は 全てのヨギになければなりません 彼がコントロールする要素は エーテルです サンスクリット語で “アカシャ”です エーテルはご存じのように テレビ ラジオ あらゆる公共的媒体のために 使われます ヨギとして私たちはエーテルの要素を 使えなければなりません それは最も精妙なもので あなたはそれでもって 全てに浸透でき 超越します プラスチックは 全てに浸透できます 物質や空気までの全てにです しかしエーテルに 入ることはできません ですからネガティビティは エーテルに入ることはできません あなたが エーテルの領域に入ると 実際に思考を超えた意識状態の 領域に入ります エーテルの状態を得るには 思考を超えた 意識状態を広げないといけません それを維持するのはキリストです スピリットです ヨギとして自分のあるべき状態が エーテルのようである と認識できます スーパーエゴは どのような状態であるべきでしょう エーテルの状態に入るべきなのは エゴの部分です スーパーエゴにおいては それらを戯れとして見なければなりません ネガティビティの戯れを 見なければなりません ネガティビティは遠退くでしょう 関わってはいけません 振りをしなさい ネガティビティは あなたから離れるでしょう エゴとスーパーエゴはどちらも ヴィシュディから上昇します そしてアギヤ チャクラで 後退します しかしヴィシュディに 吸収されなければなりません ヨゲシュワラの最も偉大な特質は 全く関わらない 完全に執着しないことです 彼が食べ物を口にすれば 食べていません しゃべれば しゃべっていません 見れば 見ていません 聞けば 聞いていません 彼には何の影響もありません 反応も行動もありません いずれにしろ 彼は完全です 16の花弁は 完全な月です 月の16日目は プルニマです このように自分自身において 完全でないといけません 自分に完全に 自信がなければなりません しかし自信を エゴによるものと 混乱してはいけません 自信は完全な叡智です 完全なダルマ 完全な愛 完全な美 完全な神です そうでなければなりません ギ―タの“全てのダルマを断念し 私に帰依しなさい”の意味は “心配事全てを断念して 私と一つになりなさい” “そうすれば あなたの面倒をみます” シュリ クリシュナに 責任を委ねなさい あなたを通して 完全な統轄した神聖が現れます 自分に責任がある と言うのであれば “良いでしょう やってみなさい” と彼は言います しかし “貴方に責任があります” “私は貴方の手の道具にすぎません” と言えば それを大変良く現せます そのようにして あなたのヴィシュディ チャクラは開きます これは私がお話した ヨゲシュワラの一部分です 彼が私たちの内にある 脳なので 彼は私たちの脳になります 神聖な脳の特質全てが内にあると 知らなければなりません 私たちの脳で考える 策略や欺き 悪いこと全ては 神聖な目的のために 彼自身汚されることなく 彼によって為されています ポジティブとも言える 別の側面を見ると 政治や外交 リーダーシップのようなもの 将来への思案すら 彼によって為されています 計画や思考や管理など 全てです 全て戯れとして為されています 彼がマスターだからです “ストゥラ ダーラ”と呼ばれ 劇における序幕をする方 パントマイムの糸を操る方です サハジャ ヨガのこの段階で理解すべき シュリ クリシュナのもう一つの事は 彼はこの時期に出現する ヴィラータ シャクティだということです 彼の時期のシュリ クリシュナの シャクティではありません 作用する力は もはやラーダやメアリではなく ヴィラタンガナです それ故 全ての聖人の知識よりも サハジャ ヨギの知識の方が 遥かに広いです しかし彼らより深い という意味ではありません 自分の知識を深められるなら この広い知識は 適切な根を育むでしょう 脳はルーツ(根)です 全生命の木の根があります 実際クンダリーニが上昇し まず脳に水を与えることで 全生命の木に神聖な至福や 神聖な知識が注がれます ワークアウトすべきこのヴィラータ シャクティは まず私たちに集合的意識を与えます 私たちは最初に 脳の力を通して理解します 全ての脳の力は ハートによって水を与え 導かれなければなりません サンスクリット語に 美しい言葉があります”シンチャン” 神の愛で吹きかけられる 露の雫のような意味です 脳の統轄はハートで そして肝臓で 行われなければなりません それによってのみ ヴィターラ シャクティが別の形をとります 殺す武器から 許す武器に変わります あらゆる破壊的力が 建設的なものに使われます 騙されたようにです これらのグルをいかに騙すかの トリックについてお話しました 彼らの力は 彼ら自身を騙すのに使われます 彼らの歯が彼らの喉に 向けられなければいけません 歯を取り除くのではなく 彼らの喉に向けます それができるなら 私たちに及ぼされる 影響はありません あなたがより力強く 巧みだからです ヴィラータ シャクティは今 その形をとっています 木のように 上に向かって育ちます しかし果実がなると 下に降ります まずその花自体で 木やその他の部分自体で 魅力的です 人はそのために 摘み取ろうとします しかし果実がなれば それを保存します 木も謙虚さで下に向きます 大変価値があります あなたは果実です ヴィラタンガナ シャクティである 果実です あなたは大変価値があるので 地上から神聖な力を滅ぼし 破壊しようとする者が これらの果実から 何か得るべきだと考え始めるほどです 今日ヴィラータ シャクティが あなたに偉大な価値を与えました 人はサハジャ ヨギが 一人でもいれば貴重に思います 例えば普通の人が リアリゼーションを得て 彼の価値を高めるとします 彼がそれに見合うサハジャ ヨギなら 彼は価値において尊敬され 愛され 最も高次なものを与えられるでしょう 今日はそのヴィラータ シャクティを 理解すべきです 私たちは果実を与えてくれた ヴィラータ シャクティを崇拝します 結果 これらの異なる教会 熱狂主義 無神論主義 共産主義 全ての主義は中和されます それに恩恵を見るからです あなたはそれに ならなければなりません 大事なことは 母なる大地に頭を下げることです 謙虚であることです 完全に内から謙虚にいることは あなたにサハジャ ヨガの果実の 完全な価値を与えます 自分自身について自慢する サハジャ ヨギは 木になる腐っている 果実のようなものです 頭を下げた果実のみが 熟した良い果実として受け入れられます 自分は高みにいると主張する者は 良い果実ではありません これに乗じてネガティブな者は 自分は頭を下げているので素晴らしいと 決して言ってはいけません 論理にかなってはいません 自分が謙虚だという振りをします 腐った果実でさえ頭を下げます しかし熟した果実は その重みによって 謙虚さを表します それはグルタトゥワの重みです あなたは 果実になるまでの成熟の力を ヴィラタンガナの力によって 授かります そして グルの原理によって 祝福されます より良い陽光や より良い水の供給などを欲する者は まだ成熟していません 果実はそれ以上 何も必要としません 母なる大地やその要素から 何も必要としません それは帰依し 頭を下げ 母なる大地に礼拝します ですからマザーに質問をし続ける 個人的な問題や 愚かな考え ネガティビティをもってくるサハジャ ヨギは まだ果実ではありません 成熟した者とは サレンダーする者 母なる大地に礼拝する者です ですから頭を下げれる能力は 自己を判断する最良の方法です あなたのために全ての仕事をする あなたのお母さんの重力に全てを委ねて あなたの些細な 小さな心配事を委ねて これらの破壊の力の上へ 上昇しなければなりません 完全なヴィラータ シャクティを 達成しなければなりません 最終的には “マドゥーラ シャクティ”となります “マドゥーラ”は英語にありませんが “優しい力”という意味です 果実が甘くなるようです そのようにあなたは 優しくならなければなりません クリシュナは優しさが 全てに及ぶようにしました 彼の全ての戯れや踊りや話を 読めば分かるように ゴパスやゴピス ヨギに対して マドゥラ シャクティが作用していました ヨギを喜ばせることによって お母さんを喜ばせなければなりません 他の者を喜ばせるのではありません 彼らは重要ではありません 今日のプージャは時間を短くします 短くするために 二階で時間をとりました 失われた時間は 永遠に得られる時間となります 神の祝福がありますように […]