Birthday Puja New Delhi (India)

Puja for the 79th Birthday, Delhi (India), 21 March 2002. English part
愛について話しています 全能の神の全てを遍く 包み込む愛についてです それは全てを産みだし 全ては愛の空気で 満たされています しかしそれは子どものように 純粋な者にだけ可能で あなたが非常に憎しみに満ちているなら 誰もあなたを救えません 憎しみを正当化するのに 十回でも議論をするでしょう 正当化するために どこまででもいってしまいます 私たちの国は穏健で 平和な国とされていますが 殺人だけを 信じるような人がいます このようなことは全く信じなかったこの国が 長いあいだ暴力に溺れていますが 基本的に私たちは 平和を信じる国民です 平和なくして 成長は起こりえないからです 完全な平和が必要です 内に平和が宿れば 平和な環境にあれば 美しい国民に育つでしょう 怖れからでも 圧力からでもなく あなたの内なる完全な 平和が胸にあれば 怖れていないというだけではなく 平和を醸し出します 平和を与えます そういった者の近くに行く人は 誰でも穏やかな感じを持ちます あなた方は皆サハジャ ヨギで リアリゼーションを得ています つまりスピリットが平穏さと喜びの ヴァイブレーションを発しているということです どこにいても穏やかな ヴァイブレーションを発するでしょう 平和をつくりだすのです 如何に平和をつくり出すか 平和な 雰囲気を確立するか見いだすでしょう 私たちが平和をつくり 平和を他人に与えるような 模範となるよう成長していく ことが非常に重要です このデリーでこんなに多くのリアライズ ソールをもてるとは信じられません 期待していませんでした まず 私は 人々の心が私の仕事を理解できる状態に なるのを待たなければなりませんでした なぜなら私たちは国の分断を体験し 多くが命を落とし 財産を失いました 私はそれに直面し 目撃しました 彼らは本当に 他の人を許せませんでした 許しは他者の痛みや困難を理解するために 非常に良い方法ですが この深みを まずあなたは 開発しなければなりません 怒ったり 復讐的になったりするかわりに 聖なる愛を通して 心の平穏を持つことができれば 何かを特別にする必要など ないのです 今やあなたが胸に宿しているのは 平穏さだけです それをただ感じなさい あなたは平穏な人で 簡単に気分を害したり 人の気分を害するために腹をたてることに 対して言い訳をしたりしないでしょう あなたはこれらの怒りやばかげた復讐心など 全てを超越した者です リアライズ ソールでない人たちに 説明するのは難しいです 彼らはそれを 好まないからです リアリゼーションを得れば 話せます 最良なのは サハジャ ヨガを広めることです シーク教徒 イスラム教徒 キリスト教徒… […]

Mahashivaratri Puja, Destructive Power of Shri Mahadeva New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja, Delhi (India), 25 February 2001.
今日 私達は マハシヴァラトゥリを祝うために 集まりました シュリ マハデヴァについて 理解することは 私達 皆にとって 大変光栄なことです あなたがセルフ リアリゼーションを 得ない限り シュリ マハデヴァの 偉大な神格 その性格 その力を 理解することはできません 私達が謙虚でない限り 彼の偉大さ その深さに到達することも 理解することも 容易ではありません シュリ マハデヴァの 蓮の御み足に到達するためには 私達はとても 謙虚でないといけません この偉大な人格の 蓮の御み足にいるために サハスララでさえ 越えないといけないのです 彼は私達の 概念を超越していますが スピリットとして ハートに内在しています そして あなたが リアリゼーションを得たとき 大変よく反映するのです しかしながら 私達は シュリ マハデヴァの力を 理解しなければなりません この偉大な神について 短い言葉で説明することは 容易ではありませんが 彼自身が持っている 最初の力とは 大いなる許しの力です 彼は許します 彼は たくさんある私達の罪 たくさんの破壊的な行動 みなに問題を起こそうとする 気質を許します ある程度までです しかし 同時に破壊する 最も大いなる力も持っています 彼はすべての 五大要素を支配しているので 彼の破壊は 突如起こります すべての要素を支配しています 母なる大地を 支配していますし その他の要素も すべて支配しています 彼は問題を見つけ 望みさえすれば すべてを 破壊することもできます 地震は私ではなく 彼によって 起こるといわなければなりません 私は破壊のために いるのではありません この地上で何が起こっていて 人間に何が起こっているのかを見るのは 彼なのです グジャラットの例をあげましょう グジャラットの人々は 大変な金銭主義者です 株式取引について心配したり あれこれと 常にお金のことばかりです 外国に暮していたとしても 非常にお金重視です 彼らにサハジャ ヨガの話を するのが不可能なのには 時折 驚かされます 彼らは偽者のグル達が 好きなのです どこからそれを得るのか わかりません ともかく グジャラットに バヴナガールという場所があります ある時バヴナガールの人達が来て 銀のスリッパ パドゥカスを 私にヴァイブレート してもらうために持ってきました 驚きました この人達がそのように考えていたことに 少なくとも嬉しかったのです バヴナガールで そしてバロダでも 彼らはプージャをし ハヴァンをしました これらがボカンパや地震によって 害が及ばなかった 二つの場所なのです 想像できますか そして 遠いところにある スラットは 完全に破壊されました 何人かのサハジャ ヨギは すべて助かりました そして彼らの 家も動きませんでした つまり あなたのお母さんの保護と 全能なる神の 怒りの間にいるのです 彼がすべての要素に対して 力を持っていることを 良く理解するべきでしょう 私がフランスに行った時 何人かが 私を困らせようとしました マスコミが 私を追いかけていました テレビや他のところで 私のことを悪く言っていました どこかで何かが起こることは わかっていました そして突然海から大きな 何と呼ぶかわかりませんが 大きな嵐が起こりました 誰もなぜそれが 起きたのかわかりません そして二つの船が 完全に沈み 助けようと行った人達は ガンになりました 次に起こったことは この嵐が早く動きはじめ すべての教会の屋根を ふきとばし たくさんの牧師の家が こわされました その嵐がどんどん進み 私が買ったとても大きな 城のところまで来ました そこでまさに止まりました それは私が やったことではありません 彼がすることなのです 彼は大変許すことができ 非常にやさしく 穏やかですが 彼の力を意識するべきでしょう これらすべての力は 私の仕事を守るために 使われています 行き過ぎることもあります スピリチュアリティの仕事を 邪魔すべきではないことを 人々に示すためなのです 本物のスピリチュアリティ でないといけません 偽りのグルのような者が 魔法のようなものを見せたり 不自然なことを話したり するのではだめなのです 本当のスピリチュアリティ であるなら 常に守られますし シヴァはこの上なく幸福です そして あなたに与えられたものは あなたが想像できる以上の すばらしいものなのです 彼は大変許すことができます そのような許しの源です あなたの心に許しがあれば 彼はあなたの心に内在します そうでなければ 次第にあなたは 大変重い病気にかかるでしょう あなたが許せるなら あなたのハートはとても早く動くでしょう 誰もあなたのハートを おかすことはできません 心臓発作を起こすことは ありえません しかし もしあなたが 我慢強く 苦しみ いろいろなことを 自分の力として受けとめるなら 間違ったことをし 神を忘れるなら あなたのハートは だんだん弱まり始めるでしょう ですから 一方では非常に 攻撃的なハートになっていき ヒットラーのような ハートになれるのです いかなる主張をしようとも あなたが誰かを 苦しめるのであれば あなたのハートは固くなり 強力な心臓発作になるでしょう これは避けられません また あなたが 大変辛抱強く 意味のないことを辛抱し 大変従順で おびえているとします おびえているのなら その恐れでそれをしているなら 別の心臓疾患 狭心症を引き起こすでしょう 最終的には 罪悪感のようなものを持ち始め ありきたりの人生を 送ることでしょう このような精妙なことが とても辛抱強いと思われる人に よく見られます スピリチュアリティのためであれば 辛抱するのもかまわないでしょうが 恐れをから するものではありません あるいはこわさから するものではありません サハジャ ヨギであるなら 何も恐れることはありません インドでは 人々は何でもこわがります リスを見てこわがったりします トカゲを見ようものなら もうおしまいです 彼らは何でもこわがり 女性はゴキブリでさえ こわがります このような気質は 大変ばかげています 狭心症に陥りがちな 人になるからです こわがる必要はありますか サハジャ ヨギであるなら 何にもこわがることはありません 人はねずみを見てはこわがり 何でもないことにこわがり それを自慢し 話題にします ハートがどんどん 弱くなっていきます また インドの男性にも 責任があるでしょう 女性を付属物か 義務のように扱ったりするからです 女性をどう思っているか わかりません 彼らの態度は 信じられないほど悪いです 特にインドの北部です 女性に地位はありません 家の中に閉じ込められ 召使いのようです 顔を常に 覆っていないといけません 許可なしに 外出はできないのです ひどいものです イスラム教徒の影響である という人もいます しかし 永遠の命 スピリチュアルな命を 信じるのであれば いかなる無意味な残虐行為にも 支配されるべきではないのです ですから インドの女性が 自由になる必要を感じるわけです 彼女達は大変いい人達で 辛抱強く 心やさしいのですが 自分の価値を 自分自身を尊ぶことを 知らないために 悪い病気にかかったり 精神疾患を引き起こしたりするのです このことについては すでにお話ししています なぜ男性は このように振舞うのでしょう 私達の国では 少なくとも70%が女性ですので 北部では70%の人々のエネルギーが 無駄になっているように思います 彼ら自身 どう思っているか 分かりませんが その報いを受けています このような国々は 決して栄えることはありません 女性はラクシュミだからです しかし 彼女達も ラクシュミであるべきです ラクシュミのように 振舞うべきですが このようなひどい状況には ショックを受けます どうして女性でいられるのでしょう 悪魔のようです このような社会での アンバランスもまた シュリ マハデヴァによって 罰せられるわけです 彼は大変親切で 苦しんでいる人達の 面倒をみようとしますし 苦しめる人達を 罰しようとします 攻撃的な人達を滅ぼすことで 助けようとするのは 彼の本質なのです 彼はクンダリーニや セルフ リアリゼーション について語りません ただしっかりと罰を与えます ショックを受けるぐらい ひどい方法でやります 苦しみの中で生きている 女性達を見てきました 彼女達は寿命より かなり早く死んでしまいますが そういう人達を彼は救います これらのことを 正しく見なければなりません 彼はもちろん 守るためにいますが それ以上に 滅ぼすために存在します 彼はさまざまな動物 さまざまな鳥 あらゆる自然を守ります 彼が守ります すべての喜び スピリチュアリティの 喜びをもたらすのは 彼なのです しかし もしあなたが 攻撃的になろうとしたら 滅ぼすのは彼なのです 自分の首を吊るためのロープに ゆとりをもたらせます それで人はまだ大丈夫と思い 自己満足するのです 逆に西欧では 男性より 女性の方が支配的なようです 大変驚きです どうやっているのでしょう 常に支配しているのです 男性は 手玉に取られています どうやっているのかわかりませんが 支配しています 彼女達は 謙虚ではありません 愛していないのです 常に夫と 離婚し続けているのです 愛していないのです 愛とは何か 知らないのです またインドの男性も 愛が何であるか理解していないようです 一生のパートナーである妻を どう愛していいかわからないのです どう敬意を払っていいか わからないのです そして ひどい怒りが起こってきます この怒りは いろいろなところに作用し そのような男性達には 恐ろしい病気や問題ごとが 次々と引き起こされます 社会全体もまた 謙虚な者達に対してふりかかる さまざまなことに責任があります 双方です あなたが攻撃的であるなら シュリ マハデヴァの 第3の目に見つめられていると 理解するべきでしょう 例えば あなたの召使に 攻撃的であれば 部下に攻撃的であれば あなたの子供達に 攻撃的であれば この怒りに満ちた神がいます 彼の破壊の呪文の下に 置かれるでしょう しかし 彼は私達に ヒマラヤのすばらしい高さを与えます 彼は人間を非常に美しく とても気高くします そして 彼は人々がお互いを 愛し合うことを望んでいます 人間の間には 純粋な愛があるべきです そして彼があなたを とても繊細に 人に対して振舞えるように 人にやさしくできるようにします それができないのであれば あなたは違う方向へ 行っています 彼の最も偉大な特権は あなたに高さと深さを与えるということです あなたが彼を崇拝するなら 全世界を目撃者として 見ることができる高さを得られます 彼は全世界を サクシ スワルパとして目撃します ですから 彼は知識なのです 彼は純粋な知識なのです あなたはリアリゼーションを 得たかもしれません 涼しい風を 感じたかもしれません しかしその知識を持っていますか 自由とは何かを この手の意味は何かを ヴァイブレーションは何かを 話さなければなりません 彼がその知識なのです その純粋な知識です 最も高いレベルの 完全な知識なのです ですから 彼が知識の源なのです 謙虚でない人は その知識を得ることはできません 傲慢な人 他の人を繊細に 優しく 美しく扱えない人は 彼の恩恵を得られません そういう人は 人生において何も得られません 何を得るべきでしょう 地位でも富でもありません これらの外的なもの ではありません 愛することができるハートを 得ないといけません あなたが愛することができる ハートです シヴァがハートに 内在するのであれば あなたはすべての人を 大変美しい方法で愛せます 愛について おかしな考えはありません 純粋な愛だけです すべての人への純粋な愛です そのお恵みで あなたの荒っぽさは すべて消えます 例えば もしほんの少し 力があるとします するとあなたは 良くないことに使うでしょう シヴァを見てください 非常にたくさんの力を 持っています 彼がそれを 間違って使えば この地上に草一本も 生えないでしょう いかにあなたが罪深いか 自己中心的か それでも彼は あなたにチャンスを与えます “成長するかもしれない”と 彼は非常に寛容です 彼は大変許すことができ また極めて寛大です 仮に 砂漠に住んでいる人達が いるとします そして彼らが 大変いい人達だとします 砂漠に住むがために 苦しんでいるなら 彼らにオアシスを創るでしょう 彼は母なる大地を 支配しています 彼らを幸せにするためなら 何でもできます 彼らがスピリチュアルであれば 崇拝しているのなら しかし 人間はとても愚かで 神の名のもとで戦いつづけます 例えば南部では 二つの種類の人達がいます 一方はシヴァを もう一方はヴィシュヌを崇拝します ヴィシュヌは シヴァを崇拝していたのです 誰も高くも 低くもありません すべてが大切なのですが シヴァを崇拝するか ヴィシュヌを崇拝するかで 人々は戦っていました 彼らは現実から 程遠かったのです 現実が何か 知らなかったのです ただ戦い 戦いだけです 神の名のもとで戦う者に シヴァが行き 彼らを三俣の鉾で 刺します 神の名のもとで戦ってはいけません 愛し 理解することです 神の名のもとで 戦うことは無意味です それだけではなく 大変危険です そのようなことをする者は 滅ぼされるでしょう 自己破壊的です 完全に滅ぼされます ですから 神の名において 愛さねばならないことを 理解する必要があります ばかげたことを 我慢する必要はありません 愛さなければいけません 愛を広めなさい 次第にその愛は 世界中に達して 私のヴィジョンが達成されつつあるのを 見ることができます しかし 諍いや憎しみ あらゆる攻撃性があるなら これら全てはシヴァに反し 滅ぼされるでしょう 彼らが滅ぼされるとしたら 何ができるでしょう 拝金的で 物質主義であるなら 彼らは愛しません 金銭のためだけに 愛しています 彼らが皆滅ぼされるのは 疑いがありません 謙虚であるばかりでなく 非常に愛する人でなければいけません シヴァの恩恵に与るには 極めて愛する人でなければなりません そういった人は利口だったり ずる賢くはないかも知れませんが 純真であると思います 誰かを愛すると その人を助けたいと思うからです 私自身苦しみました 人々を助けようとして 彼らは私を欺きました だから何だというのでしょう それが彼らの性質で あげく破滅しました 私は自分を欺くように 頼んだわけではありません 私は彼らに良くしましたが それでも私を欺いたのです ですから 破滅がやってきます 私に何が できるというのでしょう 誰も破滅して欲しく ありません この自らの創造を 愛していますが 彼らが破壊的であるとしたら 守る方法がないのです 彼らを破壊するもう一つの 偉大なる力があるからです 私がどうしようもない立場にいる ということがわかるでしょう どう表現してよいか わかりません しかし シヴァの 愛と恩恵によって あなたは極めて愛情深く 寛大で 非常に優しく 子どものように 純粋になれるということを サハジャ ヨギとして 理解すべきです あなたは 純真でなければなりません ずる賢くなる必要は 全くなく 純真さが如何に守られるかに あなたは驚くでしょう あなたが純真なら 心配する必要はありません シヴァの第3の目の力が存在していて あなたを保護します どこに行こうと あなたと共にあります 馬鹿になる ということではありません 現実的でなくなる というわけではありません シヴァの力によって 現実的な側面は ことごとく引き受けられます 彼の導き 愛 優しさを 人生の中のありとあらゆる 歩みの中で見ることができます まず自分の歩みに 気を付けなさい 攻撃的ではないですか 人を困らせてはいませんか 他人につらくあたったりは していませんか あなたは謙虚ですか 穏やかですか 親切ならば 彼はとても喜びます 自然のなかで働いているのは 彼の掟です それは非常にシステマティックで お互いを理解し合いながら 生きています 例えば ジャングルに行って 全く静かで 鳥のさえずり さえも聞こえなければ そこに虎が座っている と思うべきです 彼は王様です 従うことを皆知っていて 王がいる場には 礼儀が存在します 自動的に礼儀を 理解しています 虎がいれば 誰も動かないでしょう 彼は威厳をもって座ります 1週間か10日に一度だけ 一匹の動物を殺します 彼も食べなければなりません 一匹殺して 彼とその家族が まず食べます 血が流れ出るまで待ってから 家族皆が来て食べます それからその動物を そこに残していき 他の動物たちが順に来て プラサードとしてそれに与るのです 最後には カラスたちが来て その動物を食べます それほどの規律 礼儀の理解が存在しています シヴァによってどれほど動物たちが 統率されているかに驚きます 動物が ストライキをしているとか 動物の巨大な裏社会がある とは聞かないでしょう 動物がものを盗む というのも聞きません 私達は動物の段階から 進化してきたというのに動物以下です 争いのようなおかしな 行動様式をもちながら どうして私達が 上昇できるというのでしょう どんな小さな原因であれ 争い始めます 動物も多少戦いますが 集団ですることはありません 人間のように 集団ではしません ほんのちょっとの腹立ちで 仲間をつくって争い始めます 動物も仲間集団をつくりますが 争いません 動物たちは 真に理解しています 私達も自然の掟を 理解してはどうでしょう このような自然の摂理に 従わせるのがマハデーヴァです 空や大地ですら 全てが彼によって保護されています 美しいことを 私達のために行います 季節の移り変わりと共に 美しい花々をつくり出します 心地よく 美しい 喜びを与える ようなものを創造し 保護します 自然が与えるものを示し 私達が無邪気な子どものように楽しんだり 喜んだり 幸せでいられるようにします しかし 私達は傲慢にも 何事につけ反応します 絨毯を見れば “これは好きではない”と言うでしょう 特に西欧では 良くあることです 何かを好まないというあなたは 自分を何だと思っているのでしょう 良くあることで 恥じらいもなく“これは好きではない これは好き”といいます そういった人間はどこへ行き着き 何が起こるのでしょう 何事も愛でることなく 楽しむこともなく なぜ批判的な反応を するのでしょう そういった反応は西欧に多いです インドではあまりありません しかし そこにはある種の 文化の違いがあると思います インドなら 異常者のように思われるでしょう どう愛について語り それを表現するかが大切です まず 自分の妻から始めなさい そして自分の子どもや 他人に向かうようにしなさい 時折 世界は愛せても 妻は愛せないようなことがあります それは特殊です インドではあります 西側でも 妻を怖れるが故に愛するような おそらくは離婚を怖れる人がいます 愛はただ “自由な” 愛であるべきです 怖れなしに 責めることなしに その純粋な愛を楽しみなさい それが今日の 人間に足りないことです 人々が愛の美しさを 悟る日が訪れると 天国から花々が 私達に降り注ぐでしょう マハデーヴァが 第3の目を閉じることができて こころ穏やかになる すばらしい日になることでしょう それが私のヴィジョンです それがあなた方の未来です どれほど人と 穏やかに話せるか どれほど優しく 人を愛せるか どれだけ人に 与えられるかわかるでしょう 例えば 何か贈り物を しなければならないとすると 彼らは店に行き 最も安っぽい ひどいものを買って 贈ろうとします そうではないのです 大きさが何であれ 愛情をもって買うべきです それが愛を語るべきで どれほど費やしたかではありません インドですら昨今では いかに着飾るか どれほど自分に価値あるかを 見せびらかすのが とても一般的です 何のためでしょう なぜでしょう そういった人々を 多く知っていますが 亡くなれば 遺体を運ぶのに 4人の人さえもいません 生前は 自分のことばかりを 際限なく考えていました そのような時に その人を愛したり気にかけたりする人が 何人いるかを見るべきです 育ちのせいか 愛を知らなかったのかも知れません どんなことでもそのせいにできます しかしサハジャ ヨギにとっては 愛こそが人生であり スピリチュアリティであり その愛は 見返りを期待しない 愛であるということを学ぶことが重要です 貧しい人や何かを援助するのに 長けた人がいることも知っていますが その背後に力があって 単に権力意識を満たすだけで 愛を満たすことなく考えます ですから 働いているときに 何らかの利益や 地位のためではなく 単にスピリットを満たすためだけ 愛を満たすためだけにしていると 知っていなければなりません こういった類の執着のない愛 ヴィラクタを有していれば 何らかの資格を 得る必要もありません あなたはすでにそれを得ているし 楽しんでいるのです 英語で話さなければならない というのは残念です 英語を解さない人も いるかも知れませんが 英語が最近では 優位でどうしようもありません 英語を強いなければならないのです 他の言葉を私は話せません しかし 人は 愛の言葉を発するべきです 動物たちを見ると 馬でも犬でも 動物たちは みな愛を理解します あなたになついたり 愛情を表したり 非常にかわいらしいです これを今 彼らから 学ばなければいけません 他にどうやって愛の価値を 理解させられるかわかりません 現実的ではないと 批判したり たいしてお金がないとか 権力がないとか そういったことではないのです それは重要ではありません そんなことならいくらでも 手にはいるからです けれども 私達は違います 私達は人類の宝石で 輝いていなければなりません ダイアモンドが貴重に見えるには カットされる必要があるように 内にある悪いもの全てを 切り落とすのです 私の唯一の 望みがあるとすれば “シュリ マハデヴァの性質に 従うようにしなさい”ということです いかに彼が偉大か いかに彼に執着がないか 完全に執着がありません 彼は骨やそういったものと 暮らします どこに 誰と住むか 何を所有するかにも 何にも頓着しません 私達も 無執着であるべきです 同時に彼のように 極めて愛情深くあるべきです どれほど彼のハートが 他者への愛で満たされていて どんなに他者の世話をするか 私は警告しています あなた達は私を愛していることを 知っていますが あなた達がお互いを 愛するべきだからです 愛するハートを持ち 他者を愛することに満足しなさい それを育てることができたら サハジャ ヨガでのあなたの 高みと深みが増すでしょう 確かに女神があなたに シュラッダ(信仰)を与えます しかしそのシュラッダの深さは サンスクリット語や ヒンディ語では知りませんが マラティ語ではデャスと言います その愛の深みに飛び込めば 愛を全身に浴びれば 愛を楽しめば あなたは何も欲しいとは思いません 全てを得たのです 何を欲しがるというのでしょう シュリ マハデーヴァの 偉大さのように 彼はあまりに偉大なので 執着がありません 彼以上に偉大なものがなければ 彼以上に重要なものもありません 何を望むというのでしょう だから彼は無執着です この無執着を あなたも育てる必要があります しかし同時に 彼は芸術 音楽 リズムの 神でもあります 先日 男の子達が リズムを奏でていました 彼こそが万物に リズムを与えます 自らの命のリズムに 私達は無自覚です 子どもが生まれるのも 9ヶ月と何日と正確です 誰がこのリズムを守るのでしょう そしてある花が ある季節に咲きますし 自然には四季が存在します 誰がこのリズムを守るのでしょう 彼はリズム以外の 何者でもありません そのリズムが自然において 守られています 全てにおいてリズムがあります そしてリズムのある人こそ 大きなハートを持った人です それは大海のようです そのリズムが狂うと 残酷だったり 妄想的な人がいたりすると 整った 美しく穏やかな 全くさざ波もないような湖の中は 愛以外は 存在しないのですが そういった静かな ハートのリズムが乱されると シヴァが働き出します ですから 人は完全な時間のリズム 自然のリズムや 全てにおいてのリズム感を 持つべきです 花の名前さえ こういった花が何かさえ 何時ごろに咲くかも 知りません そういった生命のリズムに 関して全く知りません 知ろうともしません 見てみれば 全てに渡って 季節が存在します ですから 彼はあらゆるリズムを タブラやパクワジを演奏するように 全ての季節のしらべを 奏でたのです そしてそれによって自然が芽吹き 花を咲かせ 枯れていくのです その点を わかっていません 自分自身にかかずらって ばかりいます “調子はどうですか” と尋ねれば “マザー 頭痛や胃の痛み 他にも・・・” 何から何まであります 別の人はいいます “ええ 順調です” “マザー 世界をどうか 正して下さい”と 自分の心配をせずに 他者のことを心配します 世界を幸せにするために何ができるか という美しい理解のもとで いわば一生懸命に 働かなければなりません そのなかで “この世を美しくするのは 私達の義務ではないか” “この世界をリズミックに スピリットと調和のとれた世界にするのが” “私達の仕事ではないか” と考えるのです それは私達の義務です サハジャ ヨガを自分のためだけではなく 他人のためにするのです 自分のことをいつも心配するのではなく 他人の心配をするのです 世界で起こっていることに気を配る それが愛です その愛は自発的で 働くときにはすてきな働きをします 今夜は美しい夕べで この場所で偉大な成長の源を 崇拝しています あなた方が どれほどその力を得ているか シヴァのリズムにおいて どれほどその力を 全身に浴びたかを 理解するよう望みます 彼はそのリズミカルな方法で あなた方にヴァイブレーションを与えます 私達の生の道すじを流れ それがあなた方を 完全に包み込むはずです そこであなたの自己意識は 溶けていくように要請されるでしょう 私はそれを祝福します ありがとうございました […]

Mahashivaratri Puja, Surrender New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja. Delhi (India), 14 March 1994.

シヴァの崇拝に世界中から皆が集まり とても喜ばしいです 実は今日はサダシヴァの崇拝をします ご存じのようにサダシヴァはシヴァとは違います サダシヴァとは全能の神であり 原初の母によるドラマを観る方です サダシヴァと原初の母であるアディシャクティの関係は 月と月光や太陽と陽光のようで 人間同士の関係や婚姻では 理解できません アディシャクティが創造するのは何であれ サダシヴァの望みであり 彼によって観られるのです しかも彼が創造を観る際は 完全に細部まで観ます 全宇宙を観ていると同時に 母なる大地も観ていて アディシャクティによる全創造を観ています 彼の力は観ることであり アディシャクティの力は 偏在する愛の力です 原初の父ともいえる全能の 神の望みである イッチャシャクティが 原初の母として現れます そして彼女は自らの力を 愛として表現します このように両者の関係は極めて 理解があり、とても深いものです 何であれ彼女の創造で 何か問題を見つけたり 彼女の仕事を邪魔しようとする 神の仕事を邪魔する人が 神でもないのにエゴを振りまくなら 彼が破滅をもたらします 彼が破壊の力の源なのです 彼は人間のハートに反映しています 全ての創造の中に彼は脈打っています でもその脈、拍動は原初の母の力です そして彼はそのアディシャクティの計画に 反するもの全てを破壊できます アディシャクティは愛であり 彼女は許し 愛します 自らの創造を愛し 想像が繁栄することを願っています そして創造されたレベルに到達するように 願っています 彼女は人間が神の王国 サダシヴァの王国へ 入れるよう願っています そこには恩寵と許し そして歓びがあります これはあなたが探求して そこに行きたいと望みさえすれば できるものです この望みは原初の母性の反映として 私たちの中にあります この望みと同時に世俗的な望みもあり それがあなたの上昇を止めます サハジャヨガでは決して 出家したり世俗を捨てたりすることで 欲を乗り越えようとはしません 過去に説かれたような手法も使いません まずスピリットの光を得たのです スピリットがサダシヴァの反映で この光で彼は道を示し 示し続けます スピリットは道を照らすために 燃えている光のようです その道中において あなたはとても賢くなり 英知と善の光の中を進むのです 破壊的なものは何であれ スピリットの光で見えるからです あなたは破壊的なことは全て 諦めだすでしょう 誰かにあれこれしてはいけないと 言われる必要はありません あなた自身がそれが間違っていると分かり 止めようと思うのです これが私独自の人間理解でした 今日では人間は完全に幻の中にいて ただ生きるためにもがいて争っています こんな状況ではどんなことをしたところで 世俗を去ってヒマラヤに行ったりしても失敗するでしょう 大衆にそれをするなら 抜本的な何かをしなければなりません 幸運にも私はその方法を見つけました まずは種を発芽させ リアリゼーションを得るのです リアリゼーションを得た人でも まだ学ばねばなりません リアリゼーションを得た人は多くて 数えたことがないので 何人かは分かりませんが まだ彼らにも放棄がたりません 口にするのも恥ずかしいですが それが事実です 現代のサハジャヨガは 放棄さえすればという状況です 自分の理解や別のやり方をし始めても サハジャヨガは理解できません 放棄しなさい イスラムという言葉が表すように 放棄するのです そしてその放棄なくして 神の大国に入れる者はいません 放棄とは家族や子供を捨てることではありません 家や財産を捨てることでもなくて 放棄とは まずはエゴを捨てること そしてコンディショニングを 捨てることです 例えば先日 苦しんでいる ある男性に会いました 彼にあなたの指導者は誰なのか聞いて言いました 彼はあなたに何も良いことをしてないです 彼のもとを去ってはどうでしょうと 明日そうしますというので なぜ今日でないのというと 今日彼に関するモノを捨てて 「明日の朝そうします」 「よろしい そうしなさい」 「マザー 何を捨てればいいですか」 「彼を崇拝するための全ての物を とにかくすべて捨てなさい」 そして彼は家に戻って家中にある 崇拝の用具を集めて海に捨てました そして海に言いました 「すみません 「私はこの男のせいでひどい思いをしました あなたは苦しみませんように」 このような染みわたるような知性がない限り 放棄できないものです 人はしがみつき続けるものです コンディショニングがなかなか取れない人を わたしは何人も知っています エゴよりも難しいものです 日常のコンディショニングと あなたの状況のはからいがあります まず生まれのコンディショニングがあります インドとかイギリスとかです サハジャヨガにくると殆どの人が 自国や国民のどこが悪いか 分かり始めます 自分たちの宗教や読んできた本のどこが悪いか すぐにハッキリと見つけ出して これが間違っているとかダメだと理解します それを皆からかいます 世界中の人がそうします だれも自分が英国人だから最高だとか ロシア人だから最高だとか インド人が最高とは思いません 彼らのどこに問題があるかを探し出し どうしてリアリゼーションを得ないかを 理解します その一方でとても慈悲深くなって 「マザー 多くの人がまだリアリゼーションをもらっていません」 「ぜひ彼らにリアリゼーションをあげましょう」と これは光の二重の作用です まず自分が光を得てそれを自覚している だから何であれ注意を向ければ現実が見えます するとこれは自分の国や社会のコンディショニングだとか 理解できるのです するとそれを嫌うようになり 自分から引き離します でもまずはお伝えしたように サレンダリング 放棄です 放棄によってある意識状態になり 内側から世俗を離れるのです あなたは何にも支配されなくなります サニャーシとは 世俗を超越している者という意味で 何も彼には張り付きません 彼が何かを見れば その本質が分かります 彼はすべを知っているとは言わない かもしれませんが間違いを犯しません とても無執着なので それによって 自分の間違いを見ることができます 彼は自分の家族や周囲を観察しだして あらゆる場所で何が悪いかを観ます 驚くことに自分とすら同一化しません トルコに行ったときに ある大きなスイスのホテルを経営している紳士に会いました 彼は私のところに来て言いました 「マザー 私にリアリゼーションを与えてください」と スイスではリアリゼーションを欲しがる ような人に会ったことがなかったから とても驚きました まさかトルコで会うとは 私がリアリゼーション与えると 「私はスイスに戻りません」 と言いました 想像してみなさい とても明確ですね この光があなたに偉大な知恵と バランスを与えるのです 例えば道を歩いていて足元が見えなければ 転んでしまうかもしれませんが 少しでも光があれば見えるのです これがサハジャヨガがしたことで あなたは光を授かったのです その少しの光であなたが多くのことを 放棄するのに十分でした 反対側はエゴの方です 人間のエゴはとても精妙なものです どうやって発達したのか分かりませんが あるのは事実で ちょっとしたことでいきり立つ 単純なエゴの人もいます 小さなことで怒ったり 誰か支配できる人を見つけると 支配的になります これを見つけたら 自分を笑いなさい 自分はどうしたのかと 考えるのです エゴはコンディショニングのように 外からは来ません 内側からくるもので 原因は何でもでありえます 人間はあらゆる馬鹿げた エゴを持っています ある女性が高慢で笑おうとも しない日がありました 「あの女性はどうしたのですか」 と尋ねると 「彼女は人形作りが上手だから尊大なんです」と 「ただの人形づくりで鼻にかけるなんて」 「そうなんです 彼女はそれで威張っているんです」 「だれでも人形くらい作れるのに 何を鼻にかけているんでしょう」 「でも本人はそれがすごいと 思っているんです」という具合です このように人はどんどん馬鹿になれます それがエゴを持つ人のサインです あまりに馬鹿なので話していると 呆気にとられてしまいます 無料で道化師が目の前に来て あれやこれやとお笑いを 見せてくれるのです 驚くべきことです エゴイストは見ると決まって 「私はこれをした 私は 私は」と言っています 当の本人はまたったくの厚顔無恥で 罪深い生活すら平気でしていたりします 女性や酒やあれこれが好きで とても罪深い生活をします そしてそれを自慢します 「あの日はこんなに飲んだ」とか 「5人の女性がいる」とか言い出します エゴイストには恥という概念がありません 意味のないことをただ言ってまわるので 「ああこんな人と話するのか」と 皆が思うのです その上何だって正当化します ある人に「心臓発作を起こしたことがあるから 飲まないほうがいい 飲酒をやめたらどうですか」と言うと 「プーネのキーロスカーという人も 95歳で飲んでいるから」というので 「あなたはキーロスカーさんではないし 彼が飲んでいてもそれで何が得られるというのですか」 「いやいや 飲酒していても成功者ですから」 「飲んでいるから成功しているのですか」 と言いました ごく普通の理性さえないのです 一般的に言ってもどんなに飲む国でも 酔っ払いの像があるのを 見かけたことは決してありません どんな国でも女性がいて飲酒で死んだと 讃えられる国は見かけませんでした 今のところはですが どれだけ人間がエゴを 推し進めるか分かりません 現代ではこのエゴがとても広がっていて 「これが好き これは好きじゃない」 とすぐに言います 「どれが好きじゃないの」 「このサリーが好きじゃない」 「こういうのは好きじゃない こんなのが好き」と でもあなたは何様ですか 人からは見ていても自分で見えていません あなたが好きでも嫌いでも どんな影響があるんでしょう なのに若者の間でよく目にします 「これがいい あれがいい」と これは完全な破滅のサインです エゴはあなたを馬鹿にするだけでは ありません 最近の着飾り方を見てください 「好きだからいいでしょう」 と言い張って やりたい放題しています そのうち頭で歩いても 「好きなんだからいいでしょう」 というかもしれません あらゆる愚行がエゴで説明できます リアリゼーションを得ることができた人は 神に感謝して理解することです これは私のエゴが話していると すると自分を笑ってからかい初めます これはエゴだったなと 一方サハジャヨガには 「まとめ役をしてみたら」と言っても 「マザー私のエゴが出てきてしまうから」 「それは何?」 「エゴがでるからまとめ役はちょっと」と エゴが出ることはあり得ません 例えば何かが燃えていれば それが見えるはずです どうやって自分を燃やすというのでしょう これはサハジャヨガの仕事を 避ける巧妙な言い訳です 「いや、エゴにとらわれるから」と 「だったらやってみて確かめてみなさい」 と私は言ったのです 人を馬鹿で間抜けにする事が沢山あって 今日では一体いくつあるのか分かりません 結婚でもよく見かけます 「私は彼女と結婚しましたが しなかったら良かったと思います」 とか何とか でもその時あなたはどうしたんでしょう 何故その時結婚したのでしょう こういう話を何度も耳にしました あらゆる愚かで馬鹿げたエゴの問題です ハッキリと理解することです このエゴが如何に自分の中で働いて 自分を下げているか 私たちが上昇について語る時は 高次の人生について語っています 私たちはサニャーシとなり 蓮のように池から出て 水面より上に位置するのです 蓮の葉ですら見ずに浸かっていません 私たちもそうなるべきです 托鉢僧のような恰好をする 必要は全くありません でも内面から執着を離れ 注意はそこにあるべきです すると内面と外面の問題点が すぐに見つかるはずです サハジャヨガではどうやってそれを 克服するかも分かっています これはとても効果的で 効率の良いシステムです でもそれを達成するにしても 内面でシヴァになる つまり無執着になる必要があります シヴァは完全に無執着ですから あなたもそうあるべきです その無執着がシヴァの英知を与えます サダシヴァはアディシャクティの 劇を静かに観ています 奢ることもエゴを発達させることもなく 「私の望みの力がどうしているか見てみよう」と ただ観ています でも破壊に関しては 彼が壊したほうが良いとなれば たちまちその部分を壊して取り除きます 私たちも同様になるべきで 人生を大きな場所と見て 自分がどうあるべきかを問いなさい 「だから何だ 自分はサハジャヨギだぞ」 という人を見かけました サハジャヨギであるなら そんな話し方をしてはいけません 合掌して「私はサハジャヨギです」 というべきです あなたの態度や言動全てにおいて 極めて謙虚であるべきです でなければサハジャヨガがあなたに 2重のエゴを与えたことになります ご存知のようにシヴァが無邪気で 素朴で許す方です 彼は悪魔も許します 誰でも平等に許します でも原初の母に逆らうものには 容赦しません この彼の性質を理解しなさい サレンダーとは外面を 放棄してしまうことではありません そこに何があるでしょう 石しかないような場所で何を放棄すると? サレンダーとは自分を完全に浄化して 完全な無執着になることです 無執着でしか上昇できません あるものは病気になり大騒ぎします 「病気になった 私は病気だ 世界が知るべきだ」と サハジャヨギならただ観るのです 確かに自分は病気になった では観てみようと スポーツのように観戦するのです 病気だとして次は何が起こるだろう 熱がいい感じででてきたなあとか 今度は下がってきたとか 遊びながら陽気に気にかけるのです 来たときは熱があったけれど だれも気付かなかったな 結婚に疲れていても 「全然疲れてなさそうだ」と言われたら 「そう 大丈夫」と言うのです こうやって人生で遊ぶべきです それはただの劇なのです そしてそれを智慧の光で観るのです サハジャヨガでは 深刻なことなんて何もありません なのにとても深刻になって 大騒ぎする人がいます 私たちが学ぶべきことは沢山あります シヴァを崇拝する際に彼を讃えます あなたはこうだとかああだとか言います 私を崇拝するときもあなたは同じくします 私は意識していませんが あなたが言うなら良いでしょう そういうならいいでしょう あなたはこうです ああですと シヴァの1000の名前も 女神やヴィシュヌの名前も良いでしょう でもこれらは彼らの名前の崇拝で あなたたち自身はどうでしょう いくつの名前を持てるでしょう プージャでは実際のサンスクリットの 名前を唱えることで それらがあなたの中で目覚めるのです それは間違いありません プージャの後にそう感じるはずですが あなた方はそれを使おうとしません 多くの者がプージャに来ては 神々とおなじ力を授かりますが 終わるころになるともう無くしています どこかに行ってしまいます だからサレンダーには別の側面があります 自覚です サハジャヨギであるという自覚であり それらの力を吸収できるという自覚です つまり一方ではサレンダーし委ねますが 何故委ねるのでしょう 吸収するためです あなたが何かを放棄すれば自然と 何かを取り入れることになります 取り入れたら維持する必要があります そして自分でその力を持っていると 自覚するのです そこで失敗するサハジャヨギが多いです 初めはサハジャヨギ達は 誰も触ろうとしませんでした クンダリーニを上げようともしません そのころには少なくとも50人ほどいたのに 「どうしたものでしょう チャンネルを用意したというのに 指を使うことすら誰もしないなんて これで上手くいくわけがありません 無理です」と言ったものです ナシックでプログラムがあった際に 私もそこから30マイルほどのところに 滞在していました そしたら途中で車が壊れて 他の車も通りかからないし 途方に暮れましたが 待っている大勢の聴衆が 「シュリマタジはいつ来るんですか?」 と聞くものだから とてもプレッシャーを感じて 「それじゃ私達がリアリゼーションを与えます 座ってください」 こうしてリアリゼーションを与えました これがサハジャヨギが初めて 自分の力に気づいて リアリゼーションが与えられると 気づくキッカケになりました こうして皆が与え始めたのです だから自覚が必要です 自分には力があると そしてこれを無駄にせずに 有効利用すると 他者を助け自分だけに取っておかないと そういった自覚が芽生えるべきです かつて船旅の最中 ある船員が冷蔵室に閉じ込められて 肺炎にかかりました そこで船長が私のところに来て この子は肺炎をおこしているから ヘリで搬送しないと行けないと言いました 「私がリアリゼーションを与えたから、 あなたが医師ですよ」というと 「私が」「そう」 「でも必要なら私が行きましょうか」 「いえいえ、私にどうするべきか教えて下さい」 「とにかく彼の胸に手を置きなさい」 「私が?」「そう あなたが!」 彼が手を置くとその子は回復しました 彼は驚きました その後結婚式であった際に 「これは私は誰にでもできるんですか?」 「そう誰にでもできますよ」と でも自覚もなくただ座って 瞑想だとか放棄だとかやっているだけでは 何の役に立つでしょう だからやらないといけないのでうす シヴァの状態を達成したら アディシャクティの仕事をしなさい サハジャヨガ広げたい 上手く機能させたいという望みを持つべきです でもコンディショニングやエゴが あるかもしれないから 注意しなさい 観察することで上手くいきます 沢山できるに違いありません 自分で自覚して動いている人もいます 各国に沢山成し遂げた人がいます だからまずはサレンダーが大切で スピリットやシヴァ サダシヴァの意識になりなさい 第2の意識は他者に思いを寄せることです はじめの方はサンスクリットでヴィヤシティといいます 個人的な獲得という意味です まずは個人として得なさい 次がサマシュティで集団の意味です 集団で機能させる必要があります リアリゼーションすら持っていない人々が 組織を作ってあれやこれや沢山しています あなた達はすべてを持っているのです 他者に与えることが大事で この光を他者に広めるのです […]

Christmas Puja (India)

Christmas Puja. Ganapatipule (India), 25 December 1993.
今日はみなさんで キリストの誕生を祝います とても重要な この時期に祝います なぜなら反キリスト教徒が キリスト教を担っており キリストの誕生に対して 非難しているからです 彼らにそのような権利は ありません リアライズソールでは ありません 神聖をまったく理解 していません 彼らは全てが 偽りだと主張し 彼女がバージンではなく キリストはあのように 生まれてないと 誰が言ったのでしょう 聖ガブリエル が来て言ったのでしょうか どのような権利があって 彼らは言うのでしょう 反キリスト的な人達が 今ではキリスト教を担っています 教皇ですらそうです サティ ユガで彼らは 暴露されねばなりません ここにいる誰かが 教皇に聞いてください ”あなたにどの権利があって そのような事を言うのか” ”神の包括的な愛を感じたことが ありますか?” ”キリストを攻撃しているあなたの中に どれだけ神聖さがありますか?” おそらく彼らはポールの 生まれ変わりの一部でしょう 彼らは神聖を理解できません 神聖が何をもたらすか 知らないのです どれだけ奇跡的なことか 理解できないのです 皆さんは神の恩恵を 感じたことでしょう 皆さんはそれが 奇跡だと分かるでしょう いつでも奇跡が起こるのです 一つ簡単な例を挙げましょう ナヴァラトリプージャで ある写真がありました その写真の裏方で ある光景が浮かんできました この光景は何を示しているのかと 思いました その光景とは スーリヤが カーテンを開けていました そこにはスーリヤの目 鼻 口があり 彼は笑顔でカーテンを開けていました これは何だろうと思いました ナヴァラトリ プージャで 何を意味するのだろうと思いました しかしモスクワに行ったとき 驚きました 彼らは背景を全く同じように ペイントしていたのです 全く同じように 背景が描かれていました ナヴァラトリ プージャは 一ヵ月半も前のことです パラマチャイタニャが 描いたのです 物事が奇跡的に起こるのは 驚きです このような奇跡は 数え切れないほどあります モスクワに向かう機内の中で 気温は-20度だと言ってました 到着すると気温は-50度だと 翌朝の気温は-12度くらいまで 回復するでしょうと言っていました 午後になると-4度でした 次の日は+10度まで 上がりました 通常は時間の経過と共に 徐々に寒くなるものです 今度は夫がモスクワを訪れ-20度で とても寒いと言ってました 私は心配する必要はありません 気温は回復するでしょうと伝えました 彼が到着したときは -2度でした これら全ての要素は 私たちを助けてくれています 全ての 問題は すぐに解決するでしょう どのように問題が解決するか 驚くでしょう するとなぜキリストは 磔にされたのかと 聞くでしょう なぜ彼を磔から 救えなかったのかと 彼が磔にされたのは そうされるようになっていたからです 彼はアギヤを通らなければ ならなかったからです 自身をアギヤで確立し 十字架を 乗り越える必要があったからです 彼の人生のメッセージは 十字架ではなく 彼の復活にあるのです 彼は復活しました これが彼の偉大な成就の一つです 皆さんも復活できるのです 進化における 全ての生まれ変わりは とてもユニークな形で 生まれ変わります そして最後にはキリストが 復活を遂げました 彼は死ぬ必要がありました 死なずに 復活はできません たくさんのことが神話的ですが 実際は違うのです 明日になれば彼らはキリストは 復活していないと言うでしょう 実際彼はその後 カシミールで亡くなりました 証明もあります しかしそれでも人々は 信じたがらないのです ただ単にキリスト教を 広めたいだけなのです なぜなら彼らは知っているのです 大衆を得れば権力を持てると 同じトリックを政治家が 行っています しかしこのような大衆は 何の安堵も 慈愛も人々にもたらしません キリストの母は攻撃を 受けていました 彼女に対するさまざまな 虚偽を言われていました 対してモハメッドはコーランで 何人たりともキリストの母である 聖母の純潔を攻撃してはならないと 彼は敬意を表してました なぜ聖母マリアに対する敬意が 聖書で見られないのでしょう パウロによって 単なる女性と呼ばれています 彼は酷い反キリストとして現れ キリスト教を乗っ取り キリスト教を広め それに自分の価値観を活用し キリスト最悪の弟子である ペテロを利用しました あなたはサタンに乗っ取られると キリスト告げられた弟子にです 彼らは不可能だと 伝えているのです キリストがヴァージンから 生まれたなどありえないと 私たちインド人は シュリ ガネーシャを崇拝します シュリ ガネーシャは キリストと同一です 私たちは聖母がヴァージン ガウリとして子供を創造したと 信じています 信じるだけでなく 私たちは信念を持っています ところが西欧での信念とは 全てが合理性にあります そのように考え 過ちを犯していくのです ダラムについて無意味な記事を 発行する意味があったでしょうか 彼はさらに 名誉まで与えられていました カンタベリー大司教という反キリスト から名誉を与えられていました 名誉を与えられたすぐ後で 彼の教会は ヴィシュヌマヤによって 完全に焼き尽くされました 彼女は一時間ほど見回り その後完全に焼き尽くしました わずかに下位部分だけ残ったのは 美しい絵画があったからでしょう すると愚か者たちは言いました 神の恩恵が ヴィシュヌマヤから 下位部分を守ってくれたのだと ではなぜ焼き尽くしたのでしょう 合理性では神性を理解することは できないのです 無理です 制限や条件付けや エゴが強すぎます どのようにして合理性がキリストの 人生の真実を伝えられるでしょう 私たちには 科学的根拠もあります 皆さんも 知っていると思いますが 炭素の構造上右側から左方向を 見るとスワスティカが見えます 炭素原子を右から左を見ると スワスティカが見えます 以前に大きなモデルを創りました 今度はそれを逆に 左から右方向を見ると オムカラが見えます 間違いありません 下から見上げると「アルファ」と 「オメガ」があります キリストは言いました ”私がアルファとオメガ”だと 当時はシンボルが存在するか 分かりませんでした どうであれ彼は言いました ”私がアルファとオメガ”だと そこにはもう一つ意味があります ”私が始まりで私が終わり”だと 彼がアルファとオメガ と言ったように 下から見上げると はっきりと象徴的に見えるのです 一方にはオムカラ もう一方からはスワスティカが 互いが共に上昇し 生まれ変わると アルファとオメガになります しかしこれらは反キリストには 理解できません 神聖に何ができるのか 理解できないのです あなたはリアリゼーションを得ました 二度目の誕生です ただここに 座っているだけでです どのようにして 得られたのでしょうか 彼らの話す内容は 自らを不幸にします 自己を破滅へと 追いやるものです リスクを犯しすぎです 皆さんもご存知のように シュリ ガネーシャは とてもパワフルな 神格です キリストも同じです 彼は“聖霊に一言でも 反抗するなら許しません”と言いました 同じく一言でもキリストに反抗する なら私が許しません 一言でもです そのときはこの酷い人たちを 完全に滅ぼすでしょう 彼の生誕において私たちが 知るべきことは キリストは シュリ ガネーシャと 同じものから生まれました 彼は叡智であり その源なのです 彼に与えられた人生は短かったため 多くを語ってはいません 3年から3年半の間 キリストは人々に教示しました 彼が話したこと全てが 真実で正しく賢明です 彼らはその真実を 乱そうとしたかもしれません しかし多くの真実が 聖書に残されています 彼は人生を懸けて 真実が何か伝え続けました 彼が最初です 神について 明確に語ったのは 彼のレベルでは このタパの部分に3人存在します 一人はブッダで もう一人はマハヴィーラです ブッダとマハヴィーラは儀式主義の 傾向が強い時代に生まれました 彼らは神について 話さないと言いました “まずはチャイタニャについてのみ お話します”と言いました 皆そうしました ジャナカのグル アシュタヴァクラですら ヴァイブレーションについてのみ 話しました ナナカもそうでした ナーマデーヴァが プンジャブに行った時言いました 神のことやハリのことは 話さないようにと まずパラマチャイタンニャについて 話すべきだと 人はまずパラマチャイタニャに 到達するからです その後“神はどこにいるのですか?” と聞くでしょう 当時 神について話をしたのは キリストのみでした 人々は神について 語りたがらなかったのです 彼は恐れを知らない 勇気ある人でした しかし彼の幼少期については 何処にも説明されていません とても悲しいことです シュリ クリシュナやシュリ ラーマに ついては美しい記述があります 唯一彼がペルシャ人と 口論になった時 人々は彼の分別する能力や明晰さに 驚いていたくらいです それぐらいです しかし後ほど 彼らはメアリに対して 敬意を払いませんでしたが 女神がいるはずだと 信じざる終えませんでした キリストはどのようにして 彼女から生まれたのかと そこでマドンナと 呼ぶようになりました このようにして聖母メアリは マドンナと呼ばれるようになりました 未婚で処女という意味です マドンナは教会や至る所に広がり 人は彼女を 女神と崇拝しました 聖書でもキリスト教でもなく 彼女をマドンナと呼び始めたのです このマドンナのレベルから 人は聖母や母性を 見るようになりました 彼女がマハラクシュミだと 私たちは良く知っています そしてマハラクシュミとして 崇拝します 彼女はラーダです ラーダにも 息子がいました 卵の様な息子でした 卵の半分はキリストで もう半分はシュリ ガネーシャでした この子が生まれた時に 父を求めました 父親はシュリ クリシュナです デヴィ マハットミャムを読めば 出ています 彼はいつも手をこのようにして 父に向けています 一つはシュリ クリシュナで もう一つはシュリ ヴィシュヌです そして彼女がラーダです 「ラー」はエネルギー 「ダー」は エネルギーを支える人を意味します 彼女がジーザスと呼んだのです ヘブライ語ではイエス ヘブライ語から直訳されたマラティの 聖書を読んだときもイエスでした 「イエス」という名は シュリ クリシュナの母の名前です 「イエス」とは彼女の名前である 「イェショダ」からきた呼び名です そう呼ぶようになりました 「キリスト」という名は 「クリシュナ」からきました 彼女は「クリスト」と呼びました もしくは「イエス」や 「ジーサス」と呼びました ヤショダのことも イエスやジーサスと呼びます 彼女は彼をそう呼びました それは彼がシュリ クリシュナと 身近にあったことを 私たちに知らせるためにです シュリ クリシュナはインドにのみ 生まれ変わりました なぜなら彼がアメリカに 生まれ変わるには寛大すぎました 彼らには 際限やマリヤダが無く 戒律が何かもわかっていませんし 全くダルマがありません キリストのように とても純粋で明晰 シュリ クリシュナのリーラ(遊戯) を信じない人柄だからです シュリ クリシュナ曰く 全てはリーラである シュリ ラーマの厳格さを 乗り越えるにはそれしかないと しかしキリストは そうは言いませんでした にも関わらずキリスト教では 全てがリーラだと信者は考えています 無戒律はリーラだ どんな過ちを犯してもそれはリーラで 結局全ては純真だと 彼らの論理を 理解することはできません 非論理的で とても自己破壊的です 私たちインド人は戒律について 理解していると知るべきです 何が正しくて 何が間違っているか しかし私はキリスト教の人達を より称賛します 彼らはクンダリーニが何か 全く分からない国から来て 素晴らしいサハジャ ヨギに なったのですから すると神の恩恵が与えられます 彼らは純粋で誠実なため キリストが彼らを サハジャ ヨガに導いたのです 彼の存在無くして それは不可能でした ここではシュリ ガネーシャは 単なるシンボルに過ぎません 石の中に宿ります そして彼は生まれ変わりました 戒律とは何かを 人々に伝えたのです しかし人々はその教えに 従いませんでした 全く従いませんでした お金の事ばかり気にしています 彼らが神の名において 行ってきたことは驚きです 彼の出生は とても象徴的です 彼は馬小屋で生まれました 想像してみてください 沢山の藁の束があるところで 生まれたのです ほかにも動物がいた場所です この偉大な化身の 生まれ方を見てください 彼は王様ではありません 彼はお金持ちでもありません 彼はとても 貧困な環境で生まれ 平均的水準を下回る 粗雑な環境で生まれたのです このメッセージは 生まれる時に お城や大きな部屋は必要ないのです あなたが純粋なスピリットなら 何処で生まれてもいいのです あなたがキリストなら 偉大な人格は この様に生まれるのです その反対に向かうと とても拝金的で 物質的になり 何がしたいのか 全く分かりません 彼らは稼いだお金で 自分自身を破滅させています センスも プロポーションもありません これが現在 西洋で起こっていることです そして私たちも それに従おうとしています 彼らの破壊的な法則に従い それが先進的だと 信じているのです 破滅に向かって先進的 それが彼らです 気を付けなければなりません 子供達のことや 人との関係性など 彼らの汚れたやり方に巻き込まれ ないようにしなくてはなりません 神の名において行ったのです ここにいる皆さんは 比較的大きなグループです 私たちはサハジャ ヨギです 神の恩恵を受けていて 神聖とは何かを理解しています キリストとは何かも 知っています 例えあなたがヒンズー教徒で 生まれようと関係ありません なぜならキリストは普遍的です 宇宙をサポートしているのです デヴィ・マハトミャムにも記されています 天地万有のサポートです キリストを崇拝する人を 馬鹿にしてはいけません 私たちも シュリ ガネーシャを敬うように 愛情と献身とサレンダーをもって キリストを崇拝しなければなりません キリスト教徒は キリストに対する信念がないでしょう “私たちはキリストを信じます あれこれやってください”と言います サハジャ ヨギの信念は 通用します あなたの信念は 啓蒙されているので通用します 自分自身やサハジャ ヨガ 自分の人生を信用してください これが起きるまで サハジャ ヨギとは呼べません 未だに 表面的な人を見受けます するとどうしたら良いか 分からないでしょう 思考的に分からなくても 神の広大な愛に包まれ この愛を誰かに 与えたくなるのです しかし物質主義が 精妙になる人もいます 未だに物質的です 彼らは物質的で 悪い方法で お金を稼ぐこと考えています もしかしたらそれほどでも ないかもしれませんが 彼らは急に子供に 執着し始めたように感じます この執着は間違っています 子供達はサハジャ ヨガに属しています あなたに権利はありません 彼らは子供達にガナパティプレに 行かず すぐに帰宅してほしいのです 彼らはサハジャヨガの 子供達です ガナパティプレに 来なくてはなりません しかし子供を 連れ去りたいのです 直接そうしたいのです 子供はその為に いるのではありません サハジャ ヨガで 成長するためにいるのです それを望まないのなら 連れ去りなさい 皆がガナパティプレに来るときに 連れ 去るのはあるべき姿ではありません 子供もそれを 望まないでしょう 彼らはここに居たいのです 子供に対してもお金を節約する という物質主義が働いています 物質主義とはキリストが決して 執着することの無かったことです 決して望みません ここを理解するべきです キリストに敬意を払うには この物質観念から抜け出すことです たとえ物に対する 執着があったとしても ヒマラヤに行きなさいとか 禁欲主義になりなさいとか ブッダのように子供を手放しなさい などといっているのではありません 執着は無くすべきです 例えば鳥がいたとします 海を渡りますが 決して海水を飲みません 塩辛いからです あなたはそこに居ます あなたはこの世界に居ますが 執着心を無くすべきです 最初は“父や母が病気で”とか “子供がこうで”でも良かったでしょう しかし もう通用しません 現在はサハジャ ヨガの スピードが速くなっています 遅れをとる人は 取り残されます 気を付けてください このような物への執着に 巻き込まれないでください 特にインド人はアシュラムに 居たがりません 自分の家を持ちたいのです 妻を支配できるし 自分の好きな者が食べれるし 自分の悪趣味を いつでも楽しめるからです 人々はおそらくそのためにインド人は 絶食するべきと言ったのでしょう 味覚から来る欲求を 取り除くために 絶食中でさえ 食べ物のことを 考えています 意味ありません キリストは40日間絶食しました するとサタンが“絶食など諦めなさい” とあれこれ言いました 決して従いませんでした 物質主義には 2種類あります まず第一に西洋では “私の家 妻 子供”などと言います 東洋ではどんな食事をして どのような家に住み どのような家族を持つべきか などと言うでしょう これら全てに 未だ執着しています あなたのセンターが より精妙になるように これらもより精妙になり あなたの足を引っ張ります 例えばサハジャ ヨガで金儲けをしようと しているヨギを知っています 外にいる人は私たちに物を売って 金儲けをしようとしていました サリーが必要だったので サリーを買いますと言いました しかし外の人からは買いません さらにはどこかのショップに行って 食べ物や飲み物を買います そして体調を崩します 何をしているのでしょう 少しくらいのどの渇きを 我慢できないのでしょうか 空腹を我慢 できないのでしょうか 簡単なことです 彼はどうしたでしょう キリストは我慢しました あなたはキリストを 崇拝しに来ました コントロールしてください 重要なことです 一度これが起これば食べ物を 得られようが 住む場所を得られなくても 関係ありません 何処でも暮らせます 皆さんもご存知のとおり 私は何処でも気にしません 私に欲求はありません 身体が何も欲しがらないのです とても素晴らしい身体で 何も求めません その為 疲れることがありません ここに皆さんと居て 同時に全てに存在します ここに寝て欲しければ 一晩中寝れます 身体はなんとも言いません 反対に経験とは違うものです 過去に列車で旅をしました プーネからハイダーバード だったと思います 乗っていた列車がガタガタと 飛び上がるほど揺れました 寝ていて感じたことは 星から星へ移動しているようでした 宇宙を駆け巡っていました 振動など感じませんでした 星から星へ移動している 感じだけでした 普通の人なら この様な振動に 怒り出すところでしょう 対照的に私は星から星へ移動しながら ただその振動を楽しんでいました とても興味深いことです 反応が違うのです 危機が訪れると 完全に思考の無い状態になります ものすごい平穏が流れ込みます 危機が訪れる時にです この状態は執着を無くせば 皆さんも得ることができるのです 私にも子や孫がいますが 電話したことがありません 特に気にしてません 向こうが電話してくるなら いいでしょう 夫にも電話しません いつも思うのですが 時間の無駄です 私の中に 電話機能がありますから 皆が無事だと分かっているのに 電話する必要ないでしょう しかしそのステータスに達するまでは そうなれないでしょう それ以外でサハジャ ヨギに 気づいたことは 突然暴力的になる人がいて 殴られた人がいると報告を受けました この行いは サハジャ ヨギではありません 私は人にも自分の子供にも 手を上げたことはありません 許されることではありません 何人たりとも他者に 手を上げるべきではありません そのような人はサハジャ ヨガでは 何もせずとも低いところまで落ちます 怒ったり 怒鳴ったり すべきではありません これらは何の 助けにもなりません いつも平穏で穏やかで 慈悲深くあるべきです 間違った行いをする人がいたら 私が何とかします あなたがどうにかしようとして 不作法に振舞う必要は無いのです あなたはまだ 執着しているのです その執着が あなたを引き落とします ですので怒らないよう 気をつけて下さい キリストを見てください 彼は教会の近くで物売りをしていた 人に対して怒りましたが 当時は教会ではなく 礼拝堂と呼ばれていました 彼は怒っていました 神の神殿の外で 物を売っていたのですから 彼は大きなハンターで 一撃しました しかし彼はキリストです 同時に彼が磔に された時に言いました “神よ 彼らを許してください 自分が 何をしているか分かってないのです” このことを 彼から理解するべきです どれだけ人を許し 愛に溢れていたか どれだけ人の面倒を見て 彼らの解放のための 手助けをしたか 当時の混乱と 無秩序の時代では 彼は真実を伝えるために スピリットや上昇について 伝えるために立ち上がりました 彼らは無知ゆえにキリストの言葉を 理解していませんでした しかし彼は話しました 聖書には沢山の神話が 書かれています そのうちの一つは 復活のときに身体が 墓から蘇ってくると これはキリスト教に 限ったことではありません イスラム教や ユダヤ教にも共通します 考えてみてください 何年も経った後に 墓の中に何が残っているでしょう 骨だけです この骨が出てきても どうやってリアリゼーションを 与えられるでしょう 考えてください ただの神話です 論理的に考えてもありえません それはこういうことです “ナル ダマヤンティ アキャン” インド哲学では 明確に表しています カリ ユガが訪れると 神を求める沢山の探求者が あらゆる場所から 誕生し始めるでしょう そしてリアリゼーションを 得るでしょう クンダリーニが覚醒します これらは論理的に語られています 私達が行っていることだからです 近年の人口増加も 沢山の探求者が生まれてくるからです どれだけの人がリアリゼーションを 得られるか分かりません リアリゼーションを得た人は 自身を確立するべきです しかしそこでも人に対する 精妙な執着心が見受けられます キリストの資質に 完全にサレンダーすると良いでしょう それは素晴らしい資質です 最大の特質は 聖霊に対する無礼を決して許しません そのときだけは 彼が正しに来るでしょう もしあなたがサハジャ ヨギで 羽目を外したら 彼はある程度は 大目に見るでしょう あるアメリカ人がサハジャについて 私と電話で話したいといっていました 彼は自分の手に 負えないと感じたのか 他のサハジャ ヨギ達と話し始め 私とは話しませんでした 皆は怒っていましたが “放っておきなさい”と言いました ある日彼がプログラムを行っている という連絡が届きました そこで彼は 中風によって倒れました 彼はサハジャ ヨギではありません 私に責任はありません しかし誰かが私を 「マザー」と呼ぶとき パラマチャイタニャが それを尊重します サハジャ ヨギであるなら人を殴ったり 罵ったりしてはなりません もちろん人を宥めるときは サハジャ ヨガの方法で行います 暴力的には行いません 暴力は間違っていますし サハジャ ヨガで急に暴力的に なる人がいるのを聞くのは残念です これは肝臓から来ます 肝臓のトリートメントをして 自身を整えてください しかし犯したことから逃れられると 思わないでください 逃れられません このような人は 2日間絶食をして 自身を罰するとよいでしょう 怒りは最悪な行為です シュリ クリシュナ曰く 怒りは最悪でそこから全てが始まると 私たちは怒りを コントロールするべきです キリストは許しの具現化だと 理解するべきです 私達はそのキリストを 今日崇拝します 彼がどのようにして 人を許したか 彼を磔にしたのは ユダヤ人ではなくローマ人でした 古代ローマの権威者です しかしパウロはユダヤ人を 有罪にしました 罪を着せたのです ユダヤ人が行ったのでは ありませんが 彼らはユダヤ人に 永遠の罪を着せたのです これらにより人々は ユダヤ人を嫌い 困難に落としいれ 拷問にかけたのです ユダヤ人も反応しました 彼らも一緒です ですので ユダヤ人ではありません 執行官が大衆に キリストと盗人どちらを磔にするか 問うたことはありません 行われていません 自分たちの決断によって 行ったのです ただ単にユダヤ人を 呪うために行ったのです パウロが大変な ダメージを与えました ありがたいことに今では 沢山のユダヤ人もいますし イスラエルにセンターがあり 機能しています イランからアメリカに来た人も 沢山います ユダヤ教や イスラム教の人達もいます 皆サハジャ ヨガを行っています さまざまなことが起こっています トルコからスーフィの人たちが サハジャ ヨガに参加していますし さらにインドからも スーフィが参加します これらは皆さんのために なるように働きます 第一にキリストがどんな人物で どんな人生を送ったか どれだけ世界を愛していたか 理解すべきです 彼は磔にされるために 地球に来たのです 彼は自分が磔にされることを 知っていました そして実行しました 出回っている写真は 彼を正しく表現していません 彼は健康的でたくましく 背が高い人でした 十字架を運ばなくては なりませんでした 彼を結核患者のように 描いた人は あの十字架を運ぶことができたか 知るべきです あらゆることで彼の人格や 特質を抹殺しました サハジャ ヨギの皆さんは 彼を知るべきです 彼を信頼し 尊敬するべきです 彼があなたのお兄さんです シュリ ガネーシャがあなたの お兄さんとして生まれ変わったのです さまざまな困難や混乱から あなたを守ってくれます いつも私たちをさまざまな形で 守ってくれます それにはサレンダーすること 許すことです これが私たちが受け入れるべき キリストの性質です 神のご加護がありますように […]

シュリ ラジャ ラジャスワリ プジャ (India)

シュリ ラジャ ラジャスワリ プジャ 1991年12月6日
インド、マドラス 今日、シュリ ガネシャ プジャを行います その前にラジャ ラジャスワリのプジャを行います 女神はいろいろな名前で呼ばれました 詩人アディシャンカラチャルヤは女神をラジャと呼び  ラジャ ラジャスワリは ”女王の中の女王””という意味です。 西欧では聖母マリアのこともそう呼びましたが、 これは異教から来ています。 聖書の中に 描かれている聖母からではありません。 つまり、何回も 聖書が書き直されたのことを示しています。  それだけでなく インドの聖典であるギタさえも書き直されています。  そのために全宗教は間違った方向に逸れ始め、  知識人はそれを利用し、 自分自身の考えを主張し始めました。 彼らが言ったり、書いたりしたことは 神聖な神とは全く反したものでした。 あなた達はこの地球上で最も幸運です。 なぜなら、現実を発見したから。  たとえば 神話が真実であり、 知的なものは事実でないということ。 人々を分離する為に使われたものは 真実ではないということを知ったから。 私たちが全ての宗教を信じているので いわゆる信心深い人々は 私たちに反発しています。 なぜなら、彼らは一つの宗教のみを信じ、 その他の宗教に対して戦わなけらばならないと思っているから。 全ての宗教を信じるということは 全く信心深くないという考え方です。 彼らにとって、私たちが全宗教を信じること 全てのインカーネーション(化身)を尊重し、 全ての神の統合を信じていることはショッキングなのです。 シュリガネシャを知ったことは、 西欧人にとって大きな驚きだったに違いなく、 インド北部でさえも、シュリガネシャが インド南部程、崇拝されていません。 特にこの地域とマハラストラには 8つのガネシャスワヤンブ(swayambhu)があり 皆、それを信じています。 盲目的信仰だと言う人もいますが、 あなたはシュリ ガネシャが私の後ろに立っているのを見たことがあるでしょう。 私の中にいるガネシャも。  つまり、ガネシャという神格は存在するということです。 シュリ ガネシャの半分が見えて、 半分は私のサリーが見える写真も見たでしょう。 これは全て シュリガネ‐シャという神格がいて ムーラダーラを通して、実際に活動しているということの証です。 この知識はインド人には知られていました。 何千年も前から。 このクチプディダンスも紀元前7世紀に始まりました。 つまり、シュリ ガネシャに関する知識は、 何千年も前からあったということです。 だからこの国の人々はスピリチャルに進化した。 聖人とは何で、 どんな姿で、どんな役割があるか知っていたのです。 隠された知識ではあったが、 聖人の言うことは何でも受け入れました。 そのことに関してエゴがなかったためです。 不可解なのは、 西欧人のエゴがなぜ、こんなに強くなったのか 今だに良くわからない。 エゴを通して、なぜこんなにアグレッシブになったのか 競争のせいだとか言う人もいますが、 どちらかというと西欧の歴史である、キリストは 謙虚さ以外何者でもないことが はっきりとあらゆる文書に表されているにもかかわず、その信者は アグレッシブです。 私たちが理解しなけらばならないのは謙虚さです。 謙虚はヴィナイvinayと呼ばれ、 シュリガネ‐シャの特質である‐ Vinayaka “Vidya vinayen shobhate” ”知識は謙虚さだけで飾られている。”という意味です。 昨日偉大な芸術家の謙虚さ そこにいた偉大なグル(指導者)の謙虚さを、 またアカデミーに私を招待してくれたグルは 数多くの奉納を行い、 まるで、女神に奉納するように 私とサハジャを 受け入れてくれたことに感激しました。 このカラクシェトラKelakshetraは 神智学協会(Theosophical Society)に支配されている 彼女は神智学協会のことはあまり気にしませんでしたが、 この大きな講堂を作り、 全てを芸術に捧げた 神智学協会の人をその中に入れることは許可しなかったが 私をこのように受け入れてくれました。 彼らの献身と理解がわかります。 聖人に対して謙虚になるということは、 この国の暗黙の法律です。 聖人に対するチャレンジや独占は許されず、 聖人が言うことは全て、受け入れなければならない。 シュリ ガネシャが私たちにあたえてくれるのはvinay – “vinay”とは謙虚さです。 謙虚さとは表面的ではなく、たとえば ”ごめんなさい“とか” すみません“とかではありません。 見た目や口先だけではなく、謙虚さは 自分の中から出てくるものでなければならない。 謙虚さはエゴによって、失われます。 エゴは人を惑し、 自分のエゴに気がつかない。 私がエゴのことを話すときも、 マザーは他の人の話しをしていると思い、 ”エゴがあるのは自分自身だ“とは思いません。 シュリ ガネシャはエゴを殺すことができる なぜなら、謙虚さのみが エゴをなくすことができるからです。 謙虚になるため、何をを見なければならないか? たとえば、皆さんが来たこの国には、 とてもシンプルな人達が所有物もほとんどなく、シンプルに暮らしています。 身の回りに洗練されたものは持っていない。 葉やプラントの上の食べ物を手で食べています。 ここに住んでいた西欧人は、 これらの人々は皆、原始的だと言った人がいた。 でも、この芸術を作り上げてきた業績をを見ると、 このような素早さ、このような飛び方さでも なかなか達成できるものではありません。 なぜこのように努力するのか それは芸術に対する謙虚さからです。 芸術は尊重されるべきで、 グルは尊敬されるべきです。 尊敬がなければ、物事を学ぶことはできません。。 インド人の血の中にそれがあると思います。 暗黙にグルに従わなければならないということを知っています。 そして、グルは多くの人々を指導している。 ここにはたくさんの女子がいますが、 グルの芸術を表現するためだけにいます。 グルはあまりお金をもらってはいません。 所有物もあまりない。 また、お金もあまり請求しない。 しかし、彼の献身は まるでシュリ ガネシャが母に対するような献身です。 完全に没頭しています。 他に大事なこと何もない。 謙虚になるため、あなたは 注意を他に向けてはなりません。 これは非常に大事なことです。 もしあなたの注意が、他の問題に向けられるなら、 もし、あなたがサハジャヨガに 他の理由で来るなら、うまくいきません。 心から謙虚に 完全に謙虚にならなければならない。 彼は純粋なので、謙虚です。 純粋でなければ、謙虚にはなれません。 純粋かどうかの証拠は謙虚さでわかります。 良い子供、純粋な子供は非常に従順で、 何を言っても従います。 私の孫ですが、‐以前ネパールに行った時、 とても寒かった。 孫の母親が ”子供達は頭に何もかぶろうとしない“と言ったので、 私は“1分でそうさせましょう”と言った 孫を呼び、ありふれた布切れを渡した。 “頭を覆いなさい”と言った。“はい” 子供達はそれを頭に覆いました。 きちんと覆って、形を整えました。 見た目は少し変だったが、子供達は気にしなかった そういうことが 欠けているのです。。 だから、深さが足りないのです。 コンディショニング(様々な環境的条件)だけではない そうとはいいません。 コンディショニングを超えた インド人でさえそうです。 謙虚になるのは非常に難しい。かなり難しい 西欧の影響というかもしれない。または 過去を忘れてしまったのかもしれない しかし、謙虚さは非常に大事です。 子供の頃から、私の場合、 キリスト教の家に生まれたが、まず母なる大地に触れて、 許しを願わなけらばならなかった 頭を下げて 両親の足元に触れる。 家族の長老たちも足元も‐そうでしょう。 家族の中で年長の人々の足元に触れる たとえ、年老いた召使でも、年上の兄弟の面倒を 見てくれた召使の足元もです。 そのような謙虚さが欠けています。 また、年長者が持っていなけらばならない尊厳も欠けています。 とにかく足元を触れるのは私たちの義務で、 年長者の話はしない。 これがサハジャヨガの美しい雰囲気を作ります。 しつこく“これをすることは謙虚か?と 聞きなさい。 “こういうことをして、これを言って、謙虚だったか?” 現在の問題はリーダーに対する批判である リーダーはふさわしいからリーダーになっているわけで もし、良くないリーダーだと分かった日には、その人を追い出します 皆さんもよく知っているでしょう。 それでも謙虚さがない。 謙虚さはエゴに置き換えられ、そのエゴが リーダーの中にエゴを植え付ける。 リーダはエゴイスティックになり、多くのリーダーが 追い出されました。 いったい、いつ、バランスが取れるのかわからない どちらを責めたらいいのか?メンバーなのかリーダーなのか とにかくマザーがリーダーを任命したのだから 謙虚になりなさい。 それには何らかの 理由があるはずで、 なぜリーダーと喧嘩したり、リーダーのあら捜しをしなければならないのか? まるで、リーダーに対して結成した組合のように シュリガネ‐シャはとても謙虚で、彼の ganas(天使)は ある意味ではもっと謙虚です。 なぜなら、かれらは 母親に対して、謙虚でないガナを決して許さない。 ほんの微妙な目の動きを見ながら戦う準備をしている そして、言われたことは何でもする。 彼らは母親の全ての目線の角度を理解し、 何をしなければいけないかがわかる このような献身のみが あなたをさらに深くさせる。 ところが西欧でのやり方は 私たちをもっと広げ、宣伝し、 自分のことをもっと話し、 自分のことをもっと自慢しなければならない そうすればするほど、成功する そういうことが毎日見られる。 ”信じる“と言いはる。 信じる、信じないと言っているあなたは誰? そういうことを言っているのは誰? あなたの自らのイメージはおそらく 偉大なパーソナリティ‐とか、プロフィールを持っていることでしょう それで、プロフィールを作る。全くうわべだけの、ナンセンスなものを 驚くことに、そのようなうわべだけのプロフィールに、 人々は頭を下げる。 おそらく、その人々も見せかけだけなので そのようなうわべだけの人に頭を下げるのかもしれません。 驚いたのは、有名な詐欺師がいて、 みんな詐欺師だと知っていているのに それでも、人々はその詐欺師の前で土下座をすることです。 たぶん何らかの物質的な 利点が欲しいのかもしれない。 何らかの表面的な利点が。 そのような人と一緒に写真をとることさえ、 素晴らしいこと思われています。 このような考え方はサハジャヨギとしての目を通して見なければならない。 彼らのジョーク、ドラマ、何が起きているのか それを思い起こして、自らに問いかけ、 ”自分に中にはそういうものがありませんように“と。 時々、私たちは他人を笑うことがあるが、自分達もその仲間に入っています。 一度、自らに問いかけ始めると、自分に中にそういうものを見ることができる。 “はい、それはあります”と。 ある国のあるサハジャヨギは 報告を受けましたが、突然、 “マザーから特別なパワーをもらった“とか “私はマハマタジ(偉大な母)”とか そう言った人がいた。 私でさえ、自分がマタジだと一度も言ったことがない。 あなた達は私をそう呼ぶが、自らそう言ったことはありません。 しかし、彼は”私はマハマタジ”と言った。 頭がおかしいと言うかもしれないが、 これは傲慢が 強くなり、 本人も自分が何を言っているのかわからないです。 同じように、あなた達のリーダーを 攻撃することで、リーダーのエゴを強化するのです。 攻撃すればするほど、人は反応をし、反応すれば エゴが強くなります。 今日は先ほど話したように、 ラジャ ラジャスワリRaja Rajeshwariを崇拝します。 今まで皆さんの前でこう言ったことはない。 グルギータを読みなさいと頼んだこともない。 また 一度も 聖母マリアが”ラジャラジャスワリだ” […]

Christmas Puja (India)

Christmas Puja (English/Hindi). Ganipatipule (India), 25 December 1990.
今日私たちは キリストの誕生を祝う機会に 恵まれました 彼は馬小屋で生まれました これら全ては あらかじめ計画されていました 大変困難な状況の中 馬小屋で生まれ 裕福な生まれであろうと 貧しい生まれであろうと どんなに困難な状況でも あなたの内に神聖があれば それ自身で輝くということを示しました キリスト教は誤った 逸脱した道を行き キリストの意味を 決して理解しませんでした 無原罪懐胎は彼らにとって ありえないことです ほとんどの者が 神話だと考えています しかしインドでは ガウリが 自らのヴァイブレーションから シュリ ガネーシャを創りました そしてムラダーラの神格と なったと信じられています 受け入れています しかし西洋では 決して受け入れません メンタルな部分が発達しすぎていて それが支配しているからです 恐らくインド人のように 全てを超越する神がいると理解できるほど 成長していないのでしょう 神の概念も メンタルな捉え方です キリスト教のあり方も 正しく導くものではありませんでした 行き詰れば “これは神秘だ”と言います しかし インド人にとって 理解するのは容易いです “神にとって何でも可能である 結局は神だから” “全能だから” スピリットにおける知識より 遥かに低いこのメンタルに留まる姿勢は 平凡で取るに足らない 表面的な知識にあなたを留め 神の偉大さを受け入れさせません 私には祖母がいました 父の叔母です 神に会いに行こうとする者の すばらしい話をしてくれたものです もちろんインドでは 誰でも理解できます どうやって神に会いに行くのか とは誰も言いません 会いに行く途中 道端で 神の賛美を歌う男性に会います “神に会いに行くのかい” と尋ねられ “そうです 何か伝言はありますか” “大丈夫だけど” “食べ物がなくなってきたので 何かいただければと伝えてくれるかい” “それでいいのですね” “神に全てしてもらっているけど 一応伝えてね” 旅を続けると逆立ちや ポーズをしている男性に会いました 彼は“全て試した” “神にいつお目見えできるか 姿を拝見したい” “伝えましょう” 神の下へ行き 仕事を終えると 神は尋ねました “何か伝えることはありますか” “特にありませんが 全てを試した男性に会い” “お目見えしたいと 言っていました” “逆立ちし ポーズをし 教会やモスクで祈りも捧げています” いつ会いにきてくれるか と言ってました 神は“もう少し続けるように と伝えなさい” “簡単ではありません” “サハジャ ヨガが来たら 会えるでしょう” 男はさらに続けました “もう一人会いました 彼は歌いながら楽しんでいました” “食べ物がなくなりそうです と言っていました” “そうなのですか” と神はすぐさま答え “早く行って世話してあげなさい” ”すでに手配しました” “では大丈夫ですね” 彼は理解できませんでした 様々なことをしている男性には 待ちなさいと言い ただ神の歌を歌い 何もしていない男性には なぜ感銘を受けているのか 神は彼が幻にいると 気づき 言いました “戻って二人に 次のことを伝えなさい” “神のところへ行くと 針の穴にラクダを 通しているのを見た と” “本当に言うべきですか” “そのように伝え 反応を見なさい” そして戻って 最初の男性に会い伝えました “神はサハジャ ヨガが来るまで 続けなさいと言っていました” “いつサハジャ ヨガは来るのか” “でも神はいつか来るのだな サハジャ ヨガが来てほしい” 大変落ち込んでいました 彼は“神に会って何を 見たか”と尋ねました “針の穴にラクダを 通していたのを見ました” “できるはずがない” “針の穴にラクダを通すなんて” “大きさをみれば分かることだ 通れないに決まってる” “作り話だ 神に会ったから 自慢しているだけだ” “この馬鹿げた話は信じられん 騙そうとしても無駄だ” 次の男性に会うと 道でおいしそうに食べていました “あなたが着く前に 神が手配してくれたよ” “神は常に面倒を見てくれている そこで何を見たの?” “驚くべきことに全能なる神は 針の穴にラクダを通していましたよ” “驚くこと? 彼は神だよ!” “君も彼は神だと知っているでしょ? 彼は何でもできるんだ” そこで彼は理解しました 神が全能だと 理解しているなら マハラシュトゥラにヒマラヤを動かせる という意味ではありません 全能というのは 最も精妙なことができるということで 人間の頭脳 メンタルな部分で 理解できないことができます 人間が考える 概念を超えるものです これが神なのです 神が人間を創造しました 人間を超越しているはずです 陶芸家が壺を創ったのであれば 壺を超えています 壺は陶芸家を 創ることはできません 壺は陶芸家によって 創られているので 壺より遥かに 力があるはずです しかし これは 信じられないことです 人間の概念を超えています この すばらしいコンピューターを 創造した神の偉大さは理解できません 人は全て 当然のように捉えます 人はわずかな粘土も 創れません 何も創ることができません 石があれば どこかに置くことはできます 粘土があれば 家を建てることはできます 物から物は生み出せます 蝋燭を創れますか バダを燃やす蝋燭です 自分の目で見えるように バダは私の写真の前で 燃えます あなたにできますか 複雑で繊細な機械が いかに作用しているか 人は理解できません 繊細かつダイナミックで 爆発する機械です いかに人間を創り 宇宙を創り これらの美しい 花や木を創ったことか 星をごらんなさい こんなにあります その中から この母なる地球を選びました 人間を創りました いかに創ったことか 自分の息子を送りこむなら どんな方法でもできます これに対して 挑戦することすら 精神が泥の中に 浸かっています ですから いかにガウリから シュリ ガネーシャが生まれたかは 真の聖人のみが 教えられます しかし それを信じるには・・・ まずサハジャ ヨガに来ると 奇跡を見始めます 奇跡が起こると理解できます 起こるべき奇跡があるなら いずれにせよ起こります 何もせずとも起こります それを疑いません 一度疑い始めると 泥の中に埋もれ 人間と同じになります あなたは開花した 蓮の花のようです 根は下にありますが あなたはもう蓮の花です 蓮の花にマハラクシュミの 原理が生まれます マハラクシュミの原理は シタジとして ラーダとして メアリ(聖母マリア)として 地上に来た者です マハラクシュミは海から 生まれたと言われています メアリの意味は何でしょう マリとは海です 彼女は海から生まれました 彼女自身で子どもを創れます 問題はありません 何でも可能です つまり 超えないといけません キリスト教徒は キリスト教を超えないといけません ガネーシャの原理の 化身であるキリストは 大変偉大であると 理解しないといけません ガネーシャがマハヴィシュヌになったことは 大きなことで 理解すべきことです ガネーシャはシヴァの息子です シュリ ガネーシャは 他の何よりもまず始めに 創られました 彼がオムカラだからです オムカラはアディ シャクティが シヴァから分離したことで始まります その音 “タンカル” と呼ばれています そこからオムカラが始まり 彼がオムカラを体現する者です ですからこの音が シュリ ガネーシャの力です それがまず始めに 創られました 神聖を創るためです この神聖が創られたとき 海に様々なものが 創られました そしてキリストとして化身しました マハヴィシュヌとしてです シヴァの息子としてではなく マハヴィシュヌとしてです ヴィシュヌとは誰でしょう シュリ ガネーシャの伯父です 彼の母の兄弟は シュリ ヴィシュヌです 彼はマハヴィシュヌによって 育てられました マハラクシュミは シュリ ガネーシャの原理を用います クンダリーニのチャートではシュリ ガネーシャ が左側イダ ナディと繋がっていて クンダリーニが その上をいくことが分かります つまり彼が その部分を超えます 彼が救世主として来るなら マハラクシュミの息子として 来ないといけませんでした マハラクシュミが彼を キリストとして産まないといけません そしてマハヴィシュヌになりました 神々や女神の家族においては 何でも可能です 彼らは神だからです いかにその領域で これらのことが起こっているか 人間の理解を超えます あなたは 涼しい風として感じられます そして新しいことが あなたに起こっています 神や女神の関係において 不純なことは一切ありません 彼らにおいて 人間的なものは全くありません 彼らは 全てが神聖で純粋です 一度これを理解すると なぜシュリ ガネーシャが マハラクシュミの息子になって キリストとして生まれたか 分かります アギヤに来なければ ならなかったからです 救済としてです ガネーシャとしては 救済はしません 純粋のため 神聖のため 叡智のため そしてまたネガティビティを 破壊するために彼がいるからです しかし彼は 化身しなければいけませんでした 唯一 ガネーシャが この収縮されたチャクラ アギヤ チャクラに 来ることができます ではなぜ収縮されるのでしょう 今日は話しませんが 科学的なことです 収縮されるべきもので さらに収縮されます このアギヤ チャクラは 考えれば考えるほど より左や右に傾き このようになります ですから この大変精妙な領域に 化身できるのはキリストだけです なぜなら彼は精妙の中で 最も精妙な者だからです 原子より精妙です シンメトリックや反シンメトリックな 動きをするヴァイブレーションは 原子よりさらに精妙です そしてこれはより精妙です ですから この収縮した領域において唯一 純真以外何者でもない キリストのような人格が来れます 彼には純真以外の 要素はありません 他の化身には 全ての5つの要素がありますが 彼は純粋なヴァイブレーション 以外の何者でもありません それ故 彼は水面を 歩くことができました 彼の身体には 物質が存在しなかったからです チャイタンニャ以外の 要素はありません オムカラがガネーシャになります 彼女の身体から出てきた チャイタンニャだけです ガネーシャの段階において チャイタンニャはその形に留まりましたが キリストの段階では ありませんでした 後に彼の死や復活といった ドラマが起こりました 彼が私たちの救済に 責任ある者だからです 彼は門だからです 彼は道です ガネーシャだからです オムカラが道です そして彼は門です しかし 彼が最終目的ではありません 彼のお母さんが最終目的です マハラクシュミでもありません マハカリ マハサラスワティでもなく あなたが到達すべき 最終目的はアディ シャクティです これらは聖書に 決して語られていません 彼がほとんど4年しか 公の場に出ていないからです 当時の者は そのことを触れたくありませんでした 知らなかったし 神聖なもの すべてにおいて抑圧があったからです 社会は営利化した制度でした インドにも営利化した 制度がみられます しかしインドにおける唯一の利点は 宗教が組織化していないことです しかし彼らはキリストや 彼の原理を組織化しました 今は彼を 良い人間だと思っています なんということでしょう 今日私たちは オムカラの誕生を祝います 大変大きなことです あなたに理解できるでしょうか 全てに動き・・・ 原子や分子 組織化する化学 周期律や引力 動く全てがこのオムカラです そしてあなたのヴァイブレーションは オムカラ以外の何ものでもありません 実際私の写真において ヴァイブレーションはオムカラとしてきます 人間の頭上には オムカラが描かれています これらの光がオムカラのように 見えるのはなぜでしょうか なぜサハジャ ヨギの頭上に オムカラがあるのでしょう アラビア語でアラーです 私の名前も アラビア語ではそうです これは誰がしているのでしょう 全て彼がしています オムカラ自身が形を採り アディ シャクティについて あなたに納得させます 彼がこれらの力を操ります 彼は写真には入りません トリックをします 写真は 光を通して写されます 光が直線に射すからです しかし彼が望めば 光の道を曲げることができます 他のものに変えることができます 好きにできます そしてあなたを納得させます 彼が言うには “私に対して何であれ我慢できますが” “聖霊に対してはできません” そしてこの聖霊とは アディ シャクティです あなたは彼なしに サハスララに到達できません 全ての戯れにおいて 彼はストゥラダーラです 彼は指揮者です 操り人形の紐を動かす者です プージャをする度に シュリ ガネーシャに祈ることは大切です そのようにして私たちは 主イエス キリストにも祈っています 私たちは彼の吉兆さ 助けなしに サハジャ ヨガをすることはできません 彼は管理人です 私はここに座っています そして彼が管理人です 管理人なしに 私は何をどう話すでしょう 何も起こりません 彼は大変有能です 全てを作用させ 全てを為します […]

Guru Puja, Gravity of Guruship Annapurna Atiram Aparthotel, Ansalonga (Andorra)

Guru Puja, “Gravity of Guruship”. Andorra (Europe), 31 July 1988.
今日は皆さん グルの崇拝の ために集まりました ご存知のように グルの原理はヴォイドにあります この原理がバランスと 重力をあなたに与えます 地球の重力が あなたのグルの原理によって 表現されています 重力に関して まず あなた方は 世俗に飲み込まれず 小競りあいに囚われない人格や 気質を示すべきです 自らの深みにいる グルの人格は たやすく飲み込まれる ことがありません これがグルの第一の性質 重力です お伝えしたように 何にも飲み込まれない性質です あなたの人格の 深くに位置取り 水面に浮かぶこともありません 先進国の人は 個人に強い力があると 考えがちです 個人が自由を謳歌することが 民主国家の目的になり 集合性が 見過ごされています もちろん個人は大事ですが コレクティブに寄与する必要があります しかし 重みがなく 表面を漂っているようでは 簡単に流されてしまいます だからファッションに 流される人がいるのです ファッションには知恵にも 健康にも合理的でありません 人格的成長や健康に 良いファッションはありません 時に変で 愚かに見えます すると人は “愚かで何が悪い” “バカになる事の何が悪い” といいます 個人の自由ですが 人格は育ちません 人格的にゼロで 空っぽです 自分で何も決められません 流行っていれば 何にでも従います これは西側の状況ですが インドような国でも ある狂った傾向が見られます 彼らも豊かさというものを 経験しなければならないからです 他人の芝を見て 彼らもやはりするでしょう 自分が得をするためには 何でもするでしょう あなた方が ファッションに惹かれたように 物質主義に陥るでしょう 個人主義は ある程度までは良いですが 度を越すとおかしくなります 特に西側では 人格が未熟なので 簡単に商売人に 騙されてしまいます 例えば愚かな人がポイズン(毒)という 名を使いはじめると 皆がポイズンを買うのが 良いことだとなります 愚かな者がある名を使うと 皆がそれを買いだすのです 特別なものではありません 何も特別でないのに 注目されます それであなたが 偉くなるわけではありません 有名ブランドというだけで 皆が買います “ああ あのブランドですね”と 非常におかしなことです そして髪型や足 首 爪 眉毛などの スタイルも流行ります 重みがないので どんな馬鹿げたことでも 自分の身体にしてしまうのです 重みがある人は そんなことはしません まず それに合理性があるかを 吟味します ただ変化のためなら おかしな流行なので流されません 水面に漂う藁のように流されないことが 人の重みを示しています 流されず 深い理解の海の真珠の ようにとどまります 今日ここに来ている皆さんは 自分の内なるグルを崇拝し まずは気質における重みが 必要なことを理解しなさい そのために大学教育は 必要ありません 読書や何かも必要ありません 自分の価値観を 正すだけです 価値観が正されると 何が社会に良いか理解します 何が自分に良いかもです 例えば 蓮の花は 泥や汚れを出しません バラのような 良い香りを常に放ちます 香りだけを放ち 汚いものは出しません 重みを獲得して 自分がグルと思うなら 醜悪なものを愛でたり 書いたりすることがないでしょう これが第二の点 価値観です まずは吉兆さを理解し 聖なる美や 精神のモラルを理解しなさい これら三つを悟り 身につけることで 人々が“あの人は重みがあって ある美しさがある”と気づくべきです 内面が変わると 外に現れます そのような落ち着きのある人は 落ち着いた格好をします 誰かを魅了しようと着飾ったり 自分を見せびらかしたりしません 自分の体を 尊重するために着ます 口を開くと知恵を語ります つまらない 下品で役立たずな話はしません 何かをするときは 品位と礼節があります 専門家になろうとする 人のようにです グルを崇拝する人は 仕事においても専門家になろうとします 例えばエンジニアのように お金や名声 他人の賛辞には無関心です 関心があるのは 対象を本当に理解できるかどうかです 凡庸ではないでしょう 音楽家は完全に音楽家で 芸術家は完全に芸術家で なければいけません 一般的なやり方で 上達しようとはせず スピリットの導きによって 向上しようとします 詩人なら スピリットの次元で 向上しようとし 商業的な成功は 望みません 凡人は多数派に娯楽を 与えようとするものです 社会の役に立たない低俗な本を売り 売名することに恥を感じません グルの持つ 価値観というより 彼のライフスタイルや言説 態度により表現されたことに 人は重力のように 惹きつけられるのです その結果 バランスの 価値体系が蓄積されます 何かの専門家になることは 別の面をおなざりにすることではないのです バランスです 例えば音楽家が絵画を理解しなければ そもそも芸術家ではありません あなたが芸術家で まだサハジャ ヨガを理解しなければ あなたはヨギではありません スピリットの核心から始めると 全ての知識が統合され 表現されることに驚くでしょう あらゆる意味で どんなことにもエキスパートになります 何を聞かれても あなたは何でも知っています ですが 価値の優劣を わきまえなさい 大切なことを 理解しようとしなさい お酒の種類とか 価値の無いものに 関する知識を手放すのです そこで上達しようとしないことです カーペットの種類の専門家に なろうとも思わないでしょう サリーやカメラの種類の知識も 知りたくないでしょう 知っていても良いですが 知らないことを気にすることではありません 人格における重みこそが 大切と分かってくるでしょう シンプルに言えば 吉兆さが解るようになるということです 吉兆とは何でしょう フェアプレイについては ご存知ですね 他者に対するフェアプレイとは 何でしょう 神の目における正義とは何かが 分かってきます あなたのクンダリーニを引き上げる 聖なる音楽を知るでしょう つまり重みによって あなたは分別を得るのです 何が人格で 何があなたを取り巻く 水気なのか解ります どう分別を弁えればよいか 分別の感覚は 内なるグルの原理から来ます しかし グルの原理が おかしな状態になることもあります 偽りの指導者を 信奉して本を読み 理論や教義にかぶれると おかしくなります その結果 頭部の エカデシャ・ルドラが増大します また 生活の一方だけに 自分を投影して 働き過ぎたりなど 極端な性格だと 心身やスピリットの問題が グルの原理に影響し エカデシャ・ルドラによって 破滅が始まります いかにグルの原理が 大切であるか 殆どの病気は この原理に反した結果 エカデシャ・ルドラのレベルまで その悪影響が至った結果なのです リアライズド・ソールとして あなた方はブラマナディを通過し サハスララを抜けて これら全てを超越しました しかし だからといって 例の重力を獲得したことにはなりません あなたはある意識を 既に獲得したのです 花を水面におけば 浮かびますが 花は熟せば実になり それは浮かばず 沈んで 水に溶けることもありません 同一性を保ちます それこそがあなたがなるべき者です サハジャ ヨガの果実になるべきです 花咲く季節は終わり あなたが果実になり 人々はあなた方には バランスの悪さがないと思うべきです あなた方は特別な重みを 持っているのです なのでサハジャ ヨガの プログラムで 決して子どもじみたり 馬鹿げた振る舞いをすべきではありません 私の前に座ってクンダリーニを 上げる人がいました 馬鹿げています バンダンするのも 馬鹿げています サハジャ ヨガに 来たあとでも 馬鹿げた重みのない 振る舞いをすることはありえます サハジャ ヨガに来て まだ以前のように振舞っているなら もっと成熟した実に ならなければなりません それこそがあなたがグルの原理を 獲得したしるしです 母なる地球の重力を 知ることが大切です 高速で回転しながらも いかに彼女は聖なる愛で私達を 美しく抱きかかえているか分かります 大きな山々を見ると それらは偉大な聖者が座して 瞑想にふけっているようです 海から放たれるグルの原理を つかめるのは彼らだけなのです ご存知の通り 海がグルの原理ですが それをつかめるのは とても高い山々なのです つまりあなた方は重みがありつつも 高い水準を保っています なので誘惑や人を惑わすような 馬鹿げた考えを超越しています 歴史上の偉人のように 他の皆より高く強く立っています かつて存在した 10人のグルの名を教えました アディナス 孔子 ソクラテス 後にアブラハム モーゼからサイナスまで 10人ほど存在しました 今日ここに 沢山のグルが座っています 皆さんはグルで そのように振る舞い 働くべきです 今日 自身の中にこの重みと理解を どう発展させられるかをみるべきです この平穏が あなたの中に宿れば サハジャ ヨギになる喜びが真にわかり 皆が楽しめることでしょう 神の恩恵がありますよう […]

Makar Sankranti/Shri Surya Puja (India)

Makar Sankranti – Shri Surya Puja. India Tour, Bombay (India), 10 January 1988.
これは 大変特別な機会です あなた方に ボンベイで再会できました そして あなた方は国へ帰ります 今日行われるのは 特別な類のプージャです これは 太陽へのプージャです マカール サンクラントゥ と呼ばれています マカールの意味は “南回帰線”です または “やぎ座の回帰線”です 今 太陽が 南回帰線から 北回帰線へ動きます 太陽と関係しているため 常に決まった日にちです 唯一 インドの暦で 毎年同じ日です 太陽によるからです しかし今回は なぜか分かりませんが 今月の15日になっています いつも14日です 今日 変わります 季節が 変わろうとしています 太陽は移動するまで 6か月かかります 南半球へ移動し 温かくします 明日から 北半球へ移動します つまり 今日は最後の日です 今日はインドで もっとも寒い日といえます この後 暑さが増します 夏季に吉兆なことを することができます プージャの後に 吉兆なことを行えます 夏は大変暑いですが 人々は太陽の活動や 温かさを望みます 太陽のおかげで 田畑の作物や果実 全てが育ちます そのため太陽がない6ヶ月間を サンクラントゥと呼びます ある意味災害です ヨーロッパ諸国 例えばイギリスや アメリカでは 太陽がない この時期は災害です ここでさえ そのように思われています サンクラントの終わる日です つまり災害の終わりです 人々は胡麻の入った 甘いものを食べます 胡麻は 熱を与えるからです ですから 今日は最も 寒い日なので胡麻を食べます 熱を蓄えて これからの暑さに 身体を調整します これはある意味 大変グロースなレベルです 十分な温かさを 保たせます またこの時期に 愛の温かさは 表されるべきである と言われています 最も寒い日だからです 人に優しい言葉を かけるという 特別なことをする と言われています より温かい国に住む者は 寒い場所に住む者より優しいです 寒い場所では 自然が厳しいからです 彼らの気質を 非難できません 自然が厳しいからです インドではどこにでも 住むことができます 木の下でも 森でも幸せに暮らせます 飲み水や水浴びできる 場所さえあれば暮らせます 世界で直面しているような 問題はありません 他の国は 外出に 20分かけて着飾ります ここではそのまま家を出て 夏の間 空けっぱなしにできます 自然に関して言うなら 何の問題もありません 夏季の自然は 大変寛大です 木は青々と茂り 人々は大変幸せです 全ての活動が 太陽のエネルギーによって 活発になります しかし 西洋では 太陽があまり出ません そのため人々はより家に留まり 暖房や他の機器に頼ります そして戸口を閉め ハートも閉じてしまいます 他者とのコミュニケーションが 難しくなります 南へ行けば あなたの国もそうですが 人はより温かく 素朴で とても寛容です 太陽のおかげで 人々の心は開き 客を招き入れるような 心になります サハジャ ヨガの 観点から見ると 太陽の経路は 右側です 月は左側です 月の経路において 人は望みを持てますが 行動することはできません 左の経路において 極端になれば破壊的になります 家にいて何もしなければ (今日失業の 問題がありますが) あなたは 考え過ぎてしまいます これは望みの エネルギーの作用であって 行動ではありません 行動なしでは このエネルギーは 大変破壊的になります それ故 “怠惰な心は悪魔の仕事場” という ことわざがあります 人が行動しないとき 行動が起こらないとき 大変破壊的になります ですから温かい国と そうでない国は 状況が違います しかし 温か過ぎる国 例えばアフリカでは 熱がありすぎが 問題のもとになります 赤道が通る地域は 強く熱せられるため 高い木が育ち 密林地帯になります その場所全体が 群葉で覆われ 陽光が届きません そして 暗闇が広がります この極端さは 寒季の極端さと同じです 当然そこは太陽が あまり出ないため 住む者は あまり成長しません 人は原始的であったり 大変攻撃的であったりします 彼らは動物から学ぶため 大変攻撃的になりえます ですから バランスが必要です バランスとは 望みそして 行動することです しかし 問題は 人間の環境にあります 労働の区分にあると 思います 国の中で 考える者と活動する者が 分かれています この状況では 何もうまくいきません スシュムナが作用する バランスが必要です スシュムナの経路は 位置でいう赤道です 赤道というより 母なる地球の軸です 母なる地球の軸は スシュムナです 作用されるべきです 軸はつまり バランスを もたらすものです 実際は 母なる地球の中に 私たちが軸と呼んでいる 大きな柱のようなものはありません 母なる地球の中に 軸と呼ばれる物質的なものはありません しかし それは エネルギーであり 広大な宇宙で 物凄いスピードで 地球を 動かしています それだけでなく 私たちのために昼夜を創ります 昼は働き 夜に寝ることで 私たちにバランスをもたらしています 太陽の周りを回ることで 地球の半分の国々が 夏季に太陽の恩恵に授かります もう半分は 冬季に恩恵を授かります この軸が作用させ 全てに働きかけます またこの軸は 宇宙の他の惑星や衛星から 必要な距離を保たせます この軸は 母なる地球の知性です 知性だけでなく 芳香であり 母なる地球の スシュムナの経路です この軸によって スワヤンブーが出現し 地震などの 現象が起こります この軸は動くものです エネルギーとして 捉えられます 様々な方向へ 溶岩層を動かします 様々な領域にぶつかって 地震を引き起こします また 火山も引き起こします 軸は何をすべきか分かるので このような現象を起こします この軸は 私たちを愛しています この軸は 季節をつくります 季節は 私たちに様々な種類の食べ物や 物を与えるために 美しく創られています 母なる地球の熱が 失われれば この地上に 何も存在しません 全てが凍り 雪に覆われ 食べ物もありません 月のようになってしまいます ですから 特別に創られました 太陽の熱によって 母なる大地は誕生しました つまり 太陽は 母なる大地の父と言えます 次に地球は月の近くに移動し 温度を下げました 完全に冷え 雪に覆われました そして 太陽の近くに 移動しました 生命が誕生可能な 地点まで移動しました その場所で命が育まれるよう 全てがすばらしく体系化されました 生命が誕生したことで 炭素が形成されたことが分かります 炭素は 同じ軸で形成されます 軸に熱があるためです 熱のエネルギーが 植物を炭素に変えます この炭素は後に 含水炭素あるいは 全ての有機体の生産の ための基盤となります しかし 生命誕生には その他に窒素が必要です 窒素は驚くことに 同じ軸の動きから 創られています この窒素が創られたとき 私たちにアミノ酸をもたらしました 私たちの内に アミノ酸が創られたとき 私たちの生命の起源である アメーバが誕生しました もちろん 全ての始まりは海です 海で窒素がつくられ 生命が生まれたからです 海から始まりました そのようにして 私たちにはアミノ酸があります アミノ酸の形成は 多様な 生命をもたらしました 進化の過程において 母なる地球は軸を通して 大きな役割を果たしました 同じように 人間にとって軸は 最も大切なものです 軸は私たち生命の 主要な原理です 私たちは自分の軸で 立たなければいけません 自分の軸で立たない者は 左か右に傾いて立ちます 完全に崩壊する 可能性があります 右や左に傾き過ぎるため 滅びます ですから 自分の軸は しっかり保たなければいけません しっかりした軸を 持たない者は 様々なチャクラや その者の資質に 影響します 自分の軸を伸ばしすぎる者は このように頭を反らせます 大変右に傾き エゴの問題が起こります 卑屈な者のように 頭がうなだれる者は 自分を 破滅へ追い込みます この両者には 問題があります 一方は支配的で 他者を支配して 破滅させるだけでなく 自分も破滅します 例えばインドは イギリス人に 支配されました フランス人も 他国を支配しました ポルトガル人も 他国を支配しました しかし 支配したことに対しての 反動がありました インド人は支配されたことによって 大変卑屈になりました 今日でさえ大変卑屈で あるべき 自主的な軸がありません 大変卑屈です インド人が西洋へ行くと さらに卑屈になります 彼らは白人を喜ばせようと 卑屈な行動を取ります インドで白人は 崇敬されるようになりました それが 白人のエゴを増長させ 今日そのエゴが 彼らを滅ぼしています エゴのため 破壊寸前です ですから大変 不自然で表面的です 人間にとって最も大切なのは軸だ と理解しなければいけません 軸は全ての人にあります それぞれの軸を尊重しなければいけません サハジャ ヨガで私は あなたを顔では知りません チャクラで どのようなスシュムナかで あなたを知っています 深いスシュムナなら 深い者だと分かります 表面的なスシュムナなら 上辺だけの者だと 分かります 親切に 振る舞っていても サハジャについて話し よく知っていたとしても 達人であるかのようにして 人を当惑させることを言ったとしても あなたの深さは 知っています 軸の深みが 何よりも大切です 軸が大変 深くなければいけません “軸は軸であって なぜ深く なれるのですか”と尋ねるでしょう 人間の内にある軸は 三巻き半に巻かれた 紙のようです その中心が ブランマの経路です ブランマの経路とは 大変細い 髪の毛のようなもので 髪の毛の細さのクンダリーニが 通ることができます 深い者なら ブランマの経路は太く 外側に巻かれている ものはより細いです 一方 深みのない者は 外側に被さるものが 内側より太いです そのような者は外見上 大変ダイナミックに見えます 知的で賢く見えて 容姿も良いですが 内的には 深くありません 深い者は 態度全てが素晴らしいです 大変 歓びを与える者です そうでない者に会えば 喜びに満ちているようでも 喜ばせようとしていても その喜びは 真に深くありません それは喜びを 殺すようなものです ですから 軸をより深めることは とても大切です これにおいて 私たちは 適切な配慮や 努力に欠けています 自然に 大変深い 軸である者もいれば ある意味 大変収縮された軸を 持つ者もいます この軸は 成長させなければいけません プージャに来れば 確かに軸は広がります しかし それは 一時的なものです その状態を保つには 自宅またはコレクティブで 働きかけなければいけません 自宅での瞑想で 働きかけなければいけません ただし真剣にすべきです ただの遊びであったり 軽薄であってはいけません 献身的なものとして 真面目にしなければいけません それは瞑想的なもので 神への祈りのようなもので 神へのプージャです そのような敬意で なされなければいけません 敬意はそれを 達成する鍵だからです 自分に対して また 人に対して敬意がなければ 達成できません まず人生に 敬意を持つべきです 人生に対して 何をし 何を無駄にしているか なぜ深くなれないのか 何らかの目的が あるに違いない 目的に向かっているのか このようなことを 考えるなら 自分のエゴと戦えると 理解できます 通常 人は些細なことで 戦うからです サハジャ ヨガでも 完全に無益なことで 戦う者がいます 戦いや喧嘩について 言及することすら 愚かしく感じます 深い者は あまりしゃべらなくても あまり 見せびらかさなくても 前列に座らなくても 自分の深さで 自分を表します それを通して より働きかけられます これを育むには 瞑想しなければいけません 大事なことは 毎日の瞑想です 食べない日があっても 寝ない日があっても 仕事に行かない日が あっても 日常的なことをしない 時があっても 毎日 瞑想しなければ いけません 中央の収縮された部分を より育むことは 大切な事です それが育まれると 自分について まず気付くことは 快適さを 求めないということです 物質的なことに 煩わされません 何であれ あなたは その上をいきます 自分が属さないものに 首をつっこもうとしません それから離れ “手に負えません 私が気にすることではありません” あなたの注意は 内側に向きます 内側に向くと 軸がより広がります ブランマの経路である 内側の部分です そしてさらに 広がり始めます 些細な事に関しても 例えば 私がある者に対して 言及せず 他の者に対して 言及するとします “マザーは私のことを 口にしなかった”と感じます あまりにも些細で 気に止めても 仕方ありません 深い軸がありさえすえば あなたは私といますし 私はあなたといます 完全に一つです 外側のこととは “他の者は素敵なサリーをもらえて” “私はもらえなかった”など これら全てが 頭に浮かぶなら あなたに何か欠けているものがある ということです 不満を言うでしょう “バスで 立たなければならなかった” 全くあなたは 快適でなかったということです 軸の広がりが あなたを快適にします それが快適にさせます どんな状況でも どんな地位でも どんな暮らしでも あなたに快適さを 感じさせます それ以外の快適さを あなたは欲しません それを瞑想によって 育まなければいけません 次にサハジャ ヨガは集合的現象 だと知らなければいけません 特にインドの男性は 自分で手仕事をしません 間違っています 全く自分でしないので 集合性にひどく欠けます インド人は 集合性において最悪です アシュラムも 建てる必要が あるのかと思う程誰も使いません 自分の家や家族 子どもたちにこだわり 集合性において最悪です インドの男性は決して 手仕事をしないからです 一本の釘さえ打ちません 多くがそうです 何かを修理するのは もっての他です 彼らは腰に手をおき 指示するだけです マラティ語に 面白い言葉があります “ラクダに乗って ヤギを追い払う” という言葉です これはインド人特有です 彼らは修理も 何もできません 何か広げ始める者がいれば 立って見るだけで手を出しません どのサハジャ ヨギも シャマダンが大切です シャマダンを しなければいけません シャマダンとは労力を 提供するということです それが 私たちに欠けています それにあたって 家をきれいにしたり 家の外観をきれいにしたり 庭の手入れをしたり 家にペンキを塗ったり 自分の手を使うべきです することがなくても 髪をといたり 何かできます とても簡単なことから 始められます それさえしない人も いるからです ひげも剃らず 誰かに任せたりします 彼らは完全に怠慢です 逆に西洋は 自分の手を使います 自分の手を使うので 大変コレクティブです コレクティブであることに プラスになります 一方 インド人には伝統があり クンダリーニや ガネーシャのことを知っている という利点があります 左側が望みで 右側が行動です アンバランスが生じる という話しに戻ります 西洋では 行動に移しますが ここでは考えるだけ 計画するだけです 全てが計画だけです 何も上手くいきません 計画を立て続けるだけです この10年間でデリーに アシュラムが一つ建ちました まるでタージマハールです 大して 大きくないのに なぜそんなに年月を費やしたのか 理解するのは難しいです これはサハジャ ヨギだけでは ありません 他も同じです 皆がそうだからです 全てが延期され 全てが 次の日に行われます ある人が来ても 他の人が来なかったりします 同じように学校で 足し算をしたり 問題を 解いたりしますが 一つの家を建てるのに 3人が働きに来て一人が逃げました そして 2人の人が働きに来て 一人が残り二人が逃げました 次に五人働きにきて 二人が逃げました いつ家が建つのでしょう 建ちません 逃げる人がいては 完成しません そのようです つまり 集合性の欠如です インド人は 行って何かを植えられる 場所を探すべきです そのような場所を探し 素晴らしい菩提樹の種を植え 共に水やりをして 育てるべきです その点で インドの女性は良いです しかし欠けている ところもあります 知性です 考えることです 考えていることと言えば “夫はこうです 夫のために料理をしなければ” 夫が食事にレモンを必要とすれば 家にレモンがなければ 女性はあらゆる場所へ行き レモンを手にいれるでしょう でなければ彼は 食べ物を食べないでしょう 食事を抜く時があっても 構いません それでも 女性はしようとします 夫の嗜好を 守ろうとするからです それで夫の分別も 保っています 男性は 大抵の夫は 虎のようだからです ですから餌を与え続けなければ いつ飛びかかってくるか分かりません イギリスやアメリカは逆です 夫がヤギで 女性が虎のようです 西洋化した インドの女性もそのようです 西洋に行けば 素朴な女性でさえ虎のようになります 突然の変貌には 驚きます ジーンズを 履かなくてもそうなります 南回帰線でも北回帰線でもない 母なる地球の軸を 持つべきだと理解しないと 人間はバランスを崩し始めます このバランスは 私たちの深みからきます それを深めていかなければ いけません サハジャ ヨガのことを 話すことよってではなく 実際 真剣に瞑想をする ことによってです 次にコレクティブの事を しなければいけません 例えば インドの建築家は 自分の手で 決して何も触りません 座って 設計するだけです 設計が終われば 勝手にさせます そして実質的な問題が 生じます 彼は一本も 釘を打てません 彼らはいわゆる ホワイトカラーです 手仕事には 全く役に立ちません 如何なる手仕事も できません 折りたたみ式椅子を持ちあげて 立てることすらできません 集合性に関して 破滅的な社会から 私たちは来ていると これらの状況化で 理解しなければいけません ですから コレクティブになりましょう コレクティブで 何かするようにしましょう インドでは集合性に関して 大変乏しいです 妻にも優しくしません 妻や子どもたちと 楽しく話しません 妻に優しくするのは 不道徳だと考えます 一方 西洋の人は コレクティブを重んじ 何であれ 妥協しようとし 家庭生活を 円満に保とうとします ですから両極端です しかしながらインド女性の 叡智のおかげで 家庭生活は うまく回っています イギリスの男性を見ると インドの男性が女性にする ナンセンスが耐えがたく見えます 彼らの振る舞いは 全く許されるものではありません 男女間のバランスにおいて 軸となるのは 家庭です 家庭が軸です 家庭内で どのような会話をするか 何を考え どんな問題があるのか どこに注意が向いているか どんな話題をするか 大変大切です その中で 家族に 何が起きているのか分かります 互いに 悪口を言い合っていては 夫が子どもに 妻のことを告げ口していては 妻も子どもに 夫のことを告げ口していては そのようなことが 続いていては しっかりした軸は ありえません 軸は 愛そのものです 利用するものでも 甘やかすものでもなく愛です 私たちのような国では 何が軸でしょう 私たちの国の軸は スピリチュアリティです 私たちは お金や発展への渇望を 乗り越えなければいけません まずスピリチュアリティです 発展する前に 国民がリアリゼーションを得れば ここにアメリカがもう一つできる という心配はありません 共産主義者になることも 何もありません 共産主義者は アメリカ人と同じです 気質において 違いはありません アメリカ人がロシアに滞在すれば ロシア人と同じように振る舞うでしょう そして また 逆も同じです 違いはありません 人のスピリチュアルな 成長を可能にする国において スピリチュアリティの軸が 最も大切なものとなるなら そして得られるなら 如何なる発展があろうと その国を 滅ぼすことはできません 戦争はありません 至る所に 平穏と歓びがあるでしょう ですから マカール サンクタントゥの日に サンクタントゥ(災害)は終わった と言いましょう 私たちを祝福する 新しい月の新たな時代を 待ち望まなければいけません そして私たちに 必要なエネルギーを与える すばらしい太陽の 日の出に サハジャ ヨガの黄金の時代の 出現を祝ってもらいましょう 神の祝福がありますように […]

Makar Sankranti Puja (India)

Makar Sankranti Puja. English part and Marathi part, Rahuri (India), 14 January 1987.
今日は太陽が 北回帰線へと 移動することを祝う日です 北回帰線は 地球の母性を象徴します 地球の母性です 北回帰線は 広範囲に渡りますが 南回帰線は そうではありません 広範囲において 大地に母性の本質の 異なった美しさを見せます 太陽が 新たな範囲へと移ります 私達は その変化を祝います 世界中に太陽の温かみが 行き渡るようにです 太陽の温かさは 神の愛の温かさを象徴します それ故 胡麻で作られた お菓子を食べて祝います 胡麻は熱を与えるからです この時期は 寒い季節から 暑い季節へ移るので 太陽の温かさに 身体を慣らすため 来たる暖かさや 太陽の温かさを象徴する 胡麻でできた 特別なお菓子を作ります インドは暑すぎますが 人々はこの時期を心待ちにし 温かい心で祝います この時期に 胡麻と砂糖を食べるのは 優しい口調で 話せるようにです “ゴッド ゴッドボラ”とは 優しい口調で話すという意味です 優しく話すことは とても大切です 中には乱暴に 話すことは賢明で 怒鳴るのは知性があるから と考える者もいますが 誰もそのような人は 好みません 例えその者が利口で 鋭く抜け目なくても テレビでそのような者を 見たいかもしれませんが 仲間や友達に なりたくありません 大変優しい口調で 話すことは 育ちの良さや良い文化背景や 神への畏怖の念を表します 神への畏怖の念を持つ者は 乱暴な話し方をしません 同じスピリットの輝きを 他者に見るからです 自分達と同じように 全能なる神によって創られた者に対して きつく当たったり 怒鳴ったりすることはありません 互いのこの愛深い 美しい関係を 特にサハジャ ヨギに なった後も 互いに優しく話すことで 表しましょう 優しくできる方法は たくさんあります ちょっとしたことに 優しさを添えることができます 尖った話し口調でなく 鋭い記憶力が必要です 私は何度もそれを 活かしてきました ある素晴らしい 行動力のある サハジャ ヨギがいました 車で一緒でした 彼は運転手か誰かに ナイフを盗まれ 大変怒っていました “貧しくて盗んだのでしょう 忘れなさい”と言いました 彼は“スイスの友人からの贈り物で 大切にしていました” “失くしてしまい 申し訳なく感じます”と言いました 私がスイスに行ったとき 同じナイフを買い 彼に渡すと 彼は言葉を失いました “昔の話しを なぜ覚えていたのですか” “どうやって 手に入れたのですか” “私は記憶力がいいのです それが問題なぐらいです” 記憶力があまりに良くて 相手を恥ずかしく思わせてしまうほどです 何であれ私は忘れません もちろんひどいことは忘れます 悪いことを覚えておくことや それを考えることはありません 許すことでいつも 悪いことは忘れられます 良いことを覚えているなら あなたの歓びは倍増します 悪いことを覚えておこうとすれば 歓びはなくなります 人と会う度にその人が あなたにした良いことを その人の良さを 思い出しなさい 良いことが記憶に残れば すばらしい時間を持てます 今日は皆さん インドに発つ日です 明後日出発する者もいます いずれにせよ あなた方の為に 歓びと幸せを与えるために 精一杯のことがなされました 帰国しても耳にしたことや 素晴らしかったことを覚えていてください 人々がいかにあなたを称賛し 愛し 親切であったか 素晴らしい出会いや経験を 覚えていてください 価値のないことを くよくよ考えてはいけません 人に不快なことを言われたり 言ったかもしれません 忘れなさい 人生を楽しむチャンスを 台無しにしていると理解しなさい 誰も傷ついていません たくさんの人との出会いがあり 結婚式があり 素晴らしい時間を持ちました どの瞬間も歓びとヴァイブレーションに 満ちていたと 幸せを感じなさい 中には悲しく思う者も いるでしょう 奥さんや旦那さんが 帰ってしまったりするからです 惨めに思う者がいるのも 見受けられます 良いことです 愛ゆえに互いへの思いや お互いを楽しんでいるからです 大変良いと思いますが いずれまた会うわけですし かけた言葉や楽しい思い出を 胸にハッピーでいなさい 時間は早く過ぎます サハジャ ヨガにいると 時間を忘れます そして また旦那さんや 奥さんと一緒になれます ですから悲しく 思うことはありません 笑顔でいなさい 彼らが出発するとき 涙を浮かべた顔ではいけません 希望ある確かな 勇気に満ちた顔で送りなさい すぐ会えます 悲しむことはありません 今日は全てを楽しみ 私達の周りにある 神の恩恵を感じる日です 太陽がその栄光において 戻ってきました 来たる年の成功を 望まないといけません マハラシュトラでは しばらく雨が降っていません 問題になっています 太陽に幸運を祈って 雨が降るよう 太陽のエネルギーで 必要なことがこの国にもたらされるよう 祈らないといけません 国に戻っても 太陽のように 輝かないといけません この国より暑くありませんし 温かさもないからです この国の人々が温かく 愛深いのは太陽の恵みです その太陽を持ち帰り 人々に愛情と温かさを与えなさい インドより持ち込まれたと 感じてもらいなさい どの国へ行こうと 太陽は明るく照らします インド人は太陽を持ちこむ という云われがあります 実際ポケットには 入りませんが ハートに入れているようです 太陽が素晴らしく輝いていたのは そのせいかもしれません 皆が全てを楽しみました ですからあなたは優しく話し 互いに思いやり 助け合い 親切にすることで 太陽を携えないといけません なぜならあなた方はヨギです 普通の人ではありません 徳や善 慈悲 愛深さを持つ 代表者です あなた方に幸運を祈ります 旅行を楽しみなさい 全てを楽しみなさい ここで得た歓びを 他のサハジャ ヨギに サハジャ ヨギでない人にも 与えなさい 神の祝福がありますように […]

Christmas Puja (India)

Christmas Puja, Pune (India) 25 December 1986.
今日 私たちは 主イエス キリストの 誕生を祝うことを 心待ちにしていました このような 場所にいるのは 深い意味があります イエスが生まれたときと 同じような小屋です 風が四方から 吹いていて 部屋を温かく保つのは 難しいです しかし 正しく言えば 彼は12月に 生まれていません もっと温かい そんなに寒くない 時期でした 彼が感じた気候は 恐らくあなたが今 感じているくらいでしょう 今日の気候は 示唆的です あなた方は この気候や環境 簡素な生活に 不快を感じないでしょう 彼は全く不快を感じませんでした 彼の母も同じです 私たちの意識が スピリットにあるとき 私たちは 自然や世俗的なことに 不快を感じません 最初の兆候として サハジャ ヨギが 快適さに 不満を持ち始めます サハジャ ヨギになりきれていない という兆候です まず 私たちは 気候と 完全に順応します 気候の特徴 移り変わり 私たちをいかに形作るか を楽しみます 自然と身体には 摩擦がありません なぜなら 同調させるスピリットが 自然と一体になるよう あなたを助け 最良な部分を 楽しませてくれるからです いかに楽しんでいるかで 偉大なサハジャ ヨギは表せます 私のおかげだと思います 全ての不快が 楽しみに代わりました キリストの到来は 大きな出来事でした アギヤ チャクラを 確立するため この地上に生まれました しかし 大分前に意識において すでに生まれていました その完全な意識自体が イエス キリストの誕生でした リアライズソールなら 彼の人生を説明することができます でなければ 彼が誰で どんな働きをしたか 話すことはできません それでも サハジャ ヨガで 多くを説明するのは 難しいです 経験するだけです 今日 あなたは 湖から水が沸き出るのを 見ました これは誰も 専門家でさえ 説明することはできません 水が興奮して 神聖を感じ 泡のように 愛が沸き出たのです 水でさえ 感じられるのです あなたは光が それを感じるのを見ました 同じように どの要素も感じられます 全ての要素は 私たちの中にあります 最も崇高なのは 光と言えます 光には 効力があるからです それはイエス キリストによって 統轄されています 光には効力があります 正しいものを あらわにします それが私たちに 世俗的な全ての次元を 理解させ 最終的にこの光が スピリットから来て スピリットを啓蒙すると あなたは他の次元を 見始めます 時には あなたを笑わせ ほほ笑ませ 時には涙させます サハジャ ヨガを通して 美しく 新しい 次元を得ました しかし全て あなたの内にあり 達成するものでした 一方 大変な努力を した者もいます 例えば イエス キリストは 小さな馬小屋で生まれました 神聖が王家に生まれる必要がない と示すためです 馬小屋でも 生まれることができます 神聖にとっては 関係ありません しかし 人は 誤った捉え方をします 人は 惨めでなければならなく 神に全てを奉納すべきだ と言う者もいます 神は何も望んでいませんし 所有しません 人は何も与えられません 乞食のようになり 神に与える という認識は間違いです 望んでいません 望んでいることは あなたが幸福で喜びに満ち 楽しむことです これが一番大切なことです ほんの少しでも 神に捧げれば 神はその百倍 あなたに与えるでしょう ほんの少しでも 神に捧げることです いけにえとして 木に自分の首を 吊るすことはありません キリストがあなたのために 全てをしました 彼の人生の 美しさは 生まれた時から 全く物質的な豊かさを 享楽しなかったことを 表しています 私たちが知る 世俗的なことは 全く楽しみませんでした そして それは 世俗的なことを 渇望する必要がないことを 私たちが 分かるようにしたものです それらが私たちを 渇望します このようなことで 心配する必要はありません 心配すべきことは あなたのスピリットです 彼の人生は 短かかったと言えます 彼は努力をしました 人について 大変興味を 持っていました 人間とはどのようなものか 知らなかったからです 人間界から かけ離れた者でした ですから 彼は 見極めようとしました 見極める中で 理解すべき 大変すばらしいことを 多く語っています その中の一つに 彼は “あなたを 理解したくない者に” “真珠を投げてはいけない” と言っています ヨギにとって これを 理解することは大切です 反神論者にサハジャのことを 話すべきではありません あなたの兄弟や姉妹 父親かもしれませんが サハジャ ヨガについて 説得すべきではありません 彼らは あなたに関係しません 主人や兄弟を説得する事を 心配する者が多くいますが あなたがそれをワークアウトする 必要は全くありません このことに関して 断念しなさい もう一つ 大変大事なことを 私たちに伝えています 許すことです 彼は許すという最も偉大な武器を 私たちに与えました 許すということは 大変実用的です あなたがただ許すなら 相手は存在しなくなります 相手はもはや あなたを煩わせません 注意にも入ってきません 許すことは 私たちが受ける世俗的な 精神的な苦痛から 解放される 最も簡単で最良なことです 彼の人生は スピリチュアルな 物語でした 様々な苦難を経ました スピリットがやり通せる あらゆる問題を経ました 誰もスピリットを殺せない と示すためです ギータで語っています 殺すことはできません 永遠の命です 人生を通して 永遠性を証明しようとしました 始めから終わりまで スピリットは 物質を超えていて 何にも支配されることはない と示しました 私たちのために 大変な偉業を成し遂げました 大きな自信を 私たちのスピリットに もたらしました 疑いなく証明しました あなた方が理解し 些細なつまらない事で 私や自分達を困らせないよう願います それは大切ではありません もっと大事な事 永遠なもの 価値のあるものを 求めなさい この場所を気に入り 楽しんでいることに 嬉しく思います 加えて今日は 多くの結婚を発表しました この短い期間に 多くのイベントがありました このクリスマス イブに 神の祝福がありますように メリークリスマス ハッピー ニューイヤー […]

Shri Mahakali Puja (India)

このヨガのすばらしい国に サハジャ ヨギの皆さんを歓迎します 今日はまず 自身の中に望みを 確立しないといけません 真理の探究者であり 自分の完全な成長と 成熟を得ることへの望みです 今日のプージャは 全宇宙のためです 全宇宙があなたの望みで 啓発されないといけません あなたの望みが 強いことで スピリットに到達するという 純粋な望みである マハ カリの純粋なヴァイブレーションを 放出しないといけません これが真の望みです 他のすべての望みは 幻のようなものです あなたは望みを表現し それを得るために 神によって 選ばれた者です 強い清浄への 望みによって あなたは全世界を 浄化しなければなりません 真理を探究する者だけではなく 真理を探究しない者をもです 究極を スピリットを得るという 望みでもって この宇宙に オーラをつくらないといけません 望みなしにこの宇宙は 創造されませんでした 神のこの望みは 聖霊であり この包括的な力であり あなたの中のクンダリーニです クンダリーニの 望みは一つです スピリットになることです 他のことを望めば クンダリーニは上昇しません 真理を探求する者を前にし この望みが満たされると わかった時のみ覚醒します 望みがなければ 誰もあなたに強制できません サハジャ ヨギは決して 他者にこの望みを強制させてはいけません セルフ リアリゼーションを得て まず直面することは あなたが家族について 考え始めるということです 私の母が 父が 妻が 子供たちが まだ得ていないと 考え始めるのです これらの関係は 世俗的なものだと知るべきです サンスクリット語で ロキックです 彼らはアロキックではないのです 世俗的な関係を 越えていません 世俗的な関係です これらの執着は世俗的です それに悩まされるなら マハ マヤ シャクティは 自由にそれをさせてくれます 好きなだけやりなさい 人々は親戚皆を 私の下に連れてきます そして最後には 間違っていたと気がつくのです 彼らは多くの大切な時間を 何時間も何年も無駄にし お母さんのアテンションに値しない者に エネルギーを費やします この望みが 自分の中にあっても いわゆる世俗的な親族には ないかもしれないことを 早く気がつくほど良いです 関係ないことなのです キリストは兄弟姉妹が 外で待っていますよと言われ “私の兄弟とは誰ですか 私の姉妹とは誰ですか” 常に家族の問題を抱えている者 私の注意を引こうとする者は 私がただ遊んでいると 気づくべきです あなたにとって あなたの成長にとって 何の価値もないのです あなたの親族に 望みを持たないこと これがマハ カリの力を 確立する最初の原理です 特にインドでは 家族に あまりにも執着しています とても大きな問題です ひとりの人に リアリゼーションをあげると 親戚全員が ブーツであることに驚きます ひとりにリアリゼーションをあげると 面倒なことになります ゆっくりとブーツが入り始め 私を苦しめます 私のエネルギーを無駄に費やし うんざりさせられます これは吉兆ではないと 理解するようにしないといけません 時間を無駄にしたいのであれば あなたに時間を無駄にさせておきます しかし早く 成長したいのであれば まずこれらの親戚は 全く世俗的な関係であり あなたの純粋な望みでは ないと覚えておくべきです ですから望みと 世俗的な望みを分けなさい あなたの家族を お母さんを 姉妹を 諦めなさいと提案しているのではありません あなたは彼らを 目撃するのです 他の人を見るのと 同じように見るのです そして彼らがその望みを 持っているかどうか見極めるのです 彼らがあなたの親戚だからといって 適していないというわけではありません あなたの親戚だからといって 適しているというわけでもありません ですからサハジャ ヨガで あなたの望みを純粋な望みにするには 多くのことから 抜け出なければいけません 家族に執着している者 家族に縛られている者は 親戚の誰にもサハジャ ヨガを 強制してはいけないと理解するべきです せめて私に 押し付けないことです 私は毎日しゃべっています シュリ クリシュナについて 話さないといけません でないと彼は私がマハ カリについてだけ 話していると思ってしまうでしょう 私たちの中にあるこの望み 現れるマハ カリの力は 多様な形で出てきます まず親戚に何かしてあげよう という気持ちが あなた達はサハジャ ヨギなので リアリゼーションのあとで出てきます そして私たちに出てくる 二番目の望みは 親戚である人達を 治してあげようとすることです あなた達の中の多くが感じている ことだと知るべきですし向き合うべきです ハンセン病から風邪や くしゃみなど小さなものまで 自分達が抱えているものが 何であれ お母さんに見てもらうべきだと 考えます 家族の心配事すべてを 見てもらうべきだと考えます 妊娠やくしゃみのような とても普通な 自然なことも あなたのアテンションにあるのです それがアテンションに あるのなら 私は “やってごらんなさい 可能なら 解決してごらんなさい”と言います しかしあなたのアテンションになければ それらは私のアテンションにあります 私のアテンションに任せなさい うまくやります しかしこれも悪循環です それは頭の精妙な反応です “私のアテンションに置かないので お母さんが面倒を見た方がいいです” というなら間違っています あなた自身の中に 強い望みを持つべきです 私はスピリットになっているか 私は自分の究極を得たか 世俗的な望みと 真の望みを区別しているか 浄化しなさい 一度それを浄化し始めたら 抜けたところは私が面倒を見ます これはただの確約であって 保証ではありません 私のアテンションに値するなら 私はそれを確実に面倒みます 私が私のアテンションを尊重するように あなたのアテンションを尊重しなさい あなたのアテンションを 私のより尊重しないといけません 私はより多くのことを 管理できるからです すべてが 私のアテンションにあるからです あなたが直面している世俗的な 問題から望みを離し 清めないといけません 考えが膨らみ 私たちの国の問題は どうなのかと考え始めるでしょう それならあなたの国の 地図を私にください それだけで十分です ですから自分自身を 浄化しなさい 持っている望みを 私に任せなさい 一度浄化されればその部分は あなたのアテンションで助けることができます それを克服したときのみ あなたはそこに光を当てられます しかしあなたがその中にいるなら 光が隠れてしまいます その望みより 上にいきなさい 望みが出るたび その上にいくのです そうすることで あなたが直面している 私が解決すべき問題に 光が放たれます これらすべてはあなた自身が 請け負っている私の問題です あなたはスピリットになるという ひとつのことをしなければいけません とても簡単なことです それ以外のことは私の問題です さて 集合的な望みにおける悩みは 大変異なるものであるべきです あなたの清浄を 実証するのに あなたの清浄に 良い香りをもたせるのに アテンションは 違う側にあるべきです あなたは私と向かい合っているのではなく 私と共に全世界に向いているのです すべての姿勢が 変わるでしょう その姿勢は“私が何を 与えられるか”にあるべきです “どうやって与えられるか” “与えることにおいて どこが至らないのか” “私はもっと 敏感でないといけない” “私のアテンションは どこにあるのか” “自分に対して敏感でないといけない 私は何をしているのか” “私の責任は何か” あなたは純粋であることを望むべきで 純粋な望みであるべきです つまりスピリットであるべきです 自身の責任は 何であるかです あなた自身の責任が表れないといけない 完全にならないといけないと望むべきです そしてこのサハジャ ヨガに 対するあなたの責任です サハジャ ヨガに対する 責任は何かです それは始まっている神の仕事であり あなたは私の手であるということです 神の仕事を しないといけません 神に反する要素 悪魔的な要素と 戦わなければいけません あなたはもはや 家族に責任はありません でなければ生半可なヨギで 何の役にも立ちません 脱落して 家族も苦しむでしょう 今 選別が始まるほどの力が 結集しているからです あなたはスピリットになることに 責任があります あなたはサハジャ ヨガに 責任があります あなたは私をもっともっと 理解する責任があります 自身のメカニズムを 理解する責任があります このメカニズムがいかに全てを うまくいかせるか理解する責任があります あなたの責任はいかに 自身のグルになるかです あなたの責任はいかに品位ある 称賛に値する者になるかです 立派な者になることで 安っぽい者にならないということです あなた達ひとりひとりが 宇宙に匹敵するほどの価値があります もしあなたがその高みまで 上昇したければです 宇宙という宇宙を あなたの足元に投げ出せます あなたがその高みまで 上昇したければ その大きさを あなたの中に育むことができます しかし低いレベルでまだ生きていたい者は 上昇することはできません 例えば西洋の サハジャ ヨギ達は お母さんに対して 罪を犯すという問題を持っています 東洋のサハジャ ヨギはお父さんに対して 罪を犯すという問題を持っています そこから抜け出すのは あなたにとって全く難しいことではありません アテンションは純粋に 保たれなければいけません いかにアテンションを 純粋に保てるかについて あなたはサハジャ ヨガの あらゆる方法を知っています アテンションが純粋でなければ この望みは 自分の成長に何の意味もない 無意味なことに常に攻撃されるでしょう 良いサハジャ ヨギは服装や 自分について人が何を言っているか どんな態度かは気にしません それらに注意はありません 人に対する 批判はありません 他者への攻撃性もありません なぜなら 他の者は存在しないからです しかし問題は 私の言うことが自分のことだと 思わないことです 攻撃的な者は攻撃的でない者について考え 攻撃的でない者もまた同じです 攻撃的な者について言えば 自分のこと ではなく攻撃的な者について考えます あなたはすぐに 自分の注意を他の者に移します 他の者の欠点を探します するとこの望みは次第に低く 低く さらに低くなります それに課される負担のためです 注意深さが重要です 完全は注意深さ サタルカタ 自分の純粋な望みを保つために 自分の注意をしっかりさせておくことです 望みはあなたのハートから来ます あなたのブランマランドラも ハートであるようにできています きれいなハートがなければ きれいに保てません サハジャ ヨガについて偉そうに話せば 自分は大丈夫だと思っている者がいます 彼らは自分自身を 騙しているのです ハートが開いていなければ ここは閉じてしまいます ですからあなたのハートを投影することで 開いておきなさい それを投影するのです 今日のこのプージャで マハ カリの崇拝をする この特別なヤグニャをすることで 私たちが確実にオーラをつくり 宇宙を啓発することを願います あなたの見解は これにどれぐらい貢献できたかにあります “まだ他の人のことを 考えているか” “自分の小さなつまらない問題 について考えているか” “あるいは自分のスピリット について考えているか” 左側はシュリ ガネーシャで始まり シュリ ガネーシャで終わります シュリ ガネーシャは たったひとつ基本的な本質があります 完全にお母さんにサレンダーしていて 他の神を知らないということです 父親も知りません 自分の母親しか知りません 彼女に完全にサレンダーしています この純粋な望みには 実践的な面も必要ですが それについては後日 プージャをするにあたってお話します しかし今日はスピリットになるという 純粋な望みを確立しましょう 西洋の考えからいくと “どうやってそれを得るのか”と尋ねるでしょう その方法について 常に考えるのです お話しましょう とても簡単なことです アディ シャンカラチャリアは 多くの本を書きました しかし多くの知識人達は 彼の人生を苦しめました そして彼らは どうしてなのかと問うのです 彼はこれらの人達を 忘れなさいと言っています 彼はお母さんについての 説明を書きました 彼女への献身を綴り 彼が書いた連句はすべてマントラでした それは精神でする 頭でする サレンダーではなく ハートでサレンダーすることでした それは完全にあなたのハートを サレンダーすることなのです ネガティビティの攻撃を 受け続けてきたことは 西洋のサハジャ ヨギ達は よく知っています 特にフロイトのような ひどい人が 人々の基礎 人々のルーツ(根本)を 破壊しに来ました いかに西洋人がそれを 盲目的に受け入れたか 彼らを地獄の道へと 陥れるものだったか それらは 取り除かれるべきです それらは無意味で間違っていて 完全に神に反しています 私たちのお母さんは 崇高な 気高い 養う 上昇させる 解放させる 全ての源であり これが私たちの基礎 根本を 破壊することである とあなたが言うことで 完全に戦うことができると 気付くでしょう 人間を動物のような生き物として見なし 低いレベルに貶めることで 彼は私たちを 根本から引き裂こうとしたのです あなた方に降り注いだ攻撃を 理解することは大切です それらのいかなるものとも 同一視しないことです あなた方はこの国に新芽を見るためでなく 根を見出すために来ました 西洋的な態度を変えなさい 電話は良くありません ここでは電話をかけられません 郵便もひどいです 私たちは鉄道を使ってはいますが 鉄道は最悪です しかし人々はすばらしいです ダルマを知っています 彼らはクンダリーニのおかげで 攻撃されませんでした 攻撃されないように ガネーシャが座っています このマハラシュトラには 彼らを守る八つのガネーシャがあります これを知っているか 分かりませんが またマルティが多くいます 誰がこの国を 攻撃できるでしょう 彼らが金銭主義である以外は ネガティブな攻撃はありません それが唯一の災いであり それから抜け出せれば偉大な人たちです ですから私たちはこの国に 西洋の快適さを楽しむためではなく スピリットの安らぎを 楽しむために来ました インドに対する考えを 変えないといけません インド航空で来なさいと 言っているのではありません サハジャ ヨギだからと インド航空で来るのは間違いです サハジャ ヨガとは 関係ありません あらゆる鉄道 すべてのものは サハジャ ヨガとは関係ありません 愛国主義でもって自国の 航空会社を使ってください ここに着くと人々が 純真であると気づくでしょう 彼らはフロイトを 理解できません この観点でいうと 高いレベルの人達です 攻撃されていないからです あなたは攻撃されたにもかかわらず そこから抜け出しました そして顔をそむけ 違うところにいるのです とてもすばらしいことです 同じように信じる者が この国には多くいて あなたを支える人口があることに 自信が持てるでしょう 当惑することはありません 今日 このマハ カリの プージャを始めないといけません またガウリの日 であるとも言えます 今日はガネーシャ ガウリの日です シデュの暦によると違うかもしれませんが 私によるとそうです もっと精妙なレベルで 純粋になる望み そして 内にあるあらゆる障害や不純なものを 浄化する望みを確立しましょう 偉大なサハジャ ヨギになる 望みです 責任あるサハジャ ヨギ になる望みです あなたのお母さんに サレンダーする望みです 難しいことではありません 最後の望みは簡単です 何をサレンダーするかですが あなたが私の愛を受け入れる以外は 私は何も望みません サレンダーとはハートを開き 私の愛を受け入れることです エゴを捨てなさい それだけです うまくいくでしょう うまくいくと確信しています 私はあなたのハートに 私自身を入り込ませようとしています そして私は確実に そこに座すでしょう マハ カリは泣くという 特別な能力を持っています レフト サイドにいるからです どうすることもできない時や行動に移すことが できない時 彼女は泣きます これはマハ カリの 唯一の現れです 望みが叶えられないと ただ泣くのです それはどうしようもないときに 彼女ができる唯一のことです そして時折 愛に満ちている時 あなた方がここに来て 多くの人が座っているのを見ると 彼女は自身をハートすべてで 十分に表現できず 歓びに涙を流します 今日のプージャで 神のご加護がありますように みなさんがこのことを 十分に受け入れ 自分の中に 精妙な中でも 最高の精妙さや感受性 そして歓びへと極まる愛を目覚めさせる ことができるように願っています 歓びの香りへと花咲く愛が 今日のプージャで表れますように 神のご加護がありますように […]

Mahashivaratri Puja New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja
シヴァは永遠で常在するのに なぜその誕生を祝うのでしょう 今日祝うのは 地上でのシヴァの確立で 物質的な自己にあります 全ての物質は神格によって創られ そこに神が宿ります なのでアディシャクティは まずシヴァを確立しようとしました 究極の存在であるシヴァ抜きでは 何も確立しないからです なのでシヴァを確立しなければなりませんが どうすればよいのでしょう 彼はタモ グナの神です 冷たく 静的なもの全ての神です まず 地球は熱い太陽から 離れた月の近くに置かれます 月はシヴァの義兄です 地球は月に近づき 氷に覆われるようになりました それから次第に 太陽の方に近づいていきました すると氷が溶けだします それでも氷が溶けずに残る その場所でシヴァが確立されました その地点は今もあり それがカイラスです 溶けずにある氷は シヴァの顔のように 目や鼻など年中はっきりと 形が見えます シヴァは このようにして創られ 地上で起こること全てを 観ずる存在としています 宇宙のクンダリーニである インドのある南を向いています 彼は両手を このようにして南を向き アディ クンダリーニの スペクタクルを観ている そのように創られました 宇宙のハートは イギリスですが シヴァはサハスララに座していて そこが彼の玉座なのです シヴァはあなたのハートに 宿っていても 彼の座は頭頂で そこからすべての身体を 観ています だから脚は南 頭は北 左手は東で 右手は西です このように宇宙が創られたと 見ることができます 立たないで座っていなさい 写真をとらないで 私の話を 注意して聞きなさい 瞑想的に聞くのです 私の話を最大限 役立てたいでしょう 瞑想的に聞きなさい そうすればはっきりと聞けます なにかせず 瞑想することです なのであなたは 目撃者として南を向いています 誰かが南の人は南枕で 寝る人がいると聞きました するとシヴァに足を向け 寝ることに なります カイラスは北ですね なのに何故脚を 北に向けるのでしょう 理屈にあいません ブラミンが言ったからといって 反対のことをしているのです ブラミンからこの国が 守られるといいのですが ブラマ(神)のことを 知らないくせに聖職者でいます 彼らが本物であれば 必ずこの国を治める用になると思います シヴァが物質において まず確立されるなら 私達においても同様で 胎児が形成されるとき シヴァの確立によって心拍が起こります シヴァが確立された というサインです 心臓に問題がある場合 シヴァの確立が 不完全であると言わざるを得ません 悪い人ということではなく 長生きする運命ではなく 後世で別の心臓を 持つのかもしれません もしくは前世で何らかの問題が あったのかもしれませんが シヴァの原理に 注意を払えば治ります 最も大切な臓器は 心臓です 心臓が止まれば 存在することができません なので アトゥマであるシヴァを 大切にすることが最重要です 私達は些細な 世事にかまけています あれこれと心配し スピリットに関心を向けません それが私達の 最大の問題です スピリットに 注意を払えば 全宇宙が歓びそのものである パラブラマと共鳴しだします ですがスピリットに注意を払わずに 人生を楽しもうと思ってもできません 無意味な事に囚われて スピリットを忘れていては人生を楽しめません 完全な静寂はスピリット以外からは 得られないのです 内なるスピリットが 目覚めると 静寂が働きだしてリラックスして 自分自身でいられるようになります 問題はなく 普通人が求めるものを求めず 自分自身と共にありたいと 思うでしょう ただ 同じようにスピリットを見つけた 他のサハジャ ヨギを求め ハートに宿る スピリットの交流をするでしょう スピリットは私達の内なる普遍性で 合一により普遍的な意識をもたらします シヴァやその原理には 多くの性質があり 全てはお伝えしませんが もう一つの次元があります シヴァの原理を持っている人は 冷静なタイプだということです そのような人は 熱いヴァイブレーションではなく 活動的なタイプでなく 極めて冷静な性質を発達させます 低血圧であったり スピリチュアルな性質を持ちすぎるゆえ 下痢気味だったり するかもしれません レフトサイドの作用で 愛の側に立つ人かもしれない レフトサイドはいわゆるカパの側で 粘液質のことです レフトサイドなので 風邪をひきやすいタイプです このような人は風邪などから 身を守る方法を サハジャ ヨガで 学ぶ必要があります スピリット自体は 健康問題を超越しています ですが スピリットの事ばかり考える レフトサイドな人は偏ってくるので この世に生きるなら バランスが必要です 自身のスピリチュアルな成長のための 活動に従事する事です スピリチュアルに成長した人が シヴァの原理で地上に生活することはできません バランスのとれた 性質でいなければなりません そのバランスが発達すると スピリットがハートから頭頂に登ります これが第2段階で ここは集合性 コレクティヴィティです 愛と情を中枢神経に注ぎ込んで 頭頂のヴィラータに導くと あなたの集合的な存在から 愛が広がり始めます そうなって初めて あなたは十全な人格となります でなければシヴァの原理は 宇宙の存在と無関係に存在しています シヴァの原理の重力に 宇宙は存在し 消滅していきます スピリチュアルな渇望を持つ者は 自身のシヴァをハートから頭頂へあげて 自分をサハスララの ディタッチした在り方に導くべきです 完全なバランスとは どこにあるでしょう サハジャ ヨガでは多くの人が 優しく 愛を持った良い人達です 例えばデリーでは ムンバイの人のようにきつくありません ムンバイの人はきついし プーナの人はもっときついです ですが ムンバイや プーナのヨギは深いのです 彼らは同情心のような感情を超えて 少しバランスをとれているからです “人にきつくしてはダメです不親切にしないで” という態度も変な場合があります 例えば昨日は私も 皆と同じ場所で寝ました ムンバイやプーナだったら 話し声は全く聞こえません ライオンやトラがいる森のように 静まり返るでしょう トラがいれば 何マイルも手前から 分かります 静まり返っているからです それがデリーでは 皆が話しています お金のことなどペチャクチャとしゃべり 外国からのヨギもそれに参加します 驚くほどです なぜあんなにいつも お喋りするのでしょう 逆に 私が寝ているときには 皆座って瞑想をするべきです なのに 無意味な話をしています 皆がペチャクチャと喋っていて どうしたら良いのでしょう 同情的な態度をもつかぎり 話し続けるのです “仕事でこんな問題があって”とか “私も同じですよ 彼らはダメですよね 他にも問題あったらしいですよ”とか サハジャ ヨガに 無関係な話をしています サハジャ ヨガの話ですら 私の前で話すべきではありません このような態度はサハジャ ヨギに 相応しくないとお願いしなければなりません 私の前で口を開くことすら 良くありません 詳細には 立ち入りたくありませんが シヴァの原理をハートから上げるには たくさんのことを学ぶ必要があります あなた方は人を歓ばせ まとめることには 長けているし 口論もありません ムンバイやプーナの サハジャ ヨギたちは口論好きです でもプーナやムンバイのサハジャ ヨギたちは 個人としての深みに到達しました 彼らは次に ハートに 少し帰ってくる段階です 彼らはちょっと人に厳しすぎるので 次の段階はそうなるのです ただ ある程度の厳しさが 必要なのです 例えば“マザーのおみ足に 触ってはいけません”と言われたら 悪い気がしますが 世俗的にはそうなります それが“私の足に触らないで下さい” と私が言ったら それに従い 自分ではなく 私を歓ばせるべきです “彼らは初めてなので これを言わないほうが良いです” という迎合的なアテンションを変えなさい やりなさい でないと私をアプラサンナにして それが問題を引き起こすことになります プーナやムンバイの マラティ語のようにきつくでなく ちゃんとしたウルドゥ語のように 人を不快にさせないようにしつつ 言うことは 言わなければいけません 私の邪魔をするようにしないで下さい きちんとするように伝えるべきです 自分に深く入るために 一人になり 瞑想と黙想に入りなさい デリーのヨギが皆そうだとはいいませんし ここでは組織運営が上手で ムンバイやプーネのヨギは 学ぶ必要があります 皆が口論し 飽き飽きします お互いをすり減らすのも 気に入りません でも 個人としては 彼らは良いので 個人的になります 個人的な人と社会的な人がいて 両極端になりがちです サハジャ ヨギはどうすべきでしょう マザー依存症になるべきです マザーが好むことをするべきです 分かりますか 世間や個人を 喜ばせる必要はなく マザーを歓ばせるというシンプルな事で アディシャンカラチャリヤが言ったことです “何がマザーを歓ばせるか” を学問にしなさい 分かりますか シヴァの原理として 私を歓ばせるのはたやすいことです 間違いをして 耳を引っ張っても大丈夫です でも やり過ぎないように 間違うのはいいけれど 当前と思い 間違え続けてはいけません 長いロープを掴んでも 結局それで首をつってしまうでしょう だからロープを与えられたら 却って気をつけないといけません 世間や自分の意見に こだわるべきではありません どちらも間違いです 私の中の全ての神格を 歓ばせるように振る舞いなさい 私は存在しないのです 信じて下さい 私は多くの存在の 集合にすぎません 宇宙にも この体にも 私は見当たりません たまに“これは一体何か” と思います 外部として感じられます でも そこに行き渡り 楽しみ 生活する一方 私はそこに存在せず どこにもいない 何がマザーを歓ばせるかを理解しようとすれば 私の望むような威厳を持てるでしょう 私の望むように 歓びを感じられるでしょう 私の与えるヴァイブレーションを さらに得る能力をえられるでしょう 何であれ あなたが自分に 良いことをすれば私は歓びます ただ 自分に良いことを自分流に考えて また個人主義になるかもしれません もしくは世間に 迎合するかもしれない 私が午後7時前に プログラムを予定しないように言うと 都合が合わないと言うかもしれませんが 私に合うかどうかが問題なのです 私にしか できないことがあるからです それをできる時間は 決まっています 私の予定をあなたの都合に 合わせないでください 午前11時以前に 予定すべきではありません 早朝5時であれば 良いですが ある時間は別の目的に 使わなければならないのです 何であれ私に合わせることが あなたの善につながるのです それが最も効果的です あなたのために 私のトリックを教えてあげているのです しかし働く人は 来られないだろうと言うのです 来なくて良いのです 7時に映画があれば 彼らは行くのではないですか だったらなぜ安易にマザーを 彼らの都合に合わさせるのでしょう 人が少なければ そのほうがずっといいのです そのほうが 天国がゆったりします 私を安売りしてはなりません 理解するべきです マザーの威厳を保ちなさい 皆や世間を 助ける必要はありますが でないと ゴミの駆除ができません 捨てるべきものが 沢山あります ゴミの部分を 心配しないで下さい 最良のものを選びますが その際にきつい話し方をしないことです “どけどけどけ” と 話すべきではありません 話し方を変えなさい どう柔らかく話すかを 皆に教えなさい これは大切で さもなくば最後は 聖人をも侮辱してしまうかもしれません だからやめるべきです 分かりなさい あなたは人前で 正しい概念 行い 態度と知識を 示すことができます 正しい理性ではなく 絶対的な正しさです シヴァは絶対で 絶対的知識を与え 私の歓ばせ方を知っています 私を不快になるその瞬間に 劇を中断します 彼は私のために それを観察しています ダメだと思ったら 劇を止めて “中止です 終わりなさい” シヴァは観察者と言いましたが 裁判官でもあります なのでちゃんとしなさい 私はシヴァを 歓ばせるようにしています シヴァのもとで 宇宙が良き場所であり あなたが約束された 永遠の生を得られるように でも何がマザーを歓ばせるか 理解しなさい 私をじっと見つめる者もいます それもいけません 目を伏せなさい 馬鹿げた行いです 馬鹿げているだけでなく 私を歓ばせません あなたもそうされれば 同じでしょう 私はあなたを 歓ばせようとしています どうやって歓ばせるか 私から学びなさい もちろん 私のようにはできません “マザー そこに行ったら馬をもらって・・・” と話しても 自己を達成できません 私はあなたの問題を解決できますが あなたは私の問題を解決できません あなたを歓ばせるのは 容易いです どんな仕方でも良かれと思って 人を不快にしないことです 特別なことを する必要はないのです この簡単な事が分かれば よかれと思って 私を不快にさせることもないでしょう 特別な事をする必要はなく 優しく 愛を持っていれば 私はいいのです そもそも私は上機嫌なので あなたに満足です いかにこれらを乗り越えて 何を達成すべきかですが 今のところデリーの人はハートから サハスララに行く必要があります ムンバイやプーナの人は ハートに戻る必要があります ラフリの人は ちょうどあいだと思います ちょうど中間です オーガナイズ上手だし 個人としても私に問題事をつくりません ラフリがおそらく 私のメッカかもしれません でも誰でもそうなれるのです 皆が伝え合い 教え合い 高め合えるのです 自分を本当に愛し 進化させようと思えば自然にできます 本当にしたければ 何かする必要はありません 次第に上手くいき バランスがとれてくるでしょう おしゃべりな人は あまり喋っていはいけません しゃべりすぎるなら 話を終えたらやめるべきです 必要なときに話し 必要なければ話さないことです そのような人格を 育てることができます どこまで話し どこには触れないかの知恵です やらない というのが シヴァの性質です 彼は何をせず 座って全ての喜劇を観ています 彼は何もせず 観ずる方なのです 彼が観るのをやめれば 劇は全ておわりです 何もしないことで 彼がどれほどしているか分かりますか その対比を見なさい 彼は皆を踊らせて 楽しんでいます 同じように あなたにも両面があります サハジャ ヨギとして そのバランスを達成できます それはあなたの善や進化 発展のためです さあ今日は 全てに浸透するシヴァの原理を 個々に伸ばすチャンスです カビラは美しい詩句に 表しました “私は愛を起こし 取り出して その波動を5大要素に注ぎ込む” と 偉大さが 分かるでしょう 彼は心から取り出して 5大要素に注ぎ込むのです これこそが サハジャ ヨガです これが分かれば 他に何も分かる必要がありません ハートにおいてそれを得たら 心の資本家となり 外では社会主義になります このバランスをきちんと 取れるようになれば終わりです できます 皆でやりましょう そして世界に それができると示すのです いわゆる普通の人が 非凡になれます 今日はそれをサハジャにすると 決意しなさい 常に自分を見続ければ 分かるでしょう 自分に言い訳しないことです そこがポイントではなく そういうのは馬鹿げています 自分に挑戦しなさい “どうしてこんなことになったのか”と そうして自分をワークアウトできます 力があるのだから間違いありません あなたのスピリチュアルな そしてコレクディブな成長を私は祝福します どちらも大切です コレクティブなしにスピリチュアルな 成長をしても意味がありませんし スピリチュアルな成長なしに コレクティブがあっても意味がありません 両者を統合しなさい シヴァをヴィラータに持っていき そこで確立するのです やりなさい これさえ分かれば 人との関係も末永く 実りある 良好なものになるでしょう そしてサハジャ ヨギの人生の質が すばらしいものとなります 神の祝福を […]

Birthday Puja, Understanding Sahaja Yoga Through Heart (India)

54th Birthday Puja, Understanding Sahaja Yoga Through Heart, Mumbai (India), March 21st, 1977
誇り高いサハジャヨギたち ヴァイディヤ判事 そして奥様 バクシさんとドゥマルさん 考古学者であるガヴィン ブラウンさん ヒンディー学教授である プラミタ シャルマさん カビール研究者でもあります 地理学者のジェーン ブラウンさん 皆ケンブリッジ大学の方々です 副議長のザクレさん 素晴らしい歌手であるショバ ゴトゥさん 遠方からわざわざ駆けつけてくれて 私は歌うことしかできないので バジャンを2曲歌わせてくださいと ここに集まってくれたサハジャ ヨギ達 他のご列席頂いた皆様 私の誕生日を祝って下さり 大変感謝しています 喜びで胸が一杯です このカリユガの時代に母なる存在に ヴァイブレーションを与える存在に 感謝する人がいることに 涙を禁じ得ません 実際私が与えているわけでなく ただ私から放たれるもので それが スワバヴァ 私の資質なのです どうすることもできないのです そうであるべき存在で 他にはあり得ません そのように働き続けます あなた方を愛することも 私のコントロールを越えています 人々がどうして憎むのかわかりません 私は皆を愛する時間が足りません 24時間は短すぎます どうして人が憎しみでもって冷徹に 他者を操ろうとするのかわかりません 憎しみは他者もろとも自分を破壊します 今日の佳き日に いつも愛について 考えるようお願いします 愛が知識の全てであり 知識は愛です それを越えるものはありません 知識を有するなら 愛の試験に合格しなければなりません 誰かを知っているだけなら 外面だけなので 記憶に残りませんが その人を愛するなら 全てがわかります 全てがわかります こういった知識を パラナレッジといって それを求めるべきなのです どんな書物も それを示しているだけです それら書物は単に布石であって 先に進みなさいと告げるだけです 神の王国に招き入れてはくれません 皆さんがそのレベルにまで 上がるようお願いします 自身の内なる神 神の愛を理解する事です あなたの内にあり 流れ出そうとしています そして与えることを 楽しもうとしています 与えることに 最大の喜びがあります 奪うことには喜びがありません 与えられると与えるようになります ドゥマルがいかにラフリで 働きかけたか聞いたでしょう ラフリ大学に行った際 近所の村民は車のルートを 知っていました 彼らは普通の村民でヨガについて 読んだこともありません ヴァイブレーション以外は何も 分かりません 自分の感覚の 主観的な知識です 言葉にできない 主観的体験です 指先から全身 存在で感じる神の恩恵です それに車に乗っていて 引かれる感じがありました 沢山の人が沿道に立って 車を止める人もいて ジェイ! […]