Sahastrara Puja, Continue To Live A Life of Reality Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Sahastrara puja, “Continue to live a life of Reality”,. Cabella Ligure (Italy), 9 May 2004.

今日はサハジャヨギとしての 人生でとても大切な日です サハスララが開いた日です 真にカリスマティックなことが起こりました 私の生きている間に出来るとは 思っていませんでしたが できました そして皆の多くのサハスララが開きました それなしでは真理を知ることは できなかったでしょう 皆同じように人生に迷っていました 第一に サハスララ以外に現実を知り 理解する道はありません あなたは現実とは何か 悟りました そして現実を知っている意識を 楽しんでいます サハスララが開いてそれを知ったのは 大きな恩恵です でなければそれはただの話にすぎす 意味がありませんし 理解もありません だからまずサハスララを開きたかったのです それができました 上手く行きました それで皆さんの サハスララが開きました 特別なことです こんな多くのサハスララが開くとは 誰も信じられないことですが 私には皆の頭上にハッキリと 光が見えます 間違いなく素晴らしいことです 誠実な探求のおかげです 誠実に探求したから 得られたのです 私は何もしていません そこにたまたまあなたがいて ランプを灯すようにしただけです 大したことではありません あなたがその意識に至ったのです 悟りの意識です それを求め 作用させ 努力をしたから 得られたのです 立派なことです 私の手柄ではないと思います 私はサハスララを開いたけれど それをあなたが体得していくのが 私にはとても嬉しい だからあなたは理解できます サハスララが開くまでは 話せません 何も通じません わからないからです サハスララが開くことで 理解が大きく進みます それが皆に起こりました だから嬉しいです 多くの人がここに座り サハスララを開きました 更にに来ていない人も多くいます つまりこれは人類にとって大きなことで 集団でサハスララが 開きました それによって初めて 究極の真理がわかります リアリゼーションの後に知ることは 何であれ究極の真理です それを議論したり 疑いません それを知って受け入れます 知識としてです 全てがあったのは良かったけれど 開いていませんでした それが開けば私のことが解る それも聖なる法則です サハスララが開いたのは 偉大な神の恵みですが 何もしていないと言うかもしれないけど 違います あなたの真理の探求が 真摯でありはっきりしていたから 真理を知りたいと望んだから それが叶ったのです でなければどんなお金も 多大な努力も 何も上手く行かなかったでしょう サハスララは自分で開く必要があります あなたの準備ができていたから すべてあなたが自分でしたことです それによって美しい事が起きましたが 私の手柄ではありません ハッキリ言います 私が教えたように サハスララが開くのが大切です それ以上話すこともなく 質問もありませn サハスララを開くことによってのみ 何が真理か分かります この美しい状況で 母として何が言えるでしょう 現実を理解して行きなさいと それだけです 全てにおいて 真理がありますが どうやって成就した真理を使えるでしょう 人々は迷っています 知識がないからです 本からの知識は本物ではありません 知識は内面から来るものです 自分たちの中からです サハスララが開いたからできるのです どの国でもそれができています 世界中で起こるでしょう 多くの人が悟るでしょう ただあなた達に一つだけ言いたいのは 感情的に執着しないことです 現実的につながるのです そこにあって それが起こり 働きます すると人々に悟りを与えられます リアリゼーションの大切さが分かるでしょう 使わないと リアリゼーションの力が分かりまsん なのでこの力の使い方を覚えなさい あなたの中にあります それは作用し始めました それは莫大な能力を与えるでしょう 歳なので 私の体調は少し落ちました でも疲れは感じません 皆さんに話していて 夢中になってしまいます 沢山のサハジャヨギがいて 沢山のサハスララが開き 皆がそれを愉しんでいます 実は質問を受けたいと思っています 質問をかいて送ってください のちにお答えしましょう それが良いでしょう ありがとうございます 神の恩恵がありますように サハジャに育っていきなさい 自分になっていきなさい 神の恩恵を 私の恩恵を授けます

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Sahastrara Puja, At Sahastrara you stand on Truth and go beyond Dharma Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Sahastrara Puja, “At Sahastrara you stand on Truth and go beyond Dharma”. Cabella Ligure (Italy), 4 May 1997.
今日はサハスララの崇拝に 集まりました ご存知の通りサハスララは サトルシステムで 重要な部分です 1970年に このチャクラが開かれ 私たちは何を 達成したのでしょう まずクンダリーニが上がり ヴォイドでダルマを確立します ナビ チャクラとその周辺で ダルマが確立され 内なる純粋な宗教が 確立します さらにクンダリーニが上昇すると ダルマの確立にも関わらず おかしな世間と距離を とり始めます キャッチや不道徳を 恐れるのでしょう その段階ではサハジャ ヨガの プログラムにでたり 私生活も全てサハジャにしたくなります これは大切なことで このチャクラが完全に滋養される 必要があるからです ナビの周りをスワディスタンが 回転していますが 脳にエネルギーを与える 大切な役割があり ダルマの確立時に クンダリーニを通して ダルマやサハスララに エネルギーを送り スワディスタンの力も流れ サハスララに上ります それまでは 完全なサハジャ ヨギではなく サハジャヨガかぶれだったりします サハジャ ヨギ以外の人に会うのを 怖がる狂信的な人もいました サハジャ ヨギ以外の人を 恐れ嫌がったりします もちろんサハジャ ヨガを 批判したり邪魔したりする 悪人とあう必要はありませんが 真理を求める人に会うのは 私達の義務です ダルマを超えた意識が脳で 確立されるとダルマティトゥとなり ダルマが自分の一部になり サハジャ ダルマが 内面化します それはすばらしく もう儀礼も必要なくなり 他者を気にする必要も キャッチしないので ヴァイブレーションを 気にすることもなくなります 誰にも乱されなくなります これはシャッダの完成形です サハスララが完全に啓発され あなたはダルマとなります キリストの例では 娼婦が投石されていると 売春とは正反対のキリストが その際石を握り言います 全く罪を犯していないものは 私に石をなげなさい 皆驚きました 娼婦の方を持つのかと 彼は宗教的な人なのにと 彼は真理に立脚していました あなたもそうなります サハスララにおいては 真理に立ちます ダルマと真理では 少し違い ダルマの人は過剰に 理不尽なまでに道徳的になり ライトやレフトにいってしまい 優越感を持ったり 他者をなぜ 助けなければならないのか 地獄に行かせればいい と思ったりします サハジャ ヨガで新しい技法を始めたり 人に指示を与える人を見ました 彼らはダルマに とらわれないので これがよいとかあれが 良いと言い出します ですが真理に到達すると 儀式は必要なくなります ダルマと真理に立脚しているので 気にしません 真理はダルマより高次です 真理に立つ者は 宗教やサハジャについて おかしな考えを 気にしたりしません これはサハジャだとか サハジャでないとかを超えます 自身に普遍的な真理を見ます そして見るだけでなく知ります 自分がそこにいることを 知っています そこにダルマの花が咲けば とても美しく 皆が体験すべきです ダルマだけでは まだ取れない要素が多く 人がエゴや金欲に 走るのを見てきました 私に無断ですべきでないことを 始めたりします それはサハジャ ヨガには 良くありません 謙虚さが欠けていて 真理か真理でないかが 分からないのです ダルマの基礎である 真理に立ち返るべきで 生命の樹は 脳に根差していて 身体が枝葉です 何事も根本が大切で そこでサハスララが 完全に確立されます サハスララが 全ての形の根本です ダルマを達成したとして なにがその根本でしょう なぜダルマを守る 必要があるのでしょう 守ってなくても 豊かな人が沢山います 外面的には 彼らは楽しくやっていて 私たちには それがないように見えます ダルマの意識においては 真理とは関係ないことが 大切に見えたりするのです このように ダルマの意識を達成しても サハジャ ヨギが 躓く点は多くあります 酒やドラッグなど依存から抜けだしても 語学が堪能になっても 行いが良くなって謙虚になっても まだ自分が道徳的だと 意識しています それは消えるべきです サハスララでは この意識がなくなります 真理が愛で 愛が真理だからです ここでクンダリニが ハートと出会います ハートのピタはここです クンダリニがハートを貫くと 脳に真理が流れます 愛が流れます 真理そもものと愛としての真理は 違うものです キリストは娼婦の側に立った時 真理に立っていましたが 彼の胸には 純粋な愛が流れていました 誰かに大して 純粋な愛があれば 全てを別の角度から捉え その人を違う角度で見て とても優しくなります でないと真理は とても苦く痛くもあります でも愛が伴えば 棘のない花になります 真理に立ちつつ 愛を与えるような そんな人格になるべきです 愛を表現するにあたり こんな例があります 私が誰かに会ったら その人が他人の 悪口ばかりだったとします すると私はその人と悪口を言っている 人の両方に強い愛を感じます なので完全な嘘を言います ですがある意味それも真理です あなたが悪口を言っている人は いつもあなたを褒めているのに そんなことばかり言うのですか もちろん 真実ではありませんが 友達関係を修復する という意味で 真理です これが愛の働きです 人を近づけ一つにします 差別的なやり方は消え 人心を一つにするための 方法は何かを分かろうとします あなた方が集合意識にあるように それも表面的には アシュラムを建てたり いろいろと 結果には結びつくものの 愛に満たされてはじめて 集合意識も完全なものとなります 人は平和を語りますが 集合意識なしには無理です そこにも 愛の原理が必要です 例えばドイツのヨギが イスラエルに行くとします このプージャにもイスラエルのヨギが 選ばれ とても嬉しく思います さらにイスラエル人が ムスリムにされたことを 忘れてエジプトにいくとします こうして愛の表現に惹かれていくのは 驚くべきことです サハジャヨギの仲間に対しての愛 それが育ちだすと そうして世界を変えられることに 驚くでしょう 人間の問題はほとんど 憎しみによるものです 誰かを憎むのは罪です 罪や悪を憎むべきで 憎しみのための憎しみでは いけません それがあらゆる問題を 起こしてきました 権力のために差別することで 多くの国が破壊されました 私の国もイギリスにより 分断されました これは止まりません それにより インドを去った国々は 皆大変苦しんでいます 国を分割しようとした人は 自分が首相になれるとか 考えましたが 殆ど暗殺され 憎しみがいかに現れるかが よく分かります 些細な事がそこら中に広がるのです どの国でも分裂が見られます 分ける必要は全くありません それは憎しみと問題を生みます サハジャヨガでも分裂を 考えてはいけません 先日ガンジスの畔に美しい 土地を得ましたが 皆別々の家や部屋を 欲しがるのです なぜでしょう 共同生活の楽しさをしっているのに 別々の家を欲しがるのはなぜですか どんな秘密があるのですか 結局ヴァイブレーションで 全てバレるのに ならどうして別の家や プライバシーが必要でしょう サハジャ ヨガでは プライバシーはありません 皆がお互いを知っています 何をしていて何が問題か どのチャクラがキャッチしているか そこでプライバシーは必要ありません 理解できません まだ計算が働いていて 彼らは相続を 気にしているのです 相続して良いといいました でも息子がサハジャ ヨギに ならなかったら どうしようもありません ルールや決まりでは人は 結びついて幸せになれず 純粋な集合意識と愛が必要です 私たちには組織も 聖職者もいません リーダーもしょっちゅう変わります 足場の悪い砂上にいる上に マザーは あらゆるトリックを使います あなたに岩の上に 立って欲しいからです 美しい聖なる愛と 歓びを放つ岩です 例えば特にインド人は 個別の浴室を欲しがります それが急にイギリス人のようになり 逆もあるのです なぜかインド人は 個別の浴室を欲しがります よくあるインド人の病気です 時にそれが人を離してしまいます コレクティブの生活では 必要ありません 浴室があるとかないとか 私は意識すらしません そこに行って帰ってくるだけです 同様にあなたも 海のような社会の概念を持ちなさい 波と同時に上下する 愛のユニゾンです 私はヒマラヤの麓に そんな社会を期待します 皆ヒマラヤがサハスララであると やがて解るでしょう サハスララ プージャの前に できたのはヒマラヤの恩恵です ヒマラヤはクンダリニが昇り ヴァイブレーションが空に出て行く サハスララのようで ヴァイブレーションが空に見えます 同時に憤怒するシヴァの領域で 危険もあります とても気をつける必要があり 憎しみや分裂など サハジャでないもの 分裂を選ぶなら 憤怒する神がそこに座しています メッカにもシヴァはおり 無作法をすれば怒ります シヴァはどこにでもいるので 常に気をつけるべきです マハラシュトラでは 違うタイプの サハジャ ヨガが始まり シュリ ガネーシャのお祝いの日に 酒を飲んでいると シヴァの怒りが大きな地震を 起こしました 多くが亡くなりましたが サハジャ ヨギは全員助かりました 大きな火事が先日もありましたが あなた方は守られて無傷でした 常に守られています だから シヴァの怒りが及びませんでした あなた方が 守護の下にいたからです この守護は母の愛に他なりません とても強くあなたを 守り 助けています 同じ愛を他者に向けなさい サハジャ ヨギにも他人や別の 母なる大地などにです あなたの愛が自分だけでなく 他者も助けます 自分のことばかりだと あなたの意識はどんどん小さくなり あれこれ欲しがりだします これが好き と言わないように 私は自分が何が好きか わかりません あれこれ好き嫌いをいう あなたは何様でしょう 純粋なスピリットなら愛だけです 愛において他者を思います 他者を心地よくさせ 世話をしようとして 自分だけにはなりません そんな境地に至りなさい あなたが道徳的でダルマがあり 全てにおいてサハジャヨギであっても サハスララのその状態になるまでは まだ大丈夫とは言えません やり遂げなさい それにはもちろん瞑想が大事で 考えがあれこれ邪魔をします 自分の心を見続けなさい どこにあなたを連れて行くか 何を吹きこもうとするか 自分の家は 子どもは 国はどうなるかと そうやって私の私の…と言ううちに 道に迷ってしまいます カビーラが美しく言ったように 山羊はメエメエと鳴きますが それは私は 私は…と聞こえます しかし山羊が死んで その腸が綿花を洗うのに 使われる時 トゥー匕 トゥー匕と音がします “貴方こそがその方です”という言葉です それが響き渡っていると だから同じようにあなた方も 他者の視点から 考えるべきです そもそもトゥー匕とは グルや神で 貴方こそがその方で 自分は何者でもない 自ら愛の大海と一体になり 貴方こそがその方ですと唱える それがサハジャの文化です 表では愛を伝え 裏では悪い企みをする そういったことは サハジャ ヨギはしませんし その境地に達しましたが まだ意識はしています 常にこれをしないように 酒を飲まないとかグルメでないとか 自分の境地を誇っています とても自慢気です 自分たちはこうですと 純粋なスピリットだと言いますが 実際そうなりなさい 自分が実際にそうなると人は 自慢しないものです アディシャクティであることを 誇りに感じますか と訊かれましたが 自分がそうであるなら誇る 必要があるでしょうか 自分がそうでなければ 誇りに思うかもしれませんが 太陽は太陽であり 自らを誇りません あなたも自分が人間であると 誇ったりしません 人間であると誇りますか 同じことで 自分であることは意識しません 自分はアディシャクティだとか 意識しません それが事実ですから 神がそう選んだならそれまでです それでよいでしょう でもある人びとは サハジャ ヨガがまるで 貴族のような特権階級と感じます 自分がそうなったなら ただそうであると理解しなさい 石が金に変わったなら それをわざわざ誇らないはずです なぜ誇るのですか 同じように 自分はサハジャ ヨギだと 意識しなくなります 気をつけて下さい サハジャ ヨギだから 何だというのでしょう 偉いわけではありません 自分に鼻があると誇る人はいません もうあるのだから 誇るものでもありません とても大切なことで 自意識はなくなると理解しなさい 全体の一部 大海の一滴だと 自他の境界を意識しないことです このような意識が育つべきで 喜びに満たされると 愛に満たされると それを見たり表現するだけです 話しても話さずとも 微笑むとも微笑まずとも 胸にあるのは歓びです ここのハートチャクラのピタが 真理の光で満たされます 真理とはいわゆる馬鹿げた 真実ではありません 誰かが“真理とは何か” ときくので “真理を語り 人を喜ばせることだ” と教えました サッチャンヴァデーツ プリヤンヴァデーツ それをどうやるかといえば 真理とは味の良いもので 人が好み 間違った人でも引き寄せると クリシュナは サッチャンヴァデーツ ヒタンヴァデーツ プリヤンヴァデーツ といって 真実を語るが 歓迎される真理を語れ それはスピリットを滋養し 善をもたらす真理である そしてプリヤであれ つまり人がはじめは ひどいことを言われたと思っても 後には言ってくれて良かったと それによって欠点が補われた と思うような真理 でもくれぐれも人を 不快にしないように あなたは人を正す役割はありません まずサハジャ ヨギは このチャクラがキャッチしている あのチャクラがキャッチしていると いつもエゴでたわむれていますが 人を責める権利はあなたにはありません 自分が責められてきたのに どうして同じことを人にするのですか ただサハジャ ヨガにおいて あなたが充分に成熟したなら 愛をもってそれに 挑戦するでしょう でもそれもやり続けないことです だれかの短所を指摘し続けることは 嫌なことを避ける言い訳です 例えば誰かが病気で医者がお手上げだと 医者はどうするでしょう 例えば寒い中外出したからだと そうやって説明します でも治療の方はどうなるのでしょう いや あなたがこうしたのが 良くなかったと そうやって過去の 間違いばかりを責めます 私達も同じです 何でこんなことをしたのか あんなグルにいったのか だから今こうなっていると そう責めずに治療しなさい もちろん責めたり批判せず 訊ねることはできます でも間違いを 責める必要はありません これは優越感によるもので 自分が何でも知っていると 思っているのです あなたは現に知識に富む グノスティクスですが その自意識があるうちは違います それが消えて初めて サハジャ ヨギになります このサハスララの発達を あなた方皆に期待します 世界について考え サハジャ ヨギや シーカーのことだけでなく 他にも目を向けなさい 多くの問題と仕事があります 例えばインドには貧困があります 私はそのために何かしようと思います あなたの国にもあります 問題を見つけ 運動を起こしなさい できるだけ助けようとしなさい それは賞や名誉のためでも 改宗目的の宣教でもなく 自分の歓びのためにするのです それは歓びなのです そうやってキャッチを恐れることなく 社会に出ていきなさい ある夫婦は 社会に働きかければというと エゴが出てくるのが怖いですと そういう人は他でもなく 自分を恐れているのです これら無意味な考えは捨てて 恐れのない意識に入りなさい あなたにはその力があります そのための特別な 力が与えられています でもその力を使わなければ ランプは光らなければどうでしょう 置物ですか 使うのです 意識すること無く 自分が偉大であるとか 優れているとか 選ばれていると意識せずに するとたちまち 慈愛と理解が広まります ありとあらゆる愚か者がいますが あなたは解っています 笑ってからかいつつ 問題を解決するのです そこでも人を傷つけないように 何をするにしても 上手く行ったか結果を見なさい ある人はより優れた類の 知性を持っています その知性でどう話すか どう人に関わるのかを知ります この聖なる愛であなたは自分を 完全に律せられるようになります どう振る舞い 話し 人を扱うか 人間の最大の 欠点はなんでしょう クリシュナによれば それは怒りで 私にとっては嫉妬です どんなものであれ嫉妬は アクのように出るものです サハジャ ヨガでも 人は嫉妬し たとえ表に出さずとも 人間関係において 問題を生みます 自分の心をみることです 嫉妬がないかどうか 時々私は心配になります 誰かにプレゼントすると 嫉妬を生んでしまうので しないほうが良かったと感じます マザーが忘れたか 足りなかったかもしれない だから良いのです でもサハジャ ヨガでは皆とても過敏です 例えば 私が 誰か特定の人に会うと もう終わりです 別の人がその人に嫉妬します 時々悩まされます 皆が何故か“マザー私に会って下さい” とせがむのです 私はどこにでもいるというのに 私と話す必要がありますか 私はあなただけのために いるのではありません 皆のためにいるのです 自分に特権があると思う人もいて 私と個人的に会わないと 気を悪くします これらはあなたが大海となれば 全てなくなります どこにいこうと気にせず ただ大海と一体です 上下に波で揺れるだけです これは愛の生きた大海です 見せびらかさず 支配せずに 育みなさい 全てが自分の中にあります ヒンディではアプネメといい 自己の内にあり 最高の楽しみです 自分が何か欲するなら 努力してそれを得ますが それが自分の中にあるなら 自分で完全に満たされます それより大事なことがありますか ありません 完全に満たされ ただ分かち合いたいと思う それがサハスララの理想で やがて世界がこの境地に達するでしょう そのサハスララが開くべきです それが私達の仕事で 浮世離れして瞑想にふけるだけでは 途絶えてしまいます そうではなく それはあなたが 自身が育つための瞑想です 素晴らしい場所かもしれませんが どうか自分の価値を分かって下さい この時代生まれ リアリゼーションを得たのは 世界の解放 人類の変容のためです 世界を神に導くためです あなた方は そのためにいるのです 神の恩恵がありますように! 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Sahastrara Puja, Achieve Complete Freedom (Italy)

Sahastrara Puja, Cabella Ligure (Italy), 7 May 1995.
今日 私たちにとって 全てのサハジャ ヨギにとって すばらしい日です 一日 二日 遅れていますが この日に サハスララが開かれました 奇跡といってよいでしょう それが為される時点に きているとは 思わなかったからです 時期を遅らせたかったのですが 私に開かなければならないと思わせる いくつかのことが起きました これ以上遅らせれば 間違ったグルのナンセンスな教えを 世界中に広めるのを 促してしまう 状況に陥ると感じたからです これは 自発的に サハジャに起こったと言えるでしょう 25年が過ぎました その間 あなた方が集まりました ここに来ていませんが 多くのことを達成した者も たくさんいます しかし 本当の意味で 私たちが何を達成したか おそらく意識していません あなたは ヴァイブレーションを得ました この包括的な力を 感じることができます いわゆる歓びの大海に あなたは泳いでいます あなた方全員が コレクティブを楽しんでいます そしてあなたは多くの 自分の限界を超越しています これら全ては あなたに起こっています あなたには それを得る権利があるからです 私の功績ではありません あなたに 常に指摘してきましたが あなたは 神の王国に入っています そして自分自身を楽しんでいます 私たちは自分たちの周りを みなければなりません 全ての自然はそれ自体で楽しんでいます 何も気にしていません 何に対しても気にしません リアリゼーションも受けていませんし パラマチャイタンニャを感じていません しかし なぜ楽しむことを 知っているのでしょう 花は短い間だけ咲いて 枯れます しかし生きている限り 大変幸せです 過去や未来について 考えていません 現在を楽しんでいます 現在において楽しみます つまり それらは香りを持ち 他へ与えます 美しく 他を癒します 自然界全てがそのようです 鳥を見ても 自然と呼べるすべてのものを見ても 皆瞑想状態です 丘も大きな山もそうです 起こったこと全てを 目撃しているように見えます 私たちが何を得たか まず省みるべきです これは大事なことです あなたが丘を登っているなら 振り返って下を見れば 衝撃を受けます 落ちるかもしれません ですから普通 人は 決して振り返らないように言います しかし 宝を手にした者は 何度も何度も そこに行って数え どれほど得ているか確かめ それを見ては楽しみます ですから自分が何を得たか 相対的に知ることで そして どのように得たか知ることで より強い心と人生の豊さを 確かに与えられるでしょう あなたに最初に起こったことは とても大事なことで この包括的な力を 感じたということです つまり あなたが誠実で 正直で 分別のあるすばらしい 真実の探求者であったということです 私のプログラムに来ただけで ヴァイブレーションを感じました その後 除々に 定着していきました 皆さんのほとんどが 突然感じました 驚嘆し 衝撃を受け 驚いたでしょう あなた方はそれが真実かどうか 見ようと思いました そして自信を持ち 真実を見つけ 人生に新しい次元を 確かに得ました 神聖な愛の 包括的な愛を感じています この包括的な力についての説明は 長い話を要するほどです あなたがそれから得たものは その真髄だと知らなければなりません それは完全な自由です あなたは 完全な自由を得ました まず始めに この自由が あなたにないといけません もっとも大切なことです あなたのエゴからの解放です エゴの束縛から逃れました エゴは大変大きく あなたにとって大きな問題でした このエゴはあなたが意識していない 多くのことをします エゴイストの者は 誰を傷つけても気にとめません 彼が傷つきます しかし彼が傷つけられると 気に入りません すぐさま泣き出します エゴを持つ者は 特に傷つきやすいです それなのに 自分が何人の者を傷つけたか 怖がらせたか 解っていません あなたは エゴから逃れられました 他の人間を傷つけることは 罪深いことです 如何なる理由があろうと 他の者を傷つけてもいいと感じるのは 罪深いことです 第一に復讐があります 復讐心があります 自分を傷つけ 自分に対して間違ったことをした者に対して 復讐をしなければならない と思います 復讐心はあなたが 反応した時に起こります 大変攻撃的に 反応する者もいます 復讐の名の下で 自分の親族や仲間 自国の者の間で 互いに殺し合う者もいます 世界中で 復讐の愚かな観念があります しかし復讐を 精妙な側面から見るとどうでしょう どんな復讐を できるというのでしょう あなたを困らせた者が いたとします その彼に対し 怒りを感じたとします 彼を殺せば 実際あなたは その者を救ったことになります 彼が罪悪感に 苦しむこともありません 彼は何もすることがなくなり ただ終わります 復讐とは何でしょう 復讐とは 人を殺す観念から 逃れることです 例えば 剣は 剣とは決して戦いません 盾と戦います 同じように 私たちが他の者にする復讐は 復讐ではありません なぜなら復讐の名の下で行う行為は あなたに返ってくるからです そして さらにあなたを傷つけます 人が復讐の名の下において行動し始めれば 様々なことが起こります 例えば今日 世界中で復讐が多く起こっています 神の名においてでさえ 復讐しています ある者はある宗教に 従っているため あるいは あなたがしていない何か他のことを 彼らがしているため復讐します このような復讐で 上手くいかせようとすることは あなたがなぜ復讐しているのかも理解されず、 人はただ殺され 滅ぼされているに過ぎません 爆弾をしかけたり 様々なことをされ 何千もの罪のない者が 殺されています どんな復讐が できるというのでしょう いかなる復讐も 彼らには値しません 膨れ上がった復讐心は 大勢の罪のない者を殺します そして確かに 自分に返ってきます それから逃れることはできません これは復讐の 長い過程のことです バーミューダの三角地帯について お話ししたことがあります 多くの黒人や奴隷が連れ去られ その場所で溺れました 話によると 彼らの霊が そこを通る者を呪うと言われています ほとんど白人を呪い 溺れさせます ですからそれは 大変長い過程です この吉兆な日に 長く話す必要はありません 私たちが復讐をする時 どんな行為にも 反応があると言わなければなりません ですから あなた方は この復讐の観念から逃れられました ただし観念だけです もう一つあります あなたが復讐せず神にゆだねれば 作用があります 作用があるだけでなく 神聖な力がそれ自体でコントロールし あなたに復讐しようとする者に その共同体 組織体のようなものに 教訓を与えます あなたは 心配する必要はありません […]

Sahastrara Puja, Jump Into the Ocean of Joy (Italy)

Sahastrara Puja, “Jump into the Ocean of Love”. Sorrento (Italy) 6 May 1989.
昨晩は 真っ暗な夜でした その日は マウシアと呼ばれ 月相の始まりでした 今日私たちは サハスララが開かれた日を 祝う為に集まりました 写真で見たかと思います サハスララがいかに開かれたかを示す 私の脳の写真です 脳の光を 撮ることができるのは 現代がもたらした すばらしいことです 神の存在を証朋する多くのものを 現代はもたらしています そしてまた 私についても 証明することができます 私が誰であるか 確信させることができます これは とても重要なことです 現代において この出現は充分に 認められなければならないからです これはサハジャ ヨギの 条件のひとつです では現代において 人の脳において 何が起こっているのでしょうか 人の脳において 今日 サハスララは 攻撃されています 長い間 攻撃されていましたが この現代が最悪です 大脳辺縁系をとても 鈍くさせようとしています とても憂鬱にさせる 小説や思考 憂鬱にさせる音楽が 溢れています ギリシャ悲劇の戯言のような これらすべては 中世のものから来ました しかし この― 新しい時代が始まるまで と言えるでしょう それらは大脳辺縁系に 全く良くありませんでした 私たちを憂鬱にしました いわゆる 惨めさから逃れる為に アルコールに走ったのです そして現代に至っては 人は過活動になり 過度の行動が始まりました 脳の活動も過度になり 以前からの鈍さに加え 極端な 過活動の状態になりました さらに鈍くするのに 麻薬に走ったり ひどい音楽に 走りました それにより 大脳辺縁系をさらに 鈍感にしてしまいました 刺激を得るために 始めた麻薬も 後には 苛酷な状態になるまで 量を増やさざるをえなくなり 麻薬が救われる唯一の方法だと 思い込むのです なぜでしょう 緊張が原因です 現代には 緊張というものがあるわけです 以前はありませんでした 話題にもなりませんでした 今は誰もが 緊張していると言います この緊張とはなんでしょう それは 私の出現ゆえにあるのです 大脳辺縁系は 私を知ろうとしています サハジャ ヨガが 広まるにつれ 人々の中でクンダリーニも 引き上げられようとしています あなたが媒体だからです あなたが行くところ全てに ヴァイブレーションを 発しています これらのヴァイブレーションが 人々のクンダリーニに 挑戦します メッセ一ジを与えます 人のクンダリーニを 引き上げます サハスララまで 引き上げられないかもしれません でも もとに戻ります そこに 認識がないからです 何かをするたびに クンダリーニが引き上げられ サハスララが開いていないので 圧迫を与えます それは閉じた戸です 戸が閉じているので 頭に圧迫感を与えます それを理解できないので 緊張と呼んでいるわけです 実際 クンダリーニが外に 突き抜けようとしているのですが 出られないのです リアリゼーションを得た者も サハスララを 良く保たなければ 緊張してしまいます サハスララを何年か前に 開いたとしても しなければならないことがあります それは私たちのサハスララを きれいにすることです まず始めに サハスララが開きます 一度開くと ブランマランドラが開くと 神の恩恵を感じ始め それが イダとピンガラにいきます クンダリーニがではなく 恩恵がです 恩恵 つまり 全てを取り巻くチャイタンニャは 私たちの左側と右側を 落ち着かせます すると チャクラがさらに開き クンダリーニの糸も より貫くようになっていきます ですから私は 常にヨギ達に言いますが 瞑想は とても大事です あなたのサハスララが大丈夫であれば 全てのチャクラも大丈夫です 全てのチャクラを コントロールするセンターであるピタが 脳にあるからです 大脳辺縁系の辺りにあります あなたのサハスララが きれいであれば また違う形で すべてが上手くいきます どのようにサハスララを 良く保てるでしょう よく尋ねられます 私がサハスララに内在していることは 皆が知っています 私は千の蓮の花びらの上に 化身しています ですから それを開くことができたわけです 今日あなたの目に映るように 私がいますが サハスララは マハマヤだと言われています これは幻です あなたのためにある 幻のような存在です そうでなければならなかったのです なぜなら 私から様々な光が放ち 昨日見たように サハスララから抽象的な色が あちらこちらに出て 光が放出されていては あなたは私と 向き合うことはできません 私が話している時は 写真を撮らないでください 後で撮れます 私の話に注意を向けてください 注意を向けてください 大事なことです プージャの間は写真を撮ってはいけないと 前もって伝えるべきです ワークアウトしなければいけない 重大なことだからです 理解できなかったとしても 効果があります 私が話している時は 十分に注意を向けてください その方がうまくいきます あなたはサハスララを 世話しなければいけません それは あなたのお母さんの神殿です 私を心に留めるということは 実際私をサハスララにおくということです ここのブランマランドラ 大脳辺縁系には 心をコントロールするセンター ピタがあるからです サダ シヴァの座です シヴァのと言えるでしょう 私を心におく時 実際私をそこにおいています 心からそこへ上げるのに あるいは 心へもってくるのに 二つのタイプの人に 問題があります 心が繊細な者 例えばヨーロッパでは イタリア人が繊細と言えるでしょう 彼らは私を見ると まずハートに手を当てます それなのです 私を心で感じるようにする方が 簡単です 私を心で感じるには どうすればよいかと あなたは 尋ねるかもしれません 私があなたを愛するように 私を愛さなければいけません 自分のどの細胞も 愛さなければいけません あなた達は皆 私の中にいるからです どのように愛するか 教えることはできません 愛は自分の中にあるものです そして愛は現れるものです ただ心を開けばいいのです 何が障害となるか 考えてみましょう まずコンディショニングです 西洋では 自分の愛を表現するのは 罪深いとされています “愛しています”と言うのに 時間がかかります “憎んでいます”は 子供ですら言います “憎んでいます” と言い続けるわけです しかし人を憎むことは 罪深いことです 誰に対しても憎むことは 罪深いことです 憎んでいますと口に出すことは 罪深い行為です 何を言うべきかというと “愛しています” と言い続けることです つまりあなたにとって 親愛なる人を愛すべきです 普通は自分に何か良いことを してくれた人を愛します しかし アディ シャクティ自身があなたに リアリゼーションを与えたのなら 愛することは たやすいはずです 彼女が“あなた達皆は 私の身体の中にいます”と言えば お互いを愛することは とても簡単なはずです サハスララの浄化全ては この愛を通して行われます この愛は 条件付けからくるものでもなく 抑制されるものでもなく 休息を与えるものでもなく 如何なる見返りも 求めません しかし往々にして愛は 条件付けが強すぎるのです するとまず コンディショニングの問題が起こります コンディショニングは 誰かを憎ませたり 人を愛させなかったりします しかし実際 一つ一つみていくと コンディショニング自体 とてもばかげています 簡単に言うと コンディショニングについて 理解してもらいたいのですが 面白い記事がありました “恋愛を台無しにしたのは誰か” という記事でした 彼が言うには 美容師だとのことです 恋愛になぜ美容師が 関わっているのかと思いますが 美容院に通う女性は ある髪型を一人の男性から 気に入られていました 彼はその髪型に 好意をもっていました 彼の奥さんあるいは恋人が 全く違う髪型に変えたとします すると彼は 彼女の髪型が原因で 彼女に憎いと言うのです 彼は特定の髪型ゆえに 彼女を愛していたわけです 違う髪型ならあなたを嫌いだ と言うのでしょう まったく好きではない あるいは好きである というのは コンディショニングが 強すぎる象徴です まともな髪型やまともな服を装う人に 大嫌いですと言うわけです そのようなことを言う権利は ないはずです あなたは裁判所で任命された 裁判官でもありません ではなぜ そのように言うのでしょう 大嫌いだと言って 人を傷つけるのでしょう “それも気にいっていますが もっと良い格好もあります”とも言えます それが愛です その人のよさが出てくるような 格好をしてもらいたいのです しかしこれはとても 低いレベルの話です 次に人は 如何に知的で賢く カリスマ性を持ち チャーミングであるかを見ます チャーミングという言葉は 捉えにくいものです それらを持つ者が 愛するに値し 愛していると思うのは コンディショニングです それら全ては外観です 金持ちだという理由で 愛しているように見せる人もいます 金銭を切り離して 考えられないわけです その人は もっとお金をもっていて より高級な車をもっていて 良い格好を しているという理由で愛しているのです このような考えを持つことは 愛を殺しています 愛がなければ 歓びも失われます 愛なしに歓びはありません 歓びも愛も 同じものと言えます 精妙な より精妙なレベルになると 我が子を愛する という話になります 中には我が子さえ愛することも 出来ない人もいます 様々な人がいますが “この子は私の子供です 私の子供です” と主張します これもまた愛が死んでいます 木の樹液が 上に向かって上がっていき 全ての実や葉 どの部分にも 行き渡り そして戻ります 執着していません 美しいからといって 一つの部分 一つの花に執着していたら 木が枯れてしまい 花も枯れてしまいます これが愛の死です 偏らず 執着のない 愛でなければいけません 私がこのような話しをするたびに どうすればできるか訊かれますが スピリットの愛がそれなのです コンディショニングのある 精神からくる愛は違います コンディショニングのある精神は 制限のある愛し方しかできません コンディショニングがあるからです 愛の最大の敵は 私たちの中にあるエゴです 私たちの頭にある 風船のようなものです エゴが私たちに 大変大きな緊張を与えます コンディショニングとはー 例えば誰かが ある絨毯(じゅうたん)を見ます その者のコンディショニングにとって あまりよくないものであれば “なんてひどい絨毯でしょう” と言うでしょう これは 低いレベルにおけるものですが 高いレベルにおいて言うならば “自分の国を愛している” と言うようなものです “私の国が一番です” 人を殺しても 世界平和を壊したとしても その国に属していれば 構わないと思うのです 自分の国や国民を 非難することは決してしません さらに精妙になりますが 知的な面においては最悪です 知的に 何かが良いと理解したなら 誰も何も言えないのです なぜなら あなたの脳で理解したからです ラビンドラナート・タゴールの 本を読んでいた頃 実際私は驚きました とても美しい序文と序説を イギリス人が書いていました 彼は 西洋では創造性を 殺しているというのです 彼はインド人の評論家である 男性に尋ねました “あなたの国の詩人は 批判しないのですか?” “評論家の人は いないのですか?” “もちろん評論家はいます 批判します” “では何に批判しますか?” “この時期に雨が降らなかったので 問題に繋がった 等と批判します” “いいえ 詩人についてです” “詩人を批判しますか? 芸術家を批判しますか?” 批判の対象になるものでしょうか 創造されたものです 彼が感じたものを 創造したわけです 仮に彼が 下品なものを創ったとします それなら 私たちは好みません しかし美しい精神で創られたものなら 美しいに違いありません それなら 批判しないのです 彼は“人はそのように 創造できないから”と言います ではなぜ創造するのですか 理性的に判断し すべてに規範をつくっています 芸術や すべての創造においてです “この絨毯が 好きではありません” 私たちが達した 知的な理解の規範に訴えないからです その枠にはまらないので 好まないのです その一インチでさえ あなたは創れますか? ですからこのエゴが あなたに権限外の行動をさせます 権限外です あなたには 批判する権限がありません 何もできないのに なぜ批判するのでしょう それより鑑賞して 自分自身で自分には権限がないこと 批判するに値しないことを 知るべきです それに値しないのなら 批判することはありません そしてまた あなたは 自分のエゴの奴隷であると知るべきです あなたのエゴの 命ずるところには あなたの知性が いわゆる知性が規範をもたらし それが特定の共同体 特定の国 特定のイデオロギーの 集合的エゴになるのです これはコレクティブです 彼らは“私たち” “私たちはこれを 芸術とはみなしません”と言います それ故 芸術界に 巨匠がいないのです レンブラントのような芸術家も 出てきませんし 彼自身 大変苦しかったでしょう ゴーギャンも苦しみました これらの芸術家は 苦しみました ミケランジェロでさえです 金銭面だけでなく 批判され続けたのです ですから皆さん 諦めたのでしょう 多くの作品を手掛けた 芸術家に会いました 自分のために創ったと言い 見せてくれませんでした でもお願いして 見せてもらいました 大変美しかったです なぜ見せないのか尋ねると “人は批判するだけです 自分の歓びのために創っています” “彼らは私の作品の歓びを 汚すだけです”と言いました 基本的なこととして 人を批判することは避けるべきです 自分自身を批判する方がいいです 自分自身を批判する 自分の兄弟姉妹を批判する 自分の国や 自分の悪い習慣を批判する そして自分自身に笑うことが 最良の方法です 自分自身に笑うことを知れば 他の者の如何なる創造物に対して 反論したり邪魔したりしないはずです ですからエゴがあると 権限外になんでも批判できます 誰に批判する権利を 与えられたのか自問すべきです 誰を批判できるというのでしょう 聖人なので もちろん今あなた達はそうですが 誰がキャッチがひどく 悪いヴァイブレーションを与えているか 誰が問題を抱えているか あなたは解ります それはコンディショニングではありません エゴがから来る認識ではなく あなたの指先で感じています それはあなたの中の 実際の感覚です それはボーダです あなたは知っているということです では何をすべきでしょう あなたの愛で 相手に伝えるのです できれば“ここが間違っています 直した方がいいです”と言いなさい でも彼ができるようにです 言うことによって反対に 今より悪い状態になったのなら その人を愛していないのです 皆が成長できるようにしなさい サハジャ ヨガには 大変良い人やすばらしい人がいます しかし中には 大変難しい人もいます 頭にひびが入っているのか 何かが欠けているのか ねじが緩んでいるような 人がいます 時折 道化師のように振る舞う人や 手に負えないような人もいます 他ではとても知的で 俊敏になれるでしょうが サハジャ ヨガでは 成長が可能なレベルまで 至ることはできないようです 例えば 母なる大地が 太陽のように熱いとします 成長しないでしょう あるいは月のように寒ければ 成長しません 両者の均衡が取れるような 中庸にいなければいけません 同じように人間も 節度や均衡を保ったり 如何なるものにも 極端に走ったりしないことを理解し ワークアウトしないといけません そのバランスは 誰かを愛した時に学べます サハジャ ヨガでは 知っての通り ある人にはサハジャ ヨガを 出るように言うことがあります これは彼らへの愛からです 一度出ると彼らが 向上するからです 大変向上したのをみてきました しかし彼らが サハジャ ヨガに留まるなら 厄介な存在になります 彼らのエゴが働き コンディショニングが働き より厄介になります なんであれ 厄介になろうとします “どうかしばらく出てください” と言わなければいけません 厄介でいる意味がなくなれば 彼は正直にならないといけません もはや厄介ではいられません この理由で出て行ってほしいと その人に告げて 論理的に 訴えることができます 彼らがうんざりするほど 面倒になることもありますが あなたは 完全な忍耐と完全な理解を示し 愛する者として 話さなければいけません 愛には力があるもので 愛していないと示唆するようなことは したくないものです 愛は大変力強いです 何かをしたいと思わせる 美しい方法で人を結びつけます 例えば私に花を贈るのは 花が好きだと知っているからです 愛を表すために あなたは花を贈ります ただ表すためです 私を愛しているのは知っています 私への思いを ただ強調したいのです 私への愛そして想いを表すために あなたは私に花を贈ります このような物質的なものは あなたの愛を表現するのに使われます 相手が 愛とは何かを知ることができるような形で 表現することができます サハスララの力すべては愛です 脳は愛さなければいけません サハジャ ヨガの力を あなたの脳と知性で確証し もはや分析したり統合したりするのは 意味がないと解ったなら 単純に愛であると解るでしょう 以前は分析したり 批判したり 無意味なことに使われていた脳が 同じサハスララが 今は愛することを望み 愛を楽しみます ただ愛するという絶頂に 脳は到達しなければいけません 愛するだけです なぜなら愛の力をみたからです あなたはある論理的な結論に達し 重要な点をつかんだのです アディ シャンカラは 多くのものを書きました 様々な論文を書き 断念しました 彼はこれではないと悟り お母さんへの賛美を書きました 一度そこに達したなら ニルヴィカルパにいると言えます ヴィカルパはないからです 愛しているので あなたの頭には疑いがありません 愛において あなたは疑いません 考える時のみ疑います 愛している時 疑いません あなたはただ愛します 愛を楽しんでいるからです ですから愛は歓びで 歓びは愛なのです 幾日もかかって サハスララが開きました 瞑想の過程を通して 自分自身や他者を理解し おそらく 論理的にも理解することで 私たちは自分達のサハスララを 再度開かなければいけません それ以外はありません 最後に到達しています すべての論理が終わりました 愛の大海に飛び込むだけです 一度愛の大海に飛び込んだなら 他にすることはありません 楽しむだけです 全ての波を 全ての色を 全ての感触をです サハジャ ヨガは 愛以外の何ものでもないと結論付けて これを学ぶべきでしょう 神の祝福がありますように […]