Shri Krishna Puja Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Shri Krishna puja. Cabella Ligure (Italy), 20 August 2000.
今日 私たちの中に内在する シュリ クリシュナを 崇拝するために集まりました ご存知のように サハジャ ヨガに来る前 皆さん 真実を探求していました 様々な所に行くことで 読むことで探そうとしました 中には自分を 見失う者もいました しかし何を探していたか 分からなかったでしょう あなたが探していたものは 自己を知ることでした すべての宗教が “汝 自身を知れ”と言っています このことについては どの宗教も言っています 自己を知らずして 神を知ることはできないからです スピリチュアリティを 知ることはできません 最初の段階は 自分を知ることですが それにあたって人は あなたを騙そうとしました 間違ったことを教え お金を奪い 騙しました 様々なことを経て サハジャ ヨガにたどり着き リアリゼーションを得ました リアリゼーションの目的は 何でしょう 神を知ることです 女神を知ることです これがリアリゼーションの目的です リアリゼーションの後 あなたに何が起こるべきでしょう 多くが麻薬などナンセンスなことに 無関心になりました 無益な本を読むことにも もはや関心がありません お酒を飲むことにも 関心がありません しかしそれだけでは 十分ではありません いずれにせよ そうなったでしょう なぜ神は自己を 知ってほしいのでしょう あなたの中に 彼の反映を見たいからです 反映を見たいので あなたを創りました 女神も同じです 彼女はあなたに リアリゼーションを与えました あなたの中に 彼女の反映を見たいからです ですから より純粋で 美しく 愛深く 慈悲深く 何より叡智が反映されるように ならないといけません 叡智を持つことを理解できる 地点まで到達しないといけません 叡智が欠けているなら あなたは自覚を得た者ではありません シュリ クリシュナの 域において 彼はあなたが ヴィラータの ヴィラタンガナの一部に なることを望んでいます ヴィラータの 一部になるべきであって リアライズ ソールだからといって 完全に大丈夫で 何もしなくて良いと 思ってはいけません そこから何をするかが 大切です リアリゼーションの後 シュリ クリシュナのような 神々の人生から あなたの中にあるべき反映を 見なければいけません シュリ クリシュナは 大変困難な境遇で生まれました そしてヤシュダによって出身地へと 連れ出されました そこで彼の戯れが 始まりました あなたも人生において 遊び心を持ち 楽しさや歓びを 創り出さないといけません 聖人のようにヒマラヤで 座禅をしなさいとは言っていません 子どもたちと戯れ 話し 遊び 楽しみなさいと言っています 彼は同時に 彼に挑む ネガティブな力を全て滅ぼしました 子どもでありながら 大変成熟しており プトゥナや2人の恐ろしい ラクシャサも殺しました 同じ頃 彼は ゴピスと戯れたり からかったり 困らせたり 茶化したりしていました なぜでしょう 彼らに遊び心を 持ってもらいたかったからです それに対して 様々な祝賀がありました ある豪雨の日 彼は指先で山全体を持ち上げました 人々は不可能に思いました 奇跡です 山を指先で掲げ 立っていました 気取らない様子で 彼と遊んでいた男の子達を 守るために持ち上げました また彼は大蛇カリナを 水中で殺しました この恐ろしい蛇は水中で 人を殺す毒液を作っていました 彼はあっという間に ヤムナ川の物凄い水流に飛び込み カリナを打ち負かし 殺すことで人々を救いました しかしこの大蛇の妻は 彼に夫を許すよう懇願しました 彼は許しました 6-7才の子どもが このような偉業を 自分がしていると思うことなく 成し遂げました そのことを考えもせずにと 言ってもいいでしょう シュリ クリシュナであると 悟っていたのでできました ですからあなたは自覚を得た者 であると意識すべきです 普通に振る舞うような 凡庸な人間ではありません あなたは特別な人です 全能なる神の本質を 反映するために創られました 誰もあなたにカリアを殺すよう 期待していませんが あなたは絶えず 守られている状況です 誰もあなたを 傷つけられません 殺せません あなたはサハジャ ヨギです 面倒を見てもらっています では物事を決めるにあたって サハジャ ヨギはどうあるべきか 理解する必要があります 自然な判断であるべきです 計算たり 下見したり 検討することはありません シュリ クリシュナが川に飛び込んだように 即座に自然な判断を下します 同じように全てにおいて 自然な判断をすべきです 例えば 絨毯を買うとします 店に行き どれを買うべきか すぐ分からないといけません 人生のどの瞬間も 自然な判断をすべきです 即座にです しかし私が見る限り そうではないようです 店を次々の渡り歩き リストを作って測定したり 帰宅すると 明日決めようと言います サハジャ ヨギの 振る舞いではありません サハジャ ヨギは全て その場で自然に判断します そうあるべきです 例えば誰かが 溺れそうだとします 最初の衝動は その者を救おうとします どう助けますか 水に飛び込みます 守られているからです あなたに悪いことは起こりません ですからただ飛び込み 人を救います これがとるべき 最小限の姿勢です 自然な判断が あなたの気質です 悩んで決断し 決断にあたっても 会議を開いたりすることはありません 日常においても そうあるべきです 政治面 経済面 全ての生活面においても 自然でないといけません いかに自然な判断が できるでしょう あなたにどのような 素質があるでしょう 何を使って決断しますか あなたには ヴァイブレーションがあります 感じられます ヴァイブレーションとは 何かも知っています あなたに何を教えているか 知っています あなたに語っています ですからヴァイブレーションで 何をすべきか瞬時に分かるはずです “カベラは物凄いヴァイブレーションです” と言う者がいます 事実です どれくらいの人が そう感じるでしょう あなたの感受性は まだ発達していません 自分のヴァイブレーションに対して 敏感でないといけません 誰を見ても 隣に座る者が誰であれ 誰と握手をしようと その者のヴァイブレーションが 分からないといけません このような感受性を発達させるなら 自然な判断ができます 私にはそれができます カベラの城を 5分で買いました 近くまで行くと 車が大型で 行けませんでした “私の車で行きましょう” と市長に言われました 到着すると 確かに荒廃していました 周りの足場も悪く 幽霊が出そうな場所でした 一緒にいた皆が “ひどい場所です これは買えません”と言いました そこで私は市長に言いました “買います 今です” 彼は驚いていました どうやって購入できるか 尋ねると “イタリアでは簡単で 値段の1/3を払えば自分のものです” “気に入らなければ断れますが 返金はできません” “競争相手がいれば 倍額を支払います” “お得ですね 買います” と言いました 皆がこの出来事に 驚いていました 決めては ヴァイブレーションです その場のヴァイブレーションです 7つの城を彼らに 案内されましたが 中に入らずに断りました 入りもしなかったので 驚いていました “以前は何だったのですか” “女子修道院でした” このような自然な判断が できるようになるべきです できるようになれば 短い時間で素晴らしいものを 得られることに驚くでしょう だからといって 粗雑にするのではなく まずヴァイブレーションの 敏感さを持つべきです 敏感になるならサハジャ ヨガ において成熟しています 成熟しないといけません リアリゼーションを得たので これができると思うのではありません まず敏感さを 持たないといけません どのぐらい敏感か どう分かるでしょう 自然な判断で結果が 芳しくなかったとします 自然な判断で 決断しながら 失敗し 間違っていたとします 経済的 政治的 あらゆる面で 苦しむことになるとします そこであなたの価値観が 評価されます どれほど サハジャ ヨガで深まったか リアリゼーションを どれほどものにしたか このように 自分を試すことができます でも失敗を恐れてはいけませんし 成功に舞い上がることもありません あなたが 自覚を得た者だからです もちろん敏感なら すぐさま分かります 私と同じようにとは言いませんが やってみるべきです ある者を称賛する人がいます “すばらしい人です 是非会って下さい”と言われました その者の写真を 見せてもらうと “残念ですが会いたくありません” と言いました 彼らには理解できません “どんなに偉く 将来大臣になろうと 会いたくありません” すると翌日の新聞に 悪人であるという記事が載りました あなたは自然に決めたことに 対する経験や 理解と 向き合わないといけませんが それでも自然な判断を するよう言います どうやったらよいかなどは 考えてはいけません 何が正しくて間違っているかを 知っていると思い込むことは 自然な判断に 影響を及ぼします (私が建てた家を 何人の者が見たか分かりませんが) シュリ クリシュナのもう一つの側面は 創造性の豊かさです 幼少時代 いたずらのような 様々なことをしました 大人になると ドワリカの王になりました そして王様のような 装いをしていました 何であれ王でした 子どもの頃は小さい孔雀の羽根を 一つ着けていたものです しかし王になると王の装いで 王座に座り 人々と話しました 偉大さを持ち 創造性は大変豊かでした 彼はドワリカに金でできた 大変美しい宮殿を建てました 信じられますか 彼が建てましたが 水面下に沈みました 西洋諸国に洗脳されたインドの知識人は それは不可能だと言いました 水中には何もなく 宮殿は建てられなかったと 作り話で神話だと しかし ある者は それを信じ 水中に宮殿を見つけました 全てではありませんが 金が少し残っていました 彼の建てた巨大な宮殿に 驚いていました 水中に沈みながらもありました このように化身たちは 大変創造性豊かでした あなたが創造的でなければ リアリゼーションは何の役に立つでしょう 簡単で 最もすばらしい 創造的なことは 他の者を サハジャ ヨギにすることです 最も簡単で歓びを与えることは 他の者をサハジャ ヨギにし 彼らが長年求めていた 神聖の恩恵を得ることです あなたは素晴らしい 癒しや恩恵を与えます あなたはリアリゼーションを 簡単に得ました 瞬時のニルヴァナといいます サハジャ ヨガの 瞬時のニルヴァナです 人は簡単に瞬時に得られるものの 価値を理解できません インド人は“独立で 簡単に自由を得た”と言います そのため貴重に思いません ただで特別な努力なしに得ると それを尊重しません 理解しません 当然のように思いますが リアリゼーションを得るための 人の苦難を知っていますか ヒマラヤに行き一本の脚で 何ヶ月も立ったり 逆さ立ちしました それでも得られませんでした 28年間 こもった者もいます なぜそのようにするのでしょう 人や悪い環境から離れれば リアリゼーションを得られると 考えたのでしょうが 得ることはありませんでした 簡単に得られるものでも 大変貴重なもので 素晴らしいものだと 理解すべきです リアリゼーションを得るのは 容易なことではありませんでした 自覚を得た者について 読んだことがあるでしょう 彼らはそれをどう得たかも クンダリーニのことも知りません でもグルや 苦行を通して得ました 仏陀はリアリゼーションを得るまで どれほど苦労したでしょう いかに得たか 考えてみてください 彼の人生を見れば ぞっとするでしょう 最期は飢えと貧困で 亡くなりました しかしあなたには そのようなことはありません 何の困難もなく得ました 大変優しい方法です お金も努力もなしにです だからといって尊重しなくていい ということではありません それは種が母なる大地に植えられ 自然に発芽し 木へと育つようです 胚芽に生命が宿ります しかし水を与えなければいけませんし 世話する者がいないといけません この場合 あなたが 世話をしないといけません まず慈悲と愛の栄養を与えます 慈悲と愛を持っていますか 人を愛していますか 今日子どもが嫌いだという者がいて ショックを受けました “他人の子は好きですが 自分の子が嫌いです” なぜ我が子が嫌いだなどと 言えるのでしょう まずあなた方は “好きです 嫌いです”と 決して言うべきではありません 反マントラです “私はこれが好きです” と言うあなたは誰ですか “この絨毯が嫌い 銀のものが嫌い” あなたはそれを創れますか この決めつけは自然な判断だと 思いがちですが違います そのように言う権利があるという発想は コンディショニングから来ます あなたは何ですか スピリットなら 決して言わないでしょう 人を傷つけるかもしれません 傷つけるような言葉は使いません 危害を加えません スピリットなら愛深さ 慈悲深さ 穏やかさ を与えることを言うでしょう 他者に歓びを発するでしょう スピリットは他者に歓びを 与える力があります あなたが不機嫌なら 自覚を得た者ではありません あなたは歓び 愛 慈悲を 与えることができるはずです そしてそれは 全く自然に起こるものです マハラシュトラでの 聖人の話しがあります 人は“カヴァドゥ”と呼ばれる水亀で 水を運んでいました グジャラートからシュリ クリシュナの 寺院まで遥々運びます シュリ クリシュナに帰依する すばらしい行為だとみなされていました その聖人も“カヴァドゥ”と呼ばれる 水亀で水を運んでいました マハラシュトラの村から 遥々運んでいて 寺院のある麓にさしかかると 喉が渇いて死にそうな ロバを見かけました すると彼はそのロバに 水を与えました “神格に捧げるため 何マイルも幾日もかけて運んだ水を” “このロバにあげるのか” と皆は言いました 彼は言いました “神が水を飲む為に降りて来られた ことが分からないのですか” 彼の態度を見てください 自覚を得た者にとって 慈悲はこのようでないといけません 大変寛容です あなたが寛容でなく狭量で 常にお金や貯金のことを心配するなら 成熟したサハジャ ヨギとは 言えません それにそのようなお金は 幸福を与えません 欲深さは スピリットに反しています スピリットは非常に寛容です 決して何かを倹約したり 人を騙したり 盗んだりしようとしません 論外です その者に欲が 全くないからです 欲が全くないので リアライズ ソールは欲深くないのです 大変寛容です 大変寛容な者を 他者の問題に理解力がある者を 多く見てきました 自分の問題事に悩む者は サハジャ ヨギではありません 他者の問題を 解決する為にいるのであって 自分の問題解決やそれを 話題にする為ではありません 現代の“これが私の問題です” という言葉は 以前は幾何学でしか 使われていませんでした 人は“問題はない” とか言いますが それが問題なのです あなたの問題を 他者に振るべきではありません 何も要求しないことです “私のためにこれをして あれをして” 人が相手を利用しようと するのには驚きます 外国に行くのが好きで “あなたの国に言ってみたい” と連絡する者がいます 寛大なサハジャ ヨギは “来てください”と言うでしょう 問題は要求している方です 何も要求すべきではありません あなたは完全だからです 満足してるだけでなく 完全です 人が何をあなたに 与えるられるというのでしょう あなたが完全であるとき 全ての欲求が消えます 来るとき 多くの星が見えました でも月が出るや否や 星は全て消えました 同じように あなたが完全なら 人から何かしてもらおうと 期待しません 反対に他の為に何ができるか 見つけようとします 他者の問題を 自分のことのように考えます 真剣に考えます あなたの成長につながります あなた方全員に起こるべきです リアリゼーションを 得ているからです 自分の為でなく 他者の為に生きる人格が発達します あなたはどこでも暮らせます 寝れます どんな食事でも 食事がなくても構いません あなたは 満足しているからです 逆に他の者の為に 料理したいと望むでしょう できることは 何でもしようとします できるならそうするでしょう しかし自分の問題にしか 目を向けない者がいます サハジャ ヨギではありません スピリットは問題を持たないものです あなたはもはやスピリットであって 全てを超越していると理解しなさい あなたの創造性は また別の次元へといきます もちろん他者に リアリゼーションを与え始めます 芸術を創造します ババママは文学が 得意ではありませんでした 母が数学者だったので 数学は得意でしたが 言語においては 得意ではありませんでした 私が彼の小論を 書いていたほどです しかしリアリゼーションの後 大変美しい詩を書きました ババが書いたとは 皆信じられませんでした 先程言ったように 私が小論を書いていたくらいです 驚くことに ウルドゥやマラティ ヒンディの詩を書き始めました 兄弟が彼にどうやって ウルドゥの詩を書いたかと尋ねると “シュリ マタジに教わった” “全てにおいて教わった” と答えました ですからあなたの中の 創造性が開花します どこから創造性がきたのか 自分でも驚くでしょう 数学者が突然詩人になったと 想像してみてください 不可解に見えますが あなたにはこのような能力があります あなたは多岐に渡って 創造的にならないといけません 私は大変創造的です 常に何かに働きかけていて 結果も良好です それに人から称賛されるべきだとか 新聞に載るべきだという 普通の人が持つような興味は 私にはありません 創造のために創造します その創造をただ楽しみます すると人が言ったり話したり 行動したりすることにも 適応性を 持てるようになります 人は攻撃的になったり 称賛したりするでしょう でもあなたを称賛していると 気がつかないでしょう “シュリ マタジ キ ジェイ”を 私も一緒に言って 私のことを言っていると 忘れることがあります あなたは これらを超えています そのような人間の振る舞いに 全く理解できないほどです サハジャ ヨガに来ると リーダーになりたい サハジャ ヨガの偉い組織者になりたいと 強い欲求を持つ者がいます そのようなものは 偉大なサハジャ ヨギとして 国際的な名声を欲します 伝えている創造性とは 離れています 私は何を創造したでしょう 人間にとって 人から称賛を得たいと思うのは 普通のことです あなたがスピリットなら 皆知っています 何を自慢することがありますか 脚光を浴びる必要がありますか 後ろにいても光はあります ですからあなたは 暗闇から出ないといけません あなたが光で 光を広げる者だからです 暗闇にいるなら 光を広げることはできません ですからあなたのスピリットは 問題を持てません 恐れはありません そして何よりも すごい叡智があります それがより高次な人格である あなたの印です これは進化です あなたが変わったとき 別の特質を持つ者として進化します 際立ちます 周囲と同じになるなら サハジャをしても 意味がありません キリストはどうでしょう 大工の息子でした 教育を受けていません でも何をしたでしょう 彼はスピリットでした 内に神を反映しました そしてまた そのために 十字に架けられました サハジャ ヨガでは 起こりません そのような試練はありません しかし 自分の判断基準が どうであるか見るべきです 内省を通して ワークアウトしているか 自問すべきです “サハジャ ヨギ氏 ごきげんよう” “自覚を得ていない者が夢中になることに 没頭していませんか” 探ってみなさい サハジャ ヨギの成長は その振る舞いや生き方や 表情に表れます このような者にシワはありません 心配事はありません それなのに なぜシワがあるのでしょう そのような者は 誰に対しても逆上しません 逆に笑います 一度スイスの教会で 私を聖書で叩こうとした 女性がいました 私は聖書で叩くなんてと 笑いました 笑っていたので 彼女は怖がりました 聖書で叩こうとする愚かしさを 見なさいと言いました 石ならまだ分かりますが 聖書では叩きません 皆さんの目の前で 起こったことです ご存じと思います ネガティブな力が あなたを精神的にも 感情的にも 傷つけるかもしれませんが 超越していれば 誰もあなたを傷つけられません 傷つけられたと感じないでしょう 気にもなりません しかしあなたは 何か創造しましたか 今日何人かの男女が 離婚しようとしていました サハジャ ヨガで結婚して 離婚を望みました 考えられますか ショックでした 夫が兄弟のようだと 変な考えをしていました おかしな考えをしていて スピリットの光が ありませんでした スピリットの光があれば あなたの理解は 違ったものになっていたでしょう 自分でなく 他の者のことだけ心配し その者の為に 解決策を見出そうとします 助けようとします あなたにとって 簡単なことだからです 光を灯すのは簡単です 一度啓蒙されて 灯されているからです 輝きをなくす方が 難しいです 人間は リアリゼーションの後でさえ 何年も成長した後でも まだ愚かです リアリゼーションの価値を 分かっていません スピリットを 殺すことはできません 吹き払うこともできません この光は消せても スピリットの光は消えません 灯し続ける油は 何でしょう 慈悲や愛 他者への思いやりです 中には支配的な人がいて 問題を起こします それでも 思いやりなさい あなたとは違います 完全ではありません だからこそ 思いやりなさい “そうする必要があるのか” と思うならあなたは終しまいです このような反応は スピリットの者ではありません スピリチュアルな者の反応は これとは全く違います シュリ クリシュナの生き方に 見ることができます 彼には 大変貧しい友がいました シュリ クリシュナに 会いに行きたがったので 妻は彼に 米菓子を持たせました “あなたの友達に 持っていってください” 彼は恥ずかしく思いましたが 持って行きました シュリ クリシュナは 宮殿にいて 門番に“彼には会えません” と言われました “スダナが来たと伝えてください” シュリ クリシュナは王座に座り 話しあいをしていましたが 伝言を受けて 門へ駆けて行き 友を何度も 抱きしめました 彼は“なぜここに立っているのか” と言いました 中へ招き入れ 王座に座らせ 妻に友の足をきれいにするよう 言いました そして服を持ってこさせ 風呂に入れました そして彼のベッドに 寝かせました シュリ クリシュナの愛です そして友の足が汚れ ひび割れていたので 薬を塗ってあげました ひび割れを治そうと 精一杯のことをし 彼のベッドで休むように 言いました そして眠れるように うちわで扇ぐよう女性たちに言いました シュリ クリシュナの慈悲深さが 美しく表れています 私たちは 慈悲深いでしょうか 彼はそれをする義務も ドラマもありませんでしたが 彼のハートからくる 自然な判断でした スダナが来たと聞いて 友のもとへ駆けました 旧友が来たことに 嬉しく感じたのです 彼がハスティナプールに 行ったとき カウラヴァの長男 ドゥリョダナに “私の宮殿に来られて 滞在してはどうか”と言われました 彼は“行きます でもヴィデュールと食事をとります” ヴィデュールは 使用人の息子です 彼は行って ヴィデュールと食事をしました ヴィデュールは 貧しい者でした ドゥリョダナなら豪華な食事が 出たでしょうが どんな食事だったかは 分かりません 味や食事の質は 関係ありません 愛です リアライズ ソールであった ヴィデュールへの敬意です 他のサハジャ ヨギヘの敬意です 政治家だからといって サハジャ ヨギが尊敬するなら 理解できません スピリットは 全てを超越しています 他のヨギに敬意を払えないなら 何かがおかしいのです スピリチュアルな者は肩書きを持つ者より 高次であると理解すべきです そして生き方に 愛が表れています 全ての聖人 化身は皆 愛を持っていました 全てを超越し そして何も期待しません 人の期待から 行動するのではありません 神の愛を反映する人格です その反映が あなたにもあるべきです サハジャ ヨギでは人より秀でている という意味ではありません 人と異なる 超越している ということです 優越感がないので あなたは人と違うのです 大変謙虚なので 人と違うのです 大変歓びに満ち 穏やかなので 謙虚なのです シュリ クリシュナの生き方から お話しできることはたくさんあります 彼はヨゲシュワラ と呼ばれています ヨガの神です 彼がヴィラータだったからです 彼はアルジュナだけに 姿を見せました 誰もアルジュナのようでは なかったからです アルジュナでさえ 彼を見た時畏怖しました 彼はシュリ クリシュナのように 牛飼いとして暮らしました シュリ クリシュナはゴクールで生活し 自分の力を自慢しませんでした 彼の力は内にありました そしてそれは 自然に表現されました この力は叡智と分別です 完全な分別がありました もしなければ 神聖な力ではありません 悪魔的な力だったでしょう あなたに親切だからといって 親切にするなら間違っています インドではアヴァデュタ と呼ばれる者達がいました 彼らはリアライズ ソールで 社会から離れ 人から隠れ 質素な場所や 洞穴に暮らしていました “理解されないなら話す必要はない” と考えたからです 彼らは孤立し それぞれで暮らしていました 何ができたというのでしょう 多くのサハジャ ヨギといる あなた方とは違います あなたにはたくさんの友や お互いがいます でも彼らは孤独で 社会から離れました 人とも会いませんでした そうしようものなら 十字に架けられていたでしょう あなた方は違います 社会があります 良い友や スピリチュアルな人々の すばらしく啓蒙された 社会があります それらを伴い 創造的でありえないなら 何と言って良いか分かりません 何かを創造しないといけません 芸術や音楽 詩 文学 何であれ 創造しないといけません 何よりもサハジャ ヨギを 創らないといけません これが一番の 創造であるべきです 至るところでサハジャ ヨギを 創ることが大切です 私が色々な場所へ行き プログラムをすることもできますが すばらしい状態を得たという 模範を示さないといけません あなたが彼らに 気付きを与え サハジャ ヨギとしての生き方が できるようにしないといけません 実際完全になるなら あなたはマハヨギです そうならないといけません あなたのスピリットが 皆に歓び 平穏 恩恵を与える マハヨギになること以外に 大切なことはありません 神の祝福がありますように […]

Shri Krishna Puja Nirmal Temple, Cabella Ligure (Italy)

Shri Krishna Puja. Cabella Ligure (Italy), 16 August 1998.
今日 私たちは シュリ クリシュナ プージャ をします シュリ クリシュナの 力において 大切なことは あなたに 目撃する状態を 与えてくれることです なぜなら 今日が カリ ユガの時代にあり 価値観における 完全な混乱 あらゆる混乱が 大変複雑な状況を 生み出しているからです 目撃する状態は 瞑想を通してのみ 可能です 思考のない意識状態に 到達します それらは 合わさったものです 目撃する状態とは あなたがただ 反応しないという状態です 反応すれば 問題は起こります 容易に分かりますが 私たちはエゴや コンディショニングで反応しています そうでなければ 何の反応もありません 例えば ここに 美しい絨毯があるとします 私にエゴがあれば それを見るなり どこからそれを 手に入れたのか それにいくら払ったのか 考え始めます これは最初の反応です それ以上反応すると 怒りが沸くかもしれません なぜすばらしい絨毯を置くのか ここに置く必要はあるのか このように 次から次へと出てきます コンディショニングで 私が見るとすると この色はクリシュナ プージャに適していない このプージャのために 他の色にすべきだったと言うでしょう 次から次へと このようなことが起こります つまり コンディショニングが 私たちの中にあります 私たちの コンディショニングの問題は 全て本当に ひどいものです 例えば “人種差別”です アメリカで 人種差別があります 強く感じられます 彼らは口にはしませんが イタリアから行けば 感じます インドから行っても また感じられます なぜこのような 人種差別があるのでしょう 理由は何でしょう 異なる共同体や 表面的な違いだけの 肌の色に対して なぜこのような ひどい憎しみで 反応するのでしょうか 合理的に説明すると “ああ 神よ” “彼らは全く 役立たずである”とか “私たちの国にやってきて 私たちを” “困らせている”と 言えますが 全てコンディショニングです 彼らが 移民のことを話すなら アメリカ人は皆 移民である と解らなければいけません アメリカは決して 彼らの国ではなかったのです 彼らが北米先住民を 皆追い出し 土地を奪い 平然と アメリカの領主となったのです その反応は 白人でない者は誰でも 誰でも非難され 苦しむべきだ というものでした もとから暴力的なら 暴力をする コンディショニングが出てきます そして互いに 殺し始めます 彼らは冷酷にも 多くの人を殺しました どの国においても 彼らには権利があり 皆殺しにし 自分の土地ではないものでも 奪って良いと 考えているのです 土地は 誰のものでもありません その国に属さない者が そこにいる人たちを 追い出す権利は どの国においてもありません 昨日は インドの独立記念日でした そして 私は 自分たちの国旗が 上がって 英国の国旗が 降りていくのを見ました それは苦闘の末 人々のあまりの 苦しみを経て 起こったことです なぜなら 彼らは インドにうまく上陸し 支配者になったからです ですからこれも 一種のコンディショニングです それは 集合性をおびています 誰の国でも入り込み そこの者達を追い出し その場所を支配し 主人になるのです それはまるで 誰かの家に行き そこに住む者達を 追い出し 自分が家主として うまく居座るのと同じです 彼らは恐らく より知的であるか悪賢いのです その悪賢さで 白人が黒人を 支配できると思うなら 目撃する状態は 発達することができません ですから このような コンディショニングは 疫病のようなもので ある国から別の国へ渡り 自分たちの方が 勝っていて 彼らの方が劣っている と感じさせます またその人たちも 同等であるのに このような地位や状況を 受け入れてしまいます 今回はアメリカ人が 主催者なので アメリカの例を挙げます クリシュナが 統治者だからです クリシュナは アメリカの統治者です 彼は色黒で 肌の色は黒い方でした 彼が支配するその国で もう一つ 気づくべきことがあります 彼らは気づいていません もし全ての黒人や 全てのアジア系の者が 国から出て行ったら 彼らはどうなるでしょう スポーツの大半は 黒人が活躍していて アメリカのスポーツを見るなら 99%は黒人です 音楽を見ても黒人です 色が黒いけれども・・・ 悪いことではなく 白人がいるように 黒人もいるのです 彼らには白人にはない 素晴らしい声があります どんな白人でも競うことが できない程 素晴らしく歌います 肌の色に 完全な公平さがあります すべての アジア系の人を 除くとしたら すべての 医師 看護師 建築家 すべての会計士は 消えてしまうでしょう 誰が残るというのでしょう 肌の色は あなたの 知性や価値観 あなたのスピリットと 何も関係がないことを 理解しないといけません スピリチュアリティを 得る為にここにいます スピリットは 肌の色を理解することは できません 上辺だけのものだからです 肌の色のために 人を非難することは 大変残酷です 今 同じ反応が 起こっています どの行動にも 反応があります 何が起こっているか というと 黒人が 反応しているのです 反応していて その反応は大変危険です 毎日のように ひどく反応が 起こっています アメリカだけでなく 世界中でです 支配に対し 立ちあがって 反応しないといけない と考えています 異なる色の人種 少数のアジア系の人 ほとんどは黒人ですが 自国でグループを結成し 互いの喉を 切り合っています 残酷な殺しを テレビで見たことがありますが 肌の色の違いは 私にはよく解りません グループを結成し グループで殺しにいったり 殺しにきたりします カウラヴァスと バンダバスではありません 二種類の人ではないのです 全く逆です ネガティブなものと ポジティブなものではありません 白人であろうと黒人であろうと それらは皆ネガティブで 互いに口論し合い 戦い始めます この暴力は 大変大きくなっています 暴力が自分たちを表現する 唯一の武器であるかのようです どこかで 何かが起これば 爆弾を爆発させ 多くの罪のない人々を 殺しています それは 大変 罪深いことです 小さな暴力でさえ 罪深く シュリ クリシュナの目から見ると このような暴力は 完全に 罰せられるべきものです これはエゴから来ます 人は何らかの 党派に属していて 別の党派を殺すことが できると考えます そのようなおかしな 考えが入ってきます 他の者を殺す権利がある と決めつけます ある者はこれが憎しみから 来るというかもしれませんが 憎しみは エゴから来るものです エゴが作用し始めると 憎しみのようなものを 全て集めてしまいます 支配欲 怒り 暴力 これらすべては 彼らを盲目にする エゴから来ます 暴力を振るったり 人を憎んだり 他の者を殺す 必要もないのに エゴがそこにあるので 盲目的になります “マザー どうやって エゴは起こるのですか” もちろん ほとんどは 反応することで起こります あるいは コンディショニングによってです 子供の時分 これらの人を憎むべきだと 彼らは間違った者達で 悪い者達だと教われば 憎むようになります 大人になると その憎しみを表し始めます サボテンのように 大きくなり 他の者を殺します 人間の このような振る舞いは 正当化することは できません 人は人間的な資質を 持たなければいけません そして それは ただ目撃すること 反応しないことを学べば 可能になります 例えば あなたは 二羽の雄鶏が戦っているのを 見るのを楽しみます 二羽の雄鶏の戦いで 一羽が死ねばとても喜びます あたかも死んだ鶏が あなたの両親を殺したかのようです とても驚きます スペインでは闘牛が まだ続いています 毎年六頭戦い 闘牛場にはここにいるより 十倍の人が来ます 常に満席です 女性でさえ 闘牛を楽しみ 闘牛が殺されなければ 道に放し人を殺させるのです このような 暴力的な快楽が 人々の心に 入り込んでいるのです 博愛主義を唱え 平和を唱え 歓びについて語る者達が このような暴力的な行動を まだ楽しんでいるのを見るのは 大変悲しいことです 彼らは実際やっているか それらを見たがっているかのどちらかです 残酷な暴力性を帯びた 映画を見に映画館に行き 人々はそれを楽しみます そのような映画が 次々と作られています 目撃する状態に入れば 目撃する状態に あなたがいれば そのようなことが 起こったとしても 静まるでしょう あなたが目撃する状態の レベルでいるなら 目の前で事故は 起こらないでしょう 事故が起こったとしても あなたは人を救うことが できるでしょうし 大変積極的に人を 助けることができます これは小さなことですが 大きな規模でも 何か素晴らしいことが できるでしょう 思い出しますが 私がまだ若い頃 私たちは大臣の 近くに住んでいて ある時 ストがあり 彼らはマハラシュトラ州の独立を 主張していました そこには警察が立っていて 治安当局の大臣の命令で そこにいた皆や道行く人に 発砲し始めたのです 射撃のゲームを 楽しんでいるようでした 私はこれを目の当たりにして 耐えきれずそこに行き 警察に止めるよう 頼みました すると 驚くことに 止めたのです 傷ついた人々を家に運び 弾を取り出し救急車を呼び 人々を助けました ひとつ言えることは 私が目撃する状態にいた ということです あなたは 恐れのない者になります 一度 あなたが 目撃する状態にいることを学べば 全く恐れはありません あなたが 目撃していない時は 動揺したり 憤りを感じたり 興奮したりするからです 間違った人たちの 仲間になるかもしれません しかし あなたが 目撃する状態でいれば それ自体が力となります そして目撃することが 他の者の多くの困難を 乗り越える助けとなります 聖人についての 中国の話があります ある王様が彼のところに 雄鶏を持ってきて 勝てるように仕込むよう 頼みました 彼は承知し 一ヶ月 預かることにしました 闘鶏が 始まると 雄鶏が 様々な所から出てきて 戦いが始まりました この雄鶏はただ立ち上がり 目撃し始めたのです ただ目撃していました 他の雄鶏達は 恐れを抱きました 他の雄鶏達はこの雄鶏が微動だにせず ただ目撃していることが理解できなかったのです。彼はただ立っているだけです。何もせずにいるだけです 闘鶏場から皆消え 彼が勝者となりました これが非暴力をもたらす 最善の方法でしょう 暴力的なところに出向き 起きている全てに向き合ってじっと立って見ます すると その目撃する行為が そこで起こっている 暴力的なことを抑えるでしょう しかし 目撃する状態とは 精神的な状態ではありません それはスピリチュアルな 上昇の状態です 目撃者となります 目撃する状態を得る 最善の方法は 誰も批判しない ということです 常に他の者を 批判する人がいます 彼らは自分自身を 批判できません ですから あまりにも他の者を批判し始めると 自分自身のことでさえ何がおかしいのか 他の者に対してどのように 悪いことをしているのか見ることができません なぜなら 他の者を批判する 権利があると思っているからです それに 批判することを 大変楽しんでいます 実際 批判することは 何もありません ただ自分自身を見てみなさい それだけです あなたの権利です あなたには他の者や他のことを 批判する権利は全くありません しかしある者は 批判しなければ 事はそのまま続いて 決して終わらないだろうと思うのです そうではありません そのことを一度自分自身で見ます あなたのアテンションを見ます アテンション自体 すでに啓蒙されています その啓蒙されたアテンションで あなたは見ることができます 無意味なことを 止めることができます しかし私たちは 常に自分達が何か 偉いという意識を持っています そしてこれをしなければいけない あれをしなければいけないと考えます このような状況で 何が起こるかというと あなたがまた 問題となるということです 何ができますか 何もできません あなたができることは 目撃することです 見ること ただあるがままを見ることで あなたは大変違った状態に 発展できます まず初めに 目撃できる人は おもしろいことに 忘れることが少ないです 彼らが見るものすべてを 写真のように捉えるからです 色や組み合わせを 言うことができます 彼らが見るものすべて まるで写真のように頭に残ります そして その記憶は失われません 自分が見たものを 正確に言うことができます一方あなたがすべてにおいて反応するなら あなたの記憶は ひどいものになります おまけに人々は反応するという ことに対して癖になっています 私が知っている 一人の男性は 反応する癖がありました 車で一緒でしたが 彼は 広告を どの店の名前 人の名前をすべて 読んでいました これは何で あれは誰でと話していました たくさんしゃべっている この男性を見て 彼はどうなるのかと思いました 常に反応する者は忘れがちに 大変忘れがちになります しかし このような人は それだけではありません 彼らが集合体になると 大変危険になります なぜならそのような性質で 何かをするわけですから 彼らは何かをしないといけないと思うのです つまりある目的で一緒になっています 彼ら全員がつくりあげたある反応で 一緒になっているとも言えるでしょう 小さなことでも 大きなことでも このような行動にでる者達は 多くの者を集めることができ 他の者に どんな害も与えられるのです ヒットラーのことが 目に浮かびます 九年間もこの男は ユダヤ人のどこが間違っているのかと見ていました 彼はドイツ人が 何をしているのか 彼らの社会のどこが おかしいのかは見ません その当時 社会も大変ひどかったのです なぜなら様々な 淫らな行為があったからです 彼はユダヤ人が このようである 彼らはこれをしてお金を取り お金を貸すといった 様々なことを 書き留めていました そういったことを 頭に入れていき その結果 こういった人々はドイツから出ていくべきだ と考えるに至ったのです しかし その後 彼はユダヤ人がドイツから出ていっても なお彼らは繁栄するだろうと考え それなら殺してはどうか と考えました つまり 映画ですら 見られないような類のことを ヒットラーは行いましたし 彼は何のためらいもなく まるでそれが大いに 楽しみであるか 彼の責務であるかのように 行いました どうやったら何千もの ユダヤ人を殺害するような 責務を負えるのでしょう […]

Shri Krishna Puja, The Technique of the Play Nirmal Temple (Cabella Ligure)

Shri Krishna Puja. Cabella Ligure (Italy), 1 September 1991.
今日は ヨゲシュワラを崇拝します 私たちにはシュリ クリシュナの 最も偉大な名だと思います ヨガの神という意味です ご存じのとおりヨガとは 神聖との合一を意味します ですが 別の「ユクティ」 という意味もあります 英語で適切に 訳せませんが ユクティとは トリックの意です トリックです でもトリックというとおかしな いたずらを連想させますが この場合は テクニックの意味です テクニックといえば 機械的なことです なのでユクティの 適切な訳語はありません あえて言えば テクニックを知り それを駆使する技術が ヨガ、ユクティの もう一つの意味です なのでつながりがあっても そのトリックを駆使できなければ つながっている 意味がありません 何の役にも立ちません リアリゼーションの後に テクニックのみでなく そのトリックも 学ばなければなりません クリシュナのレベルに 至るということは シュリ ラーマの後の 化身であり シュリ ラーマは 理想的な礼節を持った マリヤダ プルショッタマで 同時に慈悲深い王 でもありました ですがシュリ クリシュナの場合 人々が生真面目で堅く 過度に道徳的だったので 別な面を示したのです 儀礼さえしていれば大丈夫だ と考え 人々の成長は止まっていました そこでシュリ ヴィシュヌであるシュリ クリシュナがくる必要がありました 上昇について そしてそれがすべて 遊びであると唱えました ですが遊びの達人でないと そのように遊べません 例えば電気的な コミュニケーションがありますが 皆さんはそれで どう遊ぶかを知りません どう遊ぶかです つなぎ方とか いかに学ぶかではありません 遊びです 例えば技術をすべて知っていたら それで頭が痛むでしょう あそこが上手くいかないとか どうやって接続するかなど 自分がしていると 常に気になって 疲れて飽き飽きするでしょう でもそれが遊びだったら 達人にとっては遊びですが それが遊びになってしまえば 疲れることなく 楽しめるでしょう それがいわゆるリーラです それゆえ彼はリーラダラと呼ばれます 彼は達人だからです 達人として来ました マスターといっても指導者としてでなく ヨガの技術 ユクティの達人として 彼はとても巧みで有能なので 彼にとっては遊びです 彼にとっては すべてが遊びでした あなたもヨガにおいては 全てが遊びだと理解するべきです 例えば朝5時に起きるのも 遊びであるべきです 朝起きて まだ日が低く やることがまだない時間 月が沈んで まだ薄暗い時間に起きます とても美しい そんな時間に 瞑想に座るのです 何か堅苦しい つまらないことではなく 遊びなのです そのためにはあなたが 達人である必要があります ヨガの達人であれば それが遊びにになります まず シュリ ラーマの意識により ヴィシュワ ニルマラ ダルマとなると その後は遊びになります さて 神聖との コミュニケーションは 世界へと広まるべきです 全世界があなたが手に入れた コミュニケーションを得るべきです そこに関して シュリクリシュナは 子供としてシンプルな用意をしました 子供っぽく幼いやり方です ゴピ達が沐浴中に 服を隠したのです インド女性は決して 全裸になりませんが 彼女たちのサリーを隠して 彼女たちの背中を見ていましたが 小さな男の子には何でもありません 彼は木の枝に座って彼女たちの クンダリーニをあげようとしていたのです 彼女たちがラーダによって 清められたヤムナ川から出てきて すでに彼女たちのクンダリーニに ヴァイブレーションがあるわけです 彼女たちはその水を運び 彼は後ろから頭上の水がめを 割るのですが その水にも ヴァイブレーションがあります するとヴァイブレーションがある水が 彼女たちの背中にこぼれていきます それでクンダリーニを 引きあげようとしていたのです 子供らしい遊びを見なさい 子供らしいやり方でどうやって 遊ぼうとしたか そして後に 子どものようなやり方で 政治や人間関係 コミュニケーション での熟達を見せるのです 彼のパワーはラーダで ラはエネルギーで ダはその支えです ダレティサ ダルマと いわれるように ラダとはエネルギーを支える者 という意味です なのでまず彼女からもらったのが アラーダ ダイニの性質です アラーダを表す英語は 見当たりませんが アラーダとは急に素晴らしいものをみて 歓びを感じるような感覚です とても幸せな感覚ですが 幸福感を表す英単語が ほとんどありません アラーダとはまるで新鮮な 空気を吸ったような歓びです その感覚がアラーダです 彼女はアラーダ ダイニで アラーダを与える存在です この彼女の アラーダ ダイニの力で 関わりのあるすべての人に 働きかけたのです なので彼といる牛飼いたちは ラースをすることになります ラとはエネルギーで スとは共にという意で ラダジのエネルギーで 踊るということです 彼がただフルートを吹き 彼女が踊ると 彼女の手をエネルギーが流れて クンダリーニが覚醒されます ここにもう一つの 遊びがあります 遊ぶだけで彼は クンダリーニを上げたのです ですが現代では それはとても難しいです そのやり方で クンダリーニを上げるのは 現代では簡単ではありません 人も理解しないでしょう なので現代では サハジ ャヨガはただクンダリーニを 上げるのではなく サハジャ ヨガの 完全な知識を与え 他者にリアリゼーションを与えられる力を与えるという 大きな仕事でした そのために他者にリアリゼーションを 与える技法を見つける必要がありました 当時はクンダリーニは覚醒しても サハスララは開いていませんでした クンダリーニはアギアだったり ハートだったりに留まっていたのです そのような人々が シーカーになりました こうして今日の サハジャ ヨギ達が存在し サハスララが開いていてサハジャ ヨガのユクティを全て知っています ですが サハジャ ヨガのより精妙な ユクティがあります それをマスター しなければなりません 第一に 彼のマドゥリの性質です 優しさという意味です 「蜜のように甘く優しい」 という表現のように 彼が誰かと話したり 誰かと関わるときは 優しさを通して関わりました このような関りができないなら あなたはヨギであることから ほど遠いです 誰かと優しく話すこと それも自然にです 彼の全てがマドゥリです 話も態度も表情も 全てがマドゥリです コミュニケーションを語るなら まずは人同士のコミュニケーション が最も大切です そして人との コミュニケーションを考えるなら 多くの人が攻撃的なほうが 上手く人とかかわれると考えます それは違います 誰かが人から 何か得ようとする時に そこへ行って言います これが必要だとか あれこれ言います まるで否定しているようです でもあなたが優しい人で 優しく話せば 99%の人は 態度を軟化させるでしょう ではどうやって 人を軟化させるか そのトリックを学ぶべきです いかに優しさで人をほぐすか これは 彼の特別な性質の一つで 人と話す際に 心から優しく話すことで あなたとその人の間の 問題が解決するように 完全にです たくさんのトリックがあります 人とどう話すかを学ぶことは 最も大切なことの一つです 第一に あなたは人より 聡明でないと見せるべきです 私が若い科学者と話す際に ごめんなさい 科学はわからないんです というように 科学者向きじゃないんです すると彼らは そうですか と 気持ちよくなります 音楽家に対しては 音楽はわかりません と 少しだけやったことがありますが それほどでもありません 音楽家もうれしくなるでしょう エゴをおだてている 確かにそうも言えるでしょう でも自分が相手と比較できないと 言うことに害はありません 人と話す際の第一のトリックは 完全な謙虚さです それが偉大さのサインであり 達成のサインです 実をつけた木がたわむように まずは 私は何も知らないので 教えてください という態度です それが第一です まずは自らが極めて 謙虚になることです 他人にあなたが何者か わからないのが良いのです それはとても楽しいことです 私の例をお伝えしましょう 私の夫はインドで えらい立場でした 大学まで一緒だった友人と デリーで再開したときに 私がどこに住んでいるか と訊きました 私はミナバという 何の変哲もない場所を言いました 公舎に入れなかったので とりあえずの場所でした ダンナさんは何をしていらっしゃるの 公務員です とだけ伝えました そこに夫が通りかかり 私に微笑んで立ち去りました 彼を知っていらっしゃるの 私の夫です というと驚いて オーマイゴッド どうして教えてくれ なかったの 急に態度が変わりました 彼女は自分を恥じました ただの事務員か何かと結婚したのねと 私を下に見ていたからです なので下のふりをするのが 一番です 全てにおいて下のふりです マザーに力をもらったのであれもこれも できるというサハジャ ヨギを知っています 自画自賛は役に立ちません 私はとくに力がなく ただのサハジャヨギです でも そういうならやってみます なので下のふりをすることです できる限りそうしなさい 家で実践しなさい 練習をして実践するのです これが他者とのコミュニケーションの際 最も大切なことのひとつです 第二にはギータ全部を読むと 一つ大切なことがあります クローダ ピラエティ サモアといって 私たちの悪い性質があり 六つの敵があるということです 彼はギータでその中でもまず クローダから説いています 内面に怒りがあるなら あなたは達人であるわけがありません 達人であればそれで遊べるので 怒る必要がありません あなたをこうやって 踊らせることができます かんしゃくを起こす 必要があるでしょうか でもあなたが対人関係において それを習熟していなければ 5、6分も経てば 声が荒くなってきて 結局怒鳴りだすことになります 熱いかんしゃくを まだもっているからです ですが達人にはありません 必要がありません 彼はクローダから説き始めました 全ての問題は怒りから始まります 次から次へと なので自分が怒りっぽいか 注意するべきです 怒りはヴィシュッディから来ます 肝臓から始まりますが ヴィシュッディを通して表現されます 顔や目が赤くなり 口からはあらゆる 罵詈雑言が出てきて 全く違う表現になります あなたが怒るときに この怒りを観察しなさい これはどこにあるのでしょう 肝臓だ ということなら じゃあ 治そう と マスターするためには はっきりと自分に向き合うことです 皆が彼女はかんしゃくもちで あれもこれもありましたと言います でも本人は いいえ そんなことありません じゃあ何で皆がそういうの わかりません 自分はちゃんとやってます 誰かがそういうなら 自分を観察しなさい あなたはたまに怒りますか あなたはかんしゃくを起しますか 見れば簡単にわかります なので交渉のコツはどれほど 自分に足りないか自ら直視することです まずは 本物の謙虚さが大切で 第二には冷静さです かんしゃくを起す必要は 全くありません 何をしているの どうしてそんなことをするの 言いたくないことを言わせないで そうやって言えばいいのです これが限度です それは嫌いだというぐらいは 良いでしょう でもそれ以上 行かないことです そこで止めれば かんしゃくを起こす 傲慢な習慣が消えていくでしょう この傲慢さや かんしゃくがなくなり 自分が楽になることに 驚くでしょう 怒りによってその反動で レフトヴィシュッディが キャッチして 負い目を感じるからです なぜあんなことを言ってしまったのか と気分が悪くなります そうやってヴィシュッディが だめになります レフトヴィシュッディなら 頭痛です どんどん怒りや 何かをため込むと レフトヴィシュッディが キャッチします それで起こる問題は ご存じの通りです だから誰かに腹が立っても 負い目に思わないことです そのかわり鏡のまえで 自分にビンタをするのです 腹が立ったら 自分に腹を立てて 鏡の前でこうやってするんです 自分が怒った時と 同じようにするんです 負い目に感じないでしょうし もっと起こればなお良いでしょう そうしてレフトヴィシュッディを 空っぽにできます 次は怒らないでしょう 負い目を感じているなら 同じことを何度も繰り返します 怒りの表現も男女で違います 時に女性が心配です 水の力を使うので私も困惑します でも エゴがあるほど 泣き虫になります それがサインです 何か指摘するとすぐに泣き出すのを 見てきました もうレフトヴィシュッディが 風船のように一杯に膨れているので そこに触れたとたんに 水が出てきます 知ってのとおり 男性の場合は違います 腹を立てたらケンカをして 皆を殴りかかったかと思いきや ちゃっかり座って 飲みものを飲んだりします もう出してしまおうと言います でも女性は違います ため込んで それが後に涙になります これらは喜びや 幸せの涙ではなく 誰かへの思いでもありません 誰かに自分が悲しいことを 印象づけるための涙です なので第二のトリックは いかに自分のかんしゃくを克服するかです そして第三にはいかに人の かんしゃくを克服するかです そっちのほうが ずっと高級です ガガンギリ マハラジのところに行った 話をあなた方にしたでしょうか 彼はとても短気な聖人で その熱のため水の中に常にいたので 足を悪くして失いました 人は彼がトラに乗っていると言いますが トラは見かけませんでした 私は彼に会いに行きました 彼は雨を操ることが できるはずだったのですが そこへは四時間半ほど 坂を上ったところです 私が歩き出すとたちまち大雨になり 終始降り続けました 彼は止められませんでした 彼は挑戦されたと思いました 私が到着すると 彼は洞窟の外の岩にすわって 怒りでこうやって どうしようもなかったのです 彼を見て私が洞窟に座ると 彼も来ました 彼は連れられて来て 私の足元にひれ伏したのちに 言いました なぜ私に雨をとめさせて下さらなかたのか あなたがずぶぬれになってしまった この雨が腹立たしい 私のエゴを抑えるためでしょうか とんでもない あなたにエゴがあるとは 知りませんでした ではなぜ 私はご存知のように マスターだから いいですか あなたは修行僧で 私にサリーを買いました オレンジ色のです あなたからオレンジ色を 受け取るわけにはいきません あなたが修行僧だからです でもずぶ濡れなれば あなたから受け取れますね するとたちまち彼は 心を開きました でも私は達人でなければ なりませんでした まずどうやって彼を和らげるか 次にどうやって 彼のこころを掴むか これはもっと精妙な面です あなたは人心を掴めます このように人があなたに してくれたことが分かります 何を用意したか 何が待っているか 未来が分かるとは 言いませんが 人を分かるために そうするなら その人の全てが分かります シンプルなことです まずその人を 分かろうとしなさい 私の父は多くの トリックを持っていました 加えて とても愉快な人でした ある日 弟のババママが歌の上手い 友達の話をしました 父に彼の歌は どうだったか訊くと うん 彼はとても勇気があるね どうして 知らなくても歌おうとするからね 大したもんだ 何て適切な表現でしょう その男性について とても勇気があるって 彼は知らなくても歌うけど 何とかなっていると 勇気があるとは悪口ではないです 勇気がある でも彼のことが 良くわかる言い方で もし変な歌い方をしても 笑わないようにという意味が その「勇気」のことばで分かります 同じように 誰かについて学べば その人を 面白いやり方で表せます 欠点や悪いクセがある とかではなく その人の ある一部について述べます これはその人全体を まるごと理解して 性質や欠点も含めて そのまま受け入れるやり方です その巧みさを あなたは持てるでしょうか 人の特質に注目しなければ 欠点ばかりが目に付くでしょう 彼の特質が分かれば 欠点があっても ちょっとした性格上の スパイスみたいなものです そう 彼はちょっとだけね ちょっと彼の性格に 注記を加える感じです するとその人が気にならなくなり 楽しめるでしょう 私の娘婿は 犬が大好きですが 妻の方は賃貸だから犬はダメと 夫婦ゲンカになります プラバットが“会う機会が無くなります” というので それは良くないけれど なら次は私が犬になろうかしら といいました たちまち彼は理解しました なのでどう人に話すか ほのめかす事ができます 何がその人の長所で 何が欠点か でも直接言う必要はありません ユーモアをもって 間接的にほのめかす事で その人は理解するでしょう 人と関わる時には ユーモアのある人であるべきです でもユーモアというと 誰か体が不自由でまっすぐ 歩けないような人を笑ったり 誰かの髪型が変だと笑ったり そういった表面的なことで笑いますが それはユーモアではありません これは笑いの 形をとった批判です でなかれば 皮肉を言う人もいます これは良くありません 鋭いことを 言ったつもりでしょうが あなたはその人を永遠に失います こういわれた とその人は忘れないからです なので皮肉はあなたの敵であり サハジャ ヨガの敵です 何か言うなら相手を傷つけない 言い方でいいなさい 微妙なユーモアを楽しみつつ 自分の欠点を理解できるように さあ ユーモアをもって あなたに何か言うならば なんだかんだと 直接あなたに言わずに 例えば うちにカラスが やってきてね と言って あなたの性質を そのカラスに移して表すでしょう そしてカラスが あれこれしたと言うでしょう あなたはすぐに “マザーは私のことを話しているのか” “それともカラスの話なのか” 考え出します なので誰か別の存在に 移し替えなさい 移し替えるのが ベストな方法です 例えば プージャに出席する人の 名簿が期限までに必要だとします 今回はアメリカが ホストですので アメリカ人が必要だといった と言えばいいのです 実際には言ってないのですが そういうウソは無害です それで人々はあなたではなく アメリカ人に腹を立てるでしょうが 問題ありません しばらくの間はいいのです まるで移し替えるように この転移は アスタンタラと言われます 一方から他方へと 移し替えていくことで シュリ クリシュナは この技の匠でした 彼の話で 彼はランチョルダといって 戦場から逃げる 彼は気にせずに逃げ出します なぜなら とても悪い悪魔がいましたが ブラマデーヴァから恩恵を授かり 多くの人を殺していましたが シュリクリシュナも どうしてよいか分かりません そこで彼は別の誰かに 彼を任せることにしました 彼は別の特別な ヨギを知っていました 彼は瞑想を通して同じブラマデヴァから 恩恵を授かりましたが それは寝ている最中に 起こされて まず初めに見たものが灰となる という恩恵でした シュリ クリシュナは仕事を 彼に移したほうがよいと考えました そこで彼は 戦場から逃げ出し その悪魔があとを追いました シュリクリシュナはその聖者の 洞穴にそっと入りました そして自分のショールを 彼の上にかけました そしてそこで身を隠しました ここで入ってきた悪魔は シュリ クリシュナが寝ていると思いました ああ 疲れて寝てしまったか ここでどうやって自分を守れるか お手並み拝見としよう そして彼を起こしたところ この聖者が目を覚まし彼を見て 彼は灰と化したのです なので自分の仕事を 移しなさい もっと能力があり 上手くできる人に 自分で抱えこんで 直接さあ来いと戦っても 勝てません いわゆる 血みどろの戦いになります 誰かに任せなさい 友達になるなり おだてるなり何でもして ポイントは悪を取り除く ということで この場合はその悪魔です だから誰でも良いのです 彼は沢山の トリックをかけました マハバーラタでは ビシュマは神の恩恵のために 自ら望まなければ誰も彼を殺すことは できない というものでした なので シュリ クリシュナは トリックを使うと決めました そしてアルジュナに言いました 自分は馬車の御者をするだけで アルジュナに言いました 彼を矢の上に 寝せるようにと 矢の上に寝れば 死を選ぶしかなくなると ドロナチャリアは アルジュナの偉大なグルですが カウラバス側についていました どうしたら殺せるでしょう 彼は弓に関する あらゆる技を持っていました どうすれば良いのでしょう 彼は弓の達人で アルジュナは彼の弟子なのです どやって彼を 止めるのでしょう どうしたら彼が アルジュナの矢に 反応するようにできるでしょう 彼は達人だから反応しない どうするかです そこで クリシュナは特別な方法を 編み出しました 彼はシカンディという宦官を 連れてきました 彼がいかに宦官になったかは おいて とにかく有利です そして彼をアルジュナの 前に立たせました 宦官はインドでは 女性扱いになります ドロナチャリアは戦えない と 女性を殺すわけにはいかない と こうして ドロナチャリアに勝ちました こうやってトリックを使ったのは 悪者を成敗するためだったのです あなたが出来ないときには 誰かに頼めばよいのです 悪を取り除くのが 大事だからです 謙虚に自分よりできる人に頼めば 自分で戦うよりずっと効果的です 無茶は 何の役にも立ちません マハバーラタを見ると終始 シュリ クリシュナはトリックをしています 軍隊全部と私とどちらかを選ぶように アルジュナに言いました カウラバスは 軍隊を選びました アルジュナは クリシュナを選びました しかもクリシュナは戦わずに 戦車のドライバーをすると言います でも彼はトリックのマスターです 武器なんか要らずに 何だってできます なのでアルジュナはドライバーでいいと 受け入れたのです 逐一全てを分かっていたからシュリ クリシュナはいつも微笑んでいました 誰かに相談されると 私も微笑みそうになりますが 我慢するようにしています 見られたくないから でも何をしているか トリックは何か 分かっています 皆さんもトリックに長けていて 色々と知っているでしょう 人がトリックをかけて来たら わかるでしょう そしたら微笑みなさい 優しく微笑んで そうね そうそう そのとおりと これによって人間関係が とても良くなります サハジャ ヨガで よくある例は “リーダーにお前はブーティッシュだと 言われました”というものです もう一人来て“私はお前は ブーツだ”と言われました さらには“私はひどいブーツが お前には入ってる”と言われたと これら3つの違いは何でしょう と なぜ人にブーティッシュだ とかいうのでしょう 必要ありません 分かるならレフトスワディスターナを 治すように言えば良いのです どこかのグルについていたか 聞いてあげなさい その人が良い人であるなら なおさら大事なことです ただ外からの悪影響だから 取り除けばよいだけと伝えなさい ただしアギアとレフトスワディスターナ のキャッチがある場合は お役に立てませんと言うことです ずる賢いと分かっているからです それと戯れても無駄です 私たちはそれも忘れて だれでもどうぞ となってしまいます 誰でもサハジャ ヨガが できるわけではありません 全人類ではないと 知りなさい サハジャ ヨガは 探究者であり その上勇気ある人にしか 与えられません ニーラと呼ばれる人たち向けで 普通の人向けではありません 私たちはオープンだから いろいろな人が来て 困った人のために 一生懸命してあげも 彼らが問題を起こすと 分かるのです まずはシンプルな人達を 相手にしなさい シュリ クリシュナが 牛飼いと戯れたように そのうえで難しい人を扱うときには コレクティブで対処できるか見なさい でもヒトラーやラジニーシのような人を 変えようとしても無駄です サハジャ ヨガでは無理なことを しようとしないことです シュリ クリシュナは自ら それを示しました 対処しがたいことを 避けたのです 彼はそれの達人でしたから やってのけました もちろん彼は自分に向き合い マスターする必要はなく 彼はヨガの神なので 全てを知っていました 全てを知っていれば マスターする必要すらありません 逆に自分がどれほど知っているか 恐れを感じるほどです 人に関わるときに 一番良いのは サハジャ ヨガで自分がどんな人間か 何の専門かを良く知ることです どれほど常に自分に向き合っているか 見る必要があります なぜ私はそんなことを 言うのだろう 自分の心に 何が足りないのか 自分の中のネガティヴィティを はっきりと見なさい 何度も言ったように 西洋のネガティヴィティは心が常に 楽をしようと働くことです 働くことを嫌がります 例えば 誰かに 電話をかけるように言うと すぐに言い訳が 10個返ってきます いないかもとか 奥さんが怒るとか 仕事中かもとか もう10時だとか あれやこれやです 電話はそこにあるのに かけようとしないのです 100個の言い訳 新しい言い訳は コンピューターの不具合とか ファックスの不具合とか あなたの脳ミソ以外は 全部働いているのです それが逆で 自分の頭は働いているけれど 別の何かがだめだというのです 明かりがないとか なんであれ言い訳になります でもどうして解決策を 見つけられないか学ぶべきです 何かしなくては と 例えば前にもいったように 根っこの先がどうやって あちこち探しまわることで 水分を見つけだすか 同じように私たちも これがだめならあれでとしてますか それがだめなら これをしようとか 何もないところから 多くを達成できるのです でも いつもあなたが出来ない理由を いつも探し出すならどうでしょう シュリ クリシュナは違います 彼はヴィラータの 神の化身です マスターの中のマスターです ドロウバディは 危機の際に 彼女はヴィシュヌマーヤで 彼の姉でしたが シュリ クリシュナのことを 思いました ドゥリヨダナによって サリーをひぱっられて 彼女はこうして クリと言いましたが そうやってくわえていましたが シュナといった瞬間にサリーが離れました シュナというと サリーが落ちてしまいます サリーは落ち シュリ クリシュナについて 述べました ドワリカ メショラバヨ ショラバヨバリ シャンカ チャクラ ガダ バドマ ガルル レイ シダーリ この音がハスティナプールから ドワリカに数千マイルをこえて届き その音はチャイタンニャを 通ることで増幅され シャンカ チャクラ ガダ パドマ これらはもちろん武器ですが 全てをもって彼は ガルーダにのり現れます 姉の純潔を守るために あっという間です その瞬間に自然とです サリー1枚くらいなら後でも大丈夫とは 言いませんでした 皆が私にプージャで 沢山くれたサリーを 彼は取っていったに 違いありません そう感じます でなければ どこからサリーを用意したのでしょう 私の倉庫からでしょう そのために あなた方はサリーを沢山くれたのです それで彼は多くの女性の 純潔を守っているのです これら全てが 関連した一つの出来事で 壮大なドラマが繰り広げられて いるのですが 見えません でもあなたが自分を信じ 自分がサハジャ ヨギであり 自らの性質と存在 その価値を信じるのなら あなたは間違いなく マスターになれます でもまずもって自分のリアリゼーション の価値を知りません どれほど能力があるかも 知りません まだ自分が平凡な人間で 大学をでてからリアリゼーションを マザーから授かっただけ だれも大学を出ていません キリストも ラーマも大学にいっていません クリシュナも大学に行ってないし キリストは大学をでていません 普通の大工の息子でした でもあなたはリアライズソールであり ながら自身の価値を知りません それが分かれば 何にでも微笑むでしょう あなたは世界の頂点に 位置しているから それさえわかれば 習熟してくるでしょう でなければ師が弟子より 下に甘んじているようなものです だからといって支配するわけでは ありません 責任を持つのです 完全に受け持つのです あなたは何でも分かっているし どうすればいいかも分かっています この習得が必要です あなた方皆に それが全く可能です ですがまず自分を修める 必要があると知りなさい そういうとすぐに“マザー 自分が一番難しいんです” 私にはわかりません 人を修めようとするくせに 自分を修められないのですか あなたは常に自分と一緒で それがあなたの財産なのです 人の資産を正すことができるなら 自分のも正せるはずです た易いことであるはずなのに 自分のものだという確信がありません 自分にできると思っていません できます 今や自分を知っているのです ならばマスターするべきです 自分を見て観察すれば 自分がすべてのトリックを 知っていると気づくでしょう ユクティです 私があれこれと 言う必要はありません 自分で対処できます 私たちは細々した事は 沢山知っています 何かが落ちてくるなら これで支えればいいとか スピリチュアルな生活は 最もた易いはずです あなたが 知識の大海だからです ただあなたに知識があることを 知らなければ 人と関わる際の トリックが分からないでしょう 人とコミュニケートする目的は 世界を救済することだからです 無知から救い出すためです そのために習熟が必要です 無意味なことで迷わず 習熟してくためには 早朝の瞑想が必要です まずそれです そして自分に向き合いなさい 常にです なぜそんな事をいったのか ああ あのせいだな と この言葉はあの人から 来ているな 自分に向き合うと 驚くべきことに あなたは常に現実を避けようと こころを使っているのです いつも言いますが こころはあなたを欺きます 最後は シュリ クリシュナは 劇のエキスパートだということ 彼はドラマをつくり それを自ら演じ 更に観客でもあります あなたも この3つで自分を見なさい 自分のドラマをつくり ああ ここはこうか どうやって演じるとしよう そしてその観客にもなる 自分のドラマの 観客になりなさい すると分かるでしょう 自分が何をしていて どうやって進めているかを すると私たちの欺瞞は 常に自分を欺いているものが すっかり消えていきます 芸術家が同時に 鑑賞する側と知っていれば 演者が観客でもあると 意識していれば 自分を欺くことはないでしょう それが演技と知っているからです 自己欺瞞は避けるべきです 直面しなさい でも他の抜け道があります 例えば“手紙を書いたら”というと “分かってる” “手紙書いたほうが良かったん じゃないの お世話になったし・・・” “わかってるよ” “何も連絡しないなんてひどくない ですか・・・”“わかってる!” “自分が悪いし ひどい人だし バカだし” “自分が悪かった、全部わかってるよ! だから何なの”と 自分が悪いと認めたら それで終わりです これは新しい逃げで シュリ クリシュナの時代には なかった現代版です 自分は悪人ですが それが何か これは第2段階です 第1段階では、分かってる! 第2段階では、だから何?と進化します こうして脱線が始まります こうして あちこちと揺れ始めます 知っているのに どうして直せないんだろう そうあるべきです 自分でそれを分かっている 知っているなら直すトリックも 知るべきです 自分が正そうとする人格から 離れているから 自分を正せるのです そもそもヨガとはそういうもので 自らの意識が神と一体になり 自分の執着を離れて 見ることができて 全てに対する執着が無くなります そしてあなたに来る力は あなたを通って執着に働きます 状況がガラッと変わります サハジャ ヨガでは 全く変わります 悪い人が サハジャ ヨガにくると 追い出されるか 正されるかどちらかです 悪い人は正されるか 追い出されるかです 現代はシュリ クリシュナの時代より 進化しているようです 彼はアルジュナ一人に教えましたが 私は数千人に知識を与えています 当時は戦時下で 今は平和な時代です シュリ クリシュナはリアリゼーションを 与えなかったのでずっと進化したのです あなたはリアリゼーションを得て 全ての精妙な知識を持っています 現代というのはそういうもので あなたはすでにヴィラータの一部です あなたはヴィラータを見たことが ありませんが すでにその一部なのです あなたは見ているのでなく その中にいるのです それによって サハジャ ヨガから追い出されるのは 自分を見ないことだけで そうならないように 自分自信を良く見て 自分を正し ヴィラータと一体になることです これがヨゲシュワラのサインです そうやって笑顔でもって 全てを知りつつ 皮肉をいわず 父親の様な笑みを浮かべる そうあるべきです 全ての人に対してです すぐに人は分かるでしょう 小さい子は特にです 子供は極めて親に対して 保護的です 心配しなくても大丈夫 神様が守ってくれるから と 本当に可愛いものです とても優しくて 世界が癒されます 子どもや赤ちゃんから 学ぶことが沢山あります そして内なる ガネーシャの原理を持って 働きかけるべきです 無心さが最も効果的で なので皆さん 自分に向き合ってください 自分を責めず 正して尊敬しなさい そして自らの栄光へと進んでいきなさい 神の恩恵がありますように! 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Shri Krishna Puja, The Ultimate Of The Fatherhood Tannay Ashram, Tannay (Switzerland)

Shri Krishna Puja, Geneva (Switzerland), 28 August 1983.
今日 私たちは この神聖な地で シュリ クリシュナの 誕生を祝います お話したようにシュリ クリシュナは 究極の父性です 地上に化身し 究極の父性を例証します 地上において最も高い父性が シュリ クリシュナの意識です しかし神の王国において 天国とも言えますが 全ての最上に位置する領域で 化身しないサダ シヴァが内在します シュリ クリシュナは 父であるサダ シヴァの一つの側面です そして アディ シャクティあるいは聖霊は サダ シヴァのもう一つの側面であり 彼の力です ですからこの地上に シュリ クリシュナが化身したとき アディ シャクティの側面が ラーダとしてこの地上に来ました 彼女は キリストの母としても来ました シュリ クリシュナの名にちなんで キリストと名付けました クリシュナの名前であるかのように クリシュナから取りました インドでは彼を “クリシュトゥ”と呼びます なぜ彼がイェシュあるいはジェスと 呼ばれたかはお話ししました ではシュリ クリシュナの 二つの側面を見ていきます 神聖な誕生の出現でした ラーマは人生において プルショッタマを つまりこの世における 最高の父を示しました そしてシュリ クリシュナの人生では ヨゲシュワラを つまり神聖な働きとしての 最高の父性を示しました 私たちが理解すべき 最初の側面はヨゲシュワラです 二番目の側面はヴィラータです ヨゲシュワラは ヨガの最高神 ヨガの力という意味です 彼がヨギとして到達すべき 最高峰に到達したので そう言われています あなたが到達すべき理想が 彼であるかのようです 彼はヨギとして 王家に生まれましたが 牛や普通の人と共に 密林に 森に住みました 彼は石や草の上のような 普通の所で寝て 牛をエサ場に連れて行きました 彼は大変意識していました 彼の力をエゴなしに 完全に意識していました “サムハラ シャクティ”と呼ばれる 特別な力を持っていて 神聖な出現を傷つけようとする者全てを 滅ぼすことができました この“サムハラ シャクティ”は 彼の手に持つチャクラで現します もう一つは “ガダ”(槌鉾)です これらの力は彼の内にあり ラーダの力によって動きました ラーダがシュリ クリシュナの力を 支える者だからです その証拠に 彼がラーダとゴクルにいたとき “サムハラ”の働きをしました 後に アルジュナのために 二輪戦車の運転手になりました 彼の弟子アルジュナのために 二輪戦車の運転手にもなります ヨゲシュワラのもう一つの 偉大な特質は 備わっている 完全な分別の力です 彼は誰が悪魔でそうでないか 誰が良い者で悪い者か 誰がとりつかれいているか 誰が純真でそうでないか知っていました これは彼の内に備わっていた 完全な分別の力です 彼は目撃する能力を より表した能力である “サクシ”を備えていました つまり彼は サクシそのものでした 全世界の戯れを目撃する 能力を持っていました ラーマの時代 ラーマは 自分の問題に自らを巻き込みました 人間が彼を 神と認識しないように 完全な人間であるかのように 示しました どのように彼を神と受け入れられるでしょう “どうであれ 彼は神でした” この彼の内にある 目撃する能力は 全てのヨギになければなりません 彼がコントロールする要素は エーテルです サンスクリット語で “アカシャ”です エーテルはご存じのように テレビ ラジオ あらゆる公共的媒体のために 使われます ヨギとして私たちはエーテルの要素を 使えなければなりません それは最も精妙なもので あなたはそれでもって 全てに浸透でき 超越します プラスチックは 全てに浸透できます 物質や空気までの全てにです しかしエーテルに 入ることはできません ですからネガティビティは エーテルに入ることはできません あなたが エーテルの領域に入ると 実際に思考を超えた意識状態の 領域に入ります エーテルの状態を得るには 思考を超えた 意識状態を広げないといけません それを維持するのはキリストです スピリットです ヨギとして自分のあるべき状態が エーテルのようである と認識できます スーパーエゴは どのような状態であるべきでしょう エーテルの状態に入るべきなのは エゴの部分です スーパーエゴにおいては それらを戯れとして見なければなりません ネガティビティの戯れを 見なければなりません ネガティビティは遠退くでしょう 関わってはいけません 振りをしなさい ネガティビティは あなたから離れるでしょう エゴとスーパーエゴはどちらも ヴィシュディから上昇します そしてアギヤ チャクラで 後退します しかしヴィシュディに 吸収されなければなりません ヨゲシュワラの最も偉大な特質は 全く関わらない 完全に執着しないことです 彼が食べ物を口にすれば 食べていません しゃべれば しゃべっていません 見れば 見ていません 聞けば 聞いていません 彼には何の影響もありません 反応も行動もありません いずれにしろ 彼は完全です 16の花弁は 完全な月です 月の16日目は プルニマです このように自分自身において 完全でないといけません 自分に完全に 自信がなければなりません しかし自信を エゴによるものと 混乱してはいけません 自信は完全な叡智です 完全なダルマ 完全な愛 完全な美 完全な神です そうでなければなりません ギ―タの“全てのダルマを断念し 私に帰依しなさい”の意味は “心配事全てを断念して 私と一つになりなさい” “そうすれば あなたの面倒をみます” シュリ クリシュナに 責任を委ねなさい あなたを通して 完全な統轄した神聖が現れます 自分に責任がある と言うのであれば “良いでしょう やってみなさい” と彼は言います しかし “貴方に責任があります” “私は貴方の手の道具にすぎません” と言えば それを大変良く現せます そのようにして あなたのヴィシュディ チャクラは開きます これは私がお話した ヨゲシュワラの一部分です 彼が私たちの内にある 脳なので 彼は私たちの脳になります 神聖な脳の特質全てが内にあると 知らなければなりません 私たちの脳で考える 策略や欺き 悪いこと全ては 神聖な目的のために 彼自身汚されることなく 彼によって為されています ポジティブとも言える 別の側面を見ると 政治や外交 リーダーシップのようなもの 将来への思案すら 彼によって為されています 計画や思考や管理など 全てです 全て戯れとして為されています 彼がマスターだからです “ストゥラ ダーラ”と呼ばれ 劇における序幕をする方 パントマイムの糸を操る方です サハジャ ヨガのこの段階で理解すべき シュリ クリシュナのもう一つの事は 彼はこの時期に出現する ヴィラータ シャクティだということです 彼の時期のシュリ クリシュナの シャクティではありません 作用する力は もはやラーダやメアリではなく ヴィラタンガナです それ故 全ての聖人の知識よりも サハジャ ヨギの知識の方が 遥かに広いです しかし彼らより深い という意味ではありません 自分の知識を深められるなら この広い知識は 適切な根を育むでしょう 脳はルーツ(根)です 全生命の木の根があります 実際クンダリーニが上昇し まず脳に水を与えることで 全生命の木に神聖な至福や 神聖な知識が注がれます ワークアウトすべきこのヴィラータ シャクティは まず私たちに集合的意識を与えます 私たちは最初に 脳の力を通して理解します 全ての脳の力は ハートによって水を与え 導かれなければなりません サンスクリット語に 美しい言葉があります”シンチャン” 神の愛で吹きかけられる 露の雫のような意味です 脳の統轄はハートで そして肝臓で 行われなければなりません それによってのみ ヴィターラ シャクティが別の形をとります 殺す武器から 許す武器に変わります あらゆる破壊的力が 建設的なものに使われます 騙されたようにです これらのグルをいかに騙すかの トリックについてお話しました 彼らの力は 彼ら自身を騙すのに使われます 彼らの歯が彼らの喉に 向けられなければいけません 歯を取り除くのではなく 彼らの喉に向けます それができるなら 私たちに及ぼされる 影響はありません あなたがより力強く 巧みだからです ヴィラータ シャクティは今 その形をとっています 木のように 上に向かって育ちます しかし果実がなると 下に降ります まずその花自体で 木やその他の部分自体で 魅力的です 人はそのために 摘み取ろうとします しかし果実がなれば それを保存します 木も謙虚さで下に向きます 大変価値があります あなたは果実です ヴィラタンガナ シャクティである 果実です あなたは大変価値があるので 地上から神聖な力を滅ぼし 破壊しようとする者が これらの果実から 何か得るべきだと考え始めるほどです 今日ヴィラータ シャクティが あなたに偉大な価値を与えました 人はサハジャ ヨギが 一人でもいれば貴重に思います 例えば普通の人が リアリゼーションを得て 彼の価値を高めるとします 彼がそれに見合うサハジャ ヨギなら 彼は価値において尊敬され 愛され 最も高次なものを与えられるでしょう 今日はそのヴィラータ シャクティを 理解すべきです 私たちは果実を与えてくれた ヴィラータ シャクティを崇拝します 結果 これらの異なる教会 熱狂主義 無神論主義 共産主義 全ての主義は中和されます それに恩恵を見るからです あなたはそれに ならなければなりません 大事なことは 母なる大地に頭を下げることです 謙虚であることです 完全に内から謙虚にいることは あなたにサハジャ ヨガの果実の 完全な価値を与えます 自分自身について自慢する サハジャ ヨギは 木になる腐っている 果実のようなものです 頭を下げた果実のみが 熟した良い果実として受け入れられます 自分は高みにいると主張する者は 良い果実ではありません これに乗じてネガティブな者は 自分は頭を下げているので素晴らしいと 決して言ってはいけません 論理にかなってはいません 自分が謙虚だという振りをします 腐った果実でさえ頭を下げます しかし熟した果実は その重みによって 謙虚さを表します それはグルタトゥワの重みです あなたは 果実になるまでの成熟の力を ヴィラタンガナの力によって 授かります そして グルの原理によって 祝福されます より良い陽光や より良い水の供給などを欲する者は まだ成熟していません 果実はそれ以上 何も必要としません 母なる大地やその要素から 何も必要としません それは帰依し 頭を下げ 母なる大地に礼拝します ですからマザーに質問をし続ける 個人的な問題や 愚かな考え ネガティビティをもってくるサハジャ ヨギは まだ果実ではありません 成熟した者とは サレンダーする者 母なる大地に礼拝する者です ですから頭を下げれる能力は 自己を判断する最良の方法です あなたのために全ての仕事をする あなたのお母さんの重力に全てを委ねて あなたの些細な 小さな心配事を委ねて これらの破壊の力の上へ 上昇しなければなりません 完全なヴィラータ シャクティを 達成しなければなりません 最終的には “マドゥーラ シャクティ”となります “マドゥーラ”は英語にありませんが “優しい力”という意味です 果実が甘くなるようです そのようにあなたは 優しくならなければなりません クリシュナは優しさが 全てに及ぶようにしました 彼の全ての戯れや踊りや話を 読めば分かるように ゴパスやゴピス ヨギに対して マドゥラ シャクティが作用していました ヨギを喜ばせることによって お母さんを喜ばせなければなりません 他の者を喜ばせるのではありません 彼らは重要ではありません 今日のプージャは時間を短くします 短くするために 二階で時間をとりました 失われた時間は 永遠に得られる時間となります 神の祝福がありますように […]