Easter Puja Kilyos, Kilya Hotel Kilyos (Turkey)

Easter Puja. Istanbul (Turkey), 21 April 2002.
今日は イエス キリストと 彼の母を崇拝します 偶然にも彼の母も ここトルコに滞在していました 驚くことに キリストも十字に架けられた後 ここに滞在していました 彼と一緒に来たのでは ないでしょうか 彼がカシミールに行った時 彼女もいたようです 途中でそこに寄ったのでしょう ですから私達は ここで彼を崇拝します サハジャ ヨガでは彼女は マハラクシュミの化身です そして宗教の為に 息子を犠牲にしました 残念ながら彼女の価値は 誰にも理解されませんでした 偉大で スピリチュアルな人格だと 分かりませんでした サハジャ ヨガを通してのみ キリストを生んだ 大変偉大な人格であったと理解できます 彼女が敬意を払われなかったことは 残念なことです 特にイスラムの世界でです その為イスラム文化において 女性の居場所がありません 彼女達における私の経験は 大変悲しいものです 貧困で苦しむ女性の更生の為の 協会を設立しましたが 申し込む女性皆が イスラムの女性でした 悲しいことです モハメット曰く “自分の母の世話をしないといけない” しかしこの女性達の中には 子どもが8人や10人いて この貧困者の為の家に来ました 私達は家を与え 世話をしなければいけません 宗教に対する狭い考え方は 指示しないからです 最も大切なのは “人間”の宗教です 全ての宗教が ひとつにならなければいけません 大変なことです イスラム教徒はキリスト教徒に キリスト教徒はヒンズー教徒に 敬意を払いません 神と神の仕事 そして彼の愛の為に皆がいます それなのに 互いへの敬意や愛がありません どこでも口論したり 争ったり 殺し合っています 宗教の神の名の下で 人々があまりに残忍に 愚かになるのは 大変悲しいことです セルフ リアリゼーションを が唯一の解決策です リアリゼーションをコーランでは “ミラージ”と呼んでいます しかし人は得ることができない と言います モハメッド以外は 得ていません まるで人には得られない と言っているようです 真実ではありません 全ての人間が得られます アフリカ 英国 アメリカ インド どこの出身であろうと 皆ミラージを得ることができます 人は戦うために創られた わけではないと理解すべきです 動物でさえ戦いません なぜ人は戦うのでしょう それも宗教や 神の名の下でです キリストは宗教に統一感を 与えるために来ました キリスト教徒でさえ戦いを始め 他者を支配します 全ての者が神や宗教の名の下で戦い 世界は混乱しています 私達の宗教はグローバルで ひとつの宗教です 私達は全ての神格 全ての神々や女神に敬意を払い 崇拝します 神は皆ひとつであると分からないほど 愚かではありません リアリゼーションを得た後も 全ての神々が中枢神経系や チャクラに内在すると悟ります 歴史において語り継がれたから いるのではありません 実際皆そこにいます 全世界の救済のため 働きかけています キリストが為した 最も偉大なことは救済です 彼は救済において 苦しみました 多くの試練がありました そして身体が復活しました 同様にサハジャ ヨガが 作用しています リアリゼーションを得たことは 自身の救済を意味します 間違った考えや 無意味なことは消えます そして愛において 深い理解が芽生えます この仕事をインドや他で 始めた当初は大変でした 至るところ人々は無知で 互いに憎み合っていました 言い訳をしたり 良く分かりませんが 歴史的な偏見からか 憎み合っています インドにもありました 外国でも同じです ヒットラーは人間を 憎んでいたので来ました 彼は化身した 悪魔的な力でした 様々な残酷なことをしました その殺し方は 人間にできるとは 想像もできないほどです ガス室で 子どもや大人を殺しました ひどいです ドイツに私に これを見てほしい と言われましたが断りました 夫がそこに行き 帰ってくると 7日間病気になりました 気分を害します 何らかの状況下で 何らかの概念や間違った考えで そのように行動を起こす 人を殺すことは 非人道的です どんな考えか 殺すために ユダヤ人を狙いました 宗教の名の下で 様々なことがこの地上で起きています 人は宗教の名の下に 殺し合っています 宗教は神を 互いを 愛することを教えます どうして憎しみや殺すことを 教えるでしょう 未だ続いていることに 驚きます この愚かさを止められるのは サハジャ ヨガだけです そうなるべきです 私達は人間だからです その為人は キリストがしたように 復活しないといけません それはサハジャ ヨガでもって 容易にできます モハメッドは ミラージと呼んでいます 彼は明白に説明しています しかし誰も ミラージを望んでいません ワークアウトしようものなら 人はその者を潰そうとします “これはとんでもないことで 間違っている”と言います この為に皆が苦しみました 人間の無知が原因です 私もです あれこれ批判されます しかし私は 彼らより力強いです 愛は何にもまして 力強いからです そして世界中に作用します 至るところで人は このような憎しみや 他者への間違った考えは 大変危険だと悟り始めています 多勢の人がこのことを知れば 全てが終わると確信しています このような事柄は たくさんあります 特定の宗教に従っているからといって 人を憎むことは理解できません 自分でも説明できません 人間を創造した神の名の下で 憎むのは間違っています 人は神や 神の愛を理解しています 例えばキリストの生き方をみると たった33才で 十字に架けられました 彼の母は 苦しまないといけませんでした なぜ十字に架けたのでしょう 彼が愛について 教えていたからです 誰も互いを愛す考えを 好みませんでした 愛なしにどう助けるのですか どのような根拠で他者を助けますか 愛する故に他者を楽しみ 理解したいのです 一度他者を愛し始めれば この作り事は終わります キリスト教徒やヒンズー教徒として 生まれるとします 何が他者との違いを 思わせるのでしょう 同じように 母親から生まれました 見た目も同じです 鼻も目も全て同じです 何が違うのでしょう 政治的なことが 絡むのでしょうか 神や宗教の名の下で 分裂させるのはひどいことです 逆にサハジャ ヨガは 神の名の下で 人をひとつにします 例えば誰かが南アフリカに 遠く離れたベニンに 住んでいるとします サハジャ ヨギになるとします そこには何千ものヨギがいます 彼らは皆 あなたの兄弟姉妹です 行けば 我が子や親族のように もてなされるでしょう どこの宗教から来たかは 決して考えません 愛の深さに驚くほどです 現に愛することは 人間の内的な資質です どの人間も 愛する能力を与えられています しかしその能力は 大変弱まっています その能力で人は 互いに戦ったり殺し合ったりします 宗教の名の下で人を殺めるのは 最も大きな罪です 殺し合うことで天国に行けると なぜ信じているのか分かりません 最悪の地獄へ行くでしょう この考えは和らいでいますが 未だ存在しています このようなナンセンスが 日々見受けられますが 未だ続いています サハジャ ヨギはそれに対して 何ができるでしょう 人は何らかの宗教に 生まれるものです 天から舞い降りる わけにはいきません ですからいかなる宗教に生まれても それに縛られてはいけません あなたは愛と歓びの宗教に 縛られています 人は不幸や戦いで泣き続けます これでいいのでしょうか これでいいのでしょうか 私達は人間です 動物ではありません なぜ人間は互いに殺し合い 他者や自分の人生を 惨めにするのでしょう 他者を憎めば 憎しみに満ちた者になります AがBを憎み BがAを憎みます すると全人類や文明を 憎むことしかなくなります サハジャ ヨガは あなたにとってお恵みです 内に全ての神格を 与えたからです そして今は全体に 属していることを知っています 愚かな考えに属して いないことを知っています 私がここに来たとき 彼がいつ住んでいて 母マリアも住んでいたと 分かりました 家があります 彼女が住んでいたと知り 喜ばしく感じました ですから彼女を 崇拝しないといけません 何と言っても キリストの母です 彼女がどんな教徒でも 何の関係もありません 彼女の愛 全世界 宇宙の為に 息子を犠牲にしました 何という母でしょう この世に我が子を 十字に架けることを余儀なくされる 母がいるでしょうか 何という勇気 愛 グローバルな人格でしょう 私達はここにいます 偶然です 彼がここに住んでいました なぜここに来たのでしょう 彼女は直接行けたはずです ここに来て住みました 家があります キリスト教徒はここでも 宗派を始めるでしょう イスラム教徒とキリスト教徒で 互いに戦おうとします 何をしようと戦うでしょう 主な気質は戦うことで 他者を助けることではありません ただ大変おかしく 残忍でいようとしているだけです “互いに愛し合わないといけない” と教えた者達がインドにはいました にも関わらず インドでは人々は戦っています この国には多くの スーフィ達がいました インドでも至るところに 偉大な聖人がいました ある者はイスラム教徒であったり ヒンズー教徒であったり それぞれで讃美歌を歌います 別々に崇拝し 神の名の下で人々は戦います 戦う対象を探したいのです 闘鶏のようです 人間の資質である愛や愛情を 内に持っていないようです 互いへの愛を楽しむべきです 愛する能力を失っています 中国やインド どの国に生まれようと関係ありません 人間です その者には愛する能力があり あなたも愛する能力を持つべきです 違う経験をしたことがあります 夫と中国に行きました 当初人はインド人に対して 好感を持っていませんでした しかし私に大変親切でした いかに私の世話をしたか 周りは驚いていました “なぜそんなに親切なのでしょう インド人は好かれません” “それは作り事です” と言いました 彼らは非常に親切で 私に敬意を払っています 彼らに何をしたというのでしょう あるホテルで私はアンクレットを 落としてしましました シルバーです 大変離れたところに 移動してしまいましたが 彼らは封筒に入れて を送ってくれました 私ははるばる送ってくれたことに 感動の涙を流しました “これらの中国人は 非常に愛深いです” 私は会議に参加しました 女性会議です なぜか中国の男の子達が 空港まで来てくれました 私は大変遅れていました 会議は10時からで 8時半頃に着きました 車まで案内してくれました 荷物を詰めながら 会場に直接行きますと言われました 彼らは短時間で 私に大変良くしてくれました 会議の間待っていてくれました インド人に反感を持つ 同じ中国人がです そしてその後も続きます 彼らは私の車いすと 私のために車を2台用意しました そしてショッピングに 連れていってくれました 階段に差し掛かると 彼らは手で車いすを運びました 彼らは私の親戚でもなければ 一会ったこともありません 一人が “明日は来られません 結婚するからです” “この数日 何をしていたのですか” “貴方のそばにいれて楽しかったです 嫁も連れてきます” 涙が出てきました “何という愛 親切心でしょう” 私は彼らに 何もしていません 最後まで 良く世話をしてくれました 皆25才以下の 若者たちです 私の車いすを 3階まで手で運びました “しないでください”と言っても “是非見てほしいのです” “なぜですか” “皆のために 大変すばらしいことです” 大変啓蒙された者たちです 愛でもって人は 啓蒙されます 深い理解を得ます そのような深い愛が あなたに存在します 政治家であれば 説得しようとするでしょう 戦いをけしかける者もいます ドイツではそのように 若者をけしかけました しかし今は 変わってきています この世界は 変わらないければいけません 苦しんだからです これは宗教でも 聖人の教えでもありません 他者を憎むように教えるのは 悪魔的です 最悪のことです 愛の歓び 愛情の歓びを知らないのです 今日 教会の問題や 他にも問題があります 愚かな人達です 人は多くの掟をつくり 理由が何にせよ かわいそうな子どもたちが 苦しんでいます 彼らは純粋な愛が 分かりません 誰も純粋な愛を理解できません 愛は生来の資質です 生来の資質ですが 人をどう純粋に愛するか知りません 大変剛直です そのようになるのは 人間としてふさわしくありません 人間はその極端に走ります 美しさや想像性の豊かさ 芸術の豊かさ 芸術的気質 人生を楽しむ豊かさがありません 闘鶏であるなら 他の者の 他の全てに 良いところを見ることはできません 他の者と戦い 自分達自身の間で戦います “戦わないといけない” と訴えます でも仲間同士でも 戦っています 自分の兄弟姉妹を苦しめます もはや愛してはいません なぜ宗教の名の下で 戦うのでしょう 自分達の間で憎み合うような ひどいことを教えられるのでしょう キリスト教徒 ヒンズー教徒 イスラム教徒だけでなく 至るところ人間は 大変汚れてしまいました カリ ユガであると言います 愛する力を どうして失くせるでしょう これはキリストが話したことです 愛についてはっきり語りました “隣人を自分のように愛しなさい” それができる人を 知っていますか そのような人は見つかりません キリストに従う キリスト教徒はどうしたでしょう モハメッドに従う イスラム教徒や シュリ ラーマに従う ヒンズー教はどうしたでしょう 指導者に近づけていますか 神聖の化身に少しでも 近づけていますか いません その理由はリアリゼーションを 得ていないからです スピリットを知りません リアリゼーションがなければ 何も理解できません いかなる歓びも理解できません ドイツへ行って 彼らがしたことは 見れません 人間の質を持つ者は 倒れます 日本においても 広島にしたことはひどいです 耐えられません “なぜ人間はそこまで 残酷になれるのか”と言いました 我が子を殺す者もいます 極限がこれです その反対がサハジャ ヨガです 全ての人間を愛します 皆人間だからです 皆この時期に 生まれました 互いに助け合い 愛し合わないといけません 大切なことです これを育めば 強いヨギになれます 神聖に支えられ 祝福されます 神聖があなたのすべての問題や 苦難から助けます あなたが愛深い人格ならです これはカリ ユガの恩恵です 以前は存在しませんでした あなたが愛深い者なら 神聖があなたを助けます 問題を解決し あなたを困らせる者を罰します 私自身の経験です 私は決して人の災いを願いません 怒鳴りません 自動的に作用します 神聖に頼むことさえ言いません 神聖は最高の正義の人格であり 全ての正義を与えます 誰も神聖の導きと愛の下で 苦しむことはありません これはカリ ユガの恩恵です カリ ユガが大変な時期で あることは分かります しかし神聖は 大変油断がありません これほど注意深いことは ありませんでした この時期ならキリストは 十字に架けられなかったでしょう カリ ユガの間に 生まれたからというだけです 私達にとって恩恵です 誰も苦しめられたり 困らされることはありません ただ謙虚でありなさい すばらしい人格を持ち 愛深い人格でなければいけません それだけです 愛深い人格を楽しめるでしょう 愛深い人格ゆえに 恩恵を受けます いかに神聖が面倒をみることか 人から奇跡を聞きますが 驚きません 神聖が非常に油断なく すばらしい人間を見ているからです 面倒をみて 支え 全てをします 注意深さに驚くほどです モハメッドも含め 皆が苦しみました 今は違います サハジャ ヨギは苦しみません 神聖によって全て 面倒をみられています 世界中から手紙が来ます いかに支えられ 助けられたか いかに救われたかは 驚くべきです ですから自分自身を信じ 人を本当に愛さないといけません 謙虚になり 愛さないといけません この愛が人生を通して 助けるでしょう これがキリストのメッセージです “彼らを許してください” と言いました “やっていることが 分かっていないのです” 十字に架けた者に対して 愛でもって懇願しました “何をしているか分かっていません お許しください” 彼の愛深い徳性を 想像できますか そして今 祝い 彼を崇拝するとき 内にある徳性を崇拝すべきです 私達もまた愛深い者です 世界中の全てのサハジャ ヨギは 互いを愛しています ほとんどのサハジャ ヨギは 互いを愛しています 私からの祝福はこれです “この日に神がたくさんの愛を 内に愛する能力を与えますように” それを持つべきです 人生を変えるものです 力強い人格 力強いサハジャ ヨギになります 愛の理解を育むことができれば 奇跡的なことができます 神の祝福がありますように […]

Easter Puja, You Can Spread Sahaja Yoga Only Through Love and Compassion Istanbul (Turkey)

Easter Puja. Istanbul (Turkey), 19 april 1998.
今日 私たちは キリストの復活を 祝います 復活はキリストの生涯で 最も偉大なメッセージです 十字に架けられたことは 重要ではありません 人は十字に架けられると 死にますが キリストは 死から復活しました 死そのものがなくなり 克服しました 普通の人間にとっては 奇跡ですが キリストは 神聖なので 奇跡では ありませんでした 彼は シュリ ガネーシャです オムカラそのものです 水面を歩くこともでき 重力にも影響されません また彼の復活は 死にも影響されません 偉大で 神聖な特質を持つ 彼が 人類のために 特別に送られ者だと 人々は 理解できませんでした 人は彼のことを 理解できませんでした 人々は彼を 大変野蛮な方法で殺しました 今でさえ人は キリストが十字に架けられて 亡くなったことから 十字架を 偉大だと思っています 十字架を尊ぶことは 人間の 非常に残酷な 考え方です この意味は何でしょう 彼にした 残忍な仕打ちを 十字架に象徴される 彼の死 残虐や苦しみを 人は好んでいる ということです 十字に架けられるという 大変悲しい時がありましたが 復活は 最も喜ばしく 最も吉兆で 美しい時でした サハジャ ヨガにとって キリストの復活は 大変象徴的です キリストが 復活できるのであれば 人間もまた 復活できます なぜなら彼は 全ての力を備えて 人間として化身し 私たちのために 復活の道を創ったからです サハジャ ヨガにおいて この復活の道こそ 私たちがたどる道です 最も重要なことは アギヤ チャクラを 通過することです これについては スピリチュアルな書物や いわゆる聖典に “アギヤ チャクラの黄金の 扉は覆われていて” “誰も通過できなく 閉ざされた扉だ”と記されています しかし キリストは 通りました この通過は今日 あなたのアギヤを開くための 助けとなりました アギヤが開かれないと サハスララまで行けません キリストが苦難と 残虐を経て越えたことで あなた方は大変 容易に できるようになりました どれほど彼の恩恵に 授かっているか 言葉に表せません 彼こそが 人々の先頭に立って ”求めなさい” “そうすれば 見つかるでしょう” そして“扉を叩きなさい” と言いました これが あなたに起こったことで アギヤ チャクラまで 上がって その先まで行きました アギヤを通過することは 難しいことでは全くありません 将来の計画の 遂行のための思考や コンディショニングの 黒雲が アギヤを 漂っていたとしてもです 思考が支配し 自分では覆われたアギヤを 通過できませんでしたが 可能となりました アギヤ チャクラを通過した ことさえ感じないほどの 容易さです まず あなたのために アギヤ チャクラを開いた キリストに 感謝しなければなりません 彼にとって 苦難や残虐は 何でもありませんでした なぜなら 彼の人生の目的 彼の出現の目的 化身は アギヤ チャクラを 開くためでした 今日 人のアギヤが 開いていても アギヤ チャクラに 巻き込まれる者が いるのに驚くでしょう サハジャ ヨギでも アギヤ チャクラに巻き込まれます 何が起こっているかは 内省を通して 見ることができます 例えば 一度 サハジャ ヨギになると 自分が責任を 負わなければと思います 様々なことに責任を持ち サハジャ ヨギに対しても 責任があると思い込みます サハジャ ヨギとして ふさわしくない態度をとります その者たちが いかに責務を感じて 人を押し分け 偉そうに先頭に 立っているかに驚きます これは現代に 始まったことでなく 人類において 絶えずありました しかしサハジャ ヨガ 以前の問題のはずです 今でさえ人は 責務から 他者に対して 支配的になる意向があります あなたが思うほど サハジャはシンプルではありません 多くの誘惑があるからです ある者をリーダーにすると その者は 責任を感じ また 権力に酔います 他の者たちを 支配し始め 自分が何か偉大だと 見せ始め 他の者たち皆を 配下に入れようとします そして皆に 恐怖感を与えようとします まず間違ったことを 言い始めます “マザーがこう言いました そう言いました” “マザーの考えです” 私は直接関わっていません 彼はそのように話し続け 人々は恐れを抱きます 彼は“言いつけますよ マザーはそれを聞いて” あなたを罰することができます” と言って恐れを与えます 私はそのような者に 大変驚きます 誰かを罰することを サハジャから追い出すことを 決して 言ったことがありません 自分のことばかり考える この者は リーダーかもしれませんし そうでないかもしれませんが そのように 大変おかしな態度で 人と話すのは サハジャ ヨギでは ないように見えます さらに悪化すれば “より上昇するために 特別に選ばれた者で” “偉大である”と 自分を称します このようなことを耳にすると なぜ人は 絶えず 自分自身を騙し そのように振る舞えるのかに 驚きます サハジャ ヨガで まず大切なことは 謙虚さです 謙虚な者でなければ サハジャ ヨギにはなれません 命令したり 話し方が ヒットラーのような者は 人を支配したり 責務を負う者は サハジャ ヨガで 何も 得ていないと 言っているようなものです まずは 謙虚さを楽しむことです このような人を 見かけます 最前列に座り 私が見える場所に 必ず座って常に ほほ笑んでいる人です 自分を誇示しているに 過ぎません 自分のことしか 考えていないため そこに座りたがります 自分自身を 見失っています 見失っていて あまり 幸せではありません ですから このようなこと 支配するようなことをします そうでない者は 大変謙虚で シンプルで 正直で 真実の探求者なのですが ある者によって 威圧されてしまいます その者が彼らを 威圧したり 誇示したり 他の者を 奴隷のように扱います 極端に走る ひどい人達を見てきました 彼らは リーダーの許可がなければ 1cmも動かず そのような 不合理な人格の持ち主に 大変 従属してしまいます まずこれは母の愛です 母は決して支配しません 愛の何ものでもないので 支配できません 問題に気づくや否や すぐさま吸収します 彼女は故意に 怒っていると見せるために 芝居をしなければいけません しかし基本的に 誰にも怒ることはできません 愛が絶えず 絶えず流れていて その愛があなたも お母さんも包み込みます それによってあなた達は サハジャ ヨガを理解します 人類の必要とするものは 愛と慈悲だけです 大変純粋な類の 愛と慈悲です キリストをごらんなさい 彼を十字に架けた者たちに 憐れみを感じました 彼は全能なる父に 言いました “彼らを許してください 自分がしていることを解っていません” 彼は 人々の盲目からくる 間違った行動に 父なる 神が腹を立て 彼らを滅ぼすかもしれないと 感じていました 彼はそれについて 考えずに 慈悲の心で 自然に 次のように感じました “彼らは私に対してしています 彼らはどうなるのでしょう” 彼は 父なる神に祈りました “どうか許してください” “彼らは自分がしていることを 解っていません” “彼らは盲目です どうか罰しないでください” なんという 慈悲と愛でしょう 考えてみてください 人生の中で 誰かに危害を加えられたり 困らされるなら そのようにできますか 自分が何をしているか 解っていない者たちを 許してもらうよう 父に頼めますか それがサハジャで なければなりません 許しを求めれば ワークアウトします 神はその者たちの 面倒を見て 彼らを変え まともに導くでしょう キリストのメッセージは 愛 慈悲 純粋な慈悲に 満ちています 罪深い人生を歩んでいた メアリ マグダレナを挙げれば 彼は彼女を 守ろうとしました 聖人である彼は 彼女と 何の関係もありませんでしたが 投石刑にあっている 彼女を見て 彼は 彼女の前に 立ちはだかり 自分の手に石をとり “過ちや罪を 犯したことがない者は” “この石を取って 私に投げなさい”と言いました 誰も前に 出てきませんでした 自分自身と 向き合う必要があったからです 他者を支配する時 人はある種の 残酷な喜びを持ちます 私自身理解できない 喜びの一種です しかし人はそれを持ち 誇示します “この喜びに到達しました この偉大な力を得ました” 何世紀にも渡り 偉大な皇帝や 独裁者によって 起きています しかしサハジャ ヨギは 逆でないといけません 平穏と愛で世界を 統轄しなければなりません 全く誇示することはありません そのようにしてサハジャ ヨガは より早く広まります 世界は何を 必要としているでしょう 愛 愛情のみです 人生に無知で 我を見失う者 他者を困らせたり 苦しめたり コレクティブに 反する者は まともにならなければ なりません なぜ時折 大変異常な行動を取り 狂人のように振る舞うのかを 理解できないでしょう そのような者に 狂っていると 伝えるのは難しいです 権力を持つ者 狂ったような者と 一緒にいるのも 難しいです 多くのサハジャ ヨギは 彼らに権力があると 思っているようです 彼らは 自分の好きなようにでき 誰にでも 好きなように話せ 誰をも混乱させられる と思っています しかしサハジャ ヨガでは 混乱する必要はありません あなたの愛をはっきり 表さなければなりません それは特定の出来事のための 特定の仕草という意味ではありません 互いの間での一体感です 時折サハジャ ヨギが 互いによく理解し 愛し合い 他者の愛を 美しく 楽しんでいるのをみると 大変幸せに感じ 完全に歓びで満たされます 私が望むものであり 人が楽しむものです あなたは 他者に与える愛が 最も楽しめることに驚くでしょう あなたが もらわなくとも 他者に愛を与える時を 最も楽しみます あなた自身を 表現する方法は 他の者をいかに歓ばせ 幸せにするかを 理解する業です 以前ある聖人について 話しをしたことがあります その者はガガンガドゥに 住んでいました それは丘か 山のようなところです 彼はそこに住んでいて 歩けませんでした ヴァイブレーションのために 脚を失ったからです 寅を愛していたので 彼は 寅に乗って移動します この男性は ボンベイからの者に 常に言っていました “マザーが来ています 御み足に触れに行きなさい” なぜ私にそんなに 関心があるのか知りませんでした そこで“この者に会いに行きます” と言いました これらのグルは “私たちは 自分の場所を離れません” と言います つまり彼らはどこに住もうと 決して外へ出ません 私は正反対です 決して一か所には 留まりません そこで彼らは私に 来てくれるよう頼みました “いいですよ”と答えました ヨギは“いつもは出向かないのに 今回はなぜですか” ヴァイブレーションをみると 物凄いヴァイブレーションです ですから私は 訪ねに行きました 彼は雨をコントロール できる者でしたが その日は叶わず 雨に対して 腹を立てていました 彼は雨をコントロール できるはずでした 彼はコントロールできなかった ことに驚いていました そして私は ずぶぬれになりました 彼は怒っていました 岩の上に座り 怒りで震えていました 私は何も言わず 洞窟に入り 彼が準備した 場所に座りました 彼が入ってきました まだ怒っている彼に 私は驚きました 彼はなぜ雨を止めれなかったか 理解できませんでした そこで私に“なぜ雨を 止めさせてくれなかったのですか” “あなたがここまで私に 会いに来てくださったのに” “雨はわきまえるべきです” “それなのに雨を コントロールできませんでした” “なぜですか どんな教訓ですか”と尋ねました 私はただほほ笑み “あなたは修行者です サニアーシです” “そして私は あなたのお母さんです” “あなたからサリーを 受け取れません” “なぜなら あなたがサニアーシで” “サニアーシから物を 受け取れないことになっています” “お母さんでさえ 受け取れません” “しかし私に素敵な サリーを買ってくれました” “ずぶぬれになることで サリーを受け取れます” 伝える私の優しさは 彼を溶かし 彼は涙をこぼしました 彼は言いました “この世界に お母さんが必要です” “お母さんがいるべきです” 人は問題を 解決することができません 問題が何であれ 腹を立てるか 目を背けようと するからです 問題を 罪深くひどい者たちと共に 解決することを 望みません これが今日の 世界における問題です 全世界にスピリチュアルな 者がいないのもそのためです 彼らこそ苦しめられ 困らせられ 侮辱され あらゆることが降りかかった 者たちだからです ですから もがき 早くに死を望みます ギャネシワラは 偉大な人格を備える 偉大な作家 詩人です 大変美しいものを 書きます しかし23歳で サマディの道を行きました つまり洞窟にこもり そこで亡くなりました 無知な人々の中で疲れ うんざりしたに違いありません それ故 亡くなりました カルティケヤの化身である ギャネシワラのような者は 大変苦しめられ 耐えられず 死の世界へ 去るしかありませんでした 人は 彼を非常に苦しめ “サニアーシの息子だ”と 罵りました サニアーシの息子とは “役に立たない” “庶子である” という意味です ひどい扱いを受け 履く靴すらありません 灼熱のインドを 裸足で歩きました 偉大な学者であり 偉大な聖人であり 偉大な化身である 彼の兄弟姉妹もです 結果として 彼は消えることを望み 大変美しい方法で 行いました 彼らに“行かなければいけません” と伝えました 彼らから去り 洞窟に入って サマディを得ました キリストでさえ 十字に架けられた時 大変若く 33歳でした 私たち サハジャ ヨガの道をつくり アギヤを開くため 命を犠牲に 十字に架けられることは 神聖によって 全て計画されました 非常に恐ろしく 残酷な方法で刑に処されましたが 普通 死を目前とする者は 彼が振る舞うようには できません 彼の処刑に携わった者たちに 何が起きたでしょう 彼らの振る舞いからも 悪魔であったに違いありません キリストが言ったとしても 彼らを許すことは不可能です 十字架のキリストを見ていた そのような者を許すことは難しいです キリストのような者は “(サハスララを突き抜けるために) 私に仕事をさせてください” と考えますが これらの者たちと共に生きて 苦しむことを望みませんでした 彼は復活後 カシミールに去り そこで暮らしました 彼の 上昇や復活について 様々な話があります これらの話を読めば いかに奇跡的か 驚くでしょう 彼は再び 生まれ変わり カシミールで 再び生きました 彼は母とある年月 幸せにカシミールで暮らし そこで亡くなりました キリストの墓がそこにある と言われています そして 彼の母も そこにいました 彼の人生を 利用したのは誰でしょう 彼の死を 望んだのは誰でしょう あなたは よく知っています いかにキリストが 亡くなり パウロや ピータのような者が 突如現れ 巨大な事業にしていったか 知っています この二人の人物によって 恥をもたらされたことは 悲しいことです このパウロは 間違いなく組織者です 官僚と言っても良いでしょう 官僚だけでなく 高い地位も欲していました ですから彼は虚偽を公言し ダマスカスに行きました 途中で彼は 大きな十字架を見ました サハジャ ヨガによると 超意識の兆候です スピリットのものではありません 彼は戻って調査を始め 多くのことを 書きました 全てに及んで あなたが読むなら 彼がサハジャ ヨギでない ことは解るでしょう 彼はただの組織者で 官僚で 管理の方法を 書いており 様々な種類の者の 必要性を説き 人の管理について 綴っています ですから彼は経営陣で キリスト教の経営者でした このためキリスト教徒は 大変事務的になりました 全てに 時間は定められ このように来なければ 座らなければ 話さなければいけない キリスト教徒である国も 公式にそれらを 守っています なぜそのように 事務的なのか 理解していません アギヤを開いたキリストが 為したこととは反対に このようなことが 築きあげられました キリスト教徒の国は 世界で最も傲慢で 最も攻撃的な国です 彼らは 目に着く土地は支配する 権利があると思っています 彼ら自身の 法律や議会を 設置する権利がある と思っています 今日でさえこれは インドのプンジャブのような 場所でも起きています ほとんどの者は 質素に暮らしていて 大変勤勉に 働いていますが 支配的な者や 利用しようと する者たちによって 常に 攻撃にさらされています キリスト教徒として このように振る舞うのは ばかげています 人々を改宗させようとします 改宗させるのは ナンセンスです 南インドで 彼らがしたことは・・・ インド人は決して パンを作りません 南ではオーブンの 使い方も知りません そこで彼らは大きな ケーキのようなパンを作り 水または 井戸に入れました そして “牛の一部を そこにいれました” と言うのです 人々は信じました そして“あなた方はもはや ヒンズー教徒や” “他の宗教に 属していません” “今やキリスト教徒になりました” と告げました そのように 何千もの人を虐げ キリスト教徒に 改宗させました このような虐げられた者たちは キリスト教徒を望みました キリスト教徒もまた 宣教活動に従う 疑惑の持たない 者たちを 望んでいました 人々には教育がなく 彼らが 何者か理解する 知性や理解力も ありませんでした 虐げた者に対して 彼らが宣教を始めると 多くの者も 入信しました 彼らは自身の同志を見つけ 事業を始めました いかに人を 支配しようとする性質が 特定の宗教を 受け入れたか 理解すべきです 宗教とは謙虚さの 何ものでもありません キリスト教の責任者が いかに人々を 愚かな者へと変えたか 理解すべきです それは人間の性質で いかなるナンセンス あらゆる残虐 あらゆる抑圧をも 楽しみます 彼らは支配した領域を 決して断念しません 今ではキリスト教徒の国は それ以上です キリスト教徒の間で 自由が与えられているためです 彼らは自由です “好きなことをしなさい より良くなるでしょう” “あなた方は大丈夫です” 彼らこそ 支配する者です そして支配される者が 至るところにいます 彼らはいわゆる 先住民といった 普通の人のところへ 行っては改宗させます 主な活動は 改宗させることです 多くの者を改宗させる 必要は何でしょう 人数が民主主義において 重要だからです 数の獲得のために 改宗させました それは多大な 破滅をもたらしました キリストの 後の状況に 大変懸念を抱きます 今日 あなた方皆 サハジャ ヨギです 他の者より高みにいます あなたには 全ての力が備わっています あなたがキリスト教徒 のように振る舞えば どうなるか 分かりません サハジャ ヨガがあらゆる 国で受け入れられ 人はサハジャ ヨギである 者に敬意を払い 地位がある状況に 置かれています そこで突如 権力が あなたの頭によぎり 独裁者のように なろうとするかもしれません それは人間の性質です 神聖ではなく 人間の性質です 例えば 動物の世界では 互いに攻撃的です それは許されています そこには支配における体系や やり方 法則があります 誰にでも飛びかかる ようなものではありません サハジャ ヨギの中でも リーダーに指名すれば 大変になります その者は皆を 仕切り始め リーダーにしなければ 次から次へと私に 手紙を書きます “マザー 私は リーダーになりたいです” そう彼らは 主張し続けます 何のために他の者を支配する リーダーになりたいのですか この支配欲はサハジャ ヨガに 必要ありません 今日私は 死を超越した キリストの 美しさについて お話するためにいます 同時に 彼の死における概念 ネガティブな思考 全てが克服され なければいけません あなたは自身の 主でなければなりません それによって あなたは大変癒され 幸せに感じなければ なりません 人に与えることについても 同じです 人から何かを奪うよりも 大変簡単です サハジャ ヨガが これら全てを あなたに教えたことは 大変驚くべきことです サハジャ ヨギは 大変すばらしく 大変美しい者たちで 愛深く 親切であると 人に言われなければなりません あなた方皆が 個人的にも コレクティブにおいても 大変 偉大であると絶えず 耳にするのを望みます しかし この偉大さは 支配すること あるいは誇示することによる ものではなく 内側から来る偉大さです 人はあなたを見て 何かであると知ります そのようにして サハジャ ヨガは広がります あなたの中で 目覚めるべきはキリストです 導くのは あなたの中のキリストです 他者に対しての 振る舞いや 信用をどう得るか あなたの中に流れる 愛と平穏をどう与えるか 幸せで 喜びに満ちた者に どう変えるか教えるのは キリストです これが 復活のメッセージです サハスララを貫く メッセージです デヴィ マハトゥミャムでは この卵について 大変驚くべき形で 明記されています いかにこの卵がつくられ 二つに分けられたか 内一つから キリストが生まれました もう一つからは シュリ ガネーシャが生まれました 全て記されています しかし キリストは マハヴィシュヌとして記されています ですから マハヴィシュヌとなって これら全てを すばらしいこと全てをします 真のメッセージであり キリストの人生が 美しく書かれています これを思考のない状態で 意識することができます その光を 人生を通して 表さないといけません 私たちには それが可能で 自身の内でのみ 私たちは全く完全であると 世界に 示さなければなりません 私たちは他から 何も望みません 自分が得たものを 他の者にあげたいだけです 人々はそれをあなたに 全てのサハジャ ヨギに見ます 皆さんに 神の祝福がありますように キリストのことを考えると 起きている状態でいるのは 難しいようです キリストのことを考え 彼のことを話す時 現代において 起きている状態でいるのは 難しいようです 人は 彼のような偉大な者 偉大な人格を 全く 理解できなかったからです 彼は神聖でした 完全に神聖でした それにも関わらず 演じました 苦しみを経験しなければ いけませんでした いかに 自分自身を 十字にかけ いかに亡くなったか 思い出すだけでも 心が痛みます しかし大事なことは あなたのために したということです 全て彼のおかげです クンダリーニの覚醒を助け 大脳辺縁系を 突き抜けることができたのも 彼の働きでした キリストの犠牲がなければ これら全ては不可能でした あなたはその犠牲を 受けるに 値しなければなりません 起きたことは 大変象徴的です あなたは 人類の解放に できるだけ 犠牲を払う準備が常に できていなければなりません 今の時点で 真実の探求を忘れなさい 全てを忘れなさい あなたが聖人であると 常に覚えておくことが 必要です あなたは キリストの犠牲によって 祝福を授かっています 大変重要です 神の祝福が ありますように […]

Shri Buddha Puja, You must become desireless Brielpoort Deinze, Deinze (Belgium)

Shri Buddha Puja, “You must become desireless”. Deinze (Belgium), 4 August 1991.
今日 私たちは ブッダ プージャのために 集まりました ご存じのように ブッダは王子でした ある日 彼は 貧しい男を見て ショックを受けます やせて通りを歩く とても不幸な人でした 彼はそれを 悲しく思いました 次に彼は 病気で 瀕死の人を見ます 更には 亡くなった人を見て 人々は泣きながら 火葬場へ 遺体を運んでいました 彼は これら全てに狼狽し 考え始めます あらゆる人間的な 現象に対して 理由を探し始めました まず なぜ人は それほど 惨めになり または 病気になるのか なぜ人はそれほど 不幸に亡くなるのか 彼は ある意味 世界中を旅し ウパニシャッドを読み グルの下へ行きました 精神的教えを受けるため あらゆる場所に赴き ベナレスや多くの場所に 行きました 最後は 菩提樹の下に 座っている時に 突如として彼の クンダリーニがアディシャクティ によって覚醒しました そして 悟りました これら全ての原因は 欲望にあると 悟りました サハジャ ヨガでは 私たちは 他のすべての欲望は 純粋ではないことを 知っています 第一に どんな欲望であれ 満たされたとしても 満足することはありません 第二に 欲望は 悪影響をもたらします では 純粋な欲望とは 何でしょう ご存知のとおり クンダリーニです クンダリーニとは 純粋な欲求の力です 精霊になろうとする 欲求を与えます ブッダつまり 目覚めた者となるための 欲求です ブッダとは “悟りを得た者” という意味です なので ゴータマが ブッダになったということです 皆さんが 今はサハジャ ヨギに なったようにです しかし 彼は様々な 苦行を経たので すでに学んだことが 身についていました サハジャ ヨガは 全てがサハジャ(自然)です しかし 私たちは何でも “これも結局サハジャだから” と結論付けます そして 何かをしようとする際も “最後は自然に上手くいくよ” “いいよ マザーが全てなさるから” といつも言います これはサハジャ ヨガで よく見られる間違いです あなたに長い経過を課すか それとも すぐリアリゼーションを与えるかは 私の問題でした 混乱した今の時代には あなたに長い経過を課す 時間はないからです ブッダにはできましたが あなた方には困難でしょう 何人やり抜けるか わかりません ほとんどが途中で 脱落するでしょう なので それを サハジャにしました あなたは菩提樹の下で座ることもなく リアリゼーションを得ました クンダリーニが 引き起こされ 自らを悟りました ですが ブッダのような悟りが あなたに起こったわけでは ありません チャクラがブッダほど 浄化されていないからです でも 体も心も ブッダと同じで リアリゼーションを得た際の 態度も同じです 私たちは神の家を 探していたので 未だ 神の家ばかり 見ています ですが あなたは もう入っています 窓の外を 見ないといけません それを忘れがちです 私たちは 丘の頂に座っていて 交通渋滞などから 自由なのに まだ車を見ながら 恐れています 自分が丘の頂にいることを 知らないのです お母さんが あなたを そこに置いたのに そのように あなたは 振る舞っています 自分が リアライズ ソールだと 解っていないヨギの話を 耳にすると驚きます それゆえブッダは 無欲について唱えています リアリゼーション以前には 無理なことです 後ですら難しいようです ある微妙な欲求があり それを あなたはワークアウト しなければなりません しかし“エゴがキャッチする” と言って ワークアウトさせません つまり状況に合わせて あるやり方をしたり 別のやり方を したりするのです あらゆることの解決は 一つです 私自身 見つけたことですが コレクティブな現象が 解決するということです 個人では人は エゴを克服できません 個人主義の人は エゴを克服できません 個人的に生活し 全てを個人的に 楽しむ者は エゴを克服できません 例の苦行を 経ていないからです でなければ 個人主義の者は苦行を経てから 戻ってきたほうが 良いでしょう ですから 解決は 全てのチャクラを 浄化することです 人生そのものを コレクティブの中で 浄化します これが エゴの問題の 解決法です 以前なら 皆が個人的に ワークアウトしていました ヒマラヤに 行かなければなりません グルに付いても 追い出されたり また別のグルに行っても 追い出され 生まれ変わっても 再び追い出されるでしょう 最後にグルに 受け入れられても ムチ打たれたり 拷問にかけられたりします その上でようやく その個人に近づく グルがいれば リアリゼーションを 与えられるでしょう そんな状況でした ですが サハジャ ヨガでは ドアが開かれているので 誰でも入れます リアリゼーションを 得られます 私はコレクティブに 信念があるので コレクティブでの生活は 間違いなく あなたに ブッダが個人的な 努力を経て得たものを 与えるでしょう しかし そこでも 私たちは どうコレクティブになればいいか 分からなくなったります 個人主義はいつも 私たちについてまわります なんでも個人的に考えます コレクティブが良いところは サハジャ ヨガも上手くいき 良くないところは 問題が生じています 自分自身を 見つめることは とても大切です 自分がどれほどコレクティブか 見ることです コレクティブを 楽しんでいるかどうか コレクティブを 目的にしているか カベラという場所について 思った時 すぐにその川の畔に アシュラムを建てよう と思いました “マザー 自分の家を 買ってもいいですか” と尋ねる者がいました すぐにです 何が目的でしょう “マザー うちに食事に いらしてください” “お茶にいらしてください” と言います 私には興味がありません サハジャ ヨガでは あなたが コレクティブにならない限り 上昇も 自分を磨くことも 浄化することも 不可能です ブッダもある意味 言っています “ブッダン シャラナン ガッチャーミ” まず “私は自らの悟りに帰依します” そして “ダンマン シャラナン ガッチャーミ” “ダルマ 徳に帰依します” それは スピリチュアリティです そして 彼は三番目に “サンガン シャラナン ガッチャーミ” サンガとは コレクティブのことです “私は自らをコレクティブに 帰依します” しかし 彼はリアリゼーションを 集団に与える方法を知りませんでした なので 弟子達は 頭を丸めなければ いけませんでした 身分や性別に関係なく 一枚の布をまといました そして 大部屋で 一枚のマットの上に 寝ました 結婚も夫婦も 全く存在しません 村で施しを 乞いに行き それをグルや 自らの食事としました 不十分で あったとしてもです これは サハジャ ヨガでは ありません サハジャ ヨガでは 最初からなんでも楽しめて あなたは完全に 喜ばしい人のはずです しかし コレクティブの歓びを 知らずには 成長できません 他にはありません 苦行は無意味です コレクティブを 楽しむようになるまでは 苦行だと 感じる者もいます すぐ問題を起こし とても批判的です アシュラムにいながら 人を批判ばかりする者もいます 完全に 高次の意識を持つ者は 洗脳されません 完全な意識と理解でもって コレクティブに ならないといけません これが 私たちの浄化の 解決法です 例えば 私の手が 汚れているとします そこで 蛇口のところへ行き 一滴しか水が出なければ 洗えません そして別の場所へ行くと 水が出ません 三番目の場所でも 何もない事を知ります 最後にようやく 少しの水を見つけます そこで完全に洗うでしょう 他で無理なのを 知っているからです しかし サハジャ ヨガでは あなたは コレクティブの水に 浸っているのです あなたが それを楽しめて 泳ぐことができれば 何の問題もありません ブッダはご存知のとおり ライト サイドで作用します アギヤです 驚くことに 彼のような神格が ライト サイドで作用します まず 彼はライト サイドにおいて 執着しないこと 無欲であることを 唱えています 無欲なら 何も得るものがないのなら 誰も何もしないでしょう 普通の場合はそうです ですが あなたは 無欲に働く必要があります そうして初めて ライト サイドが 克服されます とても象徴的です 普通 ライト サイドの人は 痩せています しかし ブッダは太っています ライト サイドの人は 往々にして極端に真面目です くすぐっても 笑わないくらいです ブッダは両手を広げて 笑い 楽しんでいました この対比を見てください なので 無欲に働いて 初めて そういった意識が 持てます いつも 笑っていられるでしょう しかし 自分がやっていると 考える者 何か欲がある者 金儲けを考えるような 低級な者は 意味のないことを続けます それはどんどん 巧妙になります 人が精妙になると 色々な欲も 徐々に精妙になるものです 気を付けなければ 急に出てきます 彼はライト サイドに 位置し レフト サイドへ 渡ります 彼は言っています “ライト サイドにおいて” “無欲であれ”と なんという対比でしょう 特に西洋で何かをする度 ため息するのを見かけます スプーンを持っただけです そして そのまま座ります 私が全く疲れないので 驚かれました 私は何もしていません 欲はありません 実際何もしません ニシクリヤです 何もしません このようにあなたが 帰依した道具になれば 自分は何もしていない と知れば ライト サイドを マスターすることが できるでしょう どうやって マスターするかというと 何もしないことです どの店でも とにかく入れば 何か見つかるでしょう 何もせずにです 無欲でいれば 思いもしなかった事が 突然 現れるでしょう すぐそこに あなたのためにあります ただ受け取りなさい なので 何かを 達成しようとして 働くと 反動が返ってきます どんな行動も 反動があります 無欲な行動は 反動がありません そもそも 無欲だからです どこかで私が 道に迷ったとしましょう 慌てることはありません そこに行く必要が あったのかもしれません 何かを買おうとするときも 城だとしても 同じです 買うべきことと 欲は異なります “イタリアに家を買います” と急に言うこともあります そして城を見たところ よくありませんでした 構いません 次の城は “いくら出しても買うべきです” と皆が気に入りました 場所が気に入りませんでしたが “皆の願いを叶えましょう” と言いました しかし 皆だまされました 結局 彼らが乗り気でない 別のを買いました 私はそもそも無欲だったので 満足しています すると 最高の結果と なりました 結局 最高のことが 私には起こるからです なんであれ 私に起こることは 最高のことだと知っています 常に 私や サハジャ ヨガのために 起こります 誰かがサハジャ ヨガを 批判するとします すばらしい インドでも ある雑誌で ラジニーシが ある人物を通して 私を批判しました その女性は私の写真を盗み 勝手に譲渡しました 私の家族は憤慨し 兄弟も夫も 訴えようとしました 私は“その考えは好みません” と言いました それでいて デリーでの 最初のプログラムは 大勢の人が来ました 車で入れないほどでした 会場の外まで 人が溢れていて ホールの外に スピーカーを 設置したほどでした どうやって来たのか 尋ねると 彼らは “あの週刊誌の写真を見て” “興味を持ちました” と言うのです 何も読まずにです ハルシもそうです 多くがそうやって来ました ただ写真を見て来ました ですから 写真が盗まれたものの 良かったのです 相当な費用がかかるところ 全く宣伝費用もいらずに 写真が掲載されたのです そして私の家族も その雑誌が 半年間休刊になり 莫大な損失を 出したのを見ました それも 私は願っていません 無欲なら あなたは幸せです 落ち込むことが ないからです イライラもありません 無欲というのは 禁欲主義者のように なる事ではありません 期待をしない ということです “これをすればこうなり あれが起こるから・・・” 心配しないことです したいことをしなさい ひとつ覚えておくことは あなたに何も ひどいことは起きません 悪いことが起こっているなら 何かあなたが間違っているということです もうひとつ言います 私は少し転びました 少しだけです すると “家から出ないほうがいいです” “雨なので関節炎になります” と言うのです そんな事はないのですが 家にいる機会を得て 本を書きました 転んで良かったのです でなければ 招かれたでしょう 家族も 休日で家にいて この四、五日で 書き上げることができました 落胆を最高に 利用するのです 落胆することがあっても 微笑み これもあなたの 新しい発見のため より良い何かを見つけるため だと知りなさい しかし コンディショニングは 強いものです だから“コレクティブでいなさい” と言います 例えば 私たちは インド人 フランス人と様々です 皆のコンディショニング があります インド人ならどこでも インド料理を食べたがるし とても難しい状況です その意味では皆さん どんなインド料理でも食べられます 私はインド料理を さほど好みません 美味しいけれど 栄養がありません でも あなた方は 何を食べても頓着しません 良いことです でも欲はべつです あえて言う必要もありません 例えば 女性に化粧品や重いものを あまり持ち歩かないように言いましたが ここに来る度に 大きくて重いスーツケースで 男性達が 手を痛めています 私は“みすぼらしい恰好で” “歩きまわりなさい” と言っているわけではなく 最低限にしなさい と言っているのです リーダー達の 競争もあったり 他の者の間でも 問題が起こります 西洋では食べ物ではなく 家庭の問題があります インドにもです インド人の妻や ギリシャ人の妻は 夫を自分に縛り付けようとします よくあることです ギリシャ人も インド人のように 夫や自分の成長を ダメにします それは事実です とても支配的です インドの女性は支配的ではありませんが 夫をコントロールしようとします 家を持とうとしたり インド人は コレクティブを知りません とても個人主義的です もちろん今は サハジャ ヨガを通して少しずつ 他人といることを 学んでいます 文化的に違う人もいます 自分の文化に固執しがちですが 良い文化は取り入れるべきです 普遍的な文化が サハジャにあるからです ですが 人は つまずくことが多々あります コンディショニングのせいです 故にブッダの同時代に 偉大な化身マハヴィーラが存在しました コンディショニングに こだわる人にとって 何が罰となるかを 指摘しました 彼は恐ろしいことを 話しました コンディショニングを 持つとどうなるか どんな状況に 追いやられるか どんな地獄に行き着くか 恐ろしいことを 述べました もちろん今日は その話をしません しかし 彼と同時代の聖人に 共通するのは ブッダやカビーラも そうでしたが カビーラはブッダほどでは なかったけれど 神について 話さないということです 神ではなく 抽象的な 形のないものについて 話します 当時 最もひどい コンディショニングは 如何なる神格でも 崇拝すれば 皆が 奴隷のようになる ということです モハメッドも形のないもの について話しました しかし 二人は 先を行っていて “神はいません 神について話すより リアリゼーションを得なさい”と言いました 私も当初 “まずリアリゼーションを 得なさい”と言いました でないと 誰もが ”私が神だ” と言い出しかねないからです だから 彼らも神について 話しませんでした 常に“神ではなく あなたの 自己が存在する”と言ったのです 彼らはニリシュワラと呼ばれ 神の話をタブーにしました 二人とも神を 信じませんでした しかし リアリゼーションは 信じました 彼らは 私が来て 神について 話すことを 知っていました ブッダは未来のブッダ つまり マトレーヤについて 話していました 「マ」は母を意味し 三つの形姿 マハカリ マハラクシュミ マハサラスヴァティを指します 仏教徒にマトレーヤについて 質問させれば そこでリアリゼーションを 与えられるでしょう 彼はマトレーヤについて 話しています マトレーヤがやってきて 神について話すことを 知っていたからです 彼らによると 人はまだ 神について話を聞く 段階ではなかった と言います それで “神はいない” と言ったのです リアリゼーションのみを 強調しました アトマギャーン 自己の知識のみです セルフ リアリゼーションです 初期の仏教徒は 当然ながら 皆 禁欲主義でしたが グノスティクスのように 精霊の涼しい風を感じる 体験をしていました ですが少数でした あなた達ほど 多くではありません ただ 質は とても高いものでした なぜなら 皆が 大変な 苦行をしたからです それで 彼らの質が 高かったのです その質の違いが 大きかったために 他の人々に 理解されませんでした 廃れてしまいました しかし ヴィディタマによって 禅がもたらされました ブッダの弟子です タオも起こりました これらはどちらも ブッダのサハジャ ヨガの 理想を体現しています タオは サハジャそのものです “それが如何に働くか” という意味があります 禅とはディヤーナ 瞑想という意味です どちらもクンダリーニの 覚醒を信じました 誰の脊柱も 叩きませんでしたが 後になって 瞑想に人を導くために 棒で叩くようになりました タオも禅も 仏教から出たものです 本来の仏教 と言うべきでしょう 上昇について話し 神については 話しませんでした しかし 目的は同じで ブッダ(自己)に なることでした しかし 廃れてしまいました 私は禅の代表者を 治療したことがあります なぜ カッシャパでないのに リーダーなのかと尋ねました カッシャパとは “覚醒した人”です 彼は“カッシャパは 数えて26人しかいなく” “6世紀に 始まりましたが” “ほんの何人かいただけで” “その後いなくなった” と打ち明けました あなた方は どんなに幸運でしょう 覚醒した人たちです 私たちの菩提樹は コレクティブです 私たちは コレクティブとして 一体になることで 自らをより精妙にする 必要があります それは 大変喜ばしく 美しいものです それができないと サハジャでは 成長できません 問題をおこしたり 皆に迷惑をかけます アテンションは悪く 皆が 耐えがたい思いをします ブッダのメッセージは もちろん エゴを 大きくしないことです しかし どうすれば 良いのでしょう まず 何をするにつけ “私がしているのではありません” と言うことです “これは マザーが 行っています” もしくは “神が行っています” “私は何もしていません” サハジャのために何かしている と感じているなら それを止めた方が 良いでしょう そうでなく “何もしていないけれど” “たまたまそうなったのです ただそれだけです” そうなれば あなたは 大きな達成を成し遂げます 二つ目は欲望です どんな欲望であれ 大きなものでも 小さなものでも 我が子や妻を 愛することであれ “私の” “私のもの” と言うすべて こういったすべての 欲求は それが満たされず 不満に感じるなら 何かあなたに非がある ということになります しかし コレクティビティを 理解すれば とても早く 成長できます インド人は 極めて信心深く 自制のある人々ですが コレクティビティに 欠けています 彼らがコレクティブになれば 突出できます 唯一 良い国はロシアです 共産主義なので コレクティブで 無欲です あらゆる欲求は 共産主義によって満たされ 他に選択肢が ありませんでした そしてコレクティブです ある意味 共産主義は 政府でなく民衆に合いました 反対に民主主義は 政府にくみして 民衆が苦労しました なので 私たちは コレクティブを学ばずに きたのです コレクティブは西洋で 早く発達するでしょう 疑いありません ずっと早いでしょう しかし 無欲にあまり なれないでしょう 歯を持つ人もいれば 食べ物を持つ人もいる状況です 自分をありのままに見て “この問題かあの問題かの どちらかだ”と理解するなら その偏りを正そうとするなら 解決できるでしょう 一つを解決することで 他も解決できるからです 中庸に立って 自分を見て “自分の欲は何か”と 一つ一つ数えなさい “私の欲求は何か”と問えば 私は無思考状態になります ひどいものです “何が欲しいか”と問うと 思考がなくなってしまうのです “エゴを持とう” と思っても どこから始めてよいか 分かりません “皆エゴを持っているのだから 私もあるのではないか”と思っても どうにも始められません 私たちには こんなコンディションングもあります 負い目を持つことです ブッダの時代には ありませんでした 負い目を感じるというのは 現代のやり方です 何らかのモダニズムに 違いありません なぜこうなるのか わかりません この現代のひどい “負い目”を浄化させる 役目を 私が 担うことになります ブッダの時代には ありませんでした でなければ 彼は 道を作ったでしょう 彼はレフト ヴィシュッディの 浄化を託しました なので 私のレフト ヴィシュッディが いつも痛んでいます これは特に 西洋でひどい現象で インド人には全くありません しかし これは克服できます ご存知のように ブッダもマハヴィーラも アギヤのセンターを サポートしています なので とてもクリアな アギヤ チャクラを持つには 一方では無欲になり 許す必要があります “クシャム”です クシャムとは許すための ビジャ マントラです ライト サイドのための ビジャ マントラです クシャム 私は許します そして レフト サイドは “ハム”です レフト サイドの人はいつも “私はダメだ”と考えがちです “私は良い”と 言うべきです “ハム”は“私は存在する” という意味です ハムとクシャムは必要な 二つのビジャ マントラです もちろん唱えると 作用します 今やあなたの息吹が 啓発されたからです まだ弱いですが 構いません あなたのマントラは 効きます これら二つのマントラを アギヤ チャクラの浄化に 使いなさい マハヴィーラは 解決法を持っています リアリゼーションの後 キャッチすると アギヤに 頭痛を感じます それがマハヴィーラ のスタイルです 何か間違えると 罰を受けます 何かに耽溺すると 罰を受けます サハジャに反すると 罰を受けます 私ではなく マハヴィーラがするのです 同時に働きます 賢くなろうとしすぎると 裏をかかれます この二つの力が 右から左へ 左から右へと働きます 右に行きすぎると 左があなたを強く叩きます 左に行きすぎると 右があなたを強く叩きます それぞれが 挟み撃ちのようです 一人は “欲を持つな”と言い もう一方で“はい 欲がありますね” と罰を与えます “子供が欲しい” と言う者がいます 子供を授かると“マザー なぜこんな ひどい子を私に授けたのですか” と言います 例えば 誰かが “マハラシュトラの女性と 結婚したい”と言うと 最近あったケースですが “マザー マハラシュトラの女性と 結婚させてください”と言ったので 特別な形で 罰せられました ”マハラシュトラの女性は もうたくさんです”と言います 私もあんなマハラシュトラ出身の 女性は見たことがありません 恐ろしいです こだわりの強い 女性でした “もうたくさんです” と彼らは言いますが “違います 他の皆は すばらしいです” “これはあなたに罰を与える為の まれなケースです” なので 何か欲があって 一線を越えると 罰せられます マハヴィーラによるものです 小さくも大きくもです 例えば ロンドンに 小さな男の子が来ました とても生意気な子です 何か買って もらいたがりました 普通の店に連れていくと そこにウールの 良いコートがありましたが 欲しがりません “大きな店に行きたい” “良いでしょう 私は行きませんが” と言い 父親に行かせました 帰ってくると その店で合成繊維のコートを 買ってきました 合成とは知らずにです いつも普通の店で 買い物をせず 大きな店で高いものを 買うので 高いお金を払い それを買ってきたのです サハジャ ヨギは 常に マハヴィーラがそこに 座っているのを知るべきです ブッダもそこにいて 彼は あなたに示唆を 与えます “止めておきなさい” “あまり欲を持たないように” 彼が限界を作ります でもそれに耳を貸さなければ マハヴィーラが正します ある程度まで行くと 頭痛がしてきて “マザー なぜ頭痛がするのですか” と言うのです 自分で招きました すごい自動の機械です サハジャ ヨギとして とても気をつけるべきです なので 今日の教訓は 内側からコレクティブに なる必要がある ということです 何であれ 文句や不満を言わずに コレクティブを 楽しむべきです コレクティブの もう一面は コレクティブを 乱用しないということです さもないと 問題になります 例えば バスルームの使い方を 知らない人がいます コレクティブであるなら 他者のコレクティビティも 尊敬するべきです あなたがいることで 他の人が気分を害することが あってはならないし 侮辱されたり 迷惑に感じたり するべきではありません なので コレクティブにいるときは 他の人があなたと一緒に いることを楽しむべきで あなたの存在を 楽しむべきなのです 問題は存在しません でも要求がましかったり 自分のことばかり考え その要求ばかりすれば コレクティブになることは不可能です 代わりに 苦労するでしょう 自動的に 苦労することになります これにきちんと 気づいて理解すれば あなたのアギヤは解決です 怒りについても “彼に腹が立つ”と 自慢げに言う人がいます 自慢しています その怒りをただ 許しに変えなさい すると 自分が 彼の問題に はまり込むことなく 彼が問題に はまって行くでしょう 怒りは あなたを乱しますが 許しは 彼を乱します 自動的にです あなたの最も大きな 武器が許しです ブッダの人格に それがよく現れています 許しは 自尊心を与えます どんなことにも乱されない という自尊心です まるで 船が 航海できるようです 浮かべて壊れるなら 船を作る意味はありません いつも心乱されている サハジャ ヨギに 何の意味があるでしょう あなたは航海に 適していないといけません 何にも 乱されることはありません 犬が吠えているとします 吠えさせておきなさい 象が犬を見て 水を少し飲み その水を祝福するように かけます そうすることで 頭は冷えるでしょう あなたに自尊心を 与えるでしょう そしてあなたが他者よりも ずっと崇高であると知るのです そのようにして エゴを取り除きます あなたにとって 最大の問題です “マザー どうやったら エゴをなくせますか” エゴは ユーゴー(you go) と言い換えられます この“自分”の意識がなくなった時 自己が現れます 傷ついたり 気分を害することがありますか 人を傷つけることが あるでしょうか 誰かに騙されたとしても あなたが騙したわけでは ないのですから 機嫌よくしていなさい エゴを 失くしたということは 自らを 委ねたということです 誰もあなたを騙せません わかりますか 誰もあなたを騙せません ある高次の力が あなたを守るからです この様にブッダを 理解するべきです ブッダの性質を 知る必要があります この様に エゴを溶かすのです “マザー 私はあなたに帰依します” と言う時 それは この酷いエゴを 完全に あきらめる ということなのです そうです そうやって エゴがなくなるのです ちょうど今 あなた方のアギヤが 開きました ほとんどがです 何を見ても 笑っていられるでしょう 自分をからかったり 何であれ ただ楽しむでしょう 神のご加護が ありますように […]