Adi Shakti Puja, Use Your Right Side For Giving Realization (Nirmal Temple)

Adi Shakti Puja. Cabella Ligure (Italy), 23 June 2002.
今日は皆さんにとって いつもとは違った日です アディ シャクティ プージャだからです アディ シャクティとは 完全なる人格 皆さんの知っている レフト サイドだけではないのです 皆さんはレフト サイド すなわち シュリ ガネーシャから上昇する 左側のチャクラしか 知らないでしょう 私が最初に ライト サイドを伝えなかったのは ライト サイドを通った人は 自分を見失ったからです 彼らはガヤトゥリ マントラを 書面から得たのですが どういう意味か分からず ただ暗記していたのです 本来の意味も分からず そのため ライト サイドに傾き アギヤに到達し そしてセルフ リアリゼーションを 得ようとしました 彼らはライト サイドさえ しっかりと行えば 最終的にリアリゼーションに 到達すると約束されましたが 誰一人 到達できませんでした 人々はひどく短気になり 他者に呪いをかけ 破壊するようになりました これら全てを ライト サイドから学びました クンダリーニを覚醒できず 彼らはアギヤ チャクラ までしか上昇せず そして無知へと 崩壊していったのです これらの書物は ライト サイドからのアプローチが 簡単ではないことを理解せず クンダリーニを 覚醒させようとしたのです クンダリーニは 中心にある全てのチャクラに沿って アギヤまで到達し 交差し サハスララに到達後 突き抜けます ブラマランドラというこの突き抜ける場所が なぜ重要なのでしょうか お話したことは ありませんでしたが 皆さんに お伝えする時期が来ました 幼少の頃は タルという泉門が 常に脈動しています なぜ脈動しているかというと そこからスピリットが入り込み そこを閉じた後に ハートに留まるからです あなたはスピリットを 認識した人になるべきですが どのようにして サハスララに入るかが問題なのです タントラ教の人々は レフト サイドを通り さまざまな呪術を 発達させました ライト サイド寄りの人は とても短気で 野心的で 残忍でした 彼らは人に呪いを かけることにとても長け 人々を呪いで殺し始め 強引に他者の権利を 踏みにじりました 彼らは最も野心的で パワフルな人とみなされていました バラモン教やクシャトリヤの人々は ライト サイドを通りました ライト サイドは彼らを とてもパワフルにしました 彼らは世界中の パワーを手に入れ パワフルで威厳ある人だと みなされていましたが そうではなかったのです とても短気だったからです 短気な人は スピリチュアルにはなれません “心配しないで続ければ スピリチュアルリティを得られる”と言われ ライト サイドの 7つのチャクラの説明を受けました 彼らによると “ブー” と “ブルバ” があります “ブー” とは プリシービ この世です “ブルバ” とは全コスモス アンタリクシャとも言えます “スワーハ” とは ナビ チャクラでの消費 “スワダ” とは 内側で消費 吸収 “スワーハ” “スワダ” “マナー” とは 精神 心 その次がヴィシュディ ヴィシュディ とは “ジャナ” 集合性 人の集り アギヤは“タパ”です “タパ”の 中心には キリストが居ます レフト サイドには ジャイナ教 ライト サイドには キリスト教がありました それらは 上昇の道ではありません 真実を求める者達の エネルギーの捌け口のようなものでした これらはインドで 長い間起こりました これらを行った全てのグル サドゥ タパスビスは どこに到達したのでしょう タパスビスは人々に “クシュ” 鋭い呪いをかけることができます “カタクシャ” 一瞥で 人を殺したり 燃やすことができます このライト サイドのパワーによって 彼らはどこに到達したのでしょう 地獄 辺獄です セルフ リアリゼーションを 得た者は誰もいません インドの古い書物を 読んでもわかるように ギリシャ人 エジプト人 イギリス人 ドイツ人などは皆 攻撃的でした カトリックの人々や ローマ人などは侵略的で 外国の土地や 所有物を奪いとりました 極端に攻撃的でした 人を殺すことに 何の抵抗もない とても侮辱的で 短気な人たちでした どうしたら彼らを正常に 中心へと戻せるでしょうか ひとつは先ほどお伝えした “ブー” “ブルバ” “スワーハ” “スワダ” 消費です それはグルの原理により 行われます そして“マナ” “ジャナ” 即ち集合体 彼らは 集合体となりました なぜなら 彼らはパワフルだった為 沢山の人を抱え 抑圧のために戦いました その抑圧的な気質で 人々を押さえつけたのです ご存知のように このような時代は歴史に現れ 消えていきました 戦争が行われ 沢山の人々が殺されました ヒットラーが 残虐の極みでしょう 人類に対して なんとも思わなかったのです そしてアギヤに到達し キリストを殺したのです 中心の経路を通った 多くのすばらしい聖者や化身をも 破壊しました 全てはラーマの時代以降に 起こりました 次から次へと 悪魔が現れ 世界の平和な文明を 破壊していったのです ひどい傲慢さの自己顕示だと 言えるでしょう とても攻撃的な人々です 攻撃性は とても強い力で 次から次へと行われました 行き着くところまで 行きました 人々は反抗すると 殺されたのです 残酷な人々が 生み出されました 攻撃的で 破壊的な人々です この性質が未だに 残っている人もいます 右寄りだからです 癇癪 攻撃性 他者をコントロールするなど ライト サイドの人は 皆これらの問題を抱えています スピリチュアルな成長は 止まります 彼らはスピリチュアリティを 求めていましたが これらの行いをした為に スピリチュアリティーから遠ざかりました この世には沢山の 化身が現れましたが 全て殺されました 人類を救うことなど 不可能でした 一人の悪党が現れ 世の中を破滅させたのです ヒットラーによって 全ての人々 国々 民族は破滅しました これらの原因はライト サイドを 選択したことにありました スピリチュアリティにとってそれが 簡単だと考えたのですが 間違いです そして一線を越えて 悪魔になったのです 人は悪魔になれる ということを知らずに 彼らのグルも同様でした 全ての化身を 拷問にかけたのは彼らです どの様にして 自分自身を救ったかは驚きです しかし 最終的には何も 達成できませんでした まず最初に私は クンダリーニについて学び それを上昇させることを 行いました 私はクンダリーニを 上昇させるために来ました 人々が右寄りでも 左寄りでもなく 中央経路を歩めるようにです レフト サイドの知識とクンダリーニを 上昇する方法を以前お伝えしました クンダリーニを上昇させることで サハスララを突き抜け 現実の歓びの領域に 到達します 全ての悪い性質は そぎ落とされます 中央経路で まず最初はムラダーラです 中央経路でムラダーラを覚醒することで とても純粋になります 目は純真になり 放縦さや軽薄さは無くなり とても神聖な人になります そうでなければ サハジャ ヨガには居られません みだらであったり 軽薄だったり 他人のお金を 盗み取ろうとしたり 攻撃的であってはいけません サハジャ ヨガから 追い出されます 一度追い出されると 彼らは怒りをぶつけます 追い出されたことが 気に食わないのです しかし今となっては自分たちが 過ちを犯したことに気付いた人もいます まず第一に純潔さを養い 尊重し 楽しむことです これはムラダーラが覚醒された ことにより起こったのです 左側の第一チャクラには シュリ ガネーシャが宿っています 右側にも 神格がいます 全てのチャクラには 互いを補う神格がいます シュリ ガネーシャは 中央にいます ですから私たちは彼の強力な 純粋さに祝福されました そして純粋の美しさや 純粋の力を理解し始めました このようにして右寄りから 脱することができたのです ライト サイドは争いや殺戮 憎悪のために使います これらの人々に 平穏は訪れません 他者を制圧することしか 知らないのです そしてスワディスタナのレベルへ 上昇しました スワディスタナまで上昇し 攻撃的な人による 創造が行われました 今でも行われています 名声を得るために さまざまな 無意味でグロテスクで 汚いことが創造されています これがスワディスタナの 別の側面です 地位や名声を求める 人々です これは右スワディスタナから来ます 次に3つ目の ナビ チャクラに到達します ナビ チャクラでは 金儲けに翻弄します ラクシュミではなく お金です あらゆる方法で 世界を騙したのです これによって得たお金で さまざまな悪行を働きました 欺瞞か 侵略を行ったのです 欺瞞はインドのような 左寄りの国々で見られ 侵略は右寄りの国々で 見られました 中心経路のスワディスタナの 性質は創造性です アートの創造性などは とても美しく 深みがあり 非常にスピリチュアルです これらは消滅し 人々は悪習慣に満ちた 化身まで表現し始めました このプロセスにより さまざまな不浄が現れたのです そしてお伝えしたナビです ナビでは人は お金を追い求めます 左の者は金儲けに 右の者はお金で攻撃的になり 稼いでいれば 自分が世界で一番だと感じ お金があれば自分たちに 勝る者はいないと思っていました これは彼らを 滅亡させました 彼らは お金とは破壊するためでなく 建設するためのものだと 気付かされるのです 国を建設したり 人類が共に愛と平和を育んだり 助け合ったり 良いことに使われるべきだと 同じく右寄りの人が 母なるチャクラへ到達し 子供や皆を支配しようとしたり 子供の為に何も犠牲にできないなど 酷い母親になりました このように夫や子に対して 攻撃的な女性は沢山います 男性間でも 母性は消滅しています 私が地球に来たとき このような人が 沢山いてショックを受けました なんとひどい人達なのでしょう 彼らをどのように扱い クンダリーニを覚醒すればよいのでしょう ナビ チャクラにおいても 自分を見失っているのに さらには母なるチャクラもです 彼らには父性も母性も無く 子供を排斥したのです とても身勝手で 自己中心的で支配的な親です これがハート チャクラです 次に集合性のチャクラである ヴィシュディに到達しました ここでは全世界を 支配しようと目論んだのです 世界を支配し 自分たちが皇帝になろうとしたのです そして帝国を築き 人として受け入れ難いような 無礼な振る舞いを行ったのです 彼らは魔でした その悪魔の性質は 未だ存在します 人に対する態度 全てに見て取れます 人をその様に扱うからです これはスピリチュアリティに反する人 攻撃的な人を創り出します そして二面性の世界 即ち攻撃する側とされる 側を創り出したのです この二面性の世界は 大分減りましたが 今でも存在します 集合的理解のおかげで 沢山の良い施設が創られましたが あまり機能していません 何故ならトップにいる人が 支配しているからです 自分自身でなく 他者を支配するのです これらの行いが このチャクラの働きを阻害したのです 現在私たちの周りにある 集団性を見て分かるように 至る所で戦争が起こり 戦いが続き 殺人と破壊が 行われています なぜでしょう この世界には沢山の スピリチュアルな人たちがいるのにです それはスピリチュアルな人たちが とても静かで平和的になり 単にスピリチュアルな人生を 楽しむようになったからです これでは平和は もたらされません もっと活動的になり 世界に平和を 呼び込まなければなりません 自分たちの進化に 満足していても 他者の進化がどれだけ進んでいるか それに対して何ができるのかなど 気にかけていないのです 私は沢山の 変容をもたらせますが あなたのレベルで どれだけの人を変容しましたか 何をしましたか これが分からないといけません あなたはまだアギヤのエゴで 生きています サハジャ ヨガによって得た平穏に とても幸せなのです これは現在世界が 直面している不幸なのです スピリチュアルな人 高みに到達した人が やるべき善きことに無頓着なのです 彼らは自身の スピリチュアリティを楽しみ プージャに参加し もっともっと得ようとします しかし人々を変容するという コレクティブな仕事を行っていません しっかりやっている人もいますが それもほんの少数です ほとんどの人は周りから 素晴らしい人だと受け入れられている 自分自身を楽しんでいます あなたがどれだけ コレクティブな仕事をしたか どれだけの人に 行ったか内省してください 誰と話し どれだけの人に サハジャ ヨガを伝えましたか キリストは12人の弟子しか いませんでしたが 彼らの方があなたより 活動的でした ここでライト サイドを 活用するべきです ライト サイドを活用するとき ダイナミックな人を創造するでしょう 平穏で静かで忍耐強く 役立たずな人ではなくです これはサハジャ ヨガの 意図ではありません サハジャ ヨガの意図は変容 沢山の変容です これを行う人には 私からの恩恵が受けられます 自分だけの為に サハジャ ヨガを行う人は良くありません あなたの国にどれだけ サハジャ ヨギがいますか どれだけの人に サハジャ ヨガを教えましたか あなたのヨガは完全でなく レフト サイドの部分的なヨガです 愛情があり 優しいだけです 攻撃的になれとは 言っていません リーダーになって偉くなろうという 人達を見たことがありますが どれだけの人に リアリゼーションを与えたのでしょう サハジャ ヨガを伝えたのでしょう 至る所で サハジャ ヨガの話をしています しかしサハジャ ヨガを 自分自身の為に 自分自身を理解する為に 使用しています その為にあなたに もたらされたのではありません リアリゼーションを人々に広める為に もたらされたのです 若い世代の人へ忠告します サハジャのエネルギーを 無意味なことに使わないことです サハジャ ヨガをどんどん 勧めてください 広めてください 学校を経営したり貧困者のために 何かしたりする者がいますが あなたの 仕事ではありません あなたの仕事は サハジャ ヨギを増やすことです しかし これが 行われれていません ライトサイドが欠けているのです ライトサイドを活用してください 悪いことは起りません 誰もあなたを殺したり 邪魔をしたり 逮捕したりしません 私を信じてください パワーが備わっていても 使わなければ意味がありません それ故ライト サイドを使うことを 知るべき時が来ているのです ライトサイドは とても重要です 次回ライト サイドについて お伝えします 今後何をするにも レフト サイドに偏るべきではありません ライト サイドを正しく理解し 正しく活用してください ヒットラーのように独断的であったり 支配的にならないでください サハジャ ヨギにも ヒットラーはいました しかし今は 以前に聖者が成し遂げた 以上のことを皆さんがやる時が来ました 自分だけの為に 素晴らしい家族や 子供を楽しむだけのものではありません サハジャ ヨガはそのために あるのではありません サハジャ ヨガは 全世界を変容するためにあるのです このことを考えてください あなたは何をしてますか 何処にいますか サハジ ヨガから何を得ましたか そしてアギヤに到達しました アギヤで 何が起こったかというと ヨギ達は様々な苦しみに耐えられますが それは望んでいません 人々の苦しみや攻撃性を 取り除くことを望んでいます 私たちにはそのような組織や 理解はありません それがワークアウトすれば あなたは変わるでしょう 私たちは聖なる間にいる 聖者のように変容したのです 攻撃性無しに何か ポジティブなことをしてください 皆さんの中には未だ攻撃的で自己 顕示欲のある人がいるのを知っています コレクティブでワークアウトする 気があれば あなたの何が間違っていて 何が欠けているかが分かるでしょう とても重要なことです アギヤ チャクラではなぜか 多くのヨギがつまづくことがあります アギヤでは 許すべきと伝えましたが 他者の間違った行為を 見過ごすことではありません 争わず 何も言わず 許すことは 簡単ですがそうではないのです その人の所へ行って 間違いを伝えるのです 向き合わなければいけません 向き合えなければ あなたは役立たずです 何のために リアリゼーションを得たのでしょう 今理解すべきことは 私達にはヴァイブレーションがあり 人を癒すことができる ということだけではありません 公共の場に行って コレクティブになり サハジャ ヨガを広めることです 世界中にサハジャ ヨギが 沢山いるのに進展がありません 具体的にどのようにサハジャ ヨガを 広めていくか考えてください とても重要なことです 皆さんはサハジャ ヨガを話したり 歌ったりするのはとても上手ですが もっとヨギを増やさない 限り意味が無いのです トルコのような小さな国でも 2万5千人のサハジャ ヨギがいます 皆イスラム教徒でした 2万5千人のイスラム教徒が サハジャ ヨギになったのです それに比べ 他の国では ヨギが少数しかいません 彼らは裕福ではないけれど 自身のリアリゼーションや 他者に与えることを大事に思っています どのようにして広まったのか 興味深いことです 自身の問題や敵 権力 について考えるより 他者にパワーを与え ヨギにすることを考えてください とても重要なことです あなたがサハスララに居るなら 全てのパワーを持っています サハスララに居て 広めないなら 何のためのリアリゼーションでしょう 自分のためだけですか 自分勝手です 自分の栄光や 名声を広める代わりに もっとサハジャ ヨガに連れてきてください ダイナミックな勢力になってください サハジャ ヨギは死人のようだと 沢山の人が愚痴をこぼします それがあなたですか 一人で沢山の仕事をしてきました あなた達はどうなのですか 自分の国で できる限りのことをしましたか 考えてみてください これを行わない限り “サンプルナ” 完全にはなれません アディシャクティの完全なる パワーを理解していません それ故 私をアディ シャクティとして 崇拝するのは重要です アディ シャクティは完全でなくては ならないと理解すべきです レフト サイドだけでは だめです これをワークアウトせずに 何の意味があるでしょう それは他のリアリゼーションを 得るようなもので重要ではありません あなたは広めるだけでなく ヨギを増やし認識させるのです あなたに与えた全ての恩恵 愛 パワーをどうぞ理解してください ありがとうございました […]

Adi Shakti Puja, The Work of the Adi Shakti Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Adi Shakti Puja, Cabella Ligure (Italy), 3 June 2001.
今日 私たちは アディ シャクティを崇拝します 最も大切な プージャだと思います なぜなら あなたにセルフ リアリゼーションを 授けたのも あなたに真実を 与えたのも 慈悲と愛の力を与えたのも アディ シャクティの力だからです それは サダ シヴァから 分かれた力です この力は この完全な宇宙を 創ることを望みました 次々と宇宙を創り 愛します 彼女の愛で この偉大な創造を この世界の創造をしました この惑星は 人間の創造のために特別に選ばれ 太陽と月の間の 中央に 美しく位置づけられました これは彼女の偉大な業です 大いなる愛と慈悲で 創られました そして 彼女の子どもたちが 真実を知り 自分自身や他の全てについての 究極的知識を得ることを 期待して創られました 聖書で記された通り 蛇の姿をして アディ シャクティが現れ 人間たちに アダムとイブに 特にイブに “知識を知らなければいけない” と話しました 彼らは知識の果実を食べることを 受け入れました 人生の精妙さを知らなければ 動物のように生き続けたかもしれません 少しだけ動物より ましだったかもしれません 果実を食べると 何も身にまとっていないことに 違和感をもち始め 自分自身を 木の葉で覆いました 最初の知識は純潔でした なぜならシュリ ガネーシャが 確立されたからです 彼の影響は私たちに 体を覆わなければいけないという 意識をもたらしました 私たちはもはや 動物ではありません 動物は二本足で立ちませんし そのようなことを意識しません 純潔の知識でもって 次第に人間は 美しい国を 建国し始めました しかしまだ 知るべきこと 意識すべきことは 多くあります 人は多くのことに 気づいているかもしれませんが スピリチュアルな 覚醒なしには 自己の知識を得ない限りは 他のすべての知識は 全く意味がありません 自己の知識によってのみ あなたは力を持ちます 真の力である 愛と慈悲の力です 今日の世界は 戦いに明け暮れ 人々を戦争から守るための 巨大な防衛武器を作っています 全世界が互いに殺し合い 滅ぼし合い 野心 競走 紛争へと発展し より悲惨な戦争に 繋がります 彼らは一区画の 土地のために戦います 彼らは大変無知です 死ぬ時に人は 土地の一部でも持っていけますか 人は生まれた時 こぶしを握っています 死ぬ時 手は開いたままです 何を持っていけますか 何も持っていきたくない かもしれませんが あなたが戦っている 素晴らしいと 思っているものを楽しんでいますか 愚かな者たちの間で なぜこのような戦いが起こるのでしょう 平穏を望まないことに 驚きます 土地のこととなると 理解がなくなることに驚きます 全体が 間違った方向に進み 完全な破滅へ向かっています 彼らの無知によって 人間は大変苦しんでいます 無知によって これらの習癖を持ち 間違ったものに魅了され 間違った同一性を持ちました それは彼ら全員を滅ぼします 彼らはまともに ならなければなりません 自己の知識を 得なければなりません 自己の知識は 人に与えられた救いの鍵です 多くの聖人がいました 多くのスーフィがいました タオイストの者も 禅の者もいました この地上には あらゆるリアライズ ソールがいました 彼らは苦しみました 苦しめられました 誰も彼らを 理解できませんでした しかし今 あなたが 真実を知る時が来ました 無味乾燥なものでなく 慈悲深さのある真実 すべての人を包み込む 真実であり 私たちの存在の 完全な見解を与えてくれます なぜこの地上にいるのですか 私たちの目的は何ですか 私たちは何をすべきですか アディ シャクティの力は 愛のそして慈悲の力で まずあなたの自己を 理解させてくれます あなたにとって愛は とても とても限られています 自分自身について意識できません あなたにとってどんなにすばらしいか 考えてみてください あなたは自己を しっかり意識できるように ならなければいけません 非常に大切なことです まず自己を 意識しないといけません 今あなたは スピリットの光を持ちました その光で自分が何であるか 見ることができます どれぐらいのところに達しているか どんな間違いをしているか どれほどの害を 自分に及ぼしているか あなたにはそれを治す 改善する まともにする力があります これは最も大切な時間です あなたはこのような時間を 二度と持てないでしょう これまでの歴史にもありませんでしたし 未来にも決してないでしょう これはあなたが得た時間です 意識するだけでなく 自己の知識を得るだけでなく どうしたら良いか 解っています 聖人について タオイストや禅の者について言えば 彼らは 自己の知識を持つ者について 振る舞い方や生き方 他者と比べて何が違うかを ただ語っているにすぎません どうすればそうなれるのか 誰も言っていません 誰も言えませんでした することもできませんでした なぜならほとんどが クンダリーニのことを知りませんでしたし 知っていた者は 人々にそれを 話すことができませんでした ですから アディ シャクティの最大の仕事は あなたの仙骨に クンダリーニを置くことです このクンダリーニは アディ シャクティではありません アディ シャクティは もっと偉大な 大きな 広大な 深い 強い 力強いものです クンダリーニは アディ シャクティの力の反映です 彼女が覚醒されると 何が起こるか いかにリアリゼーションを得られるかは ご存じのとおりです しかし あなたは大変 注意深くいないといけません あなたは本当に 慈悲深い者ですか あなたが慈悲深ければ・・・ 慈悲深い者に まず起こることは 他の者を助けること 他の者を救うことだと思います 自分自身の達成や セルフ リアリゼーションの状態だけでは 満足できません 起こりえませんでした アディ シャクティが 全てをする必要は何でしょう 私が一生懸命やらなければ いけなかったことはご存じだと思います 幼少時代から 大変努力してきました 大変困難な時期もありました 人間からみて 困難な時期です しかし最悪なのは 私がリアリゼーションをあげた者たちが セルフ リアライズした者たちが 他者に責任を感じていません あるとしてもほんの少しです 今日彼らには人類を救う 世界を救う 慈悲の気持ちや愛がありません 私たちの大事な仕事であるだけでなく しなければならない唯一の仕事です 他から得るものは何もありません 他の者にリアリゼーションを与える この知識を与える あなたの努力 個々の努力だけです この知識は大変容易に 理解することができます もちろん大変精妙です お話ししたように 話題になっている量子論ですが 奇跡的な光の波動を見た 科学者たちが それは何であるかを 知ろうとしています サハジャ ヨギが他の者の上をいく ということではありません 自分に起きた 大変特別なことだと 皆さん一人一人が 理解しなければいけません たとえヒマラヤで修行しても 断食しても 何年も神の賛美を 歌い続けても あらゆる儀式や 苦行に耐えたとしても リアリゼーションを 得ることができませんでした 可能ではありませんでした このことは知っていました それゆえ 私は大変努力が要りました 様々な問題 様々な混乱 様々な圧力と 向き合わなければ なりませんでした なぜでしょう あなた達が創られ 私の手となるよう見るためです あなたは働かないといけません どの指も働かないといけません ずっと言い続けていますが 今は私たちの責任です 私たちが サハジャ ヨギになるためだけでなく 開花の時 多くの人が サハジャ ヨギになるためです それはアディ シャクティの仕事です 理解するようにしなさい それは どの聖人の仕事でもありません どの化身の仕事でもありません いかなる政治家の 仕事でもありません いかなる偉大な指導者の 仕事でもありません アディ シャクティの仕事です それはあなたの中に 結果をはっきりと見せています それに あなたが気づくことです 私を歓ばせることは あなたの切なる望みです 解っています あなたが どんなに私を愛しているか どんなに私のために 尽くしたいか知っています 私のためにできる 最大のことは サハジャ ヨガを広めることです それはとても特別なことで あなたに与えられた 非常に難しいお恵みです あなたはいかなる努力も 要りませんでした 全くお金を払うことも ありませんでした あらゆる儀式で 変になることもありませんでした 自発的にそれを得ました それを生まれ持った権利のように 捉えてはいけません それはアディ シャクティの仕事です アディ シャクティの仕事は あなたの生き方の中に 現れなければいけません 見返りを期待しない 慈悲の心です 人は貧しい者に 同情を見せることで 貧しい者や障害者の世話をすることで 宗教を広めようとしました サハジャ ヨガは それをする必要はありません すべきことは人を変えることです どのように人を変えられるか いかにアディ シャクティのメッセージを 広められるか 方法を探してみなさい 心がけなさい そうすれば どうしたら良いかわかるでしょう サハジャを広める方法を 見つけなければならないという 強い願望を 常に持つべきです でなければ キリストが述べていた 湿地に落ちた種は 発芽しても 決して育つことがなかった話の ようになってしまいます 自分ができることを 知ることによって あなたは 本当の意味で成長でき 何かとても特別な者 真の者になれます もちろん 私にはビジョンがあります 何度もお話ししました プージャだけで終わるのは よくありません とても困難な国もあります 問題は何か なぜ難しいのか 分かるようにしなさい 最後の審判と呼べる 同じ土壌の中で 人はなぜ自分自身を 滅ぼそうとしているのかということに 私たちのアテンションはあるべきです 私たちの慈悲と愛を通して できるだけ多くの人を救いましょう これはアディ シャクティの仕事です いかなる聖人や 化身の仕事ではありません 彼らは皆そこにいます 私たちの中にいます 終始私たちを助けています あなた方は とても偉大な 浸透する奇跡のような アディ シャクティの力を持っています 大変効果的です しかし あなたが 自分自身の力を意識しないかぎり どうやって ワークアウトするのですか それは全てを備えた 死んだ機械のようなもので 誰も操作する人が いないのと同じです 私は常に 大変際どい時期を 過ごしてきました 大変困難であったので 時には来世でないと無理かと 感じたこともありました しかし 今はあなたにとって とても簡単なことです それは大変な思いをして 作られた道を 自分がどれほど簡単に得たか 気づきもしないで歩いているようなものです それに気づけば “この道を 多くの人が歩けますように” “大変な忍耐と理解と愛で創られた この道を”と感じるでしょう 全てのサハジャ ヨギが この世界を変えるために 最善を尽くさなければいけません 実際人類は 他の誰でもなく あなた方によって 救われなければなりません 大統領でも首相でも 大臣でもありません 彼らは世界を 変えることはできません その権利を与えられているのは あなたです あなたは この力を持っています 自分の地位 立場が 遥かな高みにあることに 気づいていますか その悟りがあれば 愛と慈悲を表わすために 人が本当はどんな存在か 気づいてもらうために あらゆるところに出向くでしょう サハジャによってのみ 世界を救うことができます 他の方法はありません 何をしようと 何を言おうと 貧しい者を助けようと それは上辺だけのものです 最良なことは 全ての者に リアリゼーションをあげることです 私たちは子どもたちを見てきています 彼らは成長しています 偉大なヨギになるでしょう 分かります しかしその前に 自分がして得たものを 示さないといけません 静的な仕事ではありません 爆発的な大きな動きです そのような 大きな歩みでないかぎり 審判の日に 誰が咎められるかわかりません 人類の運命を高めるのは あなた達です 自分自身を 何でもない者として見てはいけません あなたはリアリゼーションを 得なかったかもしれません 多くの中からあなたこそが 私のところに来て リアリゼーションを望み 授かりました 強制されるものではありません このリアリゼーションは 強制されるものではありません この意識は 強制されるものではありません この意識の成長もまた 強制されるものではありません あなたはアテンションを 自分の中で深く育まなければなりません そして何をしてきたか 見ないといけません 金銭問題 権力問題あるいは 他の様々な問題で忙しくするなら 問題はあなたです あなたは サハジャ ヨギではありません サハジャ ヨギは 全てを超えています とても強力です 力が備わります 口先だけの愛でなく 愛と慈悲の力です それは他の者を愛するだけの 業ではありません あなたが持つようになる 強力な人格です それは偉大で 神聖な光をただ放ち 人を捉えることができます 皆が とても勇気ある人格を 持つべきです 皆さん成長しました 以前私に“これが私の悪いところです あれが父の悪いところです” “曽祖母の悪いところです”といった ことを書く者がいました しかし そのようなことはなくなりました 大変少なくなりました 病気の者 失敗した者 改善することができない 状態にいる者について 私に話すかわりに アテンションを 変えなければなりません ある人が 癌にかかれば 私に少なくとも 10枚写真が届きます リーダーもその妻も 私に手紙を書くでしょう 皆が私に手紙を書くでしょう なぜですか それは私の仕事ですか その人は治ることができます 病院があります 写真で治せます しかしアテンションは 常に同情の方にいってしまいます いわゆる肉体的に 精神的に 感情的に 財政的に また結婚生活で 苦しむ者に対して あなたの仕事ではありません 私のでもありません その人が病気なら 写真を使ってワークアウトすべきです うまくいかなければ 仕方ありません 彼らを特別に扱ったり ワークアウトさせたりする 必要はありません うまくいかなくても “こういう人が病気です” と私に書くことはありません 何がそんなに大事ですか 健康な人はたくさんいます その者たちに 働きかけてはどうですか 私たちの仕事は 人を治すことではありません 愛情はいいでしょう 慈悲もいいでしょう 私たちのアテンションが病人 あるいは貧しい者 苦しんでいる者にいくのは 自然なことですが サハジャ ヨガはどうなるのですか 一人の病人がいれば 百人のサハジャ ヨギが気にかけるでしょう その理由は何ですか 慈悲ですか そうではありません 彼らはその人を治すことができると 証明したいのです 慈悲ではありません 今日慈悲とは 人をサハジャ ヨギに 良い人に変えていくことです それがアディ シャクティの愛です 生まれた者は必ず 死ななければいけません もちろん不親切になることは ありませんが どれほどの者にリアリゼーションを 与えられるかにアテンションがあるべきです 人がいわゆる治療や改善に 夢中になるのは とても普通のことです いいでしょう 例えば 結婚生活に問題が生じます 夫婦で暮らしたくない者もいます 終わりにしなさい 一緒に住みたくないなら そうしなさい この世界にはもっと分別のある者が 健康な者が多くいます なぜ住みたくない者と 一緒に葛藤し続けるのですか あなたの仕事ではありません まずあなたは スピリチュアルに働く者です ソーシャル ワーカーではありません もちろん 社会的に働くことができます しかし あなたにとって一番大切なことは 人を変えることです これにおいて 最も厄介なことは 冷酷さ 残酷さ 他者を苦しめること 怒りです 内的なものである これらすべては 直すことができます 今日求められています どの国も戦い 苦しめられ 常に破滅への危機に さらされています あなたができる唯一の方法は リアリゼーションをあげることです リアリゼーションをあげた時 何が起こるか しっかり見るべきです その人はそれを大切にし 成長すると 守られます 完全に守られます 誰が守るのでしょう アディ シャクティと 言ってもいいでしょう この世界には 破壊の力があります ネガティブなものではなく シュリ シヴァの ポジティブな破壊の力です アディ シャクティの仕事が うまくいっているなら 彼は幸せです しかし 彼はひとりひとりを サハジャ ヨギのすべての仕事を そこに座って見ています 彼が何かとても 間違ったものを見つけたら 私はそれを コントロールすることはできません 彼は滅ぼします 私はそこには立ち入れません 彼は滅ぼします 何千もの人を 彼は滅ぼすことができます 災害があるところはどこでも 地震や ハリケーンのようなものはすべて シュリ マハデヴァの働きから来ます 私はそこでは助けられません しかし あなたが人々に リアリゼーションをあげたなら それらの人々は 危険を避けることができます もちろんこの世界を創り あなたを サハジャ ヨギ達を創ったのも アディ シャクティの 気まぐれと言えるでしょう しかし あなたの責任もまた とても大切です あなたは 責任を持つことはできません 私の責任だったかもしれませんが 違いがあります 決して私の責任だと 感じませんでした これは私の仕事だと 決して感じませんでしたし 私がしなければいけないと 思いませんでしたが 私はやりました これが仕事です このような人格を あなたは持つべきです あなたは とても謙虚な気持ちで とても美しいやり方で やらないといけません そしていかに守られているか いかに支えられ いかにすべてがうまくいくかに 驚くでしょう 人にリアリゼーションを与えられると 彼らの人生を変えることができると分かる時 最大の歓びを得られます そのような歓びは他では 決して感じられないでしょう 仮に宝くじに当たっても 大きな仕事をもらったとしても 有名になったり 表彰されたりしても 感じられないでしょう サハジャ ヨギを創る歓びは 計り知れません 大変歓びに満ちたことです そのような仲間 そのような結束 そのような一体感 愛の歓び 慈悲の歓びを あなたは得られます それは普通の喜びではなく 違うレベルの歓びです あなたは私を 恐れることはありません でも自分自身を恐れなさい 自分自身を注意深く見なさい そして今まで何をしてきたか これまで何をしたか 自分自身で見なさい あなたは啓蒙されています 啓蒙された者が光を与えられなければ それを持つ必要があるでしょうか これらの小さな ロウソクを見てみなさい どんなに炎が小さくても その光を放っています 自分自身を燃やして 光を与えています 光が与えられなければ 啓蒙されても 何の役にも立ちません 啓蒙されるとは 自分だけに光が当たることではありません 愛の 慈悲の光であり 神聖です 普通のものではありません 映画でみるような 普通のものではありません 働きかけるのは神聖な愛です サハジャ ヨギが 金銭問題に絡んでいるとか 騙しているとか 犯罪に関わっていると耳にすると 弱ったように感じます 理解できません 信じられません 最も高いものを得たのに なぜそのように下落するのでしょう それは自分が得たものを まだ感じていないからです あなたは自分が得たものに 気がついていません 敬意を払っていません まだ同じライン 同じレベルに留まるなら 私や自分自身を 公平に評価していないと言うべきでしょう ワークアウトしなければなりません ひとりで私はやりました 一生懸命やったと言うべきでしょう ひどい者と 大変冷酷で 自己中心的で残酷な者と 付き合わなければいけませんでした それは問題ではありません 大変美しい鳥を見つけました あなたは自分の光沢を保ち ワークアウトさせなければなりません すごい速さでサハジャ ヨガが 広まっていると聞くと そして人々が 平穏 歓び そして幸福の領域に 本当に達していると聞くと 大変うれしく感じます それが私の夢です あなた方皆が ワークアウトすることを望みます ありがとうございました […]

Shri Krishna Puja Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Shri Krishna puja. Cabella Ligure (Italy), 20 August 2000.
今日 私たちの中に内在する シュリ クリシュナを 崇拝するために集まりました ご存知のように サハジャ ヨガに来る前 皆さん 真実を探求していました 様々な所に行くことで 読むことで探そうとしました 中には自分を 見失う者もいました しかし何を探していたか 分からなかったでしょう あなたが探していたものは 自己を知ることでした すべての宗教が “汝 自身を知れ”と言っています このことについては どの宗教も言っています 自己を知らずして 神を知ることはできないからです スピリチュアリティを 知ることはできません 最初の段階は 自分を知ることですが それにあたって人は あなたを騙そうとしました 間違ったことを教え お金を奪い 騙しました 様々なことを経て サハジャ ヨガにたどり着き リアリゼーションを得ました リアリゼーションの目的は 何でしょう 神を知ることです 女神を知ることです これがリアリゼーションの目的です リアリゼーションの後 あなたに何が起こるべきでしょう 多くが麻薬などナンセンスなことに 無関心になりました 無益な本を読むことにも もはや関心がありません お酒を飲むことにも 関心がありません しかしそれだけでは 十分ではありません いずれにせよ そうなったでしょう なぜ神は自己を 知ってほしいのでしょう あなたの中に 彼の反映を見たいからです 反映を見たいので あなたを創りました 女神も同じです 彼女はあなたに リアリゼーションを与えました あなたの中に 彼女の反映を見たいからです ですから より純粋で 美しく 愛深く 慈悲深く 何より叡智が反映されるように ならないといけません 叡智を持つことを理解できる 地点まで到達しないといけません 叡智が欠けているなら あなたは自覚を得た者ではありません シュリ クリシュナの 域において 彼はあなたが ヴィラータの ヴィラタンガナの一部に なることを望んでいます ヴィラータの 一部になるべきであって リアライズ ソールだからといって 完全に大丈夫で 何もしなくて良いと 思ってはいけません そこから何をするかが 大切です リアリゼーションの後 シュリ クリシュナのような 神々の人生から あなたの中にあるべき反映を 見なければいけません シュリ クリシュナは 大変困難な境遇で生まれました そしてヤシュダによって出身地へと 連れ出されました そこで彼の戯れが 始まりました あなたも人生において 遊び心を持ち 楽しさや歓びを 創り出さないといけません 聖人のようにヒマラヤで 座禅をしなさいとは言っていません 子どもたちと戯れ 話し 遊び 楽しみなさいと言っています 彼は同時に 彼に挑む ネガティブな力を全て滅ぼしました 子どもでありながら 大変成熟しており プトゥナや2人の恐ろしい ラクシャサも殺しました 同じ頃 彼は ゴピスと戯れたり からかったり 困らせたり 茶化したりしていました なぜでしょう 彼らに遊び心を 持ってもらいたかったからです それに対して 様々な祝賀がありました ある豪雨の日 彼は指先で山全体を持ち上げました 人々は不可能に思いました 奇跡です 山を指先で掲げ 立っていました 気取らない様子で 彼と遊んでいた男の子達を 守るために持ち上げました また彼は大蛇カリナを 水中で殺しました この恐ろしい蛇は水中で 人を殺す毒液を作っていました 彼はあっという間に ヤムナ川の物凄い水流に飛び込み カリナを打ち負かし 殺すことで人々を救いました しかしこの大蛇の妻は 彼に夫を許すよう懇願しました 彼は許しました 6-7才の子どもが このような偉業を 自分がしていると思うことなく 成し遂げました そのことを考えもせずにと 言ってもいいでしょう シュリ クリシュナであると 悟っていたのでできました ですからあなたは自覚を得た者 であると意識すべきです 普通に振る舞うような 凡庸な人間ではありません あなたは特別な人です 全能なる神の本質を 反映するために創られました 誰もあなたにカリアを殺すよう 期待していませんが あなたは絶えず 守られている状況です 誰もあなたを 傷つけられません 殺せません あなたはサハジャ ヨギです 面倒を見てもらっています では物事を決めるにあたって サハジャ ヨギはどうあるべきか 理解する必要があります 自然な判断であるべきです 計算たり 下見したり 検討することはありません シュリ クリシュナが川に飛び込んだように 即座に自然な判断を下します 同じように全てにおいて 自然な判断をすべきです 例えば 絨毯を買うとします 店に行き どれを買うべきか すぐ分からないといけません 人生のどの瞬間も 自然な判断をすべきです 即座にです しかし私が見る限り そうではないようです 店を次々の渡り歩き リストを作って測定したり 帰宅すると 明日決めようと言います サハジャ ヨギの 振る舞いではありません サハジャ ヨギは全て その場で自然に判断します そうあるべきです 例えば誰かが 溺れそうだとします 最初の衝動は その者を救おうとします どう助けますか 水に飛び込みます 守られているからです あなたに悪いことは起こりません ですからただ飛び込み 人を救います これがとるべき 最小限の姿勢です 自然な判断が あなたの気質です 悩んで決断し 決断にあたっても 会議を開いたりすることはありません 日常においても そうあるべきです 政治面 経済面 全ての生活面においても 自然でないといけません いかに自然な判断が できるでしょう あなたにどのような 素質があるでしょう 何を使って決断しますか あなたには ヴァイブレーションがあります 感じられます ヴァイブレーションとは 何かも知っています あなたに何を教えているか 知っています あなたに語っています ですからヴァイブレーションで 何をすべきか瞬時に分かるはずです “カベラは物凄いヴァイブレーションです” と言う者がいます 事実です どれくらいの人が そう感じるでしょう あなたの感受性は まだ発達していません 自分のヴァイブレーションに対して 敏感でないといけません 誰を見ても 隣に座る者が誰であれ 誰と握手をしようと その者のヴァイブレーションが 分からないといけません このような感受性を発達させるなら 自然な判断ができます 私にはそれができます カベラの城を 5分で買いました 近くまで行くと 車が大型で 行けませんでした “私の車で行きましょう” と市長に言われました 到着すると 確かに荒廃していました 周りの足場も悪く 幽霊が出そうな場所でした 一緒にいた皆が “ひどい場所です これは買えません”と言いました そこで私は市長に言いました “買います 今です” 彼は驚いていました どうやって購入できるか 尋ねると “イタリアでは簡単で 値段の1/3を払えば自分のものです” “気に入らなければ断れますが 返金はできません” “競争相手がいれば 倍額を支払います” “お得ですね 買います” と言いました 皆がこの出来事に 驚いていました 決めては ヴァイブレーションです その場のヴァイブレーションです 7つの城を彼らに 案内されましたが 中に入らずに断りました 入りもしなかったので 驚いていました “以前は何だったのですか” “女子修道院でした” このような自然な判断が できるようになるべきです できるようになれば 短い時間で素晴らしいものを 得られることに驚くでしょう だからといって 粗雑にするのではなく まずヴァイブレーションの 敏感さを持つべきです 敏感になるならサハジャ ヨガ において成熟しています 成熟しないといけません リアリゼーションを得たので これができると思うのではありません まず敏感さを 持たないといけません どのぐらい敏感か どう分かるでしょう 自然な判断で結果が 芳しくなかったとします 自然な判断で 決断しながら 失敗し 間違っていたとします 経済的 政治的 あらゆる面で 苦しむことになるとします そこであなたの価値観が 評価されます どれほど サハジャ ヨガで深まったか リアリゼーションを どれほどものにしたか このように 自分を試すことができます でも失敗を恐れてはいけませんし 成功に舞い上がることもありません あなたが 自覚を得た者だからです もちろん敏感なら すぐさま分かります 私と同じようにとは言いませんが やってみるべきです ある者を称賛する人がいます “すばらしい人です 是非会って下さい”と言われました その者の写真を 見せてもらうと “残念ですが会いたくありません” と言いました 彼らには理解できません “どんなに偉く 将来大臣になろうと 会いたくありません” すると翌日の新聞に 悪人であるという記事が載りました あなたは自然に決めたことに 対する経験や 理解と 向き合わないといけませんが それでも自然な判断を するよう言います どうやったらよいかなどは 考えてはいけません 何が正しくて間違っているかを 知っていると思い込むことは 自然な判断に 影響を及ぼします (私が建てた家を 何人の者が見たか分かりませんが) シュリ クリシュナのもう一つの側面は 創造性の豊かさです 幼少時代 いたずらのような 様々なことをしました 大人になると ドワリカの王になりました そして王様のような 装いをしていました 何であれ王でした 子どもの頃は小さい孔雀の羽根を 一つ着けていたものです しかし王になると王の装いで 王座に座り 人々と話しました 偉大さを持ち 創造性は大変豊かでした 彼はドワリカに金でできた 大変美しい宮殿を建てました 信じられますか 彼が建てましたが 水面下に沈みました 西洋諸国に洗脳されたインドの知識人は それは不可能だと言いました 水中には何もなく 宮殿は建てられなかったと 作り話で神話だと しかし ある者は それを信じ 水中に宮殿を見つけました 全てではありませんが 金が少し残っていました 彼の建てた巨大な宮殿に 驚いていました 水中に沈みながらもありました このように化身たちは 大変創造性豊かでした あなたが創造的でなければ リアリゼーションは何の役に立つでしょう 簡単で 最もすばらしい 創造的なことは 他の者を サハジャ ヨギにすることです 最も簡単で歓びを与えることは 他の者をサハジャ ヨギにし 彼らが長年求めていた 神聖の恩恵を得ることです あなたは素晴らしい 癒しや恩恵を与えます あなたはリアリゼーションを 簡単に得ました 瞬時のニルヴァナといいます サハジャ ヨガの 瞬時のニルヴァナです 人は簡単に瞬時に得られるものの 価値を理解できません インド人は“独立で 簡単に自由を得た”と言います そのため貴重に思いません ただで特別な努力なしに得ると それを尊重しません 理解しません 当然のように思いますが リアリゼーションを得るための 人の苦難を知っていますか ヒマラヤに行き一本の脚で 何ヶ月も立ったり 逆さ立ちしました それでも得られませんでした 28年間 こもった者もいます なぜそのようにするのでしょう 人や悪い環境から離れれば リアリゼーションを得られると 考えたのでしょうが 得ることはありませんでした 簡単に得られるものでも 大変貴重なもので 素晴らしいものだと 理解すべきです リアリゼーションを得るのは 容易なことではありませんでした 自覚を得た者について 読んだことがあるでしょう 彼らはそれをどう得たかも クンダリーニのことも知りません でもグルや 苦行を通して得ました 仏陀はリアリゼーションを得るまで どれほど苦労したでしょう いかに得たか 考えてみてください 彼の人生を見れば ぞっとするでしょう 最期は飢えと貧困で 亡くなりました しかしあなたには そのようなことはありません 何の困難もなく得ました 大変優しい方法です お金も努力もなしにです だからといって尊重しなくていい ということではありません それは種が母なる大地に植えられ 自然に発芽し 木へと育つようです 胚芽に生命が宿ります しかし水を与えなければいけませんし 世話する者がいないといけません この場合 あなたが 世話をしないといけません まず慈悲と愛の栄養を与えます 慈悲と愛を持っていますか 人を愛していますか 今日子どもが嫌いだという者がいて ショックを受けました “他人の子は好きですが 自分の子が嫌いです” なぜ我が子が嫌いだなどと 言えるのでしょう まずあなた方は “好きです 嫌いです”と 決して言うべきではありません 反マントラです “私はこれが好きです” と言うあなたは誰ですか “この絨毯が嫌い 銀のものが嫌い” あなたはそれを創れますか この決めつけは自然な判断だと 思いがちですが違います そのように言う権利があるという発想は コンディショニングから来ます あなたは何ですか スピリットなら 決して言わないでしょう 人を傷つけるかもしれません 傷つけるような言葉は使いません 危害を加えません スピリットなら愛深さ 慈悲深さ 穏やかさ を与えることを言うでしょう 他者に歓びを発するでしょう スピリットは他者に歓びを 与える力があります あなたが不機嫌なら 自覚を得た者ではありません あなたは歓び 愛 慈悲を 与えることができるはずです そしてそれは 全く自然に起こるものです マハラシュトラでの 聖人の話しがあります 人は“カヴァドゥ”と呼ばれる水亀で 水を運んでいました グジャラートからシュリ クリシュナの 寺院まで遥々運びます シュリ クリシュナに帰依する すばらしい行為だとみなされていました その聖人も“カヴァドゥ”と呼ばれる 水亀で水を運んでいました マハラシュトラの村から 遥々運んでいて 寺院のある麓にさしかかると 喉が渇いて死にそうな ロバを見かけました すると彼はそのロバに 水を与えました “神格に捧げるため 何マイルも幾日もかけて運んだ水を” “このロバにあげるのか” と皆は言いました 彼は言いました “神が水を飲む為に降りて来られた ことが分からないのですか” 彼の態度を見てください 自覚を得た者にとって 慈悲はこのようでないといけません 大変寛容です あなたが寛容でなく狭量で 常にお金や貯金のことを心配するなら 成熟したサハジャ ヨギとは 言えません それにそのようなお金は 幸福を与えません 欲深さは スピリットに反しています スピリットは非常に寛容です 決して何かを倹約したり 人を騙したり 盗んだりしようとしません 論外です その者に欲が 全くないからです 欲が全くないので リアライズ ソールは欲深くないのです 大変寛容です 大変寛容な者を 他者の問題に理解力がある者を 多く見てきました 自分の問題事に悩む者は サハジャ ヨギではありません 他者の問題を 解決する為にいるのであって 自分の問題解決やそれを 話題にする為ではありません 現代の“これが私の問題です” という言葉は 以前は幾何学でしか 使われていませんでした 人は“問題はない” とか言いますが それが問題なのです あなたの問題を 他者に振るべきではありません 何も要求しないことです “私のためにこれをして あれをして” 人が相手を利用しようと するのには驚きます 外国に行くのが好きで “あなたの国に言ってみたい” と連絡する者がいます 寛大なサハジャ ヨギは “来てください”と言うでしょう 問題は要求している方です 何も要求すべきではありません あなたは完全だからです 満足してるだけでなく 完全です 人が何をあなたに 与えるられるというのでしょう あなたが完全であるとき 全ての欲求が消えます 来るとき 多くの星が見えました でも月が出るや否や 星は全て消えました 同じように あなたが完全なら 人から何かしてもらおうと 期待しません 反対に他の為に何ができるか 見つけようとします 他者の問題を 自分のことのように考えます 真剣に考えます あなたの成長につながります あなた方全員に起こるべきです リアリゼーションを 得ているからです 自分の為でなく 他者の為に生きる人格が発達します あなたはどこでも暮らせます 寝れます どんな食事でも 食事がなくても構いません あなたは 満足しているからです 逆に他の者の為に 料理したいと望むでしょう できることは 何でもしようとします できるならそうするでしょう しかし自分の問題にしか 目を向けない者がいます サハジャ ヨギではありません スピリットは問題を持たないものです あなたはもはやスピリットであって 全てを超越していると理解しなさい あなたの創造性は また別の次元へといきます もちろん他者に リアリゼーションを与え始めます 芸術を創造します ババママは文学が 得意ではありませんでした 母が数学者だったので 数学は得意でしたが 言語においては 得意ではありませんでした 私が彼の小論を 書いていたほどです しかしリアリゼーションの後 大変美しい詩を書きました ババが書いたとは 皆信じられませんでした 先程言ったように 私が小論を書いていたくらいです 驚くことに ウルドゥやマラティ ヒンディの詩を書き始めました 兄弟が彼にどうやって ウルドゥの詩を書いたかと尋ねると “シュリ マタジに教わった” “全てにおいて教わった” と答えました ですからあなたの中の 創造性が開花します どこから創造性がきたのか 自分でも驚くでしょう 数学者が突然詩人になったと 想像してみてください 不可解に見えますが あなたにはこのような能力があります あなたは多岐に渡って 創造的にならないといけません 私は大変創造的です 常に何かに働きかけていて 結果も良好です それに人から称賛されるべきだとか 新聞に載るべきだという 普通の人が持つような興味は 私にはありません 創造のために創造します その創造をただ楽しみます すると人が言ったり話したり 行動したりすることにも 適応性を 持てるようになります 人は攻撃的になったり 称賛したりするでしょう でもあなたを称賛していると 気がつかないでしょう “シュリ マタジ キ ジェイ”を 私も一緒に言って 私のことを言っていると 忘れることがあります あなたは これらを超えています そのような人間の振る舞いに 全く理解できないほどです サハジャ ヨガに来ると リーダーになりたい サハジャ ヨガの偉い組織者になりたいと 強い欲求を持つ者がいます そのようなものは 偉大なサハジャ ヨギとして 国際的な名声を欲します 伝えている創造性とは 離れています 私は何を創造したでしょう 人間にとって 人から称賛を得たいと思うのは 普通のことです あなたがスピリットなら 皆知っています 何を自慢することがありますか 脚光を浴びる必要がありますか 後ろにいても光はあります ですからあなたは 暗闇から出ないといけません あなたが光で 光を広げる者だからです 暗闇にいるなら 光を広げることはできません ですからあなたのスピリットは 問題を持てません 恐れはありません そして何よりも すごい叡智があります それがより高次な人格である あなたの印です これは進化です あなたが変わったとき 別の特質を持つ者として進化します 際立ちます 周囲と同じになるなら サハジャをしても 意味がありません キリストはどうでしょう 大工の息子でした 教育を受けていません でも何をしたでしょう 彼はスピリットでした 内に神を反映しました そしてまた そのために 十字に架けられました サハジャ ヨガでは 起こりません そのような試練はありません しかし 自分の判断基準が どうであるか見るべきです 内省を通して ワークアウトしているか 自問すべきです “サハジャ ヨギ氏 ごきげんよう” “自覚を得ていない者が夢中になることに 没頭していませんか” 探ってみなさい サハジャ ヨギの成長は その振る舞いや生き方や 表情に表れます このような者にシワはありません 心配事はありません それなのに なぜシワがあるのでしょう そのような者は 誰に対しても逆上しません 逆に笑います 一度スイスの教会で 私を聖書で叩こうとした 女性がいました 私は聖書で叩くなんてと 笑いました 笑っていたので 彼女は怖がりました 聖書で叩こうとする愚かしさを 見なさいと言いました 石ならまだ分かりますが 聖書では叩きません 皆さんの目の前で 起こったことです ご存じと思います ネガティブな力が あなたを精神的にも 感情的にも 傷つけるかもしれませんが 超越していれば 誰もあなたを傷つけられません 傷つけられたと感じないでしょう 気にもなりません しかしあなたは 何か創造しましたか 今日何人かの男女が 離婚しようとしていました サハジャ ヨガで結婚して 離婚を望みました 考えられますか ショックでした 夫が兄弟のようだと 変な考えをしていました おかしな考えをしていて スピリットの光が ありませんでした スピリットの光があれば あなたの理解は 違ったものになっていたでしょう 自分でなく 他の者のことだけ心配し その者の為に 解決策を見出そうとします 助けようとします あなたにとって 簡単なことだからです 光を灯すのは簡単です 一度啓蒙されて 灯されているからです 輝きをなくす方が 難しいです 人間は リアリゼーションの後でさえ 何年も成長した後でも まだ愚かです リアリゼーションの価値を 分かっていません スピリットを 殺すことはできません 吹き払うこともできません この光は消せても スピリットの光は消えません 灯し続ける油は 何でしょう 慈悲や愛 他者への思いやりです 中には支配的な人がいて 問題を起こします それでも 思いやりなさい あなたとは違います 完全ではありません だからこそ 思いやりなさい “そうする必要があるのか” と思うならあなたは終しまいです このような反応は スピリットの者ではありません スピリチュアルな者の反応は これとは全く違います シュリ クリシュナの生き方に 見ることができます 彼には 大変貧しい友がいました シュリ クリシュナに 会いに行きたがったので 妻は彼に 米菓子を持たせました “あなたの友達に 持っていってください” 彼は恥ずかしく思いましたが 持って行きました シュリ クリシュナは 宮殿にいて 門番に“彼には会えません” と言われました “スダナが来たと伝えてください” シュリ クリシュナは王座に座り 話しあいをしていましたが 伝言を受けて 門へ駆けて行き 友を何度も 抱きしめました 彼は“なぜここに立っているのか” と言いました 中へ招き入れ 王座に座らせ 妻に友の足をきれいにするよう 言いました そして服を持ってこさせ 風呂に入れました そして彼のベッドに 寝かせました シュリ クリシュナの愛です そして友の足が汚れ ひび割れていたので 薬を塗ってあげました ひび割れを治そうと 精一杯のことをし 彼のベッドで休むように 言いました そして眠れるように うちわで扇ぐよう女性たちに言いました シュリ クリシュナの慈悲深さが 美しく表れています 私たちは 慈悲深いでしょうか 彼はそれをする義務も ドラマもありませんでしたが 彼のハートからくる 自然な判断でした スダナが来たと聞いて 友のもとへ駆けました 旧友が来たことに 嬉しく感じたのです 彼がハスティナプールに 行ったとき カウラヴァの長男 ドゥリョダナに “私の宮殿に来られて 滞在してはどうか”と言われました 彼は“行きます でもヴィデュールと食事をとります” ヴィデュールは 使用人の息子です 彼は行って ヴィデュールと食事をしました ヴィデュールは 貧しい者でした ドゥリョダナなら豪華な食事が 出たでしょうが どんな食事だったかは 分かりません 味や食事の質は 関係ありません 愛です リアライズ ソールであった ヴィデュールへの敬意です 他のサハジャ ヨギヘの敬意です 政治家だからといって サハジャ ヨギが尊敬するなら 理解できません スピリットは 全てを超越しています 他のヨギに敬意を払えないなら 何かがおかしいのです スピリチュアルな者は肩書きを持つ者より 高次であると理解すべきです そして生き方に 愛が表れています 全ての聖人 化身は皆 愛を持っていました 全てを超越し そして何も期待しません 人の期待から 行動するのではありません 神の愛を反映する人格です その反映が あなたにもあるべきです サハジャ ヨギでは人より秀でている という意味ではありません 人と異なる 超越している ということです 優越感がないので あなたは人と違うのです 大変謙虚なので 人と違うのです 大変歓びに満ち 穏やかなので 謙虚なのです シュリ クリシュナの生き方から お話しできることはたくさんあります 彼はヨゲシュワラ と呼ばれています ヨガの神です 彼がヴィラータだったからです 彼はアルジュナだけに 姿を見せました 誰もアルジュナのようでは なかったからです アルジュナでさえ 彼を見た時畏怖しました 彼はシュリ クリシュナのように 牛飼いとして暮らしました シュリ クリシュナはゴクールで生活し 自分の力を自慢しませんでした 彼の力は内にありました そしてそれは 自然に表現されました この力は叡智と分別です 完全な分別がありました もしなければ 神聖な力ではありません 悪魔的な力だったでしょう あなたに親切だからといって 親切にするなら間違っています インドではアヴァデュタ と呼ばれる者達がいました 彼らはリアライズ ソールで 社会から離れ 人から隠れ 質素な場所や 洞穴に暮らしていました “理解されないなら話す必要はない” と考えたからです 彼らは孤立し それぞれで暮らしていました 何ができたというのでしょう 多くのサハジャ ヨギといる あなた方とは違います あなたにはたくさんの友や お互いがいます でも彼らは孤独で 社会から離れました 人とも会いませんでした そうしようものなら 十字に架けられていたでしょう あなた方は違います 社会があります 良い友や スピリチュアルな人々の すばらしく啓蒙された 社会があります それらを伴い 創造的でありえないなら 何と言って良いか分かりません 何かを創造しないといけません 芸術や音楽 詩 文学 何であれ 創造しないといけません 何よりもサハジャ ヨギを 創らないといけません これが一番の 創造であるべきです 至るところでサハジャ ヨギを 創ることが大切です 私が色々な場所へ行き プログラムをすることもできますが すばらしい状態を得たという 模範を示さないといけません あなたが彼らに 気付きを与え サハジャ ヨギとしての生き方が できるようにしないといけません 実際完全になるなら あなたはマハヨギです そうならないといけません あなたのスピリットが 皆に歓び 平穏 恩恵を与える マハヨギになること以外に 大切なことはありません 神の祝福がありますように […]

Guru Puja, Sharddha Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Guru Puja. Cabella Ligure (Italy), 23 July 2000.
今日 私たちは グルの原理について 知るために 集まりました グルは 何をするでしょう グルはあなたが 持っているものが何であれ あなたの中にある 貴重なもの全てを あなたの知識のために 発見します 実際 全てがそこにあります 全てです 知識の全て スピリチュアリティの全て 歓びの全てが そこにあります あなたの内に 備わっています グルがする唯一のことは あなたの知識について あなた自身のスピリットについて 理解させることです 皆 自分自身の中に スピリットがあります 自分自身の中に スピリチュアリティがあります 外側から 得るものはありません この知識を得る前は 無知の中に 生きています 無知の状態では 内にある宝に 気づきもしません ですから あなたが何であるかを 教えるのがグルの仕事です それが第一段階です あなたは “自分のアイデンティティは” “幻影である この外観の世界にはない” と気付き始めます そして自分自身の中に 光を見出すようになります 十分な光を得る者もいれば 少しずつ得る者もいます 全ての宗教の真髄は 自分自身を知ることです 宗教の名の下で 戦う者たちに “あなたの宗教は” “自分自身が何であるか 教えてくれましたか” と尋ねるべきです 全ての宗教が 一つのことを言っているなら 自分を知るために これら全てをしなければいけません しかし 人々は 儀式に走ります 儀式をすることで 神に近づけると考えます 自分自身について 完全に無知のまま生きています 毎日 自己と全く 関係ないことをしています 祈りやプージャ このようなことが 続けられています 全て無知から来ます 彼らは人々の払い続ける お金で大変金持ちになり お金だけに 興味を持ちます 彼らはあなたのお金を 全て奪い あなたを愚かにします あなたのエゴを 甘やかします エゴを甘やかすことで あなたは 幻の大海に漂い始め 幻に溺れ 自分が大変宗教的で 神と繋がっていると思い込みます 神を知るには まず自分自身を知るべきです 自分を知らないで 神を知ることはできません 自分自身を知ること は不可決です しかし 自分自身を知る時 一部しか知ることができません 経験が 十分ではないからです 知識は出てくるものです グルが あなた自身についての 知識を与えます 照らし合わせなければいけません あなたのグルが 教えていることが何であれ 真実か真実でないか 正しいか正しくないか 幻かどうか 見極めなければなりません 上昇において 多くの問題が生じます まず第一に エゴの問題です 特に西洋では エゴが大きくなり 自分が偉大で 他者より秀でていて 何か特別である と考え始めます この無知は 世間的な無知より 大変危険だと思います なぜなら 世間的な無知は 間違ったことからの 結果を感じます あなたが 上昇の途中にいる時 自己について 無知な時 より高度な領域に 行こうとしている時 エゴを持ってはいけない と常に理解すべきです そこで内省が始まります 自分の何が間違っているのか 自分自身を見始めます 自分にエゴがあると分かれば 自分自身を見始められます 自分に何か欠けている 何か間違っていると 分かれば内省できます これは大変正直な 努力でないといけません サハジャ ヨガを 始めた頃は 自分が大変偉大で 内省は必要ないと 考える者がいます 自己に到達せずに 再び 無知の雲に覆われます ですから 自分自身何をしてきたか 自分が何であるか どれ程成長できたか 内省しなければいけません (今 通訳をしないでください 後でできます) (集中して 聞かないといけません) (理解できなかったとしても 効果はあります) そのような態度で望む者は 少しずつ変わります まず 非常に攻撃的で 短気で エゴが大きい者は 大変穏和で 柔和になります 恐れを持つ者 怖がる者 とても用心深い者は 恐れのない者になります この段階において 恐怖心はありません あなたは 自分が正しい道 正しい軌道にいる と確信します 容易に心を 乱されません しかし さらなる高みに 上昇しなければなりません 瞑想すると 自分の何が おかしいか気づきます あなたは セルフ リアリゼーションを得ました セルフ リアリゼーションの 恩恵を受けました 身体も健康で 数えきれない程の 恩恵を受けています 全て得ていますが あなたはさらに 成長しなければなりません サハジャ ヨガについての 全ての知識を 理解しなければなりません まずメンタルに 理解します そして どこまで正しいか 証明しないといけません どれほど理解したか どれほど 自分のものにできたか どれほど認識できているか 自分自身を 見始めると バクティ(献身)の領域に 入り始めます あなたは穏やかな者になり 優しい者になり あまりしゃべらず 誰も困らせません 大変感じよく 大変温和で 大変理解力の ある者になります 他者に対する あなたの振る舞いで 確かめないといけません アテンションを 自分から他者へ移し 自分が どう振る舞っているか見ます どれほど愛しているか あなたの 慈悲の程度はどれほどか 人を見返りなしに 愛せれば(愛だけです) その者に 完全に献身的で 従順です サレンダーといえる この愛があれば あなたはその者のために 何でもします これは愛そのものです サレンダーは 愛以外の何ものでもありません この愛は 大変歓びを与えます すると バクティ(献身)が始まり このバクティによって あなたは浄化されます あなたの 悪い面 あなたの持つ欠点 抱える問題を理解し 克服できます 同じような性質 同じような 問題を抱える者を見ると その者への愛から あなたは寛大に接しようとします その者への愛ゆえに 忍耐強くなろうとします そういう者は忍耐強いです 攻撃性はありません 許します リアライズ ソールは許し続けます 彼らの許す能力は 物凄いです 誰に対しても 悪意を持つことは全くありません いかなる怒りも持ちません 絶えず寛大に接し 許し そして許します この許しは いわゆる あなたのバクティの 美しい調べに過ぎません これらのマスターが持つ 許しの大きさは キリストの生き方に 見ることができます 聖人達は苦しめられ 十字に架けられました 人々は彼らを決して 好みませんでした ご存じのように彼らは 十字に架けられましたが 受け入れ 決して復讐しませんでした 慈悲に反することは 決してしません 彼らは 慈悲を持っていました その者に対して 慈悲を感じ “神よ 彼らを どうか許してください” “自分の行いが 解っていないのです” 大変 慈悲深いです 彼らの特質です 特質となり得た時 完全な 平穏を持ちます 彼らは全く乱されません 何が起ころうと 決して乱されず 神の意志だと信じます 如何なるものも 彼らを乱すことはできませんでした 献身を 楽しんでいました グルへの 神への献身です その献身で 美しい詩を詠い 踊り 歌いました 内に平穏を持ち 自分自身を 楽しんでいたからです 彼らが一人の時 決して孤独ではありませんでした 自分自身を 楽しんでいました 神と 一体であると知っていて 神の恩寵を 楽しんでいました 彼らは上辺だけのものに 惹かれません 決して心配したり 動揺したりせず 未来や過去を考えず 現在にいました 現在にいる時 彼らは完全に静寂の中にいます 何か問題が起こったり 彼らに何か起これば 彼らはすぐさま 思考のない状態になります それが 彼らの持つ能力です あなたはグルになるために その人格を備えないといけません 何かに囚われずにです 例を挙げましょう 私は決して急ぎません 時間をほとんど気にしません 一度アメリカで・・・ 神が計画を立てていると確信したなら 何も気にすることはありません 神聖が面倒を見ている時に 何を気にすることがありますか アメリカで子どもが 高いところから落ちてしまいました 私は丁度 出発するところでした その子は 腕を折ってしまいました 子どもを見て “治しましょう”と言いました 彼らは時間を気にしていましたが “いずれにしろ行きます”と答えて 30分程かけて治しました “では向かいましょう” と言うと 彼らは“間に合いません” と言います “私は決して遅れたことはありません さあ 行きましょう” 私たちが 飛行場へ着くと その飛行機は 故障していて NYではなく ワシントン行きが待っていました 実際 私はワシントンへ 行きたかったのです いかに色々なことが ワークアウトするか想像してみてください それを“サハジャ”と 呼んでいます サハジャに ワークアウトします つまり努力を 要しないということです しかし まず あなたの人格が 大変すばらしく 献身的でないといけません すると神聖が あなたの面倒を余儀なく見ます 神聖な力が あなたを取り巻き この力が あなたの安全を 完全に保証している と理解しなければなりません あなたが望む 全てにおいて言えます “マザー 貴女は とても力強いです” あなたが神聖な仕事に 完全に献身的であれば あなたも大変 力強くなれます あなたは 全ての力を備え 神聖はあなたが望む 必要な仕事 時間を与えてくれます 全てが 神聖によって与えられます この慈悲が 人から神へ 神聖へ あなたの グルへ広がるなら 生きることが とても楽になります シンプルになります 複雑でなくなります 全てが整い どんなことも 気にならないでしょう 目を閉じるだけで 全てがワークアウトします 全てがあなたの意志で あるかのようにワークアウトします あなたはそれを望むことも 考えることもありません ただワークアウトします 神が 全て面倒をみてくれます あなたの安らぎも健康も 全て面倒をみてくれます そして あなたが望んだり 願ったりすることなく 神聖は助けます 神聖が責任を持たなければいけない 人格を備えるからです 神聖はあなたに対して 特別な責任を持っています そして何があなたにとって良いか 悪いか知っています 多くありますが 一つ例を挙げます 例えば 誰かが 私に会いに来るとします “マザー 彼はとてもネガティブです 彼は決して来ません” “決して来ません” 様々なポジティブなことが 起こりますし ネガティブなことであれば あなたの慈悲を使うことができます ネガティブなことであれば 慈悲を使って問題を解決できます 自分自身の問題を 自分を取り巻く あなたの共同体の問題を 解決することができます 今あなたは リアリゼーションを得ています どれくらいあなたが 深くなったかは分かりません 多くの女性が 瞑想をしていないという 不満を耳にします そのような女性は 自分自身を大切にしていません リアライズ ソールではありません 多くの男性は “そのような女性は 役に立たないので離婚したい” と口にします その逆も言えます この問題の解決には 慈悲がないといけません あなたは 人生のパートナーを 慈悲でもって 勝ち取らなければなりません 男性は女性より 遥かに多忙ですが 女性は 他のことで忙しくします 家族や子どもの面倒を 見なければいけません そして そのような 日常的なことに気を取られ 瞑想する時間はありません しかし 瞑想なしに 上昇できません 瞑想しなければいけません 人は“リアリゼーションを得たので 大丈夫だ”と考えますが 毎日 瞑想しなければなりません その時浄化されるからです 浄化されることで 理解します あなたには何が必要で 必要でないか理解できます 浄化されます それは 神聖によって行われます あなたは宗教的に 瞑想しなければいけません 次第に瞑想が 深まっていくのが分かるでしょう あなたは 大変深くなります すると力が 現れ始めます あなたがどこにいようと ネガティビティは逃げ出します あらゆる問題も 解決されます あなたが望むものは 手に入ります あなたの望みが何であれ 人を助けるにしろ 人に与えるにしろ 叶えられます 私がお話していることは 私自身の経験です 毎日せめて十分 朝は五分ほど 瞑想しなければいけません 完全な献身と 崇拝の気持ちを持ってです バクティである献身 より高い献身である シュラッダを持つ者がいます それは あなたの一部になります あなたを完全に 包み込みます あなたが シュラッダを持つ時 多くの奇跡が起こるでしょう ある者は私を想うだけで 治りました だからといってシュラッダに 達していたことにはなりませんが シュラッダを 育まなければなりません では自然のスピリットの光 であるシュラッダを育むには どうしたらよいでしょう 人々は シュラッダを得ようと 努力しますが メンタルによって 育むことはできません 静かな瞑想によって 得られます 瞑想によってです・・・ 瞑想するよう 常に言っています 瞑想している者と していない者はすぐに分かります 私のプージャへ来て サハジャについて話し 人気を得るために 何かする人がいます 多くの者がそのようです 外へ出て人気を 得るために活動します 内側で自分自身に 向き合っていません 成長段階において 瞑想と内省によって 容易にそのレベルに到達できると理解し 励みに思わないといけません 内省することで 新たな理解の質を得られます 様々なものへの 解決策が見つかります リアライズ ソールである者が 持つ一つの特質です 他者の問題を 解決することもできます どのようにしたら 助かるか 提案できます するとシュラッダから 一種の兄弟愛が芽生えます あなたはサハジャの講演も することができますが シュラッダがない限り 上昇できません シュラッダは あなたの内にある一種の愛です それは燃えることのない 熱を帯びない 優しい炎のようです 冷たく 美しいそよ風のような感じで あなたに理解させます あなたは決して他の サハジャ ヨギの悪口を言いません 私はサハジャ ヨギを悪く言う者には 決して耳を傾けません 度を過ぎれば コレクティブにおける 不満であれば 少し気になり それについて リーダーに話します しかし ある者が 私のところに来て苦情を言えば その者に自分自身を 内省するように言います 人の粗を探すのは 人間にありがちな遊びです 自分の欠点は見ません 他者の欠点を見て 何の役に立つでしょう 他者の欠点を見ることは 自分の助けになりません 自分の欠点を 探すようにしなさい それは治すことのできる 助けることのできる ワークアウトさせることの できるものです 自分の欠点を探し それらを正すことは あなたの責任だと知るべきです ある者は自分の好みを 誇りにします “私はこれが好きです あれが好きです” しかし あなたのスピリットは 好みますか これが好き あれが好きでも あなたのスピリットはどうですか それを好みますか それを楽しみますか “これが好き あれが嫌い” と言い続けます 西洋ではよくあります 女性達が私のために 美しい絨毯をつくりました それはとても分厚く 歩くと少しバランスを崩しますが 愛でもって 彼女達がつくったことは 私を喜ばせ 幸せにしてくれました 私がどう感じているか 想像つかないでしょう この歓び この歓びの大海は あなたの中にあります それが現れると 些細なことは気になりません あなたに 美しさを与えます どう表現してよいか 分かりませんが あなたに霧雨が降るような 恩寵が 降り注ぐような感じです 人の愛に あなたは虜になります それを求めなくとも とても愛に溢れた 心優しい者と逢えば その関係に 真の友情を感じます サハジャ ヨギについて 悪く言うことは間違っています その者が犯した間違いを 皆に言うのは間違っています その者を助ける代わりに その者へのコレクティブな 嫌悪感をつくりだすことは間違っています 常に人は問題を抱えています 悪口を言うのではなく コレクティブで助けるべきです その者は 間違ったかもしれません しかし その者の悪口を言い始め “彼のこれは間違っている あれが間違っている”というなら あなたは サハジャ ヨギではありません 内省を通して自分の欠点を 見ることができるなら あなたはサハジャ ヨギです あなた方のほとんどは リアリゼーションを得ました 経験をしました しかし 中には知識を 得ていない者もいます 知識は 得なければいけません 知識が本当にそこにあるか 確かめないといけません アメリカの 国立衛生研究所NIHで サハジャ ヨガの試験を 試みました 医者が集まり その内の一人が進み出て “私のどこが悪いかヴァイブレーションで 教えてください”と言いました 女の子は“ハートに何か感じます” と答えました 彼は“当たっています” と答えました 彼は一カ月前に心臓の バイパス手術をしたばかりです 全く当たっていました 彼らを大変驚かせました 医者は誤診を するかもしれませんが これは人を診断する とても簡単な方法です ヴァイブレーションを 感じるだけです ですから彼らは 私たちに大変注目し 病院内でもサハジャ ヨガを 取り入れたいと望んでいます あなたは 自身で証明すべきです 自分自身を吟味し 自分自身について 何を得たか解るようにしなさい 例えば夫婦なら 妻が瞑想し 全て解っているとします 夫の何がおかしいのかも 知っています しかし 彼女は 夫には言いません 我慢します 不満をもらしません 何も要求しません ただ我慢します この忍耐こそ 彼女が彼より高い 人格であることを夫に納得させます 彼がどんな者であれ 次第に彼女が偉大な人格を 得ていると理解します 人には多くの欠点があります 特に西洋では 道徳的にあります 蛇にでも噛まれたかのような 人たちがいます 人々がしていることは 後進国の人間には 思いもよらないことです 発展は あらゆる放棄を だらしない気質を もたらしました 人々は自分が大変自由で 楽しめれば良いと思っています このような生き方は 良くありますが 自分自身を 判断してみてください あなたも このようなタイプですか 上昇において 高みにいる者ですか これは過程です 急に高みに 立てるわけではありません 時折 新しいサハジャ ヨギの者の方が 良い場合があります これは彼らがとても強い 望みを持っているためです 私たちは 何を求めていますか なぜ求めているか 理解すべきです なぜなら自分自身を知ることを 望んでいるからです なぜか 自分自身を知らないと いけないとわかっていました 今まで分からなかったので 求めます 真実の追求という 名の下で 私たちは様々なことを 間違ったことをしました しかし この求める気持ちは サハジャ ヨガに導きます そしてリアリゼーションを得ます クンダリーニを通して 容易に得られます クンダリーニはほとんどのことを ワークアウトさせます ある者は飲酒や喫煙を 一晩で止めました 一晩でです 私が止めるように 言ったわけではありません たった一晩で止めました そしてその者は “以前は自分の髪型にこだわり” “美容院で何時間もかけて 皆と違う髪型にしていました” “でも止めました” と言いました “あまり道徳的とは言えない 服を着ていましたが” “自分に敬意を払うようになり まともな服を着始めました” 全ての知識は あなたから来ます あなたの中に自然にあります 全て自分のものだからです あなたのグルが言うように あなたは導かれています グルの仕事は 人々を導くことです では この時点で 何が欠けているでしょう サハジャ ヨガにおいて何が 欠けているかお話ししなければいけません 大規模な災害が 多く起きています 災害は多様にあります 地震や洪水 大雨 川のように押し寄せる 泥水など 世界には 様々な災害が起きています ヨギは それらから救われます 疑いなく全てのヨギが 救われています しかし 救われることを どう理解しますか 知っていますか なぜこのような 災害が起きるのでしょう サハジャ ヨガが強固な コレクティブでないためです 強固にならなければいけません あらゆるところに 広まらないといけません 未だ会ったことのない人にまで 行き渡らないといけません 行き詰っているか 頑張りが少ないのでしょう 隅々まで広めなさい キリストの12人の弟子を ごらんなさい もちろん人々は誤った方向に 行ってしまいましたが 彼らの働きと 行いの徹底さを見るべきです 徹底的にしないのなら サハジャ ヨガを広めるための 完全な自己の奉仕がなければ コレクティブな問題は 解決しません あなたは日常や仕事や その他の生活に忙しくしています サハジャ ヨガでは構いません しかし アテンションをもっと 人生の この側面に置くべきです コレクティブのために何をしているか サハジャについて話しているか 広めているか 人々に伝えているか 一度 飛行機で 驚くことがありました 一人の女性が 私の隣に座りました とてもひどい ヴァイブレーションでした 私は自分にバンダンし “スピリチュアルなことを していますか”と尋ねました 彼女は バハイの名を挙げました “まあ大変” このような人が増えれば 大勢になってしまいます すると何が起きるでしょう 災害です 彼らは大変 ネガティブな者たちです 世界に善を もたらすことはありません いかに間違ったグルが 人々を引きつけて虜にし メッセージを広めているかをみると 大変なものです おかしな服を着て 道で歌う グルの賛美を歌う人々を見かけます 私たちはそのようなことを 願っていません もちろんあなたは 知識を持っています 疑いなくリアライズ ソールです しかしサハジャのために 何をしたかが大切です あなたは 広めないといけません 隅々までです 例えばバッジを付ければ “これは何ですか” と尋ねられるでしょう あなたは説明できます サハジャについて 話し始めることができます それ以外 話す必要はありません サハジャについて話し 広めないといけません それをしない限り コレクティブにはなれませんし コレクティブなナンセンスから来る 様々な災害が起きます あなたは多くのことから 助けられています 公害があったとしても ヨギに影響はありません 大地震が起きても ヨギは助かります しかし 全世界を 救うことはどうでしょう 災害は次々と起こります あなたに慈悲があるなら 災難に遭う者 大変な目に遭う者のことを 考えなければなりません もちろん私は多くの者を 治すことができますが コレクティブを強固にする 方法は分かりません ここには大勢います 各自 せめて百人に リアリゼーションを上げることができます あらゆるところへ行きなさい サハジャについて話しなさい 神の賛美を歌いなさい そうすれば 全世界は救われます 素晴らしい サティヤ ユガの到来は 数人を救うことではなく この母なる大地をも 救うことで来ます 母なる大地に住む人を 救わなければなりません とんでもないことをする者たちを テレビで見かけます 何を発言しているかも分からず 恥じらいなく話しています 後方には 何千という人もいます 彼らが愚かである というわけではありませんが 間違った道を望んでいる わけではありませんが これらの間違ったグルは 如何に人を魅了し 虜にし 話すかを心得ているようです サハジャ ヨギであれば ネガティブなヴァブレーションを 持つ者を見れば逃げ出します そのような 社会から逃げ出します 近づきません “ひどいヴァイブレーションです 要りません”と言えます あなたは勇気を持ち これらの場所に行って人と話し コレクティブにして いかなければいけません さもないとこの世界を 神の怒りから救うことはできません 疑いなく神は 怒りに満ちています 神はあなたを救うでしょうが 何のためでしょう 母なる大地を 救わなければなりません そのための準備と ワークアウトが必要です 機会があれば サハジャを広めなければいけません “マザーが来てくださればうまくいきます” と言いますが なぜですか あなただって私のようにできます 人に話すことができます 私は一人の人から 始めました 当時は 至るところ完全に暗闇でした シーカーはいなく ひどい人たちばかりでした しかしワークアウトして 光がもたらされました 一人でも多くのヨギを得られるのですから あなた方もできます あなたの態度 生き方の全てが 人に感銘を与えるでしょう 私たちの最終目標である 集合的意識に到達できるよう ワークアウトしなければいけません サハジャ ヨギだけでなく 皆のためです 起きている全ての災害 ひどいことが止むようにです 完全になくなると 確信しています あなたは常に救われるからです リアリゼーションを得た者 全てが救われます 私たちが間違ったことを 不道徳なことを 騙したり 他の者を抑圧したりするなら 私たちは 破壊の力となりえることを 率直に人々に 伝えてはどうですか でなければ 大規模な災害が起こり 責任を持つことになります あなたが 伝えようとすることは 組織体でもって 立ち向かうものでなく 人を納得させたり サハジャに連れてきたりする あなたの力によって 作用します あなたがグルとして 何をすべきか理解したと思います グルとして 多くのことがあります 昨日 登場した人物は 老子が師をどう描き いかに全てを超越していたか 表していました 彼らは混乱することも 嫉妬することもありません 軽率でもありません 全てを超越した 偉大な師です あなたも努力すれば グルになれます 到達しなければなりません 達成している者もいますが あなた方も慈悲と愛で 達成しなければなりません […]

Guru Puja, A Guru Should Be Humble And Wise (Nirmal Temple)

Guru Puja. Cabella Ligure (Italy), 20 July 1997.
今日のプージャは とても大切です あなたは 自分がリアリゼーションを得て 他人に与えるために必要な すべてを知っています もう知っているのです 大切なことで 与えようとしなければ 自分に信念もなく 自信や自尊心を 持てないでしょう 次に 与えたとしても 巻き込まれないことです 多くの人が 巻き込まれ過ぎです 誰かに与えると すごいことをした気になって 家族や親戚などに 働きかけます ご存知のように 親族だからといって リアリゼーションに近いとは 限りません 成長するにはコレクティブである 以外にありません 道場からはなれ 一人で 成長できると思っても不可能です サハジャ ヨガとは そういうものではありません 昔は別々に分かれて ヒマラヤに入り 数人だけがスピリチュアルな 成長のために選ばれました ここではそういう問題でなく コレクティブを どう育てるかという問題です それで コレクティブな人になり それを楽しみ そのために働き ともに生きるようになります そのような人は 新しい力を得ます 精妙で 浸透力がある あらゆるところに 入り込んでゆく力です それはコレクティブな気質を 持たないとできません 完全にコレクティブでないと サハジャ ヨガに必要な 高みは至れません 知っての通り 世界は問題だらけで 沈みかけているようです アメリカに行ったときは “ああ これは地獄です” と感じました 何の徳もなく 徳を信じようともせず 不徳を崇めるような そんな雰囲気に満ちていました 世界中で そのアメリカの影響がみられ 何も悪いことはない と思っています 何を言ったところで 耳を傾けることはありません 生活の根底から 崩れてきていることが見えていません 家族 社会 国中がです ひどく醜い不徳な性質が あたりに満ちていて そんな考えが どこからきたのか解りません 私が一つ一つあげる必要はありません ご存知でしょう あなた方は子供たちを救うためにも 指導者になる必要があります サハジャ ヨギだからと それについて話し 宣伝しても 相応の力があなたになければ 失敗に終わるでしょう では どうやってそれらの力を 内面で育てるかをみるべきです 言うのも気恥ずかしいことですが 師に対してきちんと振る舞うことです 教わったと思いますが 教わらずとも リアリゼーションを得ると 自発的に 自然に 謙虚な態度が出てきます それとともに 指導者に必要な 多くの性質を 身につけます 指導者と同じ地平に 自分が立っていると あなたに向かうものは ないでしょう なので指導者の位置より ずっと低い位置に立たねばなりません 私が怒らないのを 利用する者がいます 何度も“あの人たちを糾すべきです” と言われました “あなたと対等にしゃべっています” 私は“彼らは教訓を学びます” と言いましたが 学ばない者もいて 相変わらず私に対して 友達と話すかのように 振る舞う者がいます まずは完全な謙虚さです 極めて 謙虚でなければいけません 誰かと話すとき謙虚ですか 誰かについて考えるとき 謙虚ですか 家族に対しては 謙虚ですか 指導者であらんとするなら 謙虚さが最も大切です 謙虚の海に飛び込むべきです “謙虚だと利用されます” という者もいますが そんなことはありません あなたは常に守られていることを 忘れないでください パラマ・チャイタンニャが 世話をしています 頭で知っていても あなたは本当にそう信じていますか 本当に信じるなら 恐れないことです 心配せず 無意味な影響を 受けないことです “何が起るんだろう どうなるんだろう” と心配していると パラマ・チャイタンニャは あなたをそのままにします いかにそれが働くかを見なさい 自分がどう振る舞うか見なさい ちゃんとしないまま 自分を誇示すれば それなりの見返りがきます 私が何かするのでなく パラマ・チャイタンニャが教訓を与えます あなたは 今のようではいけなかったと そもそも何故 我々は サハジャ ヨガにきたのか 根本から初めなさい 私たちがサハジャ ヨガに来たのは 究極の真理を知りたいからです そしてヴァイブレーションを通して 知ることができました 何が絶対的な真理かを 知ることができました その真理にそって働くべきです あなたが感じる絶対的真理に 従わないといけません 残念にも 自分のヴァイブレーションを過信して 自分が感じているヴァイブレーションが 最高だと思っている人がいます それは正すのが 難しいポイントです エゴから来ます エゴがあると 自分の間違いに気づきません ヴァイブレーションが 何か示唆していても 自己からでなく エゴからきています エゴが自分を甘やかして 本来なら“こんなこと するんじゃなかった”とか “私は間違っている”と 気づかずにいるのです このプロセスでは 自分が“精妙になっているか” “粗野になっているか” 観察するのが一番です 些細なことで いつもヴァイブレーションを チェックしている人もいます 木や花 土地などの 物質的なことを チェックします でも何のために しているのでしょう 物質的な利益のためです ヴァイブレーションさえ チェックすれば 安全で 損失を被らないと 考えるのです そうではありません ヴァイブレーションは 世事のためではありません ヴァイブレーションをおとしめる事を するべきでありません ヴァイブレーションが害になる事を 示唆することさえあるのです ある人にある場所に行くよう頼んだら 彼は“行きませんでした” “何故?”と訊くと “ヴァイブレーションが悪かったからです”と “ヴァイブレーションが良かったら 行く必要ありません” “だからあなたに頼んだのに” “ヴァイブレーションが 悪いからといって” “行きたがらなかったなんて” 結局 楽で 快適な生活をしたいのです サハジャ ヨガによる解決を期待し 叶わないなら役に立たないと考えます どんな望みでも 叶えたいのです それらの望みは 個人的なものです “子供が具合悪いので 良くなって欲しい” “夫の態度が良くないので 良くしたい”とか “家がないので欲しい”と いつも気が散っていて 未だにいわゆる 消費マインドでいます “女の子でなく男の子が良い”と言い 娘が生まれると サハジャ ヨガのせいにしたりします 望み通りにはならないのは サハジャ ヨガのせいだと 更には サハジャ ヨガのせいで 苦しんでいると考えます または信念が弱まったり ぶれたりします 深く根付いていれば “何があろうとサハジャ ヨギでいる” というでしょう 誰かが亡くなったとして といっても サハジャ ヨガでは難しい事で パラマ・チャイタンニャが許さない限り 死のうとしても死ねません ですが 仮に 誰か自殺しようとしても その望みが叶うとは 限りません 叶わないからといって 機嫌を損ね “何がいけないの?” と考えます でも あなたの望みは 神の望みでなく パラマ・チャイタンニャが それなのです 私がアメリカに行ったときに ネガティヴィティに攻撃され 困らせられました この間ずっと いわゆる苦しみと痛みを味わいましたが それはこの頭の悪いアメリカ人が 育つ為にどれほどの尽力が必要か それを かの地のヨギに 見せるためだったのです お金を搾り取られて どれほど彼らが 愚かで馬鹿げているか 多くの者が私に “マザー 例えば あなたが300ドルでもとれば” “何千人もの弟子が 出来るでしょう”と告げました 私は“そんな人たちは 私の弟子ではない” “お金をとるなら 価値あるものを あたえるだろうと考えるなら” “彼らは完全に馬鹿です” と答えました サハジャ ヨガは 金銭で買うことができません この第一の原理を 彼らは理解できません 大半の者がリアリゼーションは 無料で得られると 理解しません ある裕福なグジャラート人が ニュージャージーで サハジャ ヨギに聞きました “どうして こんなに簡単なんですか?” “これは難しい事だと 教典に書いてあります” “リアリゼーションを得るのは 極めて困難だと” “なのにどうやってそんなに 簡単に与えられるのですか”と 誰も答えられませんでしたが こう言うべきだったのです 確かに難しく 多くには 与えられないと言われていますが 現にできる人がいます ならば どうやっているか 考えてみるべきです この種の馬鹿げた質問が多く 今も続いています 丁寧に伝える必要があります “でも それなりの人でないと・・・” そんな訳で彼らはお金を払い 自らを愚弄するのです “私にはグルが3人いる” “私には7人いる” どんな状況なんでしょう 彼らは極めて愚かで サンスクリットで ムールと呼びます 頭のない人はリアリゼーションを 得られませんので諦めなさい 口論しようとするなら 諦めなさい そんな権利はありません リアリゼーションを 得る権利はありますが 馬鹿げた質問をして 論争する権利はありません あなた方も指導者としての 自分の威厳を保つことを 忘れない事です 自分が指導者と知ったなら おどけてばかりではいけません 威厳ある態度と同時に 楽しみを与える人格 イライラする事もなく 何か特別なものを 感じさせる人格になります では どうやって そのような人格を持つか 西洋では エゴが最大の問題で 東洋では スーパーエゴが問題です このエゴのあれこれは どこから来たのか解りませんが 自分のエゴを見せびらかします 例えば アメリカでは驚くことに 人種差別の問題があります 黒人と白人間で 差別があるのです 肌の色は 神が与えたもので 皆が同じだったら 軍隊のように見えます 多様性があるべきで 自己表現や表情にも 違いがあるべきです それぞれが 固有の表現を持っていないと 皆が同じでは この世界は何の面白みもなく つまらないものに なってしまうでしょう ですが 人々の心に どれほどの差別心が入り込んだかに 驚かされました あなた方は指導者として 断固として差別に反対すべきです 簡単に解ることは 男性 女性として 更には母親としても 白人が最も 残酷になりうる一方で 優しく寛容な黒人が いることです 肌の色と気質は 対応しないということです ですが 黒人は 差別されたことに反応しがちです その仕方が粗野であったり 残酷になりがちなのです でも この種の間違った 人に対する態度には 動物だって 我慢できないでしょう ならば人に対して そのような態度を見せるなら その人は サハジャ ヨギに値しません そのような 肌が白いとか 黒いという意識をもつ人は サハジャ ヨガで 指導者にはなれません インドのカースト制度も 同様に酷いものです 何の理屈も基盤もなく 身分の上下を 信じる者がいます どんなカーストの者でも 最悪の行いをする可能性があり そこに境界線は存在しません 最下位のカーストから 偉大な詩人や スーフィが輩出されました カーストは人為的です 人為的なものは 私たちに合いません 結局は大変破壊的な事態を 呼びこみます 憎しみは憎しみを呼び 増殖していきます 憎しみを心から取り除けないなら サハジャ ヨギではありません これらすべてが コンディショニングです 白人家庭に生まれれば 白人だし クリスチャン家庭に生まれれば クリスチャンだし ユダヤの家庭に生まれれば ユダヤ教徒です ただ そのように 産まれてきただけです それが身分の高低に つながるでしょうか これらすべての人間の問題は 意味のない優越感に対する 人のこだわりのためで 共通意識によってのみ 変えることが出来ます 例えば 道場でも様々な人種の人が 平等な権利を 相互理解と愛を持って 暮らしています それがないなら 道場(アシュラム)とは言えません かつて “ハーレムで講演をして もらえませんか”と頼まれました “もちろん” と答えましたが “ハーレムがどんなところか ご存知ですか”と言うのです “知っています 害はありません” そのヨギ達は “黒人がいて・・・”と “私も黒人です” 私は黒人とも 白人とも呼ばれますが このような人間に対する 馬鹿げた考えを浄化してくれるのが 愛なのです 白人 黒人と差別すること自体が 人を見る目がない証拠です 深みと博愛があれば そんな表面的なことは 目に入りません 今日は指導者の 偉大さを祝す日です 彼らがどうだったか見なさい インド内外にスーフィなど 多くが存在しました 彼らは白人 黒人などの 人種による差別を 信じませんでした キリストも白人黒人の区別を 信じませんでしたし ブッダも同様です だれもこのような 人為的な問題を 信じませんでした このような人為的な考えが リアリゼーションの後でさえ受け入れられ 私がその対処に追われます それは言葉でなく 行動することで取り除けます どうなくしていくか見てみなさい 簡単です 瞑想をして 自分が何人を愛しているか そして何故なのか 哀れみでなく 愛をどれだけ持っているかを 見てみなさい 中には 美しい例もありますが 捨てるべき固定観念が まだあります サハジャ ヨガで指導者なら とても大切なことです 心が清浄で 開かれていて 愛情深く パラマ・チャイタンニャの旋律を 奏でるべきです まだ人為的な考えで満たされているなら 何が起るかわかりません 心臓移植でさえ 人工物でなく 本物を使う必要があります なので人工的な おかしな考えを 採用すればどんなことになるか 差別的で コレクティヴィティ(集合性)を 与えることはないでしょう 内省が必要です 私たちは一つですか? それともお互いを 裁き合っていますか? この裁きも多く見られます こういったことは ともに生活をして初めて気づくもので さもなくば気づきません 共同生活をして初めて 自らに足りないことを悟るのです 何があって 何がないのか 愛に満ちたハートは 非常に穏やかで あらゆる瞬間が 愛の契機であり 喜びを与えるものです シュリ ラーマのお話があります ベールと呼ばれる 果物を食べる際に ある老女が愛情から その果物に口をつけて試食しました 最高位の王である シュリ ラーマに対して この老女は 最低の位でありながら 愛をもって 果物を試食した上で おもてなしをしたところ 彼はそれを賞賛したのです 彼の妻も“私にも下さい” と言いました が 弟はまだ そこまで成熟しておらず 腹を立てます そこに彼女が “本当においしいですよ”と言うと “じゃあ 下さい”と 彼女は“どうして? 怒っていたじゃないですか” “あなたにあげることないですよ” と言います どれほど心が清らかで 愛情があるか 崇高で 非凡な人格かによって 指導者としてのあなたのレベルが 判断されることが示されています これは完全に自然なもので 人為的に組み込めないものです なんであれ 自然にするべきです 共同生活や 言動の中でのわざとらしさは 問題をうみます ニューヨークのアシュラムには とても細かく 厳しい女性がいました スプーンやフォークの位置や 他の何にも細かくて 多くの人を傷つけるのです サハジャ ヨガでは あなたが指導者になったら これらの文化的タブーは 重要ではありません 指導者はどこでも寝起きできて いつ何でも食べられる そうあるべきです しかし サハジャ ヨガでは 食事が出されると すぐ食べたがる人が沢山いるようです 一度食事を出された時 すぐにお皿を持っていかれたことがあります “どうしたんですか”と言うと “マザーまだ食べていないんですか” “触ってすらいないですよ”と 空腹というのは 最低レベルの欲求です 指導者はそれに頓着しません 得られても 得られなくても大丈夫です エゴを消して 与えられずとも気にしない そんな意識を持つべきです 人より少し遅く出されただけでも 傷ついたりします そんな様々なおかしなことが サハジャ ヨガでは見られます これは最低レベルの欲求で 真の指導者になりたいなら 頓着すべきでありません もちろん 麻薬とか 飲酒をしないなどの問題は もう解決されました それは恩恵です もしそこから始めるとしたら あなたを引っ張り上げるのに どれほど深くまで行く必要が あるかわかりません それは良いとして 皆の注目に値する 美しい生活のため 話し方 振る舞い方 愛し方を 学ぶ必要があります 指導者の権威は 愛を通さずして得られません 例えば 10人で劇をするとして 同じ国や 同じグループの人が 集まっても 面白くありません 音楽のグループにしても 同じ身分や 同じ宗教 同じ学校でやろうとするなら まだ至らない証拠です 指導者であるなら あらゆる文化 あらゆる美を好み 生活に取り入れられるべきです 人種や地位 階級意識で 誰かを 見下すべきでありません 指導者や聖者は 皆そうでした トゥカラマも “神よ 私をシドュールカーストにして 下さり感謝します” と言いましたが 実際は違いました 出自や人格に 常にこだわらないようにしなさい 誰が聖者で誰が違うか わからないくらいが良いのです 聖者であることで 高慢になるものさえいます アメリカ在住のロシア人が とても際立っていることに 驚きました 私に対して目を上げずに 伏し目がちで 深い人々でした ヴァイブレーションが とても深かったのです 共産主義で抑圧されてきて アメリカで 自由というものを見て その無意味さを 悟ったのでしょうか 両極端を知って 自身の深奥に触れ 強さと団結力を持っています 始めて会った時に驚きました ロシアから訪問しているのでなく 現地の人です 何故かと言うと 彼らの頭に 宗教がなかったからです どの宗教も彼らには同じで どれにも 追従していませんでした 宗教も人為的なものなので 指導者は 何の宗教にも属しません 宗教は世界中に問題をもたらし お互いに争っています 彼らは 聖なる存在ではありません 宗教の偏見に 巻き込まれないようにするべきです サハジャ ヨガでもクリスチャンなら そのように見えるので分かります ユダヤ教徒も分かります 何のために サハジャ ヨガに来ているのでしょうか 注意が内面に向けば 見つかるはずです どこが間違いか 指導者として何故成功できないか 自己分析するべきです 指導者としての成功とは 時間に惑わされないことです どの時間も聖なる時間で 誰かが遅れたり早くても 気にしません 時間や時計に隷従しません 300年前なら時計すらなく 誰も時間に 捕われなかったでしょう 第1に 彼は時間を超越している “カラティス”と言われます “グナティス”とは左右 あるいは中央のどこにも属さず それら3つのグナを 超越していて “全てを聖なる光のもとに見る” と言う意味です 良いことであろうと 悪いことであろうと全てに “聖なる光の働きです”と 全てをそこに帰するでしょう グナを超越しています 例えば 誰かが ライトサイドでエゴがあれば “こうしたかったのに どうして 上手くいかなかった”と挑戦します レフトサイドの人は 泣き出して “こんなことが起るなんて” と言ったりします センターの人でも “ヴァイブレーションが足りなかったのか” “なぜ分からなかったのだろう” と考えたりします ですが本物の指導者は “それは起るべきして起った” と言うのです 教訓は何でしょう 間違っていた 正しくなかったと分かるだけです 色々考えて 頭を使わないことです それだけに気をつけて 他のことは気にも留めません こうしてグナを超え どこでも寝食でき 生活できるのです 車でも牛車でも移動できます もらう花輪がみすぼらしくても 侮辱されたとは感じません 彼は何にも 影響を受けないのです 贈り物がシンプルであろうと 何もなかろうと気にしません あなたの目ではなく 自分の目を通して 自分を評価し楽しむのです 何かにしがみついたり こだわる必要が どこにあるでしょう 上手くいかないなら いくまで待てば良いだけです どうしたというのでしょう サハジャ ヨガでは指導者は 人を結びつけなければいけません その一方で 関係を壊し続ける人もいます そういう人は 文句ばかりいっています でも 優しく人を結びつけることが 出来る人もいます 許さなければいけないとかではなく 自然と出来るのです とても自然で そんな人に人は惹き付けられます アメリカでサハジャ ヨギが 少ないので驚きました 5万ドル使って 50人が来たというので 一人あたり千ドルです 非常に効率が悪いですが 希望を持たないといけません 多くの探求者がいて 道に迷っているからです 回り道のようなもので 馬鹿をやって初めて 分かるようになるかもしれません 先日の講演では 4000人の人が訪れました 米国では かつてなかったことです “こんなに人が集まったことは ありません”と言われましたが それでも多いとは言えません が リアリゼーションは得ました なので アメリカでさえも 徐々に育つでしょう サハジャ ヨギ達は自分の住居や 生活の心配だけでなく 外に出て行くべきです 余裕のあるものは アメリカに行き 働くと良いと思います 部外者が来てサハジャの話をすれば 興味を持たれるかもしれません 偽の指導者が数えきれないほどいて 受け入れられています 驚くことに お金や全てを失い 辛酸をなめても 受け入れてしまうのです “彼は私たちの師ですから”と 何を期待すべきか理解できない点で 何かおかしいのです 私は一冊 本を書いたところですが あなた方も経験やら何かを 出版できるでしょう それが人々が目を覚ます 助けになるかもしれません 何を書くにしても あなたのサハジャ ヨガの性質を表しなさい 人を傷つけてしまうとか 貶めてしまうとか気にせずに 人々を正し 助けるようにしなさい 指導者にとって 自身を勘違いしないことが重要です 貧しい あるいは豊かな家族の 出身であるなど意識しないことです ひとたびそこに至れば 指導者なのです 職人だったカビーラや トゥルシダのように インドでは低位の カーストとされていますが 美しい詩をかきました ナーマデヴァは仕立て屋でした 皆が同じ真理を 大変美しく詠いました どうして出来たのかといえば 皆 偉大なるスピリチュアリティの 領域に入ったからです あなた方も 美しい詩を詠みますが 良い詩を詠める反面 頑固で自己中心的な人もいます 美しい詩を詠めるのに エゴで一杯というのは理解できません だとしたらこの詩は 何に由来するか怪しいものです まずは自分です 人々に“本物の指導者に出会った” と言わしめるべきです その為に家族や何かを 放棄する必要はありません エゴを放棄するのです まだあるなら 何と言うべきか分かりませんが 完全にエゴを 集合的にも取り除くべきです 人々は密かにエゴを内に秘めていて 急にそれが出現します そのような精妙で 無意味な病理に耽っています このグルプージャに際し 真剣にとても一生懸命 働くように言わねばなりません 最も大切なのは どれほどあなたが時間を 人生を サハジャ ヨガに捧げたかです それで初めて あなたは指導者になります 私を見なさい ただの主婦で 家族に責任があり 問題もあります にも拘らず 常にサハジャ ヨガと サハジャ ヨギのことを気にかけていて 世界中の人類の覚醒に 心砕いています 身の回りだけでなく 世界中のです あなたのヴィジョンも拡げなさい 自分の学校や大学など 身の回りから より広いヴィジョンを抱き あらゆる問題や状況に 働きかけるべきです ひとたび そのような人格に至れば 多くの人を 助けられることに驚くでしょう ここにはそんな称賛に値する ヨギ達がいます 彼らは私を愛していて 私も愛しています ただ 指導者になるにあたって 自分を指導者だと思わないことが大切です 自分がもう指導者だと 考えるべきではありません そう考えたとたんに “ザ・指導者”と言うエゴが出てきます “自分は何でもない” “母の胸の小さなさざ波です” と思うことです そのような謙虚さを身につけると 全てが上手く働き出すでしょう あなたの振る舞い 意識に 人が啓発されるからで 他はあり得ません 何を試そうと あなた以外にサハジャ ヨガを 推進する者はいません 良き指導者については まだまだ言うべきことがありますが 次回にお話しすることにします ありがとうございました […]

Sahastrara Puja, At Sahastrara you stand on Truth and go beyond Dharma (Nirmal Temple)

Sahastrara Puja, “At Sahastrara you stand on Truth and go beyond Dharma”. Cabella Ligure (Italy), 4 May 1997.
今日はサハスララの崇拝に 集まりました ご存知の通りサハスララは サトルシステムで 重要な部分です 1970年に このチャクラが開かれ 私たちは何を 達成したのでしょう まずクンダリーニが上がり ヴォイドでダルマを確立します ナビ チャクラとその周辺で ダルマが確立され 内なる純粋な宗教が 確立します さらにクンダリーニが上昇すると ダルマの確立にも関わらず おかしな世間と距離を とり始めます キャッチや不道徳を 恐れるのでしょう その段階ではサハジャ ヨガの プログラムにでたり 私生活も全てサハジャにしたくなります これは大切なことで このチャクラが完全に滋養される 必要があるからです ナビの周りをスワディスタンが 回転していますが 脳にエネルギーを与える 大切な役割があり ダルマの確立時に クンダリーニを通して ダルマやサハスララに エネルギーを送り スワディスタンの力も流れ サハスララに上ります それまでは 完全なサハジャ ヨギではなく サハジャヨガかぶれだったりします サハジャ ヨギ以外の人に会うのを 怖がる狂信的な人もいました サハジャ ヨギ以外の人を 恐れ嫌がったりします もちろんサハジャ ヨガを 批判したり邪魔したりする 悪人とあう必要はありませんが 真理を求める人に会うのは 私達の義務です ダルマを超えた意識が脳で 確立されるとダルマティトゥとなり ダルマが自分の一部になり サハジャ ダルマが 内面化します それはすばらしく もう儀礼も必要なくなり 他者を気にする必要も キャッチしないので ヴァイブレーションを 気にすることもなくなります 誰にも乱されなくなります これはシャッダの完成形です サハスララが完全に啓発され あなたはダルマとなります キリストの例では 娼婦が投石されていると 売春とは正反対のキリストが その際石を握り言います 全く罪を犯していないものは 私に石をなげなさい 皆驚きました 娼婦の方を持つのかと 彼は宗教的な人なのにと 彼は真理に立脚していました あなたもそうなります サハスララにおいては 真理に立ちます ダルマと真理では 少し違い ダルマの人は過剰に 理不尽なまでに道徳的になり ライトやレフトにいってしまい 優越感を持ったり 他者をなぜ 助けなければならないのか 地獄に行かせればいい と思ったりします サハジャ ヨガで新しい技法を始めたり 人に指示を与える人を見ました 彼らはダルマに とらわれないので これがよいとかあれが 良いと言い出します ですが真理に到達すると 儀式は必要なくなります ダルマと真理に立脚しているので 気にしません 真理はダルマより高次です 真理に立つ者は 宗教やサハジャについて おかしな考えを 気にしたりしません これはサハジャだとか サハジャでないとかを超えます 自身に普遍的な真理を見ます そして見るだけでなく知ります 自分がそこにいることを 知っています そこにダルマの花が咲けば とても美しく 皆が体験すべきです ダルマだけでは まだ取れない要素が多く 人がエゴや金欲に 走るのを見てきました 私に無断ですべきでないことを 始めたりします それはサハジャ ヨガには 良くありません 謙虚さが欠けていて 真理か真理でないかが 分からないのです ダルマの基礎である 真理に立ち返るべきで 生命の樹は 脳に根差していて 身体が枝葉です 何事も根本が大切で そこでサハスララが 完全に確立されます サハスララが 全ての形の根本です ダルマを達成したとして なにがその根本でしょう なぜダルマを守る 必要があるのでしょう 守ってなくても 豊かな人が沢山います 外面的には 彼らは楽しくやっていて 私たちには それがないように見えます ダルマの意識においては 真理とは関係ないことが 大切に見えたりするのです このように ダルマの意識を達成しても サハジャ ヨギが 躓く点は多くあります 酒やドラッグなど依存から抜けだしても 語学が堪能になっても 行いが良くなって謙虚になっても まだ自分が道徳的だと 意識しています それは消えるべきです サハスララでは この意識がなくなります 真理が愛で 愛が真理だからです ここでクンダリニが ハートと出会います ハートのピタはここです クンダリニがハートを貫くと 脳に真理が流れます 愛が流れます 真理そもものと愛としての真理は 違うものです キリストは娼婦の側に立った時 真理に立っていましたが 彼の胸には 純粋な愛が流れていました 誰かに大して 純粋な愛があれば 全てを別の角度から捉え その人を違う角度で見て とても優しくなります でないと真理は とても苦く痛くもあります でも愛が伴えば 棘のない花になります 真理に立ちつつ 愛を与えるような そんな人格になるべきです 愛を表現するにあたり こんな例があります 私が誰かに会ったら その人が他人の 悪口ばかりだったとします すると私はその人と悪口を言っている 人の両方に強い愛を感じます なので完全な嘘を言います ですがある意味それも真理です あなたが悪口を言っている人は いつもあなたを褒めているのに そんなことばかり言うのですか もちろん 真実ではありませんが 友達関係を修復する という意味で 真理です これが愛の働きです 人を近づけ一つにします 差別的なやり方は消え 人心を一つにするための 方法は何かを分かろうとします あなた方が集合意識にあるように それも表面的には アシュラムを建てたり いろいろと 結果には結びつくものの 愛に満たされてはじめて 集合意識も完全なものとなります 人は平和を語りますが 集合意識なしには無理です そこにも 愛の原理が必要です 例えばドイツのヨギが イスラエルに行くとします このプージャにもイスラエルのヨギが 選ばれ とても嬉しく思います さらにイスラエル人が ムスリムにされたことを 忘れてエジプトにいくとします こうして愛の表現に惹かれていくのは 驚くべきことです サハジャヨギの仲間に対しての愛 それが育ちだすと そうして世界を変えられることに 驚くでしょう 人間の問題はほとんど 憎しみによるものです 誰かを憎むのは罪です 罪や悪を憎むべきで 憎しみのための憎しみでは いけません それがあらゆる問題を 起こしてきました 権力のために差別することで 多くの国が破壊されました 私の国もイギリスにより 分断されました これは止まりません それにより インドを去った国々は 皆大変苦しんでいます 国を分割しようとした人は 自分が首相になれるとか 考えましたが 殆ど暗殺され 憎しみがいかに現れるかが よく分かります 些細な事がそこら中に広がるのです どの国でも分裂が見られます 分ける必要は全くありません それは憎しみと問題を生みます サハジャヨガでも分裂を 考えてはいけません 先日ガンジスの畔に美しい 土地を得ましたが 皆別々の家や部屋を 欲しがるのです なぜでしょう 共同生活の楽しさをしっているのに 別々の家を欲しがるのはなぜですか どんな秘密があるのですか 結局ヴァイブレーションで 全てバレるのに ならどうして別の家や プライバシーが必要でしょう サハジャ ヨガでは プライバシーはありません 皆がお互いを知っています 何をしていて何が問題か どのチャクラがキャッチしているか そこでプライバシーは必要ありません 理解できません まだ計算が働いていて 彼らは相続を 気にしているのです 相続して良いといいました でも息子がサハジャ ヨギに ならなかったら どうしようもありません ルールや決まりでは人は 結びついて幸せになれず 純粋な集合意識と愛が必要です 私たちには組織も 聖職者もいません リーダーもしょっちゅう変わります 足場の悪い砂上にいる上に マザーは あらゆるトリックを使います あなたに岩の上に 立って欲しいからです 美しい聖なる愛と 歓びを放つ岩です 例えば特にインド人は 個別の浴室を欲しがります それが急にイギリス人のようになり 逆もあるのです なぜかインド人は 個別の浴室を欲しがります よくあるインド人の病気です 時にそれが人を離してしまいます コレクティブの生活では 必要ありません 浴室があるとかないとか 私は意識すらしません そこに行って帰ってくるだけです 同様にあなたも 海のような社会の概念を持ちなさい 波と同時に上下する 愛のユニゾンです 私はヒマラヤの麓に そんな社会を期待します 皆ヒマラヤがサハスララであると やがて解るでしょう サハスララ プージャの前に できたのはヒマラヤの恩恵です ヒマラヤはクンダリニが昇り ヴァイブレーションが空に出て行く サハスララのようで ヴァイブレーションが空に見えます 同時に憤怒するシヴァの領域で 危険もあります とても気をつける必要があり 憎しみや分裂など サハジャでないもの 分裂を選ぶなら 憤怒する神がそこに座しています メッカにもシヴァはおり 無作法をすれば怒ります シヴァはどこにでもいるので 常に気をつけるべきです マハラシュトラでは 違うタイプの サハジャ ヨガが始まり シュリ ガネーシャのお祝いの日に 酒を飲んでいると シヴァの怒りが大きな地震を 起こしました 多くが亡くなりましたが サハジャ ヨギは全員助かりました 大きな火事が先日もありましたが あなた方は守られて無傷でした 常に守られています だから シヴァの怒りが及びませんでした あなた方が 守護の下にいたからです この守護は母の愛に他なりません とても強くあなたを 守り 助けています 同じ愛を他者に向けなさい サハジャ ヨギにも他人や別の 母なる大地などにです あなたの愛が自分だけでなく 他者も助けます 自分のことばかりだと あなたの意識はどんどん小さくなり あれこれ欲しがりだします これが好き と言わないように 私は自分が何が好きか わかりません あれこれ好き嫌いをいう あなたは何様でしょう 純粋なスピリットなら愛だけです 愛において他者を思います 他者を心地よくさせ 世話をしようとして 自分だけにはなりません そんな境地に至りなさい あなたが道徳的でダルマがあり 全てにおいてサハジャヨギであっても サハスララのその状態になるまでは まだ大丈夫とは言えません やり遂げなさい それにはもちろん瞑想が大事で 考えがあれこれ邪魔をします 自分の心を見続けなさい どこにあなたを連れて行くか 何を吹きこもうとするか 自分の家は 子どもは 国はどうなるかと そうやって私の私の…と言ううちに 道に迷ってしまいます カビーラが美しく言ったように 山羊はメエメエと鳴きますが それは私は 私は…と聞こえます しかし山羊が死んで その腸が綿花を洗うのに 使われる時 トゥー匕 トゥー匕と音がします “貴方こそがその方です”という言葉です それが響き渡っていると だから同じようにあなた方も 他者の視点から 考えるべきです そもそもトゥー匕とは グルや神で 貴方こそがその方で 自分は何者でもない 自ら愛の大海と一体になり 貴方こそがその方ですと唱える それがサハジャの文化です 表では愛を伝え 裏では悪い企みをする そういったことは サハジャ ヨギはしませんし その境地に達しましたが まだ意識はしています 常にこれをしないように 酒を飲まないとかグルメでないとか 自分の境地を誇っています とても自慢気です 自分たちはこうですと 純粋なスピリットだと言いますが 実際そうなりなさい 自分が実際にそうなると人は 自慢しないものです アディシャクティであることを 誇りに感じますか と訊かれましたが 自分がそうであるなら誇る 必要があるでしょうか 自分がそうでなければ 誇りに思うかもしれませんが 太陽は太陽であり 自らを誇りません あなたも自分が人間であると 誇ったりしません 人間であると誇りますか 同じことで 自分であることは意識しません 自分はアディシャクティだとか 意識しません それが事実ですから 神がそう選んだならそれまでです それでよいでしょう でもある人びとは サハジャ ヨガがまるで 貴族のような特権階級と感じます 自分がそうなったなら ただそうであると理解しなさい 石が金に変わったなら それをわざわざ誇らないはずです なぜ誇るのですか 同じように 自分はサハジャ ヨギだと 意識しなくなります 気をつけて下さい サハジャ ヨギだから 何だというのでしょう 偉いわけではありません 自分に鼻があると誇る人はいません もうあるのだから 誇るものでもありません とても大切なことで 自意識はなくなると理解しなさい 全体の一部 大海の一滴だと 自他の境界を意識しないことです このような意識が育つべきで 喜びに満たされると 愛に満たされると それを見たり表現するだけです 話しても話さずとも 微笑むとも微笑まずとも 胸にあるのは歓びです ここのハートチャクラのピタが 真理の光で満たされます 真理とはいわゆる馬鹿げた 真実ではありません 誰かが“真理とは何か” ときくので “真理を語り 人を喜ばせることだ” と教えました サッチャンヴァデーツ プリヤンヴァデーツ それをどうやるかといえば 真理とは味の良いもので 人が好み 間違った人でも引き寄せると クリシュナは サッチャンヴァデーツ ヒタンヴァデーツ プリヤンヴァデーツ といって 真実を語るが 歓迎される真理を語れ それはスピリットを滋養し 善をもたらす真理である そしてプリヤであれ つまり人がはじめは ひどいことを言われたと思っても 後には言ってくれて良かったと それによって欠点が補われた と思うような真理 でもくれぐれも人を 不快にしないように あなたは人を正す役割はありません まずサハジャ ヨギは このチャクラがキャッチしている あのチャクラがキャッチしていると いつもエゴでたわむれていますが 人を責める権利はあなたにはありません 自分が責められてきたのに どうして同じことを人にするのですか ただサハジャ ヨガにおいて あなたが充分に成熟したなら 愛をもってそれに 挑戦するでしょう でもそれもやり続けないことです だれかの短所を指摘し続けることは 嫌なことを避ける言い訳です 例えば誰かが病気で医者がお手上げだと 医者はどうするでしょう 例えば寒い中外出したからだと そうやって説明します でも治療の方はどうなるのでしょう いや あなたがこうしたのが 良くなかったと そうやって過去の 間違いばかりを責めます 私達も同じです 何でこんなことをしたのか あんなグルにいったのか だから今こうなっていると そう責めずに治療しなさい もちろん責めたり批判せず 訊ねることはできます でも間違いを 責める必要はありません これは優越感によるもので 自分が何でも知っていると 思っているのです あなたは現に知識に富む グノスティクスですが その自意識があるうちは違います それが消えて初めて サハジャ ヨギになります このサハスララの発達を あなた方皆に期待します 世界について考え サハジャ ヨギや シーカーのことだけでなく 他にも目を向けなさい 多くの問題と仕事があります 例えばインドには貧困があります 私はそのために何かしようと思います あなたの国にもあります 問題を見つけ 運動を起こしなさい できるだけ助けようとしなさい それは賞や名誉のためでも 改宗目的の宣教でもなく 自分の歓びのためにするのです それは歓びなのです そうやってキャッチを恐れることなく 社会に出ていきなさい ある夫婦は 社会に働きかければというと エゴが出てくるのが怖いですと そういう人は他でもなく 自分を恐れているのです これら無意味な考えは捨てて 恐れのない意識に入りなさい あなたにはその力があります そのための特別な 力が与えられています でもその力を使わなければ ランプは光らなければどうでしょう 置物ですか 使うのです 意識すること無く 自分が偉大であるとか 優れているとか 選ばれていると意識せずに するとたちまち 慈愛と理解が広まります ありとあらゆる愚か者がいますが あなたは解っています 笑ってからかいつつ 問題を解決するのです そこでも人を傷つけないように 何をするにしても 上手く行ったか結果を見なさい ある人はより優れた類の 知性を持っています その知性でどう話すか どう人に関わるのかを知ります この聖なる愛であなたは自分を 完全に律せられるようになります どう振る舞い 話し 人を扱うか 人間の最大の 欠点はなんでしょう クリシュナによれば それは怒りで 私にとっては嫉妬です どんなものであれ嫉妬は アクのように出るものです サハジャ ヨガでも 人は嫉妬し たとえ表に出さずとも 人間関係において 問題を生みます 自分の心をみることです 嫉妬がないかどうか 時々私は心配になります 誰かにプレゼントすると 嫉妬を生んでしまうので しないほうが良かったと感じます マザーが忘れたか 足りなかったかもしれない だから良いのです でもサハジャ ヨガでは皆とても過敏です 例えば 私が 誰か特定の人に会うと もう終わりです 別の人がその人に嫉妬します 時々悩まされます 皆が何故か“マザー私に会って下さい” とせがむのです 私はどこにでもいるというのに 私と話す必要がありますか 私はあなただけのために いるのではありません 皆のためにいるのです 自分に特権があると思う人もいて 私と個人的に会わないと 気を悪くします これらはあなたが大海となれば 全てなくなります どこにいこうと気にせず ただ大海と一体です 上下に波で揺れるだけです これは愛の生きた大海です 見せびらかさず 支配せずに 育みなさい 全てが自分の中にあります ヒンディではアプネメといい 自己の内にあり 最高の楽しみです 自分が何か欲するなら 努力してそれを得ますが それが自分の中にあるなら 自分で完全に満たされます それより大事なことがありますか ありません 完全に満たされ ただ分かち合いたいと思う それがサハスララの理想で やがて世界がこの境地に達するでしょう そのサハスララが開くべきです それが私達の仕事で 浮世離れして瞑想にふけるだけでは 途絶えてしまいます そうではなく それはあなたが 自身が育つための瞑想です 素晴らしい場所かもしれませんが どうか自分の価値を分かって下さい この時代生まれ リアリゼーションを得たのは 世界の解放 人類の変容のためです 世界を神に導くためです あなた方は そのためにいるのです 神の恩恵がありますように! […]

Shri Adi Shakti Kundalini Puja Nirmal Temple (Italy)

Shri Adi Shakti Kundalini Puja. Cabella Ligure (Italy), 6 June 1993.
今日の崇拝の対象は 私です 初めてです これまでは 私の一部や一側面でした 今こそアディ シャクティとは 何かを知るべき時です それは全能の神の 純粋な望みといわれ サダ シヴァに由来します では全能の神の 純粋な望みとは何でしょう あなたは自分の望みをみると 何に由来するでしょう 聖なる愛ではなく 身体的な愛であり 物質的な愛であり 力への愛です これら全ての背後に愛があります 何かを愛しなければ 欲しないでしょう あなた方はこれら平凡な愛をもち そのために 多くの時間を浪費します 実際それで 満たされることはありません 真の愛ではないからです 少しの間のぼせて すぐに飽きるのです それをあちこちで繰り返します 次々と対象をかえながら アディ シャクティは神の愛の 現れで 神の純粋な愛です でも彼は愛において 何を欲するのでしょう 人間を創ることを欲し 彼らが従順になり 崇高な 天使のようになるよう望みました アダムとイヴの創造は 彼によるものです 天使には自由はありません そのように創造されました そう決められています なぜそうするかも知りません 動物もなぜ自分が ある行動をするか知りません ただするだけです 自然に縛られていて 全能の神に結びついています シヴァはパシュパティであるといわれ 動物を支配するという意味です 彼はパシュパティです 彼は動物を支配するので 全ての動物の欲求が彼に含まれますが 悔やむことはありません エゴもなく 良い悪いを考えることもありません カルマの問題もありません エゴがなく 自由もないからです ここで 純粋な愛であるアディ シャクティは 一つの人格に全ての愛を注ぎ それゆえ何も残されておらず ただ観じるのみの父なる神を 想起します 彼は考えること無く ただ自らの思いを観ます 愛を観ます それがいかに作用するかを 観ています それを見る際は注意深く 私の創造した神格は 愛と慈悲に他ならないと 知っているからです その慈悲は高貴で それを損ねたり害したり いかなる形であろうと 乱したり貶めたり 侮辱することは 決して許しません 彼はその点とても注意深く 良く観ています ある分離が彼の愛によって 起こったと言ってよいでしょう この愛にも人格があり つまりエゴをもち作用し 独立した人格となり 自由に好きなことを為します 現世の夫婦ではありえませんが 夫婦共に完全に自由で 好きにすることができます 何の結合力もなく 合意もなく 調和も関係もないけれど 月と月光のよう 太陽と太陽光のようです ある意味 非常に結びついていて 一方がすることを他方が楽しみます その美しい分割において アディ シャクティが 彼のプランを変えることにしました サンカルパ ヴィカルパ カロティ として知られます 何かを過度にしようとすれば 彼女はそれを分割します 今日の11時のプージャのように なのでアダムとイブの事にしても 彼らが動物や天使のように なったところで何になるかと そう考えました 自覚が必要だと 自分がしていることを知るべきだと 彼らには知識を得る自由があると 知る権利があると ただ動物のように生活して 機会的に同じ繰り返しを する必要があるでしょうか なので彼女の任意で 当然熟慮の上ですが 蛇として来たのは彼女なのです そして告げます 知識の果実を味わいなさい と サハジャ ヨギではない人には これを教えられません ショックを受けるでしょう ですがこの蛇こそが 彼らに試しに言ったのです この果実を味わいなさい と 蛇は女性に言いました 男性ではなく 女性は物事を 受け入れやすいからです ブーツでも無意味なことでも 受け入れられます 受け入れる存在だからです 一方男性はたやすく受け入れません 議論したり口論します なので女性に行って言いました 彼女が来たと言うべきでしょう 聖霊は現に女性性だからです より女性に近く この力が蛇として来て言いました 知識の果実を味わいなさいと だから夫を説得することは イヴの 女性の仕事です 女性はどうするかを知っています 時に間違えることもあるかも 知れませんが 間違った 不吉な事を 言うかもしれません マクベスでもそうでした 夫を変にする女性は 沢山見てきました でも夫というのは 導かれることもあれば 解放されることもあります 妻がちゃんとしていればですが 彼は妻に 全幅の信頼を寄せ 信じて 知識の果実を味わいました それは神の女性性の人格 聖霊の導きでした これは キリストの姿や モハメッドやナナカを 多少理解したといっても 分からないことです 理解できません ちょっと分かっただけです 人に話しても こう言われてしまいます ハア それは何ですか と 耳を貸そうとはしません なので当時の意識や 世の反応に対して 彼らはダルマと上昇について 話しました でもインドではクンダリーニについて 古くから語られ それはアディシャクティの 私達の内なる反映であるとされます いいですか 彼女が自ら言ったのです 私は全ての人の中に宿ると ならばアディ シャクティは 愛それも純粋な愛であると 慈悲であると知りなさい 他には何もありません 彼女のハートの純粋な愛のみです その純粋な愛は とてもとても力強く この母なる大地に愛を与えました その母なる大地は 我々の行いの罪深さに関わらず 美しい物を通して 万人に愛を注いでいます これらの美が あらゆる方法で 銀河や星々を通して 表れています 科学的観点からは 科学には愛はありません 愛を問題にはしません 人はヨガでさえ 愛や慈悲を問題にしません 愛と慈悲がなければ その人に聖なる光はありません 全てが聖なる愛に 完全に浸っています 地上の被造物は全て 宇宙の創造の全ては そしていくつもの宇宙が 聖なる母の愛によるものです なのでアディ シャクティの愛は 極めて精妙で 時にあなたの理解を超えています 私はあなたが私を 愛していると知っています それは巨大な愛ですが そのヴァイブレーションは さざ波のようで 岸については引いていきます そして多くのキラキラした泡が その浜を覆っています 同じように私のハートには あなたの愛が光を放ち その響きがこだましています この聖なる愛において それがどんな感じかを 説明しがたい経験です まず目に涙が溢れてきます なぜなら それは慈悲で サンドラ カルナで アダル つまり乾いていません 父なる慈悲は ドライかもしれません “これをしなければ撃つ こうすると・・・” 父親はそんな言い方をしますが 母親は そんな傷つけるような 言い方はしません たまに貴方を正すために 言うこともありますが 父親のそれとは違う言い方です 彼女はサンドラカルナを 持っているからです アダルとは 乾いていない の意です このようなハートを 彼女は持っていて この聖なる愛を抱え 体中が 全てが聖なる愛で できています どの部分も聖なる愛を放ちます ヴァイブレーションとは 聖なる愛です 以前言ったように この化身が来る 必要がありました 時が熟しました その時がきたと皆分かりました でもそれは固定された時ではなく サハジャである時です 固定された時間は 例えば電車の出発時刻や 到着時刻です 例えば 機会があるペースで 生産をし続ければ このくらいの期間で これくらいの生産量が見込めるだろうと しかし生き物は自発的で サハジャであるので いつとは言えません 自由のプロセスも同様です あなたは最大の 自由を持っています だからいつとは言えません いつ人々が この聖なる愛の 精妙な知識を受け入れるか ドライな知識もあります インドではひどい人がいて 本を読んだりマントラを言ったり そればかりに忙しく そうやってどんどんドライになります 骨格しか残っていないような 人たちです そしてとても短気で 誰かを見ると その人は灰と化します こんなことのために 地上に生まれたのでしょうか 苦行だとかを重ねて 人を灰にするためでしょうか でもそれで彼らは 自分たちが偉いと思いました 人を見ることで 灰にしたり消したり バスミサットと呼ばれます 彼らのハートには 善の概念がありません ですから まず聖なる愛によって 成就するのは あなたの善です 善ということば自体が 大分濫用されています 善とはあなたのスピリットに良い という意味です スピリットとは 全能の神の繁栄です だからあなたの中でスピリットの 美しさが反映されだすと あなたは与える側になります もはや何かをとる側の人でなく とても満たされて与える側になります この降臨はそうと決められた その時に起こりました 先にいったように あなたには自由があります 人々は荒んで あらゆることをしています 分かりますか それ以前は 力を求める人の問題がありました インドに行ったり 中国に行って侵略したり 反対にアフリカを侵略したり そこらじゅうです いわゆるアメリカ人も アメリカを占拠しました この時期は人が自由を 力の行使に使っていた時代です アディ シャクティが生まれる 時期ではありませんでした 力を希求する人たちがいました 今日でもそういう人がいますが 当時は力と領土 そればかりでした まったく重要でないのにです その時期ではあり得ませんでした 当時は自由のため戦う 必要がありました 帝国主義者の支配から 逃れるために 力で圧倒する人たちにです 状況は徐々に変化しました 大変スムーズに変わりました 驚くことに 私自身変化を目の当たりにしました 上手くいきました 私自身もご存じのとおり インド独立運動に参画しました 大切なことです インドからそれは起こったのです まず帝国主義からの自由 その自由の概念が次第に 各国に広がり 民衆は考えだしました 理解しだしました 植民地は不要だと 自分の場所へ戻るべきだと これらの変化は 私の生前に起きたのです まず自由を求めた人は 亡くなりました 多くの人が殺されました バガットシンのような人がいました どの国でも 革命家は投獄され ひどい扱いを受け殺されました インドだけではありませんでした そこを通過する必要がありました 自由が試されたのです 彼らは無駄死にだと考えました これは自由ではないと 結局あれは何だったのかと後悔し そして ある種の恐れを抱き 他者を恐れ いわゆる レフト ヴィシュディの問題が 始まりました 強く負い目を感じて 自分が間違ったことをした するべきではなかったと この時点でも 様々なほかの問題があり カースト制度や 奴隷制 身分の格差で 低く扱われる人がいたり より優れた人とされたり 民族的にも優劣があり あらゆる馬鹿げたことがありました 自由を通して これらを作り出したと 自由のせいだと それは事実ではありません でもそういったものが作られた 例えば これはカーペットじゃない と そう言い続けたとします するとみな洗脳されて これはカーペットじゃなくて違うものだ と皆が言い出すのです それはまる催眠術のようです 人々がこの人種差別を受け入れて 格差や隷属を カースト制や女性蔑視を 受け入れました これらは全て 彼らが選択したものです 何が良くて何が悪いか 彼らにとっては 良いことだったと分かります 好ましいことだったのです このような状況では 慈悲は無駄になるでしょう 聖なる愛も無駄でしょう それを知的に理解する 準備がなかったから 彼らには話せないでしょう これは完全な盲目で 無知だからこんなことをする といっても これは正しくない これはあなたを貴くせず あなたは卑しいことをしている といっても駄目でしょう もちろん何人もの聖者が やって来て 高貴さや許し 融和や合一が唱えられました 偉大な予言者が生まれ そういったことを語るに至りました 民衆はさほど 準備ができていませんでしたが 次第にそれらの教えが 人々の間で働き始めたようでした でも最も大きな問題は いわゆる宗教問題です 宗教は皆脱線し 彼らはある種の水たまりをつくり ムスリムはここ クリスチャンはここ ヒンドゥーはここと それぞれが溜まっていました そこで命を与える者が必要でした 水たまりを満たして 一つにするためです ある種の人種が 他より優っているなど 完全な無知で愚かさそのものです ただ言えるのは それぞれが 違う状態だということです 違う意識があって より高い意識の者もいますが 一概に誰かを責めることはできません 彼はだめだとか この社会はだめだとか 一概には言えません 個人的には言えますが 一概には言えません でもこの無知の闇はとても深い 集合的になるからです それは集団での無知 集合的無知です 彼らは皆が手を取り合って この宗教が一番だとか 我々こそが 選ばれた民だとかいいます 他の人は いやいや違うと この人たちは完全にだめな民族で 私たちが最高だと 宗教の名の下で 全能の神の名の下で これらナンセンスを始めたのです なのでアディ シャクティが 完全な力を 発揮しなければなりません まず彼女が分かったのは 家族とは何かを知る必要です こどもは家族の中で育ちます 子どもがきちんと両親によって 注意されないと 甘やかされて育てば もしくは過干渉にされたり 放っておかれたりすれば こどもは愛を知りません 子供が愛が何かをわからないのは 愛とは甘やかして おもちゃをたくさん与えたり 取り上げたりすることではありません いつも子供に 注意をおくということです 甘やかす注意ではありません 子供の善に対する注意です いつもそこに善があるように こうして家庭生活が まず維持されるべきと思いました とても大切です なぜならこの時代は 宗教をかたって 尼僧や聖職者や 出家僧や ありとあらゆる賢人がいます 彼らはみなとてもドライです 皆民衆をミスリードしています 民衆は色々な修行をはじめ 出家して 妻や子供から逃げ出します なのでまず私が分かったことは 人間は愛を知らなければ 愛せないということです この愛はコレクティヴなら より効果的です インドで見たはずです インドの家族は 本当に愛し合っています 会ったことのない親戚でさえも どんな関係かもわからずに お兄さんとかお姉さんと呼びます 関係も知らないし 誰が父親とか姉妹であるとか 知らずにです 単にお兄さんのように 感じるからです 自分の兄のことを聞かれても わからないでしょう 理由は拡大家族制にあり それはコレクティブのような制度です 誰が本当の兄かもわからない 誰が義兄で 誰がいとこかも分からない 皆が一緒に親戚として 一緒に暮らしたのです それもまた廃れてしまい 拡大家族も廃れました 経済的理由とか何とか 理由は何であれ なのでこの大切な時期に 人々は愛を知る必要があるのに 家族制度が あらゆる国で崩壊しています 西洋諸国では特に 男女ともに家族制度の 重要性を理解していません 家族制度を信じていません 可哀想な子供達にとっては 不安な事態です 不誠実な土台では ちゃんと育ちません それによって暴力的な ひどく取りつかれた 世代が来ました 彼らは戦争の商売に行きました 無意識に戦いを欲するのです 木と戦う子供を見ました “なんで戦っているの?” “戦うのは良いんだよ” と言います でもなぜそうするかは 気づいていません 理由は愛の欠如です 見るものすべてが嫌で これもあれも嫌いだといって 憤りでもって何かをし 見るものすべてを破壊します 新しい傾向が始まりました 戦争が終わると 当然価値観が堕落し 民衆は何だったのかと 私たちの価値によって 何を得たのか 戦争ばかりで 社会が荒廃し 子供達も殺され 何が戦争だというのかと 概ね民衆のこころは まあとにかく戦わなねば となります 痩せている人が最高で 支配する人が 上昇志向が最高だと こうして帝国主義的な支配は 終わったにもかかわらず 個人の支配に姿を変え 支配へのエゴが育ちました 子供の教育においてさえ 子供をとても傲慢にしむけます 人為的で 極めて傲慢かつ不自然です なぜ子供がコントロールされず これは悪いと 教えられていないのか 信じがたいです なぜなら親が とても防衛的な態度で 子どもに向き合おうとせず 悪いことを教えないからです 子供に見捨てられるとか そんな考えにとらわれて 何でもしていいから一緒にいよう と言います そんな状況下で 人間は良い家庭生活から次第に 離婚などおかしな 男女を共有する信条などへ 堕落してきています アディ シャクティの出現には 何とひどい状況でしょう それに他に大きな問題として 宗教があれこれと主張して 考えや制約を人々に課していて 民衆を盲目にしていることです なので混乱があり こうした混乱の時だからこそ アディ シャクティがダルマを 確立しにくる必要がありました 彼女がダルマを確立させる 必要がありました とても不誠実で 胡散臭い時代でした 生まれてきて人々を見て驚きました 当時はシーカーも あまり居ませんでした 一人か二人の リアライズドソールに会いましたが ほとんどは自分の保険とか お金とかの心配をしている人でした 話しかけようにも どんなところに来てしまったのかと 何を話せば良いかわかりません 聖なる愛の話を どうやってするというのでしょう 探求すらしていない人たちに それが次第に 自信を持ち始めました 最初はちょっと早く来すぎたかと もう少し待ったほうがよかったかと そう思いました 人々はお互いに憎しみ合い それぞれが敵対しあい 騙しあっていたし それにお互い 嫉妬しあっていました 出世競争とか 足の引っ張り合いもありました なのでサハジャ ヨガの時代では まだないかと思いました すると偽のグルに会って 人々に魔術をかけ 支配しているのを見ました それで本当に考えました もう世間の雰囲気を 気にするのはやめようと どんな人であれ気にせず 始めようと こうして最初の ブラマランドラチェダンが インドで起こりました 5月5日のことです 1970年5月5日の朝です 他にももちろん急いで始める 理由がありました 私の準備は整っていて 人間の問題を知っていました でも人はセルフ リアリゼーション を得られるとは 信じないだろうと思いました この化身はとても特別です 多くの化身が来ましたが 彼らはやってきて言葉で教えました これが良いあれが良いと 彼らに魅せられて 追従したものもいました でもハートは空っぽでした 聞いたことはよくても それは説教であり 講義であり ギータであるだけです そのような人の生も 聖なる愛の輝きが 内にありませんでした 何人もの良い人が この短い間に存在しました マハトマガンディーや マーティンルーサーキングや 色々な人が方々にいて アブラハムリンカーンも ジョージワシントンも ウィリアムブレイクもシェイクスピアも この間文学のみならず 老師もソクラテスもいました ソクラテス以来 何人もの哲学者がいて より高い生を語りましたが それにも関わらず 人々は彼らを変な人扱いし 理解不能として黙殺しました 誰も例えば グルギータを読もうとしません 読みません 意味のないことだとして 役に立たないたわごとだと こんな態度がそこら中にあり 私はそれを見て ああ どうやって話すというのでしょう 自分について 彼らについて 見つけねばならないものについて 私はこころから 人々に熱心さを望みました 少しでも私に チャンスが与えられたら この聖なる愛はとても精妙で 彼らのハートに届くでしょう でも彼らは石のようでした どんな話をするのも無理でした それに最悪だったのは 自分のことばかり考えていることでした この状況で サハジャ ヨガが始まりました そこでアディ シャクティの力が 問題よりも ずっと強いことが分かりました 自分ではっきり分かりました この力がクンダリーニを 引き起こすからです 自分がクンダリーニを引き上げ られるのは知っていました それを大勢に一度に 与えられるのも知っていました でもあげた人がまた戻ってくるかは 分かっていませんでした 人々は無知だからです 帰ってくるとは思っていませんでした このレベルまで サハジャ ヨガを実践するとは これっぽっちも思っていませんでした 誰かに言われても 笑って否定したでしょう 最初の講義の時は どこもホールが一杯で もちろんホールのせいでは ありませんが 私は別の場所に滞在していて ホールがなかなか 借りられませんでした そしてその後も ほとんど人が来ずです だからもう何を言っても駄目だと 耳から頭を通り抜けるだけで なにも理解しようとしないと 何もわかっていない 私は家族から反対され あれこれと 問題と圧力を感じていました でもそれは重要でなく 一番重要なのは どうやって人の心に届くかです 唯一の解決法は彼ら自身の クンダリーニを上げることでした それにより内なる光が灯ります 私はずっと座っていて そこへ誰かが クンダリーニをあげてもらいに来て 私がクンダリーニを上げてあげて というのは間違った考えで 私にはそれが分かりました そこで集合的 リアリゼーションが始まりました 人々はとても驚きました それはマジックではなく 物語でもなく真理でした 彼らは自分の手先で 実際に感じました 頭頂部でも感じました それがサハジャ ヨガの実現です 驚くほど上手くいきました でなければ無理だったでしょう 今日目にするこのすべての驚異は あなたが反応してくれがおかげです あなたが反応し受け入れたからです でなければ アディ シャクティも役立たずです あなたが受け入れなければ 私は無です 実際それはあなたの英知が 感覚や探求が サハジャ ヨガに導いたのです 手紙を書いたこともなければ 電話もしません 他のグルは皆そうします 新しい場所につくと かの地の要人をリストアップして 手紙を一斉に送ります 少なくとも2、3人が 出席するようにです しかしそんなことをせずとも この集合的目覚めを いかに達成できたか 人々はサハジャ ヨガを それによって理解でき 彼らに浸透していきました まずそのために私は 自分のクンダリーニをあげます パブリック プログラムの度に 自分で上げます その上あなたの問題をすべて 私のクンダリーニで受け止めます それは痛みます だからプージャの後は しばらく石のような状態になります あなたの内にあるものを 吸収するからです あなたを私の体に入れるようにです あなたは私の身体の一部なのです 私の体の細胞の一つ一つが あなたの為です あなたにはそれほど 精妙さが必要です 自分が何を抱えているか理解したり サハジャ ヨガや他の事に できることがないか アシュラムを始めたいとか 何かあるなら たちまち私は分かります あなたが私の中にいるからです ほとんどのことをハッキリわかります 分からないこともあります 理由は一つ あなたと私の関係です もちろんそれは親密なもので 私の体の中にあなたがいます でもあなたが瞑想していなければ ありふれたことを言わなければなりません ディヤーナガンミャです あなたが瞑想していなければ 私はあなたと無関係です あなたは私の親族ではありません 私に対して何の権利もありません 何かを質問することもできません どうしてこんなことが起こるのですかと なのでいつも言います 瞑想 瞑想と 私とあなたはは 何の関係もありません もはやそこにはいません 私とはつながりがありません 他の人と同じようです サハジャ ヨギかもしれません サハジャ ヨガの単位を リーダーがくれたかもしれません 偉大な人と 思われているかもしれません でも瞑想していなければ 毎日朝か晩にしないなら シュリ マタジの領域にはもういません つながりは ただ瞑想を通してだからです ギャナです 瞑想をしない人がいました すると苦しんで 子どもも苦しむ何かが起きます そして私に来て言います でもその人が瞑想していないのは はっきりわかります 私は何の関係もありません 私に何か聞く権利は 彼にはありません はじめは瞑想になるまで 時間がかかります ですがどんなものかわかったら どうやって私と一緒にいて 一つになるか どうやって関係を築くか あいだには何もいりません 手紙やなんかも必要なく 特別なつながりも何もいりません 瞑想だけが必要なものです 瞑想のなかで成長します そこでスピリチュアルに上昇します それが起こると あなたはある意味 成熟した意識状態へと サハジャ ヨガで成熟します すると瞑想を辞めたくなくなります なぜなら瞑想中に 私と一体だからです 3時間も4時間も 瞑想する必要はありません どれだけ本気で私といるかが重要です どれだけ長いかではなくです ならば私はあなたに責任があります あなたの子供や皆に対してです あなたの上昇や ネガティヴィティから守ること それらに私が責任をもちます 父親が直接罰するような そういうやり方ではありません そうでなく “そうですか もうあなたは私と 無関係です”と それが唯一起こりうることです 瞑想してない 良いでしょう 無理強いはできません 私もあなたと無関係です 他のところで外で誰かと 関係をもてるでしょう でもあなたの善を得られる 内なる関係は 瞑想なしにはいられません 何度も行ってきました 瞑想してくださいと 毎日瞑想するようにと でも人は理解しないようです どれほど大切なことか “マザー 私たちは瞑想しません” “なぜ?” “もう私たちはリアライズドソール だから必要ないです” 道具がそろっているのに 主電源につながっていなかったら 何の役にも立ちません 瞑想の中で愛を感じるでしょう 聖なる愛の美しさを感じるでしょう 風景が一変します 瞑想的な人は態度がとても違います とても違う気質を持ち いつも満たされて 特別な人生を送っています 今日は上昇の初日であると そうも言えるでしょう この崇拝によって 実際は今日でなくとも そう言うことはできます それが起こりあなたを助け あなたへの大きな恵みとなった であれば それを維持しなければならない さらにいかに高めるか いかに楽しむかを知るべきです ちょっとした出来事 最後の物語や あれこれで満足せず 完全な一体を得るべきです 神との完全な合一です それは瞑想によってのみ可能です 簡単なことです マザー 時間がとれませんとか いつも考えてばかりですとか 時計を見たくなるとか言います 最初はちょっと問題もあるでしょう あるとは限りませんが ないかもしれません あるとしても最初だけです 徐々に大丈夫になるでしょう 徐々にマスターするでしょう 少しずつですが 極めて上達するでしょう すると他には何も必要なくなります ほかの安っぽいものには 見向きもしなくなります いいですか その美に至るのに その栄光に 偉大な人格に至るのに すでに現れてきていますが 信心深く必要なのは 瞑想だけです 今日は遅く帰ったから 瞑想できなかったとか 明日は仕事ではないから 瞑想できないではなく 誰も言い訳を聞きたくありません 自分のことなのです あなた自身のためです 全てがあなたのためです 誰かに自分が 進化の高みに到達したとか 知らせる必要はありません その高みから更に上昇する 無理ではありませんし 可能でしょう でもまずはあなたが何であれ ハイクラスなサハジャ ヨギであれ 瞑想には謙虚でありなさい この瞑想的な資質は こうして話していても 私はそこに入っていきます とても喜びに満ちているから 喜びの大海に飛び込みなさい 最初は難しいでしょう しばらくするとこのつながりが シュリ マタジとのつながり それだけが欲しいものだと分かります もう一つ人が迷うのは よく見かけることですが そこで失敗する人もいます 個人で瞑想するのは とても正しいことで 個人的に瞑想しますが 座って瞑想し プージャも行う でもコレクティブで瞑想しない これがもう一つの覚えておく点です コレクティヴで 瞑想しなければなりません 私が皆をすべて合わせた 存在だからです コレクティヴで瞑想すると あなたは私のすぐ側にいます だからプログラムでも何でも コレクティブで瞑想しなさい プログラムでは常に 瞑想を優先しなさい 歌を歌ってすべて終えたら瞑想です 何か力説するとすれば これが真理であり すべての土台であると 理解することです 平凡なことにみえますが とても重要です 今アディ シャクティを 崇拝するにあたって どうするべきでしょう かつてないことです アディ シャクティへの祈りなどは ありませんでした バガヴァティまでは行きましたが それ以上に至ったことがありません なのでどんなプージャになるでしょう でもやってみましょう 瞑想が最上の方法でしょう 実際に何かを成就できます なので5分瞑想に入りましょう 目を閉じてください 11のルドラが覚醒しました 彼らがすべての ネガティヴィティを破壊するでしょう […]

6th Day of Navaratri, Recognize Me Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Navaratri Puja. Cabella (Italy), 13 October 1991
今日はナヴァラトリ プージャのために 集まりました これまでに9回 宇宙的母性が化身しました 目的があってきましたが それは帰依者 弟子達 子どもたちを守ることです それは 結びつける愛でした 愛さざるを得なかったのです 母の愛は結びつけます 彼女は愛さないわけには いかないのです 彼女はそれを表現し 働かせ 子どもたちに守りを与えます この守護が現代において もう一人の姿で現れたのです 当時悪が 正しく 善行をつみ 信心深い生活をしようとする人を 害し 破壊しようとしていました そこで 彼らを守るために 彼女が受肉したのです 彼らは何が悪で 間違っているか自覚していて 貴重な一生を善く 保とうとしていました 金銭や権力にも 興味がなく ただ女神を崇拝するために 覚醒を欲していましたが 彼らが悪に害された際に 彼女が現れる必要があったのです しかし 現代は複雑で それに伴い状況も複雑です まず社会生活 日常において 善い人に間違ったことをすることに 対する恐れが入り込んでいます 彼らは司祭や教会 寺やモスクを 恐れますが全て誤っています 彼らは神を恐れず 信じません 自分たちが神を作り 操れると思っています 態度を見ていれば 彼らが畏れ多い 神の存在を信じていないのは明らかです 自分たちに何が起こるか 全く心配していません 生まれ変わりも 復活も信じていません 近視眼的で あらゆる悪行さえ行っています さて あなたには産まれた途端 あるブランドが与えられます あなたはこれ あなたはあれと 生まれて直ぐにです つまり宗教がまず 現代人に与えられるブランドです 避けられません 何らかの宗教に 属することになります どこかに行くにしても パスポートに書かなくとも “あなたの宗教は?” と訊かれたものです インドでは無宗教だと パスポートすら取得できません まだ悪人やその弟子の 資格を持っていないからです なので正しい善良な 神の信仰者が “これを支払わないなら バチが当たる”とか “告解しないなら神の怒りを買う” などと脅され 恐れを 植え付けられるのです “我々のナンセンスが耐え難いなら 神の怒りを買うでしょう”と このようなことが人々の脳に 簡単に入り込んでいったのです 飲酒を罪としない宗教や 一夫多妻を罪としない 宗教もあり 身分制度を認める 宗教もあります 全て神に反しています そして それらがいわゆる 聖職者と呼ばれる人々によって 社会的に続けられています なのでサハジャヨガを始めるときは まずこのようなひどい条件づけがあり 新しいことを始めるのが 難しいとわかるのです ですから母がまず守るのは この条件付けからです 第二に 国の条件付けです どんな国に あなたがいようとです 近頃はどの国も 汚職やマフィアなどのあらゆる問題が 競うようにでてきています どの国でもです 突然明るみにでます 国を信用していたら “彼らはある人物を秘密裏に 援助していたんだ”と 彼らが民主的であろうとなかろうと ある名目で暴力団が関与しています いわゆる法も 騙されやすく 純粋な市民のためであって 法をまとう側の人間のためではないのです あらゆる収賄をしていながら 法の番人であり続けます 自分たちが法を作ったので 違法行為の仕方も心得ています これが現代人の 第二の恐れです 三番目は戦争です 多くの戦争が起こりました 多くの者が戦争を恐れ その反動として自分を守るための 愚かなエゴを発展させました 自衛のためのエゴにより 今や彼らは攻撃的な人々に なりつつあります この種の広義の恐れは 何処へでも向かう 可能性があります それで人種問題 差別が起こります ネオ・ナチズムが 小さなヘビのように 台頭しつつあると聞きました これも昨今の とても危険な動きです 今日 探求者は あらゆるグルにつき 本を読むなど 探求を続けています その過程で汚れた水を飲み 病気になりえます あなたは探求していて乾いていたのです 許されるべきです このように多くの問題が 身体のみならず 脳にも起こります それは微妙なことで “あのグルについたんですね”と言っても グルという言葉が出たら最後 聞く耳をもちません 彼のグルに反することは 何も言えません その人が悩みだせば 聞こうとするかもしれませんが 心からグルを手放させようとすると 彼も傷つくかもしれません とてもデリケートなことです 現代社会については 言葉にすることも憚られます フロイトのようなモラルも人格もない 人々によって現代社会の概念ができ 飲酒が崇拝されてこそいながら それによって価値感を葬ろうとしています 飲酒は前からありましたが 今日では誰もが酔っぱらいになる 可能性があります そして恥じていません その飲酒により 私達の価値観が傾き始め 人々はそれを普通だと 受け入れてしまいました これが新しい価値観です 以前なら子どもが 神の道に入ろうとしたり 善良でより高い価値を求めるなら 親はそれを喜んで支持したものです しかし昨今ではそれは反対で 親はそういったことを好みません まるで親は全てを 失ったかのような反応をして 子どもや孫を 束縛しようとします 完全に洗脳されてしまい 何も頭に残っていません 親と戦うことも 大きな問題です この恐れも大きく “お母さんやお父さんに 知られたくない”といいます 四方八方から恐れが炎のように 迫っているカリ・ユガの時代に 私達は サハジャ ヨガを始めました なので双方向から 守りを作る必要があります 母ももちろん常に あなたを守るためにいます 彼女の力は あなたを守るためです しかし驚くことに ある条件があります 以前は善は善 悪は悪で 区別がはっきりしていました なので女神に祈ると人々はそれを受け入れ 女神が現れ 働いたのです ですが現代では人々の脳のあちこちに 微小な悪が入り込みました 人々は極めて表面的です 大衆に流されがちで ファッションやら何やらを取り入れます かつて女神の帰依者は 自分が善良であることに自覚的に行動し 自らの脚でしっかりと立っていましたが 今は人格が未熟です なので現代のサハジャ ヨギは かつてとは違います かつては数十億人に一人が リアリゼーションを得て その後も 大変苦労しました その苦行により浄化され 自己を確立し続けたのです 時間を要する芸術は 注意深く制作されます 現代美術の数本の線よりも 間違いなく何千倍も価値あります 現代人は この現代美術家のようです 線を一本引いて “人の中に アイデンティティをみるべきだ”と言いますが どこにそんなものがあるというのでしょう たった一本の線です サハジャ ヨギ達は このような状況にいて 悪に囲まれていることを 自覚するべきです 私達の中にも 外にも存在しています 難しいことのように 思われるかもしれませんが 一つだけすればよく それは 私を認めるということです 確かに私はマハマヤで幻惑的かも しれませんが 同時に正直です うそ泣きはしません 正直ですが それでもマハマヤです では 私を認めるために 何をするべきでしょう それができれば あなたは守られます 浄化はサハジャ ヨガではシンプルで コレクティブになることです コレクティブでないなら あなたの何かがおかしいのです コレクティブであるなら ガンジス川で沐浴をしているようなものです ヒマラヤに行ったり 個人的にサダナ(行) をする必要はありません ただコレクティブになりなさい コレクティブになり 楽しんでいるなら あなたは清浄で 汚点がありません 完全に大丈夫です 第二の幻は 私があなたの側にいることです 直ぐ側にいる 必要がありました 近くにいて話し 関係をもち ヨガと自己について 全てを教えるためです あなたには 心身の合併症がある中で 全てを伝えなければ ならなかったのです 現実の姿で近づくのが 危険だったので マハマヤとして近づきました 私が聖なる神格であり 全ての神々が求める者 インカーネーション(神の化身) であると分かるなら すべての神々が あらゆる助け 力や満足 そして守護を与えるでしょう これは理性的な知性で 理解するにはとても難しいことで いかにアディ シャクティが 人間の身体になったのでしょう どうやって無限が 有限に現れたのでしょう 人間にはできないことです 人間には無理ですが 神には可能です 神はやはり神なのです であるなら写真などの 多くの奇跡があり それを分かるべきです 私が人々に話す際に マハマヤである私を理解せず 私に対して軽口を叩く者がいます 口答えする者さえいます 私が何か言うと 言い訳をする者がいます こういった自由はあえて 私があなたに与えたものですが アディ シャクティに話していると 理解することが非常に大切です 次にあなたの態度が とても大切です 決して表面的であっては なりません 両手をハートに当てて 感じるのが一番いいでしょう あなたの母は アディ シャクティで この宇宙を 世界を創造し あなたを守っているのです シュリ クリシュナですら パンダヴァスを守れませんでした 彼らは森へ行って苦しみましたが サハジャ ヨギは違います あなたの問題に気づくと たちまち私の注意が働きます シュリ ラーマ自身ジャングルに 行かなければなりませんでした あなたが全て与えられているのは 真理を探求したからで その真理とは私がアディシャクティの 化身であるということです この真理が あなたと一つになると 神々がそれを知っているために 恐れるものはなくなります 彼らはこの化身について よく知っています あなたの信仰を具現化するために なんでもする準備があります 写真や空などを通して 何とかしてあなたに与えたがっています 神は彼らが今日 何をするかを知っています 彼らはとても 気にかけています ステージの後ろにも 前にも 四方にいて 私の話を聞いていて 私が真理を話しているので 上機嫌です 彼らは私を認め 決して反抗しません 同じように振る舞えば あなたも今日話した あらゆる問題から守られるでしょう これをするな あれをするなとは言いません 何かを盗むなとか サハジャ ヨガで利益を得るなとか 何も言いません 飲酒や喫煙するなとも 言ったことがありません しかし自動的に 誰を前にし 誰に守られているのかが分かれば 自然とやめるでしょう 恐れはなくなるでしょう 認めれば 誰も恐れなくなるでしょう 認めるほどに 分かるほどに あなたはあらゆる意味で 精神 心理 社会経済 政治的に上昇するでしょう あなたを愛する 母としてだけでなく 守る力を持った母であると あなたが分かることはすごいことです 非常に強力です あなたがそれを知り 心に感じるのであれば 例えば私があなたに 注意したとしても “アディ シャクティ自身が私を 気にかけて注意してくれた”と思うでしょう “この時代に産まれ 彼女の偉業の 一翼を担えるのはなんて幸運だ” “どうしてだろう”と こうやって認めることだけで ナヴァラトリの全ての神々を満足させます さて 今日は ドゥルガやカリなど 全ての女神と その力を崇拝しています ラダもです カムサを殺害したのはラダで シュリ クリシュナではありません 彼はラダに頼んで 成敗してもらう必要があったのです その力には 殺傷力があります だから あなたのお母さんが アディ シャクティであると 分かるかどうかなのです 多くの人が分かっています ロンドン空港で働く紳士を 困らせようとした者がいました “気をつけた方がいい 私の母は 非常に力を持っているんだ”と言いました 次の日 その人は仕事を失い 事業を失いました 彼はその紳士のところに戻って “あなたの母親に会わせてもらいたい” と言いました ラフリの近郊の農家に サトウキビ泥棒が入りましたが 翌日犯人が戻ってきて “どんな女神を崇拝していますか?” と訊いたそうです “何故?”と訊くと “3人のいかつい男たちが 土地を見張っていて” “サトウキビを盗みに入ったら 彼らにぶたれました” “怪我はしなかったけれど” といったそうです 認めることさえすれば 背後にはこのような力が有ります 以下に力が働いたかの話が 本当にたくさんあります でもあなたが未だ疑っていたり 気持ち半分だったりすれば上手く行きません 自分の評判を 気にする必要はありません あなたはアディ シャクティである 私の子どもだということを胸に 全速力で どこにでも向かいなさい 酷いと思っていた状況は 全て良くなります フランスのケースでも よくわかります 何の心配入りません ただ私が アディ シャクティと知りなさい 神と女神の全ての力が 私の中にあり あなたを世話します でも認めないと 彼らとてあなたを認めません 今日のナヴァラトリでは あなたはドゥルガのみでなく アディ シャクティを崇拝することを 心に留めて下さい ドゥルガや全ての女神を崇拝し 敬意を払います かつて恐るべき時代に 彼女らに救われなければ あなたは道を誤り ここにはいなかったでしょうから だから我々が無力だった時に 守ってくれたことを感謝するのです 神の恩恵がありますように! […]

Shri Krishna Puja, The Technique of the Play (Nirmal Temple)

Shri Krishna Puja. Cabella Ligure (Italy), 1 September 1991.
今日は ヨゲシュワラを崇拝します 私たちにはシュリ クリシュナの 最も偉大な名だと思います ヨガの神という意味です ご存じのとおりヨガとは 神聖との合一を意味します ですが 別の「ユクティ」 という意味もあります 英語で適切に 訳せませんが ユクティとは トリックの意です トリックです でもトリックというとおかしな いたずらを連想させますが この場合は テクニックの意味です テクニックといえば 機械的なことです なのでユクティの 適切な訳語はありません あえて言えば テクニックを知り それを駆使する技術が ヨガ、ユクティの もう一つの意味です なのでつながりがあっても そのトリックを駆使できなければ つながっている 意味がありません 何の役にも立ちません リアリゼーションの後に テクニックのみでなく そのトリックも 学ばなければなりません クリシュナのレベルに 至るということは シュリ ラーマの後の 化身であり シュリ ラーマは 理想的な礼節を持った マリヤダ プルショッタマで 同時に慈悲深い王 でもありました ですがシュリ クリシュナの場合 人々が生真面目で堅く 過度に道徳的だったので 別な面を示したのです 儀礼さえしていれば大丈夫だ と考え 人々の成長は止まっていました そこでシュリ ヴィシュヌであるシュリ クリシュナがくる必要がありました 上昇について そしてそれがすべて 遊びであると唱えました ですが遊びの達人でないと そのように遊べません 例えば電気的な コミュニケーションがありますが 皆さんはそれで どう遊ぶかを知りません どう遊ぶかです つなぎ方とか いかに学ぶかではありません 遊びです 例えば技術をすべて知っていたら それで頭が痛むでしょう あそこが上手くいかないとか どうやって接続するかなど 自分がしていると 常に気になって 疲れて飽き飽きするでしょう でもそれが遊びだったら 達人にとっては遊びですが それが遊びになってしまえば 疲れることなく 楽しめるでしょう それがいわゆるリーラです それゆえ彼はリーラダラと呼ばれます 彼は達人だからです 達人として来ました マスターといっても指導者としてでなく ヨガの技術 ユクティの達人として 彼はとても巧みで有能なので 彼にとっては遊びです 彼にとっては すべてが遊びでした あなたもヨガにおいては 全てが遊びだと理解するべきです 例えば朝5時に起きるのも 遊びであるべきです 朝起きて まだ日が低く やることがまだない時間 月が沈んで まだ薄暗い時間に起きます とても美しい そんな時間に 瞑想に座るのです 何か堅苦しい つまらないことではなく 遊びなのです そのためにはあなたが 達人である必要があります ヨガの達人であれば それが遊びにになります まず シュリ ラーマの意識により ヴィシュワ ニルマラ ダルマとなると その後は遊びになります さて 神聖との コミュニケーションは 世界へと広まるべきです 全世界があなたが手に入れた コミュニケーションを得るべきです そこに関して シュリクリシュナは 子供としてシンプルな用意をしました 子供っぽく幼いやり方です ゴピ達が沐浴中に 服を隠したのです インド女性は決して 全裸になりませんが 彼女たちのサリーを隠して 彼女たちの背中を見ていましたが 小さな男の子には何でもありません 彼は木の枝に座って彼女たちの クンダリーニをあげようとしていたのです 彼女たちがラーダによって 清められたヤムナ川から出てきて すでに彼女たちのクンダリーニに ヴァイブレーションがあるわけです 彼女たちはその水を運び 彼は後ろから頭上の水がめを 割るのですが その水にも ヴァイブレーションがあります するとヴァイブレーションがある水が 彼女たちの背中にこぼれていきます それでクンダリーニを 引きあげようとしていたのです 子供らしい遊びを見なさい 子供らしいやり方でどうやって 遊ぼうとしたか そして後に 子どものようなやり方で 政治や人間関係 コミュニケーション での熟達を見せるのです 彼のパワーはラーダで ラはエネルギーで ダはその支えです ダレティサ ダルマと いわれるように ラダとはエネルギーを支える者 という意味です なのでまず彼女からもらったのが アラーダ ダイニの性質です アラーダを表す英語は 見当たりませんが アラーダとは急に素晴らしいものをみて 歓びを感じるような感覚です とても幸せな感覚ですが 幸福感を表す英単語が ほとんどありません アラーダとはまるで新鮮な 空気を吸ったような歓びです その感覚がアラーダです 彼女はアラーダ ダイニで アラーダを与える存在です この彼女の アラーダ ダイニの力で 関わりのあるすべての人に 働きかけたのです なので彼といる牛飼いたちは ラースをすることになります ラとはエネルギーで スとは共にという意で ラダジのエネルギーで 踊るということです 彼がただフルートを吹き 彼女が踊ると 彼女の手をエネルギーが流れて クンダリーニが覚醒されます ここにもう一つの 遊びがあります 遊ぶだけで彼は クンダリーニを上げたのです ですが現代では それはとても難しいです そのやり方で クンダリーニを上げるのは 現代では簡単ではありません 人も理解しないでしょう なので現代では サハジ ャヨガはただクンダリーニを 上げるのではなく サハジャ ヨガの 完全な知識を与え 他者にリアリゼーションを与えられる力を与えるという 大きな仕事でした そのために他者にリアリゼーションを 与える技法を見つける必要がありました 当時はクンダリーニは覚醒しても サハスララは開いていませんでした クンダリーニはアギアだったり ハートだったりに留まっていたのです そのような人々が シーカーになりました こうして今日の サハジャ ヨギ達が存在し サハスララが開いていてサハジャ ヨガのユクティを全て知っています ですが サハジャ ヨガのより精妙な ユクティがあります それをマスター しなければなりません 第一に 彼のマドゥリの性質です 優しさという意味です 「蜜のように甘く優しい」 という表現のように 彼が誰かと話したり 誰かと関わるときは 優しさを通して関わりました このような関りができないなら あなたはヨギであることから ほど遠いです 誰かと優しく話すこと それも自然にです 彼の全てがマドゥリです 話も態度も表情も 全てがマドゥリです コミュニケーションを語るなら まずは人同士のコミュニケーション が最も大切です そして人との コミュニケーションを考えるなら 多くの人が攻撃的なほうが 上手く人とかかわれると考えます それは違います 誰かが人から 何か得ようとする時に そこへ行って言います これが必要だとか あれこれ言います まるで否定しているようです でもあなたが優しい人で 優しく話せば 99%の人は 態度を軟化させるでしょう ではどうやって 人を軟化させるか そのトリックを学ぶべきです いかに優しさで人をほぐすか これは 彼の特別な性質の一つで 人と話す際に 心から優しく話すことで あなたとその人の間の 問題が解決するように 完全にです たくさんのトリックがあります 人とどう話すかを学ぶことは 最も大切なことの一つです 第一に あなたは人より 聡明でないと見せるべきです 私が若い科学者と話す際に ごめんなさい 科学はわからないんです というように 科学者向きじゃないんです すると彼らは そうですか と 気持ちよくなります 音楽家に対しては 音楽はわかりません と 少しだけやったことがありますが それほどでもありません 音楽家もうれしくなるでしょう エゴをおだてている 確かにそうも言えるでしょう でも自分が相手と比較できないと 言うことに害はありません 人と話す際の第一のトリックは 完全な謙虚さです それが偉大さのサインであり 達成のサインです 実をつけた木がたわむように まずは 私は何も知らないので 教えてください という態度です それが第一です まずは自らが極めて 謙虚になることです 他人にあなたが何者か わからないのが良いのです それはとても楽しいことです 私の例をお伝えしましょう 私の夫はインドで えらい立場でした 大学まで一緒だった友人と デリーで再開したときに 私がどこに住んでいるか と訊きました 私はミナバという 何の変哲もない場所を言いました 公舎に入れなかったので とりあえずの場所でした ダンナさんは何をしていらっしゃるの 公務員です とだけ伝えました そこに夫が通りかかり 私に微笑んで立ち去りました 彼を知っていらっしゃるの 私の夫です というと驚いて オーマイゴッド どうして教えてくれ なかったの 急に態度が変わりました 彼女は自分を恥じました ただの事務員か何かと結婚したのねと 私を下に見ていたからです なので下のふりをするのが 一番です 全てにおいて下のふりです マザーに力をもらったのであれもこれも できるというサハジャ ヨギを知っています 自画自賛は役に立ちません 私はとくに力がなく ただのサハジャヨギです でも そういうならやってみます なので下のふりをすることです できる限りそうしなさい 家で実践しなさい 練習をして実践するのです これが他者とのコミュニケーションの際 最も大切なことのひとつです 第二にはギータ全部を読むと 一つ大切なことがあります クローダ ピラエティ サモアといって 私たちの悪い性質があり 六つの敵があるということです 彼はギータでその中でもまず クローダから説いています 内面に怒りがあるなら あなたは達人であるわけがありません 達人であればそれで遊べるので 怒る必要がありません あなたをこうやって 踊らせることができます かんしゃくを起こす 必要があるでしょうか でもあなたが対人関係において それを習熟していなければ 5、6分も経てば 声が荒くなってきて 結局怒鳴りだすことになります 熱いかんしゃくを まだもっているからです ですが達人にはありません 必要がありません 彼はクローダから説き始めました 全ての問題は怒りから始まります 次から次へと なので自分が怒りっぽいか 注意するべきです 怒りはヴィシュッディから来ます 肝臓から始まりますが ヴィシュッディを通して表現されます 顔や目が赤くなり 口からはあらゆる 罵詈雑言が出てきて 全く違う表現になります あなたが怒るときに この怒りを観察しなさい これはどこにあるのでしょう 肝臓だ ということなら じゃあ 治そう と マスターするためには はっきりと自分に向き合うことです 皆が彼女はかんしゃくもちで あれもこれもありましたと言います でも本人は いいえ そんなことありません じゃあ何で皆がそういうの わかりません 自分はちゃんとやってます 誰かがそういうなら 自分を観察しなさい あなたはたまに怒りますか あなたはかんしゃくを起しますか 見れば簡単にわかります なので交渉のコツはどれほど 自分に足りないか自ら直視することです まずは 本物の謙虚さが大切で 第二には冷静さです かんしゃくを起す必要は 全くありません 何をしているの どうしてそんなことをするの 言いたくないことを言わせないで そうやって言えばいいのです これが限度です それは嫌いだというぐらいは 良いでしょう でもそれ以上 行かないことです そこで止めれば かんしゃくを起こす 傲慢な習慣が消えていくでしょう この傲慢さや かんしゃくがなくなり 自分が楽になることに 驚くでしょう 怒りによってその反動で レフトヴィシュッディが キャッチして 負い目を感じるからです なぜあんなことを言ってしまったのか と気分が悪くなります そうやってヴィシュッディが だめになります レフトヴィシュッディなら 頭痛です どんどん怒りや 何かをため込むと レフトヴィシュッディが キャッチします それで起こる問題は ご存じの通りです だから誰かに腹が立っても 負い目に思わないことです そのかわり鏡のまえで 自分にビンタをするのです 腹が立ったら 自分に腹を立てて 鏡の前でこうやってするんです 自分が怒った時と 同じようにするんです 負い目に感じないでしょうし もっと起こればなお良いでしょう そうしてレフトヴィシュッディを 空っぽにできます 次は怒らないでしょう 負い目を感じているなら 同じことを何度も繰り返します 怒りの表現も男女で違います 時に女性が心配です 水の力を使うので私も困惑します でも エゴがあるほど 泣き虫になります それがサインです 何か指摘するとすぐに泣き出すのを 見てきました もうレフトヴィシュッディが 風船のように一杯に膨れているので そこに触れたとたんに 水が出てきます 知ってのとおり 男性の場合は違います 腹を立てたらケンカをして 皆を殴りかかったかと思いきや ちゃっかり座って 飲みものを飲んだりします もう出してしまおうと言います でも女性は違います ため込んで それが後に涙になります これらは喜びや 幸せの涙ではなく 誰かへの思いでもありません 誰かに自分が悲しいことを 印象づけるための涙です なので第二のトリックは いかに自分のかんしゃくを克服するかです そして第三にはいかに人の かんしゃくを克服するかです そっちのほうが ずっと高級です ガガンギリ マハラジのところに行った 話をあなた方にしたでしょうか 彼はとても短気な聖人で その熱のため水の中に常にいたので 足を悪くして失いました 人は彼がトラに乗っていると言いますが トラは見かけませんでした 私は彼に会いに行きました 彼は雨を操ることが できるはずだったのですが そこへは四時間半ほど 坂を上ったところです 私が歩き出すとたちまち大雨になり 終始降り続けました 彼は止められませんでした 彼は挑戦されたと思いました 私が到着すると 彼は洞窟の外の岩にすわって 怒りでこうやって どうしようもなかったのです 彼を見て私が洞窟に座ると 彼も来ました 彼は連れられて来て 私の足元にひれ伏したのちに 言いました なぜ私に雨をとめさせて下さらなかたのか あなたがずぶぬれになってしまった この雨が腹立たしい 私のエゴを抑えるためでしょうか とんでもない あなたにエゴがあるとは 知りませんでした ではなぜ 私はご存知のように マスターだから いいですか あなたは修行僧で 私にサリーを買いました オレンジ色のです あなたからオレンジ色を 受け取るわけにはいきません あなたが修行僧だからです でもずぶ濡れなれば あなたから受け取れますね するとたちまち彼は 心を開きました でも私は達人でなければ なりませんでした まずどうやって彼を和らげるか 次にどうやって 彼のこころを掴むか これはもっと精妙な面です あなたは人心を掴めます このように人があなたに してくれたことが分かります 何を用意したか 何が待っているか 未来が分かるとは 言いませんが 人を分かるために そうするなら その人の全てが分かります シンプルなことです まずその人を 分かろうとしなさい 私の父は多くの トリックを持っていました 加えて とても愉快な人でした ある日 弟のババママが歌の上手い 友達の話をしました 父に彼の歌は どうだったか訊くと うん 彼はとても勇気があるね どうして 知らなくても歌おうとするからね 大したもんだ 何て適切な表現でしょう その男性について とても勇気があるって 彼は知らなくても歌うけど 何とかなっていると 勇気があるとは悪口ではないです 勇気がある でも彼のことが 良くわかる言い方で もし変な歌い方をしても 笑わないようにという意味が その「勇気」のことばで分かります 同じように 誰かについて学べば その人を 面白いやり方で表せます 欠点や悪いクセがある とかではなく その人の ある一部について述べます これはその人全体を まるごと理解して 性質や欠点も含めて そのまま受け入れるやり方です その巧みさを あなたは持てるでしょうか 人の特質に注目しなければ 欠点ばかりが目に付くでしょう 彼の特質が分かれば 欠点があっても ちょっとした性格上の スパイスみたいなものです そう 彼はちょっとだけね ちょっと彼の性格に 注記を加える感じです するとその人が気にならなくなり 楽しめるでしょう 私の娘婿は 犬が大好きですが 妻の方は賃貸だから犬はダメと 夫婦ゲンカになります プラバットが“会う機会が無くなります” というので それは良くないけれど なら次は私が犬になろうかしら といいました たちまち彼は理解しました なのでどう人に話すか ほのめかす事ができます 何がその人の長所で 何が欠点か でも直接言う必要はありません ユーモアをもって 間接的にほのめかす事で その人は理解するでしょう 人と関わる時には ユーモアのある人であるべきです でもユーモアというと 誰か体が不自由でまっすぐ 歩けないような人を笑ったり 誰かの髪型が変だと笑ったり そういった表面的なことで笑いますが それはユーモアではありません これは笑いの 形をとった批判です でなかれば 皮肉を言う人もいます これは良くありません 鋭いことを 言ったつもりでしょうが あなたはその人を永遠に失います こういわれた とその人は忘れないからです なので皮肉はあなたの敵であり サハジャ ヨガの敵です 何か言うなら相手を傷つけない 言い方でいいなさい 微妙なユーモアを楽しみつつ 自分の欠点を理解できるように さあ ユーモアをもって あなたに何か言うならば なんだかんだと 直接あなたに言わずに 例えば うちにカラスが やってきてね と言って あなたの性質を そのカラスに移して表すでしょう そしてカラスが あれこれしたと言うでしょう あなたはすぐに “マザーは私のことを話しているのか” “それともカラスの話なのか” 考え出します なので誰か別の存在に 移し替えなさい 移し替えるのが ベストな方法です 例えば プージャに出席する人の 名簿が期限までに必要だとします 今回はアメリカが ホストですので アメリカ人が必要だといった と言えばいいのです 実際には言ってないのですが そういうウソは無害です それで人々はあなたではなく アメリカ人に腹を立てるでしょうが 問題ありません しばらくの間はいいのです まるで移し替えるように この転移は アスタンタラと言われます 一方から他方へと 移し替えていくことで シュリ クリシュナは この技の匠でした 彼の話で 彼はランチョルダといって 戦場から逃げる 彼は気にせずに逃げ出します なぜなら とても悪い悪魔がいましたが ブラマデーヴァから恩恵を授かり 多くの人を殺していましたが シュリクリシュナも どうしてよいか分かりません そこで彼は別の誰かに 彼を任せることにしました 彼は別の特別な ヨギを知っていました 彼は瞑想を通して同じブラマデヴァから 恩恵を授かりましたが それは寝ている最中に 起こされて まず初めに見たものが灰となる という恩恵でした シュリ クリシュナは仕事を 彼に移したほうがよいと考えました そこで彼は 戦場から逃げ出し その悪魔があとを追いました シュリクリシュナはその聖者の 洞穴にそっと入りました そして自分のショールを 彼の上にかけました そしてそこで身を隠しました ここで入ってきた悪魔は シュリ クリシュナが寝ていると思いました ああ 疲れて寝てしまったか ここでどうやって自分を守れるか お手並み拝見としよう そして彼を起こしたところ この聖者が目を覚まし彼を見て 彼は灰と化したのです なので自分の仕事を 移しなさい もっと能力があり 上手くできる人に 自分で抱えこんで 直接さあ来いと戦っても 勝てません いわゆる 血みどろの戦いになります 誰かに任せなさい 友達になるなり おだてるなり何でもして ポイントは悪を取り除く ということで この場合はその悪魔です だから誰でも良いのです 彼は沢山の トリックをかけました マハバーラタでは ビシュマは神の恩恵のために 自ら望まなければ誰も彼を殺すことは できない というものでした なので シュリ クリシュナは トリックを使うと決めました そしてアルジュナに言いました 自分は馬車の御者をするだけで アルジュナに言いました 彼を矢の上に 寝せるようにと 矢の上に寝れば 死を選ぶしかなくなると ドロナチャリアは アルジュナの偉大なグルですが カウラバス側についていました どうしたら殺せるでしょう 彼は弓に関する あらゆる技を持っていました どうすれば良いのでしょう 彼は弓の達人で アルジュナは彼の弟子なのです どやって彼を 止めるのでしょう どうしたら彼が アルジュナの矢に 反応するようにできるでしょう 彼は達人だから反応しない どうするかです そこで クリシュナは特別な方法を 編み出しました 彼はシカンディという宦官を 連れてきました 彼がいかに宦官になったかは おいて とにかく有利です そして彼をアルジュナの 前に立たせました 宦官はインドでは 女性扱いになります ドロナチャリアは戦えない と 女性を殺すわけにはいかない と こうして ドロナチャリアに勝ちました こうやってトリックを使ったのは 悪者を成敗するためだったのです あなたが出来ないときには 誰かに頼めばよいのです 悪を取り除くのが 大事だからです 謙虚に自分よりできる人に頼めば 自分で戦うよりずっと効果的です 無茶は 何の役にも立ちません マハバーラタを見ると終始 シュリ クリシュナはトリックをしています 軍隊全部と私とどちらかを選ぶように アルジュナに言いました カウラバスは 軍隊を選びました アルジュナは クリシュナを選びました しかもクリシュナは戦わずに 戦車のドライバーをすると言います でも彼はトリックのマスターです 武器なんか要らずに 何だってできます なのでアルジュナはドライバーでいいと 受け入れたのです 逐一全てを分かっていたからシュリ クリシュナはいつも微笑んでいました 誰かに相談されると 私も微笑みそうになりますが 我慢するようにしています 見られたくないから でも何をしているか トリックは何か 分かっています 皆さんもトリックに長けていて 色々と知っているでしょう 人がトリックをかけて来たら わかるでしょう そしたら微笑みなさい 優しく微笑んで そうね そうそう そのとおりと これによって人間関係が とても良くなります サハジャ ヨガで よくある例は “リーダーにお前はブーティッシュだと 言われました”というものです もう一人来て“私はお前は ブーツだ”と言われました さらには“私はひどいブーツが お前には入ってる”と言われたと これら3つの違いは何でしょう と なぜ人にブーティッシュだ とかいうのでしょう 必要ありません 分かるならレフトスワディスターナを 治すように言えば良いのです どこかのグルについていたか 聞いてあげなさい その人が良い人であるなら なおさら大事なことです ただ外からの悪影響だから 取り除けばよいだけと伝えなさい ただしアギアとレフトスワディスターナ のキャッチがある場合は お役に立てませんと言うことです ずる賢いと分かっているからです それと戯れても無駄です 私たちはそれも忘れて だれでもどうぞ となってしまいます 誰でもサハジャ ヨガが できるわけではありません 全人類ではないと 知りなさい サハジャ ヨガは 探究者であり その上勇気ある人にしか 与えられません ニーラと呼ばれる人たち向けで 普通の人向けではありません 私たちはオープンだから いろいろな人が来て 困った人のために 一生懸命してあげも 彼らが問題を起こすと 分かるのです まずはシンプルな人達を 相手にしなさい シュリ クリシュナが 牛飼いと戯れたように そのうえで難しい人を扱うときには コレクティブで対処できるか見なさい でもヒトラーやラジニーシのような人を 変えようとしても無駄です サハジャ ヨガでは無理なことを しようとしないことです シュリ クリシュナは自ら それを示しました 対処しがたいことを 避けたのです 彼はそれの達人でしたから やってのけました もちろん彼は自分に向き合い マスターする必要はなく 彼はヨガの神なので 全てを知っていました 全てを知っていれば マスターする必要すらありません 逆に自分がどれほど知っているか 恐れを感じるほどです 人に関わるときに 一番良いのは サハジャ ヨガで自分がどんな人間か 何の専門かを良く知ることです どれほど常に自分に向き合っているか 見る必要があります なぜ私はそんなことを 言うのだろう 自分の心に 何が足りないのか 自分の中のネガティヴィティを はっきりと見なさい 何度も言ったように 西洋のネガティヴィティは心が常に 楽をしようと働くことです 働くことを嫌がります 例えば 誰かに 電話をかけるように言うと すぐに言い訳が 10個返ってきます いないかもとか 奥さんが怒るとか 仕事中かもとか もう10時だとか あれやこれやです 電話はそこにあるのに かけようとしないのです 100個の言い訳 新しい言い訳は コンピューターの不具合とか ファックスの不具合とか あなたの脳ミソ以外は 全部働いているのです それが逆で 自分の頭は働いているけれど 別の何かがだめだというのです 明かりがないとか なんであれ言い訳になります でもどうして解決策を 見つけられないか学ぶべきです 何かしなくては と 例えば前にもいったように 根っこの先がどうやって あちこち探しまわることで 水分を見つけだすか 同じように私たちも これがだめならあれでとしてますか それがだめなら これをしようとか 何もないところから 多くを達成できるのです でも いつもあなたが出来ない理由を いつも探し出すならどうでしょう シュリ クリシュナは違います 彼はヴィラータの 神の化身です マスターの中のマスターです ドロウバディは 危機の際に 彼女はヴィシュヌマーヤで 彼の姉でしたが シュリ クリシュナのことを 思いました ドゥリヨダナによって サリーをひぱっられて 彼女はこうして クリと言いましたが そうやってくわえていましたが シュナといった瞬間にサリーが離れました シュナというと サリーが落ちてしまいます サリーは落ち シュリ クリシュナについて 述べました ドワリカ メショラバヨ ショラバヨバリ シャンカ チャクラ ガダ バドマ ガルル レイ シダーリ この音がハスティナプールから ドワリカに数千マイルをこえて届き その音はチャイタンニャを 通ることで増幅され シャンカ チャクラ ガダ パドマ これらはもちろん武器ですが 全てをもって彼は ガルーダにのり現れます 姉の純潔を守るために あっという間です その瞬間に自然とです サリー1枚くらいなら後でも大丈夫とは 言いませんでした 皆が私にプージャで 沢山くれたサリーを 彼は取っていったに 違いありません そう感じます でなければ どこからサリーを用意したのでしょう 私の倉庫からでしょう そのために あなた方はサリーを沢山くれたのです それで彼は多くの女性の 純潔を守っているのです これら全てが 関連した一つの出来事で 壮大なドラマが繰り広げられて いるのですが 見えません でもあなたが自分を信じ 自分がサハジャ ヨギであり 自らの性質と存在 その価値を信じるのなら あなたは間違いなく マスターになれます でもまずもって自分のリアリゼーション の価値を知りません どれほど能力があるかも 知りません まだ自分が平凡な人間で 大学をでてからリアリゼーションを マザーから授かっただけ だれも大学を出ていません キリストも ラーマも大学にいっていません クリシュナも大学に行ってないし キリストは大学をでていません 普通の大工の息子でした でもあなたはリアライズソールであり ながら自身の価値を知りません それが分かれば 何にでも微笑むでしょう あなたは世界の頂点に 位置しているから それさえわかれば 習熟してくるでしょう でなければ師が弟子より 下に甘んじているようなものです だからといって支配するわけでは ありません 責任を持つのです 完全に受け持つのです あなたは何でも分かっているし どうすればいいかも分かっています この習得が必要です あなた方皆に それが全く可能です ですがまず自分を修める 必要があると知りなさい そういうとすぐに“マザー 自分が一番難しいんです” 私にはわかりません 人を修めようとするくせに 自分を修められないのですか あなたは常に自分と一緒で それがあなたの財産なのです 人の資産を正すことができるなら 自分のも正せるはずです た易いことであるはずなのに 自分のものだという確信がありません 自分にできると思っていません できます 今や自分を知っているのです ならばマスターするべきです 自分を見て観察すれば 自分がすべてのトリックを 知っていると気づくでしょう ユクティです 私があれこれと 言う必要はありません 自分で対処できます 私たちは細々した事は 沢山知っています 何かが落ちてくるなら これで支えればいいとか スピリチュアルな生活は 最もた易いはずです あなたが 知識の大海だからです ただあなたに知識があることを 知らなければ 人と関わる際の トリックが分からないでしょう 人とコミュニケートする目的は 世界を救済することだからです 無知から救い出すためです そのために習熟が必要です 無意味なことで迷わず 習熟してくためには 早朝の瞑想が必要です まずそれです そして自分に向き合いなさい 常にです なぜそんな事をいったのか ああ あのせいだな と この言葉はあの人から 来ているな 自分に向き合うと 驚くべきことに あなたは常に現実を避けようと こころを使っているのです いつも言いますが こころはあなたを欺きます 最後は シュリ クリシュナは 劇のエキスパートだということ 彼はドラマをつくり それを自ら演じ 更に観客でもあります あなたも この3つで自分を見なさい 自分のドラマをつくり ああ ここはこうか どうやって演じるとしよう そしてその観客にもなる 自分のドラマの 観客になりなさい すると分かるでしょう 自分が何をしていて どうやって進めているかを すると私たちの欺瞞は 常に自分を欺いているものが すっかり消えていきます 芸術家が同時に 鑑賞する側と知っていれば 演者が観客でもあると 意識していれば 自分を欺くことはないでしょう それが演技と知っているからです 自己欺瞞は避けるべきです 直面しなさい でも他の抜け道があります 例えば“手紙を書いたら”というと “分かってる” “手紙書いたほうが良かったん じゃないの お世話になったし・・・” “わかってるよ” “何も連絡しないなんてひどくない ですか・・・”“わかってる!” “自分が悪いし ひどい人だし バカだし” “自分が悪かった、全部わかってるよ! だから何なの”と 自分が悪いと認めたら それで終わりです これは新しい逃げで シュリ クリシュナの時代には なかった現代版です 自分は悪人ですが それが何か これは第2段階です 第1段階では、分かってる! 第2段階では、だから何?と進化します こうして脱線が始まります こうして あちこちと揺れ始めます 知っているのに どうして直せないんだろう そうあるべきです 自分でそれを分かっている 知っているなら直すトリックも 知るべきです 自分が正そうとする人格から 離れているから 自分を正せるのです そもそもヨガとはそういうもので 自らの意識が神と一体になり 自分の執着を離れて 見ることができて 全てに対する執着が無くなります そしてあなたに来る力は あなたを通って執着に働きます 状況がガラッと変わります サハジャ ヨガでは 全く変わります 悪い人が サハジャ ヨガにくると 追い出されるか 正されるかどちらかです 悪い人は正されるか 追い出されるかです 現代はシュリ クリシュナの時代より 進化しているようです 彼はアルジュナ一人に教えましたが 私は数千人に知識を与えています 当時は戦時下で 今は平和な時代です シュリ クリシュナはリアリゼーションを 与えなかったのでずっと進化したのです あなたはリアリゼーションを得て 全ての精妙な知識を持っています 現代というのはそういうもので あなたはすでにヴィラータの一部です あなたはヴィラータを見たことが ありませんが すでにその一部なのです あなたは見ているのでなく その中にいるのです それによって サハジャ ヨガから追い出されるのは 自分を見ないことだけで そうならないように 自分自信を良く見て 自分を正し ヴィラータと一体になることです これがヨゲシュワラのサインです そうやって笑顔でもって 全てを知りつつ 皮肉をいわず 父親の様な笑みを浮かべる そうあるべきです 全ての人に対してです すぐに人は分かるでしょう 小さい子は特にです 子供は極めて親に対して 保護的です 心配しなくても大丈夫 神様が守ってくれるから と 本当に可愛いものです とても優しくて 世界が癒されます 子どもや赤ちゃんから 学ぶことが沢山あります そして内なる ガネーシャの原理を持って 働きかけるべきです 無心さが最も効果的で なので皆さん 自分に向き合ってください 自分を責めず 正して尊敬しなさい そして自らの栄光へと進んでいきなさい 神の恩恵がありますように! […]