クリスマス プージャ Ganapatipule (India)

クリスマス プージャ、1999年12月25日、ガナパティプーレ(インド)
Now that the talk was partly extracted from the “Shores of Bharat” VHS it became evident that the major part of the Puja protocol is missing.If you happen to come across a Recording of the Christmas Puja from the 25th of December, 1999, please be so kind to provide this tape to the archive.Contact the team at [email protected]

今日私たちは イエス キリストの誕生を祝います 彼は特異な状況で つまり処女から生まれ 地上に化身しました そして ご存知のように シュリ ガネーシャも 同じように生まれました イエスがシュリ ガネーシャの化身なので 私たちには理解することができます 生まれた時 彼は すべての力を備えていました 自分の持つ力を示す外的な 武器を持つ必要はありませんでした すべての力を 自身に備えていましたが それでも忍耐と理解を 示そうとしました なぜなら当時の人々が スピリチュアリティに対して 完全に無知だったからです 実は彼等はユダヤ人でした モーゼやアブラハムによって 指示されましたが 彼らは拠り所を失い 何をいかに求めるべきか 分かりませんでした 真実の探求者ではありませんでした 他の宗教も同じですが 彼らはユダヤ教の儀式に 満足していました 高次のものへの 探求心がありませんでした それゆえ彼にとって 人生は大変困難なものでした 彼が生まれた時 三人の者達が星を追って その場所に行き 飼い葉桶に横たわる キリストを見つけました 生まれるには 大変質素な場所です 困難な状況の中 生まれましたが 彼が偉大であることは 星によって明確に示されていました 先日ガナパティプーレは どのように探したのか尋ねられました マハラシュトラ州では あまり知られていない場所です 人はアシュタヴィナヤカには行っても マハガナパティには行きません ある時 ラトナギリから帰る途中 ある寺院の上に 大変大きな星を見かけました しかし誰もそれが見えませんでした サハジャ ヨギにもです なので私はこの星を 辿ってみようと言いました とてもとても大きな星で 通常の星とは違い 稀でした でも人の目には映りませんでした 一緒にいた者達も 見えないと言っていましたが 私は”構いません” “道を曲がり 別の道を行こう”と言いました そして星を辿っていきました もちろん皆文句を言わず それに従い先へ進みました 遅い時間でしたが “先へ進みましょう”と言いました ガナパティプーレに着いたのは 夜明けでした 忘れられない 美しい夜明けです 夜明けに見たのは私たちが今いる この美しい場所です そして“ここがサハジャ ヨギ達皆が” ”集まる場所です”と言いました ラビンドラナート タゴールは この場所について ”このバラトゥの海岸に 世界中の人々が集まる”と記しています これらすべて預言されています いかにこの場所を奇跡的に 発見できたかは驚くほどです この三人の偉大な者達が キリストを発見したようにです そしてこの場所は 大変祝福されていて 素晴らしいヴィブレーションに 満ちていました 私は二日滞在し この場所に決めました 最終的にこの土地を 手に入れました キリストは 多くのことを言っています 十字架の上で “母を見よ”と言いました ”behold”は意味深い言葉で 母を心待ちにしなさい という意味です 亡くなる前にも言いました 人々は暴力や拷問など 神聖とはかけ離れたことを し続けています 宗教は暴力や力尽くで 広めることはできません 愛と慈愛でのみ広められます あなたは愛と慈愛でのみ サハジャ ヨガを広めることができます その慈愛は メンタルなものではありません 私たちが人より優れているから 彼等を変えるべきだというものではありません その人の何かを変えるのではなく 人を真に復活させることが できると感じさせるのは 大いなる愛や慈愛なのです 復活させ真実を与えるのが 私たちの仕事です 世界中沢山の人がいます 今私たちはか 86カ国で活動しています ベニンでは七千人も サハジャ ヨギがいます 彼等はかつてイスラム教徒でした なぜサハジャを選んだのか尋ねると 当然ですと答えました “なぜ?” “なぜ初めは キリスト教徒だったのですか” “いえ キリスト教徒ではなく イスラム教徒だけです” さらに尋ねると “支配していたフランス人が 非常に不道徳で” “酒飲みで 不埒な彼等の宗教に従う のは無意味だと思ったからです” “もっとましになるにはどうするか考え イスラム教にしました” そして今彼等は サハジャ ヨガをしています 彼等には分別があるからです 真実の探求者で 分別があります 彼等はいわゆる黒人で 啓蒙された精神を持っています 私への詩を詠ったり 私のために様々なものも作っています 今となっては 七千人ものヨギがいます 彼らはいつか国民皆が サハジャ ヨギになるだろうと言っています トルコでは いわゆるイスラム教ですが リーダーのケマル アタテュルクは 啓蒙された魂の持ち主で パルダーや女性を抑圧することは 意味がないと話しています 彼女達たちを自由にしました 彼らは非常に創造性豊かです トルコには二千人の サハジャ ヨギがいます 以前地震が起きたときも 一人もサハジャ ヨギは 亡くなっていませんし 家も壊されませんでした 私たちの国でも四つの州が カトリック教徒に改宗しました 彼等と話しましたが “どう着飾って教会に行き 讃美歌を 歌うかを教わっただけです”と それを聞いて驚きました 確かにましな格好をしていましたが なぜ受け入れたのか分かりません 彼等は先住民で 現代に影響されていないからでしょう そしてその後 カトリック教はオリッサ州にも 手を伸ばしていました オリッサ州ではすでにカトリック教徒が 35から40人程いました そして私は オーストラリアのヨギにそこに行って サハジャ ヨガを教えるように言いました そこで彼等は 九つのセンターを作りました 良いことに 巨大な破壊的なハリケーンに 襲われたとき サハジャ ヨガを新しく 受け入れた者達は全員無事でした 家もすべて無事でした さて最後の審判が起こります 原理主義を唱える者や 原理主義者は破滅します これらの国々で 彼等の破滅を見るとそう思います 何が起こっていて なぜ彼等や家族 家が破滅するのか分かりませんが おそらくカルキがそれらの場所で 厳しく作用しているのでしょう 黒魔術をする者なども 破滅させられます 驚くことにオリッサ州では サハジャ ヨギは誰も怪我しませんでした サハジャ ヨギに対する 神聖の大いなる保護です 昔から言われた通りです ですが人々は儀式主義や司祭職や 説教で道に迷ってしまいました 説教や読むことによって スピリチュアルな経験はできません グル ナナカやカビラ アディ シャンカラチャリヤでさえ言ってます “お母さん そこから 抜け出させてください” 真実を知る者は 同じことを言っています 同じことを繰り返しています 彼等の生き方を読めば 驚くことでしょう イスラム教徒であったスーフィーでさえ 同じことを書いていました トルコに住むスーフィーも あるいは当時インドだった パキスタンでも 彼等は同じことを書いています イギリスの偉大な詩人も 同じことを書いています 真実は真実であり 真実は愛であると これこそキリストが 確立したかったことですが 彼は大変困難な状況において 生まれました 祭司や教会として 支配していた人々は それを利用し すべての者を抑圧しました サハジャ ヨガでは 抑圧はありません 参加するのも自由意志です そこで自己における真実を 知らないといけません キリストは常に “汝自身を知れ”と言っています しかし人は決してしようとしません 自分自身を知らないからです この状況は どの宗教にもあてはまります 聖人は何が正しい道で 何に従うべきか教えるために戦いました キリストがしたことは 大変注目すべきもので 彼はユダヤ人に 彼が光であり 道であると教えましたが 彼が到達点だとは 言っていません 誰かが来ると 知っていたからです そして聖霊が来ると言いました 彼女はつ三つの要素を持ち 慰め主で 指導主であり 救世主です 彼は“彼女”や“彼”ではなく ヘブライ語の“それ”で使っています 人々は聖書を悪用し イギリスでは王が妻との 離婚を望んでいたので 権威を聖書にまで 及ぼしました なぜ聖書のような聖典に不道徳者が 権威を与えられるのでしょうか 権力で彼は 支配したかったからです 現実であるすべてを 支配したかったからです これは盲目的な権力です あなたに真の力をあるなら 何に敬意を払うべきなのか分かります どの道へ行くべきか分かります 見る力が 全体への冴えた 理解が出てくるからです どの道に従うべきか どこへ行くべきか 何が正しいかのです このカリ ユガを通して あらゆる酷いことのお陰で またヒンズー教徒の間にも おかしな儀式があり それを通して人々は これが終着点ではないと 悟っています あなたは真実を 求めなければいけません 一つ大事なことは 全ての者が “真実を求め 自己を見つけ なければいけない”と言っていることです それは明確に インドの聖典に記されています いくつかには記されています “自己を求めなければいけない”と 特にインドで化身した聖人達は 常に真実を見つけ 求めないといけない と言っていました 彼等は真実を知っていて 皆にも見つけてほしいからです 全ての宗教には 啓蒙された者達がいました 仏教徒においても 真実の探求について語った者が 達磨大師や老子や その他大勢いました キリストは大変明確に それを言っていました 彼の誕生日に皆さんが すでに真実を見つけたこと 愛 慈愛そして謙虚さの道を 知っていることに嬉しく感じます 私たちは自身の中のどこに キリストが内在しているか いかにキリストに敬意を払い 崇拝するかを知っています このアギヤであなたは その者が真実の探求者か 支配力の強い傲慢な キリスト教徒か見分けられます あなたがキリスト教徒であるなら それができません それができるなら キリスト教徒ではありません キリストを見なさい いかに彼が謙虚だったか 彼はすべて滅ぼすこともできました その力がありましたが 自身を十字に架けました その理由はアギヤ チャクラが壊され 超えなければいけなかったからです なので彼は受け入れました 彼は最も破壊的な力である シュリ ガネーシャの力を すべて備えていました これらの力全ては 母なる大地から来ます そして母なる大地は 全世界を揺すぶることができます しかし彼はデヴィ マハトゥミャに 記されているマハヴィシュヌの化身です 彼はどんな者で 何をしたか 彼がした働きについて 美しく記されています さて キリストが生まれ 化身したのであれば 大変偉大なことです 彼は私たちに人生を捧げ 全てを成し遂げました そして私たちは許すことで 彼に従っています あなたは他の者を 許さないといけません 自身を許し他者も許します 主イエスが内在するこのアギヤ チャクラを開きたければ大切なことです 人を許せず 自身も許せなければ このアギヤは開きません 何よりキリスト教徒と呼ばれる 全てのキリスト教国では 皆大変ひどいアギヤをしています キリストに真に従うのであれば アギヤをキャッチすることがあるでしょうか まして彼等は非常に支配的で 傲慢です 彼等は キリストの弟子にはなれません 彼はあまりに謙虚でした 全能なる神と一つで 自分が十字に架けられることを 受け入れました 彼の誕生自体が 偉大な奇跡です 彼の働きはさらに偉大です 私たちは全てのキリスト教徒に 伝えなければいけません 何が真のキリスト教か 何が現実か 何に従うべきか どのようにキリストに正当に従うか 教えないといけません ですが大変大きな組織や 政治的なこと 様々なことが絡んでいます さらに彼等は 例えばヒンズー教の時 から悪いことを続けています それでは改宗する 意味があるでしょうか ですから 彼の生き方から 私たちは学ばなければいけません 彼は誰も望まないような 状況で生まれました 大変暗黒で 人々は無知で 残酷であった時代に彼が誕生したことは 非常に注目すべきことです 大変勇敢で 勇気のある人格です 今日人はキリストを 結核患者のような者にしています 乞食のような者です 人も乞食のようです ボンベイにいる時 少女や少年たちが 近寄ってきては歌を歌って “お金を恵んで”と言っていました 私は“キャロルを歌うなら お金をねだったりしてはいけません” “私たちはお金がいるの 食べるものがないの” それならなぜ キリストの歌を歌うのですか 様々な人が物乞いしています キリストは物乞いをしたでしょうか この世に乞食を 作ろうとしたでしょうか 彼は自尊心をもち 生き 死にました 人は彼の資質を学ばず 世俗的なものを受け入れています 時には完全に 品位を落としています 宗教的という言葉を使うと違う意味に なってしまうので使わない方がいいでしょうが 彼は私たちに大変徳深い 敬虔な 美しい人生を与えるために来ました 彼は手本でした 私たちが従うべき手本です サハジャ ヨガをする者は 何が正しくて間違っているか意識できます サハジャ ヨギにならないかぎり この分別を持つことは難しいです ですから多くの者は キリストの名において そして自分の破壊的な力に 自分を見失っています それらは私たち人間が持つ 六つの敵と呼びます なので今日彼の生き方を 彼の誕生 働き 偉大さ 犠牲を思い出す時 私たちは彼の人生に従うべきだと 理解しなければいけません 彼は私たちの見本です 私たちは多くのことに 忍耐強くないといけません 攻撃的ではいけません 他の者の自由に対して 脅威であってはいけません 悪魔のような者がいるでしょうが 彼等の脅威であってはいけません 真実は戦います これは私たちがすべき 大変簡単なことです サハジャ ヨガでは 大変徳のある生き方 徳のある振る舞いを 人々はしています 文化においても全てそうです サハジャ ヨガの文化は 大変徳のある 愛深く 慈愛に満ちた文化です あなた方の中のキリストがこのような 様子に歓びを感じていることでしょう 神の祝福がありますように […]

Christmas Puja (India)

Christmas Puja. Ganapatipule (India), 25 December 1993.
今日はみなさんで キリストの誕生を祝います とても重要な この時期に祝います なぜなら反キリスト教徒が キリスト教を担っており キリストの誕生に対して 非難しているからです 彼らにそのような権利は ありません リアライズソールでは ありません 神聖をまったく理解 していません 彼らは全てが 偽りだと主張し 彼女がバージンではなく キリストはあのように 生まれてないと 誰が言ったのでしょう 聖ガブリエル が来て言ったのでしょうか どのような権利があって 彼らは言うのでしょう 反キリスト的な人達が 今ではキリスト教を担っています 教皇ですらそうです サティ ユガで彼らは 暴露されねばなりません ここにいる誰かが 教皇に聞いてください ”あなたにどの権利があって そのような事を言うのか” ”神の包括的な愛を感じたことが ありますか?” ”キリストを攻撃しているあなたの中に どれだけ神聖さがありますか?” おそらく彼らはポールの 生まれ変わりの一部でしょう 彼らは神聖を理解できません 神聖が何をもたらすか 知らないのです どれだけ奇跡的なことか 理解できないのです 皆さんは神の恩恵を 感じたことでしょう 皆さんはそれが 奇跡だと分かるでしょう いつでも奇跡が起こるのです 一つ簡単な例を挙げましょう ナヴァラトリプージャで ある写真がありました その写真の裏方で ある光景が浮かんできました この光景は何を示しているのかと 思いました その光景とは スーリヤが カーテンを開けていました そこにはスーリヤの目 鼻 口があり 彼は笑顔でカーテンを開けていました これは何だろうと思いました ナヴァラトリ プージャで 何を意味するのだろうと思いました しかしモスクワに行ったとき 驚きました 彼らは背景を全く同じように ペイントしていたのです 全く同じように 背景が描かれていました ナヴァラトリ プージャは 一ヵ月半も前のことです パラマチャイタニャが 描いたのです 物事が奇跡的に起こるのは 驚きです このような奇跡は 数え切れないほどあります モスクワに向かう機内の中で 気温は-20度だと言ってました 到着すると気温は-50度だと 翌朝の気温は-12度くらいまで 回復するでしょうと言っていました 午後になると-4度でした 次の日は+10度まで 上がりました 通常は時間の経過と共に 徐々に寒くなるものです 今度は夫がモスクワを訪れ-20度で とても寒いと言ってました 私は心配する必要はありません 気温は回復するでしょうと伝えました 彼が到着したときは -2度でした これら全ての要素は 私たちを助けてくれています 全ての 問題は すぐに解決するでしょう どのように問題が解決するか 驚くでしょう するとなぜキリストは 磔にされたのかと 聞くでしょう なぜ彼を磔から 救えなかったのかと 彼が磔にされたのは そうされるようになっていたからです 彼はアギヤを通らなければ ならなかったからです 自身をアギヤで確立し 十字架を 乗り越える必要があったからです 彼の人生のメッセージは 十字架ではなく 彼の復活にあるのです 彼は復活しました これが彼の偉大な成就の一つです 皆さんも復活できるのです 進化における 全ての生まれ変わりは とてもユニークな形で 生まれ変わります そして最後にはキリストが 復活を遂げました 彼は死ぬ必要がありました 死なずに 復活はできません たくさんのことが神話的ですが 実際は違うのです 明日になれば彼らはキリストは 復活していないと言うでしょう 実際彼はその後 カシミールで亡くなりました 証明もあります しかしそれでも人々は 信じたがらないのです ただ単にキリスト教を 広めたいだけなのです なぜなら彼らは知っているのです 大衆を得れば権力を持てると 同じトリックを政治家が 行っています しかしこのような大衆は 何の安堵も 慈愛も人々にもたらしません キリストの母は攻撃を 受けていました 彼女に対するさまざまな 虚偽を言われていました 対してモハメッドはコーランで 何人たりともキリストの母である 聖母の純潔を攻撃してはならないと 彼は敬意を表してました なぜ聖母マリアに対する敬意が 聖書で見られないのでしょう パウロによって 単なる女性と呼ばれています 彼は酷い反キリストとして現れ キリスト教を乗っ取り キリスト教を広め それに自分の価値観を活用し キリスト最悪の弟子である ペテロを利用しました あなたはサタンに乗っ取られると キリスト告げられた弟子にです 彼らは不可能だと 伝えているのです キリストがヴァージンから 生まれたなどありえないと 私たちインド人は シュリ ガネーシャを崇拝します シュリ ガネーシャは キリストと同一です 私たちは聖母がヴァージン ガウリとして子供を創造したと 信じています 信じるだけでなく 私たちは信念を持っています ところが西欧での信念とは 全てが合理性にあります そのように考え 過ちを犯していくのです ダラムについて無意味な記事を 発行する意味があったでしょうか 彼はさらに 名誉まで与えられていました カンタベリー大司教という反キリスト から名誉を与えられていました 名誉を与えられたすぐ後で 彼の教会は ヴィシュヌマヤによって 完全に焼き尽くされました 彼女は一時間ほど見回り その後完全に焼き尽くしました わずかに下位部分だけ残ったのは 美しい絵画があったからでしょう すると愚か者たちは言いました 神の恩恵が ヴィシュヌマヤから 下位部分を守ってくれたのだと ではなぜ焼き尽くしたのでしょう 合理性では神性を理解することは できないのです 無理です 制限や条件付けや エゴが強すぎます どのようにして合理性がキリストの 人生の真実を伝えられるでしょう 私たちには 科学的根拠もあります 皆さんも 知っていると思いますが 炭素の構造上右側から左方向を 見るとスワスティカが見えます 炭素原子を右から左を見ると スワスティカが見えます 以前に大きなモデルを創りました 今度はそれを逆に 左から右方向を見ると オムカラが見えます 間違いありません 下から見上げると「アルファ」と 「オメガ」があります キリストは言いました ”私がアルファとオメガ”だと 当時はシンボルが存在するか 分かりませんでした どうであれ彼は言いました ”私がアルファとオメガ”だと そこにはもう一つ意味があります ”私が始まりで私が終わり”だと 彼がアルファとオメガ と言ったように 下から見上げると はっきりと象徴的に見えるのです 一方にはオムカラ もう一方からはスワスティカが 互いが共に上昇し 生まれ変わると アルファとオメガになります しかしこれらは反キリストには 理解できません 神聖に何ができるのか 理解できないのです あなたはリアリゼーションを得ました 二度目の誕生です ただここに 座っているだけでです どのようにして 得られたのでしょうか 彼らの話す内容は 自らを不幸にします 自己を破滅へと 追いやるものです リスクを犯しすぎです 皆さんもご存知のように シュリ ガネーシャは とてもパワフルな 神格です キリストも同じです 彼は“聖霊に一言でも 反抗するなら許しません”と言いました 同じく一言でもキリストに反抗する なら私が許しません 一言でもです そのときはこの酷い人たちを 完全に滅ぼすでしょう 彼の生誕において私たちが 知るべきことは キリストは シュリ ガネーシャと 同じものから生まれました 彼は叡智であり その源なのです 彼に与えられた人生は短かったため 多くを語ってはいません 3年から3年半の間 キリストは人々に教示しました 彼が話したこと全てが 真実で正しく賢明です 彼らはその真実を 乱そうとしたかもしれません しかし多くの真実が 聖書に残されています 彼は人生を懸けて 真実が何か伝え続けました 彼が最初です 神について 明確に語ったのは 彼のレベルでは このタパの部分に3人存在します 一人はブッダで もう一人はマハヴィーラです ブッダとマハヴィーラは儀式主義の 傾向が強い時代に生まれました 彼らは神について 話さないと言いました “まずはチャイタニャについてのみ お話します”と言いました 皆そうしました ジャナカのグル アシュタヴァクラですら ヴァイブレーションについてのみ 話しました ナナカもそうでした ナーマデーヴァが プンジャブに行った時言いました 神のことやハリのことは 話さないようにと まずパラマチャイタンニャについて 話すべきだと 人はまずパラマチャイタニャに 到達するからです その後“神はどこにいるのですか?” と聞くでしょう 当時 神について話をしたのは キリストのみでした 人々は神について 語りたがらなかったのです 彼は恐れを知らない 勇気ある人でした しかし彼の幼少期については 何処にも説明されていません とても悲しいことです シュリ クリシュナやシュリ ラーマに ついては美しい記述があります 唯一彼がペルシャ人と 口論になった時 人々は彼の分別する能力や明晰さに 驚いていたくらいです それぐらいです しかし後ほど 彼らはメアリに対して 敬意を払いませんでしたが 女神がいるはずだと 信じざる終えませんでした キリストはどのようにして 彼女から生まれたのかと そこでマドンナと 呼ぶようになりました このようにして聖母メアリは マドンナと呼ばれるようになりました 未婚で処女という意味です マドンナは教会や至る所に広がり 人は彼女を 女神と崇拝しました 聖書でもキリスト教でもなく 彼女をマドンナと呼び始めたのです このマドンナのレベルから 人は聖母や母性を 見るようになりました 彼女がマハラクシュミだと 私たちは良く知っています そしてマハラクシュミとして 崇拝します 彼女はラーダです ラーダにも 息子がいました 卵の様な息子でした 卵の半分はキリストで もう半分はシュリ ガネーシャでした この子が生まれた時に 父を求めました 父親はシュリ クリシュナです デヴィ マハットミャムを読めば 出ています 彼はいつも手をこのようにして 父に向けています 一つはシュリ クリシュナで もう一つはシュリ ヴィシュヌです そして彼女がラーダです 「ラー」はエネルギー 「ダー」は エネルギーを支える人を意味します 彼女がジーザスと呼んだのです ヘブライ語ではイエス ヘブライ語から直訳されたマラティの 聖書を読んだときもイエスでした 「イエス」という名は シュリ クリシュナの母の名前です 「イエス」とは彼女の名前である 「イェショダ」からきた呼び名です そう呼ぶようになりました 「キリスト」という名は 「クリシュナ」からきました 彼女は「クリスト」と呼びました もしくは「イエス」や 「ジーサス」と呼びました ヤショダのことも イエスやジーサスと呼びます 彼女は彼をそう呼びました それは彼がシュリ クリシュナと 身近にあったことを 私たちに知らせるためにです シュリ クリシュナはインドにのみ 生まれ変わりました なぜなら彼がアメリカに 生まれ変わるには寛大すぎました 彼らには 際限やマリヤダが無く 戒律が何かもわかっていませんし 全くダルマがありません キリストのように とても純粋で明晰 シュリ クリシュナのリーラ(遊戯) を信じない人柄だからです シュリ クリシュナ曰く 全てはリーラである シュリ ラーマの厳格さを 乗り越えるにはそれしかないと しかしキリストは そうは言いませんでした にも関わらずキリスト教では 全てがリーラだと信者は考えています 無戒律はリーラだ どんな過ちを犯してもそれはリーラで 結局全ては純真だと 彼らの論理を 理解することはできません 非論理的で とても自己破壊的です 私たちインド人は戒律について 理解していると知るべきです 何が正しくて 何が間違っているか しかし私はキリスト教の人達を より称賛します 彼らはクンダリーニが何か 全く分からない国から来て 素晴らしいサハジャ ヨギに なったのですから すると神の恩恵が与えられます 彼らは純粋で誠実なため キリストが彼らを サハジャ ヨガに導いたのです 彼の存在無くして それは不可能でした ここではシュリ ガネーシャは 単なるシンボルに過ぎません 石の中に宿ります そして彼は生まれ変わりました 戒律とは何かを 人々に伝えたのです しかし人々はその教えに 従いませんでした 全く従いませんでした お金の事ばかり気にしています 彼らが神の名において 行ってきたことは驚きです 彼の出生は とても象徴的です 彼は馬小屋で生まれました 想像してみてください 沢山の藁の束があるところで 生まれたのです ほかにも動物がいた場所です この偉大な化身の 生まれ方を見てください 彼は王様ではありません 彼はお金持ちでもありません 彼はとても 貧困な環境で生まれ 平均的水準を下回る 粗雑な環境で生まれたのです このメッセージは 生まれる時に お城や大きな部屋は必要ないのです あなたが純粋なスピリットなら 何処で生まれてもいいのです あなたがキリストなら 偉大な人格は この様に生まれるのです その反対に向かうと とても拝金的で 物質的になり 何がしたいのか 全く分かりません 彼らは稼いだお金で 自分自身を破滅させています センスも プロポーションもありません これが現在 西洋で起こっていることです そして私たちも それに従おうとしています 彼らの破壊的な法則に従い それが先進的だと 信じているのです 破滅に向かって先進的 それが彼らです 気を付けなければなりません 子供達のことや 人との関係性など 彼らの汚れたやり方に巻き込まれ ないようにしなくてはなりません 神の名において行ったのです ここにいる皆さんは 比較的大きなグループです 私たちはサハジャ ヨギです 神の恩恵を受けていて 神聖とは何かを理解しています キリストとは何かも 知っています 例えあなたがヒンズー教徒で 生まれようと関係ありません なぜならキリストは普遍的です 宇宙をサポートしているのです デヴィ・マハトミャムにも記されています 天地万有のサポートです キリストを崇拝する人を 馬鹿にしてはいけません 私たちも シュリ ガネーシャを敬うように 愛情と献身とサレンダーをもって キリストを崇拝しなければなりません キリスト教徒は キリストに対する信念がないでしょう “私たちはキリストを信じます あれこれやってください”と言います サハジャ ヨギの信念は 通用します あなたの信念は 啓蒙されているので通用します 自分自身やサハジャ ヨガ 自分の人生を信用してください これが起きるまで サハジャ ヨギとは呼べません 未だに 表面的な人を見受けます するとどうしたら良いか 分からないでしょう 思考的に分からなくても 神の広大な愛に包まれ この愛を誰かに 与えたくなるのです しかし物質主義が 精妙になる人もいます 未だに物質的です 彼らは物質的で 悪い方法で お金を稼ぐこと考えています もしかしたらそれほどでも ないかもしれませんが 彼らは急に子供に 執着し始めたように感じます この執着は間違っています 子供達はサハジャ ヨガに属しています あなたに権利はありません 彼らは子供達にガナパティプレに 行かず すぐに帰宅してほしいのです 彼らはサハジャヨガの 子供達です ガナパティプレに 来なくてはなりません しかし子供を 連れ去りたいのです 直接そうしたいのです 子供はその為に いるのではありません サハジャ ヨガで 成長するためにいるのです それを望まないのなら 連れ去りなさい 皆がガナパティプレに来るときに 連れ 去るのはあるべき姿ではありません 子供もそれを 望まないでしょう 彼らはここに居たいのです 子供に対してもお金を節約する という物質主義が働いています 物質主義とはキリストが決して 執着することの無かったことです 決して望みません ここを理解するべきです キリストに敬意を払うには この物質観念から抜け出すことです たとえ物に対する 執着があったとしても ヒマラヤに行きなさいとか 禁欲主義になりなさいとか ブッダのように子供を手放しなさい などといっているのではありません 執着は無くすべきです 例えば鳥がいたとします 海を渡りますが 決して海水を飲みません 塩辛いからです あなたはそこに居ます あなたはこの世界に居ますが 執着心を無くすべきです 最初は“父や母が病気で”とか “子供がこうで”でも良かったでしょう しかし もう通用しません 現在はサハジャ ヨガの スピードが速くなっています 遅れをとる人は 取り残されます 気を付けてください このような物への執着に 巻き込まれないでください 特にインド人はアシュラムに 居たがりません 自分の家を持ちたいのです 妻を支配できるし 自分の好きな者が食べれるし 自分の悪趣味を いつでも楽しめるからです 人々はおそらくそのためにインド人は 絶食するべきと言ったのでしょう 味覚から来る欲求を 取り除くために 絶食中でさえ 食べ物のことを 考えています 意味ありません キリストは40日間絶食しました するとサタンが“絶食など諦めなさい” とあれこれ言いました 決して従いませんでした 物質主義には 2種類あります まず第一に西洋では “私の家 妻 子供”などと言います 東洋ではどんな食事をして どのような家に住み どのような家族を持つべきか などと言うでしょう これら全てに 未だ執着しています あなたのセンターが より精妙になるように これらもより精妙になり あなたの足を引っ張ります 例えばサハジャ ヨガで金儲けをしようと しているヨギを知っています 外にいる人は私たちに物を売って 金儲けをしようとしていました サリーが必要だったので サリーを買いますと言いました しかし外の人からは買いません さらにはどこかのショップに行って 食べ物や飲み物を買います そして体調を崩します 何をしているのでしょう 少しくらいのどの渇きを 我慢できないのでしょうか 空腹を我慢 できないのでしょうか 簡単なことです 彼はどうしたでしょう キリストは我慢しました あなたはキリストを 崇拝しに来ました コントロールしてください 重要なことです 一度これが起これば食べ物を 得られようが 住む場所を得られなくても 関係ありません 何処でも暮らせます 皆さんもご存知のとおり 私は何処でも気にしません 私に欲求はありません 身体が何も欲しがらないのです とても素晴らしい身体で 何も求めません その為 疲れることがありません ここに皆さんと居て 同時に全てに存在します ここに寝て欲しければ 一晩中寝れます 身体はなんとも言いません 反対に経験とは違うものです 過去に列車で旅をしました プーネからハイダーバード だったと思います 乗っていた列車がガタガタと 飛び上がるほど揺れました 寝ていて感じたことは 星から星へ移動しているようでした 宇宙を駆け巡っていました 振動など感じませんでした 星から星へ移動している 感じだけでした 普通の人なら この様な振動に 怒り出すところでしょう 対照的に私は星から星へ移動しながら ただその振動を楽しんでいました とても興味深いことです 反応が違うのです 危機が訪れると 完全に思考の無い状態になります ものすごい平穏が流れ込みます 危機が訪れる時にです この状態は執着を無くせば 皆さんも得ることができるのです 私にも子や孫がいますが 電話したことがありません 特に気にしてません 向こうが電話してくるなら いいでしょう 夫にも電話しません いつも思うのですが 時間の無駄です 私の中に 電話機能がありますから 皆が無事だと分かっているのに 電話する必要ないでしょう しかしそのステータスに達するまでは そうなれないでしょう それ以外でサハジャ ヨギに 気づいたことは 突然暴力的になる人がいて 殴られた人がいると報告を受けました この行いは サハジャ ヨギではありません 私は人にも自分の子供にも 手を上げたことはありません 許されることではありません 何人たりとも他者に 手を上げるべきではありません そのような人はサハジャ ヨガでは 何もせずとも低いところまで落ちます 怒ったり 怒鳴ったり すべきではありません これらは何の 助けにもなりません いつも平穏で穏やかで 慈悲深くあるべきです 間違った行いをする人がいたら 私が何とかします あなたがどうにかしようとして 不作法に振舞う必要は無いのです あなたはまだ 執着しているのです その執着が あなたを引き落とします ですので怒らないよう 気をつけて下さい キリストを見てください 彼は教会の近くで物売りをしていた 人に対して怒りましたが 当時は教会ではなく 礼拝堂と呼ばれていました 彼は怒っていました 神の神殿の外で 物を売っていたのですから 彼は大きなハンターで 一撃しました しかし彼はキリストです 同時に彼が磔に された時に言いました “神よ 彼らを許してください 自分が 何をしているか分かってないのです” このことを 彼から理解するべきです どれだけ人を許し 愛に溢れていたか どれだけ人の面倒を見て 彼らの解放のための 手助けをしたか 当時の混乱と 無秩序の時代では 彼は真実を伝えるために スピリットや上昇について 伝えるために立ち上がりました 彼らは無知ゆえにキリストの言葉を 理解していませんでした しかし彼は話しました 聖書には沢山の神話が 書かれています そのうちの一つは 復活のときに身体が 墓から蘇ってくると これはキリスト教に 限ったことではありません イスラム教や ユダヤ教にも共通します 考えてみてください 何年も経った後に 墓の中に何が残っているでしょう 骨だけです この骨が出てきても どうやってリアリゼーションを 与えられるでしょう 考えてください ただの神話です 論理的に考えてもありえません それはこういうことです “ナル ダマヤンティ アキャン” インド哲学では 明確に表しています カリ ユガが訪れると 神を求める沢山の探求者が あらゆる場所から 誕生し始めるでしょう そしてリアリゼーションを 得るでしょう クンダリーニが覚醒します これらは論理的に語られています 私達が行っていることだからです 近年の人口増加も 沢山の探求者が生まれてくるからです どれだけの人がリアリゼーションを 得られるか分かりません リアリゼーションを得た人は 自身を確立するべきです しかしそこでも人に対する 精妙な執着心が見受けられます キリストの資質に 完全にサレンダーすると良いでしょう それは素晴らしい資質です 最大の特質は 聖霊に対する無礼を決して許しません そのときだけは 彼が正しに来るでしょう もしあなたがサハジャ ヨギで 羽目を外したら 彼はある程度は 大目に見るでしょう あるアメリカ人がサハジャについて 私と電話で話したいといっていました 彼は自分の手に 負えないと感じたのか 他のサハジャ ヨギ達と話し始め 私とは話しませんでした 皆は怒っていましたが “放っておきなさい”と言いました ある日彼がプログラムを行っている という連絡が届きました そこで彼は 中風によって倒れました 彼はサハジャ ヨギではありません 私に責任はありません しかし誰かが私を 「マザー」と呼ぶとき パラマチャイタニャが それを尊重します サハジャ ヨギであるなら人を殴ったり 罵ったりしてはなりません もちろん人を宥めるときは サハジャ ヨガの方法で行います 暴力的には行いません 暴力は間違っていますし サハジャ ヨガで急に暴力的に なる人がいるのを聞くのは残念です これは肝臓から来ます 肝臓のトリートメントをして 自身を整えてください しかし犯したことから逃れられると 思わないでください 逃れられません このような人は 2日間絶食をして 自身を罰するとよいでしょう 怒りは最悪な行為です シュリ クリシュナ曰く 怒りは最悪でそこから全てが始まると 私たちは怒りを コントロールするべきです キリストは許しの具現化だと 理解するべきです 私達はそのキリストを 今日崇拝します 彼がどのようにして 人を許したか 彼を磔にしたのは ユダヤ人ではなくローマ人でした 古代ローマの権威者です しかしパウロはユダヤ人を 有罪にしました 罪を着せたのです ユダヤ人が行ったのでは ありませんが 彼らはユダヤ人に 永遠の罪を着せたのです これらにより人々は ユダヤ人を嫌い 困難に落としいれ 拷問にかけたのです ユダヤ人も反応しました 彼らも一緒です ですので ユダヤ人ではありません 執行官が大衆に キリストと盗人どちらを磔にするか 問うたことはありません 行われていません 自分たちの決断によって 行ったのです ただ単にユダヤ人を 呪うために行ったのです パウロが大変な ダメージを与えました ありがたいことに今では 沢山のユダヤ人もいますし イスラエルにセンターがあり 機能しています イランからアメリカに来た人も 沢山います ユダヤ教や イスラム教の人達もいます 皆サハジャ ヨガを行っています さまざまなことが起こっています トルコからスーフィの人たちが サハジャ ヨガに参加していますし さらにインドからも スーフィが参加します これらは皆さんのために なるように働きます 第一にキリストがどんな人物で どんな人生を送ったか どれだけ世界を愛していたか 理解すべきです 彼は磔にされるために 地球に来たのです 彼は自分が磔にされることを 知っていました そして実行しました 出回っている写真は 彼を正しく表現していません 彼は健康的でたくましく 背が高い人でした 十字架を運ばなくては なりませんでした 彼を結核患者のように 描いた人は あの十字架を運ぶことができたか 知るべきです あらゆることで彼の人格や 特質を抹殺しました サハジャ ヨギの皆さんは 彼を知るべきです 彼を信頼し 尊敬するべきです 彼があなたのお兄さんです シュリ ガネーシャがあなたの お兄さんとして生まれ変わったのです さまざまな困難や混乱から あなたを守ってくれます いつも私たちをさまざまな形で 守ってくれます それにはサレンダーすること 許すことです これが私たちが受け入れるべき キリストの性質です 神のご加護がありますように […]

クリスマス プージャ、人生でキリストを表現しなさい Ganapatipule (India)

クリスマス プージャ、1992年12月25日、ガナパティプーレ(インド)

[Hindi translation missing]

キリストについて そしてイエス キリストと シュリ ラダジとの関連性について 多くお話ししてきました 彼はアディ シャクティの息子である シュリ ガネーシャの化身でした 次にシュリ ラダジに授けられ シュリ ラーダは マハ ラクシュミに 偉大な化身キリストの母 メアリになりました 西洋の人は 無原罪懐胎を理解できません スピリチュアルな生き方に対する 感受性が全くないからです インド人には理解できます シュリ ガネ―シャが 同じように創られたからです 信じて疑うことはしません 限られた脳で 神について疑うべきではありません インドでは疑いません しかし西洋では この限られた脳でキリストの誕生 についても口論します キリストの名の下にある 宗教はただ汚れていて ひどいことが言われていて 信じがたいほどです 彼の純粋さ 神聖さ 吉兆さは 西洋では決して理解されません なぜキリスト教徒は 徳ある人格において 品格を失えるのでしょう 政治的 経済的 法的な面は 良いとしても 彼らの道徳面は 完全に欠如しています キリストの信奉者は 最も徳の深い者であるべきです 彼曰く “汝 姦淫の目を持つなかれ” 大変精妙な意味合いです 目でさえ姦淫してはいけない 欲や色情を持ってはいけないと 大変精妙なことを言っています 西洋では それに従えませんでした パウロやペテロの影響で 宗教全体が汚れてしまったからです キリストに反する深刻なことを しました 未だ続いています カトリック教会は暴露されてはいますが 未だ続いています インドでも至る所にあります プロテスタント教会もあります キリストの名誉なんて 気にもしません キリストが真っ先に言ったことは 神の王国に入らないといけない 再び生まれないといけない ということです 再び生まれるについてもメンタルで 証明書があるだけです 西洋のメンタルな 捉え方のせいで 偉大な化身である キリストを殺しています ある意味また 十字に架けているのです メンタルにはスピリテュアルな ものは理解できません 頭脳に頼りなさいと言いますが サハジャ ヨガでは これは理解できません サハジャ ヨガにおいて 脳は何の意味を持つでしょう 思考を超えた意識状態において 頭脳は何の意味も持ちません 他の領域で頭脳に頼っても サハジャ ヨガでは違います 頭脳に頼って何ができるのか 理解できません 中には壇上で 演説をすることを好み 脳に頼ろうします そういう者は 頭脳に頼りますが 大事なのは 頭脳ではなくハートです ハートが開かないといけません 脳を働かせてすることといえば あらゆる類の物資主義です ナンセンスなことは 人間の脳からきます 動物の脳からは あまりありません どの森へ行ってもきれいで 良い香りがしますが そこに一人でも人間が行けば その汚れは人間が残した ゴミだとわかります 同様にすべての 偉大な化身がしたことを 人は台無しにしています 最悪なのは キリストにしたことです 無駄なことをしたと思います なので私たちは 正しくキリストを理解すべきです 彼は永遠の子どもです 純真そのものです 純真の源です そして彼はすべてのチャクラに 祝福を与える者です だからと言ってあなたがキリスト教徒だと 誇らしくすることではありません サハジャ ヨギの中には未だ キリストと同一視する者がいます 全くキリストとは関係ありません 彼の奇跡に満ちた人生の中で キリストがいかに沢山の奇跡を 起こしたか理解すべきです まず第一に 彼の誕生は純潔でした 人はマリアの出産が処女降誕か議論 しています すべての化身の誕生は純潔です 彼らは罪を超越しています 特別です 人間や天使 いかなる姿で化身したとしても 彼らは神聖で 人間の小さな脳で 議論はできないと理解しないといけません ただサレンダーし 崇拝するだけです 彼らは私たちを 遥かに超越しています ですからこの西洋の頭が 理解すべきことは キリストの人生が すばらしい恵みであって それを人は見失い 無駄にしてきたということです 人はそれに対していかに敬意を払うべきか 理解してきませんでした すべてが政治的 経済的 意味のないペテンになりました 大分前に私たちはキリストが ガネ―シャであると証明し 彼はロゴスであり いわゆるブランマナトゥ 初めの音であるとお話ししました ムラダ―ラを左側から右に見ると スワスティカに見えます 炭素原子でできているからです 右から左に見ると オムカラに見えます 下から上部を見ると アルファとオメガに見えます 当時キリストは “私がアルファで オメガです” と言いました 今やアニメにもなっています どうにか見られるといいですが それらを明白にみれます 私が言っていることを 証明するものです ガネーシャを崇拝するように キリストも崇拝しなければいけません ヒンズー教徒は ガネ―シャに固執し キリスト教徒は キリストに固執しています サハジャ ヨガをしていても 人はその特性を持ち続けます ある程度まで ガネ―シャを崇拝したとしても 彼の化身であるキリストにも 祈りを捧げることは大切です 同じようにキリストを崇拝する者は ガネ―シャも崇拝すべきです 彼が源であり キリストへと発展するからです これはすべて神聖の計画通りで 神聖な分別で成されました すべてが美しく 成されましたが 人間は美しいものを 台無しにするのが得意なようです 大変悲しいことです 彼の誕生日である今日 私たちは決意しなければいけません アルファでありオメガである彼が 内で正しく再び生まれりべきだと 彼の時代に人がこのシンボルを 知っていたとは知りませんでした これらのシンボルは無意識の領域から 偉大な数学者に降りて来たに違いありません なのでこれらのシンボルは正確に アルファとオメガのように使われてきました 彼をはっきりと 見ることができます サハジャ ヨガでは とても明白です 沢山のことを感知でき 証明できます いかにキリストが人を治し 何をしたか すべて感知できます サハジャ ヨガでいかにこの力が 作用したか証明できますが まず自分たちの人生を 浄化しないといけません 大変誠実で力強い 純粋な人生を歩まないといけません 外で店を出していますが ここに店を出さないように言いました サハジャ ヨガのためでなく 自分たちのために利益を得ているからです 一度キリストもそのような者に ハンターを連れ一撃しました 私はしません ですが彼らを 奨励してはいけません ここはショッピング センター ではありません あなた方は 瞑想するために来ました 必要なものは買ってあります それを買えば多少利益となり それはサハジャ ヨガに還元されます 個人的な目的に 使われません しかし外からの人たちは店を出し あなた方はそこに群がります 何のために ここに来たのですか ガナパティプーレにいるなら 常に瞑想的でいるべきです 常に瞑想状態でいるべきです あなたが外でするようにつまらないことに 囚われてはいけません あの者たちはあなたに未だ弱みがあると 分かっているので店を出しているのです リーダーはこのようなナンセンスを 止めるべきです 外食しないよう言ったはずです 前回皆さん苦しみました なのにまだ店があります 買いたがる者が いると彼らは知っているからです 具合が悪くなり サハジャ ヨガの面目を潰します まずガネ―シャは叡智です その叡智はキリストの生き方に 見ることができます 若い頃から 彼には自信がありました 12歳で牧師たちに 説教をしました 牧師やムラやバルギー いわゆるダルマ マンタンダにです 彼はその若さで主張しました 何をしているのか 口先だけで何を話しているのかと 彼らに言いました 彼は彼らに講義し 話しをしましたが 両親は彼らに殺されるのでは ないかと心配しました そのため彼をインドに連れて行きました 叡智のためです どこでインド人はその叡智を 見失ったか分かりませんが この国は当時 叡智に満ちていました 彼はインドに しばらくいました 彼の思い出は沢山あります シャリマン王も 彼に会いました カシミールで聖なる者に会ったと 書物に描かれています 彼に名前を尋ねると “私の名前はイサです” と答えました “イ”とはヴェダでアディ シャクティのために 使われた言葉です “サ”は“と共に” という意味です 彼はそう名乗りました “どこの国から来たのですか” と尋ねると “私にとって異国の国からです そしてここが私の国です” “このインド バラタ ヒンドゥスタンは スピリチュアリティの国であり” “物質的に高みにいる 他の国と競ったり” “劣等感を感じるべきではない” と言いました ここは私の国ですと はっきりと書かれています 彼はスピリチュアリティの富むこの国こそ 彼自身の国であると認識していました ですから 私たちは物質的な つまらない 下劣な 生き方をする所ではなく そのスピリチュアリティ 国に属します 彼の大変 短かい人生において 彼の言葉はどれも すばらしいものでした しかしパウロは それを完全に変え 聖書を編集し そこに沢山書き加えました 彼の欠点すべてが そこに加えられています 最近エジプトで瓶に隠されていた 書物を手に入れました 50年前に発見したもので ハマディの蔵書と呼ばれるものです 発見された場所が ハマディでした キリストが言ったことや トーマスがインドに来た時に 書いたもので興味深いです 彼はお酒は放蕩を 引き起こすと言っています ひどい言葉で言っていますが キリスト教徒は分かっていません それどころかキリスト教では お酒は許されていると信じています 彼はお酒を許したでしょうか 意識に反することを 許すわけがありません それなのに とても良いと思っていて キリスト教では飲むことを 大きな魅力にしています 他の宗教を見ると 例えばカトリック教徒です 結婚は一度だけです なので結婚後十人の 目掛けがいても構いません 聖書にも結婚は一度で 離婚は許されないが 好きにしなさいと書かれています モラルもありません 自己から逸脱し 次から次へと無意味なものを 受け入れるだけです キリストの人生の基本は 道徳性です 彼はシュリ ガネーシャから 来ているので左側にいて その後 アギヤに 彼自身を確立しています 道徳性が 彼の生き方の真髄です インドの言葉で言うと 人格です 私たちの人格は いかに純粋な人生を歩むかです 私たちはあらゆる ナンセンスなことに耽ります 西洋の国でしていることを 見ると驚愕します 信じられない程です 口にもできません いわゆる先進国は 神へ向かっているとは思えません 私たちの想像を超えます あまりに不純で ひどく破壊的な 不道徳さです 遺伝的に何か狂っています どこからその考えが来るのでしょう 次から次へと これらのことを人々がしていて 日曜日には着飾って教会に行き 神に礼拝します 自国のこのような人々を 救う決意をするのはあなたです キリストや神の名において ナンセンスであると言わないといけません シュリ ガネーシャについても同じです プネーで見かけましたが 驚くことに シュリ ガネーシャの前で 人々は酔い 酷い歌を 西洋の歌 映画の歌を かけながら踊っていました サハジャ ヨギはこのような ナンセンスに抗議すべきです シュリ ガネーシャの前で どうして酔っぱらえるでしょう シュリ ガネーシャの 叡智が全くありません 彼の吉兆さへの 敬意がありません 酔うだけでなく 様々なことをします タントラ教の者によって シュリ ガネーシャが酷いものにされています 西洋におけるいわゆる 心理学者によっても同じです ありがたいことに フロイトは暴露されました ガネーシャのもう一つの資質は キリストの人生に見られる お母さんへの献身です その書物によると メアリは知識について 話しています しかしパウロは それに反対しています 彼女はこれを得ないといけないと 言っていますが 彼はそれを望んでいなく 彼女と口論しています そこへトーマスは 十字に架けられたキリストが 言った言葉について言及します “お母さんを心に置きなさい” “彼女はキリストのお母さんです なぜ傲慢にも彼女を軽蔑できるのか” しかしパウロはその逆で 女性に敬意を払いませんでした なので 彼は 彼女をただの女と呼びました マハラクシュミに対して 全く敬意がありません 考えられますか ただの女です いわゆる先進国では女性が牧師に 任命できるか論争しています 私たちが時代遅れだと考えますが 彼らこそ宗教において時代遅れです 私たちはお母さんを アディ シャクティとして敬意を払います 彼女こそが 私たちを創造しました 私たちを世話しています 私たちにとって彼女は シャクティは重要です 彼らは彼女をシャクティと呼ばず ただの女と呼んでいます それでいて大変 進んだ者とされていて 先進の名の下で 無意味なことをしています 話すこともできない程です 言葉もありません キリストの名において 恥ずかしく感じます 地上に化身したキリストの 純粋な人生を祝う今日において 彼らは彼がそれ程までに 純粋であったとは信じていません 犯罪者も他の者が 犯罪を犯さないとは信じられません 私たちは心の純粋さを 私たちの目を通して表されるように 育んでいるか内に見ないといけません 目は純真でないといけません そうでないと効果がありません 他の者の気を引こうと 魅了しようとしているなら あなたはサハジャ ヨギではありません いる必要もありません 一度あなたの内に光を得ると 人は分かります サハジャ ヨギとして自身の生き方に キリストの光がないといけません 彼は地上に化身した若者でした すばらしい生き方でした 彼は売春婦のマグダラのマリアとは 何の関係もありませんでしたが 真実に立ち 彼女が投石にあっている時に 立ち上がって “罪を犯していないものは 私に石を投げなさい”と言いました 何という真実の力でしょう 彼は純粋な人格で あっただけでなく その純粋さは真実 そして彼の慈悲深さ 愛にも表れています 彼は素晴らしい慈愛を 表しています シュリ ガネーシャは 少し変化したと思います シュリ ガネーシャは確かに 彼を崇拝する者に大変慈悲深いですが 彼に反対な者には 強く叩きます 彼らは苦しみます エイズなど様々な症状が来ます しかし純粋な者を シュリ ガネーシャは守ります キリストは慈悲深く許します 人は変われると 信じているからです シュリ ガネ―シャは あまりに不純であるなら殺され 再び生まれ変わった方が良いと考えます しかしキリストは人は変われると 希望を持っていました しかし叶わず 彼らは彼を十字に架けました 十字に架けるなんて 何てひどい人たちでしょう 脳もない人たちだと言えます 全くスピリチュアリティを 理解していません 真の知識に対して 感受性が全くありません サハジャ ヨガは 賢い者のみができます 愚かでまぬけな者のため ではありませんし 悪賢い者のためでもありません ある者は人生において成功している ので自分は賢いと考えます 気の利いたことや 大変鋭いことを言えたとしても 彼らのためではありません キリストは“心が柔和な者は 地球を受け継ぐであろう”と言いました 柔和な者であって自分のことばかり 考えている者ではありません サハジャ ヨギの中でも 心が柔和な者は お母さんの祝福を受けます 柔和で 賢くないといけません 叡智があってこそ 柔和になれます このすばらしい宇宙において 私たちがどこにいるか理解し 神の王国に入っていると 感じるからです 何のために なぜここに入れたのでしょう 沢山の者が 様々なことを犠牲にして 頭で立ったり 断食したり 何千年も努力をしました それがなぜ突然この祝福を 私たちが得たのでしょう どうしてここにいるのでしょう このことを考えると 私たちは柔和になります 祝福であり 恩寵です エゴからでも コンディショニング からでもありません 神の恩寵であり 慈愛 愛 サンドゥラカルナです するとあなたは 変わることができた人生を 現実であるスピリチュアリティの 新しい次元を楽しめます あなたは現実を 全体を知りました すべてを知りましたが 自分自身を知らない者は サハジャ ヨギになっていません トゥカラマが 簡単な言葉で表しました 自身を知る者は 最後の者である 他者のチャクラを批判できたとしても 自身のを見ることができなければ 他者を顧みることができても 自身が内省できなければ 人のことをすべて分かっていても 自身のことを分かっていなければ あなたは サハジャ ヨギではありません まず自身のことを 知らないといけません どんなエゴがあって どんなコンディショニングがあるのか 今でさえ人は 沢山のコンディショングがあります ですからサハジャ ヨガには 新しい鍛練があります 新しい鍛錬において柔和で 謙虚で賢くないといけません どの動き 言葉においても 叡智を表さないといけません 自動的に間違ったことをさせない 鍛錬を持たないといけません 私が歩いているところにある女性が 私の足元にひれ伏すとします 私がつまづいて倒れるかもしれないと 考えもせずすれば 自己中心的といえるでしょう 私がマザーのところに行って 足に触れなければと考えるのは すべてエゴによるものです 真のサハジャ ヨギは 後ろにいます 私がどこにでもいると 分かっているので楽しめます 近づいて会おうとしたりしません 強引にしようとはしません マザーはここにいます 心における柔和は キリストが言ったことです 柔和は大事な言葉で 人は意味を理解していません 西洋では柔和なら弱いと考えます だから攻撃的であるべきだと 人を称える時は “攻撃的で素晴らしい”と言います 彼らが遺伝子的に 低レベルなのか 中にある種の動物がいるのでしょう さもなければ なぜ攻撃的でいることが 高等だと考えれるでしょう 高等であるべき者が 悪魔のようであるのは不可能です ヒットラーは自身が悪魔であるのに 自分は高等の人間だとなぜ言えるでしょう 悪魔は自分が 高等の人間だと言います サハジャ ヨガにおける 柔和とは ビジネスマンのような外見上ではなく 自然な柔和のことです 偉大なスピリチュアリティで あなたを輝かせる自然な柔和です 自分で落ちることはできても 誰もあなたを害すことはできません どこにおいてもあなたは 守られています 自分を叩こうとするなら 私は助けられません トゥカラマの言葉のように キリストは “自己を知りなさい”と言っています 内省のまず第一は 自分自身を知ることです あなたは自分自身を 見ようとしていますか 彼は他者の目に大きな光があって それを見るなら良いと言っていますが あなたは光が目にあるのに 他者の目にその光を見ようとし始めます それでは意味がありません ですから瞑想の中で まず内省しないといけません 主イエス キリストよ シュリ ガネ―シャよ どうか私に自身の何がおかしいか 理解する叡智を 良いサハジャ ヨギとして欠けている 資質を理解する叡智を与えてください 瞑想するだけで あなたは大変幸せに 歓びを感じます あなたの中の徳が 歓びを与えるからです だからと言って自分は 徳の高い者だとは言いません しかし内に徳を発見したとき それが歓びを与えます あなたの悪い資質 渇望 欲望や貪欲さに よってではありません ですから私たちは 真に集中しなければいけません サハジャ ヨガに来ても人は有名になろうと リーダーになろうとします 別の幻です またはどうにか金儲けのために 利用しようとします そしてビジネスを始めます サハジャ ヨガやヨギと ビジネスをしてはいけません 何回も言いました そうすれば問題が起こります それで私のところに来て 相談しないでください サハジャ ヨガは神の仕事です あなたがするすべては 神のためです あなたは自己のために しているのです ですから内省は大変大切です 他者への批判は少なくして 自分を批判し笑うことが最善です 私は沢山自分のことを笑い そのことを話します 人生をもっとおもしろくします そうやって あなたのエゴを殺します キリストが言っている柔和です それは私たちの中にある 自然な良さです 一度それが輝き 現れると あなたは大変美しく 愛深くなります どこに座っていようと そのような者は私には分かります 私のハートは そのような人格に開きます その者たちが誰か 私は分かっています 分かっていたとしても 決して言いませんが 自分で分かっていた方が 私が言うよりいいのです 自身を知ることは 彼のメッセージです 自分を欺くのではなく 真の意味でです 自分を欺いてもどうしょうもありません 欺きなしに 偽りなしに 完全な集中力で 自分自身を知るのです 自分の注意が どこに行っているのか見るのです そうやって上昇します 他者の欠点を 見ることでは上昇しません 自分の欠点を見ることでのみ あなたは上昇します これこそキリストが言わんとしたことで 私は簡単な言葉で言っています さらに彼は 隣人を愛せよと言っています 大変重要なことです これはサハジャ ヨガでのみ可能です あなた方がコレクティブだからです コレクティブでない者は 隣人を愛せません 隣人とは誰でしょう 誰も隣人ではありません 外部の者です あなたがコレクティブになると、、、 今日55カ国の人がいます あなた方はコレクティブで 徳があり 美しく 複雑な問題もありません 私は喜ばしく感じますが それを完璧にするのに 私たちは内省しないといけません 社会的に コレクティブ的に あなた方は良くなりましたが 個人的にも自身の中で 自分のために良くならないといけません キリストによって偉業が成し遂げられたので この素晴らしい時に祝わないといけません ひどい牧師によって どの国でも宗教でも 彼の偉業は薄れてしまいましたが 私たちはキリストの名を唱え 真逆の ことをする者を救うと誓わないといけません それを成し遂げられるなら あなたの人生で それを得られるなら キリストの偉業は 成し遂げられます あなたはキリストを あなたの生き方に表さないといけません あなたの生き方を通して 表すことができます 純粋さ 柔和さ 慈悲深さや キリストの叡智を通して表せます 彼は完全に 恐れを持ちませんでした それゆえあなたは 恐れのない者でなければいけません あなたは神だけを 恐れるべきだからです それだけです 間違いを犯していなければ 神を恐れることもありません 神はあなたを 大変愛しているからです すべてにおいて はっきりさせなさい 理解しなさい 疑いなくあなた方は 大変愛されるべき人たちですが あなたの持つ徳のために 自身を敬慕し 愛さないといけません 神の祝福がありますように […]

Christmas Puja Ganapatipule (India)

Christmas Puja (English/Hindi). Ganipatipule (India), 25 December 1990.
今日私たちは キリストの誕生を祝う機会に 恵まれました 彼は馬小屋で生まれました これら全ては あらかじめ計画されていました 大変困難な状況の中 馬小屋で生まれ 裕福な生まれであろうと 貧しい生まれであろうと どんなに困難な状況でも あなたの内に神聖があれば それ自身で輝くということを示しました キリスト教は誤った 逸脱した道を行き キリストの意味を 決して理解しませんでした 無原罪懐胎は彼らにとって ありえないことです ほとんどの者が 神話だと考えています しかしインドでは ガウリが 自らのヴァイブレーションから シュリ ガネーシャを創りました そしてムラダーラの神格と なったと信じられています 受け入れています しかし西洋では 決して受け入れません メンタルな部分が発達しすぎていて それが支配しているからです 恐らくインド人のように 全てを超越する神がいると理解できるほど 成長していないのでしょう 神の概念も メンタルな捉え方です キリスト教のあり方も 正しく導くものではありませんでした 行き詰れば “これは神秘だ”と言います しかし インド人にとって 理解するのは容易いです “神にとって何でも可能である 結局は神だから” “全能だから” スピリットにおける知識より 遥かに低いこのメンタルに留まる姿勢は 平凡で取るに足らない 表面的な知識にあなたを留め 神の偉大さを受け入れさせません 私には祖母がいました 父の叔母です 神に会いに行こうとする者の すばらしい話をしてくれたものです もちろんインドでは 誰でも理解できます どうやって神に会いに行くのか とは誰も言いません 会いに行く途中 道端で 神の賛美を歌う男性に会います “神に会いに行くのかい” と尋ねられ “そうです 何か伝言はありますか” “大丈夫だけど” “食べ物がなくなってきたので 何かいただければと伝えてくれるかい” “それでいいのですね” “神に全てしてもらっているけど 一応伝えてね” 旅を続けると逆立ちや ポーズをしている男性に会いました 彼は“全て試した” “神にいつお目見えできるか 姿を拝見したい” “伝えましょう” 神の下へ行き 仕事を終えると 神は尋ねました “何か伝えることはありますか” “特にありませんが 全てを試した男性に会い” “お目見えしたいと 言っていました” “逆立ちし ポーズをし 教会やモスクで祈りも捧げています” いつ会いにきてくれるか と言ってました 神は“もう少し続けるように と伝えなさい” “簡単ではありません” “サハジャ ヨガが来たら 会えるでしょう” 男はさらに続けました “もう一人会いました 彼は歌いながら楽しんでいました” “食べ物がなくなりそうです と言っていました” “そうなのですか” と神はすぐさま答え “早く行って世話してあげなさい” ”すでに手配しました” “では大丈夫ですね” 彼は理解できませんでした 様々なことをしている男性には 待ちなさいと言い ただ神の歌を歌い 何もしていない男性には なぜ感銘を受けているのか 神は彼が幻にいると 気づき 言いました “戻って二人に 次のことを伝えなさい” “神のところへ行くと 針の穴にラクダを 通しているのを見た と” “本当に言うべきですか” “そのように伝え 反応を見なさい” そして戻って 最初の男性に会い伝えました “神はサハジャ ヨガが来るまで 続けなさいと言っていました” “いつサハジャ ヨガは来るのか” “でも神はいつか来るのだな サハジャ ヨガが来てほしい” 大変落ち込んでいました 彼は“神に会って何を 見たか”と尋ねました “針の穴にラクダを 通していたのを見ました” “できるはずがない” “針の穴にラクダを通すなんて” “大きさをみれば分かることだ 通れないに決まってる” “作り話だ 神に会ったから 自慢しているだけだ” “この馬鹿げた話は信じられん 騙そうとしても無駄だ” 次の男性に会うと 道でおいしそうに食べていました “あなたが着く前に 神が手配してくれたよ” “神は常に面倒を見てくれている そこで何を見たの?” “驚くべきことに全能なる神は 針の穴にラクダを通していましたよ” “驚くこと? 彼は神だよ!” “君も彼は神だと知っているでしょ? 彼は何でもできるんだ” そこで彼は理解しました 神が全能だと 理解しているなら マハラシュトゥラにヒマラヤを動かせる という意味ではありません 全能というのは 最も精妙なことができるということで 人間の頭脳 メンタルな部分で 理解できないことができます 人間が考える 概念を超えるものです これが神なのです 神が人間を創造しました 人間を超越しているはずです 陶芸家が壺を創ったのであれば 壺を超えています 壺は陶芸家を 創ることはできません 壺は陶芸家によって 創られているので 壺より遥かに 力があるはずです しかし これは 信じられないことです 人間の概念を超えています この すばらしいコンピューターを 創造した神の偉大さは理解できません 人は全て 当然のように捉えます 人はわずかな粘土も 創れません 何も創ることができません 石があれば どこかに置くことはできます 粘土があれば 家を建てることはできます 物から物は生み出せます 蝋燭を創れますか バダを燃やす蝋燭です 自分の目で見えるように バダは私の写真の前で 燃えます あなたにできますか 複雑で繊細な機械が いかに作用しているか 人は理解できません 繊細かつダイナミックで 爆発する機械です いかに人間を創り 宇宙を創り これらの美しい 花や木を創ったことか 星をごらんなさい こんなにあります その中から この母なる地球を選びました 人間を創りました いかに創ったことか 自分の息子を送りこむなら どんな方法でもできます これに対して 挑戦することすら 精神が泥の中に 浸かっています ですから いかにガウリから シュリ ガネーシャが生まれたかは 真の聖人のみが 教えられます しかし それを信じるには・・・ まずサハジャ ヨガに来ると 奇跡を見始めます 奇跡が起こると理解できます 起こるべき奇跡があるなら いずれにせよ起こります 何もせずとも起こります それを疑いません 一度疑い始めると 泥の中に埋もれ 人間と同じになります あなたは開花した 蓮の花のようです 根は下にありますが あなたはもう蓮の花です 蓮の花にマハラクシュミの 原理が生まれます マハラクシュミの原理は シタジとして ラーダとして メアリ(聖母マリア)として 地上に来た者です マハラクシュミは海から 生まれたと言われています メアリの意味は何でしょう マリとは海です 彼女は海から生まれました 彼女自身で子どもを創れます 問題はありません 何でも可能です つまり 超えないといけません キリスト教徒は キリスト教を超えないといけません ガネーシャの原理の 化身であるキリストは 大変偉大であると 理解しないといけません ガネーシャがマハヴィシュヌになったことは 大きなことで 理解すべきことです ガネーシャはシヴァの息子です シュリ ガネーシャは 他の何よりもまず始めに 創られました 彼がオムカラだからです オムカラはアディ シャクティが シヴァから分離したことで始まります その音 “タンカル” と呼ばれています そこからオムカラが始まり 彼がオムカラを体現する者です ですからこの音が シュリ ガネーシャの力です それがまず始めに 創られました 神聖を創るためです この神聖が創られたとき 海に様々なものが 創られました そしてキリストとして化身しました マハヴィシュヌとしてです シヴァの息子としてではなく マハヴィシュヌとしてです ヴィシュヌとは誰でしょう シュリ ガネーシャの伯父です 彼の母の兄弟は シュリ ヴィシュヌです 彼はマハヴィシュヌによって 育てられました マハラクシュミは シュリ ガネーシャの原理を用います クンダリーニのチャートではシュリ ガネーシャ が左側イダ ナディと繋がっていて クンダリーニが その上をいくことが分かります つまり彼が その部分を超えます 彼が救世主として来るなら マハラクシュミの息子として 来ないといけませんでした マハラクシュミが彼を キリストとして産まないといけません そしてマハヴィシュヌになりました 神々や女神の家族においては 何でも可能です 彼らは神だからです いかにその領域で これらのことが起こっているか 人間の理解を超えます あなたは 涼しい風として感じられます そして新しいことが あなたに起こっています 神や女神の関係において 不純なことは一切ありません 彼らにおいて 人間的なものは全くありません 彼らは 全てが神聖で純粋です 一度これを理解すると なぜシュリ ガネーシャが マハラクシュミの息子になって キリストとして生まれたか 分かります アギヤに来なければ ならなかったからです 救済としてです ガネーシャとしては 救済はしません 純粋のため 神聖のため 叡智のため そしてまたネガティビティを 破壊するために彼がいるからです しかし彼は 化身しなければいけませんでした 唯一 ガネーシャが この収縮されたチャクラ アギヤ チャクラに 来ることができます ではなぜ収縮されるのでしょう 今日は話しませんが 科学的なことです 収縮されるべきもので さらに収縮されます このアギヤ チャクラは 考えれば考えるほど より左や右に傾き このようになります ですから この大変精妙な領域に 化身できるのはキリストだけです なぜなら彼は精妙の中で 最も精妙な者だからです 原子より精妙です シンメトリックや反シンメトリックな 動きをするヴァイブレーションは 原子よりさらに精妙です そしてこれはより精妙です ですから この収縮した領域において唯一 純真以外何者でもない キリストのような人格が来れます 彼には純真以外の 要素はありません 他の化身には 全ての5つの要素がありますが 彼は純粋なヴァイブレーション 以外の何者でもありません それ故 彼は水面を 歩くことができました 彼の身体には 物質が存在しなかったからです チャイタンニャ以外の 要素はありません オムカラがガネーシャになります 彼女の身体から出てきた チャイタンニャだけです ガネーシャの段階において チャイタンニャはその形に留まりましたが キリストの段階では ありませんでした 後に彼の死や復活といった ドラマが起こりました 彼が私たちの救済に 責任ある者だからです 彼は門だからです 彼は道です ガネーシャだからです オムカラが道です そして彼は門です しかし 彼が最終目的ではありません 彼のお母さんが最終目的です マハラクシュミでもありません マハカリ マハサラスワティでもなく あなたが到達すべき 最終目的はアディ シャクティです これらは聖書に 決して語られていません 彼がほとんど4年しか 公の場に出ていないからです 当時の者は そのことを触れたくありませんでした 知らなかったし 神聖なもの すべてにおいて抑圧があったからです 社会は営利化した制度でした インドにも営利化した 制度がみられます しかしインドにおける唯一の利点は 宗教が組織化していないことです しかし彼らはキリストや 彼の原理を組織化しました 今は彼を 良い人間だと思っています なんということでしょう 今日私たちは オムカラの誕生を祝います 大変大きなことです あなたに理解できるでしょうか 全てに動き・・・ 原子や分子 組織化する化学 周期律や引力 動く全てがこのオムカラです そしてあなたのヴァイブレーションは オムカラ以外の何ものでもありません 実際私の写真において ヴァイブレーションはオムカラとしてきます 人間の頭上には オムカラが描かれています これらの光がオムカラのように 見えるのはなぜでしょうか なぜサハジャ ヨギの頭上に オムカラがあるのでしょう アラビア語でアラーです 私の名前も アラビア語ではそうです これは誰がしているのでしょう 全て彼がしています オムカラ自身が形を採り アディ シャクティについて あなたに納得させます 彼がこれらの力を操ります 彼は写真には入りません トリックをします 写真は 光を通して写されます 光が直線に射すからです しかし彼が望めば 光の道を曲げることができます 他のものに変えることができます 好きにできます そしてあなたを納得させます 彼が言うには “私に対して何であれ我慢できますが” “聖霊に対してはできません” そしてこの聖霊とは アディ シャクティです あなたは彼なしに サハスララに到達できません 全ての戯れにおいて 彼はストゥラダーラです 彼は指揮者です 操り人形の紐を動かす者です プージャをする度に シュリ ガネーシャに祈ることは大切です そのようにして私たちは 主イエス キリストにも祈っています 私たちは彼の吉兆さ 助けなしに サハジャ ヨガをすることはできません 彼は管理人です 私はここに座っています そして彼が管理人です 管理人なしに 私は何をどう話すでしょう 何も起こりません 彼は大変有能です 全てを作用させ 全てを為します […]

Christmas Puja Pune (India)

Christmas Puja, Pune (India) 25 December 1986.
今日 私たちは 主イエス キリストの 誕生を祝うことを 心待ちにしていました このような 場所にいるのは 深い意味があります イエスが生まれたときと 同じような小屋です 風が四方から 吹いていて 部屋を温かく保つのは 難しいです しかし 正しく言えば 彼は12月に 生まれていません もっと温かい そんなに寒くない 時期でした 彼が感じた気候は 恐らくあなたが今 感じているくらいでしょう 今日の気候は 示唆的です あなた方は この気候や環境 簡素な生活に 不快を感じないでしょう 彼は全く不快を感じませんでした 彼の母も同じです 私たちの意識が スピリットにあるとき 私たちは 自然や世俗的なことに 不快を感じません 最初の兆候として サハジャ ヨギが 快適さに 不満を持ち始めます サハジャ ヨギになりきれていない という兆候です まず 私たちは 気候と 完全に順応します 気候の特徴 移り変わり 私たちをいかに形作るか を楽しみます 自然と身体には 摩擦がありません なぜなら 同調させるスピリットが 自然と一体になるよう あなたを助け 最良な部分を 楽しませてくれるからです いかに楽しんでいるかで 偉大なサハジャ ヨギは表せます 私のおかげだと思います 全ての不快が 楽しみに代わりました キリストの到来は 大きな出来事でした アギヤ チャクラを 確立するため この地上に生まれました しかし 大分前に意識において すでに生まれていました その完全な意識自体が イエス キリストの誕生でした リアライズソールなら 彼の人生を説明することができます でなければ 彼が誰で どんな働きをしたか 話すことはできません それでも サハジャ ヨガで 多くを説明するのは 難しいです 経験するだけです 今日 あなたは 湖から水が沸き出るのを 見ました これは誰も 専門家でさえ 説明することはできません 水が興奮して 神聖を感じ 泡のように 愛が沸き出たのです 水でさえ 感じられるのです あなたは光が それを感じるのを見ました 同じように どの要素も感じられます 全ての要素は 私たちの中にあります 最も崇高なのは 光と言えます 光には 効力があるからです それはイエス キリストによって 統轄されています 光には効力があります 正しいものを あらわにします それが私たちに 世俗的な全ての次元を 理解させ 最終的にこの光が スピリットから来て スピリットを啓蒙すると あなたは他の次元を 見始めます 時には あなたを笑わせ ほほ笑ませ 時には涙させます サハジャ ヨガを通して 美しく 新しい 次元を得ました しかし全て あなたの内にあり 達成するものでした 一方 大変な努力を した者もいます 例えば イエス キリストは 小さな馬小屋で生まれました 神聖が王家に生まれる必要がない と示すためです 馬小屋でも 生まれることができます 神聖にとっては 関係ありません しかし 人は 誤った捉え方をします 人は 惨めでなければならなく 神に全てを奉納すべきだ と言う者もいます 神は何も望んでいませんし 所有しません 人は何も与えられません 乞食のようになり 神に与える という認識は間違いです 望んでいません 望んでいることは あなたが幸福で喜びに満ち 楽しむことです これが一番大切なことです ほんの少しでも 神に捧げれば 神はその百倍 あなたに与えるでしょう ほんの少しでも 神に捧げることです いけにえとして 木に自分の首を 吊るすことはありません キリストがあなたのために 全てをしました 彼の人生の 美しさは 生まれた時から 全く物質的な豊かさを 享楽しなかったことを 表しています 私たちが知る 世俗的なことは 全く楽しみませんでした そして それは 世俗的なことを 渇望する必要がないことを 私たちが 分かるようにしたものです それらが私たちを 渇望します このようなことで 心配する必要はありません 心配すべきことは あなたのスピリットです 彼の人生は 短かかったと言えます 彼は努力をしました 人について 大変興味を 持っていました 人間とはどのようなものか 知らなかったからです 人間界から かけ離れた者でした ですから 彼は 見極めようとしました 見極める中で 理解すべき 大変すばらしいことを 多く語っています その中の一つに 彼は “あなたを 理解したくない者に” “真珠を投げてはいけない” と言っています ヨギにとって これを 理解することは大切です 反神論者にサハジャのことを 話すべきではありません あなたの兄弟や姉妹 父親かもしれませんが サハジャ ヨガについて 説得すべきではありません 彼らは あなたに関係しません 主人や兄弟を説得する事を 心配する者が多くいますが あなたがそれをワークアウトする 必要は全くありません このことに関して 断念しなさい もう一つ 大変大事なことを 私たちに伝えています 許すことです 彼は許すという最も偉大な武器を 私たちに与えました 許すということは 大変実用的です あなたがただ許すなら 相手は存在しなくなります 相手はもはや あなたを煩わせません 注意にも入ってきません 許すことは 私たちが受ける世俗的な 精神的な苦痛から 解放される 最も簡単で最良なことです 彼の人生は スピリチュアルな 物語でした 様々な苦難を経ました スピリットがやり通せる あらゆる問題を経ました 誰もスピリットを殺せない と示すためです ギータで語っています 殺すことはできません 永遠の命です 人生を通して 永遠性を証明しようとしました 始めから終わりまで スピリットは 物質を超えていて 何にも支配されることはない と示しました 私たちのために 大変な偉業を成し遂げました 大きな自信を 私たちのスピリットに もたらしました 疑いなく証明しました あなた方が理解し 些細なつまらない事で 私や自分達を困らせないよう願います それは大切ではありません もっと大事な事 永遠なもの 価値のあるものを 求めなさい この場所を気に入り 楽しんでいることに 嬉しく思います 加えて今日は 多くの結婚を発表しました この短い期間に 多くのイベントがありました このクリスマス イブに 神の祝福がありますように メリークリスマス ハッピー ニューイヤー […]

Pre-Christmas Talk and Farewell Puja Montague Hall, Hounslow (England)

Pre-Christmas Talk and Farewell Puja. Montague Hall Hounslow (UK), 23 November 1984.
昨日は 素晴らしい日でした 次元の 違うことについて 話しました これまで 世俗的なことについて 話してきましたが 時には そのことがとても 大切です しかし 昨日話した時に あなた方は サハジャ ヨガの 精妙な理解の領域に 飛躍しなければならないと 悟ったことでしょう まず私たちは 家族や我が子 家事 結婚について 心配します 次から次に このような心配をし 些細なことについて 気がかりになります 次に アシュラムについて 心配します アシュラムの 問題についてです 私たちが何をしてきたか どのように問題に取り組んできたか 何が問題を 引き起こしているか考えます こうして人間は 精妙な理解を 持ち始めます それから私たちは 神の寵愛を 受けていること いつも私たちを見てくれている 偉大な存在に気づきます 何か崇高な力 私たちに特別な注意が 向けられていると悟ります 今日私は 神に助けられている という事実を 私達がいかに 悟り始めたか 説明しました 全ての問題は ある種の原因の結果です あらゆる問題が そうです 例えば モナが書いた手紙によると 高速道路を 運転しているとき 自動車が コントロールを失い ブレーキが 効かなくなりました そして車が 左右から接近し 前後にも 接近していました もう一人ヨギが 同乗していて 2人とも もう終わりだと思いました 原因は車か あるいは ブレーキか機械の 何らかの故障で 結果が すべての問題です ではどうしたら その問題を 乗り越えられるでしょう 結果を無効にしたくても できません 原因を進展させようとも うまくいきません ではどうしますか 最も簡単なことは 原因を超えることです 原因の上に 超越することです すると原因が 存在しなくなり 結果もなくなります 原因があなたの注意にある限り 結果もあります 彼女はどうしたでしょう ただ私に祈り 私のことを思いました “これが私の 最後のチャンスです” それだけです すると 原因が消えました それを 超越したからです 結果も消えました 彼女はとても驚きました ですから ただ原因から 高次に 上昇すればよいのです “妻がこうだ”とか “夫がこうだ” “家族がこうだ” “ヨギ達がこうだ”という あらゆる問題があります ただの結果です 何が原因でしょう あの人や この人であったりします これは 原因との関係です それを サレンダーしなさい あなたは そうする権利があります 才覚があります 出来ます 能力があります 資格があります しかし あなたはそうしません 忘れてしまうのです 原因を委ねてしまえば 結果はなくなるのです 大切なのは上昇することだと 心に留めて置くことです 原因を超えることは それを取り除く 最良の方法です 私は あなたと遊んでいます 原因があると“マザー 私に 仕事がありません” 仕事が見つかると 次に“仕事が大変だ”と言い 次に“妻をもつべきだ” と言います “妻に問題があり 離婚しなければならない・・・” “悪いのは自分の中に ブーツがあるからです”と言い ブーツを原因にします “このように振る舞うのは ブーツが中にいるから” それは他のせいに しているようなものです あなたがまず “ブーツとは何か ブーツとは誰か” “私はマザーを知っています” “貴方にブーツを任せます” と言うことによって それを超越できます それだけです でも非常事態に 置かれないといけません その力があっても あなたはしないからです 非常事態にいれば 急速に解決します 非常事態でなければ モナのように使おうとしません もう1つの例は あるジャーナリストが 旅をしているとき 急にブレーキが 効かなくなりました 他にもう1人いました (そのもう1人が 私に話してくれました) 彼はサハジャ ヨギでした 彼はブレーキが 効いていないことに気づき 前から 大きなトラックが 後ろからは 別のトラックが迫ってきました 曲がる道も 抜け道もなく ブレーキはひどいものでした それほどの 非常事態だったので “ああ 神よ 最後の瞬間が来ました もう終わりです” 前後からトラックが 近づいてきて もう少しで 死ぬところでした そして友人に “マザーを思いなさい”と言いました すると トラックを背後に残し 路上をゆっくり進んでいました ブレーキは効いていました 非常事態でないと いけなかったのです 人間は追い込まれなければ 決してそうしないでしょう いったん追い込まれると そうするのです これが人々が 禁欲的な生活をする理由です 禁欲的なら 追い込まれるからです 禁欲者は自分に非常事態をつくり 神を思うためにゴビ砂漠に行きます しかし 砂漠での修業は 時代遅れです 彼らはそこから抜け出るために 追い込まれる状態でいます サハジャ ヨギは賢ければ そのようなことをする必要はありません しかし どうやってそこに 到達するのでしょう 瞑想が 唯一の方法です 皆 瞑想しなければ なりません 瞑想しなくても 暫くは続くかもしれませんが 数か月もしくは2年間は 大丈夫かもしれませんが その後去ります 多くの人が “何のために瞑想するのか” “瞑想がなくても構わない” と考えますが違います 瞑想によってのみ 成長するからです 非常事態において 急速に成長します びっくり箱のように バネで跳ね上がります しかし 継続的な 成長を望むなら 瞑想しなければなりません 思考を 次々と浮かばせ 鎮めなさい 思考のない 意識状態になります その思考のない状態のときに 成長します 結果の原因に 囚われないときに成長します 原因がなければ 結果もありません 問題は たいてい 瞑想しないということです 最終地点に来た時に 落ちるしかなくなった時に それを考えます おそらくその瞬間は 助けられるでしょうが 成長しません 瞑想によってのみ 成長します それが 重要な点の一つで 普段から瞑想する者に 真の助けをもたらします 通常の生活において 酸素がなければ 成長できません 酸素や食事は 不可欠です スピリチュアリティにおいては 瞑想で成長します それ以外ありません 瞑想なしに成長できると 思うことは傲慢なことで 実際 傲慢です サハジャについて 語れるからです そのような人を 見てきました 大胆な 講演ができても バイブレーションがありません 何の役にも立ちません コレクティブの 意識がありません 様々な問題を 抱えています 成長は瞑想を通して 得なければなりません これはその一部です 崇拝であり プージャであるといえます 何も諦める 必要はありません ただ執着をなくし 原因自体から 離れればいいのです これはその一部なのです 第二にこれは 感情的な束縛に 精妙な側面をもたらします 感情的な束縛は 帰属意識を与えます キリスト教徒 ヒンドゥー教徒 イスラム教徒 イギリス人や あらゆる人種 何と名付けようと 全て払い落されます 執着のない人格を 手に入れるからです このような束縛 “私の兄弟です 姉妹です” “妻が心配です” “子供が心配です” あなたを 小さな人格にする 感情的な束縛は 払い落され 一つの感情的な 束縛を持ちます “私は慈悲において 成長します” “慈悲は働きかけられ 効果的です” “私は慈悲をしっかりもっています 私の慈悲はこの分別です” “私はヨギです” そして次に あなたは サハジャ ヨガの本を読みます サハジャ ヨガについて 知ります サハジャ ヨガの テクニックを知ります クンダリーニを上げます チャクラをきれいにします マントラについて 理解しようとします マントラについて 精通します 神格について精通します 彼らを喜ばせます これら全てが 適切にされた時 あなたの精神的な束縛が 払い落されます 偉大な科学者は これが科学でないと知るでしょう 神の技法の学問は 遥かに上回ります 本を多く読んできた人は サハジャ ヨガについて読むと 自身で体験し 理解します 今まで読んできたものは 全て馬鹿げたもので 意味もなく空疎であると知るでしょう こうしてある種の 虚無感が襲って来ます エゴの虚無感です 知識の偉大さを 知るからです ニュートンは言いました “知識は大海のようだ そして私は 浜辺で小石を拾っている子供のようだ” なんという 理解力でしょうか あなたの中に 空白感が入ってきます そして本当の知識が 入ってくるでしょう 真の知識への認識が できます 話せば言葉に 効果があります それはマントラです 軽率に喋りません “私はヨギです 15年間しています” 何の意味もありません 百年していても ロバがロバであり続けるように 全く変わりません 一年しか していなかったとしても ロバから人間へ そしてヨギへとなることもできます まず初めに 私たちが お母さんに 感情的に執着することで 自分自身を再度 条件付けしなければいけません あなた方は 世界中にいた他のヨギより 利点があります 彼らはお手本が ありませんでした 根源的な母について 知っていましたが 形がありませんでした あなたにはあります 恵まれていて 幸運です 抽象的なものを崇拝するより 形があった方が良いです でなければ どうやって 絶対的意識を崇拝しますか その執着は 私に何か与える ということではありません 与えれるものは ありません ただ原因から 自由になればいいのです うまくいきます あなたは体験しています “どうにか解決しました” と言うでしょう バンダンとは何でしょうか あなたがお母さんと 繋がるということです これは お母さんへの電話です それだけです そして私はあなたに “バンダンします”と言って遊びます 自分自身に バンダンしています 電話です ただの電話です 真の信じる気持ちが育ち 感情的なものに 執着しないでいられます “私の母が・・・ ” 彼女にバンダンしなさい “私の父が・・・ ” バンダンしなさい “私の兄が・・・ ” バンダンしなさい 何であろうと バンダンしなさい あなたはお母さんの保護下に 悩みを置いています 自覚はないでしょう 手を通してお母さんの愛と 彼らを結び付けています このバイブレーションは お母さんの愛です あなたを通して 流れています では あなたのお母さんへの 愛はどうでしょう 完全な非常事態の時は サレンダーをし 作用しています 非常事態を作る 必要はありませんが ゆっくり確実に 解決しなければなりません あなたの中で 自然に確立していきます 内に力を持つでしょう 保障します 瞑想は一つの方法で もう一つはサハジャの知識です 他人に話すのではなく 自分で解決していくことです チャクラがどう作用しているか 自身に働きかけなさい 他人を悟そうとするのは あなたのブーツです 自分のために 自分の内で学んでいくべきです 誰がどのチャクラを 精通したか知っています “こうすべきだ”と他人に 言うことではありません それは完全な 意味のないエゴです してはいけません 聞かれれば 個人的に 話すことはできますが 大勢の前で講義をして 人を 混乱させてはいけません 克服すべきことが 二つあります 感情的に 精妙でない部分と 精神的に 精妙でない部分です 肉体的に 精妙でない部分も同じです 肉体的に 精妙でない部分は 唯一の薬である バイブレーションに 自身をサレンダーすれば 克服できます 孫のアヌパマが 母親に言いました “お母さんはアロパシーで生まれ ホメオパシーを治療法とし” “明日はジャンボパシーに従い その次はナンボパシーをするでしょう” “でもー” “私は神に生まれ 神パシーだけに従います” “そしたら神は私の面倒を見てくれ 私を治します” 娘は言いました “あなたも 変わるかもしれない” 孫は “神は決して変わらない” 単純な答えです 神は あなたを癒すでしょう でもそれを言うには 非常事態の時ぐらいに 上昇していなければなりません 強い気持ちと人格を 持ち合わせていないといけません “神様 助けてください” とだけ言うなら あなたが神のために時間がないように 神もあなたに時間がありません 単純なことです 崇高なことから 平凡なことまで 効果があります ランプであろうと その灯やオイルであろうと 原因を超越して 効果を得るなら あなたは 精妙なレベルにいます あなたは 原因を超越するので 何に対しても 原因をつくりだすことはありません ただその効果を見ます 一度 原因が消えれば その効果は表れます 得るべきもの 正しいものを得られます 最悪なことが 起こるわけではありませんが 原因にこだわれば 起こるでしょう 最良なのは 原因に執着しないことです そうすれば 効果が出てきます 車のブレーキのように 効果があります 車は大丈夫でした 全てが大丈夫で 効果がありました 原因は なくなったわけです なぜ どうやって どのように全て 上手くいったのでしょう その効果を尋ねても 説明できません 原因はもうないので 原因を挙げられません 神の業が働いた と言うでしょう 本当に効力のある 唯一の原因というものは 神聖です しかし 神聖を世俗的な 観点でみてはいけません “お母さんの写真があります” “礼拝しました 満足です お母さん おはようございます” そのやり方ではいけません お母さんを 知らなければなりません 愛さなくてはなりません それだけのことです 私を愛さなければいけない というのは気恥ずかしいものです しかし 母として 多くの気恥ずかしいことが ありました そのうちの1つが これです 子どもたちに どう言っていいかわかりません 事実です 非常事態や そのような問題を経る必要はありません 自然に働きかけられて 上手くいってしまうくらい 成長できるように 自分自身を 高めるだけです 例をあげましょう 驚くことに最も働きかけた イギリスが一番上手くいきません 単純な 例を挙げましょう 数か月前 あなた達が インドに来ると決められました 私は今度で 2度目の帰国ですが イギリス人が唯一その場で 払わなければいけませんでした でもまだ払っていません オーストラリア人は 払いました 80人くらいいましたが 払いました イギリス人はまだです 全てが遅いです エゴに関しては一番ですし 国旗も一番に来ます エゴはどこで発生したのでしょう 偉大なるイギリスです 何か始める時 彼らは最も遅く 批判に関しては最も優れています 彼らに地位を与えると エゴが突然みえてきます なぜでしょう 原因があるので 説明できます あなたは言うでしょう “それは惰性で” “誰かのせいで ブーツのせいで” “エゴや スーパーエゴのせいで” “私ではありません 私は大丈夫です” なんらかの原因です なぜ今まで 払わなかったのですか 大きな問題です 私は 行かなければいけません 来ないなら 来るべきではなかったのです 払うべきなら 払った方がいいです どうしたというのですか 行く者が50人から 35人になりました 準備もし 色々注文もしました バスの手配もです でも彼らはいません 誰も強制していません 逆に“少人数で行きましょう” と言いました 350人以下は無理ですとか 300人は大丈夫 200人は大丈夫 210人では無理・・ どこに泊まるというのでしょう 世俗的な視点です 他の国はどうでしょう “ともかく行きましょう お母さんがうまくやります” すべてが 上手く行きました 驚いたことにアメリカ人が それを成し遂げました しかしイギリス人は 行くかどうかさえ 分かりまん まだ何人かいます かわいそうなギャヴィンは 走りまわりました 彼こそ 忍耐強い人です 私は11人がまだ払ってないことに 驚いています 信じられますか とても単純なことです 行きたい者が 行けばいいのです 行くか行かないか ただ彼に言えばいいのです 誰もあなたを 期待してません こんな些細なことも 出来ないのです “これが起きたから”とか “あれが起きたから”とか・・・ イギリス人はもっと 上昇すべきです あなた方のために 頑張ったのですから 神はさらに5年の 歳月を私に与えました 時折 戻るべきではない と感じます というのも 意味がないからです これは とても小さな例です 世俗的なことです これは他の場所でも 見られます 彼らに何か言うと “でもマザー なぜこのような ことが起きたのですか” “なぜ私はこのように したのですか”と質問します 原因を聞きます “なぜ私がそのように 振るまったのか” “短気を起こしたのか” サハジャに長く来ていて 実践していながら 他のシュタイナーの ところへ行き 次に他のとこに 参加している人を知っています 彼らは私やサハジャ ヨガを 信じていません 狂ったようにあれこれ実践して それを続けています イギリスでのみ できることです 特異なことです サハジャ ヨガを 実践せずに サハジャ ヨガに来て 治癒して 助けられた人を 多く知っています それでいて 他のことをします これでいいのでしょうか リーダーを 責める人が多くいます ここに来た時 具合が悪くなってしまいました 8日間具合が悪く その後も大変でした あなた方は私の体の中にいるので 私は苦しみます リーダーが悪いと 言いだし “リーダーは強くあるべきで 手腕を持つべき” “さもないと大変になる”と またしても原因 そしてまた原因 あなた方には素晴らしいリーダー ギャヴィンがいます 彼こそ多くのお金を 費やしました 彼の事務所も 私たちのために働きました どうしようもない人達を 受け入れました “この人はエゴが大きいです” といえば彼は雇います “この人にブーツがいます” といえば雇います 私が1日でさえ扱いきれないような ブーツと一緒に働きました 彼は その人の所へ行き “一緒にやろう”と声をかけ 自身の感覚と理解で 多くを救いました しかし率直に人を リードしませんでした 正直に言うべきです “あなたはブーツです 治しなさい 大丈夫です” “ブーツでも構いません レモンやチリがあります 座りなさい” “マザー 彼は自身を最大のブーツと 同一化しています”と言うなら それと向き合いましょう あなたにリーダーの 理解があるなら あなたよりも私は解っている と思うべきでしょう これは時折 悲しいことです 人の良さを なぜ理解できないのでしょう 彼が耐えてきたブーツの量は 私は1日でも耐えられません 中には大変エゴが強く 彼らが私の家の 階下に降りてくれば 私のお腹が痛くなる程 邪悪です でも彼は耐えます その必要は何でしょう 彼はただ助けようと 思っただけです この人は邪悪であると言う度 ギャヴィンによって雇われます ある日 首にするよう 言わないといけませんでした そして彼らは 首にされました なぜイギリスに 最大量のブーツがいるのでしょう 彼らを近くに置く 必要があるでしょうか 私が発つ日に する話ではありませんが 私が行くと ブーツが戻ってくるようです それが原因となり 結果が出ます あなたがこの偉大な国に生まれて 至高の高さまで上昇できることを 明白なビジョンとして あなたに与えなければいけません しかし ひどく 落ちることもできます それを見てきました あなたは常に 誰かのせいにするからです 例えば ギャヴィンに対してです これはあなたがした 最悪のことでしょう それを グレゴアに言えば 彼はその人を10回細かく 切り刻み その状態で 私のところに 連れてくるでしょう 本当です 彼は言うでしょう“なんと馬鹿げた話 それならやってみなさい” ワーレンに言えば オーストラリア人の 気質で何をするか分かりません 彼らは素晴らしいです でも あなた達にはギャヴィン のような人が相応しいです 彼らは私が大いに 働きかけた特別な人です でも驚きました まともな者は そのような リーダーは必要ないのです 驚くことにまともな人は 今のオーストラリア人のようです 私に対しての振る舞い方が 大変愛情に満ちています ギャヴィンは私のために 良いカップとソーサーを買いました 私にそれで紅茶を 入れようと思ったからです そこで彼は 全てのセンターに買いました 彼ら子供達が お金を集めました “ケーキを食べるでしょうから お皿を用意します” 彼らは 小切手を送りました なんて優しいのでしょう でも知っての通り 私はケーキを食べません それでも優しい子供達は 用意してくれました 理由はなんでしょう なぜ私たちは 支配したりされたりするのでしょう また原因があります 超えないといけません 私が次に来る時 また間違いを起こさないよう 祝福します 瞑想しなさい 瞑想しなさい あなたが インドに来た時 私が働きかけた人達を みてもらいたいのです 私が訪れたことのない場所でも 誰かがリアリゼーションを与えています 彼らは 素晴らしい花です ここでは 私が 間違っているのでしょうか 私が一生懸命 働きかけた場所で 人々は原因について より心配しています あなたにとても正直に 言わなければいけません 自分自身の中で 成長しなさい あなたは寛大ですか? 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