クリスマス プージャ Ganapatipule (India)

クリスマス プージャ、1999年12月25日、ガナパティプーレ(インド)
Now that the talk was partly extracted from the “Shores of Bharat” VHS it became evident that the major part of the Puja protocol is missing.If you happen to come across a Recording of the Christmas Puja from the 25th of December, 1999, please be so kind to provide this tape to the archive.Contact the team at [email protected]

今日私たちは イエス キリストの誕生を祝います 彼は特異な状況で つまり処女から生まれ 地上に化身しました そして ご存知のように シュリ ガネーシャも 同じように生まれました イエスがシュリ ガネーシャの化身なので 私たちには理解することができます 生まれた時 彼は すべての力を備えていました 自分の持つ力を示す外的な 武器を持つ必要はありませんでした すべての力を 自身に備えていましたが それでも忍耐と理解を 示そうとしました なぜなら当時の人々が スピリチュアリティに対して 完全に無知だったからです 実は彼等はユダヤ人でした モーゼやアブラハムによって 指示されましたが 彼らは拠り所を失い 何をいかに求めるべきか 分かりませんでした 真実の探求者ではありませんでした 他の宗教も同じですが 彼らはユダヤ教の儀式に 満足していました 高次のものへの 探求心がありませんでした それゆえ彼にとって 人生は大変困難なものでした 彼が生まれた時 三人の者達が星を追って その場所に行き 飼い葉桶に横たわる キリストを見つけました 生まれるには 大変質素な場所です 困難な状況の中 生まれましたが 彼が偉大であることは 星によって明確に示されていました 先日ガナパティプーレは どのように探したのか尋ねられました マハラシュトラ州では あまり知られていない場所です 人はアシュタヴィナヤカには行っても マハガナパティには行きません ある時 ラトナギリから帰る途中 ある寺院の上に 大変大きな星を見かけました しかし誰もそれが見えませんでした サハジャ ヨギにもです なので私はこの星を 辿ってみようと言いました とてもとても大きな星で 通常の星とは違い 稀でした でも人の目には映りませんでした 一緒にいた者達も 見えないと言っていましたが 私は”構いません” “道を曲がり 別の道を行こう”と言いました そして星を辿っていきました もちろん皆文句を言わず それに従い先へ進みました 遅い時間でしたが “先へ進みましょう”と言いました ガナパティプーレに着いたのは 夜明けでした 忘れられない 美しい夜明けです 夜明けに見たのは私たちが今いる この美しい場所です そして“ここがサハジャ ヨギ達皆が” ”集まる場所です”と言いました ラビンドラナート タゴールは この場所について ”このバラトゥの海岸に 世界中の人々が集まる”と記しています これらすべて預言されています いかにこの場所を奇跡的に 発見できたかは驚くほどです この三人の偉大な者達が キリストを発見したようにです そしてこの場所は 大変祝福されていて 素晴らしいヴィブレーションに 満ちていました 私は二日滞在し この場所に決めました 最終的にこの土地を 手に入れました キリストは 多くのことを言っています 十字架の上で “母を見よ”と言いました ”behold”は意味深い言葉で 母を心待ちにしなさい という意味です 亡くなる前にも言いました 人々は暴力や拷問など 神聖とはかけ離れたことを し続けています 宗教は暴力や力尽くで 広めることはできません 愛と慈愛でのみ広められます あなたは愛と慈愛でのみ サハジャ ヨガを広めることができます その慈愛は メンタルなものではありません 私たちが人より優れているから 彼等を変えるべきだというものではありません その人の何かを変えるのではなく 人を真に復活させることが できると感じさせるのは 大いなる愛や慈愛なのです 復活させ真実を与えるのが 私たちの仕事です 世界中沢山の人がいます 今私たちはか 86カ国で活動しています ベニンでは七千人も サハジャ ヨギがいます 彼等はかつてイスラム教徒でした なぜサハジャを選んだのか尋ねると 当然ですと答えました “なぜ?” “なぜ初めは キリスト教徒だったのですか” “いえ キリスト教徒ではなく イスラム教徒だけです” さらに尋ねると “支配していたフランス人が 非常に不道徳で” “酒飲みで 不埒な彼等の宗教に従う のは無意味だと思ったからです” “もっとましになるにはどうするか考え イスラム教にしました” そして今彼等は サハジャ ヨガをしています 彼等には分別があるからです 真実の探求者で 分別があります 彼等はいわゆる黒人で 啓蒙された精神を持っています 私への詩を詠ったり 私のために様々なものも作っています 今となっては 七千人ものヨギがいます 彼らはいつか国民皆が サハジャ ヨギになるだろうと言っています トルコでは いわゆるイスラム教ですが リーダーのケマル アタテュルクは 啓蒙された魂の持ち主で パルダーや女性を抑圧することは 意味がないと話しています 彼女達たちを自由にしました 彼らは非常に創造性豊かです トルコには二千人の サハジャ ヨギがいます 以前地震が起きたときも 一人もサハジャ ヨギは 亡くなっていませんし 家も壊されませんでした 私たちの国でも四つの州が カトリック教徒に改宗しました 彼等と話しましたが “どう着飾って教会に行き 讃美歌を 歌うかを教わっただけです”と それを聞いて驚きました 確かにましな格好をしていましたが なぜ受け入れたのか分かりません 彼等は先住民で 現代に影響されていないからでしょう そしてその後 カトリック教はオリッサ州にも 手を伸ばしていました オリッサ州ではすでにカトリック教徒が 35から40人程いました そして私は オーストラリアのヨギにそこに行って サハジャ ヨガを教えるように言いました そこで彼等は 九つのセンターを作りました 良いことに 巨大な破壊的なハリケーンに 襲われたとき サハジャ ヨガを新しく 受け入れた者達は全員無事でした 家もすべて無事でした さて最後の審判が起こります 原理主義を唱える者や 原理主義者は破滅します これらの国々で 彼等の破滅を見るとそう思います 何が起こっていて なぜ彼等や家族 家が破滅するのか分かりませんが おそらくカルキがそれらの場所で 厳しく作用しているのでしょう 黒魔術をする者なども 破滅させられます 驚くことにオリッサ州では サハジャ ヨギは誰も怪我しませんでした サハジャ ヨギに対する 神聖の大いなる保護です 昔から言われた通りです ですが人々は儀式主義や司祭職や 説教で道に迷ってしまいました 説教や読むことによって スピリチュアルな経験はできません グル ナナカやカビラ アディ シャンカラチャリヤでさえ言ってます “お母さん そこから 抜け出させてください” 真実を知る者は 同じことを言っています 同じことを繰り返しています 彼等の生き方を読めば 驚くことでしょう イスラム教徒であったスーフィーでさえ 同じことを書いていました トルコに住むスーフィーも あるいは当時インドだった パキスタンでも 彼等は同じことを書いています イギリスの偉大な詩人も 同じことを書いています 真実は真実であり 真実は愛であると これこそキリストが 確立したかったことですが 彼は大変困難な状況において 生まれました 祭司や教会として 支配していた人々は それを利用し すべての者を抑圧しました サハジャ ヨガでは 抑圧はありません 参加するのも自由意志です そこで自己における真実を 知らないといけません キリストは常に “汝自身を知れ”と言っています しかし人は決してしようとしません 自分自身を知らないからです この状況は どの宗教にもあてはまります 聖人は何が正しい道で 何に従うべきか教えるために戦いました キリストがしたことは 大変注目すべきもので 彼はユダヤ人に 彼が光であり 道であると教えましたが 彼が到達点だとは 言っていません 誰かが来ると 知っていたからです そして聖霊が来ると言いました 彼女はつ三つの要素を持ち 慰め主で 指導主であり 救世主です 彼は“彼女”や“彼”ではなく ヘブライ語の“それ”で使っています 人々は聖書を悪用し イギリスでは王が妻との 離婚を望んでいたので 権威を聖書にまで 及ぼしました なぜ聖書のような聖典に不道徳者が 権威を与えられるのでしょうか 権力で彼は 支配したかったからです 現実であるすべてを 支配したかったからです これは盲目的な権力です あなたに真の力をあるなら 何に敬意を払うべきなのか分かります どの道へ行くべきか分かります 見る力が 全体への冴えた 理解が出てくるからです どの道に従うべきか どこへ行くべきか 何が正しいかのです このカリ ユガを通して あらゆる酷いことのお陰で またヒンズー教徒の間にも おかしな儀式があり それを通して人々は これが終着点ではないと 悟っています あなたは真実を 求めなければいけません 一つ大事なことは 全ての者が “真実を求め 自己を見つけ なければいけない”と言っていることです それは明確に インドの聖典に記されています いくつかには記されています “自己を求めなければいけない”と 特にインドで化身した聖人達は 常に真実を見つけ 求めないといけない と言っていました 彼等は真実を知っていて 皆にも見つけてほしいからです 全ての宗教には 啓蒙された者達がいました 仏教徒においても 真実の探求について語った者が 達磨大師や老子や その他大勢いました キリストは大変明確に それを言っていました 彼の誕生日に皆さんが すでに真実を見つけたこと 愛 慈愛そして謙虚さの道を 知っていることに嬉しく感じます 私たちは自身の中のどこに キリストが内在しているか いかにキリストに敬意を払い 崇拝するかを知っています このアギヤであなたは その者が真実の探求者か 支配力の強い傲慢な キリスト教徒か見分けられます あなたがキリスト教徒であるなら それができません それができるなら キリスト教徒ではありません キリストを見なさい いかに彼が謙虚だったか 彼はすべて滅ぼすこともできました その力がありましたが 自身を十字に架けました その理由はアギヤ チャクラが壊され 超えなければいけなかったからです なので彼は受け入れました 彼は最も破壊的な力である シュリ ガネーシャの力を すべて備えていました これらの力全ては 母なる大地から来ます そして母なる大地は 全世界を揺すぶることができます しかし彼はデヴィ マハトゥミャに 記されているマハヴィシュヌの化身です 彼はどんな者で 何をしたか 彼がした働きについて 美しく記されています さて キリストが生まれ 化身したのであれば 大変偉大なことです 彼は私たちに人生を捧げ 全てを成し遂げました そして私たちは許すことで 彼に従っています あなたは他の者を 許さないといけません 自身を許し他者も許します 主イエスが内在するこのアギヤ チャクラを開きたければ大切なことです 人を許せず 自身も許せなければ このアギヤは開きません 何よりキリスト教徒と呼ばれる 全てのキリスト教国では 皆大変ひどいアギヤをしています キリストに真に従うのであれば アギヤをキャッチすることがあるでしょうか まして彼等は非常に支配的で 傲慢です 彼等は キリストの弟子にはなれません 彼はあまりに謙虚でした 全能なる神と一つで 自分が十字に架けられることを 受け入れました 彼の誕生自体が 偉大な奇跡です 彼の働きはさらに偉大です 私たちは全てのキリスト教徒に 伝えなければいけません 何が真のキリスト教か 何が現実か 何に従うべきか どのようにキリストに正当に従うか 教えないといけません ですが大変大きな組織や 政治的なこと 様々なことが絡んでいます さらに彼等は 例えばヒンズー教の時 から悪いことを続けています それでは改宗する 意味があるでしょうか ですから 彼の生き方から 私たちは学ばなければいけません 彼は誰も望まないような 状況で生まれました 大変暗黒で 人々は無知で 残酷であった時代に彼が誕生したことは 非常に注目すべきことです 大変勇敢で 勇気のある人格です 今日人はキリストを 結核患者のような者にしています 乞食のような者です 人も乞食のようです ボンベイにいる時 少女や少年たちが 近寄ってきては歌を歌って “お金を恵んで”と言っていました 私は“キャロルを歌うなら お金をねだったりしてはいけません” “私たちはお金がいるの 食べるものがないの” それならなぜ キリストの歌を歌うのですか 様々な人が物乞いしています キリストは物乞いをしたでしょうか この世に乞食を 作ろうとしたでしょうか 彼は自尊心をもち 生き 死にました 人は彼の資質を学ばず 世俗的なものを受け入れています 時には完全に 品位を落としています 宗教的という言葉を使うと違う意味に なってしまうので使わない方がいいでしょうが 彼は私たちに大変徳深い 敬虔な 美しい人生を与えるために来ました 彼は手本でした 私たちが従うべき手本です サハジャ ヨガをする者は 何が正しくて間違っているか意識できます サハジャ ヨギにならないかぎり この分別を持つことは難しいです ですから多くの者は キリストの名において そして自分の破壊的な力に 自分を見失っています それらは私たち人間が持つ 六つの敵と呼びます なので今日彼の生き方を 彼の誕生 働き 偉大さ 犠牲を思い出す時 私たちは彼の人生に従うべきだと 理解しなければいけません 彼は私たちの見本です 私たちは多くのことに 忍耐強くないといけません 攻撃的ではいけません 他の者の自由に対して 脅威であってはいけません 悪魔のような者がいるでしょうが 彼等の脅威であってはいけません 真実は戦います これは私たちがすべき 大変簡単なことです サハジャ ヨガでは 大変徳のある生き方 徳のある振る舞いを 人々はしています 文化においても全てそうです サハジャ ヨガの文化は 大変徳のある 愛深く 慈愛に満ちた文化です あなた方の中のキリストがこのような 様子に歓びを感じていることでしょう 神の祝福がありますように […]

クリスマス プージャ、人生でキリストを表現しなさい Ganapatipule (India)

クリスマス プージャ、1992年12月25日、ガナパティプーレ(インド)

[Hindi translation missing]

キリストについて そしてイエス キリストと シュリ ラダジとの関連性について 多くお話ししてきました 彼はアディ シャクティの息子である シュリ ガネーシャの化身でした 次にシュリ ラダジに授けられ シュリ ラーダは マハ ラクシュミに 偉大な化身キリストの母 メアリになりました 西洋の人は 無原罪懐胎を理解できません スピリチュアルな生き方に対する 感受性が全くないからです インド人には理解できます シュリ ガネ―シャが 同じように創られたからです 信じて疑うことはしません 限られた脳で 神について疑うべきではありません インドでは疑いません しかし西洋では この限られた脳でキリストの誕生 についても口論します キリストの名の下にある 宗教はただ汚れていて ひどいことが言われていて 信じがたいほどです 彼の純粋さ 神聖さ 吉兆さは 西洋では決して理解されません なぜキリスト教徒は 徳ある人格において 品格を失えるのでしょう 政治的 経済的 法的な面は 良いとしても 彼らの道徳面は 完全に欠如しています キリストの信奉者は 最も徳の深い者であるべきです 彼曰く “汝 姦淫の目を持つなかれ” 大変精妙な意味合いです 目でさえ姦淫してはいけない 欲や色情を持ってはいけないと 大変精妙なことを言っています 西洋では それに従えませんでした パウロやペテロの影響で 宗教全体が汚れてしまったからです キリストに反する深刻なことを しました 未だ続いています カトリック教会は暴露されてはいますが 未だ続いています インドでも至る所にあります プロテスタント教会もあります キリストの名誉なんて 気にもしません キリストが真っ先に言ったことは 神の王国に入らないといけない 再び生まれないといけない ということです 再び生まれるについてもメンタルで 証明書があるだけです 西洋のメンタルな 捉え方のせいで 偉大な化身である キリストを殺しています ある意味また 十字に架けているのです メンタルにはスピリテュアルな ものは理解できません 頭脳に頼りなさいと言いますが サハジャ ヨガでは これは理解できません サハジャ ヨガにおいて 脳は何の意味を持つでしょう 思考を超えた意識状態において 頭脳は何の意味も持ちません 他の領域で頭脳に頼っても サハジャ ヨガでは違います 頭脳に頼って何ができるのか 理解できません 中には壇上で 演説をすることを好み 脳に頼ろうします そういう者は 頭脳に頼りますが 大事なのは 頭脳ではなくハートです ハートが開かないといけません 脳を働かせてすることといえば あらゆる類の物資主義です ナンセンスなことは 人間の脳からきます 動物の脳からは あまりありません どの森へ行ってもきれいで 良い香りがしますが そこに一人でも人間が行けば その汚れは人間が残した ゴミだとわかります 同様にすべての 偉大な化身がしたことを 人は台無しにしています 最悪なのは キリストにしたことです 無駄なことをしたと思います なので私たちは 正しくキリストを理解すべきです 彼は永遠の子どもです 純真そのものです 純真の源です そして彼はすべてのチャクラに 祝福を与える者です だからと言ってあなたがキリスト教徒だと 誇らしくすることではありません サハジャ ヨギの中には未だ キリストと同一視する者がいます 全くキリストとは関係ありません 彼の奇跡に満ちた人生の中で キリストがいかに沢山の奇跡を 起こしたか理解すべきです まず第一に 彼の誕生は純潔でした 人はマリアの出産が処女降誕か議論 しています すべての化身の誕生は純潔です 彼らは罪を超越しています 特別です 人間や天使 いかなる姿で化身したとしても 彼らは神聖で 人間の小さな脳で 議論はできないと理解しないといけません ただサレンダーし 崇拝するだけです 彼らは私たちを 遥かに超越しています ですからこの西洋の頭が 理解すべきことは キリストの人生が すばらしい恵みであって それを人は見失い 無駄にしてきたということです 人はそれに対していかに敬意を払うべきか 理解してきませんでした すべてが政治的 経済的 意味のないペテンになりました 大分前に私たちはキリストが ガネ―シャであると証明し 彼はロゴスであり いわゆるブランマナトゥ 初めの音であるとお話ししました ムラダ―ラを左側から右に見ると スワスティカに見えます 炭素原子でできているからです 右から左に見ると オムカラに見えます 下から上部を見ると アルファとオメガに見えます 当時キリストは “私がアルファで オメガです” と言いました 今やアニメにもなっています どうにか見られるといいですが それらを明白にみれます 私が言っていることを 証明するものです ガネーシャを崇拝するように キリストも崇拝しなければいけません ヒンズー教徒は ガネ―シャに固執し キリスト教徒は キリストに固執しています サハジャ ヨガをしていても 人はその特性を持ち続けます ある程度まで ガネ―シャを崇拝したとしても 彼の化身であるキリストにも 祈りを捧げることは大切です 同じようにキリストを崇拝する者は ガネ―シャも崇拝すべきです 彼が源であり キリストへと発展するからです これはすべて神聖の計画通りで 神聖な分別で成されました すべてが美しく 成されましたが 人間は美しいものを 台無しにするのが得意なようです 大変悲しいことです 彼の誕生日である今日 私たちは決意しなければいけません アルファでありオメガである彼が 内で正しく再び生まれりべきだと 彼の時代に人がこのシンボルを 知っていたとは知りませんでした これらのシンボルは無意識の領域から 偉大な数学者に降りて来たに違いありません なのでこれらのシンボルは正確に アルファとオメガのように使われてきました 彼をはっきりと 見ることができます サハジャ ヨガでは とても明白です 沢山のことを感知でき 証明できます いかにキリストが人を治し 何をしたか すべて感知できます サハジャ ヨガでいかにこの力が 作用したか証明できますが まず自分たちの人生を 浄化しないといけません 大変誠実で力強い 純粋な人生を歩まないといけません 外で店を出していますが ここに店を出さないように言いました サハジャ ヨガのためでなく 自分たちのために利益を得ているからです 一度キリストもそのような者に ハンターを連れ一撃しました 私はしません ですが彼らを 奨励してはいけません ここはショッピング センター ではありません あなた方は 瞑想するために来ました 必要なものは買ってあります それを買えば多少利益となり それはサハジャ ヨガに還元されます 個人的な目的に 使われません しかし外からの人たちは店を出し あなた方はそこに群がります 何のために ここに来たのですか ガナパティプーレにいるなら 常に瞑想的でいるべきです 常に瞑想状態でいるべきです あなたが外でするようにつまらないことに 囚われてはいけません あの者たちはあなたに未だ弱みがあると 分かっているので店を出しているのです リーダーはこのようなナンセンスを 止めるべきです 外食しないよう言ったはずです 前回皆さん苦しみました なのにまだ店があります 買いたがる者が いると彼らは知っているからです 具合が悪くなり サハジャ ヨガの面目を潰します まずガネ―シャは叡智です その叡智はキリストの生き方に 見ることができます 若い頃から 彼には自信がありました 12歳で牧師たちに 説教をしました 牧師やムラやバルギー いわゆるダルマ マンタンダにです 彼はその若さで主張しました 何をしているのか 口先だけで何を話しているのかと 彼らに言いました 彼は彼らに講義し 話しをしましたが 両親は彼らに殺されるのでは ないかと心配しました そのため彼をインドに連れて行きました 叡智のためです どこでインド人はその叡智を 見失ったか分かりませんが この国は当時 叡智に満ちていました 彼はインドに しばらくいました 彼の思い出は沢山あります シャリマン王も 彼に会いました カシミールで聖なる者に会ったと 書物に描かれています 彼に名前を尋ねると “私の名前はイサです” と答えました “イ”とはヴェダでアディ シャクティのために 使われた言葉です “サ”は“と共に” という意味です 彼はそう名乗りました “どこの国から来たのですか” と尋ねると “私にとって異国の国からです そしてここが私の国です” “このインド バラタ ヒンドゥスタンは スピリチュアリティの国であり” “物質的に高みにいる 他の国と競ったり” “劣等感を感じるべきではない” と言いました ここは私の国ですと はっきりと書かれています 彼はスピリチュアリティの富むこの国こそ 彼自身の国であると認識していました ですから 私たちは物質的な つまらない 下劣な 生き方をする所ではなく そのスピリチュアリティ 国に属します 彼の大変 短かい人生において 彼の言葉はどれも すばらしいものでした しかしパウロは それを完全に変え 聖書を編集し そこに沢山書き加えました 彼の欠点すべてが そこに加えられています 最近エジプトで瓶に隠されていた 書物を手に入れました 50年前に発見したもので ハマディの蔵書と呼ばれるものです 発見された場所が ハマディでした キリストが言ったことや トーマスがインドに来た時に 書いたもので興味深いです 彼はお酒は放蕩を 引き起こすと言っています ひどい言葉で言っていますが キリスト教徒は分かっていません それどころかキリスト教では お酒は許されていると信じています 彼はお酒を許したでしょうか 意識に反することを 許すわけがありません それなのに とても良いと思っていて キリスト教では飲むことを 大きな魅力にしています 他の宗教を見ると 例えばカトリック教徒です 結婚は一度だけです なので結婚後十人の 目掛けがいても構いません 聖書にも結婚は一度で 離婚は許されないが 好きにしなさいと書かれています モラルもありません 自己から逸脱し 次から次へと無意味なものを 受け入れるだけです キリストの人生の基本は 道徳性です 彼はシュリ ガネーシャから 来ているので左側にいて その後 アギヤに 彼自身を確立しています 道徳性が 彼の生き方の真髄です インドの言葉で言うと 人格です 私たちの人格は いかに純粋な人生を歩むかです 私たちはあらゆる ナンセンスなことに耽ります 西洋の国でしていることを 見ると驚愕します 信じられない程です 口にもできません いわゆる先進国は 神へ向かっているとは思えません 私たちの想像を超えます あまりに不純で ひどく破壊的な 不道徳さです 遺伝的に何か狂っています どこからその考えが来るのでしょう 次から次へと これらのことを人々がしていて 日曜日には着飾って教会に行き 神に礼拝します 自国のこのような人々を 救う決意をするのはあなたです キリストや神の名において ナンセンスであると言わないといけません シュリ ガネーシャについても同じです プネーで見かけましたが 驚くことに シュリ ガネーシャの前で 人々は酔い 酷い歌を 西洋の歌 映画の歌を かけながら踊っていました サハジャ ヨギはこのような ナンセンスに抗議すべきです シュリ ガネーシャの前で どうして酔っぱらえるでしょう シュリ ガネーシャの 叡智が全くありません 彼の吉兆さへの 敬意がありません 酔うだけでなく 様々なことをします タントラ教の者によって シュリ ガネーシャが酷いものにされています 西洋におけるいわゆる 心理学者によっても同じです ありがたいことに フロイトは暴露されました ガネーシャのもう一つの資質は キリストの人生に見られる お母さんへの献身です その書物によると メアリは知識について 話しています しかしパウロは それに反対しています 彼女はこれを得ないといけないと 言っていますが 彼はそれを望んでいなく 彼女と口論しています そこへトーマスは 十字に架けられたキリストが 言った言葉について言及します “お母さんを心に置きなさい” “彼女はキリストのお母さんです なぜ傲慢にも彼女を軽蔑できるのか” しかしパウロはその逆で 女性に敬意を払いませんでした なので 彼は 彼女をただの女と呼びました マハラクシュミに対して 全く敬意がありません 考えられますか ただの女です いわゆる先進国では女性が牧師に 任命できるか論争しています 私たちが時代遅れだと考えますが 彼らこそ宗教において時代遅れです 私たちはお母さんを アディ シャクティとして敬意を払います 彼女こそが 私たちを創造しました 私たちを世話しています 私たちにとって彼女は シャクティは重要です 彼らは彼女をシャクティと呼ばず ただの女と呼んでいます それでいて大変 進んだ者とされていて 先進の名の下で 無意味なことをしています 話すこともできない程です 言葉もありません キリストの名において 恥ずかしく感じます 地上に化身したキリストの 純粋な人生を祝う今日において 彼らは彼がそれ程までに 純粋であったとは信じていません 犯罪者も他の者が 犯罪を犯さないとは信じられません 私たちは心の純粋さを 私たちの目を通して表されるように 育んでいるか内に見ないといけません 目は純真でないといけません そうでないと効果がありません 他の者の気を引こうと 魅了しようとしているなら あなたはサハジャ ヨギではありません いる必要もありません 一度あなたの内に光を得ると 人は分かります サハジャ ヨギとして自身の生き方に キリストの光がないといけません 彼は地上に化身した若者でした すばらしい生き方でした 彼は売春婦のマグダラのマリアとは 何の関係もありませんでしたが 真実に立ち 彼女が投石にあっている時に 立ち上がって “罪を犯していないものは 私に石を投げなさい”と言いました 何という真実の力でしょう 彼は純粋な人格で あっただけでなく その純粋さは真実 そして彼の慈悲深さ 愛にも表れています 彼は素晴らしい慈愛を 表しています シュリ ガネーシャは 少し変化したと思います シュリ ガネーシャは確かに 彼を崇拝する者に大変慈悲深いですが 彼に反対な者には 強く叩きます 彼らは苦しみます エイズなど様々な症状が来ます しかし純粋な者を シュリ ガネーシャは守ります キリストは慈悲深く許します 人は変われると 信じているからです シュリ ガネ―シャは あまりに不純であるなら殺され 再び生まれ変わった方が良いと考えます しかしキリストは人は変われると 希望を持っていました しかし叶わず 彼らは彼を十字に架けました 十字に架けるなんて 何てひどい人たちでしょう 脳もない人たちだと言えます 全くスピリチュアリティを 理解していません 真の知識に対して 感受性が全くありません サハジャ ヨガは 賢い者のみができます 愚かでまぬけな者のため ではありませんし 悪賢い者のためでもありません ある者は人生において成功している ので自分は賢いと考えます 気の利いたことや 大変鋭いことを言えたとしても 彼らのためではありません キリストは“心が柔和な者は 地球を受け継ぐであろう”と言いました 柔和な者であって自分のことばかり 考えている者ではありません サハジャ ヨギの中でも 心が柔和な者は お母さんの祝福を受けます 柔和で 賢くないといけません 叡智があってこそ 柔和になれます このすばらしい宇宙において 私たちがどこにいるか理解し 神の王国に入っていると 感じるからです 何のために なぜここに入れたのでしょう 沢山の者が 様々なことを犠牲にして 頭で立ったり 断食したり 何千年も努力をしました それがなぜ突然この祝福を 私たちが得たのでしょう どうしてここにいるのでしょう このことを考えると 私たちは柔和になります 祝福であり 恩寵です エゴからでも コンディショニング からでもありません 神の恩寵であり 慈愛 愛 サンドゥラカルナです するとあなたは 変わることができた人生を 現実であるスピリチュアリティの 新しい次元を楽しめます あなたは現実を 全体を知りました すべてを知りましたが 自分自身を知らない者は サハジャ ヨギになっていません トゥカラマが 簡単な言葉で表しました 自身を知る者は 最後の者である 他者のチャクラを批判できたとしても 自身のを見ることができなければ 他者を顧みることができても 自身が内省できなければ 人のことをすべて分かっていても 自身のことを分かっていなければ あなたは サハジャ ヨギではありません まず自身のことを 知らないといけません どんなエゴがあって どんなコンディショニングがあるのか 今でさえ人は 沢山のコンディショングがあります ですからサハジャ ヨガには 新しい鍛練があります 新しい鍛錬において柔和で 謙虚で賢くないといけません どの動き 言葉においても 叡智を表さないといけません 自動的に間違ったことをさせない 鍛錬を持たないといけません 私が歩いているところにある女性が 私の足元にひれ伏すとします 私がつまづいて倒れるかもしれないと 考えもせずすれば 自己中心的といえるでしょう 私がマザーのところに行って 足に触れなければと考えるのは すべてエゴによるものです 真のサハジャ ヨギは 後ろにいます 私がどこにでもいると 分かっているので楽しめます 近づいて会おうとしたりしません 強引にしようとはしません マザーはここにいます 心における柔和は キリストが言ったことです 柔和は大事な言葉で 人は意味を理解していません 西洋では柔和なら弱いと考えます だから攻撃的であるべきだと 人を称える時は “攻撃的で素晴らしい”と言います 彼らが遺伝子的に 低レベルなのか 中にある種の動物がいるのでしょう さもなければ なぜ攻撃的でいることが 高等だと考えれるでしょう 高等であるべき者が 悪魔のようであるのは不可能です ヒットラーは自身が悪魔であるのに 自分は高等の人間だとなぜ言えるでしょう 悪魔は自分が 高等の人間だと言います サハジャ ヨガにおける 柔和とは ビジネスマンのような外見上ではなく 自然な柔和のことです 偉大なスピリチュアリティで あなたを輝かせる自然な柔和です 自分で落ちることはできても 誰もあなたを害すことはできません どこにおいてもあなたは 守られています 自分を叩こうとするなら 私は助けられません トゥカラマの言葉のように キリストは “自己を知りなさい”と言っています 内省のまず第一は 自分自身を知ることです あなたは自分自身を 見ようとしていますか 彼は他者の目に大きな光があって それを見るなら良いと言っていますが あなたは光が目にあるのに 他者の目にその光を見ようとし始めます それでは意味がありません ですから瞑想の中で まず内省しないといけません 主イエス キリストよ シュリ ガネ―シャよ どうか私に自身の何がおかしいか 理解する叡智を 良いサハジャ ヨギとして欠けている 資質を理解する叡智を与えてください 瞑想するだけで あなたは大変幸せに 歓びを感じます あなたの中の徳が 歓びを与えるからです だからと言って自分は 徳の高い者だとは言いません しかし内に徳を発見したとき それが歓びを与えます あなたの悪い資質 渇望 欲望や貪欲さに よってではありません ですから私たちは 真に集中しなければいけません サハジャ ヨガに来ても人は有名になろうと リーダーになろうとします 別の幻です またはどうにか金儲けのために 利用しようとします そしてビジネスを始めます サハジャ ヨガやヨギと ビジネスをしてはいけません 何回も言いました そうすれば問題が起こります それで私のところに来て 相談しないでください サハジャ ヨガは神の仕事です あなたがするすべては 神のためです あなたは自己のために しているのです ですから内省は大変大切です 他者への批判は少なくして 自分を批判し笑うことが最善です 私は沢山自分のことを笑い そのことを話します 人生をもっとおもしろくします そうやって あなたのエゴを殺します キリストが言っている柔和です それは私たちの中にある 自然な良さです 一度それが輝き 現れると あなたは大変美しく 愛深くなります どこに座っていようと そのような者は私には分かります 私のハートは そのような人格に開きます その者たちが誰か 私は分かっています 分かっていたとしても 決して言いませんが 自分で分かっていた方が 私が言うよりいいのです 自身を知ることは 彼のメッセージです 自分を欺くのではなく 真の意味でです 自分を欺いてもどうしょうもありません 欺きなしに 偽りなしに 完全な集中力で 自分自身を知るのです 自分の注意が どこに行っているのか見るのです そうやって上昇します 他者の欠点を 見ることでは上昇しません 自分の欠点を見ることでのみ あなたは上昇します これこそキリストが言わんとしたことで 私は簡単な言葉で言っています さらに彼は 隣人を愛せよと言っています 大変重要なことです これはサハジャ ヨガでのみ可能です あなた方がコレクティブだからです コレクティブでない者は 隣人を愛せません 隣人とは誰でしょう 誰も隣人ではありません 外部の者です あなたがコレクティブになると、、、 今日55カ国の人がいます あなた方はコレクティブで 徳があり 美しく 複雑な問題もありません 私は喜ばしく感じますが それを完璧にするのに 私たちは内省しないといけません 社会的に コレクティブ的に あなた方は良くなりましたが 個人的にも自身の中で 自分のために良くならないといけません キリストによって偉業が成し遂げられたので この素晴らしい時に祝わないといけません ひどい牧師によって どの国でも宗教でも 彼の偉業は薄れてしまいましたが 私たちはキリストの名を唱え 真逆の ことをする者を救うと誓わないといけません それを成し遂げられるなら あなたの人生で それを得られるなら キリストの偉業は 成し遂げられます あなたはキリストを あなたの生き方に表さないといけません あなたの生き方を通して 表すことができます 純粋さ 柔和さ 慈悲深さや キリストの叡智を通して表せます 彼は完全に 恐れを持ちませんでした それゆえあなたは 恐れのない者でなければいけません あなたは神だけを 恐れるべきだからです それだけです 間違いを犯していなければ 神を恐れることもありません 神はあなたを 大変愛しているからです すべてにおいて はっきりさせなさい 理解しなさい 疑いなくあなた方は 大変愛されるべき人たちですが あなたの持つ徳のために 自身を敬慕し 愛さないといけません 神の祝福がありますように […]

Christmas Puja Ganapatipule (India)

Christmas Puja (English/Hindi). Ganipatipule (India), 25 December 1990.
今日私たちは キリストの誕生を祝う機会に 恵まれました 彼は馬小屋で生まれました これら全ては あらかじめ計画されていました 大変困難な状況の中 馬小屋で生まれ 裕福な生まれであろうと 貧しい生まれであろうと どんなに困難な状況でも あなたの内に神聖があれば それ自身で輝くということを示しました キリスト教は誤った 逸脱した道を行き キリストの意味を 決して理解しませんでした 無原罪懐胎は彼らにとって ありえないことです ほとんどの者が 神話だと考えています しかしインドでは ガウリが 自らのヴァイブレーションから シュリ ガネーシャを創りました そしてムラダーラの神格と なったと信じられています 受け入れています しかし西洋では 決して受け入れません メンタルな部分が発達しすぎていて それが支配しているからです 恐らくインド人のように 全てを超越する神がいると理解できるほど 成長していないのでしょう 神の概念も メンタルな捉え方です キリスト教のあり方も 正しく導くものではありませんでした 行き詰れば “これは神秘だ”と言います しかし インド人にとって 理解するのは容易いです “神にとって何でも可能である 結局は神だから” “全能だから” スピリットにおける知識より 遥かに低いこのメンタルに留まる姿勢は 平凡で取るに足らない 表面的な知識にあなたを留め 神の偉大さを受け入れさせません 私には祖母がいました 父の叔母です 神に会いに行こうとする者の すばらしい話をしてくれたものです もちろんインドでは 誰でも理解できます どうやって神に会いに行くのか とは誰も言いません 会いに行く途中 道端で 神の賛美を歌う男性に会います “神に会いに行くのかい” と尋ねられ “そうです 何か伝言はありますか” “大丈夫だけど” “食べ物がなくなってきたので 何かいただければと伝えてくれるかい” “それでいいのですね” “神に全てしてもらっているけど 一応伝えてね” 旅を続けると逆立ちや ポーズをしている男性に会いました 彼は“全て試した” “神にいつお目見えできるか 姿を拝見したい” “伝えましょう” 神の下へ行き 仕事を終えると 神は尋ねました “何か伝えることはありますか” “特にありませんが 全てを試した男性に会い” “お目見えしたいと 言っていました” “逆立ちし ポーズをし 教会やモスクで祈りも捧げています” いつ会いにきてくれるか と言ってました 神は“もう少し続けるように と伝えなさい” “簡単ではありません” “サハジャ ヨガが来たら 会えるでしょう” 男はさらに続けました “もう一人会いました 彼は歌いながら楽しんでいました” “食べ物がなくなりそうです と言っていました” “そうなのですか” と神はすぐさま答え “早く行って世話してあげなさい” ”すでに手配しました” “では大丈夫ですね” 彼は理解できませんでした 様々なことをしている男性には 待ちなさいと言い ただ神の歌を歌い 何もしていない男性には なぜ感銘を受けているのか 神は彼が幻にいると 気づき 言いました “戻って二人に 次のことを伝えなさい” “神のところへ行くと 針の穴にラクダを 通しているのを見た と” “本当に言うべきですか” “そのように伝え 反応を見なさい” そして戻って 最初の男性に会い伝えました “神はサハジャ ヨガが来るまで 続けなさいと言っていました” “いつサハジャ ヨガは来るのか” “でも神はいつか来るのだな サハジャ ヨガが来てほしい” 大変落ち込んでいました 彼は“神に会って何を 見たか”と尋ねました “針の穴にラクダを 通していたのを見ました” “できるはずがない” “針の穴にラクダを通すなんて” “大きさをみれば分かることだ 通れないに決まってる” “作り話だ 神に会ったから 自慢しているだけだ” “この馬鹿げた話は信じられん 騙そうとしても無駄だ” 次の男性に会うと 道でおいしそうに食べていました “あなたが着く前に 神が手配してくれたよ” “神は常に面倒を見てくれている そこで何を見たの?” “驚くべきことに全能なる神は 針の穴にラクダを通していましたよ” “驚くこと? 彼は神だよ!” “君も彼は神だと知っているでしょ? 彼は何でもできるんだ” そこで彼は理解しました 神が全能だと 理解しているなら マハラシュトゥラにヒマラヤを動かせる という意味ではありません 全能というのは 最も精妙なことができるということで 人間の頭脳 メンタルな部分で 理解できないことができます 人間が考える 概念を超えるものです これが神なのです 神が人間を創造しました 人間を超越しているはずです 陶芸家が壺を創ったのであれば 壺を超えています 壺は陶芸家を 創ることはできません 壺は陶芸家によって 創られているので 壺より遥かに 力があるはずです しかし これは 信じられないことです 人間の概念を超えています この すばらしいコンピューターを 創造した神の偉大さは理解できません 人は全て 当然のように捉えます 人はわずかな粘土も 創れません 何も創ることができません 石があれば どこかに置くことはできます 粘土があれば 家を建てることはできます 物から物は生み出せます 蝋燭を創れますか バダを燃やす蝋燭です 自分の目で見えるように バダは私の写真の前で 燃えます あなたにできますか 複雑で繊細な機械が いかに作用しているか 人は理解できません 繊細かつダイナミックで 爆発する機械です いかに人間を創り 宇宙を創り これらの美しい 花や木を創ったことか 星をごらんなさい こんなにあります その中から この母なる地球を選びました 人間を創りました いかに創ったことか 自分の息子を送りこむなら どんな方法でもできます これに対して 挑戦することすら 精神が泥の中に 浸かっています ですから いかにガウリから シュリ ガネーシャが生まれたかは 真の聖人のみが 教えられます しかし それを信じるには・・・ まずサハジャ ヨガに来ると 奇跡を見始めます 奇跡が起こると理解できます 起こるべき奇跡があるなら いずれにせよ起こります 何もせずとも起こります それを疑いません 一度疑い始めると 泥の中に埋もれ 人間と同じになります あなたは開花した 蓮の花のようです 根は下にありますが あなたはもう蓮の花です 蓮の花にマハラクシュミの 原理が生まれます マハラクシュミの原理は シタジとして ラーダとして メアリ(聖母マリア)として 地上に来た者です マハラクシュミは海から 生まれたと言われています メアリの意味は何でしょう マリとは海です 彼女は海から生まれました 彼女自身で子どもを創れます 問題はありません 何でも可能です つまり 超えないといけません キリスト教徒は キリスト教を超えないといけません ガネーシャの原理の 化身であるキリストは 大変偉大であると 理解しないといけません ガネーシャがマハヴィシュヌになったことは 大きなことで 理解すべきことです ガネーシャはシヴァの息子です シュリ ガネーシャは 他の何よりもまず始めに 創られました 彼がオムカラだからです オムカラはアディ シャクティが シヴァから分離したことで始まります その音 “タンカル” と呼ばれています そこからオムカラが始まり 彼がオムカラを体現する者です ですからこの音が シュリ ガネーシャの力です それがまず始めに 創られました 神聖を創るためです この神聖が創られたとき 海に様々なものが 創られました そしてキリストとして化身しました マハヴィシュヌとしてです シヴァの息子としてではなく マハヴィシュヌとしてです ヴィシュヌとは誰でしょう シュリ ガネーシャの伯父です 彼の母の兄弟は シュリ ヴィシュヌです 彼はマハヴィシュヌによって 育てられました マハラクシュミは シュリ ガネーシャの原理を用います クンダリーニのチャートではシュリ ガネーシャ が左側イダ ナディと繋がっていて クンダリーニが その上をいくことが分かります つまり彼が その部分を超えます 彼が救世主として来るなら マハラクシュミの息子として 来ないといけませんでした マハラクシュミが彼を キリストとして産まないといけません そしてマハヴィシュヌになりました 神々や女神の家族においては 何でも可能です 彼らは神だからです いかにその領域で これらのことが起こっているか 人間の理解を超えます あなたは 涼しい風として感じられます そして新しいことが あなたに起こっています 神や女神の関係において 不純なことは一切ありません 彼らにおいて 人間的なものは全くありません 彼らは 全てが神聖で純粋です 一度これを理解すると なぜシュリ ガネーシャが マハラクシュミの息子になって キリストとして生まれたか 分かります アギヤに来なければ ならなかったからです 救済としてです ガネーシャとしては 救済はしません 純粋のため 神聖のため 叡智のため そしてまたネガティビティを 破壊するために彼がいるからです しかし彼は 化身しなければいけませんでした 唯一 ガネーシャが この収縮されたチャクラ アギヤ チャクラに 来ることができます ではなぜ収縮されるのでしょう 今日は話しませんが 科学的なことです 収縮されるべきもので さらに収縮されます このアギヤ チャクラは 考えれば考えるほど より左や右に傾き このようになります ですから この大変精妙な領域に 化身できるのはキリストだけです なぜなら彼は精妙の中で 最も精妙な者だからです 原子より精妙です シンメトリックや反シンメトリックな 動きをするヴァイブレーションは 原子よりさらに精妙です そしてこれはより精妙です ですから この収縮した領域において唯一 純真以外何者でもない キリストのような人格が来れます 彼には純真以外の 要素はありません 他の化身には 全ての5つの要素がありますが 彼は純粋なヴァイブレーション 以外の何者でもありません それ故 彼は水面を 歩くことができました 彼の身体には 物質が存在しなかったからです チャイタンニャ以外の 要素はありません オムカラがガネーシャになります 彼女の身体から出てきた チャイタンニャだけです ガネーシャの段階において チャイタンニャはその形に留まりましたが キリストの段階では ありませんでした 後に彼の死や復活といった ドラマが起こりました 彼が私たちの救済に 責任ある者だからです 彼は門だからです 彼は道です ガネーシャだからです オムカラが道です そして彼は門です しかし 彼が最終目的ではありません 彼のお母さんが最終目的です マハラクシュミでもありません マハカリ マハサラスワティでもなく あなたが到達すべき 最終目的はアディ シャクティです これらは聖書に 決して語られていません 彼がほとんど4年しか 公の場に出ていないからです 当時の者は そのことを触れたくありませんでした 知らなかったし 神聖なもの すべてにおいて抑圧があったからです 社会は営利化した制度でした インドにも営利化した 制度がみられます しかしインドにおける唯一の利点は 宗教が組織化していないことです しかし彼らはキリストや 彼の原理を組織化しました 今は彼を 良い人間だと思っています なんということでしょう 今日私たちは オムカラの誕生を祝います 大変大きなことです あなたに理解できるでしょうか 全てに動き・・・ 原子や分子 組織化する化学 周期律や引力 動く全てがこのオムカラです そしてあなたのヴァイブレーションは オムカラ以外の何ものでもありません 実際私の写真において ヴァイブレーションはオムカラとしてきます 人間の頭上には オムカラが描かれています これらの光がオムカラのように 見えるのはなぜでしょうか なぜサハジャ ヨギの頭上に オムカラがあるのでしょう アラビア語でアラーです 私の名前も アラビア語ではそうです これは誰がしているのでしょう 全て彼がしています オムカラ自身が形を採り アディ シャクティについて あなたに納得させます 彼がこれらの力を操ります 彼は写真には入りません トリックをします 写真は 光を通して写されます 光が直線に射すからです しかし彼が望めば 光の道を曲げることができます 他のものに変えることができます 好きにできます そしてあなたを納得させます 彼が言うには “私に対して何であれ我慢できますが” “聖霊に対してはできません” そしてこの聖霊とは アディ シャクティです あなたは彼なしに サハスララに到達できません 全ての戯れにおいて 彼はストゥラダーラです 彼は指揮者です 操り人形の紐を動かす者です プージャをする度に シュリ ガネーシャに祈ることは大切です そのようにして私たちは 主イエス キリストにも祈っています 私たちは彼の吉兆さ 助けなしに サハジャ ヨガをすることはできません 彼は管理人です 私はここに座っています そして彼が管理人です 管理人なしに 私は何をどう話すでしょう 何も起こりません 彼は大変有能です 全てを作用させ 全てを為します […]