Birthday Puja New Delhi (India)

Puja for the 79th Birthday, Delhi (India), 21 March 2002. English part
愛について話しています 全能の神の全てを遍く 包み込む愛についてです それは全てを産みだし 全ては愛の空気で 満たされています しかしそれは子どものように 純粋な者にだけ可能で あなたが非常に憎しみに満ちているなら 誰もあなたを救えません 憎しみを正当化するのに 十回でも議論をするでしょう 正当化するために どこまででもいってしまいます 私たちの国は穏健で 平和な国とされていますが 殺人だけを 信じるような人がいます このようなことは全く信じなかったこの国が 長いあいだ暴力に溺れていますが 基本的に私たちは 平和を信じる国民です 平和なくして 成長は起こりえないからです 完全な平和が必要です 内に平和が宿れば 平和な環境にあれば 美しい国民に育つでしょう 怖れからでも 圧力からでもなく あなたの内なる完全な 平和が胸にあれば 怖れていないというだけではなく 平和を醸し出します 平和を与えます そういった者の近くに行く人は 誰でも穏やかな感じを持ちます あなた方は皆サハジャ ヨギで リアリゼーションを得ています つまりスピリットが平穏さと喜びの ヴァイブレーションを発しているということです どこにいても穏やかな ヴァイブレーションを発するでしょう 平和をつくりだすのです 如何に平和をつくり出すか 平和な 雰囲気を確立するか見いだすでしょう 私たちが平和をつくり 平和を他人に与えるような 模範となるよう成長していく ことが非常に重要です このデリーでこんなに多くのリアライズ ソールをもてるとは信じられません 期待していませんでした まず 私は 人々の心が私の仕事を理解できる状態に なるのを待たなければなりませんでした なぜなら私たちは国の分断を体験し 多くが命を落とし 財産を失いました 私はそれに直面し 目撃しました 彼らは本当に 他の人を許せませんでした 許しは他者の痛みや困難を理解するために 非常に良い方法ですが この深みを まずあなたは 開発しなければなりません 怒ったり 復讐的になったりするかわりに 聖なる愛を通して 心の平穏を持つことができれば 何かを特別にする必要など ないのです 今やあなたが胸に宿しているのは 平穏さだけです それをただ感じなさい あなたは平穏な人で 簡単に気分を害したり 人の気分を害するために腹をたてることに 対して言い訳をしたりしないでしょう あなたはこれらの怒りやばかげた復讐心など 全てを超越した者です リアライズ ソールでない人たちに 説明するのは難しいです 彼らはそれを 好まないからです リアリゼーションを得れば 話せます 最良なのは サハジャ ヨガを広めることです シーク教徒 イスラム教徒 キリスト教徒… […]

Mahashivaratri Puja, Surrender New Delhi (India)

Mahashivaratri Puja. Delhi (India), 14 March 1994.

シヴァの崇拝に世界中から皆が集まり とても喜ばしいです 実は今日はサダシヴァの崇拝をします ご存じのようにサダシヴァはシヴァとは違います サダシヴァとは全能の神であり 原初の母によるドラマを観る方です サダシヴァと原初の母であるアディシャクティの関係は 月と月光や太陽と陽光のようで 人間同士の関係や婚姻では 理解できません アディシャクティが創造するのは何であれ サダシヴァの望みであり 彼によって観られるのです しかも彼が創造を観る際は 完全に細部まで観ます 全宇宙を観ていると同時に 母なる大地も観ていて アディシャクティによる全創造を観ています 彼の力は観ることであり アディシャクティの力は 偏在する愛の力です 原初の父ともいえる全能の 神の望みである イッチャシャクティが 原初の母として現れます そして彼女は自らの力を 愛として表現します このように両者の関係は極めて 理解があり、とても深いものです 何であれ彼女の創造で 何か問題を見つけたり 彼女の仕事を邪魔しようとする 神の仕事を邪魔する人が 神でもないのにエゴを振りまくなら 彼が破滅をもたらします 彼が破壊の力の源なのです 彼は人間のハートに反映しています 全ての創造の中に彼は脈打っています でもその脈、拍動は原初の母の力です そして彼はそのアディシャクティの計画に 反するもの全てを破壊できます アディシャクティは愛であり 彼女は許し 愛します 自らの創造を愛し 想像が繁栄することを願っています そして創造されたレベルに到達するように 願っています 彼女は人間が神の王国 サダシヴァの王国へ 入れるよう願っています そこには恩寵と許し そして歓びがあります これはあなたが探求して そこに行きたいと望みさえすれば できるものです この望みは原初の母性の反映として 私たちの中にあります この望みと同時に世俗的な望みもあり それがあなたの上昇を止めます サハジャヨガでは決して 出家したり世俗を捨てたりすることで 欲を乗り越えようとはしません 過去に説かれたような手法も使いません まずスピリットの光を得たのです スピリットがサダシヴァの反映で この光で彼は道を示し 示し続けます スピリットは道を照らすために 燃えている光のようです その道中において あなたはとても賢くなり 英知と善の光の中を進むのです 破壊的なものは何であれ スピリットの光で見えるからです あなたは破壊的なことは全て 諦めだすでしょう 誰かにあれこれしてはいけないと 言われる必要はありません あなた自身がそれが間違っていると分かり 止めようと思うのです これが私独自の人間理解でした 今日では人間は完全に幻の中にいて ただ生きるためにもがいて争っています こんな状況ではどんなことをしたところで 世俗を去ってヒマラヤに行ったりしても失敗するでしょう 大衆にそれをするなら 抜本的な何かをしなければなりません 幸運にも私はその方法を見つけました まずは種を発芽させ リアリゼーションを得るのです リアリゼーションを得た人でも まだ学ばねばなりません リアリゼーションを得た人は多くて 数えたことがないので 何人かは分かりませんが まだ彼らにも放棄がたりません 口にするのも恥ずかしいですが それが事実です 現代のサハジャヨガは 放棄さえすればという状況です 自分の理解や別のやり方をし始めても サハジャヨガは理解できません 放棄しなさい イスラムという言葉が表すように 放棄するのです そしてその放棄なくして 神の大国に入れる者はいません 放棄とは家族や子供を捨てることではありません 家や財産を捨てることでもなくて 放棄とは まずはエゴを捨てること そしてコンディショニングを 捨てることです 例えば先日 苦しんでいる ある男性に会いました 彼にあなたの指導者は誰なのか聞いて言いました 彼はあなたに何も良いことをしてないです 彼のもとを去ってはどうでしょうと 明日そうしますというので なぜ今日でないのというと 今日彼に関するモノを捨てて 「明日の朝そうします」 「よろしい そうしなさい」 「マザー 何を捨てればいいですか」 「彼を崇拝するための全ての物を とにかくすべて捨てなさい」 そして彼は家に戻って家中にある 崇拝の用具を集めて海に捨てました そして海に言いました 「すみません 「私はこの男のせいでひどい思いをしました あなたは苦しみませんように」 このような染みわたるような知性がない限り 放棄できないものです 人はしがみつき続けるものです コンディショニングがなかなか取れない人を わたしは何人も知っています エゴよりも難しいものです 日常のコンディショニングと あなたの状況のはからいがあります まず生まれのコンディショニングがあります インドとかイギリスとかです サハジャヨガにくると殆どの人が 自国や国民のどこが悪いか 分かり始めます 自分たちの宗教や読んできた本のどこが悪いか すぐにハッキリと見つけ出して これが間違っているとかダメだと理解します それを皆からかいます 世界中の人がそうします だれも自分が英国人だから最高だとか ロシア人だから最高だとか インド人が最高とは思いません 彼らのどこに問題があるかを探し出し どうしてリアリゼーションを得ないかを 理解します その一方でとても慈悲深くなって 「マザー 多くの人がまだリアリゼーションをもらっていません」 「ぜひ彼らにリアリゼーションをあげましょう」と これは光の二重の作用です まず自分が光を得てそれを自覚している だから何であれ注意を向ければ現実が見えます するとこれは自分の国や社会のコンディショニングだとか 理解できるのです するとそれを嫌うようになり 自分から引き離します でもまずはお伝えしたように サレンダリング 放棄です 放棄によってある意識状態になり 内側から世俗を離れるのです あなたは何にも支配されなくなります サニャーシとは 世俗を超越している者という意味で 何も彼には張り付きません 彼が何かを見れば その本質が分かります 彼はすべを知っているとは言わない かもしれませんが間違いを犯しません とても無執着なので それによって 自分の間違いを見ることができます 彼は自分の家族や周囲を観察しだして あらゆる場所で何が悪いかを観ます 驚くことに自分とすら同一化しません トルコに行ったときに ある大きなスイスのホテルを経営している紳士に会いました 彼は私のところに来て言いました 「マザー 私にリアリゼーションを与えてください」と スイスではリアリゼーションを欲しがる ような人に会ったことがなかったから とても驚きました まさかトルコで会うとは 私がリアリゼーション与えると 「私はスイスに戻りません」 と言いました 想像してみなさい とても明確ですね この光があなたに偉大な知恵と バランスを与えるのです 例えば道を歩いていて足元が見えなければ 転んでしまうかもしれませんが 少しでも光があれば見えるのです これがサハジャヨガがしたことで あなたは光を授かったのです その少しの光であなたが多くのことを 放棄するのに十分でした 反対側はエゴの方です 人間のエゴはとても精妙なものです どうやって発達したのか分かりませんが あるのは事実で ちょっとしたことでいきり立つ 単純なエゴの人もいます 小さなことで怒ったり 誰か支配できる人を見つけると 支配的になります これを見つけたら 自分を笑いなさい 自分はどうしたのかと 考えるのです エゴはコンディショニングのように 外からは来ません 内側からくるもので 原因は何でもでありえます 人間はあらゆる馬鹿げた エゴを持っています ある女性が高慢で笑おうとも しない日がありました 「あの女性はどうしたのですか」 と尋ねると 「彼女は人形作りが上手だから尊大なんです」と 「ただの人形づくりで鼻にかけるなんて」 「そうなんです 彼女はそれで威張っているんです」 「だれでも人形くらい作れるのに 何を鼻にかけているんでしょう」 「でも本人はそれがすごいと 思っているんです」という具合です このように人はどんどん馬鹿になれます それがエゴを持つ人のサインです あまりに馬鹿なので話していると 呆気にとられてしまいます 無料で道化師が目の前に来て あれやこれやとお笑いを 見せてくれるのです 驚くべきことです エゴイストは見ると決まって 「私はこれをした 私は 私は」と言っています 当の本人はまたったくの厚顔無恥で 罪深い生活すら平気でしていたりします 女性や酒やあれこれが好きで とても罪深い生活をします そしてそれを自慢します 「あの日はこんなに飲んだ」とか 「5人の女性がいる」とか言い出します エゴイストには恥という概念がありません 意味のないことをただ言ってまわるので 「ああこんな人と話するのか」と 皆が思うのです その上何だって正当化します ある人に「心臓発作を起こしたことがあるから 飲まないほうがいい 飲酒をやめたらどうですか」と言うと 「プーネのキーロスカーという人も 95歳で飲んでいるから」というので 「あなたはキーロスカーさんではないし 彼が飲んでいてもそれで何が得られるというのですか」 「いやいや 飲酒していても成功者ですから」 「飲んでいるから成功しているのですか」 と言いました ごく普通の理性さえないのです 一般的に言ってもどんなに飲む国でも 酔っ払いの像があるのを 見かけたことは決してありません どんな国でも女性がいて飲酒で死んだと 讃えられる国は見かけませんでした 今のところはですが どれだけ人間がエゴを 推し進めるか分かりません 現代ではこのエゴがとても広がっていて 「これが好き これは好きじゃない」 とすぐに言います 「どれが好きじゃないの」 「このサリーが好きじゃない」 「こういうのは好きじゃない こんなのが好き」と でもあなたは何様ですか 人からは見ていても自分で見えていません あなたが好きでも嫌いでも どんな影響があるんでしょう なのに若者の間でよく目にします 「これがいい あれがいい」と これは完全な破滅のサインです エゴはあなたを馬鹿にするだけでは ありません 最近の着飾り方を見てください 「好きだからいいでしょう」 と言い張って やりたい放題しています そのうち頭で歩いても 「好きなんだからいいでしょう」 というかもしれません あらゆる愚行がエゴで説明できます リアリゼーションを得ることができた人は 神に感謝して理解することです これは私のエゴが話していると すると自分を笑ってからかい初めます これはエゴだったなと 一方サハジャヨガには 「まとめ役をしてみたら」と言っても 「マザー私のエゴが出てきてしまうから」 「それは何?」 「エゴがでるからまとめ役はちょっと」と エゴが出ることはあり得ません 例えば何かが燃えていれば それが見えるはずです どうやって自分を燃やすというのでしょう これはサハジャヨガの仕事を 避ける巧妙な言い訳です 「いや、エゴにとらわれるから」と 「だったらやってみて確かめてみなさい」 と私は言ったのです 人を馬鹿で間抜けにする事が沢山あって 今日では一体いくつあるのか分かりません 結婚でもよく見かけます 「私は彼女と結婚しましたが しなかったら良かったと思います」 とか何とか でもその時あなたはどうしたんでしょう 何故その時結婚したのでしょう こういう話を何度も耳にしました あらゆる愚かで馬鹿げたエゴの問題です ハッキリと理解することです このエゴが如何に自分の中で働いて 自分を下げているか 私たちが上昇について語る時は 高次の人生について語っています 私たちはサニャーシとなり 蓮のように池から出て 水面より上に位置するのです 蓮の葉ですら見ずに浸かっていません 私たちもそうなるべきです 托鉢僧のような恰好をする 必要は全くありません でも内面から執着を離れ 注意はそこにあるべきです すると内面と外面の問題点が すぐに見つかるはずです サハジャヨガではどうやってそれを 克服するかも分かっています これはとても効果的で 効率の良いシステムです でもそれを達成するにしても 内面でシヴァになる つまり無執着になる必要があります シヴァは完全に無執着ですから あなたもそうあるべきです その無執着がシヴァの英知を与えます サダシヴァはアディシャクティの 劇を静かに観ています 奢ることもエゴを発達させることもなく 「私の望みの力がどうしているか見てみよう」と ただ観ています でも破壊に関しては 彼が壊したほうが良いとなれば たちまちその部分を壊して取り除きます 私たちも同様になるべきで 人生を大きな場所と見て 自分がどうあるべきかを問いなさい 「だから何だ 自分はサハジャヨギだぞ」 という人を見かけました サハジャヨギであるなら そんな話し方をしてはいけません 合掌して「私はサハジャヨギです」 というべきです あなたの態度や言動全てにおいて 極めて謙虚であるべきです でなければサハジャヨガがあなたに 2重のエゴを与えたことになります ご存知のようにシヴァが無邪気で 素朴で許す方です 彼は悪魔も許します 誰でも平等に許します でも原初の母に逆らうものには 容赦しません この彼の性質を理解しなさい サレンダーとは外面を 放棄してしまうことではありません そこに何があるでしょう 石しかないような場所で何を放棄すると? サレンダーとは自分を完全に浄化して 完全な無執着になることです 無執着でしか上昇できません あるものは病気になり大騒ぎします 「病気になった 私は病気だ 世界が知るべきだ」と サハジャヨギならただ観るのです 確かに自分は病気になった では観てみようと スポーツのように観戦するのです 病気だとして次は何が起こるだろう 熱がいい感じででてきたなあとか 今度は下がってきたとか 遊びながら陽気に気にかけるのです 来たときは熱があったけれど だれも気付かなかったな 結婚に疲れていても 「全然疲れてなさそうだ」と言われたら 「そう 大丈夫」と言うのです こうやって人生で遊ぶべきです それはただの劇なのです そしてそれを智慧の光で観るのです サハジャヨガでは 深刻なことなんて何もありません なのにとても深刻になって 大騒ぎする人がいます 私たちが学ぶべきことは沢山あります シヴァを崇拝する際に彼を讃えます あなたはこうだとかああだとか言います 私を崇拝するときもあなたは同じくします 私は意識していませんが あなたが言うなら良いでしょう そういうならいいでしょう あなたはこうです ああですと シヴァの1000の名前も 女神やヴィシュヌの名前も良いでしょう でもこれらは彼らの名前の崇拝で あなたたち自身はどうでしょう いくつの名前を持てるでしょう プージャでは実際のサンスクリットの 名前を唱えることで それらがあなたの中で目覚めるのです それは間違いありません プージャの後にそう感じるはずですが あなた方はそれを使おうとしません 多くの者がプージャに来ては 神々とおなじ力を授かりますが 終わるころになるともう無くしています どこかに行ってしまいます だからサレンダーには別の側面があります 自覚です サハジャヨギであるという自覚であり それらの力を吸収できるという自覚です つまり一方ではサレンダーし委ねますが 何故委ねるのでしょう 吸収するためです あなたが何かを放棄すれば自然と 何かを取り入れることになります 取り入れたら維持する必要があります そして自分でその力を持っていると 自覚するのです そこで失敗するサハジャヨギが多いです 初めはサハジャヨギ達は 誰も触ろうとしませんでした クンダリーニを上げようともしません そのころには少なくとも50人ほどいたのに 「どうしたものでしょう チャンネルを用意したというのに 指を使うことすら誰もしないなんて これで上手くいくわけがありません 無理です」と言ったものです ナシックでプログラムがあった際に 私もそこから30マイルほどのところに 滞在していました そしたら途中で車が壊れて 他の車も通りかからないし 途方に暮れましたが 待っている大勢の聴衆が 「シュリマタジはいつ来るんですか?」 と聞くものだから とてもプレッシャーを感じて 「それじゃ私達がリアリゼーションを与えます 座ってください」 こうしてリアリゼーションを与えました これがサハジャヨギが初めて 自分の力に気づいて リアリゼーションが与えられると 気づくキッカケになりました こうして皆が与え始めたのです だから自覚が必要です 自分には力があると そしてこれを無駄にせずに 有効利用すると 他者を助け自分だけに取っておかないと そういった自覚が芽生えるべきです かつて船旅の最中 ある船員が冷蔵室に閉じ込められて 肺炎にかかりました そこで船長が私のところに来て この子は肺炎をおこしているから ヘリで搬送しないと行けないと言いました 「私がリアリゼーションを与えたから、 あなたが医師ですよ」というと 「私が」「そう」 「でも必要なら私が行きましょうか」 「いえいえ、私にどうするべきか教えて下さい」 「とにかく彼の胸に手を置きなさい」 「私が?」「そう あなたが!」 彼が手を置くとその子は回復しました 彼は驚きました その後結婚式であった際に 「これは私は誰にでもできるんですか?」 「そう誰にでもできますよ」と でも自覚もなくただ座って 瞑想だとか放棄だとかやっているだけでは 何の役に立つでしょう だからやらないといけないのでうす シヴァの状態を達成したら アディシャクティの仕事をしなさい サハジャヨガ広げたい 上手く機能させたいという望みを持つべきです でもコンディショニングやエゴが あるかもしれないから 注意しなさい 観察することで上手くいきます 沢山できるに違いありません 自分で自覚して動いている人もいます 各国に沢山成し遂げた人がいます だからまずはサレンダーが大切で スピリットやシヴァ サダシヴァの意識になりなさい 第2の意識は他者に思いを寄せることです はじめの方はサンスクリットでヴィヤシティといいます 個人的な獲得という意味です まずは個人として得なさい 次がサマシュティで集団の意味です 集団で機能させる必要があります リアリゼーションすら持っていない人々が 組織を作ってあれやこれや沢山しています あなた達はすべてを持っているのです 他者に与えることが大事で この光を他者に広めるのです […]

Christmas Puja (India)

Christmas Puja (English/Hindi). Ganipatipule (India), 25 December 1990.
今日私たちは キリストの誕生を祝う機会に 恵まれました 彼は馬小屋で生まれました これら全ては あらかじめ計画されていました 大変困難な状況の中 馬小屋で生まれ 裕福な生まれであろうと 貧しい生まれであろうと どんなに困難な状況でも あなたの内に神聖があれば それ自身で輝くということを示しました キリスト教は誤った 逸脱した道を行き キリストの意味を 決して理解しませんでした 無原罪懐胎は彼らにとって ありえないことです ほとんどの者が 神話だと考えています しかしインドでは ガウリが 自らのヴァイブレーションから シュリ ガネーシャを創りました そしてムラダーラの神格と なったと信じられています 受け入れています しかし西洋では 決して受け入れません メンタルな部分が発達しすぎていて それが支配しているからです 恐らくインド人のように 全てを超越する神がいると理解できるほど 成長していないのでしょう 神の概念も メンタルな捉え方です キリスト教のあり方も 正しく導くものではありませんでした 行き詰れば “これは神秘だ”と言います しかし インド人にとって 理解するのは容易いです “神にとって何でも可能である 結局は神だから” “全能だから” スピリットにおける知識より 遥かに低いこのメンタルに留まる姿勢は 平凡で取るに足らない 表面的な知識にあなたを留め 神の偉大さを受け入れさせません 私には祖母がいました 父の叔母です 神に会いに行こうとする者の すばらしい話をしてくれたものです もちろんインドでは 誰でも理解できます どうやって神に会いに行くのか とは誰も言いません 会いに行く途中 道端で 神の賛美を歌う男性に会います “神に会いに行くのかい” と尋ねられ “そうです 何か伝言はありますか” “大丈夫だけど” “食べ物がなくなってきたので 何かいただければと伝えてくれるかい” “それでいいのですね” “神に全てしてもらっているけど 一応伝えてね” 旅を続けると逆立ちや ポーズをしている男性に会いました 彼は“全て試した” “神にいつお目見えできるか 姿を拝見したい” “伝えましょう” 神の下へ行き 仕事を終えると 神は尋ねました “何か伝えることはありますか” “特にありませんが 全てを試した男性に会い” “お目見えしたいと 言っていました” “逆立ちし ポーズをし 教会やモスクで祈りも捧げています” いつ会いにきてくれるか と言ってました 神は“もう少し続けるように と伝えなさい” “簡単ではありません” “サハジャ ヨガが来たら 会えるでしょう” 男はさらに続けました “もう一人会いました 彼は歌いながら楽しんでいました” “食べ物がなくなりそうです と言っていました” “そうなのですか” と神はすぐさま答え “早く行って世話してあげなさい” ”すでに手配しました” “では大丈夫ですね” 彼は理解できませんでした 様々なことをしている男性には 待ちなさいと言い ただ神の歌を歌い 何もしていない男性には なぜ感銘を受けているのか 神は彼が幻にいると 気づき 言いました “戻って二人に 次のことを伝えなさい” “神のところへ行くと 針の穴にラクダを 通しているのを見た と” “本当に言うべきですか” “そのように伝え 反応を見なさい” そして戻って 最初の男性に会い伝えました “神はサハジャ ヨガが来るまで 続けなさいと言っていました” “いつサハジャ ヨガは来るのか” “でも神はいつか来るのだな サハジャ ヨガが来てほしい” 大変落ち込んでいました 彼は“神に会って何を 見たか”と尋ねました “針の穴にラクダを 通していたのを見ました” “できるはずがない” “針の穴にラクダを通すなんて” “大きさをみれば分かることだ 通れないに決まってる” “作り話だ 神に会ったから 自慢しているだけだ” “この馬鹿げた話は信じられん 騙そうとしても無駄だ” 次の男性に会うと 道でおいしそうに食べていました “あなたが着く前に 神が手配してくれたよ” “神は常に面倒を見てくれている そこで何を見たの?” “驚くべきことに全能なる神は 針の穴にラクダを通していましたよ” “驚くこと? 彼は神だよ!” “君も彼は神だと知っているでしょ? 彼は何でもできるんだ” そこで彼は理解しました 神が全能だと 理解しているなら マハラシュトゥラにヒマラヤを動かせる という意味ではありません 全能というのは 最も精妙なことができるということで 人間の頭脳 メンタルな部分で 理解できないことができます 人間が考える 概念を超えるものです これが神なのです 神が人間を創造しました 人間を超越しているはずです 陶芸家が壺を創ったのであれば 壺を超えています 壺は陶芸家を 創ることはできません 壺は陶芸家によって 創られているので 壺より遥かに 力があるはずです しかし これは 信じられないことです 人間の概念を超えています この すばらしいコンピューターを 創造した神の偉大さは理解できません 人は全て 当然のように捉えます 人はわずかな粘土も 創れません 何も創ることができません 石があれば どこかに置くことはできます 粘土があれば 家を建てることはできます 物から物は生み出せます 蝋燭を創れますか バダを燃やす蝋燭です 自分の目で見えるように バダは私の写真の前で 燃えます あなたにできますか 複雑で繊細な機械が いかに作用しているか 人は理解できません 繊細かつダイナミックで 爆発する機械です いかに人間を創り 宇宙を創り これらの美しい 花や木を創ったことか 星をごらんなさい こんなにあります その中から この母なる地球を選びました 人間を創りました いかに創ったことか 自分の息子を送りこむなら どんな方法でもできます これに対して 挑戦することすら 精神が泥の中に 浸かっています ですから いかにガウリから シュリ ガネーシャが生まれたかは 真の聖人のみが 教えられます しかし それを信じるには・・・ まずサハジャ ヨガに来ると 奇跡を見始めます 奇跡が起こると理解できます 起こるべき奇跡があるなら いずれにせよ起こります 何もせずとも起こります それを疑いません 一度疑い始めると 泥の中に埋もれ 人間と同じになります あなたは開花した 蓮の花のようです 根は下にありますが あなたはもう蓮の花です 蓮の花にマハラクシュミの 原理が生まれます マハラクシュミの原理は シタジとして ラーダとして メアリ(聖母マリア)として 地上に来た者です マハラクシュミは海から 生まれたと言われています メアリの意味は何でしょう マリとは海です 彼女は海から生まれました 彼女自身で子どもを創れます 問題はありません 何でも可能です つまり 超えないといけません キリスト教徒は キリスト教を超えないといけません ガネーシャの原理の 化身であるキリストは 大変偉大であると 理解しないといけません ガネーシャがマハヴィシュヌになったことは 大きなことで 理解すべきことです ガネーシャはシヴァの息子です シュリ ガネーシャは 他の何よりもまず始めに 創られました 彼がオムカラだからです オムカラはアディ シャクティが シヴァから分離したことで始まります その音 “タンカル” と呼ばれています そこからオムカラが始まり 彼がオムカラを体現する者です ですからこの音が シュリ ガネーシャの力です それがまず始めに 創られました 神聖を創るためです この神聖が創られたとき 海に様々なものが 創られました そしてキリストとして化身しました マハヴィシュヌとしてです シヴァの息子としてではなく マハヴィシュヌとしてです ヴィシュヌとは誰でしょう シュリ ガネーシャの伯父です 彼の母の兄弟は シュリ ヴィシュヌです 彼はマハヴィシュヌによって 育てられました マハラクシュミは シュリ ガネーシャの原理を用います クンダリーニのチャートではシュリ ガネーシャ が左側イダ ナディと繋がっていて クンダリーニが その上をいくことが分かります つまり彼が その部分を超えます 彼が救世主として来るなら マハラクシュミの息子として 来ないといけませんでした マハラクシュミが彼を キリストとして産まないといけません そしてマハヴィシュヌになりました 神々や女神の家族においては 何でも可能です 彼らは神だからです いかにその領域で これらのことが起こっているか 人間の理解を超えます あなたは 涼しい風として感じられます そして新しいことが あなたに起こっています 神や女神の関係において 不純なことは一切ありません 彼らにおいて 人間的なものは全くありません 彼らは 全てが神聖で純粋です 一度これを理解すると なぜシュリ ガネーシャが マハラクシュミの息子になって キリストとして生まれたか 分かります アギヤに来なければ ならなかったからです 救済としてです ガネーシャとしては 救済はしません 純粋のため 神聖のため 叡智のため そしてまたネガティビティを 破壊するために彼がいるからです しかし彼は 化身しなければいけませんでした 唯一 ガネーシャが この収縮されたチャクラ アギヤ チャクラに 来ることができます ではなぜ収縮されるのでしょう 今日は話しませんが 科学的なことです 収縮されるべきもので さらに収縮されます このアギヤ チャクラは 考えれば考えるほど より左や右に傾き このようになります ですから この大変精妙な領域に 化身できるのはキリストだけです なぜなら彼は精妙の中で 最も精妙な者だからです 原子より精妙です シンメトリックや反シンメトリックな 動きをするヴァイブレーションは 原子よりさらに精妙です そしてこれはより精妙です ですから この収縮した領域において唯一 純真以外何者でもない キリストのような人格が来れます 彼には純真以外の 要素はありません 他の化身には 全ての5つの要素がありますが 彼は純粋なヴァイブレーション 以外の何者でもありません それ故 彼は水面を 歩くことができました 彼の身体には 物質が存在しなかったからです チャイタンニャ以外の 要素はありません オムカラがガネーシャになります 彼女の身体から出てきた チャイタンニャだけです ガネーシャの段階において チャイタンニャはその形に留まりましたが キリストの段階では ありませんでした 後に彼の死や復活といった ドラマが起こりました 彼が私たちの救済に 責任ある者だからです 彼は門だからです 彼は道です ガネーシャだからです オムカラが道です そして彼は門です しかし 彼が最終目的ではありません 彼のお母さんが最終目的です マハラクシュミでもありません マハカリ マハサラスワティでもなく あなたが到達すべき 最終目的はアディ シャクティです これらは聖書に 決して語られていません 彼がほとんど4年しか 公の場に出ていないからです 当時の者は そのことを触れたくありませんでした 知らなかったし 神聖なもの すべてにおいて抑圧があったからです 社会は営利化した制度でした インドにも営利化した 制度がみられます しかしインドにおける唯一の利点は 宗教が組織化していないことです しかし彼らはキリストや 彼の原理を組織化しました 今は彼を 良い人間だと思っています なんということでしょう 今日私たちは オムカラの誕生を祝います 大変大きなことです あなたに理解できるでしょうか 全てに動き・・・ 原子や分子 組織化する化学 周期律や引力 動く全てがこのオムカラです そしてあなたのヴァイブレーションは オムカラ以外の何ものでもありません 実際私の写真において ヴァイブレーションはオムカラとしてきます 人間の頭上には オムカラが描かれています これらの光がオムカラのように 見えるのはなぜでしょうか なぜサハジャ ヨギの頭上に オムカラがあるのでしょう アラビア語でアラーです 私の名前も アラビア語ではそうです これは誰がしているのでしょう 全て彼がしています オムカラ自身が形を採り アディ シャクティについて あなたに納得させます 彼がこれらの力を操ります 彼は写真には入りません トリックをします 写真は 光を通して写されます 光が直線に射すからです しかし彼が望めば 光の道を曲げることができます 他のものに変えることができます 好きにできます そしてあなたを納得させます 彼が言うには “私に対して何であれ我慢できますが” “聖霊に対してはできません” そしてこの聖霊とは アディ シャクティです あなたは彼なしに サハスララに到達できません 全ての戯れにおいて 彼はストゥラダーラです 彼は指揮者です 操り人形の紐を動かす者です プージャをする度に シュリ ガネーシャに祈ることは大切です そのようにして私たちは 主イエス キリストにも祈っています 私たちは彼の吉兆さ 助けなしに サハジャ ヨガをすることはできません 彼は管理人です 私はここに座っています そして彼が管理人です 管理人なしに 私は何をどう話すでしょう 何も起こりません 彼は大変有能です 全てを作用させ 全てを為します […]