シュリ ラジャ ラジャスワリ プジャ (India)

シュリ ラジャ ラジャスワリ プジャ 1991年12月6日
インド、マドラス 今日、シュリ ガネシャ プジャを行います その前にラジャ ラジャスワリのプジャを行います 女神はいろいろな名前で呼ばれました 詩人アディシャンカラチャルヤは女神をラジャと呼び  ラジャ ラジャスワリは ”女王の中の女王””という意味です。 西欧では聖母マリアのこともそう呼びましたが、 これは異教から来ています。 聖書の中に 描かれている聖母からではありません。 つまり、何回も 聖書が書き直されたのことを示しています。  それだけでなく インドの聖典であるギタさえも書き直されています。  そのために全宗教は間違った方向に逸れ始め、  知識人はそれを利用し、 自分自身の考えを主張し始めました。 彼らが言ったり、書いたりしたことは 神聖な神とは全く反したものでした。 あなた達はこの地球上で最も幸運です。 なぜなら、現実を発見したから。  たとえば 神話が真実であり、 知的なものは事実でないということ。 人々を分離する為に使われたものは 真実ではないということを知ったから。 私たちが全ての宗教を信じているので いわゆる信心深い人々は 私たちに反発しています。 なぜなら、彼らは一つの宗教のみを信じ、 その他の宗教に対して戦わなけらばならないと思っているから。 全ての宗教を信じるということは 全く信心深くないという考え方です。 彼らにとって、私たちが全宗教を信じること 全てのインカーネーション(化身)を尊重し、 全ての神の統合を信じていることはショッキングなのです。 シュリガネシャを知ったことは、 西欧人にとって大きな驚きだったに違いなく、 インド北部でさえも、シュリガネシャが インド南部程、崇拝されていません。 特にこの地域とマハラストラには 8つのガネシャスワヤンブ(swayambhu)があり 皆、それを信じています。 盲目的信仰だと言う人もいますが、 あなたはシュリ ガネシャが私の後ろに立っているのを見たことがあるでしょう。 私の中にいるガネシャも。  つまり、ガネシャという神格は存在するということです。 シュリ ガネシャの半分が見えて、 半分は私のサリーが見える写真も見たでしょう。 これは全て シュリガネ‐シャという神格がいて ムーラダーラを通して、実際に活動しているということの証です。 この知識はインド人には知られていました。 何千年も前から。 このクチプディダンスも紀元前7世紀に始まりました。 つまり、シュリ ガネシャに関する知識は、 何千年も前からあったということです。 だからこの国の人々はスピリチャルに進化した。 聖人とは何で、 どんな姿で、どんな役割があるか知っていたのです。 隠された知識ではあったが、 聖人の言うことは何でも受け入れました。 そのことに関してエゴがなかったためです。 不可解なのは、 西欧人のエゴがなぜ、こんなに強くなったのか 今だに良くわからない。 エゴを通して、なぜこんなにアグレッシブになったのか 競争のせいだとか言う人もいますが、 どちらかというと西欧の歴史である、キリストは 謙虚さ以外何者でもないことが はっきりとあらゆる文書に表されているにもかかわず、その信者は アグレッシブです。 私たちが理解しなけらばならないのは謙虚さです。 謙虚はヴィナイvinayと呼ばれ、 シュリガネ‐シャの特質である‐ Vinayaka “Vidya vinayen shobhate” ”知識は謙虚さだけで飾られている。”という意味です。 昨日偉大な芸術家の謙虚さ そこにいた偉大なグル(指導者)の謙虚さを、 またアカデミーに私を招待してくれたグルは 数多くの奉納を行い、 まるで、女神に奉納するように 私とサハジャを 受け入れてくれたことに感激しました。 このカラクシェトラKelakshetraは 神智学協会(Theosophical Society)に支配されている 彼女は神智学協会のことはあまり気にしませんでしたが、 この大きな講堂を作り、 全てを芸術に捧げた 神智学協会の人をその中に入れることは許可しなかったが 私をこのように受け入れてくれました。 彼らの献身と理解がわかります。 聖人に対して謙虚になるということは、 この国の暗黙の法律です。 聖人に対するチャレンジや独占は許されず、 聖人が言うことは全て、受け入れなければならない。 シュリ ガネシャが私たちにあたえてくれるのはvinay – “vinay”とは謙虚さです。 謙虚さとは表面的ではなく、たとえば ”ごめんなさい“とか” すみません“とかではありません。 見た目や口先だけではなく、謙虚さは 自分の中から出てくるものでなければならない。 謙虚さはエゴによって、失われます。 エゴは人を惑し、 自分のエゴに気がつかない。 私がエゴのことを話すときも、 マザーは他の人の話しをしていると思い、 ”エゴがあるのは自分自身だ“とは思いません。 シュリ ガネシャはエゴを殺すことができる なぜなら、謙虚さのみが エゴをなくすことができるからです。 謙虚になるため、何をを見なければならないか? たとえば、皆さんが来たこの国には、 とてもシンプルな人達が所有物もほとんどなく、シンプルに暮らしています。 身の回りに洗練されたものは持っていない。 葉やプラントの上の食べ物を手で食べています。 ここに住んでいた西欧人は、 これらの人々は皆、原始的だと言った人がいた。 でも、この芸術を作り上げてきた業績をを見ると、 このような素早さ、このような飛び方さでも なかなか達成できるものではありません。 なぜこのように努力するのか それは芸術に対する謙虚さからです。 芸術は尊重されるべきで、 グルは尊敬されるべきです。 尊敬がなければ、物事を学ぶことはできません。。 インド人の血の中にそれがあると思います。 暗黙にグルに従わなければならないということを知っています。 そして、グルは多くの人々を指導している。 ここにはたくさんの女子がいますが、 グルの芸術を表現するためだけにいます。 グルはあまりお金をもらってはいません。 所有物もあまりない。 また、お金もあまり請求しない。 しかし、彼の献身は まるでシュリ ガネシャが母に対するような献身です。 完全に没頭しています。 他に大事なこと何もない。 謙虚になるため、あなたは 注意を他に向けてはなりません。 これは非常に大事なことです。 もしあなたの注意が、他の問題に向けられるなら、 もし、あなたがサハジャヨガに 他の理由で来るなら、うまくいきません。 心から謙虚に 完全に謙虚にならなければならない。 彼は純粋なので、謙虚です。 純粋でなければ、謙虚にはなれません。 純粋かどうかの証拠は謙虚さでわかります。 良い子供、純粋な子供は非常に従順で、 何を言っても従います。 私の孫ですが、‐以前ネパールに行った時、 とても寒かった。 孫の母親が ”子供達は頭に何もかぶろうとしない“と言ったので、 私は“1分でそうさせましょう”と言った 孫を呼び、ありふれた布切れを渡した。 “頭を覆いなさい”と言った。“はい” 子供達はそれを頭に覆いました。 きちんと覆って、形を整えました。 見た目は少し変だったが、子供達は気にしなかった そういうことが 欠けているのです。。 だから、深さが足りないのです。 コンディショニング(様々な環境的条件)だけではない そうとはいいません。 コンディショニングを超えた インド人でさえそうです。 謙虚になるのは非常に難しい。かなり難しい 西欧の影響というかもしれない。または 過去を忘れてしまったのかもしれない しかし、謙虚さは非常に大事です。 子供の頃から、私の場合、 キリスト教の家に生まれたが、まず母なる大地に触れて、 許しを願わなけらばならなかった 頭を下げて 両親の足元に触れる。 家族の長老たちも足元も‐そうでしょう。 家族の中で年長の人々の足元に触れる たとえ、年老いた召使でも、年上の兄弟の面倒を 見てくれた召使の足元もです。 そのような謙虚さが欠けています。 また、年長者が持っていなけらばならない尊厳も欠けています。 とにかく足元を触れるのは私たちの義務で、 年長者の話はしない。 これがサハジャヨガの美しい雰囲気を作ります。 しつこく“これをすることは謙虚か?と 聞きなさい。 “こういうことをして、これを言って、謙虚だったか?” 現在の問題はリーダーに対する批判である リーダーはふさわしいからリーダーになっているわけで もし、良くないリーダーだと分かった日には、その人を追い出します 皆さんもよく知っているでしょう。 それでも謙虚さがない。 謙虚さはエゴに置き換えられ、そのエゴが リーダーの中にエゴを植え付ける。 リーダはエゴイスティックになり、多くのリーダーが 追い出されました。 いったい、いつ、バランスが取れるのかわからない どちらを責めたらいいのか?メンバーなのかリーダーなのか とにかくマザーがリーダーを任命したのだから 謙虚になりなさい。 それには何らかの 理由があるはずで、 なぜリーダーと喧嘩したり、リーダーのあら捜しをしなければならないのか? まるで、リーダーに対して結成した組合のように シュリガネ‐シャはとても謙虚で、彼の ganas(天使)は ある意味ではもっと謙虚です。 なぜなら、かれらは 母親に対して、謙虚でないガナを決して許さない。 ほんの微妙な目の動きを見ながら戦う準備をしている そして、言われたことは何でもする。 彼らは母親の全ての目線の角度を理解し、 何をしなければいけないかがわかる このような献身のみが あなたをさらに深くさせる。 ところが西欧でのやり方は 私たちをもっと広げ、宣伝し、 自分のことをもっと話し、 自分のことをもっと自慢しなければならない そうすればするほど、成功する そういうことが毎日見られる。 ”信じる“と言いはる。 信じる、信じないと言っているあなたは誰? そういうことを言っているのは誰? あなたの自らのイメージはおそらく 偉大なパーソナリティ‐とか、プロフィールを持っていることでしょう それで、プロフィールを作る。全くうわべだけの、ナンセンスなものを 驚くことに、そのようなうわべだけのプロフィールに、 人々は頭を下げる。 おそらく、その人々も見せかけだけなので そのようなうわべだけの人に頭を下げるのかもしれません。 驚いたのは、有名な詐欺師がいて、 みんな詐欺師だと知っていているのに それでも、人々はその詐欺師の前で土下座をすることです。 たぶん何らかの物質的な 利点が欲しいのかもしれない。 何らかの表面的な利点が。 そのような人と一緒に写真をとることさえ、 素晴らしいこと思われています。 このような考え方はサハジャヨギとしての目を通して見なければならない。 彼らのジョーク、ドラマ、何が起きているのか それを思い起こして、自らに問いかけ、 ”自分に中にはそういうものがありませんように“と。 時々、私たちは他人を笑うことがあるが、自分達もその仲間に入っています。 一度、自らに問いかけ始めると、自分に中にそういうものを見ることができる。 “はい、それはあります”と。 ある国のあるサハジャヨギは 報告を受けましたが、突然、 “マザーから特別なパワーをもらった“とか “私はマハマタジ(偉大な母)”とか そう言った人がいた。 私でさえ、自分がマタジだと一度も言ったことがない。 あなた達は私をそう呼ぶが、自らそう言ったことはありません。 しかし、彼は”私はマハマタジ”と言った。 頭がおかしいと言うかもしれないが、 これは傲慢が 強くなり、 本人も自分が何を言っているのかわからないです。 同じように、あなた達のリーダーを 攻撃することで、リーダーのエゴを強化するのです。 攻撃すればするほど、人は反応をし、反応すれば エゴが強くなります。 今日は先ほど話したように、 ラジャ ラジャスワリRaja Rajeshwariを崇拝します。 今まで皆さんの前でこう言ったことはない。 グルギータを読みなさいと頼んだこともない。 また 一度も 聖母マリアが”ラジャラジャスワリだ” […]

Makar Sankranti/Shri Surya Puja (India)

Makar Sankranti – Shri Surya Puja. India Tour, Bombay (India), 10 January 1988.
これは 大変特別な機会です あなた方に ボンベイで再会できました そして あなた方は国へ帰ります 今日行われるのは 特別な類のプージャです これは 太陽へのプージャです マカール サンクラントゥ と呼ばれています マカールの意味は “南回帰線”です または “やぎ座の回帰線”です 今 太陽が 南回帰線から 北回帰線へ動きます 太陽と関係しているため 常に決まった日にちです 唯一 インドの暦で 毎年同じ日です 太陽によるからです しかし今回は なぜか分かりませんが 今月の15日になっています いつも14日です 今日 変わります 季節が 変わろうとしています 太陽は移動するまで 6か月かかります 南半球へ移動し 温かくします 明日から 北半球へ移動します つまり 今日は最後の日です 今日はインドで もっとも寒い日といえます この後 暑さが増します 夏季に吉兆なことを することができます プージャの後に 吉兆なことを行えます 夏は大変暑いですが 人々は太陽の活動や 温かさを望みます 太陽のおかげで 田畑の作物や果実 全てが育ちます そのため太陽がない6ヶ月間を サンクラントゥと呼びます ある意味災害です ヨーロッパ諸国 例えばイギリスや アメリカでは 太陽がない この時期は災害です ここでさえ そのように思われています サンクラントの終わる日です つまり災害の終わりです 人々は胡麻の入った 甘いものを食べます 胡麻は 熱を与えるからです ですから 今日は最も 寒い日なので胡麻を食べます 熱を蓄えて これからの暑さに 身体を調整します これはある意味 大変グロースなレベルです 十分な温かさを 保たせます またこの時期に 愛の温かさは 表されるべきである と言われています 最も寒い日だからです 人に優しい言葉を かけるという 特別なことをする と言われています より温かい国に住む者は 寒い場所に住む者より優しいです 寒い場所では 自然が厳しいからです 彼らの気質を 非難できません 自然が厳しいからです インドではどこにでも 住むことができます 木の下でも 森でも幸せに暮らせます 飲み水や水浴びできる 場所さえあれば暮らせます 世界で直面しているような 問題はありません 他の国は 外出に 20分かけて着飾ります ここではそのまま家を出て 夏の間 空けっぱなしにできます 自然に関して言うなら 何の問題もありません 夏季の自然は 大変寛大です 木は青々と茂り 人々は大変幸せです 全ての活動が 太陽のエネルギーによって 活発になります しかし 西洋では 太陽があまり出ません そのため人々はより家に留まり 暖房や他の機器に頼ります そして戸口を閉め ハートも閉じてしまいます 他者とのコミュニケーションが 難しくなります 南へ行けば あなたの国もそうですが 人はより温かく 素朴で とても寛容です 太陽のおかげで 人々の心は開き 客を招き入れるような 心になります サハジャ ヨガの 観点から見ると 太陽の経路は 右側です 月は左側です 月の経路において 人は望みを持てますが 行動することはできません 左の経路において 極端になれば破壊的になります 家にいて何もしなければ (今日失業の 問題がありますが) あなたは 考え過ぎてしまいます これは望みの エネルギーの作用であって 行動ではありません 行動なしでは このエネルギーは 大変破壊的になります それ故 “怠惰な心は悪魔の仕事場” という ことわざがあります 人が行動しないとき 行動が起こらないとき 大変破壊的になります ですから温かい国と そうでない国は 状況が違います しかし 温か過ぎる国 例えばアフリカでは 熱がありすぎが 問題のもとになります 赤道が通る地域は 強く熱せられるため 高い木が育ち 密林地帯になります その場所全体が 群葉で覆われ 陽光が届きません そして 暗闇が広がります この極端さは 寒季の極端さと同じです 当然そこは太陽が あまり出ないため 住む者は あまり成長しません 人は原始的であったり 大変攻撃的であったりします 彼らは動物から学ぶため 大変攻撃的になりえます ですから バランスが必要です バランスとは 望みそして 行動することです しかし 問題は 人間の環境にあります 労働の区分にあると 思います 国の中で 考える者と活動する者が 分かれています この状況では 何もうまくいきません スシュムナが作用する バランスが必要です スシュムナの経路は 位置でいう赤道です 赤道というより 母なる地球の軸です 母なる地球の軸は スシュムナです 作用されるべきです 軸はつまり バランスを もたらすものです 実際は 母なる地球の中に 私たちが軸と呼んでいる 大きな柱のようなものはありません 母なる地球の中に 軸と呼ばれる物質的なものはありません しかし それは エネルギーであり 広大な宇宙で 物凄いスピードで 地球を 動かしています それだけでなく 私たちのために昼夜を創ります 昼は働き 夜に寝ることで 私たちにバランスをもたらしています 太陽の周りを回ることで 地球の半分の国々が 夏季に太陽の恩恵に授かります もう半分は 冬季に恩恵を授かります この軸が作用させ 全てに働きかけます またこの軸は 宇宙の他の惑星や衛星から 必要な距離を保たせます この軸は 母なる地球の知性です 知性だけでなく 芳香であり 母なる地球の スシュムナの経路です この軸によって スワヤンブーが出現し 地震などの 現象が起こります この軸は動くものです エネルギーとして 捉えられます 様々な方向へ 溶岩層を動かします 様々な領域にぶつかって 地震を引き起こします また 火山も引き起こします 軸は何をすべきか分かるので このような現象を起こします この軸は 私たちを愛しています この軸は 季節をつくります 季節は 私たちに様々な種類の食べ物や 物を与えるために 美しく創られています 母なる地球の熱が 失われれば この地上に 何も存在しません 全てが凍り 雪に覆われ 食べ物もありません 月のようになってしまいます ですから 特別に創られました 太陽の熱によって 母なる大地は誕生しました つまり 太陽は 母なる大地の父と言えます 次に地球は月の近くに移動し 温度を下げました 完全に冷え 雪に覆われました そして 太陽の近くに 移動しました 生命が誕生可能な 地点まで移動しました その場所で命が育まれるよう 全てがすばらしく体系化されました 生命が誕生したことで 炭素が形成されたことが分かります 炭素は 同じ軸で形成されます 軸に熱があるためです 熱のエネルギーが 植物を炭素に変えます この炭素は後に 含水炭素あるいは 全ての有機体の生産の ための基盤となります しかし 生命誕生には その他に窒素が必要です 窒素は驚くことに 同じ軸の動きから 創られています この窒素が創られたとき 私たちにアミノ酸をもたらしました 私たちの内に アミノ酸が創られたとき 私たちの生命の起源である アメーバが誕生しました もちろん 全ての始まりは海です 海で窒素がつくられ 生命が生まれたからです 海から始まりました そのようにして 私たちにはアミノ酸があります アミノ酸の形成は 多様な 生命をもたらしました 進化の過程において 母なる地球は軸を通して 大きな役割を果たしました 同じように 人間にとって軸は 最も大切なものです 軸は私たち生命の 主要な原理です 私たちは自分の軸で 立たなければいけません 自分の軸で立たない者は 左か右に傾いて立ちます 完全に崩壊する 可能性があります 右や左に傾き過ぎるため 滅びます ですから 自分の軸は しっかり保たなければいけません しっかりした軸を 持たない者は 様々なチャクラや その者の資質に 影響します 自分の軸を伸ばしすぎる者は このように頭を反らせます 大変右に傾き エゴの問題が起こります 卑屈な者のように 頭がうなだれる者は 自分を 破滅へ追い込みます この両者には 問題があります 一方は支配的で 他者を支配して 破滅させるだけでなく 自分も破滅します 例えばインドは イギリス人に 支配されました フランス人も 他国を支配しました ポルトガル人も 他国を支配しました しかし 支配したことに対しての 反動がありました インド人は支配されたことによって 大変卑屈になりました 今日でさえ大変卑屈で あるべき 自主的な軸がありません 大変卑屈です インド人が西洋へ行くと さらに卑屈になります 彼らは白人を喜ばせようと 卑屈な行動を取ります インドで白人は 崇敬されるようになりました それが 白人のエゴを増長させ 今日そのエゴが 彼らを滅ぼしています エゴのため 破壊寸前です ですから大変 不自然で表面的です 人間にとって最も大切なのは軸だ と理解しなければいけません 軸は全ての人にあります それぞれの軸を尊重しなければいけません サハジャ ヨガで私は あなたを顔では知りません チャクラで どのようなスシュムナかで あなたを知っています 深いスシュムナなら 深い者だと分かります 表面的なスシュムナなら 上辺だけの者だと 分かります 親切に 振る舞っていても サハジャについて話し よく知っていたとしても 達人であるかのようにして 人を当惑させることを言ったとしても あなたの深さは 知っています 軸の深みが 何よりも大切です 軸が大変 深くなければいけません “軸は軸であって なぜ深く なれるのですか”と尋ねるでしょう 人間の内にある軸は 三巻き半に巻かれた 紙のようです その中心が ブランマの経路です ブランマの経路とは 大変細い 髪の毛のようなもので 髪の毛の細さのクンダリーニが 通ることができます 深い者なら ブランマの経路は太く 外側に巻かれている ものはより細いです 一方 深みのない者は 外側に被さるものが 内側より太いです そのような者は外見上 大変ダイナミックに見えます 知的で賢く見えて 容姿も良いですが 内的には 深くありません 深い者は 態度全てが素晴らしいです 大変 歓びを与える者です そうでない者に会えば 喜びに満ちているようでも 喜ばせようとしていても その喜びは 真に深くありません それは喜びを 殺すようなものです ですから 軸をより深めることは とても大切です これにおいて 私たちは 適切な配慮や 努力に欠けています 自然に 大変深い 軸である者もいれば ある意味 大変収縮された軸を 持つ者もいます この軸は 成長させなければいけません プージャに来れば 確かに軸は広がります しかし それは 一時的なものです その状態を保つには 自宅またはコレクティブで 働きかけなければいけません 自宅での瞑想で 働きかけなければいけません ただし真剣にすべきです ただの遊びであったり 軽薄であってはいけません 献身的なものとして 真面目にしなければいけません それは瞑想的なもので 神への祈りのようなもので 神へのプージャです そのような敬意で なされなければいけません 敬意はそれを 達成する鍵だからです 自分に対して また 人に対して敬意がなければ 達成できません まず人生に 敬意を持つべきです 人生に対して 何をし 何を無駄にしているか なぜ深くなれないのか 何らかの目的が あるに違いない 目的に向かっているのか このようなことを 考えるなら 自分のエゴと戦えると 理解できます 通常 人は些細なことで 戦うからです サハジャ ヨガでも 完全に無益なことで 戦う者がいます 戦いや喧嘩について 言及することすら 愚かしく感じます 深い者は あまりしゃべらなくても あまり 見せびらかさなくても 前列に座らなくても 自分の深さで 自分を表します それを通して より働きかけられます これを育むには 瞑想しなければいけません 大事なことは 毎日の瞑想です 食べない日があっても 寝ない日があっても 仕事に行かない日が あっても 日常的なことをしない 時があっても 毎日 瞑想しなければ いけません 中央の収縮された部分を より育むことは 大切な事です それが育まれると 自分について まず気付くことは 快適さを 求めないということです 物質的なことに 煩わされません 何であれ あなたは その上をいきます 自分が属さないものに 首をつっこもうとしません それから離れ “手に負えません 私が気にすることではありません” あなたの注意は 内側に向きます 内側に向くと 軸がより広がります ブランマの経路である 内側の部分です そしてさらに 広がり始めます 些細な事に関しても 例えば 私がある者に対して 言及せず 他の者に対して 言及するとします “マザーは私のことを 口にしなかった”と感じます あまりにも些細で 気に止めても 仕方ありません 深い軸がありさえすえば あなたは私といますし 私はあなたといます 完全に一つです 外側のこととは “他の者は素敵なサリーをもらえて” “私はもらえなかった”など これら全てが 頭に浮かぶなら あなたに何か欠けているものがある ということです 不満を言うでしょう “バスで 立たなければならなかった” 全くあなたは 快適でなかったということです 軸の広がりが あなたを快適にします それが快適にさせます どんな状況でも どんな地位でも どんな暮らしでも あなたに快適さを 感じさせます それ以外の快適さを あなたは欲しません それを瞑想によって 育まなければいけません 次にサハジャ ヨガは集合的現象 だと知らなければいけません 特にインドの男性は 自分で手仕事をしません 間違っています 全く自分でしないので 集合性にひどく欠けます インド人は 集合性において最悪です アシュラムも 建てる必要が あるのかと思う程誰も使いません 自分の家や家族 子どもたちにこだわり 集合性において最悪です インドの男性は決して 手仕事をしないからです 一本の釘さえ打ちません 多くがそうです 何かを修理するのは もっての他です 彼らは腰に手をおき 指示するだけです マラティ語に 面白い言葉があります “ラクダに乗って ヤギを追い払う” という言葉です これはインド人特有です 彼らは修理も 何もできません 何か広げ始める者がいれば 立って見るだけで手を出しません どのサハジャ ヨギも シャマダンが大切です シャマダンを しなければいけません シャマダンとは労力を 提供するということです それが 私たちに欠けています それにあたって 家をきれいにしたり 家の外観をきれいにしたり 庭の手入れをしたり 家にペンキを塗ったり 自分の手を使うべきです することがなくても 髪をといたり 何かできます とても簡単なことから 始められます それさえしない人も いるからです ひげも剃らず 誰かに任せたりします 彼らは完全に怠慢です 逆に西洋は 自分の手を使います 自分の手を使うので 大変コレクティブです コレクティブであることに プラスになります 一方 インド人には伝統があり クンダリーニや ガネーシャのことを知っている という利点があります 左側が望みで 右側が行動です アンバランスが生じる という話しに戻ります 西洋では 行動に移しますが ここでは考えるだけ 計画するだけです 全てが計画だけです 何も上手くいきません 計画を立て続けるだけです この10年間でデリーに アシュラムが一つ建ちました まるでタージマハールです 大して 大きくないのに なぜそんなに年月を費やしたのか 理解するのは難しいです これはサハジャ ヨギだけでは ありません 他も同じです 皆がそうだからです 全てが延期され 全てが 次の日に行われます ある人が来ても 他の人が来なかったりします 同じように学校で 足し算をしたり 問題を 解いたりしますが 一つの家を建てるのに 3人が働きに来て一人が逃げました そして 2人の人が働きに来て 一人が残り二人が逃げました 次に五人働きにきて 二人が逃げました いつ家が建つのでしょう 建ちません 逃げる人がいては 完成しません そのようです つまり 集合性の欠如です インド人は 行って何かを植えられる 場所を探すべきです そのような場所を探し 素晴らしい菩提樹の種を植え 共に水やりをして 育てるべきです その点で インドの女性は良いです しかし欠けている ところもあります 知性です 考えることです 考えていることと言えば “夫はこうです 夫のために料理をしなければ” 夫が食事にレモンを必要とすれば 家にレモンがなければ 女性はあらゆる場所へ行き レモンを手にいれるでしょう でなければ彼は 食べ物を食べないでしょう 食事を抜く時があっても 構いません それでも 女性はしようとします 夫の嗜好を 守ろうとするからです それで夫の分別も 保っています 男性は 大抵の夫は 虎のようだからです ですから餌を与え続けなければ いつ飛びかかってくるか分かりません イギリスやアメリカは逆です 夫がヤギで 女性が虎のようです 西洋化した インドの女性もそのようです 西洋に行けば 素朴な女性でさえ虎のようになります 突然の変貌には 驚きます ジーンズを 履かなくてもそうなります 南回帰線でも北回帰線でもない 母なる地球の軸を 持つべきだと理解しないと 人間はバランスを崩し始めます このバランスは 私たちの深みからきます それを深めていかなければ いけません サハジャ ヨガのことを 話すことよってではなく 実際 真剣に瞑想をする ことによってです 次にコレクティブの事を しなければいけません 例えば インドの建築家は 自分の手で 決して何も触りません 座って 設計するだけです 設計が終われば 勝手にさせます そして実質的な問題が 生じます 彼は一本も 釘を打てません 彼らはいわゆる ホワイトカラーです 手仕事には 全く役に立ちません 如何なる手仕事も できません 折りたたみ式椅子を持ちあげて 立てることすらできません 集合性に関して 破滅的な社会から 私たちは来ていると これらの状況化で 理解しなければいけません ですから コレクティブになりましょう コレクティブで 何かするようにしましょう インドでは集合性に関して 大変乏しいです 妻にも優しくしません 妻や子どもたちと 楽しく話しません 妻に優しくするのは 不道徳だと考えます 一方 西洋の人は コレクティブを重んじ 何であれ 妥協しようとし 家庭生活を 円満に保とうとします ですから両極端です しかしながらインド女性の 叡智のおかげで 家庭生活は うまく回っています イギリスの男性を見ると インドの男性が女性にする ナンセンスが耐えがたく見えます 彼らの振る舞いは 全く許されるものではありません 男女間のバランスにおいて 軸となるのは 家庭です 家庭が軸です 家庭内で どのような会話をするか 何を考え どんな問題があるのか どこに注意が向いているか どんな話題をするか 大変大切です その中で 家族に 何が起きているのか分かります 互いに 悪口を言い合っていては 夫が子どもに 妻のことを告げ口していては 妻も子どもに 夫のことを告げ口していては そのようなことが 続いていては しっかりした軸は ありえません 軸は 愛そのものです 利用するものでも 甘やかすものでもなく愛です 私たちのような国では 何が軸でしょう 私たちの国の軸は スピリチュアリティです 私たちは お金や発展への渇望を 乗り越えなければいけません まずスピリチュアリティです 発展する前に 国民がリアリゼーションを得れば ここにアメリカがもう一つできる という心配はありません 共産主義者になることも 何もありません 共産主義者は アメリカ人と同じです 気質において 違いはありません アメリカ人がロシアに滞在すれば ロシア人と同じように振る舞うでしょう そして また 逆も同じです 違いはありません 人のスピリチュアルな 成長を可能にする国において スピリチュアリティの軸が 最も大切なものとなるなら そして得られるなら 如何なる発展があろうと その国を 滅ぼすことはできません 戦争はありません 至る所に 平穏と歓びがあるでしょう ですから マカール サンクタントゥの日に サンクタントゥ(災害)は終わった と言いましょう 私たちを祝福する 新しい月の新たな時代を 待ち望まなければいけません そして私たちに 必要なエネルギーを与える すばらしい太陽の 日の出に サハジャ ヨガの黄金の時代の 出現を祝ってもらいましょう 神の祝福がありますように […]

Makar Sankranti Puja (India)

Makar Sankranti Puja. English part and Marathi part, Rahuri (India), 14 January 1987.
今日は太陽が 北回帰線へと 移動することを祝う日です 北回帰線は 地球の母性を象徴します 地球の母性です 北回帰線は 広範囲に渡りますが 南回帰線は そうではありません 広範囲において 大地に母性の本質の 異なった美しさを見せます 太陽が 新たな範囲へと移ります 私達は その変化を祝います 世界中に太陽の温かみが 行き渡るようにです 太陽の温かさは 神の愛の温かさを象徴します それ故 胡麻で作られた お菓子を食べて祝います 胡麻は熱を与えるからです この時期は 寒い季節から 暑い季節へ移るので 太陽の温かさに 身体を慣らすため 来たる暖かさや 太陽の温かさを象徴する 胡麻でできた 特別なお菓子を作ります インドは暑すぎますが 人々はこの時期を心待ちにし 温かい心で祝います この時期に 胡麻と砂糖を食べるのは 優しい口調で 話せるようにです “ゴッド ゴッドボラ”とは 優しい口調で話すという意味です 優しく話すことは とても大切です 中には乱暴に 話すことは賢明で 怒鳴るのは知性があるから と考える者もいますが 誰もそのような人は 好みません 例えその者が利口で 鋭く抜け目なくても テレビでそのような者を 見たいかもしれませんが 仲間や友達に なりたくありません 大変優しい口調で 話すことは 育ちの良さや良い文化背景や 神への畏怖の念を表します 神への畏怖の念を持つ者は 乱暴な話し方をしません 同じスピリットの輝きを 他者に見るからです 自分達と同じように 全能なる神によって創られた者に対して きつく当たったり 怒鳴ったりすることはありません 互いのこの愛深い 美しい関係を 特にサハジャ ヨギに なった後も 互いに優しく話すことで 表しましょう 優しくできる方法は たくさんあります ちょっとしたことに 優しさを添えることができます 尖った話し口調でなく 鋭い記憶力が必要です 私は何度もそれを 活かしてきました ある素晴らしい 行動力のある サハジャ ヨギがいました 車で一緒でした 彼は運転手か誰かに ナイフを盗まれ 大変怒っていました “貧しくて盗んだのでしょう 忘れなさい”と言いました 彼は“スイスの友人からの贈り物で 大切にしていました” “失くしてしまい 申し訳なく感じます”と言いました 私がスイスに行ったとき 同じナイフを買い 彼に渡すと 彼は言葉を失いました “昔の話しを なぜ覚えていたのですか” “どうやって 手に入れたのですか” “私は記憶力がいいのです それが問題なぐらいです” 記憶力があまりに良くて 相手を恥ずかしく思わせてしまうほどです 何であれ私は忘れません もちろんひどいことは忘れます 悪いことを覚えておくことや それを考えることはありません 許すことでいつも 悪いことは忘れられます 良いことを覚えているなら あなたの歓びは倍増します 悪いことを覚えておこうとすれば 歓びはなくなります 人と会う度にその人が あなたにした良いことを その人の良さを 思い出しなさい 良いことが記憶に残れば すばらしい時間を持てます 今日は皆さん インドに発つ日です 明後日出発する者もいます いずれにせよ あなた方の為に 歓びと幸せを与えるために 精一杯のことがなされました 帰国しても耳にしたことや 素晴らしかったことを覚えていてください 人々がいかにあなたを称賛し 愛し 親切であったか 素晴らしい出会いや経験を 覚えていてください 価値のないことを くよくよ考えてはいけません 人に不快なことを言われたり 言ったかもしれません 忘れなさい 人生を楽しむチャンスを 台無しにしていると理解しなさい 誰も傷ついていません たくさんの人との出会いがあり 結婚式があり 素晴らしい時間を持ちました どの瞬間も歓びとヴァイブレーションに 満ちていたと 幸せを感じなさい 中には悲しく思う者も いるでしょう 奥さんや旦那さんが 帰ってしまったりするからです 惨めに思う者がいるのも 見受けられます 良いことです 愛ゆえに互いへの思いや お互いを楽しんでいるからです 大変良いと思いますが いずれまた会うわけですし かけた言葉や楽しい思い出を 胸にハッピーでいなさい 時間は早く過ぎます サハジャ ヨガにいると 時間を忘れます そして また旦那さんや 奥さんと一緒になれます ですから悲しく 思うことはありません 笑顔でいなさい 彼らが出発するとき 涙を浮かべた顔ではいけません 希望ある確かな 勇気に満ちた顔で送りなさい すぐ会えます 悲しむことはありません 今日は全てを楽しみ 私達の周りにある 神の恩恵を感じる日です 太陽がその栄光において 戻ってきました 来たる年の成功を 望まないといけません マハラシュトラでは しばらく雨が降っていません 問題になっています 太陽に幸運を祈って 雨が降るよう 太陽のエネルギーで 必要なことがこの国にもたらされるよう 祈らないといけません 国に戻っても 太陽のように 輝かないといけません この国より暑くありませんし 温かさもないからです この国の人々が温かく 愛深いのは太陽の恵みです その太陽を持ち帰り 人々に愛情と温かさを与えなさい インドより持ち込まれたと 感じてもらいなさい どの国へ行こうと 太陽は明るく照らします インド人は太陽を持ちこむ という云われがあります 実際ポケットには 入りませんが ハートに入れているようです 太陽が素晴らしく輝いていたのは そのせいかもしれません 皆が全てを楽しみました ですからあなたは優しく話し 互いに思いやり 助け合い 親切にすることで 太陽を携えないといけません なぜならあなた方はヨギです 普通の人ではありません 徳や善 慈悲 愛深さを持つ 代表者です あなた方に幸運を祈ります 旅行を楽しみなさい 全てを楽しみなさい ここで得た歓びを 他のサハジャ ヨギに サハジャ ヨギでない人にも 与えなさい 神の祝福がありますように […]